2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
全31件 (31件中 1-31件目)
1
「ウィキペディア」の不利益情報、楽天証券社内から削除(2006年08月31日10時57分 asahi.com) ネット証券大手「楽天証券」社内からの投稿によって、ネット上の百科事典「ウィキペディア」に掲載された同社への行政処分情報などが削除されていたことが分かった。同社も事実を認めている。ネット上では、「自社の不利益な情報を隠す行為」と批判が高まっている。こんな記事がありました。ちょっとモラルに欠けたことだよね。楽天証券がこううなら「楽天」はどうなの?楽天証券は以下のようにコメントしている 弊社に関する一部報道について一部の報道におきまして、インターネット上のフリー百科事典「ウィキペディア」にて弊社に関する掲載内容が、弊社のIPアドレスを経由し削除されている旨が伝えられておりますが、本件につきまして事実関係を調査しましたところ、弊社の従業員が弊社内より行ったものであることが確認されました。弊社従業員の不適切な行為により、お客様をはじめ各方面の皆様をお騒がせし、大変ご迷惑をお掛けいたしましたことを深くお詫び申し上げます。弊社といたしましては、すでに行為者の社内処分を実施いたしました。今後同様の事態を招くことの無いよう、改めて社員教育を実施し、再発防止に取り組んでまいる所存であります。楽天証券株式会社代表取締役社長國重 惇史
2006年08月31日
コメント(0)
明日から富山の八尾(やつお)では「風の盆」が始まります。おわら節が奏でられ、その曲に合わせて踊られる。胡弓の音が印象的な民謡である。私の姉が住んでいるということがあって何度か見に行ったことがある。姉がいるところだからもっともっといっても良いのだが、何せ人混みが嫌いな私であるので、なかなか足が向かない。風の盆は本当に人混みが嫌だ。町流しを見に来ているのか人だかりを見に来ているのかわからなくなるぐらいだ。数度しか行ったことがないが行くたびに祭りってなんだろうって考える。本来風の盆は八尾の町衆のまつりだと思う。だから本来なら町衆が楽しむものだと思う。でも今は「観光」「見せる」ということが主題になっているように見える。ある意味観光資源になるのはなるので良いのかも知れないが、町民への還元が少ない。あえてあるというのであれば知名度ぐらいである。入場料を、鑑賞料を取るわけでもない。舞台踊りを見たいときには入場料が必要だが。自分たちの祭りを楽しもうとする町衆は夜中まちを好き者同士、気が合う同志が集まり奏でたり歌ったり踊ったり朝方までするのだが、そういう楽しみをする人達のまわりにも観光客が殺到しているそうだ。見せ物になっている。観光客が少なかったときにはそうでもないのだろうが、ここまで多くなると…なんだろうって考える。ある意味お人好しだとも感じる。今観光産業として風の盆を位置付けていくのか、町民の祭り(盆踊り)として位置付けていくのか、岐路に立っているのではないだろうか。私は町衆の祭りとして復権することを願う、そうしたらこっそりと風の盆を見に行こうと思う。
2006年08月31日
コメント(4)
今朝起きたとき頭痛がした。そしてそのあと下痢、今日は調子が悪い。昨日なぜか調子に乗ってビールを飲み過ぎた生だろうか。今日は予定としてはたけに大根の種をまこうと思っていたんだけど、この調子じゃぁだめそうです。明日は午後から教務所にいかなければならないし、いつ大根まこうかな。今年は報恩講は自作の大根にしようと思ってるんだけど、どうなる事やら。
2006年08月30日
コメント(0)
「幸水」出荷4割減 天候不順、価格倍ほど(北日本新聞 シーズンを迎えたナシ「幸水」の出荷量が、産地の富山市呉羽地区と魚津市友道地区で昨年に比べ四割近く減っている。四月に降ったあられと長引いた梅雨の影響で、多くの実が傷付いたのが原因。県内では価格が上がり始めたほか、全国発送の予約を受けたナシの配送が遅れるケースも目立ち、生産者から小売業者まで「こんなことは初めて」と話している。今日梨農家の家にお参りに行ったとき、「本日の販売は終了しました。梨不足のため」という看板が上がっていた。この農家は在所では珍しい専業農家で、高校の先輩がやっておられるところ。(お婿さんに来られあとで聞いて知ったのだが…)今日の新聞にあったことは本当なんだと感じた。この農家はあまり農協におろさず、スーパーなどに直接卸している。そして低農薬有機農法を心がけているところ。他の農家の軒先には結構販売用の梨が並んでいるが、ここだけは今売り切れている。でもお参りの帰りに梨のおみやげを頂いた。「売り物に出来ない小さい梨だ」といって一袋くださった。私はあまり梨を食べない。また梨の旨いまずいはよくわからない。だからも楽話しはあまり私の口には入らず、友人知人に配っている。私は旨いまずいはわからないけど、専業農家や、有機農法を頑張っている農家からもらった梨を、「美味しい梨」といって配っています。本当かどうかわからないけど。またおみやげ物として購入するときは専業農家であり、有機農法を心がけているところの梨を買っているのだ。
2006年08月29日
コメント(0)
今、最近やっと沢山なり出したゴーヤを切り、お日さんに干してきました。干しゴーヤを作ります。また昨日、ゴーヤを湯がいて、鮭フレークとあえて食べてきました。これは結構美味しかったです。このアイディアは別院で頂いたオクラと鮭フレークがあえてあったのを参考にしました。あと別院ではオクラとひじきがあえてありました。これもゴーヤの代用はきくのだろうかと、イメージしています。でもどうだろう。わからん?
