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(3) 指導者・人事・意思決定システム 諸君が初めて新社会人として企業に就職すると、いろいろとまどうことがあろう。 ひとつは「先輩」という存在である。 同じ平社員でも、先輩社員は新入社員に対して「上司」にあたる。 個人的な愚痴をいうようだが、私も中途入社を経験して、能力も才能もない年下の「先輩」と称する人物が、めったやたらに威張りくさり、傲慢に振舞うので閉口したものだ。 同室の取締役が「仕事をしないヤツほど、他人の仕事を邪魔するようだな」と助け船を出して、目にあまる「先輩」の横暴を止めたこともあった。 いわゆる「いじめ」だが、本人は全く悪いことをしている自覚がなかったから哀れである。 直属上司は「先輩」を尊重しないと他の社員にも影響があるので強くは干渉できない。 「○×さんはマイナス発想が強すぎるな」と横から皮肉を飛ばすくらいである。 もともと彼とは同じ部でも所属課は違うので、座席位置を変えて、あまり顔をあわせないようにして落着したが、彼は私の一件で会社から「性格のゆがんだトラブル社員」と見なされ、昇進も止められ、閑職に回されたので、会社が「後輩いじめ」を容認しないことは明確に示された。 「いじめ」は学校の中でもよくあることだ。 しかし、学校の問題は数年で卒業が待っているし、自分の後輩もできる。 しかし職場となると、そこで生活の資を得るわけだし、転職というのも重大な決断である。 いい人生に結びつけばいいが、そこから完全に転落してしまう場合もある。 今は、私は皆さんにこうして講義をおこなっている立場だが、あのまま同じ職場にとどまっていたら、私の人生はどうなっていたであろうかと、今でもふと考えることもある。 とはいえ、企業経営者も「先輩」には新人指導の大切な役割を期待しつつ、業務や利益に関係のないことで、やたらと先輩風を吹かせて人間関係をギクシャクさせる古参社員には頭を痛めている。 今日の「リストラ・ブーム」という背景には、幹部を悩ませる指揮命令系統の混乱が、この「先輩」という非公式な権威から出てくることに対応している。 官庁の場合も、事務次官が新任されると同期の幹部は全員退職をする。 すると官庁は事務次官が最も入省年次が古くなり、法律には一切書かれていない不文律の「先輩・後輩」の関係が事実上公然とキャリア官僚の序列と人間関係、そして意思決定システムに持ち込まれる。 現在の東京都庁は、もちろん石原慎太郎都知事の強烈なリーダーシップで運営されているが、青島幸男知事の時代は清掃局出身の副知事が実質的な都庁の指導者になっていた。 その副知事も重要な政策決定には、同じ清掃局出身の「先輩」、前副知事と前々副知事の事前了承をとってから、青島知事に持っていったというから全く噴飯ものなのである。 この清掃局は美濃部都知事の時代から歴代の副知事を出し、知事部局からも独立した「職員王国」になっていた。 私も関係した事件だが、この清掃局が計画して建設した不燃ゴミの「杉並中継所」という集積施設で、換気・排水システムの不具合から硫化水素ガスをまき散らす汚水が排水溝から付近の住宅地に流れた。 清掃局は責任逃れのため、この事実を権力を使って必死に隠してきたが、この「中継所」の周辺では、「杉並病」といわれる奇病が発生し、深刻な社会問題となった。 おりしも友人の山田宏・元衆議院議員が杉並区長に当選したばかりだったが、たまたま新聞で「杉並中継所」に関する環境調査概要を見たところ、どう考えてもデタラメな調査だということがわかった。 しかも、「真夏の八月に北風が吹いた」から、風上の北方向では大気汚染のサンプル調査をしていない。 閣下はさっそく杉並区役所に連絡を入れ、同日同時間帯の気象庁データ・杉並区教育研修所の風向計の記録が「南南西の風」だという事実をつかんだ。 考えてみれば当たり前の話だ。 つまり、「風上と風下を逆転」させて、大気汚染調査をしていたのである。 「山田さん、区民のために戦ってください」 すべての資料を区長室に持ち込んで、閣下は清掃局の欺瞞と隠ぺい工作の実態を暴露したのだ。 この「杉並病」をめぐる杉並区長と清掃局のバトルを経て、善意に耐えかねた内部告発もあり、石原都知事は最終決断した。 清掃事業を特別区に移管することで、東京都清掃局の組織は完全に解体され、事務職員は知事部局の生活環境局の部課に格下げ編入された。 一つの権力機関が八つ裂きどころか、23分割されたわけだ。 おかげで杉並区では夏季の早朝収集が始まったので、猛暑の昼間過ぎまで生ゴミが放置されて街路に悪臭をまき散らすことはなくなった。 これが善政というものだ。 年功序列によって課長待遇ぐらいになっているが、経営組織としては功績よりも実力で評価すると、 「若手三人分の給与を享受する資格があるのか。この人に早期退職をしてもらって、その代わりに働く若手三人を採用する方が会社として好都合だ」と経営者が考える時、業績が好調であってもリストラは起こりうる時代になっている。 しかし、それも建前の理由で、実は中高年の部長や課長がコンピューターに不慣れなのに、リテラシー研修にもついてこない場合、「IT乗り遅れ組」という烙印を押されてしまう。 それがリテラシー推進担当取締役より「先輩」である場合、問題は複雑になる。 リストラで求職をする人々が、ほとんど手書きで求職票に応募している実態も深刻である。 リストラで被害にあったという人々が集まって、ある居酒屋を開店したが、狭い店に二十数人の中高年の男性店員がいて、一人も女性がいない。 それだけ人がいるのに、お客が注文を出してもボンヤリして何もできないでいる店員と、座ってながめているだけの店員もいる有様。 簡単な料理の手伝いなど、「やったことがない」と拒否。 つり銭も平気で間違える。 笑ってごまかし、謝罪らしい態度もみせない。 一ヶ月もたたずに経営は危機に陥り、ここでも結局リストラが実行された。 居酒屋の仕事を甘くみていたのと、リストラ組がそれぞれが抱えていた「本当のリストラの理由」を無視していたからである。 年功序列は幻想だった。 リテラシーを拒否する「先輩」は経営指導側にとって、大変な「抵抗勢力」になってしまったのである。 「先輩」は過去の既得権益に安住しているので、自分の存在がそんなに損害や障害になっているとは思いもしない。 「先輩」がリストラで辞めたら、若手の意見が通りやすくなり、会社が明るくなったという話を聞くと、「リストラとは何ぞや」ということになろう。 企業にとっては早期退職制度で優秀な人材が逃亡してしまったら失敗である。 しかし、そんな簡単に逃げ出してしまう人材は、会社の組織に忠誠心が薄いわけだから信頼できないし、高い地位などはもともと任せられないという判断もある。 社外で自立しても、本当に優秀な元社員は会社と友好的な関係を保ち続けるという自信があれば、リストラの蛮刀はどこにでも聖域なく振り下ろされるであろう。 経営コンサルタントという立場はおもしろいもので、社内では平社員だが、一歩外に出ると仕事はすべて顧客企業のトップや経営幹部との相談や交渉ばかりである。 そこでいろいろな企業の実態を拝見することになるが、社長・部長・課長・係長という組織の肩書きはだいたい同じだが一つとして同じ形態はない。 課長や係長の肩書きはやめようということで、ディレクターやマネージャーという肩書きにした会社もあるが、外資系企業では課長級がバイス・プレジデント(副社長)を称して、ディレクターといえば常務取締役になるから、おかしな横文字の逆転現象になる。 一つの会社といっても一様ではない。 ほとんどが「上司」や「先輩」の人間性が実際の職場の空気をつくっていく。 女性キャリアも、そこで大きな苦労が待っている。 いい上司にめぐりあった女性キャリアは本当に実力を発揮できるが、ひどい場合には仲間はずれやセクハラにあって、自分の仕事の邪魔どころか妨害まで受けることもある。 「自分の才能を活かせない」と思ったら、トラブルになる前に、男女を問わずいい上司の職場に鞍がえすることも一案だ。 就職の時、新人研修の時に出会う人事部の先輩たちと「関係を切らないこと」がささやかなヒントになるだろう。 孫武の場合、外交から策謀まで、国家戦略の全般を担当する伍子胥が呉王の側近だったので、孫武の首はつながったのである。 銀雀山竹簡には、「呉王は孫武を首切り事件の後、六日間幽閉した」という未発見の歴史記述も含まれていた。 《史記・呉太伯世家》によると、その後にも呉王と孫武の意見が食い違った場合、やはり伍子壻が呉王を説得して、孫武の立案を採用している。 このような人間模様は、経営トップの世界でも起きている。 ある企業では、創業者一族の存在がほとんど立憲君主制のようになっていて、それで安定しているし、別な企業では創業者の一族から経営権を奪い取った番頭格の取締役グループが結局のところ会社を倒産させた実例もある。 実態としては、社員の働きぶりも知らないで、鼻水をたらして役員室で育ち、そのまま鼻くそをほじって社長になった暴君ネロのような経営者も実在する。 ツムラやフジ・サンケイのような有名企業でもトラブルの噂が絶えない若い二世や婿養子が周囲に「大丈夫か」とハラハラ心配されつつ経営トップになり、業績悪化に陥る前に取締役会の反乱でしぶしぶ辞職する一幕もあった。 それでも役員クラスの番頭さんが実質的に会社組織を仕切っているので、社長と社員の接触が極端に少ない場合は、それがそのまま通用していることがあるのである。 中国のラストエンペラーではないが、「経営者」という存在が実際に機能不全である場合、それを代行するのが秘書室である。 秘書室に有能かつ抑制ある人物がいれば、それはそれでそれなりに会社組織は維持されるし、顧客の信用も損なわれず、労使関係の信頼も崩れない。 コクド・西武鉄道のように「会社ぐるみ」の不祥事で、最高経営者の言行が社会の直接的な批判にさらされない限りは。 いずれにしても、われわれは指導者・人事・意思決定システムの問題を建前にとらわれず、ありのままに把握することが必要である。 日本国憲法に定められた「国権の最高機関」そのものからして、実態はあやしげなものなのだから。
2005.03.31
(2) 組織内部システムの分析 われわれの日本は立憲君主制国家であるが、占領時代に制定された日本国憲法によって国民主権が認められ、天皇の大権がなくなった。 しかしながら、、国民の主権者としての意識も自覚も不足し、特権官僚がほとんどの政策立案にあたり、政権党がその名目的な実行者となり、ほとんどの公職選挙において公共事業の利益誘導によって組織票をまとめ、これが「日本の民主主義体制」なのであると称していた。 いわゆる「田中角栄のアンシャン・レジーム」というものである。 そんなものは「大ウソ民主主義」だ。 官僚独善主義・官尊民卑・官庁OB天下りによる業界支配が厳然と存在しているのに、どうして形ばかりの「民主主義」をふりかざすのか。 法律そのものは、ほとんどが官僚が条文を執筆して、内閣提出法案として議会に提出され、政権与党の賛成多数で可決されるのであるから、国会は「立法府」ではなく、行政機関の法律執行の通過儀礼の場に過ぎなかったといえるだろう。 逆に政権与党の国会議員は、国家予算の配分に強い影響力をもつことが自他ともに認める「実力」であると考えられていた。 つまり行政機関との「見えない癒着」とか、行政官僚たちに対する個人的な威圧と干渉こそが「政治力」だったのである。 野党もまた予算委員会で与党の醜聞を暴露することで、行政機関の人々を威圧して、国家予算の配分に間接的に影響力を発揮しようとしていた。 つまり予算委員会は、事実上、「行政干渉委員会」なのである。 予算委員会が国家予算そのものを積算し、審議する場所であると考えたら大きな間違いである。 現に、官庁側が予算数字算出プロセスの根拠資料や具体的数値を議会に情報公開することは、ほとんどないではないか。 野党議員が机を叩いて激しく抗議すると他の国会対策委員の議員たち、通称「国対族」がまるでコウモリのように調整に飛び回り、それでは別の政府提出法案の修正を約束しようとか、野党提案を盛り込んだ政策を実施するという与野党の紳士協定を結んで、その場を収めてしまう場合もある。 その非公式な交渉を議会内ではなく、芸者さんが踊っている料亭の一室で飲食の接待をしながら話を丸くおさめようとする場合もある。 これが「料亭政治」だ。 われわれが日本新党を立ち上げる前、東京都議会議員で都議会自民党副幹事長だった畏友は、生々しい与野党の「料亭交渉」の馴れ合いを暴露してくれたものだ。 ある与党都議など、特殊な女性たちを集めて、裸踊りを見せたり、その後に野党都議を個室に案内することまでやっていたという。 小泉内閣の成立まで、わが国は中央も地方も、このような取引こそが「政治だ」と思われていた。 それは結局、都庁や中央官庁の幹部たちと緊密な信頼関係をつくり、予算上の「箇所づけ」、つまり選挙区に対する特定利益の供与という形で報いられるだろうという期待で進んでいたことだ。 今ではもう少なくなったが、それでも老政治家たちの間では一切皆無なことではない。 ゴルフ場や大きなホテルの中の交渉はあまり表面化はしない。 しかし、政界の巨頭が、わざわざ記者たちを連れて「ゴルフ場会談」をやっているのは、いわば老人のデモンストレーションであり、首相官邸に露骨な圧力をかける政治的な「芝居」なのである。 しばしば老政治家たちが料亭に出入りするスクープ映像がニュースで流れるのは、主催側の関係者が意図的にマスコミにリークしているわけだ。 すべて筋書きの上に仕組まれた「芝居」なのである。 こうして与野党の政治権力者は、社会福祉の政策決定や地方の公共事業の推進に深く関係し、その受益者を組織して「票田」と称する。 国民主権ではなく、公金で灌漑された「票田」が公職選挙を支配しているのである。 さらに私が良心において呵責に堪えないのは、官僚組織もまた「票田」を持っていることだ。 いわゆる「官庁の利権構造」である。 許認可権限や予算の配分、そして「天下り官僚OB」で官庁利権の下に組織化した特殊法人や民間企業のピラミッドから、政治資金や有権者名簿は湯水のように集まってくる。 このことによって、官僚と官庁OBは与党の政治権力に喰い込み、公金であがなわれた公務員の勤務時間と職務権限などを不当に利用して政権内部を部分的に支配している。 これが官僚政治の牙城なのだ。 細川内閣の前には、某省の課長が関連業界の各企業のトップに直接電話をかけて、特定の政治家のパーティー券の購入を依頼するという恥ずべき実態もあった。 政治家も「パーティー券を引き受けますよ」という官僚の恥ずべき甘い誘いに転んだのだ。 官庁の「票田」は、まことに旨味が多いので、都市部以外の与党議員は、誰も手放したくないのが本音である。 公然と不法な行為を共有して持ちつ持たれつの関係を結ぶのは、心理的には未成年の喫煙常習グループと大差のない幼児的なふるまいであるが、税金の浪費によって犠牲になるのは国民だ。 主権者の国民が、幼稚な不法行為をする公務員たちの犠牲になるのは「悪政」に間違いない。 だから私は真理を追究する講義において、この事実を告発する。 郵政省幹部が参議院選挙に立候補し、郵政省の現役職員が「票の取りまとめ」で選挙運動に関わったとして相次いで逮捕されているが、こんなことは氷山の一角だということは誰でも知っている。 これまでは知っている人間ほど口を割らないので、公然と公務員の不法行為がまかり通ってきたのである。 郵政民営化で、役人たちの「票田」の資金源・郵便貯金を国家から切断し、資金供給のパイプをぶち壊すことが、その第一歩といえるだろう。 さて、《孫子兵法》は特殊な事情によって成立した著作である。 孫武は、軍事的な覇権をめざす「呉」というベンチャー国家に、外部の専門家として参加したコンサルタント的な立場であった。 したがって《孫子兵法》は二千五百年以上も昔の思想でありながら、《賢君治国、賢人治政》という近代的な政治理念を主張している。 君主は一種の帝王学によって自分の感情や欲望を抑制し、常に合理的判断を下さなければならない。 そして、現場で働いている一般庶民や戦場で生命を賭ける兵士たちにも敬愛され、その立派な態度が尊敬を集めなければならない。 これが《賢君治国》の思想である。 いわば不文律の立憲君主制によって粗暴な君主や暗愚の君主の登場を阻止しようとしたのである。 これは周王朝が成立した時、商(殷)王朝を武力で打倒して易姓革命(王朝交代)をした公然の理由であったから、周王室の初期には君主が毎日使用する食器類にも 「自分自身を節制せよ、君主は賢人であれ」という教訓が刻まれていて、それで王朝の権威は維持された。 しかし世代が代わると大臣たち実力者の政治が始まり、君主は「お飾り人形でよい」とされた。 孔子の時代には大臣も世襲なので「人形化」し、大臣の側近が実質的な権力を支配していた。孔子は君主を説得して君主政治の再生を試み、賢君治国の理想を実現しようとしたが、これは挫折してしまった。 それで教育者として手塩にかけて養成した弟子たちを、各国の大臣たちの要請で側近として推薦して、現実の行政の改善にあたらせるという結果に落ち着いた。 これが《賢人治政》である。 国家の主要ポストの世襲制はのこしながら、実際の官僚的実務、地方行政は才能のある実力者が担当すべきだというのである。 孫武も同じ理想主義を追求したのであるが、そのために呉王の最愛の妾二人の首を切り落とすという有名なエピソードもある。 幸いにも呉王が開明的な君主であり、孫武を「なくてはならない人材」と評価する外務大臣の伍子胥の応援もあって、孫武は陸戦担当の参謀部長に採用された。 そして「この妾たちがいないと食事もまずくなる」と泣き言までいっていた女好きの呉王がキッパリと禁欲的な生活をはじめ、老人や孤児を優遇する福祉政策を実施し、農業振興政策としてニワトリの繁殖を奨励したりした。 呉王愛用の道具には、龍や虎ではなく、誇らしげにニワトリの群れが刻印されているので、この歴史記録は正しいと思われる。 また、広く国策を国民に提案を募集したので、ある商人は染色業で使われていたアカギレ防止用の膏薬の製造方法を高額で買い取り、呉王に提案した。 すると商人は直ちに製薬局長を任命され、膏薬は大量生産され、呉軍は兵士の凍傷がネックだった冬季厳寒期の水戦が可能になり、これで呉は隣国の越を徹底的に撃ち破った。 また呉王は道路や架橋など公共工事現場にもみずから足を運んだ。また、大規模な兵器工場をつくり、そこに最高の技術者を集め、後宮の美人の女性たちを工場のサービス係として奉仕させた。 二千五百年前以上も昔の話である。 現在の低開発諸国でも、ここまではなかなかやれないであろう。 しかし、呉王と孫武たちは、この国家経済の構造改革を三年ほどで完成してしまった。 《左氏春秋》はその当時の諸国が「呉」の急成長に非常に大きな衝撃を受けたことを記している。 兵器工場で生産された武器は、厳格に品質管理され、優良なものは呉王が自費で買い取って、《呉王自作の兵器》という銘文を刻印させた。 これは現代でもあちこちの墳墓から出土しており、漢時代にも宝物として売買された記録がある。 その中には《呉王が用剣を自作して、成績抜群の勇士を奨励するために贈る》と記銘された「勲記付の兵器」も発見されている。 まったく信じられないことだが、これは真実である。 始皇帝の暗殺未遂事件に使われた《徐夫人剣》という短刀も、この呉王の兵器工場で生産されたものであろう。 これは首謀者の燕国の王子が商人から高額で購入したと記録されている。 「徐」という国は、呉の隣国で、呉と一時は友好関係を保ち、徐の君主が呉の剣のすばらしさに惚れ込んだが、君主が急死した後に埋葬用に宝剣を送り届けたというエピソードもある。 しかし、その直後に呉王と孫武の西進戦略のために滅ぼされて国は消滅した。 したがって《徐夫人剣》は孫武と同時代のものであった確率は非常に高い。 これらの話も《孫子兵法》の超近代性を物語っている。 今日の政治家として、経営者として、呉王や孫武たちを優越するような人々は本当に数少ないに違いない。
