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第三回バッチフラワーコンフェランスの中でも、レメディーを選択する方法が話題になったが、バッチ博士が「表面に現れている感情」だけを指標にしてレメディーを選ぶように、と言い残された事にはハッキリした理由がある。それは、この方法でバッチフラワーレメディーが選択された場合には、副作用や強い瞑眩反応が生じないで済むからである。バッチフラワーレメディーは、ホメオパシーのレメディーとして考えた場合、ポテンシーは高くないという。それに加えて、その人が直面している感情状態を指標にしてレメディーが選択されるという事が、バッチフラワーの使用をさらに安全なものとしている。「表面に現れた」という部分がとても重要で、このレベルの感情に取り組む事が、いわゆる「タマネギの皮剥き」とよばれる穏やかで確実な回復を可能にする。自分自身で自分の感情に向き合い、セルフヘルプとしてレメディーを選択すれば、いわゆる瞑眩反応さえほとんど生じないはずである。自分で感じる事が出来る感情を参考にせずに、他の方法だけでレメディーを選択した場合、特に、その選択が本人以外の人によって行われた場合、バッチフラワーレメディーでさえ瞑眩反応を引き起こす事がある事を、私は臨床経験を通して学んだ。どうか他山の石としてください。
2004年07月31日
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第三回バッチフラワーコンフェランスで特別講演をして下さった安保先生と楽屋(舞台の脇)でお昼ご飯をご一緒させて頂きました。この時、私の中では過去の痛い経験から躊躇があった「降圧剤を中止する事」について先生のご意見をうかがいました。血圧のお薬が必要かどうかについての安保先生のご意見は明快で「(コレステロールのお薬や糖尿病のお薬と同様)病気の成因を理解すれば、やはり必要がないですね。血圧が上がらざるを得ない生活をしているから上がるので、生き方を変えれば良いしそれしか本当の解決はないですよね」というものでした。私の過去の痛い経験というのは、ある病院で内科医長になった頃の経験です。かなり強力な降圧剤でも、一般の治療基準からすると充分な血圧の下降がえられなかった80代の女性の患者さんでした。外来では、上の血圧がいつも180mmHg程度を示しておられました。しかし、血圧が高い以外に臓器の障害もなく、とても元気に通院しておられたので、私は「この方にとってはこの血圧が生理的な状態なのだ」と判断してそれ以上の強化治療(薬剤の一般的使用量を越えての処方や、厳しい体重制限、厳しい塩分制限)などはしませんでした。そして、ある日その方のご家族が来院され(以前おばあちゃんと同行してくれた息子さんでした)「先生、母が脳出血で亡くなりました」と突然のご報告を下さったのでした。医者になって5年目で、ようやく自分の仕事について、多少の自信も生じはじめていた時でしたから、とてもショックでした。安保先生にはこの苦い経験もお話ししました。この患者さんの例について安保先生は、「先生、薬を増やしても血圧が下がらないお年寄りの多くは家庭生活の中で血圧が上がらざるを得ないストレスをかかえているものですよ」というご意見を下さいました。今なら、患者さんのご自宅に往診にうかがったり、ご家族が来院されたときにご家庭での生活状態を教えていただいたり、また患者さんの食事の嗜好や量から、あるいは顆粒球とリンパ球の変化から、その患者さんのストレスの変化を読み取ったり出来ますが、当時の私はただの病院医者でした。そして、以下はコンフェランスが終わって私が改めて思ったことです。『「24時間血圧記録を元にした夜間血圧の安定」という宣伝文句での、睡眠前の降圧剤増量は、実はメーカーの戦略にすぎない。日中も降圧剤を飲んで、交感神経を刺激したうえに、寝る前も降圧剤を服用したら睡眠中も自律神経のバランスは回復しないままとなる。慢性疾患に関する対症療法薬がほぼ出尽くして、新薬を発売することで得られる膨大な利益、いわゆる「ピカピカの新薬」(俗にピカ新と呼ばれます)の旨味に預かれなくなった製薬メーカーの苦肉の策が24時間血圧計の販売、貸与を促進する運動につながっていることに気付くべきだ。同じ事は牛乳が売れなくなった乳業会社のヨーグルト製品へのシフトや、飲料メーカの豆乳飲料へのシフト、味の素の、食品添加物としての(アミノ酸など)としての使用、にも見て取れる。健康食品ブームが実はプロモートされたものだと、どうして多くの人は気付かないのか。ヨーグルトで長寿の人びとは、黄色人種ではない。パックの豆乳には保存料が含まれている。きちんとスローフードの出し汁をとれば味の素はいらない。自然の命の恵みを加工してまで金儲けに走る人びとの想いが命をくれた生き物たちの純粋さと尊さを汚してしまっている。(その想いの根底には、生活のために必要なお金を越えた、過剰な資金力にたよらなければ不安を抱かずに生きる事ができないという、自己と世界に対する信頼の喪失が存在する)すべての恐れと不安が、ひとえに「自分で感じ、自分で考え、自分で選択する」という人間本来のあるべき姿が失われているゆえである。自分自身の主人であること、すべての出来事と世界に対して「人間として」責任をもつこと。その感覚を蘇らせる事が「真の人間」の回復だと私は思う。』
