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時間に追われる現代において、ゆっくりしたペースというのは敬遠されがちです。速いことは集合意識が「良し」とすることであり、特に企業などに勤務していると、この要素をないがしろにして働くのはなかなか困難かと思います。個々の「自分のペース」は自分の呼吸や心拍数と合っていて、それを何かに合わせて変えようとすると、自ずと心身に負担がかかると感じます。血圧や熱も「正常」とされる値には異常値でない限り必ずしも縛られることはなく、個体そのものが持つホメオスタシスやバランス、また体の叡智により、その時点では最善の結果がそこにあると考えます。もちろん、様々な代替療法などのツールよる外的刺激(作用)や気づきによる作用により、その反作用として心身の自己治癒力大きく発揮され、症状や状態が更に改善されることは多々ありますが、元々ある状態を不自然に「規定」に合わせることは、何等かのひずみを生みだすと思うのです。個々が持つペースに合わせて生活すると、直観も受け取りやすく、最善かつ近道を選択することができたり、五感がとらえる様々な感覚が、更に結果にギフトを加えるかもしれません。この自然の呼吸に合ったペースはまるで宇宙全体と調和して呼吸しているような状態を生み出す感覚があり、内側と外側がまるで一つの生き物のようにつながっている状態に意識を押し上げていきます。また、個々のペースに合った自然な呼吸はベストに生活するメトロノームのようなものだと感じます。このメトロノームを意識して、宇宙のテンポとは不揃いになってしまったリズムの乱れを取り戻したいものです。
2016.06.30
ホメオパシーの考え方にマヤズムというものがあります。そもそもマヤズムとは感染体であり、病原因子のことで、この感染体や病原因子が薬などで抑圧されていくと、慢性マヤズムとなり次の世代に引き継がれものの考え方、病気のかかりやすさなど様々な傾向が現れることになります。現在主なマヤズムとされるものが数種類ありますが、その一つに破壊的な傾向を持つマヤズムがあり、このマヤズムには注意が必要です。このマヤズムが家系に強く引き継がれている場合、事故、怪我が多い、若年死、性的虐待や殺人、自殺、ささいな原因で大病・大事になる、奇形、障害があるなど、とにかく破壊的傾向がみられます。このマヤズムが非常に強く現れていることがわかった場合には、まずはこのマヤズムに最初に手当していく必要があります。そうしないと命にかかわることもあり、ホメオパスは特に注意しています。エネルギーの方向性としては縦に進む、正に猪突猛進という感じです。このマヤズムの感情の傾向としては、強い「怒り」、または山のような「怒り」というものがあります。これはこのマヤズムを知る前から私も感じていたことですが、強い(多くの)怒りは破壊的な傾向を生んでいくように思います。つまりそれだけでも、人生全体が破壊的になっていく傾向になってしまいます。このマヤズムの強い場合、多くの方が0か100かという考え方をします。100達成できなければ、価値はゼロ、つまり完璧主義ともいえますので、いつも生か死か、というような極端な場面が多くなることになります。また、このマヤズムの困ったところは、本人は大変な状況でも「大したことない」と思っていることです。もし、こういった傾向が家系に見られたら、早めに対処することが望まれます。マヤズムの手当により、次の子孫に受け継がれる影響も変化させることができます。私の家系もこのマヤズムが非常に強く、普通ではありえない出来事が連続するという経験をしました。でも、やはり物事は一側面だけではありません。このありえない出来事によって、私はこの世界を知る大きなきっかけを見出すことができたからです。そして、そのおかげで結局はこのマヤズムを知り、家系のバランスも取り戻すことができ、肉体意識にも大きな影響をもたらすことができました。物事はその時点の判断では片づけられないことがたくさんあります。この瞬間の意識が変われば、過去も未来もドミノ倒しのように違う側面を見せてくれます。人生に強烈な印象を残す出来事ほど、そこにあるもう一つの側面に目を向けてみる…そこには、今回の人生のテーマの一つに関わる大切なことが関わっているかもしれません。
