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【6月3日】
空港からツアーバスにて最初の観光場所アヤ・ソフィア大聖堂に向かう。
しばらくすると青いマルマラ海沿いを走る。
この日は日曜日、海岸沿いの緑地では青い空、青い海の下、家族で休暇を楽しんでいた。
30分ほど走りアヤ・ソフィア大聖堂に到着。
アヤ・ソフィア大聖堂は、ビザンツ帝国(キリスト教)から、オスマン帝国(イスラム教)へと
支配が移っていったイスタンブールの歴史を象徴する建築物。
ビザンツ時代にキリスト教の大聖堂として建てられ、オスマン帝国占領後は改築して
イスラム教徒の礼拝場所であるモスクとして使われたと。その歴史の変遷が見てとれる
アヤソフィアは、現在、無宗教の博物館として公開されていた。
巨大なドームを有した大聖堂はビザンツ建築の最高傑作と称されているとのこと。
オスマン帝国占領後には、建物の周囲に4つのミナレット(尖塔)を付け加えるなど
モスク仕様に改良が施され、イスラム教の礼拝所として活用されたとのガイドの説明。
入場券をもらって内部へ。
屋根を見上げて。
415年にテオドシウス2世によって再建された聖堂の一部。
聖堂内に6つある黒の地に金色の文字が書かれた円盤が印象的。
この黒は駱駝(らくだ)の皮で出来ているのだと。
この丸い円盤は四隅にありアッラーやムハンマドの名が金文字で書かれていると。
巨大なドームに圧倒された。
聖母子像。このモザイクは漆喰の中から発見されたのだ。オスマントルコがこの教会を
征服後はモスクに改造。ギリシャ正教会時代のものは全て漆喰の中に葬り去れたのだ。
しかし、漆喰を剥がすとビザンチン帝国時代のものが出現。トルコ政府が偉いのはイスラムで
ありながら、この歴史的建造物を博物館、美術館として修復、保存に努力をされている事。
このモザイクは9世紀に出来たとのこと。
残念なことに、1204年に十字軍がイスタンブールを略奪したときに
アヤ・ソフィアの祭壇は砕かれてしまい、金銀の装飾物はほとんど略奪されてしまったと。
普通モスクはこのミフラーブ(メッカの方をさししめす窪み)がメッカに向いて建物の
中央配置されているのであるが、このアヤソフィアは元々教会だったため、メッカの方向を
向いていないため、右側にずれているのだ。
2Fから大聖堂を望む。内装がダーク系のため余計暗い感じが。
13世紀後半に描かれたと思われる「デイシス」。
かなり大きなもので、上まで3メートルくらいあり、下半分がなくなっていた。
「デイシス」とは、願い、祈りという意味。真ん中にキリストいて、左側にマリア、右側は
洗礼者ヨハネが。
マリアとヨハネが、キリストに対して「どうぞ1人でも多くの人間を救ってやってください」と
お願いしている姿だとの説明。
洗礼者ヨハネ。
こちらは『キリストと皇帝コンスタンティノス9世、皇后ゾエ』。
アヤソフィア2階の回廊の柱の下の方にある穴。「聖母マリアの手形」と呼ばれるもの。
この穴に親指を入れて、残り4本の指を指先を柱につけたままぐるりと一周できると願い事がかなうという言い伝えがあると。旅友も挑戦。
ステンドグラスも美しかった。下部にはアラビア文字らしきものも確認できた。
青と緑が鮮やかであった。
・・・もどる・・・
・・・つづく・・・