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そりゃ確かに、第25話「共同戦線」を見逃して、第26話「エレの霊力」を見たら、話が唐突に思えるよね、『聖戦士ダンバイン』。しかも、バイストン・ウェルを精神世界と解釈し、エレの「霊力」なるものを過大に考えれば、このアニメは一歩間違うとオウム真理教的なものにつながりかねないのだよ(ちゃんと中身を理解すれば、そんなことにはならないはずなのだが)。巨大戦艦ウィル・ウィプスの出現。オーラ・マシンの拡大は、とどまるところを知らない。それにしても、地上人ショット・ウェポンが現れてから、こんなに短時日のうちに、大量生産が可能になるものなのか?(6月1日記す)
2008.05.31
人間ドックで内視鏡等を担当してくださった Dr. K宅を、妻と共に夜訪問。病院からは人間ドックの結果は郵送されてきていたが、気になる「すい臓が肥大気味」という指摘について尋ねるため。しかし Dr. Kの答えはあっさりしたもの。「太っている人と痩せている人がいるように、その程度の違いです。問題ありません」とのこと。「気にしないことですね」と。よほど私は、細かいことを気にする人間と思われたらしい(確かに一面は当たっている)が、この数か月、あれほど体調を崩して体重も落ちたのだから、確認だけはしておきたかった。ともあれ、現時点で深刻な病気などではないことは明らかになった。となれば、要するに「過労」ということだ。「十分に休め」ということだ。(6月1日記す)
2008.05.31
ソフトバンク、および川島コーヒーに立ち寄った後、イトーヨーカドーへ。どういうわけか、北海道の物産展をやっていた。長万部のかにうに弁当とかにいくら弁当を、衝動買いしてしまう。帰宅して、1本残っていた大沼ビールを開けて、妻と遅い昼食となった。今更ながら、1か月前の函館訪問の感動が蘇ってきた。それにしても、ぼーっとする時間の何と大切なことよ。その後、睡魔に襲われたドラゴン山田であった。(6月1日記す)
2008.05.31
曇天の下、ソフトバンクへ車を走らせる。調子のおかしくなった携帯を見てもらうためだ。電池がいつしか膨張し、蓋がきちんとしまらなくなっていた。それで、接触が悪くなっていた可能性がある。電池を無料で新しく替えてもらった。これで問題が解決するなら、OKであろう。さながら、新型のオーラコンバーターに換装したダンバインのごとしだ。(6月1日記す)
2008.05.31
過労で寝坊していたら、インターホンが鳴って叩き起こされる。クロネコヤマトさんが、『政経研究』45巻1号およびその抜き刷りを届けてくれる。5月の晦日、外は雨か。
2008.05.31
オスロ・プロセス。よしよし、日本もそうでなくっちゃ。それにしても、「非人道兵器」と呼ばれるが、「人道」にかなった兵器などそもそも存在するのか?(6月1日記す)
2008.05.30
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気がつけば、函館を訪れて1ヶ月ではないかっ! 戻ってから、改めて DVD で見始めていたドラマ『五稜郭』だったが、後篇の途中まで観た後でしばらく放ってしまっていた。弁天台場の戦いで中島親子が戦死した後、日本大学の前身・日本法律学校の創始者である山田市之丞が、「こんな若い者まで死なせおって、榎本のアホが!」と叫ぶシーンあたりから、改めて最後まで観終えた今夜であった。妻に言わせれば、さだまさしが歌う主題歌「夢の吹く頃」は「暗い歌」なのだそうな。さだまさし「らしい」と言えばらしいのだが。
2008.05.30
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東京から疲れて戻り、しばしボ~っと観る、『聖戦士ダンバイン』第25話「共同戦線」。以前にも書いたと思うが、本放映当時の1983(昭和58)年、このエピソードを家族旅行のため見逃したおかげで、その後の話の続きが分かりにくくなった。ドレイクの娘リムルが、ラース・ワウを抜け出してゼラーナに身を寄せていた幸せな一時は、アの国を乗っ取ったドレイク軍が着々と機甲部隊を増強させているのに、対抗すべきラウの国の軍備が整わないゆえに、ゼラーナがゲリラ戦を展開していた時期なのだ。このエピソードで、バイストン・ウェルにおける戦略上の見取り図がハッキリする。