JINさんの陽蜂農遠日記

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2019.04.22
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​ ​ 『旧東海道を歩く』ブログ 目次 ​

『旧東海道を歩く』のJR富士駅からJR興津までを歩いたのは3月8日(金)。
いつもの電車で旅友のSさんと向かう。
途中、平塚駅を過ぎると、前日の雪で頂上が一面白くなっている大山の姿が。



そして早川駅手前の東善院(とうぜんいん)の魚籃観音(ぎょらんかんのん)の姿が車窓から。
すっくと立って小田原の海を見つめています。鉄筋コンクリート製で高さ13メートル。
建立は昭和五十七年十一月とのこと。魚籃観音は魚を売り歩く美しい女に化身して現れたという
伝説があることから、手に提げているかごには魚が入っているのです。
近くに行くと魚の尾びれがちらっとかごからのぞいているのが分かるのです。



そして沼津駅手前の清水町付近からの富士山。
手前には愛鷹山が。広義には黒岳、越前岳、位牌岳などの総称としても愛鷹山と呼ぶようです。



一時、愛鷹山の後ろに姿を隠した富士山が再び現れたのはJR片浜駅手前。



そしてJR原駅付近に来ると、左右対称に見える富士山の姿が。



そしてJR吉原駅手前の富士山の勇姿。
この日は7合目近くまで雪に覆われていた。



そして定刻通りJR富士駅に到着して、この日の旧東海道歩きをスタート。
富士駅北口ペデストリアンデッキにあるブロンズ像「飛躍」「黎明」に久しぶりに再会。



富士駅の北口側のペデストリアンデッキからの富士山の姿。



ペデストリアンデッキの階段を下り富士駅正面に繋がる通りを歩き旧東海道に向かう。



商店街には富士山れんげまつりのポスターが。
今年は4月28日(日)に開催されると。



そしてこの日の「旧東海道を歩く」のJR富士駅からJR興津駅までのルート図。



商店街からの富士山の姿を再び。



富士本町通りを進む旧東海道を左折して進む。
信号交差点右角に日蓮宗の『妙雲山栄立寺』があった。

小さな山門をくぐると境内は狭く、本堂は塀を隔てて富士大通りと接し、
石塔石仏・灯籠・鐘楼が無く寺という感じがあまりしない感じ。




『本堂』。
實相寺の寺院御改書帳によれば天正年間(1573年-1591年)以来の創建という。
開山は妙雲院日賢(総本山身延山久遠寺18世)。山号の妙雲山は日賢の院号による。



栄立寺と富士大通りを隔てた向かい側に曹洞宗の『不二山金正寺』があった。
金正寺は、戦国期に僧玉隠が真言宗金正院として開き、宝暦13年(1763)成安寺15本戒世が
曹洞宗金正寺として再興したという。
東向きの『山門』。



不許葷酒入山門、諸人守り本尊霊場と刻まれた石柱。



山門に掛かる『金正禅寺』の扁額。



『無縁塔』。



『金正寺 本堂』



『鐘楼』。



鐘楼堂下に『六地蔵』。



『厄除け観音』。



『十三重石塔』。



築山に『十二支守り本尊』。



境内のネコ。
むかし金正寺で飼っていた三毛猫が、中島のカヤツンバ(茅積場)に近在の猫たちを集めて
夜な夜なダンスパーティーを開いた、という​ 民話 ​⬅リンクがあるのだと。



