JINさんの陽蜂農遠日記

JINさんの陽蜂農遠日記

PR

Profile

jinsan0716

jinsan0716

Keyword Search

▼キーワード検索

Favorite Blog

寒川神社の第57回菊… New! オジン0523さん

多様な植生がもたら… New! 隠居人はせじぃさん

【アブチロン姫姫り… Gママさん

2024年はムベが不作 noahnoahnoahさん

エコハウスにようこそ ecologicianさん

Calendar

2021.05.04
XML
カテゴリ: 鎌倉市歴史散歩
『​ 鎌倉散策 目次 ​』

「小動神社」を後にし、国道134号を鎌倉方面に進む。
再び「小動」交差点まで進むと右手にあったのが「鎌倉市腰越漁港施設案内図」。



「小動岬」の周囲は石積みの防波堤で囲まれていた。



道路の反対側には「津波避難情報」案内板。



小動交差点脇・「津波避難情報」案内板の奥にあった「安曇野型双体道祖神」。
平成元年八月吉日 龍護山 満福寺 (第二十九世住職岡沢嘉春建立)。
その横にも2体の双体道祖神があった。
原型を留めない程、激しい摩耗。海岸の傍なので、已む無しかと。




「小動」交差点の横断歩道を2回渡って遊歩道を進む。



「遊歩道」の横を江ノ電が通っているのであった。
藤沢駅から江ノ電に乗り鎌倉駅方面に向かうと、突然この場所から湘南海岸の海が
目の前に迫って来る場所なのだ。



三浦半島・逗子、葉山方面を見る。



「小動岬」から江の島の「大堤防」そして「湘南港灯台」の姿が見えて来た。



七里ヶ浜そしてその先に稲村ヶ崎が。



左手に白き瀟洒な建物が姿を現した。
「鎌倉海岸キリスト教会」。
鎌倉市腰越1丁目4−17。



線路脇に案内板が二つ。



鎌倉海岸キリスト教会の由来 (旧腰越独立教会)
恵風園胃腸病院の前身恵風園療養所の創立者中村春次郎博士の長女新居姜子さんはニ三才から
アメリカで生活しておりましたが、ニ八才の時、聖書に出会いクリスチャンになりました。
そして、生まれ故郷に教会を建てたいとの願いを持ち、三〇年間祈り続けました。
それを知ったアメリカの五六の教会が教派を超えて献金してくださいました。
六〇才になった一九四九年の八月、三七年ぶりに帰国し、恵風園から敷地の提供を受け
会堂建設に着手しました。
一九五〇年七月一六日、最初の礼拝が初代牧師戸川ニ郎師により持たれました。
教会名は、どこの教派にも属さす、正統な聖書信仰をあらわす意味で腰越独立教会と
いたしましたが、ニ〇一三年七月、キリスト教会であることを明示するため、
鎌倉海岸キリスト教会に変更いたしました。」



「集会案内」



「鎌倉海岸キリスト教会」の屋根の上の十字架が見えた。



振り返ると「江の島シーキャンドル(展望灯台)」が姿を現して来た。



3両編成の「江ノ電」が私の横を走って行った。




入口は右側に北向きにあるのだろうか。



「江の島」の全景が姿を現した。



前方に「江ノ電鎌倉高校前」駅が見えて来た。



「藤沢」行きの電車がホームに滑り込む。こちらは2両編成。



「江ノ電鎌倉高校前」駅。



「鉄道の日 第1回駅100選駅」との表示板。
1997年(平成9年)選定の「関東の駅百選」らしい。



「江ノ島大橋」そしてその後方に箱根の山々も姿を現す。
右手には先程訪ねた「小動岬」の姿が。



前方に「鎌倉高校駅前」交差点。



交差点を左折し踏切を渡り、歩いて来た「小動岬」方面を見る。



ここが腰越と七里ヶ浜の境界。



ここは江ノ電の鎌倉高校前駅から鎌倉高校の正門へと続く坂で、
「日坂」(にっさか)という切通。
1333年(元弘3年)、新田義貞の鎌倉攻めの際、新田軍がこの坂を通ったことから、
「新田坂」と呼ばれていたが、いつしか「日坂」と呼ばれるようになったといわれるのだ。
前方の七里ヶ浜は、稲村ヶ崎から小動岬までの約2.9㎞の海岸。日本の渚100選の景色。



