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数日前、親戚の家に遊びに行った時、落書き様に紙とペンをお借りして 一人で何かを書かせている間大人たちはおしゃべり。 しばらくしてオットが何を書いているのかと見に行くと 間違いだらけのひらがななんですが、内容を見て大笑い。 見せてもらうと『すてきなじょせい(女性)がほしい』。 ・・・おいおい・・・。大丈夫か息子よ・・・。 そういえば、何日か前、クラスの女の子がおでこに チューしたと恥ずかしがりながら告白していた息子。 その子は息子だけにチューしたわけではないようなんですが、 すっかり好きになってしまった様子。 今時の幼稚園児っていったい・・・。
2006年01月30日
今日は久しぶりに「幼稚園怖い・・・。」と言わずに出かけて行きました。もうどれくらいぶりだろう。思い出せない。休み明けにはまたどうなるか分からないけど、安らかに出かけてくれるとほっとする。私は幼稚園の頃は決まったお友達としか遊べず、なかなかみんなの中に入っていけなくて、あまり楽しかったという記憶がありません。でも、親にはそれを言わなかったので、それなりに楽しんでいるものだと思っていたみたい。親は心配だけど、グズグズはちゃんと言えたほうが、わかりやすくていいよね。子どもの言葉にならない声もちゃんと聞けるように、見ていてあげなければと思う。
2006年01月27日
息子は泣かずに幼稚園に行けるようになり(グズグズは言うけど)、 居間の隣の母の祭壇も四十九日法要の翌日に取り壊されてガランとし、 各種事務手続きや諸々の支払いも9割方終わって だいぶ落ち着いてきたような感じです。 つわりもほぼ治まって、自分が妊婦であることすら時々忘れるほどです。(まだはっきりとした胎動もないし) 夕飯の支度で立ち仕事をしていてお腹が張ってきたりして 「ああ、そういえば妊婦だったな。」なんて思い出したりしています。 今朝の夢にも母が出てきて、その苦しんでいる母を私が抱えて走り回っていました。そのうえ父も座り込んで「腰が痛くて立ち上がれない。」と言っていました。 また目が覚めてどっと疲れが出てしまった。しばらくグッタリ。 息子を幼稚園に送っていくのもギリギリ。まあ、それでもかなり早い方だけどね。
2006年01月26日
昨日、無事に母の四十九日法要と納骨を済ませることが出来ました。気づけば寂しさというより、「安堵」でいっぱいの私。人一人を送る手続きはなかなか大変なものですね。前日は雪の予報が出ていました。70%の降水確率ではおそらく降るだろうし、翌日路面が凍るだろう、ノーマルタイヤでは片道一時間のお寺まで行けないしどうしよう・・・、さんざん心配しましたが、実際には予報に反して全く降らずに当日もとてもよい天気。ところが、翌日の今日は降水確率10%にもかかわらず吹雪の朝を迎えました。(もう止みましたが)これはもう特別な力が働いたとしか思えないです。さて、昨日の法要、私に涙は全くありませんでした。大勢の普段お会いすることに出来ない親戚に囲まれて、たくぼんも大はしゃぎ。おばあちゃんが「のの様」になるお祭りだと言ってあるのでまさにお祭り気分のようでした。でも、ひとりでこっそり骨壷に向かってコソコソ話しかけていたり、「おばあちゃんが死んじゃって泣いちゃうほど寂しい。」と言ったりもしていて彼なりにいろいろ思うところはあるらしい。「おばあちゃん、今はどこに居るの?」というので、新しく作ったお位牌を見せてあげると、本当におばあちゃんはそういう形になってしまったんだと思うらしい。子どもらしいというべきか、実はそれこそが真実で人の存在って形では表し切れないものなのかも、とも思ったりする。納骨は自分でする。と父は以前から言っていた。段差のある狭いところなので心配もしたけれど、これは本人の思うようにしてもらうしかない。ほぼ死産で亡くなった両親の子どもの小さな骨壷がすでに収められている。