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今更ながら、続きを 「はたかぜ型」の武装の特徴は、「たちかぜ型」で艦尾にあったターターが艦首に設置されている点が目立つ。 はたかぜのターターは仕様として艦対空ミサイル・スタンダードSM-1(MR)の発射装置であるが、「構造的には、ハープーンやアスロックの発射も可能」ということを艦上で士官が説明していた。 たちかぜ型では、53年度艦である「さわかぜ」のみハープーンの発射も可能な兼用型ターターを装備しているとのこと。次の世代の艦であるはたかぜは、ハープーン発射管を別途装備しているためか、ターターはスタンダード専用になっているようで元に戻っている。 艦首と艦尾に搭載する73式54口径5インチ単装速射砲は今では珍しくなりつつある「有人砲塔」で、他では、「はるな型」「しらね型」等の大型護衛艦に残っているのみ。 武装展示では、なぜかターターは動かしてもらえず、5インチ砲とアスロックランチャーだけだった。一番特徴的なターターの作動を見たかったのに残念。 ターターについて隊員の方に聞くと、「今やVLSが主流で、ターターは旧式扱いとなってますが、ターターにも優れている点もあるんです。ターターはスタンダードミサイルの水平発射が可能なので、シースキミングの対艦ミサイルや、低高度の飛行目標に即応できる点ではVLSより性能が上なんですよ。VLSはいったん垂直にうち上がってから方向転換するんで、どうしても反応が遅れるんですね。」と結構マニアックな話をしてくれました。 ついでにいうと「武装展示でも、VLSよりターターの方が面白いですよ。VLSは蓋が開閉するだけですが、ターターは形も面白いし、複雑な動き方しますから。」てなこともおっしゃってました。 ただ、ターターシステムの同時追尾可能目標は2個ということで、これはターターの発射速度の問題でなく、レーダーシステムの問題らしいです。 イマージェンシーの1発を含め3連射が最大ということで、ミサイルの搭載数は40発ということでした。 そしてこれがアスロックランチャーで、VLSを搭載した「むらさめ型」(3年度艦)以前の護衛艦は大体主砲の後部に装備している見慣れた箱です。 四角い蓋が観音開きになってロケットブースター付きの魚雷を発射します。発射された魚雷は空中を目標海面上まで音速で飛翔し、上空でパラシュート降下、水中に入るとホーミング魚雷として行動するようになっています。 ちなみにアスロック(ASROC)はAntiSub-marine ROCketの略、VLS装備艦以降は、VLSから発射するため専用のランチャーはなくなっている。 アスロック・ランチャー装備艦の場合、弾庫はランチャー後部つまり、艦橋最下部にある。 写真のハッチが開いて、ラマレールがニョキニョキと出てきてアスロックを機械装填する。艦橋下部が弾庫というと危険な感じがするが、そのためか、見るからにこの部分の装甲は分厚くなっている様子。そして、右側に円窓のようなものが並んでいるが、これが、重要な役割を果たすのだそうです。 弾庫が爆発したりした場合に、この窓が吹き飛んで、爆発エネルギーを逃がし、艦橋上部への被害を減らす役割をしているんだそうで。 そういうわけで、よく見ると、アスロックに限らず、弾庫の上部や側面などには、こうした丸い蓋がついています。
2008年05月31日
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「雨だから、行かない。」と息子につれなくされて、とぼとぼ一人出かけて行った今回の体験航海であったが、横須賀につくと、天気予報とは異なり、横須賀では雨も上がり、「馬鹿野郎、だから、父ちゃんのいうことは聞いとくもんだ!」と息子を心の中で罵りながら、吉倉岸壁に向かう。JR横須賀駅改札を出て、ヴェルニー公園に出て、吉倉岸壁を見るとこんな感じ。天候のせいか、受付時間が近いにも関わらず、人の流れは、いつもより少ない感じ。見ての通りで、引き取り先の決まらないままの「しらせ」が相変わらず、停泊している。ちなみに、5月31日(土)、6月1日(日)の2日間、「しらせ」の「最後の一般公開」があるということが、PX前の掲示板に出ていた。ご興味のある方はどうぞ。お隣は、こんな感じで、私が横須賀へ行くといつも「はるさめ」が停泊しているような気がするのは気のせいだろうか? 「ときわ」もいることだし、セットで、次のインド洋への出向の準備かな?乗艦に際しては、こんな感じで、人も少なくスムーズ。まあ、13:00出港予定に対して、まだ、11:30過ぎたくらいだからこんなもんかもしれない。天気が回復したせいか、艦内に入るより、後部のヘリ甲板に陣取る人が多かったようで、割と艦内は閑散としていた。