JINさんの陽蜂農遠日記

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2023.12.02
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カテゴリ: JINさんの農園
新月島川 」に架かる「 清澄通り 」の「 新島橋 」を渡る。
中央区勝どき13 清澄通り。



新島橋(にいじまばし) 」。



先程下車した都営大江戸線「勝どき駅」方向に向かって進む。



新島橋 浜前橋 」そして「 浜前水門 」を見る。
浜前水門 」のゲートは開いていることが判ったのであった。



「新島橋」を渡り終えると「 清澄通り 」の向かいに寺の姿が。



横断歩道を渡る。
中央区勝どき4丁目12−9。



山門の右には石碑と案内板があった。



山門左手にあったのが「 防災 まなぶ不動尊(不動明王像) 」。




防災 まなぶ不動明王尊縁起
東京消防庁臨港消防署員 消防指令佐藤学君は、昭和五十七年五月五日深夜 中央区勝どきの
マンション火災に出場 猛火を掻いくぐって七階ベランダに突入し 熾烈なる火炎に対し 我が身を
母子らの楯とし身を焼かれながらも庇護し 次々と四名の救出に成功した そのあと リフターに
自分も乗れば 重量が超過して墜落 する危険があることを考慮し 救出活動と酸素欠乏で極度に

悲情にもそのはしごは噴出する火炎に赤く焼けていて 灼熱のはしごを握る両の掌は焼けただれ
ために握力が弱まっていた所に 一挙に拡大して噴射した火炎と熱風に圧せられて殉職なされた
享年三十才 新婚三ヶ月であった 消防官は命綱を携帯し その訓練を積み 危険にひんすれば
その場を脱する術を有しながら あえて修羅の場に踏み留どまり最後の最後まで我が身を犠牲とし
尊い人命を救助した 同君は先のホテルニュージャパン火災においても宿泊客四名を救助するなど
数多くの災害に出場し 積極果敢に職務を遂行した優秀な消防官であった 同君の殉職に対し全国の
未知の方々から赤心溢れる弔慰を受けて感激した遺族が この度私どもが味わった深刻な悲哀を
二度と何人にも嘗めさせたくはないという悲願と 志なかばにして倒れた故人のみ霊を その終焉の
地に消防官として留どめたいとの念願である事を知り かの熾烈なマンション火災における
同君の人間愛と消防官の使命感に燃えたぎる 鬼人も泣く壮烈極まる人命救助の活躍を目撃して
感動した一人として これに応え都立瑞江葬儀場に於いて故人を荼毘に付した際に 同所係員が
出炉して来た台上の遺骨のみ仏の扶座するお姿にも似た喉仏を指し「このような形で残ることは
極めて稀であって 私どもは 善根を積んだお人に顕れる現象と見ており そしてそのお人は真に
成仏なされたものと信じている」と語られた その喉仏を分骨し「妙法蓮華経」第一部八巻と共に
不動明王の胎内に納めて 市民を火災及び交通事故など諸々の災難から守り 併せて首都の防衛に
任ずる警察、消防関係者の安全を祈願して安置するものである
昭和五十八年五月五日           真円山東陽院 第三十世 栗塚正行 謹書」。



山門右側に近づいて。



寺号標石「 眞圓山東陽院 」。
中央区勝どき4-12-9。



東海道中膝栗毛 作者 弥次喜多道中記 十返舎一九 墓所 」碑。
台石中央には 一九が用いた印形(熊手と(貞)の組合せ) が施されていた。
道路沿いにあるこの「十返舎一九 墓所」( 徳川夢声筆 )は、昭和33年2月、東京映画会社が
弥次喜多道中記 』(監督・千葉泰樹、弥次さん役・加東大介、喜多さん役・小林桂樹、
十返舎一九・徳川夢声/イーストマンカラー作品)の制作にあたって寄進したものであると。
中央区勝どき4丁目12。



題目碑「 南無妙法蓮華経



追善供養の文字が。



十返舎一九墓 」案内板。



十返舎一九墓
所在地 中央区勝どき四丁目一二番九号 東陽院
江戸時代後期の戯作者として知られる十返舎一九は本姓を重田といい、明和二年(1765)駿河国
(現在の静岡県)に生まれました。その後、江戸に出て日本橋の出版業者・蔦屋重三郎
(つたやじゅうさぶろう)のもとで黄表紙(きびょうし)を発表し、以後多くの黄表紙・洒落本を
書きました。中でも「東海道中膝栗毛」はよく知られ、主人公の弥次郎兵衛と喜多八が日本橋から
東海道を旅し、伊勢参宮の後、京都へたどり着くという旅行記の形式をとる物語です。この作品は
続編に続編を重ね、一九の代表作となりました。

東陽院は関東大震災後、当地に移転し、墓も移されています。
なお、墓石には次の辞世の句が刻んであります。
此の世をは とりやお暇に 線香の
     煙とともに 灰さようなら
一九の墓は、区の歴史や文化に関わりの深いものとして中央区民文化財に登録されています。
   平成三十年三月
           中央区教育委員会」



十返舎一九肖像 歌川国貞画 国会図書館像 」。



境内を本堂に向かって進む。



「百度石」碑。



「本堂」手前の右側にあったのが「 手水舎 」。



南無浄行菩薩 」。



南無浄行菩薩



水桶とタワシが。



水盤。



「本堂」(右)正面。



内陣(右)。



内陣(左)。



石製の蛙が。



「本堂」、「手水舎」を見る。



「東陽院」を後にして「新島橋」を再び渡ると、その先に「環二通り」の高架があった。



「勝どき陸橋」交差点が前方に。



東卸豊海住宅1号棟、2号棟跡地は「豊海地区第一種市街地再開発事業」が行われていた。
地上54階地下1階建(直接基礎・制振構造)、総戸数2,077戸(予定)の高層マンションが
2棟出来るとのこと。



反対側の岸壁には「共勝丸」が停泊していた。
中央区勝どき5丁目12−9先。



株式会社共勝丸が運航する「第二十八共勝丸(きょうしょうまる)」は、東京港月島と小笠原諸島
(父島・母島)を結ぶ貨物船。月2~3往復の不定期便の運行予定で、片道約1,000キロを
約46時間で運行。
一般的な貨物や、定期船「おがさわら丸」では運べないガソリンなどの危険物や、車、廃棄物など
資材を運搬している。共勝丸は貨物船であるので、運航はあくまでも貨物優先であるが、
定員9名のキャビン(客室)が設けられており、 荷物の付き添いや、小笠原諸島の住民、その他、
緊急と認められる場合は乗船可能であると ネットから。



そしてその先、道路の反対側・左手にあったのが「 中央豊海郵便局 」。
中央区豊海町5−1。



バス停「 豊海水産埠頭 」。




                                  ・・・​ もどる ​・・・



                     ・・・​ つづく ​・・・







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Last updated  2023.12.02 06:56:59
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