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気持ちが追いついていかないので、目の前を時間が飛んでいくようだ。ちょっと待って!とつかまえたいけれど流れが速すぎる。一週間でいいから、立ち止まりたい。具体的にどうすればいいのか、わからないけれど目の前を流れていく時の流れを見るんじゃなくて、ちょっと上流の方向を見る余裕が欲しいのだ。でも、明日から2月。子どもたちのテストも近いし、高校受験と大学受験の子の行く末が決まるのは、3月。確定申告もあるし。なんでこんなにスローになってるんだか、まったく。
2005.01.31
ボケ1年末の会議会場に、ライトブルーの「フリース」のマフラーを忘れ物。ボケ2そのマフラーを忘れたことを今日、言われるまで気が付かずにいた。ボケ3今日の帰り、気が付いたら、行くときにしていたライトブルーの「ウール」のマフラーを会場に忘れてきた。ボケ5帰りに美術館の喫茶で一服。お会計が終わったと同時に携帯に着信。「店内で携帯電話は禁止」という注意書きを読んでいたので喫茶店は出たものの、「美術館内」で喋っていておねえさんに注意される。ごめんなさいっ!ボケ6受験生と過去問を解いていて、「not so much as ~が間違いだよ。」と、自信満々で言ったら、そういう使い方があった。(これは、勉強不足。)これだけボケてるってことは、たぶん、自覚してないところでもさらに、ボケまくっているだろうなぁ。そういえば、今日、おみくじ引いた後、後方で見ず知らずのおじさんが、「おいっ!」って言ってたっけ。「なんなのかしらん?」と無視してしまったが、もしや、なにか、とても失礼なことでもしていたのか・・・。きゃ~~~~、大丈夫か、自分っ!!!鬱じゃなくて、脳腫瘍だったりして。少なくとも脳梗塞は、あるかも~~~。こわっ。怖いのは、自分より周りかも~~~。迷惑かけてたらごめん。(って、誰に謝ってるんだろ?)あーー、神様、できたら人に迷惑かけたりしないで、ぶちっと太目の血管が切れて道端とかで死んでいますように。でも、行いが悪いから、脳腫瘍になって、あることないこと、もんのすご~~~~いお下劣なこととか叫びまくったりして、変な歌とか歌っちゃったりして、他の入院患者さんに「眠れないっ!」とかいって、果物ナイフで刺されて、それでも急所をはずされたために即死できなくて、血まみれで発見されちゃって、病院内だから、仕方なく、助かっちゃって、もったいないのに輸血とかしちゃって蘇生しちゃって、でも、出血多量だったから植物状態になっちゃって、静かになったのはよかったけどそのまま、生き続けることになったりしたら、どうしよう。神様、せめてそのときは、脳死状態になって、臓器提供するか、献体して、筋肉一本一本切り刻まれて医学の進歩のために役に立てますように。最後のボケ。ボケ4を書き忘れた。
2005.01.30
子どもたちと英語に関わるようになって、気がつけば15年・・・!途中で海外逃亡をした期間や児童英語の指導者になりたいひとたちを選考したり、指導したりなんていうおそろしいことをしていた時間もあったっけ。結局、大人を教えてるより子どもたちを教えるほうがよっぽどやりがいがある。やりがい、なんて大上段じゃなくて、やっぱり、おもしろいんだ。幼児を相手に英語だけでレッスンするのも楽しいが、ここ数年、そうやって教えてきた子どもたちが中学生になり、小学校高学年になるにつれて、どうしても、学校のテストで結果を出せることを意識しないわけにはいかなくなってきた。つまり、「書くこと」だ。まず、たくさん英語を聞くこと、聞いたことに反応して、真似することから話すこと、聞きながら文字を目で追うことから文字と音の関係に気がつくようになって、読むこと。「書くこと」は、そのあとだ。しかし、中学校に入ったら、すでに、テストでは、書けなければ点が取れない。さて、前置きが長すぎた。5年生のクラスでは、いわゆる「書き取り」を始めて半年以上。女の子たちは、きっちり、書いてくる。しかし、男子は・・・・・・。こればかりは、個人差よりも男女差、なのだ。今日!男子の中でも書くのが一番最後まで「苦手」な子が、一番最初にノートを持ってきて、Perfect!だった!思いもよらなかったので、失礼なことに他の子を褒めたら、「おれじゃ、ね~よ。」「へっ?あれ、失礼。じゃ、誰の?」おずおずと、手が挙がる。!!!!!!!!「すごいっ!○○ちゃん!完璧っ!Great! Perfect!」ちょっと、恥ずかしそうだ。全員のノートを見たあとで、こっそり、彼に向かってThumbs up !照れながらもちょっと誇らしげだ。こういう瞬間があるからやめられない。よしっ!って思う瞬間だ。
