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妻を娶(めと)らば 才長(た)けて見目(みめ)麗しく 情けある 友を選わば 書を読みて六分(りくぶ)の侠気 四分の熱 恋の情けを 訪ぬれば 名を惜しむかな 男ゆえ 友の情けを 訪ぬれば義ある処 火をも踏む by"与謝野鉄幹"(「人を恋ふる歌」)-----------------------------"娶る"(めと・る) 「妻(め)取る」の意〕妻として迎える。「妻を―・る」[可能] めとれる-----------------------------"与謝野 鉄幹"(よさの-てっかん)(1873-1935) 詩人・歌人。京都府生まれ。本名、寛。落合直文の門に学び浅香社を結ぶ。初め短歌革新運動家として活躍したが、「明星」を創刊して妻"晶子"とともに浪漫主義運動を推進、明治30年代の詩歌壇を主導した。代表作「東西南北」「紫」「相聞」----------------------------------愛妻は「乱れ髪」で有名な"与謝野晶子"です。----------------------------------"あなたと共に"作詞 矢野亮・作曲 吉田矢健治唄 津村謙・吉岡妙子♪~♪一番 あなたと共に 行きましょう 恋の甘さと 切なさを はじめて教えて くれた人 それが私の 運命(さだめ)なら あなたと共に 行きましょう 二番 あなたと共に 泣きましょう 辛い浮世の 波風に 破れた翼の はぐれ鳥 それが女の 弱さなら あなたと共に 泣きましょう 三番 あなたと共に 呼びましょう 胸に点(とも)った このあかり 消さずにかばって 抱きしめて それが本当の 希望なら あなたと共に 呼~びましょう ----------------------------"What's New, Pussycat?"(「なにかいいことないか子猫ちゃん」)いわずと知れた傑作ドタバタコメディー。キレるピーター・セラーズとウディ・アレンの対決です!!Trivia for "What's New, Pussycat" (1965) Capucine's character's last name is Lefevbre, which is her real last name.The scene where Woody Allen's character celebrates his birthday on the wharf was filmed on December 1, 1964 - Woody's 29th birthday.Banned in Norway because of a scene where Peter Sellers tries to commit suicide by burning himself wrapped in a Norwegian flag.The movie began as a semi-autobiographical project for Warren Beatty. "Woody Allen" was hired to write the screenplay, but he eventually made the Beatty character so small that Beatty himself was no longer interested and, 'Peter O'Toole' hired to play it.The title is a line Warren Beatty used on his girlfriends at the time."Woody Allen" hated Clive Donner's direction of his script so much, it led him to direct all of his own screenplays from then on. The title of his first film, What's Up, Tiger Lily? (1966), mocked the title of the film.Dr. Fassbender's line about Rita "knowing James Bond" was ad-libbed by Peter Sellers, which explains why Ursula Andress laughs out loud afterwards. Ursula Andress played Honey Ryder in the first James Bond film, Dr. No (1962).--------------------------"勧酒" by「干武陵」勧君金屈巵 満酌不須辭花發多風雨 人生足別離コノサカヅキヲ受ケテクレドウゾナミナミツガシテオクレハナニアラシノタトヘモアルゾ「サヨナラ」ダケガ人生ダ(井伏鱒二訳)-----------------A VOTRE SANTEPrends ton verre, mon cher amiet s’il te plait, remplit-le de sakeLes cerisiers en fleurs provoquent la gibouleeseulement adieux, c’est la vie, comme on dit.----------------------------------------------(for your health)"乾杯(かんぺい)の辞"(have a drink ,my dear friend)"まあ一杯やってくれ わが愛する友よ"(plaese , fill up with sake)"遠慮せずに、なみなみと注いでくれ"(cherry blossoms are cause for a brief fall of rain)"花に嵐は付き物だ"(only good-bye,it's a real lifetime)"なるようにしかならないさ、人生なんて"----------------------------------------------"Nathalie"(黒い瞳のナタリー)Artist: Julio IglesiasAlbum: Moments (Momentos) (Spain, 1982)------------------------"Nathalie"♪*♪*♪Nathalie en la distancia tu recuerdo vive en mi yo que fui tu amor del alma y a tu vida tanto di. ?Que sera de ti? ?donde estas? que ya a mi atardecer ya no has vuelto mas ?Quien te cuidara? vivira por ti ?Quien te esperara?, Nathalie. Nathalie ayer mi calma hoy cansado de vivir, de vivir sin la esperanza de que vuelvas junto a mi. ?Que sera de ti? ?donde estas? que ya el amanecer no oye tu cantar ?Que sera que a ti? no te importa ya que yo sufra asi, Nathalie. ?Quien te cuidara? vivira por ti ?Quien te esperara?, Nathalie. ?Que sera que a ti? no te importa ya que yo sufra asi, Nathalie, Nathalie, Nathalie.--------------------------------ロシア民謡の「黒い瞳」をもとにして、1982年にラモン・アルクーサがアレンジを加え、フリオ・イグレシアスが作詞し、「ナタリ」という曲名で彼の歌で発表しました。日本では「哀しみの黒い瞳」の題名で郷ひろみに歌われています。"ナタリー"とは実在のフランス娘の名前だそうです。-------------------------------------------------------------美しい"瞳"です夕空に 明星が瞬(またたい)ているような 美しい"瞳"美しい"瞳"です寂しさに満ち溢れそれでいて湖(みづうみ)の神秘さを秘めた-----------------------------------------------「人を恋ふる歌」(つづき)嗚呼(ああ)われ、ダンテの鬼才なくバイロン、ハイネの熱、なくも石を抱(いだ)きて、野に詠(うと)ふ芭蕉の寂(さび)を、歓(よろこ)ばず-----------------------------------Where is my lovely "Nathalie" ??????
2004年09月30日
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"名月や 池を巡(めぐ)りて 夜もすがら"("超"有名な、"芭蕉"の句です) -------------- 昨夜は十五夜、中秋の名月"deshita"秋分のすぐ後のこの時期、月は日没とともに昇り、一晩中、空を巡っています。"芭蕉"のようにぢっくりと月見をするには、丁度、よい塩梅(あんばい)"deshou"中秋の名月は別名「"芋"名月」と呼ばれます。本家中国でも、月見の日にはサトイモを食べる慣習が各地に残っています。お供え団子、もしくはイモの数は十二もしくは十三で、これはその年の月の数を表しています。普通の年は十二ですが、今年(閏年)は十三になります。 ------------うさぎ うさぎ なにみて はねる十五夜 お月様 みて は~ねる -----------月にはウサギがいてお餅を搗いていると言われています。この伝説も本家は中国にあり、中国では玉兎が不老不死の仙薬を搗いていると言われています。日本の「竹取物語」でも、月からやってきて月へ帰っていった仙女(女神)、かぐや姫は、養父母に不老不死の薬を残して去っていきます。月には不老不死もしくは甦(よみがえ)りの力がある、という思想は、大昔から世界中に広まっていました。それは、毎月満ちては欠け、また満ちていく------(生まれ育っては死に、また甦る)これは月の姿から連想されたものです。日本の月の神と言えば月読(ツクヨミ)です。彼は若返りの力を持つ「変若水(ヲチミズ)」を持っているとされていました。万葉集にこんな歌があります。 天橋も 長くもがも 高山も 高くもがも 月読の 持てる変若水 い取り来て 君に奉りて 変若得しむもの 天の橋がもっと長いなら、高山がもっと高いなら、月の神の持っている若返りの水を取ってきて、あなたにさしあげて若返らせてあげるのに-----"月読橋"(つきよみばし) 飛鳥川と竹内街道が交差するところに「月読橋」という優雅な名を持つ橋があります。橋のたもとには、古い石灯籠が2基あり、「太神宮」「金比羅大権現」と刻まれています。これはお伊勢さんや金比羅さんへの献灯で、この道を通る人への道案内の街灯でもありました。この橋から飛鳥川の右岸50m上流に石碑があります。新古今集の中の「あすか河もみじ葉ながる葛城の山の秋風吹きぞしぬらし」(人磨)という歌が彫られています。 ----------"月読橋"は京都にもあります。----------中国の昔話----------昔、"呉剛"という貧しい「薪取り」がいました。ある中秋の日。大雨で薪を取りに行けずにしょぼんとしていると、突然庭に芽が出て、見る間に巨大な木となり、小さな沢山の花が咲きました。それは木犀の木でした。香りのいいこの花を摘んで売り、"呉剛"は次第に裕福になりました。この花は一年中咲いている上、いくら枝を切りとってもまたいくらでも生えてきて、無くなることがないのでした。 その後、真冬のことです。皇太后が病気になり、息子である皇帝に「木犀の花があれば元気になれる」と言いました。この季節に木犀の花があるのは"呉剛"の庭だけです。早速、彼は木犀の花を献上しました。皇后は元気になり、皇帝は"呉剛"に褒美を与え、役人に取り立てたのでした。それから何年か経ちました。その年の中秋の日。死を迎えた皇太后は、私のお墓に"呉剛"の木犀を一緒に埋めてほしい、と言いました。皇帝に「褒美として金三千両と宰相の位を与えよう」と言われた"呉剛"は、庭の木犀の木を切り倒し始めました。その時でした。「"呉剛"はなんて欲張りなんだろう。可哀想に思って木犀を授けたのに、それを売ってしまうとは。木犀は月宮に運び、全ての者が見られるようにしよう」それは、月に住む天女の声でした。天女たちが降りてくるのを見て、"呉剛"は木犀に登って隠れました。そして、そのまま木と一緒に月宮にまで運ばれてしまいました。それでも、"呉剛"は諦めません。天女たちが姿を消すと、彼は再び、木犀に斧を入れました。しかし、切れば切っただけ、傷ついた幹は元に戻ってしまうのです。こうして、今でも"呉剛"は、月の中で木犀の大木を切り倒そうとしつづけており、その影が月に浮かんでいるのです。 ------------"わかってください" by(因幡晃) ♪~♪貴方の愛した人の名前はあの夏の日と共に忘れたでしょういつも言われた 二人の影には愛がみえると忘れたつもりでも思いだすのね町で貴方に似た人を見かけるとふりむいてしまう 悲しいけれどそこには愛は見えないこれから淋しい"秋"ですときおり手紙を書きます涙で文字がにじんでいたなら "わかって下さい"私の二十歳のお祝いにくれた金の指輪は今もひかっています二人でそろえた 黄色いティーカップ今もあるかしらこれから淋しい"秋"ですときおり手紙を書きます涙で文字がにじんでいたなら "わかって下さい"涙で文字がにじんでいたなら "わかって下さい"…。-------1976年の作品です。--------"le couple" = couple , pair--------------------------"ひだまりの詩" /(Le Couple)♪~♪ 逢~えなくなって どれくらいたつのでしょう 出した手紙も 今朝ポストに舞い戻った 窓辺に揺れる 目を覚ました若葉のように 長い冬を越え 今ごろ気づくなんて どんなに言葉にしても 足りないくらい あ~なた 愛してくれた す~べて 包んでくれた ま~るで ひだまりでした 菜の花燃える二人 最後のフォトグラフ 「送るからね」と 約束はたせないけれど もしも今なら 優しさもひたむきさも 両手にたばねて 届けられたのに それぞれ別々の人 好きになっても あなた残してくれた すべて忘れないで 誰かを愛せるように 広い空の下 二度と逢えなくても生きてゆくの こんな私のこと 心から あなた愛してくれた 全て包んでくれた まるで ひだまりでした (間奏) あなた愛してくれた 全て包んでくれた それは ひだまりでした-------------「陽だまりの歌」が余りにも有名な夫婦ユニット、ル・クプル。夫・藤田隆二がギターと作曲、妻・恵美が歌と作詞を担当するという理想的なオシドリ夫婦です。-------------"銀河鉄道の夜"一、午后の授業 「ではみなさんは、そういうふうに川だと云われたり、乳の流れたあとだと云われたりしていたこのぼんやりと白いものがほんとうは何かご承知ですか。」先生は、黒板に吊した大きな黒い星座の図の、上から下へ白くけぶった銀河帯のようなところを指しながら、みんなに問をかけました。カムパネルラが手をあげました。それから四五人手をあげました。ジョバンニも手をあげようとして、急いでそのままやめました。たしかにあれがみんな星だと、いつか雑誌で読んだのでしたが、このごろはジョバンニはまるで毎日教室でもねむく、本を読むひまも読む本もないので、なんだかどんなこともよくわからないという気持ちがするのでした。 ところが先生は早くもそれを見附けたのでした。「ジョバンニさん。あなたはわかっているのでしょう。」ジョバンニは勢よく立ちあがりましたが、立って見るともうはっきりとそれを答えることができないのでした。ザネリが前の席からふりかえって、ジョバンニを見てくすっとわらいました。ジョバンニはもうどぎまぎしてまっ赤になってしまいました。先生がまた云いました。「大きな望遠鏡で銀河をよっく調べると銀河は大体何でしょう」 やっぱり星だとジョバンニは思いましたがこんどもすぐに答えることができませんでした。 先生はしばらく困ったようすでしたが、眼をカムパネルラの方へ向けて、「ではカムパネルラさん」と名指しました。するとあんなに元気に手をあげたカムパネルラが、やはりもじもじ立ち上ったままやはり答えができませんでした。 先生は意外なようにしばらくじっとカムパネルラを見ていましたが、急いで「では。よし。」と云いながら、自分で星図を指しました。「このぼんやりと白い銀河を大きないい望遠鏡で見ますと、もうたくさんの小さな星に見えるのです。ジョバンニさんそうでしょう。」 ジョバンニはまっ赤になってうなずきました。けれどもいつかジョバンニの眼のなかには涙がいっぱいになりました。そうだ僕は知っていたのだ、勿論カムパネルラも知っている、それはいつかカムパネルラのお父さんの博士のうちでカムパネルラといっしょに読んだ雑誌のなかにあったのだ。それどこでなくカムパネルラは、その雑誌を読むと、すぐお父さんの書斎から巨きな本をもってきて、ぎんがというところをひろげ、まっ黒な頁いっぱいに白い点々のある美しい写真を二人でいつまでも見たのでした。それをカムパネルラが忘れる筈もなかったのに、すぐに返事をしなかったのは、このごろぼくが、朝にも午后にも仕事がつらく、学校に出てももうみんなともはきはき遊ばず、カムパネルラともあんまり物を云わないようになったので、カムパネルラがそれを知って気の毒がってわざと返事をしなかったのだ、そう考えるとたまらないほど、じぶんもカムパネルラもあわれなような気がするのでした。 先生はまた云いました。「ですからもしもこの天の川がほんとうに川だと考えるなら、その一つ一つの小さな星はみんなその川のそこの砂や砂利の粒にもあたるわけです。またこれを巨きな乳の流れと考えるならもっと天の川とよく似ています。つまりその星はみな、乳のなかにまるで細かにうかんでいる脂油の球にもあたるのです。そんなら何がその川の水にあたるかと云いますと、それは真空という光をある速さで伝えるもので、太陽や地球もやっぱりそのなかに浮んでいるのです。つまりは私どもも天の川の水のなかに棲んでいるわけです。そしてその天の川の水のなかから四方を見ると、ちょうど水が深いほど青く見えるように、天の川の底の深く遠いところほど星がたくさん集って見えしたがって白くぼんやり見えるのです。この模型をごらんなさい。」 先生は中にたくさん光る砂のつぶの入った大きな両面の凸レンズを指しました。「天の川の形はちょうどこんななのです。このいちいちの光るつぶがみんな私どもの太陽と同じようにじぶんで光っている星だと考えます。私どもの太陽がこのほぼ中ごろにあって地球がそのすぐ近くにあるとします。みなさんは夜にこのまん中に立ってこのレンズの中を見まわすとしてごらんなさい。こっちの方はレンズが薄いのでわずかの光る粒即ち星しか見えないのでしょう。こっちやこっちの方はガラスが厚いので、光る粒即ち星がたくさん見えその遠いのはぼうっと白く見えるというこれがつまり今日の銀河の説なのです。そんならこのレンズの大きさがどれ位あるかまたその中のさまざまの星についてはもう時間ですからこの次の理科の時間にお話します。では今日はその銀河のお祭なのですからみなさんは外へでてよくそらをごらんなさい。ではここまでです。本やノートをおしまいなさい。」 そして教室中はしばらく机の蓋をあけたりしめたり本を重ねたりする音がいっぱいでしたがまもなくみんなはきちんと立って礼をすると教室を出ました。-------"銀河" (1)全天を巡り、天球上に銀の川のように見える光の帯。1609年、ガリレイが無数の星の集団であることを発見。天の川(あまのがわ)。銀漢。[季]秋。(2)銀河系の外に存在するとみなされる、広がりをもって観測される天体。渦巻星雲・棒渦巻星雲・楕円星雲などの種類がある。これらは宇宙の構成単位で、銀河系もこの種の天体の中の一個と考えられる。以前は銀河系外星雲といった。アンドロメダ銀河の類。小宇宙。島宇宙。ギャラクシー。--------"全員、起立"先生に向かって、"礼"静かに、"着席" *^天^*
2004年09月29日
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"送元二使安西"渭城朝雨潤軽塵 客舎青青柳色新勧君更尽一杯酒 西出陽関無故人"元二の安西に使いするを送る"(王維)渭城の 朝雨 軽塵を 潤す客舎 青青 柳色 新なり君に 勧む 更に 尽せ 一杯の 酒西の方 陽関を 出れば 故人 無からん-------------------------------いじょうの ちょうう けいじんを うるおすかくしゃ せいせい りゅうしょく あらたなりきみに すすむ さらに つくせ いっぱいの さけにしのかた ようかんを いずれば こじん なからん-----------------------------------------------------"永訣の朝" by (miyazawa kenji) -----------------------------けふのうちに とほくへいってしまふ わたくしのいもうとよ みぞれがふっておもてはへんにあかるいのだ (※1 あめゆじゅとてちてけんじゃ) うすあかくいっそう陰惨(いんざん)な雲から みぞれは びちょびちょふってくる (あめゅじゅとてちてけんじゃ) 青い蓴菜(じゅんさい)のもやうのついた これらふたつのかけた陶椀(たうわん)に おまへがたべるあめゅきをとらうとして わたくしはまがったてっぽうだまのやうに このくらいみぞれのなかに飛びだした (あめゅじゅとてちてけんじゃ) 蒼鉛(さうえん)いろの暗い雲から みぞれはびちょびちょ沈んでくる ああとし子 死ぬといふいまごろになって わたくしをいっしゃうあかるくするために こんなさっぱりした雪のひとわんを おまへはわたくしにたのんだのだ ありがたう うつくしい いもうとよ わたくしも まっすぐに きれいに すすんでいくから (あめゅじゅとてちてけんじゃ) はげしい はげしい ねつやあえぎのあひだから おまへはわたくしにたのんだのだ たいやう系、き圏などとよばれたせかいの そらからおちた ゆきのさいごのひとわんを ふたきれの みかげせきざいに みぞれはさびしくたまってゐる わたくしは そのうへにあぶなくたち 雪と水とのまっしろな二相系(にさうけい)をたもち すきとほるつめたい雫にみちた このつややかな松のえだから わたくしの けなげないもうとの さいごのたべものを もらっていかう わたくしたちが いっしょにそだってきたあひだ みなれた ちゃわんのこの藍のもやうにも もう けふおまへはわかれてしまふ (※2 Ora Orade Shitori egumo) ほんたうにけふおまへはわかれてしまふ あぁあのとざされた病室の くらい びゃうぶや かやのなかに やさしく あをじろく燃えてゐる わたくしの けなげな いもうとよ この雪はどこをえらばうにも あんまりどこも まっしろなのだ あんなおそろしい みだれたそらから このうつくしい雪がきたのだ (※3 Umarede Kurutate Kondoha Kotani Warã no goto bagaride Kurusumanã yoni umaredekuru) おまへがたべる このふたわんのゆきに わたくしは いまこころからいのる どうかこれが天上のアイスクリームになるやうに わたくしのすべての さいはひを かけてねがふ ----------------------------------------(註) ※1 あめゆきとってきてください ※2 あたしはあたしでひとりいきます ※3 またひとにうまれてくるときは こんなにじぶんのことばかりで くるしまないやうにうまれてきます-------------------"永訣"(えいけつ) 永遠に別れること。死別。永別。「五十六歳にして夫人に―したれども/露団々(露伴)」-------------------"永訣の朝"は「心象スケッチ 春と修羅」の第六部の作品の一つです。1春と修羅 2眞空溶媒 3小岩井農場 4グランド電柱 5東岩手火山 6"無聲慟哭" 7オホーツク挽歌 8風景とオルゴール ---------------------(6)無声慟哭47 "永訣の朝" --《1922.11.27》-- 48 松の針 --《1922.11.27》-- 49 無聲慟哭 --《1922.11.27》-- 50 風林 --(1923.6.3)-- 51 白い鳥 --(1923.6.4)-- ----------------------------------------"永訣の朝"1 けふのうちに とほくへいつてしまふわたくしのいもうとよ みぞれがふつておもてはへんにあかるいのだ (あめゆじゆとてちてけんじゃ)5 うすあかるくいっさう陰惨な雲から みぞれはびちよびちよふつてくる (あめゆじゆとてちてけんじや) 青い蓴菜のもやうのついた これらふたつのかけた陶椀に 10 おまへがたべるあめゆきをとらうとして わたしはまがつたてつぽうだまのやうに このくらいみぞれのなかに飛びだした (あめゆじゆとてちてけんじゃ) 蒼鉛いろの暗い雲から15 みぞれはびちよびちよ沈んでくる ああとし子 死ぬといふいまごろになつて わたくしをいつしやうあかるくするために こんなさつぱりした雪のひとわんを20 おまへはわたくしにたのんだのだ ありがたうわたくしのけなげないもうとよ わたくしもまつすぐにすすんでいくから (あめゆじゆとてちてけんじゃ) はげしいはげしい熱やあえぎのあひだから25 おまへはわたくしにたのんだのだ 銀河や太陽、気圏などとよばれたせかいの そらからおちた雪のさいごのひとわんを…… …ふたきれのみかげせきざいに みぞれはさびしくたまつてゐる30 わたくしはそのうへにあぶなくたち 雪と水とのまつしろな二相系をたもち すきとほるつめたい雫にみちた このつややかな松のえだから わたくしのやさしいいもうとの35 さいごのたべものをもらつていかう わたしたちがいつしよにそだつてきたあひだ みなれたちやわんのこの藍のもやうにも もうけふおまへはわかれてしまふ (Ora Orade Shitori egumo)40 ほんたうにけふおまへはわかれてしまふ あああのとざされた病室の くらいびやうぶやかやのなかに やさしくあおじろく燃えてゐる わたしのけなげないもうとよ45 この雪はどこをえらばうにも あんまりどこもまっしろなのだ あんなおそろしいみだれたそらから このうつくしい雪がきたのだ (うまれでくるたて50 こんどはこたにわりやのごとばかりで くるしまなあよにうまれてくる) おまえがたべるこのふたわんのゆきに わたくしはいまこころからいのる どうかこれが天上のアイスクリームになって55 おまへとみんなとに聖い資糧をもたらすやうに わたしのすべてのさいはひをかけてねがふ ---------------------------------------------- (構成)1段(1~15) 死にゆく妹に頼まれて、あめゆきを二つの陶椀に取ろうとして、暗いみぞれの中に飛び出した"私"2段(16~27) 一椀は私を一生明るくするための妹の願いだったと思い至り、感謝しながら、自分も真っ直ぐに生きると誓う"私"3段(28 ~ 44 )「一人ゆく」というやさしくけなげな妹に心打たれ、その妹のために、一椀の雪をもらっていこうとする"私"4段(45 ~ 56) 二椀の雪が天のアイスクリームとなって、妹とみんなに聖い糧をもたらすようにと、自分の全ての幸いをかけて願う"私"---------------------------------------------------(解釈)第1段けふのうちに/とほくへいってしまふわたしのいもうふとよ= 今日のうちに/この世から去ってしまおうとしている最愛の妹に対する賢治の悲痛な悲しみを表す言葉。 -------------------------------------大正11年(1922)賢治26歳。 妹トシ(花巻高等女学校教諭)25歳で死亡。賢治は衝撃を受け、「永訣の朝」「松の針」「無声慟哭」を書く。賢治の悲しみの深さは連作の次の言葉を合わせ読むと分かります。--------------「松の針」あヽけふのうちにとほくへさらうとするいもうとよほんとうにおまへはひとりでいかうとするかわたくしにいっしょに行けとたのんでくれ泣いてさう言ってくれ「無声慟哭(どうこく)」ああ巨きな信のちからからことさらはなれまた純粋やちひさな徳性のかずをうしなひ わたくしが青ぐらい修羅をあるいてゐるときおまへはじぶんにさだめられたみちをひとりさびしく往かうとするか信仰を一つにするたったひとりのみちづれのわたくしがあかるくつめたい精進のみちからかなしくつかれてゐて毒草や蛍光菌のくらい野原をただよふときおまへはひとりどこへ行かうとするのだ----------------------------------------------------------------------------------------"枯葉"(Les feuilles mortes)作詞:Jacques Prévert作曲:Joseph Kosma日本語詞:岩谷時子♪~♪~♪~♪あれは遠い想い出やがて消える灯影(ほかげ)も窓辺あかく輝き光充ちたあのころ時は去りて静かに降り積む落ち葉よ夢に夢を重ねて一人生きる悲しさ木枯らし吹きすさび時は帰らず 心に歌うはああ シャンソン恋の歌(※)暮れゆく秋の日よ 金色の枯葉散る つかの間燃え立つ 恋に似た落ち葉よ いつの日か抱かれて 誓いし言葉よ はかなく ただ散りゆく 色あせし落ち葉よ(※繰り返し)----------------------------------------『枯葉』は、もともと、コズマが『ランデヴー』というバレエ曲のために作曲したものです。1946年制作のフランス映画『夜の門』(マルセル・カルネ監督)の中で、プレヴェールの詞のついたものが歌われ、人気を博しました。歌ったのは、この映画で主演した"イヴ・モンタン"です。のちにジャズに編曲され、フランク・シナトラやナット・キング・コールなどが歌って世界的なヒットとなりました。---------------------------------------------"Les feuilles mortes" by"Yves Montand" ----------------------- Paroles: Jacques Prévert. Musique: Joseph Kosmaautres interprètes: Mouloudji, Fernand Gignac------------------------Oh ! je voudrais tant que tu te souviennesDes jours heureux ougrave; nous eacute;tions amis.En ce temps-lagrave; la vie eacute;tait plus belle,Et le soleil plus brucirc;lant qu'aujourd'hui."Les feuilles mortes" se ramassent agrave;la pelle.Tu vois, je n'ai pas oublieacute;..."Les feuilles mortes" se ramassent agrave; la pelle,Les souvenirs et les regrets aussiEt le vent du nord les emporteDans la nuit froide de l'oubli.Tu vois, je n'ai pas oublieacute;La chanson que tu me chantais.(Refrain)C'est une chanson qui nous ressemble.Toi, tu m'aimais et je t'aimaisEt nous vivions tous deux ensemble,Toi qui m'aimais, moi qui t'aimais.Mais la vie seacute;pare ceux qui s'aiment,Tout doucement, sans faire de bruitEt la mer efface sur le sableLes pas des amants désunis."Les feuilles mortes" se ramassent agrave; la pelle,Les souvenirs et les regrets aussiMais mon amour silencieux et fidegrave;leSourit toujours et remercie la vie.Je t'aimais tant, tu eacute;tais si jolie.Comment veux-tu que je t'oublie ?En ce temps-lagrave;, la vie eacute;tait plus belleEt le soleil plus brûlant qu'aujourd'hui.Tu eacute;tais ma plus douce amieMais je n'ai que faire des regretsEt la chanson que tu chantais,Toujours, toujours je l'entendrai !(Refrain)--------------------------------「あめゅじゅ とてちて けんじゃ」 "Ame yuzyu totekite kenjya"!!! Could you ????
2004年09月28日
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悲しみよ さようなら悲しみよ こんにちは天井のすじの中にもお前は刻みこまれているわたしの愛する目の中にもお前は刻みこまれているお前はみじめさとはどこかちがうなぜならいちばん 貧しい唇さえもほほ笑みの中にお前を現わす"悲しみよ こんにちは"欲情をそそる肉体同士の愛愛のつよさからだのない怪物のように誘惑がわきあがる希望に裏切られた顔悲しみ 美しい顔よ * 直接の生命 *「ポール・エリュアール」(1885~1952)------------------------------------------この詩は、フランソワ―ズ・サガン(1935~2004)18歳のときの処女作「悲しみよこんにちは」の冒頭に引用されたものです。サガンはこの小説でフランスの1954年度の「批評家大賞」を受賞します。サガンの文体は美しく、スュチィプルで、意味の深い、微妙なニュアンスがあり、そのデリケートな言葉は体で感じとるしかないほどに独自の魅力をもっている。-------------------------------------------[パリ 24日 ロイター] 「悲しみよこんにちは」など数々のベストセラー作品で知られるフランスの小説家、フランソワーズ・サガンが24日、ノルマンディー地方オンフルールの病院で心臓疾患のため死去した。69歳だった。1935年、裕福な家庭に生まれたサガンは、18歳の時、マルセル・プルーストの小説の登場人物をペンネームにして「悲しみよこんにちは」を執筆。54年に出版された同作品は世界各国で大ベストセラーとなった。その後も、愛に疲れ、退廃的で享楽を追及する主人公を描いた作品を次々と発表、多くのファンを魅了した。映画や舞台の脚本も多数手掛けた。---------------------十一月十四日「浜口首相を東京駅頭に狙撃せしものあり」 "テロリストの悲しき宿命も思ひつヽ宰相の車に爆弾をうつ" -湯原の歌- 生眞面目一方の宰相を撃ちし青年の芝居気を思ひたのしむわれは 宰相をうつもよからむ不景気はとてもかくても去るものならねど 蒼白の宰相の顔新聞に大きく出でたり生命の瞬間(たまゆら) 宰相をうつてふことを浪漫化し友のうたふを見ればかなしも※※※※※※※※ 何時の日かテロリストたらむと決心(さだ)めつつ彈丸打つすべも未だ習はぬかも ------------------------------「夜光雲」第4巻 by"田中克己"(たなかかつみ)1911-1992 -------------------------------------詩人、東洋史学者。「四季」「コギト」編輯同人。 ---------------------------昭和初期の抒情詩復興期において、その硬質孤高の抒情が伊東静雄と並び称さる。 「詩集西康省」「大陸遠望」等の詩集のほか、東洋史、ドイツ文学、支那古典文学の精髓を極めた著作多数。 ------------------------------"夜光雲"毎年6月下旬から8月、北欧が白夜になる頃に"夜光雲"が発生します。上空83km付近(中間圏界面)で凝固した水蒸気(氷)に既に地平線下に沈んだ太陽の光が反射して見えるのが"夜光雲"として認識されます。"夜光雲"は気象変動のカナリアと呼ばれるほど、大気汚染と共に現れた現象です。人間の活動によってメタンや二酸化酸素が増えて地上の気温が高くなった事により、通常 雲の発生しない中間圏界面で温度が異常に下がり微量の水蒸気が凝固しやすくなります。"今年の夏"はかなり頻繁に"夜光雲"が発生しています。北の空低く、時として高度30度位迄青白い波を打った様な雲が見えたら、それが"夜光雲"です。巻層雲と間違い易いですが、"夜光雲"は「光って」います。空がかなり暗くなるまで待って、目を凝らして見て下さい。------------------------------------------------"革命"(かくめい)(a) revolution.----------------~を起こす cause [bring about] a revolution; revolutionize.~的 revolutionary.革命家 a revolutionist. 革命軍[思想,政府,戦争,党] a revolutionary army [party, war, government, idea]. 反革命 (a) counterrevolution. 武力[無血]革命 an armed [a bloodless] revolution. ---------------------------西暦 1917年、巡洋艦オーロラ号の号砲を合図にボルシェヴィキが武装蜂起ロシア"10月革命"が始まった。 --------------------------------------------ボルシェヴィキ武装蜂起とロシア"十月革命"--------------------------------------------第一次世界大戦も終盤に近づきつつある西暦1917年10月24日深夜、レーニン配下のボルシェヴィキ武装勢力が蜂起した。彼らの標的はロシア帝国の都サンクト・ペテルブルグ市内にある橋、鉄道、電話局などの要所。当時、政権を担っていたケレンスキーは、直ちにサンクト・ペテルブルグを脱出した。夜が明けて10月25日、ネヴァ川に停泊していた巡洋艦オーロラ号から、大砲の音が鳴り響いた。それを合図に、市内各地に潜伏していたボルシェヴィキの武装勢力が一斉に蜂起した。やがて、エルミタージュの宮殿を警護していたコサック兵や士官候補生たちも宮殿を見捨てて逃げ出した。宮殿内に立て籠もっていた内閣の閣僚達は、踏み込んできたボルシェヴィキの兵士たちに逮捕された。ロシア"十月革命"は成功し、レーニンの指導するボルシェヴィキが政権を掌握した。やがて、ロシアを中心としてソ連(ソビエト連邦)が形成される。-----------------------------------インターナショナル"Интернационал" --------------------訳:ウラジーミル--------------------起て!飢えたる民よ起て!我が同胞!蜂起の時は来た 今こそ戦わん!自由となる日 旗は赤く燃え奴隷で無く自由の民なのだから!★今こそ戦わん:最後の戦いを!インターナショナルよ我等が道!未だ絶えることなく 流れゆく血潮我等が自由は 示されるのか神や王や英雄でなく 我等の力で永久なる自由へと いざ駆け出さん!<★2回繰り返し>働く全て者の 自由なる集い大地は何時でも 我等と共に在らん皆が皆等しく 労働に勤しむ今日の陽が照る 最後の時まで<★2回繰り返し>--------------------------------Original "Russian" Words--------------------------------1 Вставай проклятьем эаклейменный,Весь мир голодных и рабов!フスタヴァーィ プラクリャーチイェム ザクリェイミョーンヌィ,ヴェシ ミール ガロードゥヌィフ イ ラボーフ !!Кипит наш раэум воэмущенныйИ в смертный бой вести готов.Весь мир насилья мы раэрушимДо основанья, а эатемМы наш, мы новый мир построим,Кто был ничем, тот станет всем.キーピート ナーシ ラーズム ヴァズムシショーンヌィイ フ スミェールトゥヌィ ボーィ ヴェースチ ガトーフ.ヴェシ ミール ナシリヤー ムィ ラズルーシムド アスノヴァーニヤ, ア ザチェームムィ ナーシ, ムィ ノーヴィ ミール パストゥローイム,クトー ブィール ニチェーム,トート スターニェト フシェーム.Это есть наш последныйИ решительный бой,С интернационаломВоспрянет род людской!エータ イェースチ ナーシ パスリェードゥヌィイ レシーチェリヌィ ボーィ,ス イーンターナ ツィアナーラムヴァスプリャーニェト ロード リュードスコィ!!Это есть наш последныйИ решительный бой,С интернационаломВоспрянет род людской!エータ イェースチ ナーシ パスリェードゥヌィイ レシーチェリヌィ ボーィ,ス イーンターナ ツィアナーラムヴァスプリャーニェト ロード リュードスコィ!!2 Никто не даст нам иэбавленья -Ни бог, ни царь и не герой,Добъемся мы освобожденьяСвоею собственной рукой.Чтоб свергнуть гнет рукой умелой,Отвоевать свое добро,Вэдувайте гори и куйте смело,Пока желеэо горячо.Это есть наш последныйИ решительный бой,С интернационаломВоспрянет род людской!Это есть наш последныйИ решительный бой,С интернационаломВоспрянет род людской!3 Лишь мы, работники всемирнойВеликой армии труда,Владеть эемлей имеем право,Но параэиты - никогда.И если гром великий грянетНад сворой псов и палачей,Для нас все так же солнце станетСиять огнем своих дучейЭто есть наш последный И решительный бой,С интернационаломВоспрянет род людской!Это есть наш последныйИ решительный бой,С интернационаломВоспрянет род людской!-------------------------------------------------------------------------ロシアに革命の嵐が吹き荒れた20世紀前半。ロシアの革命志士達が口ずさんでいた歌です。元々はフランス人の作曲家が革命家として作曲しました。それをロシア語訳をしたものが1918年からのロシアソビエト連邦社会主義共和国の国歌と1922~1944までのソ連国歌、1944年~のソ連共産党党歌と相成った訳です。王制の廃止とプロレタリアの政権を目的とし平等なる社会を建設すると言っています。その象徴たる歌がインターナショナルです。世界を揺るがしたロシア革命。絶対の権力を誇ったロマノフ王朝の崩壊と皇帝の処刑。そして世界初の共産主義国家の建設を実現し推進してゆこうとする革命家達。革命の成功と共産主義の勝利の歌。それがこの歌にこめられています。----------------------------"憂鬱"の川邊by(萩原朔太郎)-------------川邊で鳴つてゐる蘆や葦のさやさやといふ音はさびしいしぜんに生えてる するどい ちひさな植物 草本(さうほん)の莖の類はさびしい私は眼を閉ぢてなにかの草の根を噛まうとするなにかの草の汁をすふために 憂愁の苦い汁をすふためにげにそこにはなにごとの希望もない生活はただ無意味な"憂鬱"の連なりだ梅雨だじめじめとした雨の點滴のやうなものだしかし ああ また雨! 雨! 雨!そこには生える不思議の草本あまたの悲しい羽虫の類それは"憂鬱"に這ひまはる 岸邊にそうて這ひまはるじめじめとした川の岸邊を行くものはああこの光るいのちの葬列か光る精神の病靈か物みなしぜんに腐れゆく岸邊の草むら雨に光る木材質のはげしき匂ひ。----------------------------------------------------------------------"melancholy"(メランコリー) 躁鬱(そううつ)病の鬱の状態。憂鬱(ゆううつ)症。また、"憂鬱"。メランコリア。------------------------------------------A "Revolutionist" is ---Why does he always a sort of "melancholy",doesn't he??秋は、ほんたうに物憂い--"saison"--des ne!!!
