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"晦日"(つごもり)に読める----------------------------夏晦日 明けて侘しき 独り言----------------------------"つごもり"(晦/晦日〉 「月ごもり」の転。月が隠れて見えなくなる頃の意(1)月の末の日。みそか。「水無月の―に」(2)陰暦で月末の数日もしくは月の下旬の一〇日ほどの間。「かくて―になりぬれど…二十八日にぞれいのひもろぎのたよりに/蜻蛉(下)」-----------------------わびしい(侘しい) [一](1)安らぎやうるおいがなく、つらくて心細い状態だ。孤独でさびしい。「―・い一人暮らし」(2)みすぼらしい。貧しくて人に気の毒な感じを与える。「―・い住まい」(3)静かでものさびしい。貧弱ではなやかさがない。「―・い景色」[二](1)気力がなくなった感じだ。「君は来ず吾は故無み立つ浪のしくしく―・しかくて来じとや/万葉 3026」(2)苦しくつらい。耐えがたいほどの苦痛を感ずる。「足も動かれず―・しければ、せむ方なくてやすみ給ふ/源氏(玉鬘)」(3)おもしろくない。興ざめだ。「前栽の草木まで心のままならず作りなせるは、見るめも苦しく、いと―・し/徒然 10」〔期待がはずれたり悲しい目にあったりして、気落ちしたさまを表すのが原義〕--------------------------------------------"みなしごハッチ"♪~♪行け 行け ハッチ みつばちハッチ飛べ 飛べ ハッチみなしごハッチ姿優しい モンシロチョウチョウおどけバッタに テント虫みんな友達 仲間だけれど 母さん欲しいかろ 恋しいかろ 行け 行け ハッチみつばちハッチ飛べ 飛べ ハッチみなしごハッチ ハッチ---------------------------------------「昆虫物語 みなしごハッチ」1970年4月よりタツノコプロの制作のもとフジテレビ系で放映されたものです。内容は1話ごとに完結し全91話より成り立っています。-------------------------------------------------涙なくして見れない感動の名作です。原作者である吉田竜夫も生前、こういうアニメが作りたくてタツノコプロを作ったと言わしめた作品が「昆虫物語 みなしごハッチ」です。以後、続編に続きリメイクもされたことからも判るように、本作品が持っているテーマはズバリ普遍的な「母と子」の物語であす。本当の母親を探すまでにハッチは様々な経験をしていくのですが、そのエピソードは、ただハッチと母との関係だけを描いたものではなく、毎回登場する昆虫や仲間を通して、様々な母と子の形が描かれているでのす。---------------------------------------"杜子春(とししゅん)" 或春の日暮れです。唐の都洛陽の西の門の下に、ぼんやり空を仰いでいる一人の若者がありました。若者は"杜子春"といって…。 芥川龍之介の名作「杜子春」は大正九年七月、『赤い鳥』に童話として発表された作品です。 中国の伝奇「杜子春伝」を骨子として書き上げたものです。人間の"七情"(喜・怒・哀・懼・悪・欲・愛)のうち、"愛"の執着が最も強いということを語ろうとしています。--------------------------------------------------"子春"は地獄で馬の形にされ鞭の苦しみを受けながら、なお我が子の事を思っている母親の愛情の深さに思わず「おっかさーん」と叫んでしまいます--------------------------------------------------------"ap・pro・pri・ate" a. 適当な ((to, for)); 特定の, 特有の ((to)).vt. 着服する, 横領する, 盗む; (ある目的に)当てる, 充当する ((for))."appropriate a thing to oneself" 物を横領する. "appropriated surplus"割当剰余金 ((株主配当に回らない資産額の部分))."ap・pro・pri・ate・ly"ad."ap・pro・pri・a・tion"n. 私用, 盗用, 着服; 充当(金); (所有者の権利主張がない場合の)合法的取得; (議会の)歳出割当承認; (議会の承認した)特別支出(金); 歳出予算."appropriation account"【会計】(利益の)処分勘定. ---------------------------------------"推敲"(すいこう) 詩や文章などの語句を何度も練り(ねり)直しよりよいものにすること【由 来】唐の国の詩人"賈島"(かとう)は、自分の作品中の語句の「僧は"推す"(おす)月下の門」の一句を「僧は"敲く"(たたく)月下の門」にするべきか迷っていた。ロバに乗って考えにふけっていた"賈島"(かとう)は、有名な詩人の"韓愈"(かんゆ)の行列につっこんでしまった。"韓愈"(かんゆ)は、その非礼(ひれい)を怒るどころか、「敲く(たたく)」の方がよいと教えてくれたことから、この語ができました。 "唐詩紀事"(とうしきじ) ---------------------------------------"山男の歌"作詞 神保信雄 (作曲者不詳)娘さんよく聞けよ山男にゃ惚れるなよ山で吹かれりゃよ若後家さんだよ山で吹かれりゃよ若後家さんだよ娘さんよく聞けよ山男の好物はよ山の便りとよ飯合のめしだよ山の便りとよ飯合のめしだよ山男よく聞けよ娘さんにゃ惚れるなよ娘心はよ山の天気よ娘心はよ山の天気よ山男同志の心意気はよ山できたえてよ共に学ぶよ山できたえてよ共に学ぶよ娘さんよく聞けよ山男に惚れたらよむすこ達だけはよ山にやるなよむすこ達だけはよ山にやるなよ-----------------------------------"木霊"(こだま)は返すよ"ヤッホー"-----------------------------------こだ(木霊/木魂/谺) 〔室町時代までは「こたま」〕(1)樹木に宿っている霊。木精。(2)〔古くは木の霊の仕業と考えていたことから〕山・谷などで起こる音の反響。また、音・声が山・壁などに当たってはね返って来ること。やまびこ。「靴音がビルに―する」(3)歌舞伎の下座音楽の一。山や谷の場で、小鼓二丁を舞台の上手と下手で打ち合い音の反響を表す。------------------------------------------"谺"(こだま)は返す------------------------ヤッホー・ヤッホーヤッホー・ヤッホー・ヤッホー------------------------------------------"星の砂" 小柳ルミ子作詞 関口 宏 作曲 出門 英♪二度と出来ない恋を捨て あなた遠く 離ればなれになってゆくの 今 つらいわ♪ ♪嫁ぐ日岬に一人たたずみ 君 住む島に別れを告げるないて ないて まぶしいサンゴの島がにじんでおちて "星の砂"♪------------------------------------------ほしずな(星砂) 有孔虫目の原生動物。直径1~2ミリメートルほどの石灰質の殻をもつ。殻に数個の突起があり、星形に見える。日本では八重山諸島の汀線(ていせん)付近に分布。------------------------------------------I want get "星の砂"!!!!
2004年08月31日
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the ATHENS 2004 Olympic Games "Games of the XXVIII Olympiad" has over---------------------------------------------- "桂冠"の "Olympos"熱く 夢と散る------------------------------------------"月桂冠"(げっけい-かん) (1)月桂樹の枝葉で作った冠。古代ギリシャで競技の勝者に与えた桂冠。(2)名誉。栄光。また、勝利のしるし。-------------------------------------"オリンポス" (Olympos) ギリシャ北部、テッサリアとマケドニアの境界にある同国の最高峰。海抜2917メートル。ギリシャ神話で主神ゼウスをはじめとするオリンポス十二神の居所といわれる聖山。オリュンポス。-------------------------------------------"真夜中のカーボーイ" (1969) "MIDNIGHT COWBOY" ------------------------------ 金持ち女の相手をして金を稼ごうと、テキサスの片田舎からニューヨークへやって来たジョー(ヴォイト)。だが現実の壁は厳しく、カウボーイを気取る彼の夢は遠のいていくばかり。そんなジョーが知り合ったのがラッツォと呼ばれる一人の男。始終咳き込み足を引きずって歩くその小男と、ジョー。大都会のはみだし者同士、次第に友情を深めていく二人だが、ラッツォの病状は日増しに悪くなっていた。ジョーは、フロリダへ行くというラッツォの夢を叶えようとするのだが……。ふんだんに取り入れられた60年代末のアメリカの風俗描写の中、夢はあれどもそれをどう実現していくかが判らないまま、日々に押し流されていく孤独な男たちを、イギリスからやって来たJ・シュレシンジャーが活写したアメリカン・ニュー・シネマの傑作です。--------------------------------------------------主題歌"うわさの男"(歌 ニルソン) ------------------------------"Everybody's Talkin'"(Harry Nilsson) --------------------------------Everybody's talking at me I don't hear a word they're saying Only the echoes of my mind People stopping staring I can't see their faces Only the shadows of their eyes I'm going where the sun keeps shining Thru' the pouring rain Going where the weather suits my clothes Backing off of the North East wind Sailing on summer breeze And skipping over the ocean like a stone ---------------------------------------- "帰らざる日々"谷村新司 作詞/作曲--------------------------♪~♪最後の電話 握りしめて何も話せず ただじっとあなたの声を聞けば 何もいらないいのちをのみほして 目をとじるバイ バイ バイ 私のあなたバイ バイ バイ 私のこころバイ バイ バイ 私のいのちバイ バイ バイ バイ マイ ラブ何か話さなきゃいけないわ 分っているけれど目の前を楽しい日々が ぐるぐるまわるだけバイ バイ バイ 私のあなたバイ バイ バイ 私のこころバイ バイ バイ 私のいのちバイ バイ バイ バイ マイ ラブ酒びたりの日も今日限り 私は一人で死んでゆくこの手の中の夢だけを じっと握りしめてバイ バイ バイ 私のあなたバイ バイ バイ 私のこころバイ バイ バイ 私のいのちバイ バイ バイ バイ マイ ラブあなたの声が遠ざかる こんなに安らかに夕暮が近づいてくる 私の人生のバイ バイ バイ 私のあなたバイ バイ バイ 私のこころバイ バイ バイ 私のいのちバイ バイ バイ バイ マイ ラブバイ バイ バイ バイ バイ バイバイ バイ バイ バイ バイ バイバイ バイ バイ バイ バイ バイバイ バイ バイ バイ マイ ラブ---------------------------------------------"惑星 ソラリス"(СОЛЯРИС / SOLARIS) ------------------------------原作:スタニスラフ・レム「ソラリスの陽のもとに」監督:"Andrei Tarkovsky" (1932~1986) この作品は、スタンリー・キューブリックの『2001年宇宙の旅』(1968)と比肩されるSF映画の傑作で、アンドレイ・タルコフスキー監督の名を不朽のものにしました。ポーランドのSF作家スタニスラフ・レムのベストセラー長篇「ソラリスの陽のもとに」の映画化ですが"未知なるもの"と遭遇して極限状況に置かれた人間の内面に光をあて、「愛」と「良心」をめぐる道徳・哲学的な問題を提起しました。日本では1977年4月、岩波ホールでロードショー公開されています。なお、原作にはない"地上のプロローグ"の未来都市のシーンは東京で撮影され、1972年夏、タルコフスキー監督はロケ撮影のため来日しました。東洋哲学わけても日本の中世思想に共感を示したタルコフスキーですが、この来日が最初にして最後となりました。------------------------------------------------[ストーリー]映画はプロローグ(地上の現実)とエピローグ(惑星での未来)を持つ2部作です。惑星ソラリス、それは宇宙のかなたの謎の星で、生物は存在は確認されないが、理性を持った有機体と推測されるプラズマ状の“海”によって被われていた。世界中の科学者達の注目が集まり、"海"と接触しようとする試みが幾度か繰り返されたが、いずれも失敗に終る。そして、ソラリスの軌道上にある観測ステーションは原因不明の混乱に陥ってしまっていた。心理学者クリスが原因究明と打開のために送られることになった。美しい緑に囲まれた我が家を後に宇宙ステーションヘと飛び立つクリス…。しかし彼を待っていたのは異常な静寂と恐しい程の荒廃だった。物理学者ギバリャンは謎の自殺を遂げ、残った二人の科学者も何者かに怯えている。そんなある日、突然クリスの前に、すでに10年前に自殺した妻ハリーが現われた。彼女はソラリスの"海"が送ってよこした幻だった。"海"は人間の潜在意識を探り出してそれを実体化していた。妻の自殺に悔恨の思いを抱いていたクリスは、遂には幻のハリーを愛するようになるが、科学者としての使命感と個人的な良心との相剋に悩まされる…… ---------------------------------------------"アルツハイマー病"(Alzheimer's disease) (Alzheimer's basket cells)1907年、ドイツの精神科医、"A.アルツハイマー博士"が初めて報告した病気です。脳内で特殊なタンパク質異常が起こり、脳内のニューロンが消失する痴呆症。----------------------------------------Dont' be afraid of beeing "Alzheimer's disease"!!!----------------------------------------【"阿呆"につける薬がない】森の石松が登場する浪曲では,もう少し柔らかい表現をしています.「"阿呆"は死ななきゃ治らない」それなら死んだら阿呆は治るのかと言えば,やっぱり保証の限りでは無い.伊藤検事正は「人は死んだらゴミになる」と語って亡くなられました. "阿呆"につける薬は本当に無いのでしょうか? 最近,魚を食べると頭の回転が良くなると言われています.グルタミン酸ソーダーも昔は,頭に良いと-----.究極の薬は,快楽物質エンドルフィンですが,薬が切れたあと,恐ろしい禁断症状が現れます.傷害は死ぬまで付きまとうと言います. 筋肉でも,増強剤を使うのは違法です.体にも悪い. 結局"阿呆"の治療法は,薬に頼らず,あくなき勉強で鍛えるしか無さそうです.脳は使えば使う程良くなると,聞かされていますが,どうも真実のようです. しかし"阿呆"はしばしば良い意味に使われます.人間,頭の善し悪しより,心の使われ方に人格の比重があるからです.「"阿呆"やなー」と言う時,損を承知で愛する者のために自己犠牲を行った人を称賛する言葉になります.「そりゃ,わいは"阿呆"や」演歌,浪花恋時雨の台詞を語る時,歌い手はど"阿呆"春団次に共感しています.「今に見てみー,日本一になったる」そうした高い志を持つ"阿呆"に自分を重ねて,酔うことが出来るのです. あの,阿波踊りの,お囃子も,"阿呆"を称賛しています.「踊る阿呆に見る"阿呆"」から踊った"阿呆"を,「えらいやっちゃ,えらいやっちゃ」と讃えます."阿呆"に成り切って踊れる人を「偉い」と言っているのです. "阿呆"は,本来,唖法だとする説があります.唖のように黙り通す修行です.芥川の小説,杜子春に,逸話が登場します.また釈迦の弟子で,お互いの名前を記憶できない兄弟,スリ,ハンドクの逸話があります.この二人は,他の雑念を一切捨て,釈迦の正しい法のみを記憶したが故に,尊い弟子と称賛されるのです. "阿呆"も使いようで,尊くもなり,貧しくもなるわけです.---------------------------------------------------あわおどり あはをどり 【阿波踊り】 徳島市近辺の盆踊り。数十人が連(れん)を組み、三味線・笛・鉦(かね)・太鼓の囃子(はやし)に乗って町中を踊り歩く。唄は熊本県の「牛深はいや節」系統のものであったが、大正初期には江戸後期のはやり唄「よしこの節」に替えられた。----------------------------------------------踊るあほ~に見るあほ~♪同じあほなら おどりゃな そソンソン♪(^o^)-----------------------"歓楽極兮哀情多"-----------------------"秋風辞" by 漢 武帝秋風起兮白雲飛 草木黄落兮雁南帰 蘭有秀兮菊有芳懐佳人兮不能忘汎楼船兮済汾河横中流兮揚素波簫鼓鳴兮発棹歌"歓楽極兮哀情多"少壮幾時兮奈老何--------------------------秋風起こって 白雲飛び、草木黄落して 雁南に帰る。蘭に秀(はな)有り 菊に芳(かほり)有り、佳人を懐うて 忘るる能はず。楼船を汎(うか)べて 汾河を済(わた)り、中流に横たわり 素波を揚げ、簫鼓鳴って 棹歌を発す。歓楽極まりて 哀情多し、少壮幾時ぞ 老を奈何(いかん)せん。---------------------------------------"祭りの後"は誰しも悲しいものですね-------喜びが極まった時、ふともの悲しい気持ちになる。若く元気な時はどのくらいあろうか、年老いることをどうしたら良かろうか------------------------------------------漢の第七代の天子である"武帝"は、「秦皇漢武」と言われるように、秦の始皇帝と比較される程の、強大な国家を築きあげた人物です。また、班固の『西漢書』では、武帝のことを「雄材大略」と評されています。匈奴を駆逐し、シルクロードを開き、広大な領土を下に、強力な中央集権の制度を完成させた専制君主ですが、儒教を国学と定め、また、楽府を創設して文学芸術の興隆に尽くした帝王でもあります。"武帝"の下には綺羅星の如く英雄や才人が集まり、まさに帝国の全盛時代とも言える時代であったようです。司馬遷・司馬相如を始め、東方朔・董仲舒・蘇武・霍去病・衛青・李陵など、皆武帝の下での人物でした。その"武帝"をしても、「老い」に対しては弱気にならざるを得なかったようです。-----------------------------------------------"Sentimental Journey"Artist: Doris Day Gonna take a "sentimental journey"Gonna set my heart at easeGonna make a "sentimental journey"To renew old memoriesGot my bag, got my reservationSpent each dime I could affordLike a child in wild anticipationLong to hear that "All aboard"Seven, that's the time we leave, at sevenI'll be waitin' up for heavenCountin' every mile of railroad trackThat takes me backNever thought my heart could be so yearnyWhy did I decide to roam?Gotta take that "sentimental journey""Sentimental journey" home"Sentimental journey"!----------------------------------------------------------------------Come with me ,"s'il vous plait"!!!
2004年08月30日
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"野分き"---いとど、近づけり--------------------------"けざやか"にめでたき人ぞ在(い)ましたる"野分"(のわき)が開(あ)くる絵巻のおくに "晶子"--------------------------------------------------"けざやか"はっきりしているさま。際立っているさま。「黄金(きん)の腕環の―に燿ける手/金色夜叉(紅葉)」-------------------------------------"野分き"(のわき) 〔野の草を吹き分ける風、の意〕(1)二百十日、二百二十日前後に吹く暴風。台風。あるいはその余波の風。また、秋から初冬にかけて吹く強い風。のわけ。のわきのかぜ。[季]秋。《吹飛ばす石は浅間の―かな/芭蕉》(2)源氏物語の巻名。第二八帖。---------------------------"いとど" 〔「いといと」の転という〕(1)いよいよ。一層。ますます。「―ゆかしさまされど/更級」(2)ただでさえ…なのにさらに。そうでなくてさえ。「―鈍な奴めが茗荷を食ひ、いよいよ鈍になつて/狂言記・鈍根草」---------------------------"眠られぬ夜のために"(145)真実は、まことに、最も美しく、最も大切な性質である。真実は動物をも非常に尊いものとし、ほとんど人間なみの価値と品位にまで高めるほどである。 しかし、真実が全く欠けているときには、最も才知あり、教養のある人間でも社会一般に危害を及ぼす野獣にすぎない。(ヒルティ著「眠れぬ夜のために第一部十月十六日」)--------------------------------------------------"ヒルティ"は自身の著書の中で語りかけてきます。真実がない場合、いかに数学や英語などの"ability"が恵まれていても、また会社で業績をあげても、それらはかえって悪用され、社会に害悪を及ぼすことになる。たとえ"ability"が乏しくとも、真実な心さえあれば、誰をも害することなく、神の性質の本質的な部分を周囲の人々に指し示し、ひとの心を潤すことができるのだと--------Treue ist eigentlich die schonste und wichtigste Eigenschaft.Sie veredelt auch ein Tier so sehr,dass es fast zu menschlicher Bedeutung und Wurde emporsteigt,und wo sie ganzlich fehlt,ist der geistvollste und gebildetste Mensch nur eine gemeingefahrliche Bestie.---------------------------------------------------"ヒルティ"(1833.02.28-1909.10.12)スイスの法学者。ベルン大法学教授、国会議員、軍事裁判所長など歴任。聖者的人格と博学から生まれた著作は、唯物的な文明進歩の波に酔っている人に警告を与え、弱い人々には慰めを与え、大きな影響を及ぼした。主な著作1891-99 「幸福論」1901 「眠られぬ夜のために」-----------------------------------眠られぬ夜は"源氏"の世界へ参りませんか???-----------------------------------源氏物語・第二八帖"野分"(のわき)與謝野晶子訳-----------------------------------中宮のお住居の庭へ植えられた秋草は、今年はことさら種類が多くて、その中へ風流な黒木、赤木のませ垣(がき)がところどころにゆわれ、朝露夕露の置き渡すころの優美な野の景色を見ては、春の山も忘れるほどにおもしろかった。春秋の優劣を論じる人は、昔から秋をよいとする方の数が多いのであったが、六条院の春の庭のながめに説を変えた人々は、またこのごろでは秋の賛美者になっていた、世の中というもののように。 中宮はこれにお心がひかれてずっとご実家生活をつづけておいでになるのであるが、音楽の会の催しがあってよいわけではあっても、八月は父君の前皇太子のおん忌月(きづき)であったから、それにはばかってお暮しになるうちに、ますます草の花は盛りになった。今年の"野分"(のわき)の風は例年よりも強い勢いで空の色も変るほどに吹きだした。草花のしおれるのを見ては、それほど自然に対する愛のあるのでもないあさはかな人さえも心が痛むのであるから、まして露の吹き散らされてむざんに乱れていく秋草をごらんになる宮は、ご病気にもおなりにならぬかと思われるほどのご心配をあそばされた。おおうばかりの袖(そで)というものは春の桜によりも、実際は秋空の前に必要なものかと思われた。日が暮れていくにしたがってしいたげられる草木の影は見えずに、風の音ばかりのつのってくるのも恐ろしかったが、格子(こうし)なども皆おろしてしまったので、宮は、ただ草の花を哀れにお思いになるよりほかしかたもおありにならなかった。 南の御殿の方も前の庭を修理させた直後であったから、この"野分"に、もとあらの小萩が奔放に枝をふり乱すのを傍観しているほかはなかった。枝が折られて露の宿ともなれないふうの秋草を、女王は縁の近くに出てながめていた。源氏は小姫君のところにいたころであったが、中将が来て東の渡殿(わたどの)の衝立(ついたて)の上から妻戸の開いた中を何心もなく見ると女房がおおぜいいた。中将は立ちどまって音をさせぬようにしてのぞいていた。屏風(びょうぶ)なども風の激しいためにみなたたみ寄せてあったから、ずっと先の方もよく見えるのであるが、そこの縁つきの座敷にいる一女性が中将の目にはいった。女房たちと混同して見える姿ではない。気高くてきれいで、さっとにおいの立つ気がして、春の曙(あけぼの)の霞(かすみ)の中から美しい樺桜(かばざくら)の咲き乱れたのを見いだしたような気がした。夢中になってながめる者の顔にまで愛嬌(あいきょう)が反映するほどである。かつて見たことのない麗人である。御簾(みす)の吹きあげられるのを、女房たちがおさえて歩くのを見ながら、どうしたのかその人が笑った。ひじょうに美しかった。草花に同情して奥へもはいらずに紫の女王がいたのである。女房もきれいな人ばかりがいるようであっても、そんな方へは目が移らない。父の大臣が自分に接近する機会を与えないのは、こんなふうに男性が見ては平静でありえなくなる美貌(びぼう)の継(まま)母と自分を、聡明(そうめい)な父は隔離するようにして親しませなかったのであったと思うと、中将は自身のすき見の罪が恐ろしくなって、立ち去ろうとするときに、源氏は西側の襖子(からかみ)をあけて夫人の居間へはいって来た。「いやな日だ。あわただしいふうだね、格子をみなおろしてしまうがよい、男の用人がこの辺にもいるだろうから、用心をしなければ」と源氏がいっているのを聞いて、中将はまたもとの場所へ寄ってのぞいた。女王は何かものをいっていて、源氏も微笑しながらその顔を見ていた。親という気がせぬほど源氏は若くきれいで、美しい男の盛りのように見えた。女の美もまた完成の域に達したときであろうと、身にしむほどに中将は思ったが、この東側の格子も風に吹き散らされて、立っているところが中から見えそうになったのに恐れて身を退(の)けてしまった。そして今来たように咳(せき)ばらいなどをしながら南の縁の方へ歩いて出た。「だから私がいったように不用心だったのだ」 こういった源氏がはじめて東の妻戸の開いていたことを見つけた。長い年月のあいだこうした機会がとらえられなかったのであるが、風は巖(いわお)も動かすという言葉に真理がある、つつしみ深い貴女も風のために端(はし)へ出ておられて、自分に珍しい喜びを与えたのであると中将は思ったのであった。家司(けいし)たちが出て来て、「たいへんな風力でございます。北東からくるのでございますから、こちらはいくぶんよろしいわけでございます。馬場殿と南の釣殿(つりどの)などは危険に思われます」などと主人に報告して、下人(げにん)にはいろいろな命令をくだしていた。「中将はどこから来たか」「三条の宮にいたのでございますが、風が強くなりそうだと人が申すものですから、心配でこちらへ出て参りました。あちらではお一方(ひとかた)きりなのですから心細そうになさいまして、風の音なども若い子のように恐ろしがっていられますからお気の毒にぞんじまして、またあちらへ参ろうと思います」と中将はいった。「ほんとうにそうだ、早く行くがいいね。年がいって若い子になるということはふしぎなようでも実はみなそうなのだね」と源氏は大宮にご同情していた。騒がしい天気でございますから、いかがかとお案じしておりますが、この朝臣(あそん)がおつきしておりますことで安心しておうかがいはいたしません。という挨拶(あいさつ)をことづてた。途中も吹きまくる風があってわびしいのであったが、まじめな公子であったから、三条の宮の祖母君と、六条院の父君へのご機嫌(きげん)うかがいを欠くことはなくて、宮中のご謹慎日などで、御所から外へ出られぬとき以外は、役所の用の多いときにも臨時のご用の忙しいときにも、最初に六条院の父君の前へ出て、三条の宮から御所へ出勤することを規則正しくしている人で、こんな悪天候の中へ身を呈するようなお見舞なども苦労とせずにいた。宮様は中将が来たので力を得たようにお喜びになった。「年寄りの私がまだこれまで経験しないほどの野分ですよ」とふるえておいでになった。大木の枝の折れる音などもすごかった。家々の瓦(かわら)の飛ぶ中を来たのは冒険であったとも宮はいっておいでになった。はなやかなご生活をあそばされたこともみな過去のことになって、この人一人をたよりにしておいでになるご現状を拝見しては無常も感ぜられるのである。今でも世間から受けておいでになる尊敬が薄らいだわけではないが、かえってお一人子の内大臣のとる態度に暖かさの欠けたところがあった。 夜どおし吹きつづける風に眠りえない中将は、もの哀れな気もちになっていた。今日は恋人のことが思われずに、風の中でしたすき見ではじめて知るをえた継母の女王の面影が忘られないのであった。これはどうしたことか、だいそれた罪を心で犯すことになるのではないかと思って反省しようとつとめるのであったが、また同じ幻(まぼろし)が目に見えた。過去にも未来にもないような美貌の方である。あれほどの夫人のおられる中へ東の夫人がまじっておられるなどということは想像もできないことである。東の夫人がかわいそうであるとも中将は思った。父の大臣のりっぱな性格がそれによって証明された気もされる。まじめな中将は紫の女王を恋の対象として考えるようなことはないのであるが、自分もああした妻がほしい、短い人生もああした人といっしょにおれば長生きができるであろうなどと思いつづけていた。 明け方に風がすこし湿気を帯びた重い音になって村雨(むらさめ)ふうな雨になった。「六条院では離れた建築物が、みな倒れたそうでございます」などと侍(さむらい)が報じた。-----以下 略--------------------------------------------------------------------"Ankle Hold"(あんくるほーるど) ----------------------------足首を捻って極める関節技。 主にうつ伏せに寝ている相手の足側から仕掛ける。自分の左手で相手の左足のつま先を掴み、相手の左足首に自分の右腕を巻き付け、自分の右手で自分の左手首を掴んでロック。掴んだ相手の左足を、右方向に捻って絞め上げる。うつ伏せの相手に仕掛けるのが基本形だが、仰向けの相手の足首を取りつつ裏返す場合もある。 -------------------------------------------------------“アンクル”は「足首」、“ホールド”は「固める」 ------------------------------"アテネ"では愈々、終盤です。レスリングの"男子"諸君、"女子"レスリングの「つわもの」達に続け!!!!!---------"ヤッホー"-------------