『旧松永邸跡』。
金正寺の直ぐ先にあるフジホワイトホテルが、この地の大地主松永邸跡であり、
壁面に旧松永邸跡の解説があった。



「当館フジホワイトホテルは、明治期、静岡県でも有数の大地主松永家の邸宅跡に
建設されました。松永家は、甲斐国(現在の山梨県)より駿河国富士郡平垣村に移住してきた、
一世五左衛門を祖とし、六世好時(宝暦一〇〈一七六〇〉~文政八年〈一八ニ五〉)のころより
土地集積を進め、財力を蓄えたと伝えられています。
その財力を背景に、江戸末期には富士郡下の平垣村村他六ケ村を領地とする旗本日向小伝太が
領地の取締役を命じられ、邸内にその陣屋を構え、領主に代わって年貢のとりまとめを行う
業務を担っていました。
明治元年には明治天皇の御東行の際に、屋敷の一室が小休所として使われています。
平垣村村は、東海道の吉原宿と蒲原宿の中間に位置し、松永家も東海道に面していました。
安政四年(一八五七)に邸宅が新築された記録があり、武家風様式をのこす貴重な建物です。
その豪壮な屋敷と庭園が明治二十五年の『静岡県明治銅版画風景集』に紹介されてます。
当館内にこの資料が展示されています。
昭和五十四年に富士市に寄贈し、現在は、富士市指定有形文化財として、富士市博物館西側の
「ふるさと村」内にその一部が移築保存されています。」



前回の旧東海道歩きから富士山の白さは大幅に増えていたのであった。



『札の辻跡』。
フジホワイトホテルの先の小川を越えた左角に札の辻跡があった。



『札の辻跡碑』。



ここには大正5年(1916)に建てられた札の辻跡碑があり、台座に 「札の辻のいわれ」 と
題された高札場跡とは関係の無い実相寺の解説が刻まれている。



横には『猿田彦大神碑』が。



「実相寺は約八百余年の昔、久安元年鳥羽法皇勅願の寺で西に比叡山東に実相寺とまで
うたわれた関東の名刹である、四十九院五百の僧坊が甍を並べて常に数百の学僧が寮生活をして 
教学に精進した霊場である、昔の岩本山実相寺は方一里と称せられ南は今の平垣札之辻まで
及んでいたという 」



旧東海道は、柚木駅手前で県道396号に合流する。
合流点には間宿本市場の道標が立っている。



間宿本市場の道標



『稲荷神社』。
札の辻跡の先で小川を越えると左手に稲荷神社がある。



『秋葉山常夜燈』。
旧東海道右手の消防倉庫と思われる建物の前に秋葉山常夜燈が建っていた。



民家の庭にはミモザと白モクレンが開花。



加島の旧東海道コース。



旧東海道は、柚木駅手前で県道396号に合流する。



合流点にも『間宿本市場』の道標が立っていた。



『天白神社』。
水路に沿った街道を進んで東海道道標の建つところで県道396号線に合流すると
右手に天白神社がある。境内にある由緒碑には、天正13年(1585)本社次兵衛造営とある。
正面に拝殿。



「天白神社由緒碑
位置境内 柚木字本田ニ〇六番地ニニ八坪 

     明治八年二月十八日付ヲ以テ村社 
由緒 楝札ノ寫 
奉修覆天白翁宮五穀豊饒 
天正十三年本社 次兵衛 造営 
慶長十八年 寛永十九年 寛文十年 
修覆ス興総兵衛次兵衛 小兵衛氏子

太古柚木村草深キ所ニテ長サ一寸八分ノ米三粒降り来ルヨッテ其ノ地ニ一社ヲ祀リ
天白ト名付ケテ其ノ田ヲ初穂田ト云フ 今尚存在シテ毎年其ノ田ノ米ヲ以テ神前ニ供フ 
郷土外木又兵衛古書類ヲ携へ下総ノ國銚子辺ニ移転ス年代詳ナラス 
但シ近年ニ至リテモ外水又兵衛ノ末孫毎年当村ニ来リ初穂田ノ所有人久保弥平宅ヘ
立寄り天白社ヲ祭ルヲ例トセリ本社前ニ三大余ノ古井戸アリ初祭リ年村民地ヲ掘ルコト
数十尺然ル処水湧出ス故ニ氏神ノ井戸ヲ嫌フト云フ 他村内ニ井戸ナカリシカ
自今悪疫流行予防ノ爲各戸井戸ヲ掘リテ旧慣ヲ破レリト云フ 所有耕地反別 四反六畝十七歩ナリ 」



『天白神社 本殿』。




身延線を潜る。



富士山の白き勇姿。



旧東海道(県道396号線)を西に進む。



橋下交差点の次の信号を右に進むのが旧東海道。



道標と常夜灯が入口左手に。



水路沿いを進む。





                  ・・・​ つづく ​・・・






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Last updated  2020.04.28 14:49:42
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