2004年09月27日
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"恨みわび 干さぬ袖だにあるものを恋に朽ちなむ 名こそ惜しけれ" 65番"相模"(さがみ)-------------"後拾遺集"より巻第十三・七四五番歌 誰が袖に君かさぬらん唐衣夜な夜な我にかたしかせつつ巻第十四・七九五番歌 我が袖を秋の草葉にくらべばやいづれか露の置きは勝ると巻第十・ 五四九番歌 問はばやと思ひやるだに露けきを如何にぞ君が袖は朽ちぬや巻第十一・六四0番歌 逢ふことのなきよりかねて辛ければさてあらましに濡るる袖かな----------------この和歌集に"相模"の歌は四十首撰歌されています。その一割強にあたる八首に一首は袖を詠んだ歌になっており彼女の歌道には袖は必須の道具になっています。 この歌の出典である後拾遺集にある詞書は「永承六年(一0五一年)内裏歌合せに」となっています。この時期の後冷泉天皇は二十七歳の新進気鋭であり、道長の後を受けた頼通が宇治に平等院を建立するなど藤原氏が全盛を誇る時世で、約百年前村上天皇の天徳歌合を意識した内裏歌会が催されたときにあたります。 誰との「恨みわび」の恋なのか明確に言及されていませんが、単なる詠題に対する詠みではない体験を踏まえた内容になっています。体験の深さが物を言ったのでしょうか、永承六年五月五日の内裏歌合わせでの相対する「右方」の歌は、右近少将源隆俊の次の歌で、相模が勝ちを獲っています。下萌ゆる嘆きをだにも知らせばやたく火のかみの印ばかりに(内裏根合・永承六年・十)-----------------「相模」とは、今で言えばさしずめ「・・・」国大使の奥さんとでもいうべきところです。"相模"は名前こそ夫の官職を拝借していますが、実生活では夫に従うのではなく自主独立の考えを持っていたようです。彼女の父親は「詳らかならずあるいは源頼光」と推測するむきもあるようです。 頼光と言えば、大江山の鬼退治の話が有名です。武勇の人を父に持った女性として考えると、自分は自分の意志で生き抜いていくという男勝りの考えも納得できます。あるいはこの歌に詠んだように、「名こそ惜しけれ」と名を大切に思う考えは、何となく分かります。「恋に朽ちなん名こそ惜しけれ」と名を惜しむことによって、永承六年の内裏歌合わせにも源常俊に詠み勝っているのです。 当時の女性の立場から見れば「名を惜しむ」という考えは、女性としては非常に強い自我の主張です。百人一首では二番後の六七番「春の夜の」(周防内侍)も同じく「名を惜しむ」女性です。万葉集の時代には既に山上憶良が「ますらを」は名を立てて、後世に聞き継ぎ語り継がれねばならない考えを歌で示しました。この考え方は、ごく最近まで、すなわち昭和の中頃まで、私達日本民族の中で教えられ、培われてきた考えでした。 清和源氏の源流をなす源頼光の子頼国から三代後世に源平合戦の口火を切った源三位頼政が出て、その娘に九二番歌「我が袖は」の二条院讃岐がいます。 一方、頼光の弟頼信から五代後世は、義朝ー頼朝ー実朝(九三番歌「世の中は」の作者)の系譜に繋がってゆきます。百人一首では、九二番、九三番と遠い親戚同志が仲良く並んで選歌されています。四二番歌で涙に濡れた袖を絞ったのは清原元輔です。涙に濡れて絞ることなく乾さぬ袖を持ったまま「恨みわび」ている女性は多く、この歌以外に、七二番(紀伊)、九十番(大輔)、九二番(讃岐)などがそれに相当します。この四名の女性の恋の悩みに涙する状態は、袖の濡れ方の違いに応じて少しづつ程度が異なることが分かります。六五番(乾さぬ袖だにある)すでに涙に濡れた袖だが、乾いていない。七二番(あだ波はかけじ) 波をかけると濡れてしまう。まだぬれていない。九十番(濡れにぞ濡れし) もはや袖は色も変わるほどに濡れている。九二番(乾く間も無し) 乾くかと思えば濡れる。濡れの程度を軽い順に並べると、七二番ー六五番ー九二番ー九十番になります。--------七二番歌は完全に男性から一線を画し冷静に構えています。六五番歌は「恨みわび」、涙に濡れた袖を見て反省し、「よくよく考えてみると、この恋のために名が朽ちることが惜しくなってきた」と言っています。---------------"小さな木の実"作曲:ビゼー 日本語詞:海野洋司♪~♪~♪~♪1 小さな手のひらに 一つ古ぼけた木の実 握りしめ小さな足跡が 一つ草原の中を 駆けてゆくパパと 二人で拾ったたいせつな木の実 握りしめ今年 また秋の丘を少年は一人 駆けてゆく 2 小さな心に いつでも幸せな秋は あふれてる風と よく晴れた空と温かいパパの 思い出と"坊や" 強く生きるんだ広いこの世界 おまえのもの今年 また秋がくると木の実はささやく パパの言葉 -------------原曲はビゼーのオペラ『美しいパースの娘』で歌われるアリア。この曲に海野洋司(うんのひろし)が日本語の詞をつけ、昭和49年(1974)、NHKの「みんなのうた」として発表されました。(歌手はペギー葉山さん)一方、本来この歌は、「美しいパースの娘」の中で、セレナーデとして男性が歌う歌です。「小さな木の実」とはメロディーが一部違っています。歌詞も全く違います。恋焦がれる男の心情と、女性を褒め称える言葉が連ねてあります。---------------------1.A la voix D'um amant fidele(貴女の忠誠な下僕"しもべ"の囁"つぶや"きが)Ah! reponds mabelle Ain si qu'aut refois("Ain"の流れの調べのように何度も繰り返す)A ma voix Daigne encore paraitre,(私の囁きに、Daigneもまた応える)Ouvre ta fenetre Ainst qu'aut refois!(心の扉を開け放て!) "Ah! parais, Tu sais si j'admire,Ton charmant sourire, Tes divins attraits!De tes yeux qu'un rayon de flammePenetre mon ame Et m'ombre les cieux!"2.Je t'attends, Et vers toi, davance,(貴女への熱い想いを抱きつつ)Mon coeur qui s'elance Compte les instants(私の胸の鼓動は、今にも張り裂けそうだ)Jasqu'unjour Quand chacun sommeille,(いつの日か,永久"とわ"の眠りが訪れる時)Seul mon amonr veille Ponr chanter la mour!(愛する人だけに捧げる、私の愛の調べを! )("繰り返し")ああ、私には見える,心焦がす汝が愛しき微笑(ほほえみ)!!射るような眸(まなざし)は私の心を捉えて離さないそして神の召します楽園へと私を誘(いざな)う!!----------------"誰もいない海"山口洋子 作詞 内藤法美 作曲-----------------♪今は もう秋 誰も いない海知らん顔して 人がゆきすぎてもわたしは忘れない 海に約束したからつらくても つらくても 死にはしないと今は もう秋 誰も いない海たった一つの 夢が 破れてもわたしは忘れない 砂に約束したから淋しくても 淋しくても 死にはしないと・・・・・(間奏)今は もう秋 誰も いない海いとしい面影 帰らなくてもわたしは忘れない 空に約束したから一人でも 一人でも 死にはしないと・・・・・・・・-----------------"Flash-dance"-----------------Artist: Irene Cara LyricsSong: Flashdance...What a Feeling Lyrics------------------♪~♪Well I hear the music, close my eyes, feel the rhythmWrap around, take a hold of my heart[Chorus:]What a feeling, bein's believin'I can't have it all, now I'm dancin' for my lifeTake your passion, and make it happenPictures come alive, you can dance right through your life[Solo]Now I hear the music, close my eyes, I am rhythmIn a flash it takes hold of my heart[chorus] (with ... "now I'm dancing through my life")------------------"What a feeling"What a feeling (I am music now), bein's believin' (I am rhythm now)Pictures come alive, you can dance right through your lifeWhat a feeling (I can really have it all)What a feeling (Pictures come alive when I call)I can have it all (I can really have it all)Have it all (Pictures come alive when I call)(call, call, call, call, what a feeling) I can have it all(Bein's believin') bein's believin'(Take your passion, make it happen) make it happen(What a feeling) what a feeling... [to fade]--------------------------映画フラッシュダンス(Flashdance)は世界中で大ヒット、ダンス映画ブームの火付け役となった映画です。-----------------------プロのダンサーになる事を夢みて、昼は工場の溶接工として、夜はクラブのショー ダンサーとして働きながら、毎日大好きなダンスの練習に汗を流す主人公アレックス。主人公のひたむきな姿を、エキサイティングなダンス・ミュージックをバックにして描き出します。数秒程の短いシーンではあるものの、ストリートでのムーンウォークやブレイクのダンスシーンは世界中に衝撃を与えました。また、アカデミー賞最優秀主題歌賞を受賞したアイリーン・キャラ(Irene Cara)による主題歌「ホワット・ア・フィーリング(What a feeling)」などオリジナル サウンド トラック(O.S.T)も大ヒットを記録。数々の名曲が感動を更に熱いものにしてくれます。--------------------"I'll never forget "(忘れないわ)♪~♪ I'll never forget you. You'll live in my heart even after separated. Even if I would fall in love again, he would be resemble to you. I'll never forget, I'll Never Forget You. The man I loved, I'll never forget. I'll never forget forever. I'll hold my first love in my heart. Even if it was a joy of only one moment, it's you who gave me love. I'll never forget, I'll Never Forget You. The man I loved, I'll never forget. ------------"忘れないわ"山上路夫 作詞 三木たかし 作曲♪~♪忘れないわ~ あなたを別れたあとも 胸に生きるわもしもふたたび 恋をしてもあなたに似てる ひとでしょう忘れないわ~"I'll never forget you"愛したひとよ 忘れないわ~忘れないわ~ いつまでも初めての恋 心に抱くわたとえひとときの 喜びでも愛してくれた あなただから忘れないわ"I'll never forget you"愛したひとよ 忘れないわ忘れないわ~------------ペギー・マーチが歌った「忘れないわ」、1969年頃のヒット曲です。------------"名残"「なごり(余波)」と同源(1)物事が過ぎ去ったあとになお残る、それを思い起こさせる気配やしるし。余韻や余情。また、影響。「熱戦の―を残すグラウンド」「昔の―をとどめる古城」(2)別れたあとに面影などが残って、なお心引かれること。また、別れの際の心残り。「―を惜しむ」「―が尽きない」(3)物事の最後。終わり。「―の夜」「この世の―」「その日の―なれば限りの風(ふう)なり/花鏡」(4)去った人や故人を思い出すよすがとなるものや事。故人の形見や子孫。「おぼし出づばかりの―とどめたる身も、いとたけく/源氏(澪標)」「さてかの維時が―は/増鏡(新島守)」(5)病後などの身体に残る影響。「いと重くわづらひ給ひつれど、ことなる―残らず/源氏(夕顔)」(6)残り。残余。「弥生中の六日なれば花はいまだ―あり/平家 3」(7)「名残の折」の略。--------------------今年の「夏」も酷暑でしたne.Summer's over名残の「秋」(fall)desu.Autumn has come.Why evryone does "Falling in LOVE"????
2004年09月26日
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山のあなたの空遠く 「幸(さゐわい)」住むと人のいう 噫、われひとと尋めゆきて涙さしぐみかえりきぬ山のあなたになお遠く 「幸」住むと人のいう (カール・ブッセ) -------------------------------------------------上田敏が、『海潮音』の中でこの詩を日本に紹介したのは、明治38年(1905)でした。"幸せ"は山のはるかかなた、いくら望んでも手に入らない。そんなあきらめが共感を呼んで有名になった詩です。人は皆、幸福を求めています。「豊かになれば幸福になれる」と信じ、人類は、様々な努力を積み重ねてきました。「なぜ、幸福になれないのか」「なぜ、苦悩から離れ切れないのか」 ----------------------------------原詩「Uber den Bergen」Uber den Bergen,weit zu wandern,/sagen die Leute,wohnt das Gluck./Ach,und ich ging im Schwarme der andern,/kam mit verweinten Augen zuruch,/uber den Bergen,weit,weit druben,/sagen die Leute,wohnt das Gluck------ ----------------------「月に吠える」(萩原朔太郎) "序" 詩の表現の目的は単に情調のための情調を表現することではない。幻覚のための幻覚を描くことでもない。同時にまたある種の思想を宣伝演繹することのためでもない。詩の本来の目的は寧ろそれらの者を通じて、人心の内部に顫動する所の感情そのものの本質を凝視し、かつ感情をさかんに流露させることである。 詩とは感情の神経、、、、、を掴んだものである。生きて働く心理学、、、、、、、、である。 すべてのよい叙情詩には、理屈や言葉で説明することの出来ない一種の美感が伴ふ。これを詩のにほひ、、、といふ。(人によつては気韻とか気稟とかいふ)にほひ、、、は詩の主眼とする陶酔的気分の要素である。順つてこのにほひ、、、の稀薄な詩は韻文としての価値のすくないものであつて、言はば香味を欠いた酒のやうなものである。かふいふ酒を私は好まない。詩の表現は素樸なれ、詩のにほひ、、、は芳純でありたい。 私の詩の読者にのぞむ所は、詩の表面に表はれた概念や「ことがら」ではなくして、内部の核心である感情そのものに感触してもらひたいことである。私の心の「かなしみ」「よろこび」「さびしみ」「おそれ」その他言葉や文章では言ひ現はしがたい複雑した特種の感情を、私は自分の詩のリズムによつて表現する。併しリズムは説明ではない。リズムは以心伝心である。そのリズムを無言で感知することの出来る人とのみ、私は手をとつて語り合ふことができる。 『どういふわけでうれしい?』といふ質問に対して人は容易にその理由を説明することができる。けれども『どういふ工合にうれしい』といふ問に対しては何人びともたやすくその心理を説明することは出来ない。思ふに人間の感情といふものは、極めて単純であつて、同時に極めて複雑したものである。極めて普遍性のものであつて、同時に極めて個性的な特異なものである。どんな場合にも、人が自己の感情を完全、、に表現しようと思つたら、それは容易のわざではない。この場合には言葉は何の役にもたたない。そこには音楽と詩があるばかりである。 私はときどき不幸な狂水病者のことを考へる。あの病気にかかつた人間は非常に水を恐れるといふことだ。コップに盛つた一杯の水が絶息するほど恐ろしいといふやうなことは、どんなにしても我々には想像のおよばないことである。『どういふわけで水が恐ろしい?』『どういふ工合に水が恐ろしい?』これらの心理は、我々にとつては只々不可思議千万のものといふの外はない。けれどもあの患者にとつてはそれが何よりも真実な事実なのである。そして此の場合に若しその患者自身が……何等かの必要に迫られて……この苦しい実感を傍人に向つて説明しようと試みるならば(それはずゐぶん有りさうに思はれることだ。もし傍人がこの病気について特種の智識をもたなかつた場合には彼に対してどんな惨酷な悪戯が行はれないとも限らない。こんな場合を考へると私は戦慄せずには居られない。)患者自身はどんな手段をとるべきであらう。恐らくはどのやうな言葉の説明を以てしても、この奇異な感情を表現することは出来ないであらう。けれども、若し彼に詩人としての才能があつたら、もちろん彼は詩を作るにちがひない。詩は人間の言葉で説明することの出来ないものまでも説明する。詩は言葉以上の言葉である。 狂水病者の例は極めて特異の例である。けれどもまた同時に極めてありふれた例でもある。人間は一人一人にちがつた肉体と、ちがつた神経とをもつて居る。我のかなしみは彼のかなしみではない。彼のよろこびは我のよろこびではない。人は一人一人では、、、、、、、、、いつも永久に、、、、、、、永久に、、、、恐ろしい孤独である、、、、、、、、、。原始以来、神は幾億万人といふ人間を造つた。けれども全く同じ顔の人間を、決して二人とは造りはしなかつた。人はだれでも単位で生れて、永久に単位で死ななければならない。とはいへ、我々は決してぽつねん、、、、と切りはなされた宇宙の単位ではない。我々の顔は、我々の皮膚は、一人一人にみんな異つて居る。けれども、実際は一人一人にみんな同一のところをもつて居るのである。この共通、、を人間同志の間に発見するとき、人類間の『道徳』と『愛』とが生れるのである。この共通、、を人類と植物との間に発見するとき、自然間の『道徳』と『愛』とが生れるのである。そして我々はもはや永久に孤独ではない。 私のこの肉体とこの感情とは、もちろん世界中で私一人しか所有して居ない。またそれを完全に理解してゐる人も一人しかない。これは極めて極めて特異な性質をもつたものである。けれども、それはまた同時に、世界中の何ぴとにも共通なものでなければならない。この特異にして共通なる個々の感情の焦点に、詩歌のほんとの『よろこび』と『秘密性』とが存在するのだ。この道理をはなれて、私は自ら詩を作る意義を知らない。 詩は一瞬間に於ける霊智の産物である。ふだんにもつてゐる所のある種の感情が、電流体の如きものに触れて始めてリズムを発見する。この電流体は詩人にとつては奇蹟である。詩は予期して作らるべき者ではない。 以前、私は詩といふものを神秘、、のやうに考へて居た。ある霊妙な宇宙の聖霊と人間の叡智との交霊作用のやうにも考へて居た。或はまた不可思議な自然の謎を解くための鍵のやうにも思つて居た。併し今から思ふと、それは笑ふべき迷信であつた。詩とは、決してそんな奇怪な鬼のやうなものではなく、実は却つて我々とは親しみ易い兄妹や愛人のやうなものである。私どもは時々、不具な子供のやうないぢらしい心で、部屋の暗い片隅にすすり泣きをする。さういふ時、ぴつたりと肩により添ひながら、ふるへる自分の心臓の上に、やさしい手をおいてくれる乙女がある。その看護婦の乙女が詩である。私は詩を思ふと、烈しい人間のなやみ、、、とそのよろこび、、、、とをかんずる。詩は神秘でも象徴でも鬼でもない。詩はただ、病める魂の所有者と孤独者との寂しいなぐさめである。詩を思ふとき、私は人情のいぢらしさに自然と涙ぐましくなる。 過去は私にとつて苦しい思ひ出である。過去は焦躁と無為と悩める心肉との不吉な悪夢であつた。月に吠える犬は、自分の影に怪しみ恐れて吠えるのである。疾患する犬の心に、月は青白い幽霊のやうな不吉の謎である。犬は遠吠えをする。私は私自身の陰鬱な影を、月夜の地上に釘づけにしてしまひたい。影が、永久に私のあとを追つて来ないやうに。 --------------"愛憐"------------------------きつと可愛いかたい歯で、草のみどりをかみしめる女よ、女よ、このうす青い草のいんき(、、、)で、まんべんなくお前の顔をいろどつて、おまへの情慾をたかぶらしめ、しげる草むらでこつそりあそぼう、みたまへ、ここにはつりがね草がくびをふり、あそこではりんだう(、、、、)の手がしなしなと動いてゐる、"ああ"わたしはしつかりとお前の乳房を抱きしめる、お前はお前で力いつぱいに私のからだを押へつける、さうしてこの人気のない野原の中で、わたしたちは蛇のやうなあそびをしよう、"ああ"私は私できりきりとお前を可愛がつてやり、おまへの美しい皮膚の上に、青い草の葉の汁をぬりつけてやる。-----------------------"心の旅"作詞/作曲 財津和夫唄 チューリップ♪~♪ ああだから今夜だけは 君を抱いていたいああ明日の今頃は 僕は汽車の中旅立つ僕の心を 知っていたのか遠く離れてしまえば 愛は終るといったもしも許されるなら 眠りについた君をポケットにつめこんで そのままつれ去りたいああだから今夜だけは 君を抱いていたいああ明日の今頃は 僕は汽車の中にぎやかだった街も 今は声を静めてなにをまっているのか なにをまっているのかいつもいつの時でも 僕は忘れはしない愛に終りがあって 心の旅がはじまるああだから今夜だけは 君を抱いていたいああ明日の今頃は 僕は汽車の中 ------------------------------秋---"fall"Why don't you knows "happyness"??Falling in LOVE in "fall"
2004年09月25日
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"中秋の名月" 「月々に 月見る月はおおけれど 月見る月は この月の月」----------------------------------------------------旧暦の8月15日(9/28)は中秋の名月です。旧暦の秋とは、旧7月・8月・9月をさします。-------------------------------------------(参考)春は1~3月、夏は4月~6月、そして冬は10月~12月、だから“新春”です。--------------------その秋の真ん中、旧8月のことを「仲秋」といいます。そして「明月」は、澄んだ明るい月をすべてさします。「仲秋の明月」とは、旧8月すべての澄んだ月のことになります。旧8月の真ん中、15日のことを「中秋」といいます。さらに「名月」とは、8月15日と9月13日の月のみを指しています。従って、旧8月15日のお月見は「中秋の名月」と言うのが、より正しいようです。---------------------このお月見の風習は、中国唐時代の観月宴「中秋節」に由来します。日本では平安時代に、村上天皇が宮中で観月の歌会を催したのが始まりです。その後、室町時代からは月を神としてあがめ、芋などを供えるようになりす。日本では、収穫を祝う祭りの意味もあったようです。-------------------------------------------------お月見は旧8月15日と旧9月13日の両方を見るのが良いとされます。どちらか片方しか見ないことを「片見月(かたみづき)」と言って、不吉だと忌み嫌われます。十五夜の月には芋を供えるので「芋名月」、十三夜の月には栗や豆を供えるので「栗名月」「豆名月」と呼びます。-------------------------------------------徒然草のなかで吉田兼好法師は次のように言っています。「花はさかりに 月はくまなきをのみみるものかは」満月よりも少し欠けている十三夜に情緒を感じたようです。-----------------------------------------------------月の呼び名には、いろいろなものがあります。中秋の名月前夜は「待宵(まちよい)」その月(つまり十四夜)を「小望月(こもちづき)」十六夜は「いざよい」、十七夜は「立待月(たちまちづき)」、十八夜は「居待月(いまちづき)」、十九夜は「伏待月(ふしまちづき)、寝待月(ねまちづき)二十夜は「更待月(さらまちづき)」と呼びます。-----------------------------------------------祭のかへさ見るとて、"雲林院"、知足院などの前に車をたてたれば、杜鵑もしのばぬにやあらん鳴くに、いとようまねび似せて、木高き木どもの中に、諸聲に鳴きたるこそさすがにをかしけれ。(『枕草子』「鳥は」の段)-----------------------------「清少納言」は"雲林院",知足院などの前が、祭のかへさを見物するためのおすすめスポットであったこと、そして 自らそこに出掛けていたことを記しています。---------------------------------------"祭のかへさ"=賀茂祭の「還立の儀=斎王」が上社の神館を出て、斎院に帰ること。---------------------当時「雲林院」といえば、知らぬ人などいないほど有名な寺院でした。現在の「雲林院」は、大徳寺の塔頭(たっちゅう)として江戸時代に再興されたものであり、大徳寺派臨済宗の小寺として、わずかに観音堂が残されているのみです。---------------------------------------"雲林院"は最初「紫野院」と呼ばれていました。それが天長九年(832年)四月十一日に淳和天皇の御幸をいただき「雲林亭」と改名し、さらに九月二十六日条には「雲林院」の名称が使用されたことが『類聚国史』に記されています。-----------------淳和天皇の離宮であった"雲林亭"は、淳和天皇→仁明天皇→仁明天皇の第七皇子である常康親王へと伝領され、親王の出家に伴って仏寺となりました。-----------------『古今集』春歌下には、素性の歌も載せられています-----------------"雲林院"親王のもとに、花見に北山のほとりにまかれりける時によめるいざ今日は 春の山辺にまじりなむ暮れなば なげの花のかげかは-------------------親王が亡くなられた後の元慶八年九月十日には、素性の父であり、六歌仙の一人として有名な僧正遍昭が、親王の心願を実現するために花山元慶寺の別院とすることを請うて勅許を得ています。--------------------『古今集』秋歌下から、僧正遍照の歌。"雲林院"の木のかげにたたずみてよみけるわび人の わきて立ち寄る木のもとは頼むかげなく 紅葉散りけり----------------------"京都の恋"(KYOTO DOLL)林 春生 作詞D.Wilson, M.Taylor,G.McGee, J.Durrill 作曲♪風のウワサを 信じて 今日からは♪あなたと別れ 傷ついて♪旅に出かけてきたの♪私の心に 鐘が鳴る♪白い京都に 雨が降る♪うしろ姿の あの人は♪今は帰らぬ 遠い人♪涙見せたくないの 今日からは♪一度離れた 恋なんか♪二度とはしたくない♪このまま死んでしまいたい♪白い京都に包まれて♪恋によごれた女は 明日から♪白い京都の片隅に 想い出を捨てるの♪想い出を捨てるの---------------------------------渚ゆう子さんが歌ってヒットしました。---------------------------------"渚 ゆう子"45年、大阪府に生まれる。両親が沖縄出身のため、幼い頃より沖縄民謡を歌い、高校卒業とともに"九葉真鶴"の芸名で琉球舞踊の踊り手に。和田弘(マヒナスターズ)に見い出され上京、名前を"渚ゆう子"と変えハワイアン歌手として活動した後、67年「早くキスして」でデビューを果たす。ブレイクのきっかけは、ベンチャーズ・ナンバーである「京都の恋」と「京都慕情」(どちらもインストだった)に歌詞を付けてレコード化するという企画で、その歌い手として抜擢されたことによる。しっとりとした大人の女の魅力ムンムンの歌唱により、どちらの曲も大ヒットを記録。71年には「さいはての慕情」で紅白歌合戦にも出場し、名実ともに頂点を極めることになる。81年に芸能界を引退し、家業であるお好み焼き屋を継いだが、95年には「北ホテル」で復帰。現在では老父の介護の合間に無料のカラオケ教室も開いたりして、悠悠自適ライフを送っているとのこと。 ----------------------------------- -----------------------------------「青い目をしたお人形は、アメリカ生まれのセルロイド・・」ではじまる童謡「青い目の人形」は1921年(大正10年)野口雨情が雑誌「金の船」に発表し、これに本居長世が1922年(大正11年)に曲をつけた歌です。現在でも多くの人に親しまれ、口ずさまれている歌の一つですが、アメリカから贈られた「青い目の人形」とは関係はありません。「青い目の人形」が贈られるのが昭和2年。そして、この歌はその5年前に作られています。「青い目の人形」は昭和に入ってから、あわただしく決定して贈られてきたもので、この歌が作られた頃にはアメリカから贈られるなどという話はまだまったくありませんでした。--------------------「赤い靴」と対照的に作られたこの「青い目の人形」は、日本から外国への移民が盛んだった頃の、大正10年に発表されています。外国との交通と言えばもちろん「船」であり、歌詞にも「港」が出てきて、雰囲気を盛り立てています。---------------------------------------------------"青い目の人形"作詞 野口雨情 作曲 本居長世1922年(大正11年)♪~♪青い目をした お人形はアメリカ生まれの セルロイド日本の港へ ついたときいっぱい涙を うかべてた「わたしは言葉が わからない 迷い子になったら なんとしょう」やさしい日本の 嬢ちゃんよ仲よく遊んで やっとくれ仲よく遊んで やっとくれ---------------------------------------------------本居長世(もとおり・ながよ 明治18年(1885年)4月4日生・昭和20年(1945年)10月14日没)の略歴江戸時代の国学者 本居宣長の6代目の子孫で、童謡を初めて作曲したといわれる人物。野口雨情、西條八十、北原白秋ら作詞家とのコンビで「赤い靴」「七つの子」「青い眼の人形」などの名作を残した。1885(明治18)年、東京の下谷区御徒町に生まれる。小さい頃から祖父と二人きりの生活を送る。1908年、東京音楽学校を全学部筆頭の成績で卒業し、その後、同校の器楽部助教授に職に就いた。同期生には山田耕筰がいます。 1920(大正9)年 に新日本音楽大演奏会で発表した「十五夜お月さん」が大きな反響を呼び、人気童謡作家として知られるようになる。翌21年、「とんぼ社」(都築益世らが主宰)に中山晋平、弘田龍太郎とともに顧問に加わる。同じく西條が創刊した『かなりや』にも野口雨情や山田耕筰らと作品を提供した。 当時の作品には「お山の大将」「七つの子」「でんでん虫」「青い目の人形」 「赤い靴」 などがある。娘たちをボーカリストとして積極的に全国を巡演し、童謡を広めたことでも知られ、敗戦直後に肺炎で亡くなるまで、オペラ、合唱曲をふくめ約780の作品を残した。 ------------------------------------------昭和2年に日米の子供達の友好を願ってアメリカから日本へ向けて12,739体の青い目の人形が小学校、幼稚園に送られました。この青い目の人形は当時の子供達の宝物としてかわいがられた。そして答礼の使者人形として「大和日出子」という人形を日本からアメリカに贈った。しかし時代の変化とともに日米開戦!(昭和16年12月8日)「憎い敵、アメリカのスパイ」とされ処分を命じられたそうです。----------------------------------------Why don't you like sorrowful, "KYOTO DOLL"
2004年09月24日
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"二百三高地"(にひゃくさんかうち) (1)〔海抜203メートルの高地の意〕中国、遼東半島南端、旅順の西にある丘。日露戦争の激戦地。爾霊(にれい)山。(2)婦人の髪形の一。日露戦争後流行した束髪で、前を庇髪(ひさしがみ)にし、髷(まげ)を高く結い上げるもの。-----------"乃木希典"(のぎ-まれすけ) (1849-1912) 陸軍軍人。大将。長州の人。日清戦争に第一旅団長として従軍。日露戦争では第三軍司令官として旅順を攻略。のち、学習院長。静子夫人とともに明治天皇の大葬の日に殉死。------------第2回総攻撃(1904年9月19日~9月22日)そこで第3軍は、敵陣近くまで塹壕を掘り、28サンチ砲を内地から運搬し、9月1日から攻撃準備に着手した。 この時、海軍から「西北正面の203高地を占領してほしい」との要請が来ていた。 標高203メートルのこの高地は旅順港を一望できる要地であった。しかも、まだロシア側もこの高地の重要性に気がついておらず防備か不十分であった。 ここを観測点とし順港内のロシア太平洋艦隊に砲撃を加えれば全滅させることができ、海軍の旅順要塞攻略の目的は達成されるのである。 しかし、3軍は203高地を攻略しても旅順要塞の陥落につながらない為これを拒み、要塞を陥落を主とした作戦を譲らなかった。攻撃陣地を進める間、ロシア軍がしばしば出撃があり、攻撃準備がなかなか進まなかったが、9月19日には攻撃を開始した。だが、これらの攻撃も、22日に至って、わずか3ヶ所を得たのみで攻撃が行き詰まった。海軍が要望した203高地方面には兵力の一部を割いただけであった。しかも、これがロシア側に203高地の重要性を気がつけさせることになり、すぐさま堅固な要塞が施され、以後203高地の攻略は困難になっってしまった。日本は兵力の小出しという軍の運用として一番やってはならないことをやってしてしまった。10月26日、第2回総攻撃を開始したが、11月1日までに、あまり戦果があがらず攻撃は停滞した。第2回総攻撃では3,830名の戦死者を出すことになった。----------第3回総攻撃(1904年11月23日~11月27日)11月23日"乃木"大将は第三回総攻撃を命じた。攻撃目標は変わらないが、これまでの総攻撃と違う点は特別予備隊が編成されたことである。約3,000人の要塞奇襲部隊で、全員が白襷をかけていたので「白襷隊」と呼ばれた。11月26日午前8時、28センチ砲を中心に重砲隊が射撃を開始。午後になって歩兵部隊の突撃が行われた。しかし、いずれの要塞においても日本軍は攻めあぐねロシア軍要塞を抜くことができなかった。そして、午後5時に"乃木"大将は白襷隊の出撃を命じた。暗夜に決死の奇襲を行ったがロシアの集中攻撃に受け全滅。27日午前2時30分に白襷隊の攻撃中止命令が出された。11月26日から27日未明にかけての第3回総攻撃では約4,500名の死傷者を出し失敗した。------------「田原坂(たばるざか)」熊本民謡雨は降る降る 陣羽(じんば)は濡れる越すに越されぬ 田原坂右手(めて)に血刀 左手(ゆんで)に手綱(たづな)馬上ゆたかな美少年山に屍(しかばね) 川に血流る肥薩(ひさつ)の天地 秋にさびし草を褥(しとね)に 夢やいずこ明けのみ空に 日の御旗(みはた)泣いてくれるな かわいの駒よ今宵しのぶは 恋でなしどうせ死ぬなら 桜の下よ死なば屍(かばね)に 花が散る田原坂なら むかしが恋し男同士の 夢の跡春は桜よ 秋ならもみじ夢も田原の 草枕-----------------"強烈な意志と冷静な判断"----------------岩に挟まれた手を、自分で切断し生還した登山者の話が、米国の山岳誌などに載っている。現場はユタ州の高原に刻まれた泥岩の峡谷。ことし(2003)4月末、1人でこの谷に入ったA・ラルストンさん(27)が、垂直の岩溝に挟まった大岩に体重にかけると、岩が回転し、右手首を挟まれてしまった。考えられる脱出策は、救出を待つ、岩を削る、岩を動かすの三つ。だが、計画をだれにも知らせていなかったし、400k近い岩はびくともしなかった。4日目に水も食料も尽きた。6日目、生きて帰るため、最後の決断をした。"自ら右手を切断する"粗末なナイフしかなかったので、まず骨を折り、次いで肉を切った。作業に1時間要した。岩から脱出すると、20mの段差をロープで下降し、10k歩いたところでハイカーに出会い、ヘリコプターで救出された。"なんとタフな男だろうか"もちろん、ただ者ではない。コロラド州に59ある「フォーティナー」(1万4千フィート=4267m=峰)のうち45峰まで冬季単独登頂している。経験で培われた、生き抜く強烈な意志と冷静な判断なしには、生きて帰れなかったろう。脱出行は大きな波紋を呼んだ。多くは豪胆な決断と実行への驚きと称賛だった。中には「単独行は登山のルール違反」という指摘もあったが、これは目指すものが違うのだから仕方がない。本人は「二つの教訓を得た。どこに行くか知らせる--------次に、ナイフはよく切れるのを持参すること」と語ったそうだ。当面の目標は全フォーティナーの冬季単独初完登だという。[9/14/03朝日新聞(朝刊)より転記]-------------[後日談]ラルストンさんは「わたしは計画を立て始めた……救出されるまでの5日間、あらゆる選択肢を考え抜き、実行した」と語り、岩に挟まれた右腕を切断する前に、トライした様々な試みを明らかにした。 まずは「岩に体重を乗せ、動かそうとしてみたが、動かなかった」「何度も身体をたたきつけ、試みたがダメで、その方法を諦めるためには、冷静に思考して気持ちを落ち着ける必要があった」という。 次にマルチブレイドの多目的ナイフで岩を削り始めた。このナイフは「15$の懐中電灯を買うとおまけについてくる」ようなちゃちいもので、これもダメ。 さらに複数の滑車を組み合わせて岩を動かそうとしたしたが、これも失敗におわった。もちろん、救出を待つ、というオプションは絶望的だった。ラルストンさんが自然の罠に囚われた場所は、曲がりくねった狭い谷間の岩で、まず人が通るようなところではなかった。 完全な孤独の中で様々な妄想がラルストンさんを襲った。「死体も発見されないのではないか、と思った。洪水で死体が流されることを想像すると恐ろしかった」 持っていた食べ物はブリート(メキシコ料理でトティーアに肉、豆、チーズを包んだもの)が二つ、飲み水は1リットル。3日目までにあらゆる方法が上手く行かないことがはっきりし、水・食料ともに底を尽いてきた。ラルストンさんは、いよいよ最後の手段、右手の切断をする以外、助かる方法はない、覚悟を決めた。 切断に使ったのは前述した多目的ナイフ。刃はあまりになまくらで「腕に生えている毛さえ切れないほど」で、最初の切断は失敗する。4日目の翌日、ラルストンさんはもう1度、試みたが皮や肉は何とか切れてもその下の骨を切断することは不可能であることがはっきりした。 そして5日目の朝。ラルストンさんは、切断後、片手で垂直降下して人のいるところまで歩かねばならないことを考えると、残されたチャンスはあと1回しかない、と感じたという。最後のプランは……身体を無理やりひねって、関節の下で腕の2本の尺骨を折り、なまくらのナイフで皮と肉を断ち切る、というものだ。こんなむちゃくちゃなことを麻酔も手術台もなしに、ロッククライミングの体勢で行ったのである。研ぎ上げた出刃とまな板を使って指を詰めるなど、これに比べたら児戯ではないか?凄まじい胆力だが、ラルストンさんは「これから自分がやろうとしていることに耐えられるだろうか、と疑問を感じるより、勇気を振り絞ることこそ、功利主義的な意味からも重要でした」とクールに言い切る。 止血帯の準備を整え、すぐに出発できるよう荷物コンパクトにまとめてから、最後の試みを実行した。気が遠くなるような激痛を伴う切断作業はなんと延々1時間もかかった。ラルストンさんは、この時、隔絶された渓谷に《なにか》の存在を感じたという。そして家族や友人が自分に力を送ってくれている、と感じたという。 最大の試練を乗り切り、自由になったラルストンさんは片手で約20mを垂直降下し、助けを求めて歩き出した。救出されるまでのプロセスは既報の通りだ。 これからの希望は、と訊かれ「また登山に行きたいね。でも今度からは友人と一緒に行く」と答え、さらに「医者の許可が出たら、大きな背の高いグラスに細かく砕いた氷をタップリ入れ、美味しいマルガリータが飲みたいな。岩に挟まれている間、マルガリータのことばかり考えていたんだ」と笑って付け加えた。 ラルストンさんは週末に退院だそうだ。美味しいマルガリータを心行くまで味わってください。"2003年5月9日"情報ソース(CNN/MSNBC) by ラプター------------"A Will to Survive" from ABC-NEWS' ---------Ralston's will to survive and determination to recover from the incident have become an inspiration to many people."A lot of people think of it in terms of, 'I would never be able to put a blade to my own skin.' But having gone to the depths of coming to accept I could very well die there, and then seeing the light of being able to get out, it didn't even occur to me to dwell on the painful side of the experience, Ralston said. "It was more about the euphoria, the joy. And I'm sure the adrenaline and chemicals that were going through my body helped out, too. But they all worked to help me get through that and the liberation was one of the greatest experiences of my life."Since his May 10 release from the hospital, Ralston has been recuperating at his family's home in Centennial, Colo. He's also adjusting to life with just one arm. The hiker, who was primarily right-handed, has been learning how to write with his left hand."[I'm] up to second-grade level now, I would have to say. I can do some cursive with my left hand, but when I get the prosthetic, I should be able to go back to using my right hand for writing and for doing most of the things that I was previously doing right-handed," he said.Since his release, he has reportedly been hospitalized twice for surgeries to treat an infection and to prepare for the prosthetic. He expects to be fitted for it in the next few weeks. "I feel like it's an adjustment for now, but not really a major setback for as far as what I'm wanting to do," Ralston said. "I definitely think I'll be out doing everything that I was previously doing, as well as probably including some new activities." Why Didn’t He Tell Someone?While Ralston's story been an inspiration to many people, some have been critical in noting that the experienced climber, who also had search and rescue training, failed to tell anybody where he was going. Ralston acknowledged it was a huge mistake. "I surely could have called someone else, my roommates, my parents, at that point to let them know where I was going. To me, it was the same decision a lot of us make about going to the grocery store around the corner to get a gallon of milk. -----------How are you felling about "doind of Mr.Ralston"???(P/S)I have short-off,"9/21-9/24"S'il vous plait ----------
2004年09月21日