2004年08月29日
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------------------------------------------一家(ひとつや)に 遊女も寝たり "萩"と月by "芭蕉"-------------------------------------------"萩"(草かんむりに"秋"です)"萩"は草花における秋の代表格です。この"萩"という文字は輸入品でないため万葉集では「芽子」もしくは万葉仮名で「波疑」と表記されます。 ちなみに、この時代でいうところの「萩」の花は、現在の「山萩」です。秋の七草の一つ。------------------------------------------"秋の七草"秋に咲く代表的な七種の草花。"ハギ"・ススキ(オバナ)・クズ・ナデシコ・オミナエシ・フジバカマ・キキョウ。----------------------------------------------- "眷恋"(けんれん) 愛着の思いにひかれること。恋いこがれること。「アリスに―する/花柳春話(純一郎)」恋いこがれるさま。「―として棄つるに忍びざる処/二人女房(紅葉)」------------------------------------------------"今日でお別れ"なかにし礼 作詞 宇井あきら 作曲♪~♪今日でお別れね もう逢えない涙を見せずに いたいけど信じられないの そのひとことあの甘い言葉を ささやいたあなたが突然さよなら 言えるなんて♪~♪最後のタバコに 火をつけましょう曲がったネクタイ なおさせてねあなたの背広や 身のまわりにやさしく気を配る 胸はずむ仕事はこれから"どなた"が するのかしら♪~♪今日でお別れね もう逢えないあなたも涙を 見せてほしい何も云わないで 気安めなどこみあげる涙は こみあげる涙は言葉にならない さようならさようなら~----------------------------------------------------------------------"夢をあきらめないで"岡本孝子 作詞作曲♪~乾いた空に続く坂道 後ろ姿が小さくなるやさしい言葉 探せないまま冷えたその手を 振りつづけたいつかは 皆 旅立つそれぞれの道を歩いていく"あ~なたの夢をあきらめないで"熱く生きる瞳が好きだわ負けないように 悔やまぬようにあなたらしく 輝いてね♪~苦しいことに つまづくときもきっと上手に 越えていける心配なんて ずっとしないで似てるだれかを 愛せるから・・・♪~切なく残る痛みは 繰り返すたびに 薄れていく"あ~なたの愛を あきらめないで"熱く生きる瞳が 好きだわあなたが選ぶ すべてのものを遠くにいて 信じている"あ~なたの夢を あきらめないで"遠くにいて 信じている----------------------------------"勿忘草"------------------------------------------------------------"忘れな草をあなたに"作詞:木下竜太郎 作曲:江口浩司唄:梓みちよ/菅原洋一1 別れても 別れても 心の奥にいつまでも いつまでも憶(おぼ)えておいて ほしいから幸せ祈る 言葉にそえて"忘れな草"を あなたに あなたに2 いつの世も いつの世も 別れる人と会う人の 会う人の運命(さだめ)は常に あるものをただ泣きぬれて 浜辺に摘んだ"忘れな草"を あなたに あなたに 3 喜びの 喜びの 涙にくれて抱(いだ)き合う 抱き合うその日がいつか 来るように二人の愛の 思い出そえて忘れな草を あなたに あなたに ---------------------------------"忘れな草"は、初夏に紺碧色の花を咲かせるムラサキ科の一・二年草で、川辺や湿地でよく見られます。英語では"forget-me-not"ドイツ語では"Vergissmeinnicht"いずれも「私を忘れないで」という意味でしたね。------------------------------------------"Auf Flügeln des Gesanges" (歌の翼に) "Musik von Jacob Ludwig Felix Mendelssohn-Barthold"恋する君を歌の翼にのせて はるか彼方のガンジスのほとりへ連れていこう----------------------------------------------------"ハイネ"作詞によるこの「歌の翼に」は、メンデルスゾーン(1809~1847)が27歳の時(1836年)に「六つの歌」作品34の第2曲として発表された歌曲です。メンデルスゾーンは裕福なユダヤ人家庭の生まれで、38歳という短い生涯の中でしたが、この「歌の翼に」をはじめとして数々の美しい旋律を残しています。---------------------------------- "ハイネ"(Heinrich Heine)(1797-1856) ドイツの詩人・評論家。デュッセルドルフにユダヤ商人の血をひいて生まれる。バイロン、ゲーテ、シュレーゲルなどの影響を受けてロマン派の旗手となる。フランスの七月革命以後はパリに住み、ユゴー、バルザック、サンドらと交わり、またマルクスとも親交をむすんだ。プロシア政府による全著作発禁処分にもあった。代表詩集『歌の本』『アッタ・トロル』『ドイツ冬物語』。遺言でモンマルトルに葬られた。---------------------------------------------- "海へのあいさつ"-----------------------------------------「海(タラッタ)よ 海(タラッタ)よ」ごきげんよう 永遠の海よいくどでも ごきげんよう とわきたつ心から あいさつしようそのむかし 幾千の"ギリシャ"のひとびとが不幸にうちかち 故郷をあこがれた世にも名高い"ギリシャ"のひとびとが心からおまえにあいさつしたように潮(しお)はなみだちなみうち ざわめいた陽(ひ)は かろやかな ばら色の光をまきちらしたかりたてられた鴎(かもめ)のむれがさけびつつ とび立った馬があがき 楯(たて)がなったとおくへひびく勝利のおたけびのようなこえ「海(タラッタ)よ 海(タラッタ)よ」ごきげんよう 永遠の海よ故郷(ふるさと)のことばのようにおまえの水がざわつくおさない日の夢のように おまえのゆれる波のおもてに微光がかがようすると ふるい思い出がまたあたらしく語り出すかわいらしいすばらしい玩具(がんぐ)のひとつひとつをかがやかしいクリスマス・プレゼントのひとつひとつをあかい珊瑚樹(さんごじゅ)や金魚や真珠(しんじゅ)やいろんな貝がらのそれぞれをそれらの品をおまえはこっそりかくしてあかるいその底の水晶の家にしまいこんでいるああ ぼくは荒涼(こうりょう)とした異郷でやつれはてた胸のなかにあるぼくの心臓は植物学者のブリキの胴乱(どうらん)にあるしぼんだ一本の草花のようだぼくは自分がくらい病室に冬中うずくまる病人のような気がするそしていま とつぜんその部屋をぬけだし陽(ひ)をうけてかがやくエメラルドのような春のひかりにぼくはまぶしく目を射られるしろい花さく木がざわめきわかい草花は匂(にお)いをはなついろとりどりのまなざしでぼくをみつめかおり うなり いぶき わらい青空には小鳥がうたう「海(タラッタ)よ 海(タラッタ)よ」おお よくもしりぞいた けなげな心よなんと いくたびもはげしく北方の蛮女(ばんじょ)らにくるしめられたことかおおきな かちほこる目から女らは もえる矢をはなったよこしまな するどいことばでぼくの胸を裂こうとおびやかした楔形(せっけい)文字の紙片をつきつけぼくのあわれな しびれた頭をうちくだいたぼくは いたずらに楯(たて)でふせいだ矢はとび剣は鳴ったこうして北方の蛮女(ばんじょ)から水際(みぎわ)までおしつめられたそしていま 自由に息をつきながら ぼくは 海に愛する救いの海に あいさつする「海(タラッタ)よ 海(タラッタ)よ」---------------------------------------------「海(タラッタ)よ 海(タラッタ)よ」というのは、クセノポーンの従軍記によるもので、敗残の一万のギリシャ兵が、苦難の峠(とうげ)から黒海を見て呼びかけた言葉。最後の節に出てくる「北方の蛮女ら」というのは"ハイネ"の若き日の恋人アマーリエおよびその妹テレーゼを指す。『歌の本』の「北海」の詩群の一篇です------------------------------------------------------------Could you sing like "ハイネ" ???
2004年08月28日
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---------------------------------しら玉の 歯にしみとほる "秋の夜"の 酒はしづかに 飲むべかりけり ---------------------------------by"若山 牧水"---------------------------------"若山 牧水""(わかやま ぼくすい)明治18年(1885年) - 昭和3年(1928年)日本の歌人。本名・繁(しげる)。--------------------------------以下、代表作----------------------------"しら鳥は 哀しからずや 空の青 海のあをにも 染まずただよふ" "幾山河(いくやまかは)こえさりゆかば 寂しさの はてなむ國ぞ けふも旅ゆく" "海(うな)底に 眼のなき魚の 棲むといふ 眼の無き魚の 恋しかりけり" "うすべにに 葉はいちはやく 萌えいでて 咲かむとすなり 山桜花" "なびき寄る 雲のすがたの やはらかき けふ富士が嶺の 夕まぐれかな" ----------------------------------------"略歴"宮崎県東臼杵郡東郷村(現・東郷町)の医師・若山立蔵の長男として生まれる。明治32年(1899年)宮崎県立延岡中学(現・延岡高校)に入学。短歌と俳句を始める。 18歳のとき、号を"牧水"とする。明治37年(1904年)早稲田大学文学科に入学。同級生の北原射水(後の白秋)、中林蘇水と親交を厚くし「早稲田の三水」と呼ばれる。 明治41年(1908年)早大英文学科卒業。7月に処女歌集『海の声』出版。翌、明治42年(1909年)中央新聞社に入社。5ヶ月後に退社。明治44年(1911年)創作社を興し詩歌雑誌「創作」を主宰。この年、歌人・太田水穂を頼って長野より上京していた後に妻となる太田喜志子と水穂宅にて知り合う。明治45年(1912年)友人であった石川啄木の臨終に立合う。同年、喜志子と結婚。大正2年(1913年)長男・旅人(たびと)誕生。その後、2女1男をもうける。大正9年(1920年)沼津の自然を愛し、特に千本松原の景観に魅せられて、一家をあげて沼津に移住。大正15年(1926年)詩歌総合雑誌「詩歌時代」を創刊。この年、静岡県が計画した千本松原伐採に対し新聞に計画反対を寄稿するなど運動の先頭に立ち計画を断念させる。昭和2年(1927年)妻と共に朝鮮揮毫旅行に立つが体調を崩し帰国。翌年、夏頃より病臥に伏し自宅で死去。享年"43歳"沼津の千本山乗運寺に埋葬される。牧水の死後、詩歌雑誌「創作」は歌人であった妻・喜志子により受け継がれた。-----------------------------------------------"大の酒好き"で一日一升程度の酒を呑んでいたといい、死因の大きな要因となったのは"肝硬変"。-----------------------------------------------情熱的な恋をしたことでも知られており喜志子と知り合う前の園田小枝子との熱愛は有名なエピソードです。出身地・宮崎県では牧水の功績を称え、平成8年(1996年)より毎年、短歌文学の分野で傑出した功績を挙げた者に対し「若山牧水賞」を授与しています。---------------------------------------------"知りすぎたのね"なかにし礼 作詞/作曲----------------------♪~♪"知りすぎたのね" あまりに私を"知りすぎたのね" 私のすべて恋は終わりね 秘密がないから話す言葉も うつろにひびく嫌われたくなくて 嫌われたくなくてみんなあなたに あげたバカな私捨てられたのね 私はあなたにいいのよいいの 作り涙なんか♪~♪"知りすぎたのね" あまりに私を"知りすぎたのね" 私のすべて花から花へ 蝶々が舞うようにほかの誰かを 恋するあなた嫌われたくなくて 嫌われたくなくてみんなあなたに あげたバカな私捨てられたのね 私はあなたにしおれた花が 捨てられるように------------------------"知りすぎた男"(THE MAN WHO KNEW TOO MUCH) 1955年----------------------------------------主演:ジェームズ・スチュワート、ドリス・ディ他アルフレッド・ヒッチコック監督のサスペンス映画です。この映画の目玉はドリス・ディの歌う-----------------------------------------「ケ・セラ・セラ」"que sera,sera"---------------------When I was just a little girl, I asked my mother,’What will I be?? Will I be pretty? Will I be rich?’Here’s what she said to me:’Que sera sera,what ever will be,will be,The future’s not ours to see ."Que sera sera"what will be,will be’When I grew up and fell in love,I asked my sweetheart,’What lies ahead? Will we have rainbows day after day?’Here’s what my sweetheart said:’"Que sera,sera",whatever wil be, will bethe future’s not ours to see."que sera,sera",what will be, will be’Now I have children of my ownthey ask their mother ’What will I be?Will i be handsome?Will i be rich?’I tell them tenderly’"Que sera,sera",whatever will be,will be,the future’s not ours to see."Que sera,sera",what will be,will be.’------------------------------------------------ヒッチコックの映画「知りすぎた男」のテーマソング。ドリス・デイが息子に優しく歌っているのが印象的です。「先のことなどわからない なるようになる」肩の力を抜いてこんな風に生きていきませう。---------------------------------------"ドリス・デイ"(Doris Day) 本名 "Doris Mary Ann Von Keppelhoff"1924年4月3日、オハイオ州シンシナティに生まれました。父はドイツ出身の音楽教師で、上に兄が2人いましたが、上の兄はドリスが生まれる前に死んでいます。両親は彼女が8歳の時に離婚しました。彼女は子供の頃から歌って踊るのが大好きで、12歳の時には友達の男の子とペアを組んでダンス大会で優秀な成績を収めています。彼女はできればバレリーナになりたいと思っていましたが、14歳の時に交通事故に遭い、激しい踊りができない身体になって、その道を断念せざるを得なくなります。やがて何事にも前向きな彼女は「踊れなくても歌がある」と考え直して歌の練習に励みます。16歳の時には" Les Brown and His Band Renown "という有名ジャズバンドに参加。その内バンドのメンバーの" Al Jorden "と愛し合うようになり結婚しますが、彼の家庭内暴力に悩まされ、子供テリーを産んですぐに離婚。これが1942年、18歳の時でした。2年後、彼女はこのバンドのリーダー" Lester Brown"の提供した「センチメンタル・ジャーニー(Sentimental Journey)」を歌いこれを大ヒットさせます。彼女は1946年には"George Weidler"と2度目の結婚をしますが、これは8ヶ月で破局。しかしこの離婚の直後、彼女のエージェントがワーナーブラザースのオーディションを受けることを勧めます。この結果、彼女は同社と契約するに至り1948年「洋上のロマンス(Romance on the High Seas)」で映画デビュー。24歳。遅咲きの映画スターの誕生でした。その後、彼女はMarty Melcher と出会い、やがて彼がドリスのエージェントを務めるようになります(1951年に結婚)。映画界を引退後、出演することになったのがテレビの「ドリス・デイ・ショー」(1968-1973)でした。ドラマ仕立てのこのショーでドリスは多くの有名人と、そのペットを紹介しますが、この番組がその後の彼女の新しい生き方を決めることになります。1976年に4度目の結婚をしたBarry Comdenと1981年に離婚したあと、彼女は現在カリフォルニア州のカーメルに設立した「Doris Day Animal League」で、家庭内のペットたちの世話の仕方に関する多くの提言を行っています。「ドリス・デイ・ショー」が終了した後はほとんどテレビへの出演もありませんでしたが、1980年代に1度だけ、かつての人気ホームドラマを彷彿とさせるようなスペシャル番組を撮っています。------------------"ネフティス"(古代名・ネベト)われは イシスの妹にしてセトの妻われは、イシスとともにオシリスのために泣くもの----------------------------------------------この"女神"の名は直訳すれば、城の女主人となります。彼女は常にたったりしゃがんだりしている人身、あるいは両腕に翼をつけた女性の姿であらわされ、イシス同様、頭にヒエログリフをのせてます。 時に、イシスとともにオシリスの死を泣くときは、ヘアトのずきんをかぶっています。 彼女は一般に闇の女神とされ、消極的な力を司る女神で、"石女"(うまずめ)とされています。---------------------------"うまずめ"〈石女〉(不生女) 子供を生めない女。---------------------------彼女の発祥はヘリオポリスであるとされています。エジプトの主要な神の多くがもとは地域神ですが、彼女はもともと地域神でもなく、セトのかたわら二次的に信仰されていました。彼女はオシリス神話において、実の兄であるセトと夫婦になります。セトはオシリスを殺し、ネフティスはイシスとともにオシリスの死を嘆きます。 彼女は死んだオシリスの復活を準備し、イシス、セルケト、ハトホル、ホルスの息子たちとともに死者のカノポス(内臓を入れた壷)を守ります。エドフ神殿では、「ネフティスの心臓が歓喜する」と呼ばれる祭が"ペレト"(発芽期。畑に植えた作物が芽を出す季節)第4の月"28日"に行われていました。 ------------------"12人の怒れる男"( 12 ANGRY MEN )(1951) 裁判での12人の陪審員たちの討論を丹念に描いた、映画史に輝く傑作ドラマ。殺人容疑の青年に対し、11人の陪審員が有罪と判定したが、1人の陪審員が異議を唱え……。-----------------------------ヘンリー・フォンダを含め、高名な性格俳優達が陪審員を演じています。陪審員(団)は英語では、"juror" or "jurymen" or "jury"-----------------------------------------------------------------Are you "ANGRY MEN" or not????It's "un-known"-----
2004年08月27日
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-----------------------------------"吾が宿の いささ群竹吹く風の 音のかそけき此の夕べかも" by 大伴家持(万葉集)-----------------------------------"かそけし"「幽けし」と書く。 かすかなさま。光りや音がうすれて消えていくような感じ。-----------------------------------------------------"大伴家持"(おおとものやかもち)718~785(養老2~延暦4)『万葉集』第4期の歌人。父は同じく万葉歌人の旅人(たびと)。その作歌数は集中群を抜いており,長短合わせて479首となっている。一般にその歌人としての生涯を,3期に分ける。"第1期"を最初の歌の733年(天平5)から,越中守になるまでをいい,先人の作に学んだ習作時代をさす。"第2期"は越中守時代で,遠く都をしのび種々の経験をしたことにより,独自の詠風を確立した。"第3期"は,少納言となって帰京した751年(天平勝宝3)からの,8年間をさす。この期には,藤原氏の勢いに圧倒されてしだいに衰退する名門大伴氏の氏上として,苦悩の日々を送ることとなる。758年(天平宝字2)因幡守となり,その翌年の正月の歌が最後の歌となりました。その後,薩摩守に左遷され,各国国守をつとめ,中納言などとすすむが,政変のなか,遺骸も葬ることができない有様であったとされています。-------------------------------------------------"初恋"作詞/作曲 村下孝蔵----------------------♪~♪五月雨は緑色 悲しくさせたよ一人の午後は恋をして淋~しくて 届かぬ思いを暖めていた"好・き・だ・よ"と言えず"初恋"は 振り子細工の心放課後の校庭を走る君がいた遠くで僕はいつでも 君を探してた浅い夢だから 胸を離れない夕映えはあんず色 帰り道一人口笛を吹いて名前さえ呼べなくて とらわれた心見つめていたよ"好・き・だ・よ"と言えずに"初恋"は 振り子細工の心風に舞った花びらが 水面を乱すように"愛"という字を書いてみては ふるえていたあの頃浅い夢だから 胸を離れない放課後の校庭を走る君がいた遠くで僕はいつでも 君を探してた浅い夢だから 胸を離れない胸を離れない 胸を離れない~1983年(昭和58年)---------------------------------1999年(平成11年)6月24日、"村下孝蔵"さんは、高血圧性脳内出血のために、お亡くなりました。デビュー20周年目の意欲的な活動の中で、近づく七夕コンサートのリハーサル中に倒れたまま不帰の人となりました。享年46歳………早過ぎる突然の訃報でした。 -------------------------------------------------"初恋" 島崎藤村まだあげ初(そ)めし前髪(まへがみ)の林檎(りんご)のもとに見えしとき前にさしたる花櫛(はなぐし)の花ある君と思ひけりやさしく白き手をのべて林檎をわれにあたへしは薄紅(うすくれなゐ)の秋の実に人こひ初めしはじめなりわがこゝろなきためいきのその髪の毛にかゝるときたのしき恋の盃を君が情(なさけ)に酌(く)みしかな林檎畑の樹(こ)の下(した)におのづからなる細道は誰(た)が踏みそめしかたみぞと問ひたまふこそこひしけれ------------------------------------------"島崎藤村"の詩集『若菜集』に書かれている”秋の思”の中の”初恋”です。------------------------------------------"秋のうた" 秋は来ぬ 秋は来ぬ 一葉は花は露ありて 風のきて弾く琴の音に 青き葡萄は紫の 自然の酒とかはりけり 秋は来ぬ 秋は来ぬ おくれさきだつ秋草も みな夕霜のおきどころ 笑ひの酒を悲みの 盃にこそつぐべけれ 秋は来ぬ 秋は来ぬ くさきも紅葉するものを たれかは秋に酔はざらめ 智恵あり顔のさみしさに 君 笛を吹け われはうたはん by"島崎藤村"----------------------------------------詩人、小説家の島崎藤村は、明治5年(1872)長野県に生まれました。本名は島崎春樹で、生家は馬籠宿の本陣、問屋、庄屋を兼ねる旧家でした。馬場孤蝶、戸川秋骨らとの交遊を通じて文学に志し、明治学院を卒業後、「女学雑誌」に翻訳を寄稿しはじめます。明治25年には明治女学校の教師となり、また、北村透谷らの文芸雑誌「文学界」の創刊に同人として加わり、劇詩、小説、評論などを掲載します。明治30年に刊行した第一詩集「若菜集」によって名声を得、その後の一連の詩業は、近代詩史上大きな功績を残します。さらに長編小説「破戒」によって、自然主義文学の代表的作家としての地位を確立し「春」「家」「夜明け前」などを発表します。昭和18年(1943)脳溢血のため、71歳で亡くなり、大作「東方の門」が絶筆となりました。藤村は、明治26年の8月と10月に、それぞれ1カ月ほど円覚寺の帰源院で過ごしています。教え子との実らぬ"恋"に苦悩し、半年にわたる関西漂白の旅から帰った藤村は、帰源院で夏を過ごしています。再び東北の旅に出ますが、また帰源院に戻ります。その頃の事は、藤村の青春時代を描いた自伝的小説「春」のなかに描かれています。--------------------------------------------------------------------------------------------------"井伏鱒二"訳詩選出典:井伏鱒二『厄除け詩集』(講談社文芸文庫,1994)-------------------------------------------------------"勧 酒"原詩(五言絶句) "于武陵"勧君金屈巵満酌不須辞花発多風雨人生足別離コノサカヅキヲ 受ケテクレドウゾナミナミ ツガシテオクレハナニアラシノタトヘモアルゾ「サヨナラ」ダケガ人生ダ-------------------------------------------------------"秋夜寄丘二十二員外"原詩(五言絶句) "韋應物" 懐君属秋夜散歩咏涼天山空松子落幽人応未眠"ケンチ" コヒシヤ ヨサムノバンニアチラコチラデ ブンガクカタルサビシイ庭ニ マツカサオチテトテモオマヘハ 寝ニクウゴザロ----------------------------"ケンチ"とは親友のフランス文学者の"中島健蔵"の仲間内の呼び名で、鱒二とは一緒によく酒を飲んだ。----------------------------"田家春望"原詩(五言絶句) "高適"出門何所見春色満平蕪可歎無知己高陽一酒徒ウチヲデテミリヤ アテドモナイガ正月キブンガ ドコニモミエタトコロガ 会ヒタイヒトモナクアサガヤアタリデ 大ザケノンダ------------------------------"春 暁"原詩(五言絶句) "孟浩然"春眠不覚暁処処聞啼鳥夜来風雨声花落知多少ハルノネザメノ ウツツデ聞ケバトリノナクネデ 目ガサメマシタヨルノアラシニ 雨マジリ散ツタ木ノ花 イカホドバカリ-------------------------------"静夜思"原詩(五言絶句) "李白"牀前看月光疑是地上霜挙頭望山月低頭思故郷ネマノウチカラ フト気ガツケバ霜カトオモフ イイ月アカリノキバノ月ヲ ミルニツケザイシヨノコトガ 気ニカカル-------------------------------"復 愁"原詩(五言絶句) "杜甫"万国尚戎馬故園今奈何昔皈相識少蚤已戦場多ドコモカシコモ イクサノサカリオレガ在所ハ イマドウヂヤヤラムカシ帰ツタ トキニサヘズヰブン馴染ガ ウタレタサウナ---------------------------------"題袁氏別業"原詩(五言絶句) "賀知章"主人不相識偶坐為林泉莫謾愁沽酒嚢中自有銭主人ノ名前ハ 知ラナイガ庭ガミタサニ チヨトコシカケタサケヲ買フトテ オ世話ハムヨウワシガサイフニ ゼニガアル-------------------------------"別廬秦卿"原詩(五言絶句) "司空曙"知有前期在難分此夜中無将故人酒不及石尤風ソレハサウダト オモウテヰルガコンナニ夜フケテ カヘルノカサケノテマヘモ アルダロガカゼガアレタト オモヘバスムゾ-------------------------------"登柳州蛾山"原詩(五言絶句) "柳宗元"荒山秋日午独上意悠悠如何望郷処西北是融州アキノオンタケ ココノツドキニヒトリノボレバ ハテナキオモヒワシノ在所ハ ドカダカミエタイヌヰノカタハ ヒダノヤマ----------------------------------------------------"檄"(げき) 自分の主張を述べて同意を求め、行動を促す文書。檄文。――を飛ば・す 檄を方々に急いで出す。----------------------I won't send you "檄"-----------
2004年08月26日
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------------------------(古今和歌集・巻第四・秋歌上・193)是貞のみこの家の歌合わせに詠める月見れば 千々に物こそ 悲しけれ 我が身ひとつの 秋にはあらねど(by"大江千里")---------------------------"大江千里"は、平安時代前期の儒学者・歌人で、大江音人の息子です。知名度はあまり高くありませんが、翻訳文学の巨匠として、日本の文学史の中では重要な人物です。有名な作品に、「大江千里集(句題和歌集)」があります。これは、「白氏文集」(白楽天の詩集)の一句を和歌にして詠んだ和歌集です。------------------------"星屑の町"東條寿三郎作詞 安部芳明作曲♪~♪1.両手を回して 帰ろう揺れながら涙の中を たった一人でやさしかった 夢にはぐれず瞼を閉じて 帰ろうまだ遠い 赤いともしび2. 指笛吹いて 帰ろう揺れながら星屑わけて 町を離れて忘れない 花の数々瞼を閉じて 帰ろう思い出の 道を一筋♪~♪~♪両手を回して 帰ろう揺れながら涙の中を たった一人でたった一人で~------------------------------------"親子鷹"--------------"夢酔独言"by"勝小吉(かつ こきち)"------------------------"夢酔"とは勝小吉の号です。勝小吉は「幕末三舟」の一人、勝海舟の父親です。その回想録が「夢酔独言」です。老人が若い頃を振り返るような趣がありますが、数え年四十二歳の時に書いたものです。(小吉は三十七歳で隠居)小吉は七歳の時に貧乏御家人のところへ養子に入りますが、義母と折り合いが悪く、十四歳の時に家出して五ヶ月ほど、東海道沿いに流れ歩きます。-------------------------------------------------子母沢寛の「父子鷹」は、この時のことから始まります。------------------------------------------------- 二十一歳の時に再び家出。帰ると、座敷の三畳の檻に入れられます。三年間押し込められ、その間、手習いをし、読み書きを覚え、軍書も読みました。回顧は、反省で終わり、子孫に対して、"俺のようにはなるな"と戒(いまし)めて終わっています。 ------------------------------------"迷い道" by渡辺真知子現在過去未来 あの人に逢ったなら私はいつまでも待ってると 誰か伝えてまるで喜劇じゃないの ひとりでいい気になってさめかけたあの人に 意地をはってたなんてひとつ曲り角 ひとつまちがえて "迷い道"くねくね今さらカードに 愛の奇跡求めていかさま占いは続く スペードをハートにあれからどうしてるの いまごろどこにいるのひとりのままでいると 噂できいたけれどひとつ曲り角 ひとつまちがえて"迷い道"くねくね捨ててしまったわ 昔のプライドなんてもしも許されるものなら きっと生まれかわるまるで喜劇じゃないの ひとりでいい気になって扉をあけているの 今もあなたのためにひとつ曲り角 ひとつまちがえて "迷い道"くねくね-----------------------------------"ラビリンス" 《迷宮》a labyrinth.(1)中に入ると出口がわからなくなるように造った建物。(2)事件の捜査が困難になり、解決がつかなくなること。-------------------------------------------------"感涙"感激したり、感謝で強く心を動かされて流す涙。「―にむせぶ」----------------------女子レスリング女子重量挙げ男女ハンマー投げAND男女柔道競技 等々オリンピックの"親子鷹"の"gold rush"----------"感涙"している毎日でございます------------------------------けっぱれ "JAPAN"!!!!!