2005.03.30
ひるがえって、経済大国といわれたわが国の体制を再検討すると、「日本株式会社」といわれた「護送船団方式」は不公正な談合体質だと否定されつつあり、その手段として紊乱を極めた「官僚接待」も禁止された。 官僚の「天下り」も社会的に批判され、その受け皿となっている特殊法人は「税金のムダ」を指摘されている。 官庁そのものは外務省をはじめ、不正経理の疑惑で国会からも指弾を受けており、組織としての国家システムは立ち往生している状態である。 小泉内閣が郵政民営化を断行すれば、古い利権で生き延びてきた老政治家たちと官僚政治家は、存立基盤を喪失するであろう。 このようなことは日本国憲法のどこにも書かれていないが、私は現在の国会議事堂で行われていることが「立法府」の名前に値するとは決して思えない。 国権の最高機関だという事実も存在しない。 それは「ただの名目」に過ぎない。 俗な表現で言えば、「公然たる大ウソ」だ。 国民はみんなだまされているし、政治家や官僚は自分自身を欺いているのだ。 もちろん、アメリカの議会でも、法律は議員が立案するが、そのほとんどは自分たちの選挙区の利害と密着した予算配分を要求する行政干渉が実態であるから、これは日本だけではなくて「民主主義体制」そのものが実際に抱えている矛盾といえる。 したがって、外国の留学生に日本政治を講義する際に、日本国憲法がどれだけ参考になるのか、私には疑問でならない。 むしろ、「そんなものを学んで何になるんだ」と面と向かって抗議する。 「キミが日本国憲法から学べるものは、権力のウソぐらいだ」と。 日本の政治体制が外国を裨益するものだとも決して思わない。 改革のプロセスそのものは、このまま少し成功すれば、後の教訓と経験が生かされるだろう。 こうした組織内部のシステム分析は、われわれの戦略研究には常に不可欠なものである。 例えば、制度面でいうと日本には江戸時代まで天皇を中心とする太政官の律令制度が形式的に存続しており、肥後守や越前守という官職も使われていた。 しかし、実際の肥後には外様大名・細川家の熊本藩があり、越前藩は越前松平藩があったわけだから、江戸町奉行の大岡忠相が越前守でも、越前藩とは何のかかわりもない。 幕末の勝海舟は奉行職に抜擢された時、「人生は泡のごとしというから、俺は安房守でいいよ」と希望を出したという。 日本は六十四州しかないので、「国守」の官職名を拝領するのは六十四人しかいない。 したがって、赤穂藩の浅野内匠頭のような中級の外様大名は、「国守」の官職は与えられなかった。 幕府の老中・奉行が構成する幕閣が領地は小さくても全国の大名に命令権を維持した権威は、この律令制度の序列にあったのである。 建前の制度を換骨奪胎しながらも、合理的に運用しさえすれば徳川三百年も安定する基盤はできた。いいかえれば日本は建前の制度をほとんど変えないで、実際には換骨奪胎したシステムを千二百年以上も維持してきた国家なのである。 わが国の政策を考える時、このことを深く反省しなければならない。 われわれの戦略的な回答は、日本の改革は多くの意味で建前の制度は維持するが、革命的な換骨奪胎のシステムを考案し、直ちに実行することである。 私は複式簿記システムによる公共機関共通会計制度と外郭団体の連結決算制度、そして民間基準に準じた四半期ごとの決算情報公開が、すべての行政改革に優先すべきであると提言している。 われわれは方法論争で行政改革を阻止する抵抗勢力と、この十年間以上を戦ってきた経験があるので、もう総論賛成・各論反対のごまかしには乗らない。 税金のムダを白日の下に出してしまう公開会計制度を実施すれば、批判や反対キャンペーンに公金支出するシステムそのものが停止するので、抵抗勢力は絶滅するであろう。 彼ら公務員が喜んで自腹を切る奉仕精神のある人間だったら、公金不正支出に関わる者は一人もいなくなるはずだから。
2005.03.30
《孫子兵法》はいくつかの段階を踏んで、国家や組織に対するシミュレーション(算)のメソッドを各篇において断片的に記述している。 それは次のように列挙することができる。 (1) パフォーマンスの相対評価 (2) 組織内部システムの分析 (3) 指導者・人事・意思決定システム (4) 財政・ロジスティクスの戦略モデル (5) 戦場の選択と戦術シミュレーション このメソッドは現在でも有効である。 そこで本章は、このメソッドに沿って、今週は五回に分けて、戦略シミュレーションの方法論を検討してみよう。 実際に《孫子兵法》を読むと、この中で(5)の《戦場の選択と戦術》の問題が、最も具体的かつ詳細に記述されていることがわかる。 銀雀山竹簡では、その《戦場の選択》にあたる地形篇に外伝の続編があったこともわかっている。しかし、最も圧倒的なのは、竹簡の量でも最大の九地篇であり、事実上の本論である。 それで「孫子は戦略分析ではなく、戦術の解説である」と物知り顔の者が利いた風にいうのである。 しかし、私はそうした俗説を本章で打破しようと思う。 (1) パフォーマンスの相対評価 《孫子兵法》は、第二段から「カントリー・リスク(国家の安全度)の評価」で始まる。 それは次のような内容である。道・・・道徳による統治天・・・天与の条件地・・・地勢の利点将・・・指導者の人事法・・・法秩序のシステム 孫武は、この五つのポイントで国家や組織のパフォーマンス評価を判断し、複数の国々の優劣と長短を比較することによって、体制のバランスの欠陥を補い、調和のとれた政治体制を安定させるべきだと考えていた。 同時に同じ方法でライバルを徹底的に分析し、謀略によって体制のバランスを崩したり、政治体制を不安定なものにすることで、ライバルの国力や組織力を減殺できることも述べている。 これが《管子・七法》では、次のような七項目の優劣で政治のバランスを認識しようとする。則・・・・・自然法則・・・(政治が天地自然の理に反していないか)象・・・・・形式制度・・・(体制のシステムそのものに矛盾はないか)法・・・・・法律体制・・・(法律が整備され、着実に運用されているか)化・・・・・教育体制・・・(人材の育成が経済発展や社会秩序に結びついているか)決塞・・・奨励と禁止・・(正義や公益が奨励され、罪悪やルール違反が抑止されているか)心術・・・心理戦術・・・(政治指導者が国民に積極的な影響を及ぼす心理戦術を持つこと)計数・・・財政戦略・・・(堅実な財政運営と積極的な政策投資を戦略的に運用すること) 中国の湖南省長沙市で発見された馬王堆漢墓から出土した《黄帝四経》という白布に書かれた文書は、いわゆる黄帝思想の原典として、あちこちの古典にも引用されながら、オリジナル・テキストを唐代までに喪失していたものであった。 現在までにほぼ解読が終わり、テキストの復元も完成している。 その「経法・論篇」には次のように記されている。観・・・外観・・・・・(国家の興隆衰退の傾向は外観にもあらわれる)論・・・言論・・・・・(優れた言論は国家を興すが、逆の場合は退廃させる)動・・・機動力・・・(機動力があれば、弱国から大国に成長することができる)專・・・団結力・・・(団結力が強ければ、何があっても社会秩序は動揺しない)変・・・改革・・・・・(腐った部分を切り捨て、新たな成長分野に国力を集中する)化・・・教育・・・・・(正しい教育があれば、犯罪が減り、善行に励む者が多くなる) 西晋の時代にも、戦国時代の魏王国でおそらく財務官をしていた王族の墓が発見され、そこから出土した膨大な竹簡文献が解読され、それも《穆天子傳》や《竹書紀年》など、古典として現存している。 その中の一つ、《逸周書(汲塚周書)》は、当時の伝統的な歴史教科書として、孫武も目にしていたであろうと思われる。 ここでは五項目の比較ポイントが示されている。地・・・地理・・・(国民の性格や気質は地理条件を反映している)物・・・品質・・・(商品の品質レベルを検討すれば、兵器生産の実態もわかる)鄙・・・辺境・・・(民衆の生活レベルは都市ではなく、辺境の実態で判断する)刑・・・刑罰・・・(刑罰の内容を検討すると、国の社会問題の実情が把握できる)食・・・経済・・・(経済力と政府機構のバランスによって政治の安定度がわかる) こうした方法論は現代でも有効である。国際機関が発表する統計とは別に、先進諸国の中には各国の国民意識や教育の学力比較などを調査するものがあり、その結果の一部は一般向けに加工されて報道に回されるが、実際にはライバルの国に抜群の成績を持つ人材を、子供の中から選び出したり、実際の目的を隠して数字を作成しているなど、やはり情報戦術の一環として実施されているのが普通である。 この点、わが国では明確な戦術目標を持たない国民意識調査とか、NHKが実施している政治意識調査や国民生活関連の統計があるだけで、質問項目や調査対象などは学識経験者など任意の問題意識しか持たない人々によって決定されている。 そして、こうした調査がプライバシー保護を逸脱するような個人情報として登録されることはない。 もともとは国力という概念を相対的に把握するために、このような比較調査分析を行なうのであるから、たとえば欧米諸国が中国の政府機関と協力して調査を行なう場合、シンパ(友人)や情報のエージェント候補、つまり本物の特務スパイの発掘や獲得にも使っている場合がある。 また国内外でも抜群の知的才能を持った人材を年少時期から発見して登録し、場合によっては援助の手を差し伸べる方法で、その人生も把握してしまう。 たとえば、ライバル国の最も優秀な若者を高等教育の時点でアメリカに集めてしまうことは、明確な戦術的政策として実施されているのである。 また、このような相対評価を企業組織において実施する場合、大きな企業の場合は「大企業病」という最も憂慮すべき事態を回避するために、全社員の意識調査は《組織の健康診断》として実施することがのぞましい。企業にも人間ドックのように、病変の早期発見が必要なのである。 小さな企業でも、経営コンサルタントが全社員に面接アンケート調査をすることによって、経営者にも上司にもわからない部下の意外な問題点を発見する場合がある。 さらに個人のレベルにおいても、心理分析テストや基本能力テストなどを時々やってみることによって、自分の精神的な向上を求めたり、「なりたい自分になる」という自己実現の方法として相対評価を手がかりにしたいというニーズがある。 私の知人の研修セミナーでは、定期研修会において参加者に毎回同じ方式の性格診断テスト(質問の順番や内容の表現は毎回変わるもの)を実施して自分自身の心理的な変化を確認し、具体的な目標を設定して自己実現の修養と向上をはかろうとしている。 これはなかなか成果がある方法だが、こうした目的に合致した心理テストを独自に開発して、研修モデルそのものを商品にするレベルまではいっていないし、学習塾のように「名門校合格」といった目に見える実績にはならないので、まだメジャーにはなっていない。 儒教の古典、大学は政治の原理を、「修身斉家治国平天下(自分の身をおさめ、家内をととのえ、国を治め、天下を平定する)」と表現しているが、これは総合政策の理念が国策においても、個人の自己実現においても有効かつ有益であることを意味している。
2005.03.29
昔話になるが。 玩具メーカーで商品開発を担当していた若手幹部は、自分のつくった商品が消費者である子供たちにどのように受けているのか関心を持った。 そこで営業担当と一緒に玩具店を回ってみたが、勤務時間中なので学校の授業時間とも重なり、子供がいない時間帯に歩き回ることになった。 どこへ行っても狙いである「子供」の姿が見えないまま、玩具店主を相手にインタビューをして回っていたが、ついにある店主が「君自身が店番に立て」と怒鳴った。 幹部は自分に恥じ入り、それで土曜日に会社を退社した後、ボランティアとして店番に立つようになった。 これでようやく、サラリーマンが顧客の子供たちに会って話ができるようになった。 驚くべきことだが、実際に聞き取り調査をしてみると、玩具メーカーの中で、そのように子どもと直接に接して顧客調査をしていたのは、ほとんど創業者だけであった。 その開発担当がつくったキャラクター商品は大ヒットを記録し、新たなアイデアをつぶす官僚主義体質に陥りかけていた社風も一新した。 彼は三十代で取締役に抜擢昇進したが、玩具店の店番は続けている。 彼を見習って、代わりに各地の玩具店の店頭に立つ開発担当者や営業マンも増えている。 この若い取締役は、ただ生活のために玩具店の店番をしているのではない。 もちろん、現場の情報、消費者の反応を知りたいために、玩具店を自分の頭の中で一つのアンテナ・ショップとして情報を探索しているのである。 そこで私は提案したい。自分から「スパイ」を志願することを。 「スパイ」といっても、007シリーズのような格好のいいものではない。 個人のプライバシー情報を高値で売ろうとするような、いかがわしいものでもない。 ストーカーの真似やパパラッチのような汚らしい行為を奨励するのではない。 しかし、「現場」には情報がゴロゴロところがっているものである。 新しい潮流や発想のタネがあちこちに落ちているものである。 他の人々は見過ごしてしまうような情報に掘り出し物の価値を見出して、それを発想や企画に加工してまとめあげる高感度な情報職人、現場を知り抜き、頭の中に常に現場の有様を再構成できるような人物、それが私のいうスパイなのである。 実際のスパイもそうした情報判断の職能をもった人材でなければ、本当の情報分析はできずに、役に立たないゴミやクズばかり拾ってくる「ジャンク情報屋」になってしまうであろう。 私が20代の後半でコンサルタント会社に中途入社した時には、生え抜きの同世代に《スーパーの神様》という人がいた。 この人はコンサルタントとして、いろいろな町のいろいろなスーパーを見ているうちに、初めて行くスーパーでも店に入ったとたん、たちどころに売上高や客足の動向を言い当ててしまうようになった。 それでスーパーの店主たちがびっくりして、「このコンサルタントは若いのに、スーパー経営のことなら何でも知っているぞ」ということで、《スーパーの神様》という尊名を奉ったということだ。 人間は数量や場数の経験をこなすと、判断能力が《霊感》のような直感力に昇華していくものなのである。 お宝の鑑定で即座に本物とニセモノの区別がつくとか、市場価格がわかるというのもそれだ。 もっといい例が百人一首カルタで、上級者になると瞬時といってよいほど勝負が早い。 大きな試合の決勝戦になると、まるで格闘技のように手出しの早さで風を切っている。 これらは趣味の世界だが、このような人間能力の特性を再発見し、あの《スーパーの神様》のように自分のビジネス、自分の人生設計にも役立てたらどうか。 それで私は「情報の職人になれ、スパイに志願せよ」と訴えるのである。 このような特殊な能力を自分のフィールドで自由にできないと、戦略法の定石をいくら学んでも大失敗をくりかえすことになるだろう。 それはすなわち現場を知らなければ情報は判断できないし、情報を判断する能力がなければ現場に立っていても何にもならないということだ。 司馬遼太郎さんは坂本竜馬の小説《竜馬がゆく》を書くために、書棚を何台も増設するほど、膨大な資料を集めた。 それを全部、読み込んでから高知県の桂浜に行った。 といっても、丸一日もいたわけではない。 小一時間ほど地元の人の話を聞いて、あたりを歩いて、 「現地の風に吹かれたらそれでいい」と引きあげてしまった。 その話を聞いて、私も思い当ったのが、日本民俗学を創始した柳田國男のことである。 私の恩師で御茶ノ水女子大学名誉教授の故・柳田為正先生は柳田國男さんの長男に当たられるので、私は別に民俗学とは関係がなかったが、いろいろな思い出話に接したことがある。 柳田國男は戦前の東北地方や九州の山奥を旅して《遠野物語》や《後狩詞記》につながる旅行記録をのこしているのだが、それを見ると本当に現地には一日として滞留した記録がない。 まさに「現地で風に吹かれただけ」という時間で、現地と次の現地の間を通り過ぎているのである。 私は学生時代、「これは何かトリックがあるのではないか、そうでなければこんな天才の世界は及びもつかない」と内心は思っていたのだが、私も私なりに研究を進めていくと、この「現地で風に吹かれて、物事を感じる」という、ちょっと言葉では表現ができない経験に何度も遭遇した。 特に中国の古典の歴史的な舞台になった場所に行くと、あたりは古代とはすっかり変わってしまっているだろうし、城跡もなく、石碑だけがポツンと立っていて、やむをえず「風に吹かれるしかない」という事情もあったのだが、それでも「何か」を確実に自分の心の中に持ち帰ることができるようになった。 柳田國男と司馬遼太郎という本当に偉大な人物の「コツ」にめぐりあえたので、私もこのように紹介できるのだが。 カシオ電機の腕時計で、全世界で空前のヒットを飛ばしたG-Shockの開発担当者も、当初は失敗をくりかえして、200個以上の試作品をつぶし、半ばあきらめかけて、公園で子供たちのボール遊びを見ていた。その時にバウンドしたボールが衝撃を吸収することに気づき、普通の腕時計を半割りしたボールにはさんで衝撃耐久実験をくりかえしたところ、腕時計は正常に作動することがわかり、これがG-Shock開発のブレイク・スルーになったというのだ。 