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朝回日日典春衣毎到江頭尽酔帰 酒債尋常行処有人生七十"古来稀" --------------朝は回り日日春衣を典ず江頭に到る毎酔尽して帰る 酒債尋常行く処常に有り 人生七十"古来稀なり"------------------------"古稀"の賀の風習は杜甫の"曲江"の中にある「人生七十古来稀」の句に由来する。------------------------"杜甫"は唐代随一の詩人(712~770)です。中国最高の詩人としての認識は今日の中国でもゆるがず、詩聖とよばれ尊敬されています。"国やぶれて山河あり"「國破山河在、城春草木深」などの詩は松尾芭蕉の「奥の細道」にも引用されています。---------------------------------------------1689年5月12日(陽暦6月28日)---------------------------------十二日、平泉と心ざし、あねはの松・緒だえの橋など聞伝へて、人跡稀に雉兎蒭蕘の往かふ道そこともわかず、終に路ふみたがへて、石の巻といふ湊に出。「こがね花咲」とよみて奉たる金花山、海上に見わたし、数百の廻船入江につどひ、人家地をあらそひて、竈の煙立つヾけたり。思ひかけず斯る所にも来れる哉と、宿からんとすれど、更に宿かす人なし。漸まどしき小家に一夜をあかして、明くれば又しらぬ道まよひ行。袖のわたり・尾ぶちの牧・まのゝ萱はらなどよそめにみて、遥なる堤を行。心細き長沼にそふて、戸伊摩と云所に一宿して平泉に到る。其間廿余里ほどゝおぼゆ。-------------------------"雉兎蒭蕘"の往かふ道「ちとすうじょう」と読む。雉・兎・猟師・樵しか歩かない道、獣道の意。-----------------------------三代の栄耀一睡の中にして、大門の跡は一里こなたに有。秀衡が跡は田野に成て、金鶏山のみ形を残す。先"高館"にのぼれば、北上川南部より流るゝ大河也。"衣川"は"和泉が城"をめぐりて、高館の下にて大河に落入。-------------------------------------------------"高館"「たかだち」義経の館の名前。"衣川"「ころもがわ」平泉の東側から北上川に流入する川。"和泉が城"「いずみがじょう」秀衡の三男和泉の三郎の居城-------------------------------------------------泰衡等が旧跡は、衣が関を隔て、南部口をさし堅め、夷をふせぐとみえたり。偖(さて)も義臣すぐって此城にこもり、功名一時の叢となる。----------------------------------------------------------------------------------------------「国破れて山河あり、城春にして草青みたり」と、笠打敷て、時のうつるまで泪を落し侍りぬ。夏草や兵どもが夢の跡(なつくさや つわものどもが ゆめのあと)卯の花に兼房みゆる白毛かな 曾良(うのはなに かねふさみゆる しらがかな)-------------------------------------------「卯の花に兼房みゆる白毛かな」:白い卯の花を見ていると、白髪の兼房が槍をふるって戦っている姿が脳裏に浮かんでくることだ。藤原兼房は長保三~延久元(1001-1069)の歌人として名を残す--------------------------------------------------------------------------------------兼て耳驚したる二堂開帳す。経堂は"三将の像"をのこし、光堂は三代の棺を納め、三尊の佛を安置す。"七宝"散りうせて、珠の扉風にやぶれ、金の柱霜雪に朽て、既頽廃空虚の叢と成べきを、四面新に囲て甍を覆て風雨を凌。暫時千歳の記念とはなれり。 五月雨の降のこしてや光堂(さみだれの ふりのこしてや ひかりどう)----------------------------------------なお、この句は、『曾良本おくのほそ道』では、 五月雨や年々降るも五百たび、とある。 ----------------------------------------------------------------------------------"二堂" 経堂と光堂。"三将の像"三将は清衡・基衡・秀衡を指すのだが、経堂には彼らの像はなくて、文殊菩薩・優填王(うでんおう)・善財童子の三体が納められていた。文学的粉飾。"三尊の佛" 阿弥陀三尊像のこと。"七宝"七宝とは、金輪宝・白象宝・紺馬宝・神珠宝・玉女宝・居士宝・主兵宝をさす。 ------------------------------------------------"杜甫"は肺を患い770年、湖南の舟中に病没した。杜甫は自ら詩に「人生七十古来稀」と詠んだ通り「59歳」でこの世を去りました。--------------------------------------------------------------------------"キルケゴール" [Sren Kierkegaard] (1813-1855) デンマークの思想家。ヘーゲルの思弁的体系や教会的キリスト教を鋭く批判し、主体性こそ真理だとして真のキリスト者・単独者への道を追求。現代の実存哲学や弁証法神学に大きな影響を与えました。著書に「不安の概念」「あれかこれか」「死に至る病い」など。"キェルケゴール"とも。-------------『人間とは自己である、自己とは自己自身に関わる一つの関係である』観念論哲学者ゼーレン ケルケゴールの著作"死に至る病"の冒頭の一文です。--------------------------------------------ヘーゲル [Georg Wilhelm Friedrich Hegel] (1770-1831) ドイツ観念論を代表する哲学者。自己を否定・外化した上でその否定をさらに否定して自己に還帰する絶対者の自己展開の過程(弁証法)を構想。論理・自然・精神の三部門からなる体系により近代市民社会の疎外的現実を思弁的に克服しようとした。全体性・普遍性を重視するその傾向は理性の狡智の思想などに現れ、反発も招いたが、青年期の著作には実存主義を先取りする着想もある。著書に「精神現象学」「論理学」「エンチュクロペディー」ほか。-------------------------"弁証法"(べんしょう-ほう)(ギリシヤ) dialektik; (ドイツ) Dialektik(1)古代ギリシャで、対話などを通して事物の真の認識とイデアに到達する、ソクラテス・プラトンにみられる仮説演繹的方法(問答法)をいう。アリストテレスでは、確からしいが真理とはいえない命題を前提とする推理をさし、真なる学問的論証と区別される。(2)カントでは、経験による裏付けのない不確実な推理を意味し、それを純粋理性の誤用に基づく仮象の論理学ととらえる。(3)矛盾を含む否定性に積極的意味を見いだす"ヘーゲル"では、有限なものが自己自身のうちに自己との対立・矛盾を生み出し、それを止揚することで高次なものへ発展する思考および存在を貫く運動の論理をさす。それは思考と存在との根源的な同一性であるイデーの自己展開ととらえられる。ヘーゲル弁証法。(4)マルクス・エンゲルスでは、イデーを展開の主体とするヘーゲル弁証法の観念論を批判し、自然・社会および思惟の一般的運動法則についての科学とした。----------------"止揚"(しよう) (ドイツ) aufhebenヘーゲル弁証法の根本概念。あるものをそのものとしては否定するが、契機として保存し、より高い段階で生かすこと。矛盾する諸要素を、対立と闘争の過程を通じて発展的に統一すること。揚棄。アウフヘーベン。----------------"Aufheben"past tense: hob auf; past participle: aufgehoben; noun: Aufhebung----------------There is no adequate English equivalent to the German word Aufheben. In German it can mean "to pick up", "to raise", "to keep", "to preserve", but also "to end", "to abolish", "to annul". Hegel exploited this duality of meaning to describe the dialectical process whereby a higher form of thought or being supersedes a lower form, while at the same time "preserving" its "moments of truth". The proletariat's revolutionary negation of capitalism, communism, is an instance of this dialectical movement of supersession, as is the theoretical expression of this movement in the method of critique developed by Marx.----------------------The journal Aufheben was first produced in the UK in Autumn 1992. --------------------------------------------"柿の木坂の家"作詞:石本美由起 作曲:船村 徹唄:青木光一1 春には 柿の花が咲き秋には 柿の実が熟(う)れる柿の木坂は 駅まで三里思い出すなァ ふる里のョ乗合バスの 悲しい別~れ2 春には 青いめじろ追い秋には 赤いとんぼとり柿の木坂で 遊んだ昔懐しいなァ しみじみとョこころに返る 幼い夢が3 春くりゃ 偲(しの)ぶ馬の市秋くりゃ 恋し村祭り柿の木坂の あの娘(こ)の家よ逢ってみたいなァ 今も尚ョ機織(はたお)りながら 暮していてか----------------------------------昭和32年(1957)、ふるさと演歌の代表曲の1つです。青木光一には、もう1つ、『早く帰ってコ』というふるさと演歌のヒット曲があります。----------------------------"雑木林に月が出た"丘灯至夫(おか・としお)作詞・原六朗作曲-----------------------------♪~♪雑木林に 月が出た月が出たなら そっと来な抜き足差し足 そっと来な耳をすませば 歌ってるおけらにみのむし もぐらの子いもむしねっきり やもりの子それそれ 歌ってるそれそれ 歌ってるいつでもくらがり いくじなしそれでも生きてる 歌ってる歌ってる 歌ってる歌ってる 歌ってるあああ 歌ってるあああ 歌ってる出てみろ出てみろ 出てごらん雑木林に 月が出た雑木林に 月が出た月が出たなら そっと来な抜き足差し足 そっと来な耳をすませば 笑ってるおけらにみのむし もぐらの子いもむしねっきり やもりの子それそれ 笑ってるそれそれ 笑ってるいつでもあくせく いくじなしそれでも生きてる 笑ってる笑ってる 笑ってる笑ってる 笑ってるあはは 笑ってるあはは 笑ってる出てみろ出てみろ 出てごらん雑木林に 月が出た--------------------------------"高校三年生"丘灯至夫 作詞 遠藤実 作曲赤い夕日が 校舎を染めて ニレの木陰に 弾む声ああ 高校三年生 ぼくら 離ればなれになろうともクラス仲間は いつまでも泣いた日もある 恨んだことも 思いだすだろ なつかしくああ 高校三年生 ぼくら フォークダンスの手をとれば甘く匂うよ 黒髪が残り少ない 日数を胸に 夢が羽ばたく 遠い空ああ 高校三年生 ぼくら 道はそれぞれ 別れても越えて歌おう この歌を~------------------------------------------------白いランプの灯る道カチューシャ長崎の雨あこがれの郵便馬車みどりの雨高原列車は行く東京のバスガール山のロザリア高校三年生智恵子抄はやぶさの歌ママとゴーゴーハクション大魔王のうたみなしごハッチカバトットのサンバけろっこデメタン----------------------------------------------- 福島県小野町出身の「丘灯至夫(おかとしお)」先生は半世紀にわたり、歌謡曲等数多くの詩をつくられ、「高校三年生」で日本レコード大賞作詞賞を受賞する等、日本を代表する詩人として活躍し、現在も正しい日本語、美しい日本語の普及に情熱を傾けられています先生の詩の魅力は、なんといってもその明るい作風にあります。母音の配置が丹念に調えられた詩は、一陣の風のごとくさわやかで歌いやすいところが特徴です。 アニメの主題歌であれ、歌謡曲であれ、詩吟であれ、先生はまるで蒸留水を作るように言葉を選び抜いています。-----------------------------------------------今日は「敬老の日」子供たちと同様に、お年よりは「国の宝」です。「お年寄り」を大切にしましょうね!!!
2004年09月20日
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"見果てぬ夢" -----------------------------------------夢は稔り難く (ゆめはみのりがたく)敵は数多なりとも (てきはあまたなりとも)胸に悲しみを秘めて (むねにかなしみをひめて)我は勇みて行かん (われはいさみてゆかん)道は極め難く (みちはきわめがたく)腕は疲れ果つとも (うではつかれはつとも)遠き星をめざして (とおきほしをめざして)我は歩み続けん (われはあゆみつづけん)これこそは我が宿命 (これこそはわがさだめ)汚れ果てし この世から(けがれはてし このよから)正しきを救うために (ただしきをすくうために)如何に望み薄く 遥かなりとも (いかにのぞみうすくはるかなりとも)やがて いつの日か光満ちて (やがていつのひかひかりみちて)永遠の眠りに就く時来らん (とわのねむりにつくとききたらん)たとえ傷つくとも (たとえきずつくとも)力ふり絞りて (ちからふりしぼりて)我は歩み続けん (われはあゆみつづけん)あの星の許へ (あのほしのもとへ)-------------------------------------(福井峻訳「見果てぬ夢」<騎士遍歴の唄>) 映画「ラ・マンチャの男」より -----------------------------------------------"花咲ける騎士道"FANFAN LA TULIPE (2003) ------------------------命を賭けても、助けに行く ------------------------若くしてこの世を去りながら、今なお燦然と輝き続ける大スター、ジェラール・フィリップに捧げ、彼の代表作である名作『花咲ける騎士道』を完全リメイク版です。-----------------------------------------18世紀のフランス。乙女の間を行き来するプレイボーイ"ファンファン"は、娘を傷物にされ逆上した父親に強制的に結婚を迫られる。そんな"ファンファン"に、戯れの占い師、アドリーヌが『王女と結ばれる運命』と吹き込んだ。本気にした"ファンファン"は、結婚を逃れて軍隊へ志願する。早速、前線へと向かう"ファンファン"は、森で盗賊に襲われた女性たちをたったひとりで救出。その女性こそ、ルイ15世の王女だった! 運命を感じる"ファンファン"だが、その頃宮廷には、暗い影が忍び寄っていた。 -----------------------------------------------"騎士道" 中世ヨーロッパの騎士階級の精神的規範。キリスト教および団結精神の影響下に発達、敬神・忠誠・武勇・礼節・名誉、および婦人への奉仕などの徳を理想とした。「―精神」-----------------------------------------------"騎士道物語" 中世ヨーロッパで盛行した、騎士を主人公とする一連の文学作品の総称。武勲詩や恋愛詩を中心とし、主に吟遊詩人たちにより城中や市中で弾き語りされた。アーサー王伝説に題材を求めたものが多い。-----------------------------------楽劇"薔薇の騎士"(der Rosenkavalier)モーツァルトとワーグナーの影響を受けているリヒャルト・シュトラウスの作品です。題材は「フィガロの結婚」を参考にしていると言われています。時代はマリア・テレジア時代のウィーン。作曲されたのは、ハプスブルクの末期です。---------------------------------------Strauss's first successful comic opera begins in the bedroom of the Marschallin of Werdenberg, where the 32-year-old princess has spent a passionate night with 17-year-old Octavian. The marschallin's pleasure is mixed, for she knows that Octavian will soon seek a younger lover. She appoints Octavian to take a silver betrothal rose to a young girl, Sophie, on behalf of her country relative, Baron von Lerchenau, and the two teenagers fall in love. Sophie's angry father orders her to a convent, but Octavian, determined to win her hand, concocts a scheme to discredit the baron. Comic confusion reigns until the marschallin appears and reestablishes order, forgiving Octavian and nobly pushing him into Sophie's arms.---------------------------------------"薔薇"小童は見たり 野中の薔薇 清らに咲ける その色愛でつ 飽かず眺む 紅におう 野中の薔薇(近藤朔風訳)-----------------------ゲ-テの詩をシュ-ベルトが作曲。更に同じ詩をヴェルナ-も作曲しています。---------------------------------------バラは、色彩、香り、花姿、気品と何拍子も揃い、洋の東西を問はず「百花の女王」といわれています。その起源はノバラ。中近東では紀元前4,000年に栽培されており、ギリシャでは紀元前1,500年の宮殿跡の壁画にバラが描かれています。道のべの 字万良の末に はほ豆のからまる君を 離れか行かむ(巻20より)万葉集にみる和歌ですが、宇万良は「野いばら」を指しています。枕草子、源氏物語では「いばら」として登場し、定家の明月記では、中国産の大きな花「長春花」が顔を出します。江戸期には西洋系の品種との交雑種が更に新品種を生み、一季咲、二季咲、四季咲と花季も様々。立性、蔓性、矮性と姿も雑多になった。"夕風や 白薔薇の花 皆動く" (子規) "番傘の 軽さ明るさ 薔薇の雨"(汀子)-------------------------------------"落葉松"(からまつ)北原白秋作詞・井上武士作曲♪~♪からまつの林を過ぎてからまつをしみじみと見きからまつはさびしかりけりたびゆくはさびしかりけりからまつの林を出でてからまつの林に入りぬからまつの林に入りてまた細く道はつづけりからまつの林の奥もわが通る道はありけり霧雨(きりさめ)のかかる道なり山風のかよう道なりからまつの林の道はわれのみか ひともかよいぬほそぼそと通う道なりさびさびといそぐ道なりからまつの林を過ぎてゆえしらず歩みひそめつからまつはさびしかりけりからまつとささやきにけりからまつの林を出でて浅間嶺(あさまね)にけぶり立つ見つ浅間嶺にけぶり立つ見つからまつのまたそのうえにからまつの林の雨はさびしけどいよよしずけしかんこ鳥鳴けるのみなるからまつの濡るるのみなる世の中よ あわれなりけり常なけどうれしかりけり山川に山がわの音からまつにからまつのかぜ---------------------------"唐松/落葉松"(からまつ) マツ科の落葉高木。本州の亜高山帯・高山帯に分布し北海道・長野県などに多く植林される。幹は直立し、樹皮は暗褐色で裂け目ができる。葉は線形で、春の芽出しと秋の黄葉が美しい。雌雄同株で、広卵形の松かさを結ぶ。材は建材・杭(くい)などに使う。富士山に多いのでフジマツともいう。ラクヨウショウ。----------------------------------ライムライト1952年【米】Chaplin's final American film tells the story of a fading music hall comedian's effort to help a despondent ballet dancer learn both to walk and feel confident about life again. The highlight of the film is the classic duet with Chaplin's only real artistic film comedy rival, Buster Keaton.-----------------------------------Summary written by Kenneth Chisholm -----------------------------------------------------"ライムライト"(limelight) 〔ライムは石灰の意〕(1)石灰片を酸水素炎で熱して強い白色光を出す装置。一九世紀後半、西欧の劇場で舞台照明に使われた。(2)名声。評判。---------------------------------------------"チャールズ・チャップリン"(Charles Chaplin) 本名: チャールズ・スペンサー・チャップリン 愛称: チャーリー / シャルロ / リトル・トランプ 職業: 俳優、監督、製作者、脚本家、作曲家、編集者 生年: 1889年4月16日 出身国: イギリス 出身地: ロンドン ウォルワース 没年: 1977年12月25日 代表作: 『キッド』(21)『独裁者』(40)『ライム・ライト』(52) ------------------------------------ 両親はともにミュージックホールのエンターテイナーという家庭に生まれる。彼が2歳の時に両親が離婚。母親に引き取られた彼は5歳で初めて舞台に立つ。極貧生活が続き母は彼が7歳の時に精神異常となり、チャールズと兄シドニーは孤児院送りとなる。8歳の頃にミュージカル劇団に入団し巡業に参加する。17歳でヴォードヴィル劇団フレッド・カルノ一座で本格的な俳優業を始めやがて一座の看板役者となる。その後、巡業先のアメリカでキーストン社のマック・セネットの目に留まり、同社と契約、ハリウッドへ渡る。1914年、チャールズ25歳のとき、「成功争ひ」で最初の映画出演を果たす。この年だけで30本以上の作品に出演した。ほとんどが1巻もののコメディで、早くも後のトレードマークとなるだぶだぶズボンにドタ靴、山高帽、チョビ髭、そしてステッキという姿で登場して人気者となる。その後、エッサネイ社、ミューチュアル社と移籍を重ね、その都度契約金は跳ね上がり、大スターへの階段を一気に駆け上っていった。19年には、ダグラス・フェバンクス、メアリー・ピックフォード、D・W・グリフィスとともにユナイテッド・アーティスツ社を設立する。21年には初の長編作品「キッド」を製作。31年、トーキーの波が押し寄せる中つくられたサイレント作品「街の灯」は、盲目の少女との恋を悲しくも暖かに描き世界中で大ヒットとなる。その後世界一周旅行に出たチャプリンは32年5月に"日本"にも立ち寄り大歓迎を受ける。続く「モダン・タイムス」ではエスカレートする資本主義社会を、「チャップリンの独裁者」ではヒトラーを痛烈に皮肉り、映画史に残る傑作を生み出す。「独裁者」はついにチャプリン初のトーキー映画となった。47年に製作された「チャップリンの殺人狂時代」では連続保険金殺人犯を描きながら戦争による大量殺戮を断罪。「ライムライト」完成後、長い船旅に出たチャップリンだったが、途中で非米活動委員会から召喚状が届いたため、アメリカへ帰国することなくそのままスイスへと移住する。61年には2度目の"日本"来日を果たす。71年になってアメリカでもようやくチャップリン復権の動きが出て、「ライムライト」が改めて正式にアメリカで公開された。翌72年にはアカデミー音楽賞と特別賞贈呈のためニューヨークとハリウッドに招かれ、アメリカとの和解が実現した。1977年のクリスマスの日、スイスの地で永眠。享年88歳。 --------------------------------------------------- "夢の中へ"井上陽水 作詞/作曲♪~♪探しものは何ですか見つけにくいものですかカバンの中もつくえの中も探したけれど見つからないのにまだまだ探す気ですかそれより僕と踊りませんか夢の中へ 夢の中へ行ってみたいと思いませんかウーウー ウーウーウーウー サア休む事も許されず笑う事は止められてはいつくばって はいつくばっていったい何を探しているのか探すのをやめた時見つかる事もよくある話で踊りましょう 夢の中へ行ってみたいと思いませんかウーウー ウーウーウーウー サア探しものは何ですかまだまだ探す気ですか夢の中へ 夢の中へ行ってみたいと思いませんかウーウー ウーウーウーウー サアウーウー ウーウーウーウー サア-------------------------------------Uu Uu Uu~ 秋の"夜長"(よなが)"Why don't you go to the movies"????
2004年09月19日
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"秘すれば花なり 秘せずは花なるべからず"------------------------------------ これは"世阿弥"の書き残した『風姿花伝』の中の、よく知られた一節です。------------------------------------「花」という言葉について、------------------------「花と面白きと珍しきと、これ三つは同じ心なり」人が舞台で発見する「珍しさ」、この感動が花であり「面白さ」である。つまり、「花」と「珍しさ」と「面白さ」、この三つは全く同じものであると言っています。そして、このように続きます。-----------------------ただ珍しさが"花"ぞと皆人知るならば、さては珍しきことあるべしと思ひ設けたらん見物衆の前にては、たとひ珍しきことをするとも、見手の心に珍しき感はあるべからず。見る人のため"花"ぞとも知らでこそ、為手の"花"にはなるべけれ。されば見る人は、ただ思ひのほかに面白き上手とばかり見て、これは"花"ぞとも知らぬが、為手の"花"なり。さるほどに人の心に思ひも寄らぬ感を催す手だて、これ"花"なり。------------------"花"はどこへ行った"Where have all the flowers gone" 【作詞・作曲】ピート・シーガー(Peter Seeger)【訳詞】おおたたかし【補作】安井 かずみ--------------------♪・♪・♪・♪Where have all the flowers gone?Long time passing.Where have all the flowers gone?Long time ago.Where have all the flowers gone?The girls have picked them ev'ry one.Oh, when will you ever learn?Oh, when will you ever learn? Where have all the young girls gone?Long time passing.Where have all the young girls gone?Long time ago.Where have all the young girls gone?They've taken husbands, every one.Oh, when will you ever learn?Oh, when will you ever learn? Where have all the young men gone?Long time passing.Where have all the young men gone?Long time ago.Where have all the young men gone?They're all in uniform.Oh, when will you ever learn?Oh, when will you ever learn? Where have all the soldiers gone?Long time passing.Where have all the soldiers gone?Long time ago.Where have all the soldiers gone?They've gone to graveyards, every one.Oh, when will they ever learn?Oh, when will they ever learn? Where have all the graveyards gone?Long time passing.Where have all the graveyards gone?Long time ago.Where have all the graveyards gone?They're covered with flowers, every one.Oh, when will they ever learn?Oh, when will they ever learn? Where have all the flowers gone?Long time passing.Where have all the flowers gone?Long time ago.Where have all the flowers gone?Young girls picked them, every one.Oh, when will they ever learn?Oh, when will they ever learn?-------------------------------1.野に咲く花は どこへゆく野に咲く花は きよらか 野に咲く花は 少女の胸にそっとやさしく いだかれる2.かわいい少女は どこへゆくかわいい少女は ほほえむ かわいい少女は 若者の胸に恋の心 あずけるのさ3.その若者は どこへゆくその若者は いさんでその若者は たたかいにゆく力強く 別れを告げ4.戦い終わり どこへゆく戦い終わり しずかに 戦い終わり 土にねむるやすらかなる ねむりにつく5.戦士のねむる その土に野バラがそっと 咲いていた 野バラはいつか 少女の胸にそっとやさしく いだかれる----------------------------1955年、アメリカのフォークシンガー、ピート・シーガーによって作られた歌です。キングストントリオ、ジョーン・バエズ、ピーター、ポール&マリー、女優マレーネ・ディートリッヒらによって歌われ、60~70年代を通じてベトナム戦争に対する反戦メッセージソングとして世界中に広まりました。その後も、何処かで戦争の火の手が上がる度、静かに思い出される永遠のメッセージソングです。---------------------------------【奥義抄】 (おうぎしょう・あうぎせう)歌学書。三巻。藤原清輔著。天治(1124-1126)~天養(1144-1145)の間に成立。序と、式(上巻)・釈(中・下巻)からなる。式部は"歌病"・歌体などの解説、釈部は古歌から後拾遺和歌集に至る和歌の難語の注釈を行う。"五家髄脳"の一。-----------------"歌病"(うたのやまい・かびょう)平安時代、和歌の修辞的欠陥を称した語-----------------"五家髄脳"(ごかずいのう)【歌学書】新撰髄脳(藤原公任)歌枕(能因法師)俊頼髄脳(源俊頼)綺語抄(藤原仲実)奥儀抄(藤原清輔)-----------------【湯殿の長兵衛】(ゆどののちょうべえ・ちやうべゑ) 歌舞伎「極付(きわめつき)幡随長兵衛」の通称。世話物。河竹黙阿弥作。1881年(明治14)東京春木座初演。水野十郎左衛門と幡随院長兵衛が対立し、水野邸へ単身乗り込んだ長兵衛が湯殿で殺されるまでを描く。------------------------------【湯殿】(ゆどの) (1)入浴するためにこしらえた部屋。風呂場。浴室。(2)入浴すること。「御―、春宮の若宮の御迎湯に参り給ひし/宇津保(蔵開上)」(3)入浴に奉仕する役。「御―は宰相の君/紫式部日記」(4)貴族の邸宅で、湯などをわかし食膳などの器具を置く所。「雉・松茸などは、御―の上にかかりたるも苦しからず/徒然 118」-----------------------------"白骨温泉"(長野) -----------------------神秘的な乳白色の湯に魅せられる山峡の秘湯です。 白骨温泉のはじまりは、大桶銀山の採掘工たちが傷ついた身体をこの湯で癒したことによる。江戸時代には湯屋ができていたが、一躍有名になったのは中里介山の『大菩薩峠』。小説中の名称がそのまま一般に使われるようになった。それまでは、白船の湯と呼ばれていた。「3日入れば3年風邪をひかない」といわれる湯は、単純硫化水素泉。湧出時は無色透明だが空気に触れると白くにごり、その色は天候や気温の違いによって変化するという。標高約1500m、乗鞍岳の中腹に湧く深い緑に囲まれた山峡の温泉は隠された秘湯のイメージが---。近年、周辺道路が整備され交通の便がよくなった。温泉街のほぼ中央には白骨温泉公共野天風呂もある。 ---------------------------------名称 "白骨温泉"(シラボネオンセン) 泉質 単純硫化水素泉 効能 神経痛 筋肉痛 関節痛 胃腸病 美肌 皮膚病アトピーアレルギー疾患 ------------------------------------------------ "大菩薩峠"著者:中里介山(1885-1944・昭和19年没)本名:中里弥之助、東京都羽村市に記念館がある。------------------------------------------------大菩薩峠(だいぼさつとうげ)は、中里介山作の長編時代小説。1913年~1944年に都新聞・毎日新聞・読売新聞などに連載された41巻にのぼる未完の一大巨編。幕末の虚無にとりつかれた剣客浪士机竜之助を主人公とし、甲州大菩薩峠に始まる彼の旅の遍歴と周囲の人々のさまざまな生き様を描く。連載は約30年にわたり、話は幕末から明治に入らずに架空の世界へと迷い込み、作者の死とともに未完に終わった。作者は「大乗小説」と呼び、仏教思想に基づいて人間の業を描こうとした。世界最長といわれる時代小説で、大衆小説の先駆けとされる不朽の傑作です。---------------主な登場人物"机竜之助" - 武州沢井村出身の浪士。「音無しの構え」で知られる名うての剣客。 "お松" - 大菩薩峠で竜之助に祖父を殺された娘。七兵衛に助けられる。 "裏宿の七兵衛" - 大菩薩峠以来、お松を助け育てる男。実は盗賊。 "お浜" - 甲州八幡村出身で、文之丞の内縁の妻。竜之助に夫を殺されるが、出奔してその妻となり、郁太郎をもうける。 "与八" - 青梅万年橋の水車番。竜之助の父に養育される。 "宇津木文之丞" - 甲源一刀流の師範。御岳神社の奉納試合で竜之助に打ち殺される。 "宇津木兵馬" - 机竜之助に兄・文之丞を殺され、仇と狙って旅を続ける若者。島田虎之助に師事。 "道庵先生" - 町医者。 "郁太郎" - 竜之助がお浜に産ませた子。お浜の死後は、与八に育てられる。 "神尾主膳" - 三千石の旗本。甲府勤番支配の旗本。 "お絹" - 旗本神尾家の先代の愛妾。お松を神尾邸に斡旋する。 -------------------------------------------------(あらすじ)"甲源一刀流"の巻 - 時は幕末(安政五年)、江戸から西に三十里離れた甲州裏街道(青梅街道)の大菩薩峠で、一人の老巡礼が武士机竜之助に意味もなく斬殺される。老巡礼の孫娘お松は、通りがかった盗賊裏宿の七兵衛に助けられ、養育される。竜之助は、峠のふもとの武州沢井村の沢井道場の若師範であった。甲源一刀流の師範宇津木文之丞は御岳神社の奉納試合で竜之助と立ち会うことになっていたが、その内縁の妻お浜は妹と偽って竜之助を訪ね、試合に負けてくれと懇願する。竜之助は拒絶し、与八にかどわかさせて、お浜の操を犯してしまう。 "鈴鹿山"の巻 "壬生と島原"の巻 "三輪の神杉"の巻 ------------------------------------------------"いい湯だな"(昭和42年)唄 ザ・ドリフターズ ♪~~♪バ バン バ バンバンバン(ア ビ バ ノン ノン)バ バン バ バンバンバン(ア ビバ ビバ ビバ)バ バン バ バンバンバン(ア ビ バ ノン ノン)バ バン バ バンバンバン(ハーア ビ バ ノンノン)いい湯だな(ア ハハン)いい湯だな(ア ハハン)湯気が天井から ポタリと背中につめてぇな(ア ハハン)つめてぇな(ア ハハン)ここは北国 登別の湯バ バン バ バンバンバン(ア ビ バ ノン ノン)バ バン バ バンバンバン(ア ビバ ビバ ビバ)バ バン バ バンバンバン(ア ビ バ ノン ノン)バ バン バ バンバンバン(ハーア ビ バ ノンノン)いい湯だな(ア ハハン)いい湯だな(ア ハハン)誰が唄うか 八木節がいいもんだ(ア ハハン)いいもんだ(ア ハハン)ここは上州 草津の湯バ バン バ バンバンバン(ア ビ バ ノン ノン)バ バン バ バンバンバン(ア ビバ ビバ ビバ)バ バン バ バンバンバン(ア ビ バ ノン ノン)バ バン バ バンバンバン(ハーア ビ バ ノンノン)いい湯だな(ア ハハン)いい湯だな(ア ハハン)湯気にかすんだ 白い人影あの娘かな(ア ハハン)あの娘かな(ア ハハン)ここは紀州の 白浜の湯バ バン バ バンバンバン(ア ビ バ ノン ノン)バ バン バ バンバンバン(ア ビバ ビバ ビバ)バ バン バ バンバンバン(ア ビ バ ノン ノン)バ バン バ バンバンバン(ハーア ビ バ ノンノン)いい湯だな(ア ハハン)いい湯だな(ア ハハン)日本人なら 浪花節でもうなろかな(ア ハハン)うなろかな(ア ハハン)ここは南国 別府の湯バ バン バ バンバンバン(ア ビ バ ノン ノン)バ バン バ バンバンバン(ア ビバ ビバ ビバ)バ バン バ バンバンバン(ア ビ バ ノン ノン)バ バン バ バンバンバン(ハーア ビ バ ノンノン) --------------------------------ふうっ一風呂 浴びてきま~す!!!!*~笑"*
2004年09月18日
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"夜、星を見ておくれよ、僕の住んでいる星は小さいから何処にあるか言えないけれど、その方がいいんだ。そうすればすべての星をみつめるだろう、そしてそれらすべての星と友達になれる" --------------------------------------- "And when your sorrow is comforted (time soothes all sorrow) you will be content that you have known me. You will always be my friend. You will want to laugh with me. And you will sometimes open your window,so, for that pleasure… And your friends will be properly astonished to see you laughing as you look up at the sky!" 「第三十二話」 by "Le petite prince"--------------------------------------------------- "星に祈りを"佐々木 勉 作詞/作曲♪~♪夜空の星に 祈りをささぐその娘(こ)のやさしい 瞳のなかによろこびの涙が あふれていたうまれてはじめて 知った恋を求めて離さず ここまできた遠くつらかった 二人の道よここは僕等の パラダイス愛しあう二人の いこいの園涙をふいて 笑顔をみせてあすの明るい 陽ざしをあびよう若い二人の行くてには今日にもまさるよろこびがある~--------------------------------"sor・row" 悲しみ(の種)(at, for, over); 後悔; 遺憾; 不幸."drown one's sorrows" (in drink) (酒に)悲しみを紛らす. more in sorrow than in anger 怒ってというよりはむしろ悲しい気持ちで. ---------------------------------------Jesus:"Man of Sorrows" by Tami RudkinHe was despised and rejected by men, a man of sorrows, and familiar with suffering (Isaiah 53:3, NIV)."You don't know how I feel!" Becky screamed. Her shoulders sagged and her once-silent tears became mournful sobbing.She was right: I couldn't relate.Her pain was too deep. The expression etched on her face spoke of her unbearable sorrow. My heart ached for her and her family, but my sympathy was limited. I had never experienced that kind of suffering.You've heard those words before from a friend, a child, a victim. There have been rejection, abuse, murder, rape, and unfaithfulness. Sure, at times we could have responded in the affirmative, but for the most part we have not lived through their private hell. We try to feel their hurt, to see with their eyes. We hold them in arms willing to love, but somehow their heartache grows stronger."Balm for the heart"Is there no balm for that wounded heart, that soul so discouraged? Who can apply such an anointing of healing when no one understands that personal pain?Who can look into the hollow eyes of one withdrawn from life because of disappointment, disdain, and disillusionment?Who has taken a beating at the hands of society's most powerful leaders?Who has felt the loneliness of family denial?Who has endured the abandonment of those professing forever friendship?There is only One who can apply the salve of healing. He is the mighty, once humbled. He is the crowned, once dethroned. He is the whole, once broken. He is the holy, once human. He is the perfect, once charged with guilt. He is the loving, once scorned. He is the healthy, once nail-scarred. He is the living, once murdered.Jesus, a Man of sorrows."Healing process"His now peaceful eyes tear at the horror He has seen. His side bears the brand of ignorance acted out in hatred's drama. Tiny scars are on His forehead -- a permanent crown to remember their cruelty. Previously blood-caked welts on His back are only reddish, raised flesh -- a reminder that even friends can betray.In His hands, pierced by rusty Roman nails, He takes your beaten heart. The healing begins.By His side, gouged with an executioner's sword, He comforts your ravaged mind. The healing continues.On His throne, formerly empty, He holds your spirit tenderly. Your healing is complete.Jesus has experienced all pain and mistreatment so that He may empathize with His brothers, teach us of forgiveness, and ultimately forge the way to the pure healing of life's painful circumstances.It is He, Jesus, Man of sorrows, who has wept a bitter tear to cleanse your soul.---------------------------------------------"Tami Rudkin" is a Christian writer living in Casper, WY.---------------------------------------------"最後の晩餐"(さいご-のばんさん)イエスが十字架につけられる前夜、十二弟子とともにした最後の食事。教会の聖餐式はこれに由来する。この場で、ユダの裏切りを指摘。宗教画などの題材に好んで描かれる。特に、ミラノのサンタ-マリア-デッレ-グラツィエ修道院食堂のレオナルド=ダ=ビンチが描いた壁画が有名。主の晩餐。---------------------------------------------"帷幄" (ゐあく) (1)垂れ幕(帷)と引き幕(幄)。幕。(2)〔陣営に幕をめぐらしたことから〕作戦をねる場所。大将の陣営。「―の臣」「策(はかりごと)を―の中に運(めぐら)し/太平記 3」――に参・ずる 軍事上の機密の相談に加わる。------------------------------"帷幄上奏"(ゐあく-じやうそう) 明治憲法下で、陸軍の参謀総長、海軍の軍令部総長などが、内閣から独立して軍機・軍令に関する事項を天皇に直接上奏したこと。軍部の政治介入の要因となった。------------------------------------"私は泣いています" リリー作詞作曲 リリー唄----------------------私は泣いていますベッドの上で私は泣いていますベッドの上であなたに会えて幸せだった昼も夜も帰らないあなたがいたからどんなことでもなりふりかまわずあるいてきたの私は泣いていますベッドの上で私は泣いていますベッドの上であなたにとって愛のくらしはとてもいやなことばかりあなたに言われて気づいたこともそんなところはなおしてみます私は泣いていますベッドの上で私は泣いていますベッドの上であなたは言うのもう終りだとまさかそれはうそでしょうあなたの言葉が私のまわりで嵐のようにうずまいているの---------------------------私は泣いていますベッドの上で私は泣いていますベッドの上であなたの幸せ願っているわ私だけはいつまでもあなたの幸せ願っているわ私だけはいつまでも------------------------------------------------------"星は何でも知っている"水島 哲 作詞 津々美 洋 作曲♪~♪星は何でも 知っているゆうべあの娘が 泣いたのもかわいいあの娘の つぶらなその目に光る 露のあと生まれて初めての 甘いキッスに胸がふるえて 泣いたのを"あの娘を泣かせたのはおいらなんだ。だってさ、とってもかわいくってさ、キツスしないでいられなかったんだ。でもお星さまだって知っているんだ。あの娘だって悲しくて泣いたんじゃない。きっときっと、うれしかったんだよ"♪~♪星は何でも 知っている今夜あの娘の 見る夢もやさしいナイトが あらわれて二人でかける 雲の上木ぼりの人形 にぎってねむる若いあの娘の 見る夢を------------------------------------昭和33年、平尾昌章が歌って大ヒットしました。この年は、岩戸景気と呼ばれるものが始まった年です。物価はこんな値段でした。封書10円 はがき5円 バス15円 ふろ代16円 理髪料金150円 大卒の初任給1万3467円その頃の平均寿命は男性65歳、女性69.6歳現在に比べてかなり短い"時代"でした。------------------------------------"時代"中島みゆき 作詞/作曲---------------------今はこんなに悲しくて涙も枯れはてて もう二度と笑顔にはなれそうもないけどそんな"時代"もあったねといつか話せる日が来るわあんな"時代"もあったねときっと笑って話せるわだから今日はくよくよしないで今日の風に吹かれましょうまわるまわるよ "時代"はまわる喜び悲しみくり返し今日は別れた恋人たちも生まれかわってめぐりあうよ旅を続ける人々はいつか故郷に出会う日をたとえ今夜は倒れてもきっと信じてドアを出るたとえ今日は果てしもなく冷たい雨が降っていてもめぐるめぐるよ "時代"はめぐる別れと出会いをくり返し今日は倒れた旅人たちも生まれかわって歩き出すよまわるまわるよ "時代"はまわる別れと出会いをくり返し今日は倒れた旅人たちも生まれかわって歩き出すよ今日は倒れた旅人たち~も生まれかわって歩き出~すよ----------------------------------------------------"星のフラメンコ"作詞作曲浜口庫之助 歌唱西郷輝彦♪~♪好きなんだけど 離れてるのさ遠くで星を みるように好きなんだけど だまってるのさ大事な宝 かくすように君は僕の心の星 君は僕の宝こわしたくないなくしたくない だから好きなんだけど 離れてるのさ好きなんだけど だまってるのさ♪~♪ とどかぬ星を 恋した僕の心をうたう 星のフラメンコ輝け星よ 君の夜空で歌えよ涙 僕の心で君は僕の心の星 君は僕の宝こわしたくないなくしたくない だから歌うよせめて 心の歌をひびけ夜空に 星のフラメンコ星のフ・ラ・メ・ン・コ~---------------------------1966(昭和41)年7月に発売された「星のフラメンコ」は、前年の10月にリリースされた「星娘」に続く“星シリーズ”の第2弾。第1弾と同様、歌作りの天才職人だった浜口庫之助の作品であり、先生はこの曲で第8回日本レコード大賞作曲賞を受賞されています。また、西郷輝彦自身にとっても、最大のヒット曲であり、歌手・西郷輝彦の代表作と言える曲です。同名タイトルで映画化され、西郷自身や松原千恵子が出演しています。 星シリーズ作品は、浜口先生の作品だけあって、当時の歌謡曲としてはとってもオシャレでした。エイトビートを刻むドラムパートから入るイントロ部分は「ほっしむっすめぇ、イェイェイー」の2回繰返し、「ほっしむっすめっ」で一旦ブレーク、「イェイ、イェイ、イェイ、ホホホホー、ホホホホー」とカッコヨク決めて歌に入り、エンディングではメジャーナインスなどというコードも使われています。「星のフラメンコ」は、そのタイトル通り、フラメンコ・テイストをベースにした曲です。イントロ部分でのトランペットの泣きと、1小節目と3小節目の後半に重なるオーケストラの三連符が印象的です。決めは、エンディングの「ほ~し~の~フ~ラ~メ~~~ンコ」です。-------------------------------------------"Today""Friday the seven-teenth"-----------Let's singing & dansing, "flamenco""フラメンコ~・オレッ"!!!
