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日暮硯(著者:恩田木工/笠谷和比古|出版社:岩波文庫) 江戸中期、信州松代藩十万石の財政が窮乏し、恩田木工(おんだ・もく)という家老が手腕を発揮して財政を立て直しをした、という話。 恩田と親しかった僧が語った話をもとにしている、という体裁で、いいことずくめ。 嘘をつかず、自ら質素な生活をし、寛容と謹厳とを徹底し、領民も藩士も心服し、台所事情は好転し、庶民の博打もなくなった、という、めでたしめでたしの話なのだが、解説によると、事実はそうでもなかったらしい。 もちろん、実際に恩田木工の活躍によって藩政がよくなったことはあったらしく、それについての伝聞が広まっていくうちに、かくあれかしという願望が織り込まれていってできあがったものらしい。 法律や合理主義によって改革を進めるのではなく、情に訴えて政治を正していく、というところに特徴がある。 財政建て直しを拝命し、家族ばかりか親戚、家僕まで義絶しようとするが、家僕が、「うそを禁じられ、飯と汁より菜はないというのでやめてきたとあっては、他家では雇ってもらえない」といって使ってくれるよう頼むところなど、話がよくできている。 冒頭の、藩主が、鳥を飼うことを勧めた家臣に、鳥ノ木もちを味わわせる話も、どこかに元ネタがあるのではないだろうか。 写本によって広まったので、異本が多い。それについては詳細な解説がある。
2002.10.30
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風車小屋だより(著者:アルフォンス・ドーデ/桜田佐|出版社:岩波書店・岩波文庫) 子供の時にこの中の何編かは読んだことがある。 やはり最も印象に残っているのは「コルニーユ親方の秘密」だ。 ほかに、「老人」も話だけは覚えていたが、この「風車小屋だより」の一遍だっとは記憶してなかった。 南仏プロバンスというと、昨今はやりの土地のようだが、これを読むとひなびた土地である。プロバンスにも都会も農村もあって、その農村の方に住んでいるからなのだろうが。 モーパッサンなどと同時期の人なのだが、同じフランスとは思えないくらい描かれる人々の様子が違う。「女の一生」などは、爵位を持つ上流階級の話だが、こちらは、社会の底辺に生きる貧しい人々の暮らしぶりも描かれる。 豊かな自然を求め、都会から離れて暮らし、その土地での見聞を記す。これは山本周五郎の「青べか物語」ではないか。 古今東西、こういうことをしたがる人はいるわけだ。 訳者あとがきによると、訳は、最初に1932年に訳され、1958年に改訳した、ということだ。P85の俗謡の訳、「いいえ、とのさま もったいない、 お律(りつ)は村ァで わび住(ず)まァい……」など、訳者の技量を感じさせる。しかし、何分古いので、所々、現在ではわかりにくい部分もある。 たとえば、「この果物(くだもの)は、砂糖菓子や有平糖(あるへいとう)の仲間である」(p155)、「一スー」という通過についての訳注の「邦貨の五銭ぐらい」(p221)など。 初めて知ったのは、プロバンスには、フランス語とは異なるプロバンス語がある、ということ。「フランス語でお話ししてみようと思います」(p90)、「ミストラルはプロヴァンス語をもって筆を励ましている」(p137)という記述がある。
2002.10.25
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おもしろ日本史探訪(著者:南条範夫|出版社:広済堂文庫) まえがきに、「時代小説を書くつもりで、雑書をあちこち引っくりかえしていると、いくらでもタネ(タネに傍点)は出てくるが、その中で、小説にしてしまうより、事実をそのまま書いたほうが面白そうなもの、気が楽だというものも少なくない。」とあり、そういうものを書いたのがだいぶたまったので一冊にした、というもの。 内容はほぼ時代順。天子と后妃、遣唐使から明治の教育費まで。 為朝の琉球征服説に根拠があることなど初めて知った。 大阪落城をめぐる二人の謀将など、実体はどうだったのか、どちらが忠臣かの考察を行うだけだが、小説にすれば長編になるだろう。 日本刀が見た目重視になって折れやすくなったことなども興味深い。 さすがに高名な作家だけあって、言葉もきちんとしている。 例えば、「死にざま」などと言わず「死にぎわ」(p110)、「負けず嫌い」ではなく「負け嫌い」(p116)という具合。 どれも面白く、わかりやすいのだが、惜しむらくは校正が不充分。 遣唐使は四隻の船で行ったとあるのに、「きのうまで乗っていた船は三隻とも、影も形もない。」(p25) p157の「早くからこうした優れた議論がみられないから」は、「早くからこうした優れた議論がみられながら」だろう。 また、男谷精一郎について、祖父が御家人株を買ったように書いてあるが(p189)、これは曾祖父のはず。 書名はあまりよくない、南條範夫らしくないと思ったが、最後の断り書きによると、もとは1957年に『歴史から拾った話』という単行本で、それを文庫化したものだという。 もとの書名の方がよい。