2016.06.28
自動思考のパターンに人生を翻弄され、どうにかならないのか、と嘆く方は多いものです。この考えはなくならないのか、と四苦八苦しながら長年同じ関係性は続いていきます。内面を含めすべての物事には様々な側面があります。それに気付けば、まったく同じ関係が続くことはありません…まず、いつも考える思考のパターンに気づきます。その思考パターンをできるだけ文字でいいので視覚化します。この視覚化した文字を伸ばしたり、縮めたり、ぐるぐる回して違う角度から眺めたりなでたり、それで頭を叩いみたり、輪にして指にかけてくるくる回してみます。何なら色を変えたり、デコレーションしてみるのもいいでしょう。または引っかいたり揉んだり匂いをかいだり、味わったりして正体を確かめて下さい。それはどんな感じがしますか?それはどんな生き物ですか?君は誰か?と聞いてみましたか?何なら名前をつけてあげましょう。最後に大好きなお菓子や洋服でもプレゼントしてバイバイします。これは今思いついた方法ですが、なかなか面白い方法だと思います。(一体、誰が考えたのでしょうか…(笑))これで、その自動思考のパターンとの関係性が変わりました。存在そのものが変わったかもしれません…どう変わったか…それはあなたの心の中にあります。
2016.06.27
思考や意識が現実に影響を与えることは有名です。特に夏至を過ぎて今まで以上に「現実化が早い」と感じる方は多くなってきているようです。私達は一日にものすごい数の思考を繰り返しています。その殆どがほぼ自動的に行われ、同じ思考が繰り返されれば繰り返されるほど、それは大きな力となって人生に影響を与えています。行動や言動も最初はある思考から生まれているものの、例えば仕事などに見られるルーティーン化している行動や言動の源は、その思考があるストーリーを持って意識の中に落ちていることが殆どです。ほぼ自動化されているこの思考は、その瞬間に意識を向けてみるだけでも、何かの様相を呈しているはずです。その瞬間瞬間に何を考えているのということは、何にエネルギーを注いでいるのか、ということに直結すると感じます。現実化の一つの方法として何かをイメージして現実化することもパワフルではありますが、普段の思考、もっと細分化してみるとこの瞬間の思考こそが人生を創っていると思うのです。このような時期には、この瞬間に、どのようなことに思考エネルギーを向けているかに、更に注意を払う必要がありそうです。ただ一瞬一瞬の思考に注意を向け続けられる人はそうはいません。それならば、なりたい人になりきって、その人ように考え、その人のようにふるまうことから始めるのがベストです。瞬間瞬間の思考の積み重ねほどパワフルなものはないと感じます。ただ、その「なりたい人」はそれぞれの人間の内面で観察された理想の人にほかなりません。ですが、この理想の人は、既にそこにあることに気づきたいものです。人間は内面にあるものしか観察できないからです。
2016.06.26
私たちの殆どが心理学で言う「人生脚本」というものを持っています。これは、一般的には成育過程の初期にある決心や思い込みが発生し、それが人生全体に多大な影響を及ぼしていくというものです。これをブロックという言い方をする場合もありますが、これに気づくことで人生そのものが今までのパターンから脱していく様子がよく見られます。大きなものの一つは「両親のようには生きない」という決心です。実は「両親のように生きる」も「両親のように生きない」もコインの裏と表の関係性で、結局は同じもの…このようにこういった葛藤が家系のカルマとして引き継がれているものも多くあると思います。自分自身のことに気づくというのは、「地球に立ったまま地球が丸いことに気付く」という例えに近いものを感じます。地球が丸いことに気付くには、視点を変え、俯瞰してそれをとらえてみることが近道であると考えます。ですが、今、わかりやすくそのことを捉えられる時期がやってきています。
2016.06.20