2004年08月25日
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雨降りやまず-----"秋驟雨 独(ひと)り 密(ひそか)に 君を想う"-****------------------------------"驟雨"(しゅうう) 急に降り出し、強弱の激しい変化を繰り返しながら、急に降り止む雨。前線または雷雨に伴われたものが多い。にわか雨。夕立。---------------------------------"雨のバラード" 作詞 こうじはるか 作曲 植田喜靖唄 湯原昌幸♪~♪降りしきる 雨の舗道頬つたう 銀のしずく傘もささず 歩いてたああ あの人の うしろ姿が淋しそうで……♪~♪声かけて 呼び止めたいなぜか心 さそわれて足止めて 振り返ればああ あの人の うしろ姿が雨にけむる 街角♪~♪名も知らぬあなたに 昔の僕を見た恋して燃えた火を 雨が消してしまった遠い過去の想い出♪~♪忘られぬ 雨の舗道頬つたう 銀のしずく傘もささず 歩いてたああ あの時の 僕の姿によく似ている あの人名も知らぬあなたに 昔の僕を見た恋して燃えた火を 雨が消してしまった遠い過去の想い出降りしきる 雨の舗道頬つたう 銀のしずく傘もささず 歩いてたああ あの人の うしろ姿が淋しそうで……ラララ ラララ……----------------------------------"春生秋殺""春と夏"は、分裂・生長の過程でした。来る"秋と冬"は統合・収斂の過程と言えます。自然の摂理とは、分裂・統合作用の繰り返しを意味しています。"生かしては殺し"、"生かしては殺し"、"生かしては殺す"作用の繰り返しです。新春になれば、荒野には足を踏み入れる隙間もないほどの草木を生み出します。盛夏、野原の草むらをかき分けてみると、土を少しでもより多く確保しようとして、草の根が繁茂し絡み合っています。ところが、一旦、秋になれば、その全てが枯れ死んでしまう。草一本残らず死んでしまう--------------------。そしてまた初春には--------------------------。----------------------------------"孫子"(そんし)春秋時代末期(B.C480年頃)、呉国の闔廬(こうりょ)に仕えた孫武(そんぶ)が書いたと言われる兵法書で、『孫子兵法』『孫武兵法』などとも言われます。日本でも古くから伝えられ、武田信玄が『孫子』の一節から取った言葉「風林火山」を旗印にしたことは有名です。また遠くヨーロッパにも伝えられ、ナポレオンが愛読書にしたという話もあります。現在では哲学書としても愛読され、特に経営者にとって有用な本として人気があります。----------------------------------以下、「孫子の兵法」より(第1計~第3計 省略)----------------------------------【 敗戦の計 】 自分が不利な情勢の場合第31計 美人計(びじんけい)美人の計(びじんのけい)異性を巡る人間関係で相手を操作し、判断を誤らせる。プライドに関わるもの(金・地位・女、等)の破壊、侮辱。第32計 空城計(くうじょうけい)空城の計(くうじょうのけい)自分らに本当に何も無い絶対的不利な状況下で敢えてそれを露呈することで、相手に何かあると、疑心暗鬼を起こさせる第33計 反間計(はんかんけい)反間の計(はんかんのけい)自分の内部に入り込んできた間者(スパイ)を、自分に痛みのない形でむしろ利用し、偽情報などを流させたりする。第34計 苦肉計(くにくけい)苦肉の計(くにくのけい)意図的に自分を傷つけることで相手の判断を誤らせる。普通ならありえない行動を取ることで相手に誤解させる。第35計 連環計(れんかんけい)連環の計(れんかんのけい)複数の計略の総合的実施。相手の動きを予測し、矢継ぎ早の作戦により相手の判断力の回復をさせないままの総合的破壊。第36計 "走為上"(そういじょう)走げるをもって上策となす(にげるをもってじょうさくとなす)これまで挙げた35計をもってしても事態の打開が不可能な場合、主導的に退却して自分の現状の力を温存して次の機会を待つ。------------------------------------------------------------------------------------------"セレブ" 〔セレブリティー(celebrity)の略〕名士。有名人。女性誌などで,海外のモデル・デザイナーなどファッション関係者や俳優・監督など映画関係者の代名詞として用いる。----------------------------------------------------「36計逃げるに如かず」退散いたします----"とほほ"----"bye-bye"
2004年08月24日
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"秋は、夕暮"夕日のさして、山の端いと近うなりたるに、烏の、寝どころへ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど、飛び急ぐさへ、あはれなり。まいて、雁などの列ねたるが、いと小さく見ゆるは、いとをかし。日入り果てて風の音、虫の音など、はたいふべきにあらず。(quote from"枕草子")-----------------------------------------------------"マラソンマン"(Marathon Man)1976 監督:John Schlesinger 原作: William Goldman---------------------------------------------- あらすじニューヨーク。銀行の貸金庫より出た老人は、雑踏の中、出してきた小箱をある男に手渡し、直後交通事故死した。この事故を近くでマラソン・トレーニング中のベーブ(ダスティン・ホフマン)は見ていた。彼の崇拝者はあのアベベであったが、ランニング中の事故は不吉なめぐり合わせの始まりだった。やがて公園での2人の男にベーブは誘拐され、地下室に連れこまれ、拷問をうける。あまりの苦痛に気を失ったベーブをジェニウェイは助け出すが、------- ------------------------------------------------------"マラトン"の戦い (BC489.9.12) ギリシャ征服を目指してペルシャ王ダリウスは大軍を率いてギリシャのマラトンに上陸。迎え撃ったのは約一万のギリシャ重装歩兵。絶対優勢を自負していたペルシャ軍はギリシャ軍の果敢な攻撃に前に大敗。勝敗の結果を伝えるために"マラトン"からアテネのパンテノンまで42キロを駆け抜けた兵士ペイディピアデスは「われ勝てり」と叫んで息絶えた。これがマラソン競技の起源であります。-----------------------------------------------------"木内重四郎"京成バスの「真間(まま)山下」から弘法寺の方へ登る坂の右手は鬱蒼とした森です。ここは「木内邸」といい、"木内重四郎"という政治家の邸宅でした。彼は東京帝国大学を卒業後、法制局参事官試補となり、貴族院・内務省・農商務省商工局長、統監府農商工部長官を歴任、その後は貴族院議員となりました。大正5(1916)年京都府知事となります。在任中に汚職の嫌疑をかけられ、収監されますが無罪。この木内邸は少年時代を国府台下で過ごした中野孝次の『麦熟るる日に』のなかにも登場します。「真間川ぞいにヒバ垣で囲まれた広大な空闊地があって、人の住んでいないそこは別荘と呼ばれていた...」------------------------------------------------「真間」という言葉は、古代の関東方言で「急傾斜地」を意味していました。アイヌ語との関係も指摘されますが、アイヌ語辞典などには「ママ」、もしくはそれに近い語句は見られません。 ---------------------------------------------------国府台の地名の由来は、次のとおりです。日本武尊がこの地から武蔵国へ向かおうとしたとき、多くの河川が州をつくって流れているのを目にします。軍勢を歩いて渡すことはできないものがと思案していると、コウノトリが飛来して浅瀬を教えてくれます。それで難なく武蔵国へ渡ることができました。そこで尊は褒美にこの台地をコウノトリに与えました。このことから"鴻之台"(こうのだい)の地名が起こったといわれています。-------------------------------------------------------"鴻門の会"(項羽本紀第七より) ----------------------------------------------秦末期、陳勝・呉広の乱が起きると"項羽"は項梁に従い造反軍に参加した。項梁が秦に殺されると実質的な造反軍の首領となり咸陽へ向けて北進を開始した。途中、趙の邯鄲で秦の章邯将軍の大軍と戦いこれを撃破する。この時20万以上の捕虜を得たが捕虜の中に暴動の気配が見えたので新安という所でこれを全て坑(穴に埋めて殺す事)してしまった。"項羽"は関中に入ろうとしたがその時すでに"劉邦"が関中に入っていた。功績を横取りされたと"項羽"は大いに怒り"劉邦"を攻め殺そうとした。"劉邦"は慌てて"項羽"の伯父項伯を通じて"項羽"に和睦を願い、"項羽"と"劉邦"は酒宴を開いて和睦の話し合いを持った。これが有名な"鴻門の会"です。------------------------------------------------------------------------------------------"コウノトリ"----------------------------------------------よく「コウノトリは赤ちゃんを運んでくる」と言われますが、その伝説の源はヨーロッパのコウノトリにあるようです。特にドイツ北部と中部にその伝承が色濃く残っています。そのあたりでは、コウノトリは良い子は背中に乗せ悪い子はくちばしにくわえて近くの泉や池から運んでくるのだと語り継がれています。暖かい春になるとやってくるコウノトリは、寒い冬を過ごしていたヨーロッパの人々にとって、「暖かい恵み」という幸せを運んでくれる象徴とも言えるものでした。コウノトリが「幸せを運んできてくれる」というところから、幸せのシンボル「赤ちゃん」を連れてきてくれる、という言い伝えになっていきました。コウノトリの生息地域は日本など極東の他、中央アジアやヨーロッパ・アフリカにまでまたがっています。---------------------------------------------------"what you bring"????
2004年08月23日
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-------------------------------"アスリートの 横顔涼し 宵の月"-------------------------------"アスリート"(an athlete)n. 運動家, 競技者.athlete's foot(足の)みずむし. ----------------------------------------------------------------"最初から今まで" 作詞:Ryu日本語訳:張 銀英、小寺陽子--------------------------------♪~♪君が戻ることは あり得ないから終わりにしようと 自分に言い聞かす♪~♪二度と会えないなら 忘れてしまいたい僕をとらえて離さない 君のすべてを笑顔でいたいのに 涙があふれてくる君を思うと何ひとつ 思い通りにならない君に会いたくなるたび ぼろぼろに僕は傷つくこんなに君のことを 忘れてしまいたいのに♪~♪二度と会えないなら 忘れてしまいたい僕をとらえて離さない 君のすべてを笑顔でいたいのに 涙があふれてくる君を思うと何ひとつ 思い通りにならない君に会いたくなるたび ぼろぼろに僕は傷つくこんなに君のことを 忘れてしまいたいのにひとりの人を 愛することがこんなにも つらいなんて笑顔でいたいのに 涙があふれてくる君を思うと何ひとつ 思い通りにならない君に会いたくなるたび ぼろぼろに僕は傷つくこんなに君のことを 忘れてしまいたいのに ----------------------------------------------日本でも大ヒットとなった韓国TVドラマ『冬のソナタ』で流れていた珠玉のバラード「最初から今まで」韓国人シンガーRyu(リュウ)の日本デビュー作品です。----------------------------------------------------------------------------------------------"星の王子さま"より------------------第二十二話キツネは王子さまに自分と仲良くなろう!と言った。王子さまは仲良くなりたいけれど、時間がない、友達を見つけなければなければならないからと答えた。キツネは「仲良くしなければ、そのものを理解できないのだ。人間は出来合いのものを店で買うばかりでもう理解する時間さえ持っていない。でもどこにも〈友情〉は売っていない。それで人間はもう友達を持っていないのだ。もし友達がほしいなら、仲良くすることだよ。そしてそれには、辛抱が必要だ」と言った。 ------------------------------------------- "If you come at four o'clock in the afternoon, then by three o'clock I shall begin to be happy." "You must be very patient," replied the fox. "First you will sit down at a little distance from me―like that―in the grass. I shall look at you out of the corner of my eye, and you will say nothing. Words are the source of misunderstandings. But you will sit a little closer to me, every day . . ." ----------------------------------------------------------------------------------------------"----wait" vi. 待つ (for); 給仕する (at, on); しないで置く, 延ばせる; 準備してある.vt. 待つ, 待ちかまえる; 給仕をする; 〔話〕 (食事などを)遅らせる.wait about [around] ぶらぶらして[いらいらして]待つ. wait and see 成り行きを見守る, 静観する. wait in (来客の予定があるので)家にいる (for). wait on …に給仕する; …に仕える; …を(儀礼的に)訪問する; …に(結果として)伴う; 〔方〕 …を待つ. wait on〈米〉[at〈英〉] table (食卓で)給仕をする. wait out (悪天候・危機などが)過ぎ去るまで(おとなしく)待つ. wait up 寝ないで待つ (for). n. (単数形で) 待つこと[時間]; 〔英〕 (the ~s) (クリスマスの)巡回唱歌隊.lie in [lay] wait for …を待ち伏せする. wait condition [state] 【コンピュータ】待ち状態.wait・er n. 給仕人, ウエーター; (給仕用)盆; 待つ人."---waiting"a., n. 待っている; 仕える; 待つこと[時間];(自動車の)停車; 給仕[宮仕え]すること.in waiting (宮廷などに)仕えて. waiting game 待機戦術. waiting list 順番[欠員]待ち名簿. waiting maid (宮仕えの)侍女. waiting room 待合室. ------------------------------------------------------------------------------ミスター・グッドバーを探して (1977)"LOOKING FOR MR. GOODBAR"-----------------------------------------Why Did I Ever Leave Ohio?The book, by Judith Rossner, from which this movie is drawn is a bit grittier and has less in the way of sophisticated explanations. Rossner's heroine is driven by sex as much as by a desire for independence or anything as noble as that. There's no scoliosis in the book, and it's pointless in the movie. What does the disorder add to the plot? Is it supposed to be symbolic of the way Kathleen is warped? In the movie it makes no sense because she's presented as honest, naive, giving, and overall rather straightforward in her needs. Warpedness in the movie is supposed to be in the eye of the beholder. There isn't much in the way of her "straight" life in the book either. She doesn't spend a great deal of time lavishing love on her hearing-impaired students. The movie is well photographed and well acted. Diane Keaton was at her most beautiful. Her rear end is equally attractive. There is quite a bit of simulated sex in the movie but it is shot mostly in darkness and arty silhouettes and only brief nudity. There is, sad to say, not a decent male figure in the movie. Her first lover, her married professor, exploits her, boffing when he's in the mood and using her to type his papers, then discards her like an old Kleenex. Richard Gere begins as a charming figure in a bufoonish kind of way, but his demands are increasingly neurotic and unsupportable, and he's clearly dangerous. Gere seems the embodiment of physical energy, always pounding on things and leaping about. (He does a demented dance with some kind of luminous cutting tool.) He's also a thief and a doper who introduces her to coke. Her father is a grim, old-fashioned Irish patriarch, well played by Richard Kiley, who lives with Kathleen's mother in a shabby working-class house, drinks, disapproves of "bra-burners" and his daughter's life style and bids her farewell as she strikes out on her own with, "You'll never make it on your own!" The social worker, a reasonably sensitive guy, is played as someone with antiquarian values, a practically impotent fool who believes in love and thinks sex is an important issue. She complains that he's taken her out five or six times without even kissing her. (He's so stupid he wants to wear a condom.) She finds him ridiculous, irritating, and ultimately depressing. The last guy she takes up with, Tom Berenger, is the last guy she takes up with. I wish there were a bit more in the way of modulation in these message movies. As a message movie, this one is pretty depressing. Men are insensitive and brutal or they are weak. Women who try living independent lives are crushed. Some message. Oh, a curious footnote. Several sociological studies were done of behavior in singles bars during the 1970s. The pickup procedure is as highly ritualized as the mating dance of peacocks. The first contact between couples is established visually and is usually but not always initiated by the male. Almost always it is the male who initiates a state of talk. And it is almost always the woman who makes the first physical contact. The process is a protracted negotiation between people who are pretty much equals, ending in a successful joining or not, rather than death. Art should imitate life more often. -------------------------------------------------聾唖学校の女教師が夜ごとバーに繰り出し、男を誘惑する。都会に生きる一人の孤独な女性の姿を描いたJ・ロスナーの小説をR・ブルックスが映画化。その行動の果ての、悲惨なラストシーンが話題を呼んだ。-----------------------------------------------Looking for "Mrs" GOODBAR-----------------------------------------------------"宵待草"作詞:竹久夢二 補作:西条八十作曲:多 忠亮------------------------------1 待てど暮らせど 来ぬひとを"宵待草"の やるせなさ今宵は月も 出ぬそうな2 暮れて河原に 星一つ"宵待草"の 花の露更けては風も 泣くそうな-------------------------------------------------------竹久夢二は、数多くの叙情的な美人画とともに、約180篇の詩、約430首の短歌のほか、150あまりの小唄などを作っています。『宵待草』は大正2年(1913)に作った小唄で、のちに曲がつけられ、大正末期に大流行しました。歌にするにあたって、詞が短すぎるというので、西条八十が2番を付け加えました。八十は、最初、2番の2行目を「宵待草の花が散る」としていました。しかし、宵待草の花は、散らずに、茎についたまましおれるのが特徴です。それを人に注意された八十は、のちに上のように詞を変えました。宵待草はアカバナ科のオオマツヨイグサのことで、この歌がはやるまでは待宵草というのが普通でした。北アメリカ原産の帰化植物で、夏、茎頂や葉腋に黄色い4弁の大きな花をつけます。よくツキミソウとまちがって呼ばれますが、本来は別の種類です。高峰三枝子のほか、李香蘭、五十嵐喜芳、倍賞千恵子など、多くの歌手が歌っています。--------------------------------------------------------------------------------------------今宵は"三日月"です----------------------------"月"は出ていますか!!!!
