全8件 (8件中 1-8件目)
1
先日、掲示板に精神科医でバッチフラワーレメディーをお使いになる岩井先生のお話しを書きました。その中で、「目覚めている事(Awareness)」「無批判(non-judgement)」「共感(Sympathy)」という3つをセラピストの資質としてあげたのですが、この3つは私のNLP(神経言語プログラミング)の師であるスイル先生が、クラスの最初に教えてくれる『状態』です。この状態にとどまりながら、クライアントさんとのコミニュケーションをとることが、プロのコミニュケ-ターであるためにはぜひ必要だと、私は理解しています。この文脈だと、岩井先生が「自分の事は分かるが、関係性となると理解のレベルはやや低下し、相手の事はわからないものです」と言われた事と、特に「共感」について矛盾が生じるようにも思われます。けれども、「共感できる状態」というのは誰にでも達成できる、現実的な「状態」です。確かに普通では、「自分の事は分かるが、相手の事は分かりにくい」はずです。だからこそ、プロのコミニュケーターであろうとした場合、「共感出来る状態」に自分を変容させる事が必要になるのだと理解できます。現代広く考えられているよりも、人間のコミニュケーション能力の幅は広く、また深いものがあります。だれでも、その能力を使って生きているのですが、意識的なレベルでそれを自覚しているか、していないかが、人により大きく違います。そして、人間どうしを含む、自分と世界のコミニュケーションを、よりリアルタイムで自覚して生きる事は、訓練によって可能になるのです。
2004年05月31日
コメント(4)
身内の事だが、私が生菜食にしてから妻も肉食はしなくなり、娘もアトピー体質があるので牛乳、卵も摂らなくなった。日に2食は私だけだが、妻も5kg痩せた。その食事の変化に平行して妻の両手の生命線が2重になった。今までの生命線の内側に平行してもう一つの生命線が出現したのだ。人間の手のひらは全身の状態を映す鏡のようだ。敬愛する甲田光雄先生は手のひらをみるだけでその人の健康状態(食生活の状態)が大変良く分かると言う。おそらく新鮮な野菜と玄米、五穀を中心にした粗食が、妻の生命力を強化し、二重の生命線が出現したのだろう。元々外来で患者さんの舌は詳しく見るように心掛けて来たが、この半年ほどは食生活について出来るだけ聞き取るようにしながら、患者さんたちの手の状態も見せて頂くようにしている日々である。
2004年05月29日
コメント(1)
小学生の時にエドガーケイシーの伝記を読んでから20歳頃まで、私にとってはケイシーさんのリーディングが何にも勝るインスピレーションの源だった。医者になる専門的なトレーニングを開始した頃から、書物を通じてケイシーさんの言葉に触れる事は少なくなったが、医者としての経験は、改めて私に彼の言葉の真実を教えてくれた。以下はケイシーリーディングからの抜粋である。「私達が考えることと私達が食べるものが合わさって私達の肉体と精神を作る」リーディング288-38 「体とは実際、生きた神の聖堂である。あなたはその聖堂に何を引っ張り込んでしまったのか?」リーディング3174-1 Body:「私たちは肉体的には、私たちが体をつくるために消化してきたものでつくられる。」 Mind:「私たちは精神的には、私たちがこれまで考えてきたことの結果である。」 Spirit:「私たちは霊的には、私たちの精神的存在が吸収してきたことの結果である。」リーディング2970-1 以上の言葉から、神の聖所としての肉体に神の栄光が現され、私たちが本当の命を生きるためには、1:肉体を作り上げる「食物を整える」2:精神的存在として「思考を純粋に保つ」3:その結果として「霊的自己を現実のものにする」というプロセスが必要だと理解できる。つまり、治癒の基本原則として「食物と思考を整える事」が何よりも重要であると理解出来るのである。
2004年05月24日
コメント(2)