乗艦者用に開放されていた区画は以下のように「士官室」「司令公室」「食堂」などだが、どこも割と空いていた。これが「士官室」これが「司令公室」私がよく乗る機会があった「ゆき」型護衛艦には「司令公室」なんて特別な部屋はなかったから結構贅沢な作り。ラッタル降りて下の居住区に向かう。何の変哲もない水密区画のある通路だが、色が白いのが独特かも。「ゆき」型なんかだと緑がかった水色なんだが、「はたかぜ」は白いのだった。そして、「食堂」だが、なんか、狭い感じ。今回は食堂で、グッズ販売をしていた。ついついまたもや「スコードロンキャップ」を買ってしまった。私が買ったのは見ての通りいちばん変な奴。おそらくはたかぜのマスコットがこの歌舞伎調の「ファイティング・カイト」なんだろうな。他のキャップはありがちな「JDS HATAKAZE」のロゴの下に横から見た艦の形の刺繍というありがちなデザインだったので、パス。続きはまた今度。
2008年05月26日
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先月の「しらせ」の体験航海に続いて、明日は「はたかぜ」の体験航海があるのだが、なんでこうも天気に恵まれないんだろう? おまけに、息子もさすがに、護衛艦には乗りまくったので飽きたのか、「雨だから行かない。」と冷たい反応。 天気予報では午後から天気は回復の兆しも見られるが、午前中は土砂降りの様子。 私はとりあえず、責任感から行く予定だが、息子分のチケットが余ってしまった。 どうしよう。 雨天の体験航海してみたい方募集中です。明日(25日)の午前11時にJR横須賀駅に来れる方、先着一名様に乗艦チケット差し上げます。 「しまかぜ」のキャップかぶって黒のリュック背負ってる怪しい親父がいたらお声かけ下さい。
2008年05月24日
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たった今TVを見ていての感想。 バカバカしいというか、偏見に満ちているのはわかっているが、関西人が「サムライ」を語ってはいけないだろう。戦国時代においては又別だろうが「武士道」が完成したのは江戸期である。 その道徳律の可否はともかく、少なくとも、大阪・京都人は歴史的に「サムライ」では絶対にないのだ。 公卿か商人、武人であったとしても、僧兵か忍者であって、文化的に合わないのだ。 だから、トータス松本が関西弁で「サムライソング」とか歌うと「サムイソング」にしかならない。 まあ、「葉隠」とかは佐賀鍋島藩のお話なので、九州北部、「博多弁」あたりまでが「サムライソング」歌っても許せるけど、関西弁で「サムライ」はないんじゃないの? もしかすると「サムライ」とかいうイメージを戦国時代あたりで捉えている人も多いのかもしれないが、戦国武将の倫理感、価値観は「武士道」とは対極をなすものであり、やはり、違うのである。 簡単に「サムライ」を語って欲しくないな。 「サムライ」はかなりバカバカしい存在だ。 私の持つ「サムライ」のイメージは隆慶一郎著「死ぬことと見つけたり」が一番しっくりくる。
2008年05月20日
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前言撤回である。この週末でニューロマンサーを結局全部読んでしまった。 文体に慣れてくると結局読めてしまうもんなんだな、と思う。こうしたサイバーパンク(?)ものは、今や珍しくもないだろうから、そのハシリだとかいう解説が必要になるのかもしれないが、人間の脳とコンピュータとの接続によって起こる仮想現実の世界を描くという点では画期的な作品であったのかもしれない。 しかし、今や、日本のアニメをはじめとして、主人公は大体後頭部にジャックがついているのがSF世界のお約束ごとになっているので今更読んでもその斬新さはわからない。 これを読破したタイミングは調度、田舎の叔父、叔母、祖母の引越しの手伝いに行っていた時で、読み終わって困ったな・・・・。と思ったのだが、我が家は死んだ親父が、本当に読んでいたのかどうかも分からない書籍群に埋もれるような状態であり、また、東京で暮らす自己中心的な私の兄が、手前の家が手狭になると、実家に荷物を全部宅配するという実家を倉庫ぐらいにしか思っていない馬鹿野郎なので、おかげで、田舎の家はちょっとした図書館、あるいは古本屋と化している。 そういうわけで、田舎に帰ると、書棚や納戸をあさると意外に面白い本に出会うことがある。読み終わった「ニューロマンサー」をおふくろに気づかれないよううに、本棚に入れて置き去りにし、代わりに八切止夫「信長殺し、光秀ではない」とかいう古本を引っ張り出して読み始めたがこれが面白い。 