2004年09月17日
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大和は国のまほろばたたなづく青垣山隠れる大和し美し---------------------------飛鳥の石舞台古墳に匹敵する石室が見つかった條ウル神古墳から東に、"日本武尊"白鳥陵は村の中にある。土地の人に聞かないとどこから入っていけるのか判りにくい。「草薙の剣」で有名なヤマトタケルの尊(みこと)は古事記には「倭建命」、日本書紀では「日本武尊」と表記されており、第12代景行天皇の子とされる。能褒野(のぼの:三重県亀山市)で亡くなった時、「大和は国のまほろばたたなづく青垣山隠れる大和し美し」と歌い、故郷へ還りたいと望んで、白鳥になってそれを果たしたので陵を白鳥陵と称した。陵は能褒野、大和の琴弾原(ことひきはら)、河内の旧市邑(ふるいちむら・羽曳野市)の三ヵ所にあります。--------------------------------------- "I really don't want to know"(知りたくないの)♪How many arms have held youAnd hated to let you goHow many, how many, I wonderBut I really don't want knowHow many lips have kissed youAnd set your soul aglowHow many, how many,I wonderBut I really don't want to knowSo always make me wonderAlways make me guessAnd even if I ask youDarling don't confessJust let it remain your secretBut, darling, I love you soNo wonder, no wonder I wonderThough I really don't want to know------------------------------------1953年にハワード・バーンズが作詞し、ドン・ロバートソンが作曲したワルツ調の歌です。カントリーの黄金時代のハンク・ウイリアムズと共にカントリー・バラードの代表歌手エディ・アーノルドの歌で1954年にカントリーのチャート一位のヒットとなりました。日本では最初は「たそがれのワルツ」の題名で菅原洋一が「知りたくないの」の題名でヒットさせ、現在ではそちらの題名で知られています。 ---------------------------------------森鴎外(本名・林太郎)は明治十七年から二十一年まで、足かけ五年にわたってドイツに留学しました。前途有望な官吏、太田豊太郎と踊り子"エリス"との悲恋を描いた『舞姫』は、その留学体験に基づくものとされます。---------------------------------------「舞姫」 by 鴎外--------------------第一回 石炭をば早や積み果てつ。中等室の卓のほとりはいと静にて、熾熱燈の光の晴れがましきも徒なり。今宵は夜毎にここに集ひ来る骨牌仲間も「ホテル」に宿りて、舟に残れるは余一人のみなれば。五年前の事なりしが、平生の望足りて、洋行の官命を蒙り、このセイゴンの港まで来し頃は、目に見るもの、耳に聞くもの、一つとして新ならぬはなく、筆に任せて書き記しつる紀行文日ごとに幾千言をかなしけむ、当時の新聞に載せられて、世の人にもてはやされしかど、今日になりておもへば、穉き思想、身の程知らぬ放言、さらぬも尋常の動植金石、さては風俗抔をさへ珍しげにしるししを、心ある人はいかにか見けむ。こたびは途に上りしとき、日記ものせむとて買ひし冊子もまだ白紙のままなるは、独逸にて物学びせし間に、一種の「ニル、アドミラリイ」の気象をや養ひ得たりけむ、あらず、これには別に故あり。げに東に還る今の我は、西に航せし昔の我ならず、学問こそ猶心に飽き足らぬところも多かれ、浮世のうきふしをも知りたり、人の心の頼みがたきは言ふも更なり、われとわが心さへ変り易きをも悟り得たり。きのふの是はけふの非なるわが瞬間の感触を、筆に写して誰にか見せむ。これや日記の成らぬ縁故なる、あらず、これには別に故あり。嗚呼、ブリンヂイシイの港を出でてより、早や二十日あまりを経ぬ。(中略)-----------------------第ニ回~第十ニ回 (略) -----------------------第十三回 四階の屋根裏には、エリスはまだ寝ねずと覚ぼしく、烱然たる一星の火、暗き空にすかせば、明かに見ゆるが、降りしきる鷺の如き雪片に、乍ち掩はれ、乍ちまた顕れて、風に弄ばるるに似たり。戸口に入りしより疲を覚えて、身の節の痛み堪へ難ければ、這ふ如くに梯を登りつ。庖厨を過ぎ、室の戸を開きて入りしに、机に倚りて襁褓にひたりしエリスは振り返へりて、「あ」と叫びぬ。「いかにかし玉ひし。おん身の姿は。」驚きしも宜なりけり、蒼然として死人に等しき我面色、帽をばいつの間にか失ひ、髪は蓬ろと乱れて、幾度か道にて跌き倒れしことなれば、衣は泥まじりの雪によごれ、処々は裂けたれば。余は答へんとすれど声出でず、膝の頻りに戦かれて立つに堪へねば、椅子を握まんとせしまでは覚えしが、その儘に地に倒れぬ。人事を知る程になりしは数週の後なりき。熱劇しくて譫語のみ言ひしを、エリスが慇にみとる程に、或日相沢は尋ね来て、余がかれに隠したる顛末を審らに知りて、大臣には病の事のみ告げ、よきやうに繕ひ置きしなり。余は始めて病牀に侍するエリスを見て、その変りたる姿に驚きぬ。彼はこの数週の内にいたく痩せて、血走りし目は窪み、灰色の頬は落ちたり。相沢の助にて日々の生計には窮せざりしが、此恩人は彼を精神的に殺ししなり。後に聞けば彼は相沢に逢ひしとき、余が相沢に与へし約束を聞き、またかの夕べ大臣に聞え上げし一諾を知り、俄に座より躍り上がり、面色さながら土の如く、「我豊太郎ぬし、かくまでに我をば欺き玉ひしか」と叫び、その場に僵れぬ。相沢は母を呼びて共に扶けて床に臥させしに、暫くして醒めしときは、目は直視したるままにて傍の人をも見知らず、我名を呼びていたく罵り、髪をむしり、蒲団を噛みなどし、また遽に心づきたる様にて物を探り討めたり。母の取りて与ふるものをば悉く抛ちしが、机の上なりし襁褓を与へたるとき、探りみて顔に押しあて、涙を流して泣きぬ。これよりは騒ぐことはなけれど、精神の作用は殆全く廃して、その痴なること赤児の如くなり。医に見せしに、過劇なる心労にて急に起りし「パラノイア」といふ病なれば、治癒の見込なしといふ。以下(略)-----------------------"国栖/国樔/国巣"(くず) (1)記紀で、大和国吉野川上流の山地に住んだとされている部族。また、その村落があった地名。奈良・平安時代、朝廷の節会などに参賀して歌笛を奏したりした。くずびと。くにす。(2)能の一。五番目物。大友皇子に追われて吉野の国栖に乱を避けた大海人皇子(おおあまのおうじ)が蔵王権現の化身である老人の助けで追っ手の難を逃れる。----------------------------"クズ"(まめ科)方言・くぞ クズの根は澱粉を多く含み、葛粉として古来から珍重されていました。そのツルは籠の材料として用いられてきました。また、赤紫色の花を咲かせ、「秋の七草」の一つとして愛でられてきました。古名はクズカヅラだったといわれています。それがクズという呼び名になったのは、大和国吉野の国栖(クズ)地方から、葛粉が多く産出されたからといわれています。この説は、大槻家の文彦博士の辞書『言海』で説明されて以来支持され、中村浩著『植物名の由来』(東京書籍)でも、以下のように説明されています。「常陸国にも“国巣クズ”というところががあり(中略)常陸国は、特に葛粉の産地として知られていたことはないので、この国巣は植物のクズとは全く関係がない」そして、「植物名のクズは、大和の国吉野郡国栖の地名にもとづく呼び名である」と断定しています。 漢字表記はさまざまでも、これらのクズ地名は、動詞クヅレル(崩、頽)の語幹で、崩れやすい地形に付けられたといわれています。(東京堂出版「地名用語語源辞典」参照)---------------------------------------------------"思川、泪橋"現明治通り("思川"が流れていた)と吉野通りの交叉する処に架かっていた泪橋。江戸時代には刑場に引き立てられる囚人のこの世とあの世との別れの橋であった。 その昔、思川(おもいがわ)は、泪橋(なみだばし)という橋の下を流れていた。いまは、地底に消えている。ただ、泪橋という名だけを残し、東京都台東区と荒川区を二分する地点となっている。この泪橋の名の由来は、現在の小塚原回向院のあたりが小塚原刑場であったところから、刑場にひかれていき処刑を受ける囚人たちが、この橋を渡りながら、この世との別れに涙し、また身内たちも悲しんで涙を流したところから泪橋といったという。これは俗説のようである。明治通りと奥州街道の交差する地点に泪橋跡がある。今は、交差点やバス停留所にその名をとどめているにすぎず、橋の面影はなにもない。文明十八(1488)年、東国に来遊した道興が著した「回国雑記」に、地形的には、泪橋のしたを流れていた川と思われる名前が、歌によまれている。「浅茅が原といえる所にてうき旅の道にながるる思川 涙の袖や水のみかな 斯くて隅田川のほとりに到りて...」室町時代に流れていた思川は、後に、一時駒洗川とも呼ばれた。「武蔵通誌」によれば、思川の流れる方向は、現在の東京都荒川区南千住にある浄閑寺(投げ込み寺)の南で石神井川と分かれ、畑の中を東流して隅田川に合流している。思川の名の由来を知る由もない。しかし、思川にかかった泪橋とは、なにか因縁を感じさせるものがある。『宮下忠子「思川 」』より---------------------------------------------"刑場移転の経緯"お仕置場はもともとは日本橋本町にあったもので、家康の江戸入府後、鳥越神社そばの須賀橋(天王寺橋、地獄橋とも呼ばれた)付近に移された。さらに正保2年(1645)家光の時、幕府の矢の倉普請の為、鳥越から替地として聖天町の空き地に移された。刑場の移動は常に死体を処理する人たちの移動をともなっている。弾左衛門の住居も日本橋本町から鳥越に移り、刑場が鳥越から聖天町に移動すると、鳥越の代替地、新鳥越(山谷堀の北、旧吉野町)に移った。今戸八幡の裏手の広い土地が俗に新町と呼ばれた。浅草新鳥越町は北に長く四丁目まであって、その北が山谷であり、はずれに泪橋があった。泪橋を超えると小塚原の刑場であり、処刑される者との別れの橋であり、また江戸の境界として千住宿への旅の一歩を踏み出す(江戸処払いはここから外へ追い払うのである)分かれの橋なのであった。千住小塚原に刑場が移った時期は明確ではないが、元禄年間(1688~1703)には聖天町から移転して来たと思われる。 -------------------------------"小塚原刑場と首切り地蔵"江戸の近傍で磔(はりつけ)、獄門、火罪、斬罪などを行う場所として、品川、板橋と浅草が仕置場として三壁を為していた。この浅草仕置場は奥州.奥羽街道の小塚原縄手(真直ぐな道を縄手という)の西側にあって、始めは向島回向院の持地であった。間口は六十間余り、奥行きは三十間余の約二千坪ほどであった。明治29年、当時の「日本鉄道会社」が上野ー土浦線を計画して、南千住駅が開通した。この時回向院は東西に分断された。また昭和38年から地下鉄日比谷線が高架でこの傍を走るようになり、首切り地蔵の位置も少し変わった。鉄道工事や道路拡幅工事によって、僅か1メートル半位の地中から樽詰めの頭蓋骨が二百ほども掘り出されて、往時の刑場跡地が露呈することになったという。この地は江戸から明治にかけて、何と二十万人の怨念と血と涙を吸い取った土地なのである。 -------------------------------------幼い子供たちの泣き声が聞こえてきます"Don't so cry, Litle-children"--------(*~+~*)
2004年09月16日
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"実るほど頭(こうべ)を垂れる稲穂かな"The truly excellent person becomes humble as a status and a status become high.---------------------------------"収穫"(a harvest)・~する harvest; gather in; reap.・~が多い[少ない] have a good [poor] crop.・労働の~ 《成果》the fruits of one's labor.・今日は何か~がありましたか "Did you get anything today"?------------------------------"花は遅かった"作詞 星野哲郎 作曲 米山正夫唄 美樹 克彦"こんな悲しい窓の中を雲は知らないんだ""どんなに空が晴れたって それが何になるんだ"!!!"大嫌いだ 白い雲なんて"♪~♪かおるちゃん おそくなってごめんねかおるちゃん おそくなってごめんね花をさがして いたんだよ君が好きだった クロッカスの花を僕はさがして いたんだよかおるちゃん おそくなってごめんねかおるちゃん おそくなってごめんね君の好きな花は 花は 花はおそかったかおるちゃん 君の白いその手にかおるちゃん 君の白いその手に花を抱かせて あげようね君と夢にみた クロッカスの想い出花を抱かせて あげようねかおるちゃん おそくなってごめんねかおるちゃん おそくなってごめんね君の好きな花は 花は 花はおそかった"信じるもんか"!!!! "君がもういないなんて""僕の命を返してくれ 返してくれよ"君の好きな花は 花は 花はおそかった「バカヤロー」!!!!!------------------九州、大分(おおいた)"耶馬溪"に「青の洞門」があります。中国の山水画にも例えられる風光明媚な"耶馬溪"(やばけい)は、その昔,通行には鎖渡(くさりど)と呼ばれる,岩角に板を並べた危険な道を通って、往来する方法しかなかった------ 今から約230年前、越後高田(新潟県)の僧、"禅海"は人々が難渋するのをみかね、くり貫きトンネルを掘り通行の便利に供した。このトンネルの総延長は、およそ340メートルに達する。3人くらいの工夫が並んで掘っていったと推定されている。貫通までに30年の長期を要し、寛延3(1750)年に完成した。大正8(1919)年、当時新進気鋭の文豪、菊池寛はこの”青の洞門”を題材にとり名作「恩讐の彼方に」を,中央公論正月号に発表した。そのテーマたるや、まさに破天荒な物語。禅海(ストーリ―上は了海)和尚が、主殺し、街道の辻強盗、そのあげくが「敵討ち」にあうが、相手が洞門掘りに感服、一緒になって完成させると言うもの。当時の浪曲ブームもあって一大ベストセラーになり、小学校の教科書にも採用されるほどの大人気を博した。 その話は余りの名文に真実味を帯び、人の心をつかみ、まさに事実のごとく今でも語り継がれている。-------------------------"恩讐の彼方に"writen by 菊池寛一市(いち)九郎(ろう)は、主人の切り込んで来る太刀を受け損じて、左の頬から顎へかけて、微傷ではあるが、一太刀受けた。自分の罪を――たとえ向うから挑まれたとはいえ、主人の寵妾と非道な恋をしたという、自分の致命的な罪を、意識している市九郎は、主人の振り上げた太刀を、必至な刑罰として、たとえその切先を避くるに努むるまでも、それに反抗する心持は、少しも持ってはいなかった。彼は、ただこうした自分の迷いから、命を捨てることが、いかにも惜しまれたので、できるだけは逃れてみたいと思っていた。それで、主人から不義をいい立てられて切りつけられた時、あり合せた燭台を、早速の獲物として主人の鋭い太刀先を避けていた。が、五十に近いとはいえ、まだ筋骨のたくましい主人が畳みかけて切り込む太刀を、攻撃に出られない悲しさには、いつとなく受け損じて、最初の一太刀を、左の頬に受けたのである。が、一旦血を見ると市九郎の心は、たちまちに変っていた。彼の分別のあった心は、闘牛者の槍を受けた牡牛のように荒んでしまった。どうせ死ぬのだと思うと、そこに世間もなければ主従もなかった。今までは、主人だと思っていた相手の男が、ただ自分の生命を、脅(おど)そうとしている一個の動物――それも凶悪な動物としか、見えなかった。彼は奮然として、攻撃に転じた。彼は「おうお」と叫(おめ)きながら、持っていた燭台を、相手の面上を目がけて投げ打った。市九郎が、防御のための防御をしているのを見て、気を許してかかっていた主人の三郎兵衛(ろうべえ)は、不意に投げつけられた燭台を受けかねて、その蝋受けの一角がしたたかに彼の右眼を打った。市九郎は、相手のたじろぐ隙に、脇差を抜くより早く飛びかかった。「おのれ、手向いするか!」と、三郎兵衛は激怒した。市九郎は無言で付け入った。主人の三尺に近い太刀と、市九郎の短い脇差とが、二、三度激しく打ち合うた。 主従が必死になって、十数合太刀を合わす間に、主人の太刀先が、二、三度低い天井をかすって、しばしば太刀を操る自由を失おうとした。市九郎はそこへ付け入った。主人は、その不利に気がつくと、自由な戸外へ出ようとして、二、三歩後退(あとずさ)りして縁の外へ出た。その隙に市九郎が、なおも付け入ろうとするのを、主人は「えい」と、苛だって切り下した。が、苛だったあまりその太刀は、縁側と、座敷との間に垂れ下っている鴨居に、不覚にも二、三寸切り込まれた。「しまった」と、三郎兵衛が太刀を引こうとする隙に、市九郎は踏み込んで、主人の脇腹を思うさま横に薙(な)いだのであった。 敵手(あいて)が倒れてしまった瞬間に、市九郎は我にかえった。今まで興奮して朦朧としていた意識が、ようやく落着くと、彼は、自分が主殺しの大罪を犯したことに気がついて、後悔と恐怖とのために、そこにへたばってしまった。 夜は初更を過ぎていた。母屋(おもや)と、仲間部屋とは、遠く隔っているので、主従の恐ろしい格闘は、母屋に住んでいる女中以外、まだだれにも知られなかったらしい。その女中たちは、この激しい格闘に気を失い、一間のうちに集って、ただ身を震わせているだけであった。 市九郎は、深い悔恨にとらわれていた。一個の蕩児であり、無頼の若武士ではあったけれども、まだ悪事と名の付くことは、何もしていなかった。まして八逆の第一なる主殺しの大罪を犯そうとは、彼の思いも付かぬことだった。彼は、血の付いた脇差を取り直した。主人の妾と慇懃を通じて、そのために成敗を受けようとした時、かえってその主人を殺すということは、どう考えても、彼にいいところはなかった。彼は、まだびくびくと動いている主人の死体を尻眼にかけながら、静かに自殺の覚悟を固めていた。するとその時、次の間から、今までの大きい圧迫から逃れ出たような声がした。中略(ニ~四) が、しばらくして実之助の面前へと、洞門から出てきた一人の乞食僧があった。それは、出てくるというよりも、蟇(がま)のごとく這い出てきたという方が、適当であった。それは、人間というよりも、むしろ、人間の残骸というべきであった。肉ことごとく落ちて骨あらわれ、脚の関節以下はところどころただれて、長く正視するに堪えなかった。破れた法衣によって、僧形とは知れるものの、頭髪は長く伸びて皺だらけの額をおおっていた。老僧は、灰色をなした目をしばたたきながら、実之助を見上げて、「老眼衰えはてまして、いずれの方ともわきまえかねまする」と、いった。 (中略) それは、了海が樋田の刳貫に第一の槌を下してから二十一年目、実之助が了海にめぐりあってから一年六カ月を経た、延享(えんきょう)三年"九月十日"の夜であった。この夜も、石工どもはことごとく小屋に退いて、了海と実之助のみ、終日の疲労にめげず懸命に槌を振っていた。その夜九つに近き頃、了海が力を籠めて振り下した槌が、朽木を打つがごとくなんの手答えもなく力余って、槌を持った右の掌が岩に当ったので彼は「あっ」と思わず声を上げた。その時であった。了海の朦朧たる老眼にも、紛(まぎ)れなくその槌に破られたる小さき穴から、月の光に照らされたる山国川の姿が、ありありと映ったのである。了海は「おう」と、全身を震わせるような名状しがたき叫び声を上げたかと思うと、それにつづいて、狂したかと思われるような歓喜の泣笑が、洞窟をものすごく動揺(うご)めかしたのである。「実之助どの。御覧なされい。二十一年の大誓願、端なくも今宵成就いたした」 こういいながら、了海は実之助の手を取って、小さい穴から山国川の流れを見せた。その穴の真下に黒ずんだ土の見えるのは、岸に添う街道に紛れもなかった。敵と敵とは、そこに手を執り合うて、大歓喜の涙にむせんだのである。が、しばらくすると了海は身を退(すさ)って、「いざ、実之助殿、約束の日じゃ。お切りなされい。かかる法悦の真ん中に往生いたすなれば、極楽浄土に生るること、必定疑いなしじゃ。いざお切りなされい。明日ともなれば、石工共が、妨げいたそう、いざお切りなされい」と、彼のしわがれた声が洞窟の夜の空気に響いた。が、実之助は、了海の前に手を拱(こまね)いて座ったまま、涙にむせんでいるばかりであった。心の底から湧き出ずる歓喜に泣く凋(しな)びた老僧を見ていると、彼を敵として殺すことなどは、思い及ばぬことであった。敵を討つなどという心よりも、このかよわい人間の双の腕(かいな)によって成し遂げられた偉業に対する驚異と感激の心とで、胸がいっぱいであった。彼はいざり寄りながら、再び老僧の手をとった。二人はそこにすべてを忘れて、感激の涙にむせび合うたのであった。 *** 完 ***--------------------------「父母が頭(かしら)かき撫(な)で幸(さ)くあれて いひし言葉ぜ忘れかねつる」(丈部稲麿)「防人に発(た)たむ騒きに家の妹(いも)が なるべき事を言はず来ぬかも」(若舎人部広足) ------------------"防人"(さきもり)の歌"防人"は、筑紫(ちくし)・壱岐(いき)・対馬(つしま)などの北九州の防衛にあたった兵士たちのことです。664年に中大兄皇子(なかのおおえのみこ)が"防人"と烽(ほう:烽火(のろし))の制度をおいてからのことです。これは、前年(663年)の朝鮮半島での白村江(はくすきのえ)の戦いに負けたために、防衛のために考えられたようです。 この"防人"たちの歌は『万葉集』の中に多くおさめられています。"防人"となり,家族とはなれて遠く北九州に派遣された人たちの感情が,ふるさとの東国方言で率直にのべられ,特に親子・夫婦の別れの悲しみをうたったものが多い。----------------"収穫の歌"作詞:イサコフスキー 訳詞:関鑑子作曲:ドナエフスキー♪---♪1穂波は揺れるよ 黄金の穂波エイ! 穂波!実りの喜び 畠に満ちていそがしく働く 農夫の胸に豊作の誇り 豊年の喜び黄金! 小麦! 手さばきもかるがるそれ収穫だ 収穫だ 取り入れだ2 朝から日暮れまで 働く我らエイ! 我ら!乙女の笑いは 畠に満ちてたくましく働く 若者の胸に豊年の誇り 豊年の喜び黄金! 小麦! 手さばきもかるがるそれ収穫だ 収穫だ 取り入れだ 3 穂波は揺れるよ 黄金の穂波エイ! 穂波!実りの喜び 畠に満ちていそがしく働く 農夫の胸に豊作の誇り 豊年の喜び黄金! 小麦! 手さばきもかるがるそれ収穫だ 収穫だ 取り入れだ~-----------------------------------------旧ソ連時代の労働歌です。女声合唱で始まり、「いそがしく働く 農夫の胸に」が男声合唱、「豊作の誇り 豊年の喜び」が混声合唱、「黄金! 小麦!」が女声と男声の掛け合い、そのあとは混声合唱になります。-------------------------------------皆の衆!!!!"上げ潮"じゃ、"上げ潮"じゃ-----------
2004年09月15日
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"帯"(堀口大学)白鳥の歌は死ぬ時。花火のひとみは消える時。あなたの"帯"は解ける時。「詩集(ヴェニュス生誕)より」-----------------------------"虫の声"作詞 作曲: 文部省 ♪~♪1.あれ まつ虫が ないているちんちろ ちんちろ ちんちろりんあれ すず虫が なきだしたりんりん りんりん りーんりん秋の夜ながを なきとおすああ おもしろい 虫のこえ2.きりきり きりきり きりぎりすがちゃがちゃ がちゃがちゃ くつわ虫 あとから馬おい おいついて ちょんちょんちょんちょん すいっちょん 秋の夜ながを なきとおすああ おもしろい 虫のこえ-------------------"虫めづる姫君"あるいは、虫愛づる姫君を愛ずる"右馬佐"の物語。蝶めづる姫君の住みたまふかたはらに、按察使の大納言の御むすめ、心にくくなべてならぬさまに、親たちかしづきたまふことかぎ限りなし。 この姫君ののたまふこと、「人々の、花、蝶やとめづるこそ、はかなくあやしけれ。人は、まことあり、本地たづねたるこそ、心ばへをかしけれ」とて、よろづの虫の、恐ろしげなるを取り集めて、「これが、成らむさまを見む」とて、さまざまなる籠箱どもに入れさせたまふ。若き人々はおぢ惑ひければ、男の童の、ものおぢせず、いふかひなきを召し寄せて、箱の虫どもを取らせ、名を問ひ聞き、いま新しきには名をつけて、興じたまふ。「人はすべて、つくろふところあるはわろし」とて、眉さらに抜きたまはず。歯黒め、「さらにうるさし、きたなし」とて、つけたまはず、いと白らかに笑みつつ、この虫どもを、朝夕べに愛したまふ。人々おぢわびて逃ぐれば、その御方は、いとあやしくなむののしりける。かくおづる人をば、「けしからず、ばうぞくなり」とて、いと眉黒にてなむ睨みたまひけるに、いとど心地なむ惑ひける。親たちは、「いとあやしく、さまことにおはするこそ」と思しけれど、「思し取りたることぞあらむや。あやしきことそ。思ひて聞こゆることは、深く、さ、いらへたまへば、いとぞかしこきや」と、これをも、いと恥づかしと思したり。 「さはありとも、音聞きあやしや。人は、みめをかしきことをこそ好むなれ。『むくつけげなる烏毛虫を興ずなる』と、世の人の聞かむもいとあやし」と聞こえたまへば、「苦しからず。よろづのことどもをたづねて、末を見ればこそ、事はゆゑあれ。いとをさなきことなり。烏毛虫の、蝶とはなるなり」そのさまのなり出づるを、取り出でて見せたまへり。(中略) とあるを、何心なく御前に拝て参りて、「袋など。あぐるだにあやしくおもたきかな」とて、ひきあけたれば、蛇、首をもたげたり。人々、心を惑はしてののしるに、君はいとのどかにて、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」とて、「生前の親ならむ。な騒ぎそ」と、うちわななかし、顔、ほかやうに、「なまめかしきうちしも、けちえんに思はむぞ、あやしき心なりや」と、うちつぶやきて、近く引き寄せたまふも、さすがに、恐ろしくおぼえたまひければ、立ちどころ居どころ、蝶のごとく、こゑせみ声に、のたまふ声の、いみじうをかしければ、人々逃げ去りきて、笑ひいれば、しかじかと聞こゆ。 「いとあさましく、むくつけきことをも聞くわざかな。さるもののあるを見る見る、みな立ちぬらむことこそ、あやしきや」とて、大殿、太刀をひきさげて、もて走りたり。よく見たまへば、いみじうよく似せて作りたまへりければ、手に取り持ちて、「いみじう、物よくしける人かな」とて、「かしこがり、ほめたまふと聞きて、したるなめり。返事をして、はやくやりたまひてよ」とて、渡りたまひぬ。 人々、作りたると聞きて、「けしからぬわざしける人かな」と言ひにくみ、「返事せずは、おぼつかなかりなむ」とて、いとこはく、すくよかなる紙に書きたまふ。仮名はまだ書きたまはざりければ、片仮名に、「契りあらばよき極楽にゆきあはむまつはれにくし虫のすがたは 福地の園に」とある。"右馬佐"、見たまひて、「いとめづらかに、さまことなる文かな」と思ひて、「いかで見てしがな」と思ひて、中将と言ひ合せて、あやしき女どもの姿を作りて、按察使の大納言の出でたまくるほどに、おはして、姫君の住みたまふかたの、北面の立蔀のもとにて見たまへば、男の童の、ことなることなき、草木どもにたたずみありきて、さて、言ふやうは、「この木に、すべて、いくらもありくに、いとをかしきものかな」と。以下(略)----------------------------------------------- "堤中納言物語"[つつみちゅうなごんものがたり] 作者 十編の短編のうち『逢坂越えぬ権中納言』の作者は小式部という女房だと判明していますが、他の九編は不明。各短編ごとに作者が異なると考えられます。また十編にまとめた編者も不明。 由来 十編の短編が一包みにされて『包み物語』と呼ばれていたのが、平安時代前期の歌人堤中納言"藤原兼輔"にちなんで命名されたともいわれる。 成立 『逢坂越えぬ権中納言』は1055年の六条斎院物語合に新作として提出されました。他の九編は『よしなしごと』を鎌倉時代の作とする以外、すべて平安時代末期までに書かれたとされる。 内容・構成 十編の短い物語から成る短編物語集です。構成は、○花桜折る少将○このついで○"虫めづる姫君"○ほどほどの懸想○逢坂越えぬ権中納言○貝あはせ○思はぬ方にとまりする少将○はなだの女御○はいずみ○よしなしごとほぼ四季の順序に配列されています。-----------------------------------------------------------------*"As Time Goes By" Lyrics♪Do you believe in justiceOr so-called co-existence?What's wrong with politicians?They give their best for youThe economic's growin'Some tiny holes aboveA little radiationWake up this planet fadesYou are not watching, you're part of the showYou lost the first prize a long time ago.WAR - somebody's always starts againHATE - the seed is growin' in our handsAs time goes by(We never seem to beat the onesWho say we can't be free)As time goes by.Do you believe in money?Do you believe in guns?Do you trust the press, babe?You'd better judge yourself.The missiles are launching, the tanks are rollin'The guns are blazing, the sky turns black!As time goes byWe never seem to beat the onesWho say we can't be freeAs time goes byWe're getting closer to the end of our abilityAs time goes byIs there a place to run for shelter in a high tech warAs time goes byCan you believe and trust in GodTo help you from above.-----------------------------------------------カサブランカ(Casablanca) 公開: 1942年 製作: ワーナー・ブラザーズ・スタジオ監督: マイケル・カーティス 原作: マリー・バーネット音楽: マックス・スタイナー 出演:ハンフリー・ボガート、イングリッド・バーグマン、ポール・ヘンリード アメリカへの亡命を図るヨーロッパ人たちの寄港地であるフランス領モロッコのカサブランカで酒場を経営するリック。彼は昔の恋人エルザと再会するが、彼女には反ナチ運動を指導する夫がいた。エルザに裏切られながらも、いまだに彼女を忘れることが出来ないリックは、ナチスの目を盗んでふたりを無事にアメリカへ脱出させようとする。マリー・バーネットとジョーン・アリスンの未発表の戯曲『Everybody Comes to Rick's(誰もがリックの店にやって来る)』をベースに、二人の男と一人の女の三角関係を数々の名台詞と、マックス・スタイナーの美しい音楽で彩ったメロドラマの金字塔。 最初、後に合衆国大統領となるロナルド・レーガンとグラマー女優ヘディ・ラマー(後に彼女は44年にラジオ劇として放送された『カサブランカ』でイルザを演じる)の共演作として企画されました。二人のスケジュールの調整がつかず、エルザ役には製作者のデヴィッド・O・セルズニックから、ワーナーのオリビア・デ・ハビランドを8週間借り受けることを条件に貸し出されたイングリッド・バーグマンが起用されます。リック役はボガートに話が行く前にジョージ・ラフトにオファーされますが、彼は無名のスウェーデン女優(バーグマン)とは共演できないと言ってオファーを断る。レジスタンスのリーダーを演じたイタリアの男爵家出身のポール・ヘンリードは、クレジットでボガートやバーグマンと同等の扱いを受ける事で出演を承諾する。ピアノ・プレイヤーのサム役は企画の段階では女性で、製作者のハル・B・ウォリスは『姉妹と水兵』(43)等で知られる女優のレナ・ホーンの起用を考えていました。サムを演じたドゥーリイ・ウィルソンはピアノが弾けなかったため、彼が劇中で弾く主題曲「As Time Goes By(時のたつまま)」はスタジオ・ミュージシャンのエリオット・カーペンターによって吹き替えられました。この曲はこの作品のために書き下ろされたものではなく、31年のブロードウェイ・レヴュー『Everybody’s Welcome』のために作曲されたものです。ボガートのラストの有名な決め台詞があります。"Louis, I think this is the beginning of a beautiful friendship."「ルイス、これが美しき友情の始まりだな。」この台詞は脚本にはなく、製作者のウォリスによって付け加えられ、撮影終了の3週間後に録音されるました。(彼は『Everybody Comes to Rick's』だった今作のタイトルを『カサブランカ』に変更する)第二次世界大戦真っ只中の42年に公開された事もあって、初公開時から人気は高く、映画は大ヒットして、リックのバーで「ラ・マルセイユーズ」が歌われるシーンでは、観客が総立ちになるほどの熱気でした。アカデミー賞では8部門でノミネートされ、作品賞、監督、脚色の3部門で受賞。60年代のボギー・ブームから再評価の気運が高まり、ウディ・アレンの『ボギー!俺も男だ』(71)や、ロブ・ライナー監督の『恋人たちの予感』(89)など後の映画に多大な影響を与えました。-----------------------------------------------------"時の過ぎゆくままに"阿久 悠 作詞 大野 克夫 作曲♪~♪あなたはすっかり 疲れてしまい生きてることさえ いやだと泣いたこわれたピアノで 想い出の歌片手で弾いては ためいきついた時の過ぎ行くままに この身を任せ男と女が ただよいながら 堕ちてゆくのも しあわせだよと二人つめたい 体あわせる・・・・・・・体の傷なら なおせるけれど心の痛手は 癒せはしない小指に食い込む 指輪を見つめあなたは昔を おもって泣いた時の過ぎ行くままに この身をまかせ男と女が ただよいながらもしも二人が 愛せるならば 窓の景色も かわってゆくだろう時の過ぎ行くままに この身をまかせ男と女が ただよいながらもしも二人が 愛せるならば 窓の景色も かわってゆくだろう・・・・・・・・・・-----------------------------------------------------"幽霊の正体見たり、枯れ尾花""As time goes by"--------------
2004年09月14日