2005.01.28
友人のところに花を送る。菊はやめて薔薇にした。大きい白い薔薇。気の効いた友人が大学の専攻コース一同で花を送ってくれたのだが、他にも2,3人が、個人的に花を送っているはずだ。お供えの花って、どうして菊なのかな。今は、私も菊を買って帰ることもあるけれど、父が亡くなってすぐは、あえて、菊を避けて、にぎやかな洋花を買っていた。仏様には不釣合いな花ばかりだったかもしれない。友人にもどうしても「お供え用」のアレンジを送る気にならなかった。私の思い出す、二十歳の彼女は、たぶん、ピンクのデージーかもしれない。湘南の海風の匂いのする、ストレートのロングヘア。いつも、さわやかな笑顔を振りまく小柄な姿。きっと、そのまま、彼女のイメージは、一生、固定されたままだ。まだ、大輪の白菊を送る気にはなれない。だから、白い薔薇を送った。
2005.01.27
と、がんばって午前中に行動。家を出るぎりぎりまで、「あ~~~~~~~~~、どうしよ。」っていうくらいなんだか、だるかったのだが、こうやって毎日、自分を甘やかしていてもいかん!もし、こんなことで出かけなくてその人にもう二度と会えないってことだってあるんだぞ!と車を飛ばす。(って、アクセル踏んでるだけのことだけど)お~~~~っと、遅刻だぁ、やばっやばっ!と駐車場をぐるぐるっとしてみる。どうやら、私のほうがめずらしく先に着いたようだ。慌てて出てきて、ジャケットを忘れた。寒いけど立って待ってる。こういうときに限って、携帯を見てみるなんて思いもよらないものだ。ふと気がついてみたら、「急用ができました。来週にしてください。」とメールが来てました。電話してくれよ。出かけるときに、うだうだして「あ~~~、断ろうかなぁ。」なんて思ってることが神様に通じたのねん。来週まで生きてなくっちゃ。
2005.01.26
あ~~~~~、2年だ。去年の今頃は、お薬が替わる直前で、というか、それまで半年近くも服用していた薬が、思ったように効いていなかった(効いていたのか、効いていなかったのか、当人もわからなかったんだなぁ。)ために、苦しさが続き、読みまくっていた鬱病関係の本で3ヶ月から6ヶ月なんていう「平均的な通院期間」を既に倍になろうとしていて、焦りもあったのかもしれないが、ほんとに、苦しい時期でした。今はもう、「高血圧」と同じで、とりあえず、通院は、断られるまで続けようと思ってます。しかし、今月は、先月に続いて「低め、不安定」で、Dr.にそう話しだした途端に、久々に、どわっと涙が出てしまった。友だちが亡くなったり、伯母の命日があったり、通院直前に、いろいろあったのだが、ちょっと、疲れ気味~~~~。ということで、久々、診察室で号泣の巻、であった。先生、失礼しました。
2005.01.25
3年前の今頃、外は大雪でした。私は、その日、病院の個室で伯母を看取っていた。前日、仕事に行く途中、携帯で病院から呼ばれた。伯母は、一年近く前に、骨髄異形成症候群と診断され、つまりは、白血病だった。伯母は、仲のよかった(のだろうか)東京の叔父を頼って、都内の病院での治療を希望していたのだが、叔父夫婦に拒絶され(たのを当人は理解していたのだろうか)、もう一人の弟である、父と私たち家族が、結局、面倒を見ることになった。もろもろあって、本当に疲れ果てた一年近く、お正月を迎えたあたりで、病状は、急に悪化した。その日、一度、病室に集合した私たち家族だったが、折からの大雪と諸般の事情から、私一人が、病院に残ることにした。私には、伯母を看取ることになるという覚悟があった。それは、「私が伯母を看取る」ということより、「母に看取らせたくない」ということだけだった。母は、もう、十分に尽くしていた。ある意味、東京の叔父夫婦の選択は、正解だった。遠くにいて、たまに、見舞いのはがきを出す。百貨店から見栄えのいいお見舞いを送る。これくらいの距離でいるのが、正解なのだ。近くにいて、我が家から片道1時間半の病院に見舞いに行き、話をし、汚れ物を持って帰る。もともと敬遠していた伯母であり、病院という場所そのものへの行き帰りに疲弊した。私が用事で2日行かなければ、そのことを愚痴に、義理の兄にはがきを出す始末。