2006年08月29日
コメント(0)
今しばらく24時間テレビを見ていた。いろんな人が一生懸命頑張っている姿を見ていると感動を覚える。涙を流すこともある。 テレビの中から俺でも頑張るから君も頑張れ!というメッセージが聞こえてくる。 また上の方からあんな奴も頑張れるんだからお前も頑張らなければだめだろー、という声もなんとなく聞こえている気がする。 この声が気になる。差別性を感じる。 この声は番組を制作している人の中から聞こえてくるような気がする。 同じように 私の心の心から微かに聞こえてくるようにも感じる。
2006年08月27日
コメント(4)
城端別院の本堂布教の仕事も明日の朝までです。 車を運転しなくなって、じゃなく正確には出来なくなったおかげで別院と自宅の往復をしなくてもよくなり、これも正確に言えば出来なくなったので、結構のんびりさせてもらっている。読書とテレビ鑑賞にふけっている。誰に邪魔されることなく。実はお話の内容を詰めることもほとんどしていないのだ。 アビさんの本の三章の途中から五章まで読み進めた。親鸞さんとの関わり方の違いや、求める方向の同一性みたいところが感じとれた思いがある。 テレビはバレーボールを意識して見た。前評判を眉唾ものだと感じおそろおそろ見たんだが、結構強いじゃん。見ておもしろい試合をしているので、なかなかトイレにもいけない感じだった。木村・杉山といった選手が輝いて見えた。? 本堂布教では念仏の教えの素晴らしさは親鸞さんやお釈迦さんが立派だからや教義が崇高だからではなく、この教えが教えとして二千五百年伝わり続けている事実、民族を越えて教えとして受け継がれていることがすごいことなのだ、っていうことを今話しています。そのことが大乗であり大乗仏教が大乗仏教である証しなのかなって思って言葉を探しています。
2006年08月27日
コメント(1)
本日の午後から28日の朝まで城端別院で本堂布教をすることになっていた。よくよく考えると今現在今日のお昼話す内容が今だに決まっていない。どうしよう。つきまいりをしながらちょっと真剣に考えなければ…
2006年08月25日
コメント(0)
冥王星は格下げ、惑星8個に=天文学連合が新定義採択【プラハ24日】国際天文学連合(IAU)は24日、当地での総会で、太陽系の惑星は水星から海王星までの8個であるとの惑星新定義案を賛成多数で採択した。これにより、発見から70年以上たつ冥王星は、「太陽系で最も外側にある9番目の惑星」という地位を失った(2006年08月25日04時04分 時事通信社 ライブドアニュース)国際天文学連合が冥王星が惑星ではなくなる惑星の規定を新たに決めた。そして新たに冥王星のような天体を「矮(わい)惑星」とするそうだ。なんか冥王星がかわいそうな気がする。おまえは仲間でないと仲間はずれにしたような感じが何となくする。はじめは仲間としておきながら取りやめたのだ。そう考えるとやっぱりかわいそうだ。冥王星が発見された当時の大きさの推定は、望遠鏡の性能の悪さもあったそうだが、今からすれば過大評価ともいうべきであったそうだ。冥王星を惑星とするために惑星の定義を変更しようとすると、他に三つぐらい惑星が増えるそうだ。それよりも問題なのはこれから冥王星クラスの天体がまだまだ発見される可能性が多いということが問題であるようだ。これ以上惑星が増えないために惑星定義をあらためて決め、冥王星を除外したということであるようだ。いろいろな技術が上がり、いろんなことがはっきりしてくるし、色々と新しい発見がある。詳しくいろんなことがわかるようになるとあらためて今まで常識であったことを定義しなくてはならないようになってくるのだ。そして常識が常識でなくなってしまうのだ。その一連で「死」の定義もあるのだろう。そして臓器移植を推進したい人達が、脳が働かなくなった状態を勝手に「脳死」と命名して、脳が働かない状態を死と使用としているのだ。脳が正常に働かないと死んだといっしょなのだろうか。正常正常ではないという線引きはどこにあるの?今生きていると私たちが思っている人も「死んだ」事になってゆくの?あらためて専門家が自分たちの利益のために「死」を変更しようとしている。渡した智度素人も、でもしっかり生きていると思っているもの達は、一人ひとりの中で「死」とはなんなのかということをあらためて考え、いろんな人達と話し合い、民衆の中から「死」の定義をしていかなければいけないのではないだろうか。その方法が特定の利害を生まない方法かも知れない。