父は「ぼくらのこども」と親戚に紹介し、その隣に母の大きな骨壷を並べ私を呼んだ。将来自分の分はこの子ども達をはさんで反対側に置いて欲しいという。前から聞いていたのでわかってはいたけど、目に涙を浮かべながらそう私に頼む父の様子を見ていたら、そのファミリーに私が入っていないことを感じて寂しくなった。その頼みを聞いてあげられるのは私しかいないし、父も当然の事を言ってると言うことはわかるんだけど、ずっと独り占めしてきたと思っていた両親は私だけのものじゃなかったんだと改めて気づかされた感じ。そのうえ生まれてすぐに亡くなってしまったけがれのない魂は私が35年かけて積み上げてきたものよりもっと高貴に思えたりもした。母は今、二人の子どもに寄り添って寂しくないんだな、私が居なくてもきっと寂しくないんだろうな。この想いは「嫉妬」でしかないと思うので自分でも仕方のないことだと思うんだけど・・・。夜、母の夢を見て泣きながら目が覚めました。その夢は私に優しいあたたかい夢ではなく、どこかつらくてうなされるような夢でした。具体的には内容を全く覚えていないんですが、なんだか苦しい夢でした。
2006年01月23日
母が亡くなったので余計なんでしょうが、母世代の親戚や周りの人から 「親に感謝」とか「親への恩」というような言葉をこの頃良く聞きます。 実は、なんとなくそれに違和感を感じています。 自分と子どもに照らし合わせた時、自分に対して「感謝」とか「恩」とか感じて欲しいような気持ちは全然なくて、 子どもからもらうものの方が比べ物にならないくらい大きく思うし、 もともと自分が欲しくて授かった子どもなんだから、 その子のために尽くすことや、悩むことは親にとっては当然のことと 思うわけです。 「恩返し」っていうものもよくわからない。 子どもがそこに笑顔で存在してくれること以上の「親孝行」って ないと思う。 「親孝行、したい時に親はなし」という言葉があるけど、 私が母のそばで、私なりの人生を頑張って生きたということ以上に 出来たことってないと思っている。 私の存在以上に、母の人生を潤わせたものはないと思っている。 母の立場になって息子を見ていて、つくづくそう感じる。 「もっと一緒にいたかった。」という想いはあるし、 寂しい想いも当然ある。 でも、思い残したことはありません。 私が親に感じる想いを一言で言うなら「尊敬」です。 うちの親はすごい、と思う。 このすごい、と思う部分はきっと私には一生超えられないと思う。 それは仕方ないことなので、私は私なりに親になっていくしかないと 思っています。 子どもから「育ててくれてありがとう。」なんて生涯言われたいとは思わないけど、 子どもに対して「生まれてくれてありがとう。」という気持ちは ずっと大事にしていきたいと思っています。
2006年01月20日
1ヶ月ぶりの検診。異常なし、でした。今回の妊娠で初めてお腹の上からのエコーを撮りましたが、まだ胎動はないけど結構元気に動いていて感動しました。性別は次回にははっきりするのでは、ということなんですが、ちらっとおちんちんらしきものがうつったらしい。まだ確定ではないですが男の子の可能性が高そうです。現在おじいちゃん、オット、息子と男ばかりに囲まれる日々。ここにさらにもうひとり男か・・・。それはそれでおそらくそれが私の運命なんでしょう。とにかく無事に産まなければ、と再認識したところです。現在16週でつわりもかなり治まり、お腹も目立ってきました。疲れやすくて、内臓が圧迫されるのか息苦しい時も度々です。今もなんだか苦しくて眠れないのでパソコンに向かっています。これからますますお腹が大きくなるのに、いまからこれではこの先どうなることか・・・。ふう・・・・・・・。さて、寝よう。
2006年01月17日