見舞いに行った父にパジャマを持って来いといい、店も閉まっている時間だったので、母が家にあったものを持たせて、父が2往復した翌日、それを知らずに、見舞いに行った私に、「こんなひどいパジャマじゃ、みっともない。」と同室の患者さんの前で叱責された。それがきっかけで、病院に行くのを父に任せてしまい、その肉体的・精神的ストレスで伯母の一周忌も待たずに、父が亡くなってしまったと今でも、無責任な自分を苛んでいる。伯母には、伯母の言い分があっただろう。病気の苦しさ、悔しさもあったと思う。それでも、旅立っていく伯母に、彼女が赦せなかったひとたちを赦して「仲直り」をして欲しいと願っていた。今となっては、それは、私の思い上がりだったのかもしれないと思う。うまくは説明できないけれど薄れていく意識のなかで、私は、彼女がこの世を離れる間際であってもすべてを受け入れ、赦すことができない、というはっきりとした意思を感じてしまった。むなしいことだった。意識がなくなる前に、「今日は、私が泊まってるから寂しくないよ。」と声をかけたら、うれしそうに笑っていた。それでよかったのかもしれない。赦すも赦さないも私が彼女に望むべきことではなかった。誰にも望まれぬ看病をやって抜けたものにお礼を言うこともなく、あらゆる決着をつけぬまま、遺恨を残していったのは、実に、彼女らしい生き方であり死に方であった。それでいいのかもしれない。そう思いつつも同じ思いを私は誰にもさせずに死にたいと願う。「こうなりたくない」という伯母の境遇に、限りなく近づいていく自分が、それ以上に、迷惑をかけるかもしれないというのは、ほぼ、恐怖に近いものがある。親不孝であっても親に後始末してもらいたいと願っていたが、今、母ひとりとなっては、それは、望むべくもない。どうやって死んでいくか、それは、選べないことだとわかっている。おっと、相当、後ろ向きな日記になろうとしているぞ。昼間、いっそ、すべての日記を消そうと思ったのに。尻切れトンボ、でおしまいにしようっと。明日は、通院日。めでたくも、まもなく、2年だ。私の心のなかの軸が、わずかながらにずれ始めたのは、多分、3年前のことなのだ。
2005.01.24
スリランカで亡くなった友人が発見されてから、彼女は、この20年間で一番近くにいるような気がする。昨日、帰国。今日は、家族のみでお別れをしたと思う。わたしたちもいろいろなかたちで同級生(といっても私たちの専攻は、10名そこそこ)と連絡を取り合い、なんらかのかたちで、彼女を送りたいと考えている。あるときは、学生時代に戻れたり、それなりの時間をばらばらに過ごして、まったく違った環境に身をおく現在を感じたりする。当たり前、といえば当たり前。10人そこそこのなかまで、最初に送らなければならない友人が、旅行先で、未曾有の災害の被災者となってしまったこと、行方不明の期間が3週間もあったこと、同行していた婚約者と生き別れになってしまったこと、まだ若い友を送るという「事実」以上の衝撃に誰もが大きく揺り動かされている。「いのち」は、それぞれのものだけれどそれぞれの「いのち」は、彼女の「いのち」と同様、ある日、突然、自らの意思や想像や願いとは別に、奪われ、消えるのかもしれない。頭でわかっていても芯のところでは、理解も納得もできない。私にとっては、またもあらたな不安の材料だ。ひとが消える。今まで目の前にいたものが、手に触れられたぬくもりが、消えうせてしまう。わかる、ということと受け入れる、ということは別だ。受け入れよ、手放せ、赦せよ。どれも不可能だ。祈る、だけだ。
2005.01.23
今日は、先生のお宅でのお初釜でした。去年、作った小紋を着てみました。いつも「渋好みねぇ。」「30年、40年経っても、着られるわよ。」とおば様方に言われる私の着物の趣味。さて、今回の評判は、いかがであろうか。私にとっては、めずらしい、一面にごっちゃり模様がある(ってか、それが普通の小紋か)着物地。地色は、あいかわらず、渋いグレーなんだけどすでに、地色が見えないくらいに四季のお花やら、私にはめずらしく鶴らしい「鳥」がいたりする、この「古典柄」が、気に入った理由なんです。お茶会のほうは、ごく身内、ということである意味、気を抜き過ぎたのか、1時間前の集合時間ではやっぱりまずかったか、ばたばたしながら・・・でしたね。ともあれ、先生を中心に30代から(お、20代はいずこ?)70代まで、和やかにお稽古をさせていただいているお仲間でお正月をお祝いできるのは、嬉しいことだ。私は、過去二年、父が亡くなったり、具合を悪くして、欠席。実は、今年が先生のお宅でのお初釜デヴューなのであった。お道具も準備もやっぱり、先生頼みになってしまいましたが、こういう狭い(失礼!)ところだと舞台裏で働く先輩の仕事振りなどを拝見してこれは、これですごくいいお勉強でした。気心知れた皆さんと今年もよろしくとあらためて向かい合うこんなお茶会だったらどんどんやりたいものよのう。「楽しいお茶」も大好きです。