「日坂」。
ちなみに、江ノ電「鎌倉高校前駅」は1953年からの駅名称で、それ以前は「日坂駅」というのが
駅の名前だったという歴史があるのだ。このことからも、いかにこの坂道(日坂)が昔から
地域のランドマーク的な存在だったかということが想像出来るのだ。



鎌倉行きの江ノ電が踏切に向かって。



この踏切は1990年代に人気を博した漫画で、アニメも制作された「スラムダンク」の
印象的な場面で登場する場所のため、聖地巡礼の観光客が海外からも訪れる有名スポットにも
なっているのだ。この地は「スラムダンク」以外にも数々の映画やドラマの舞台、モチーフと
なった場所でもある。
なお、この踏切はブラタモリでも登場。
番組では、鎌倉の海と江ノ電の眺めが特徴的な国際的観光スポットとして紹介されたのであった。



更に鎌倉方面に進むと藤沢行きの「10型」車両が来た。
1997年(平成9年)に開通95周年を記念して造られた「レトロ⾞両」。
外観はオリエント急⾏を彷彿とさせるデザイン・塗⾊となっているのだと。



再び振り返って。この日は富士山は姿を現さなかった、もっと右にあるのだが。



ここから江ノ電は国道134号と一時的に別れて行く。
そしてこの先が複線区間となり電車の行き違い場所になっているのであった。



山の上の民家、相模湾を一望できる絶景の場所。
記憶では、表札は英語表示ではなかったろうか?よって外国から来られた方の住居か?



この日は静かな湘南の海。



もっと天気が良ければこんな光景がと・・我儘にも。

33. 「湘南海岸」 ~稲村ヶ崎から七里ヶ浜へ~ [神奈川] :
   【http://blog.livedoor.jp/kagirohi2006/archives/50585000.html】より

そして反対方向の三浦半島を再び見る。



左手にあったのが「顕証寺」。
鎌倉市七里ガ浜1丁目5-21。



「本門佛立宗 顕証寺」、「高祖日蓮大士ご降誕800年慶讃」と書かれた案内板。
本門佛立宗(ほんもんぶつりゅうしゅう)は、長松清風によって開かれた、日蓮を宗祖と仰ぐ、
法華系仏教の一派である。宗派としての独立より日が浅く、新宗教に分類されることもある と。



境内のストレリチア(極楽鳥花)が咲いていた。



コンクリート製の白と朱赤が鮮やかな建物が「本堂」。
顕証寺は七里ガ浜を前に、相模灘の正面には伊豆大島、東には三浦半島の眺望、西に江ノ島を
見ることができる。そして、四季折々に素晴らしい景色を演出してくれる富士山を望む最高の
ロケーションに立地する新宗教である。



「寺務所」であろうか。



眺めの素晴らしい「墓苑」。



「管理寺務所」



「顕証寺の歌」碑。
「朝日に映ゆる 富士の嶺 緑の江の島前に見て
 我が法域は ここに建つ 恵みあり永遠の識神
 妙法の五字 我等待たん」
五字とは「妙法蓮華経」であろうか。



更に国道134号から離れて1本山側の江ノ電に沿った道を鎌倉方面に進む。
踏切もない先に民間の門が。この先にはこの様な線路を跨いで自宅に入る民家が多くあるのだ。



そして緩やかなカーブの先、前方に見えてきたのが「七里ヶ浜駅」。



「七里ヶ浜駅」入口前を通過。
1903年(明治36年)、田邊駅として開業。



その先に見えて来たのが「行合川」に架かる「行合橋」が。



下を流れる「行合川(ゆきあいがわ)」
日蓮が龍ノ口で処刑になりそうになったとき、急に雷雨が激しくなり、役人の太刀が折れる
など不思議な現象が起こったため、龍ノ口からは幕府に知らせるための使者を、幕府からは
処刑中止(赦免)を知らせる使者を走らせた。七里ヶ浜駅の近くを流れるこの行合川は、
両方の使者が行き合った場所ということから生まれた名と伝えられているのだ。
時は1271年(文永8年)であった。
前方に「行合川」に架かる国道134号の「行合橋」が見えた。



「行合川」の鉄橋を走る江ノ電。




                              ・・・​​ もどる ​・・・


                   ・・・​ つづく ​・・・





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2022.05.19 15:17:56
コメント(0) | コメントを書く
[鎌倉市歴史散歩] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: