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2013年を振り返る。定年退職後の3年目。なんと言っても『屍境 ニューギニアでの戦争』を3月に脱稿し、7月には作品社から出版の運びに至ったことが大きい。8月6日には横浜で出版記念パーティーを開いた。その本の宣伝もあって、大泉高校の同期会、浜教組のOB会、横須賀稲門会に顔を出した。それ以降、それらの会のメンバーとの親交も深まっている。10月には4番目の孫が誕生した。 さて日本の政治状況であるが、安倍政権発足以来懸念してはいたことだが、政治は確実に一つの方向に向かって進み続けている。即ち、戦争の出来る国へと変化する方向である。日本版NSCの発足・秘密保護法の制定・武器禁輸政策の抜本見直し等を次々と実施し、続いて集団的自衛権行使・憲法改正に向けて積極的な動きを見せている。戦前軍国主義の精神的拠り所として機能してきた靖国神社への首相参拝も諸外国の憂慮を顧みずに強行した。 同時に、増税や労働規制緩和等を通じて国民からの収奪を強化し、原発維持・TPP推進等一握りの利権集団の支配を貫徹することに精力を注いでいる。 こうして今や戦争の出来る国へと真っ直ぐに進んでいるとしても、実際に戦争が開始するまでにはまだまだタイムラグがあるかもしれない。ないかもしれない。相手のあることでそれは判らない。とにかくまがりなりにも68年間続いてきた非戦の時代が、今後続くかどうかは極めて危うくなっていることだけは間違いない。国民一人一人が戦争について考えざるを得ない時代になっている。私が『屍境』を出したのも先の戦争の真相を提示するためだった。戦争の惨禍を認識した筈だった人類であっても、その業の深さ故に修羅を繰り返してしまう。その愚かさは絶望的である。しかしその愚かさが人間であるのなら、修羅の中でうごめくしかないのかもしれない。 定年退職後4年目を向かえる自分には最早第一線にいる意識はない。後進の活動を見守りながら、展開される政治状況にただ国民の一人として反応するしかない。多くの国民も同じような状態だろう。一つ一つの政治状況に反応していく。主権者としてその心構えは大切なことだ。場合によってはそれが政治を変えるかもしれない。 どんな状況でも希望を失わず、前向きに考えられるのが人間の利点だろう。生きている以上、そうでありたい。
2013年12月30日
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山崎貴監督・岡田准一主演の映画『永遠の0』を観た。 その前に百田尚樹の原作小説についても、売り上げ300万部突破のニュースを受け、遅ればせながら読者の一人になっていた。読んでヒットすべくしてヒットしたと感じた。先ず第一に筋立ての面白さ。これは戦記物というジャンルに入る小説なのだろうが、ミステリーを思わせる展開。これほど自分の命を大切にした人間がどうして特攻隊に入ったのかという謎が読者(観客)の興味をぐいぐい引っ張り続ける。それから判りやすい人物設定と彼らの織りなすドラマ、更に随所にはめ込まれたプロットにつながる仕掛け、これらがうまい具合に組み込まれている。一番、読者や観客を引き入れる条件となったのは、現在に生きる若者が戦時中の人間の有様を発掘するという設定だ。話しをしてくれる者も現在に生きている老人たちで、彼らも現在という座標に乗っかっているわけで、そういう点もあって現在と戦時中の話しの橋渡しがスムーズに行われている。これは当時と現在の間に存在する大きな断絶を乗り越える一つの工夫である。 山崎貴監督の映画は、CG映像を巧みに作り上げるところに定評があり、今回の空母や空中戦の映像はこれまでの特撮に比べて遙かに精緻で迫力のあるものだった。小説と映画、それぞれが得意とする部分(小説なら戦記部分の詳細な分析、映画では感情の盛り上がり)は異なっているだろうが、それぞれに上手く作り上げていた。 私も今年、作品社から『屍境 ニューギニアでの戦争』という小説を出した。昭和18年1月から昭和31年12月までのニューギニアが舞台になっている。当時の人たちの生き死には当時の文脈の中でしか判らない面もあり、それをできるだけリアルに描こうと試みた。それもまた現在に生きる作者の主観に左右されるものであるのは否定できないが。しかし戦争という途轍もない破滅劇にあって、本当にそうであったであろう人間模様を描き出そうとしたものである。 私の作品の宣伝になってしまったが、あの戦争を真摯に見つめ直す作業は今なお求め続けられることではあるに違いない。
2013年12月22日
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安倍政権が特定秘密保護法を強行可決させた。特権官僚たちがやりたい放題やって、その責任はうやむやにするという統治の仕組みが更に強められた。急ごしらえで設置した「チェック機関」は内閣府の中に高級官僚たちを集めたもので、笑うに笑えない。同じ日に発表された「エネルギー基本計画」では原発を重要なベース電源とし、「原発ゼロ」撤回を明確にした。脱原発でも秘密保護法反対でも、国会を取り囲んだ多くの国民の声は無視された。そればかりか、そのような声を上げることは本質的にテロリズムと同じであるという、自民党幹事長の言葉もいただいた。最後の最後になってマスコミも少し報道するようになったが、長い間、盛んに展開されていた国民の反対運動をマスコミは無視し続けた。法律成立以前に日本のマスコミはジャーナリズム精神を失っている。 しかし特権や利益をむさぼる連中の思うとおりに世の中は進むものではない。一部の特権官僚の思惑で国家が動かされることを国民が望むはずは無いし、機密だらけで事を運んだとしても今時、戦争出来るような国民性には到底なっていない。安倍政権が進もうとする方向と今を生きている実際の国民生活の間には、決定的な断絶がある。秘密保護のパートナーとして想定されているアメリカにしても、ウィキリークスやスノーデンの事件のように重大な秘密漏洩が続き、その余りにも多い機密のあり方が問題にされている。 今年6月に国際的に作成されたツワネ原則に照らしても、この秘密保護法は驚くほど退廃している。 原子力村や日米安保マフィア等、胡散臭い利益集団とともに綱渡りを続けようとしても、国の内外からその危うさ幼稚さ傲慢さが指摘され、結局破綻するだろう。問題は、それに付き合わせられる国民に必ず及んで来ざるを得ない被害に、どう対処するかだ。これはどうしても考えなければならない。
2013年12月07日
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