JINさんの陽蜂農遠日記

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2023.04.26
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カテゴリ: 藤沢歴史散歩
「花應院」を後にして、少し戻り、境川に向かって進む。



途中、右手には一面にピンクの「 芝桜 」が栽培されていた。



これから出荷するのであろうか。



テレビのニュースでは、2023年4月15日(土)~5月28日(日) にわたって、「 富士芝桜まつり
が行われているとのこと。



富士芝桜まつり 」の写真をネットから。




そして前方に大きな石碑が2基、西俣野の田んぼを見渡すように建っていた。
御嶽神社より移設されたものと。



左側の石碑は、当地の悪路を改修し、併せて行った用水路の改修も完成したことを
記念する 土地改良竣工記念碑



疏通悠容 」と。



「當部落は従来より水田用水の不足と交通運輸を阻む悪路とに悩まされていたのである。
茲に部落農民一同 此の難関打開に蹶起邁進し悪路改修については昭和三十二年度より着工。
同三十九年度に入りて竣工を見。用水不足については同三十五年土地改良区を設定し其の
改修に着手した。尓来(じらい)四年に亘り総工費約千七百万円、水路延長四千五百六十五米の
工事は本年五月完成したのである。此の大事業の成功裡には部落農民一致協力、役員の労苦、

近代農業基盤を確立したものと謂うべきか。茲に其の概要を記して以て後人に伝う。
昭和三十九年五月五日 藤沢市長 金子小一郎 篆額撰文並書」



石碑裏側には「御芳名」と刻まれ関係者の名前が並んでいた。



右側は「 西俣野暗渠排水之碑 」。







「西俣野ハ相模國髙座郡六會村ニ在リ田地約四十五【亜百】(ヘクタール)内十五【亜百】ハ
濕田ニシテ収穫ニ乏シク反當(たんあたり)玄米四俵ヲ出デズ、故ニ本邑(ほんゆうの
[この村の])人士夙ニ(つとに[以前から])是(これ)ガ改良ヲ念(おも)ヘドモ未ダ其ノ志ヲ
得ズ以テ遺憾トセリ。
茲(ここ)ニ昭和七年農村匡救(きょうきゅう[救済して良くする])事業國庫補助ノ事アリ 
村民 聖恩[天皇の御恩]ノ優渥(ゆうあく[手厚いこと])ニ感ジ以テ更生ノ機至レリトナシ
同志三十七名勇躍宿志ノ達成ヲ誓ヒ西俣野暗渠排水組合ヲ組織セリ、乃チ(すなわち)縣耕地
整理茅ヶ崎出張所ノ設計ニ據(よ)リ昭和七年十一月十五日起工 同八年四月十日竣工ス。
先ノ施工地中央ヲ貫流スル小川ノ延長九〇九米(メートル)ヲ堀渫(くっせつ[土を掘って上げ])
シ排水本溝トナシ之に配するに暗渠幹線一八一八米 支線ニ一粁(キロメートル)ヲ以テシ茲ニ
二毛作ノ良田約十四【亜百】ヲ得タリ。
今ヤ邑民(ゆうみん[村人])多年ノ宿望成リ自力更生ノ酬イラレタルヲ欣ビ(よろこび)以テ碑ニ
刻シテ永ク記念トス。
後昆(ごこん[後世、子孫])深クソノ本(もと)ニ報イ始ニ反(かえ)リ以テ有終ノ美ヲ濟
(もたら)スヲ疑ハザル也
昭和八年四月十五日  従五位勲五等 清水勝雄 謹書」

※碑文には、ヘクタールを表す一字の漢数字「亜+百」の合字が刻まれていたが、パソコン用の
文字はなし。やむを得ず【亜百】として代用するが、本来一字であって、100亜(アール)=
1ヘクタールを表す漢数字である。



