2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
全27件 (27件中 1-27件目)
1
「平将門」は、関東一円を平定した阪東武士の雄として知られている平家の一族です。天慶3年(940年)、平貞盛と藤原秀郷の連合軍との戦で流れ矢にあたり38歳の短い生涯を閉じました。首は京へ送られましたが、胴体は岩井市の延命院の境内に埋められました。(※後に東京大手町に「首塚」が置かれました)「アスリート」が、競技中において極限状態まで自分の体を使いきったとき、"zone"という状態に到達することが知られています。人間は、極限状態において、平凡な人が想像もできない映像を見るといわれています「私が捨てた女」(遠藤周作)のなかで著者は「愛と受容」についての問題提起をしています。※「永遠の愛をもって/「わたし」は「あなた」を愛した/それゆえ「わたし」は「あなた」に誠実を尽くし続けた」(エレミヤ書31章3節)愛は惜しみなく奪う!!!!!
2004年02月27日
コメント(0)
力を尽して狭き門より入れ!!「滅びにいたる門は大きく、その路は広く、之より入る者おおし」「生命にいたる門は狭く、その路は細く、之を見いだす者すくなし」――ルカ伝「第13章24節」より「故郷の廃家」(犬童 球渓)♪幾年ふるさと、来てみれば、咲く花鳴く鳥、そよぐ風、 門辺の小川の、ささやきも、なれにし昔に、変らねど、 あれたる我家に、住む人絶えてなく。※「故郷の廃家」は、アメリカ・ケンタッキー州出身の作曲家ウィリアム=ヘイス(W.S.Hays 1837-1907)作曲の「My dear old Sunny Home」に熊本県出身の音楽教師であった犬童球渓(いんどう きゅうけい 1879-1943)が訳詞をつけたもので、明治40年(1907)に中等教育唱歌に選定されました。『拾遺和歌集』巻第十六・雑春・1006より流され侍(はべ)りける時、家の梅の花を見侍て 贈太政大臣「東風(こち)吹かば、にほひをこせよ梅の花、主(あるじ)なしとて春な忘れそ」※「お水取り」は、奈良・東大寺の二月堂でおこなわれる仏教行事です。行事のなかに、井戸(若狭井)から水を汲んで本尊にお供えするという次第があることから「お水取り」と呼ばれますが、仏事としての正確な名称は「修二会」です。旧暦の2月1日~14日に執りおこなわれたので、その名があります。「お水取り」(3月1日~14日)が終われば、愈愈(いよいよ)「春」の出番です。時間ですよ!!!!!!
2004年02月26日
コメント(0)
Today’s My Birthday Anniversary!!!!!"Twilight"(たそがれ)---------「邪宗門」(北原白秋)より※邪宗(じやしゆう)の僧ぞ彷徨(さまよ)へる…… 瞳据(す)ゑつつ、「黄昏」(たそがれ)の 薬草園(やくさうゑん)の外光に浮きいでながら、 赤々(あか/\)と毒のほめきの恐怖(おそれ)して、 顫(ふる)ひ戦(をのゝ)く陰影の、 そこはかとなきおぼろめき、まへに、うしろに…… さはあれど、月の光の水(み)の面(も)なる葦のわか芽(め)に顫(ふる)ふ時。 あるは、靄ふる遠方(をちかた)の窓の硝子(がらす)に、ほの青きソロのピアノの咽(むせ)ぶ時。 瞳据(す)ゑつつ身動(みじろ)かず、長き僧服、爛壊(らんゑ)する暗紅色(あんこうしよく)のにほひしてただ 暮れなやむ。『正法眼蔵随聞記』より「只管打坐(しかんたざ)」の「只管」とは、「ただひたすら」ということです。「打」とは坐を修飾する言葉で「おこなう」ということですから、「只管打坐」とは「ただひたすら坐禅を続けなさい」という教えです。坐禅は、ただひたすら坐り続けることです。始めたその日から「生涯をとおして続ける終わりのない修行」なのです。「徳川家康」は、若い時から苦労を重ね、「人生とは重き荷を負いて遠き道を行くが如し」 という言葉を残しています。まさに「箴言(しんげん)」です。嗚呼、「大愚」は只管(ひたすら)「馬齢」を重ねるのみ!!!!!