2004年08月22日
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"8月21日"、芭蕉は、敦賀まで出迎えに来た"路通"を同道して大垣に入った。※"奥の細道"より--------------------------------------------------"路通"も此みなとまで出むかひて、みのゝ国へと伴ふ。駒にたすけられて大垣の庄に入ば、曾良も伊勢より来り合、越人も馬をとばせて、如行が家に入集る。前川子・荊口父子、其外したしき人々日夜とぶらひて、蘇生のものにあふがごとく、且悦び、且いたはる。旅の物うさもいまだやまざるに、長月六日になれば、伊勢の遷宮おがまんと、又舟にのりて、 "蛤の ふたみにわかれ 行秋ぞ"(はまぐりの ふたみにわかれ ゆくあきぞ)--------------------------------------------------"路通"(ろつう) (1649-1738) 江戸中期の俳人。八十村(やそむら)氏、また斎部(いんべ)氏。蕉門に入るが、奇行が多く、同門間の反発を買う。-----------------------------------------"蛤のふたみにわかれ行秋ぞ"ハマグリの殻と身とを引き剥がすように、又再び悲しい分かれが始まることだ。-----------------------------------------千住出発の折りの歌「行く春や鳥なき魚の目は泪」と対をなすものです。「ふたみ」は、「双身」とこれから行く「二見ヶ浦」にかけています。 -------------------------------------------------------"蘇生"は甦生が本字。生きかえること。人々が、芭蕉の到着を死んだ人が生き返ったかのごとくに喜び労わったというわけです。---------------------------------------------"長月(九月)六日"この日、午前8時頃船で出発。木因、馳走。越人は船迄見送り、如行は三里送り。餞別あり。午後4時頃三重県長島町杉江に到着。長禅寺に投宿。ここに3泊後、伊勢へ。----------------------------------------"伊勢の遷宮"伊勢神社の遷宮は21年目、9月の晦日夜に行われました。--------------------------------------------------------------------------------------------------------"emargency call"e・mer・gen・cy n. 緊急時, 急場; 急患.-----------------------------in an emergency / in case of emergency 非常の場合. emergency brake 非常ブレーキ.emergency door [exit] 非常口.emergency measures 応急策.emergency medical technician 救急看護師[救命士].emergency room 救急室.emergency services 緊急救援活動.------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------"Hearts And Hands" by O. Henry(1862-1910)----------------------------------------------------------------------------------------------------------At Denver there was an influx of passengers into the coaches on the eastbound B. & M. express. In one coach there sat a very pretty young woman dressed in elegant taste and surrounded by all the luxurious comforts of an experienced traveler. Among the newcomers were "two young men", one of handsome presence with a bold, frank countenance and manner; the other a ruffled, glum-faced person, heavily built and roughly dressed. The "two" were handcuffed together.As they passed down the aisle of the coach the only vacant seat offered was a reversed one facing the attractive "young woman". Here the linked couple seated themselves. The young woman's glance fell upon them with a distant, swift disinterest; then with a lovely smile brightening her countenance and a tender pink tingeing her rounded cheeks, she held out a little gray-gloved hand. When she spoke her voice, full, sweet, and deliberate, proclaimed that its owner was accustomed to speak and be heard."Well, Mr. Easton, if you will make me speak first, I suppose I must. Don't vou ever recognize old friends when you meet them in the West?"The younger man roused himself sharply at the sound of her voice, seemed to struggle with a slight embarrassment which he threw off instantly, and then clasped her fingers with his left hand."It's Miss Fairchild," he said, with a smile. "I'll ask you to excuse the other hand; "it's otherwise engaged just at present."He slightly raised his right hand, bound at the wrist by the shining "bracelet" to the left one of his companion. The glad look in the girl's eyes slowly changed to a bewildered horror. The glow faded from her cheeks. Her lips parted in a vague, relaxing distress. Easton, with a little laugh, as if amused, was about to speak again when the other forestalled him. The glum-faced man had been watching the girl's countenance with veiled glances from his keen, shrewd eyes."You'll excuse me for speaking, miss, but, I see you're acquainted with the marshall here. If you'll ask him to speak a word for me when we get to the pen he'll do it, and it'll make things easier for me there. He's taking me to Leavenworth prison. It's seven years for counterfeiting.""Oh!" said the girl, with a deep breath and returning color. "So that is what you are doing out here? A marshal!""My dear Miss Fairchild," said Easton, calmly, "I had to do something. Money has a way of taking wings unto itself, and you know it takes money to keep step with our crowd in Washington. I saw this opening in the West, and--well, a marshalship isn't quite as high a position as that of ambassador, but--""The ambassador," said the girl, warmly,"doesn't call any more. He needn't ever have done so. You ought to know that. And so now you are one of these dashing Western heroes, and you ride and shoot and go into all kinds of dangers. That's different from the Washington life. You have been missed from the old crowd."The girl's eyes, fascinated, went back, widening a little, to rest upon the glittering handcuffs."Don't you worry about them, miss," said the other man. "All marshals handcuff themselves to their prisoners to keep them from getting away. Mr. Easton knows his business.""Will we see you again soon in Washington?" asked the girl."Not soon, I think," said Easton. "My butterfly days are over, I fear.""I love the West," said the girl irrelevantly. Her eyes were shining softly. She looked away out the car window. She began to speak truly and simply without the gloss of style and manner: "Mamma and I spent the summer in Denver. She went home a week ago because father was slightly ill. I could live and be happy in the West. I think the air here agrees with me. Money isn't everything. But people always misunderstand things and remain stupid--""Say, Mr. Marshal," growled the glum-faced man. "This isn't quite fair. I'm needing a drink, and haven't had a smoke all day. Haven't you talked long enough? Take me in the smoker now, won't you? I'm half dead for a pipe."The bound travelers rose to their feet, Easton with the same slow smile on his face."I can't deny a petition for tobacco," he said, lightly. "It's the one friend of the unfortunate. Good-bye, Miss Fairchild. Duty calls, you know." He held out his hand for a farewell."It's too bad you are not going East," she said, reclothing herself with manner and style. "But you must go on to Leavenworth, I suppose?""Yes," said Easton, "I must go on to Leavenworth."The two men sidled down the aisle into the smoker.The two passengers in a seat near by had heard most of the conversation. Said one of them: "That marshal's a good sort of chap. Some of these Western fellows are all right.""Pretty young to hold an office like that, isn't he?" asked the other."Young!" exclaimed the first speaker, "why--Oh! didn't you catch on? Say--did you ever know an ---------------------------------------------------------------------------------------------------国境を越えた"歌姫" "Chon Wolson"(田月仙)--------------------------------------------------1958年、東京生まれの在日コリアン2世。85年に東京オペラプロデュース公演「声」、「スペインの時」の主役に抜擢されてオペラ・デビュー。その年、北朝鮮のピョンヤンに招かれて公演。94年にはソウル定都600年記念オペラ「カルメン」主演で南北両公演を実現し話題となった。96年のアメリカ公演では韓国の歌曲「高麗山河わが愛」を歌い、その模様が日韓のテレビで放映されて感動を呼んだ。98年には東京・ソウル友好都市10周年の親善大使として、ソウルで初めて日本の歌を歌う。2002年にはワールドカップ記念オペラ「春香伝」で日韓両国で主演、03年には東欧公演でソフィア・フィルと共演するなど、日本を中心に活躍の場を世界に広げている。二期会会員。----------------------------------------------------------------------------------------------"浜辺の歌"作詞:林 古渓 作曲:成田為三♪~♪1 あした浜辺を さまよえば昔のことぞ しのばるる風の音よ 雲のさまよ寄する波も 貝の色も2 ゆうべ浜辺を もとおれば昔の人ぞ しのばるる寄する波よ 返す波よ月の色も 星のかげも3 疾風(はやて)たちまち 波を吹き赤裳(あかも)のすそぞ ぬれひじし病みし我は すでにいえて浜辺の真砂(まさご)まなごいまは------------------------------------大正5年(1916)、東京音楽学校在学中だった成田為三が作曲したもの。"林古渓"の詞は、東京音楽学校の雑誌『音楽』に掲載されたもので、彼が幼い日に神奈川県辻堂東海岸付近の浜辺を歩いたときの追憶を歌ったものとされています。原詞は4番までありましたが、手違いで3番と4番がいっしょにされ、短くされてしまったと伝えられています。「もとおる」は歩き回ること、「赤裳」は赤い色の衣服、「まなご」は真砂と同じで、細かい砂のことです。--------------------------------------------------"That's ALL"--------------------------------------
2004年08月21日
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"野分け去り 何事もなく 筧(かけひ)揺れ"----------------------------------------"野分き"(のわき) 〔野の草を吹き分ける風、の意〕(1)二百十日、二百二十日前後に吹く暴風。台風。あるいはその余波の風。また、秋から初冬にかけて吹く強い風。のわけ。のわきのかぜ。[季]秋。《吹飛ばす石は浅間の―かな/芭蕉》(2)源氏物語の巻名。第二八帖。---------------------------------------"筧"(かけひ) 竹の節を抜いたり、木のしんをくりぬいた樋(とい)を、地上に設けて水を引く装置。かけい。掛け樋(どい)。----------------------------------------"風" 歌(端田宣彦とシューベルツ)作詞(北山 修)♪~♪ (1) 人は誰もただ一人 旅に出て人は誰も故郷(フルサト)を 振り返るちょっぴり寂しくて 振り返ってもそこにはただ"風"が 吹いているだけ人は誰も人生に つまずいて人は誰も夢破れ 振り返る(2) プラタナスの枯れ葉舞う 冬の道でプラタナスの散る音に 振り返る帰ってお出でよと 振り返ってもそこにはただ"風"が 吹いているだけ人は誰も恋をした 切なさに人は誰も耐え切れず 振り返る (3) (口笛)何かを求めて 振り返ってもそこにはただ"風"が 吹いているだけ振り返らずただ一人 一歩ずつ振り返らず泣かないで 歩くんだ何かを求めて 振り返ってもそこにはただ"風"が 吹いているだけ吹いているだけ 吹いているだけ吹いているだけ ---------------------------------------1969年(S.44)、端田宣彦とシューベルツのヒット曲です。-----------------------------------------------------"風の又三郎" by MIYAZAWA KENGI---------------------------------------九 月 一 日どっどどどどうど どどうど どどう、青いくるみも吹きとばせすっぱいくゎりんもふきとばせどっどどどどうど どどうど どどう 谷川の岸に小さな学校がありました。教室はたった一つでしたが生徒は三年生がないだけであとは一年から六年までみんなありました。運動場もテニスコートのくらゐでしたがすぐうしろは栗の木のあるきれいな草の山でしたし運動場の隅にはごぼごぼつめたい水を噴く岩穴もあったのです。さわやかな九月一日の朝でした。青ぞらで風がどうと鳴り 日光は運動場いっぱいでした。黒い雪袴をはいた二人の一年生の子がどてをまはって運動場にはいって来て、まだほかに誰も来てゐないのを見て「ほう、おら一等だぞ。一等だぞ。」とかはるがはる叫びながら大悦びで門をはいって来たのでしたが、ちょっと教室の中を見ますと、二人ともまるでびっくりして棒立ちになり、それから顔を見合せてぶるぶるふるえました。が、ひとりはたうたう泣き出してしまひました。といふわけは そのしんとした朝の教室のなかにどこから来たのか、まるで顔も知らないおかしな赤い髪の子供がひとり一番前の机にちゃんと座ってゐたのです。そしてその机といったらまったくこの泣いた子の自分の机だったのです。もひとりの子ももう半分泣きかけてゐましたが、それでもむりやり眼をりんと張ってそっちの方をにらめてゐましたら、ちゃうどそのとき川上から「ちやうはあかぐり ちやうはあかぐり」と高く叫ぶ声がしてそれからまるで大きな烏のやうに嘉助がかばんをかゝへてわらって運動場へかけて来ました。と思ったらすぐそのあとから佐太郎だの耕助だのどやどややってきました。「なして泣いでら、うなかもたのが。」嘉助が泣かないこどもの肩をつかまへて云ひました。するとその子もわあと泣いてしまひました。おかしいとおもってみんながあたりを見ると教室の中にあの赤毛のおかしな子がすましてしゃんとすはってゐるのが目につきました。みんなはしんとなってしまひました。だんだんみんな女の子たちも集って来ましたが誰も何とも云へませんでした。赤毛の子どもは一向こわがる風もなくやっぱりちゃんと座ってじっと黒板を見てゐます。--------------------------------------中略---------------------------------------九 月 十 二 日、 第 十 二 日、 「どっどど どどうど どどうど どどう 青いくるみも、吹きとばせ すっぱいくゎりんもふきとばせ どっどど どどうど どどうど どどう どっどど どどうど どどうど どどう」 先頃、又三郎から聞いたばかりのあの歌を一郎は夢の中で又きいたのです。 びっくりして跳ね起きて見ると外ではほんとうにひどく風が吹いて林はまるで咆えるやう、あけがた近くの青ぐろい、うすあかりが障子や棚の上の提灯箱や家中一っぱいでした。一郎はすばやく帯をしてそして下駄をはいて土間を下り馬屋の前を通って潜りをあけましたら風がつめたい雨の粒と一緒にどうっと入って来ました。馬屋のうしろの方で何か戸がばたっと倒れ馬はぶるるっと鼻を鳴らしました。一郎は風が胸の底まで滲み込んだやうに思ってはあと強く息を吐きました。そして外へかけだしました。外はもうよほど明るく土はぬれて居りました。家の前の栗の木の列は変に青く白く見えてそれがまるで風と雨とで今洗濯をするとでも云ふ様に烈しくもまれてゐました。青い葉も幾枚も吹き飛ばされちぎられた青い栗のいがは黒い地面にたくさん落ちてゐました。空では雲がけわしい灰色に光りどんどんどんどん北の方へ吹きとばされてゐました。遠くの方の林はまるで海が荒れてゐるやうにごとんごとんと鳴ったりざっと聞えたりするのでした。一郎は顔いっぱいに冷たい雨の粒を投げつけられ風に着物をもって行かれさうになりながらだまってその音をきゝすましぢっと空を見上げました。すると胸がさらさらと波をたてるやうに思ひました。けれども又ぢっとその鳴って吠えてうなってかけて行く風をみてゐますと今度は胸がどかどかなってくるのでした。昨日まで丘や野原の空の底に澄みきってしんとしてゐた風が今朝夜あけ方俄かに一斉に斯う動き出してどんどんどんどんタスカロラ海床の北のはじをめがけて行くことを考へますともう一郎は顔がほてり息もはあ、はあ、なって自分までが一緒に空を翔けて行くやうな気持ちになって胸を一ぱいはって息をふっと吹きました。「あゝひで風だ。今日はたばこも粟もすっかりやらへる。」と一郎のおぢいさんが潜りのところに立ってぢっと空を見てゐます。一郎は急いで井戸からバケツに水を一ぱい汲んで台所をぐんぐん拭きました。それから金だらひを出して顔をぶるぶる洗ふと戸棚から冷たいごはんと味噌をだしてまるで夢中でざくざく喰べました。「一郎、いまお汁できるから少し待ってだらよ。何して今朝そったに早く学校へ行がなぃやなぃがべ。」お母さんは馬にやる を煮るかまどに木を入れながらききました。「うん。又三郎は飛んでったがも知れなぃもや。」「又三郎って何だてや。鳥こだてが。」「うん又三郎って云ふやづよ。」一郎は急いでごはんをしまふと椀をこちこち洗って、それから台所の釘にかけてある油合羽を着て下駄はもってはだしで嘉助をさそひに行きました。嘉助はまだ起きたばかりで「いまごはんだべて行ぐがら。」と云ひましたので一郎はしばらくうまやの前で待ってゐました。まもなく嘉助は小さい簑を着て出てきました。烈しい風と雨にぐしょぬれになりながら二人はやっと学校へ来ました。昇降口からはいって行きますと教室はまだしいんとしてゐましたがところどころの窓のすきまから雨が板にはいって板はまるでざぶざぶしてゐました。一郎はしばらく教室を見まはしてから「嘉助、二人して水掃ぐべな。」と云ってしゅろ箒をもって来て水を窓の下の孔へはき寄せてゐました。するともう誰か来たのかといふやうに奥から先生が出てきましたがふしぎなことは先生があたり前の単衣をきて赤いうちわをもってゐるのです。「たいへん早いですね。あなた方二人で教室の掃除をしてゐるのですか。」先生がきゝました。「先生お早うございます。」一郎が云ひました。「先生お早うございます。」嘉助も云ひましたが、すぐ「先生、又三郎今日来るのすか。」ときゝました。先生はちょっと考へて「又三郎って高田さんですか。えゝ、高田さんは昨日お父さんといっしょにもう外へ行きました。日曜なのでみなさんにご挨拶するひまがなかったのです。」「先生飛んで行ったのすか。」嘉助がききました。「いいえ、お父さんが会社から電報で呼ばれたのです。お父さんはもいちどちょっとこっちへ戻られるさうですが高田さんはやっぱり向ふの学校に入るのださうです。向ふにはお母さんも居られるのですから。」「何して会社で呼ばったべす。」一郎がきゝました。「こゝのモリブデンの鉱脉は当分手をつけないことになった為なさうです。」「さうだなぃな。やっぱりあいづは風の又三郎だったな。」嘉助が高く叫びました。宿直室の方で何かごとごと鳴る音がしました。先生は赤いうちわをもって急いでそっちへ行きました。二人はしばらくだまったまゝ相手がほんたうにどう思ってゐるか探るやうに顔を見合わせたまゝ立ちました。 風はまだやまず、窓がらすは雨つぶのために曇りながらまだがたがた鳴りました。----------------------------------------------------------------------------------------------------------"糺の森"賀茂川と高野川が合流する三角州に広がる"糺の森"は、一帯がうっそうとした木立に覆われています。ここには、下鴨神社(賀茂御祖神社)の社殿(国宝2棟、重文53棟)が点在しており、古代より神域として人々の崇敬を集めていました。下鴨神社の創建当時は広大な森林地帯だった"糺の森"ですが、応仁の乱をはじめ度重なる兵火や、明治4年の社寺上知令の施行などにより、縮小されていきました。現在は、約12.4haが「史跡"糺の森"」となっています。 この森を構成している樹木は70%が落葉樹で、ケヤキやエノキ、ムクノキ、クスノキなどが自然のままの姿を見せています。そのなかで、クスノキの古木については人の手によって植えられたことが明らかになっています。京都の社寺の境内にはクスノキの巨木が育っているところが多く、これらは昭和9年の室戸台風によって受けた被害から再生するために苗木が植えられたとされているからです。 "糺の森"は古代からの自然を残す場所として知られていますが、ツバキの木がなぜか多く、その花は落葉樹がほとんどの森のなかにあって人目を引きます。 この森を住処として暮らす生き物に野鳥がいます。野鳥は森にとってなくてはならない存在で木々と共に共生しています。というのも、鳥達が食べた木の実が、糞に含まれて播かれ芽を出すからです。これは自然に地面に落ちたものより発芽しやすいのです。この森の鳥類の特徴としては、留鳥と冬鳥が多いようです。 --------------------------------テンペスト [The Tempest] 戯曲。シェークスピア作。五幕九場。1611年作。弟に所領を奪われて孤島に流された公爵が、嵐を呼び起こして弟らの船を難破させ復讐するが、やがて和解するに至る伝奇的浪漫劇でございます。---------------------------------------Let's play!!!!
2004年08月20日
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"森々(しんしん)たる 参道に舞う 灯取虫" ---------------------------"灯取虫"普通 「灯取虫」というと蛾を指します。「灯虫」と略しても使いますし「灯蛾」「火蛾(かが)」 「燭蛾」とそのものを指す句もあります。 ---------------------------"方丈記" by 鴨長明---------------------------行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。玉しきの都の中にむねをならべいらかをあらそへる、たかきいやしき人のすまひは、代々を經て盡きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。或はこぞ破れてことしは造り、あるは大家ほろびて小家となる。住む人もこれにおなじ。所もかはらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。あしたに死し、ゆふべに生るゝならひ、たゞ水の泡にぞ似たりける。知らず、生れ死ぬる人、いづかたより來りて、いづかたへか去る。又知らず、かりのやどり、誰が爲に心を惱まし、何によりてか目をよろこばしむる。そのあるじとすみかと、無常をあらそひ去るさま、いはゞ朝顏の露にことならず。或は露おちて花のこれり。のこるといへども朝日に枯れぬ。或は花はしぼみて、露なほ消えず。消えずといへども、ゆふべを待つことなし。』-----------------------------------------(中略)-----------------------------------------又あはれなること侍りき。さりがたき女男など持ちたるものは、その思ひまさりて、心ざし深きはかならずさきだちて死しぬ。そのゆゑは、我が身をば次になして、男にもあれ女にもあれ、いたはしく思ふかたに、たまたま乞ひ得たる物を、まづゆづるによりてなり。されば父子あるものはさだまれる事にて、親ぞさきだちて死にける。又母が命つきて臥せるをもしらずして、いとけなき子のその乳房に吸ひつきつゝ、ふせるなどもありけり。仁和寺に、慈尊院の大藏卿隆曉法印といふ人、かくしつゝ、かずしらず死ぬることをかなしみて、ひじりをあまたかたらひつゝ、その死首の見ゆるごとに、額に阿字を書きて、縁をむすばしむるわざをなむせられける。その人數を知らむとて、四五兩月がほどかぞへたりければ、京の中、一條より"南"、九條より"北"、京極より"西"、朱雀より"東"道のほとりにある頭、すべて四萬二千三百あまりなむありける。いはむやその前後に死ぬるもの多く、河原、白河、にしの京、もろもろの邊地などをくはへていはゞ際限もあるべからず。いかにいはむや、諸國七道をや。近くは崇徳院の御位のとき、長承のころかとよ、かゝるためしはありけると聞けど、その世のありさまは知らず。まのあたりいとめづらかに、かなしかりしことなり。』また元暦二年のころ、おほなゐふること侍りき。そのさまよのつねならず。山くづれて川を埋み、海かたぶきて陸をひたせり。土さけて水わきあがり、いはほわれて谷にまろび入り、なぎさこぐふねは浪にたゞよひ、道ゆく駒は足のたちどをまどはせり。いはむや都のほとりには、在々所々堂舍廟塔、一つとして全からず。或はくづれ、或はたふれたる間、塵灰立ちあがりて盛なる煙のごとし。地のふるひ家のやぶるゝ音、いかづちにことならず。家の中に居れば忽にうちひしげなむとす。はしり出づればまた地われさく。羽なければ空へもあがるべからず。龍ならねば雲にのぼらむこと難し。おそれの中におそるべかりけるは、たゞ地震なりけるとぞ覺え侍りし。その中に、あるものゝふのひとり子の、六つ七つばかりに侍りしが、ついぢのおほひの下に小家をつくり、はかなげなるあとなしごとをして遊び侍りしが、俄にくづれうめられて、あとかたなくひらにうちひさがれて、二つの目など一寸ばかりうち出されたるを、父母かゝへて、聲もをしまずかなしみあひて侍りしこそあはれにかなしく見はべりしか。子のかなしみにはたけきものも耻を忘れけりと覺えて、いとほしくことわりかなとぞ見はべりし。かくおびたゞしくふることはしばしにて止みにしかども、そのなごりしばしば絶えず。よのつねにおどろくほどの地震、二三十度ふらぬ日はなし。十日廿日過ぎにしかば、やうやうまどほになりて、或は四五度、二三度、もしは一日まぜ、二三日に一度など、大かたそのなごり、三月ばかりや侍りけむ。四大種の中に、水火風はつねに害をなせど、大地に至りては殊なる變をなさず。むかし齊衡のころかとよ。おほなゐふりて、東大寺の佛のみぐし落ちなどして、いみじきことゞも侍りけれど、猶このたびにはしかずとぞ。すなはち人皆あぢきなきことを述べて、いさゝか心のにごりもうすらぐと見えしほどに、月日かさなり年越えしかば、後は言の葉にかけて、いひ出づる人だになし。』----------------------------------------------中略----------------------------------------------こゝに六十の露消えがたに及びて、さらに末葉のやどりを結べることあり。いはゞ狩人のひとよの宿をつくり、老いたるかひこのまゆをいとなむがごとし。これを中ごろのすみかになずらふれば、また百分が一にだもおよばず。とかくいふ程に、よはひは年々にかたぶき、すみかはをりをりにせばし。その家のありさまよのつねにも似ず、廣さはわづかに方丈、高さは七尺が内なり。所をおもひ定めざるがゆゑに、地をしめて造らず。土居をくみ、うちおほひをふきて、つぎめごとにかけがねをかけたり。もし心にかなはぬことあらば、やすく外へうつさむがためなり。そのあらため造るとき、いくばくのわづらひかある。積むところわづかに二輌なり。車の力をむくゆるほかは、更に他の用途いらず。いま日野山の奧にあとをかくして後、南にかりの日がくしをさし出して、竹のすのこを敷き、その西に閼伽棚を作り、うちには西の垣に添へて、阿彌陀の畫像を安置したてまつりて、落日をうけて、眉間のひかりとす。かの帳のとびらに、普賢ならびに不動の像をかけたり。北の障子の上に、ちひさき棚をかまへて、黒き皮籠三四合を置く。すなはち和歌、管絃、往生要集ごときの抄物を入れたり。傍にこと、琵琶、おのおの一張をたつ。いはゆるをりごと、つき琵琶これなり。東にそへて、わらびのほどろを敷き、つかなみを敷きて夜の床とす。東の垣に窓をあけて、こゝにふづくゑを出せり。枕の方にすびつあり。これを柴折りくぶるよすがとす。庵の北に少地をしめ、あばらなるひめ垣をかこひて園とす。すなはちもろもろの藥草をうゑたり。かりの庵のありさまかくのごとし。その所のさまをいはゞ、南にかけひあり、岩をたゝみて水をためたり。林軒近ければ、つま木を拾ふにともしからず。名を外山といふ。まさきのかづらあとをうづめり。谷しげゝれど、にしは晴れたり。觀念のたよりなきにしもあらず。"春"は藤なみを見る、紫雲のごとくして西のかたに匂ふ。"夏"は郭公をきく、かたらふごとに死出の山路をちぎる。"秋"は日ぐらしの聲耳に充てり。うつせみの世をかなしむかと聞ゆ。"冬"は雪をあはれむ。つもりきゆるさま、罪障にたとへつべし。もしねんぶつものうく、どきやうまめならざる時は、みづから休み、みづからをこたるにさまたぐる人もなく、また耻づべき友もなし。殊更に無言をせざれども、ひとり居ればくごふををさめつべし。必ず禁戒をまもるとしもなけれども、境界なければ何につけてか破らむ。もしあとの白波に身をよするあしたには、岡のやに行きかふ船をながめて、滿沙彌が風情をぬすみ、もし桂の風、葉をならすゆふべには、潯陽の江をおもひやりて、源都督(經信)のながれをならふ。もしあまりの興あれば、しばしば松のひゞきに秋風の樂をたぐへ、水の音に流泉の曲をあやつる。藝はこれつたなけれども、人の耳を悦ばしめむとにもあらず。ひとりしらべ、ひとり詠じて、みづから心を養ふばかりなり。』------------------------------------------以下 略------------------------------------------月かげは 入る山の端もつらかりきたえぬひかりを みるよしもがな---------------------------------------------------"鴨長明"(かものちょうめい)久寿2年(1155年) - 建保4年閏6月10日(1216年7月26日)平安時代末期から鎌倉時代にかけての歌人・随筆家。俗名はかものながあきら。賀茂御祖神社の神事を統率する長継の次男として生まれた。俊恵の門下に学び、歌人としても活躍。望んでいた河合社(ただすのやしろ)の禰宜(ねぎ)の地位につくことが叶わず、神職としての出世の道を閉ざされた。後に出家して蓮胤(れんいん)を名乗ったが、一般には俗名を音読みした鴨長明(ちょうめい)として知られている。-----------------------------------------------------"co・in・ci・dent" 同時(期)に起こる; 同一場所にある(with); 一致[符合]する(with)------------------------------------------------------Today, come home from "KYOTO"--------------------------------"京都の恋"(KYOTO DOLL)林 春生 作詞D.Wilson, M.Taylor,G.McGee, J.Durrill 作曲---------------------------------♪~♪風のウワサを 信じて 今日からはあなたと別れ 傷ついて旅に出かけてきたの私の心に 鐘が鳴る白い京都に 雨が降るうしろ姿の あの人は今は帰らぬ 遠い人 涙見せたくないの 今日からは一度離れた 恋なんか二度とは したくない♪~♪このまま死んでしまいたい白い京都に包まれて恋によごれた女は 明日(アシタ)から白い京都の片隅に 想い出を捨てるの想い出を捨てるの -----------------------------------------------1970(S.45)年の、"渚ゆう子"さんのヒット曲です。原題は"Kyoto Doll"、エレキ・バンド「ベンチャーズ」の曲です。 -----------------------------------------------Let's be singing!!!!