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「ミラボー橋」writen by "アポリネール"(堀口大学訳)ミラボー橋の下をセーヌ河が流れわれらの恋が流れるわたしは思い出す悩みのあとには楽しみが来ると日も暮れよ 鐘も鳴れ月日は流れ わたしは残る---------------------------------------------------- 堀口大学の父親、"九萬一"は三歳のとき、長岡藩と新政府軍との戦いで足軽の父を失った。若い母は機織りをして女手ひとつで息子を育て、秀才で頑張り屋の息子はその期待に応え、「えらくなるにはどうしても洋学をやらねばならぬ」と考え、二十歳の時、東大法学部の前身である司法省法学校に一番で合格、一八九三年に第一回外交官試験に合格しています。妻を早く亡くした"九萬一"は主に欧米諸国で外交官勤務をつづけ、日露戦争直前には軍艦購入で手柄を立てるなど卓抜な行動力を示します。そして、ベルギーの女性と再婚し、ヨーロッパ的教養を身につけてゆきました。1911年、メキシコ駐在のときやっと息子である"大学"を呼びよせたのでした。----------------------------------------------私の耳は貝の殻海の響きをなつかしむ「耳」ジャン・コクトー作 堀口大学 訳----------------------------------------------堀口 大学(明治25年~昭和56) は、長岡藩士、"九萬一"の長男として東京に生まれる。外交官であった父の任地メキシコに赴き、以後海外で十余年をおくる。大正14年訳詩集「月下の一群」を刊行。近代フランス詩の紹介によって昭和詩の形成に大きな影響を与えるとともに、小説、戯曲、エッセイの訳も多く、文学のあらゆるジャンルに新風をおこす。晩年、「信濃川での水泳と、鋸山の裾にかけての蝶採りが、中学時代の5年間、僕の暑休を分けあった」と回想しています。昭和54年文化勲章を受賞。 ----------------------------------------------"アポリネール"の「ミラボー橋」は1913年の作品。これはセーヌ川にかかる鉄製の橋の名前です。"Le pont Mirabeau"(ミラボー橋)Sous le pont Mirabeau coule la Seine. ミラボー橋の下をセーヌは流れる Et nos amours そして私たちの愛もFaut-il qu'il m'en souvienne 思い出さねばならないのか? La joie venait toujours apres la peine 悲しみの後に必ず喜びが来たことをVienne la nuit sonne l'heure 夜が来て、鐘が鳴り Les jours s'en vont je demeure. 日々は去り、我は一人。Les mains dans les mains 手に手を取り restons face a face 顔に顔を合わせ Tandis que sous le Pont de nos bras passe私たちの腕が作る橋の下を Des eternels regards l'onde si lasse 永遠の微笑みが倦まぬ水の流れを見つめる如くVienne la nuit sonne l'heure 夜が来て、鐘が鳴り Les jours s'en vont je demeure. 日々は去り、我は一人。L'amour s'en va comme cette eau courante 愛は流れ行く水のように去っていく L'amour s'en va comme la vie est lente 愛は人生は遅すぎると云うように Et comme l'Esperance est violente そして望みは無理であるかのように去っていくVienne la nuit sonne l'heure 夜が来て、鐘が鳴り Les jours s'en vont je demeure. 日々は去り、我は一人。Passent les jours et passent les semaines日々が、そして毎週が去って行くのに Ni temps passe 時は去らずNi les amours reviennent 愛は戻らない Sous le pont Mirabeau coule la Seine ミラボー橋の下をセーヌは流れるVienne la nuit sonne l'heure 夜が来て、鐘が鳴り Les jours s'en vont je demeure. 日々は去り、我は一人。-------------------------------------------------この"ミラボー橋"の別れをきっかけに、ローランサンは精神的にも技術的にも画家として一人立ちしました。しかしアポリネールはどうしても彼女のことを忘れることができず、終生、彼女を慕い続けました。そしてこの別れから5年後、彼はスペイン風邪のため38歳の若さで死去します。死の枕元にはローランサンが描いた名作「アポリネールと友人達」が架けられていました。----------------------------------------------"jupitar" presented by"平原綾香"♪~♪Every day I listen to my heart ひとりじゃない深い胸の奥で つながってる果てしない時を越えて 輝く星が出会えた奇跡 教えてくれる~ ---------------------------------火星=Mars(戦いの神様)金星=Virnus(女神)水星=Marcry(商売の神様)木星=Jupitrr(神の中の王ゼウス)土星=Saturn(農業の神様)ゼウスのお父さん天王星=Uranus(天の神様)海王星=Neptune(海の神様ポセイドン-----------------------------------"コーヒー・ルンバ" ♪~♪ 昔アラブの 偉いお坊さんが恋を忘れた あわれな男にしびれるような 香りいっぱいの琥珀(こはく)色した 飲み物を教えて あげ・ましたやがて 心うきうきとっても不思議 このムードたちまち男は 若い娘に恋をしたコンガ マラカス楽しいルンバのリズム南の国の情熱のアロマそれは素敵な飲み物コーヒー・モカマタリみんな陽気に飲んで踊ろう愛のコーヒー・ルンバコンガ マラカス楽しいルンバのリズム南の国の情熱のアロマそれは素敵な飲み物コーヒー・モカマタリみんな陽気に飲んで踊ろう愛のコーヒー・ルンバ---------------------------------------- 井上陽水の「コーヒールンバ」がヒットしましたが、この曲を最初に歌ったのは、西田佐知子です。昭和三六年のことです。「昔、アラブの偉いお坊さんが……」で始まる歌詞のとおり、コーヒー文化発祥の地はアラブ世界であったとされています。コーヒーがイスラム世界に広まっていくと、コーヒーの嗜好性を危惧した宗教指導者らは、幾度となくコーヒー禁止令を出しました。しかし現実感覚豊かな中東の庶民は、世俗と宗教の間でうまくバランスをとりながら、コーヒー文化を育てていきました。アラビアの砂漠では、はるばるとやって来る客人のもてなしに、コーヒーはなくてはならないものです。あるとき、どこのだれともわからぬ男がとあるテントを訪れました。テントの主人は訪問者の意図もわからぬままにコーヒーをふるまいました。男が最初の一杯を飲みほしたので、主人はすかさず空の杯を満たします。男が二杯目も飲み干したので、主人は三杯目をつごうとしました。男はこれを固辞すると、もてなされた礼を述べました。主人が訪問の意図を男に訊ねると、男はただ喉がかわいていたからですと答えました。主人は男を信用しました。この地のしきたりでは、三杯目を固辞しない訪問者は、主人の妻を奪いにきたものとされていたからでした。この場合、その場で殺されても文句は言えなかったのです。---------------------------------------------------- "アカシアの雨のやむ時"作詞:水木かおる 作曲:藤原秀行唄:西田佐知子♪~♪1 アカシアの雨にうたれてこのまま死んでしまいたい夜が明ける 日がのぼる朝の光のその中で冷たくなった わたしを見つけてあの人は~涙を流してくれるでしょうか2 アカシアの雨に泣いてる切ない胸はわかるまい思い出の ペンダント白い真珠のこの肌で淋しく今日も あたためてるのにあの人は~冷たい瞳(め)をして 何処(どこ)かへ消えた3 アカシアの雨が止む時青空さして鳩がとぶむらさきの 羽の色それはベンチの片隅で冷たくなった わたしのぬけがらあの人を~さがして遙かに 飛び立つ影よ --------------------------------------------昭和35年(1960)リリース。この年は第一次「安保反対闘争」で日本中が騒然とした年でした。連日の闘争で疲れはて、体制の壁の厚さに絶望的になった学生たちの心情に、この歌の投げやりなムードが妙にマッチしたようで、デモの帰りなどによく歌われました。 わが国で一般にアカシアと呼ばれているのはニセアカシアで、ハリエンジュとも呼ばれます。英語では"false acacia"で、一般には"black locust"とかyellow locustと呼ばれています。北アメリカ東部~中部原産の落葉高木で、日本には明治の初めに渡来しました。春に白い可憐な花をつけます。一方、「ニセ」がつかないアカシアは、わが国ではミモザと呼ばれています。---------------------------------------------"風林火山"中国の古い書物に「孫子」というものがあり、戦いに勝つ為の方法などがたくさん書かれています。「孫子」というのはもともと人の名前で、中国の春秋時代の呉の国に使えていた"孫武"(そんぶ)の事です。「孫子」は最も古い兵法書です。その中にはこのような一節があります。-----------------------------------兵は詐(さ)をもって立ち、利をもって動き、分合(ぶんごう)をもって変をなす者なり。其の疾(はや)きことは風のごとく、其の徐(しず)かなることは林のごとく、侵掠(しんりゃく)することは火のごとく、動かざることは山のごとく、知りがたきことは陰のごとく、動くことは雷の震うがごとく、郷を掠(かす)むるには衆を分ち、地を廓(ひろ)むるには利を分ち、権をかけて動く、先ず迂直(うちょく)の計を知る者は勝つ、此れ軍争の法なり。「戦いに勝つには相手の裏をかき、自分に有利な条件になるよう臨機応変に物事を良く見計らった上で行動しなさい。」という事です。----------------------------------------"作戦編""孫子"曰ク、オヨソ兵ヲ用ウルノ法ハ、馳車千駟、革車千乗、帯甲十万ニテ、千里ニ糧ヲ饋ル。則チ内外ノ費、賓客ノ用、膠漆ノ材、車甲ノ奉、日ニ千金ヲ費シテ、然ル後ニ十万ノ師挙ガル。ソノ戦イヲ用ウルヤ、勝ツモ久シケレバ、則チ兵ヲ鈍ラシ鋭ヲ挫ク。城ヲ攻ムレバ、則チ力屈ス。久シク師ヲ暴サバ、則チ国用足ラズ。ソレ兵ヲ鈍ラシ鋭ヲ挫キ、力ヲ屈シ貨ヲ殫クサバ、則チ諸侯、ソノ幣ニ乗ジテ起コラン。智者アリトイエドモ、ソノ後ヲ善クスルコト能ワズ。故ニ兵ハ拙速ヲ聞クモ、イマダ巧ノ久シキヲ賭ザルナリ。ソレ兵久シクシテ国利アルハ、イマダコレアラザルナリ。故ニ尽ク用兵ノ害ヲ知ラザレバ、則チ尽ク用兵ノ利ヲ知ルコト能ワザルナリ。善ク兵ヲ用ウル者ハ、役、再籍セズ、糧、三載セズ。用ヲ国ニ取リ、糧ヲ敵ニ因ル。故ニ軍食足ルベキナリ。国ノ師ニ貧スルハ、遠ク輸レバナリ。遠ク輸レバ、則チ百姓貧シ。師ニ近キ者ハ貴売ス。貴売スレバ、則チ百姓材竭ク。材竭クレバ、則チ丘役ニ急ナリ。力屈シ材殫キ中原ノ内、家ニ虚シ。百姓ノ費エ、十ニソノ七ヲ去ル。公家ノ費エ、破車罷馬、甲冑矢弩、戟楯蔽櫓、丘牛大車、十ニソノ六ヲ去ル。故ニ智将ハ努メテ敵ニ食ム。敵ノ一鍾ヲ食ムハ、ワガ二十鍾ニ当タリ、キカン一石ハ、ワガ二十石ニ当タル。故ニ敵ヲ殺スモノハ怒ナリ。敵ノ利ヲ取ルモノハ貨ナリ。故ニ車戦シテ車十乗イジョウヲ得レバ、ソノ先ズ得タル者ヲ賞シ、而シテソノ旌旗ヲ更エ、車ハ雑エテコレニ乗リ、卒ハ善クシテコレヲ養ウ。コレヲ敵ニ勝チテ強ヲ益スト謂ウ。故ニ兵ハ勝ツコトヲ貴ビ、久シキヲ貴バズ。故ニ兵ヲ知ル将ハ、生民ノ司命、国家安危ノ主ナリ。兵士を戦いに駆り立てるには、敵愾(てきがい)心を植え付けてはならないのです。-------------------------------------"Be carefull too in your life"!!!!
2004年09月13日
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"峠" by(真壁 仁) --------------------------The pass is a place that forces decisions, that flows with the clear melancholy of parting.--------------------------峠は 決定を しいるところだ峠には訣別のためのあかるい憂愁がながれている--------------------------峠路をのぼりつめたものはのしかかってくる天碧に身をさらしやがてそれを背にする風景はそこで綴じあっているがひとつをうしなうことなしに別個の風景に はいってゆけない大きな喪失に たえてのみあたらしい世界がひらける峠にたつときすぎ来しみちはなつかしくひらけくるみちはたのしいみちはこたえないみちはかぎりなく誘うばかりだ峠のうえの空はあこがれのようにあまいたとえ行手がきまっていてもひとはそこでひとつの世界にわかれねばならぬそのおもいを埋めるため旅人はゆっくり小便をしたり摘みくさをしたりたばこをくゆらしたりして見えるかぎりの風景を眼におさめる----------------------------------- "峠への思慕" 峠は決定を しいるところだ峠には訣別のためのあかるい憂愁が流れている大きな喪失に耐えてのみあたらしい世界が展ける道は答えない道はかぎりなく誘うばかりだたとえ行手が決まっていてもひとはそこでひとつの世界に別れねばならぬ峠に立つとき過ぎ来し道はなつかしくひらけくる道はたのしい峠のうえのそらはあこがれのようにあまい峠路をのぼりつめたものはのしかかってくる天碧に身をさらしやがてそれを背にする水はそこで分かれ水に沿うて道はくだる未知の世界を踏みさぐる道--------------------------------------------- 牧野物語・"峠"(Magino Story--"Pass") ------------------------------------監督:小川紳介出演:"真壁 仁"-------------------------------------------------「峠は決定を強いる所だ、峠には決別のための明るい憂愁が流れている…」これは昭和22年に詩誌「至上律」に発表された詩人、真壁仁の作です。"真壁"氏は山形在住の詩人であり、小川を山形に向かわせた重要人物の一人であり、小川に「真の百姓の顔」を発見させた人物です。当時、70歳を迎えた"真壁"を記念し詩碑が建立される事になる。小川はこれをモチーフに「峠」を撮る。それは小川自身の「三里塚」との「決別のための憂愁」でもありました。一方、詩人"真壁"にとって「峠」は戦争体験と戦後の新しい生きる道との「峠」でした。詩人は農耕の神である蔵王にまつわる神話と、遠からぬ過去の「水争い」について老人から聞きながら、村の農業史を解き明かそうとする。それは"真壁"にとって百姓として、そして詩人として「自己史を日本の農業史として書こう」という強い意志の表明でもありました。小川は、藁の傘と簑を着用する"真壁"の姿を克明に描写することで詩人=百姓としての誇りをカメラに捉え、彼自身の「峠」をも越えたのでした。-------------------------------------------------------------------------------------------------"山の吊橋"横井 弘 作詞 吉田矢健治 作曲♪~♪山の吊橋ゃ どなたが通るせがれなくした 鉄砲うちが話相手の 犬つれて熊の親父を みやげにすると鉄砲ひとなで して通るホレ ユーラユラ山の吊橋ゃ どなたが通る遠い都へ はなれた人をそっとしのぴに 村むすめ谷の瀬音が 心にしむか涙ひとふき して通るホレ ユーラユラ山の吊橋ゃ どなたが通る酒が切れたか 背中を丸め呑んペェ炭やき いそぎ足月をたよりに 枯葉のようにくしゃみつづけて して通るホレ ユーラユラ~---------------------------------"五輪峠" (by Miyazawa Kengi) 一九二四、三、二四、 宇部何だって?…… 宇部興左エ門?…… ずゐぶん古い名前だな 何べんも何べんも降った雪を いつ誰が踏み堅めたでもなしに みちはほそぼそ林をめぐる 地主ったって 君の部落のうちだけだらう 野原の方ももってるのか ……それは部落のうちだけです…… それでは山林でもあるんだな ……十町歩もあるさうです…… それで毎日糸織を着て ゐろりのヘりできせるを叩いて 政治家きどりでゐるんだな それは間もなく没落さ いまだってもうマイナスだらう 向ふは岩と松との高み その左にはがらんと暗いみぞれのそらがひらいてゐる そこが二番の"峠"かな まだ三つなどあるのかなあ がらんと暗いみぞれのそらの右側に 松が幾本生えてゐる 藪が陰気にこもってゐる なかにしょんぼり立つものは まさしく古い五輪の塔だ 苔に蒸された花崗岩(みかげ)の古い五輪の塔だ あゝこゝは 五輪の塔があるために 五輪"峠"といふんだな ぼくはまた "峠"がみんなで五っつあって 地輪"峠" 水輪"峠" 空輪"峠"といふのだらうと たったいままで思ってゐた 地図ももたずに来たからな そのまちがった五つの峯が どこかの遠い雪ぞらに さめざめ青くひかってゐる 消えやうとしてまたひかる このわけ方はいゝんだな 物質全部を電子に帰し 電子を真空異相といへば いまとすこしもかはらない 宇部五右衛門が目をつむる 宇部五右衛門の意識はない 宇部五右衛門の霊もない けれどももしも真空の こっちの側かどこかの側で いままで宇部五右衛門が これはおれだと思ってゐた さういふやうな現象が ぽかっと万一起るとする そこにはやっぱり類似のやつが これがおれだとおもってゐる それがたくさんあるとする 互ひにおれはおれだといふ 互ひにあれは雲だといふ 互ひにこれは土だといふ さういふことはなくはない そこには別の五輪の塔だ あ何だあいつは いま前に展く暗いものは まさしく北上の平野である 薄墨いろの雲につらなり 酵母の雪に朧ろにされて 海と湛える藍と銀との平野である 向ふの雲まで野原のやうだ あすこらへんが水沢か 君のところはどの辺だらう そこらの丘のかげにあたってゐるのかな そこにさっきの宇部五右エ門が やはりきせるを叩いてゐる 雪がもうここにもどしどし降ってくる 塵のやうに灰のやうに降ってくる つつじやこならの灌木も まっくろな温石いしも みんないっしょにまだらになる----------------------------"山刀伐峠" 1689年(元禄二年)俳人 松尾芭蕉は東北・北陸の旅「おくのほそ道」行脚に出ました。最大の難所として登場する"山刀伐峠"は、太平洋側から日本海側への峠越えであり、当時は山賊の出没の噂もある危険な場所でした。--------------------------------------------------- "峠"(とうげ) (cross over) a (mountain) pass; 《危機》(pass) the crisis; (病人などの)the critical stage; the worst (is over); 《絶頂》the peak;(be in) the height(of). 鈴鹿峠 the Suzuka Pass. ----------------------------------------------------------------------"遠い世界に"西岡たかし 作詞/作曲♪遠い世界に旅に出ようかそれとも赤い風船に乗って雲の上を歩いてみようか太陽の光でにじを作ったお空の風をもらって帰って暗い霧を吹き飛ばしたいボクらの住んでるこの町にも明るい太陽顔を見せても心の中はいつも悲しい力を合わせて生きる事さえ今ではみんな忘れてしまっただけどボク達若者がいる雲にかくれた小さな星はこれが日本だ私の国だ若い力を体に感じてみんなで歩こう長い道だが一つの道を力のかぎり明日の世界をさがしに行こう~-----------------------------------"スローなブギにしてくれ"片岡 義男 (著) -----------------------------------片岡義男の短編小説『スローなブギにしてくれ』『ひどい雨が降ってきた』『俺を起こして、さよならと言った』をもとに、70年代青春映画の鬼才、藤田敏八監督が映画化しています。 野良猫のような少女、さち乃(浅野温子)。ひょんなことから彼女を拾うことになる青年、ゴロー(古尾谷雅人)。そして白いムスタングを駆る、中年男(山崎努)。この3人を軸に、さまざまなエピソードがスケッチのように羅列されていく。本来は浅野温子初主演の青春ものとして企画されました。しかし、藤田監督の焦点は、若者2人よりも中年男の方へと向けられます。結果、いまだ青春に決別できない者のいらだちや空しさが、ひしひしと伝わる異色作に仕上がっています。主題歌は南佳孝。(的田也寸志) -----------------------------------"駱駝" (1)ラクダ科の哺乳類のうち、ヒトコブラクダとフタコブラクダをさす。肩高2メートル内外ほどの大形草食獣。背のこぶに養分を貯蔵し、鼻孔を閉じることができる。足の裏は丸く広がった肉質部があって砂の上を歩くのに適し、長時間水を飲まずにいられるなど、砂漠の生活によく適応した体をもつ。家畜化の歴史は古く、古代より「砂漠の船」とよばれて乗用・運搬用に使われ、毛・皮・肉・乳も利用された。北アフリカ・西アジア・モンゴルなどに分布する。(2)ラクダの毛から製する繊維。柔らかく温かいので冬の肌着・コートなどとする。「―のシャツ」(3)近世、形ばかり大きく品質の劣るもの。"にしやあ おれをば―のさつま芋だと思ふか"/歌舞伎・御国入曾我中村(4)落語の一。河豚(ふぐ)で死んだ「駱駝の馬」という無頼漢の兄弟分が、通りかかった屑屋をおどして死骸を踊らせて大家などを強請(ゆす)るが、酔いのまわった屑屋に逆におどされる。二人で死骸を入れた樽をかついで焼場に行くが途中で死骸を落とし、願人坊主を間違えて樽に入れる。-------------------------------------"月の砂漠" 大正12年 ♪~♪月の砂漠を はるばると旅のらくだが ゆきました金と銀との くらおいて二つならんで ゆきました金のくらには 銀のかめ銀のくらには 金のかめ二つのかめは それぞれにひもでむすんで ありました先のくらには 王子さまあとのくらには お姫さま乗った二人は おそろいの白い上衣を 着てました広い砂漠を ひとすじに二人はどこへ 行くのでしょうおぼろにけぶる 月の夜を対のらくだは とぼとぼと砂丘をこえて ゆきましただまってこえて ゆきました~---------------------------- Why don't you ride "a camel", to-gather!!!!*~ら~*
2004年09月12日
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"千の風"(A THOUSAND WINDS) ----------------------------Do not stand at my grave and weep,I am not there, I do not sleep.I am a thousand winds that blow;I am the diamond glints on snow,I am the sunlight on ripened grain;I am the gentle autumn's rain.When you awake in the morning bush,I am the swift uplifting rushOf quiet in circled flight.I am the soft star that shines at night.Do not stand at my grave and cry.I am not there; I did not die.(Author Unknown)------------------------------------------ 私の墓前で泣くのはやめてください私はそこにいません。私は眠っていないのです私は千の風となって、空を渡っています私はダイアモンドのきらめきとなって雪に舞っています私は太陽の光となって、豊穣の実りを与えています私は優しい秋の雨となっているのですあなたが静寂の朝を迎えたならば私はツバメとなって飛び立ちましょう歌わぬ小鳥は音もなく輪を描き空高く舞いあがるでしょう私は夜に輝く静かな星となっているのですだからどうか私の墓前で泣くのをやめてください私はそこにいません。私は死んではいないのです(作者不詳)翻訳:Lyubin---------------------------------------------- Do you remember "September 11"----------------------------------------------------------------"いつも何度でも" (木村 弓) ♪~♪呼んでいる 胸のどこか奥でいつも心躍る 夢を見たいかなしみは 数えきれないけれどその向こうできっと あなたに会える繰り返すあやまちの そのたび ひとはただ青い空の 青さを知る果てしなく 道は続いて見えるけれどこの両手は 光を抱けるさよならのときの 静かな胸ゼロになるからだが 耳をすませる生きている不思議 死んでいく不思議花も風も街も みんなおなじララランランラランラーーーランランラランララララランランララランラララランラララララホホホホホホホホルンルンルンルフフフフフルルルルルンルルルーンルルルー 呼んでいる 胸のどこか奥でいつも何度でも 夢を描こうかなしみの数を 言い尽くすより同じくちびるで そっとうたおう閉じていく思い出の そのなかにいつも忘れたくない ささやきを聞くこなごなに砕かれた 鏡の上にも新しい景色が 映されるはじまりの朝の 静かな窓ゼロになるからだ 充たされてゆけ海の彼方には もう探さない輝くものは いつもここにわたしのなかに見つけられたからララランランラランラーーーランランラランララララランランララランラララランラララララホホホホホホホホルンルンルンルフフフフフルルルルルンルルルーンルルルー -------------------------------スタジオジプリのアニメ映画「千と千尋の神隠し」の主題歌木村弓さんが歌いました。(作詞 覚 和歌子) --------------------------------「回文」"a palindrome"-------------------------回文/廻文(かいぶん・くわい―) (1)「回状」に同じ。かいもん。「―を以つて、東八箇国をふれまはるに/太平記 31」(2)上から読んでも下から読んでも同文・同文句になるように書かれた文。また、回文歌・回文狂歌・回文俳諧など。例「をしめどもついにいつもとゆくはるはくゆともついにいつもとめじを」「竹屋が焼けた」の類。まわしぶみ。-------------------------"Mad at Adam?" Mad as it is it is Adam. Madam I'm AdamMadam in Eden, I'm Adam.Madam, I am ill. I've nine men in evil Lima. I'm AdamMadam, I do get a mate. God, I'm AdamMadam, I help Martin. I trample him --- AdamMarg, I pen [an] epigram. Marge, let's send a sadness-telegram. Marty, Bo got Hannah to go by tram. Mary's words (in a pajama), "Japan is Drowsy Ram." Ma's story rots Sam. Man, Oprah's sharp on A.M.May a bad boob dab a yam?May a banana nab a yamMay a moody baby doom a yam?Mirror rimMike, can Ellen ace Kim? Mike Modano's on a dome, Kim. Mix a maxim. Mom's Dad & Dad's Mom!?! Moor let Omani in a motel room. Murder for a jar of red rumMust sell at tallest sum."My gym tasks are too lonely?"a Jay Leno looter asks at my gym. My gym taxes sex at my gym.------------------------------------------------------------"魔王" (presented by ゲーテ/シューベルト) ------------------------------ "Johann Wolfgang von Goethe" (ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ) --------------------------------------"Frantz Peter Schubert"(フランツ・ペーター・シューベルト) ----------------------------------"Erlkounig"(魔王)by Johann Wolfgang von Goethe------------------------------Wer reitet so spat durch Nacht und Wind?Es ist der Vater mit seinem Kind;Er hat den Knaben wohl in dem Arm,Er faßt ihn sicher, er halt ihn warm. "Mein Sohn, was birgst du so bang dein Gesicht?""Siehst, Vater, du den Erlkonig nicht?Den Erlenkonig mit Kron und Schweif?""Mein Sohn, es ist ein Nebelstreif." "Du liebes Kind, komm, geh mit mir!Gar schone Spiele spiel ich mit dir;Manch bunte Blumen sind an dem Strand,Meine Mutter hat manch gulden Gewand." "Mein Vater, mein Vater, und horst du nicht,Was Erlenkonig mir leise verspricht?""Sei ruhig, bleibe ruhig, mein Kind;In durren Blättern sauselt der Wind." "Willst, feiner Knabe, du mit mir gehn?Meine Tochter sollen dich warten schon;Meine Tochter führen den nachtlichen ReihnUnd wiegen und tanzen und singen dich ein,Sie wiegen und tanzen und singen dich ein." "Mein Vater, mein Vater, und siehst du nicht dortErlkonigs Töchter am dustern Ort?""Mein Sohn, mein Sohn, ich seh es genau,Es scheinen die alten Weiden so grau." "Ich liebe dich, mich reizt deine schone Gestalt,Und bist du nicht willig, so brauch ich Gewalt.""Mein Vater, mein Vater, jetzt fabt er mich an!Erlkonig hat mir ein Leids getan!" Dem Vater grauset's, er reitet geschwind,Er hält in dem Armen das ächzende Kind,Erreicht den Hof mit Muh und Not;In seinen Armen das Kind war tot.----------------------------------"魔王"こんな夜更けに風吹くなかを馬をとばして行くのは誰だ馬には父が子供をしっかり大事にかかえて乗っているのだ「どうして怯(おび)えて顔をかくすのだ」「父(とう)さん 魔王が見えないのあの冠とあの長い裾(すそ)」「なんでもないよ 霧のながれだ」「いい子じゃ おいで わしといっしょにたのしい遊戯(ゆうぎ)をして進ぜようきれいな花は岸辺にあふれ家(うち)には金の着物がどっさり」「父(とう)さん 父さん 聞こえないかい魔王が小声でぼくに言うのが」「落ち着くんだよ なんでもないよ枯れ葉にざわつく風の音だよ」「いい子じゃ 行こう わしといっしょにうちの娘によく世話(せわ)させる娘ら夜ごと音頭(おんど)をとって歌や踊りで寝かせてくれる」「父さん 父さん 見えないのかいあそこのかげに魔王の娘が」「見えるよ おまえ よく見えるとも古い柳がひかってるんだよ」「かわいい子供じゃ きれいな子供じゃいやというなら 無理に連れて行く」「父さん 父さん 魔王がぼくにつかみかかって乱暴するんだ」父はふるえて馬を駆(か)りたてうめく子供をしっかり抱(かか)えやっとのことで家にもどった腕のわが子はもう死んでいた---------------------------------------------------シューベルトの作曲で有名な物語詩。一七八二年の作品。デンマークの民間の物語詩からヒントを得てつくられた。--------------------------------------------------------------------------------------------------------"武陵桃源"(ぶりょうとうげん)1.武陵の漁夫が見付けたとされる架空の地「桃源」のこと。2.転じて、別天地、理想郷のこと。類:桃源郷(ユートピア)出典:桃花源記(とうかげんき) 中国の伝奇小説。1編。晋の陶潜(淵明)撰。武陵の漁夫が道に迷い、桃林の奥に秦の戦乱を避けた人々の平和郷を発見、手厚い持て成しを受けた。帰宅後再び捜してみたが、二度と訪れることはできなかった。------------------------------「桃花源記」訳文 晋の太元年間、武陵に魚採りを生業としている男がいた。ある日谷川に沿って船をこいで行くうちに、どれくらい行ったか忘れたが、突然一面に咲きそろった桃の林に出逢った。川を挟んだ両岸には数百歩の間、桃の木以外の木は一本もなく、香しい花が鮮やかに咲き誇り、花びらのひらひらと舞い落ちるさまは実に見事であった。漁師は甚だ不思議に思い、さらに溯って林の奥まで見届けようとした。林は水源のところで尽きて、そこに一つの山があった。その山には小さな口があって、何かしら光が射しているようだ。そこで船を下りてその口に入った。始めのうちはひどく狭くてやっと人一人通り抜けられるくらいだった。さらに数十歩行くとがらりと開けて、土地は広く平らに、立派な家屋が立ち並び、よい田畑、美しい池、桑や竹の類があった。道は縦横に通じ、鶏や犬の声が聞こえた。その中を行きかい畑仕事をしている男女の服装は、どれもみな外国の人のようであるが、老人や子供までみなにこにこしていかにも楽しげである。漁師を見るとひどく驚いてどこから来たにかと聞いた。そこで詳しく話して聞かせると自分の家に連れ帰って、酒の支度をし鶏をしめてご馳走した。村の人々はその漁師の来たことを聞き、みなやって来ていろいろ質問して言うのであった。「私どもの先祖が秦の時代の戦乱を避けるために妻子や村人を引き連れてこの人里離れた山奥に来て、もはや決してここを出ず、そのまま外界の人々と縁が切れてしまったのです」。そう言ってさらに「今はどういう御代ですか」と尋ねた。なんと彼らは漢代のあったことすら知らなかったのだ。ましてや 魏晋はいうまでもない。漁師が一々自分の耳にした限りのことを詳しく話してやると、彼らはみな驚いて嘆息した。ほかの人々もまたそれぞれ自分の家に招待して、みな酒食を出した。かくて数日間この地に逗留して暇を告げて去ったのだが、そのとき村の人々は告げて言った。「外界の人に話すほどのことではありませぬよ」(これは外界の人に話しては困ることを婉曲に言ったもの)こうして辞してやがて例の口を出てくるともとの船を見つけ、前に来た路を辿って要所要所に目印をつけた。かくて郡の町に着くと、太守のところへ参ってかくかくしかじかと話をした。太守は早速人を派遣してその漁師について行かせ、前に付けた目印を辿って行ったが遂に迷ってもはや路を見つけることはできなかった。南陽郡の劉子驥先生は高潔な人物であった。この話を聞くと喜び勇んでその秘境を探検しようと計画を樹てたが、まだ実現せぬ内に間もなく病気で世を去った。その後、遂にその地を訪れる人はなかった。----------------------------------------------------------------------------------Let's enjoy our LIFE at "桃花源"!!!(*~花~*)