ラウの国および大国であるナの国に、軍事進攻しようとするドレイク軍。その背後にある、クの国との同盟。クの国王ビショット・ハッタと、ドレイクの妻ルーザとの内通…。やがて、巨大オーラシップと、より強力なオーラバトラーの出現が、バイストン・ウェルという世界そのものを歪めようとしていた。リムルをゼラーナから奪い返し、ビショットの「ドレイクへの手土産」を作ってやるビアレスのトッド。他方、ショット・ウェポンの雇われ兵に身を落としたレプラカーンのバーンは、新型オーラコンバーターを装備したダンバインに力負けし、ついに屈辱のどん底に堕ちる。「私は騎士の出のはずだ!」という悲痛な叫びと共に…。そして、ルフト家に連れ戻されたリムルは、もう二度と「自由」を手にすることはなかった。
2008.05.30
すでに数週間前から調子が悪かったのだが…携帯電話がついに壊れたというのか。電池が古くなったのか、本体の故障のためか、とにかく使用していると勝手に電源が落ちてしまう。そしてしばらくすると、また勝手にスイッチが入る。年末まで使わないと、2年未満となり違約金が生じるので、修理してでも何してでも、ともあれ使い続けなければ。
2008.05.30
東京の職場に出向くと、『政経研究』45号1巻が出来ていた。拙稿「後期カール・マンハイムの政治思想的考察・序説(四・完)」が掲載されている。種々の思いがあるが、ともあれついに、決着をつけた。しかし、あれだけ校正の時に目を通したつもりなのに、誤植が複数も見つかるとはねぇ…。
2008.05.30
寒々とした、曇天の東京・水道橋。八戸時代の教え子で、足立に住んでいる O田君と、8年ぶりに再会する。なかなか厳しい現実の中を、生き抜いている姿を垣間見る。今日、32歳の誕生日だったとは。私は午後から仕事のため、酒で乾杯することはできなかったが、せめてランチをご馳走することだけはさせていただいた。
2008.05.30
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今日は東京で仕事だが、疲れ切っている。妻に車で三島駅に送ってもらったが、「爬虫類のような目をしている」と言われた。疲れ切って人間らしい顔ではなくなっている、という意味なのだろうが、しかし爬虫類では、ゲッターロボに滅ぼされてしまうではないか(汗)。
2008.05.30
朝から激しい雨の三島である。クエン酸を飲みつつ、何とか出勤。いよいよ梅雨入りも間もなくか。
2008.05.29
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深夜に観る、『聖戦士ダンバイン』第24話「強襲対強襲」。クの国のオーラバトラー、ビアレスで復活したトッド・ギネス。レプラカーンにビアレスも登場し、オーラマシンはすでに量産体制に入っている。もうこの時点で、地上人ショット・ウェポンはライネックやズワァースの他、巨大オーラシップをも構想していたのだろうな。なお、初めて「ナの国のシーラ王妃」という言葉が登場したのが、この回だったとは…。(5月29日記す)
2008.05.28
ついにダウンか。知人から、疲労回復にはクエン酸がよいと勧められる。午後には医者に参らねば。
2008.05.28
八戸~岡山を経て、気がつけば、1日平均アクセス数が165まで上がっていた。
2008.05.27
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風呂上りに、汗がひくまでと思って観る、『聖戦士ダンバイン』第23話「ミュージィの追撃」。日本人ショウ・ザマの駆るダンバインと、中国人フェイ・チェンカの乗る新型レプラカーンとの対決。「そうだ、俺は日本人だ。その俺が、世界の平和のことを言ってはいけないのか」というセリフは、1983(昭和58)年当時、日本の戦後処理が満足に終わっていなかったことの表れであろうか。
2008.05.27
八戸で先週お世話になった T岡氏が、故・T山氏の形見分けとして、在りし日の氏の写真を数葉送ってくださる。いずれも、私と知り合う前の、おそらく60歳代ぐらいの頃の写真であろう。もともとは、国際的な舞台で活躍なさっていた方だ。感謝感謝。
2008.05.27
