全5件 (5件中 1-5件目)
1
銀の匙(著者:中勘助|出版社:岩波文庫) 高校生の時に一度読んだことがあったのだが、ほとんど忘れていた。 繊細で感受性の強い幼少年期を鮮明に描き出している。 恵まれた環境に生まれ育ったということがあるにしろ、ここまで感受性が強くてはかえって生きていくのは大変だ。波の音が悲しくて涙が出たりするのだから。 描写が精緻で、それが鮮明な記憶であることを印象づけている。 作者にはそんな意図はなかったろうが、これは明治初期の東京の風俗の記録でもある。
1999.01.22
コメント(0)

リング(著者: 鈴木光司|出版社:角川書店) こういう話だったのか。なるほど。 勢いがあって最後までぐいぐい読ませるものがある。 しかし、どうも引っかかるものがある。例えば、なぜ最初に死ぬ四人は、スッと死ぬのではなく、ああいう死に方をしなくてはならなかったのか。それが説明されていない。 一番納得できないのが、横浜に住む少年が南箱根でビデオを録画する時に、放送されているのとは違うチャンネルに合わせてしまったのではないか、ということになっているのだが、箱根は神奈川県なので、チャンネルは同じはず。 昔はこういうものはSFに分類されていたものだが、今ではそういうことはないらしい。帯にも解説にもSFの文字はない。
1999.01.19
コメント(0)
肉体の悪魔(著者:レーモン・ラディゲ/新庄嘉章|出版社:新潮文庫) 20歳で死んだ男がこんなものを書き残していたとは。主人公には反省や罪悪感などというものは全くないが、どうも社会階層がはっきりしている時代のようなので、「自分はこういうことが許される人間なのだ」と割り切ってしまえば、何でもないことだったのだろうか。 フランス人の考えることはわからないな、とも思ったが、考えてみると、明治の日本人の小説にもこういうのはあったかもしれない。 現代で言うと、萩尾望都のマンガに近いものを感じた。
1999.01.18
コメント(0)
六の宮の姫君(著者:北村薫|出版社:創元推理文庫) 名の明かされない女子大生を主人公としたシリーズ第四作。 円紫師匠はあまり出てこない。主人公がほとんど独力で謎を解いていくのだが、その謎は犯罪などではなく、なぜ芥川龍之介は「六の宮の姫君」を書いたのか、という謎なのである。 作者が昔興味を持って調べたことがもとになっているらしいが、見過ごしてしまいそうな細かい点に着目して調べていくたちの人なのだろう。だからこそ、こういうミステリーが書けるわけだ。 老大家の思い出話として、芥川が「あれはキャッチボールだ」と言ったことが出発点になるのだが、これは作者の創作のはず。結論を導き出すために作り出したのだろうが、違和感がない。 このシリーズを読んでいて漠然と感じていたことなのだが、主人公も円紫も、というより、どの登場人物も、他人からはうかがい知ることのできない孤独感を抱えて生きているように思えてならない。 さりげなく描写される登場人物のしぐさにそれが表れているように思うのだが。
1999.01.14
コメント(0)
外套(著者:ゴーゴリ/平井肇|出版社:岩波文庫) 「外套」は昔子供向けの本で読んだが、「鼻」は初めて。 こういう話だったのか。どちらも150年以上前に書かれたものだが、諧謔を帯びた描写に驚かされる。それまでロシアこういう小説の伝統があったわけではないようなので、これが登場した時にはみんな驚いたことだろう。 解説によれば、ドストエフスキーは「われわれは皆ゴーゴリの『外套』の中から生まれたのだ!」と言っているそうだが、内容といい、描写法といい、斬新なものだったのだろう。 訳は1938年のものをもとに1965年に少し手を入れたものということで、下宿の女主人を「主婦」と書くなど、今からみれば古めかしいところもあるが、わかりにくいというところはない。 ただ、仕立屋がハンカチに外套を包んで来たのには驚いた。「ハンカチ」とは風呂敷のような大きなものまで含まれるものだったのか。
1999.01.13
コメント(0)
全5件 (5件中 1-5件目)
1