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子どもと一緒に「セーラームーン」(実写版)を見た。決してマジマジ見ていたわけではないけれどけっこう安作りの画面だな~~というかんじ。でも出演している女の子たちは、みんな、それなりに可愛らしい。すごい運動神経の子もいる。(吹き替え?)ちょっと芝居には難があるけど、それもご愛敬かもね~。そしてどの子もみんな、シャンプーのCMに出られそうなくらいのサラサラのロングヘアをなびかせて、戦っている。いいな~~。私もあんなにきれいなストレートロングだったら、もっと違う人生が待っていたような気がする…。(←気のせい?)私の青春時代の、最大のコンプレックスの1つが、ゴワゴワのくせ毛であった。天然パーマでも、髪の毛が柔らかくて、軽くウェーブがかかっている程度なら愛らしいけれど、私の場合は、ホントに剛毛で、固く、ボリューム爆発のくせ毛だったのだ。(T_T)仕事をするようになってから、何回かストレートパーマをかけたこともあるが、確かにその直後は、見たこともないくらいサラサラヘアの自分がいた。しかーし、シャンプーすると、瞬く間に効力が落ちて、シンデレラ → おそうじおねえちゃん へと転げ落ちてしまうので、いつのまにか、かけるのをやめてしまったのだ。(T_T)しかし、寄る年波か、さしもの頑固なくせ毛も、最近なんとなく根性がなくなってきているようだ。髪の毛も、年々細くなっているようで、ボリュームもちょうどいい感じに(^^)。おっ、これなら長年の夢サラサラ・ストレート・ロングにも挑戦できるかも…とうっとりと想像…。しかし、時すでに遅し。かたわらの鏡が、私の甘い幻想を、一気にうち砕いてくれた。白髪交じりのロングヘアというのは、ちょっとコワイ。悲しいけれど、人には分相応、年齢に相応のヘアスタイルというものがあるのである…。(T_T)
2004年01月31日
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仕事を離れて10年。夫の郷里で、義父母と同居を始めて3年になろうとしている。まずは、この土地に慣れることが最優先。最初のうちは、子どもが小さいこともあって、大目に見ていた夫も、最近チクチクと嫌みを言うようになった。そろそろ仕事を始める頃なんじゃないの?そうですね。仕事を始めれば、こんなに、のんびりとはしていられないだろうから、きっと2キロくらいは、すぐに痩せることだろう。(←ダイエットじゃないって(^^;)子どももどんどん成長して、教育費がかかるのだから、お金は絶対に必要だ。でも、ここは、新潟県でも、最も景気の悪い町。40才の私を雇ってくれるような、奇特な会社はありそうもない。それに、夫はパート勤めには反対なのだ。もう年なんだから、自分のキャリアにならない仕事はやめたほうがいい。と言う。それなら、何をしたらいいのかと尋ねると、これからは、農業でしょう。と、のたまう。農業…。興味はあるけれども、私はド素人である。それに「農業をしろ」と言うなら、土地をくれ である。前職(プログラマ)の関係もあって、私はパソコンの作業が1日中続いても、全然苦にはならないほうだ。何とか、早く新しいパソコンに慣れて、家で仕事ができるようになりたいと思い、去年半年かけて「テープ起こし」のオンライン講座を受講した。でも講座修了後、ポツリポツリとヘルプで仕事はしたものの、なかなか実績になるほどの仕事量を確保することは難しいのが実情である。(T_T)(夫はこの「テープ起こし」の仕事にも、あまりいい顔をしないのだ~)今日はとうとう、「仕事もしないで、子どもの相手もしないで、1日中パソコンばかりいじっていて…」と思い切り非難されてしまった。あ~~あ、こうなりゃ、プチ起業ですかい?何だか、どんどん暗闇にハマっていきそうな私であった。
2004年01月30日
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私の夫が好きなのは、ジャズとプログレ。ウェザーリポートやELP、ピンクフロイドなどをこよなく愛している。一緒に彼らの曲を聴いていると、「やっぱ、いいよな~~」と必ず同意を求められるが、「う~ん、悪くないよ」と、私の返事は消極的だ。とても脳みそがかき回されるような、延髄がしびれるような感覚は味わえない…。ほぼ、同年代の私たち。だが、私が高校生の時によく聞いていた洋楽といえば、ウエスト・コースト系というのか、イーグルスとかリンダ・ロンシュタットなどだった。友達の中には、ヘビメタ一直線という子もいて、熱心に「これいいから、聞いてみな」とレコードを貸してもらったりしたが、はっきりいって、眠ってしまいました~。(^^;リズムはタイトで、演奏もハードなんだけど、ずっと同じことやってて(そう聞こえる)単調だし、ぜ~んぶ同じ曲に聞こえるんだも~~ん。しかし、今あらためてイーグルスなんかを聞くと、「ホテル・カリフォルニア」は別として(あれはあれで完成品)、やはり、音が古~い感じである。メロディーのきれいな曲が多いので、アレンジを変えたら、けっこういけそうな気もするが、かなり泥臭い感じ(バンジョーのないカントリーみたいな?)だったのね。その点、ウェザーリポートやELPは、発売当時は非常に前衛的というか、難解と言われていたらしいが、今聞くと、その分「全然古くない」のがさすがである。気をよくした夫は「子どもには、無理にクラッシックを聞かせる必要はないな。」と言ってから、2人の子どもを呼びつけた。「はい、ここに座って、この音楽を聴いてごらん。」5才と8才なので、おとなしく父親の言うとおりに座る子どもたち…。そこにELPの宗教音楽みたいな曲が、厳かに(?)流れてくる。すぐに子どもたちの目が泳ぎ始めるが、夫は「目を閉じて、じっーと聞いてみてごらん」としつこく強要する。もじもじと居心地悪そうな子どもたち…。あ~あ、この子たちは、やっぱり母に似てミーハーなのね~~。(T_T)アニメソングや「世界に1つだけの花」が好きなのだ。(T_T)(でも最近のアニメソングはけっこうカッコいい曲が多いけど)やや滑稽なその光景を見ながら芸術センスは、お父さんに似てほしかったな~~~と、おかしくも哀しく思う母であった。
2004年01月29日
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そういえば、2年前の今頃は、こっそりマイクロダイエットをやっていた。産後太りに中年太りが加わり、すっかり貫禄のオバハン体型になってしまった私。(T_T)何とかしなければ…と思うが、「カロリー計算をして食事制限」なんて、アバウトな私には絶対ムリである。痩せなければ…という思いはあるが、そのまま月日は過ぎ、ついに2年前のお正月。食べ過ぎ&飲み過ぎで、とうとう妊娠8ヶ月頃の体重と同じになってしまった~~。まずい、まずい。とうとう、マイクロ様のお力を借りる時が来たのだ~~。極秘裏に作戦を遂行し、春になって薄着になったら、アレ? 何か痩せたんじゃない?と人々が気づく……な~んていうシナリオを勝手に描きながら(イメージが大切)、恐る恐る2箱注文してみた。夫も子どもも出払った、昼食だけマイクロにする。(なんせ、極秘ですから)スープとドリンクを半々にしてもらったのだが、意外なほどに、これがおいしいし、おなかも(その時は)いっぱいになる。あとは、間食を断って、できるだけ運動をするのだ。(雪かきね)食後、割とすぐにおなかがすいてきたが、水やお茶を飲んでごまかす。朝食と夕食は普段通り♪。そんな生活を2~3日続けただけで、体重はすぐにストンと1キロ落ちた。根性で1週間続けたところ、あっさりと2キロ減少。しかし、こうも順調にだと、かえって「リバウンドするんじゃないのかしら…」なんていう不安が押し寄せてくる。その後は停滞期に入り、そうこうしているうちに、徐々に間食が復活してしまった~~。(←根性ナシ(T_T))結局、劇的にスリムになることは、かなわぬ夢となってしまったけれど私はここで、重大な発見をした。それは 食べなければ痩せる ということである。大した運動もせずに、お菓子なんぞを食べてばかりいるようでは絶対に痩せないのだ。何もマイクロをせずとも、スッパリと間食をやめれば、ある程度は痩せることができるのだ。大枚をはたいて、私が悟った真実は、たったこれだけであった。(T_T)