ニュートンが木からリンゴが落ちたのを見て、万有引力の法則を発見したとか、宮本武蔵が犬の尻尾を見つめていて剣の振り方を工夫したとか、斉藤茂吉がルーブルのビーナス像の前でゴザをしいて一日中ながめていたとか、われわれは天才の逸話の中にも同じような「コツ」というか、一つのルールがあることを発見することができる。 わが中央大学を支える経営人OBの一人、岩国さんは今は学生奨学財団を運営され、悠々自適の生活だが、もともと若くして労働組合の闘士だった。 イトーヨーカドー(伊藤陽貨堂)が中堅下位のスーパーだったころ、自分の部署にいたたまれなくなり、コンビニエンスのセブンイレブン・チェーンを立ち上げるプロジェクトに創立メンバーとして参加された。 その時の詳しい経緯は、NHKの人気番組《プロジェクトX》にゆずるが、岩国さんもまた、壁にぶち当たっていた一人であった。 最初に開店したセブンイレブン一号店は売上げがのびず、在庫がふくらみ、失敗の淵に立たされていた。 正義感の強い岩国さんは、店主の苦労にしのびず、毎日のようにボランティアとして店番と店内の掃除を志願して働いた。 そして掃除をしながら、ふと疑問に思った。 いわゆる売れ筋の商品に欠品が目立ち、なかなか売れない商品が店舗の中に長々と居座っている。 二階の在庫の山は、すべて売れ残りの品物ばかり。 これを何とか解決できないか。 このことが「店の中をすべて売れ筋の商品で満たす。売れにくい商品は切り捨てる。在庫を発生させないように、仕入れたい商品を必要なだけムダなく小分けにして配送する」という今日のコンビニエンス経営の基本的なビジネス・モデルの発見につながったのである。 岩国さんを「スパイ」と申し上げるのは失礼のようだが、ピンチに立った人は普通の人間よりも周囲の状況に敏感に反応するようになるようだ。 「地獄に仏を見る」という言葉があるが、ピンチから逆転した経験のある人は、その瞬間に偶然に洞察力と観察力が働いて、驚くべき問題の本質や真理の片鱗にゆきあたっている。 その舞台は、ほとんどが「現場」だ。もしもセブンイレブン一号店に、岩国さんのように現場の判断ができる人がいなかった場合、つまり他人任せの無責任な人間が、いやいやながら一号店にはりついていた場合、奇跡は起こらなかったことは容易に想像ができる。 われわれは一生に一度の偶然や出会い、大きな発見をめざして、この戦略学をスタートさせたのではない。 このような「現場」を徹底して頭に叩き込むことによって、戦略戦術展開の確実性と現実適用をスムーズに運転する実際的な必要性から、この課題を論じているのである。 だからこそ、われわれは情報のプロフェッショナルの道を極めなくてはならないし、そうなるためにはまず自分から志願をして現場に立ち、判断の能力を研ぎ澄まさなければならない。 自分で自分を現場の中に投げ込み、問題の中に自分の身を持ち込んでいかなければならないのである。 いわば、どの分野、どんな状況に投げ込まれても、徹底して現場から発想し、徹頭徹尾に現場で勝負する戦術、そして戦略を組み立てるだけの《現場の発想》がどれだけ持ちうるのかどうか。 それらを頭の中でいわば無尽蔵にあやつることができるような《戦略マインド》を動かせるようになるか。 そこにわれわれの挑戦があるのである。 現場で情報判断ができる人間になれば、人には見えないチャンスや、人には思いつかないアイデアが自分のものになるのである。
2005.03.28
「これがRIOの新製品です。デザインを重視しまして」と紹介する人。12チャンネルのWBS「とれタマ」のシーン。どうみても、ベンチャー企業に多い「オタク」のデブちゃんだね。髪の毛ボサボサ。美意識のカケラもない。でも「RIO」って何じゃい。閣下はさっそくネット検索。あったあった。http://www.rioaudio.jp/product/su10/index.html要するに、USBフラッシュ・メモリーに、音楽録音・再生機能がついているわけだ。ってことは。つまり、アップルのi-podよりも気軽に携帯できるステレオ・プレイヤーということ。こいつは驚いた。さっそく近くのヤマダ電機(たまたまポイントが1.500円あったんでね)に駆けつけた。これはおもしろい。120曲も録音できる256MBタイプで9.000円、そこから1.500円引き。人生観を変える商品というのは、なかなか出会わないものだ。閣下はウォークマンには衝撃を受けたが、MDには興味がわかなかった。しかし、このRIOにはビックリした。見て驚き、買って驚き、使ってビックリ。買った商品に感激するというのは、なかなかないものだ。RIOの製造コストなんて、たかが知れている。フラッシュ・メモリーそのものが売価二千円ぐらいだから。あとはコントロール・チップぐらいだろう。しかし、機能といえば、あの大きなCDディスクよりも小さくて、軽くて、使いやすいのだ。とにかく感激した。もう一つ発見。わが中央大学の多摩キャンパスにはモノレールが走っている。それで閣下も利用するのだが、例の「Das Boot」の数曲を入れて、モノレールに乗っていたら、「コーン、コーン」というカン高いソナー音と、潜水艦のディーゼル・エンジンの音を聞いているうちに、何だかモノレールが潜水艦のように思えてしまった。映画のシーンも生々しく思い出した。そこで閣下は人知れず涙を流した。一瞬の錯覚なんだけれどね。まわりの人は「花粉症かな」ぐらいに思っただろう。それだけ、RIOの力はすごいのだ。今日は日曜。もう梅は終わったし、まだ桜も咲かないし。皇居の御苑で芝生に寝転んで、RIOで半日はつぶれるなあ。(写真は実物大です)
2005.03.27
☆K作戦(各個撃破作戦) 「K」の文字は、「Y作戦+T作戦=K作戦」と理解してほしい。 まず第一段階として、敵対勢力を分断する「Y作戦」をとる。 それから次の段階で、複数に分断され、より弱められ、心理的にも孤立した攻撃目標に対して「T作戦」をかける。 これが一般に「各個撃破」といわれる戦法である。 たとえば教育の場で、一斉授業に学力がついていけない生徒がいるとする。 教師が彼らを無視して授業をすすめると、彼らは「先生に無視された」という心理反発から反抗心を燃やし始める。 ところが、教師は「授業についてこれないのは、生徒や生徒の家庭に問題があり、自分はやるべきことはやっている」と信じ込んで何も反省しないと、やがて他の生徒にも不安が広がり、いわゆる「授業崩壊状態」になっていく。 あなたがこのような全面崩壊状態のクラスを任された時、まず何をなすべきであろうか。 それが「K作戦」である。 まず生徒の個々の不満の聞き取りをする。 こちらから意見は言わない。それで事情を把握し、「ワル仲間」や「いじめ関係」など生徒の間にはびこる不法行為や反道徳的な関係を分断して一掃し、それぞれの生徒の個々の事情に合わせて適切な対策をとる「各個撃破」をしていくのである。 学力不足の生徒には授業前の休み時間に話し合って予習させ、「できる喜び」を与えることもできよう。 もちろん、「これは手におえない」という場合もあろうが、そのように深刻な問題を持った生徒をつくり出すのも、教師の冷たい「無視」と「偏見」と「差別」、そして傲慢な「やることはやっている」という思い込みなのである。 そこで誤った道を引き止めなければ、毒物に汚染された水を川や海に垂れ流すようなもので、問題はますますひどくなるであろう。 その時には、「教師」の肩書きをはずして、人間と人間の話し合いをするしかない。 それを勝ち抜くことによって、自分も強くなれるという戦いはあるものである。 日露戦争の時には、元老山県有朋の命令で明石元二郎大佐がパリやストックホルムなど欧州各地を暗躍し、フィンランドやポーランドの分離独立運動の指導者をはじめ、スイス亡命中だったレーニンや「血の日曜日事件」のリーダーたちとも接触していた。 ロシア国内各地で革命騒動が発生すれば、強大なロシアも戦争の継続は困難になるという戦術だが、この明石大佐の驚異的な活動範囲は欧州各国の諜報機関にも大きな衝撃を与えた。 明石大佐はポーツマス条約交渉の最終段階でロシア皇帝が樺太南部の領土割譲に応じる意向を皇帝側近筋から情報入手し、これを陸軍参謀本部だけでなく、外務省ルートにも直接打電させた。 当時、外務省無線課長の幣原喜重郎(後の外相・首相)がこの電文を受け取るや、上司の決済を待たずに小村寿太郎外相に転送したことも有名な事実である。 人種の異なる日本人が戦争中にロシア帝国の宮廷までスパイ情報の網をはりめぐらせたのだ。 この明石大佐も、大日本帝国の軍人という肩書きをはずした人間と人間の話し合いの中で協力できる人々の心をつかみ、少しずつ仲間たちを増やしていったのである。 第一次世界大戦のさなかに、レーニンがドイツ帝国政府のはからいで「封印列車」でスイスからドイツ経由でモスクワに到着したのは有名な歴史事実だが、これは一帝政国家が、他国の王室の支配権に反対する運動を支援する」という明石機関の型破りな先例を踏襲したのである。 それは、「革命後のロシアと東部戦線で休戦し、ナポレオンのような深入りは避けて、対英仏の西部戦線を増強したい」というドイツ軍首脳陣の考えがあった。 これも「K作戦」のパターンの一つである。 ベトナム戦争では、ハノイ放送は一貫して「平和」と「戦争反対」を訴え、やがては世界中の反戦運動の連帯を通じて、アメリカ国内の反戦運動にも影響を与えていった。 したがってベトナム戦争は正当な意義のある「アメリカ国民の戦争」ではなく、「ジョンソン政権が勝手に起こして、ニクソン政権でもやりつづけてやめられないでいる私闘」であるという印象が広まった。 激しい反戦運動はアメリカ社会全体を分裂させ、その後遺症を引きずった世代が試行錯誤の中で現在の世界に人種差別問題や地球環境問題など新しい社会革新を生み出していったことも大きいが、これもベトナム側の「K作戦」の一つであった。 ベトナム戦争がベトナムの人々の祖国統一と民族自決の悲願であり、ベトナム共産党が勝利の後にもモラルと規律を維持し、カンボジアのクメール・ルージュのような報復虐殺をしなかったことによって「アメリカの失敗」は言い争う余地のない事実となった。 「私闘」といえば、平安時代後期の後三年の役で、鎮守府将軍の源八幡太郎義家と奥州清原氏との戦いを、京の院政は「私闘」と断定し、戦勝にともなう正式な恩賞などの手続きを取らなかった。 そこで義家が私財をなげうって部下たちに恩賞を与えたが、朝廷は勅書をもって「勝手に恩賞を受けるな」と命令し、鎮守府将軍の地位も解任した。 その後に鎮守府将軍に任じられたのは奥州産の黄金を謀略のために有力な公家たちに大量に流し込んだ奥州藤原氏の開祖でもある清原基衡で、ここにも「K作戦」の情報戦があった。 改めて確認するが、ここではすでに二つの課題が《パターン》の展開に使われている。 第一に《序・破・急》のプロセスやW戦法のダイナミックスでも確認したように、われわれが学ぼうとしている原理やシステムの本質は、天地自然の中にも厳然として存在しているものである。 剣道や柔道の心得のある人が渚で波の中に身をおいて、ふと身体のバランスや動きのリズムに着想を得ることがあるように、資料や記録を超えた《天地自然の理》の中にこそ、真実の原理原則があることを、われわれは承認しなければならない。 第二に、このような《天地自然の理》の立場から、冷静に人間社会の混乱を見つめ直すことである。「道理の通らないのが世の中だ」という言葉は、まことに真実である。 だからこそ、巨大な組織が内部から崩壊して突然消滅してしまったり、これまでの古い権威が打倒され、新興勢力が生み出されたりする。 これを卑下したり、侮蔑したり、自虐に陥ってはならない。 むしろそこに自分が出ていくチャンスがあること、全てが不完全だからこそ補強や建て直しが必要だと感じること、そして自分から舞台に立つチャンスを求め、脇役でも端役でも何でもやりぬいて、さらに上を目指すのが面白いのだと強く意識する。 こうした向上の志をもつ人生観に、わくわくするような喜びと感動があらねばならない。 こうしたことに《人間力》というべき、人間の魂心と精神の成長が促進されることに、われわれは着目しなければならないのである。 人間の創造力や、歓喜して活きぬく力の源はここにある。そして人生の達成感や幸福感は、このような人間力の発揮によって得られるのである。 このような二つの課題を会得した人物は、いわば宮本武蔵のように、風がフッと通り過ぎたというだけで、新しい境地や感得を自分のものにすることができる。 ほとんど無学だった宮本武蔵が剣術の奥義に到達したとたんに晩学に勤しんで、重要文化財に指定されるような素晴らしい水墨画を描いたり、現在の明石の城下町の都市計画に才能を発揮したのは、彼自身が剣術によって到達した《天地自然の理》が、芸術表現の世界にも、人間社会の合理的な整理整頓にも共通して役立つものだと気がついたからである。 これは宗教的な「悟り」ではない。むしろ積極的に社会と関わり、理想を追及し、旺盛な創造力と創作意欲を発揮するようになった宮本武蔵は、レオナルド・ダ・ヴィンチのように自己の才能をあらゆる方面に開花することができるルネッサンス的な《全人》の理想に近づいたと評価できるのではないか。 改めて確認するが、本講の眼目は、パターンの知識ではなく、《パターンの超越》であり、きわめて説明が難しいが、それぞれが自分なりにコツを会得することが必要である。 諸賢の健闘を祈る。
2005.03.26
☆W戦法 W戦法は二点突破である。 まず相手の「泣きどころ」を攻める。 孫子兵法にも第一の攻撃目標は「その愛するところを攻めよ」と書かれている。 「泣きどころ・愛するところ」を最初に攻撃するのは一つの心理作戦であり、それによって相手が通常の守備を変更して、王将の周囲を手薄にすることを目的としている。 将棋で、飛車・角を気にするあまり、簡単に王手を決められてしまう初心者と同じ心理状態に相手方を追い込んでしまう方法である。 剣道でも、強く面打ちで押した後に、サッと身を引いて瞬間を狙って、小手打ちをパシッと決める方法がある。 このように第一手が正攻法であっても、それはあくまで奇襲を決める前段階の手段として発想することは、孫子兵法以前の古代にも「まず正攻法で当たり、奇襲で勝ちを制する」という記述があることからも明らかである。 ラクビーも、フットボールもフォワードが力まかせに押しまくって決勝ゴールを決めることは少ない。後方から走り込んだアタッカーにパスを打ちながら前進するのが原則である。 柔道も相手が押してきたら後ろに引き、相手が引っ張ったら前に押し出して、上半身の反動で反方向に足をかけ、相手の体勢のバランスを崩すのが立ち技の原則である。 将棋や柔道・剣道から企業間競争や国家戦略まで、同じダイナミックス・モデルが適用される。 その理屈は誰でもわかっているが、それらが瞬時に、かつ巧妙な戦術によって遂行されるからこそ、ラクビーでも勝負が分かれてくる。 大坂夏之陣の最終局面では、豊臣方は全力を挙げて徳川秀忠の陣を突破しようとした。すると徳川譜代の軍勢はほとんど秀忠に加勢し、徳川家康の本陣は手薄になった。 そこに真田幸村の騎馬軍団が強行突入したので、家康の馬印は地に倒され、側近の数人は落命し、家康本人は命からがら退却したと史書にも明記されている。 ここでも「どこが泣きどころか」あるいは「何を愛するか」という内部の情報が、W戦法を成功させる決め手になることは言うまでもない。 家康の馬印の下に、本当に本物の家康がいるかどうか、それを決めるのは家康とスパイしかいないのである。 アクティウム海戦で、マルクス・アントニウスは最強の親衛隊軍団を満載したエジプト海軍の巨大母艦で、アウグストゥスの鷲旗をかかげたローマの快速船を追いかけてしまった。 熱血漢のアントニウスは若いアウグストゥスと一対一の決闘で勝負をつけたかったのであろう。 しかし、アウグストゥスはその船にいなかった。病気が原因で、海戦をながめる場所にも出られず、隠れていたという説もある。 それはスパイ謀略の必要性の根拠である。 ☆Y作戦(分断作戦) 「Y」は、一つの勢力が二つに分断される形とする。 そこで敵の勢力が大きい場合に、何らかの理由で組織を分断させる。 孫子兵法では、「自軍の行跡と所在を隠しつつ、その上で誤った情報を流せば、敵軍はたやすく分割される」とあったり、「どこの組織でも内部は常にトラブルや対立の原因を抱えているものである。だから優秀なスパイを突っ込めば、たやすく組織の勢力を分断することができる」と指摘されている。 このことは普通の生活感覚では、不快な手段ではあるが、世の中にはよくある話だということは心得ておかなければならない。 孫子兵法の後段でもきちんと説明されているが、スパイのような「ヨソ者」が組織の内部で分裂工作をすることは不可能であり、むしろトップに信頼され、それなりの地位も与えられている人物が外部のスパイにそそのかされて、自分の組織を裏切り、利敵行為に走ることは意外に多いのである。 例えば、企業間取引で「リベート」が発生することは常識となっており、これが原価数万円の携帯電話を「1円」で販売するような基盤になっているのだが、その一部を経営者や幹部が内緒で私用に使ってしまう場合、これは所得税法違反というだけではなく、リベートを渡している企業側にも弱みを握られてしまうので、当然なすべき判断が下せなくなって、経営を誤ることになる。 山一證券が破綻した契機となった「握り」というリベートの処理も、幹部の一部がキック・バックを受けて、買い手のつかない暴落株を帳簿上だけ引き取ってもらう「飛ばし」を続けていたことが原因だった。 某商社のロンドン支店で、金属相場で巨額の損失を隠していた幹部も、取引業者から「特別な接待」や極秘のリベートを受けていたので、自分一人の辞職ですまない限界を超えて深入りを続けてしまった。 某銀行でデリバティブ取引で大損を出した人物の犯罪を支店長が隠蔽しようとして逮捕された事件も、やはり同種の問題が原因だ。 ライバルの組織を分断したり、混乱させることは、競争相手にとっては大きな利益である。 今は亡き伊丹十三監督の映画《スーパーの女》は、それだけでもマーケティングや経営学の原理をふまえた非常に優れた教科書になるのだが、ここでも番頭格の古手幹部や、自分のテリトリーに口出しを嫌う職人などが、自分たちのスーパー・マーケットを裏切り、ライバルに協力して報酬を受け取ったり、寄生虫のように役得のエゴを追求している。 最後には、店員全てを引き連れて集団辞職し、ライバルのスーパーに移ろうとする。 こういう現実も日常的にあるのである。 私は立場上、全国を歩いて選挙事務所に顔を出すことが多いが、人々の中には何か協力するフリをして自分勝手に出前注文を取ったり、不要な品物を大量に発注したり、事務所で用意した食品類を勝手にたくさん持ち帰ったり、詐欺や泥棒と同じようなことをする「カタリ」とか「タカリ」を厚顔にも平気でやろうとする人々がやってくる。 そんな人々も有権者だということで、事務所でも邪険に追い返すわけにもいかない。 もちろん本物のスパイもやってくる。 公職選挙法でも「寝返り行為」という正式の規定があるのだが、候補者を信頼させて近づき、選挙事務所の幹部に入り込んでから、勝手に経理を操作したり、いろいろな証拠をつくってから資料を持って警察に行くような、本物のスパイもいる。 学歴がおかしかったり、「総理は私の後輩だ」などと、どうでもいいことを誇大にいう人間は怪しい。 それで候補者が当選しても、スパイの密告による選挙違反で逮捕。 その人物は警察に協力したということで無罪。 無党派とか市民派候補ということで、思い立ったように出馬してしまって、きちんと誠実に支持して守ってくれるような仲良しグループがないと、そんな人々にやられ放題にやられて、ゴミのように吐き捨てられることがある。 恥ずかしい話だが、私の知人の政治家も、本人の名前を金文字で印刷した一箱たった五百円の線香を選挙区内に数百個だけ配布したという事実を摘発され、みずから辞職をしたという実例がある。 この時も、彼が信頼して任せていた地元の有力者が「これぐらいやれ」と提案したことだが、彼自身も「公職選挙法違反だから」といって強く反対したり、相手を真剣に説得することができなかった。 それで私設秘書たちがお盆の期間に支持者を回って配布したらしいが、私が「君は即刻辞職せよ」と厳しく意見した理由もここにある。 このような人々、政治家に贈り物を平然と要求するおかしな老人や変人たちに関わりあいたくないと思ったら、私のようにワンクッションおいて、政治家のサポート役に回ることも可能なのだ。 しかし彼はそれに飽きたらずに、大学助教授の地位を捨て、総選挙に出馬したのだった。 そのように足を引っ張るようなスパイは、どこでも当然いるもので、現実を知らないで対処の覚悟を持たなかった彼自身が愚かだった。 後日談になるが、彼は書類送検されて潔く辞職した後に、みずから志願して、山間地に新鮮な魚介類を売って回る行商人になった。 ずいぶん大きな寄り道をしたと思うが、彼が捨て身になって証明した公職選挙法の贈与禁止規定は全国に普及し、日本の政治風土の根底からの廓清にも寄与したのである。このことだけは、彼が善意と恥辱をもって打ち立てた功績である。 そして、山間地で行商する毎日、つらいこともあっただろう。 しかし、港町で生まれ育った彼は、たちまち山間地の人々に名が知られ、信頼されるようになった。 「前の国会議員が謝罪のために魚を売り歩いている」 山間地を地盤とした対立候補の世襲議員は、民主党だったが、典型的な「お坊ちゃん」だった。 そして、彼は前の総選挙で劇的に復活当選し、永田町にもどってきた。 逢沢一郎副大臣の推薦もあったであろうが、つい先日は外務省政務官として国連総会で、わが日本国の安保理事会常任理事国への立候補の決意声明を演説した。 「昨日の失意、今日の得意」という言葉があるが、彼の今後の精進に期待したい。 閣下は、こんな大きな変化のありすぎる運命は「自分向きではない」と思っている。本物の戦略家は、家のまわりを普通に歩いていても、全世界を驚愕させる仕事をやってのけるのである。
2005.03.26
『序・破・急の哲学』は理解できたという前提で、講義をすすめよう。 こうした《パターンの超越》という原理原則をシッカリとふまえた上で、いくつかの《作戦パターン》を具体的に解説する。 ★O作戦 この「O」は作戦の上で「完全包囲」を意味する。孫子兵法では「兵力差が六倍以上であれば、包囲作戦が可能」とある。マーケティングでも「囲い込み作戦」という方法があり、ライバル店のすべての商品を、ライバル店より低価格で乱売し、その店から常連客を完全に引き剥がして、奪い取るという残酷な殲滅戦法である。 ★C作戦 「完全包囲」は持久戦になると、攻める側にも負担が大きい。そこで孫子兵法では、「包囲作戦では、必ず手薄な部分をつくれ」という原則を指摘している。「窮鼠、猫を噛む」の譬えを引くまでもなく、あまりにも敵を追いつめすぎると、どのようなリアクションをするかわからない。敵も団結すれば、意外な損害を出す場合もある。「C」のように「手薄な部分」がライバルにも見えれば、逃げ道を示すことになり、緊張の弛緩によって対抗勢力を半減させることができる。 ★G作戦 「G」はO・C作戦のバリエーションで、敵の「逃げ道」にあたる部分にゲリラの伏兵を配置する。孫子兵法より古い《易経》という古典にも「王者の狩猟は三方向から攻めかかり、獲物を一方向に逃がす」という記述がある。その「逃げ道」には、落とし穴や網が待ち構えているということだ。漁業で使われる古典的な「囲い網漁法」なども、これと同じ方法である。ライバルに活路を見せかけて、一点突破を狙って勝負に出てきたら、それを「落とし穴」で殲滅する。 この三つの作戦段階(オペレーション・フェイズ)を使い分ける場合、例えば次の連続パターンの組み合わせが考えられる。 C・・・G・・・O(殲滅戦術) 典型的な殲滅作戦である。孫子兵法の指摘通りに、わざと包囲を手薄に見せかけ、敵を油断させて「逃げ道」をつくる。敵が包囲を突破して、外に出てきたところに、側面から伏兵を出して驚かせ、そこで「完全包囲」に持ち込む。 ジュリアス・シーザーがガリア戦役でケーナブム(現在のオルレアン)城砦を攻略した時も、この作戦が用いられた。ローマ軍は全軍団が到着していたが、シーザーはわざと少数の先遣部隊が来ただけのように見せかけた。すると、深夜になって城内から城門をあけて逃亡しようとする人々があらわれた。そこで闇に隠れていたローマ軍が総員突撃し、たちまち落城させた。 諸葛孔明が「泣いて馬稷を斬る」といわれた史実でも、馬稷が丘陵の上に陣地を置いたのに対して、魏の宿将・張範はわざと包囲を手薄に見せかけ、「汲道(水源からの補給路)」に伏兵を配置して、蜀軍が油断して出てきたところを徹底的に撃破した。砂漠のような黄土高原で飲用水を断たれた馬稷は大敗して退却した。 マーケティングでも、わざと品揃えに手薄な部分をつくっておいて、ライバルが全力をあげて、この「見せかけの弱点」を狙って攻勢に出てきたら、間髪いれずにアウトレットのディスカウント商品を投入して、相手の攻勢を「囲い込み」で徹底的に撃破する。 サッカーでも得点力のある有名選手が「ケガをした」というニセ情報を流して、前半は休ませ、後半になって突然、選手交代で投入して、敵のチームを驚かせ、一気に撃破する方法がある。 O・・・C・・・G(掃討戦術) 最初は完全包囲する。しかし、途中になって退却するふりをして、わざと手薄なところをつくる。すると敵は堪え切れなくなって包囲を突破して出てくる。そこを待ち構えて掃討する。 C・G・O戦術のバリエーションだが、結果としては消耗の大きい「殲滅」という戦術はとらない。そこで「敵に大きな損害を与えながら、わざと逃がす」という戦術で、味方の損害のリスクも軽減する。マーケティング戦術では、ライバルに対して通常の品揃えに手薄な部分は、在庫リスクを抱えないように、タイム・サービスや記念セールなどで「売り切り商品」として単発的に投入する。ライバルを急激に追いつめないまでも、敵を弱めて、ゆっくりと勢力を拡大する方法である。 今、化粧品店という業種は、都心ではほとんど消滅してしまった。理由はマツモトキヨシなど、薬品店のチェーンストアが市販の化粧品をディスカウント販売するようになったからである。そればかりか百円ショップも化粧品類を販売しているので小学生の女の子が好奇心で買っている。 その一方でパソコン・ショップのような時代の流れを象徴する先進技術商品を売る専門店も、秋葉原以外ではもはや見かけることがない。東京の都心ではヨドバシカメラ・ビックカメラ・カメラのさくらや・カメラのドイ・キシフォートといったカメラ系量販店があり、環八から外はヤマダ電機・コジマ電機・ジョウシン電機といった家電系量販店が群雄割拠して、ここに巨大なパソコン売場を持っている。特にコジマ電機は低価格パソコンを売り物に電機店のイメージを打ち破り、量販店の激戦地である北関東地域で「パソコンを買うならコジマ」というイメージを作り上げた。 G・・・C・・・O(局地戦術) それでは秋葉原にはどうしてパソコン専門店が成り立つのか。それは秋葉原に集まる消費者が全国平均とは全く違う、「パソコン・オタク」といわれる人々の割合が高く、巨大な量販店では彼らのニーズに応じきることができないからである。そこには無名の「○○無線」という店が特殊な部品を集めて製作したパソコンの場合、1ギガのCPU、128メガのメモリー、150ギガのハード・ディスクをつけ、オペレーション・ソフトはLINUX、価格15万円以下という大容量ブロードバンド・インターネット用の高性能パソコンなどが並んでいる。普通のメーカーならば、おそらく30万円はするだろうから、まさに半額である。 しかし、これらはパソコン初心者には何の意味もない機能であるかも知れない。むしろ、詳しい解説書とか、操作ビデオがついている方が安心だとなれば、量販店でNECやソニーの商品で、500メガのCPU、64メガのメモリーで22万円以上のパソコンでもいいかも知れない。秋葉原にはそうした量販店もあり、ノーブランドで高性能の低価格パソコンを販売する専門店もある。 特に秋葉原でしか小売で手に入れることができない部品も多い。ヨドバシカメラやビックカメラにも、パソコンをグレード・アップするための部品コーナーやマザーボード売場があり、秋葉原系の消費者を取り込もうとしている。こうした範囲が小さく限定された戦いを「局地戦」という。 全体からみると一つの小さな部分「局地」で戦闘を集中することによって、場合によると量販店の方がコスト上の損害が多く、秋葉原の無名の専門店に勝機があるかも知れない。いわば弱者の戦術である。ソフマップはゲーム・ソフトのリサイクル販売から、パソコンのリサイクル販売に発展して、これを基盤に家電分野に逆進出した。「専門」という硬直した意識がないので、儲かる品揃えの方向に自己の組織を変革して、拡大のチャンスをすべて受け止めることができたのである。これはカメラ系の量販店が家電販売に進出した経緯とも重なっている。 圧倒的に強大なライバルでも、秋葉原のように特殊な市場取引が成立する「局地」では、比較的弱小な存在でも大逆転の可能性はありうる。全体的な物量では、圧倒的に優勢なアメリカ軍も「局地」のケ・サンでは、孤立した一個師団が北ベトナム軍の三個師団に包囲されてしまったのは、まさに局地戦術そのものの展開であった。 ★T作戦(側面攻撃) 「T」の形は「T字路」のように、側面から突き当たる攻撃方法である。すでに説明した包囲戦術のバリエーションでは、「C+T=G」というイメージで解説済みである。敵の側面を攻撃する前提は、完全な奇襲攻撃を意味している。 したがって、この「T作戦」では、攻撃側は敵軍の一部だけに狙いを集中して攻撃を加えることができる。 源義経はこの戦法で鵯越から現在の神戸市街に討ち入り、奇襲戦法を成功させた。 織田信長も桶狭間の戦いで、雨の中の昼食で休憩中だった今川義元の本陣を衝いた。 パールハーバー奇襲攻撃も、択捉島の単冠湾を艦隊集結地点として、ハワイ島に北方向から接近し、航空戦隊もオアフ島の北側から南側のパールハーバーに抜けるという方法で、基地を正面からではなく背後から襲撃するコースをとった。 これも作戦レベルとしては成功したが、戦術としては第二次攻撃が継続できなかったし、何度も繰り返すように、戦略としては「やらないほうがましだった」という最終結論になっている。 優秀な作戦も、使い方を誤ると、結局は成功がより大きな失敗の原因となるのである。 また、このT作戦には一点突破のV戦法と二点突破のW戦法がある。 ★V戦法 V戦法は文字通りの一点突破であるが、第一に織田信長のように、司令部を襲撃する場合に用いられる。 艦船でいえば、艦橋の操舵室・司令室を集中攻撃することである。 会社組織では、社長室や役員室でトラブルやスキャンダルが発生し、重大な責任問題が発生する場合である。 その場合、情報の正確さを欠かすことはできない。 織田信長が桶狭間の戦いで、今川義元の首級を挙げた武将ではなく、今川義元の陣幕の所在をつきとめた足軽の功績を第一とした史実は有名である。 赤穂浪士の吉良邸討ち入りでも目指すところは仇討ちの一点突破だったので、吉良上野介の所在がしっかりと確認できるまで、大石内蔵助は決行を何度も延期している。 V戦法は、指導者クラスが前線にいて、指導者が死傷すると指揮系統が混乱し、戦闘不能に陥るようなヒエラルキー組織には大変有効である。 企業経営でも、カリスマ的な評判で、会社の全体を威圧するような人物が、社会的なモラルに反するようなスキャンダルにまみれると、組織全体も脱力感と向上の意欲を完全に喪失してしまう。 それによって競争に敗北する結果になる。 このV戦法のリスクを回避するため、指揮官の司令部は予備軍とともに置くか、指揮官が不在でも命令系統や作戦が継続され、貫徹されるシステムが現代の軍事組織の原則になっている。 それでも狙撃兵の一発の銃弾だけでも、戦闘の挑発によって、大きな歴史全体の流れを変える場合があることは、あの櫨構橋事件が証明しているので、V戦法の戦略的位置付けは、敵対戦略においても、防衛シミュレーションでも同等に非常に重要なのである。
2005.03.25
あらためて説明すると、「定石」というのは、囲碁・将棋の用語で≪戦略展開パターン≫を意味する。 囲碁・将棋の世界は「棋譜」という文献で過去の対戦データが全て蓄積されているのであるから、現代の試合においても過去のデータは常に生かされている。 名人同士の試合でも、数人の解説者が簡単に次の一手をいくつか予測できるのは、この「棋譜」のデータと、これならば勝てるコースだと読みきれる「定石」があるからである。 コンピューターが囲碁・将棋・チェスなどで人間と対戦をするようになったのも、この「定石」を忠実に配列し、戦略パターンとして認識し、確率の高いオプションを判断して次の一手を決定する仕組みになっているからである。 先年、チェスの世界チャンピオンが最新鋭のスーパー・コンピューターと対戦して、ついに王座を機械にあけわたすというニュースが流れたが、このことはコンピューターの性能がパソコンも数万倍にアップしている状況では「時間の問題」としてやむをえないことであった。 しかし、天才の世界チャンピオンはもちろんながら、コンピューター・ソフトウェアの内容と性質を十分に理解していたので、さまざまに類似した「定石」の選択枝を混乱させて、いわば「入力ミス」が発生したような状態になるような、いろいろなトリックを用いて、コンピューターの紋切り型の判断を錯乱させるように仕向けていた。 こうした戦い方は、古代の孫子兵法にも雄弁に主張されていることであって一部は≪戦略パターン≫にも頼りつつ、それを超越する一手を決定打として用意するのが≪勝算のコツ≫であるとされている。 そのために戦略家は≪不可能を可能にする≫ということが求められる。 相手側は「まさかおそらくそれは不可能だろう」と考えるようなことを、あえて挑戦して打開するようなリスクを取ることによって完全な奇襲攻撃や、全く敵の追撃を許さない撤退作戦を成功させることができる。 ジュリアス・シーザーはフランス(ガリア)中央平原で内乱が起きた時、北イタリアに滞在していたが、まず陸路でアルプス南斜面を迂回し、フランス南部(プロヴァンス)の駐在軍団に数日で到着した。 そこから南から北上して、中央平原に進撃するように部将たちに指示した。 次に少数の精鋭と敵地を急行して通り抜け、一週間のうちにフランス東部の軍団をフランス北部に移動させて、反乱した中央平原を南北から攻撃する態勢を整えた。 まさに神出鬼没の移動である。 この間、シーザーは騎馬部隊でフランスを縦横に駆け巡った。 これが彼の主著『ガリア戦記』のクライマックスでもある。 反乱軍にとっては、「シーザーは何人いるのか」と驚愕したことであろう。 もちろん、シーザー本人が「こうなったら、こうしよう」という策略をめぐらせて、相当の準備と秘密の訓令を与えていたからこそ、このような超絶した大戦略を実現できたと考えてもよい。 これが「不可能を可能にする」という戦略の見本である。 また後年のポンペイウスとの戦いの時、シーザーの軍団はギリシャのディラキウムで城を包囲しながら後方の補給路を絶たれて困窮していた。そこでシーザーは食糧や武器が豊富にあるマケドニア地方に徹底して急行する方針を決めて、直ちに実行した。 不意をつかれたポンペイウスは、シーザー軍団に数時間の距離まで追撃したが、後続の軍団が小数になって決戦に持ち込まれることを恐れて、追撃の中止を命令しなければならなかった。マケドニアで十分な補給と休養をとったシーザー軍団はファルサロスでポンペイウスの軍団を迎撃し、たちまち圧倒的な勝利を決定した。 何しろシーザーの軍団は、フランス平原やイギリスの原野で精強な異民族の騎馬軍団や戦車部隊を相手に十年間にわたって戦いつづけてきた歴戦の勇士がそろっていたのに対し、ポンペイウスが率いていた多数の予備軍団は基本的な軍事訓練もできていない集団であった。 ポンペイウスが多年にわたって養成してきた虎の子の軍団はスペイン地方に無傷のままあったが、シーザーが正当な指揮権を持つ南フランス軍団が東側に強引に進撃することを抑えていたので、マケドニアの戦闘の戦列に参加することはそれこそ不可能であった。 歴史には「if」はないという。 「しかし」と戦略研究では考える。 デュラキウム包囲では、シーザー軍団は劣勢のまま膠着状態で、半年近くの時間が経過していた。 もしポンペイウスが決意をしていたなら、スペイン最強軍団に命令して、南フランスに寄港せずに地中海を通り抜け、海からデュラキウムに上陸させて、シーザーの陣地の背後を強襲することは可能であった。 それができなくても、ファルサロスには確かに間に合わせることができた。 これが≪パターン≫に終始した戦略オプションの限界なのである。 一つの戦略オプションに限界が存在することは当然のことで、状況の変化によって戦略方針は変換されなければならない。 むしろ積極的に戦略がスムーズに転換されることによって、変化の方向を決するような主導権を把握し、優位性を発揮することが可能になる。 行き場を失ったポンペイウスはエジプトのアレクサンドリアに漂着したが、そこでエジプト王プトレマイオスの親衛隊に逮捕され、身分が判明すると、すぐ殺害されたと考えられている。 当時、プトレマイオスは王妃の姉、クレオパトラ九世と王位を争い、姉を王宮から追放したばかりであったので、ファルサロスの勝利者であるシーザーに、ポンペイウスの首を手ミヤゲにしようとしたのであった。 ところがシーザーはプトレマイオスを失脚させ、クレオパトラを王位につけた。 殺害されたポンペイウスの指には、かつて花嫁であったシーザーの死んだ愛娘の結婚指輪が光っていたといわれている。 ポンペイウスがデュラキウムで劣勢だったシーザーを徹底的に殲滅しなかったのは、二人が和解することを願っていたからかもしれない。 しかし、本当に和解を押しつけようとしたら、スペイン軍団の上陸という圧倒的な「切り札」を握ってから、その上で交渉すべきことであったことは間違いない。 われわれ日本人の感覚からすると、対等な交渉は五分五分でも、六分四分でも双方が謙譲の美徳を発揮すれば成立するものだと甘く考えがちである。 しかし、大陸的な考え方、特に異民族侵略や宗教対立を重ねてきた欧米や中国・韓国では、そのような同胞的な甘えは全く通用しない。 交渉は常に対等の立場で行なわれるが、その内容は優位者が条件を出して、劣敗者が妥協して和解が成立するのである。 双方が妥協しなければ、和解は成立せず、交渉しながら戦いは継続する。 ベトナム戦争の場合、パリの和平会談は七年間もつづいていた。 パリ和平協議が妥結した後も、その調印の数日前までアメリカ軍はハノイの爆撃を継続していた。 ニクソン大統領は執務室で「彼らに思い知らせなくてはならん」と豪語し、クリスマスの一日をのぞいて年末まで爆撃をくりかえさせた。 これが現実であり、われわれは幻想や迷信で世界を見誤ってはならないのである。 相手を徹底的に追いつめる「切り札」を持ち得ないかぎり、相手は交渉のテーブルにもやってこないかも知れないのだ。 相手が交渉も通用しない常習的なテロリストやカルト集団の狂信者であったらどうするか。 あるいは「われわれは≪明日のジョー≫である」と放言するような、社会性も未熟で、善悪の区別もハッキリとつかない幼稚な人間の集団であったならどうするか。 これが現実であり、われわれは希望的観測や甘えた幻想で物事を判断してはならないのである。 これが「戦略」の戦闘なのだ。