って、すでに「ニューロマンサー」の話でなくなってしまっているが、「ニューロマンサー」は150ページくらいからやっと文体に慣れ面白くなってくる。 この辺まで読むと、ジャックインしたりフリップしたりすることでの場面展開について行けるようになる。 結局午前2時くらいまでかかって全部読んでしまった。SFを読んでいて思うのは、SFって、発表されたとたんに古典になってしまうものなのかな?ということである。 どれだけ斬新な(楽観的にせよ、悲観的にせよ)未来像を描いたとして、発表したとたんに、それをベースにしてさらに高度に複雑化した未来像が創出されてしまう(要するにパクリ)。 今や、映画「マトリックス」の世界は、SFの常識なのかもしれない。 現実世界を離れて、創作された未来像の内、一般庶民に支持された未来世界像をベースにあらたなSF小説なり、アニメなりが製作されていくのかもしれない。ロボット好きの日本人においてもアイザック・アシモフなんてのはもはや見向きもされない世界かもしれない。 アシモフの作品ではないけれど、原題がどうだったかもわからないが、少年時代少年SF文学全集みたいなものが家にはあって(多分優秀だった兄貴向けに親が買い求めたものだろうが)、その中に「逃げたロボット」レスター・デルレイ作、という本があった。すでにストーリーもよく覚えていないが、とても悲しい話で、人間の行為が残虐であるということぐらいしか覚えていないのだが、確か挿絵が久里洋二かなんかで、それがSMチックな絵で子どもとしては非常に衝撃を受けた覚えがある。 まあそういうことはともかくやっと時代劇に戻ってこれたことの方が大事。八切止夫て何もんだ?「信長殺し、光秀でない」は古本屋で450円で売っていたものらしいが、もともとの定価は390円である(多分当時の1ドルちょっとと安い)。ちなみに文庫本でなくハードカバーである。版は昭和42年8月が第1版第1刷で私のは第4刷である。 これは、面白い。このネタは、ちょっと今後の私の老後の儲け話に使えそうなネタなので、ここでは公開しません。 ご興味のある方は根性で捜してください。日本の歴史が覆ること間違いなし。 「信長殺し」については諸説あるが、明智光秀が実行犯であることに変わりないのがほとんどで、八切説は、「信長公記」等の過去の資料の全面的な否定(というと語弊があるが)の上に構築されていて、ことの真偽はともかく十分に興味深い。 過去の「本能寺の変」を扱ったドラマ、小説類はすべて、微妙なディティールの違いはあれ、光秀が犯人であることに変わりはなく、せいぜい忍者が出てきたり、本能寺からどこかに脱出口がうがたれていて、信長は脱出したとかいうものがほとんどで、明智光秀自体が犯人であることに疑義を唱えたものは私は他に見ない。 まだ、半分もう読んでいないので、これからが楽しみ。 作者の性格なのか、冒頭にネタばれしているので、「犯人はだれか?」といった楽しみは全くないが、その裏付け作業に全編が費やされる感じらしい。 隆慶一郎の小説なんか読んでいても思うことであるが、どういう「史観」(隆慶一郎の場合「網野史観」に専ら影響されているわけだが)をとるかによって歴史は簡単に変わる。 ここに、ドラマ性がいくらでも潜在しているという気がする。歴史小説なり、時代劇の脚本なり、書いちゃおうかな?とか思う今日この頃である。
2008年05月18日
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佐藤雅美も「花輪茂十郎の特技」読んじゃったし、浅田次郎「天切り松 闇語り」も読んじゃったし、困ったなー。と書店の文庫本の並ぶ棚の前で茫然としているとき。 そうか、少年時代に好きだったSFでも読んでみようかと思い、ハヤカワの棚へ。昔から、アーサー・C・クラークとか、フレデリック・ブラウンとかフィリップ・K・ディックとか、どちらかというと難解又はシニカルなSF物が好きだったので、表題だけは知っていたウィリアム・ギブスン「ニューロマンサー」を手にとる。 始まりが「千葉市」からだったりして、「なんじゃこりゃ?」という感じで読み進めて行っているのだが、普段時代劇ばかり読んでいるせいか、また、久しく翻訳ものを読んでいないせいか、文章に大いに違和感を覚え、ストーリーが全く頭に入ってこない。 どうも、舞台はマトリックス的な電脳世界と荒廃した現実世界との間を主人公と思われるケイスが行き来しているようなのだが、「リアル」な世界が全然リアルじゃないので、「メタ」な世界との区別が私にはよくわからない。 メチャクチャ難解な世界である。というか、本当にこういう訳でいいのか?と原文も見ていないのに思ってしまう文章である。なんか、原書を読んだ方がよさそうな気分になってきた。 440ページのうちの140ページくらいしか読んでいないので何とも言えないが、何か既に話に飽きてきた。 映画化でもされていれば先に映画見た方がわかりやすいかも。 読みなれないものには手を出さない方が良い。