2006年08月25日
コメント(1)

きづけば少しずつ秋がやってきているんですね。早稲ですが、稲穂がうなだれています。間違いなく近づいています。必ず秋がやってきます。同じようにまた必ず夏がやってくることでしょう
2006年08月24日
コメント(0)
今朝もセミがあまり鳴いていない、秋が近づいてきたっていうことですかね。「ツクツクボ~シ」って声もあまり聞こえてこない。また昨日は気温は三十度を超したようだが、生活しやすかった。体がいつもより動く。やっぱり秋がちが付いてるのかな。昨日は朝元庭を草刈り機で除草。調子に乗って午後からは畑の草むしり、これは鎌を使ってやりました。暑さが幾分か和らいだせいか、結構長時間、草をむしらせていただきました。休憩を入れて三時間ぐらい。ホント暑くないっていいことですね。キョもほどよい暑さを期待してます。できればお参りでTシャツが汗でビチョビチョにならないことを願っています。でもこれはまだ無理かな。そんな季節、早く来~~いぃ
2006年08月24日
コメント(2)
今日はなぜかセミがあまり鳴いていません、今んところ。だからとってもすがすがしいです、気持ちいいです。と書き込んだらセミがな泣き出しました。でも優しく鳴いてくれてます。
2006年08月23日
コメント(0)
お昼前、教区の坊守会長をしている晴美さんより電話あり、明日お昼過ぎあいていないかと。何かというと連区坊守研修会の事前学習会で話しをしてくれないかということだった。講師は元々教区駐在に頼んであったようだが、とりこみ中に付キャンセルされたらしい。誰もいないというし、30分ぐらいで良いと言うし、まぁ良いかって引き受けた。でもあとから後悔している。断っときゃ良かったと。テーマは寺をひらく私をひらく 「わたしは今、どうして寺にいるの」でひらかれるらしい。午後お参りをしながら何を話そうかと考えている。いつもの事ながらシッカリとまとまらないが、お寺はひらくところではないということを思った。お寺は既にひらかれている。お寺は聞法の道場だから、わたしの生活の場がお寺だからだ。聞法の道場はお寺だけじゃない。わたしの生活が聞法の道場だ。飛躍すれば念仏者が生活するところすべてがお寺なんだ。お寺はお釈迦様の言葉を教えとしていただく場。お寺を無理矢理ひらこうとする必用はない。念仏が私の宝物だと思えたならお寺がお寺としてひらかれてくる。お念仏を自然と進めているはず。お念仏にであい、お念仏の歴史にであうことが今私たちに一番大事なのでは。そんなことをお参りしながら思い考えた。もう少し煮詰めてお話しさせていただこうと今んところ考えています。
2006年08月21日
コメント(1)

トイレさま、これはNHKのおかあさんといっしょのキャラクターうちにトイレさまが来て大体一ヶ月子ども達のトイレでの行儀が良くなっています。
2006年08月21日
コメント(0)
昨晩家族で富山ファミリーパークへ出かけてきました。ファミリーパークはまぁまぁの動物園に小さな遊園地が合体した富山市の施設です。そこにPTAの事業でナイトズーツアーに参加しようというのがあって参加したわけです。飼育係の人の案内で夜の園内を探索したのですが、私は三男坊のお目付役敵役割をしました。あとの二人は何とかなるさっていう感じで自由行動。いつも手をつないでいるのがかわいそうだったのであとを追う感じでついて行きました。一時間の探索でしたが、甚平がびちゃびちゃになりました。おかげで帰ってから美味しいビールを頂きました。
2006年08月20日
コメント(0)