2004年08月19日
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"雨宿り 供物(くもつ)手向ける 地蔵盆" -----------------------------------"手向ける"(たむ・ける)(1)神仏や死者の霊に供え物をささげる。古くは主に旅の平安を祈るものであった。「墓に線香を―・ける」(2)旅立つ人に餞別を贈る。「ゆく年に涙の玉を―・けつるかな/新古今(雑上)」(3)旅に出る人や別れて行く人に、はなむけをする。「友人の壮途に―・ける言葉」-----------------------------------"地蔵盆"そもそも、地蔵とは、サンスクリット語のクシティガルバの意訳です。クシティは「大地」、ガルバとは「胎蔵」のことであり、合わせて「地蔵」と訳されました。とりわけ地蔵菩薩は、別名「願王尊」といい、あらゆる願いを聞いて下さる佛という意味があります。特にその胎蔵という意味から、子供の守り佛として我が国では古くから信仰されてまいりました。お地蔵様の真言は、「オン、カー、カー、カビサンマ、ソワカ」といい、この真言から「カカさま」・「おカアさま」という美しい日本語が生まれました。毎年8月24日夕刻、東福寺(京都)には無垢清浄の子供たちが集います。----------------------------------------------------------------------"海行かば"大伴家持作詞・信時潔作曲/昭和12年-----------------------------------海 行(ゆ) か ば 水 漬 (みず)く 屍(かばね) 山 行 か ば 草 む す 屍 大 君 の 辺(へ) に こ そ 死 な め 顧 (かへり)み は せ じ----------------------------------- ------------------海の戦(いくさ)では 水に浸った屍となり 陸の戦にあっては 草生(む)す屍となって皇尊(すめらみこと)のお傍(そば)で死のう 決して後悔などはしない------------------------------------"万葉集"に出ている大伴家持の長歌の一節です。天皇のために一命を捧げるという日本人古来の心情を歌った個所に信時潔が曲をつけたものです。昭和18年12月文部省と大政翼賛会で、この歌を儀式に用いることに決まりました。その後、終戦になるまで国歌「君が代」に次いだ「準国歌」的役割を果たしてきました。 -------------------------------------以下、"万葉集"より引用--------------------4094 葦原の 瑞穂の国を 天下(あまくだ)り 知らしめしけるすめろきの 神の命の 御代重ね 天の日継(ひつぎ)と知らし来る 君の御代御代 敷きませる 四方の国には 山河を 広み厚みと たてまつる 御調(みつき)宝は 数へ得ず 尽くしもかねつ 然れども 我が大王の 諸人を 誘(いざな)ひ賜ひ 善きことを 始め賜ひて 金(くがね)かも たのしけくあらむ と思ほして下悩ますに 鶏が鳴く 東の国の 陸奥(みちのく)の 小田なる山に 金ありと 奏(まう)し賜へれ 御心を 明らめ賜ひ 天地の 神相うづなひ 皇御祖(すめろき)の 御霊助けて 遠き代に かかりしことを 朕(あ)が御代に顕はしてあれば 食(を)す国は 栄えむものと 神ながら 思ほしめして もののふの 八十伴の雄を まつろへの むけのまにまに 老人も 女童児(めのわらはこ)も しが願ふ 心足らひに 撫で賜ひ 治(をさ)め賜へば ここをしも あやに貴み 嬉しけく いよよ思ひて 大伴の 遠つ神祖(かむおや)の その名をば 大来目主と 負ひ持ちて 仕へし職(つかさ) "海行かば 水漬く屍 山行かば 草生(む)す屍" "大王の 辺にこそ死なめ かへり見は せじ"と異立(ことだ)て 大夫(ますらを)の 清きその名を 古よ 今の現(をつつ)に 流さへる 祖(おや)の子どもそ 大伴と 佐伯の氏は 人の祖の 立つる異立て 人の子は 祖の名絶たず 大君に まつろふものと 言ひ継げる 言の官(つかさ)そ 梓弓 手に取り持ちて 剣大刀(つるぎたち) 腰に取り佩き 朝守り 夕の守りに 大王(おほきみ)の 御門の守り 我をおきて また人はあらじ といや立て 思ひし増さる 大王の 御言の幸(さき)の 聞けば貴み反し歌三首4095大夫の心思ほゆ大王の御言の幸(さき)の聞けば貴み4096 大伴の遠つ神祖(かむおや)の奥つ城(き)は著(しる)く標(しめ)立て人の知るべく---------------------------------------------------------------------------------神亀五年七月(ふみつき)の二十一日(はつかまりひとひ)、筑前国(つくしのみちのくちのくに)の守(かみ)"山上憶良"上(たてまつ)る。惑へる情(こころ)を反(かへ)さしむる歌一首、また序或る人、父母敬はずして、侍養を忘れ、妻子を顧みざること脱履よりも軽し。自ら異俗先生(せむじやう)と称る。意気青雲の上に揚がると雖も、身体は猶塵俗の中に在り。未だ修行得道の聖を験(し)らず。蓋し是山沢に亡命する民なり。所以(かれ)三綱を指示(しめ)して、更に五教を開く。遣るに歌を以て、其の惑ひを反さしむ。その歌に曰く、0800 父母を 見れば貴し 妻子見れば めぐし愛(うつく)し 遁ろえぬ 兄弟(はらから)親族(うがら) 遁ろえぬ 老いみ幼(いとけ)み 朋友の 言問ひ交はす 世の中は かくぞことわり もち鳥の かからはしもよ 早川の ゆくへ知らねば 穿沓(うけぐつ)を 脱き棄(つ)るごとく 踏み脱きて 行くちふ人は 石木(いはき)より 成りてし人か 汝(な)が名告(の)らさね 天(あめ)へ行かば 汝がまにまに 地(つち)ならば 大王(おほきみ)います この照らす 日月の下は 天雲の 向伏(むかふ)す極み 蟾蜍(たにぐく)の さ渡る極み 聞こし食す 国のまほらぞ かにかくに 欲しきまにまに しかにはあらじか反し歌0801 久かたの天道(あまぢ)は遠し黙々(なほなほ)に家に帰りて業(なり)を為まさに子等を思(しぬ)ふ歌一首、また序釋迦如来金口(こんく)正に説きたまへらく、等しく衆生を思ふこと、羅ゴ羅の如しとのたまへり。又説きたまへらく、愛は子に過ぐること無しとのたまへり。至極の大聖すら、子を愛(うつく)しむ心有り。況乎(まして)世間の蒼生、誰か子を愛まざる。0802 瓜食(は)めば 子ども思ほゆ 栗食めば まして偲はゆ いづくより 来りしものぞ 眼交(まなかい)に もとなかかりて 安眠(やすい)し寝(な)さぬ反し歌0803 銀(しろかね)も金(くがね)も玉も何せむにまされる宝子にしかめやも世間の住(とどま)り難きを哀しめる歌一首、また序集め易く排し難し、八大辛苦。遂げ難く尽し易し、百年の賞楽。古人の歎きし所、今また及ぶ。所以因(かれ)一章の歌を作みて、以て二毛の歎きを撥(のぞ)く。其の歌に曰く、以下略----------------------------------------------------------------------------------------"序・破・急""世阿弥"は「序破急」ということをよく書いています。"序"は、はじめ、導入部。破は、最も肝要の部分。「序の、本風の、直ぐに正しき体を、細かなる方へ移しあらわす体なり。その日の肝要の能なり。」"急"は、最後、名残の能。導入から徐々に盛り上げ、最後近くで頂点に盛り上げ、最後に静かに終わる。一日の能の配列にも、一曲の中でもこれが配慮される。一曲の中では後場で動きの多い舞が舞われる、ここが頂点。 -----------------------------------------------------"守・破・離"守破離は、能を確立した"世阿弥"の教え(教育法・学習法)であり、武道に限らず、日本の文化、芸事、道の修業(修行)においてもよく使われる代表的な言葉です。まず師の真似から始め、それが身に付いたら、徐々に自分流を発揮せよということです。 守破離の意を表す言葉として、千利休(茶道)の次の道歌があります。"規矩作法守りつくして破るとも離るるとても本を忘るな"(伝統を踏まえながらもそこに留まることなく、つねに新たな世界を創造してゆく、しかし、根源の精神は忘れない、基本を守り、基本から応用を見出し、自分の型をみつける。それでも、基本を忘れるな)かた(型・形)を行う武芸・武術や茶道や華道の芸事において、修業(修行)の段階、わざ(技・業)のレベルを示す言葉として広く使用されています。 "第一段階"である「守」は基本であり学習の段階です。師の教えを守り、真似る、型の反復練磨の時期です。 "第二段階"である「破」は、変化(改変)であり、自己の技術を深め、広げる段階です。自分なりに考え、自分なりの発展を試みる。他の優れたものから学ぶ行動、精神が必要なときです。かた(型)に、ち(血)をかよわせ、かたち(形)にする時期です。 "第三段階"である「破」は、応用(創造)であり、自らが独創の技を発揮する段階です。型を離れて、独自の世界を創出していく時期です。-----------------------------------"a la carte"(いろいろ) でした-----------------------------------"8/16~19" "these period is my"bonn-off"-----------------------------------
2004年08月16日
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"嬰児(みどりご)の 泣き叫び居り 夕涼み"----------------------------------------"誰もいない海"山口洋子作詞・内藤法美作曲--------------------------♪~♪今はもう秋 誰もいない海知らん顔して 人がゆき過ぎても私は忘れない 海に約束したからつらくても つらくても死にはしないと今はもう秋 誰もいない海たったひとつの 夢がやぶれても私は忘れない 砂に約束したから淋しくても 淋しくても死にはしないと今はもう秋 誰もいない海いとしい面影(おもかげ) 帰らなくても私は忘れない 空に約束したからひとりでも ひとりでも死にはしないと--------------------------------------------------------------------------------------セネカ『人生の短さについて』人生は使い方を知れば長い.我が身をかえりみ,自分自身のために暇をもつべき.-----------------------------------------------1 大部分の人間たちは死すべき身でありながら、パウリヌス君よ、自然の意地悪さを嘆いている。その理由は、われわれが短い一生に生まれついているうえ、われわれに与えられたこの短い期間でさえも速やかに急いで走り去ってしまうから、ごく僅かな人を除いて他の人々は、人生の用意がなされたとたんに人生に見放されてしまう、というのである。このような、彼らのいわゆる万人に共通な災(わざわ)いに嘆息するのは、単に一般の大衆や無知の群集だけのことではない。著名な人々にさえも、このような気持が嘆きを呼び起こしている。それゆえにこそ、医家のなかでも最も偉大な医家の発言がある。いわく「生は短く術は長し」と。それゆえにこそ、アリストテレスも自然を相手どって、賢者には決してふさわしくない告訴を行なっている。「寿命という点では、自然は動物たちに人間の5倍も10倍も長い一生を引き出せるように許しておきながら、数多くの偉大な仕事のために生まれた人間には、逢かに短い期間しか存続しない」と。しかし、われわれは短い時間をもっているのではなく、実はその多くを浪費しているのである。人生は十分に長く、その全体が有効に費(ついや)されるならば、最も偉大なことをも完成できるほど豊富に与えられている。けれども放蕩(ほうとう)や怠惰(たいだ)のなかに消えてなくなるとか、どんな善いことのためにも使われないならば、結局最後になって否応(いやおう)なしに気付かされることは、今まで消え去っているとは思わなかった人生が最早すでに過ぎ去っていることである。全くそのとおりである。われわれは短い人生を受けているのではなく、われわれがそれを短くしているのである。われわれは人生に不足しているのではなく濫費しているのである。たとえば莫大な王者のごとき財産でも、悪い持ち主の所有に帰したときには、瞬(またた)く間に雲散してしまうが、たとえ並の財産でも善(よ)い管理者に委ねられれば、使い方によって増加する。それと同じように、われわれの一生も上手に按配(あんばい)する者には、著しく広がるものである。2 何ゆえにわれわれは自然に対して不平を言うのか。自然は好意をもって振舞ってくれている。人生は使い方を知れば長い。だが世の中には飽くことを知らない貧欲に捕われている者もいれば、無駄な苦労をしながら厄介(やっかい)な骨折り仕事に捕われている者もある。酒びたりになっている者もあれば、怠けぼけしている者もある。他人の意見に絶えず左右される野心に引きずられて、疲れ果てている者もあれば、商売でしゃにむに儲(もう)けたい一心から、国という国、海という海の至るところを利欲の夢に駆り立てられている者もある。絶えず他人に危険を加えることに没頭するか、あるいは自分に危険の加えられることを心配しながら戦争熱に浮かされている者もある。また有難いとも思われずに高位の者におもねって、自ら屈従に甘んじながら身をすり減らしている者もある。多くの者たちは他人の運命のために努力するか、あるいは自分の運命を嘆くかに関心をもっている。また大多数の者たちは確乎とした目的を追求することもなく、気まぐれで移り気で飽きっぽく軽率に次から次へと新しい計画に飛び込んでいく。或る者は自己の進路を定めることなどには何の興味もなく、怠けたり欠伸(あくび)をしたりしているうちに運の尽きということになる。全く、詩人中最大の詩人の書のなかで神託風に語られているあの言葉が疑えないほどだ。「われらが生きる人生は束の間なるぞ。」つまり、そのほかの期間はすべて人生ではなくて時間にすぎない。もろもろの悪が至るところから激しく迫って取り囲み、再び立ち上ることも、また真理発見のために眼を高く上げることも許さない。それどころか、人々をぐっと押えつけて溺(おぼ)れさせ、欲情のなかにぶち込む。彼らが再び自己に立ち帰ることは決して許されない。たとえ、いつか偶々(たまたま)何かの安息をつかんだとしても、たとえば嵐が通ったあとも波のうねりが残る深海のように、彼らの心は動揺を続け、いつになっても自己の欲情から離れた余裕の生ずることはない。私が今ここで言っているのは、すでに天下に悪名の高い者たちのことばかりと思うか。金持ちゆえに大勢の者たちに詰めかけられる人々を見るがよい。この人々は自分の財産で首を締められているのだ。多くの人々にとって富はいかに重荷であろうか。いかに多くの人々が弁舌を振るい、また自己の才能を誇示せんと苦慮して日夜血を吐く思いをしていることか。いかに多くの人々が快楽の連続で青ざめていることか。いかに多くの人々が大勢の子分たちに取り巻かれて、少しの自由さえも残してもらえないことか。要するに、これらの人々を最下位から最上位までずっと見渡してみるがよい。ここには訴訟の相談に乗る者がおり、また証人になる者がいる。あそこには人を審問する者がおり、また弁護に立つ者がいる。またあそこには判決を行なう者もいる。しかし誰ひとりとして自分自身に対する権利を主張する者はない。互いに他人のために利用され合っているだけだ。世間に名前の通った人々のことを聞いてみるがよい。彼らが有名であるゆえんは、以上のような点が人とは違って見られているからだと気付くであろう。甲は乙のために耕し、乙は丙のために耕すが、誰ひとり自分自身を耕す者はない。次に、或る人々は全く馬鹿げた憤慨をする。彼らが不満とするのは上位の者たちの高慢な態度であって、訪問したいと願ってさえも、暇がないといって応じてくれない、とこぼすのである。しかし自分自身のために暇をもてない人間が、他人の横柄(おうへい)さをあえて不満とする資格があろうか。相手は傲慢な顔付きをしていても、かつては君に、君がどんな人であろうとも、目をかけてくれたし、君の言葉に耳を傾けてくれたし、君を側近くに迎え入れてくれたこともある。それなのに君は、かつて一度も自分自身をかえりみ、自分自身に耳を貸そうとはしなかった。だから、このような義務を誰にでも負わす理由はない。たとえ君がこの義務を果たしたときでも、君は他人と一緒にいたくなかったろうし、といって君自身と一緒にいることもできなかったろうから。------------------------------------------------------------------------------------------------------------"La mer"----------------------------------Paroles et musique Charles Trenet.----------------------------------"La mer"qu'on voit danserLe long des golfes clairsA des reflets d'argentLa mer des reflets changeantsSous la pluie Cette chanson est chantee par Assurancetourix pour reveiller Kicah dans Asterix Chez Rahazade :"La meeer"... qu'on voit danser... le long des golfes claiiiirs... -------------------------------------------------------"禿筆"(とくひつ) ------------------(1)穂先がすりきれた筆。ちびた筆。(2)自分の文章や文字をへりくだっていう語。――を呵(か)す ちびた筆に息を吹きかけ暖めつつ書く。-------------------------------------------------今日は"終戦記念日"です!!!!!!
2004年08月15日
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"汗滲(にじ)ませて 艶(つや)やかに舞う 踊り子よ" ---------------------------------------♪~♪"さよなら"も言えず 泣いている私の踊り子よ ああ船が出る天城峠で 会(オ)うた日は絵のように あでやかな袖が雨に 濡れていた赤い袖に 白い雨(女声コーラス)アー アー アー アーアー アー アー アー ♪~♪月のきれいな 伊豆の宿紅色の ともし灯にかざす扇 舞い姿細い指の 懐かしさ♪~♪"さよなら"も言えず 泣いている私の踊り子よ ああ船が出る下田街道 海を見て目を上げた 前髪のちさな櫛も 忘られぬ伊豆の旅よ "さようなら"~ ----------------------------------1957年(S.32)、大阪朝日放送の「呉羽ホームソング」で三浦洸一さんが歌って広まった曲です。文豪"川端康成"の小説「踊子」をモチーフにした詞です。 (作詞 喜志 邦三)------------------------"時分の花"(じぶんのはな) 声・容貌・姿などの美しさにより無意識のうちに現れるもので、元来変化し、消え去る性質のものです。たとえば、十二・三才の頃の役者は姿も可愛らしく声もよいので見物人から賞賛を得ますが、この"花"は「まことの"花"にあらず、ただ時分の"花"なり」といいます。これは年によって咲く"花"で、永久に咲いている"花"ではありません。また、二十四・五才の頃は変声期を過ぎて体も定まる頃であり、名人と競演して勝つ場合がありますが、この"花"は年盛りであることから見物人が珍しく感じただけにすぎず、本当の"花"ではないということです。 -----------------------------------------------------"Midsummer's Night's Dream"by" Shakespeare"--------------------------------------------his birth is "in 1564", his death "in 1616".--------------------------------------------This day my oaths of drinking wine and going to plays are out, and so I do resolve to take a liberty to-day, and then to fall to them again. To the King's Theatre, where we saw "Midsummer's Night's Dream," which I had never seen before, nor shall ever again, for it is the most insipid ridiculous play that ever I saw in my life.I saw, I confess, some good dancing and some handsome women, which was all my pleasure. (by"Samuel Pepys", Diary, Sept. 29, 1662)--------------------------------------------------------------------------------------"舞姫" by 森鴎外-------------------(中略)余が車を下りしはカイゼルホオフの入り口なり。門者に秘書官相沢が部屋の番号を問ひて、久しく踏み慣れぬ大理石の階を登り、中央の柱にプリユツシユを覆へるゾフアを据ゑつけ、正面には鏡を立てたる前房に入りぬ。外套をばここにて脱ぎ、廊を伝ひて部屋の前まで行きしが、余は少し踟躊したり。同じく大学に在りし日に、余が品行の方正なるを激賞したる相沢が、今日はいかなる面持ちして出で迎ふらん。部屋に入りて相対して見れば、形こそ旧に比ぶれば肥えてたくましくなりたれ、依然たる快活の気象、我が失行をもさまで意に介せざりきと見ゆ。別後の情を細叙するにもいとまあらず、引かれて大臣に謁し、委託せられしは独逸語にて記せる文書の急を要するを翻訳せよとのことなり。余が文書を受領して大臣の部屋を出でしとき、相沢は後より来て余と午饗を共にせんと言ひぬ。 食卓にては彼多く問ひて、我多く答へき。彼が生路はおほむね平滑なりしに、轗軻数奇なるは我が身の上なりければなり。 (中略)今は天方伯もただ独逸語を利用せんの心のみなり。己もまた伯が当時の免官の理由を知れるがゆゑに、強ひてその成心を動かさんとはせず、伯が心中にて 曲庇者なりなんど思はれんは、朋友に利なく、己に損あればなり。人を薦むるはまづその能を示すにしかず。これを示して伯の信用を求めよ。またかの少女との関係は、たとひ彼に誠ありとも、たとひ情交は深くなりぬとも、人材を知りての恋にあらず、慣習といふ一種の惰性より生じたる交はりなり。意を決して断てと。これその言のおほむねなりき。 大洋に舵を失ひし舟人が、はるかなる山を望むごときは、相沢が余に示したる前途の方針なり。されどこの山はなほ重霧の間に在りて、いつ行き着かんも、否、果たして行き着きぬとも、我が中心に満足を与へんも定かならず。貧しきが中にも楽しきは今の生活、捨て難きはエリスが愛。我が弱き心には思ひ定めん由なかりしが、しばらく友の言に従ひて、この情縁を断たんと約しき。余は守るところを失はじと思ひて、己に敵する者には抗抵すれども、友に対して否とはえ答へぬが常なり。別れて出づれば風面を打てり。二重の玻璃窓を厳しく閉ざして、大いなる陶炉に火をたきたるホテルの食堂を出でしなれば、薄き外套を透る午後四時の寒さは殊更に堪へ難く、膚粟立つとともに、余は心の中に一種の寒さを覚えき。 翻訳は一夜になし果てつ。カイゼルホオフへ通ふことはこれよりやうやくしげくなりもてゆくほどに、初めは伯の言葉も用事のみなりしが、後には近ごろ故郷にてありしことなどを挙げて余が意見を問ひ、折に触れては道中にて人々の失錯ありしことどもを告げて打ち笑ひたまひき。 ひと月ばかり過ぎて、ある日伯は突然我に向かひて、「余は明旦、魯西亜に向かひて出発すべし。従ひて来べきか。」と問ふ。余は数日間、かの公務にいとまなき相沢を見ざりしかば、この問ひは不意に余を驚かしつ。「いかで命に従はざらん。」余は我が恥を表さん。この答へはいち早く決断して言ひしにあらず。余は己が信じて頼む心を生じたる人に、卒然ものを問はれたるときは、咄嗟の間、その答への範囲をよくも量らず、直ちにうべなふことあり。さてうべなひし上にて、そのなし難きに心づきても、強ひて当時の心虚なりしを覆ひ隠し、耐忍してこれを実行することしばしばなり。 この日は翻訳の代に、旅費さへ添へて賜りしを持て帰りて、翻訳の代をばエリスに預けつ。これにて魯西亜より帰り来んまでの費えをば支へつべし。彼は医者に見せしに常ならぬ身なりと言ふ。貧血の性なりしゆゑ、幾月か心づかでありけん。座頭よりは休むことのあまりに久しければ籍を除きぬと言ひおこせつ。まだひと月ばかりなるに、かく厳しきは故あればなるべし。旅立ちのことにはいたく心を悩ますとも見えず。偽りなき我が心を厚く信じたれば。鉄路にては遠くもあらぬ旅なれば、用意とてもなし。身に合はせて借りたる黒き礼服、新たに買ひ求めたるゴタ板の魯廷の貴族譜、二、三種の辞書などを、小カバンに入れたるのみ。さすがに心細きことのみ多きこのほどなれば、出でいく後に残らんも物憂かるべく、また停車場にて涙こぼしなどしたらんには後ろめたかるべければとて、翌朝早くエリスをば母につけて知る人がり出だしやりつ。余は旅装整へて戸を閉ざし、鍵をば入り口に住む靴屋の主人に預けて出でぬ。 魯国行きにつきては、何事をか叙すべき。我が舌人たる任務はたちまちに余を拉し去りて、青雲の上に落としたり。余が大臣の一行に従ひて、ペエテルブルクに在りし間に余を囲繞せしは、巴里絶頂の驕奢を、氷雪の内に移したる王城の粧飾、ことさらに黄蝋の燭を幾つともなくともしたるに、幾星の勲章、幾枝のエポレツトが映射する光、彫鏤の工を尽くしたるカミンの火に寒さを忘れて使ふ宮女の扇のひらめきなどにて、この間仏蘭西語を最も円滑に使ふものは我なるがゆゑに、賓主の間に周旋して事を弁ずるものもまた多くは余なりき。 この間余はエリスを忘れざりき、否、彼は日ごとに文を寄せしかばえ忘れざりき。余が立ちし日には、いつになく独りにて灯火に向かはんことの心憂さに、知る人のもとにて夜に入るまで物語りし、疲るるを待ちて家に帰り、直ちに寝ねつ。次の朝目覚めしときは、なお独り後に残りしことを夢にはあらずやと思ひぬ。起き出でしときの心細さ、かかる思ひをば、生計に苦しみて、今日の日の食なかりし折にもせざりき。これ彼が第一の文のあらましなり。 また程経ての文はすこぶる思ひ迫りて書きたるごとくなりき。文をば否といふ字にて起こしたり。否、君を思ふ心の深き底をば今ぞ知りぬる。君はふるさとに頼もしき族なしとのたまへば、この地によき世渡りの手段あらば、とどまりたまはぬことやはある。また我が愛もてつなぎ留めではやまじ。それもかなはで東に帰りたまはんとならば、親とともに行かんはやすけれど、かほどに多き路用をいづくよりか得ん。いかなる業をなしてもこの地にとどまりて、君が世に出でたまはん日をこそ待ためと常には思ひしが、しばしの旅とて立ち出でたまひしよりこの二十日ばかり、別離の思ひは日にけに茂りゆくのみ。袂を分かつはただ一瞬の苦艱なりと思ひしは迷ひなりけり。我が身の常ならぬがやうやくにしるくなれる、それさへあるに、たとひいかなることありとも、我をばゆめな捨てたまひそ。母とはいたく争ひぬ。されど我が身の過ぎしころには似で思ひ定めたるを見て心折れぬ。我が東に行かん日には、ステツチンわたりの農家に、遠き縁者あるに、身を寄せんとぞ言ふなる。以下"略"---------------------------------------------------"Diogenes" (ディオゲネス)------------------------ヘレニズム期に活躍した、犬儒学派(キュニコス学派)を代表する哲学者です。"ディオゲネス"はあるとき、ゼノンという者のパラドクスを聞いた。あの「アキレスは亀に追いつけない」とかいう、運動の否定を述べたものです。それを聞いて彼は、黙って"壺"の中から出て、そこらへんを歩いて見せた。弟子が感心して「さすが師匠。愚にもつかない論説に、黙して行動で論駁された!」"樽"哲学者は、弟子を殴りつけた。この阿呆!どんな論説であれ、相手が言葉できてるんやから、言葉でかえさんかい。それが論駁ってもんや。といいながら、自分もまず殴ってる。享楽主義者アリスティッポスの「居候の哲学」に対して、無欲主義者"ディオゲネス"が「樽(瓶)の生活」で対抗したことも有名です。あるとき"ディオゲネス"がキャベツを洗っているところに、アリスティッポスが通りかった。「やあ、ディオゲネス君」 アリスティッポスが言った。「君が人間との付き合い方を心得ていたら、キャベツなんて洗わなくてもすんだろうにね」 「そうだね、アリスティッポス君」"ディオゲネス"は答えた。 「君がキャベツの洗い方を心得ていたら、王さまのあとなんか追いかけずともすんだろうにね」アリスティッポスはいつも王さまの周りをうろついていたために「王の犬」と呼ばれたが、"ディオゲネス"は町中をうろついていたため「ただの犬」と呼ばれた。ソクラテスは神託を受けて哲学者としてデビューし長年の哲学活動のため恨まれ処刑された。"ディオゲネス"もまた神託を受け、貨幣改鋳者(贋金造り)としていきなりを追放された。 "ディオゲネス"に下された神託は「ポリティコン・ノミスマ(国の中で広く通用してるもの=諸制度・習慣=道徳・価値)を変えよ」といったものでした。彼はそれに従って、実際に通貨=価値を変えてみせた。ディオゲネスはそのため、国外に追放された--------。----------------------------------------------------------------------------------"the ATHENS 2004 Olympic Games"Now That's starting at "ATHENS"--------------------
2004年08月14日
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"秋来ぬと 合点させたる 嚔(くさめ)かな" (『蕪村句集』)-------------------------------------------秋たつや 何におどろく 陰陽師貧乏に 追つかれけり けさの秋秋立つや 素湯香(かうば)しき 施療院とうろうを 三たびかゝげぬ 露ながら高燈籠滅(きえ)なんとする あまたゝび梶の葉を 朗詠集の しほり哉恋さまざま 願の糸も 白きより魂棚を ほどけば もとの座敷哉大文字や あふみの空も ただならぬ四五人に 月落ちかかる おどり哉いまづまや 堅田泊リの 宵の空飛入の 力者あやしき 角力(すまひ)かな夕露や 伏見の角力 ちりぢりに負くまじき 角力を 寝ものがたり哉柳散(ちり)清水 涸(かれ)石 処々(ところどころ)小狐の 何にむせけむ 小萩はら山は暮て 野は黄昏の 薄哉朝がほや 一輪深き 淵のいろしら露や さつ男の胸毛 ぬるゝほど白露や 茨の刺(はり)に ひとつづゝ身にしむや 亡妻(なきつま)の櫛を 閨(ねや)に踏もの焚て 花火に遠き かゝり舟むし啼や 河内通ひの 小でうちん月天 心貧しき町を 通りけり名月や うさぎのわたる 諏訪の海庵の月 主(あるじ)をとへば 芋掘に名月や 神泉苑の 魚躍る紀の路にも 下りず夜を行 鴈ひとつ去年より 又さびしいぞ 秋の暮門を出(いづ)れば 我も行人 秋のくれかなしさや 釣の糸 吹あきの風人の世に 尻を居へたる ふくべ哉秋かぜの うごかして行 案山子(かかし)哉甲斐がねや 穂蓼の上を 塩車釣上し 鱸(すずき)の巨口 玉や吐小鳥来る 音うれしさよ 板びさし瀬田降りて 志賀の夕日や 江鮭(あめのうを)秋の燈や ゆかしき奈良の 道具市追剥(おいはぎ)を 弟子に剃りけり 秋の旅秋雨や 水底の草を 蹈わたる甲賀衆の しのびの賭や 夜半の秋遠近を ちこちとうつ きぬた哉うき我に 砧(きぬた)うて今は 又止ミね鳥羽殿へ 五六騎いそぐ 野分哉泊る気で ひとり来ませり 十三夜菊作り 汝は菊の 奴かな落穂拾ひ 日あたる方へ あゆみ行猿どのゝ 夜寒訪ゆく 兎かな欠々て 月もなくなる 夜寒哉山鳥の 枝踏かゆる 夜長哉秋風(しうふう)や 酒肆に詩うたふ 漁者樵者稲づまや 浪もてゆへる 秋つしま(『蕪村遺稿』)戸をたゝく 狸と秋を おしみけり温泉(ゆ)の底に 我足見ゆる 今朝の秋野分して 鼠のわたるに わたずみ看病の 耳に更ゆく おどりかな細腰の 法師すゞろに おどりかな門を出(いで)て 故人に逢ひぬ 秋の暮盗人の 首領歌よむ けふの月巫女(かんなぎ)に 狐恋する 夜寒かな名月や 露にぬれぬは 露斗(ばか)リうつくしや 野分の後の とうがらしさればこそ 賢者は富ず 敗荷(やれはちす)燈ともせと 云ひつつ出るや 秋の暮硝子(びいどろ)の 魚おどろきぬ 今朝の秋秋のくれ 仏に化る 狸かな (「新花摘」)子狐の かくれ貌なる 野菊哉(「新五子稿」)--------------------------------------------------------------------"砧"(きぬた)(1)能の一。四番目物。世阿弥(ぜあみ)作。長年帰国しない夫の無情を恨んで死んだ妻が、帰国した夫の前に亡霊となって現れる。(2)地歌・箏曲で、ゆるやかな二拍子を繰り返す砧という手を特徴とする一連の曲の総称。地歌に「三段砧」「四段砧」、箏曲に「五段砧」などがある。砧物。--------------------------------------------------------------------"夏目漱石"「行人」より兄さんは書物を読んでも、理窟を考えても、飯を食っても、散歩をしても、二六時中何をしても、そこに安住する事ができないのだそうです。何をしても、こんな事をしてはいられないという気分に追いかけられるのだそうです。「自分のしている事が、自分の目的(エンド)になっていないほど苦しい事はない」と兄さんは云います。「目的でなくっても方便(ミインズ)になれば好いじゃないか」と私が云います。「それは結構である。ある目的があればこそ、方便が定められるのだから」と兄さんが答えます。兄さんの苦しむのは、兄さんが何をどうしても、それが目的にならないばかりでなく、方便にもならないと思うからです。ただ不安なのです。したがってじっとしていられないのです。兄さんは落ちついて寝ていられないから起きると云います。起きると、ただ起きていられないから歩くと云います。歩くとただ歩いていられないから走けると云います。すでに走け出した以上、どこまで行っても止まれないと云います。止まれないばかりなら好いが刻一刻と速力を増して行かなければならないと云います。その極端を想像すると恐ろしいと云います。冷汗が出るように恐ろしいと云います。怖くて怖くてたまらないと云います。私は兄さんの説明を聞いて、驚きました。しかしそういう種類の不安を、生れてからまだ一度も経験した事のない私には、理解があっても同情は伴いませんでした。私は頭痛を知らない人が、割れるような痛みを訴えられた時の気分で、兄さんの話に耳を傾けていました。私はしばらく考えました。考えているうちに、人間の運命というものが朧気ながら眼の前に浮かんで来ました。私は兄さんのために好い慰藉を見出したと思いました。「君のいうような不安は、人間全体の不安で、何も君一人だけが苦しんでいるのじゃないと覚ればそれまでじゃないか。つまりそう流転して行くのが我々の運命なんだから」私のこの言葉はぼんやりしているばかりでなく、すこぶる不快に生温るいものでありました。鋭い兄さんの眼から出る軽侮の一瞥と共に葬られなければなりませんでした。兄さんはこう云うのです。「人間の不安は科学の発展から来る。進んで止まる事を知らない科学は、かつて我々に止まる事を許してくれた事がない。徒歩から俥、俥から馬車、馬車から汽車、汽車から自動車、それから航空船、それから飛行機と、どこまで行っても休ませてくれない。どこまで伴れて行かれるか分らない。実に恐ろしい」「そりゃ恐ろしい」と私も云いました。兄さんは笑いました。「君の恐ろしいというのは、恐ろしいという言葉を使っても差支えないという意味だろう。実際恐ろしいんじゃないだろう。つまり頭の恐ろしさに過ぎないんだろう。僕のは違う。僕のは心臓の恐ろしさだ。脈を打つ活きた恐ろしさだ」私は兄さんの言葉に一毫も虚偽の分子の交っていない事を保証します。しかし兄さんの恐ろしさを自分の舌で甞めて見る事はとてもできません。「すべての人の運命なら、君一人そう恐ろしがる必要がない」と私は云いました。「必要がなくても事実がある」と兄さんは答えました。その上下のような事も云いました。「人間全体が幾世紀かの後に到着すべき運命を、僕は僕一人で僕一代のうちに経過しなければならないから恐ろしい。一代のうちならまだしもだが、十年間でも、一年間でも、縮めて云えば一カ月間乃至一週間でも、依然として同じ運命を経過しなければならないから恐ろしい。君は嘘かと思うかも知れないが、僕の生活のどこをどんな断片に切って見ても、たといその断片の長さが一時間だろうと三十分だろうと、それがきっと同じ運命を経過しつつあるから恐ろしい。要するに僕は人間全体の不安を、自分一人に集めて、そのまた不安を、一刻一分の短時間に煮つめた恐ろしさを経験している」「それはいけない。もっと気を楽にしなくっちゃ」「いけないぐらいは自分にも好く解っている」私は兄さんの前で黙って煙草を吹かしていました。私は心のうちで、どうかして兄さんをこの苦痛から救い出して上げたいと念じました。私はすべてその他の事を忘れました。今までじっと私の顔を見守っていた兄さんは、その時突然「君の方が僕より偉い」と云いました。私は思想の上において、兄さんこそ私に優れていると感じている際でしたから、この賛辞に対して嬉しいともありがたいとも思う気は起りませんでした。私はやはり黙って煙草を吹かしていました。兄さんはだんだん落ちついて来ました。それから二人とも一つ蚊帳に這入って寝ました。--------------------------------------------------------------------"行人" (夏目 漱石 著)女性というものに哲学的な懐疑をもつ一郎は、弟に対する妻の愛情を疑うあまり、弟に自分の妻と一と晩他所で泊ってくれと頼む。知に煩わされて、人を信ずる事の出来ない主人公の、苦悩と悲哀と寂莫と、それにさいなまれる運命的生活が描かれる。漱石の実人生と作品との交渉が問題にされる作品。(大正元―2年作)----------------------------------「行人」といふ名前の由来『列氏』の『天瑞篇』には、「晏子曰、善哉古之有死也。仁者息焉。不仁者伏焉。死也者。徳之徼也。古者謂死人為帰人。夫言死人為帰人。即生人為行人。行而不知帰。失家也。」とあります。「列氏」引用の後半の意味は-------昔は、死んだ人を安住の地へ帰る人と言った。だから、反対に、生きていると人は行ってしまう人である。行ったまま帰ることを知らないのである。つまり、帰るべき安住の地がないのである------漱石は帰る家のない人のことを、「列氏」を借りて、「行人」としたのでしょう。--------------------------------------------------------------------"村夜" by白居易霜草蒼蒼虫切切村南村北行人絶獨出門前望野田月明蕎麦花如雪------------------------------------------------霜草(そうそう)蒼蒼(そうそう)虫 切切(せつせつ)村南村北 行人(こうじん)絶ゆ獨り門前に出て 野田(やでん)を望めば月明らかにして 蕎麦(きょうばく)花、雪の如し-------------------------------------------------蒼く霜枯れの草花に、秋の虫の声が渡る。一人門の前に佇みて辺りを見回せば、月の光の中に蕎麦の花が雪を被った如くに、緩やかな風の中に有る。------------------------------------------------穏やかな秋の月に仄かに辺りは照られて居ます。緩やかな風に蕎麦の花が揺らいでいます。月の光を受けた花は雪を被ったように一面を白く染め、淡い想いと静かな時の流れの中に身を置いています。----------------------------------------------------------------------------------------------"嚆矢"(こうし かう―)(1)〔「嚆」は叫ぶ意〕かぶら矢。(2)〔昔、中国で合戦の初めに、かぶら矢を敵陣に向けて射かけたことから〕物事のはじめ。最初。「その説を唱えたのは彼をもって―とする」----------------------------------------------------------------------------------愈々(いよいよ) です!!!!The "ATHENS" 2004 Olympic GamesGames of the XXVIII Olympiad -------------------------------Comming Soon!!!!