2004年01月28日
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楽天日記を始めて1ヶ月あまりが過ぎた。軽い気持ちで、初日はただ登録しただけ。それなのに、すぐに「あなたのHPが10アクセス達成!」という楽天からのメールが届いたりして、「??」という気分になった。早く日記を書き込まないといけないのかも…とあせったことを思い出す。(^^;自分のHPを持つのは初めてだったし、楽天のシステムが今イチよく分からないままのスタートで、ホントに手探り状態であった。とりあえずは、毎日日記を更新することを目指す。しかし、これが意外にしんどかった。しょせんはひとり言なのだから、気楽に書き込めばいいようなものだが、それだけでは、やっぱりツマラナイ気がして…。ほんのちょっとでいいから、社会性や普遍性を付け加えたい、と思うと手が止まってしまう。そして、最大の敵(?)。アクセス数。当初は50アクセス、100アクセスと、楽天からメールされるたびにきゃ~~~と一喜一憂していた…。しばらくは、このアクセス数の伸びが鈍かったので(あら、今も(^^;)、なんだか壁に向かって話をしているような焦燥感、孤独感があった。日記を始めて1週間後くらいに、お正月になったので、実家にもどったら(4日間)、その間は毎日0~3アクセスしかなかったし!(T_T)まあ、これは日記の内容がおもしろくないせいなのだ。KEIZOさんのように、日記のおもしろさだけで、2ヶ月半で10万アクセスを超えている人もいるのだから…(でも、KEIZOさんは別格かな~?という気もする)とはいえ、とにかく書き続けていれば、アクセスが安定することは、だんだん分かってきた。広場にある「テーマ」を選択して書くと、また少し広がりができる。「仮面ライダー555」というテーマで書いた時は(最終回だったので絶対書きたかった)、普段の3倍のアクセスがあった。(続かなかったけどね(T_T))もっともっとイロイロ努力すれば、アクセス数も伸びていくのかもしれないが、最近はそれほど、数の増加が気にならなくなってきた。毎日の日記が楽しみな、ネット上のお友達も増えてきたし、ゆっくり、のんびり続けていきたいと思うように、ようやくなってきたのである。
2004年01月27日
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久しぶりの大雪となった今日、エアロビクスのレッスンが始まった。市が主催するクラスなので、8回1500円と安いのが魅力だ。私がエアロビを始めたのは、去年の夏だった。それまで、エアロビというと、時々テレビなどで見かける、あの「エアロビクス大会」のイメージがあまりにも強烈であったため、今イチ、腰がひけ気味のところがあった。なんてたって、ず~っと激しい動きが続くのに、辛そうな様子は微塵も見せず、最初から最後まで、弾けるような笑顔というのが、どう見ても不自然でコワイのである。しかし、8回1500円である。安さに惹かれて速攻で申し込み、レッスンを始めてみた。平日の午前中なので、若い人よりも、50~60代のオバサマ方が多い。先生は、さすがに体にピッタリのユニタードでキメていたが、生徒はほぼ全員がトレパン姿であった。初心者クラスということもあり、無理のない動きが中心で、跳んだりはねたりするよりも、全身を無理なく使った動きが多い。それに、思っていたより、ずっとダンス的な要素が強かったので、私が当初、抱いていたエアロビへの偏見はすっかり消え去ってしまった。そのレッスンには、知的障害者(30~40代?)の方たち、数人も参加していた。動くことで、身体や精神を解放するのは、いいことなのかもしれない。見ていると、楽しそうに踊る人あり、ボケッーと立ちすくむ人あり。すぐに座ってしまったり、かと思えばやみくもに体を動かし続け、クールダウンで、体を横たえたとたん、グーグー寝てしまったり、と様々である。その日も、ある男性が、踊る人々の間をフワフワと徘徊していた。そして、彼はだんだん私に近づいて来ているように見えた。気にしないフリで踊る私の間近で、彼は足を止め、焦点の合わない瞳をこちらに向けた。そして、ナント、ひと言「じょうず~~」とホメてくれたのだ。あら、あなた、なかなか目が高いわね~~。とはさすがに思わなかったが、私はちょっと嬉しかった。こういう人の嗅覚というのは、けっこう鋭いものがある。以前、小さな音楽会に行ったとき、演奏が始まり、美しい楽器の音色が響き始めたとたん、嬌声を上げて喜んでいたのは、知的障害を持つ子どもたちだった。私は上手に踊っていたわけではないが、ものすごく楽しんで動いていた。その波動を、彼は素直にキャッチしてくれたのかもしれない。彼らはもうレッスンに来なくなってしまったけど、私は今日も楽しく踊ることができた。ちょっと、きのうのスキーの筋肉痛はあったけどね。(T_T)いやいや、そんなことは言っていられない。この大雪…この後はお楽しみの雪かきが待ってるのだ~。(T_T)
2004年01月26日
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次男が「スキー、やってみたい」と無謀なことを言い始めた。保育園のお友達の話を聞いて、自分もやりたくなったらしい。「お前が思っているほど、カンタンじゃないんだぞ。」と夫がクギを刺しても、心はすでにスキー場♪まあ、お子さまの認識など、こんなものかもしれない。夫は、かなり本格的にスキーを学び、レース経験もある上級者だが、子どもたちは、ほぼ初体験。私もボーゲンに毛がはえた程度の腕前で、しかも15年ものブランクがある。正直なところ、夫は、子どもたちが、早目にスキーを始めることには反対だった。スキーは、スポーツの王様と言われているくらいで、かなり難しい面がある。その上達のためには、センスや体力はもちろん、ある種の芸術性が、絶対に必要なのだそうだ。ああ、だから私はスキーが上達しなかったわけね~。(T_T)と何となく納得する。まあでも、「やりたい」と言うときに、1度くらいやってみてもいいのかもしれない。そう思って、急遽、近くのスキー場に行くことに決まってしまった。あまりに急だったので、ウェアも、15年前の今どきこんなの、誰も着てねーよという代物だし、手袋もないので、その辺にあったヤツを適当に持ってきたり…というアバウトさ。まあ、子どもの練習がメインなので、親のカッコなんて、どうでもいいのである。(T_T)我が家から一番近いスキー場は、車で15分ほど走った所にあるが、そこは地元のお兄ちゃんお姉ちゃんご用達しのスキー場、という感じ。さらに20~30分走ると、何カ所か、けっこうメジャーなスキー場に行くことができる。私たちは、以前泊まったことのある、ホテル一体型のゲレンデに向かった。そのホテルは、温泉、ゲーセン、プール完備で、宿泊代もリーズナブル。ファミリーやグループにとても人気があるところだ。そのせいか駐車場は、所沢、袖ヶ浦、品川、多摩、相模など、関東ナンバーの車がズラ~リであった。2人の子どもと私のスキーセットをレンタルして、5000円(半日)。(ディズニーランドのパスポート(1人分)よりも安い~~)ゲレンデも、それほど混んでいなかったし、初めてスキーをはく子どもが練習するには、ちょうどいい感じ…。最初はヨロヨロと転んでばかりいた子どもたちも、そのうち少しずつ、歩いたり、滑ったりできるようになってきた。2時間ほど、歩く練習を中心に、動いたのだが、もしかして、私のダメージが一番大きかったかもしれない。(T_T)久しぶりすぎて、スキーのはき方からしてモタモタ…、夫の顰蹙を買った。(T_T)ブーツは重く、隣のボーダーの、軽そうなシューズがうらやましい限りだった。子どもにつき合って、ただ雪上をスキーで歩いただけなのに、全身を襲うこの倦怠感…。明日(もしかして明後日かも?)の筋肉痛がコワイよ~~。