ゼミの後、疲労して帰宅すると、沼津の田沢病院から郵便物が。人間ドックの結果が送られてきたのだ。おおむね異常なしだが、継続して注意しなければならないのが、高いコレステロール値。しかも、やはり CT スキャンの結果、膵臓が肥大気味であるとのこと。何が原因で、どうすればよいのか…? なお、頭部の CT スキャンでは、「頭が悪い」とか「職業選択を誤っている」とかは出なかったので、一安心である(汗)。
2008.05.27
さすがに、5日間のうちに八戸―東京―岡山と駆け巡り、休みなしに職場復帰する、というのは過酷な芸当であった。夕べは泥沼のように寝た。今日はまた夏日である。
2008.05.27
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昨日、岡山から戻ると、留守宅に『週刊読書人』5月30日号が郵送されてきていた。私が書いた書評原稿が掲載されている最新号である。書評を依頼されたのは、以下の2冊。・千葉眞・小林正弥編『平和憲法と公共哲学』(晃洋書房、2007年)・千葉眞編『平和運動と平和主義の現在』(風行社、2008年)今日、職場の図書館に行った折に確認したら、ちゃんと最新号が入っていたので、職員の方に宣伝しておいた(汗)。
2008.05.26
先週届いていた、研究費購入図書2冊を、今日ようやく図書館に取りに行く。・J. Andersen and B. Siim (eds.), The Politics of Inclusion and Empowerment: Gender, Class and Citizenship (New York: Palgrave, 2004).・J. S. Dryzek, B. Honig and A. Phillips (eds.), The Oxford Handbook of Political Theory (Oxford: Oxford U. P., 2006).それにしても、いつものことだが、アマゾンで確認する価格と、実際に請求される額との間には、無視しえない差がある。1.5倍の価格を覚悟しなければならないとなると、研究費のやりくりも楽ではない。
2008.05.26
昨日、無理やり岡山から戻り、今朝は夏日の三島で1時限目より講義。また、学会出張復命書を事務局に提出。朝自宅を出る頃にはヘトヘトだったが、出勤してからは今のところ何とかもっている。疲れが出てガクッとくるのは、今日の夕方か、明日か…。留守中のブログ更新もままならない。
2008.05.26
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死ぬほど疲れているというのに、風呂上りに『聖戦士ダンバイン』第19話「バーンの逆襲」を観る。エリートコースから脱落し、堕ちに堕ちていくバーン・バニングスの屈辱…。(5月26日記す)
2008.05.25
ヘトヘトになって三島に帰着。岡山から戻った私に、妻が準備してくれた夕飯は、八戸のせんべい汁であった。食事の後、『篤姫』第21話「妻の戦」を観る。阿部正弘はいよいよ死期が近いのか? そして、側室・お志賀に嫉妬の心を抱く御台所…。家定の言う「子はできぬぞ」の真意やいかに?(5月26日記す)
2008.05.25
大雨の翌日の岡山は、薄曇りから夏日になる。学会報告を終えた S氏、および I井氏らと、恩師に連れられて後楽園に向かう。かつて2002年に熊本大学で学会があった折、水前寺公園を散策したことがあったが、あそこは周囲のビルが景観を損ねているとしか思えなかった。が、川の中州であるこの後楽園からは、ほとんどビル類が見えず、すぐそばの岡山城といい、しっとりとしたたたずまいであった。私が14:49発ののぞみに乗るため、岡山駅で恩師らと別れる。妻へはお土産として、頼まれていたきび団子の他に、例のままかりを購入した。のぞみは岡山―名古屋間であったが、神戸や大阪あたりの記憶がない。死んだように眠っていたのだろうか…。(5月26日記す)
2008.05.25
疲労は深い。しかし、夕べの土砂降りの雨もあがり、曇天だがまずまずの天気だ。さて、政治思想学会2日目。今日は午前中、わが後輩の S本氏が Tocqueville についての報告を行う。それを聞いたら、新幹線に乗って三島まで長旅だ。どれ、早々にホテルをチェックアウトするか。
2008.05.25
18時開始予定の学会懇親会だったが、乾杯は18:40であった(!!)。恩師たちと途中で抜け出し、岡山駅ビル内の居酒屋で食事する。岡山は恩師の故郷であられる。「ままかり」というものを初めて食した。S本氏が翌朝学会報告するので、21時頃にお開き。東横インまで歩く間に、雨がどしゃ降りになり、スラックスがずぶ濡れになったドラゴン山田であった。あまりの疲労に、入浴する元気もなく、そのままベッドにもぐり込んでしまった…。(5月26日記す)