2005.01.22
ヘタレてます。あ~~~~~、もう、なんのために生きてるんだろ~~~。生まれて、死ぬまでの間なんて、結局、時間つぶしみたいなものなのかしら。なんてね~~~~~~~~。ごめんなさい。わかってる。そんなこといっちゃいけないって。でも、幸せ真っ只中で、旅行中の一日、ランチしてたら思いもよらない、ほんとに、想像だにしない、なんだかわからないうちに、愛する人とも、家族とも、自分の命とも、二度と会えない場所に自分がいるなんて、私だったら、到底受け入れられない。なんで、そんなことが起きなくちゃいけないの?ある日突然、いなくなるなんて。ある日突然、消えてなくなるなんて。どう消化したらいいのかわからない・・・夜道をぼけっと運転してると同じ思いの友人たちから電話が来る。お互いに、言葉なんてない。あちらは、男二人で飲んでるらしい。あなたたちは、いいよ、ふたりなんだから。・・・うん。そうだよな。・・・ごめん。震えが来ると思ったらヒーター、つけ忘れてた。気がつくと、眠ってる。眠っても眠っても眠い。早く春になれ。
2005.01.21
先に行く人がいる。どこかへ消え去る人もいる。私は、ただ、ここに取り残されている。「さようなら」も言わないで「さようなら」の理由も言わないで、いなくなられたら、呆然とそこにたったままで、「どうして?」と問い続ける。問いかけてるべき人がいないから、自分に問い続ける。「私がどうすれば、あなたは、ここにいてくれたの?」「私がなにをしたから、あなたは、いなくなってしまったの?」私がいつか、ここから立ち去る日が来るまで、私は自分に問い続けなければならない。誰かが去って行ったのではない。私が、取り残されたまま、なのだ。
2005.01.20
みなさんのお祈りのおかげで友だちがみつかりました。どうもありがとう。愛する人と愛する家族のもとへ帰ることができるね。久しぶりの同級会は、寂しいものになりそうです。一日、一日、自分なりに生きていく。それしかないのかなぁ。
2005.01.19
2泊3日、お留守番でひとりです。長い人生(わはは)、そりゃ、一人暮らしも何年か・・・。しかし、ひとりには、広すぎるんだよなぁ、この家。狭すぎるのよりは、ましなのか。私と一緒に生活することに耐えられる人がいるのか、いないのか、そりゃ、わからないからそこに「希望」があるんだけど。私は、ひとりで生活することに耐えられるのか、耐えられないのか、そういう疑問について、なぜ、この20年間ぐらいの間に、ちゃんと考えなかったんだろうなぁ・・・とそう、この数年、後悔してはいるんだなぁ。仕事を終了してから、たまっていた本を読み始めた。なんとなく、テレビをつけっ放しにしていたら、ピーターが39歳のとき、恋人(ちなみにそのときは男性だったそうです)になんの話もないままに、ある日、突然ふられたトラウマでその後、7,8年は、人を好きになれなかったって言ってた。「パートナーを探したほうがいいですか?」「そりゃ、あなた次第よ。」(ズバリ、言われてました。あの方に。)ピーターだって、考えるんだなぁ。彼(彼女?)は、52歳。わたしじゃ、どうですか?断られそう・・・。だな。
2005.01.17
昨夜から雪模様。今朝も降っていました。というわけで、しっかり、冬支度で出かけました。今日は、お初釜のお手伝いでした。日曜日に早起きだし、雪が降ってるし、寒いし、いろんな「先生方」がいらっしゃるし、疲れるの、わかってるし、車を出しながら、気持ちは言うならば・・・「後悔」。わ~ん、お手伝いなんて引き受けなきゃ、よかったなぁ~~~。私たちでもかなりの「若手」なんです。だからね~~、言われたことは素直~にしなきゃ、いけないのです。当たり前。先生方は、60代70代、間違いなく、私より、体力、気力、知力、充実!していらっしゃいます。ところがね~、同じ「日本語」でも、解釈の相違があるといおうか、指示がちゃんと伝わらないのかなぁ、必ず、「おいおい」とか「う~むむむむ」とか、最後は、「・・・・・・。」