2004年01月25日
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向井亜紀の代理母出産をめぐる、一連の報道を見ていて、そういえば、8年前の私たちの時も、出生届が受理され、戸籍に載るまで、1ヶ月以上かかったんだった…と今更ながら思い出した。夫婦2人だけの出産を決意して、実際、無事出産したのはよかったが、やはり出生届はカンタンには受理してもらえなかった。出産に立ち会った第三者(だいたいは医師)の欄が空欄になるわけだから、市役所側としても、出生届は「預かり」の形で、後は法務省にお伺いをたてなければならないということだった。出産後3週間くらいして、朝1本の電話があり、市役所の戸籍課(だったかな?)の女性が、我が家を訪れることになった。ええっ~、部屋が汚いのに~~っと、それから、慌てて掃除をする。時間通りに現れた人は、ごくごく普通の人だった。尋問じみた感じもなく、淡々と質問をする。形通り「なぜ、ご夫婦での出産、という選択をなさったんですか」とは尋ねてきたが、あとは、あまり深追いしてこなかったので、ちょっとホッとした。実は、私たちにとっては、ここが一番肝心な問題であったのだが、それを他人に1から説明するのもなんだかな~、という感じだったし…。それに、役所にとっては、この出産に不正な点がなかったかどうかが、一番の関心事であった。(不法入国者の出産が増えていて、その辺の確認が大事になるらしい)私は臨月のときの全身写真(おなかが見えるような格好で)後産(胎盤を出すこと)のときの写真を撮っていたので(証拠として、撮っておいたほうがいいという指導だった)それを彼女に提出した。自分で見ても、ゲゲッと思うような写真を、それが仕事とはいえ、平気なフリで見なければならない彼女に、その瞬間、思わず少し同情したものだ。その後、「ご近所の方に話を伺ってもいいですか?」と聞かれ、隣の奥さん(事前に自宅出産のことを話してあった)に少し話を聞いてから、彼女は帰っていった。めでたく戸籍に載ったのは、それから2週間後のことだった。たった、これだけのことでも、ビクビクしたり、いろいろ気を遣ったり、けっこうエネルギーを使い果たしたような気がする。向井亜紀の場合は、もっともっともっと問題が複雑だ。今までもそうだったが、今後もしばらくは、莫大なエネルギーをもっていろいろな問題にあたらなければならないだろう。代理母というシステム自体には、まだ疑問もあるけれど、、どうぞ体をこわさないように、がんばってほしいと、思わず画面にエールを送った私であった。
2004年01月23日
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このところ、民主党の古賀議員の 学歴詐称&「テニス優勝」虚偽 疑惑が、ニュースを賑わしている。ここで話題になっているペパーダイン大学という大学を、今回私は初めて知ったのだが、何でもアメリカではトップレベルの大学なんだそうだ。アメリカの大学が、日本と大きく違うのは、入学はできるが、卒業するのはおそろしく大変、ということだ。名門大学なら、なおのことだろう。おおかた、厳しい授業にギブアップしたんじゃないの?日本の若造の甘い考え方など、通用しない世界なんだと思う。しかし、この古賀さんという人も、自分にハクをつけたかったんだろうが、ウソはいけないよね、ウソは。その上、大学やテニス大会運営側が「NO」と言っていることを確かめるために渡米するなんて、恥の上塗りもいいところである。自分のことは自分が一番よくわかっているはずでしょう。…しかし、人間なんて弱いものである。フッと、「こうだったらよかったのに…」と夢想したことを思わず事実だと思いこんでしまうことも、時にはあるのかもしれない。ここまで考えていたら、私の頭の中に、一人の女性の姿がポッと浮かんできた。彼女は会社勤めしていた頃の先輩で、私より3~4才年上だったと思う。入社したばかりの私は、バリバリと働く彼女を、最初畏敬の気持ちで眺めていた。とにかく口がたつし、時々披露される私生活の話も、すごくきらびやかだ。しかし、1ヶ月もしないうちに「○○さん(彼女の名前)の話って、全部ウソなんだよ」という話を聞かされ、愕然とした。最初は、やはり他の人も信用していたらしいが、話の辻褄があわないことが多くなり、結局ウソだとバレてしまったらしい。1度、他の社員が、帰宅する彼女をつけた(!)ところ、豪華マンションどころか、年期の入った古アパートに入っていったとか。仕事先でも、口八丁で、ホイホイ安請け合いするのはいいが、実力が伴わない悲しさ、結局グループの他の人が尻ぬぐいをする始末だったとか。出てくる、出てくる、いろんなハナシ…。しかし、彼女は全然気づいていなかったのである。(いや、一生懸命気づかないフリをしていたんだと思う)その後もエンエンと、自分の夢物語を語り続けるのだった。ここまでくると、ビョーキだよね…とさすがにみんなが遠巻きにしはじめた頃、それを敏感に察したのか急激にストレス太り(?)になり、それでも「きょうは、ミュージカルの稽古なの」とドスドス帰って行ったっけ…。そして、そのうち退職してしまった…。世の中には、病的な虚言癖の人がいる、ということを身近でマジマジ勉強させてもらい、すごくいい経験になった(?)と思う。この彼女と、古賀氏を一緒にするつもりはないが、ふと同じような影を見てしまった私である。古賀さん、ここは一発スパッと私が悪うございました。と謝って、潔く議員を辞めたほうがいいですよ。そのほうがずっと好感度がアップすると思うのだけれど…
2004年01月22日
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うちの長男が、一番荒れたのは、2才半から4才くらいまでだったろうか。頑固で、強情、情緒不安定。でも、それにはちゃんと理由があった。引越と、弟の誕生。大きな環境の変化は、大人でもシンドイもの。その上に弟の出現で、彼は完全にパニックになっていた。彼には、母がいつも赤ちゃんばかり世話しているように見えただろう。「赤ちゃんは、一人では何もできないんだよ。だから、お母さんがしてあげなければいけないの。」なんて、子どもには理解したくない理屈だったかもしれない。長男だって、まだ2才だ。でも他の家庭を見ても、話を聞いても、だいたい、上の子は、下の子をかわいがっているみたい…。どうしてこの子は…。とタメイキが出るくらい、長男は赤ん坊をいじめた。引っ張ったり、ツネッたり、転がしたり、一瞬も目が離せないような状態だった。しまいには、赤ん坊にオッパイをあげている背後から、私の頭をボカボカ殴ったりもした。(痛いのはともかく、なんだか情けなくて涙が出てきてしまった)私も育児疲れで、余裕がなかったので、しょちゅうキレて、大声を出したり、しまいにはツカツカと長男に近づいていって、投げ飛ばしてしまったり…。