2005.03.24
≪パターンの超越≫ということでは、能楽と歌舞伎の間でも大きな違いがある。 例えば弁慶と源義経の流浪のエピソードを描く≪勧進帳≫というモチーフは、江戸時代に能楽でも歌舞伎でも取り上げられ、現在でも両方で演じられている。 能楽ではクライマックスに向けて、少しずつ動きを増やして「勧進帳」の読み上げまでいくが、歌舞伎では要所要所で役者が「見得を切る」ので、違いがよくわかりやすい。 この「見得」になると、伴奏の囃子や義太夫節はピタッと呼吸を合わせ、歌舞伎役者の手振り足踏みにチョチョーンと音を合わせる。 この一瞬だけは役者が演奏の指揮者にもなっているのである。 一方、能楽の場合には、謡方も笛鼓も能役者の動きを読み取って全員が一呼吸で動くことを理想としている。 したがって、ほとんどシテ方(主役)の能役者を演奏の指揮者としているといってよい。 どのような戦術の≪破り方≫をするかは、このように組織の内容にも関係してくることがある。 アメリカのペンシルヴェニア州カーライルにあるアメリカ戦略大学院(U.S.WarSchool)で 「第二次世界大戦で最も成功した戦略は何か」という話題で、 「最も成功した作戦は日本軍のキスカ撤退だ。最も成功した戦術はアメリカのノルマンディー上陸作戦だった。しかしながら、最も成功した戦略はコミンテルン・テーゼじゃないか」という議論になった。 ノルマンディーについては説明を要しないであろうが、あれだけの大規模な上陸作戦がドイツ側に全く事前に察知されず、またドイツ側の反撃展開があれだけ遅延したということには多くのナゾがひしめいている。 アフリカ戦線・シチリア戦線でドイツ軍を撃破したパットン将軍がオトリになって、パド・カレー付近に出没していたので、最精鋭部隊の親衛隊師団がノルマンディー地方に迅速に移動できなかったという事実もあったであろう。その真相と事情をアイゼンハワーが知ったのは、ずっと後のベルリン陥落後であった。 親衛隊幹部も、仲の悪いドイツ国防軍の指令で出動することを拒否した。 ドイツ側が内輪モメでモタモタしている間に、連合軍は戦車部隊も上陸させることができたが、サン・ロー付近で血で地を洗う市街戦となり、多数の被害を出した。 最も被害が大きかったのは日系三千人以上が所属していた部隊で、生き残りはわずか三人だった。 その後、ドイツ軍の内部でパリ総監を中心とする高級参謀のグループがヒトラー暗殺のクーデターに失敗したので、このグループが連合国と秘密交渉して、ナチスを一掃して停戦に持ち込む計画があったことは明白になっている。 しかし、実際の詳細は歴史の闇に葬られたままだ。 機会があれば、英国やロシアなどは当時の極秘記録を保管していると思うので、検討したいと考えているが、「戦略学」の難しさもここにある。 「キスカ」というのは、アメリカのアラスカ州に含まれるアリューシャン列島の中の一つの島で、ミッドウェー作戦の時にアッツ島とともに日本軍に占領された無人島であった。 ミッドウェー作戦は無惨な失敗に終わったが、無人島とはいえアメリカの領土の一部を占領することは、国民の「戦意高揚」をはかる上で効果が大であるとされていた。 やがて戦争も末期になると、アメリカが本格的にアリューシャン奪回に動き始め、南方のガダルカナル島と北方のアッツ島はほとんど同じ時期に「玉砕」という全軍総員の集団自決に追い込まれた。 補給線のロジスティクスを全く考えない日本海軍の無謀な作戦は、アメリカ側をして「クレイジー」と笑わせるにすぎないものが多かったが、キスカ撤退ではアメリカ側に完全に傍受されていた暗号連絡は使用せずに、撤退作戦を立案した主任参謀が潜水艦でキスカに乗り込んで作戦指導にあたった。 彼を送り届けた潜水艦は帰路にアメリカの戦闘機部隊に発見されて撃沈された。 ところが、撤退作戦の本番はアリューシャン列島の深い濃霧の中で行なわれて、幸いにもアメリカ軍の空襲も受けなかった。 アメリカ軍は三日後にキスカに上陸したが、残っていたのは犬一匹だけだった。 戦後になって、この「キスカ作戦」は、アメリカ側の死傷者もなかったことから、戦術的にも高く評価され、関係者はアメリカ海軍から普通は連合国向けに贈られる名誉勲章を授与された。 「コミンテルン」というのは、世界共産主義者同盟、すなわちコミュニスト・インターナショナルの略語で、ロシア語風に発音したものである。 創立者はレーニンで、ロシア革命によるソ連の成立直後に国際的な干渉戦争(日本のシベリア進駐など)があったので、マルクスの「万国の労働者よ、団結せよ」という言葉にしたがって組織されたものである。 代表的な実例をあげよう。 日本では「日華事変」という櫨構橋事件で、日本軍が演習中に一発の銃声が響いた。 軍内部では、どこから銃砲が発射されたかを調べ上げたが、その間にも銃弾が日本軍の陣地に打ち込まれた。 そこで演習実施をしぶしぶ承認していた国民党の陣営に抗議したが、双方は疑心暗鬼になり、最終的には日本軍が国民党軍を掃討して北京を占領し、華北一帯が戦場になった。 これは中国共産党の歴史では、若い劉少奇が率いる少数のゲリラ部隊が国民党軍の近くで発砲し、休戦状態にあった日本軍と国民党軍を再び激突させた功績として説明されている。 当時、蒋介石の国民党は、中国共産党の江西省の本拠地を包囲しつつあった。 上海に秘密機関を持っていたコミンテルンは「日本軍の軍事力で、国民党を華北で叩かせ、中国共産党は国民党と和解して危機を脱出すべし」という指示を出した。 そこで、この櫨構橋事件の後、国民党はやむなく共産党と「第二次国共合作」にふみきり、中国共産党は江西省井崗山から陝西省延安まで共産党の関係人員すべてを移動する《長征》にのり出す。 そして毛択東が最高指導者となったのは、この《長征》の途上、貴州省遵義の「遵義会議」でのことであった。 日本が中国大陸を侵略したのは事実だが、そこには中国共産党が組織として生き延びようとして打ち出した謀略も契機となっているのである。 先年、ディズニーが製作した映画《パール・ハーバー》が公開されたが、いわゆる「ダマシ撃ち」という形で、日本軍のパールハーバー奇襲が描かれることについては、アメリカ側にも「史実とは違う」という指摘が出された。 一方で、この非常の時にゴルフに行っていて、暗号の翻訳と文書のタイピングに時間をかけ、ついに最後通牒をパールハーバー攻撃の時間よりも出し遅れさせた責任者である駐米大使館一等書記官二人であるが、戦後になってからアメリカ軍の占領下で、外務官僚トップである事務次官に相次いで就任している。 最近の外務省の混乱も、この時代から遠因があるのである。 「敵を欺く前に味方を欺け」という言葉は古代ローマ時代からあるのだ。 老カトは元老院で、カルタゴの乾しイチジクを食べながら「カルタゴ滅ぼすべし(delenda est Carthago)!」と絶叫した。 老カトの証言と演説は大部分が作り話で、よく考えれば根拠が矛盾していたし、勝手な意図でローマ市民を煽動しようとする意図は明らかだった。 しかし、ローマ元老院は直ちに開戦を決議して第二次ポエニ戦争がはじまり、戦いの勝利とともに老カトは英雄の一人になり、平民の金融業の出身でありながら、その子孫は貴族と同格の光栄を享受したのである。 さて、パールハーバーの実態はといえば、参謀総長のマーシャル元帥が11月の時点で全軍の指揮官クラスに「もし日米開戦となる場合には、アメリカは日本の一撃で戦争が開始するように望む」という内容の具体的な通知を出している。現代の戦略論では「もしパール・ハーバーがなければ」という前提で、戦略研究することが前提となっている。 もし、あの時点で日本海軍が戦艦大和と武蔵など最新鋭の巨艦をパール・ハーバーに親善訪問させ、「アメリカとは戦争をしない」と宣言をしていたらどうなったか。いろいろなことで戦争を回避したり、スペインのフランコ政権のように最後まで第二次世界大戦の局外で中立を守ることは不可能ではなかった。 アジア植民地解放という目的も、わざわざ日本軍が出かけて現地の人々を搾取したり、横暴な支配をするより、現地の独立派の組織を国家的に支援することで、あらゆる成果をあげることはできた。 しかし日本がそうした基本的な戦略を検討できもしないで、一気に無謀な日米開戦に突進してしまったのには理由がある。 「ハル・ノート」という外交文書によって、当時の「大日本帝国政府」は威嚇され、いわば「ケンカを売られた」という状態であった。 当時の国務長官コーデル・ハルは、親日的で昭和天皇とも親しかったジョセフ・グルー大使の正式ルートでは、なかなか「日米開戦」という現実のプロセスが見えてこないことに内心不信感を持っていた。 一方で、日本がアメリカに対して本格的な戦争を準備し、外交交渉を引き延ばす作戦に出ていることは承知していた。 そこで日米両国の緊張緩和のため、フランス領のベトナム占領などを黙認する「現状維持」を条件とした和平交渉と、「すべての占領地からの撤退と満州国独占の放棄」を絶対条件とした一方的要求という、二つの「ハル・ノート」を用意した。 これは本国の召還要請に応じないで、和平交渉をつづけたいとするグルー大使などの親日派をも納得させつつ、同時に日本政府を刺激して開戦プロセスを促進したいという意図もあった。 ルーズベルトは、台湾海峡から大船団が南下しているという情報から「日本がフィリピン侵略を計画している」という謝った報告を受け、一時的に強硬な方針をとって「全面撤退」のハル・ノートを認めたが、それが間違いだとわかると、昭和天皇と直接のやりとりを希望し、特使の派遣で事を収拾しようとしていた。 ナチスとの開戦は、太平洋でドイツのUボートに商船が攻撃された場合でも踏み切ることができた。 ルーズベルトは幼少時代に自分の近所にジョン万次郎が滞在して、近くの学校に通ったことをよく覚えていた。 大統領に就任した直後には、万次郎の子孫の中浜家に特別親書を駐日大使館から伝達させ、日米友好の願いを示した。 ところで、この強硬な《ハル・ノート》を提案したジョン・ホワイトという国務次官補だが、戦後になってからソ連のスパイであることが暴露されて、自殺している人物である。 すなわち、日米開戦の舞台裏でも、ドイツに追いつめられたソ連を守るために、日本とアメリカを敵対させて、アメリカがドイツの背後を攻撃するように仕掛ける大規模な陰謀が実在し、そこにもコミンテルンのエージェントが介在していたことを示しているのである。 そこで理解してほしいのは、コミンテルンの陰謀が常に自己の勢力を防衛する最終的な手段として、複数の敵対勢力を闘争に持ち込む謀略を策定し、日華事変でも、日米開戦でも同じ《戦略パターン》を展開して、その両方とも大日本帝国は同じように相手の謀略に踊らされていたという決定的な現実である。 このような人々を世界の謀略から守るためには、どのようなことが必要なのか。 わが国で《戦略》を語るために、まず自問自答してほしいものである。
2005.03.23
戦略論における≪パターンの超越≫という概念も、この≪序・破・急≫の哲学思想を応用することによって理解すべきだと私は考えている。 戦略において≪序≫とは戦略パターンであり、「定石」である。 しかし、パターンは必ず破られなくてはならない。 創造的に超越されなくてはならない。 あえて「創造的破壊」といわないのは、「破壊」がマイナス方向を強く意味する言葉だからである。 したがって、それは破壊される敵を前提としてつくり、結果としても破壊された敗者をつくり出してしまうことで、戦略方針を最初から色付けしてしまう危険性がある。 現在のように、持続・共存・共生といった思想を最善の戦略方針とする流れからすれば、「破壊」は何であれ、厳しく廃棄されるべき対立概念なのである。 そこで≪破≫は、≪パターンの超越・Excel≫と正しく理解することが必要になる。 周知のようにマイクロソフトの表計算ソフト≪EXCEL・エクセル≫は聴きなれた言葉なので覚えやすいが、これはラテン語の「CEL・枠」と「EX・外」から成り立っているので、「超越」という意味と同時に「型破り」という原義も持っている点、≪序・破・急≫の≪破≫のニュアンスには適当であろう。 ただし、この部分は戦略論においても、最も微妙な部分である。 歴史的な事実においても解釈が分かれる場合が多い。 例えば、1972年のニクソン訪中のきっかけになったのは、ピンポンのアジア太平洋大会の後に、アメリカ代表選手団が北京に招待されたことであるが、中国側はアメリカ人の作家である毛沢東の伝記作家エドガー・スノーやスメドレー女史を、その年の開国記念日の祝典に天安門の楼上まで招き入れていた。 また外相も兼務していた晩年の周恩来首相は同時期にスポーツ関係の担当にも自ら就任して、海外に出国する代表選手たちに接見するようになった。 その副コーチなどの実務担当には外交官出身者も指名されるようになった。 中国の唐家旋外相は、若いころには通訳として何度もスポーツ選手団とともに来日したが、本当の身分は不明だった。 田中角栄首相訪中で、初めて周恩来首相の直属秘書だったということが、ようやく日本の外交当局にも判明したのである。 このような北京のアプローチは、キッシンジャー回顧録によると、「あまりにもナイーブで理解しがたいものだった」として、アメリカ側から外交的に接近した事実はないとしているが、私が最近、中国で聴き取りをすると「ある外交官コーチが周恩来と代表選手が一緒に並んで写った写真を見せた。そこでアメリカのコーチは、帰国したら周恩来首相に直接会って報告するかと質問してきた。もちろん答えはYESだった。しかし、その食事の席はアメリカ側が予約をして会食したものだった」という答えだった。 相手と私は思わず顔を見合わせて笑ってしまった。 これこそ、まさに外交である。 しかし、北京との外交交渉は外務省にあたる国務省ではなく、国家安全保障会議顧問のキッシンジャーと、後にCIA長官も歴任して大統領になるジョージ・ブッシュ(父)初代北京駐在代表のように、主にCIA(国家中央情報局)組織によって極秘に動かされていた。 このことでアメリカ側も、北京を北ベトナム政府と対立させて、双方に分裂させる方向に持っていけないかという可能性を必死に探索していたことは裏付けられたと思う。 したがって、ニクソンとキッシンジャーが「友好」として差し伸べた握手は、ベトナムをはじめ、「アジア諸国の分裂」を画策する常套戦術も秘めた握手であったのである。 そのことは、もちろん周恩来首相はよく承知していた。 それでもあえて踏み込まざるを得なかったのは、あの文化大革命の狂気の嵐の中にあった中国の近代化のため、先進国のアメリカと日本の正式な国交を自分の短い生命のある限り、実現しておこうとする捨て身の一念からであったと思われる。 それは最良の選択であった。 あの時期に田中角栄首相が決断した日中国交回復も、周恩来首相が交渉相手であり、しかも最高権威の毛沢東が健在であったからこそ実現したのである。 もし一人が欠けても不可能であった。 現在の改革開放政策路線も、周恩来が提唱した近代化戦略の一つとして始まったものである。 ベトナム政府も中国の離反に反発して、ベトナム戦争後に中越紛争を起こしたが、現在は中国の改革開放政策を模倣したドイモイ政策で市場経済の成長力による社会建設を進めている。 この≪パターンの超越≫が芸術の生命であるように、戦略理論においても、どこをどう超越するかは戦略理論を応用する本人の創造性に依存することになる。 目的はライバルに対して優位性を持ち、共通の土俵で有利な条件に持ち込むことである。 シドニー・オリンピックで女子マラソンの高橋尚子選手は、マラソン・コースに指定されたルートを10回も試走していた。 つまりオリンピック代表に選出される以前から試走を数回くりかえして、地理の高低や地形のポイント、道の曲がり方、自分の体調のバランスや変化にも体感的データをとっていたということだ。 しかも彼女と監督は当然ながら、他の日本代表選手たちにそんなことを教える必要もなかった。 試走はコーチと二人だけで普段着で行なわれたから、シドニーの市民もそのことに気がつかなかった。 この秘密が公表されたのはオリンピック直前だった。 しかし、「高橋の成功」が現実になった以上、今後はオリンピック開催地が決定したとたんに、各国で試走の戦術的研究が大規模に行なわれることは間違いない。 特に、その開催地となった国では国家的プロジェクトとして≪高橋モデル≫を戦術レベルで超越するような運動科学研究をはじめるであろう。 あるいは他国にはまったく別のルートを提示しておいて、開催直前になってからトラブルを理由にルートを大幅に変更してしまうということは起こりうることである。 ヒトラーのナチスドイツがベルリン・オリンピックでトラック競技以外のルートや実施方法を競技の直前まで秘密にしておいたことは有名で、ロサンゼルス・オリンピック馬術競技の金メダリスト・西竹一男爵がそのために落馬失格したことは関係者の記憶から消え去らない。 しかし、これはルール違反ではないし、違法でもない。ただ「ナチスドイツがやったこと」として記憶し、認識をしておくことは重要だ。 最近でも冬季オリンピックのスキー・ジャンプ競技で、開催国の民間団体がジャンプ台の風上に小型飛行船を飛ばして、自国選手に有利に風向きを操作し、特に強力なライバル選手の時には、ほとんど無風状態になったということもあった。 これはもちろん世界に同時中継された事実である。 「足が汚れても、スカートさえ美しければ」という戦術論は人間精神の堕落であるが、それに対して何も正論・正言を発しないとしたら、ただの負け犬である。 それは第一に、自分自身に負けているのである。 最初から無責任に「負け犬だっていいじゃないか」ということならば、戦術論はいらない。 しかし、「負け方にも、いろいろある。柔道の受け身のように、うまく負けられるならば」という柔軟な知恵が必要ならば、もちろん戦術も戦略も必要であることはいうまでもない。 どんなに負けても闘う心さえあれば、われわれの戦略学・戦略理論は有効である。 そこから《パターンの超越》は無限に生み出されるであろう。