[牛乳]「有害」本が波紋 でもやっぱり「有益」は多数派(毎日新聞) ライブドアニュースより 「健康飲料」の代名詞的存在の牛乳を「有害」とする説が書籍やネット上で取り上げられ、波紋を広げている。一方で「有益」とする考え方は、栄養学などの世界で今も多数派だ。この見出しを見たとききになった。牛乳に有害説があるのかって。私は牛乳が嫌いだ。多分小学校の給食で生ぬるい牛乳を飲まされ嫌いになったような気がする。そう言う私には「牛乳を飲むと牛になる」っていう持論がある。その事をたまに子ども達にも押しつけ、嫁はんから怒られる。いうまでもなく牛乳は子牛が大きくなるために必用なもの。牛乳を飲んで子牛が大人の牛になるのだからそれを人間が飲むと牛になるのではなんて考える。まぁ冗談なんだけど、というか飲みたくない言い訳なんだけど。いろんなものに功罪があるっていうことなんですかね。完璧なものって無いですよね。良いところがあれば悪いところもある。これが自然の原理、って言うやつなんですかね。だから、他に完璧をもとめたり、自分に完璧をもとめたりするのは間違えっていうことなんですかね。昨日はその推進員養成講座がありました。初めて自分の思う反省会が出来たような感じがしました。いろんな人が自分の思いを少しずつしゃべり出してくれるようになりました。こうなるとぶつかるっていうことも発生するんですが、私はそう言うことからしか始まらないって思っています。でも講座はあと一回しか残っていません。班別の座談会でも同じ感じに少しでもなってくれることを期待しています。次回はスタッフが一人欠席するかもっていう話しなので、私が班担出来るのかも。ちょっと今からドキドキしています。き
2006年08月19日
コメント(0)
昨日姪っ子を八尾の家まで送っていった。帰り、たけしま(食品)の豆腐が食べたいということで寄り道して買っていった。そのとき2種類の豆腐を試食させてもらったんだが、どれも試食させてくれるだけあって旨かった。特に富山県産丹波黒豆豆腐というのが豆の香りがして抜群だった。でも買わなかった。なぜかというとめちゃくちゃ高かったからだ。一口か二口で食べ終わってしまう量で、なんと五百円だった。旨かったんだけどな~
2006年08月18日
コメント(0)
富山県は真夏日が連続16日を超えているそうだ。だから私は連日家にいるときはズボンをはかず、Tシャツとパンツ姿で過ごしている。でも、昨日の夕方からそうではなく、ズボンをはいているのです。なぜならば姪っ子が泊まりに来ているからなんです。姪っ子は今中三、パンツ姿でいるといやがられます。だから仕方なしにパンツ姿ではなくズボンをはいています。でもこれも今日の夕方まで、パンツ姿でくつろげる時を待ちわびている私であった~~~。
2006年08月17日
コメント(2)
61年前の今日太平洋戦争が終結した日、日本が戦争に負けた日だ。「二度と同じ間違えを繰り替えなさいように」と祈りを込める人が多いことであろうでもこの祈りどうだろうって今思う。何でかというともう間違えを繰り返しているじゃないか、なんて私は思ってしまう。靖国も前で、各県の護国神社の前で二度と同じ間違えを繰り返さないでという祈りがむなしく感じる。ただ私はやっぱり「戦争はイヤダよ~」と祈るばかり。「二度とは」とはもう言えない。戦争犠牲者を利用するのはもうやめようよ。特に戦争にかり出された人、兵隊として戦争に引っ張っていかれて亡くなった人。勝手に「英霊」として靖国神社に祀られている人を利用するのはやめようよ。また靖国神社に参拝する人を利用するのはやめようよ。靖国神社に祀られているとする人達は英霊ではなく、戦争犠牲者だろう。戦争を肯定した人もいるだろうし、否定した人もいるだろう。でもみんな犠牲者。そんなこと考えると加害者っているのだろうか。兵隊となり殺させられたという意味では結果加害者なのかも知れないが、させられたのなら被害者だと私は思う。なら加害者は誰だ。得したのは誰だ。兵士として戦死した人を英霊とする限り、立派な人だった、大切なことをなさった人とする限り、私たちの先輩方が経験した戦争を否定することにはならない。二度と繰り返さないという願いとあい違って戦争を肯定し、戦争をまた繰り返す装置になってしまう。