鬼母してましたね~。(懺悔)彼は、ホントにナイーブな子どもで、ただ自分が一番愛されているという確証がほしかっただけなのだと思う。小さいから、まだまだ自分の気持ちを上手くコントロールできなくて、ジタバタしていたのだ。今になってみれば理解できることだが、台風の渦中にいたときは、なかなか分かってあげられなかった私…。風向きが変わってきたのは、4才で幼稚園に入園してから。先生やお友達と接することで、だんだんと「そんなに背伸びしなくてもいいんだな」ということが分かったようで、フッと憑き物が落ちるように、落ち着いたのだ。お菓子は好きだけど、肝心の食事のほうは「偏食の少食」だったのが、体を動かす時間が増えたことや、おいしい給食のおかげで、少しずつ、食べられるようになってきた。そして、あれほどいじめていた弟と、いつのまにか大の仲良しになり、「弟思いの兄」に大変身。「あの時、いじめ尽くしたんだな~」(?)「成人してから、家庭内暴力されるより、よかったよ」(?)などと夫と感慨深く、話し合ったものだ。その長男も、今日8才になった。兄弟仲は、相変わらずで、何をするにも一緒である。偏食もかなり直ってきた。いろいろな問題を抱えて不安な時は果たして、この問題が解決するのだろうか…と暗く考えがちになるけれど、時間が解決してくれる ことも多い。何しろ、ゆっくり、きばらず…というのが一番みたいですね。(なかなか、そうはいかないけどね(T_T))
2004年01月21日
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車の免許を取ったのは、26才の時だった。もう14年も前のことである。派遣の仕事の谷間となった2週間、浜松の「綜○自動車学校」の合宿コースに、お世話になったのだ。夫を千葉に残して、冬の浜松へ…。非常に心細い思いだったが、「やるしかない」という悲壮な覚悟で新幹線に乗りこんだ。合宿コースは班行動で、同じ日に入校した10数名が1班を作ることになっていた。私の班は、ハタチ前後のフリーターの男の子が多く、女性は私と、伊藤麻衣子似の可愛いお姉さま(28才)だけであった。2週間という短期間で卒業しなくてはならないのだから、初日からスケジュールはビッシリで、朝一番から夕方まで、エンエンと講義と実技が続く。オーバーした分は、滞在日数が増えることになるので、当然、超過料金(ホテル代)を払わなければならない。学校も、どんどん生徒が回転していった方が儲かるから、生徒はもちろん学校も必死、という緊張した雰囲気が満ちていた気がする。大変だったのは、毎日毎日、長~い講義を受けなければならなかったこと。そして、ただ授業を受けるだけでなく、その後のテストで90点以上取れなければ合格にはならないシステムだった。実技の方は無免許時代に物をいわせて(?)楽々クリアしていた男の子たちも、このテスト漬けには、ホトホト参っていたようだった。私も、ホテルに戻ったあとは、真面目に勉強したものだ。仲間と内線で(主に50才のおばさまと)教えあったりして…。私が勉強でヒーヒー言っていると、電話の向こうで夫が「免許取るのに勉強するバカがいるのか~」と驚いていた。それって、どういうこと~~~実技については、私の指導教官はけっこう厳しかったので(かなり罵倒された人もいたらしい…)、緊張して胃が痛くなったが、終わりごろには、だいぶ優しくなってきて、うちの車がオートマだと知ると、「それはよかったな~」と何回も言ってくださった。それって、どういうことですか~~~しかし、なんとか1回で卒検をパスした私は無事、2週間で卒業することができた。私よりも1週間早く、入校していた50才のおばさまと、リタイアしたばかりのおじさま(60才くらい?)は残念ながら、居残り組となってしまった。(T_T)幸い、同じ班のメンバーはほとんど全員が合格だった(若いだけあって)。伊藤麻衣子似の彼女は、不倫中とかで、よく彼氏の会社に電話していたっけ。他の男の子たちも、よくよく聞いてみると、けっこうボンボンが多くて、ちょっと惜しいことをしたな~~という感じ(?)。2週間、ずっと行動を共にしてきたので、別れはちょっぴり辛かったけど、これでやっと平常に戻れるという気持ちの方が強かったかな~。それにしても浜松の道は、平坦で走りやすかったし、ベテラン・ドライバーも、慣れているのか、教習車に優しかった。終わりよければ、すべてよし。けっこう、いい思い出ばかりが残った浜松行きであった。
2004年01月20日
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5年ぶりに、車の免許を更新し、新しい免許証を交付してもらった。何か写真がピンボケのような気がするが、まあいいや。今度もゴールドカード♪それはそうだ。私は一般道では、(標識の速度+20キロ)までしか出さないし、こんな田舎では駐車違反することもないし…。無事故・無違反、キレイな体である。でもまあ私の場合、ペーパー時代が長く、必要に迫られて運転するようになって、まだ4年目でしかないので、詐欺のようなものかもしれないな~。そういえば、以前「雪国の人は運転が上手い」という話を聞いたことがあるが、本当だろうか。雪道の怖さを知っているので、「無理な運転をしない」ということなのかもしれない。圧雪の道路では、(私がよくやる)急ハンドルや、急プレーキは命取りである。ギアを落としながら、少しずつブレーキを踏まないと、滑ってしまってホントに危ない。だから、雪が一度に降り続いたり、気温がいつまでも上がらない寒い日などは超ノロノロ運転、長い列が続く。みなさん、とても慎重だ。しかし、この雪の季節に限らず、ちょっと郊外へ出ようとすると、必ず出会う、慎重でマイペースな車…。その名は、軽トラ。そこに枯れ葉マーク(あっ、失礼。紅葉マークと言うんだっけ)がついていたら、まず決まりである。田舎では、車が足代わり。だから大人の人数分、車を持っている家が多い。我が家も4台(そのうち2台は軽だけど)体制だ。当然、お年を召した方たちの運転率も、高い。そういう方たちは、農作業などの往復に、軽トラをお使いになることが多いようだ。汚れてもいいし、たくさん荷物が入るので、とても使い勝手がいいらしい。しかし、また、これが超マイペ-ス。(T_T)国道を30~40キロで走っている。おーい、おーい。しかも、車線は片側1車線だから、タイミングをはずすと、なかなか追い越せない。罪のないおじいちゃんは、こっちがイライラしていることさえ、気づいていないようだ。やっとの思いで追い越しても、またすぐ、次の路地から出てくる軽トラの姿が…。そう、越しても越しても現れる、田舎の道につきものの、この、軽トラのことを、うちでは軽トラの法則と呼んで、秘かに恐れているのであった。
2004年01月19日