2004年02月25日
コメント(0)
「いい日旅立ち」(作詞・作曲:谷村新司)♪雪解け間近の北の空に向かい、過ぎ去りし日々の夢を叫ぶとき-----帰らぬ人達、熱い胸をよぎる、せめて今日から一人きり旅に出る----ああ 日本のどこかに私を待ってる人がいる!!! いい日旅立ち、夕焼けをさがしに、母の背中で聞いた歌を道連れに------「のど赤き、玄鳥(つばくらめ)ふたつ屋梁(はり)にゐて、足乳根(たらちね)の母は死にたまふなり」※斎藤茂吉(1882-1953)の詩集「赤光(しゃっこう)」より彼もまた苦悩の晩年を送ってます。「人生は苦界ユエ、僕ハ苦シミ抜カウト思フ。毎夜、睡眠薬ノンデモカマハヌ。正シキ道ヲ踏ンデ行キツクトコロマデ行キツカウ。」「苦界浄土」(わが水俣病)著者/石牟礼道子「恵みの海」だった。豊かにおおらかに、人々を生命を育む「海」だった。先祖から受け継ぎ、子供たちへ伝えていくはずだったその「海」から、絶望がやってくるなどと誰が考えていただろう? 「有機水銀」という名の毒が漁師たちを襲い、国と企業が手をこまねいているうちに、その毒が子供たちをも侵す。「水俣病」!!!!動かない手足でその口で、損なわれた尊厳をまざまざと見せ付ける人々------話し変わって「星の王子さま」"Le petit prince"by Saint-Exupery※二十四話キツネの所に戻って「王子さま」は「さよなら」と言った。キツネは「正しく見ること」ができるのは、「心」だけなのだ。「本質的なもの」は目では見えないんだよ」と言った。そして「君がバラの花のために費やしたから、そのバラが君にとって大切なバラになったんだよ」と。" Men have forgotten this truth," said the fox. "But you must not forget it.You become responsible, forever, for what you have tamed. You areresponsible for your rose . . .""I am responsible for my rose," the little prince repeated, so that he would be sure to remember.♪「君の行く道は果てしなく遠い---なのに何故、歯を食いしばり君は行くのか、そんなにしてまで-----」
2004年02月24日
コメント(0)
日脚がずいぶん伸びた2月半ばには、光が春を先取りしたかのようにやさしくきらめく-----それが「光の春」!!!「釜山港(プサンハン)へ帰れ」作詞・作曲:ファンソンウ 唄:チョーヨンピル ♪椿咲く春なのに あなたは帰らない たたずむ釜山港(プサンハン)に 涙の雨が降る 熱いその胸に 顔うずめて もいちど幸せ 噛かみしめたいのよ トラワヨ プサンハンへ 逢いたい あなた---話題は変わって「パリ・ルーブル美術館」所蔵の「サモトラケのニケ(勝利の女神)」 1863年、エーゲ海東北のサモトラケ島でフランス領事、シャルル・シャンポワーゾが、まずパロス島の大理石で作られた女性像トルソを発見しました。続いて周辺からは同じ大理石で作られた118点の断片となった翼の部分が見つけられ、これらを復元したところ有翼の勝利の女神「ニケの像」であることが分かります。出土品は、フランスに送られ1884年、ルーブル美術館の「ダリュの階段踊り場」に据え置かれます。翼を広げた巨大な女性大理石像「サモトラケのニケ」はルーブルを訪れる人々の目を強く引き付け「ミロのビーナス」と共にルーブル至宝の双璧となっています。 「万葉集」第二十巻には「防人(さきもり)の歌」が多く載せられています。※4492首「月数めばいまだ冬なりしかすがに霞たなびく春立ちぬと」"Winter has over"!!"White and red ume flowers tell----" "Spring has just started!!!"春立ちぬ いざ生きめやも!!!!!