我が故郷浄土は立派な人だけがいけるところ、立派だった人だけが住んでいるところではない。南无阿弥陀仏とたすかりたいという叫びを上げた人がいけるところ。浄土の人となった人を先祖をする私たちは、死者を立派な人と無理矢理いう必用はない。たすかりたい、幸せになりたいという叫びを持ったかどうかが大事なんだから。また死者の事実を引き受け、少しでも人間らしく生きるそういう決意をする必用が私たちにはあるみんながたすかる幸せになることを願う必用があり、そういう道に向かって歩んでいかなければならない。等身大の死者を見抜き、死者の奥底にある大いなる願いに気づいていかなければならないことだろう。靖国神社を国民の総意で解散することが大事なのかな。特定の人だけの思いによって無くすことも、他国がいうからと言う性的判断で無くすこともよくないだろう。日本に住む人がみんな靖国神社が必要ないと思える社会になることが大事なのかな。そう書き込みをしている今、コイズミクンは首相としてモーニング服を着て靖国神社に参拝にいった模様だ。
2006年08月15日
コメント(0)
今日あるお宅へお参りに行くと、家の人が、「ゴマある?」って聞かれたので、私は胡麻だと思い、無いと応えた。そうするといっぱいもらうのであげるといわれた。お参りが終わってもらったのは、お香でした。私はなぜ胡麻ではなくお香がもらえたのかわかりませんでした。お勤めをしながら、今胡麻の収穫時期だったけと疑問に思いながら正信偈をお勤めしていました。案の定胡麻ではなくお香をいっぱいもらいました。不思議に思いながらお香をもらいよくよく考えてみると、お香のことを護摩って言っておられたと言うことに気がついた。お香イコール護摩って言う意識が私にはなかったのでそう思うまで時間がかかったが、間違いなく草なんだ、胡麻ではなく護摩だったんだ。有り難く護摩を頂きながら、私は胡麻のがほしかったんだ~!って強く思ったわけでした。
2006年08月13日
コメント(0)
気がつけば、いつのまにか含羞草の花が咲いています。
2006年08月13日
コメント(4)
今週の月曜日から金曜日までラジオ体操のはんこ押しの当番に当たっていたので早起きしていた。ついでに子ども達の相撲の練習を見ていた。当番も終わり今日はぐっすり朝寝坊しました。一昨日から久しぶりに家の草刈を二日かけてして疲れていたということもあってか八時前にやっと起き上がれました。今日は畑の草むしりをしました。二時間かけたのですが、全然終わりません。元気があればあすも頑張ります。今日午前中通り雨でした。って言うかすごい雷雨でした。ひっきりなしに雷音がとどろいていました。ついでに停電も三十分ほどしてました。今は午前の雷雨が嘘のように晴れ渡っています。
2006年08月12日
コメント(0)
先月末、宗務所の解放運動推進本部主催の解放運動推進要員研修会に申し込んだ。でも、課題レポートができてなかったので、頼み込んで9日まで延ばしてもらっている。そして今そのレポートを書くためにPCの前に座っているのだが、書けない。「部落差別問題をはじめとする、時代社会から問われる課題を私はどう受け止めるのか」テーマで2000字のレポートなんだが、進まない。今様約1000字ぐらいまで書いたのだが、ここから進まない。というかレポートの書き方忘れちゃったよ。ついつい思うがまま書いていって躓いてしまう。やっぱり本来なら小見出しを作って仕上げていく方がいいのだろうけど、なんか焦っちゃっている。小見出しを書こうと思ってもそれ自体も浮かんでこない。大学時代は結構簡単にレポートを書いていたんだけど、最近レポートを書くことが無くなったので、そういう感覚が全くなくなってしまっている。書けないからついついネットの方に遊びに行ってしまう。他のことが気になってくる。そうするとどんどん焦っちゃっていく。ドツボにはまっていっている感じ。逃げ出さなくちゃ。
2006年08月08日
コメント(4)