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この1年間、ずっと楽しませてもらった「仮面ライダーファイズ」がとうとう終わってしまった。いやいや、子供番組と思ってバカにしてはいけない。平成になってからの仮面ライダー・シリーズ、特にこの「ファイズ」はよくできていて、下手なトレンディー・ドラマなどより、よっぽどおもしろいものだった。うちでは、はっきり言って、親の方が、子どもたちよりも楽しみにしていたくらいである。戦闘シーンにCGが多用されているので、今イチ臨場感が…という声もあったようだが、私は戦いのシーンや、バイク・アクションなどにはあまり興味がないので、全然気にならなかった。また「俳優の使い回し」というか、「アギト」の時に出ていた役者さん(北條刑事、本物の津上翔一など)が出演していて、あら、またお会いしましたね~。やっぱりインパクトのある方たちだから?な~んて思える楽しみもあった。(スマート・レディが、「龍騎」で、主人公と同僚だったブッとび島田さんとは全然気が付かなかったが…)「オルフェノクの王」が登場したときも、あれ、なんだかアナザーアギトに似てる…。と思ってしまったり…。それにしても、木場勇治という人は、数奇な運命の人だった。最初のうちは、オルフェノクの力を嫌悪して、「人間を守る」という立場を貫いていたのに、後に人間の決定的な裏切りにブチ切れて、大暴走。一気に「人類の敵」になってしまった。最終回のヤマ場の一つ…。乾 巧との宿命の対決で、「おまえは人間だ」と、トドメを刺さずに去っていった巧に、吠える木場。(迫真の芝居だったですね~。)木場が、完全に心までオルフェノク化しきれていないことを、戦いながら巧は感じ取ったんだろう。(戦う前から分かってた?)そして、最後の戦い。「王」の圧倒的な強さの前に、なすすべがないと思われた頃、木場が、渾身の力で「王」を羽交い締めにする。カイザの変身が解けて、オルフェノクの姿であるのが、なんとも悲しい。自己犠牲を覚悟したその姿に、ファイズも吠える。そして、ファイズのキックで「王」と木場は、大爆発、最期を遂げることになる。まあ、やはり最終回の宿命(?)か、話は一応収まったけど、いろいろ疑問は残る、ややこじつけ気味の終わり方だったのは、否定できない。でもこの1年間、番組を見ていて、人間であることの意味 について、たくさんのことを考えさせられた。「オルフェノク化」した人たちというのは、絶望や、怒り、悲しみといった、いわば、莫大なマイナス・エネルギーを持て余した人たちだったような気がする。その意味で、最近「とても人間とは思えない」ような犯罪が起こるたびに、その犯人たちは、一部分がすでにオルフェノク化しているのかもしれない、などと考えてしまう私なのである。
2004年01月18日
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授業参観が終わった後、学年懇談会のため、母親たちは隣のクラスに移動した。そして、会が始まる前のひととき、そのクラスの「詩」を鑑賞させてもらった。あれ? 何か違う…。一見してうちのクラスとは違うのだ。長男のクラスの場合、さすがに女の子は、手堅くまとめていたが、男の子は、うちの子を筆頭に、けっこういいかげん~、という感じだったが、このクラスの詩は、どれも整然と、いかにも「詩」らしく、まとまっているではないか。(内容はともかく)その上、赤ペンで、丁寧な講評まで付いている。このクラスの先生は、10年のキャリアを持つ中堅。真面目で、非常に熱心だ。そういえば以前、絵画でもこんなことがあったっけ。長男のクラスの絵は、彼を筆頭に、お世辞にもうまいとは言えない、何を描いているのかよくわからないような絵が多く見られたが、隣のクラスの絵は、みんなキラキラしいイメージ☆。色をたくさん使って、画用紙いっぱいに描かれている。しかし、その時、私は、長男が、あの気の利かない担任のクラスでよかったのかもしれない…と思ってしまったのだ。隣のクラスの、そのスバラシイ絵には、かなり担任のチェックやアドバイスが入っているように思われたし、その結果、それらはみんな、非常に似たものになっていたから…。小さいうちから、型にハメることはない。と私の夫はよく言う。私も全く同感なのである。
2004年01月17日
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今日は待望(?)の参観日。雪が続いていたので、参観者は少なくなるかと思っていたが、けっこう皆さん熱心で、大勢集まっていた。長男のクラスの担任はまだ若く、まるで教育実習生のような感じ。(見た目はフケているが)4月に初めて参観したときは、算数の授業だったが、とにかくすべてに余裕がなく、自分のことでせいいっぱいのご様子。声が小さくて、何を言っているのかよく分からないし、子どもに何をやらせたいのかが不明瞭。見ていてあまりにイライラして、どけっ~~、私が代わりに授業したる~~~と叫びたくなるほどだった。(小学2年生の算数なら教えられる♪)しかし、もう3学期である。さぞかし成長を遂げられたことだろうと、「道徳」の授業のお手並みを拝見することにした。(いや~ね、おばさんは)結論から言うと、まあ、こんなもんじゃないの?可もなく不可もなく、といったところだ。主題の掘り下げ、展開は、ごくあっさり。でもその方が、四方八方、丸く納めましょう、という道徳のいかがわしさ(?)を感じることが少なくて、私としてはかえって良かったかも…。そして教室の後ろの壁に貼ってあった「詩」も、期待を裏切らず、みんなすばらしい出来映えであった(大笑)。ハンで押したようにどうして空は青いんだろうどうして雪は冬にしかふらないんだろう……調の詩がズラ~リと並ぶ中、ひときわ異彩を放つ(?)わが息子の作品。いつもそうなのだが、消しゴムのかけ方が中途半端で、その上に無理やり文字を重ねるので、何が書いてあるのかよくワカラン。そして、たとえ内容がまずくても、短い文章ごとに改行でもしてあれば、少しは「詩」らしく見えるものだが、ズラズラ~と続けて書いてあるので、なんじゃ、こりゃ~ であった。やはり、トンビがタカを産むことはなかったのね~~(T_T)と思い切り腰がくだけてしまった母であった。
2004年01月16日
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長男の持ってきたプリントは、金曜日の授業参観の案内だった。ナント、全学年「道徳」の授業らしい。道徳か~~。先生もやりづらいことだろう、お母さんたちの前で道徳なんて…と私は思わず同情してしまった。「友達と仲良く」とか「いじめをなくそう」などが、主な内容として並んでいる。私は、それほどあまのじゃくな方ではないと思うのだが、こうした建前バリバリの授業につきあうのは、正直、憂鬱である。今までの授業を参観してみて、長男の担任(24才)に、深みのある授業は、とても期待できそうにないし…。そして、何気なくかたわらの授業予定表に目をやった。今週の国語の授業は、すべて「しを書こう。」という単元になっていた。教科書をパラパラめくると、詩が2編載っている。しかし、それらはお世辞にも詩といえるような代物ではない。(多分、子どもが書いたものだろう。)そして教科書には ◎見たまま、思ったままを書きましょう。と提案してある。私は特別、詩が好きなわけでも、詳しいわけでもないけれど、詩というものは、決して見たまま、思ったままを書いて完成するものではない気がする。詩 = 言葉の芸術、でしょう。鋭い感性がなくては、とてもとても書けるもんじゃない。それが、うちの子のようなまだまだ語彙が少なく、国語力がない子どもに、詩を書かせようなんて…。それをするなら、NHKの「にほんごであそぼ」という番組で、中原中也や金子みすゞなどの詩を取り上げている態度を少し見習ったらいいのではないかと思う。まだ幼稚園くらいの子どもが、優れた詩人の詩を(一部分だけだけど)暗誦している姿は、ほほえましくも美しい。教科書の例に載っているような、詩とはいえないような代物をお手本にして、書かなければならないのは、不幸である。詩を書かせる前に、本物の詩を読ませ、暗誦させるのが先ではないか~~~。と文部科学省にご進言申し上げたい私である。いやいや、人間40年も生きていると、理屈っぽくなってきますね。そうだった。人生はムダなことの連続である。「道徳」にしろ「詩」にしろ、回り道としか思えないような不毛なことも必要なのかもしれない。今日、居残りをして、長男は「詩」を完成させたらしい。明日の授業参観が楽しみである。