2005.03.23
日本の伝統芸能である≪能≫には、その開祖の一人である世阿弥の≪序・破・急≫という哲学思想が伝えられている。 これは舞台の上での歩き方なのであるが、「第一歩」という意味が示すように、能樂芸術の隅から隅までが、この≪序・破・急≫という思想で動かされているといっても過言ではない。 ≪序≫はスッと足を半歩前に進めること。 能は舞台芸術であり、台本があり、役者の行動は伝統的な所作によって決められている。 片足を半歩だけ前に出すことも、≪序・Order≫すなわち所作の順番によって、あらかじめ決められている。 しかし、前足をトンと床に落とす≪破・Breaking≫のタイミングは、役者その人の呼吸と、間合いの取り方にかかっている。 芸術を知る人々は、特に音楽においてリズムや間合いの取り方によって、同じ音譜の曲が演奏者や指揮者の個性や考え方で大きく変化することを理解できるであろう。 したがって能役者の独自の解釈や、伝統を超越した自己表現を織り込む無限の可能性が、この間合いの取り方、≪破≫には内在している。 それで≪序についで序を破れ≫というのである。 ≪破ること≫そのものが伝統の一つとして許されているのである。 役者の表現する芸術性や創造性は、まさに≪破≫の部分にあるといってもよいであろう。 したがって、この世阿弥の思想は能楽にはとどまらない。 ハプニングや偶然性で何かを表現するならば別だが、台本や音譜を再現するような芸術分野においては、まさに≪破≫の一瞬にこそ芸術の全てを決定する要素がこめられている。 フルトヴェングラーや青年時代のカラヤンがベートーヴェン交響曲を指揮している古い録音盤を聴くと、まるでワグナーのオペラを思わせる叩きつけるような「タッタカター」という鋭い音が全編の背骨になっているので、「これが本当のベートーヴェンか」と信じてしまうと、趣味は別として音楽の解釈上は危険な場合がある。 これは私もウィーンに出かけて初めて知ったことだが、ベートーヴェン本人が作曲に使ったのは古い型のピアノで、チェンバロに近い音だったから、そのリズムは「タンタラターン」と少し明るいものだった。 ところがカラヤンはヴィバルディもワグナー調でやってしまう。 もちろん、そこにカラヤンの芸術性があり、強烈な説得力と驚嘆すべき創造力があることは間違いない。 これに対して、片足を床に落として、身体の重心を移動して前進し、再び片足を出す姿勢になるのを≪急≫という。 意義としては、≪破≫のタイミングを受けて、もう次に片足を出せるような「変わり身」の態勢になるということだ。 英語でも≪急・Express≫は「PRESS・圧重」を「EX・外れる」というラテン語の組み合わせからできている。 したがって≪序・破・急≫は、能楽の一挙手一投足の合間の中で瞬時に回転しつづけているリサイクルリング・モービルであり、≪魂心の動力≫ともいうべきである。 もし≪破≫の間合いが大きすぎて、≪急≫の態勢がとりづらくなると、次の≪序≫にうつるタイミングを逸してしまって、ボタンのかけ違いのようになってしまう。 カラオケの初心者が、出だしから曲のリズムにのれないで、だんだん演奏と歌がかけ離れていくようなことになってしまう。 ≪序≫でもある音譜上の音階もはずしてしまう。 これが「音痴」ということだ。 中には本当に聞くにたえないものがあるのは事実で、誰しも経験があることだと思う。 それに対してカラオケのうまい人ほど、音階やリズムを大切にして、譜面通りに忠実に歌うところから始めて、だんだん情感をこめた歌い方を身につけていく。 もちろんプロの歌手であれば、この≪破≫、つまりはコブシの回し方を心得ていて、サッと次のリズムにあわせていく≪急≫のコツを存分に使っている。 ここでも≪序・破・急≫という芸術の真理が生きている。 逆にいえば、この≪序・破・急≫というコツやツボを理解できないと、いったいどんなことになるかは、カラオケの歌い方一つにも結果は明白である。 これが国家戦略の問題ということになると、非常に巧みに多くの課題を処理していく方法論ということになるが、その緩急自在のコツとツポが全くなっていない場合には、その国民的な被害は、カラオケの音痴おじさんの迷惑ぶりとは比較にならないのである。
2005.03.23
《左氏春秋》に登場する樂喜という人物は、孔子より少し前の時代、今から二千五百年以上も昔の人物である。左氏春秋・襄公九年(紀元前五六四年)に、宋国の国都(現在の河南省宋丘市)で大火災があり、その時の樂喜の功績が記録されている。 「宋で大火災があった。知事(司城)の樂喜は緊急対策の全権を委任された。まず大夫(地方長官)の伯氏に郊外からの支援体制をまかせ、救援体制づくりを発令した。火事が発生した地点では小さい家は引き倒し、大きな建物にはたくさんの水泥(塗)をかけて延焼を防止した。消火作業に役に立つ運搬用具・工事用具・バケツ類は全て倉庫から引き出して並べさせ、まとめて用意させた。そこで情報を集めて火事の状況を判断し、各地区への配分割り当てを決めて搬送させ、要所要所には消火用水、延焼防止用の土嚢や水泥を蓄積させた。それから樂喜はみずから城内を巡回し、防火作業が手薄なところには増員を指示し、火が進む方向がわかるように表示して、住民をうまく避難誘導させた。また将軍の華臣を消防総監代理に任命して城内の消防部隊(正徒)を統率させ、消防総監には、郊外の住民を臨時救援隊に召集して、火事場に送り込む事務にあたらせた」 古代の中国は、昔の日本のように木造草葺の家屋が多かった。 そこで大きな家屋の延焼を防ぐために、水泥(塗)を用いたというのだが、つまり泥を屋根や柱、外壁に塗りつけたのである。 これは火災の熱で蒸発しやすい水よりも、延焼をくい止めるのに効果的であったと考えられる。 また水泥は遠くの火元にもたやすく投げつけることができた。 もちろん、この当時はポンプが発明されていないので、水を飛ばす装置などはなかった。 現代でも消火用ボンベがない時に、水をかけるのではなく、泥土を火元に投げるのは最も安全で確実な消火方法であるとされている。 油類が発火している時に、不用意に水をかけたら爆発的に燃え広がる可能性がある。 「消火用水がない」といって火災を傍観せざるをえなかった神戸市の消防隊も、この故事を知っていたら、やるべきことはたくさんあったに違いない。 消防署は各家庭やビルなどに設置してある消火器や消火用具のリストを日常管理している。 地域の住民が避難すると、これらは実際に使われずに各所で温存されていた。 それらを緊急総動員すれば、水道が止まるような異常事態にあっても、かなりのことがやれたと思う。 冷静に考えれば、《樂喜方式》は現代にも通じるはずである。 戦略学、あるいは経営学の立場で、この故事から学ぶことは多い。 特に「人」の問題。樂喜という指導者には、大火災の時に自分自身が何をなすべきか、何から順番に着手すべきか、誰に何を依頼し、何を命令するか、全ての戦略オプションが頭脳の中にハッキリとイメージングされていた。 これこそが大火災を防止するのに決定的な役割を果たしたのである。 そして驚くべきことに、城内の消防体制づくりと同時に、郊外の住民を動員した救援体制づくりも最初に着手していることである。 したがって、どのような事情があったにせよ、兵庫県知事は携帯電話で自宅からでも内閣あるいは防衛庁に直接、自衛隊の救援要請をおこなうべきであったし、公用車とか局長会議を待つべきではなかった。 一秒一秒ごとに人命が喪失しつつあった非常時において、その通常の行政手続きの「意識の壁」を打破することができなかったのは、まさに指導者本人の問題であったと言わなければならないのだ。 私は、神戸市長と兵庫県知事、そして当時の内閣総理大臣・内閣官房長官・国土庁長官を、すべて「業務上過失・遺棄致死」で刑事告訴したいものである。 古代の樂喜も、政治経営は「人」の問題であると考えていたようだ。 それでおそらくは儀式的な訓練しか知らなかったであろう消防隊長(遂正)を更迭し、隊長代理に歴戦の将軍である華臣を指名して任命したのである。 華臣は火災よりも悲惨な戦場で、まさに「刻一刻に人命が喪失する」という修羅場の経験を何度もくぐり抜けて、宋軍を指揮してきた抜群の人物であった。 当時の宋国は、南方の強国・楚の事実上の属国であり、楚の領土拡大戦争のために自国とは無縁の地域に遠征することが多かった。 したがって遠征地でも、属国の宋軍は楚軍から差別待遇され、不利な扱いも受けたであろう。 華臣はそんな宋軍を敵軍からも、味方の楚軍からも守り抜いてきた将軍であった。 こうした経験を持つ人物に非常時の才能を発揮させることができたのは、樂喜が「人」を知り抜いた指導者だったからである。 兵庫県や神戸市は、「いざとなったら救援してもらうパートナー」として、周辺の自衛隊駐屯地の幹部職員と交流していたであろうか。 自衛隊を「旧大日本帝国の軍国主義の尻尾」などと軽蔑して、会合で制服自衛官と同席をすることさえはばかるようなことを誇らしくカン違いし、《平和宣言都市》などという手前勝手な自己満足の世界に閉じこもっていたのではないだろうか。 そのような、ありもしない迷妄の積み重ねが、つまるところ多数の生命を犠牲にしてしまった根本の原因なのである。 ミカンの皮は指でむけるが、りんごの皮は指ではむけない。 ナイフを使うか、皮ごと歯でかぶりついて食べるしかない。 「雨が降ったら傘をさす。傘がなければ雨やどり」ということは簡単に思いつくではないか。 それが≪天地自然の理≫なのである。 これは松下電器を創業した松下幸之助翁の造語なので、わざわざ言い換える必要もないと思うが、私自身が経験したり、いろいろな立場で見聞した範囲でも、あらゆる失敗の本質は、多くの人々が考えるように「運が悪かった」というわけではなく、このような≪天地自然の理≫に反しているからだと言い切ることができる。 三国志の時代、長江中流の夷陵で、年老いた劉備の蜀軍と、年若い陸遜の呉軍が対陣した時、大軍を率いる劉備は陸遜を侮り、百キロに及ぶ街道筋に四十以上の陣地を構えた。 陸遜はあえて戦おうとせず、猛暑になる時期を待った。 夷陵は山が迫り、長江が流れていたので、猛暑の季節になると兵士たちは陣地の中で渇水に苦しみ、帷幕(テント)の中で蒸しあげられた。 普通の軍師がいれば、そうなる前に軍を分け、いろいろな方向から進ませて前後左右から敵陣を突くのであるが、それができなかったのは、劉備が関羽と張飛を相次いで喪失したばかりで、配下の武将たちを直接統治することに自信がなかったからであろう。 計略によって関羽を討ち取った陸遜にはそれがわかっていた。 やがて劉備は慈愛の心を動かされて、猛暑の被害から逃れるために、各陣地を河川の側や山麓の山蔭、森の近くなど居心地の良い涼しい場所に移動させた。 しかし、「背水の陣」という言葉があるように、これらの場所は、敵軍から奇襲攻撃を受けた場合は、たちどころに窮地に追い込まれ、逃げ場を失ってしまうと≪孫子兵法≫にくりかえし明記された地形である。 それでも劉備は、敵軍が攻めてこないので安閑としていた。陸遜は劉備の人格から、そうなることも予測して奇襲のチャンスを待っていたのだ。 陣地の配置図を受け取った諸葛孔明は「このような軍略を建策した人物は誰か。直ちに斬り捨てよ」と憤激したが、劉備本人のやったことだとわかると、すぐに敗戦処理の措置に没頭したという。 同じく戦地の情報を入手した魏では、曹操の長男の曹丕が「劉備は負けるぞ。さっそく東呉に兵を出せ」と命令した。 これも劉備が深い計略もなく、兵法のタブーを破っていることが明白であったからである。 今から二千五百年ほど前、春秋時代の思想家、墨子は次のように述べている。 「王侯貴族は賢明な人々が多い。だから技術もない自分の息子やお気に入りの人物には特別な修行もせずに料理をつくらせたり、品物をつくらせたりはしないだろう。それは料理の素材や、品物の材料を台無しにしてムダにするのを惜しむからである。ところが同じ人が地位とか権力という話になると、特別な理由もなく、自分の息子やお気に入りの人物に肩入れしようとするのはどうしてだろうか。世の中の地位や権力は、料理や品物よりも価値のないものだと思っているのだろうか。世間のいわゆる学者先生たちも小さいことにこだわって、大きなことはわからないとみえる。世の中のことがうまく運ばない理由は結局ここにある。だから私はこの世の中がサカサマだと言いつづけるのである」と。
2005.03.22
「危機管理」という言葉は、湾岸戦争の時にはじまり、阪神淡路大震災のころから、一般にも流行した言葉である。 何か大きな事件が発生した時に、当局が初動の対処を誤ると、「危機管理がなっていないじゃないか」と非難の声があがる。 しかし、非常に残念なことであるが、「あなたの言う危機管理とは何ですか」と反問すると、ほとんどの人々が「危機管理」の意味がわかっていない。 市ヶ谷に行こうとしている人が、市ヶ谷が東京都内のどこにあるか知らなかったら道に迷うばかりである。 そのように危機管理が何であるかを本当は知らない人々が「危機管理はどうなっている」と感情的な非難をしているのは、本当に奇妙な光景である。 ここで私は、《天地自然の理》という考え方を使う。これは別に難しいことではない。 天は上、地は下、水は上から下に流れる、雨が降ったら傘をさすといった当たり前のことが、非常時には頭が混乱してわからなくなるのである。 そこで非常時に指導者が冷静な判断を下すために、必要な平常心を具体的な形にすれば、≪天地自然の理≫となるのである。 もっと生々しい具体的な例をあげよう。 阪神大震災の時、神戸市は市長が市庁舎に丸一日不在だった。 そこで地震の後、二時間ほどで出勤してきた課長以下の幹部に不幸にも緊急かつ重要な判断が押し付けられることになった。 その後に市内全域で大火災が発生することになったが、その最大の原因は地震の後に都市ガスが停止しなかったこと、逆に水道がストップしてしまったことである。 ガス会社は市役所から停止の要請が来るのを待っていたが、市役所の幹部は「今は自分には判断ができない」と何度も回答を拒否していた。 ガス会社も冬の寒い時にガスの供給を停止すると、損害賠償が発生するから、市役所の上からの要請を待っていたのである。 こうしてお互いの責任逃れと押し付け合いで時間が過ぎ、その間、ガスは市内各地のガス管の亀裂から勢いよく噴出していた。 火災が燃え広がってから、その事実を知った大阪ガスのトップが自社の判断で停止したのである。 しかし、時はすでに遅かった。 倒壊家屋の下敷きになった多くの人々が、救出の手も差し伸べられないまま、あの大火災で焼け死んだのだ。 どうしてこんな非常の時に当たり前の決断が下せないのか。 それが非常時なのである。 人々は災害と被害を目の前にすると、重大な責任を回避し、逃げ回り、何でもないような決断さえ躊躇してしまう。 そこで瞬時に出すべき決断を、まるで平常時のように「明日までに検討しよう」という感覚になるのである。 責任を回避し、決断と実行を遅らせる結果がどのような残酷と悲惨をもたらすものか、想像さえつかなかったわけだ。 特に神戸市の水道局が水道を直ちにストップしたのは、まさに≪天地自然の理≫に逆行するものであった。 その理由はといえば、「大きな地震の時には、水道を停止して、水道管の亀裂や破損の状況を点検調査してから、水道供給を再開する」という業務マニュアルがあって、それで何度も平常時に災害訓練を重ねていたからである。 ここで気がつくことは、その災害マニュアルそのものに重大な欠陥があったこと、すなわち、水道局内部の施設の問題や組織の御都合だけを考え、水道局の想定に反するような都合の悪い事態は起こりえないと《捨象》されていたことだ。 この一点こそ、われわれは深く追及しなければならない。 そのために、大きな地震の後には必ずといってよいほど火災が発生し、緊急に大量の水道供給が必要になるという、少しばかり冷静に考えれば、ごく当然の事の成り行き、つまり天地自然の理を全く想定していなかったことになるのだ。 タンクの穴は上のほうにあっても満水になると漏水の原因になる。 目前の危機が深刻であればあるほど、対応の甘さや事前の想定ミスは破局的な結果をもたらすことを、われわれは肝に銘じなくてはならない。 水道停止の判断を下した水道課次長は、地震発生から六時間を経過した昼ごろになって、市内各所から「どうして水が出ないのか」という苦情が殺到していることに憂慮した部下から事実を指摘されて、やっと自分の思い誤りとマニュアルの欠陥に気づいたらしい。 しかしながら、部署の担当課長が昼過ぎに会議に出てくるまで、次長は自分の判断の撤回はしなかった。周囲の部下はこの人の行動をすべて見ていた。この人は数日後に、自責の念から自殺したが、勝手に死ねばいいというものではない。 ≪天地自然の理≫からすれば、神戸市民は無数のガス管の破裂と、道路下の水道管の破裂と、どちらが選んだかがあのような非常時にもわかったはずだ。 消防局も「水が出ない」ということで立ち往生していた。 