2004年08月13日
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"盂蘭盆会 したり顔なる つくも神" ----------------------------------------------"お盆"が近づいてきました。 お盆とは、正しくは「盂蘭盆会(うらぼんえ)」のことで、略してお盆といいます。 盂蘭盆とは、サンスクリット語の"ウラバンナ"を音訳したもので、「地獄や餓鬼道に落ちて、逆さづりにされ苦しんでいる」という意味で、そのために供養を営むのが、盂蘭盆会です。釈尊の弟子の一人、目連尊者という人が、神通力で亡き母の姿を見たところ、母親は餓鬼道に落ちて苦しんでいました。 何とかして救いたいと、釈尊に尋ねると、「七月十五日に、過去七世の亡き先祖や父母たちのために、御馳走を作り、僧侶たちに与え、その飲食をもって、供養するように」と教えてくれました。教えの通りにすると、目連の母親は餓鬼道の苦をのがれ、無事成仏することができたそうです。 この故事が、盂蘭盆会の始まりといわれています。 お盆(盂蘭盆会)は、先祖や亡くなった人たちが苦しむことなく、成仏してくれるようにと、私たち子孫が、報恩の供養をする時なのです。お盆の時期毎年、七月十五日を中心に、十三日を迎え盆、十六日を送り盆といい、十三日から十六日までの四日間を、お盆の期間とします。ただし、旧暦の七月十五日や、月遅れの八月十五日を中心にお盆をつとめるところもあります。本来は、仏教の行事だったお盆ですが故郷のある人は帰り、盆踊りをして楽しむなど、今では私たちの生活のなかに、しっかりと根ざしており夏の季節の節目となっています。迎え火・送り火お盆には、先祖や亡くなった人たちの精霊(しょうりょう)が灯かりを頼りに帰ってくるといわれ、十三日の夕刻に、仏壇や精霊棚(しょうりょうだな)の前に盆提灯(ぼんちょうちん)や盆灯籠(ぼんとうろう)を灯し、庭先や門口で迎え火として麻幹(おがら)をた焚きます。それが「迎え火」です。盆提灯をお墓で灯し、そこでつけた明かりを持ってしょうりょう精霊を自宅まで導くという風習もあり、これを「迎え盆」ともいいます。(麻幹=芋殻)十四日、十五日は、精霊は家にとどまり、十六日の夜、家を去り、帰ってゆきます。この時には、迎え火と同じところに、今度は送り火をたき、帰り道を照らして、霊を送り出します。これを、「送り火」といいます。 -------------------------------------------"つくも神"室町時代には、道具の妖怪たちを "つくも神" とよんでいました。道具たちは、長い年月のあいだに人間と同じようにたましいが宿ると考えられていたのです。人間でもそうですが、この世に思いを残して亡くなると幽霊となって出てくるといった話があります。その対処の一つとして「供養」という方法があります。道具もしかり。魂(たましい)が宿る道具たちが、妖怪として化けて出てこないようにするため、丁重に供養をしてたましいを抜いてやります。たとえば折れた針は、毎年2月8日に針供養といって、豆腐などにさし、神仏に供えることによって供養をします。その品物によって供養の方法はさまざまですが、地中から出土した石臼は、そこに宿っているたましいを抜くためにわざわざ割ったものだといわれています。---------------------------------------------"したり顔" (名・形動)[文]ナリうまくやったといわんばかりの得意そうな顔つき。自慢げなさま。「―に言う」「―をする」--------------------------------"うつろい"〔動詞「移ろう」の連用形から〕(1)移り変わること。「季節の―」(2)盛りのときが過ぎること。「美貌(びぼう)にも―が見える」(3)居場所を変えること。転居。「まだ対面し給はねば―もえし給はず/宇津保(国譲上)」----------------------------------------------------------------------------------------------------------"Diana" As Performed By:"Paul Anka"----------------------------I'm so young and you're so oldThis, my darling, I've been toldI don't care just what they sayCause forever I will prayYou and I will be as freeAs the birds up in the treesOh, please, stay by me, DianaThrills I get when you hold me closeOh, my darling, you're the mostI love you, but do you love meOh, Diana, can't you seeI love you with all my heartAnd I hope we will never partOh, please, stay with me, DianaOh, my darling, oh, my loverTell me that there is no otherI love you with my heartOh-oh, oh-oh, oh-ohOnly you can take my heartOnly you can tear it apartWhen you hold me in your loving armsI can feel you giving all your charmsHold me, darling, ho-ho hold me tightSqueeze me baby with-a all your mightOh, please stay with me, DianaOh, please, DianaOh, please, DianaOh, please, Diana----------------------------------------------------------------"PAUL ANKA"シリア系カナダ人。16歳で「ダイアナ」が大ヒット。---------------------------------Oh, my "darling"----- Oh, my "lover"-------"Where"are you ?????
2004年08月12日
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"戯(たわむ)れに 鬼灯(ほおずき) 二つ 頬張れり"------------------------------------------------"鬼灯/酸漿"(ほおずき ほほづき) ナス科の多年草。観賞用に植える。高さは約70センチメートル。葉は卵形で粗鋸歯がある。夏、黄白色の花が咲き、袋状の萼(がく)に包まれた球形の液果が橙赤色に熟す。液果には多数の種子があり、これを抜き去り、口に含んで鳴らして遊ぶ。根を鎮咳・利尿薬とする。ヌカズキ。[季]秋。〔「酸漿の花」は [季]夏〕--------------------------------------"滌除" (てきじょ) 抵当不動産の権利を取得した第三者が、抵当不動産に対して自らが適切と定めた評価額を抵当権者に支払いまたは供託すること。抵当権を消滅させること。抵当権者は評価額が承諾できない場合に、一ヶ月以内に増価競売の請求をすることが出来る-------------------------------------------- --------------------------------------------"eu・tha・na・sia" n. 大往生; 安楽死(術)--------------------------------"高瀬舟"(たかせぶね) by"森鴎外" -------------------------------- "高瀬舟"は京都の高瀬川を上下する小舟である。徳川時代に京都の罪人が遠島(えんとう)を申し渡されると、本人の親類が牢屋敷へ呼び出されて、そこで暇乞(いとまごい)をすることを許された。それから罪人は高瀬舟に載せられて、大阪へまわされることであった。それを護送するのは、京都町奉行の配下にいる同心で、この同心は罪人の親類の中で、主だった一人を大阪まで同船させることを許す慣例であった。これは上へ通ったことではないが、いわゆる大目に見るのであった。黙許であった。当時遠島を申し渡された罪人は、もちろん重い科を犯したものと認められた人ではあるが、決して盗みをするために、人を殺し火を放ったというような、獰悪(どうあく)な人物が多数をしめていたわけではない。高瀬舟に乗る罪人の過半は、いわゆる心得(こころえ)違いのために、おもわぬ科を犯した人であった。ありふれた例をあげてみれば、当時相対死といった情死をはかって、相手の女を殺して、自分だけ生き残った男というような類である。そういう罪人を載せて、入相の鐘の鳴るころにこぎ出された高瀬舟は、黒ずんだ京都の町の家々を両岸に見つつ、東へ走って、加茂川を横ぎって下るのであった。この舟の中で、罪人とその親類の者とは夜どおし身の上を語り合う。いつもいつも悔やんでもかえらぬ繰言(くりごと)である。護送の役をする同心は、傍でそれを聞いて、罪人を出した親戚(しんせき)眷族(けんぞく)の悲惨な境遇を細かに知ることができた。-----------------------中略-----------------------いつの頃であったか。多分江戸で白河樂翁侯が政柄(せいへい)を執っていた寛政の頃ででもあっただろう。智恩院の桜が入相の鐘に散る春の夕に、これまで類のない、珍しい罪人が高瀬舟に載せられた。それは名を"喜助"といって、三十歳ばかりになる、住所不定の男である。もとより牢屋敷に呼び出されるような親類はないので、舟にもただ一人で乗った。護送を命ぜられて、いっしょに舟に乗りこんだ同心羽田庄兵衛は、ただ"喜助"を弟殺しの罪人だということだけを聞いていた。さて牢屋敷から棧橋まで連れてくる間、この痩肉(やせじし)の、色の蒼白い喜助のようすを見るに、いかにも神妙に、いかにもおとなしく、自分をば公儀の役人として敬って、何事につけてもさからわぬようにしている。しかもそれが、罪人の間に往々見受けるような、温順をよそおって権勢に媚(こ)びる態度ではない。庄兵衛は不思議に思った。そして舟に乗ってからも、単に役目の表で見張っているばかりでなく、絶えず"喜助"の挙動に、細かい注意をしていた。その日は暮れ方から風がやんで、空一面をおおった薄い雲が、月の輪かくをかすませ、ようよう近寄ってくる夏の温さが、両岸の土からも、川床の土からも、靄(もや)になって立ち昇るかと思われる夜であった。下京の町を離れて、加茂川を横ぎった頃からは、あたりがひっそりとして、ただ舳(へさき)に割かれる水のささやきを聞くのみである。夜舟で寝ることは、罪人にも許されているのに、"喜助"は横になろうともせず、雲の濃淡にしたがって、光の増したり減じたりする月を仰いで、黙っている。その額(ひたい)は晴れやかで目にはかすかなかがやきがある。庄兵衛はまともには見ていぬが、始終"喜助"の顔から目を離さずにいる。そして不思議だ、不思議だと、心の内で繰り返している。それは"喜助"の顔が縦から見ても、横から見ても、いかにも楽しそうで、もし役人に対する気兼ねがなかったなら、口笛を吹きはじめるとか、鼻歌を歌い出すとかしそうに思われたからである。庄兵衛は心の内に思った。これまでこの高瀬舟の宰領をしたことは幾度だか知れない。しかし載せていく罪人は、いつもほとんど同じように、目もあてられぬ気の毒なようすをしていた。それにこの男はどうしたのだろう。遊山船にでも乗ったような顔をしている。罪は弟を殺したのだそうだが、よしやその弟が悪い奴で、それをどんな行きがかりになって殺したにせよ、人の情としてよい心持ちはせぬはずである。この色の蒼い痩男が、その人の情というものが全く欠けているほどの、世にもまれな悪人であろうか。どうもそうは思われない。ひょっと気でも狂っているのではあるまいか。いやいや。それにしては何一つつじつまの合わぬ言語や挙動がない。この男はどうしたのだろう。庄兵衛がためには"喜助"の態度が考えれば考えるほどわからなくなるのである。しばらくして、庄兵衛はこらえきれなくなって呼びかけた。「喜助。お前何を思っているのか」中略庄兵衛は今さらのように驚異の目をみはって"喜助"を見た。この時庄兵衛は空を仰いでいる"喜助"の頭から毫光がさすように思った。庄兵衛は"喜助"の顔をまもりつつまた、「喜助さん」と呼びかけた。今度は「さん」と言ったが、これは十分の意識をもって称呼を改めたわけではない。その声が我が口から出て我が耳に入るや否や、庄兵衛はこの称呼の不穏当なのに気がついたが、今さら既に出たことばを取り返すこともできなかった。「はい」と答えた"喜助"も、「さん」と呼ばれたのを不審に思うらしく、おそるおそる庄兵衛の気色をうかがった。庄兵衛は少し間の悪いのをこらえて言った。「色々のことを聞くようだが、お前が今度島へやられるのは、人をあやめたからだということだ。己についでにそのわけを話して聞かせてくれぬか」"喜助"はひどく恐れ入ったようすで、「かしこまりました」と言って、小声で話し出した。「どうも飛んだ心得違いで、恐ろしいことをいたしまして、なんとも申し上げようがございませぬ。あとで思ってみますと、どうしてあんなことができたかと、自分ながら不思議でなりませぬ。全く夢中でいたしましたのでございます。わたくしは小さい時に二親が時疫で亡くなりまして、弟と二人あとに残りました。初めはちょうど軒下に生れたいぬの子にふびんをかけるように町内の人達がお恵み下さいますので、近所中の走使いなどをいたして、飢え凍えもせずに、育ちました。次第に大きくなりまして職を捜しますにも、なるたけ二人が離れないようにいたして、いっしょにいて、助け合って働きました。去年の秋のことでございます。わたくしは弟といっしょに、西陣の織場にはいりまして、空引(そらびき)ということをいたすことになりました。そのうち弟が病気で働けなくなったのでございます。その頃わたくしどもは北山の堀立小屋同様のところに寝起きをいたして、紙屋川の橋を渡って織場へ通っておりましたが、わたくしが暮れてから、食物などを買って帰ると、弟は待ち受けていて、わたくしを一人で稼がせてはすまないすまないと申しておりました。ある日、いつものように何心なく帰ってみますと、弟はふとんの上に突っ伏していまして、周囲は血だらけなのでございます。わたくしはびっくりいたして、手に持っていた竹の皮包や何かを、そこへおっぽり出して、傍へ行って『どうしたどうした』と申しました。すると弟はまっさおな顔の、両方の頬からあごへかけて血に染まったのを挙げて、わたくしを見ましたが、物を言うことができませぬ。息をいたすたびに、創口でひゅうひゅうという音がいたすだけでございます。わたくしにはどうもようすがわかりませんので、『どうしたのだい、血を吐いたのかい』と言って、傍へ寄ろうといたすと、弟は右の手を床について、少し体を起こしました。左の手はしっかりあごの下のところを押えていますが、その指の間から黒血の固まりがはみ出しています。弟は目でわたくしの傍へ寄るのを留めるようにして口を利きました。ようよう物が言えるようになったのでございます。『すまない。どうぞ堪忍してくれ。どうせなおりそうにもない病気だから、早く死んで少しでも兄きに楽がさせたいと思ったのだ。笛を切ったら、すぐ死ねるだろうと思ったが息がそこから漏れるだけで死ねない。深く深くと思って、力一ぱい押しこむと、横へすべってしまった。刃はこぼれはしなかったようだ。これをうまく抜いてくれたらおれは死ねるだろうと思っている。物を言うのがせつなくつていけない。どうぞ手をかして抜いてくれ』と言うのでございます。弟が左の手をゆるめるとそこからまた息が漏ります。わたくしはなんと言おうにも、声が出ませんので、黙って弟ののどの創をのぞいてみますと、なんでも右の手に剃刀を持って、横に笛を切ったが、それでは死にきれなかったので、そのまま剃刀(かみそり)を、えぐるように深く突っこんだものと見えます。柄(え)がやっと二寸ばかり創口から出ています。わたくしはそれだけのことを見て、どうしようという思案もつかずに、弟の顔を見ました。弟はじっとわたくしを見つめています。わたくしはやっとのことで、『待っていてくれ、お医者を呼んでくるから』と申しました。弟はうらめしそうな目つきをいたしましたが、また左の手でのどをしっかり押えて、『医者がなんになる、ああ苦しい、早く抜いててくれ、頼む』と言うのでございます。中略庄兵衛はその場のようすを目のあたり見るような思いをして聞いていたが、これが果たして弟殺しというものだろうか、人殺しというものだろうかという疑いが、話を半分聞いた時から起こってきて、聞いてしまっても、その疑いを解くことができなかった。弟は剃刀を抜いてくれたら死なれるだろうから、抜いてくれと言った。それを抜いてやって死なせたのだ、殺したのだとはいわれる。しかしそのままにしておいても、どうせ死ななくてはならぬ弟であったらしい。それが早く死にたいと言ったのは、苦しさに耐えなかったからである。"喜助"はその苦を見ているに忍びなかった。苦から救ってやろうと思って命を絶った。それが罪であろうか。殺したのは罪に相違ない。しかしそれが苦から救うためであったと思うと、そこに疑いが生じて、どうしても解けぬのである。庄兵衛の心のうちには、いろいろに考えてみた末に、自分より上のものの判断に任すほかないという念、"オオトリテエ"(authority)にしたがうほかないという念が生じた。庄兵衛はお奉行様の判断を、そのまま自分の判断にしようと思ったのである。そうは思っても、庄兵衛はまだどこやらに腑に落ちぬものが残っているので、なんだかお奉行様に聞いてみたくてならなかった。次第に更けて行く朧夜に、沈黙の人二人を載せた高瀬舟は、黒い水の面をすべっていった。----------------------------------------------------------------------------------------------------"How do you think"--------------------------------
2004年08月11日
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空蝉の 笈(おい)を背負いて 啼(な)きにけり------------------------------------"空蝉"(うつせみ)とは「この世・この世の人」のことです。「現(うつ)し臣(おみ)」、つまりこの世の人ということから、「うつせみ」と変化したという説があります。万葉集では、空蝉・虚蝉・打蝉と表記されます。--------------------------------------------万葉集の歌の中では、挽歌や相聞に詠みこまれています。特に、大伴家持の歌が多いのが特徴的です。「うつそみ」という表現も見られます。「うつせみの・うつそみの」で、「人・世」などを導く枕詞としても使われます。 ------------------------------------------- -------------------------------------------"笈/負"(おい/おひ) 〔動詞「負う」の連用形「負い」の意から〕修験者(しゆげんじや)・行脚(あんぎや)僧が仏具・衣類などを入れて背に負う、脚・開き戸のついた箱。きゅう。---------------------------------------------笈の小文(貞亨4年10月25日~貞亨5年4月23日)("芭蕉"44、5歳) ---------------------------------------------『笈の小文』は、貞亨4年10月、伊賀への4度目の帰郷に際して創作された作品を集めて一巻としたものです。『奥の細道』のように"芭蕉"自身が書いた旅行記ではない。"芭蕉"自身が書いた真蹟短冊や書簡などをもとに、"芭蕉"の死後、大津の門人川井乙州によって編集されて成ったものである。-----------------------------------------笈の小文(明石)-----------------------------------------明石夜泊蛸壺やはかなき夢を夏の月(たこつぼや はかなきゆめを なつのつき)「かかる所の秋なりけり」とかや。この浦のまことは秋をむねとするなるべし。悲しさ寂しさ言はむかたなく、秋なりせば、いささか心のはしをも言ひいづべきものをと思ふぞ、わが心匠の拙きを知らぬに似たり。淡路島手に取るやうに見えて須磨・明石の海右左にわかる。呉・楚東南のながめもかかる所にや。物知れる人の見はべらば、さまざまのさかひにも思ひなぞらふるべし。また、うしろのかたに山を隔てて、田井の畑といふ所、松風・村雨の古里といへり。尾上つづき、丹波路へかよふ道あり。鉢伏のぞき・逆落しなど、恐しき名のみ残りて、鐘掛松より見おろすに、一の谷内裏屋敷、目の下に見ゆ。その代のみだれ、その時のさわぎ、さながら心に浮び、俤につどひて、二位の尼君、皇子をいだき奉り、女院の御裳裾に御足もつれ、船屋形にまろび入らせたまふ御有様、内侍・局・女嬬・曹子のたぐひ、さまざまの御調度もてあつかひ、琵琶・琴なんど、褥・蒲団にくるみて船中に投げ入れ、供御はこぼれて鱗の餌となり、櫛笥は乱れて海士の捨て草となりつつ、千歳の悲しびこの浦にとどまり、白波の音にさへ愁多くはべるぞや---------------------------------------------逢瀬(おうせ)--------------------------------------------- 源氏物語 "若紫" by紫式部與謝野晶子訳---------------------------------------------春の野のうらわか草に親しみていとおほどかに恋もなりぬる (晶子)---------------------------------------------源氏は瘧病(わらわやみ)にかかっていた。いろいろとまじないもし、僧の加持(かじ)も受けていたが効験(ききめ)がなくて、この病の特徴で発作的にたびたび起こってくるのをある人が、「北山の某(なにがし)という寺に非常に上手(じょうず)な修験僧(しゅげんそう)がおります、去年の夏この病気がはやりました時など、まじないも効果(ききめ)がなく困っていた人がずいぶん救われました。病気をこじらせますと癒(なお)りにくくなりますから、早くためしてごらんになったらいいでしょう」 こんなことを言って勧めたので、源氏はその山から修験者を自邸へ招こうとした。-----------------------(中略)-------------------------------------「あれはだれの住んでいる所なのかね」 と源氏が問うた。「これが、某僧都(そうず)がもう二年ほど引きこもっておられる坊でございます」「そうか、あのりっぱな僧都、あの人の家なんだね。あの人に知れてはきまりが悪いね、こんな体裁で来ていて」 などと、源氏は言った。美しい侍童などがたくさん庭へ出て来て仏の閼伽棚(あかだな)に水を盛ったり花を供えたりしているのもよく見えた。「あすこの家に女がおりますよ。あの僧都がよもや隠し妻を置いてはいらっしゃらないでしょうが、いったい何者でしょう」 こんなことを従者が言った。崖(がけ)を少しおりて行ってのぞく人もある。美しい女の子や若い女房やら召使の童女やらが見えると言った。---------------------------------------- 中略----------------------------------------「雀(すずめ)の子を犬君(いぬき)が逃がしてしまいましたの、伏籠(ふせご)の中に置いて逃げないようにしてあったのに」 たいへん残念そうである。そばにいた中年の女が、「またいつもの粗相(そそう)やさんがそんなことをしてお嬢様にしかられるのですね、困った人ですね。雀はどちらのほうへ参りました。だいぶ馴(な)れてきてかわゆうございましたのに、外へ出ては山の鳥に見つかってどんな目にあわされますか」と言いながら立って行った。髪のゆらゆらと動く後ろ姿も感じのよい女である。少納言(しょうなごん)の乳母(めのと)と他の人が言っているから、この美しい子供の世話役なのであろう。「あなたはまあいつまでも子供らしくて困った方ね。私の命がもう今日(きょう)明日(あす)かと思われるのに、それは何とも思わないで、雀のほうが惜しいのだね。雀を籠(かご)に入れておいたりすることは仏様のお喜びにならないことだと私はいつも言っているのに」 と尼君は言って、また、「ここへ」と言うと美しい子は下へすわった。顔つきが非常にかわいくて、眉(まゆ)のほのかに伸びたところ、子供らしく自然に髪が横撫(よこな)でになっている額にも髪の性質にも、すぐれた美がひそんでいると見えた。大人(おとな)になった時を想像してすばらしい佳人の姿も源氏の君は目に描いてみた。なぜこんなに自分の目がこの子に引き寄せられるのか、それは恋しい藤壺(ふじつぼ)の宮によく似ているからであると気がついた刹那(せつな)にも、その人への思慕の涙が熱く頬(ほお)を伝わった。--------------------------------中略--------------------------------命婦は人間がどう努力しても避けがたい宿命というものの力に驚いていたのである。宮中へは御病気やら物怪(もののけ)やらで気のつくことのおくれたように奏上したはずである。だれも皆そう思っていた。帝はいっそうの熱愛を宮へお寄せになることになって、以前よりもおつかわしになるお使いの度数の多くなったことも、宮にとっては空恐ろしくお思われになることだった。煩悶の合い間というものがなくなった源氏の中将も変わった夢を見て夢解きを呼んで合わさせてみたが、及びもない、思いもかけぬ占いをした。そして、「しかし順調にそこへお達しになろうとするのにはお慎みにならなければならぬ故障が一つございます」と言った。夢を現実にまざまざ続いたことのように言われて、源氏は恐怖を覚えた。「私の夢ではないのだ。ある人の夢を解いてもらったのだ。今の占いが真実性を帯びるまではだれにも秘密にしておけ」とその男に言ったのであるが、源氏はそれ以来、どんなことがおこってくるのかと思っていた。その後に源氏は藤壺の宮の御懐妊を聞いて、そんなことがあの占いの男に言われたことなのではないかと思うと、恋人と自分の間に子が生まれてくるということに若い源氏は昂奮(こうふん)して、以前にもまして言葉を尽くして"逢瀬"(おうせ)を望むことになったが、王命婦(おうみょうぶ)も宮の御懐妊になって以来、以前に自身が、はげしい恋に身を亡(ほろぼ)しかねない源氏に同情してとった行為が重大性を帯びていることに気がついて、策をして源氏を宮に近づけようとすることを避けたのである。源氏はたまさかに宮から一行足らずのお返事の得られたこともあるが、それも絶えてしまった。 初秋の七月になって宮は御所へおはいりになった。最愛の方が懐妊されたのであるから、帝のお志はますます藤壺の宮にそそがれるばかりであった。少しお腹(なか)がふっくりとなって悪阻(つわり)の悩みに顔の少しお痩(や)せになった宮のお美しさは、前よりも増したのではないかと見えた。以前もそうであったように帝は明け暮れ藤壺にばかり来ておいでになって、もう音楽の遊びをするのにも適した季節にもなっていたから、源氏の中将をも始終そこへお呼び出しになって、琴や笛の役をお命じになった。物思わしさを源氏は極力おさえていたが、時々には忍びがたい様子もうかがわれるのを、宮もお感じになって、さすがにその人にまつわるものの愁(うれ)わしさをお覚えになった。------------------------------------- 以下 略--------------------------------------------------------------------------*ふふ"ふうっ"--------------------------------------
2004年08月10日
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秋立ちぬ日に見初(そ)めたり---------"匂える君の 襟足(えりあし)涼し 秋立てり"------------------------------------------------------------------"長崎の鐘"サトウハチロー作詞・古関裕而作曲---------------------------------♪♪---♪♪こよなく晴れた 青空を悲しと思う せつなさようねりの波の 人の世にはかなく生きる 野の花よなぐさめ はげまし 長崎のああ "長崎の鐘"が鳴る召されて妻は 天国へ別れてひとり 旅立ちぬかたみに残る ロザリオの鎖に白き わが涙なぐさめ はげまし 長崎のああ "長崎の鐘"が鳴るこころの罪を うちあけて更け行く夜の 月すみぬ貧しき家の 柱にも気高く白き マリア様なぐさめ はげまし 長崎のああ "長崎の鐘"が鳴る------------------------------------------------------------------"地球ガ裸ニナッタ"市民ハ先ズ異様ナ爆音ヲ聞キ、スグツイデ非常ニ明ルイ白色ノ閃光ヲ見タ。地表ハ美シク紅色ニ光ッタト云フ人モアル。之ヲ市民ハ『ピカリ』ト名付ケタガ、全ク晴天ノ霹靂ノ如クピカリト眼ヲ射タ。‥‥‥爆心近クノモノハ同時二熱ヲ皮膚ニ感ジタ。次デ爆風ノ如キ爆圧ガ襲来シタ。地上一切ノモノハ瞬時ニ粉砕セラレ、"地球ガ裸ニナッタ"‥‥‥タダ『アッ』ト叫ンダ間ニ浦上一帯ハカク変相シテイタノデアル。唯一瞬間ニ。‥‥‥(永井 隆『原子爆弾救護報告』より抜粋)-----------------------------------------"永井"博士は、放射線医学の研究と治療に従事するなかで、慢性骨髄性白血病にかかり、余命3年と診断されます。1945年8月9日、"永井"緑夫人は現在の「如己堂」のある上野町の自宅にて爆死し、"永井"博士は 長崎医科大学で被爆、重傷を負いました。"永井"博士は、当時長崎医科大学物理的療法(レントゲン)科主任の助教授で、被爆直後から第十一医療隊三山救護班の隊長として被災者の献身的な救援に奔走し、8月から10月までの2ヶ月間にわたる救護活動を『原子爆弾救護報告』にまとめています。この生々しい記録は、あとで世に出た『長崎の鐘』その他の作品集の原点となっています。博士は翌年、白血病で倒れますが、病床から『ロザリオの鎖』『生命の河』『長崎の鐘』『この子を残して』『花咲く丘』『いとし子よ』『亡びぬものを』『乙女峠』等々、数多くの著作を発表し、1951年5月1日、43歳で亡くなりました。------------------------------------------------------------------"誰がために鐘はなる" ---------------------------------「瞑想」:ジョン・ダン-----------------------------なんぴとも一島嶼(たうしょ)にてはあらず なんぴとも自からにして全きはなし 人はみな大陸(くが)のひとくれ そのひとひら そのひとひらの土塊(つちくれ)を 波の来たりて洗いゆけば 洗われしだけ欧州の土の失せるは さながらに岬の失せるなり 汝(な)が友どちや汝(なれ)みずからの荘園(その)の失せるなり なんぴとの、みまかりゆくもこれに似て 自からを殺(そ)ぐにひとし そは我もまた人類の一部なれば 故(ゆえ)に問うなかれ "誰がために鐘は鳴る"やと そは汝(な)がために鳴るなればなり ----------------------------------------ジョン・ダン彼が生まれたのは1572年。----------------------------------------------春のような美人も、夏のような美人も、共に及ばない、一つの秋のような顔の中に私が見た、あの美しさには---------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------ある朝、グレゴール・ザムザがなにか気がかりな夢から目を覚ますと、自分が寝床の中で"一匹の巨大な虫"に変わっているのを発見した。(by フランツ・カフカ"変身")----------------------------------------------"Franz Kafka" (1883-1924)オーストリア=ハンガリー帝国当時のプラハ生まれ。父親の希望でドイツ語の教育を受ける。プラハ大学で法律を学んだ後、41歳の若さでなくなるまで労働災害保険協会に勤める。生前、出版された作品は「変身」をはじめ僅かでありその作品の多くが世に出たのは彼の死後である。"2004年"は没後80周年にあたります。----------------------------------"カフカ"とはチェコ語で「カラス」の意。生涯を一役人として暮らしたこの非凡な作家は、一部発表された短編を除き、すべての作品を未発表のまま捨て去るようにと友人に言い残しました。"1924年" 名声というものには全く縁のないまま死亡。その迷宮的作品世界は今なお謎を投げかけています。---------------------------------------------------あの遠い夏の日------------------------------------------------------------"知覧"(ちらん)の特攻隊員を描いた日本の映画「月光の夏」はベートーヴェンのピアノ・ソナタ第14番op.27-2です。「月光の曲」というのはレルシュタープが特に第1楽章を指して名付けたと言われています。ベートーヴェンは、「幻想曲風なソナタ」と命名していたと言われています。特攻隊員として出撃する前に、どうしても「月光の曲」を弾いてみたいと小学校を訪れ学校の職員さん達の厚意で思いっきり心置きなく弾いた「月光の曲」は胸を打ちます。------------------------------------------------------------------------------------------------"月光菩薩"(げっこうぼさつ) -----------------------------ご真言 おん せんだら はらばや そわか-----------------------------------30日仏の20日仏。単独で祀られることはなく、薬師如来の右脇仕として祀られます。月の光のような、やさしい慈しみの心を授けます---------------------------------------------"moonlight"----------------------------------