私にとって、42歳のこの1年は何事も慎重に行うべき年だと理解している。何事にも波、ゆらぎがあって、おそらくこの年に新しい事を無理に行っても長続きしないと自分で感じる。医者として今までの間違いに気付いてまだ1年足らずである。また、明瞭な指針として「食」をただす事が何よりも大切だと認識してからもまだ半年足らずだ。アントロポゾフィー医学に至っては、本当に学びはじめたばかり。それでもバッチフラワーレメディーを使い続けて来た事や、町医者としての仕事に徹するようつとめて来たためもあってか、他の病院で見離された癌の患者さんや、PTSDの方が時々私の所まで来て下さる。そんな方々の期待にきちんと応じるために、自分が何をしなければならないか、何をしては行けないのか、以前よりもはっきり理解出来るようになった。将来の明確なビジョンもある。けれども、インパチエンツな私の表面意識からみると、私の日々はついスローペースに見えてしまう。スローに、そしてシンプルにそれでも達成出来る事だけで良い。
2004年05月21日
コメント(1)
昨日の日記は、一般の人に理解しやすいようにと配慮して書いたために、かえって焦点が不明瞭になった部分もあり、少し補足したい。癌といった肉体に生じる異物の結実にも似て、うつ病もまた、人間存在の中に「異物」ともいうべき観念が受胎し、その観念が育ったことに対する反応と理解出来る。違いは、その異物が肉体的レベルに宿ったものか、感情的、魂的レベルに宿ったものかに由来する。「何何しなければならない」「何何であるべき」といった考え、価値観は、いわば外から植え付けられたやどり木の種のようなもので、その観念が発芽して育つうちに、本当の自己は見失われ、生命の木からはその生命力が奪われてゆく。やどり木が大きく育った結果として、本人はそのやどり木の概念を自分と同一視し、ついには本体の命さえ危うい状況になる。この状況でやどり木を枯れ果てさせるためにとられる反応が「うつ病」であり、時に「自殺」だと理解される。うつ病の結末が自殺に終わる事も、ある意味では目的にかなった反応なのだが、実際には肉体の死を選ぶ必要はなく、精神の「死と再生の道」を歩む事で、人は生まれ変わって生き延びる事が可能になる。
2004年05月15日
コメント(3)
うつ病は、几帳面で責任感が強い完全主義者に多く、対人関係でも波風を立てない人に発症しやすい。このような性格の人が、秩序の変化に対応出来なくなると鬱病に陥ると言われる。また患者さん自身は自分の性格や発症した状況について自覚していないことがほとんどで、自分で原因を自覚していない点が、『正常な悲哀反応』とは異なる。 以上が広く認められている、うつ病の「病前性格」と「発症のきっかけ」についての説明です。私は内科、消化器内科医として仕事をしていて、不眠や食欲不振、頭重感などの自律神経失調症状を主訴として来院する患者さんの中にしばしば「仮面うつ病」の方を見いだします。また、時々「大うつ病」の方を拝見する事もあり、その際には抗うつ薬の選択や治療方針に関して、地域の精神神経科の先生にも相談しながら治療にあたります。そのような患者さんの経過を観て、私が気付いた事は「うつ病」の患者さんが、単に生命力を失っているのではないと言う事です。うつ病の経過中、患者さんは「精神運動性の制止、易疲労性、気力の減退、過剰な罪責感、思考力や集中力の減退、決断困難、反復的な自殺念慮」などに苦しみ、その生活様式は活気を失い、あたかも生命力が衰退しているかのように見えますが、その状態を良く観察すると、患者さんの存在全体においては、過去の思考様式や生活パターンを補正しようとする大きな力が働いている事が分かります。誰にでも分かりやすく説明をするなら、個人の意識的な思考を抑制し、肉体的な生命を(自殺という形で)破壊するほどの力が、その人に対して働きかけていると言う事になります。うつ病を発症する方には「完全主義者」が多く、「物事の白黒をはっきりさせたい」という人が多いのですが、この事は、うつ病を発症した人々のモチベーションの中で「良い」、「悪い」といった分離的な思考、「有能」、「無能」といった自己と他者に対しての競争的価値判断などが、大きな力をふるっている事を示します。