昨日の夕方組会があり、そのあと組内の住職さん達とご飯を頂いたり、酒を飲むという場があり、いろんな話しをした。一人の人は、これは組会の中で、教務所長に「仏教と真宗は違うのか」って言う、ある意味場違いな質問をされていた方がいた。そのあとお話を聞くと、いわゆる仏教学を知らない真宗僧侶が多すぎることといわゆる仏教学といわゆる真宗学の間に深い溝を感じ、真宗は仏教なのだろうかって疑問に思われているようだ。私はそのことに対して、真宗と仏教がなぜか分断してきた、されてきた歴史が間違いなくあったということを感じていることを話し、改めて親鸞の視点、使僧の中で仏教用語を見つめていく必要性、釈尊の復権運動みたいことをしていかなければならい事を感じていることを話しした。また一人の方は前回の推進員養成講座の講師の方のお話で、釈尊がヒッピーだった、ニートだったって言う話しは言いすぎではないかって言うことを酒を飲んで正直にお話くださった。仏教が仏教として成り立ったのはお釈迦さんが偉大だったからだけではないと私は思う。釈尊が生きていた時代の状況が仏教を生み出し、その仏教がインドを越えることによって、他民族、他思想と出遇い、仏教が熟成されていった。釈尊のことばが純化していったのではないだろうか。ある意味釈尊のことばに数数えられない人々の垢がつき、仏教が成長してきた、成長し続けているのではないだろうか。釈尊のことばが時代の垢や、数え切れない保との人間のの垢が付着して普遍的宗教として成り立っていると思う。時代に流されていくのではなく、仏教と様々な人が対話する中で変化し続けていることが仏教が経へん宗教として成り立っている所以だと私あほもう。それが日域は大乗相応の地なりという親鸞が19歳の時聖徳太子さんが夢枕に立ったときのおことばとなったんではないだろうか。釈尊から親鸞までガンジス河の砂のかす保との人によってバトンリレーして伝わってきた、そして親鸞は改めてそのバトンリレーの足跡を見つめ直したんじゃないかな。私達も釈尊から私までのバトンリレーいや、人類の誕生から、生命の誕生から私までのバトンリレーの足跡をしっかり見つめ直すことが大事だと思う。その足跡を大事にしながら釈尊のことばを頂き直す、その中で釈尊のことばが教えとして出遇い直すことができるのではないだろうか。釈尊もえらいけど、仏教のバトンリレーをしてくださった方々もえらいんだ。仏教は民族を越える教えと言うよりは民族や時代を超えてきた教えなんだ。そしてそのことを宝としなければいけないんだ!俺はそう最近思うな。
2006年08月08日
コメント(1)
最近暑い日が続いています そこで昨日買い物をしました。暑さ対策の為帽子を買いました。 いつも下駄を履いているのでカンカン帽みたいのにしました。ちょっと瘋癲の寅さんを意識しているのですよ。 今度は腹巻き買おうかな
2006年08月07日
コメント(2)
今し方夏休みの宿題をしている息子から突然、1リットルちゃ、なんデシリットルけと聞かれた。わからなかった、1000ミリリットルは1リットルという事はわかるのだけど…。デシリットルという単位を学校を卒業してから、というか、もしかしたら小学校を卒業してから使ったことがないのかも。10ミリリットルが1デシリットルなのか、100ミリリットルが1デシリットルなのか、わかりましぇ~ん親の威厳のため、ネットで調べて教えてあげました。ネットがあってたすかった。100ミリリットルが、1デシリットルでした。
2006年08月07日
コメント(0)

今朝から金曜日までラジオ体操のはんこ押しの当番になっている。っていうことはラジオ体操が始まるまで言っていなきゃいけないって事だ。先週末先週の当番の人が、はんこと、ラジカセを持ってきてくださっている。このラジカセ年季が入っている。ていうかだいぶお年をめしていらっしゃる。あとから見てみないとわからないが、もしかしたら自分がラジオ体操に参加していたときから?そんなわけ無いよね。でも、30年は立たないかもしれないが、20年は経ってる感じ。このラジカセで何人の人がラジオ体操してたんだろう。何人のことも達をラジオ体操させてたんだろう。ラジカセにはとにかく「ご苦労様です、今日もお願いします」って今朝行くラジオ体操に行くときに声をかけてやろうって思う。我が東老田のラジオ体操の歴史を担ってきたラジカセさん、もう少し無理をせず子供達をラジオ体操させてやってくださいませ。今日の夕方は組の定期総会です。