2004年01月15日
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全国的に大荒れの1日。当地も北海道ほどではないが、けっこうな強風で、雪が360度、全方向から吹きつけてくる。雪玉が作れないほど、サラサラの雪である。スキーヤーなら大喜びしそうなパウダースノーだ。今日のように気温が上がらない日は、意外なようだが、雪の量はあまり多くはならないみたい。そうはいっても、20センチくらいは積もっているので、久しぶりに私も雪かきに出動した。ベンチコートをはおり、ロングブーツよりもまだ長い、タフな長靴をはいて、いざ出陣である。実は、私は単純で頭のいらない作業が割と好きだ。その上、年のわりには体力もある。だから雪かきを始めると、止まらなくなってしまってしまう~。我が家は国道に面しているので、ありがたいことに、道路は消雪パイプ、歩道の下には流雪溝が完備されていている。流雪溝とは、歩道の下、1メートル弱くらいのところにある溝で、フタを開けて、雪を捨てられるようになっている優れもの。常時水が流れているので、落とした雪は、そのまま川まで流されていくという仕組みになっている。(小さい子どもが落ちたりしたら、そのまま流されていきそうでコワイ)しかし、何かの都合で水の流れが悪くなると、雪が溝にたまってしまうので、自分の家の水を出したり(専用のホースがある)、私の場合、国道の消雪パイプから流れている水を雪を使って道を作り、雪を消したい場所まで誘導したり(←犯罪?)頭を使いながら(?)、楽しんでやっている。この雪国に落ち着いてから3回目の冬。ようやく雪かきにも慣れてきた。雪国の人たちは勤勉で、1日に何回もマメに除雪作業をしている。(ためてしまう方が大変だから)私はよっぽど降った時だけ、2回くらい出ていくが、たいてい1回2時間コースである。しかし、しゃにむに雪に向かっていっては、体力を消耗するばかり。義父や、近所のベテランのおじいちゃん達のように、黙々と最少の労力で除雪できるようになる(免許皆伝)までがんばらねば…なんてったって、離婚でもしない限り、ずっとここで生きていかなければならないのだから…。
2004年01月14日
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久しぶりに、コロッケを手作りした。この前作ったのはいつだったろうか…。数年前じゃ、きかない。10年近く前になるかもしれない。「なんと、手抜きな…」と絶句されるかもしれないが、私は、つい最近まで、揚げ物がとっても苦手だったのだ。いえ、食べるのは大好き。揚げるという作業が、怖くてなかなかできなかったのだ。デカイ中華鍋のような鍋に、なみなみと油を注ぎ、恐る恐る、冷凍物を入れると、パチパチッと油がハネる。こわい、こわいよ~~。前世で何かあったのではないかと思えるほどの、恐怖心。「揚げ物ほど簡単な料理はない」と、母や友人たちは口をそろえるけれど、コワイものはしょうがない。結婚後しばらくは、トンカツやエビフライなどは、外で食べるか、売り物を買ってくる、という生活が続いた。、けれども、主婦歴が増してくると、そんなことも言ってられない。少ない油で、ハネないように揚げるやり方を覚えたりして、時々は揚げ物もするようにはなってきた。その後、子どもが生まれ、食事の支度もままならない時代が続いたこともあり、揚げ物に限らず、料理は「生協」に頼りっぱなし。半調理品をチンする。切り身の魚を煮たり、焼いたり。…のパターンだ。野菜は地元の新鮮な野菜を、お裾分けしてもらえることが多いので、それで何とかバランスを取っている有様である。これでは、3食昼寝つきの主婦 の面目丸つぶれではないか。久しぶりに作ったコロッケは、思いの外に好評だった。その昔、母に作ってもらった物と同じ味がして、私も嬉しかった。これからは、歩いて30秒の、隣のスーパーのお総菜コーナーにばかり頼ることはやめよう、と決心した次第である。
2004年01月13日
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土曜日の朝に、NHKの「うたっておどろんぱ」という番組を見てから、私の頭の中に「バレエ習いたい~」という気持ちがフツフツと湧いてきて、困っている。 私が子供の頃は、バレエといえば、ブルジョワが習うお稽古ごとだった気がする。その上、体が固い、足が太くて短い、髪の毛がクセ毛で剛毛(シニヨンに結えない(T_T))という3重苦を背負った私など、とうていお呼びじゃない、とあきらめていた(当時はプライドがあったので、気のないフリをしていたが)。しかし当時から、私は「きれいなもの」を見るのが大好きで、テレビでフィギア・スケートや体操を見たり、バレエの舞台を見に行ってはウットリと見とれていたものだった。いつか自分もやってみたいという気持ちを、少しだけ満足させてくれたのがディスコ であった。(大学時代)田舎のディスコなので、タカが知れているが、女の子は安いので、本当は毎日でも踊りに行きたいほどであった。いいオトコをひっかけるためではなく、本当に純粋に踊りたかったのである。(まあ、オトコも寄ってこなかったけど(T_T))その後、就職して仕事が一段落した頃、私は猛烈にダンスが習いたくなった。「コーラスライン」や、フレッド・アステアのLDを何回も何回も見ているうちに、我慢できなくなって、思い切って地元のスクールを訪ねてみた。そこは社交ダンスがメインで、ジャズダンスは付け足しのような感じだったが、めでたく高校生に混じって、26才でレッスンを始めることになった。いや~、楽しかった~まだまだ、気持ちがテクニックに追いついていかない部分はあったが、格好の気分転換であったと思う。そこで半年ほどレッスンを続けるうち、今度はだんだんタップ・ダンスがやりたくなって、「ケイコとマナブ」で探してみた。見つけたスタジオに飛び込んで、タップも習い始め、地元のスクールをやめて、ジャズダンスもそこで一緒に習うようになった。その上、やはりダンスの基本はバレエだと、バレエのレッスンも始めてしまった。しかし、これは本当にきつかった。やはり大人(その時29才)になって始めるのは、かなりの無理があり、骨がギシギシ、ミシミシ音をたてていて、相当苦しいものがあった。でも、非常に勉強になったし、役に立った気がする。人間、好きなことをしているときは、本当に楽しいものだ。仕事を辞めて、レッスンも辞めざるをえなくなったときは、悲しくて、夢にまで出てきたほど…。今、この田舎にはジャズダンスのクラスはない。かろうじて、子ども向けのバレエがあるくらい。私の野望は、うちの子ども(男2人)にバレエを習わせて、そのスタジオの隅で、私も一緒にレッスン♪というものだが、即座に却下されてしまった。(T_T)
2004年01月12日