2008年05月14日
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映画を見ていると、主役ではないのだが気になってしまう俳優というのがいる。先週から今週にかけて気になったのが、週末テレビでやっていた「グリーン・マイル」とWOWWOWでやっていた「プライベート・ライアン」に出ていたバリー・ペッパーである。 「グリーン・マイル」では、トム・ハンクスに協力する看守役、「プライベート・ライアン」では、凄腕のスナイパー役だった人だが、何がいいのかわからないが、 なぜか、いい。かっこよすぎる。オーラが出ていると言っていいかもしれない。 それが俳優の演技力というものなのかもしれない。
2008年05月12日
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数年前に私は脳梗塞を患って、入院した。 その時の症状としては、日曜日の昼さがり、行きつけの蕎麦屋で昼酒飲みながら、文庫本かなんか読んでいたら、急に左目の前にスクリーンがかかったような状態になり、「本の文字がやけに見えにくいな。」てな感じで、目をしばしばさせながら、2合ぐらいの酒を飲んで、もり蕎麦食って、それから、床屋に行ったのだが、床屋で、散髪してもらっている最中、突然眩暈を感じ、吐き気をもよおした。 しばらく我慢していると普通になったので、そのまま帰宅、TVなんかを見ながら過ごしているうちに、夕食。 何を食ったのか今や記憶にないが、飯を食っていると、なぜか、飯粒が口からこぼれおちる。口の左側から顎にかけて飯粒だらけになる。 女房と子供が「お父さんおかしいね?」と笑う。しかし、尋常でない様子で、だんだん笑いごとではないという空気に。 その当時はまだ優しかった女房が、「疲れてるの?具合が悪かったら横になったら?」というので、食事を切り上げて、2階の部屋へあがりベッドに入ろうとすると、左足がベッドのヘリに引っ掛かり転倒。 ものすごい音がして、びっくりした女房が駆け上がってくる。「大丈夫?」 「(大丈夫なわけねえだろう?顔面から左足先まで左半身コントロールできてねえんだから)、なんかやばいかも。」 「救急車呼ぶ?」 「そこまで大げさにせんでもいいだろうけど、一応病院には行ってみるか。」 ということで、近所の友人を呼んで、車で近くの総合病院へ。 日曜日しかも夜間の救急、2月の寒い冬のさなか、のことである。風邪やインフルエンザと思われる病人で待合室は結構混んでいたように思う。そんな中ストレッチャーに乗せられて運び込まれる老人が何人か。 そういうわけで、その時はまだ分からなかったが、脳梗塞を起こしていた私は、しばらく待合室に放置され、おとなしく順番を待つ。 診察の順番がやっと来て、症状を医者に話したとたん、「即MRI撮ります。しばらくお待ちください。」といわれ、そこからは、車いすに乗せられ自分では動けなくなった。 結果、右前頭葉部分に重度の梗塞が見つかり、右頚部動脈に血流がなくなっていた。 そのまま緊急入院である。 幸い、梗塞部位があんまり使われていなかったのか、後遺症もなく3週間ほどで退院してしまったのだが、以来、ちょっとしたことが怖くなる。 単に寝違えただけなのかもしれないが、朝起きたら「腕が痺れている。」とか、本の読みすぎで、眼精疲労を起こしたのか「目がかすむ」とか普通の人ならなんとも思わないようなことが「まさか?」ということになる。 今日も、会社の昼休みに飯食って、ドトールコーヒーで一服しながら「花輪茂十郎の特技」を読んでいたら、右目がかすみ、その後支社に戻ってからも、右肩から右腕が「だるい」。 こういうことに、入院以来神経質になっているので、トイレに行って、鏡の前で顔面チェック。「右ということは今度は左脳だな?ということで、顔面の右側がちゃんと動くか笑顔チェック。」無事に口角右瞼異常なく作動した。 なんか、こうなるとほとんどサイボーグ状態である。帰社する道すがら無意識のうちに右手をグーパー繰り返しながら、機能チェックしていた。 大病した経験がない人にはなかなか理解しがたい感覚かもしれないが、脳梗塞のように入院中の死亡率が15%程度という病気。私も一時脳圧が上がったために運動神経が圧迫され運動機能障害が一時的に出たわけだが、そのまま脳圧が下がらないと、脳の壊死範囲が進行して死んでしまうことがあるらしく、危なかったわけで、運が良かったとしか言いようがない。 そういう感覚があるから、日頃の自分の体調とかちょっとした変調に敏感になる。敏感になりすぎるとこれがストレスになって、うつ病になる場合もあるらしい。 こういう神経過敏症から早く解放されたいが、今のところ、バイアスピリンから解放される気配はない。 健康が一番。でも酒も飲みたいし、煙草も吸いたいし、健康か?欲望か? これから先の人生考えたとき、長生きはしたくないな。これからの日本悠々自適の老後は一般庶民には夢のまた夢という感じだし。