ということが、あるわけです。人の言うことを聞かない、連絡事項を聞いてない、か、きちんと理解していない、自分の持ち場の領域を把握していない、ときに、必要以上に気がきくが一貫性がない、わかってないので、やたら、周りに問いかける、問いかけている相手を間違えている。なぜか、そういうひとが必ずいるのである。そして、なぜか、仲間がいるのである。というか、独立して判断できないためにそういうおばちゃまたちは、集まるのである。集まって間違っているので、困るのである。そして、そういうおばちゃまたちは、まちがいなく、怖いのである~!なぜ?しかし、そういうときに、若造が正論を言ったり、ましてや、反論などもってのほかである。できることは、「黙る」。黙って自分の仕事をやる。言われたことをやる。聞かれても答えない。(意地悪じゃないよ。)答えられないのであるよ。ともあれ、単純作業は、そのうちに、熟達して、素早くなり、楽しくなってくるのである。いろんなことがあっても最後は、やっぱり、やらせていただいてよかったわ・・・とそう、結局は、思うのである。おもしろくないこともあるし、もっとためになることもあるけれどこれは、これ、ここでしか、体験できない世界があって、これも含めて「茶道」である・・・かっこよすぎ?もっと人間として成長しなきゃ、もっとお着物もかっこよく着たいし、もっとお着物も帯も欲しいし(あれ?)とかね。というわけで、皆様、お疲れさまでした。日々是、精進でございます。
2005.01.16
人間、生きていればいろんなことがあるものだ。と、振り返ってみても私の人生にも想像できないようなことが起こったこともある。私が今まで想像していたのは、「津波」とは、「波」で、巨大な壁のような波がやってくるのかと思っていた。次々と明らかにされる津波は、今まで陸地だったところがみるみる大河のような水がスピードと水量を増しながらすべてを飲み込んで行く。必要があって、ある週刊誌の、スリランカで津波にあった人の手記を読んだ。その雑誌のグラビアは、モノクロでありながら、十分に「現実」を伝えていた。本当に、隙間なく、並べられた遺体。手を差し伸べたかたちのままの人もいる。写真を見て初めて気がつく。すべて、溺死したひとびとだ。当たり前の事実。左側のページは、掲示板に貼られた遺体の顔写真の数々の前で肉親を探す人の後頭部にピントがあっている。ボードに貼られた顔写真は、はっきりとは見えないが、どの写真も目を見開いて、いや、眼球が飛び出しているようにも見える。もし、私が家族を探しに行ったとして、その状況では、自分の家族を確認できるだろうか。津波の速度は、時速800キロとも聞く。旅客機なみだ。ダイビングしていても気がつくと潜行したボートから数十メートル離れていることがある。もし、私がダイビング中に巻き込まれたら、気がついたら、からだがばらばらになっているだろう。ともあれ、人生には、思いもよらないことが起きる。いまだに確認できない遺体、そして、家族を探し続ける人々がいる。思いもよらない人生の最期を迎えた人たちが安らかに眠れるように。いまだ、愛する家族、愛する人の元に戻れない人たちが一日も早く、帰れるように。今、私ができることは、祈ることだ。
2005.01.14
一昨日注文したCDが来た。テレビドラマのサントラ盤なんて買ったことあったかなぁ。今回は、もう、絶対買うって決めてました。朝、目覚めにはいいだろうなぁ。お仕事に行く車の中でもいいだろうなぁ。さっそく、今日、仕事に行く車の中で聞いていきました。もちろん、歌いましたとも!ジョン・健・ヌッツォとともに!疾走感!一年前の第一回目から「あ~、この疾走する若者の群れの後姿で最終回は、あたし、号泣しちゃうんだろうなぁ・・・。」と、想像していたドラマも終わりました。HDD・DVDレコーダーもそのために買ったし、自分のための完全版、作成中だもんね。そしたら、発売されたようだ。っちぇっ。あ~~~、作曲家って天才だ。そして、編曲するって天才だ。生まれ変わったら、指揮者か、打楽器奏者になりたい。あの、青空バックに旗がどわ~っとでるたりらら、たりらら、たりらら、ちゃらら、らっら!っていうのも、ちゃんと曲名があって、たった9秒のワントラックなんだなぁ。あ~~、盛り上がる、盛り上がる。その、一番目のと、メインテーマのエンドレスMD作っちゃお。気持ちが落ち込んだときは、まちがいなく、これだ。