2004年07月30日
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昨日に引き続いて第3回バッチフラワーコンフェランスのご報告です。実践レポートの第一は精神科開業医の山本太郎先生。最初に、実は1年半ほど前から臨床でレメディーを使用しはじめたばかりですと語られ、それ以前はレメディー? という感じだったものが、ご自身の仕事がたまった時にホーンビームを飲んだとたんに、あれよあれよと仕事が出来た経験でレメディーに開眼したという経緯をお話しくださいました。それ以後は、ひきこもり、リストカットを繰り返す患者さんや、多くの患者さんにレメディーを用いてその有効性を確信。いまではレメディーが効くのが当たり前の感覚になっていますとのお話しです。山下先生は、具体的な患者さんの回復の事例は、現代のその他の心理療法や薬物療法ではありえないスムーズさと迅速さを示していると語られました。私の医院でもレメディーの恩恵にあずかった患者さまたちが、レメディーを飲んでのあまりに迅速な変化に驚き、バッチフラワーレメディーを「奇跡の水」と呼んでおられたことを思い出しました。山下先生のお話しで特に印象深かったのは、ご自分が、日々手もとに置いたレメディーを服用することで、感覚が浄化され、とても鋭敏となり、患者さんたちの心の有り様がまるで手に取るように分かるようになった時期があったという部分でした。レメディーを用いて他者の援助にあたる者が、常に自分自身浄められ、純化される恩恵にあずかる事を如実に示す経験の一つです。兄弟を助けることは自分を助ける事そのものになります。2人目の報告はアロマセラピストでカリスマエステシャンと紹介された永田かおり先生。先生は心と体の一体性との関連で、ボディートリートメントをする前と後では、クライエントさんが自分で選ぶレメディーが全く変わってしまう事があるというお話しをしてく下さいました。また、レメディーを選択するための道具としてフラワーカードを使っているとご紹介くださり、具体的にどのように使用しているかを詳しく説明してくださいました。フラワーカードを使用してのレメディーの選択とアドバイスは、オーソドックスの方法ではありませんが、レメディーに対する充分な経験をもつ人が、クライエントと深い共感を保ちながらそれを使った場合には、クライエント自身が適切なレメディーを選択する良い道具になり得る事を感じさせてくれました。お話しを聞きながら、私はタロットカードや易占を思い浮かべました。用いる場合には、「優しく繊細な感性」を保ちながら、「共感」、「目覚めた意識」、「無批判の状態」であることが望まれると思いますが、永田先生はまさにそのようなバランスを保っておられました。私は、優しい笑顔の旦那さまと可愛いお子さまにもお会いさせて頂きましたが、永田先生のそのバランスの良さは、旦那様との愛情の内に育まれているとお見受けしました。3人目は動物病院アニマルフレンドの院長、赤坂直彦先生。しばらく前に、野生の熊を自然に戻すためにレメディーを用いている、ということでテレビニュースでも放映され、その斬新な取り組みが注目を集めた先生です。先生は映像資料も用いて、テレビ放映では知る事が出来なかったその取り組みの背景全体についてお話しくださり、「動物には心があるのです」と改めて強く教えて下さいました。丁度コンファレンスの前日に我が家の2歳のゴールデンレトリバー(太郎くん)が地元の獣医院で誤嚥性肺炎を起こして集中治療室に入院したばかりでした。力づくで動物を押さえ込むやり方が、結局は動物にも人間にも優しくないという事実を経験したばかりの私としては、(人間を襲わないように)熊の目にカラシをすりこんで山に放す代わりに、愛情を込めて作ったレメディーを熊にスプレーして見送る赤坂先生の爪の垢を、多くの人間の医者も飲むべきだと思いました。心ある獣医さんの慈悲深い実践でした。「妻が心をこめて作ったレメディーが一番良く効きます」と語られる赤坂先生はとても優しく素敵な方でした。最後のレポートはバッチホリステック研究会代表の林サオダさん。