2008.05.24
雨の上がった岡山を、バスで岡山大学へ。広大なキャンパスである。西門前というバス停で下車し、政治思想学会会場(創立五〇周年記念館)に入ると、ちょうど近畿大学の I井氏と合流する。学食(マスカット・ユニオン)で昼食をとりながら、久々に種々語る。午後の研究会2は、「リベラル―コミュニタリアン論争以後の秩序観」は、なかなか興味深い内容であった。特に、青山大学の O村氏の報告は、今後の私の研究にも少なくない関係がある。そして、またしても己れの無恥さ加減を知ったのであった。(5月26日記す)
2008.05.24
疲労で爆睡であったが、スッキリ起床には程遠い岡山の朝。起きた時には、天気予報に反して、曇天だが雨は降り出していなかった。しかし、朝食を終える頃にはいつしか本降りになりつつある。それにしても、八戸でも感じたが、今どきの東横インは、天然温泉なきスーパーホテルといった感じだな。今ではおととしになるが、2006(平成18)年暮れ、カーディフで泊まった Big Sleep というホテルを、何となく髣髴とさせる。さて、岡山大学で政治思想学会である。
2008.05.24
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自宅で午前中、『聖戦士ダンバイン』第18話「聖戦士ショウ」をぼけ~っと観た後、夏日になりそうな東京へ。午後の仕事を終えて、約1時間かかって羽田空港へ向かう。さっさとチケットレスのチェックインを済ませ、早めの夕食を空港内のレストランで終え、さて搭乗口に行こうと思ったら、長蛇の列。しかもアナウンスでは、自動チェックイン機が故障したとやらで、「早めに済ませて正解だったなぁ」と思う。南ウィングのゲート6前でしばらく腰を下ろして待ち、19:15フライトの JAL 1687便・岡山行きに搭乗。疲労していたのだろう、離陸前に意識を失った。飛行中に目を覚まし、あまりにのどが渇いたので、オレンジジュースを2杯ももらってしまった。約1時間のフライトで、初の岡山空港着。そこからバスで JR 駅まで30分。徒歩で東横イン岡山駅西口右へチェックイン。当たり前と言えばそうなのだが、おととい宿泊した東横イン八戸駅前と、部屋の内装が完璧に同じであった。このブログも、ホテルのロビーにあるパソコンから書いているのであった。とにかく、疲れきった。
2008.05.23
昨日の夜、八戸から三島に戻り、今日は午後から東京で仕事。夕刻には羽田空港から岡山に飛ぶ。この週末は何とかもつとしても、来週の体調が心配である…。
2008.05.23
小中野駅で列車を降りたはいいものの、駅前の大町郵便局は思い出したが、そこからの記憶が定かではない。はてさて、どうやって青葉三丁目に行くものやら。大まかな方向だけは覚えているのだが、ちゃんとした道を忘れてしまっている。適当に歩いていくと、自分が世話になっていた不動産屋さんに出てしまい、「しまった、自分の住んでいたエリアの方に来てしまった」と軌道修正。行きつ戻りつして、気温の上がりつつある八戸の空の下を20分あまりも歩いて、ようやく故・T山氏宅である芙蓉荘にたどりつく。懐かしい面々が、ドラゴン山田の出現に驚いていた。「静岡から来たの!?」「はい、来ました」。天涯孤独に等しい T山氏の、事実上の喪主となった W辺氏を始め、7崎夫妻、T部氏、Tばき氏、T川氏、K嶋さん、O山内氏、S坪氏、等々、懐かしい方々との再会となった。7崎さんが、「きれいな顔をしているよ」と遺体との対面を私に促す。棺に納められている T山氏を、T部氏と共に拝見すると、赤ん坊のような、眠るがごとき相であられた。成仏とは、こういうことを言うのだろう。18日(日)午前6時50分逝去。享年83歳。夜行バスで朝着いたという A香氏と共に、T部氏の車に乗せていただき、霊柩車を追って八戸斎葬場へ。荼毘に付されている間、故人を忍んで種々の語らいとなった。お骨を再び芙蓉荘に戻して、告別式。そこで、今回水面下で私に種々の情報を下さった友・T岡氏とも再会する。式が終わると、「供養だから」ということで大量のビールにオードブルに寿司などが振る舞われたが、新幹線の時間がある私は、A香氏と共に脱出。