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昨日テレビに吉本さんの講演の様子が流れていた。老人になった吉本さんを見るのはつらかった。老人になった父を見るのとおなじように。我々はみな老人になって死んでゆくんだ。あたりまえのことだが、いままでそんなことは考えたくなかった。でも、受け入れねばならない。 我々はせいぜい七十回か八十回ぐらいしか桜をみれずに死んでゆく。僕はいきなりこの世界に投げ出されて戸惑いながらいまもどうしたらいいかわからないままだけど、桜はずっとみていたいと思う。何千回でも何万回でも。冬が去り春がやってこようとしている。また僕は見に行くだろう。西堀の桜のトンネルを歩くだろう。僕が見た美しい桜を天国にいる人々に届けるために。やがて僕もこの世界からいなくなる。ただの星屑のかけらに戻るんだ。でも僕は生物が居なくなってしまった後の太陽系もずっと眺めていよう。永遠に。
2012.03.26
「小虫譜」 ぼくは死なない 死ねば一緒に死ぬものがあるかぎり たとえば庭の石ころのしたに いるハサミムシ 驟雨が過ぎてなかなか引かない 泥水のなか溺れそうに泳いで渡る 霧のドーヴァ海峡 乱流のなかの敷石の涯へ たとえば サンゴ樹の葉のうらのキリモトラ・アブラムシ 一緒にどんなに来る日も 来る日も亡命を準備したろう 闇のダマスカスへ あの雫の吹きよせない 酷暑の檐(のき)の裏へ たとえば ミカン箱の方形の第4収容所 すこしモダンなプラスチック製の軍刑ム所 終身収容されたウラボシ科ヘビノネゴザ すれちがいざまに来る夏もつぎの夏も 脱走について暗号をかわしてきた 水ぬるむ森林の大スンダ諸島 坂のしたの列島へ そこに何があり ぼくらは何をしてきたか 高尚と壮大の神学を排して できるだけ 小さな存在と組みたかった 大気に発電する太陽に反抗して その熱線の とどかないさき 蟻の未来のような虫の政府を 建設したかった この企図には悲しみが容れられた? 朝顔の蔓のさきから光る繊毛に 映ったのは露のような虫たちと 虫たちとの訣れか 邂逅か ゆきたくなければゆくことはないと 囁いている羽虫の母 どうせどこへ逃げていっても世界が牢獄だ ということは この社会では決定されている と錯乱と同型の理論で説明する蜘蛛の小さな息子 これはちょっとしたいい風景? がいないので 世界の外に出て抽象的な反抗と 抽象的な理論にふけっているという声がきこえない 風に揺れる木の音 樋の問う瀑布へ 世界の外にはじつに 世界があった 虹の油煮とふりそぞく緑の蛋白質を食べて まだ明日のさきに 動く密林のような 明日があるさ 虫の論理にある巨きな拒絶 咲く音楽の日の革命僕たちのためにとても明るい詩を残してくれた吉本さん!ほんとにありがとう。でも僕はいま、「探しはしないと誓った忘れた日はなかったまつげに停まった光がふるえて 見えないきらったのじゃないと云ったすぐ戻ると信じた胸に降り続く光があふれて 見えない」という状態です。 ああ、なんて寂しさは果てしなく僕を一人にするんだろう。・・・・・・・・おまえは人魚姫か!などとつっこまないように。
2012.03.23
ある日出版社から「吉本隆明25時」という25時間の講演会をやるので出席しませんかと電話がかかってきた。吉本さんがまだ海燕にマス・イメージ論を書いていた頃中島みゆきやユーミンを取り上げるべきだと書いて送って読者欄に載ったことがあった。そのとき音楽がこれからの時代のキーワードなんだと主張した。驚いたことに単なる読者欄に載っただけなのにその出版社は原稿料をだしてくれた。誰なのかは知らないけれど並々ならぬ編集者が居るに違いないとそのとき思った。僕の予言は当たったと思う。その後村上春樹が登場してきたことによって。 さて、「吉本隆明25時」だが五〇〇〇円を振り込んでくれといわれて詐欺じゃないだろうなと半信半疑で振り込んで騙されたんじゃないだろうかと思いながら品川の寺田倉庫に行った。すると列ができていたので講演会は本当だったんだとほっとした。