石碑裏側には
「昭和八年四月 発起人 故 飯田傅之輔」と。
その後には多くの方の名が刻まれていた。



石碑前から、南方向を振り返ると、「旧塩つけ道」の「金沢橋」が見えた。
ここ俣野という地名は「吾妻鏡」に「大庭(おおば)御厨(みくりや)俣野(またの)郷(ごう)」とある
ように古い地名で、境川を跨いで広まった野とか、また横浜市泉区から流れる和泉川とこの辺で
合流するので、川が二俣に分かれた形に由来するとも言われています。
江戸時代の俣野郷は、中央を流れる境川を挟んで、東側には鎌倉郡上俣野村と東俣野(下俣野)村、
西側には高座郡西俣野村の三つの村に分かれていました。
現在は、上俣野村と東俣野村が横浜市戸塚区俣野町と同東俣野町に、西俣野村が藤沢市西俣野と
呼ぱれているのだ。
この地区には、鎌倉時代の古道として知られる「上ノ道」と「金沢道」があった。
「上ノ道」は「いざ鎌倉」の軍用路で、元弘3年(1333)、新田義貞が今の東京都府中の分倍河原で
北条氏を破り、この道を通り、稲村ヶ崎から鎌倉にうち入って、鎌倉幕府を倒した。
「金沢道」は金沢より鎌倉を経て、当地の「金沢橋」を渡り、座間の星谷観音、滝山・八王子
方面に通じる「塩つけ道」です。亀井野の継立場では、塩市が開かれ、江戸湾・武蔵国
久良岐(くらき)郡(こおり)六浦郷金沢(照手姫が横山館を抜け出し追手に捕まった所、現横浜市
金沢区)から朝比奈を越え鎌倉に入り、村岡、東俣野を通り金沢橋を渡って運ばれてきた塩が
売られていました とネットから。



「藤沢市西俣野」と「横浜市戸塚区東俣野町」の境を流れる「境川」そしてその先の
「横浜市戸塚区東俣野町」の街並みを見る。



横浜薬科大学の図書館棟を再び。
地上21階建て、高さ70m程の建物は大学のシンボルでもある図書館棟で、1階~8階までが
図書館、9階~20階が事務室、研究室、学長室であると。因みに前身は横浜ドリームランドに
併設されていたホテルエンパイアの建物で、横浜ドリームランドが2002年(H14)に閉園した後、
改装されて現在に至っている。



その先にあったのが「 瞽女淵之碑 」。



土手番様(どてばんさま) 水難除供養塔 地蔵菩薩立像 弘化4年(1847) 」 
下部の基壇に「 水難除 」と書かれた 頭部の欠けた 、付近の人々が「 土手番様 」と呼んでいる石仏。



「道祖神」碑



ズームして。
昭和53年この地に建立。



瞽女渕(ごぜぶち)と土手番(どてばん)さま
むかし境川は、毎年のように決壊氾濫する暴れ川でした。
江戸時代、この付近は決壊しては淵となって、村の有志がたびたび埋め立てをしていました。
あるとき、瞽女が、この淵に落ちて死にました。それからこの淵を、「 瞽女淵 」と呼ぶように
なりました。「瞽女」とは、三味線を弾いて唄いながら家々を回り、施しをもらい生活していた、
目の不自由な女性の旅芸人です。
また江戸時代のあるとき、一人の武士が瞽女淵付近に身を投げました。武士は、自分が死んで
土手を守ってやろうと書いた手紙と刀、お金を残していたそうです。村の人々は、この武士を
閻魔堂の墓地に葬り、はじめ金沢橋に、その後、瞽女淵の側に移して像をまつり「土手番さま」と
呼び、明治時代までは正月(もと十二月)に祭礼を行っていました。
土手番さまの像は、地蔵の姿をしていますが、明治時代の廃仏毀釈のときに、頭を壊されたと
いいます。なお、土手番さまの墓と刀と称するものは、今日も残されています。ことの真実は
ともかく、氾濫を繰り返した土手をめぐって、ただならぬ出来事がかつてあった
ことが想像されます。そして、明治四十ニ年(一九〇九)には総合耕地整理が実施され、瞽女淵が
埋め立てられたので、大正元年(一九一ニ)に記念碑が建てられました。
   令和ニ年(ニ〇ニ〇)ニ月
                   藤沢市教育委員会」