T岡氏が八戸駅まで車で送ってくださる。途中、私が住んでいた柏崎六丁目を通り、私が八戸時代の後半を暮らした久保田荘がちらりと目に入る。まだ現存していたことも驚きだが、T岡氏いわく、近々取り壊すので全員引っ越してもぬけの殻なのだそうな。これが見納めだろう。いったん T岡氏のお宅に立ち寄り、奥さんと3歳のお子さんも車に乗車。奥さんとも数年ぶりの再会だが、お子さんと会うのは初めてである。なかなか人見知りをしている。はやてが来るようになって、大きく変化した八戸駅。しかし、かつてはなかった西口は、何の開発も進んでいないらしい。地主が土地を手放さないためだそうだが、それを聞くと、平成の大合併の先駆けとなった40年前のいわき市合併以来、いわき(当時の平)駅前再開発が全く進まなかったのと同じ構図ではないか、との思いが脳裏をかすめる。ともあれ、私と A香氏が来るのを待っていたような、夏日に近い八戸に別れを告げたのが、16:06(はやて22号)。大宮で降りる A香氏と、えんえんと語り合うドラゴン山田であった。20:24に三島に戻った時には、さすがに疲労を隠せなかった。(5月26日記す)
2008.05.22
東横インの朝食は極めて簡素である。おにぎりプラス味噌汁。ただし、八戸だけあって、味噌汁はせんべい汁であった。久々の味に、感動。八戸駅よりローカル線の八戸線(10:16発のうみねこ号)に乗るのだが、のんびりしていられるようなホテルではないので、9時半過ぎにはチェックアウト。駅前にあるユートリーはラッキーなことに、9時から開店していた。実に久々に中に入り、デンと置いてある三社大祭の山車を尻目に、八戸に来たことのない妻へのお土産に、せんべい汁といちご煮をせしめる。それらと、重いバッグを、コインロッカーに放り込む。八戸線から見る光景は、やはり1つ1つ、古い記憶を思い出させるものであった。長苗代、馬淵川にかかる鉄橋、本八戸駅前、そして…小中野駅で下車。晴天である。(5月26日記す)
2008.05.22
20:05、はやて号が八戸駅に到着。数年ぶりに、ドラゴン、八戸の大地に立つ。駅前はさすがに変わってしまっている。様々な思いが去来する…。ちなみにこのブログは、チェックインしたホテル、東横イン八戸駅前のロビーのインターネットから書き込んでいる。
2008.05.21
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はるか以前に発注しながら、なかなか入荷しないと言われ続けた洋書が、ようやく届いた。Howard S. Becker, Writing for Social Scientists (Chicago: University of Chicago Press, 1986) である。社会科学スタイルの英文を書く訓練は、私には差し迫って必要なはずなのだが…それにしても、この本、邦訳があるんじゃないか(講談社学術文庫)?論文の技法
2008.05.21
夕刻に八戸に向かうこの日、三島は朝から晴天と言ってよい。午前中は、夏の海外出張のための書類作りに費やし、昼過ぎに1コマ講義を済ませた後に一度帰宅。三島を15:55発のこだまに乗り込む予定。八戸新幹線はやてに乗るのは、いったい何年ぶりのことか(そもそも、私の八戸在住時代は、はやてはまだ開業運転していなかった)。4時間で行けるようになったことは瞠目すべきことだが、しかしやはり遠いことに変わりはない。
2008.05.21
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20歳以降さんざんお世話になった M島夫妻に、函館のお土産を片手にご挨拶に伺う。が、翌日は八戸まで遠出となる私なので、玄関先で早々に引き揚げてきた。そして帰宅・入浴後、髪が乾くまで『聖戦士ダンバイン』第17話「地上人たち」を観るドラゴン山田であった。前日ほどの疲労でないのが救いである。(5月21日記す)
2008.05.20
海外ホテル予約サイトのアップルワールドは、なかなか便利だが、しかし8月27日のマンチェスター空港周辺ホテルの予約に2度も失敗している。結局、ホテルのホームページに直接アクセスし、1泊48ポンドという格安プランで部屋を確保したぞ(食事なし)。さぁ、あとは肝心の、シェフィールドの宿が残るのみだ。
2008.05.20
昨夜は、行くはずだったサンダビーダ要塞に行けずダウン。今朝までは大雨だったらしいが、全く気づかず爆睡していた。徐々に晴天になりつつある三島。疲労がつのる中、仕事が待っている。そして、明日は八戸入りか…。