ご自身のプラクティショナーとしての経験からいくつかの事例をお話し下さった上で、日本での医療福祉分野でのバッチフラワーの活用が世界的にも注目を集めている事実をご報告下さり、また研究会としては、昨年出版された書籍「バッチフラワーの癒し」にひき続き、来年ぐらいには「レメディーだけでどこまで出来るか」の事例を集めた本も出版したいという意向を示して下さいました。医療福祉分野でのレメディーの実際的な活用報告と、プラクティショナーの大幅な増加は、バッチフラワーレメディーに関する限り、他の国ではいまだ例をみないほどの事だと言われています。バッチフラワーレメディーが21世紀の医療としてこの世界に根付くための基礎作りが、日本で行われる得ると私は考えています。そしてそこに至る歩みは、本当の統合医療、ホリスティックメディスンの出現と軌を一にすると思われます。
2004年07月27日
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一昨日、東京ヤクルトホールで第三回バッチフラワーが開催され、無事司会役をはたす事ができました。ホッとしました。私は今回はパネルディスカッションの司会を行わせて頂いただけでしたが、例年と同じく、壇上でもレスキューレメディーを飲んでしまいました。最初に帯津先生のホメオパシーと場の医学についての講演、次にはリラ音楽研究所の青木さんの霊的な歌(彼女はその歌で癒しの場そのものを会場にもたらしてくれました)、そして安保教授の高く広い視野からのお話し。安保先生は、「私は今日はじめてバッチフラワーレメディーというものを知ったのですが、苦しんでいる人を救いたいという願いから、こんなすばらしいものを見いだしたバッチ博士という人の感性は本当にすぐれたものだったんですね」というご感想もお聞かせ下さいました。安保先生のとつとつとした語り口を聞いて、多くの人は「朴訥な」という印象をもたれるようです。けれど、安保先生は話が下手なのではなく、不必要な事を語らずに真実をシンプルに述べる方でした。またその感性の鋭さは、バッチ博士に勝るとも劣らないほどの美しさをもっていました。司会をつとめさせて頂いた役得で、私は個人的にもいくつかの質問を先生に投げかけ、安保先生は講演の中で、また直接のお話しの中で私の質問にもお答え下さいました。そのお答えの完全さは安保先生が極めて洗練された直感的認識力(シュタイナーが述べるイマジナチオーン、インスピラチオーン)によって世界を認識しておられることを示していました。miminetのあきこさんが安保先生のファンになられるのも当然の事です。明日以降、しばらくはコンファレンスのご報告を書かせて頂くつもりです。(本日のご報告は特別講演についての概略でした。次回は実践レポートについて述べます)
2004年07月26日
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とても久しぶりに図書館というところを訪ねた。図鑑の類いでは感じられないのだが、いわゆる「物語」を手に取ると、その内容が1つの総体として、まるで診察室で患者さんを前にした時のように感じられる。 適切に本を選び、それを読み、内容を十分に理解、共感するためにはある程度定まった手順と作法がある。ましてや、ある書物から人生の本質を学ぼうと思うなら、その作法はおろそかには出来ない。人により、その作法はさまざまだと思うが、私はまず表紙と装丁と帯をつくづく見た後に、目次を眺め、前書きと後書きに目を通してから本文を第一章から順番に読み進める事を原則にしている。また、あるテーマに沿って書かれた書物を深く理解しようとする時には、同じテーマについて書かれた同じ著者の書籍を出来る限り読みこみ、平行して同じテーマについて書かれた違う著者の書籍も意識的に読みこむ事が有効である。この読書方法で学びを深めようとする時に特に大切な事は、著者が異なる場合は、同じ内容を表現しようとして異なる言葉が用いられているのが普通であるため、その言葉の表面的な相違に惑わされずに、文章の背景にある「原像の世界」を理解しようと努めることである。この手順は、私が毎日の診察を通して患者さんという物語に接する時の作法と大変良く一致している。「異なる単語で表現される」という部分を、「異なる症状として現れる」と読み替えてもらえば、理解頂けるだろうか。丁度、人生の智恵をあたえてくれる「物語」を読む時にそうであるような、直感的伝達、流れ来る生命力や感情的な力がの伝達が、「人間という書物」に接する時にもあるという事だ。そして、優れた著述家は、ある書物を書く時に、『自分ではなく、ある力が私にそれを書かせたのだ』と述べる。「人間」という書物は、誰をとり上げても、すべてすぐれた著述家によって書かれた書籍のようなもので、すべての人の人生の背後には個人の意識を超えた著述家がいる。臨床医としてその書物を開く時に、症状を表現した真の著者とその意図に思い至れば、患者さまから学ぶ事には限りがない。日々拝見させて頂く患者さまたち、日々出会うすべての人、日々見聴きするすべての事柄が、人生を導く書物です。