2006年08月06日
コメント(1)
ここ十数年私にとって夏というと京都で子ども達と過ごす、こういう感じになっていました。大谷派の研修部では子どもを対象とした奉仕団が開催されている、まま教育部では覚寺院でも子ども会、日曜学校、土曜学校でのまとめ的な意味で、同朋ジュニア大会という大会が開催されている。私は大学生の時から子ども奉仕団にスタッフとして参加しているし、同朋ジュニア大会も十五、六年スタッフとして関わらしてもらっている。子ども奉仕団は一応去年で卒業させてもらい、今年は同朋ジュニア大会だけ参加している。でも今回は消化不良的な感じだった。7月の松は自坊で子ども会をしたり、その他法務等々でめいいっぱいであまりジュニア大会のことを意識できてなかった。事前研修会も参加できなかった。ついでに御門徒さんが亡くなられ中抜けとなり、気が集中できなかった。体力的にも限界状態だった。私は中学生の総務という役割をしていたのだが、どうも総務という仕事が出来ただろうかって思ってしまう。中学生の総務という役割はその日の日程終了後本部ミーティングといって一日を振り返ったり次の日の確認をするにって胃の司会が主な仕事内容だ。班担の人々と座談会の司会をしながらどういうことを話し合ってほしいか、どういうことにこだわってほしいのかっていうことを直接的ではなく、班の状況を聞きながら伝えていくという役割をしなければならない。その司会がする地震がなかったし、しなかった。私が休んでいて変わりに入ってくれた人に返ってきてからも御願いをした。どういうことを聞けばいいのか、どういう聞き方をしようかっていうアイデアが全く浮かんでこなかったんだ。自信がなかったんだ。全然頭が回転せず、体もヘトヘト全然ダメじゃんっていう感じだった。年を取ったっていうことなのかな。今まで出来ていたこと、今まで無理できていたことが出来なくなっている。ちょっとショックでした。やっぱり何事も体と心の余裕がなければダメですね。
2006年08月06日
コメント(0)
今家に帰るためサンダーバードに乗っています。でも大失敗してます。昨日ネットで購入したのです、が、実は午後4時の列車を買ったつもりが14時の列車を買ってたんです。それも気づいたのが、列車到着5前でした。切符を受け取る時も気づかず、改札機が鳴っていけないときも気づかず,オマケに自由席も満席で今指定席のデッキにいます。 疲れているときはこんなもんです。
2006年08月04日
コメント(1)
今乗っているサンダーバードの車掌さんは女性です。個人的には嬉しいです。ても気づいたことがあります。それば女性の車掌さんはつくり笑いをしているというか、常に微笑んでいるのです。それはいいことというか嬉しいことなのですが…。 そしたら男性車掌さんはどうかということなのです。 男性しかいなかったときの車掌さんは常に微笑んでいるということが想像できないというか、気持ち悪くなりそうです。今の時代、男性車掌が微笑んでいると気持ちわり~とか、ヘラヘラするなって思ってしまいます。 男性に期待することと、女性に期待することは違うっていう答えなのでしょう。そんな自分が男女平等なんて叫んでいることがなんか笑えてきます。 でも男と女が共にいきていける世界を求めていきたい。 気づけばあと十分ほどで京都駅に着きそうです。
2006年08月02日
コメント(5)
葬儀を終え再び京都に向かっています。富山にいるときは暇さえあれば寝ていたって言っていいくらいでした。 昨日久しぶりに東本願寺のお朝事におあいしたのですが、堂衆さん(本願寺でお勤めをする役職者)たちと細かいところでお勤めが合っていないことを実感しました。正確にいうと以前より合わなくなったと言った方がいいのでしょう。 自分勝手な節回しになったということでしょう。 いいことを知らせていただきました。 今回の京都ではどういう自分発見があるのでしょうか。ちょっと楽しみです。
2006年08月02日
コメント(0)
全31件 (31件中 1-31件目)
1