2004年02月23日
コメント(0)
「牀前看月光、疑是地上霜、挙頭望山月、低頭思故郷」※あの有名な「李白」の五言絶句です!!!牀前月光を看る、疑うらくは是地上の霜かと、頭を挙げて山月を望み、頭をたれて故郷を思う英語訳もご賞味あれ。"Night Thoughts"I wake and moonbeams play around my bedGlittering like hoarfroast to my wondering eyesUpwards the glorious moon I raise my headThen lay me down and thoughts of home arise※「室生犀星(1889-1962)」も詠っています-------ふるさとは遠きにありて思ふもの、そして悲しくうたふものよしやうらぶれて異土の乞食となるとても、帰るところにあるまじや ひとり都のゆふぐれにふるさとおもひ涙ぐむ、そのこころもて遠きみやこにかへらばや 遠きみやこにかへらばや------「小景異情(その二)」よりもっともっと謳いましょう♪♪♪♪「山の歌」※「山に祈る」より(作:清水 脩)(1) 山よ、お前のふところは、山の男のふるさとよ、嬉しい時は山へ行く 、淋しくなれば尾根歩き(2) 山よ、お前は愉しそう、ピークで叫ぶヤッホーを、忘れずすぐにこだまして、山の仲間と呼び交わす(3) 山よ、お前のあで姿、岩場、草付き、雪渓も、みんなお前の肌の色、抱いてもみたい肌触り(4) 山よ、お前はもの言わぬ、けれど代わりに僕達が、明日はいよいよアタックと、ヒュッテの便りしておこう(5) 山よ、お前が隠しても、歯をむくようなガレ場なら、それがお前の渋い顔、雪崩れが残した爪の跡(6) 山よ、お前の優しさは、テラスの空の星のように、テントの窓から忍び込む、小屋の窓から降ってくる※「十二時二十五分」依然、吹雪はげし。この吹雪は永くはつづくまい。明日はよくなろう、寒い----がまんが大切。「シラーフ」も「シラーフ・カバー」もぬれている、下半身ぬれて苦しい。「十五時十五分」吹雪おとろえず。視界きかず、なぜ一人で無理をしたのか---下半身凍って動かない-----(胸ふさがる思いで)「お母さん」のことを思うとどうしても帰りたい。♪♪「お母さん」ごめんなさい、やさしい「お母さん」ごめんなさい------「ゆたか」、「やすし」、「順子」よ、すまぬ-----「お母さん」を頼む!!!!ムムムー ムムムム ムムムムムムー※手の指、凍傷で思うことの千分の一も書けず。全身ふるえ、ねむい。ムムムームムムー「お母さん」!!!ごめんなさい-----やさしい「お母さん」!!!ごめんなさい----------------------「黙祷」--------
2004年02月22日
コメント(0)
"春風駘蕩"の季節です!!!!「茜草指 武良前野逝 標野行 野守者不見哉 君之袖布流」※茜(あかね)さす 紫野(むらさきの)行き標野(しめの)行き 野守(のもり)は見ずや君が袖振る-----「万葉集 第一巻」 額田王(ぬかたのおおきみ)レイチェル・カーソン(1907-1964)は「沈黙の春(Silent Spring)1962年」という本の中で化学物質による環境汚染の重大性について、最初に警告を発した女性です。※アメリカの田舎のある町、そこは生命のあるものは自然と一つだった。豊かな田畑、果樹園が広がり、みどりの平野には春霞がたなびき、秋には燃えるような紅葉があやを成す。森から「狐」の声が聞こえ、「鹿」が野を音もなく駆けて行く。ところが、あるときどういう呪いを受けたのか暗い影が忍び寄った。「若鶏」も「牛」も「羊」も病気で死んだ。そのうち、突然死ぬ「人」も出てきた。原因はわからない。「大人」だけでなく、「子供」も元気よく遊んでいたのに急に気分が悪くなって2~3時間後には冷たくなってしまった。春がきても自然は黙りこくっている。「小鳥」も歌わず、「ミツバチ」の羽音も聞こえない。ひさしの樋の中や屋根板の隙間から、白い細かい粉が覗いていた。何週間前の事だったか、この白い粉が雪のように、屋根のや庭や野原や小川に降り注いだ。(「沈黙の春」より)さ~て、お待たせいたしました。「宜候(ヨーソロ)」※「よく候」の転じた形で、船の操舵号令の一つ。「面舵」、「取り舵」の号令を出した後、船首が予定の方向に向いたときに「まっすぐ進め」の号令として使うもの。風よ~し、準備OK!! 面舵よ~し、GO GO!!!
2004年02月21日
コメント(0)
今朝は「フェスティンガー」の認知的不協和の理論を紹介します。※フェスティンガー;1919~89年;ニューヨーク生まれ;レヴィンの弟子「認知的不協和」が起きると心理的な不協和を低減ようとする行動が起きるという理論です。例えば「愛煙家」が喫煙は「肺がん」のもとになるという知識に接すると,自分は喫煙をしているという知識と,喫煙は「肺がん」になるという知識との間には不協和が生じてきます。 この「認知的不協和」を低減するためには,喫煙を止めるとか,「肺がん」になるという知識を打ち消すような情報を探すとか,不協和を低減するためのさまざまな方法がとられます。「フェスティンガー」が「認知的不協和理論」として発表したのは,説得的コミュニケーションを受け入れたり,拒否するのは「,認知の上での不協和を解消する」というメカニズムをとおしてであることを示すためでした。気分は限りなく「レトロ」!!!「上海帰りのリル」作詞:東条寿三郎 作曲:渡久地政信 唄:津村 謙♪船を見つめていた ハマのキャバレーにいた 風の噂はリル 「上海帰りのリル、リル」 あまい切ない 思い出だけを 胸にたぐって 探して歩く リル リル---- どこにいるのかリル だれかリルを 知らないかたれか僕の「夕霧」を知りませんか!!!!!