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今日は私の誕生日。「111」とぞろ目で覚えやすく、なんとなくめでたい感じで気に入っている。しかし、年齢的にはめでたいとは言い難く、とうとう不惑を迎えることになった。40といえば、完全におばさんだ。30代であれば「まだまだ気持ちは若いし…」と自らを奮い立たせることもできるが、40となると、そうした気持ちのハリもプッツリと切れてしまいそう。でもこれで逆に、ふっきれたことも確かである。「おばさん」しているとラクなことも多いからだ。20代の初々しい奥さま(新婚)が「いや~、幸せになれるかどうかなんて、わかりませんよ~」などと、頬を染めて言っているところへ、ズズイッと入っていって、「あ~ら、10、20年後はこんなもんよ~」とわが胸をバ~ンとたたくなんて、おばさんじゃないと絵にならない。役割分担ができていると、会話が円滑に進むというものだ。でも世間一般でいう、いわゆる「おばさん」だけにはなりたくない、と思う。自分のことしか頭になく、何か不都合が起きたときは、それをぜーんぶ他人のせいにして「わたしは悪くない」と言い張るような…。人間としての進歩をやめたひと。でもそれを言ったら、「おばさん」は年齢には関係なく、あらゆるところにはびこっているようだ。以前テレビで、6才くらいの子役の女の子がインタビューを受けている場面を見ていたのだが、夫が「こいつ、相当「おばさん」入ってるな~」と呆れたように言ったことがあった。そう、本当は年なんて関係ない。(見た目はともかく)高村光太郎に「あなたはだんだんきれいになる」という詩があるが、 をんなが付属品をだんだん棄てると どうしてこんなにきれいになるのか。から始まって、愛妻・智恵子が年をとるたびに美しくなっていくことを賞賛している。いいですねえ、これですよ、これ。彼は あなたが黙って立つてゐると まことに神のつくりしものだ。とまで言っている。私も是非こうありたいものだ。夫に賞賛してもらいたいとまでは思わないけれど、この路線を目指して、努力していこうと誓った40才の誕生日であった。
2004年01月11日
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やっと冬休みが終わったと思ったら、今日から3連休だ。きのう保育園のお迎えで一緒になった、あるおばあちゃん(今時のおばあちゃんは、みんな若い!)は「長い休みが終わったと思ったら、また休みで、いやになるね~~」とのたまっておられたが、全く同感です。という言葉がノドまで出かかった私である。連休とはいっても、お正月が終わったばかりでお金のない私たちは家でまったりすることになるだろう。それを見越して(?)、きのうは図書館で本を借りてきていた。「軽~く読める本」ということで、文庫本3冊とパソコン関係の本を2冊。こうやって日記をつけるようになって、文章を書くことの難しさをあらためて、つくづくと感じる毎日。図書館では、無意識にエッセイの達人の本を探していたような気がする。私の目が吸い寄せられたのは林真理子の本だった。林真理子といえば、今や大物作家の風格が漂っているが、(実は小説はほとんど読んだことがない)私にとって衝撃だったのは、そのデビュー作「るんるんを買っておうちに帰ろう」であった。当時大学生であった私は、非常に話題になっていたその本を、最初は「どうせミーハー本だろう」と、なんとなくうさん臭く思っていた。しかしある日気になって、パラパラとめくってみたら、それはものすごいパワーを持って、私に迫ってきた。買わずにはいられない魔力があったのだ。何がすごいといって、ここまで自分のこと(コンプレックス)を容赦なく書けるものだろうか、ということに尽きる。自分が気に入らないことや、嫌いなもの・人に対して、痛快に批判するエッセイはあったが、それと全く同じような比率で(もしやそれ以上に)自分のことをネタにして揶揄するものは生まれて初めて読んだものだから、私のショックは尋常ではなかった。ここまで書くか…。しかもそこにはウケを狙った嫌らしさはなく、筆致は冷静で、ユーモアに富んでいる。人生をあきらめたオバハンなどでなく、20代の女性が書いたものとはとても思えない迫力だった。ものすごい観察力、敏感さ、感受性(ある部分に片寄ってはいるが)を感じてめまいがしそうであった。見栄っ張りで、自意識過剰・頭でっかちな女子大生だった私にはとうてい真似できないワザであった。月日は巡り、私も40である。今なら、自分のブサイクな部分も、ある程度冷静に観察できるようになった(と思う)。今でも、とうてい林真理子の真似はできそうにないが、ようやく、自分のありのままの姿を受け入れ、自覚することでステップアップを計っていきたいというふうに思えるようになってきた。図書館に「るんるん~」はなかったけれど、古めのエッセイを見つけたので、その中の1冊を借り、「やっぱスゴイわ」と感心したり、あまりのおかしさに大笑いしたりしながら、一気に読み終えた休日であった。
2004年01月10日
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冬休みでナマってしまった体に活を入れるために久しぶりにジムへ行った。な~んて書くとちょっとセレブ(?)みたいだが、実は市の体育館のトレーニング室に行っただけ。昨年春の検診で、脂質代謝、肝機能、腎・尿路系に「要指導」がついてしまい、こりゃヤバイと感じていた。そんな頃、子どもにくっついて体育館に行き、トレーニング室という存在を初めて知ったのであった。正直それまでは「あんなことして、何が楽しいのだろう」とそのマシンを使った地味~な運動には懐疑的であった。しかし私は「要指導」の女である(T_T)。手っ取り早く体を改造するには、こうした修行が一番適しているのではないか。2~3日悩んだ末に、思い切って電話を入れて、体験コースを申し込んだ。まず最初に軽い体力測定。懐かしい、あのスポーツテストとほぼ同じメニューである。(さすがに50メートル走や、ボール投げはないけど)とりあえずトレーニングをしてみようと決心し、後日、専用のメニューを作ってもらって説明を受ける。私の測定結果は、意外なほど高評価であった。ここ10年近く、運動らしい運動はほとんどしていなかったが、それ以前は、常に体を動かしていたから、貯金があったのだろうか。スタッフは「敏捷性や瞬発力は、急激に衰えることはないので、若い頃に運動をしている方は数値が高いです」と教えてくれた。う~む私も捨てたもんじゃない、と気を取り直してさっそくトレーニングを開始。ごくごく軽いメニューだが、週に2~3日くらいのペースで始めたところ、少しずつ少しずつ、カメの歩みながら体が締まり始め、体重も2キロ減。やはり定期的に体を動かしていると、体調もいい。子どもが休みのときは、なかなか行けないが、それ以外は自らを叱咤して、なるべく通うようにしている。しかし、それも雪が本格的に降るようになるまでの話だ。どんどん降ってくるようになると、とても優雅にトレーニングなんていっていられなくなる。自動的に 2時間のエクササイズ(=雪かき) が待っているのだから…(T_T)。
2004年01月09日
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ようやく小学校が始まり、長男と一緒に冬休みしていた保育園の次男も無事に登園していった。あ~~~、やれやれである。仕事をしていた頃は、長い休みが終わってしまう前日はまた明日から 早起き→満員の通勤電車 の毎日かとタメイキが出たものだ。仕事自体はイヤではなかった。(下っ端プログラマ)こう見えても、意外と細かい作業が好きな方で、虫メガネでバグを探して潰していくような作業も苦にならなかった。一番難しかったのは、何と言っても人間関係。特に、私は派遣社員だったから、社員の人や、同じ派遣どうしなどと無難にお付き合いすることに、より神経を使っていた気がする。幸い、私が派遣された先は、どこもアットホームな感じで、(もちろん中には変な人もいたけれど、そういう人とチョクで仕事をすることはなかったので)その意味では、けっこう快適な職場環境だったと思う。やはり朝、あと10分、いや5分でいいから寝ていたい~と思うところを、ムチ打って起きて、朝ごはんとお弁当(2人分)を作り、支度もそこそこに(私は当時からノーメイク)家を飛び出すという荒技を毎日続けるのが、一番しんどかった。現在だって、朝は早いし、夫と子どもを送り出すまでは、バタバタと気ぜわしい。しかし、自分は出かけなくていいので、支度がいらず、ぜんぜんラクだ。あとは自分のペースで家事をして、好きなように時間を使えるのだ。ありがたいことだと思う。2人の子どもが、人並み以上に手がかかり、その当時は核家族だったこともあり、自分の時間をくれ~~~と荒れていた時期もあった。その頃にくらべたら、今は天国。感謝しなければ、バチがあたる、感謝、感謝……(念仏モード)。でもやっぱり、冬休みが終わってホッとしたのは事実なのよ~~。