2004年09月11日
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"野分"(のわき・のわけ) 吹き飛ばす石は浅間の野分かな(芭蕉)我が声の吹き戻さるる野分かな(内藤雪鳴)----------------------------------------------------- "二百十日"から"二百二十日"頃に吹く秋の強風を"野分"と呼びます。「野分」は野の草を分けて吹きすさぶ風ということから名付けられたものです。台風を含む秋の頃の強風の一般的な呼び名。現在は雨を伴わない強風に限って呼ぶことが増えています。野分の過ぎた後には吹き倒された稲や草が風の痕を留めています。俳句では秋の季語。----------------------------"風の盆" 越中八尾の風の盆、あるいは「おわら風の盆」として知られる風祭。風神を踊りにあわせて送り出してしまう祭りといわれ、300年以上の歴史があるといわれています。(富山県婦負郡八尾町、9/1~3)----------------------------------"二百二十日"(にひゃくはつか) 雑節の一。立春から数えて二二〇日目にあたる日。九月十一日頃。二百十日とともに台風が来襲する厄日とされる。-------------------------------------------"風立ちぬ"作詞(松本 隆) 作曲(大瀧詠一)アーティスト(松田聖子) ♪~♪風立ちぬ 今は秋今日から私は心の旅人涙顔見せたくなくて 性格は明るいはずよすみれ・ひまわり・フリージア すみれ・ひまわり・フリージア高原のテラスで手紙 心配はしないでほしい風のインクでしたためています 別れはひとつの旅立ちだからSAYONARA SAYONARA SAYONARA SAYONARASAYONARA…SAYONARA…振り向けば色づく草原 草の葉にくちづけて一人で生きてゆけそうね 忘れたい忘れないあなたの笑顔首に巻く赤いバンダナ 想い出に眼を伏せてもう泣くなよとあなたがくれた 夏から秋への不思議な旅ですSAYONARA SAYONARASAYONARA…風立ちぬ 今は秋 風立ちぬ 今は秋帰りたい帰れないあなたの胸に 帰りたい帰れないあなたの胸に風立ちぬ 今は秋 風立ちぬ 今は秋今日から私は心の旅人~ 今日から私は心の旅人~-----------------------------"鬼面"(きめん)鬼の顔。また、鬼の仮面。――人を威(おど)す 見せかけの威勢で人をおどす。鬼面、人を驚かす。-------------------------------------------"Oni", which we believe is a unique phenomenon that is embedded in deep and unknown levels of the human mind, plays a relevant role in our lives at times of transition. The widespread recognition of the Oni phenomena is often associated with turning points in history, and seems to reflect meaningful phases in an otherwise chaotic life.----------------------------------------------------The "Oni" phenomenon has been described and observed in many cultures, under various names, such as "demon", "spirits", "apparitions" and "angels", and is the subject of traditional stories of many cultures.----------------------------------------------"鬼ころし"『神霊界』大正八年十一月一日の15頁の随筆より 地質学上より見たる大地の中心点に、天下無類の大化物が顕現して、丹波の眞奈井の石清水と五十鈴川の清流を酌み上げ、駿河と美濃と尾張の米を搗き研て、古今獨歩珍無類の美味を有する大本の濁酒を醸造し、之を天下に普く賣出したる所、上戸も下戸も先きを爭ふて之を飲み、酔うて管巻くものもあり、歓び勇んで踊るもあり、笑ふもあり、泣くもあり、怒るもあり、顛倒するもあり。然れども一旦美味を覚えた上戸も下戸も、再び呑まずには居られないと見えて、各自に小言を並べ管を巻きつゝ、盛に大本濁酒を買って飲まんとするものゝ日に月に殖える斗りである。併し神諭所示の如く、七月十二日も過ぎたる事なれば、最早濁酒の賣出しは止めねば成りませぬ。其代りとして三千年間の日子を費やして、神の造られた清酒の賣出しを致します。酒の名は大江山の"鬼ころし"と命名しました。何人も勝手次第に汲み取つて下さい。賣ると謂つても決して代金は請求致しませぬ。只々丹波の山奥まで来て頂くのがご苦労であります。併し世界の鬼を退治して心の鬼を殺す、力の在る銘酒である事だけは、何處までも保証致します。今度の清酒を好く燗をして、適度に飲んで、腹綿へ浸み迄ましさへすれば、今までの濁酒を呑んだやうに、泣いたり、怒ったり、下らぬ管を巻いたりする心配はいりませぬから、安神して買求めを希望する次第であります。今迄の濁酒といへども好く注意して飲んで居た人には良薬にこそなれ、決して毒には成って居ないのであります。只下戸の中に一人や二人や三人位い悪酔ひして、乾坤一擲と云うやうな管を巻いて、皆さんに心配をかけた泥酔者が、少しく現はれたに過ぎないので在ります。併し飲んだ酒なら酔はねば成るまい。酔った酒なら醒めねばなるまい。忠臣蔵の文句じやないが、何れさめる時が来るでありませう。 --------------------------------------------ダーウィン曰く"一番強いもの、頭の良いものが生き残るのではなく、変化に機敏に対応できるものこそ、最後に生き残っていく"----------------------------------------------------"チャールズ・ダーウィン"(Charles Robert Darwin)1809年2月12日 - 1882年4月19日イギリスの自然科学者。進化論の提唱者として知られる。1831年、ケンブリッジ大学卒。神学専攻。卒業後、軍艦ビーグル号に博物学者として乗船することが許され、5年間の南洋航海に参加した。この際、特にガラパゴス諸島で、鳥類の変異に着目し、進化論を唱えた。論文による進化論の発表は、1858年で、同様の説を唱えて発表しようとしていたウォーレスの論文と並べて発表するという形がとられた。宗教界から激しい反対を受けたが、1877年ケンブリッジ大学はダーウィンに名誉博士号を贈った。息子は優生学教育協会会長であるレナード・ダーウィン--------------------------------------------------------------------------------------------"D'urban c'est l'elegance de l'homme moderne"------------------------"c'est"="that's""l'elegance"="good taste"homme"="man" (femme=woman)"moderne"="modern"------------------------I like D'urban. I want to be the man to whom I also live the present age-------------------------------------------99年1月9日の日本経済新聞の10面に、"D'URBAN"の全面広告が載りました---------------------------------------------------"D'URBAN"ダーバングループは ISO9001を取得しました。最良と呼ぶにふさわしい一着をコンスタントにつくりつづける、そんな“D'URBAN QUALITY”を追求するために。ダーバンは考えます。「この服はモノがいい」とは、果たしてどういうことか。結論はきわめてシンプル。それがダーバンのタグがついた一着である限り、どの一着をとっても、かならずよいモノであること。この先も変わることなく常によいモノであり続けること。そして、このシンプルな結論を実現するために私たちに問われるものが、モノのつくり方そのものの高い品質なのです。企画から試作までどんな手順を踏むか。どんな素材をどこから仕入れるか。どんな設備で生産するか。どんな方法で検査するか。どんなスキルをもった人間がつくるか。その人間はどのように教育するか。できたモノをどのように保持するか。理想的な工程に支障が生じたとき、それをどのようにリカバーするか。そもそも、どのような方針で服をつくるのか。際限なく列挙できる、これらのひとつひとつのステップを明確にし、実践する。そんなダーバンの、グループを挙げての“モノづくりのシステム”が英国ロイド社(LRQA)により認証され、メンズアパレルの企業として初めて、ISO9001を取得することができました。けれども私たちにとってこれはまだプロセスに過ぎません。『顧客満足度No.1の世界一のアパレルメーカーを目指す(品質方針)』ために、私たちは今のダーバンを超え、たゆむことなく次の“D‘URBAN QUALITY”を追求し続けるのです。------------------------------------------------------------------------------------------------"小泉八雲"小泉八雲(ラフカディオハーン)は1850年ギリシャ生まれ。16歳のとき、ロープが左目にあたり失明してしまいます。 1890年 40歳で来日、小泉せつと結婚。"せつ"の怪談ばなしを書き留めていったと言われています。そのとき、英語に訳せない言葉がありました。たとえば、「雨がしとしと、ぱっと、じとじと、顔のないのっぺらぼうがにゅうと」などという言葉を訳せずそのまま書いたのです。 それがかえって物語りを迫力のあるものにしたようです。 八雲は強度の近視でした。 強度近視では網膜剥離を起こしやすい網膜変性が存在していることがあります。 また、眼球打撲はボクシングなどでもわかりるように網膜剥離を起こすことがあります。1918年スイスのジュウル・ゴナンが網膜に出来る穴が網膜剥離の原因と発表しました。しかし、1929年のアムステルダムの国際学会までそれを信じる人は少なかったと記載されています。 その後網膜復位術が徐々に行われるようになりました。 網膜復位術に網膜裂孔閉鎖を行ないますが、そのためにはいろいろな方法がとられています。 また剥離になる前に飛蚊症などで来られた患者に網膜裂孔が見つかり、レーザー治療が行なわれます。1866年に八雲は左目失明しています、それまでは不治の病でした。 近年、硝子体手術の進歩もあり網膜剥離の手術は治癒率は非常に高くなっています。 作品の中で「耳なし芳一」の話があります。彼は眼が見えない琵琶法師。 琵琶を奏でる「蝉丸」平家物語の壇ノ浦の戦い弾き語りで屋敷の人々の感動と涙を誘う話はあまりにも有名です。 琵琶法師は今昔物語の蝉丸(盲目で粗末な小屋に住んでいる蝉丸に源博雅が琵琶の道を習いに行く話し)が始めといわれています。 ----------------------------------------------------------------------"消防"(しょうぼう) fire service; 〔米〕fire fighting.~に努める"fight a fire"消防演習 a fire drill; a firefighting practice. 消防士 a fireman; a fire fighter. 消防自動車 a fire engine. 消防署 a fire station; 〔米〕a firehouse. 消防隊 〔米〕a fire department〔英〕a fire brigade. 消防庁 the Fire Defenses Agency. 消防艇 a fireboat. ------------------------------------------"fire out"〔米俗〕 くびにする------------------------"Don't be fired out yourself."!!!!!(*~f~*)
2004年09月10日
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「登高」(とうこう) by "杜甫" ------------------------風 急 天 高 猿 嘯 哀渚 清 沙 白 鳥 飛 廻 無 辺 落 木 蕭 蕭 下不 尽 長 江 滾 滾 来万 里 悲 秋 常 作 客百 年 多 病 独 登 臺艱 難 苦 恨 繁 霜 鬢潦 倒 新 停 濁 酒 杯----------------------------風急に天高くして 猿嘯(えんしょう)哀し 渚清く沙(すな)白くして 鳥飛(ちょうひ)廻(めぐ)る無辺(むへん)の落木 蕭蕭(しょうしょう)として下り不尽の長江 滾滾(こんこん)として来る万里 秋を悲しんで常に客(かく)となり百年 病多くして独(ひと)り台に登る艱難 苦(はなは)だ恨む 繁霜(はんそう)の鬢(びん)潦倒(りょうとう)新たに停む 濁酒の杯------------------------------------------------首聯の対句は風急、天高、猿嘯哀、渚清、沙白、鳥飛廻と三相を詠っている。それに 蕭々、滾々=重言 艱難、潦倒=畳韻 等、詩全体に美しい語句をちりばめている。この詩は完璧な"七言律詩"で,4聯全て対句となっている。見事な"全対格"(ぜんついかく)である。------------------------------------ この詩は前半が叙景、後半が叙情の構成となっており、雄大な長江を背景に杜甫の寂しい心情が細やかに詠われている。"九月九日"(重陽の節句)に高殿に登って詠んだもの。-----------------------------------------------「登高」とは、中国では、陰暦の九月九日に高い所に登って菊酒を飲むと、厄払いになると言う風習である。-------------------------------------------昔、ある仙人が桓景(かんけい)という者に、お前の家には九月九日に災厄があるから、高い所に登り、菊酒を飲むように、と言う。その通りにして、帰ってみると、家に飼っていた家畜は禍を受けて全部死んでいた。桓景は禍を逃れることが出来たことから、九月九日の「登高飲酒の風習が始まった」と言うことである。---------------------------------------------重陽の節供(重陽の節句・菊の節供) --------------------------------- 節供は行事と関係する植物の名を冠して呼ばれることがあります。重陽もまた然り。その花は菊。称して菊の節供。節供の名には春の桃、初夏の菖蒲、そして秋の菊と季節を代表する花が配されています。重陽の節句は、たびたび出てくる中国の重日思想から発した祭日。重日とは月の数と日の数が同じ数字となる日付。めでたい特別の日付と考えられました。ここでは9月9日と「9」が重なっています。9が重なることから重陽の節句は「重九(ちょうく)の節供」とも呼ばれます。 次に重陽の陽ですが、中国伝来の陰陽説によれば、奇数は陽の数、偶数は陰の数とされていました。9は一桁の奇数としては一番大きな数で「陽の極まった数」として陽数を代表する数と考えられました。「陽の極まった数の重日」ということで「重陽」となったわけです。------------------------------------"居酒屋"作詞・阿久悠 作曲・大野克夫 歌・五木ひろし・木の実ナナ♪~♪ (男)もしも きらいでなかったら(男)何か一杯 のんでくれ(女)そうね ダブルのバーボンを(女)遠慮しないで いただくわ(男)名前きくほど 野暮じゃない(男)まして 身の上話など(女)そうよ たまたま居酒屋で(女)横にすわった だけだもの(男女)絵もない 花もない 歌もない(男女)飾る言葉も 洒落もない(男女)そ~んな居酒屋で(男)外へ出たなら 雨だろう(男)さっき 小雨がパラついた(女)いいわ やむまで此処にいて(女)一人 グイグイのんでるわ(男)それじゃ 朝までつき合うか(男)悪い女と知り合った(女)別に気にすることはない(女)あなたさっさと帰ってよ(男女)絵もない 花もない 歌もない(男女)飾る言葉も 洒落もない(男女)そ~んな居酒屋で ------------------------------------------------------------------------"先達"(センダツ)はあらまほしき事なり-----------------------------------"先達"〔「せんだち」とも〕(1)その方面で立派な仕事をして、後輩を導く人。先輩。先学。「理論物理学の―」(2)修験道で、山に入って修行を行う際に指導する者。(3)先に立って導いていく人。案内者。指導者。「すこしのことにも―はあらまほしき事なり/徒然 52」-------------------------------------------------第五十二段仁和寺にある法師、年寄るまで"石清水"を拝まざりければ、心うく覚えて、ある時思ひ立ちて、たゞひとり、徒歩(カチ)より詣でけり。極楽寺・高良(カウラ)などを拝みて、かばかりと心得て帰りにけり。 さて、かたへの人にあひて、「年比(トシゴロ)思ひつること、果し侍りぬ。聞きしにも過ぎて尊くこそおはしけれ。そも、参りたる人ごとに山へ登りしは、何事かありけん、ゆかしかりしかど、神へ参るこそ本意なれと思ひて、山までは見ず」とぞ言ひける。 少しのことにも、"先達"はあらまほしき事なり。 -------------------------------------------『徒然草』にある「仁和寺の法師」の話でおなじみの石清水八幡宮は、貞観元年(859)、僧行教が託宣を受けて男山の山上に八幡大神を祀ったのがはじまり。以後、国家鎮護の神として崇拝を受け、天皇や上皇が行幸され、伊勢神宮につぐ宗廟とされた。現在は、応神天皇、神功皇后など3神を祀る。雅やかな現在の桧皮葺きの社殿は、寛永11年(1634)、徳川家光が造営したもの。社殿につづく幣殿、舞殿、楼門などはすべて重文。有名な"石清水"祭は日本三大勅祭。発明王エジソンはこの境内の真竹を使ってはじめて白熱電灯を作ったといわれ、エジソン記念碑が建っている。-------------------------------------------第五十三段これも仁和寺の法師、童(ワラハ)の法師にならんとする名残(ナゴリ)とて、おのおのあそぶ事ありけるに、酔(ヱ)ひて興に入る余り、傍(カタハラ)なる足鼎(アシガナヘ)を取りて、頭(カシラ)に被(カヅ)きたれば、詰(ツマ)るやうにするを、鼻をおし平(ヒラ)めて顔をさし入れて、舞ひ出でたるに、満座(マンザ)興に入る事限りなし。 しばしかなでて後、抜かんとするに、大方抜かれず。酒宴ことさめて、いかゞはせんと惑ひけり。とかくすれば、頚(クビ)の廻(マハ)り欠けて、血垂(タ) り、たゞ腫れに腫れみちて、息もつまりければ、打ち割らんとすれど、たやすく割れず、響きて堪へ難かりければ、かなはで、すべきやうなくて、三足(ミツアシ)なる角の上に帷子(カタビラ)をうち掛けて、手をひき、杖をつかせて、京なる医師(クスシ)のがり率(ヰ)て行(ユ)きける、道すがら、人の怪しみ見る事限りなし。医師のもとにさし入りて、向ひゐたりけんありさま、さこそ異様 (コトヤウ)なりけめ。物を言ふも、くゞもり声に響きて聞えず。「かゝることは、文(フミ)にも見えず、伝へたる教へもなし」と言へば、また仁和寺へ帰りて、親しき者、老いたる母(ハワ)など、枕上(ガミ)に寄りゐて泣き悲しめども、聞くらんとも覚えず。 かゝるほどに、ある者の言ふやう、「たとひ耳鼻こそ切れ失すとも、命ばかりはなどか生きざらん。たゞ、力を立てて引きに引き給へ」とて、藁(ワラ)のしべを廻りにさし入れて、かねを隔てて、頚もちぎるばかり引きたるに、耳鼻欠けうげながら抜けにけり。からき命まうけて、久しく病みゐたりけり。 ----------------------------------------------------------------------------------------------「耳なし芳一」by "Lafcadio Hearn"赤間ヶ関阿弥陀寺(今の赤間神宮)に"芳一"といふ名の盲人が住んでゐました。琵琶法師としてあまりにも有名であったので、妙技入神の言葉のやうに、平家の亡霊も是非これを聞きたいと、或夜ひそかに現われて来ました。阿弥陀寺に住んで居る琵琶法師の"芳一"は、呼ばれるまゝに、誘われるがまゝに引かれてゆけば、七まがり八まがりの廊下を辿り大広間に通されました。居ならぶ武士等は威儀を正して待って居り、正面の御廉の中からは「御苦労であった、壇之浦の合戦を弾奏せよ」との事で、弾奏すれば厳然としてゐた武士たちは涙を流し婦人等は嗚咽の声を出して泣いてゐる。"芳一"は自分の琵琶に半ば陶酔しつゝ其の曲を終った。「実に今日は満足した、又明日も明後日も、七日七夜は必ず頼むぞ。」と頼まれて別れをつげて、寺に帰りました。かくて毎夜外出することが続きましたので寺の僧侶も、ふと気のつく所と成り「是れは不思議だ、盲目の"芳一"が毎夜琵琶を抱えては出てゆく果してどこへゆくのであろう……と張り込みして時の来るのを待って襖の蔭からぢっと息を呑んで見て居りますと、だれも居らないのに一、二言ものを云ったかと思うと、ふと出てゆきました。僧侶は直ちにあとをつけたが、ヨウとして姿が見えません。止むなく寺に引返して参りますと、山の森の中で琵琶の音がけたゝましく聞えるではありませんか!アレあんな所に"芳一"が、!と大急ぎに草を分けて馳せ寄りますと、又驚きました。目の前は真暗やみの中にお墓の前に単座して、一生懸命に弾いている"芳一"は、此の世の人とも思えぬ形相で、あたり一面は鬼火がゆれ、其の凄惨なること二た目と見られません。僧侶乍らも身の毛のよだつおもいが致しました。之を呼び起し"芳一"をかゝえて阿弥陀寺の和尚の前に事の一部始終をかよう~と申し伝えますと和尚は大層驚いて、「これは平家の亡霊が恨みを以って一人でも彼の世につれ去ろうとするのだ、今宵は声を出すな、動くな、返事をするな」と固く申し渡し身体中に般若心経を書きつゞりました、「さ、是れでお前は安全だ」と申し置いて法事に出られて行ってしまいました。その夜のこと、いつものように単座していると、又昨夜のようにやって来た気配がする、生ぬるい風と共に足音がピタリと自分の前で止った、「ハテ」とおもう裡に「芳一」と呼びかけられハッと声をあやうく出そうとして和尚の云う事を思い出し口をつむんでいるうちに、又も「芳一」と半ば大声に呼びかけられました。然し今度は、返事も声も聞えませんでした。「今宵は声も、返事も無い、姿すら見えぬ、ハテ如何した事であろう」とフト見ますと耳だけが闇夜にはっきりと見えました、「せめてもの是れだけなりと持って帰ろう」とつぶやき乍ら、鉄の氷のような、つめたい手先で耳を持ったかと思うと、フイともぎ取っていずれともなく立ち去りました。和尚は今日こそは"芳一"も無事であったろうと寺に帰って、ふと襖を開けて、驚いた、アッ!と云うたまゝしばらく范然としていましたが、耳の無いのを見て、「鳴呼全身に経文を書いたが、耳に経文が無かったからだ」とつぶやき乍ら、命びろいをした喜びに、全山の衆僧総員して、よく亡霊を弔ったという事でございます。爾来是れを「耳なし芳一」と呼ぶように成りました。 ------------------------------------------------"鬼籍"(きせき) 死者の姓名などを記入する帳面。過去帳。点鬼簿。鬼籍に入(い)・る 死んで過去帳に記入される。死亡する。------------------------------------------------作家「水上勉」(みずかみ・つとむ)さんが鬼籍にお入りになりました。享年85歳。心よりご冥福をお祈りいたします。合掌
2004年09月09日
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立秋 ~ 処暑 ~ 白露 ~ 秋分 ~ 寒露 ~-----------------------------------------------"わが机 袖にはらへどほろろ散る 女郎花こそうらさびしけれ" by 与謝野晶子----------------------------------------------- "秋たつや 川瀬にまじる 風の音"by 飯田蛇笏 ----------------------------------------------- 松虫草(マツムシソウ)松虫が鳴くころになると咲き始めるのが由来の名です。花の色もあの虫の声によく似合う。ヨーロッパでは皮膚病に効くからと、この類を「疥癬草」といいます。 ------------------------------------------------------------------------------------"九月の雨" 作詞 松本隆・作曲 筒美京平唄 太田裕美♪~♪車のワイパーすかして見てた 都会にうずまくイルミネーション 唇かみしめタクシーの中で あなたの住所をポツリと告げた September rain rain 九月の雨はつめたくて September rain rain 思い出にさえしみている 愛はこんなにつらいものなら 私ひとりで生きてゆけない September rain 九月の雨はつめたくて~ ガラスをとびさる公園通り あなたと座った椅子もぬれてる さっきの電話であなたの肩の 近くで笑ったひとは誰なの September rain rain 九月の雨の静けさが September rain rain 髪のしずくをふるわせる 愛がこんなに悲しいのなら あなたの腕にたどりつけない September rain 九月の雨の静けさが 季節にあせない心があれば ひとってどんなに幸せかしら ライトに浮かんで流れる傘に あの日のふたりが見える気もした September rain rain 九月の雨はやさしくて September rain rain 涙も洗い流すのね 愛が昨日を消してゆくなら 私明日に歩いてくだけ September rain 九月の雨はつめたくて September rain 九月の雨はやさしくて------------------------------------------女郎花(オミナエシ)多年性草本は東アジアの暖温帯に広く分布し、日当たりの良い山地の草原に多い。現代中国の植物学者は黄花龍牙と呼びます。かつては同属で白花をつけるオトコエシとともに敗醤と呼び、若葉を食用し根は干して浮腫や産後の痛み止めの薬としていました。梁の武帝の頃『神農本草経集注』を著わした陶弘景によると、敗醤の名はその根に腐敗した豆醤に似た臭気があることに由来するといいます。根だけでなく花が終わり実が熟し葉や茎が枯れはじめるころになると、獣の尿のような独特の臭気を発する。それは花時の可憐な姿からはちょっと想像できないほどのものです。オミナエシを秋の七草の一つに選んだのは、大陸への留学の経験もある、かの万葉の歌人、山上憶良です。彼が七草を選定した目的は、中国由来の行事である七夕祭りの乞巧奠に飾るためであったようです。オミナエシを詠んだ歌が万葉集だけで十五首もあります。しかし今日のように女郎花の字を当てた例はなく、娘子部四・娘部思・佳人部為・乎美奈飯之などと書かれています。憶良の歌でも姫部志と表記されています。女郎花は延喜年間の頃から使われだしたようです。「オミナヘシ」と呼ばれるようになったのは"なぜ"?平安時代初期に深根輔仁が著わした『本草和名』では敗醤の和名を於保都知(おほつち)、別名知女久佐(ちめくさ)としています。別名のほうは血目草の意味で、結膜炎などの眼病に薬功があるからだという。だが、「オミナヘシ」はこれよりも古くから使われていた呼称です。万葉集に「姫押」と書かれた例があることから、江戸時代の『古今要覧稿』などは、美女をも負かすほど美しい花の意味だと説いています。しかし、深津正の説も捨てがたい。それは、上古の人々がすでにオトコエシを男敗醤、オミナエシを女敗醤と区別していて、「おみなはいしょう」がいつしか「おみなへし」と転化したというものです。ただし、天平の文化人が「敗醤」を「はいしょう」と発音していたか否かの確証はありません。----------------------------------------------------------------"旅愁"片桐和子 作詞 平尾昌晃 作曲♪~♪あなたをさがして ここまで来たの悲しいあなた あなた 今どこに風にゆれ 雨にぬれて恋は今も今も 燃えているのに ああ・・・白いほほえみも うしろすがたも遠い夢の中 あなたはいないわたしの夜空に 星はみえないあなたに逢える 逢える その日まで鳥は飛び 鳥は帰る花の咲く頃 ああ・・・白いほほえみも うしろすがたも遠い夢の中 あなたはいない~----------------------------------------------------------------------"La Marseillaise" Allons enfants de la Patrie Le jour de gloire est arrive. Contre nous, de la tyrannie, L'etandard sanglant est leve, l'etandard sanglant est leve, Entendez-vous, dans la compagnes. Mugir ces farouches soldats Ils viennent jusque dans nos bras Egorger vos fils, vos compagnes. Aux armes citoyens!Formez vos bataillons, Marchons, marchons!Qu'un sang impurAbreuve nos sillons. Amour sacre de la Patrie, Conduis, soutiens nos bras vengeurs, Liberte, liberte cherie, Combats avec tes defenseurs;Combats avec tes defenseurs. Sous drapeaux, que la victoireAcoure a tes males accents; Que tes ennemis expirants Voient ton triomphe et notre gloire! Aux armes citoyens!Formez vos bataillons, Marchons, marchons!Qu'un sang impurAbreuve nos sillons.-----------------------------------"ラ・マルセイエーズ" 【作詞・作曲】 ルジェー・ド・リル【訳詞】中央合唱団1.起て祖国の子等よ栄えある日は来ぬぼうぎゃくのとりでに見よ旗は血にそみぬ見よ旗は血にそみぬ聞け我等が野山をふみにじるとどろきをわがはらからはけがれし手にくびられるとれ武器を組め隊伍を進め進め我が祖国の自由を守れ2.彼等何するものぞおごれる地獄の犬裏切りとさく取の手もてわが敵はせまりきぬわが敵はせまりきぬフランス人よ何たる恥ぞ憎しみを火ともやし圧制をくだきてきたえよ我がかちどきとれ武器を組め隊伍を進め進め我が祖国の自由を守れ【訳詞】小野宮吉Rabotshaja Marcelesa (Marse)1.我等は燃ゆる焔 圧制を砕く鎚自由は我が旗印 我が聖なるスローガン戦いにひるむ者 労働をぬすむ者に戦い決するため 隊伍をつめよ待てるは勝利か! 死か!とれ! 武器を! 断て! 鎖を進め進めいざ進め 旗を進めよ2.専制の泥足もて 自由を踏みにじり民衆の血と汗に おごれる彼らブルジョアの魔の手に同志は戦いたおれその紅の血に 世界染むるまで待てるは勝利か! 死か!とれ! 武器を! 断て! 鎖を進め進め いざ進め 旗を進めよ-------------------------------------------------------------------------------------------「インターナショナル」と並ぶ代表的革命歌。現在のフランス国歌。有名なだけあっていくつも訳詞があります。また第三インターの「労働者のマルセイエーズ」と呼ばれている別歌詞のものが各国にあります。---------------------------------------"子供たちの死霊の岩屋で" by ラフカディオハーン美しい日本の愛すべき人々と風物を印象的に描いたハーンの代表作『知られぬ日本の面影』を新編集。赴任先の松江を活写し、日本人の精神にふれた傑作「神々の国の首都」、西洋人として初の正式昇殿を許された出雲大社の訪問記「杵築―日本最古の神社」、微笑の謎から日本人の本質にアプローチする「日本人の微笑」など、ハーンのアニミスティックな文学世界、世界観、日本への想いを色濃く伝える11編を詩情豊かな新訳で収録する。日本の原点にふれる、ハーン文学の決定版です。------------------------------------------- 目次:東洋の第一日目盆踊り神々の国の首都杵築―日本最古の神社子供たちの死霊の岩屋で―加賀の潜戸日本海に沿って日本の庭にて英語教師の日記から日本人の微笑さようなら----------------------------------「デカンショ節」兵庫県篠山市民謡♪~♪丹波篠山 山家の猿がア ヨイヨイ花のお江戸で 芝居するヨーオイヨーオイ デッカンショ酒は飲め飲め 茶釜でわかせア ヨイヨイお神酒あがらぬ 神はないヨーオイヨーオイ デッカンショ霧の海から 丹波の富士がア ヨイヨイぼかし絵の様に 浮び出るヨーオイヨーオイ デッカンショ灘のお酒は どなたが造るア ヨイヨイおらが自慢の 丹波杜氏ヨーオイヨーオイ デッカンショ雪はちらちら 丹波の宿にア ヨイヨイ猪がとびこむ 牡丹鍋ヨーオイヨーオイ デッカンショデカンショデカンショで 半年暮らすア ヨイヨイあとの半年寝て暮らすヨーオイヨーオイ デッカンショ丹波篠山 鳳鳴の塾でア ヨイヨイ文武きたえし美少年ヨーオイヨーオイ デッカンショ寒さしのんで 作りし酒でア ヨイヨイ春は三三九度の式ヨーオイヨーオイ デッカンショ私ゃ丹波の かち栗育ちア ヨイヨイ中に甘みも 渋もあるヨーオイヨーオイ デッカンショ丹波篠山 その山奥でア ヨイヨイ一人米つく 水車ヨーオイヨーオイ デッカンショ一人米つく あの水車ア ヨイヨイ誰を待つやら くるくるとヨーオイヨーオイ デッカンショ向うのお山の 紅葉が赤いア ヨイヨイあれが落ちたら 雪になるヨーオイヨーオイ デッカンショ今年初めて 我が子の踊りア ヨイヨイほめて下さい お月様ヨーオイヨーオイ デッカンショお国問われて 肩いからせてア ヨイヨイ俺は丹波の 篠山だヨーオイヨーオイ デッカンショほりの桜が 咲いたよ咲いたア ヨイヨイ城下一面 花吹雪ヨーオイヨーオイ デッカンショ踊り疲れて 家路に向かうア ヨイヨイ頬に夜霧の 心地よさヨーオイヨーオイ デッカンショ涼みしよとて 出てきた娘ア ヨイヨイまたも音頭で 汗をかくヨーオイヨーオイ デッカンショボート浮かべて お濠の花見ア ヨイヨイ流す浮き名を こいでゆくヨーオイヨーオイ デッカンショ風が吹く吹く 篠山城の ア ヨイヨイ松に武勇の 声高くヨーオイヨーオイ デッカンショ踊り踊るなら 浮かれて踊れア ヨイヨイあすの仕事は あすのことヨーオイヨーオイ デッカンショ月が呼んだか 呼ばれて来たかア ヨイヨイ踊り仲間が ちらほらとヨーオイヨーオイ デッカンショあの娘可愛いや霧ふる夜はア ヨイヨイたもとぬらして 逢いに来るヨーオイヨーオイ デッカンショ姉も妹も デカンショ浴衣ア ヨイヨイどれが姉やら 妹やらヨーオイヨーオイ デッカンショデカンショデカンショで 歌うて回れア ヨイヨイ世界いずこの 果てまでもヨーオイヨーオイ デッカンショ-------------------------------------今年ももう早、折り返し地点を過ぎてしまいましたね。*~6~*あとの"半年"は-----------"寝て暮らす"???????????