2008.05.20
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帰宅したら、いたく疲労がつのった。ぼ~っとするつもりで観た『聖戦士ダンバイン』第15話「フラオン動かず」と第16話「東京上空」。愚王フラオン・エルフのような存在は、アニメの中だけの話ではないよなぁ、などと思うと、あまりぼ~っとできなかった。
2008.05.19
今週、来週と、過酷な日々となるのか。木曜日(22日)に八戸での葬儀に参列のため、今日の仕事を終えた後で JR券などを手配した。木曜の夜には三島に戻り、翌金曜(23日)には東京で仕事。その足で羽田より岡山に飛び、週末は政治思想学会である。三島に戻るのは、日曜(25日)の夜。そして、休みなく月曜(26日)の朝一番から出勤だ…。
2008.05.19
両方おさえなくっちゃねぇ~。文脈を全く無視して、ある特定の面白そうなトピックだけ選んで、「これが専門です」なんて言ってもねぇ~。
2008.05.19
職場のワイヤレス・マウス用の乾電池。
2008.05.19
『篤姫』第20話「婚礼の夜」。将軍家定は、果たしてうつけか否か。ついに御台所となった篤子は、「うつけではない」と直覚するに至る。それが、どのような形で証明されるのか…?
2008.05.18
夕べ語ってくださった I垣夫妻。八戸時代の大恩人・T山氏の逝去。妻を私に紹介した I漕夫妻との語らい――この土日、私にとって「潮の流れの変わり目」のような感じがする。I垣氏や I漕氏との対話の中で、またかつて故・T山氏から受けた薫陶を思い出す中で、改めて明確になったのは以下の2点だ。・人生にとって、最も幸福なことは何か。それは、「自分はこのために生きる」という目的観が明確になることである。・人生を価値あるものにするために、必要なものは何か。それは、「原点」であり、それを忘れないことであり、その「原点」を共有して深く語り合える友の存在である。この21年間、自分なりに真面目に生きてきた私が、途中でいろいろあろうとも、間違った方向に行くはずは絶対にないではないか! そのように、「心」を強くする必要性を銘記した午後であった。
2008.05.18
朝、携帯に悲報のメールが届いていた。八戸時代の大恩人・T山氏が、早朝に亡くなったというのだ。つい一昨日、八戸時代の先輩・A香氏と三島で再会し、T山氏の話題も出ていたばかりだというのに…。葬儀には参列しないわけにいかない。それにしても、人は、会うべき時に会っておかなければ、そのチャンスを永遠に逃すことになってしまう。
2008.05.18
幸原を後にして、学生時代からの大恩人・I垣夫妻に、21年目のご挨拶に伺う。深夜まで種々懇談していただく。最近、「自分が頭で分かっているはずのことを、自分自身が裏切って行く」ことに直面していると、率直に語る私。私のことを骨の髄までご存じの I垣氏、「自分をとことんまで追い詰めて考える、というのがドラゴンの『原点』であり、それがなければ今日のドラゴンはない。だから、そのことを卑下したりする必要はない」と。「まぁ、40年以上も続いてきた悲観主義が、簡単には変わらないだろうなぁ、あはは」とも言われる(苦笑)。(5月18日記す)
2008.05.17
私は学生時代、幸原町ではなく徳倉2丁目に住んでいた。しかし、特に20歳以降、幸原は自分の行動範囲であった。その幸原で開かれた夜の discussion meeting に、MDiv. として参加させていただく。自分の語ったことは基本的なことに過ぎないが、いささか力んでしまったので、聞いてくださった方々に真意が伝わったかどうか…。(5月18日記す)
2008.05.17
頭でしか分かっていないこと。本などで知識としてのみ知っていること。それらが、現実の問題として目の前に現れて、初めて自分の無知さ加減を思い知る。「理解しているつもり」でいい気になっていた自分が、自分で嫌になる。自分のことが分からないのだから、自分と他者との間の誤解を解くのは並大抵のことではあるまい。それでも、私たちは生き抜いていくしかない。未来を信じて…(その未来も「今」「ここ」の中にしかないのだが)。
2008.05.16
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