「競争的価値判断」というと、うつ病を発症する方の病前性格に述べた「対人関係でも波風を立てない人に発症しやすい」という説明と相反するように思われるかもしれませんが、良く観察すると、これらの人々が「対人関係で波風を立てない」のは、その事で自分の安全を守る事が出来るからであり、また他の人々と区別された安全な自己の領域で、「有能な私」という自己像にとどまるためにも、それが必要だからだと理解できます。そして、「他人と争わず、行うべき事は何があっても行うべきだ」という固定化された価値観と行動パターンが、長い期間に渡ってその人自身の生命力の展開を抑圧し続けた結果、そのパターンの維持が限界に達し、深く長い休息であり、再生への沈潜に相当する「うつ病」という状態を引き起こすと考えられます。うつ病になった方は、その病状ゆえにそれまでの生活様式、仕事を中断せざるを得ない状態となり、いわば強制的に新しい生活へと移行させられます。そして、その苦しみの中で、過去の固定的な価値判断や行動パターンも否応なく破壊されてゆきます。この事は他の病気同様、うつ病も個人に「大きな変容をせまるプロセス」を形成している事を示します。たとえば、うつ病の人は「有能」でなくなった自分を責めて自己罪責に苦しみますが、この事はうつ病になった人が、過去において「有能であること」を価値判断の基準の一つにしていた事を意味します。うつ病の中で人は何も出来ず、何も考えられず、自分がすでに死んでいるかのように感じます。けれども、その陰の谷を通り抜けることが出来た時には、その人にとって過去に重要に思われた「有能であること」が、実はそれほど重要な事ではなかったと知るに至るのではないでしょうか。このように、うつ病を含めた「病気という変容のプロセス」を穏やかに支える助けとして、バッチフラワーレメディーはいつでも役に立つでしょう。
2004年05月14日
コメント(2)
con・cep・tion という英単語がある。その意味を調べると、1 a 概念,考え 〔of〕 b +that〈…という〉概念,考え c 概念形成作用2 構想,着想,創案,考案.3 妊娠,受胎.などが出てくる。癌という病気は、人間にとって「異物」とならざるを得ない、「食べ物の形をした毒」や、「食べ物に添加された化合物」、「情報や概念の裏に隠された恐れ、悲しみ、苦しみ、怒り」などのエネルギーが人間存在内部に「受胎」して実を結んだ結果と言える。何十年と生きる間に自己の内に宿った異物の種が、ある時に(たとえば配偶者の死後に)水をもらったようになって育ち、実をつけるのだ。繰り返しになるが、「食べ物」の中には、私たちの魂が食べるものが含まれている。表向きは「情報」や「概念」という、いっけん味の薄い、非エネルギー的な姿を見せている食べ物なのだが、それらを受け入れる時、私たちは、その背後に存在する魂のエネルギーを同時に取り入れている。その背後の力が異物の種になってしまう事があるのだ。特に、私たちが、自分自身で何を取り入れているのかを意識せずに食べ、さらに消化吸収するにあたり、自分に役立つ部分と役立たない部分をきちんと分離して、異物を排泄するところまでを、可能な限り意識的に行わないならば、排泄されずに「種」が残る事が多くなる。「感謝して生きる事」は、「意識的に食べ、意識的に排泄する」事へとつながる。この事を私は一昨日までのアントロポゾフィーゼミナールでの自然観察と内省から学んだ。明日もこのテーマに関して、さらに記述したい。
2004年05月07日
コメント(3)
昨日まで、長野県戸隠村の近く、飯綱高原での国際アントロポゾフィーゼミナールに参加し、今朝逗子に戻りました。高原でのゼミナールの参加者とその内容は、まるで別世界を覗いたような深さと光りをともなっていて、実に得難い経験をすることが出来ました。昨年のバッチフラワーコンフェランスでご講演頂いた、癌の末期患者さんたちの集まりである「いずみの会」の人びとが、なぜその進行した癌から回復することが出来たのか、明瞭に理解することが出来ました。 明日から、アントロポゾフィー医学の入門講座で経験した事柄と、その講座を通して得た新しい認識をこの日記に記してゆく予定です。落ち着いた状態で、経験内容を1つ1つ明確にした上で記録します。
2004年05月06日
コメント(2)
全8件 (8件中 1-8件目)
1


![]()