2008年05月09日
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今月の護衛艦の体験航海は「DDG-171はたかぜ」ということである。今度は日曜日なので、部活がなければ息子を連れて行ってやれる。 「はたかぜ型」に関しては、2006年の「観艦式」で「DDG-172しまかぜ」に乗ったことがある。もともと4隻の建造が計画されていたミサイル護衛艦であるが、63年度計画でイージス艦の導入が決定して、建造計画は中止、「はたかぜ」「しまかぜ」の2艦のみとなっている。似たような武装形式の船に「たちかぜ型」があるが、ターターの位置が違う(「はたかぜ型」は艦首、「たちかぜ型」は艦尾)のと、「たちかぜ」はハープーンの専用発射装置がなく、ターターがSSMとハープーンの兼用発射機となっている。 ちなみに、福井晴敏「亡国のイージス」に登場する「いそかぜ」は「はたかぜ型」DDGを改装して「ミニ・イージスシステム」を搭載したという設定になっているため、小説では、艦首のターターシステムが残されており、グソーを搭載したミサイルはターターから発射されるように設定されているので、この旧式の単発ミサイルシステムは非常に重要な役割を果たしている。また、主人公の仙石曹長はミサイルシステムのエキスパートであり、ターターシステムに深い思い入れがあるという点でも、この「はたかぜ型」の艦首の箱根彫刻の森にでもありそうな可動式オブジェよろしく鎮座ましますターターシステムは非常に特徴的なのである。 「しまかぜ」の武装展示でターターの作動展示を見たが、単発式とはいえ、その作動スピードは半端でない速さで、次弾の装填スピードも恐ろしく速いので、多分連射できるんだろうなと思う。
2008年05月07日
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「天を斬る」が時代劇専門チャンネルで始まって、今日までに13話が放映された。 舞台は、幕末の京都であるが、新撰組などが未だ登場する前の微妙な時代。 そういった、細かなことはともかく、今見れば面白いが、当時としては、脚本があまりにニヒルでストイックで、結末も救いがなさ過ぎて、受けなかったんではなかろうか。 栗塚旭、島田順司、左右田一平他が、奔走して、時代の流れに呑み込まれ不幸になっていく庶民なり、浪人者なりを救おうとするわけだが、今まで見る限りほとんど誰も救うことができていず、いたずらに人が死んでいく。 ハッピーエンドは一話もないと言っていい。放映は1969年である。70年安保闘争の時代背景を感じる。この時代に製作されたドラマは、子供向け特撮ヒーロー物も含めて、理不尽なストーリーが多い。代表が「ウルトラセブン」や「怪奇大作戦」等の実相寺昭雄監督ものだったり、金城哲夫脚本作品だったりするわけだが、それは話の本筋ではないのでまあいい。 それにしても、時代劇見ていて、これほど、痛快・爽快とかけ離れたストーリーもなかろう。 私的には、こうした理不尽・不条理劇は大歓迎なのだが。 結局、こういう作品群にキャスティングされるから、栗塚旭も島田順司も時代劇カルトになっていってしまったんだろうと思う。 左右田一平を時代劇カルトに入れていないのは、根拠があるわけではないが、何か、このおっさんだけは、その後も、現代劇(サスペンス物が多いような気がするが)でもいろいろ出ているのを見かけているような気がするからなのだが。 やはり、「新撰組血風録」、「燃えよ剣」の脚本を担当していた結束信二の原作・脚本によるところが大きいのだろうか。特攻隊の生き残りという人生観はやはり、人を虚無的にするのだろうか。「暴れん坊将軍」などの脚本も書いているようなので一概に言えないが、やはり、凄い。時代が物騒な時にこそ力のあるドラマが生まれるという気がする。 平成の世にプロットが巧みだとかどうとかいうことなしに「惹き込まれる」というか「魅入られるドラマ」というのは生まれる可能性はあるんだろうか? もっとも、当時は、ドラマよりも現実世界の方が物騒で受けなかったのかもしれないが。 だから、後になって、再放送見るとその重厚さに圧倒されるのかもしれない。 そういう点では、ドラマはリアルタイムに見ても評価できないのかもしれない。 30年後に木村拓也はカルト俳優になっているだろうか?