2004年01月08日
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お正月に「ジャコ・バストリアス~」とかいう本を見つけてから、夫はウェザー・リポ-トという昔のバンドのCDを借りまくっている。(←買わないあたり)彼が大学生の頃、最もハマり、影響を受け、多くのインスピレーションを与えられたグループらしい。今日も狭いリビングで、身悶えせんばかりに陶酔しながら、CDを聴いている。私はあいにくミーハーで、ジャズとかフュージョン系には疎いので、なかなか同じ土俵には乗りきれない部分がある。ひとつには、彼が曲を聴きながら、自分の大学時代の思い出やら、心象風景をシンクロさせているせいもある。それは私には共有できない、彼だけの世界だから。でも、誰でもこうした、青春時代に夢中になった音楽はあるだろうし、その曲を聴くと当時の思い出に包まれて、切ないような気分になる時があると思う。私も音楽は大好きで、学生の頃から、お小遣いはだいたい、レコード(当時はCDなんてなかったし)か、コンサートに費やしていた。中学の頃は「風」と「チューリップ」。初めて行ったコンサートが「風」だった。多感な少女だった私(当時)は、幕が上がった瞬間、本物の正やん、まばゆいライト、湧き上がる歓声、大音量のバンドなどなど、初めて体験する世界に感動のあまり、ただただ号泣していた。高校では「浜田省吾」と「佐野元春」。浜省は、新潟で始めてのコンサートの時、客席はガラガラで、2階席はカーテンが閉まっていた。「今度来るときはいっぱいにしてみせるぞ~」と叫んでいたっけ。大学時代はMTV全盛期で、かなり洋楽の比重が高くなったけど、基本的にはミーハー路線。やはり、よく聴いた曲が流れると、その時代の記憶がまざまざとよみがえり、楽しくなったり、切なくなったり。(若気のいたりで、思い出したくないこともあるけど)最近は「あ、この曲いいなあ」と思っても、CDを買ってまで聴こうという気力がなくなってしまった。買うのは、むかしよく聴いたアーティストのベスト盤ばかり…。年をとったのかな~。
2004年01月07日
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気をつけなければ…と思いながら、やはり年末年始の飲み食いで体重は1キロ増。ごちそうが続き、お酒も飲むし、帰省中は外食(ラーメンだけど)が多かったし、ロクに体を動かしてなかったのが、たたりましたね~。まあ体は正直で、あちこちに発疹やら、顔にはニキビ(吹き出物)、口内炎が2~3カ所、という具合。こんな時は、しょうがないので、普段の食事に戻しながら時間をかけて直すしかない。暴飲暴食の果てに、玄米を食べると「体がホッとする」のがすごくよく分かる。「玄米を食べている」と言うと、「へー、すごい(物好き)」という反応が返ってくることが多いが、偏見を捨てて食べてみると、けっこうおいしいものである。うちの場合は厳格な玄米食にはほど遠く、主食が玄米という程度(5才の次男は食べないし)なので、効果のほどは定かではないが、義父は毎朝、玄米がゆを食べるようになって、糖尿病かと思われていた体が「異常なし」に戻ったと喜んでいた。私自身も10数年間、食べ続けているが、冷え性が直り、体調もいいみたい。そして何より玄米はおいしい。白米ばかり食べていると、そのうち欲求不満になってくるほど。しかし、お盆やお正月のたびにくり返される暴飲暴食 → 体調不良という不毛のパターンからは、そろそろ脱しないと(汗)。
2004年01月06日
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3泊4日という長い休暇を、実家で過ごした。久しぶりの面々が集まり、楽しかったし、新潟にはめずらしく天気が穏やかな日が続き、ラッキーだった。20年ぶりに、人生で4回目くらいのボーリングもしてきた。スコアを自分でつけなくてもいいし、ガータレスなんていう機能があって、私のような下手クソでも楽しめるようになっているんで(?)、ビックリ。そして、そこは今時めずらしいくらい「喫煙天国」で、2度ビックリ。設備は最新だが、景色は20年前と変わってないせいもあって、時代がタイムスリップしているかのような、ミョーな感覚に襲われてしまった。集まった親類の中に、生後2ヶ月のニューフェイスがいた。名前は☆★ 星杏くん。★☆「としあ」と読むそうだ。「ほしあ」ではない。最近の子どもの名前は凝ったものが多いとは思っていたが、これは、読めないって。何回か聞き直して、私は漢字と音を、一緒に覚えることをあきらめた。そういえば私が小学生の頃、「まりあ」と「きりすと」という姉弟がいたっけ。(どういう漢字なのかは不明)大人気の「あやか」という名前は、うちのような田舎の小学校でも学年に1~2人は必ずいて、ある「あやか」ママは石を投げれば「あやか」にあたる(T_T)と嘆いていたな~。人気があるゆえに、ありふれてしまった名前もあれば、1度ではなかなか覚えられないような名前もある。普通の名前がいい、と主張するつもりはないが、どう読んでも読めない名前にするのは、ちょっと子どもが可哀想な気がしてしまった。この星杏くんは、手のかからない、とってもかわいらしい赤ちゃんなので(うちの子どもとはホントに大違い)、思わず行く末を案じてしまったおばさんであった。
2004年01月05日
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歴史も文化も何もない新興住宅地に育った私がこの雪国に嫁に来て、ビックリしたことの1つがお正月の過ごし方であった。まず大晦日の夜は、深夜12時ちょっと前になったら、家族総出で歩いて15分ほどの神社へ2年参りに行く。吹雪だろうが大雪だろうが行く。そして帰宅後、軽くビールなどで新年の乾杯をする。寝るのは当然1時を回ってしまう。元旦は、いわゆる町内会の新年会があり、だいたい世帯主が参加する。その後は親戚回りがあるので、家に残っている方も、ごちそうを作ったり、掃除をしなければならず、ゆっくりはしていられない。親戚が帰ったあと、ようやく家族水入らずで「年取り」。ごちそうを食べ、お酒を飲む。そしてその午後は、どなたさんも疲れ切って昼寝である。ここ数年は、「元旦が初売り」という店が多いが、お酒が入るし、疲れているので、まず行ったことがない。夫は「オレの代になったら、こうはしない」と断言している。2年参りはいいとしても、親戚回りはだんだんと無くなっていくだろうし、「年取り」もやめて、「新年はまず書き初めをして、それから百人一首大会だ!」とブチ上げた。すばらしい~。しかし彼は、日頃「テレビの見過ぎは、頭がバカになる」と子どもにうるさく言っている割に、年末年始は、ご本人まったくテレビ漬けの毎日。我が家に文化的なお正月が現れるか否かは、まだまだ闇の中といったところである。
2004年01月01日
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