世の中のホメオパシーの様々なケースを見ていて気づくことは、代替療法もツールの一つであるということ…結果は処方する側、摂取する側の意識がどうあるか、に起因する部分が大きいということです。症状自体も、また症状に対して何かを施した結果も、ある意味一つの現実であり、創造の域を超えることはないと感じます。つまり、同じレメディーを摂取しても誰が処方するのか、また処方を受けたときの接収する方の意識がどうあるかで、結果が変わるということが起こってくると思うのです。例えば経験上、私はホメオパシーは身体、精神的部分共に遺伝的な部分(肉体意識)に強力に働きかけることのできるツールだと思っているので、この意識が実際に大きな影響を与えているようです。そのようなケースは多々ありますが、これは現実についても同じことだと思います。日々の現実をどうとらえて次の行動を起こすのか…例えば最悪の出来事だととらえていることをチャンスだととらえて変換するのか…現実に変化を与えるポイントになると思います。夏至のエネルギーは今、私たちに大きなテーマを見せてくれています。
2016.06.19
私たちは精神的に苦しい時、何等か内面に制限を設けて、それに基づいて判断していることが殆どです。こういった判断は無意識に一日に何度も行っていますが、この制限が多ければ多いほど、人生全体が不自由なものになり、様々な感情に見舞われることになります。この制限がいかに内面で独自に創られてきたものか、を知れば自ずとバランスは取れ、人生も穏やかで平和なものとなっていきます。この段階を抜けると、一旦壁にぶち当たったように感じる、またはそのように感じるテーマが浮上するかもしれません…スピリチュアルな道を歩いていると、スピリチュアルな道の教えとして「こうあるべき」「こうあるはず」といったようなことがありますが、これも頑なにそれに沿って生きようとすると、ある意味、苦しさを生み出します。これは見落とされがちな部分ですが、とても大切なことだと思います。本来、私たちは自由な存在であり、何ら制限はない存在です。このように私たちの本来の自然の姿にストップがかかった時に、人は苦しさを感じるのだと思います。人生に教科書はありません。葛藤の起こらない選択をし、幸せで楽しく感じられれば、それが一番の正解となり、そのような生き方自体が人生の道しるべとなっていくと感じます。
2016.06.17
人生に変化を加えていくためには、物事への反応の仕方を変化させることはとてもパワフルであると感じています。特に、繰り返し起こってくる「あるパターンを含んだ物事」があるならば、それに対する反応の仕方が変わるだけで、直面している物事の展開が変化してくると思います。これは、現在の物事だけでなく、同じパターンを含んでいた過去の出来事もドミノ倒しのように、変化をみせると感じています…もちろん、未来の出来事も…以前にあるお店で隣の席に座っていた人にワインをかけられるということが起こりました。アイボリーの布地に広範囲に赤ワインがかかった状態で、何度洗濯しても思ったように落ちません…再び着用することはもうあきらめました。しかし…その時期は「感謝」がテーマだったのもあり、ふと思いつき、この出来事に感謝を送ることに決めました。ただ、何も期待せずに100%の感謝を送りました。数週間が過ぎ、ワインのかかった服を処分しようと服を見てみると…シミは跡形もなく消え去っていました。もうどこにかかったのかも全くわからないほどに…です。これは目に見えるとてもわかりやすい例ですが、その後も感謝で反応することで望ましい結果を手に入れることが頻繁に起こりました。反応が次の現実に大きな影響を与えます。私達が創造主の一部である所以です。
2016.06.13