12月はとにかく長く感じて、このまま終わらないんじゃないかとまで思っていたけど、今年に入ってからは1日1日があっという間に過ぎていく感じです。気持ちも身体も落ち着いてきたからかな。息子の幼稚園が始まったせいでもあるかも。今月は車検だとは思っていたのですが、もうちょっと落ち着いてからで大丈夫かなとものんびりと考えていて、先日の日曜日車検証を見てみたらその日が車検満了日。・・・あわててディーラーに持っていきました。急に持ち込んだため代車も無く、今はおじいちゃんの車を借りています。今日には仕上がってくるでしょう。息子は昨日から幼稚園に行ってますが、グズグズです。今日も涙をふきふきやっと出かけて行きました。ヒクヒクしながら「涙をとめてー。」と言うのですが、どうしてやりようもありません。
2006年01月11日
今日は私の誕生日。自分でケーキ屋さんに行って「『お母ちゃんお誕生日おめでとう』って入れてください。」とお願いしました。そして自分でチラシ寿司を作りました。(初めて)あと10日で5ヶ月目に入ります。お腹はひとり目のときより早く大きくなってきてすでにお腹の皮膚が突っ張ってきました。つわりもじょじょに落ち着いてきて、このまま終わればいいなあとおもっているところ。
2006年01月03日
母が亡くなり、明日で4週間になろうとしています。おかげさまで無事に年も明け、前に向かっていかなくてはな~と思っているところです。さて、さて。この1ヶ月の間、いろいろな方が母のために集まってくれました。また、電話等でも励ましていただいた方もおられます。みなさんの御好意に感謝するとともに、その反面、私自身が傷ついたこともありました。すごく多くの方から言われた2つの言葉にショックを受けていました。ひとつは「一番悲しんでいるのはお父さん、だからお父さんを支えてあげて」というもの。私も今まで生きてきて一番悲しい。「悲しい」なんて言葉に出来ないほど胸が痛くてたまらないのに、どうして他人が私たちの悲しみに順番をつけるんでしょうか。確かに父に対しては支えていかなくては、という想いを持ちましたが、実際それが出来るのは十分に悲しんで、泣き疲れるほどに泣いてからだと思う。私は泣く場所を探しているのに、みんなが「しっかり!」と肩を叩く感じがすごくつらかった。父と一緒に泣くという日々が、もっと必要だったように思うのに出来なくなってしまいました。もうひとつは「お腹の赤ちゃんはお母さんの生まれ変わりね」ということ。この子は生まれ変わりではありません。私は母の祈りに共鳴した新しい魂が、その子の意思で私のお腹を選んでくれたんだと思っています。私は両親がほぼ死産に近い形で産まれた二人の男の子の後に生を受けました。誰に言われたわけでもないけど、「生きられなかったふたりのお兄ちゃん」という存在は、ずっと超えられないものという大きな存在で私の心の中に住み続けました。「お兄ちゃんの分まで頑張る」「私で良かったと思ってもらえるように頑張る」ずっとプレッシャーになっていました。そして、「お兄ちゃんの代わりに産まれた命であり、代わりに愛されているんだ。」というコンプレックスにもなりました。もちろん誰もそんなこと言いませんが、自分の中では消しがたいことでした。生まれ来る子どもが私と同じ感じかたをするとは限りませんが、この子の命は誰かの代わりなんかじゃありません。母の命は母の命、この子の命はこの子の命。どちらもかけがえのない別のものです。「生きる」っていうことは「誰かの分まで生きる」なんて生易しいものじゃなく、自分の分を生きるだけで精一杯のものだと思います。この子が私のようなプレッシャーを感じることなく、自分の人生をおおらかに生きられるよう、そばで守ってあげたいと思っています。新年早々愚痴になってしまいました。でも、溜めておくよりはいいかな?と吐き出してみました。おかげで少しは安らかに新年を迎えられるような気がします。
2006年01月02日
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