2004年08月09日
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秋立つ日によめる by "藤原敏行"秋来ぬと 目にはさやかに見えねども風の音にぞ 驚かれぬる (古今集・巻四、秋上、一六九)---------------------------------------------------秋が来たと目にははっきりみえないけれど、吹いてくる風の音で、もう秋が来たとおどろかれることよ---------------------------------------------------"藤原敏行"(ふじわらのとしゆき)生年未詳~延喜元(?-901)--------------------------------陸奥出羽按察使であった南家富士麿の長男。母は紀名虎の娘。紀有常の娘(在原業平室の姉妹)を妻とする。子には歌人で参議に到った伊衡などがいる。三十六歌仙の一人。古今集に19首、後撰集に4首採られ、勅撰集入集は計29首。三十六人集の一巻として家集『敏行集』が伝存する。一世代前の六歌仙歌人たちにくらべ、技巧性を増しながら繊細流麗、かつ清新な感覚がある。----------------------------------------------"三十六"歌仙 柿本人麿 紀貫之 凡河内躬恒 伊勢 大伴家持 山辺赤人 在原業平 僧正遍昭 素性法師 紀友則 猿丸大夫 小野小町 藤原兼輔 藤原朝忠 藤原敦忠 藤原高光 源公忠 壬生忠岑 斎宮女御 大中臣頼基 藤原敏行 源重之 源宗于 源信明 藤原清正 源順 藤原興風 清原元輔 坂上是則 藤原元真 小大君 藤原仲文 大中臣能宣 壬生忠見 平兼盛 中務 ------------------------------------------------「三十六人撰」は、柿本人麿から中務まで、三十六人の歌仙の歌百五十首を撰出して結番した、歌合形式の秀歌撰。藤原公任(966-1041)撰。「三十六人歌合」とも。人麿・貫之・躬恒・伊勢の巻頭四人、および平兼盛・中務の巻末二人は各十首、その他三十人は各三首を選抜している。---------------------------------------------------"小さい秋見つけた"作詞者 サトウハチロー 作曲者 中田 喜直 -------------------------------------------♪~♪1 誰(だれ)かさんが 誰かさんが 誰かさんが 見つけた小さい秋 小さい秋 小さい秋 見つけた目(め)かくし鬼さん 手のなる方へすました お耳に かすかにしみた呼んでる 口笛(くちぶえ) もずの声小さい秋 小さい秋 小さい秋 見つけた 2 誰かさんが 誰かさんが 誰かさんが 見つけた小さい秋 小さい秋 小さい秋 見つけたお部屋(へや)は 北向き くもりのガラスうつろな 目の色 とかしたミルクわずかな すきから 秋の風(かぜ)小さい秋 小さい秋 小さい秋 見つけた 3 誰かさんが 誰かさんが 誰かさんが 見つけた小さい秋 小さい秋 小さい秋 見つけたむかしの むかしの 風見(かざみ)の 鳥のぼやけた とさかに はぜの葉(は)ひとつはぜの葉 あかくて 入日色(いりひいろ)小さい秋 小さい秋 小さい秋 見つけた--------------------------------------------------------------------------------------"父と暮せば"(The Face of Jizo) -------------------------------------------Director: Kazuo KurokiRunning time: 99 minutes-------------------------------------------The atomic bombings of Hiroshima and Nagasaki in August 1945 were Japan's single greatest catastrophe of World War II. They loom so large in the popular imagination that the events of the previous decade and a half have paled -- or faded from view altogether. Yoshio Harada and Rie Miyazawa in "The Face of Jizo" In millions of words and images, eulogizing and otherwise, the bombings have been ritualized and abstracted in that same imagination, their horror endlessly referred to,but less and less clearly felt. Meanwhile, the victims have come to be seen more as park statuary, less as flawed human beings.Filmmakers of the war generation have tried, in recent years, to reclaim that humanity, including Akira Kurosawa with "Rhapsody in August (Hachigatsu no Rhapsody)" (1993) and Shohei Imamura with "Dr. Akagi (Kanzo Sensei)" (1998), but they have also found the memorializing urge hard to resist. Though recognizably -- even eccentrically -- human, their heroes glow with the nobility of wronged innocents.Born in 1930, Kazuo Kuroki is also of the war generation, but his trilogy of war films -- "Tomorrow" (1988), "Kirishima 1945 (Utsukushii Natsu Kirishima)" (2002) and now "The Face of Jizo (Chichi to Kuraseba)" (2004) -- come from a different, darker place than those of many of his contemporaries. As a 15-year-old war plant worker, Kuroki saw his friends and colleagues blown to pieces in an air raid. Instead of staying to help the wounded, he ran to save his own skin -- and carried a burden of guilt forever after. His war films, he has said, are an act of penance. Miyazawa and Tadanobu Asano in "The Face of Jizo" The filmed version of a play by Hisashi Inoue, "The Face of Jizo" is not as personal a film as "Kirishima 1945," which was not only about Kuroki's wartime boyhood, but also filmed in the same house and fields where it unfolded. (an omission)Set in Hiroshima in 1948, "The Face of Jizo" reflects the poverty, exhaustion and traumas of the time, placed in the context of a close and textured father-daughter relationship. The verbal thrust and parry between the two, played by a graying but still sprightly Yoshio Harada and a stressed but still lovely looking Rie Miyazawa, at times verges on the sitcomish -- and had the Iwanami Hall audience laughing out loud. "The Face of Jizo" has its stagey, lugubrious and overly determined side, but the warmth and passion generated by its two leads mostly carry it through -- and gives the ending the right mix of poignancy and chill.A well-made "play" indeed.It begins with Mitsue (Miyazawa), a young librarian, rushing home in a thunderstorm, frightened out of her wits. Her terror, we soon see, is a product of the war, particularly the atomic bombing of Hiroshima, which she barely survived.She lives with her father, Takezo (Harada), in their bombed-out house, now partly repaired. Dad is her confessor, adviser and friend, the only one she can tell about her fears, dreams and past. Most of her friends and family died in the bombing -- including Dad.That Dad is with her only in spirit doesn't faze her -- or him, for that matter. He looks, acts and talks like one of the living (one of the more robust and vital living in fact). But, as befits a ghost no longer bound by selfish earthly concerns, he is interested only in her problems, particularly her budding relationship with the shy, bespectacled Kinoshita (Tadanobu Asano), who is researching the bombing and wants Mitsue's help -- and possibly slightly more than that.Mitsue resists Takezo's efforts to play matchmaker -- and not just of out maidenly reserve. She feels she has no right to be happy. How can she marry, have a family and all the rest, when so many of her friends have been reduced to ashes? There is also another reason for her guilt, which she can only reveal under duress and never rationalize away.Nearly all the action takes place in Mitsue and Takezo's house and garden, with only occasional glimpses at Mitsue's past as well as her present-day encounters with Kinoshita. Miyazawa and Harada thus have to carry the film almost entirely on their own -- and carry it they do. A larger-than-life type known for his excesses on and off the screen, Harada channels his formidable energies effectively, while riding the fine line between fatherly joshing and bullying. Miyazawa, who starts by playing 23-going-on-13, proves to be an adequate foil for Harada, while expertly revealing Mitsue's dark side.Miyazawa's performance also draws strength from her of-the-period attitude and appearance. Most young actresses would have looked too buff and radiant for the role; Miyazawa, who has successfully battled the anorexia that nearly ended her career, flawlessly impersonates a woman who has suffered through postwar food shortages and health crises. I only hope she doesn't look as wispy off camera as she does on.There will be more films about Hiroshima, just as there will be more about the Holocaust. But "The Face of Jizo" may be among the last by a director with a living memory of the bombing, now nearly six decades past. (an omission)--------------------------------------------------- from "The Japan Times"(Aug. 4, 2004)------------------------------------------------------------------------------Now,on showing----------------------------------------今年、一番のお勧めの邦画です!!!!!!
2004年08月08日
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We have to remember "HIROSHIMA! & "NAGASAKI", at "59" years ago,-----------------------------------------------------木(こ)洩れ陽に 手を合わせおり 石仏(いしほとけ)--------------------------------------------------------------------------------------------Shall We Danceby "The King and I"-------------------------"Shall We Dance"? lyric ------------------------------------------ Send "this lyric" to "my own" friend.!!!! ------------------------------------------ [ANNA]We've just been introduced, I do not know you well, But when the music started Something drew me to your side. So many men and girls, Are in each others arms.It made me think we might be Similarly occupied. Shall we dance? On a bright cloud of music shall we fly? Shall we dance? Shall we then say 'Goodnight and mean 'Goodbye'? Or perchance, When the last little star has left the sky, Shall we still be together With are arms around each other And shall you be my new romance? On the clear understanding That this kind of thing can happen, Shall we dance? Shall we dance? Shall we Dance? [Dialogue] "Shall we dance"?[KING](Un,duex,trois)One, two, three, and? [ANNA]On a bright cloud of music shall we fly? [KING](Un,duex,trois) and? [ANNA]"Shall we dance"?[KING](Un,duex,trois) and? [ANNA]Shall we then say 'Goodnight and mean 'Goodbye'? [KING](Un,duex,trois) and? [ANNA]Or perchance, When the last little star has left the sky, Shall we still be together With are arms around each other And shall you be my new romance? On the clear understanding That this kind of thing can happen, [BOTH]"Shall we dance"? "Shall we dance"? "Shall we Dance"? -----------------------------Dance with me????----------------------------------------"空海"(くうかい) 弘法大師--------------------------774(宝亀5)~835(承和2)--------------------------佐伯直田公の子。母は阿刀氏。幼名は真魚。系図纂要は大伴連談の子歌の9代孫として空海を挙げている。但し讃岐国造となったのは談の兄弟と伝える御物の子倭胡であるとの伝もある。------------------------------------------------------774(宝亀5)年、讃岐国多度郡に生れる。15歳で上京し、18歳で大学に入学。のち大学を辞して山岳修行に入り、797(延暦16)年、『三教指帰』を著す。804(延暦23)年、留学僧として入唐。"恵果"の教えを受け、真言の秘義を会得する。806(大同1)年帰国して密教を伝え、朝廷の信奉を得る。812(弘仁3)年から814(弘仁5)年にかけ、最澄とも交流。815(弘仁6)年頃から本格的な密教の布教活動を行い、翌年、道場建立のため高野山の下賜を請うて勅許され、同地に金剛峯寺を建立。822(弘仁13)年、東大寺に灌頂道場(真言院)を建立。823(弘仁14)年、嵯峨天皇より東寺を給預され、ここを密教の根本道場とする。824(天長1)年、少僧都。この頃から伴国道との交友が始まる。828(天長5)年、大僧都。同年平安左京に綜芸種智院を開設し、広く門戸を解放して内典・外典を教授した。やがて病を得て高野山に隠棲し、835(承和2)年3月、同地にて入定。921(延喜21)年、醍醐天皇より"弘法大師"の諡号を賜わった。-----------------------------------------------------広く、いまでも、"お大師さま"の名で慕われています-----------------------------------------------------"葷酒(くんしゅ)山門に入るを許さず"禅寺の門の脇の"戒壇石"(かいだんせき)に刻まれる句です。「不許葷酒入山門」とあり、臭いが強い野菜(葱(ねぎ)、韮(にら)、大蒜(にんにく)など)は他人を苦しめると共に自分の修行を妨げ、酒は心を乱すので、これらを口にした者は清浄な寺内に立ち入ることを許さないということです。------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------"良賈"(りょうこ)は深く蔵して虚しきが若し by「史記」 ----------------------------------------------------本当に賢い商人は,良い商品を持っていても,店頭に並べるようなことはせず,店の奥深くにし待っておくのだ---------------------------------------------------- "孔子"が若い時,"老子"のもとを尋ねて教えを請います。"老子",曰く----------------"良賈は深く蔵して虚しきが若く,君子は盛徳ありて容貌虞なるが若し"------------------------------------- そなたは自分の能力をひけらかし,欲望ややる気を表に出しすぎる.そんなことは無益のことじゃ.やめなさるがよい--------------------------------- --------------------------------------------------------------------------------------------------おっとっと"藪蛇"でした ----------~や~-----------
2004年08月07日
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打ち水す 頬白き鳥 梁に居て----------------------------"死んだ女の子"作詞 ナジム・ヒクメット 作曲 木下 航二---------------------------------------1 とびらを叩くのはあたし あなたの胸に響くでしょう小さな声が聞こえるでしょう あたしの姿は見えないの 2 十年前の夏の朝 あたしはヒロシマで死んだそのまま六つの女の子 いつまでたっても六つなの 3 あたしの髪に火がついて 目と手が焼けてしまったのあたしは冷たい灰になり 風で遠くへ飛び散った 4 あたしは何にもいらないの 誰にも抱いてもらえないの紙切れのように燃えた子は 美味しいお菓子も食べられない5扉をたたくのはあたし みんなが笑って暮らせるようおいしいお菓子を食べられるよう署名をどうぞして下さい--------------------------------------------作詞者は世界的に有名なトルコの詩人。1951年度国際平和文化賞を受賞。その詩集「牢獄のラッパ手」は日本でも翻訳され出版されました。--------------------------------------------*--------------------------------------------看護婦白衣は時代の流れや医学的側面から数々の変遷を経て現在のような機能的デザインに発展してきました。お世辞にも機能的とは言い難い明治時代の制服は、やがて清潔を重視するものに変わりました。さらに欧米的な合理性を取り入れた昭和初期には現在の白衣にかなり近いものが登場します。"nurse-cap"(ナース・キャップ)もコックさん型のものからベレー帽型へ、さらに現在よく目にするような髪留め式のものへと変遷して行きます。---------------------------------------------"Astroboy"(鉄腕アトム)21世紀の未来を舞台に、10万馬力のロボット少年・アトムが活躍するSFヒーローマンガです。 2003年4月7日、科学省長官・天馬博士は、交通事故で死んだひとり息子・飛雄(とびお)にそっくりのロボットを、科学省の総力を結集して作りあげました。 天馬博士はそのロボットを息子のように愛しました。やがて成長しないことに腹を立て、そのロボットをロボットサーカスに売り飛ばしてしまいます。サーカスで"アトム"と名づけられたロボットは、そこで働かされていましたが、新しく科学省長官になったお茶の水博士の努力で、ロボットにも人権が認められるようになり、アトムはようやく自由の身となります。****************************"アトム"は天才科学者天馬が作った、人間の記憶を持つロボット"アトラス"との戦いの最中、自分の出生の秘密を知ることになる。よみがえる記憶の中で、自分が父親と言うべき天馬博士に捨てられたことを知る。その事実は、アトムの心に深い悲しみをもたらす。天馬博士は、一度は捨てたアトムに歪んだ愛情を注ぎ、アトムの能力を引き出すことを目的に、次々と強力なロボットを送りだし、対決させるのだった。人間とロボットの対立・・・。さまざまな思惑の渦巻く中で、アトムの望みはただ一つ、ロボットと人間が友達でいられる世界を創ることだった。----------------------------------------"Astroboy" was called "Tetsuwan Atom" in Japan. The black and white series was created, animated and produced by Osamu Tezuka (1928-1989) through his own company named Mushi Productions. Tezuka, like his father, was a qualified doctor of medicine but was more interested in drawing. "Astroboy" was a successful comic strip in Japan in the 50’s. It was released in Japan between 1963 - 1966 and was shown on Melbourne TV in April 1966 at 5.30pm Sunday's on channel 0.The tv week described it as "Cartoon adventure series about a youngster in the 21st century." It was the first animated TV series to be produced in Japan and after becoming a worldwide hit, Japanese cartoons began to flood the market with the release of other successful series' such as Gigantor, 8th man and Prince Planet. The large oval eyes became the standard for most other Japanese cartoons. 193 episodes were produced, but only 104 of them were redubbed and shown on TV outside Japan. --------------------------------------------------------------------------------------Today is 59th "HIROSHIMA"---------------------------------------------------------------"鎮魂"----------------------------"requiem"
2004年08月06日
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"蛍飛んで 闇夜まさぐる 女郎花(おみなえし)"-----------------------------------"ヒーロー"(Holding out for a "hero")歌・麻倉未稀------------------------♪~♪愛は奇跡を信じる力よ 孤独が心閉じ込めてもひとりきりじゃないよとあなた 愛を口移しに教えてあげたいYou need a "hero" 胸に眠るヒ-ロー振り起こせ 生命(いのち)より重い夢を 抱きしめて走れよYou need a "hero" 夢をもし諦めたら ただの残骸(ぬけがら)だよ♪~♪誰がやるというのあなたの他に震える肩に囁(ささや)いたわ 寂しいのはあなただけじゃない 心の傷口にナイフ立ててYou need a "hero" 傷だらけのヒーロー 誰でも 悲しみに振り向いたら 明日が見えないよI'm holding out for a "hero" till the morning light. He's gotta be sure,And it's gotta be soon. And he's gotta be larger than life.You need a "hero" 胸に眠るヒーロー振り起こせUp where the mountains meet the heavens above.Out where the lighting splits the sea.I would swear thast there's someone somewhere Watching me. Through the wind and the chill and the rain.And the storm and the flood. I can feel his approach. Like a fire in my blood.You need a "hero" 胸に眠るヒーロー 揺り起こせ生命より重い夢を 抱きしめて走れよYou need a "hero" I'm holding out for a "hero" till the morning light. He's gotta be sure,And it's gotta be soon. And he's gotta be larger than life.You need a "hero" 傷だらけのヒーロー 誰でも 悲しみに 振り向いたら 明日が見えないよYou need a "hero" I'm holding out for a "hero" till the morning light.He's gotta be sure,And it's gotta be soon.And he's gotta be larger than life.----------------------------------------再び、"come-back"----------"Spider-Man 2"----------------------------------------気弱な学生だったピーター・パーカー(トビー・マグワイア)は、ある日遺伝子操作された蜘蛛に噛まれたことから特殊能力を身につける。やがてその力を活かして密かに正義のため尽くそうとする。そんな折り、彼の友人ハリーの父ノーマン(ウィレム・デフォー)が化学実験の副作用で二重人格となり、邪悪な「グリーン・ゴブリン」と化してしまう…。---------------------------------------- スーパーマン、バットマンと並ぶアメコミ・"ヒーロー"を『死霊のはらわた』などで知られるサム・ライミ監督が完全映画化しました。幼なじみのヒロイン"MJ"(キルスティン・ダンスト)を思う主人公の青春映画、わざわざスパイダーマンの衣装を自分で縫い、それに着替えて悪と戦うヒーローのコミカルな味わいが魅力です。蜘蛛の糸を使ってワイルドに摩天楼を飛び交う、スパイダーマンの美しさを堪能して下さい!------------------------------------------That's the Best film of this year!!!------------------------------------------------------------------------------------"noc・turne" 【楽】夜想曲; 【美】夜景画.------------------------------------------"Franciszek Chopin"(フレデリック・ショパン)1810年-1849年-------------------------------------------ポーランドの音楽家。ポーランドで最も優れた作曲家として、また、すばらしいピアニストとして有名です。数多くのピアノ曲を残し、ピアノの詩人とも呼ばれ、ロマン派音楽を代表する作曲家でもあります。男装の女流文学家ジョルジュ・サンドとの9年におよぶ交際、破局の間に「前奏曲集」、「練習曲集」、「英雄のポロネーズ」等数多くの名曲を作曲しました。ポーランドから演奏旅行に出た際に革命が起こり、ポーランドへ帰ることができず、ウィーン、パリ、ドレスデンと転々。ポロネーズやマズルカなどポーランドの伝統的なリズムを好んで用い、"ノクターン"やワルツなど、今日でも彼の作曲したピアノ曲はよく知られています。--------------------------------------------------------------------"Let's try"!!!!!