2004年の夏のことでした。自分の中で声が聞こえる状態がかなり続いていました。ある日、たまたま自宅で一人になった時、夜中、ものすごく嫌な夢を見ました。今生というより、過去の戦争か何かを体験したような感じの夢でした。「戦い」のような印象が強く残っており、恐怖と何か味わったこともないような暗い感じを残したまま目を覚ましました。今でも、夢を見た途端、自身に起こされて夢についてのメッセージを理解するように促されますが、当時はそれにはまだ気づいていませんでした。ただ、この時は正に自身に起こされ、ある気づきを促されるかたちになりました。 目をさましてみると、左半身がじーんととてもしびれた感じがしていました。特に腕はひどく、動かすのもはばかられる感じです。すると体の中から声がしました。 「本当はこんな体になるところだったんだ。でも、神はここにいて…」すると、今までのしびれが嘘のように解放されていくのがわかり、数分後には元の体に戻っていました。 何とも不思議な体験でした。もともと自分の意志とは別に勝手に体が動いたりすることはありましたが、これを機に自分の体は自分の体でありながら、実はそうでないもっと大きな何かに属するものである、というよう認識とその感覚を持ち始めました。いつでも、体は私達の体験やリアクション(感情を含めた)の結果、症状を起こしますが、それは大いなるバランスから外れた時にしばしばわかりやすく表面化します。そして、ツールに頼ることなく、そのバランスを即座に元に戻す中心となる力が、私達の中に存在していると思うのです。
2016.06.09
グラウンディングとは、文字通り地に足をつけるということです。スピリチュアルな道を歩み始めるきっかけとして、この三次元があまりにも辛いために、何かを求めている過程でこの道にたどり着くということもあります。その場合、現実を直視しないまま長い間過ごすことになり、少しは楽になるものの結局はこの三次元を楽しみきれないということも往々にして起こります。目指す場所が中庸な場所であれば、自ずとこの三次元に引き戻されるような物事も起きたりしますし、きっかけはどうあれ、いずれにせよこの肉体にいる自分と向き合う時期が訪れます。 私達は経験するためにここにいます。現実に目の前にある事柄をそのまま経験することはとても大切なことです。そして、それは悲しみや怒り、そして深い感情を感じる、もっといえば感じ切ることも本当はここにいる意味の一つです。感じきるということは、感じるということを自身に許すことでもあります。もし、怒りを感じることを逃避する自分がいたとしたら、それは怒りというものに罪悪を感じているか、怒りを感じる自分を受け入れていない、またはその前にしっかりグラウンディングできていないためにそれができないということもあります。感情を感じ切ることができなければ、その感情はいつまでもそこに残ります。そして、また同じ感情を感じるチャンス(ここではあえてチャンスと言いますが)がやってくるでしょう…感じることを感じ切り、そしてそれを表現することを許す…これはこの道ではとても大切なことです。そして、それをやりつつなぜ、その感情が起きたのか、その根本を見つめて手放していけばいい…これを行うと、同じようなことでまた感情が揺さぶられることはなくなります。人生に平穏さ、静けさが訪れます。つまりこれはバランスです。ここにいる時の理想の状態はスピリチュアルな意識を持ちつつ、地に足をつけて三次元をしっかり体験しながら、そのバランスの中にあることだと考えます。スピリチュアルな意識はよく「天」として例えられますが、天と地の中間にバランスよく存在することこそ、本当の意味の幸せを感じていく一つのポイントだと感じます。地に足を着ければ着けるほど、それと同じように天ともつながっていく…また完全にグラウンディングした時には宙に浮くとも言われています。中庸(中間)の場所に居られれば、この世に生きながらもこの世から支配されることはありません。正にこの世に生きながら、別の空間でに生きられるのです。
2016.06.05
罪悪感は知らず知らずのうちに頻繁に浮かび上がる感覚で、意識されていることも少ないかと思います。 一口に罪悪感といっても、大なり小なりで自身に対する非難めいたものから、本当に罪を感じるレベルまでそれぞれですが、これを意識して認めていくことは、本当の自由を獲得するのに大いに役立つと感じます。もともと自由という言葉は、制約のない状態のことを指しますが、この自由の概念は人それぞれです。一般に自由というと、何か身の回りの約束ごとによって縛られたりしないこと、つまり周りの人や環境、または状況から離れて自分の好きなようにできる、こんな感じだと思います。