2004年09月08日
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"あかあかと日はつれなくも秋の風" by baseu句は元禄2年の秋、越後から金沢に入る"奥の細道"途次の作「あかあかと日はつれなくも秋の風」----------------------------------「恋の町 札幌」作詞・作曲:浜口庫之助唄:石原裕次郎♪~♪ 時計台の 下で逢ってわたしの恋は はじまりましただまってあなたに ついてくだけで私はとても 幸せだった夢のような 恋のはじめ忘れはしない 恋の町 札幌はじめて恋を 知ったわたしやさしい空を 見上げて泣いたの女になる日 だれかの愛が見知らぬ夜の 扉を開く私だけの 心の町アカシヤも散った 恋の町 札幌 淋しい時 むなしい時私はいつも この町に来るのどこかちがうの この町だけはなぜか私に やさしくするの恋人なのね 故里なのねありがとう私の 恋の町 札幌~----------------------------- 昭和47年(1972)のヒット曲。この年、アジアで初めての冬季オリンピック第11回大会が札幌で開かれました。それを盛り上げるために、札幌を舞台とした歌がいくつか作られましたが、これもその1つ。この年はまた、横井庄一元軍曹がグアム島から「恥ずかしながら」帰還し、凄惨な連合赤軍事件が起こり、沖縄が返還された年でもありました。-----------------------------------------街のみんなが振り返る 青い夜風も---------------------------------------------------"Au---Ag"元素鉱物(native element) --------------------------自然金グループ(gold group) 自然金 gold "Au" 等軸 自然銀-3Cと固溶体。 自然銀 silver "Ag" 等軸・六方 自然金と固溶体。自然銅 copper "Cu" 等軸 ----------------------自然白金グループ(platinum group) 自然白金 platinum "Pt" 等軸 普通Pd,Ir,Fe,Niを含む。 自然パラジウム palladium "Pd/(Pd,Hg)" 等軸 自然イリジウム iridium (Ir,Os,Ru) 等軸 -----------------------自然鉄グループ(iron group) 自然鉄 iron "α-Fe" 等軸 自然ニッケル nickel "Ni" 等軸------------------------自然砒素グループ(arsenic group) 自然砒素 arsenic "As" 三方 スティブアーセン stibarsen "SbAs" 三方 自然アンチモニー antimony "Sb" 三方 自然ビスマス〔蒼鉛〕 bismuth "Bi" 三方 自然水銀 mercury "Hg" -(液体) 自然硫黄 sulfur "S" 斜方 自然テルル tellurium "Te" 三方 "ダイヤモンド"〔金剛石〕 diamond "C" 等軸 グラファイト〔石墨〕 graphite C 六方・三方 -------------------------------------------白金も黄金も"玉"も---------------------------純潔と幸福のシンボルとして世界の人々に愛好珍重された真珠は、遠い昔、今を去ること約五千年前に既に当時のペルシャ湾や紅海で採取された貝の中から発見されたと云われています。遠くはクレオパトラがその美容を保つ為に酢に真珠を溶かして飲んだというエピソードや、昔、秦の始皇帝が不老長寿の薬として探し求めたとか、或いは かの有名な楊貴妃が真珠を粉末にして常用したとか、他にも、アラビアンナイトの物語の中にも真珠の話は度々出て参ります。今尚、幾世紀に渉って伝わる英皇帝の王冠に多種の宝石と共に数多くの真珠が使用されています。我が国においても、古く万葉集の中にも「白金も黄金も玉も何かせむ」と詠まれた「玉」は真珠の事であると言われています。正倉院の御物の中にも真珠を装飾したものがあります。このように内外を問わず古くから真珠にまつわる話は数多くありますが、これらの話しにある真珠は何れも「天然真珠」であって、外国での物は多くは20~30cm丈の白蝶貝の体内で採取されたもので、時としては黒蝶貝より採れたものもあります。これらの貝の大部分は熱帯、もしくは亜熱帯における海域に分布生息している貝です。我が国では三重県の英虞(アゴ)湾や愛媛県の宇和海域に多く生息していたあこや貝から採取されたのですが、これらは外国のものに比べてその形状は甚だしく小粒です。我が国においては、二十世紀の始めに御木本幸吉翁の着想により研究が進められ1907年に養殖真珠に成功しました。その後1919年には商品として世に出されました。しかし1912年頃パリとロンドンで日本の養殖真珠は真珠と称することは出来ないという裁判にかけられます。ジェムソン博士、ブートン博士をはじめ、英国・フランスの学者等の証言によりその組成や諸条件が何ら天然真珠に異ならずと立証されて以来、現在日本の特産品として世界各国に迎えられるに至っています。この養殖真珠は、我が国ではあこや貝に独特の手術を施し、数年間海中で育成して生産されます。同様の技術により日本人の技術者によりオーストラリアの木曜島周辺やミャンマー、フィリピン等においても白蝶貝による大粒の養殖真珠生産が行われ高く評価されています。更にまた、琵琶湖等にて淡水産のイケチョウ貝等にて養殖生産された淡水真珠もその特殊性を評価されいます。これら養殖真珠の技術が海外に渡り、近年には中国においても広く生産され、我が国にも輸入されています。戦前には希少価値と上品質により珍重された養殖真珠も戦後、技術の進歩と生産海域の開発により大量に増産され、輸出産業の花形とまで謳われるに至った時代がありました。反面、品質の低下と過当競争による安値販売が禍して甚だしく流通し諸外国にてその評価が下がった一時期がありました。しかし、上品質の物に対する愛好心は国の内外を問わず根強いものがあり、特に近年に至り海域の汚染により自然淘汰的に減産の一路を辿っています。中でも上品質の物の生産は稀少となってきていますが、我が国女性の真珠に対する愛好心は年々高まりつつあります。古来、西洋諸国では6月はブライダルムーンとされていると同時に真珠は「6月の誕生石」として愛好されています。真珠は円くてキズがなく色沢の豊かなものが最高級とされていますが、これらはごく稀少であってその価額も高額で、ダイヤモンドやその他の宝石よりも高価なものもあります。------------------------------------------------------------------------------------------------------中華人民共和国の国歌は「義勇軍行進曲」です。--------------------------------------------- 起て!奴隷となることを望まぬ人びとよ! 我らが血肉で築こう新たな長城を! 中華民族に最大の危機せまる、 一人びとりが最後の雄叫びをあげる時だ。 起て!起て!起て! もろびと心を一つに、 敵の砲火をついて進め! 敵の砲火をついて進め! 進め!進め!進め! ---------------------------------「義勇軍行進曲」は中国の詩人"田漢"氏が作詞し、中国の音楽家"聶耳"氏が作曲しました。1935年に創作され、もともとは中国の映画「風雲児女」のテーマ曲でした。 「義勇軍行進曲」は力強く、昂揚的であり、中国人民の身を顧みず民族の解放を追求する決心と中華民族の勇ましく、力強く、一致団結して外敵の侮辱に反抗する優れた伝統を象徴しています。1949年9月27日、中国人民政治協商会議はこの歌を中華人民共和国代国歌とし、1982年12月4日、全国人民代表大会はこの歌を中国の正式の国歌と決定しました。 ---------------------------------"聶耳"(ニエアル)1912/02/15(昆明)~1935/07/17(神奈川)四つの耳の字を名前とする聶耳は、1912年、中国雲南省・昆明に生まれ、多くの曲を残した。本名、聶守信(ニエ・ショウシン)。雲南省立第一師範の学生時代に学生運動に参加して雲南政府の弾圧を受け、1930年上海に出る。反帝大同盟という大衆団体に加わり、1931年に呂驥(リュイチー)など新音楽活動家と知り合い、百代(パテー)国楽隊を組織し、〈金蛇狂舞〉に代表される中国民間器楽曲をレコードに吹き込む。1932年には進歩的映画を制作する聯華映画会社の音楽主任となり、聶耳というペンネームで数多くの映画主題歌、大衆歌曲を作曲した。なかでも〈大路歌〉〈工農一家人〉〈新的女性〉などの歌は、労働のリズムや青年たちの意気を形象化したもので、中国における社会主義リアリズム音楽の先駆として高く評価され、現在でも革命歴史歌曲と呼ばれて広く歌われている。また、彼が作曲した歌劇〈揚子江暴風雨〉では老波止場労働者に扮して舞台に立った。1935年日本に亡命。田漢の歌詞による〈義勇軍進行曲〉(映画〈風雲児女〉の主題歌)の楽譜は、日本から中国に送られたという。1935年7月17日、神奈川県・鵠沼(くげぬま)海岸で水死しました。------------------------------「三つ目が通る」(writen by "手塚治虫") 登場人物写楽保介和登千代子(わとちよこ)犬持医師(けんもちいし) 雲名警部(うんめいけいぶ)須武田博士(すぶたはくし) ヒゲオヤジ -----------------------三つ目族の子孫で不思議な力を持つ少年・写楽保介が、古代史にまつわる難事件に立ち向かう、ミステリータッチのSFです。中学2年生の写楽保介は、いつも額に大きなバンソウコウを貼っている、まるで幼い子どものように純真な少年です。 ところが、ひとたびバンソウコウがはがれると、その下から第三の目があらわれて、たちまち、恐ろしい超能力を発揮する悪魔のような三つ目人になるのです。 写楽保介は、クラスメートの男まさりな女の子・和登千代子とともに、古代遺跡や財宝にからむ謎に次々と巻きこまれていきます。 手塚治虫が19年ぶりに「週刊少年マガジン」に描いた作品で、同じ時期に手塚治虫が「週刊少年チャンピオン」に連載していた『ブラック・ジャック』とともに、70年代の手塚治虫作品を代表する傑作です。 最初は、月1回の読み切りとして掲載されましたが、その後、毎週連載となりました。 当時の「週刊少年マガジン」は、「おれは鉄兵」(ちばてつや)や「野球狂の詩」(水島新司)など劇画路線が中心だったため、手塚マンガの味わいはひじょうに新鮮に映りました。 また、写楽保介の魅力的なキャラクターのおかげで、少年雑誌の連載でありながら、多くの女性読者の心をつかんだという点も『ブラック・ジャック』と共通しています。 ------------------------------万葉集(3504) 春へ咲く藤の末葉(うらば)の"心安(うらやす)"にさ寝(ぬ)る夜そ無き子ろをし思(も)へば------------------------"浦安"(心安)-うらやす-浦安市域全般を指す地域名のことです。言語としては古くは「心安」と書き、心中安らかなことを意味しています。明治22年、町村制の施行に伴い堀江、猫実、当代島の3村が合併して「浦安村」が誕生しました。当時の戸数は1,040戸、人口5,946人。その命名の由来は、当時漁村であった当地の漁浦の安泰を祈願する意味で、初代村長新井甚左衛門によって名付けられたといわれています。また、一説には日本国は昔「浦安の国」と称したことから、この名を採用したともいわれています。------------------------------How about roaming around "心安"????---aimlessly."s'il vous plait"!!!
2004年09月07日
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"人はいさ 心もしらず ふるさとは花ぞ昔の 香ににほひける"(by 紀貫之)----------------------------------Forgesus min jam amikoj de Paseo.Nun en la hejmo.Aromas kiel tiam la floroj de mumeo!-----------------------------------"紀貫之"(きのつらゆき) (872~945)住む人はさあどうか、心は変ってしまったか。それは知らないけれども、古里では、花が昔のままの香に匂っている。(人の心はうつろいやすいとしても、花は以前と変らぬ様で私を迎え入れてくれるのだ。)-----------------------------------------◇人はいさ 人はさあどうか。古今集の詞書によれば、この「人」は作者が宿った「家のあるじ」を指していますが、詞書を離れて読めば、「花」に対する「人」一般と取ることができます。◇ふるさと古い馴染みの里。◇花 古今集の詞書によれば梅の花。詞書を伴わない百人一首の歌としては、必ずしも梅と取る必要がなく、「人の心」に対する「花」一般として読めます。【出典】古今集巻一(春)「初瀬にまうづるごとに、やどりける人の家に、久しく宿らで、程へて後にいたれりければ、かの家のあるじ、かくさだかになんやどりはあると、いひいだして侍りければ、そこに立てりける梅の花を折りてよめる つらゆき」--------------------------------------------------作者は古今集の撰者にして代表的歌人。というより、古来"人麻呂"と評価を競ったほどの、和歌史上最大の歌人の一人です。三代集(古今・後撰・拾遺)すべて最多入集歌人。古今集仮名序や『土左日記』など優れた散文作品も残し、日本文学史に占める地位は比類ないものです。しかし定家は歌論『近代秀歌』で「哥心たくみに、たけをよびがたく、詞つよく、姿おもしろきさまを好て、餘情妖艶の躰をよまず」と賞讃しつつ批判して、同書の秀歌例に貫之の歌を一首しか採っていません。(比して俊成は六首、西行は五首) 百人一首では35番目に置かれ、古今集時代の最後に近く位置を占めます。百人秀歌では28番目に置かれ、27番文屋康秀「ふくからに秋の草木の…」と対になっています。「しをれる秋の草木」と「昔の香ににほふ花」との対比。【他の代表歌】"しらつゆも 時雨もいたくもる山は したばのこらず 色づきにけり" (古今集) "むすぶ手の しづくににごる山の井の あかでも人に わかれぬるかな" (古今集) "吉野河 いは浪みたかく行く水の はやくぞ人を 思ひそめてし"(古今集) "桜ちる 木の下風はさむからで 空にしられぬ 雪ぞふりける"(拾遺集) "あふさかの 関のし水に影見えて 今やひくらむ もち月のこま(拾遺集)"思ひかね いもがりゆけば冬の夜の 河風さむみ ちどりなくなり(拾遺集)-----------------------------------------【主な派生歌】"君こひて 世をふる宿の梅の花 昔の香にぞ猶匂ひける"(読人不知「続後撰」)"すむ人も うつればかはる古郷の 昔ににほふ窓の梅かな"(藤原家隆)"花の香も 風こそよもにさそふらめ 心もしらぬ古里の春"(藤原定家)"ちりぬれば とふ人もなし故郷は はなぞむかしの あるじなりける"(源実朝)"里はあれて 春はいく世かかすむらん 花ぞむかしの しがの古郷"(藤原行能)"人はいさ 心もしらずとばかりに にほひ忘れぬ宿の梅がか"(正徹)"ことの葉の 花ぞ昔の春に猶 にほふはつせのさとの梅が香"(三条西実隆)"人はいさ 心もしらず我はただ いつも今夜の月を しぞおもふ"(松永貞徳)------------------------------------------------Le soleil se leve,"le matin"---se couche,"le soir"------------------------------------------------"Sunrise, Sunset"Words & Music by "Sheldon Harnick & Jerry Bock" From the musical "Fiddler on the Roof"(1964)Performed by Topol in the movie of the same name -------------------------------------------------♪~♪Is this the little girl I carried?Is this the little boy at play?I don't remember growing older --When did they?When did she get to be a beauty?When did he grow to be so tall?Wasn't it yesterday when they were small?Refrain:Sun-rise, sun-set, sun-rise, sun-set,Swiftly flow the days;Seedlings turn overnight to sun-flow'rs,Blossoming even as we gaze.Sun-rise, sun-set, sun-rise, sun-set,Swiftly fly the years;One season following anoth-er,Laden with hap-pi-ness...and tears.Now is the little boy a bridegroom,Now is the little girl a bride;Under the canopy I see them, side by side.Place the gold ring upon her finger,Drink the sweet wine and break the glass --Soon the full circle will have come to pass.Repeat Refrain:------------------------------------------------------------------------------------------「星の界(よ)」杉谷代水作詞・コンヴァース作曲♪~♪月なきみ空に、きらめく光、嗚呼(ああ)その星影、希望のすがた。人智(じんち)は果(はて)なし、無窮(むきゅう)の遠(おち)に、いざ其の星影、きわめも行かん。雲なきみ空に、横とう光、ああ洋々たる、銀河の流れ。仰ぎて眺むる、万里(ばんり)のあなた、いざ棹(さお)させよや、窮理(きゅうり)の船に------------------------------------------「星の世界」川路柳虹作詞・コンヴァース作曲かがやく夜空の 星の光よまばたく数多(あまた)の 遠い世界よふけゆく秋の夜 すみわたる空のぞめば不思議な 星の世界よきらめく光は 玉か黄金(こがね)か宇宙の広さを しみじみ思うやさしい光に まばたく星座のぞめば不思議な 星の世界よ-----------------------------------------この他の"歌詞"----------------------------------何にか譬(たと)えん 尊き母を夜すがら輝く 御空(みそら)の北斗人生行路の 行く手に耀り行けども行けども 耀りてやまず何にか譬えん やさしき母を湧き出て尽きざる 谷間の泉慈愛は御胸(みむね)の 奥より流れ汲めども汲めども 溢れてやまず---------------------------------------賛美歌312番の"歌詞"1.慈しみ深き 友なるイエスは罪 咎 憂いを 取り去りたもう。心の嘆きを 包まず述べてなどかは下さぬ 負える重荷を。2.慈しみ深き 友なるイエスは我らの弱きを 知りて憐む。悩み悲しみに 沈めるときも祈りにこたえて 慰めたまわん。3.慈しみ深き 友なるイエスはかわらぬ愛もて 導きたもう。世の友われらを 捨て去るときも祈りにこたえて 労りたまわん。(アーメン)------------------------------------------------------------------------------------"茅舎の感" by 芭蕉 (延宝9年秋 38歳) ------------------------------------------老杜、茅舎破風の歌あり。坡翁ふたたびこの句を侘びて、屋漏の句作る。その世の雨を芭蕉葉に聞きて、独寝の草の戸。 "芭蕉野分して 盥に雨を 聞く夜かな"(ばしょうのわきして たらいにあめを きくよかな) --------------------------------------------この夏には、門人李下が芭蕉の苗木を植えてくれた。わび住まいの柴の戸=茅舎に秋の雨が降ってここかしこから雨漏り。外の芭蕉葉にうちつける雨音と、盥に落ちる雨水の音が一層侘び住まいを引き立てる。せめての慰みは、この境涯が尊敬してやまない杜甫の境涯と似ていることだ。"芭蕉"初期の秀句の一つ。 『真蹟句切』には、 "芭蕉野分盥に雨を聞く夜かな"とある。 なお、この年16句が現存する。 -------------------------------老杜:杜甫、茅舎破風の歌あり:「ろうと、ぼうしゃはふうのうたあり」と読む。杜牧と区別して呼ぶ時には老杜となる。杜甫の作品「茅屋秋風に破らるるの歌」の「牀牀屋漏りて乾けるところなし(どの寝床も雨漏りで寝るところもないの意)」をふまえている。 坡翁:蘇東坡を指す。「牀牀、漏れを避く幽人の屋」なる句をもって杜甫の詩を引用したことをいう。 屋漏の句:「おくろうのく」と読む。蘇東坡の詩に「牀牀、漏を避く幽人の屋」(『蘇東坡詩集』)とあるより引用。 ----------------------------------------------「秋風秋雨人を愁殺す」-----------------------武田泰淳(たけだ・たいじゅん)(1912~1976)小説家。東大支那文科中退。戦後派。多く中国文学を基盤とした著作を表す。武田百合子は妻、武田花は夫妻の娘である。"秋瑾"は武田泰淳の「秋風秋雨人を愁殺す」のモデル。----------------------------"秋瑾"(しゅうきん)(1875~1907) 中国,清末の婦人革命家。浙江省紹興県の人。字はセン卿,号は競雄・鑑湖女侠・漢侠女児。官僚地主の家庭に生まれ,1896年(光緒22)湘潭の王廷鈞と結婚し1男1女をもうけた。1903年(光緒29)戸部主事となった夫とともに北京に出る。1904年(光緒30)時局を憂え,勉学の必要を痛感して単身日本に留学。東京の留学生会館付設の講習会で日本語を学んだのち,青山の実践女学校に入学した。この間多くの革命家と知りあい1905年(光緒31)に中国同盟会に加入,浙江分会の会長に推された。1906年(光緒32)清国留学生取締事件に抗議して帰国。上海に中国公学を設立し,上海・浙江一帯で革命運動に奔走した。1907年(光緒33)「中国女報」を創刊,革命と女性解放を力説した。同年紹興に帰り徐錫麟・陶成章らと大通学堂を経営。同時に会党などと結んで光復軍を組織し,反清蜂起を準備した。7月その計画がもれ,徐は安徽巡撫恩銘を暗殺したが殺され,彼女も連座して処刑された。〈秋風秋雨人を愁殺す〉はそのときの辞世の句といわれる--------------------------------------------------------------------------------------------------------------"三好達治" (1900-1964)「雪」~測量船太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。-------------------------------------昭和を代表する詩人。大阪市に生まれています。日本の古語から西欧象徴詩までを融合させ、現代でも多くの人に愛されている叙情詩を数多く発表しました。わずか二行でありながら、深いしじまの中でしんしんと降る雪、広がるはてしないイメージを連想させる「雪」は彼の代表作です。1930年に刊行した第一詩集『測量船』には「雪」「乳母車」など、若き三好達治の孤独と憂愁が詠われています。------------------------------------------------「乳母車」母よ――― 淡くかなしきもののふるなり 紫陽花(あじさい)いろのもののふるなりはてしなき並樹のかげを そうそうと風のふくなり時はたそがれ 母よ 私の乳母車を押せ泣きぬれる夕陽にむかって 凛々(りんりん)と私の乳母車を押せ赤い總(ふさ)ある天鵞絨(びろおど)の帽子を つめたき額にかむらせよ旅いそぐ鳥の列にも 季節は空を渡るなり淡くかなしきもののふる 紫陽花いろのもののふる道母よ 私は知ってゐる この道は遠くはてしない道------------------------------------"母"(おも) (1)はは。母親。「泣く子らをおきてそ来ぬや―なしにして/万葉 4401」(2)うば。めのと。「乳飲めや君が―求むらむ/万葉 2925」--------------------------------------"Mother"----------------------------"Where" are you "What" are you doing now???Calling me up!!!"S'il vous plait"
2004年09月06日
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九月、長月----------題知らず・拾遺集・恋三 あし引きの 山鳥の尾の しだり尾のながながし夜を ひとりかも寝む <柿本人麻呂> --------------------------------------------------独り寝のあの山鳥の、うち萎えた尾のように、長い長いこの夜を、わたしもまたわびしく、独りで寝ることかなあ。 --------------------------------------------------Longer than hangingtail of mountain pheasant, this long, long autumn night ---------------------------------- "長月"(ながつき) 「ながづき」とも陰暦九月の異称。菊月。[季]秋。-------------------------------------------------------------------by"田村隆一"(1923-1998)わたしの屍体を地に寝かすな/おまえたちの死は/地に休むことができない/わたしの屍体は/立棺のなかにおさめて/直立させよ------------------------------------------------------------------"りんどう峠"西條八十 作詞 古賀政男 作曲♪~♪りんりんりんどうの 花咲くころサ姉サは馬コで お嫁に行ったりんりんりんどうは 濃(こ)むらさき姉サの小袖も 濃むらさき濃むらさ~きハイノ ハイノ ハイりんりんりんどうの 花咲く峠姉サは馬コで あとふりかえる姉サに行かれて なんとしょういっしょに柴刈る ひとも無いひとも無いハイノ ハイノ ハイりんりんりんどうは 小雨にぬれるわたしゃ別れの 涙でぬれるりんりん鳴るのは 馬の鈴姉サは峠に 消えてゆく消えてゆくハイノ ハイノ ハイ~------------------------------"リンドウ"(竜胆)リンドウ科 学名:Gentiana scabra var. buergeri花期:秋秋の山道をフウフウいいながら登っている途中で見つけるリンドウは疲れを吹き飛ばしてくれるほど清らかな色です。--------------------------------------------------"one of them"たくさんの中の一つ。その他大勢。----------------------こども・子供 a child;〔話〕a kid;《男の子》a boy; 《女の子》a girl; 《幼児》an infant; 《赤ん坊》a baby; 《息子》a son; 《娘》a daughter; 《集合的に》offspring.・~じみた childish.・~らしい childlike.・~のときに in one's childhood.・~向けの読み物 a book for children; a children's book.・~扱いする treat〈a person〉like a child.~の使いじゃあるまいし You ought to have handled this errand better you are not a child any more. ~の飛び出し注意〔掲示〕 Watch Out For Children; Caution - Children Playing [at Play]. ~は風の子 Children like the outdoors./ Healthy children are creatures of the outdoors. ~は正直 Children and fools speak truth [cannot lie]. 子供時代 one's childhood. 子供だまし a childish trick. 子供の日 Children's Day. 子供服 children's clothes [wear]. 子供部屋 a child's room. 子供料金 children's fare. ---------------------------Russia siege toll tops 350-----------------------------------------------------BESLAN, Russia (CNN) -- The death toll in the Russian hostage crisis has climbed beyond 350 as President Vladimir "Putin" denounced the massacre as "an attack on our country."In a nationally televised speech Saturday, "Putin" said the fall of the Soviet Union had left the country unable to react to attacks, and he urged Russians to join together to fight terrorism."We must create a much more effective system of security," he said. "We couldn't adequately react. ... We showed weakness, and weak people are beaten."-------------------------------------------------North Ossetia government spokesman Lev Dzugayev told CNN that 323 hostages, including 156 children, died in the siege in the southern town of Beslan. In addition, 26 hostage-takers -- including 10 people from Arab countries -- and at least 10 Russian special forces were killed. The two-day standoff ended Friday after Russian forces stormed the school amid explosions and intense gunfire.More than 700 people were wounded, officials said.Dzugayev said Saturday evening that 448 people were still in hospitals in the region, including 248 children. Among the total hospitalized, 69 were in serious condition.Dzugayev said most of those who died were killed when a bomb exploded in the school gymnasium where hostages were being held, collapsing the roof and starting a fire. Of those who died from gunshot wounds, most were shot in the back as they fled the building, he said. Russian Deputy Prosecutor Sergei Fridinsky acknowledged that more than 1,000 people had been held hostage during the ordeal. Earlier, officials had placed the number of hostages at a few hundred.Putin ordered the borders closed in the North Ossetia region where the siege took place as security forces searched for accomplices in the massacre.Investigators are looking at the possibility that the hostage-takers may have brought their weapons and explosives into the school well before the siege.The Interfax news agency quoted an unnamed regional security officer as saying the weapons had been hidden under the floor during summer construction work.An escaped hostage said she recognized some of the terrorists as having done construction work, Echo Moscow Radio reported. "Putin" traveled to the traumatized region near Chechnya early Saturday, visiting wounded in the hospital and meeting local officials."Russia is grieving with the people of North Ossetia," he said in Beslan. "Nobody wanted to use force.""Even alongside the most cruel attacks of the past, this terrorist act occupies a special place because it was aimed at children," news agencies quoted him as saying."One of the tasks pursued by the terrorists was to stoke ethnic hatred, to blow up the whole of our North Caucasus."Anyone who feels sympathetic towards such provocations will be viewed as accomplices of terrorists and terrorism," he said.At least 79 bodies have been identified, the Emergency Situations Ministry said. Many of the bodies were burned beyond recognition and will require DNA testing for identification, which could take several days.One witness told a reporter that a hostage-taker had set off a suicide bomb in a gymnasium full of children.Interfax quoted a defense official as saying that "the terrorists planted a lot of mines and booby-traps filled with metal bolts in the gym."Valery Andreyev, head of the local branch of the FSB intelligence service, said 10 of the hostage-takers killed were from Arab countries.Chechens in the past have been affiliated with the al Qaeda terror network, and an Arab connection further suggests a link between the Chechen rebel movement and international terrorists. Chechen rebels have been fighting Russian troops for a decade. Near the scene, the bodies of dead children were placed on stretchers. One woman leaned down and caressed the body of a young boy. Other women stood shocked, holding their hands to their mouths and weeping. These and other images of the siege and its aftermath, aired on television and posted on the Internet, horrified people around the world and brought ringing outcries by international leaders. (Full story)The hostage incident began Wednesday when an armed gang of terrorists took children, parents and teachers hostage on the first day of school in Beslan.Friday's storming operation was not planned, said a local official from Russia's FSB intelligence service, who told Russian media the troops had been ready for a long siege. The forces stormed the building around midday after Russian officials, under a cease-fire agreement with militants, tried to collect bodies lying outside the building. There was an explosion, hostages fled, and hostage-takers opened fire on the children and rescue workers. One of the workers was killed and another was wounded. Russian troops then opened fire at the rebels, and the battle began.Chaotic scenesSeveral hours later the scene remained in chaos, with pockets of resistance remaining and machine-gun fire heard on the scene and troops going room-by-room as the wounded were being taken out of the building.Children who survived said they were denied food and water and had to take off their clothes because of the heat. Some boys said they had to drink their own urine because they lacked liquids.The standoff followed a bloody week in Russia. A female suicide bomber killed nine people outside a Moscow subway station Tuesday. Two suspected Chechen female suicide bombers downed two airliners on August 24, killing all 89 people aboard the planes.Russian officials have said the new wave of attacks is an attempt at revenge for last weekend's elections in Chechnya in which a Kremlin-backed candidate won the presidency.The Russian Foreign Ministry, in a statement posted on its Web site, thanked other nations for their support, condemned the incident and said a "moment of truth" had come in the fight against international terror. "We have witnessed a cruel tragedy, a new, unprecedented form of boundless terrorist lawlessness where bandits victimized innocent women, children, and even completely defenseless infants," the statement said. "The losses are heavy and irretrievable. Bandits were shooting hostages point-blank and were blowing up everyone indiscriminately."One needs to draw a lesson from this monstrous crime. It confirms yet again that terrorists are a bunch of beasts for whom nothing is sacred. They challenge the very foundations of civilization to achieve their criminal goals. Terrorism is absolutely incompatible with principles of morality and humanity," the statement said.----------------------------------------------"マオリの子守歌" (Hine e Hine) いとしいわが子に捧げる歌は月の光浴びやさしく揺れる 小鳥も花も夢を見ているあなたを包むやさしい歌を いとしい我が子に伝える歌は天使が奏でるやさしい調べ 小鳥も花も静かに揺れるあなたを包むやさしい歌を ----------------------------------------------Be to express our regret over the death of "Russian-Children"!!!!!
2004年09月05日
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----------------------------"ぬばたま"の黒髪変り白けても(万葉集・第四巻)----------------------------------------------------原文: "野干玉之 黒髪變 白髪手裳 痛戀庭 相時有来"作者: "沙弥満誓"(さみのまんせい)"ぬばたまの、黒髪変(かは)り、白(しら)けても、痛き恋(こひ)には、逢ふ時ありけり"----------------------------------- 黒髪が白くなって(年をとって)も、せつない想いに出会うこともあるのです。-----------------------------------"大伴旅人"が都に発った時に、"沙弥満誓"(さみのまんせい)が大伴旅人に贈った歌です。------------------------------------------------------ "ぬばたま"の"ぬばたま"の夜、"ぬばたま"の髪、"ぬばたま"の想い。古来から日本女性の黒髪には魂が宿るというように考えられていました。"ぬばたま"は"黒"や"夜"、またその他の"黒"をイメージさせる言葉を導きます。「ぬばたま」はヒオウギの黒い実のことです。万葉集では、枕詞として使われていて、「ぬばたま」そのものを詠んだ歌はないようです。------------------------------------------------------------------------"ダニーボーイ"(Danny Boy)(アイルランド民謡)日本語詞:なかにし礼♪~♪1 おお"ダニーボーイ" いとしきわが子よいずこに今日は眠る いくさに疲れた体を やすめるすべはあるか おまえに心を痛めて 眠れぬ夜を過ごす 老いたるこの母の胸におお"ダニーボーイ"おお"ダニーボーイ"帰れ2 おお"ダニーボーイ" いとしきわが子よたよりもすでに途絶え はるかなその地のはてにも花咲く春はくるか 祖国に命をあずけたおまえの無事を祈る 老いたるこの母の胸におお"ダニーボーイ"おお"ダニーボーイ"帰れ----------------------------------------------1. Oh, "Danny boy", the pipes, the pipes are calling,From glen to glen and down the mountain side;Summer's gone, and all the flow'rs are dying;'Tis you, 'tis you must go, and I must bide.But come you back when summer's in the meadow,Or when the valley's hushed and white with snow;'Til I'll be there in sunshine or in shadow;"Danny boy", Oh "Danny boy", I love you so.2. But come ye back when all the flowers are dying,If I am dead, as dead I well may be.You'll come and see the place where I am lying,And say an "Ave" there for me.And I shall hear, 'though soft you tread around me,And all my dreams will warm and sweeter be,If you will only tell me you love me,Then I'll sleep in peace, until you waken me.---------------------------------------------------アイルランド民謡「ダニーボーイ」の題名を日本語に翻訳すれば「ダニー坊や」あるいは「ダニー少年」となります。「ダニー」は愛称で、正式な名前は「ダニエル」です。男性名「DANIEL」の意味は「目を離すと、とんでもない事をやらかすぞ」となります。その起源は元気な男の子を持つ父親の発言からです。もし女の子だったら「DANNA」あるいは「DANAE」という名前になるのでしょうが「DAN=とんでもない事をやらかす」ところは同じです。「BOY」の意味は「移動する個体に対して用意せよ」となります。これも同じく父親の言葉。幼児が這い出すたびに父は「BOY」「BOY!」と叫び、母は大急ぎで駆けつけるというわけです。「BOY」は男の子をいう言葉となりましたが、元気な女の子なら「BOY」と呼んでもかまわないようです。---------------------------------------------------イギリスの法律家で作詞家の"F. D. Weatherly"(1848~1929)は、1910年に『ダニー・ボーイ』という詞を書きました。これにつける適当なメロディがないまま寝かせておいたところ、2年後の1912年、アメリカに住んでいた義妹が『ロンドンデリー・エア』の楽譜を送ってきました。それを見たウェザリは、『ダニー・ボーイ』がこの曲によく合うことに気がつき、元の詞を若干手直しして、このメロディに当てはめました。『ダニー・ボーイ』は1913年にニューヨークで発行され、まもなく世界に広まりました。「ダニー・ボーイ」が発行された年は、第一次世界大戦勃発の前年で、世界中が戦争の予感におびえていたときでした。 ----------------------------------------「ロンドンデリーの歌」(Londonderry Air)(アイルランド民謡) 日本語詞1 近藤玲二1 北国の港の町は リンゴの花咲く町したわしの君が面影 胸に抱きさまよいぬくれないに燃ゆる愛を 葉かげに秘めて咲けるけがれなき花こそ君の かおりゆかしき姿2 さぎり降る港の町は リンゴの花咲く町いつの日も匂いやさしく 夢はぬれてただよいぬたそがれにほほすりよせて リンゴはなにを語る誓いせしあの夜の君の かおりゆかしき姿-------------------------------------------原詞1 "Irish Love Song" (Katharine Tynan)1. Would God I were the tender apple blossomThat floats and falls from off the twisted boughTo lie and faint within your silken bosomWithin your silken bosom as that does now.Or would I were a little burnish'd appleFor you to pluck me, gliding by so coldWhile sun and shade you robe of lawn will dappleYour robe of lawn, and you hair's spun gold.2. Yea, would to God I were among the rosesThat lean to kiss you as you float betweenWhile on the lowest branch a bud unclosesA bud uncloses, to touch you, queen.Nay, since you will not love, would I were growingA happy daisy, in the garden pathThat so your silver foot might press me goingMight press me going even unto death. 日本語詞2 津川主一1 わが子よいとしの汝(なれ)を 父君の形見としこころして愛(いつく)しみつ きょうまで育て上げぬ古き家を巣立ちして 今はた汝はどこによわき母の影さえも 雄々しき汝には見えず2 はてしもなきかの路の あなたに汝はゆきぬむなしき我が家見れば 亡き父君おもわる足もとの草むらより 立つはさえずる雲雀(ひばり)ああわれも強く立ちて 我が家の栄誉(ほまれ)を守らん-----------------------------------------------原詞2(作詞者不詳)1. My son I reared as might the brooding partridgeRear up an eaglet fall'n from storm-struck nest;My son, ah no ! one captained for high conflict,My chieftain husband's heir and his bequest !No, mother's part in him did my heart treasure, And he would go, and I could stand alone;Ah, so I thought, but now my heart-strings measureThe love, the loss my son, my little son thou'rt gone !2. I see the grey road winding, winding from me,And thou upon them exiled, and away;I turn unto the empty house that's by meAh, dark this day as on Wolfe Tone's death's day !But no, no, no ! Up from the sod beside me,Up, up, with glorious singing speeds the lark;'Tis Wolfe Tone's spirit, his, reconcile me,And in a swordflash, gone the loneliness the dark ! ----------------------------------------------------ロンドンデリーは、イギリス領北アイルランド第二の都市で、単にデリー"Derry"とも呼ばれます。フォイル川河口に位置する美しい港町です。10世紀ころから、アイルランドの守護聖人の名を採ってデリー・コルムキルと呼ばれていましたが、イギリスによる占領後、ジェームズ1世がロンドン商人の組合にこの地への植民を許した(1613年)ことから、ロンドンデリーと呼ばれるようになりました。アイルランド人は、デリーにロンドンをつけて呼ばれることに、民族的感情をいたく傷つけられるようです。長年イギリスに抑圧されてきた歴史を見れば、当然といえます。 この歌の原曲とされているのは、1796年にE・バンティングが編んだ曲集に載っている『Aislean an Oigfear(アッシュリン・アン・オール)』(英訳タイトルはThe Young Man's Dream)だそうです。1990年代に入ってから、これを遡る説が出てきました。ローリー・ダール・オカハン(1570~1657年)が作曲した哀歌(曲名不詳)が原曲だというのです。ただ、この説にははっきりした証拠がなく、まだ認められるに至っていません。『Aislean an Oigfear』は、その後曲名が忘れられ、単に「ロンドンデリー地方で歌われている歌」、または「ロンドンデリー地方で採集された歌」を意味する「ロンドンデリー・エア」(エアは歌の意)として伝えられてきました。それがこの歌の固有名として定着したのは、19世紀後半になってからのようです。 また、この歌にさまざまな歌詞が当てはめられるようになったのは、アイルランドの詩人A・P・グレーヴズが同郷の作曲家C・V・スタンフォードと組んで編纂した曲集『Songs of Old Ireland』を1882年に公刊してからだとされています。これまで100以上のさまざまな歌詞がつけられています。キャサリン・タイナンの『Irish Love Song』は、そうした歌詞のなかでもとくによく知られているものです。近藤玲二の歌詞は、この詩をベースにしたものです。1913年に『ダニー・ボーイ』が発表されてからは、これが世界中で親しまれるようになりました。------------------------------------- --------------------------------------"リバーダンス"----------------イーリアンパイプやバイオリンの音色とドラムのリズムに合わせ、上半身をほとんど動かさずにリズミカルにタップを踏むアイリッシュダンス。その特異なダンスとケルト音楽が融合したのが「リバーダンス」です。アイリッシュダンスは、ふつうのタップダンスと違い下半身だけでタップを踏むのが特徴。上半身がまったくぶれない状態で、激しく速く正確に、しかも集団で一糸乱れずリズムを刻みます。その姿は崇高で、なおかつ迫力に満ちた荘厳なダンスで、観るものの胸に迫ってきます。上半身をまったく動かさないアイリッシュダンスは、イギリス人から働く以外の娯楽をすべて剥奪されたアイルランドの人々が、苦肉の策で生み出した「かくれダンス」が起源。ケルト民族として歴史に登場して以来、虐げられ、流浪の民としてアイルランド島にたどり着いた、彼らの情熱のはけ口として、またケルト人そのものを表現したダンスです。ロシアのコサックダンス、スペインのフラメンコ、アメリカはタップダンスと、元来アイルランド生まれのダンスが、川の流れのように世界中に広がり、各国の民族舞踊と交差し、さらに発展した芸術として成立してきました。「リバーダンス」はそれらの総称としてネーミングされました。イギリス本国グレートブリテン島の西方にある、面積約83000平方キロメートル(日本の本州の約3分の1)の島。英国領北アイルランドと南部のアイルランド共和国(エール)からなり、 北緯約60度と北海道最北端よりも高緯度に位置しながら、大西洋を北上するメキシコ湾流(暖流)の影響で、全島が四季を通じて湿潤で緑豊かな島であることから、別名エメラルドの島と呼ばれます。 アイルランドの国花はシャムロック(コメツブツメクサ)と呼ばれる花です。これはクローバの仲間のいくつかの種類を指す呼称で、日本にも帰化したシロツメクサも仲間に含める場合もあります。学名はスリーリーフズで、その名からもわかるように、葉は3枚に分かれています。 ---------------------------------------------Shall we "DANCE" with me!!!!!!!