2004年08月05日
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---"微風止み オロオロあゆむ 夾竹桃"----------------------------------------キョウチクトウ(夾竹桃)-------------------------------------学名"Nerium indicum"花期:夏青空に桃色の花が映えます。---------------------------キョウチクトウは中国原産の常緑低木であり、中国名の夾竹桃を音読みにしたものが和名となっています。竹の字が入っていますが、葉は厚ぼったいものの、ササの葉のイメージでしょうか。幹がほとんど枝分かれせず、根元から株立ちして立ち上がる姿を竹に例えたのかも。 花は6月から残暑の頃まで長い期間咲き続けます。性質は強健であり、乾燥にもよく耐えるので、街路の路側帯や公園木などに植栽されています。キョウチクトウは利尿作用がある成分と強心作用を含む物質を含んでおり、民間薬としても使われています。強心成分を含みます。これを含む植物として以下のものがあります。スズラン(鈴蘭)オモト(万年青)フクジュソウ(福寿草)----------------------------------------------「さあ太陽を呼んでこい」石原慎太郎作詞・山本直純作曲----------------------------♪~♪夜明けだ 夜が明けてゆく どこかでだれか 口笛をきもちよさそうに ふいている 最後の星が流れてる あかつきの空 明けの空もうじき 若い日がのぼる------------------------------------------------------"イカロス"神話***************************優秀な大工ダイダロスとその息子"イカロス"は、国王ミノスの怒りに触れ、クレタ島の迷宮ラビリンスに閉じ込められました。 そこで、ダイダロスは鳥の羽根をロウソクで固め、翼を肩につけました。そして、2人はまるで鳥のように、空に向かって飛び立ち、迷宮を脱出することに成功しました。 この時、ダイダロスは"イカロス"に、低く飛べば波しぶきで濡れ重くなり、高く飛べば太陽の熱で翼の蝋が溶けるので、自分の後に続いて飛べと忠告しました。しかし、飛ぶという自由を手に入れた"イカロス"は、空を飛ぶ面白さに夢中になり、太陽を目指し、どんどん近づいていきます。 太陽の神ヘリオスは、神聖なる神の場所へ近寄ろうとする"イカロス"に腹を立て、太陽の熱を強めました。やがて"イカロス"の翼は蝋が溶け、ばらばらになって墜落し、深い海へと沈んでしまったのです。後に、"イカロス"が沈んだ海は、イーカリア海と名付けられました。 ----------------------------------------------蝋は溶け、糸は緩み、不実な翼に乗った"イカロス"は、手足を曲げ、髪を振り乱しながら大空の中をまっさかさまに落ちていった。四散した羽は波間を漂い、嘆き悲しむネレイス達は海の墓を飾り、青白い"イカロス"に真珠のような海の花を振りそそぎ、大理石の死床には真紅の海藻をまきちらし、珊瑚の塔に弔いの鐘を打ち鳴らして、悲しみの音を海原遠く伝えた。 ------------------------------------------とさ-------------------------------------- ------------------------------------------"Could you----???"
2004年08月04日
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-----------------------------何処にか 流れいず蝉 雲居立つ-----------------------------【雲居/雲井】(くもい―ゐ)-----------------------------(1)雲のある所。大空。(2)雲。"愛(は)しけやし 吾家(わぎえ)の方よ―起ち来も"(古事記(中))(3)雲のかかっているはるかかなた。高くまたは遠く隔たっている所。"遠くありて―に見ゆる妹が家に"(万葉 1271)(4)禁中。宮中。雲のうえ。--------------------------------------------------------------------------------"雲を詠める"-----------------1087 穴師川(あなしかは)川波立ちぬ巻向(まきむく)の弓月が岳に雲居立つらし1088 あしひきの山河(やまがは)の瀬の鳴るなべに弓月が岳に雲立ち渡る"右ノ二首ハ、柿本朝臣人麿ノ歌集ニ出ヅ"----------------------------------------------"柿本朝臣人麻呂"(かきのもとのあそみひとまろ)----------------------------------------------父母等は未詳。柿本朝臣は、孝昭天皇の皇子天足彦国押人命を祖とする和邇(わに)氏の一族で、春日氏・粟田氏などと同族。大和国添上郡柿本寺(奈良県天理市櫟木町)付近の地名をウヂ名としたかという。姓ははじめ臣、天武十三年、八色の姓制定に際し朝臣を賜る(略伝) 生年は不詳であるが、大化元年(645)前後と見る説が多い。人麻呂が宮廷歌人として万葉集に登場するのは持統天皇代からで、制作年の明かな最初の歌は持統三年(689)の草壁皇子挽歌である。持統四年(690)二月の吉野行幸に従駕し、歌をよむ(1/36-39)翌持統五年九月、川島皇子が薨じ、殯宮のとき泊瀬部皇女に献る歌(2/194-195)がある。 持統六年三月の伊勢行幸に際しては京に留まり、行幸に従駕した「妹(いも)」を恋慕する歌を詠んでいる万葉集の歌を見る限り、宮廷を離れた人麻呂は、和銅元年以降、筑紫に下ったり、讃岐国に下ったりした後、石見国で妻に見取られることなく死んでいる。柿本朝臣人麻呂、在石見国臨死時、自傷作歌一首鴨山の磐根し枕(ま)ける吾をかも知らにと妹が待ちつつあらむ(02/0223)万葉集には少なくとも八十首以上の歌を残している。また万葉集中に典拠として引かれている「人麻呂歌集」は後世の編纂と思われるが、そのうち少なからぬ歌は人麻呂自身の作と推測されている。 没後人麻呂は歌聖として仰がれ、また神として祀られた。石見国高津の人麻呂神社創建は神亀元年(724)と伝えられている。----------------------------------------くも"蜘蛛"-------------a spider.~の糸 a spider's thread.~の巣 a cobweb; a spider web.~の子を散らすように disperse in all directions.~の巣だらけの cobwebby.蜘蛛膜 an arachnoid. 蜘蛛膜下出血 subarachnoid hemorrhage-----------------------------"くも"の語源は"こもる"からきたといわれています。常に身を潜め-----------------時に現れて虫などを捕らえる習性に拠ったものでしょう。-----------------------------スパイダーマン------------------池上遼一・作画(途中からストーリー・平井和正)------------------------------------------------------昭和45年2月号の『月刊少年マガジン』から連載されたもので、スパイダーマンの国内漫画化の第一号。"国内"漫画化とわざわざ断っているのは、これらが本国(アメリカ)版のキャラクターを使用しているものの、中身のストーリーがオリジナルだからです。第一号というからには二号があるのですが、これは東映でテレビドラマ化された特撮番組のタイアップ企画で『冒険王』(秋田書店)に連載されています。高校で放射能実験をしていた高校生・ピーター=パーカーが放射能を浴びたクモにかまれ、クモの超能力を手に入れる。さらに自分の化学知識を生かしてクモの糸と同じ性質の液体(スパイダー液)を発明、自分でコスチュームを作ってスパイダーマンとなる。しかし、すばらしい能力を手に入れたものの、どう使っていいかわからないピーター。ある日、世話になっている叔父の家に悪人が押し込んで叔父を殺してしまう。自分の超能力を使っていれば叔父を助けられたのに、と悔やんだピーターは、自分の力を正義のために役立てようと決心する。スーパーヒーロー・スパイダーマンの誕生です。これにピーターがアルバイトしている新聞社の社長・JJJがスパイダーマンを目の敵にすることなどが絡みます。さらに当時ベトナム戦争で疲弊したアメリカを反映して、スパイダーマンは悩めるヒーローとして若者たちの支持を受ける。しかし、日本とアメリカのお国柄の違いで、悩みまくったスパイダーマンが訪れるのが精神分析医。しかもスパイダーマンの赤と青のコスチュームのまま精神分析医の長椅子に横たわって医師に悩みを打ち明ける。日本でスパイダーマンの連載を始めるに当たり、仕掛人の小野耕世はキャラクターと誕生のいきさつだけをいただき、後は部分的になぞっています。エレクトロ・トカゲ男・ミステリオなど、本国版の敵役も登場しますが、彼らが登場する背景や彼らから派生する物語は、すべて日本の社会背景に絡んだものに改められている。ただ悪い奴らがでてくるというだけではなく、なぜそうなったか、そうせざるを得なかったかがきっちりと描かれていくのである。たとえば第一話に登場する電気人間エレクトロは、たった一度起こした交通事故のために人生を狂わされた哀れな青年の話。しかもこの話の結末はスパイダーマンに恢復不能のトラウマを与え、その後の物語に大きな影を落とすことになる。それでもなおスパイダーマンは世のため人のために働こうとするが、世間はそれを偽善・売名と呼んだ。さらに自分の不注意から危険人物を逃がして人々から非難を受けたスパイダーマンは、東京が実験用バクテリアの危険にさらされるに及ぶ。そして自分を攻撃した人々がバクテリアの蔓延で苦しみにのたうって死んでしまうことを望みさえするようになる(第三話「強すぎた英雄」)自分を認めない世間を呪う正義の味方には、すでに存在意義はない。彼はスパイダーマンをやめる決意をする。しかし、あろうことか彼が捨てたスパイダーマンのコスチュームとスパイダー液を悪用するものが現れた。にせスパイダーマンは幸せに酔う人々をいたぶるように悪事を重ねる。たまりかねた主人公は再びスパイダーマンに戻るが、もはや素直に世の中のために働く気はなかった(第四話「にせスパイダーマン」)そして、とうとう主人公が一度もスパイダーマンに変身しないエピソードが登場する(第五話「疑惑の中のユウ」)本国版の原作者・スタン=リーをして「これは私たちのスパイダーマンとは違うように感じる」と言わしめたエピソードです。第一巻と第二巻では以上のような話が若き日の池上遼一の感性と詩情豊かな絵でつづられている。主人公の高校生・小森ユウの傷つきやすい心と揺れ動く青春を、突然手に入れた驚異の超能力を通じて描く異色ヒーローストーリー。第三巻以降では、ストーリーに「あの」平井和正を迎え、さらなるスパイダーマンいじめが続く。のっけからユウの背徳的行為、畳みかけるように東京タワーのてっぺんからのスパイダーマンの暴言。もはやアメリカン=ヒーロー=コミックに戻る道はない。------------------------------------"Where are you going"??? ------------------------------------第五巻では、アダルトウルフガイの下敷きにしたエピソードも登場するよ。--------------------------------------------------------------------------------------------------Read it,please!!!!
2004年08月03日
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----------------------------------"蝉(せみ)時雨 儚き夢を 遠花火"----------------------------------- ------------------------------------"花火" 下総 皖一(作曲) 井上 赳(作詞)------------------------------------♪~♪ドンとなった 花火だきれいだな空いっぱいに ひろがったしだれやなぎが ひろがった ♪~♪ドンとなった 何百赤い星一どにかわって 青い星も一ど かわって 金の星------------------------------------------------------------------ 1941(S.16)年に、掲載された文部省唱歌です------------------------------------------"もの焚いて 花火に遠き かかり船" (蕪村)"温泉(ゆ)の村に 弘法様の 花火かな"(夏目漱石)------------------------------------------はなび"花火" ------------------------------------------"fireworks"------------------------------------------~をあげる display [set off] fireworks.花火大会 fireworks; (a) firework(s) display. 打ち上げ花火 a rocket. 回転花火 a Catharine wheel. 仕掛花火 a set piece (of fireworks); set fireworks. -----------------------------------------------茄子(なすび)-------------------------------------なす 茄子 〔米〕an eggplant; 〔英〕an aubergine-----------------------------------------------"静かなドン"☆☆☆ by ショーロホフ------------------------------------------第一次世界大戦前のロシアで、ドン地方の中農メレホフ家の次男グレゴーリーは、隣家の妻で夫に虐待されているアクシーニアと恋仲になるが、親に勧められた従順なナタ-リアと結婚する。その後革命が起こり、のちのソビエト連邦を樹立する赤軍と皇帝を支持する白軍との間で内乱が起こる。グレゴーリーは当初赤軍に、のちに白軍に身を投じる中で、メレホフ家が次第に崩壊し、村も赤軍派と白軍派に二分される。--------------------------------------------------------------------ショーロホフ"1905~1984" ---------------------------------------ソヴィエトの作家。ドン河畔のコザック村で生まれた。1924年短編『ほくろ』でデビュー,1926年短編集『ドン物語』『るり色の広野』で早くも非凡な描写をみせる。4部の大長編『静かなドン』(1928~40)はソヴィエト文学の最高傑作で,一躍世界的な名声を獲得した。内戦時の赤軍白軍の血みどろの戦いに翻弄され,激しい愛と憎しみのなかに生きるコサックたちの悲劇的な運命を,作者はリアリスチックなきわめて力強い筆致で描き出している。長編『開かれた処女地』(1932~60)は農業の集団化をめぐって激しく争い戦うコサックたちを描く。ほかに独ソ戦に取材した未完の長編『彼らは祖国のために戦えり』(1943~44),戦争によって何もかも失った傷ましい兵士の人生についての好短編『人間の運命』(1956)などがある。1965年にノーベル賞を受賞しました。-----------------------------------------みんな夏休みは"ちょうへんしょうせつ"を読もうね!!!!
2004年08月02日
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一日一句"starting"----------------------------"葉月朔日、少年、凛として過ぐ"----------------------------------------------------------"雲" by "山村暮鳥"----------------------------おうい雲よゆうゆうと馬鹿にのんきそうじゃないかどこまでゆくんだずっと磐城平(いわきたいら)の方までゆくんか--------------------------------------------- 有名な詩です。大正時代につくられたものですが、今でもこの詩が愛されているのは、どの時代にも変わらない少年の心への共感からでしょう。またこの詩は、「巨人の星」で飛雄馬の恋人・日高美奈が、空の雲に向かって大きな声で発していた詩です。-----------------------------------"風景"いちめんのなのはないちめんのなのはないちめんのなのはないちめんのなのはないちめんのなのはないちめんのなのはないちめんのなのはなかすかなるむぎぶえいちめんのなのはないちめんのなのはないちめんのなのはないちめんのなのはないちめんのなのはないちめんのなのはないちめんのなのはないちめんのなのはなひばりのおしゃべりいちめんのなのはないちめんのなのはないちめんのなのはないちめんのなのはないちめんのなのはないちめんのなのはないちめんのなのはないちめんのなのはなやめるはひるのつきいちめんのなのはな----------------------------------------この詩は、声に出して読むのではなくて、絵と同じように文字を目で見て味わうのがbeterでしょうね。----------------------------------------"山村暮鳥"1884年(明治17年)~1924年(大正3年)本名、土田八九十(つちだ・はつくじゅう)----------------------------------------- 西群馬郡棟高村(現在の群馬郡群馬町)生まれ。貧しい家庭に育ち、1890年(数え年6歳)元総社尋常小学校に入学。1899年(16歳)同小学校の代用教員となり、そのかたわら前橋の聖マッテア教会の英語夜学校に通う。長老チャッペや婦人宣教師ウォールの自由な人格にひかれ受礼し、1902年(19歳)ウォールの通訳兼秘書として青森に転任。ウォールの尽力で1903年(20歳)東京聖三一神学校に入学。在学中文学に傾倒し、詩や短歌の創作にふける。短歌を雑誌「白百合」に発表。 卒業後、キリスト教日本聖公会の伝道師として、秋田、平、水戸などで布教活動をしつつ、詩を発表していった。1909年(26歳)人見東明から静かな山村の夕暮れの空に飛んでいく鳥という意味の「山村暮鳥」の筆名をもらう。1913年(30歳)には詩集「三人の処女」を、1918年(35歳)には「風は草木にささやいた」を出版。1919年(36歳)に結核に倒れ、伝道師を休職、このころから童謡・童話の創作に力を注ぎはじめた。代表的なのは「ちるちる・みちる」「鉄の靴」「萬物の世界」「聖フランシス」など。 闘病生活の間に、自己を自然にあずける超俗の精神に辿り着き1925年(死後1年後)詩集「雲」が完成した。茨城県大洗町で永眠。41歳。---------------------------------------------------------------------------------- さくじつ"朔日" ------------------------陰暦で、毎月の第一日。 「月立ち」の転------------------------------------------------------------------------------------"青葉茂れる桜井の (桜井の訣別)"落合直文作詞・奥山朝恭作曲-------------------------------------------------------♪~♪1 青葉(あおば)茂れる桜井の里のわたりの夕まぐれ木(こ)の下かげに駒(こま)とめて世の行末(ゆくすえ)をつくづくとしのぶ鎧(よろい)の袖の上(え)に散るは涙(なみだ)かはた露(つゆ)か2 正成(まさしげ)涙をうち払いわが子正行(まさつら)よび寄せて父は兵庫(ひょうご)におもむかんかなたの浦(うら)にて討死(うちじに)せん汝(いまし)はここまで来つれどもとくとく帰(かえ)れふるさとへ3 父上(ちちうえ)いかにのたまうも見捨(みす)てまつりてわれひとりいかで帰らん帰られんこの正行は年こそはいまだ若(わか)けれもろともに御供(おとも)仕(つか)えん死出(しで)の旅4 汝(いまし)をここより帰さんはわれ私(わたし)のためならずおのれ討死(うちじに)なさんには世は尊氏のままならん早く生(お)い立ち大君(おおきみ)に仕えまつれよ国のため5 このひとふりは去(い)にし年(とし)君の賜(たま)いしものなるぞこの世の別(わか)れのかたみにと汝にこれを贈(おく)りてん行けよ正行ふるさとへ老(お)いたる母の待(ま)ちまさん6 共(とも)に見送り見かえりて別れを惜(お)しむ折(おり)からにまたも降(ふ)り来(く)る五月雨(さみだれ)の空にきこゆるほとどぎす誰か哀(あわ)れと聞かざらんあわれ血(ち)に泣(な)くその声を♪~♪--------------------------------------------------------------------------------------"楠木"正成(まさしげ)は、後醍醐天皇に忠誠を示し、天皇のめざす親政を阻止せんとする鎌倉幕府の勢力や、また武家の政権を新たにたてようとする足利尊氏と戦いました。延元元年(1336年)5月25日、櫻井(現大阪府三島郡島本町桜井)で長子、正行(まさつら)と別れた楠木正成は、味方わずか七百余の勢力で、迫り来る数万の足利尊氏軍を湊川の地で迎え討ちますが、激戦の末に破れ、弟正季と「七生報国」を誓って差し違え亡くなりました。 有名な歴史歌「青葉茂れる桜井の」は、この楠木父子の「桜井の別れ」をうたったものです。湊川の決戦に赴く楠木正成が桜井で、長男正行に生き延びて再起を期せと諭す情景を描いています。歌詞は六番まで続きますが尽忠報国の精神の詞とメロディーは多くの日本人の心をとらえ、親しまれてきました。この楠木正成終焉の地と墓所は合戦後荒れ果てていましたが、史蹟に敬意を払った豊臣秀吉はこの地を免租地としました。江戸時代初期に尼崎城主青山幸利(あおやまよしとし)が五輪塔を建て、梅と松を植え墓標とします。楠公の忠義に心を打たれた水戸光圀は、正成を顕彰するために自ら筆を執って「嗚呼忠臣楠子之墓」と揮毫した墓碑を墓所に建立しました。楠公の忠義に心を打たれた一人には松尾芭蕉もおり、句を詠んでいます。「なでし子に かゝる涙や 楠の露」明治5年(1872)には、初代兵庫県知事となる伊藤博文らの請願により別格官幣神社として、湊川神社が建立されます。終焉地と墓所とを含む地域が境内地とされて今日に至っています。-------------------------------------------"ノンちゃん雲に乗る" (石井桃子,1947) -------------------------------------------この作品は"ノンちゃん"が木から落ちて気を失っている間、雲の上のおじいさんと一緒に、雲の上から家族との日常生活を回顧するというファンタジー形式によって物語が展開されます。"ノンちゃん"はそこで、両親や兄の自分への愛情の深さに気付いていきます。雲のおじいさんは、好奇心に駆られしたいと思ったことは何でもしてしまい、悪いことや失敗をよくする、兄のタケシを誉め、誰が見ても「いい子」である"ノンちゃん"にはこう諭します。-------------------------------------------------「シャクシジョウギ」はいけない、なんでもできる子は、よほど気をつけんとわるくなる。(中略)知らぬまに人の心が読めなくなる。そうなったら、人間はもうおしまいさ。ひれふす心・・・・ようくおぼえておけ。」------------------------------------------この作品の最も魅力的な点は、子どものころ経験した日常の情景を、あるがままに描いているところです。兄の悪いところを話そうとしている"ノンちゃん"が、いつのまにか良いところを話しているのは、家族の心の奥に潜む愛情からでしょう。--------------------------------------------------------------------------------おお~い "kumu"yo-------------------------------------------------------"Where are you going"?????
2004年08月01日
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