しかし、これをもっと掘り下げてみると、例え周りにこのような人や環境などがあったとしても、自由になることはできるのです。それは、つまり自身に対する許可から生まれると考えます。そして、それを一度許可したら罪悪感を感じなくてもいい、という許可も与えることです。何事にも制約される必要はない、もともと制約などは存在せず、それは自身が自身に与えているものである、ということに深いレベルで気づくと、人生が変わってくると思います。私達は生まれてから、様々な状況において制約を経験してきました。そして、それらは当たり前に私達の生活の中に組み込まれているかのようです。これらは、実生活においては確かに「必要なもののように」思いますが、本当の自由を獲得する場面においては、きちんと顕在意識において意識する必要があるものばかりです。特にその制約を取り払おうとした時に罪悪感を感じるもの…一番多いのは、特に親御さんから教え込まれた価値観だと思いますが、例えばきちんとした会社に入って長く勤めなければならないとか、勉強はきちんとやらなければならない、一度決めたことはきちんとやる、人に迷惑をかけない、などの教育から発生しているもの、または一般に常識とされていることを破る時など…については、個人の本当の自由を著しく奪っている場合があります。このような制約が必要でない、と言っているわけではありません。本来はそのようなものはなく、それらはただ自身の属している家庭や社会、そしてコミュニティにおいてのみ定められたものであり、それらの制約から自身を解き放つことは罪悪ではない、と深いレベルで理解することこそ、本当の自由を獲得できる道であると考えます。このことは、世界各地に住む人々に考えをめぐらせばわかることですが、世界各国で全く同じルールなり常識が通用する、ということはまずありえません。それぞれが決めたルールがそこに存在するだけです。今自身が持っている現代社会的なルールを、森の奥深くに住み、自然と共存している人々の中へ持ち込んでも通用しないことの方が多いでしょう。つまり、ルールを破った時に感じている罪悪感も自身が創り上げたものにすぎない、ということ…これらの一つ一つに気づいた時、初めて本当の自由が訪れ、本来の自己が生き生きと輝きだし、わくわくとした好奇心が自然と湧き上がってくると思います。 何か困難に直面して落ち込んだり、悲しくなったりした時、本当に責めたり、窮地に追い込んでいたのは、紛れもなく制約に縛られた自分であったことに気づくと、意識が拡大していきます。
2016.06.04
身体症状・精神症状の開放、また「目覚め」を目指す方々にとっても、感情の解放は欠かせない過程の一つです。私も内なる声から何度もこの感情の開放をするよう促され、それがどれほど大切なことであるのかを認識するに至りました。感情の開放をするということは、本来の自分とつながっていく上で欠かせないことです。 玉ねぎの皮を一枚一枚はがすように、感情を開放していくと、自分の中が整理され、おのずとその芯の部分にある自分とのつながりが強くなっていきます。感情が出てきた時は皮をはがすチャンスとなります。皆さまにも最初の段階ではフラワーエッセンスやホメオパシーのレメディーなどを使って、その解放を後押しできるよう努めています。感情を開放するとそこにスペース(空間)ができ、正に内なるスペース(宇宙)ともつながりやすくなっていくというわけです。また、本来感情は表現するということは自然の営みですが、これを我慢することによってエネルギーの流れが阻害されます。その影響は血液の流れやチャクラシステム、臓器におよび、オーラや外側のエネルギーとして感じられるようにもなっていきます。実際に怒りをためている人のそばにいくと、ビリビリとした感覚があります。感情を開放するとエネルギーの流れがスムーズになっていきますが、そちらの影響もはかれしれません。私たちは量子のスープの中にあるとも言われ、すべてはつながっていますので、感情の開放をするとその影響は自分自身だけでなく、家族、ご先祖、日本、世界、宇宙へと及んでいくのです。
2016.06.02
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