2004年09月04日
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--------------------------------月見ればちぢに物こそかなしけれ わが身ひとつの秋にはあらねど (古今・大江千里)"I feel pathetically to see the moon shining in the night sky in autumn"---------------------------------秋の月をながめていると、限りもなく心が乱れてきて、とても物悲しくなる。私一人だけを悲しませるためにやって来た秋ではないのだけれど。------------------------------あひ見ての後の心に比ぶれば 昔はものを思はざりけり (藤原敦忠) -----------あなたに逢って一夜の契りを交わした後の今の深い思いに比べると、逢う前のあなたへの思いは、まるで何も思っていなかったようなものです ---------------------------------------"なのにあなたは京都へゆくの"チェリッシュ作詞 脇田なおみ 作曲 藤田哲朗♪~♪私の髪に 口づけをして "かわいいやつ"と 私に言った なのにあなたは 京都へゆくの 京都のまちは それほどいいの こ~の私の 愛よりも 静かによりそい やさしく見つめ"愛する人"と 私を呼んだ なのにあなたは 京都へゆくの京都のまちは それほどいいの こ~の私の 愛よりも ... ----------------------------------------------------------------------「山椒大夫」 by"森鴎外"越後の春日を経て今津へ出る道を、珍らしい旅人の一群れが歩いている。母は三十歳を踰えたばかりの女で二人の子供を連れている。姉は十四、弟は十二である。それに四十ぐらいの女中が一人ついて、くたびれた同胞二人を、「もうじきにお宿にお着きなさいます」と言って励まして歩かせようとする。(中略)「気張るぞ」と今一人の船頭が言って、左の臂をつと伸べて、一度拳を開いて見せ、ついで示指を竪てて見せた。この男は佐渡の二郎で六貫文につけたのである。 「横着者奴」と宮崎が叫んで立ちかかれば、「出し抜こうとしたのはおぬしじゃ」と佐渡が身構えをする。二艘の舟がかしいで、舷が水を笞った。 大夫は二人の船頭の顔を冷ややかに見較べた。「あわてるな。どっちも空手では還さぬ。お客さまがご窮屈でないように、お二人ずつ分けて進ぜる。賃銭はあとでつけた値段の割じゃ」こう言っておいて、大夫は客を顧みた。「さあ、お二人ずつあの舟へお乗りなされ。どれも西国への便船じゃ。舟足というものは、重過ぎては走りが悪い」 二人の子供は宮崎が舟へ、母親と姥竹とは佐渡が舟へ、大夫が手をとって乗り移らせた。移らせて引く大夫が手に、宮崎も佐渡も幾緡かの銭を握らせたのである。「あの、主人にお預けなされた嚢は」と、姥竹が主の袖を引くとき、山岡大夫は空舟をつと押し出した。「わしはこれでお暇をする。たしかな手からたしかな手へ渡すまでがわしの役じゃ。ご機嫌ようお越しなされ」 の音が忙しく響いて、山岡大夫の舟は見る見る遠ざかって行く。 母親は佐渡に言った。「同じ道を漕いで行って、同じ港に着くのでございましょうね」 佐渡と宮崎とは顔を見合わせて、声を立てて笑った。そして佐渡が言った。「乗る舟は弘誓の舟、着くは同じ彼岸と、蓮華峰寺の和尚が言うたげな」 二人の船頭はそれきり黙って舟を出した。佐渡の二郎は北へ漕ぐ。宮崎の三郎は南へ漕ぐ。「あれあれ」と呼びかわす親子主従は、ただ遠ざかり行くばかりである。 母親は物狂おしげに舷に手をかけて伸び上がった。「もうしかたがない。これが別れだよ。"安寿"は守本尊の地蔵様を大切におし。"厨子王"はお父うさまの下さった護り刀を大切におし。どうぞ二人が離れぬように」"安寿"は姉娘、"厨子王"は弟の名である。 子供はただ「お母あさま、お母あさま」と呼ぶばかりである。 舟と舟とは次第に遠ざかる。後ろには餌を待つ雛のように、二人の子供があいた口が見えていて、もう声は聞えない。 (中略)膝の下の"厨子王"を引き起しその額にも火を十文字に当てる。新たに響く"厨子王"の泣き声が、ややかすかになった姉の声に交じる。三郎は火を棄てて、初め二人をこの広間へ連れて来たときのように、また二人の手をつかまえる。そして一座を見渡したのち、広い母屋を廻って、二人を三段の階の所まで引き出し、凍った土の上に衝き落す。二人の子供は創の痛みと心の恐れとに気を失いそうになるのを、ようよう堪え忍んで、どこをどう歩いたともなく、三の木戸の小家に帰る。臥所の上に倒れた二人は、しばらく死骸のように動かずにいたが、たちまち"厨子王"が「姉えさん、早くお地蔵様を」と叫んだ。"安寿"はすぐに起き直って、肌の守袋を取り出した。わななく手に紐を解いて、袋から出した仏像を枕もとに据えた。二人は右左にぬかずいた。そのとき歯をくいしばってもこらえられぬ額の痛みが、掻き消すように失せた。掌で額を撫でてみれば、創は痕もなくなった。はっと思って、二人は目をさました。 二人の子供は起き直って夢の話をした。同じ夢を同じときに見たのである。"安寿"は守本尊を取り出して、夢で据えたと同じように、枕もとに据えた。二人はそれを伏し拝んで、かすかな燈火の明りにすかして、地蔵尊の額を見た。白毫の右左に、鏨で彫ったような十文字の疵があざやかに見えた。(中略) "厨子王"はなんとも思い定めかねて、ぼんやりしてついて降りる。姉は今年十五になり、弟は十三になっているが、女は早くおとなびて、その上物に憑かれたように、聡く賢しくなっているので、"厨子王"は姉の詞にそむくことが出来ぬのである。 木立ちの所まで降りて、二人は籠と鎌とを落ち葉の上に置いた。姉は守本尊を取り出して、それを弟の手に渡した。「これは大事なお守だが、こんど逢うまでお前に預けます。この地蔵様をわたしだと思って、護り刀と一しょにして、大事に持っていておくれ」「でも姉えさんにお守がなくては」「いいえ。わたしよりはあぶない目に逢うお前にお守を預けます。晩にお前が帰らないと、きっと討手がかかります。お前がいくら急いでも、あたり前に逃げて行っては、追いつかれるにきまっています。さっき見た川の上手を和江という所まで往って、首尾よく人に見つけられずに、向う河岸へ越してしまえば、中山までもう近い。そこへ往ったら、あの塔の見えていたお寺にはいって隠しておもらい。しばらくあそこに隠れていて、討手が帰って来たあとで、寺を逃げておいで」「でもお寺の坊さんが隠しておいてくれるでしょうか」「さあ、それが運験しだよ。開ける運なら坊さんがお前を隠してくれましょう」「そうですね。姉えさんのきょうおっしゃることは、まるで神様か仏様がおっしゃるようです。わたしは考えをきめました。なんでも姉えさんのおっしゃる通りにします」「おう、よく聴いておくれだ。坊さんはよい人で、きっとお前を隠してくれます」「そうです。わたしにもそうらしく思われて来ました。逃げて都へも往かれます。お父うさまやお母あさまにも逢われます。姉えさんのお迎えにも来られます」"厨子王"の目が姉と同じようにかがやいて来た。(中略)"厨子王"は言った。「わたくしは陸奥掾正氏というものの子でございます。父は十二年前に筑紫の安楽寺へ往ったきり、帰らぬそうでございます。母はその年に生まれたわたくしと、三つになる姉とを連れて、岩代の信夫郡に住むことになりました。そのうちわたくしが大ぶ大きくなったので、姉とわたくしとを連れて、父を尋ねに旅立ちました。越後まで出ますと、恐ろしい人買いに取られて、母は佐渡へ、姉とわたくしとは丹後の由良へ売られました。姉は由良で亡くなりました。わたくしの持っている守本尊はこの地蔵様でございます」こう言って守本尊を出して見せた。 (中略)"正道"はなぜか知らず、この女に心が牽かれて、立ち止まってのぞいた。女の乱れた髪は塵に塗れている。顔を見れば盲である。"正道"はひどく哀れに思った。そのうち女のつぶやいている詞が、次第に耳に慣れて聞き分けられて来た。それと同時に"正道"は瘧病のように身うちが震って、目には涙が湧いて来た。女はこういう詞を繰り返してつぶやいていたのである。 "安寿"恋しや、ほうやれほ。 "厨子王"恋しや、ほうやれほ。 鳥も生あるものなれば、 疾う疾う逃げよ、逐わずとも。"正道"はうっとりとなって、この詞に聞き惚れた。そのうち臓腑が煮え返るようになって、獣めいた叫びが口から出ようとするのを、歯を食いしばってこらえた。たちまち"正道"は縛られた縄が解けたように垣のうちへ駆け込んだ。そして足には粟の穂を踏み散らしつつ、女の前に俯伏した。右の手には守本尊を捧げ持って、俯伏したときに、それを額に押し当てていた。 女は雀でない、大きいものが粟をあらしに来たのを知った。そしていつもの詞を唱えやめて、見えぬ目でじっと前を見た。そのとき干した貝が水にほとびるように、両方の目に潤いが出た。女は目があいた。「厨子王」という叫びが女の口から出た。二人はぴったり抱き合った。-----------------------------大正四年一月------------------------------浜辺の歌あした浜辺を さまよえば 昔のことぞ しのばるる風の音よ 雲のさまよ寄する波も 貝の色もゆうべ浜辺を もとおれば 昔の人ぞ しのばるる寄する波よ 返す波よ月の色も 星のかげも疾風たちまち 波を吹き 赤裳のすそぞ ぬれひじし病みし我は すでにいえて浜辺の真砂(まさご)まなごいまは--------------------------------------------"海と毒薬" by遠藤周作 「みんな死んでいく時代やぜ。(略)病院で死なん奴は、毎晩、空襲で死ぬんや。」 どうせ何をやったって誰もがあの暗い海に引きずりこまれるんだ。そういう諦めに似た心に覆われていた戦時下の病院内は、医学部部長選挙が迫っており、派閥の重鎮たちが、有力者の入院患者を利用しつつ暗躍していた。 そんな中、研究員の勝呂は一患者に過ぎない「おばはん」のことが気になって仕方がなかった。心臓が衰弱しておりそのままでも半年の命、オペをしても九十五パーセントは失敗に終り死ぬ。どうすればいいのか、勝呂には分からなかった。 「患者を殺すなんて厳粛なことやないよ。医者の世界は昔からそんなものや。それで進歩したんやろ。それに今は街でもごろごろ空襲で死んでいくから誰ももう人が死ぬぐらい驚かんのや。おばはんなぞ、空襲でなくなるより、病院で殺された方が意味があるやないか。」 勝呂には、同じ研究員である戸田のこういった強さも分からなかった。納得することが出来なかった。彼は屋上にのぼって海をながめながら、つぶやいた。考えんことだ。考えるだけ無駄じゃもんな。俺一人ではどうにもならぬこと・・・。 そんなある日、勝呂は戸田とともに柴田助教授に呼ばれた。 「強制しているんじゃない。ただ承諾しなくても、これは絶対、秘密にしてもらわねば困るぜ。」 「何です。それは。」 「アメリカの捕虜を生体解剖することなんだ。君。」 勝呂はあとから考えた。どうしてあの時、断らなかったのだろうか、と。これは後に、医師と看護婦を含む十名が罪に問われた医療事件となる。 -----------------------------------------------ぼくはあなたたちにも聞きたい。あなた達もやはり、ぼくと同じように一皮むけば、他人の死、他人の苦しみに無感動なのだろうか。多少の悪ならば社会から罰せられない以上はそれほどの後めたさ、恥しさもなく今日まで通してきたのだろうか。そしてある日、そんな自分がふしぎだと感じたことがあるだろうか。 ---------------------------------------------------???????????????????????????????????
2004年09月03日
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台風一過----風立ちぬ "耀変"(ようへん)の月 傾きて------------------------------"あなたのすべてを"佐々木 勉 作詞/作曲♪~♪名前も知らない 貴方と私なのに不思議ね 胸がときめく恋はこうして 生まれるものなのねおしえて欲しい 貴方のすべてを今宵一人で歌う 貴方への歌初めて会った あの日から私の心を はなれないこれが本当の 恋というものかしらおしえて欲しい 貴方のすべてを今宵一人で想う 貴方だけのこと今度逢えるのは いつの日かしらあなたと会った このお店で明日も私は そっとあなたを待つのおしえて欲しい 貴方のすべてを今宵一人で歌う 貴方への歌貴方への愛 貴方への歌~-----------------------------"マドレーヌ"(madeleine) 卵・バター・小麦粉・砂糖を混ぜ、香料を加えて貝殻型に入れて焼いたケーキ。------------------------------"la Madeleine"Step out of the world and into "la Madeleine", where you can enjoy the simple pleasures of French country life:fresh, flavorful food,---------------------------------------------------- "曜変"(ようへん) 建盞(けんさん)の一種。黒釉(こくゆう)中に周辺が青みのある銀色に輝く斑紋が散在するもの。-------------------------------------------"耀変天目"(ようへんてんもく) -------------------------------------------"曜変天目"は中国福建省の建窯で大量に焼かれた建盞の一種で、偶然窯内で油滴や建盞とは異なる美しい結晶が生じたものです。"耀変天目"については『君台観左右帳記』の「土之物」に「建盞の内の無上なり」との記述があります。この天目は見込を中心に現れた斑紋が"耀変"独特の輝きを放ち、しかも結晶体がそれぞれ独立した状態で虹色に発色します。------------------------------"天目茶碗"(てんもくちゃわん)現在では、茶碗といえば普通はご飯を盛る容器を指すことが一般的になっています。しかし、もともと茶碗とは字のとおり、お茶を飲むための容器(碗)のことを指す言葉だったようです。 お茶を飲む習慣がいつごろ日本に伝わってきたのかについては、必らずしもはっきりと判っているわけではありません。しかし『日本後紀』という本には"永忠"(えいちゅう)というお坊さんが嵯峨天皇(在位809~823年)のためにお茶をいれたという記録がありますから、平安時代のはじめ頃には既に伝わっていたことがほぼ確実です。ただし、お茶を飲む習慣はすぐに日本中に広まったわけではなく、最初のころはお茶を飲むことができたのは、天皇や貴族、一部のお坊さんなど限られた人だけだったようです。 しかし中世(鎌倉・室町時代)になると、お茶を飲む習慣がだんだんと広まってゆくようになります。そしてこの時代、お茶を飲むための容器(碗)として使われたのが、中国から輸入された"天目茶碗"でした。"天目茶碗"とは日本での呼び名で、中国浙江省にある天目山の寺院で使われていた黒いうわぐすりのかかった茶碗を日本人のお坊さんが持ち帰ったため、そう呼ばれるようになったといわれています。 鎌倉時代も終わりころになると、お茶を飲む習慣が広まり"天目茶碗"を欲しがる人が増えました。その結果、中国からの輸入の他、日本でも"天目茶碗"がマネして作られるようになります。といっても、日本中で天目茶碗が作られていたわけではありません。当時、日本で釉(うわぐすり)をかけた焼ものを作っていたのは瀬戸窯(せとよう、今の愛知県瀬戸市周辺)だけでした。瀬戸窯の"天目茶碗"はたいへんうまく中国の天目茶碗に似せて作られています。しかし、日本製の"天目茶碗"にはいくつかの特徴があります。中国の天目茶碗にはさまざまな形のものがありますが、日本では口がすぼまりぎみになる形のものが特に好まれていたようで、瀬戸で作られていたのはこの形のものがほとんどでした。また、中国の代表的な天目茶碗の生産地である建窯(けんよう、福建省のものと日本の瀬戸窯のものを較べると"釉"が、かかっていない部分(台の周辺)の色がずいぶんと違っています。これは原料の土の中に含まれている鉄の成分の量の差によるもので、瀬戸の粘土は鉄分が少ないために白くなってしまうのです。このため、瀬戸窯で作られた"天目茶碗"の中には、この部分に鬼板という鉄分を多く含む鉱物を粉末にしたものを塗り付け、焼くと黒くなるようにして、より中国の天目茶碗に似るようにしたものもあります。---------------------------------"道具の見所"参考:保育社発行「茶道入門・茶道用語」 △茶室にて正客は床の間に進み扇子を前に置いて,掛け物を拝見し,花入があれば,花入や生けてある花を拝見し,次に風炉釜,水指などを見て,仮座に居ます。他の客も同じようにして拝見しますと,正客は定めの座に着き,以下の客もそれぞれの座に着いて,亭主の出て来るのを待っているのです。 〈道具の見所〉△掛け物茶事・茶会の道具の取り合わせの中において,趣向の中心のなるものは床の掛け物です。まず掛け物が決められ,花入や花などが選ばれ,待合の掛け物が定められるのです。『南方録』に「掛物ほど第一の道具はなし、客亭主共に茶の湯三昧一心得道の物也」とあります。 室町時代までの書院茶においては宋元の唐絵が主として用いられ,草庵茶の勃興と共に禅僧の墨跡が重んじられ,武野紹鴎の頃から古筆歌切なども用いられるようになりました。 茶席の掛け物であるためには,ただ名筆であると云うだけではなく,徐煕の「鷺の絵」が村田珠光の表具において一躍有名になったように,茶席に似合った衣装が要求されます。また掛け物には他の道具と同様,濃茶用のもの,薄茶用のもの,両方に用いても良いものなどの区別があります。漢文漢詩の類は濃茶に,和歌・俳句・絵賛物は薄茶に用いられます。しかし,宋元の絵画が室町時代書院台子の茶に用いられたと云う事実もあります。 一行書は元来墨跡偈頌(ゲジュ)などの摘句ですから,どちらかと云いますと薄茶の雰囲気を持っています。 また道具には「位」のあることに注意しなければなりません。掛け物の「位」は筆者の人格によることは云うまでもありませんが,特に天皇の書は宸翰(シンカン)と称し,その筆跡は宸筆と呼んで尊んで来ました。王朝以来の伝統的文芸の担い手である公家の書もまた重視され,その洗練された流麗な仮名の美しさは「位」の高さを証明しています。宋元の絵画の高邁な思想性は,書院茶に重要な役目を果たして来ました。禅僧の墨跡もまたその仏教的思想を背景とし,その修行によって陶冶された人格がその文字に滲み出ています。 「書は人なり」と云う言葉があるように,書は決して筆先の遊びでも,技巧だけのものでもなく,書いた人の人格そのものを具現することを知りますと,床の間に掛けるべき用件は自ずから了解されましょう。掛け物の表具には各部分に名称がありますが,本紙とは,掛け物の本体となる書や,絵などのことです。まずその本紙を観てから,表具の各部分を見るのです。△茶碗茶碗には,青磁,"天目茶碗",井戸茶碗などの中国や朝鮮において焼かれたもの,和物(ワモノ)と云って楽茶碗,瀬戸,萩などの茶碗,色絵と云って江戸中期に野々村仁清(ニンセイ)が創製した美しい色を用いて図案的な絵を描いたもの,などがあります。 濃茶には,このような色彩の無いものが用いられ,薄茶には美しいものが用いられます。形は,深目のものは炉の季節,浅いものは風炉に用います。 茶碗の見所は,外側としては縁(口作り)胴,釉際(クスリギワ)高台(コウダイ)脇,高台,高台内,内側の見込み,茶筅摺(チャセンズリ),茶溜まり,及び土(陶土・粘土)などです。茶湯にとって茶碗は,必要不可欠のものであることは云うまでもありません。しかし,何れの茶碗も何時どのような場合にでも使用出来る,と云うものではありません。書院台子(ダイス)の茶には"天目"と"天目台"が必要であり,佗茶(ワビチャ)の濃茶においては幾人かが飲廻しの出来る大きさが要請されます。薄茶には濃茶とは違った軽妙で典雅なものが用いられるでしょう。季節により,茶席の大きさや,他の道具の飾付けにより,茶碗もまた自ずから選ばれるものなのです。濃茶には濃茶に相応しい茶碗があり,薄茶には薄茶用のものがあります。また濃茶茶碗の中においても,薄茶に用いても良いものもあり,本来は薄茶茶碗ですが,場合によっては濃茶にも用いられるものもあります。つまり,それぞれの茶碗の特性を活かし,その機能性を十分に理解した上で使用しなければなりません。茶碗はまた,各々の格や位を持っています。主(オモ)茶碗として使用出来るもの,替茶碗として相応しいものなど,茶碗の持つ風格や時代がこれを決定するのです。今日のように主茶碗の他に替茶碗を取合わせることが一般化しますと,なおさら格や位の問題が重視されて来ます。古来高麗茶碗を第一とし,国焼茶碗,楽茶碗(手作り茶碗も含めて)の順位が認められて来ましたが,茶の隆盛は高麗茶碗や国焼茶碗の不足を招き,更に楽茶碗にまで及んでしまったのが現状です。千家においては楽茶碗を尊重しますが,決して高麗茶碗や国焼茶碗の上位に置かれ得るものではありません。点前座(テマエザ)の水指や茶器との取合わせを十分考慮して,茶碗の組合せを決めなければなりません。 古来,茶碗は"天目"・高麗・国焼・楽焼に分類されています。 1.天目テンモク茶碗名称の起こりについては定説はありませんが,おそらく中国浙江省の天目山の仏寺の常什(ジョウジュウ)であったものを,鎌倉時代に渡宋した禅僧等が持ち帰り,喫茶の法も天目山辺りから修得して帰朝したことによるのでしょう。天目山に近接した福建省には建窯があり,耀変(ヨウヘン)・油滴(ユテキ)・灰被(ハイカツギ)・黄盞・烏盞ウサン・兎毫盞(トゴウサン)などを産出しました。またわが国においてもこれを模して瀬戸天目が焼かれ,後には白天目・燕(ツバクロ)天目が現れました。 2.高麗(コウライ)茶碗朝鮮高麗期から李朝にかけて作られた朝鮮茶碗の総称ですが,わが国から『御本』(お手本・切形)を以て作らしめたものは,厳密には「高麗茶碗」には含まず,「御本茶碗」の範疇に入ります。従って高麗茶碗は井戸・三島・熊川(コモガイ)・刷毛目(ハケメ)・粉引(コビキ)・堅手・玉子手・魚屋(トトヤ)・柿蔕(カキノヘタ)・呉器などです。しかし広義には御本・伊羅保(イラボ)・御所丸などの御本茶碗も,高麗茶碗と呼ぶこともあります。 3.国焼(クニヤキ)茶碗国焼茶碗とは,わが国のあらゆる地方において焼造された茶碗の総称ですが,分類の都合上,楽焼以外のものを云います。特に桃山時代以後,茶湯の盛行と共に急速な国焼陶器の発展をみました。また利休・織部・三斎・宗和などの指導注文により,地方の諸窯においてもその茶陶の水準は急上昇し,名工を生む結果となりました。 4.楽茶碗千利休の指導と好みによって,長次郎が茶碗を焼き始めて以来,千家と深い関係を保ち,歴代茶匠の指導を受けながら今日まで十五代に亘って,楽家は連綿と楽焼を続けています。長次郎は宗易形を完成し,常慶は香炉釉を,ノンコウは朱釉・幕釉・蛇蝎釉(ジャカツユウ)・黄釉などを試みた名工です。宗入は原叟(ゲンソウ)に,左入は如心斎に引き立てられて,各々「二百ノ内」の茶碗を作っています。 京楽家を本窯と呼び,その他の楽焼窯を脇窯とも云います。--------------------------"the tea ceremony"your Welcom !!!"Tea au lait with la madeleine,"si'l vous plait(please)" ????
2004年09月02日
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満月に読める---------------"神立"(かんだつ)に 囁(ささやき)く如き 宵の月---------------"神無月" この月は諸国の神々が出雲に集まるために、どこの神様も不在になるところから、旧暦十月を"神無月"と呼びます。(出雲では「神在月」)「神送り」は、その月の一日、または前月の末に家の神様やムラの神様を送り出す行事をさします。「神立ち」「神渡し」などとも呼ばれます。これに対して、出雲にでかけていた神様が戻ってくる行事のことを「神迎え」といいます。-------------------「故郷」高野辰之作詞・岡野貞一作曲文部省唱歌(六年)---------------------------------------兎(うさぎ)追いし かの山小鮒(こぶな)釣りし かの川夢は今も めぐりて、忘れがたき 故郷(ふるさと)如何(いか)に在(い)ます 父母恙(つつが)なしや 友がき雨に風に つけても思い出(い)ずる 故郷志(こころざし)を はたしていつの日にか 帰らん山は青き 故郷水は清き 故郷-----------------------------1.Sometimes I dream I'm on the HillChasing the wild hare - freely at willCatching small fish - as the Brook murmurs byPlace of my birthright - for you I sigh2.Father and Mother - once you taught meThat treasures of life - are all given free!Friendship and happiness - Sunshine and RainYour words come back to me time and again3.Clear crystal brooklet - fresh Hills of BlueWhisper across the Breeze - where are you?when fortune smiles on me - then FurusatoI will return to you, I love you so!----------------------------------------- "恙(つつが)なしや" 《故郷》無事ですか? お元気ですか?"友垣"(ともがき) 《故郷》友達。交わりを結ぶことを垣を結ぶのにたとえていう------------------------------------------------------------------------------------混声合唱組曲 "悪魔の飽食" 【原詩】森村誠一【編詩】池辺晋一郎・神戸市役所センター合唱団【作曲】池辺晋一郎一.プロローグ 七三一の重い鎖ハルピン郊外20キロ平房の地に囲われし6キロ四方のこの世の地獄"731部隊"に何があったのか1.何故あなたは止めたのか 人であることを止めたのか 生きながら殺されしマルタよ哀れ 生きながら解剖されし少年よ哀れ 生きてしあれば無限の可能性に花開いたであろうに 誰がマルタを殺したか 誰が少年を切り刻んだのか2.何故あなたは拒めなかったか 狂いし命を拒めなかったか "731"の秘密は死すとも漏らすな 石井中将閣下の命ならば一切他言無用 血塗られたメスを握ったあなたを縛った重い鎖 誰も答えようとはしなかった 誰も語ろうとはしなかった3.何があなたをそうさせた 口を閉ぎしたまま死ぬには重すぎる 夜ごと枕辺に立つはマルタの亡霊 あなたはあの時止めていた、人を 人ではないそのまま 人ではないそのまま 墓に向かって行くのか 人の心のかけらでもあれば 語らずには居られないはずハルピン郊外20キロ平房の地に囚われし6キロ四方のこの世の地獄"731部隊"に何があったのか日本人よ今 自らに問えニ.生体の出前いたします1.より取り見取り お好みをおっしゃって下さい 男、女、若いのから年寄り 大、中、小、細いの、太いの 白いの、黄色いの、何でも 中国人、ロシア人、モンゴル人、朝鮮人、どれでも 実験材料のリザーブをどうぞ2."731"へいらっしゃい 病気のいろいろはいかが どんな実験もお望みのまま コレラ、ペスト、チフス、赤痢 梅毒、破傷風、天然痘、あらゆる病気、ウィルス、リケッチャ あらゆる種類をとりそろえてあります 発病し 生きのびたマルタは凍傷実験 飢餓、水断ち実験、感電に火傷実験 空気静脈注入実験、胃腸の位置を逆転するイチョウ返し 馬や猿の血による代用輸血実験 どんな実験も "731"ではお望み次第 凍傷で五体損傷のマルタは毒ガス実験 "731"のマルタに無駄はない 医者としてなすことあらんと期する者は "731"にいらっしゃい三.赤い支那靴1.もしもあなたが 私の娘に会うことがあったなら このことを伝えてほしい 父は約束を守れない 仲秋節に家に帰り おまえといっしょに月を見るという約束を2.もしもあなたが 私の娘に会うことがあったなら この靴を渡してほしい 父は何も残してやれない せめてこの靴をはいて できるだけ遠くまで歩いていっておくれ 十歳のおまえには 辛い一人の道だろうが 父は寄り添ってやれない 人よりも早く一人歩きするおまえに せめてこの靴をはいてほしい四.反乱 撃つなら撃て! マルタは立ち上がった 私たちはマルタではない 私たちを釈放せよ しからずんば死を与えよ マルタはモルモット モルモットとして生きるより 人間として死にたい 兵士たちは知っていた 正義は彼らにないことを 兵士たちは確かに聞いていた マルタの切々たる訴えを マルタは立ち上がった 人間として立ち上がった その時 与えられた 死 マルタの生より 人間としての死 死への跳躍 その誇り五.三十七年目の通夜1.私はストップウォッチを握った ガラス張りのチャンバーの中 ロシア人母と子のマルタ ここで生まれ ここで育った 女の子は4歳 栗色の髪 母マルタの胸に 顔埋めていた 顔を上げる子供マルタ その あどけない瞳……(ナレーション) 毒ガス注入 最終秒読み開始 5.4.3.2.1. ガス注入!2.私はストップウォッチを押した 我が子を我が胸に抱き寄せる ロシア人の母マルタ その時吹き出した青酸ガス 母は子をかばう 吹きかかるガス 母マルタは からだを盾にした ガスにおおわれる子供マルタ その 何も知らぬ瞳……3.何故 ストップウォッチを押せたのか 何故 目をそむけなかったのか 何故 我が妻 我が子を思わなかったのか 何故 何故 目を開いて見ていられたのか 私はロシア人親子マルタを殺した ああ あの時 あの子の澄んだ瞳…… 悔やんでも 流す涙は届かない 37年目 悔やんでも 流す涙は届かない六.友よ 白い花を マルタは人間です それぞれの祖国があり 妻があり 子があり そして愛する人が居るのです あらゆる人が その祖国を愛するのと同じく 私たちも 私たちの祖国を愛したのです1.同士よ生きよ 殺される最後の時まで生きよ 私たちに明日はなくても 次の世代には明日がある この暗い監獄にも 日の光のさしこむことを 信じよう2.妻よ子よ いつの日か この地に来てほしい その時は忌まわしい傷跡もなく 人は古い恨みを忘れるだろう 空には明るい太陽があり 地上には なごやかな集いがあるだろう3.友よ愛しい人よ 私たちの墓がみつからなかった時 白い花を ただ置いていってほしい 人が殺し合いをやめた証しに 地上を白い花で 埋めてほしい マルタの死を歴史のいましめとし 永遠の不戦を誓い合ってほしい七.君よ 目を凝らしたまえ1.君よ目を凝らしたまえ 目を背けたくても 背けてはならない 目を凝らしたまえ 私たちは信じよう 人間の英知と良心を 科学を悪魔に渡してはならない 人間の英知が破れぬために 私たちはカを合わせよう 一人になってはならない 一人にならないために 私たちは集まろう2.君よ耳を傾けたまえ 耳を塞ぎたくても 塞いではならない 耳を傾けたまえ 誤ちを隠せば いつか同じ誤まち 悲惨な記憶が風化していく 歴史の教えを忘れぬため 私たちはカを合わせよう ひとつひとつの小さな石となり 永遠の平和を誓う 大きなケルンを築こう3.君よ 歌を歌おう "731"の記憶を歌わなければならない ささやくだけではいけない 暗い時間におおわれてはならない 私たち人間なのだから 犯した罪を忘れぬため だから高く語ろう だから高く歌おう 未来のために 未来のために4.(1番のくりかえし)----------------------------初演は1984年10月23日。有名な"731部隊"を題材とした曲です。----------------------------"731部隊"は6キロ四方の広大な敷地の中で、ありとあらゆる人体実験を行なっていました。実験材料のために捕らえられた人々は「マルタ」と呼ばれ、特別監獄(7棟、8棟)に隔離されました。 日本軍の憲兵によって捕らえられた抗日組織の人々が、特別移送扱い(特移扱い)として"731部隊"に送られ「マルタ」とされ、なんら裁きをうけないまま、(731部隊の)実験材料として死刑を宣告されたのです。その中には、抗日組織とは無関係な住民や赤ん坊まで含まれていました。人体実験のために犠牲となった人は3000名を超えたといわれています。-----------------------------------------「白雪姫(初版グリム童話)」 ずっとむかしの、冬の雪の日、一人の美しい妃が、黒檀の枠のついた窓のそばで縫い物をしていました。 妃は、うっかり針で指を刺してしまい、雪の上に落ちた三滴の血を見た時、 「この雪のように白く、血のように赤く、この窓枠のように黒い子どもがほしいものだわ」 と、考えました。やがて、そのような女の子が生まれ、"白雪姫"と名づけられました。この妃は、その美しさを鼻にかけた、高慢な人でした。 「鏡よ鏡、国じゅうでいちばん美しい女はだれ?」 と聞いて、鏡が、 「あなたです、お妃さま、あなたが国じゅうでいちばん美しい」 と答えるのを聞いて、満足していました。 ところが、"白雪姫"が、7歳になり、いつものように、妃が鏡に聞きますと、 「"白雪姫"は、あなたより千倍も美しい!」 と、こたえるではありませんか。 -----------------中略----------------- と、いいながら、"白雪姫"の背中をドンと突きました。 そのとたん、"白雪姫"がかじった林檎のかけらが、のどから飛び出し、姫は生き返りました。 次の日、結婚式が行われることになり、"白雪姫"の母である妃も招かれました。 その朝、いつものように鏡に向かって、国じゅうで一番美しい女はだれかと聞きますが、鏡は、「若いお妃は、あなたより千倍も美しい!」 と、答えました。 妬み心に突き動かされた妃は、結婚式に出かけていきますが、若い妃が、"白雪姫"であることを知ります。 結婚式には、火の中で真っ赤に焼かれた鉄の上靴が用意され、妃は、それをはいて踊ればなりませんでした。足は焼けただれましたが、死ぬまで踊りやめさせてもらえませんでした。 「1812初版グリム童話 乾侑美子訳:小学館文庫」より--------------------------グリム童話(ぐりむどうわ)"Kinder und Hausmärchen"子供と家庭の童話Jacob Ludwig Carl GrimmとWilhelm Karl Grimmからなるグリム兄弟によってかかれた童話集。KHM200番までの他に児童の読む聖者物語(Kinderlegenden)が10番まである。------------------------------------------今日は防災の日です。Be having your attention,"si'l vous plait"!!!!!--------------------------------------
2004年09月01日
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