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愛の妖精(著者:ジョルジュ・サンド/宮崎嶺雄|出版社:岩波書店・岩波文庫) これも子供の頃に読んだ記憶はあるのだが、大人になってちゃんとした翻訳で読むと、ずいぶん印象が違う。 サンドはバルザックとほぼ同時代の人だが、こちらには、退廃的なフランス人は出てこない。みんなまともである。バルザックやモーパッサンを読むと、フランス人には貞操などという観念はないのかと思ってしまうがそんなことはないようだ。 解説によれば、「温和な物語によって人心を慰める」という目的を持って書かれたと言うことだが、確かに人の心をいやす小説である。 終わりの方で、貯蓄があったことが出てくるのは蛇足のような気がするが、あるいは、自分でもずっと知らなかったが、実は裕福だった、という型の嚆矢なのかもしれない。 自分自身がこうありたい、周りのみんなにこうあって欲しい、という願いが込められた小説である。 ファデットはランドリーに「手を握らせても手首より上は握らせなかった」(p180)というのだが、手首より上を握る、というのは何か意味があるのだろうか。
2002.11.16
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ホフマン短篇集(著者:ホフマン/池内紀|出版社:岩波書店) 「クレスペル顧問官」「G町のジェズイット教会」「ファールンの鉱山」「砂男」「廃屋」「隅の窓」 よくこんな話を考えつくものだ、というような不思議な話ばかり。 正気と狂気との境界はないのだ。 自分にとっては現実でも、他者にとっては現実ではない。 現実とはどこに存在するのか。それぞれの人間の中にのみ存在するのである。 何事もなければ、共同幻想としての現実の中で、それを現実と感じて生きていくのだが、ひとたび、自分の中にのみある現実に入り込んでしまい、そこから出られなくなってしまうと、他人からは破滅としか思えないような結末を迎えることになる。 「廃屋」だけは、主人公が、かろうじてそれを避けることができた話であるが、主人公に、自分の中にしかない現実の中で生きる人間はそれはできずに終わる。 「隅の窓」は、ほかの作品とは作風が違っているが、自分で勝手に他人の人生を拵えて楽しむ、ということが会話でなされ、やはり、自分の中にある現実に目を向ける話である。 1984年の訳で、昔の翻訳にありがちな不自然な堅さはなく、読みやすい。「生きざま」(p68)という語が使われているあたり、いかにも新しい訳という感じがする。
2002.11.13
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危険な関係(上)危険な関係(下)(著者:ピエール・アンブロワーズ・フランソア・コ/伊吹武彦|出版社:岩波文庫) 書簡体小説の長編。 十八世紀フランスの社交界に渦巻くスキャンダル、という内容ではあるのだが、描かれているのは、心理的駆け引きが中心。色恋沙汰に事欠かぬ華やかな社交界、という世界ではあるのだが、結末に至っては、無常観を感じさせる。 社交界の人間は、ほかにすることがないのか、と思いたくなるが、日本の源氏物語だって、こういう一面がないわけではないし、どのような社会にあっても、ある階層においては、起こりうることなのだろう。 モデルはあったらしいが、登場人物それぞれの個性がはっきりしており、心理的駆け引きの描写が巧みで、心理小説と呼ばれるに恥じない。 特に、ほとんど主人公といえるヴァルモンとメルトイユの二人の関係には緊張感がある。 直接顔を合わせることはほとんどなく、それでいながら互いに強く意識し、それぞれの思惑に基づいて策略をめぐらし、牽制し合うさまが、書簡体という婉曲な表現で巧みに描かれている。 書簡体小説というのはほかに読んだ記憶がないが、登場人物それぞれが一人称で語る、というのに近い。したがって、一つのできごとが、語り手によって違う意味を持つことにもなる。 こんなに緻密な小説を書くのには、大変な技量が必要だと思うのだが、作者はほとんどこれ一作のみによって後世に名を残しており、本職は軍人。 もしかして、ほんとうに手紙を手に入れて整理しただけなのではないかとさえ思える。
2002.11.06
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纏足(著者:馮驥才/納村公子|出版社:小学館・小学館文庫) 原題は「三寸金蓮」。纏足そのものである。 戈金蓮の少女時代から、名高い纏足の持ち主として知られ、そして死ぬまで。 侍女も重要な登場人物で、『紅楼夢』のようでもあるが、電灯を組んだものなのだろう。 纏足に関する蘊蓄が傾けられ、纏足を中心とした小説ではあるのだが、中国文明の消長として纏足をとりあげているのであり、秦末民初という変革期を舞台に、伝統文化と外来文化の衝突、そして、人間がどのようにその衝突に翻弄されるかが描かれている。 纏足をやめればいいというものではないし、纏足を続ければいいというものではない。 どちらかがいい、などという単純なことではないのだ。 伝統はそう簡単に消えはしないし、外来のものはすぐには血となり肉となるということはない。 作者のあとがきで知って驚いたが、中国では一九九八年まで、纏足専用の靴が製造されていたという。 訳文はこなれていて工夫が感じられる。 最近の風潮に染まった表現として、「武人は外と戦うべき、文人は内なる敵と戦うべきと言われますが」(p17)というのがあった。終止形「べし」と使うべきところが「べき」になっている。 驚いたことに、表紙イラストは原作者、本文イラストは翻訳者。才人なのである。
2002.11.02
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