2004年02月20日
コメント(0)
♪はるが きた はるが きた どこに きた やまに きた さとに きた のにも きたSpring, it has come, Spring, it has come. Where has it come?On mountains it’s come, In hamlets it’s come, In fields too it’s come.「ルドルフ・シュタイナー」(1861-1925)神秘家、芸術家、科学者、教育者…「シュタイナー」は、様々な顔を持っています。1861年、オーストリア人の鉄道技師の息子として生まれた彼は、幼い頃から自然の美に対して、強い関心を持っていました。15歳の頃、カントの『純粋理性批判』を徹底的に読み抜きます。1879年、18歳で、ウィーン工科大学に入学。この頃から、「真理を探究すること」を義務と感じて、「霊的世界を体験する霊的直感の正当性」について考え続けるようになります。36歳の時、ベルリンに移住して、編集者となります。その後、「瞑想と道徳的修養」を通じて、"超感覚的認識"が獲得できる、という教えを実践するために、彼は「人智学協会」を設立します。1925年、"道"半ばにして彼は「64歳」でこの世を去ります。"ENCOUNTER GROUP"とは文字どおり「出会いのグループ」で、クライエント中心療法などの創始者「カール・ロジャーズ」が中心となって広めた技法です。※人は「他」があって、初めて「自分」が理解できるものです!!!!!「出会いのグループ」とは「他」と、そして「自分」との出会いを目的としたグループです。「未知との遭遇」を求めてChallenge!!!!
2004年02月19日
コメント(0)
"TOP OF THE WORLD"鹿児島の水俣の沖合西約40kmの洋上に「甑(こしき)島」が浮かんでいます。失われつつある大自然を、今でも自然のままの形で残しているということが、この離島エリアの最大の魅力です。※山のあなたの空遠く幸い住むと人の言う 嗚呼、我人と尋(と)め行きて 涙さしぐみ帰り来ぬ 山のあなたに尚遠く幸い住むと人の言う (カール・ブッセ)日本の有名な民話「桃太郎(ももたろう)」のなかに「鬼退治」が出てきますが、「桃太郎」は「忠孝勇武」、「勧善懲悪」などをうたう昔話の主人公として有名です。植物から産まれる「幼子」として、竹姫、瓜子姫などと関連を持ち、また水辺から発見された子供が富をもたらす、水神小童にも通じています。原話の形成は室町以前と考えられており、かの滝沢馬琴は『燕石雑志』の中で、鎌倉時代初期に書かれた『保元物語』の為朝の「鬼が島渡り」を擬して「桃太郎」の鬼ヶ島征伐の物語が成立したと考察しています。"倶利伽羅峠(くりからとうげ)"富山県小矢部市の駅を降りると「源義仲像」「火牛の計像」「火牛の計石碑」がお出迎えしてくれます。謡曲「木曽」で有名な「護国八幡」もすぐ近くです。護国八幡境内には「源義仲像」が建っています。「倶利伽羅峠の戦い」というのは平家の大軍と義仲軍の会戦の事です。この戦いで「源平」の勢力は逆転してしまいます。まさに「天下分け目」の戦い-------牛に火のついた松明(たいまつ)をくくりつけ敵陣に放つという豪快な作戦「火牛の計」はもともと紀元前中国・斉の田単将軍が使った作戦といわれています。「義仲軍」には「巴・葵」というふたりの女将軍がいました。「葵」はこの倶利伽羅峠で戦死したといわれています。「夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡」(芭蕉)
2004年02月18日
コメント(0)
大和は国のまほろば-------日本武尊(「ヤマトタケルノミコト」)は東国征伐を終わって大和へ帰る途中、病気(脚気?)で亡くなりますが、亡くなる前に次の望郷の歌を詠まれました。「大和は 国のまほろば たたなづく 青垣山 隠(コモ)れる 大和し うるはし」(「古事記」より)さてロシアの文豪「トルストイ」の『復活(Воскресение)』※たまたま裁判の「陪審員」として出席した青年貴族は「被告」の女性(ヒロインの「カチューシャ」が、かつて自分が愛した女であったことに衝撃を受け、彼女の減刑のために尽力します。二人は愛を大事にする故に別れ、女性は他の受刑者と結婚する道を選ぶというストーリーで有名です。なお『復活』のタイトルはこの物語の発端が「復活祭」の一夜の出来事から始まっているからです。この『復活』の後半には大量に聖書「マタイ伝」のキリストの言葉が引用されています。※この「キリスト」の生涯を描いた映画"passion"が今、話題を呼んでいます。「ハレルヤ」------※ハレルヤとはヘブライ語由来の言葉で、「ヤハ(ヤハウェ(エホバ)の短縮形)」を「ハレル(ほめる)」という意味。最後に「椰子の実」(島崎藤村作詞・ 大中寅二作曲)♪名も知らぬ遠き島より 流れ寄る椰子の実一つ 故郷(ふるさと)の岸をはなれて なれはそも波にいく月-----