住民が「川の水を使って消火してくれ」と要請をしたが、「ドブ川の水を家屋にかけたら、後の始末が大変になるから」ということで、それは実現しなかった。 そんな水カケ論ばかりして動けないでいる間に、火炎は燃え広がり、商店街すべてが焼きつくされたのである。 普通は防火用として貯えてあった小学校のプールの水も、一滴も使われなかった。 その理由は、プールは小学校の校舎の防火用に冬でも水をはってあるのであるから、近隣地域の民間の火災で使用されるのは困るというのだ。 そんな愚かな理屈を言っている担当者も、自分たちが実際に罪深い責任逃れをしていることはよくわかっているようであった。 こんな絶望的状況に追い込まれたのは、確かに「大火災時の水道停止」という明らかな人災による異常事態の結末に他ならない。 しかし、私が思うに、最大の原因は最高責任者が不在で、各部署が独自の判断を下してしまったことにあると断定せざるをえない。 全責任を負うべきなのは神戸市長であり、兵庫県知事である。 地震直後に女性の市長が、自転車で市庁舎に駆けつけて、職員全員に緊急召集をかけた芦屋市内では、深刻な火災は起きていない。 地域の消防団が地震直後から活躍した淡路島でも土砂崩れは起きたものの、大きな火災は起きなかった。 これが全てを物語っているであろう。 指導層がちゃんといても、やはり非常時に≪天地自然の理≫に反する判断を下していると失敗する。 最初に紹介した日露戦争の旅順要塞攻撃であるが、第二次総攻撃の時点で第三軍参謀本部はロシア軍が機関銃と手榴弾を使用して、日本軍は連隊が全滅するような被害を出していることにも、もちろん気がついていた。 けたたましく突撃ラッパを吹くことが、敵軍に攻撃を事前に知らせる逆効果を生じていることも発見していた。 もっとも、最初からこんな簡単な理屈がわかっていれば、死傷者の犠牲は相当軽減できたであろうが、それは人事担当者が作戦参謀のメンバーの人選を誤った結果だと言わねばならない。 彼らはいくつか機関銃の実物も捕獲して、試射も行なっていた。 そこで参謀たちが出した結論はこうであった。 「機関銃の性能から考えて、一つの機関銃は十人以上の兵士の一斉射撃には及ばない。したがって、各部隊が攻撃目標を集中し、十字砲火を浴びせて勇猛に突撃すれば、機関銃は問題とはならない。要は将兵の敢闘精神である」 それで第一次攻撃のように波状的な突撃をくりかえして、失敗したのである。 ロシア軍の兵士が機関銃を仁王立ちして射撃していたら、この計算は当たっていたであろう。 しかし、ロシア軍は二百メートル以上の丘陵の上に、セメントで固めたトーチカ(永久堡塁)を建設し、その小さな銃眼から機関銃を撃つのであるから、百人の部隊が村田銃のような鉛管弾の旧式のライフルで、一つの銃眼をめがけて一斉射撃しても相手を倒すことなど不可能であった。 「銃眼」というものは、戦国時代末期に建設された皇居の桜田門にもあるので、当時の作戦参謀たちが全く知らなかったとしたら、亡くなった兵士たちも浮かばれまい。 見るに見かねたイギリス軍の観戦武官が「前線の兵士には鉄板を持たせて、機関銃による無駄死には回避すべきだ」とある参謀に耳打ちしたので、第三次総攻撃には一部の部隊で鉄板の配布がおこなわれたが、それでも全部隊には行きわたらなかった。 第三次総攻撃の口火を切ったのは、全員志願兵による「白襷隊」の夜襲突撃であったが、夜間攻撃であるにもかかわらず、その名前の通り、身体に白い幅広の襷を十字にかけていたので、暗い闇の中でも非常に目立つ格好をしていたと思われる。 特に急所の心臓には、襷の十字が当たっていたので、ロシア側にしてみれば、まるで大きな標的が歩いているようなものだったであろう。 この時の作戦立案担当者は「相手がどう見るか」という想像力も枯渇していたのである。 売れないスーパーマーケットで、「お客さんがどう見るか」という配慮もなしに、しおれたホウレン草を「新鮮野菜」のラベルをつけて定価で陳列するようなものである。 もともと無謀な突撃作戦であったが、情状を酌量をするとすれば、この当時の人々は迷彩服のようなカモフラージュの必要性は知らなかったし、江戸時代の武士の伝家の甲冑のように、国家から支給された正規の軍服を脱いで戦死するのは恥辱だと考えていたのであろう。 白襷隊は突撃後に、数時間でロシア軍に発見され、照明弾と探照燈(サーチライト)を浴びせられ、たちどころに大多数が絶命し、殲滅された。 ロシア側に発見された時、現場責任者の部隊長本人が臆病風のために、真っ先に「探照燈だ。伏せろ、伏せろ」とヒステリックに大声をあげたのも失敗であった。 すでに第二次攻撃において突撃ラッパをやめた理由が、この人物には全くわかっていなかったのだ。 伏せるにも身を隠すことができないところなのだから、さっさと移動すれば、その場の死傷者も少なくなったかもしれないのに、伏せたままだったから、丘の上から串刺しのように機銃掃射を浴びたのである。 兵士たちは、このトチ狂った上官の無意味な絶叫のおかげで、生命を奪われたも同然である。 しかし、この部隊長は負傷して帰還し、その英雄的な行為で賞賛され、勲章を受け、少将から大将まで昇進した。 後に東京市内で、小さな子供を馬車でひき逃げし、たまたま現場にいた大蔵省専売局長浜口雄幸(後に首相)の夫人が、抗議にも立ち会ったので、再び汚名を歴史に記録されることになったが、このことからもこの人物の存在が国家にとって有害無益であったことがわかるのである。 この当時に、ロシア側にもなかった鋼鉄製のヘルメットの支給はムリだったとはいえ、横になって機銃掃射から身を守る1メートル四方の鉄板が、もっと早く事前に全部隊に配布されていれば、旅順要塞の攻撃にこれだけの犠牲は出なかった。 これを簡単に考えれば、「雨が降れば傘をさす」ということなのだ。 知ったかぶり野郎が、言葉だけ「危機管理」などとノウハウ知識で突っ走ってもダメだ。 現場を指導するには、遠くの親戚より近くの他人を頼り、明日のケーキよりお昼の握り飯を心配し、現実・現地の事情を洞察・斟酌して瞬時に決断することだ。 この極意とは。 素直な心。
2005.03.22
このように戦略問題を解説していると、やりたい放題のように誤解される恐れがある。 このことはキチンと交通整理しなければならない。 よく言われる謀計や詐術は、戦略問題では何だか当然のことのように取り扱ってしまいがちだが、私はあえて否定する。 そして、悪は一つの「戦術」でありうるとしても、大きな善が戦略でなければ、その悪ゆえに全体が大義名分を喪失してしまいかねないことを厳しく指摘しておかなければならないと思う。 ここでも、「戦略レベルの失敗は戦術レベルでは取り返しがつかない」という公理が適用される。 戦略レベルに偽悪が介在すると、戦術レベルでどんなにイメージ・アップのPR活動をしても最終的には過去の悪行の記録がどんどん暴露されて行き詰まってしまう。 この点で雪印食品・三菱ふそう・三菱自動車・国土計画などの一連の大企業スキャンダル事件は、経営倫理という観点ではなく、 「消費者の無知と無関心につけこんで、ラベルやデータを書き換えて代替品や不良在庫品や粗悪品を売り込んで利益をあげる」 「消費者サイドを無視して、多数の人間組織を支配し、その権勢の増殖をはかる」という犯罪行為・社会的背信行為そのものを通常業務の範疇としていた組織的な「悪の再生産サイクル」の典型として批判されるべきである。 大義名分をうしなった人々は、存在すら許されない。 つい先年までは、雪印の社員章をつけて街角を歩いたり、あるいは雪印のマークをつけた運搬車が街中を走ることすら、一般大衆の非難の眼と、遠慮会釈のない罵声にとりかこまれているのである。 今では、大手町すら三菱の社章をしているサラリーマンを見かけることは少なくなった。そのかわりに社章ではない丸ビルのバッジをつけている人はたくさんいる。やはり人間だよな。 オフェーリアや屈原のように清純潔白なままで入水自殺することも、決して人生の失敗ではなく、一つの注目すべき生き方を強烈に表現する意味において実績と成功を勝ち得ている。 もちろん、自殺行為や自滅を美化するような「滅びの美学」は戦略問題では言語道断である。 しかし、人間の出処進退や、人生の意味を考えることは人文社会科学の一つとして、決してムダではない。 一方でオフェーリアは自殺するくらいなら、本当に死んだ気持ちになって恋愛に全てを投げ出してみるべきではなかったかとか、屈原は宮廷から逃亡して自殺せずに、政敵と刺し違えても粛清クーデターを起こすべきだったということは一面では考えられる。 しかし、それは「文学的な忖度」というものだ。彼らの死に多くの人々が同情を寄せるのは、彼らが清純であったからである。 したがって謀計や詐術は、まことにやむをえず戦略問題に入ってくるし、ライバル側が自分たちの悪行に自問自答するようなヤワな善人だという保障は何もない。 しかし戦略問題は、成功しても失敗しても、その実態が後になって上下左右から鋭く切り刻まれ、批評の土台に載せられることを覚悟しなければならない。 「成功の理由は何か」とか、「失敗の理由は」と問われたとき、質の悪い謀計や詐術は、決して胸をはって説明できることではないであろう。 わかりやすい大義名分を立て、真善美を戦略とし、正義と正直を戦術とすれば、これが最も上策であることは間違いない。 長期的なビジネスや定住型の組織を経営する場合、謀計や詐術は自分の信用を傷つけることになる。それはまるで自分の経歴や過去、社会的立場をごまかして結婚をするようなものである。 そのような「ウソ」の結婚はたちまち破綻する。 よく芸能人の結婚や離婚が話題となるが、虚栄や虚飾に満ちた結婚生活ほど、すぐ破綻しやすいということであろう。 これが離婚が禁止されて認められなかったり、男性優位で女性の人権が全く認められていない場合は、虚栄と虚飾が全てを支配することになる。 日本のビジネス社会も、「赤信号、みんなで渡ればこわくない」という一面があったことは事実である。しかし、東京周辺でみるかぎり、もうそんな時代は終わったと考えていいだろう。 そのような暴威を振るった社会悪が、だんだん一つ一つ引きずり出されて、ギロチン台にのせられ、公開処刑されつつあることは、好むと好まざるとにかかわらず、社会の進歩と言わなければならない。 われわれは過去の社会悪をスタンダードとすることなく、新しい現実New Realitiesを常に発想の基盤としなければならない。 逆に短期的な商売の儲け話や住所不定のようなビジネスは、信用を傷つけるような行為をしても何も制約がない。だから、このような類の商談は、まともなビジネス社会から相手にされないと考えられてきた。しかし、バブル経済以降、こうした考え方は常識として通用しなくなってきている。 もし、あなたが社会の改善と進歩を希望するならば、最善の道を選ぶべきである。 しかし、もし、あなたが社会が転覆することを望み、無関係な人々をまきこんで不幸に突き落としても自分だけが栄えようとするならば、最終的な破滅の道だけが約束されるのである。
2005.03.21
私が学生たちと、牛丼チェーン店に入った時のことである。 「何でも注文しなさい」と言ったら、ある学生は、牛丼とトロロと生卵を注文してしまった。 「これは組み合わせが悪いなあ」ということに、彼が気づいたのは後の祭りであった。 しかたがないので、牛丼から牛肉を引き上げて生卵とまぜ、すき焼卵のようにして、トロロをドンブリの白飯にかけるようにさせた。 学生たちは喜んで言った。 「さすが戦略家の発想は違う。」 私は苦笑した。 「またつまらないもので知恵を使ってしまった。」 こんな簡単な実例で、キッシンジャー博士のリンケージの方法論を思い出すのは適切ではないかもしれない。 が、要するに組み合わせを整理すれば、バラバラに見えるものにも順序や相互作用をうまく演出することができるのである。 その原理は、ニュートンの自然法則のように、あらゆるケースに適用できるのである。 「牛丼」という最初のテーマでは、牛丼に生卵をかけると、トロロが余り、牛丼にトロロをかけると、生卵が余る。 生卵とトロロを一緒にすると、好きな人もいるだろうが、これはあまりいただけない。 そこで「牛丼」を白飯と煮込み牛肉に分割して、それぞれに組み合わせを整理したわけだ。 これと全く同じ形式のブレイク・スルーの方法を、われわれは外交問題に使うことができるし、商取引の営業などにも応用することができる。 戦略的な思考は、あまり大きな仮想実験で勉強するよりも、日常の思考の中に判断力を高めていくことが自分自身の修練になると思う。 これは柳生流や宮本武蔵、山岡鉄舟などの武芸者の奥伝にも説かれており、また臨済禅の開祖・臨済義玄の《臨済録》も日常の思考を活殺自在の場と考えることをすすめている。 休みなく知恵を働かせるという習慣によって、人間は生き方も行動も大きく成長できるという考え方である。 このようにキッシンジャーの方法論で最もユニークなのは、いわば「政治の一般相対性理論」ともいうべき基本的哲学であろう。 「牛丼」という一つの見方にこだわっていると、偉大なブレイク・スルーは生まれないのである。 たとえば、あなたの前にディナー・コースの最後に、バニラ・アイス一玉と熱いコーヒーが運ばれてきたとしよう。 つまり、二者択一の課題である。 ゆっくりとアイスを食べるのを優先すると、コーヒーは冷めてしまう。 ゆっくりと熱いコーヒーを冷ましながら飲んでいると、その間にアイスはとろけてしまう。 どちらをとるか。 ここでアイスクリームをコーヒーに浮かべて、ウィンナ・コーヒーにして楽しんでしまうというリンケージ・オプションが出てくれば、それがブレイク・スルーになるのである。 このリンケージを考えるとき、もちろんウィンナ・コーヒーについて知識を持っている人は良いのだが、そのことは知らなくても独自のセンスで、「こうすればおいしいじゃないか」という想像がつけば、リンケージの問題としては正解だといえる。 広い知識でも、独自のセンスでも、同じ回答が出れば、リンケージとしては成功なのである。 戦略問題で重要なのは、戦略の立案者本人が、知識もセンスも両方を磨いておくことが、よりよいブレイク・スルーを得られる可能性を高めるということである。 限りのある知識だけでは必ず失敗するし、独自のセンスだけで、どこまでもまぐれ当たりで勝ち進めるはずもないのだから、実践の中で両方を鍛錬する以外に道はない。 独自のセンスを鍛えれば、一つの知識を何倍に増幅して解釈することもでき、新たな知識欲もわいてくるものである。 「核兵器はかなりの距離から正確に(ミサイルで)到達させることができるようになるので、主要な核戦略部隊を戦闘地域に進出させる必要はなくなると思われる。さらに重要なことだが、これまで制空権と考えられてきたものを手に入れる唯一の方法は、敵の中距離ミサイルと大陸間ミサイルの大半をやっつけることである。このような作戦は、戦争を限定しようとする試みと調和させることが難しくなるだろう。」 この予測をもとに、キッシンジャーは核兵器が限定戦争の具として使われることにパラドックスを提起した。 それ以前まで、核兵器は爆弾であり、広島や長崎のように爆撃機で搬送されるものだと考えられていたので、制空権が絶対の要件であった。 核爆弾を搭載した爆撃機が敵側の戦闘機に取り巻かれて撃墜されるとしたら核兵器は自爆してしまう。(奇しくも、これが『終戦のローレライ』のテーマになるが) したがって、核兵器を使用する前に制空権を確立する戦闘があり、核兵器を使用する範囲も全く限定的なものであった。 ところがアイゼンハワー政権で、いわゆる「スプートニク・ショック」以後、核兵器はロケットによって、世界のどこにでも無制限に落下することができるという技術的な可能性が生じてきた。 この新たな現実に、ただちに対応したのがキッシンジャーのような若手研究者だったのである。 それまでキッシンジャーはスプートニク以前の環境で、「先制核攻撃の準備が核抑止力となる」という理論に基づいて、核兵器を装備した米軍部隊を世界各地の米軍基地に展開する政策を支持していた。 スプートニク・ショック後、彼は理論の基礎が崩壊したことを宣言し、米ソともに核兵器が実際には使用できない環境において、通常兵器の範囲内で限定戦争が発生すること、特に米ソ双方の領土を離れた地域で、軍事衝突と紛争が起きることを予測した。 したがって、キッシンジャーは結論として、 「限定戦争能力と通常兵器の軍事力を同時に再建しながら、きわめて重要な軍備管理交渉に乗り出すこと」が国家戦略となるべきことを主張したのである。 この明快なドクトリンが、ケネディ政権の戦略問題研究のために最高の執筆陣をそろえた、1960年の本に書かれていることは本当に新鮮な驚きだ。 われわれは普通、「私は結婚しない」という独身主義者の話を聞くと、オフェーリアのように尼寺に行くようなことは考えない。 むしろ複数の恋人を次々にとりかえるような無責任な遊び人を想像するかも知れない。 国際政治は、まさに反オフェーリア的な世界で、「結婚しない」ということは「結婚相手を限定せず、いろいろな人と交際する」という言葉と同義である。 「核兵器を制限する」という条約は、現在保有されている型番の古い核兵器の数をスクラップするという内容であっても、新型の核兵器を配備したり、核弾頭を搭載する別のミサイル兵器を開発することを制限しない。 契約内容を有利かつ無制限に解釈できるような余地を、それとなく忍び込ませて交渉事をすすめるような方法は、古代ローマ時代からくりかえし行われてきたものであった。 日本では、このような訓練はほとんど正式に行われていない。手形のトラブルに巻き込まれないために、ちょっとしたケース・スタディで勉強する程度であろう。 キッシンジャーがニクソン政権でSALT(大陸間弾道ミサイル制限条約)に付加したABM(大陸間迎撃ミサイル)制限条約は、まさに「結婚はしないが、恋人はどんどんつくる」という定理に基づくものである。 彼はミサイル時代において、「これまで制空権と考えられてきたものを手に入れる唯一の方法は、敵の中距離ミサイルと大陸間ミサイルの大半をやっつけることである」と考えていたが、これは当時、技術的に相当制限があった。 ミサイルの弾道を瞬時に、正確に計算して予測することは、当時のレーダーとレシプロ・コンピューターをつなげても不可能であった。 しかもソ連の領土とアメリカ本土は、北極圏をはさんでサンドイッチの関係にあり、爆撃機が飛べないような極北の環境も飛び越えて、大気圏を突き破る大陸間弾道ミサイルは発射から一時間以内に北米主要都市に到達することが可能であった。 したがって、本格的な核戦争が始まったら、迎撃ミサイルはほとんど役に立たないし、超音速で飛行落下する弾道ミサイルを撃墜する迎撃ミサイルそのものを開発することも不可能であったにちがいない。 