2008年05月06日
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迂闊だった。昨日買った、佐藤雅美「八州回り桑山十兵衛 花輪茂十郎の特技」を出勤時に鞄に入れ忘れてしまった。気づいたのは電車に乗った後。あるべきはずの場所にあるべきものがないことの不安。 結局、吊革につかまって苦痛を耐え忍ぶ1時間余りだった。 で、活字がないとどうにもならない私は、昼休みに新宿の三省堂に出かけ「とにかく何か今までに読んでない本を」と探す。「読んでなければなんでもよければいくらでもあろうが。」と思われようが、そうもいかない。好みというものがある。 私の読書は、未知のものを求めるものではない。あらゆるメディアを通じて偶然に出会った物語を端緒にそこから広がっていくものなので、ある意味既知のものからスタートするのである。 で、浅田次郎である。初めて読んだのはおそらく「壬生義士伝」であると思う。ストーリーの大半が、登場人物のセリフで構成されるという独特の小説形式であるにも関わらず何ら違和感なくひき込まれた。新撰組ものから入ったのはやはり時代劇ファンとして「一応押さえておくか。」という乗りからのもので、別に「浅田次郎」を選んだわけではない。 ここだけの話、恥ずかしながら、「新田次郎」と間違えた節もある。 「壬生義士伝」が出たときにはすでに「鉄道員(ポッポヤ)」とかで有名になっていた作家であるにも関わらず、この程度の知識である。 「壬生義士伝」で圧倒されて以来、浅田次郎の描く時代もの歴史ものは、出れば買う。 おそらく次に手にしたのが、酔っ払って、駅のホームから転落し背骨を強打したことからしばらく通った整形外科医院に置いてあった浅田次郎の時代短編集「五郎治殿御始末」ではなかったか?これは通院中に読破し、後に文庫化されてから購入して改めて読んだ。 そんな流れもあり、しばらくは、浅田次郎は時代小説家だと思っていた。大体次に手にしたのが「輪違屋糸里」であるから尚更のことである。中国文化には興味がないので「蒼穹の昴」なんぞはあるのは知っていても読まない。 そんな中、池波正太郎は読みつくし、藤沢周平も死んじまうし、山手樹一郎は古めかしいし、山本周五郎は湿っぽいし、で八方塞がりになってしまったところでじゃあ、時代小説を離れてみるかと思ったきっかけが浅田次郎である。 で、手にしたのが、ひねくれ者の私は「鉄道員」でもなく「メトロに乗って」でもなく、「プリズンホテル」だったのである。これが非常に面白い。 その後「天切り松」シリーズに進むわけであるが、一言で言ってしまえば、世間一般常識的な正義ってなんだ?民主主義の世の中にあったって「善悪だけは多数決じゃ決められめぇ!。」てなところなんだと思う。 そういうわけで、今日購入したのは「天切り松闇がたり 昭和侠盗伝」であった。なんか浅田次郎の宣伝みたいになってしまった。金くれないかな。金・・・・。侍が不浄なること言うでない!(ご先祖様の声が聞こえる。)
2008年05月01日
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