2004年02月17日
コメント(0)
How many roads must a man walk downBefore you call him a man?Yes, ’n’ how many seas must a white dove sailBefore she sleeps in the sand?Yes, ’n’ how many times must the cannon balls flyBefore they’re forever banned?いったいどれだけの路を歩かなければならないのだろう、人が人と呼ばれるまでに……。どれだけの数の砲弾が飛び交わねばならないのだろう、それが二度と発射されなくなるまでに……。
2004年02月16日
コメント(0)
「月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也」元禄2年3月27日(陽暦では5月16日)、「芭蕉」は千住で見送りの人々と別れ、草加を経て、粕壁(現埼玉県春日部市)で宿泊しています。別れに当って「前途三千里」の不安と惜別が去来していました。※明ぼのゝ空朧々として、月は在明にて光おさまれる物から不二の峰幽かに見えて、上野・谷中の花の梢、又いつかはと心ぼそし。むつましきかぎりは宵よりつどひて、舟に乗て送る。千じゆと云所にて舟をあがれば、「前途三千里」のおもひ胸にふさがりて、幻のちまたに離別の泪をそそぐ。「行く春や 鳥啼魚の 目は泪」 (ゆくはるや とりなきうおの めはなみだ)ジムノペディ 第1番/サティ 「サティ」(1866-1925)は環境音楽の「先駆け」としても評価されています。"ジムノペディ"は古代ギリシャのアポロンやバッカスらの神々をたたえる祭典"ジムノペディア"からとられたものです。映画「ピロスマニ(pirosmani)」より「いったい何を考えているんだ?」「この酒をどう飲むかだよ---ゆっくりと飲んで、この重い命を引きずっていくか、それとも一気に飲んで最期(さいご)を早めるか----それがわからないんだ」「飲めよ!! 深刻に考えることはないさ。人生ってやつは調子さえ合わせてやればいいんだよ。みんな適当にやってるさ!!!」「わかっているんだがね---それが俺にはできないんだよ。人生ってやつが俺を飲み損なって、喉に引っ掛けてしまっているんだよ-----」♪「現在・過去・未来---迷い道 くねくね-----」
2004年02月15日
コメント(0)
♪もずが枯れ木で鳴いている おいらは藁をたたいてる 綿引き車はおばあさん コットン水車も廻ってる みんな去年と同じだよ けんども足んねえものがある 兄(あ)んさの薪割る音がねえ バッサリ薪割る音がねえ 兄(あ)んさは満州ヘいっただよ 鉄砲が涙で光っただ モズよ寒いと鳴くがよい 兄(あ)んさはもっと寒いだろ--------※茨城民謡「もずが枯れ木で」「君死にたまふこと勿(なか)れ」与謝野晶子「明星」1904年 ※日露戦争に出征した2つ違いの弟の安否を気づかって歌ったもので、ヒューマニズムの視点から女性の切々たる思いがあふれます。「あゝをとうとよ君を泣く 君死にたまふこと勿れ------」"1904年12月"「夏目漱石」は高浜虚子の勧めで執筆した「吾輩は猫である」を文章会「山会」で発表しています。 「花に嵐のたとえもあるさ さよならだけが人生だ」by"井伏鱒二"Good-by,good-bye,good-by-by!!!!
2004年02月14日
コメント(0)
♪「もずが枯れ木で鳴いている
2004年02月13日
コメント(0)
あっという間の「一週間」です。日増しに「春の足跡(あしあと)」が近づいています。♪"一週間"(ロシア民謡) 1 「日曜日」に市場に出かけ「糸と麻」を買って来た ■テュリャ テュリャテュリャ テュリャテュリャテュリャリャー ■テュリャテュリャテュリャ テュリャ ヤー ヤー 2 「月曜日」にお風呂を焚いて「火曜日」はお風呂に入り ■テュリャ テュリャテュリャ ……… 3 「水曜日」はあなたと会って「木曜日」は送っていった ■テュリャ テュリャテュリャ ……… 4 「金曜日」は糸巻きもせず「土曜日」はお喋りばかり ■テュリャ テュリャテュリャ ……… 5 恋人よ---これが私の「一週間」の仕事です!!! ■テュリャ テュリャテュリャ ………「青木 昆陽 ( あおき こんよう ) 1698~1769」は"sweet potato(甘藷)" の栽培で有名な人物です。※ 江戸中期の「蘭学者」で日本橋の魚問屋に生まれました。35年凶荒対策に甘藷(サツマイモ)を推奨する『蕃藷考』を著しました。昆陽が日本で初めて!!!!"栽培に成功したサツマイモは全国に広がり、日本を飢餓から救った「芋神さま」「甘藷先生」と呼ばれて尊敬を集めました。一昨日、吉野家の「牛丼」の食べ収めに行きました。店内は活気ムンムン------「飽食の時代??」にも日本人の胃袋は食欲旺盛です!!!!!
2004年02月12日
コメント(0)
日本三大「美人の湯」といえば----「川中温泉」(群馬県)「龍神温泉」(和歌山県)「湯の川温泉」(島根県)卒業式のシーズンです!!!!♪仰げは尊し、わが師の恩 教(おしえ)の庭にも、はや 幾年(いくとせ)--- 思えば いと疾(と)し、この年月(としつき)今こそ 別れめ、いざさらば!!! 「踊り念仏」で有名な「一遍」は46歳の時京都に入っています。鐘鼓を打ち、床を踏み鳴らし、名号を称えながら激しく踊り、雑念を捨て去り「南無阿弥陀仏」の中に入りきろうとするのが「踊り念仏」です。民衆に難しい教学を説くよりも、声を発し、体を動かすことで得られる法悦を与えようとしたのです。日本では古くから、「舞踊と弔い」が儀礼として結びついています。『日本書紀』には「イザナミノミコト」の死を悼んで熊野の花の窟で歌い舞ったと記されています。中世には地方習俗として「弔い」の踊りが行われています。※「市聖」と呼ばれた「空也上人」は一遍より300年も前に、町々の死者を弔い念仏を称えながら踊ったとか。京都入りを果たし、念願の「空也」の遺跡である東市屋で踊り念仏を催し、大成功させた「一遍」は、それを弾みに丹波、伯耆、美作、安芸、大坂、大和と西日本をくまなく歩き、「踊り念仏」を行っています。念仏を称え、踊り、札を配って、また次の町へ-----「一歩一歩」、足を運んで次の町へ向かうように、「一瞬一瞬」の時を刻んで「一遍」は臨終へと向います。「過去・現在・未来はすべて、一念の名号の内にある」と、一遍は説いています。「一念」とは、「一瞬一瞬」を往生の時と思い定め、「時々刻々」に称える「ただ今」の念仏のこと、「ただ今」称える「南無阿弥陀仏」が往生であり、すべてであると!!!!!この世は「闇」か??"vacant"--------- 「衣食住への執着を捨て、知恵も愚痴も捨て、善悪の境界も捨て、貴賎高下の道理も捨て、極楽を願う心をも捨て、捨てようと思う心さえ捨てて称える念仏こそ、往生そのもの。すべての教えは、南無阿弥陀仏の名号になり果てた」と、兵庫の観音堂で持っていた書籍や経典をすべて焼き捨てた一遍は、ついに自身の輪廻の輪を止め、南無阿弥陀仏の内に足を踏み入れた。
2004年02月11日
コメント(0)
♪雲に聳(そび)ゆる高千穂の高根おろしに草も木も なびきふしけん大御世(おおみよ)を仰ぐ今日こそたのしけれ 「2月11日」祝日、今日は建国記念日です。この祝日は昭和41年に追加された「国民の祝日」です。戦前には「紀元節」と呼ばれていたものです。「日本書紀」には神武天皇が元旦に橿原に宮を建てたと書かれています。神武天皇元年の元旦が西洋の暦では「BC660年2月11日」にあたることから、この祝日が明治6年10月に制定されたわけです。中国「雲南省」、長江を見下ろす絶壁に、「ボー族」の人たちが残したといわれる「天空の棺」があります。世界各地には数々の「死者を弔う風習」が残されています。エジプトの「ピラミッド」、日本の「前方後円墳」-----「妻は夫をいたわりつ夫は妻に慕いつつ」------話し変わって「壷坂霊現記」『壷阪寺(壷坂の観音様)』は正式名称を『壺阪山 南法華寺』といい、平安時代に清少納言が随筆「枕草子」において「寺は壷阪、笠置、法輪」と書いた古刹として有名です。
2004年02月10日
コメント(0)
あの有名な「遊行柳」は、那須湯泉神社(上の宮)、参道脇にあります。参道の左右には、1本ずつ柳の木が育っており、玉垣に囲まれた方が、長年にわたって植え継がれてきた「遊行柳」です。「田一枚植て立去る柳かな」(芭蕉)※寛政11年(1799年)4月「江戸 春蟻建立」「芭蕉」の句碑の向いには、「西行」の歌碑と「蕪村」の句碑が建っています。「道のべに清水流るゝ柳かげ しばしとてこそ立ちどまりつれ」(西行)「柳散清水涸石処々(柳散り清水かれ石ところどころ)」(蕪村) 「千慮一失」※知者の優れた考えにも時には失敗があるという意味です。 『晏子春秋』対語に「千慮一得」があります・※ 愚者にもたまには良い考えがあるという意味です。 『宋史』趙必愿伝
2004年02月09日
コメント(0)
「ゴホン、ゴホン」----風邪が流行っています!!!私の「初めての海外旅行」は25年前のヨーロッパ。「15年ほど前」から10年間、「海外ツアー」に便乗して毎年一回、交互に「アメリカ・欧州」を10数回訪問しました。スイスの高原列車の終点、「マッターホルン」を間近に見上げる山頂の駅には、ポツンと日本の「赤い郵便ポスト」が立っていました。フランスのセーヌ川辺の"ダイアナ妃"が「遭難?」した現場近くで、一人「ビデオカメラ」を廻しました。"ルーブル美術館"の近にある老舗の「とらや(フランス支店)」では、「おしるこ」を頬張りました。ドナウ川沿いの幻想の街「ブダペスト(ハンガリー)」のホテル内の"スパ(温泉)"では、せっかく買った「海水パンツ」(1800フォリント約900円)を更衣室の乾燥機に忘れてきました。イタリアの珠玉「ヴェネチア」では「ゴンドラ」に夢中になって、「ラビリンス(迷路)」の中を彷徨しました。※NYCの郊外にアメリカ国内・坪当り売上高「№1」の効率を誇る「SSM(スーパーマッケット)"Stuleonald"1号店があります。店頭には有名な"Policy"が刻まれた石碑が建っています。Our PolicyRULE1 "The Customer’s Always Right"RULE2 "IF The Customer’s Ever Wrong, Reread "Rule1"
2004年02月08日
コメント(0)
乗馬クラブ「クレイン千葉」でレッスンをスタート!!!!最近、「学歴詐称」の話題が拡がっています。「羊頭狗肉(ようとうくにく)」※この頃 都に流行るもの 夜討ち 強盗 偽綸旨 生首 還俗 自由出家 そして物の怪 百鬼夜行まるで「魑魅魍魎(ちみもうりょう)」が跋扈する世界です。「天上天下唯我独尊」「閑話休題」「どこまでも幸せ求めて」【作詞・作曲】長谷 治1962年頃、作者が朝日新聞「ジャコーラス」の仲間の結婚を祝って創作した曲です。※1.「夕べ二人で」歩いたことが、私の心を開いてくれた---- 「若者の明日」を切り開くために、どこまでも「あの人」と一緒に歩きたい 2.瞳がささやく「おふくろ」のように、いつでも「おいら」に話しかけてくる やさしい君の平和の歌で「どこまでも幸せを求めて」歩きたい---- 3.夜明けに向かって「二人」で歩こう、「あなたと私」の子供のために 喜び広げる仲間の中で「みんな」と一緒に、かけ出して行こう!!!
2004年02月07日
コメント(0)
愛する人の死を悼む歌曲の中で、「ニーナの死」は短い曲にもかかわらず、聴くほどに惻々として悲しい思いが胸に迫ってきます。※二日ふれども 「ニーナ」は目ざめず 日かげ眉を照(て)れどさめず わが笛に さめずや 目ざめずや「ニーナ」 目ざめずや「ニーナ」 覚めて再び笑(え)まずや「ニーナ」 覚めなばいかに うれしからまし 覚めよや「ニーナ」!!! 目ざめよ「ニーナ」※「悲しみの極み」にある人には、かける言葉もありません。ともに「亡き人」を悼んで、この曲を捧げるのみ----(V.L. Ciampi作曲)話題変わって「野獣死すべし」(大藪春彦)※敗戦で満洲から引揚げた「伊達邦彦少年」は、大戦の惨害に人間性の根底まで蹂躙され、大学生の頃には計算しつくされた完全犯罪を夢見るようになります。ここらで気分転換-----「ぴーひゃら ぴーひゃら」 ※おてもやん あんたこの頃、嫁入りしたではないかいな? 嫁入りしたこたしたばってん!、ご亭どんがぐじゃっぺだるけん まーだ盃ゃせんじゃった 村役 鳶役 肝いり殿 あん人たちの 居らすけんで 後はどうなっと きゃーなろたい 川端町さん きゃー巡ろい 春日 ぼうぶらどんたちゃ!!! 尻ひっぴゃーで 花盛り 花盛り ピーチクパーチク ひばりの子 玄白なすびの いがいがどん (肥後民謡「おてもやん」より)「もう日とがんばり!! サタディナイトフィーバー」※ひとつ山越え もひとつ山越え あの山越えて 私ゃあんたに 惚れとるばい!! 惚れとるばってん 言われんたい!!! 追い追い 彼岸も近まれば 若者衆も 寄らんすけん 熊本(くまんどん)の 夜聴聞(よじょもん)参(みゃー)りに ゆるゆる話も きゃーしゅうたい 男振りには 惚れんばな 煙草入れの 銀金具が それがそもそも 因縁たい アカチャカベッチャカ チャカチャカチャこの「掛け合い」の見事さ!!! 何度聞いても新鮮ですよね。
2004年02月06日
コメント(0)
チャンチャンチャーン!!!「詩は"志"の之くところ為り、心に在るを"志"と為し、言に発するを詩と為す」(「毛詩」より)いよいよ「カウントダウン」の始まりです。「2/26」の誕生日に向かって-------"杜子春"(芥川龍之介)「邯鄲の夢」「邯鄲(かんたん)」-----「蜀」の国の青年「廬生」は人生いかに生くべきかに悩み、遠く楚の羊飛山に住むと聞く仙人を訪ねようと、旅立つ。途中、「邯鄲」の宿で雨を避けて宿を取った「廬生」は、 主人から不思議な枕をすすめられて昼寝をする。呼び覚まされて起きてみれば、楚国の王になれとの勅使。驚く間も無く輿に乗せられ王宮へ。五十年もの栄華を尽くして、さて枕を叩く音に目覚めてみれば、ところは元の「邯鄲」の宿。女御、更衣の声と思ったのは松風の音、粟飯炊く間の夢だったと知った「廬生」は「人生これ夢」と豁然と悟って勇んで故郷に帰る。Good luck!!!!!