瞽女淵之碑 」に近づいて。



裏面には
「往古ヨリ一小淵アリ、偶々(たまたま)延宝年間一人ノ瞽女溺死シ茲(ここ)ニ始メテ
瞽女淵ト称ス。其後溺死スル者数人為メニ深淵ナルカ、有志屡々(しばしば)是ヲ埋メ
堅堤ヲ築クト雖(いえど)モ一朝洪水ニ会スルヤ堤塘決壊シテ忍(すなわ)チ淵トナシ 
亦田圃ニ氾濫ス。
弘化四年一浪士此厄除カント遺書シテ犠牲トナル、依テ村人其霊ヲ祭リ土堤番ト崇敬ス、
明治四十二年藤沢町六会村俣野村総合耕地整理施行ノ結果該渕ノ旧態ヲ滅スルニ至ル
茲ニ於テ有志ト相謀リ碑石ヲ建立シテ殉難者ノ霊ヲ追福スルト共ニ永ク之カ記念トス 
大正元年十二月十四日建之」と。

【昔は、この付近の境川はよく大水が出て堤防が切れたため、この辺の百姓は、水で難儀を
していた。延宝年間(1673~80)には、この付近で歌を歌い門付けをしていた盲目の旅芸人
(瞽女)が堤防が切れた為に出来た池にはまり命を落とした。それ以後この場所は瞽女渕と
呼ばれる様になった。
弘化4年(1847)の或る日一人の浪人がどこからか流れて来て瞽女淵のあたりにたたずんでいた。
目の前には、切れた堤防からあふれた水で池のように変わった田畑の風景が広がり、野良で働く
百姓の姿もなかった。浪々の長旅で体力も衰え、将来への希望も失っていた浪人は、やがて
どこかの地で行き倒れる身、それならここで水害に苦しむ農民の為に命を投げ出そうと決心した。
次の日の朝、村人は堤の上に置かれた大小の刀と紙片を発見し大騒ぎとなった。淵の水溜りからは
浪人の遺体が見つかった。紙片は書置きで、そこには「この村を水害から救う為にわが身を
投げ出し、人柱となってこの土手を守りたい。】と。



さらに境川に沿って北に進む。



左に折れ「 旧塩つけ道 」を西に進む。



右手奥の空き地にあったのが「 十王堂跡 」。



石碑には「 末庵 十王堂 常光寺廿七主了譽 」と刻まれた石碑。
天保11年(1840)の火災で焼失した、「閻魔(えんま)堂」跡(もとの法王院十王堂跡)。



閻魔堂跡(えんまどうあと)(法王院十王堂跡(ほうおういんじゅうおうどうあと) )
法王院十王堂、通称、”閻魔堂”は慶長5年(1600)の建立といわれ、鎌倉材木座の浄土宗光明寺の
末寺、あるいは同系統の藤沢の常光寺の末寺であったという。
天保11年(1840)に火災により堂が消失 したが、 閻魔大王座像・地獄変相十王絵図・
小栗判官縁起
絵図などは、村の若者たちの手により運び出され、難を免れた
これらの遺産は何れも花應院に現存する。堂跡には 小栗墓塔、土手番様の浪人の墓、
歴代住職の
が残っている。
   六会地区郷土づくり推進会議」



さらに石碑に近づいて。



そして小栗墓塔に向かって進む。
左手には墓地の所有者の北村家代々の墓があった。



右側には古い墓石が横一列に並んでいた。



古い墓石の中央にあったのが「 小栗判官の墓 」。
石碑には「 小栗墓塔 」の文字が刻まれていた。
「小栗判官の墓」は閻魔堂消失後、像と共に花應院に移されたが明治になりゆかりのある
元の場所に移されたと言われているとのこと。
その左隣は 「照手姫」の墓石 のようであった。