2005.01.12
今日の日記は、300回目。三日坊主としては、一年余りで300回は、まあ、上出来かなぁ。最初は、デジカメ日記。写真は、100枚までの制限があるから別サイトに貼り付けるようにしました。それと心の中にたまるものをどこかに吐き出したいと思った。日記を書いて、それも、誰かが読む、という前提で自分のことを書くっていうのは、なんだか、どうなのかなぁ。ちょっと、露悪趣味、自意識過剰、自分大好き、って気がしている。で、それでもやってるんだけど。ま、いいのである。プロフィールに貼ってる写真を自分で気に入って、悦に入ってるひととか、あまり、お友達にはいないタイプだし。私だって、ほんとのことを全部洗いざらい書いているかっていうとそうでもなかったりするし、読んで欲しい人限定で日記を書いてたりするし。これって、映りのいい鏡の前で自分の姿をチェックしてるひととたいして変わりないような気がするし、写真も芸術じゃなくて「記録」だし。いつ辞めるか、ってことが次の問題かなぁ。目標もなく、センスもなく、凝りもせず、たんたんと、だらだらと続くのであります。
2005.01.11
今は、祈ることだけ。できるのは、祈ることだけ。「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身になりますように。」(ルカ1-38)おとめマリアがこう言えたのは、私には程遠い勇気と信仰のなせること。クリスマスの日記に書いた祈りを今日、あらためて読んで泣いた。主よ、今、この時のため、よく備わっていることを強く望みます。わたしの全てを喜びつつしんであなたに捧げます。わたしの思いを明らかにし、清められるよう導いてください。矛盾した望みがわたしの内にあり、むなしいものやはかないものに心がとらわれます。わたしは知っています。もし主にわたしの魂を捧げるなら、わたしのなすことは新しい魂に従うことを。この祈りのとき、わたしの全存在とわたしの試みようとするすべてのこと、すべての出会いと思い、わたしの生涯、葛藤や失敗までもあなたの御手にゆだねることができますように。主よ、わたしはあなたのもの。あなたの御計らいのとおりになりますように。アーメン。「主よ、わたしはあなたのもの。あなたの御計らいのとおりになりますように。」これは、決して、『思考停止』でも、まして、自分の決断から逃げているのではない。マリアと同じように、神様への信頼が自分の命と同じ重さでなければできない祈りだ。わたしの全存在とわたしの試みようとするすべてのこと、すべての出会いと思い、わたしの生涯、葛藤や失敗までもあなたの御手にゆだねることができますように。この祈りができるようなわたしになれますように。アーメン。
2005.01.10
12歳で目の前で家族を失った少年にそのときの状況や今の気持ちやこれからのことを聞くな!なんにも聞くな!誰にもすがりついて大声で泣くこともできず、耐え続けている少年にマイクを向けるな!
2005.01.07
「すべて神様のお計らいどおりになりますように」と『思考停止』とは違うのかな。もちろん、違う。と言える人は、「信じる」ことができるひと。「信じ」て「待つ」ことができるひと。「待つ」ことは、希望すること。未来を信じられるひと。待ち望むことは、いつも神様を信じること。
2005.01.04
箱根駅伝。好天に恵まれてランナーのバックに大きな富士山が映る。長距離、何時間も走るのは、いったい、なんのため?自分のため。チームのため。大学の、歴史のため、名誉のため。走り続ける。一本のたすきを次のランナーに託すため。駅伝は、日本独特の競技だったはずだ。チームのために走り続けるのは、日本人らしい気がする。リタイアは、切腹より厳しいかもしれない。孤独と戦うマラソンよりもっとドラマがありそうだ。走るのは苦手な私には想像もできないドラマだ。
2005.01.03
大晦日から、PCちゃんが入院。それどころか、年賀状も作ってないうちに…。これはいったい?!ま、すべては、2004年の厄落とし、と考えて・・・。いかに自分が、ネットやら、PCやらに依存していたか、自覚するいい機会に恵まれました。ひたすら、寝正月。ということで、お年賀状、届かない方々、生きてますので、一応。(^_^;)本年もよろしくお願いします。
2005.01.02
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