2004年02月05日
コメント(0)
日本の「自衛隊(先発隊)」がイラクに到着したという"NEWS"が流れています。「三つ目」が通る百鬼夜行(ひゃっきやぎょう)北原白秋の「祈り」※「この道」--この道はいつか来た道 「ああ そうだよ!!」 あかしやの花が咲いてる、--あの丘はいつか見た丘 「ああ そうだよ!!」 ほら 白い時計台だよ、--この道はいつか来た道 「ああ そうだよ!!」 お母さまと馬車で行ったよ、--あの雲はいつか見た雲 「ああ そうだよ!!」 山査子(さんざし)の枝も垂れてる寿限無寿限無 ----五劫の擦り切れ 、海砂利水魚の 水行末 雲来末 風来末 、食う寝るところに 住むところ 、やぶら小路のぶら小路 、パイポパイポ----パイポのシューリンガン、シューリンガンのグーリンダイ、グーリンダイのポンポコピー、ポンポコピーのポンポコナー、ポンポコピーのポンポコナーの「長久命の長助」さん!!!!!けっぱれ ニッポン!!!! 「チャチャチャ、チャチャチャ」-------
2004年02月04日
コメント(0)
「夢のまた夢」※太閤秀吉の辞世「露とおち 露と消えにし わが身かな 難波のことも 夢のまた夢」夢の中で夢を見ているような、儚い一生だった、との告白---彼のこの「辞世」は、何を意味しているのか。「ちりぬべき時知りてこそ世の中の 花も花なれ 人も人なれ 」「細川ガラシャ夫人(玉姫)」辞世の句
2004年02月03日
コメント(0)
「暁に祈る」「直木賞」作家の故・胡桃沢耕史氏の「黒パン俘虜記」に出てくる、古参兵の有名な「私的制裁(リンチ)」です。亡くなった私の父は「甲種合格!!!」で徴兵されています。「昭和6年」に勃発した「満州事変」で満州へ「昭和12年」に勃発した「日中戦争」で中国本土を転々と---そして「大東亜戦争」へと戦禍の拡大に伴い南方のフィリピンへ「九死に一生」をえて帰還したものの「昭和20年」には四度目の召集令状「赤紙」鹿児島の海岸で米軍の敵前上陸に備えて「蛸壺掘り」の毎日-----そして「ポツダム宣言」受諾、終戦--------学問はないものの「頑健な父」でした。が----「好事魔多し」私が中学生のころ、脳溢血で半身不随の「寝たきり」状態になり、母が30年以上、介護に明け暮れていました。先月の終わり、自衛隊の「イラク先遣隊」が出発しています。"捧げ銃!!!!!"
2004年02月02日
コメント(0)
Fevrier douxieme(2/2)揃目(ぞろ目)重重一 (でっち)、重二(じうに)、朱三(しゅざん)、朱四(しゅし)、重五(でっく)、重六(ちょうろく)『平治物語』「玄宗皇帝と楊貴妃」 ※薀蓄(うんちく)予定調和-------- 「冬の星座」※ 木枯らしとだえて さゆる空より 地上に降りしく 奇(くす)しき光よ ものみないこえる しじまの中にきらめき揺れつつ 星座はめぐる-----ほのぼの明かりて 流るる銀河 オリオン舞い立ち スバルはさざめく 無窮(むきゅう)をゆびさす 北斗の針と きらめき揺れつつ 星座はめぐる-----
2004年02月01日
コメント(0)
全27件 (27件中 1-27件目)
1
![]()

![]()