卒塔婆にはそれぞれ、「 天翁録守信士 」、「 忠光院殿刃空浄居士 」、「 照手姫 」の文字が。
天翁録守信士 」:この村を水害から救う為にわが身を投げ出し、人柱となってこの土手を
         守った浪人。
忠光院殿刃空浄居士 」:小栗判官
照手姫 」:小栗判官の妻



「小栗判官の墓」の説明をする山本さん。



浪人の墓「 天翁録守信士 」。



小栗判官の墓 」から「境川」方向を見る。
ここから「 瞽女淵 」が見えたのであろう。



この右側に「 乾の御所跡 」があったのだと。
閻魔堂のある辺りの小字名を御所ヶ谷という。照手姫の御所がこの辺りに存在したことに
由来する。説教浄瑠璃による小栗伝説では、照手は当地の郡代・横山大膳の娘となっている。
横山の館が境川を跨いだ東俣野・殿久保(現:字戸ノ久保)にあったとされ、そこから乾の方向
(北西)にあるため乾の御所と呼ばれた。またこの地は境川の低地を見晴らす場所で、鎌倉時代
後期に地頭職の地位にあった俣野五郎景平の居館跡とも言われる。
景平は、遊行寺(清浄光寺)開祖・呑海の兄で、その居館跡については、境川対岸の東俣野に
あったという説もある。
また御所ヶ谷の北側にかって埓田(ませだ・馬背田)という地名があり、小栗判の鬼鹿毛が馬栓棒を
くわえて逃げ、それを捨てたところと言われていた。



ハナモモの花が。



そして次に訪ねたのが「 左馬大明神(さばだいみょうじん) 」。



左馬大明神(さばだいみょうじん)
祭神は源義朝。「相風記」には「佐馬頭義朝の祠なり、神禮寺持」と記されている。
元は小栗塚の台地にあり、明治の初めに現在地に移されたという。。”サバ神社”と呼ばれる神社が、
現在境川と引地川の流域に12社散在し、左馬、左波、鯖、左婆などの文字が当てられている。
         六会地区郷土づくり推進会議」



「左馬大明神」の内陣。
「左馬神社」の語源については、源義朝が左馬頭(さまのかみ)だったためともいうが、
諸説あり詳細は不明と。
源義朝を祀る神社が何故ここにあるのかも不明とのことであるが、
この地を支配した大庭氏は、1156年(保元元年)の保元の乱までは義朝に従っていたのだ。



源氏の棟梁を祀るサバ神社めぐり
①​ 左馬社  ​ 👈リンク 横浜市瀬谷区橋戸3ー2 0
②​ 左馬神社 ​ 👈リンク 大和市上和田1 1 6 8
③​ 左馬神社 ​ 👈リンク 大和市下和田1 1 1 0
④​ 飯田神社 ​ 👈リンク 横浜市泉区和泉町4 8 1 1
⑤​ 佐婆神社 ​ 👈リンク 横浜市泉区和泉町
⑥​ 中之宮左馬神社 ​ 👈リンク 横浜市泉区和泉町
⑦​ 七ツ木神社 ​ 👈リンク 藤沢市高倉1 1 8 2
⑧​ 鯖社 ​ 👈リンク 横浜市泉区下飯田町1 3 8 9
⑨​ 鯖神社 ​ 👈リンク 藤沢市湘南台7ー2 0 
⑩​ 鯖神社 ​ 👈リンク 横浜市泉区和泉町7 0 9
左馬大明神 藤沢市西俣野字御所ヶ谷
⑫​ 佐波神社 ​  👈リンク 藤沢市石川139



                               ・・・​ もどる ​・・・




                 ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2024.08.28 08:24:10
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