2004年07月19日
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参加している小児科のメーリングリストに、ある小児科の先生が、『「子供が野菜嫌いなのでサプリメントを使おうと思うのですがアドバイスを頂きたい」と、ある親ごさんから相談を受けました。皆さん(メーリングリストに参加している小児科医の皆さんのこと)のご意見を下さい。』との書き込みをしておられた。この件についての私の感想は単純で「本当の美味しい野菜を食べた事がないまま、野菜嫌いの条件付けをされた子供なんだろうか?もしそうなら、サプリメントに走る前に味覚の混乱を解消してあげる事が必要。いずれにせよ、きちんと空腹にしてあげて、余分な物を与えなければ必要な野菜は食べるようになるだろうに…。」といった程度だった。ところが今朝、ある新聞をみたところ「抗ガン剤イレッサの副作用で遺族が賠償請求」という見出し。そこで思ったのは、「抗ガン剤の副作用で死期が早まったように見えるから遺族は賠償請求をする訳で、この事を世間の人は当然だと思うのだろう。しかし、もし野菜嫌いの子供に与えたサプリメントで、子供の心と体がボロボロにでもなったら、親はやはり賠償請求をするだろうか? また、そんな親を見た時に、世間はその賠償請求という行動を当然とみなすのだろうか?」と言う事でした。サプリメントの副作用だとしたら、もしかして世間の半分くらいの人は、「親としてすべき事が他にあったはずだ」という適切な判断ができるかもしれません。けれども、「抗ガン剤」となると、(患者さんや家族には、他の選択肢がなかったはずだからという前提で)その賠償請求を妥当だと判断するのではないでしょうか?しかし、適切に理解すれば、私が想定した「サプリメントで子供が被る被害」と、「抗ガン剤で患者さんが被った被害」とは同じ本質的な誤りに由来する被害であり、また、その被害について賠償請求をせざるを得ない精神も同じ毒に蝕まれています。それは、医療の世界では「パターナリズム」と呼ばれる病であり、端的に言えば「自己責任感覚の欠如」です。この説明が、イレッサ被害家族への「非難」と誤解されない事を祈ります。死に行く人の責任と権利は、本当は、最初から最後まで本人にあるのです。
2004年07月16日
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和尚ラジネーシの言葉を、再度Vijayさんのページから引用させて頂く。(Vijayさんありがとうございます)私は医者ですが、真の治療と回復とは、無境界である事だと理解しています。ー日々の仕事の中でこれを表現する事が私の楽しみです。和尚ラジネーシの言葉より『理性と信頼,ハートとマインドとの問に掛け橋が必要なのだ。マインドは二義的となり,ハートの道具となるような掛け橋が。普通はマインが主人であり,ハートは従わなければならない。そうするときには,医者にはなれるだろうが治療者にはなれない。セラピストにはなれるだろうが治療者にはなれない。セラピーは科学の一部であり,ヒーリングは宗教の一部なのだ。それだから,理性によっては,頭を使うことによっては医学の専門家にはなれるが,ヒーリング・エナジーをもつ人にはなれない。というのもそれは別の源から来るのであり,すべてがさかさまなのだから。 ハートが主人となり,理性はただの影であり同盟者となる。このことばをおぼえておきなさい。 理性に対抗しろというのではない。理性に対抗すれば裂け目は消えず,あなたの内には葛藤が絶えない。だから理性には対抗しないで,ハートの味方だけをしなさい。もしも理性が何かいうのなら耳を傾けなさい。ハートに反対するのなら放っておきなさい。争う必要はないのだよ。無視するだけにしてハートのいうことに従いなさい。 マインドがハートに近づくのがだんだんにわかるようになる。マインドは,今や,養われず,食物をあてがわれず,飢えていると感じるからだ。マインドは理解しさえすれば協力するものだ。そしてマインドは状況がかわったこと、ハートが中心となり自分は同盟者にならねばならないことをよく理解する。マインドがハートと協力するとき,理性があなたの信頼と協力するとき,あなたのなかの裂け目に橋がかけ渡されるのだ。』全文をお読みになりたい方は、以下のVijayさんのページをご訪問下さい。http://plaza.rakuten.co.jp/vijay/7018
2004年07月08日
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