ならんでいると写真を撮っている人がいたが、後に「吉本隆明25時」という本ができてその表紙になっていた。だからしっかり僕もそこに写っている。小さくてよくは見えないけど。 寺田倉庫の5階が会場だったが入ってみるとほぼ満員だった。床に座ったり寝転んだりしていろんな方の講演やらアトラクションを愉しんだ。僕の隣には糸井重里が寝っ転がって「僕は理論もってんだよ。」などと誰かと話し込んでいた。質問タイムでは副島隆彦がたちあがってしつこくやっていたが何をいってんだかさっぱりわからなかった。土建屋のような三上なんとかやアルマーニ?を着込んで得意げな中上健次をみた。山田詠美と島田雅彦も貌を見せていた。山田詠美はオーラが出ていてセクシーだった。島田雅彦は渋々きたって感じだ。中上健次に出ろと言われてしかたなく出たのだろう。 連続25時間講演という実に楽しい講演会だった。そこで初めて膝を抱え静かに講演を聴いている吉本さんの姿を見た。 25時間後終わって倉庫の外に出るともうお昼ちかかった。眼に光がまぶしかった。なんとなくこれで吉本さんの弟子になれたんだというおもいで僕たちは三々五々いずこへともなく散らばっていった。
2012.03.21
大学生の頃僕は英語学科に所属していたが、もっぱらフッサールを勉強していた。吉本さんの影響でどうせなら外国の猿まねの論文ではなく全く独自の言語理論を作ろうと思っていた。それにはチョムスキーではなくてフッサールだと思っていたのだ。でいよいよ4年生になって卒論を書かねばならない段階になって代名詞化現象の演算モデルをテーマと決めてようやく着手した。着想は吉本さんの言語美論から代名詞が普通の名詞よりも自己表出性が一段階高いということと、それから代名詞化現象が図形を用いた演算システムであるに違いないという直感だった。 いざ着手して言語データーを集めてみるとまるで整然と僕に料理してくださいという感じでデーターがそろっていた。これだけ整然とデーターをそろえているのになぜ演算モデルを組み立てられなかったのだろうと不思議な気がした。研究しはじめてわかったのだが最後のパズルを解く鍵が彼らには見つけられなかったのだろうと思う。それはチョムスキー流の抽象の仕方では絶対見つからないものだったのだ。それは代名詞化現象の最奥に存在する本質だった。僕は演算を二週間ほど昼も夜も繰り返してようやくそれを発見した。 当時は僕も自分が成し遂げたことの意味をきちんと把握できていなかったがいまならはっきりとわかっている。それは世界で初めての現象学的言語学の誕生だったのだ。 なくなった吉本さんに読んで貰うことはなかったが書くことができたのは吉本さんの書物があったおかげだと思っている。唯一僕が参考にしたのは吉本さんの言語美論と心的現象論だけだった。フッサールを学んだ僕にとって英語学の研究者たちの論考は全く無意味で参考にならなかった。 「心的概念の構造と自己表出性統御のメカニズム」を天国の吉本さんに捧げます。 どうぞ安らかにお眠りください。
2012.03.18
と或る晨ひとびとが眼をさましたときそれから食卓をかこんで喋言っているときそんなふうにわたしが死にそんなふうに信頼は死に そのかわりこの世界はいつ変えられるのか ああそうだすべての生活というものは無言を包括するために拡大してゆく容器をもっている彼女がわたしにたのんだ京菜と漬物とさと芋と人参と豚肉を買うことをそこでわたしが出掛けたひとつの冒険へだわたしの手のなかにはすぐ空になるほどの小銭とヴィニールのふろしきがあるだけだけれどいつの日かとおなじように今日わたしあるいはわたしの骨になった幻はそのようにさりげなく深い拠点から出発する とつぜんあらゆるものは意味をやめる あらゆるものは病んだ空の赤い雲のようにあきらかに自らを耻しめて浮動する わたしはこれを寂寥と名づけて生存の断層のごとく思ってきた わたしが時間の意味を知りはじめてから幾年になるか わたしのなかに とつぜん停止するものがあるわたしこそすべてのひとびとのうちもっとも寂寥の底にあったものだ いまわたしの頭冠にあらゆる名称をつけることをやめよ・・・・中略明からにわたしの寂寥はわたしの魂のかかわらない場処に移動しようとしてゐた わたしははげしく瞋らねばならない理由を寂寥の形態で感じていた ぼくの孤独はほとんど極限に耐えられるぼくの肉体はほとんど苛酷に耐えられるぼくがたふれたらひとつの直接性たふれるもたれあふことをきらった反抗がたふれるぼくがたふれたら同胞はぼくの屍体を湿った忍従の穴へ埋めるにきまっているぼくがたふれたら収奪者は勢いをもりかへすだから ちひさなやさしい群よみんなのひとつひとつの貌よさようなら 秘事にかこまれて胸をながれるのはなしとげられないかもしれないゆめ飢えてうらうちのない情事消されてゆく愛かれは紙のへに書かれるものを耻ぢてのち未来へ出で立つ おれが愛することを忘れたら舞台にのせてくれおれが讃辞と富を獲たら捨ててくれもしも おれが呼んだら花輪をもって遺言をきいてくれもしも おれが死んだら世界は和解してくれもしも おれが革命といったらみんな武器をとってくれ 行きたまえきみはその人のためにおくれその人のために全てのものより先にいそぐ戦われるものがすべてだ希望からは涙が肉体からは緊張がつたえられ きみは力のかぎり救いのない世界から立ち上がる 昔の街はちいさくみえる掌のひらの感情と頭脳と生命の線のあいだの窪みにはいってしまうようにすべての距離がちいさくみえるすべての思想とおなじようにあの昔遠かった距離がちぢまってみえるわたしが生きてきた道を娘の手をとり いま氷雨にぬれながらいっさんに通りすぎる
2012.03.18
いろんな人が追悼文を寄せているが、いちばん糞だなと思ったのは浅田昇だった。あれ、明だったっけ。今何してんだか知らんけど「告知する歌」にはこう書かれている。 〈嫌だ嫌だインテリゲンチヤよ 顔を背けずにきみと街で出会うことは 腸管の奥をのぞくように管々しい弁明に出会うことだ 嫌だ嫌だ群衆よ 奇怪な発端から這いだして いまは衣に擬制を着こんでいる 一杯の酒を愉しむためにどうして コーヒー・ショップまでつき合わなければならないか 一片の知識を販るためになぜ一度は下水道の内側を 思い出すのか 嫌だ嫌だ学者よ きみの研究と出遭うためにどんなに 生きた蝮の袋を捨てねばならないか 嫌だ嫌だ政治家よ きみの貌をみることは世界でもっとも卑小をみることだ きみを一掃するためにすべてを支払ってもいいほどだ・・・〉「告知する歌」には吉本さんの本当の姿が見える僕はこの詩をいつのころからか遺書と受けとめていた。遺書の詩はもう一つある。とても明るい詩だ。僕は死なない、と始まっている。いろんな追悼文を見たが短いけれど僕の書いた追悼文が一番美しいだろうと想う。
2012.03.17
(抜粋です。詩集みつかったらあらためて全文写経します。)なぜたれのために一篇の詩をかくかわれわれは拒絶されるためにかくこの世界を三界にわたつて否認する為に不生女の胎内から石ころのような思想をとりだすためにもしも手品がひつようならば言葉を種にしてもつと強くふかく虚構するために読まれる恥ずかしさから逃れるためにわれわれは一九六〇年代の黄昏に佇つてこう告知する<いまや一切が終わつたからほんとうにはじまるいまやほんとうにはじまるから一切が終つた見事に思想の死が思想によって語られるときわれわれはただ拒絶がしずかな思想の着地であることを思う友よ われわれはビルデイングのなかで土葬されてゆく群衆の魂について関心をもちナイフとフオークでレストランのテーブルで演ぜられる最後の洗練された魂の聖職者の晩餐について考察するかれらの貌には紫色のさびしい翳がある>
2012.03.17
僕は死なない・・・・という詩を残して吉本さんはしんでしまった。新聞の記事に吉本さんがいなかったら日本はまともな国になっていなかっただろうと誰かのコメントがあった。全くその通りなのだが誰も知らなくてもかまわない。でも、ちゃんとそのことをわかっている人もいるんだね。そうである限り僕は絶対死なない
2012.03.17
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