2002.10.17
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人形の家(著者:ヘンリク・イプセン/原千代海|出版社:岩波文庫) 初めて読んだが、わかりやすい話だった。 わずか三幕で、舞台は変わらない。 女性が自分の意志で行動し、一人の人間として生きる道を探るのだが、大仰な決意を披瀝するわけではなく、軽い気持ちでしたことが自分を追いつめ、その結果、夫に庇護される存在としてではなく、精神的に自立した存在として生きていくことを求める。 古くて新しい、洋の東西を問わないテーマなのである。 ただ、魯迅ではないが、気になるのは、ノーラは家を出てからどうなったか、だ。 踏み出すことは勇気があればできる。しかし、踏み出した後はどうなるのか。現実にはそこが問題なのだが。
2002.10.12
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モーパッサン短篇選(著者:ギ・ド・モーパッサン/高山鉄男|出版社:岩波書店・岩波文庫) 短編十五を収録。「水の上」「シモンのパパ」「椅子直しの女」「田園秘話」「メヌエット」「二人の友」「旅路」「ジュール伯父さん」「初雪」「首飾り」「ソヴァージュばあさん」「帰郷」「マドモワゼル・ペルル」「山の宿」「小作人」。 このうち、「シモンのパパ」と「首飾り」は、子供の時に、子供向けの文学全集で読んだことがあり、内容はよく覚えていたが、どちらもモーパッサンの作とは知らなかった。 「首飾り」のように落ちのついているのもあれば、「帰郷」のように、これからどうなるんだろう、で終わるのもある。 「シモンのパパ」のように救いのある話もあれば、「椅子直しの女」「田園秘話」のように、ああ、人間とはこういうものだろうな、と思わせられるのもある。 話の展開で読ませるのではなく、人物の造形で深い印象を残すものが多い。 恋愛の関係する話が多いのはフランス人ならではなのか、モーパッサンの特長なのかは知らないが、バルザックの「ゴリオ爺さん」を読んだときの印象に共通するものがあるので、近代フランス文学の特徴なのか。調べたら、モーパッサンはバルザックの死んだ一八五〇年に生まれている。 モーパッサンのほかの小説も読んでみよう、という気になった。 訳は、新訳で、自然な訳文。日本語の状況がかわっていくのだから、翻訳も新しいものを出していく必要があるわけだ。
2002.10.07
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国語入試問題必勝法(著者:清水義範|出版社:講談社文庫) 話には聞いていたが、こういうものだったとは。 物まねで小説を書くという著者が、大学入試の国語問題を俎上にのせ、悪問ぶりを笑うという趣向。「長短除外の法則」「正論除外の法則」など、つい真に受けそうな、正解を得るためのテクニックが紹介される。 大学入試問題を批判した小説として紹介されることが多いのだろうが、そうは感じなかった。大学入試を模倣して独自の入試問題を作ってみせる、という芸を披露する小説なのであって、入試問題批判などというものではない。 ほかの小説も誰かのまねらしいが全くわからなかった。 冒頭の「猿蟹合戦とは何か」が歴史的仮名遣いで、何だろうと思ったが、丸谷才一の解説を読んで初めて、丸谷才一の「忠臣蔵とは何か」のパロディであることを知った。 どれも面白かったが、「いわゆるひとつのトータル的な長嶋節」はあまり感心しなかった。長嶋のまねというのがありきたりで、村山との比較というのが芸の見せ所ではあるのだが、長嶋も村山も知らない人には何がなんだかわからないだろう。 パロディといっても、特定の誰かのパロディではないのもある。 最後の「人間の風景」など、書き手の性格の誇張がうまいのである。 特に新聞記者の、「自分が関心を持っていることは誰にとっても重大事だ」という思いこみが強調されていてうまい。 実はもっとも興味深かったのは解説である。 丸山才一は、「批評として正鵠(せいこく)を得てゐるからこそ、われわれは快哉を叫ぶことになるのだけれど。」「大事なことを一つ言ひ落としてゐた。それは清水の心の優しさといふことである。」などと褒めているが、自分自身がパロディの対象となった作品については、釈然とせず、「アハハと笑ひ飛ばすわけにゆかない。」と言う。 誰だって、他人が笑われるのは楽しめるけど、自分が笑われるのはいやだもんな。
2002.10.05
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