さらに半導体の歴史から見ても、高温下で電気特性が変化してしまうゲルマニウム・トランジスタを使っていた当時のアメリカの誘導ミサイル技術は失敗が約束されていたようなものであった。 アメリカがこの分野でようやく成功をおさめることができたのは言うまでもなく、高温でも安定性があるシリコン・トランジスタが量産されるようになったからである。 以上のことを検討すると、どのように考えても、ニクソン政権のキッシンジャーがABM(大陸間迎撃ミサイル)を現実のものと考えていたとは、われわれには信じられない。 しかし、これがキッシンジャーのすごいところで、彼はいわば実在しないABM技術を、堂々と交渉のテーブルにのせることで、これを現実のものにしてしまった。これが「キッシンジャー・トリック」なのである。 「アメリカはABM技術を実戦配備する用意がある」という触れ込みで、ソ連側から譲歩を引き出したのである。 そして条約が締結されると、実際にABMをモスクワ周辺に配備したのはソ連で、アメリカは北米防空司令部(NORRAD)をロッキー山脈の地下に移した。 つまり迎撃ミサイルの保護に頼らなくてもいい場所に司令部を移動することが、迎撃ミサイルの命中に全てを依存するよりも、安全性が高く、予算措置としても安上がりであることが最初からわかっていたからである。 ソ連軍部はこうしてまんまとだまされたのであった。 今日、アメリカは誘導迎撃ミサイルとして、湾岸戦争で有名になったパトリオット・シリーズを実戦配備している。これと日本のGPS(位置確認衛星システム)技術の発達がめざましいことから、日米の技術だけでABMは実現できる水準に達しつつある。 先年、韓国で北朝鮮の潜水艦が座礁して、乗組員が全員自殺するという事件が起きたが、その艦内から日本製のGPS装置が発見され、「技術流出か」と話題になった。しかし、よく調べてみると、そのGPS装置は写真で見ても、かなり大型であった。 そこでわれわれは簡単に事態を理解できた。 今日、最新鋭のGPS装置は腕時計にも組み込まれているし、新型の携帯電話にも使用されている。つまり、ワンチップ型のGPSである。 これを北朝鮮に持ち込んで、軍事利用することは、なるほど容易なことである。しかし、潜水艦の場合には電源が続かない。 またワンチップ型のGPSを軍事用に転用するには、海図などを電子化して、GPSソフトウェアに組み込む必要がある。 北朝鮮には、そうした技術が未だない。 したがって、彼らが取り扱うことができたのは、通常の電力で連続作動する初歩的なカーナビ部品の改造だけだった。 そのことが潜水艦内部の検索で明らかになったとき、韓国のみならず、中国の軍事関係者も北朝鮮軍の実態について、ある種の感慨を禁じえなかったのである。 それでも北朝鮮は、あのように韓国の沿岸まで最新鋭の特殊潜水艦を持ち出して、自分たちの軍事的実力を誇示しようとしたのであった。 現実には、それは前世紀の遺物のようなものだったが。 北朝鮮の人々は、きっと恥をよく忘れる特質があるのだ。 町の道端に行き倒れの餓死者が横たわり、汚ならしい子どもたちがあちこちを走り回り、そんなことを無視していても、どうしようもなく貧しくて衣食も足りない社会環境に育った彼らに、そんなまともなことを要求することはできない。 わが国も、そのような敗戦の混乱の一時期を経験しているのだから。
2005.03.21
「戦略ブーム」とか「戦略ばやり」という巷の声を聞いて久しいものがある。 これはバブル時代に盛んに唱えられたもので、テレビの若い女性レポーターが年輩の経営者に「あなたの会社の戦略は?」と平然と問いかけ、相手が目を白黒させるという御粗末な有様であった。 その若い女性レポーターは別に多数の有能な経営者たちと長時間のインタビューを重ねて、その道の百戦錬磨のキャリアをもった人ではありえない。それどころか貸借対照表や人事組織について特別な勉強をしたわけでもない。 それでも知ったかぶりで、ポンと「戦略」という言葉を持ってくる。それだけでも十分に笑えるのだけれども、年配の経営者の狼狽ぶりは笑いごとではない。 バブル崩壊の後に、その会社は跡形もなくなってしまった。 それどころか、西武やダイエーが今日、こうなってしまうと、当時は誰が想像しえたであろうか。 日本の企業の大部分が「景気が急激に減速してバブルが崩壊したら、わが社はどうするのか」という危機意識とその発想そのものを持ち得なかった。 「愚か」と言えばそれまでだが、当時の多くの識者とか評論家と称する人々が、(閣下の知り合いの大学教授も含めて)「この景気はいつまでも続く」と盛んに発言していたことは事実で、バブル崩壊に突入しても「まだ日本は大丈夫だ」というぬるま湯のような考え方に浸っていたのである。 そのフィードバックが今日の日本経済である。 これについては多弁を要しないであろう。 その悪影響を最も受けているのが、お父さんが中高年のリストラ対象になって、失業した家庭であったり、就職率が極端に低くなって四年生大学生より内定が取りにくい女子短大生であったりする。 私事で失礼だが、私は日本新党に結成から参加して、細川内閣の時にはかなり政策決定にも関係をしたので、その時に大蔵官僚総当りの抵抗で、いわゆる「福祉税」騒動のために減税政策と税制改革が果断に実行できなかったのが実に残念でならない。 不良債権の問題も、あの時に制度として完全なルールを作っておけば、現在のような大きな政治的混乱になることはなかったであろう。 それから日本がとった政策方向はご存知の通りに消費税の増税であった。 これで日本経済は株式市場とともに崩壊する運命を歩み始めたといっても過言ではない。 それでは猫も杓子も「戦略」といっていたバブル時代の「戦略ブーム」はどうなったのか。 何の役にも立たなかったのか。 その答えはYESである。 それどころか、「戦略」という勇ましく聞こえる語感に惑わされて、さらに多くの人々が詐欺まがいのキャッチフレーズにだまされ、大きな損害を受けたのである。 ある有名証券会社は、バブル崩壊が続いている中、投資信託の《戦略ファンド》という金融商品を売り出したが、これは非常に良く売れて証券会社の好業績につながった。 しかし、その時点から株式市場は半分以下に大暴落しているのであるから、ほとんどの人々が間違いなく大損害を受けたであろう。 それで《戦略》と称している投資信託の内容といえば、ほとんどがコンピューターによる大量の自動売買に頼っている半面、他者の投資信託も同じようなソフトウェアで大量の売り買いを動かしているのであるから、実は独自の「戦略」といえるようなものは何もないのである。 「証券ストラテジスト」という人々はたくさんいるけれども、これは「相場師」という俗な日本語を、証券行政官僚の天下り財団が国家試験の認定をつけて、もったいぶって言い換えただけに過ぎない. 一つの会社の投信ファンドの買いが入ると、一瞬遅れて他社も一斉に動くという場面がしばしば株式市場で見られるということは、これは「戦略ファンド」ではなく、「お天気ファンド」とか「日和見ファンド」という命名が妥当かつ正確であろう。 特別な情報の入手はインサイダー取引の規制があるし、投資信託の成果は平等に分配されるので、特別な利益のために特別な労力をつくす知恵袋も情報源もいない。 これでは前後左右にゆれるだけで、上がったり落ちたりするダルマの徒競走のようなものではないか。 本当に証券ストラテジストといえるのは、投資信託の大量買いが入った時に、いつも反対に最も安値で仕入れたストックを短期間に売り抜けて大儲けする一匹狼のことだ。 私は今、全国の地方自治体の第三セクター事業の実態調査を、ステディかつ厳格で、定期的な監査制度に組み入れるために、国家と地方のあらゆる公的会計を強制的に標準化し、包括的な連結決算制度に再編成することを内閣府および財政諮問会議に提言している。 そこで判明したことはほとんど全国の地方自治体がバブル崩壊後の不景気の状況を十分に承知の上で、「○×リゾート」とか「△◇センター」といった奇妙奇天烈な名前の第三セクター組織に、さまざまな理由をつけて全くのお手盛りで巨額の公的資金を投入していることである。 そして、このように普通の常識では採算が取れないことが分かりきっている事業が、「やがて訪れる景気回復によって採算性は確保できる」という架空の前提に基づいて血税を惜しげもなく使って維持され、その経営責任を回避するために現在でも見直しもなく事業継続されていることである。 ここでも「戦略、戦略」という空しいキャッチフレーズが、実際に戦略学を学んだこともない人々によって唱和され、その「戦略」が実際に何を意味するかをも知りえない人々を誘惑したり、「バスに乗り遅れるな」と強迫してしまう構図が診て取れるのである。 このようなマイナス面を強調すると、皆さんに「戦略学は役に立つのか」という疑問が湧いてくることはもちろんであろうと思う。 しかし私は「戦略といえるようなものが何もない」のに、「戦略、戦略」と太鼓を叩いて回っているディレッタント(門外漢)は、政治家であろうと、詐欺師だと断言してはばからない。 その人々の実の姿といえば、つい子供のように調子に乗って「戦略、戦略」と言っているにすぎない。 詐欺だのウソと申し上げると、極端な表現になるけれども、《戦略・ストラテジー》という術語が不当に誤用されているために、多くの人々が不利益や大損害を受けているのが日本の現実なのである。このような現実のありさまから出発することは、あるいは学問として実に不幸な旅立ちともいえるかも知れない。 しかし、誰かが「戦略」と一言でも口にしたら、 「あなたはどこで誰からどのような戦略理論を学んだので、そんなことが言えるのですか」と堂々と立ち上がって質問をして欲しい。 そして相手が答えに窮したら、 「知ったかぶりで物事を動かそうとするのは失敗の原因だというのが戦略理論第一章だ。よく覚えておけ」と私の代わりに言ってください。 それがモトで内定が取り消されることになったら、私も責任は取れません。 が、積極的に語学の資格を取るとか、いつも心の中で自分の会社を立ち上げるために必要なことを考えるとか、ますます自分自身に磨きをかけることをおすすめします。 これが戦略理論第二章、「本当に戦略を理解しない相手には決してついて行くな」ということ。 いわゆる「孫子兵法」を著したのは、孔子さんと同世代で、若くして活躍した孫武という人だが、そのお孫さんにあたる兵法家の著述、もう一つの孫子兵法が前述の≪晏子春秋≫と同じ中国の山東省銀雀山前漢墓から竹簡文献として発掘されている。 そこには「戦略が分からない君主を君主にするな」とはっきりと断言されているのである。
2005.03.21
つい最近になって、こんな驚くべき事実も判明した。 アメリカ国立公文書館が1972年当時のニクソン大統領らの会話を録音したテープ・500時間分を公開したが、その中には再選に向けてあせっていたニクソンが、ベトナム戦争の局面打開のために、核兵器使用の意向を漏らしたというすさまじい内容である。 それによると、ニクソンは72年4月25日、ベトナム戦争の拡大方針について協議する中で、安全保障担当補佐官のキッシンジャーに対して、おもむろにこう切り出した。「むしろ私は核爆弾を使いたいんだがね。"I'd rather use the nuclear bomb,"」 この経緯が録音で鮮明に再現された。そのとき、キッシンジャー博士は真面目になって、「それはあまりにもやりすぎだと私は思いますよ。"That, I think, would just be too much," 」とはっきりと反対した。 が、ニクソンはしつこく核攻撃案に固執して、こうも言った。「核爆弾だぞ。(ベトナムに多数の死者が出ても)構わないじゃないか、君。"The nuclear bomb. Does that bother you?" 」「君、こういうことは大胆に考えてほしいもんだね。 "I just want you to think big."」 しかし、キッシンジャーは(あまりにも小声なので聞き取れないが)最後まで同意しなかったので、ついにニクソンも無謀な核攻撃談義は引っ込め、提案することも相談することもやめたという。 閣下はこのときの博士の気持ちはよくわかる。 キッシンジャーの構想には、ソ連の首脳(レオニード・ブレジネフ)と核兵器・大陸間弾道ミサイル制限交渉という外交カードがあった。 だから、ニクソン政権が、こんなふうに、たまたま気まぐれで、核兵器の使用をしてしまった場合は、反戦運動どころか、全世界を敵対させる結果になったはずだ。ベトナム戦争は交渉どころではなくなったであろう。 キッシンジャー博士が、青年研究者の時代から、核兵器使用に否定的な戦略問題の専門家であったことは、まさに世界と全人類の幸運であった。 今日の午後だが、東京12チャンネルで、日高義樹のワシントン・リポートが放送された。 そこでヘーゲル上院外交委員長が質問に答えたが、彼は非常に言葉を選び、そして韓国に対する不満を示しつつも、「韓国政府を信頼する」とくりかえし強調した。 日高さんは、よくキッシンジャーを訪問して、いろいろインタビューをこなしてきたが、きちんと戦略理論を研究した人ではない。 確かに良い知人ではあるが、「弟子だ」とは自分でも言わないだろう。 その意味では、ヘーゲル委員長のしっかりしたヴィジョンと、これからの外交展望について、彼が高水準の情報環境にあることを、閣下は少しうれしく思ったのである。
2005.03.20
キッシンジャーという人物は、知れば知るほど面白い人物である。 坂本竜馬など、知れば知るほど面白いという歴史的な人は数多いが、現代人となるといかがであろうか。 もちろん人の好みもあろうし、彼自身も若さにかまけて、鼻持ちならない言動をくりかえした時期もあったであろう。 彼は長く独身だったが、 「女性はホビーだ。だが、私の趣味ではない」と女性蔑視のような発言をしていたし、ついにモデルのような美人の奥さんと結婚したとき、有頂天になって彼は 「権力は最高の媚薬だ」といった。 少し目立ちたがり屋なんだね。 そしてベトナム反戦運動が盛んだったとき、キッシンジャーはまさに非難の標的であった。 ただウォーターゲート事件でニクソンが失脚した時も、奇跡的に彼は関わりを持たなかった。 しかし、文化大革命の最中の北京に出かけ、周恩来と握手をした時の写真をながめると、彼があの時の中国を奈落の底から救った立役者であったことを低く評価することは不可能である。 多くの人々は誤解している。 彼はアメリカ人で、政府の高官も歴任した。 だからアメリカ一極集中のグローバリゼーションを歓迎しているだろうと。 しかし、この問題について、彼の見解は歴史学者のように、実に冷ややかである。 「アメリカは歴史的に、自分がリーダーだと思い込んで先走る時期がある。しかし、全世界がそう簡単に動かせないとわかると、自信を喪失して壁にぶつかり、今度は自分勝手にやってみるという。それもうまくいかないと、今度はブロックで世界を分割する。分割競争で、勝ち負けが明確になると、また自分がリーダーだと思い込んで走り出す」 キッシンジャーはドイツ系のユダヤ人である。だからイスラエルを支持するかといえば、そんなことはない。 「イスラエルはパレスチナ国家と共存し、共栄する方向に、国の成り立ちを転換しなければならない」という。 「根本的な錯誤は、イスラエル人とハレスチナ人が互いに領土と、相手の譲歩を要求していることだ。つまり答えの出ない対立にとどまっていることだ」という。 キッシンジャーがニューヨークの外交評議会で新進気鋭の政治学者として頭角を見せたのは、核を使わない通常兵器戦争の限界を戦略的に分析した業績である。 ここに一冊の本があり、『軍備管理・軍縮・安全保障 "Arms Control, Disarmament and National Security"』という題名だが、その執筆陣の豪華さに、私は驚いた。 キッシンジャーだけではなく、未来学者ハーマン・カーンHarman Kahn、哲学者のエーリヒ・フロムErich Frommや元イギリス労働党委員長で、ノーベル平和賞を受けたノエルベーカー卿Philip Noelbaker、そして同じく後にノーベル経済学賞を受けた元ICU教授のケネス・ボールディングKenneth Ewert Boulding、また後にニクソンと大統領選挙を争う運命にある民主党の上院議員ヒューバート・ハンフリーHubert H.Humphreyまでが名前を連ねているのである。 この書の中で、キッシンジャーは『限定戦争の再評価-通常兵器か核兵器か?_"Limited War, Conventional or Nuclear? A Reappraisal"』と題する論文を掲載し、次のように述べている。「われわれは、核兵器が自分たちに対しては使用されないという想定で戦略を策定したり、われわれの生存を賭けたりすることはできない。」「空軍は限定核戦争をだと考える。陸軍は地上作戦に影響をもちうる戦術目標(交通の要所など)を破壊するのに不可欠だと考え、海軍は何より第一に港湾施設の排撃に関心を持っている。・・・・限定核戦争についてのわが三軍の見解の不一致は、わが同盟諸国との外交関係においても再現されている。われわれの同盟諸国の大半は核兵器を保有していない。核保有国は、報復攻撃を強調するあまり、核戦争の戦術的側面を重視しなかった。大部分の同盟諸国の世論は、いろいろな機会において核兵器反対のために動員されてきた。」「このような環境の下では、ソ連の圧力に直面しながら、同盟諸国にも受け入れられ、われわれも確信を持って保持しうるような戦略・戦術両面の理論を調和させることは次第に難しくなるだろう。・・・・もし西側諸国が完全に核戦略に依存するなら、戦争開始前と戦争中の核脅迫に対する西側の脆弱性は相当大きいものになるだろう。」「一つの理由には、核兵器はかなりの距離から正確に(ミサイルで)到達させることができるようになるので、主要な核戦略部隊を戦闘地域に進出させる必要はなくなると思われる。さらに重要なことだが、これまで制空権と考えられてきたものを手に入れる唯一の方法は、敵の中距離ミサイルと大陸間ミサイルの大半をやっつけることである。このような作戦は、戦争を限定しようとする試みと調和させることが難しくなるだろう。」「核実験停止のもたらす結果がどのようなものであれ、実験停止は、限定戦争において核兵器を使用することに対して、既存の世論の強い嫌悪感をさらに増大させるであろう。このような状況で西側諸国が(世論と対立したまま)基本的に核戦略に依存するままであれば、きわめて不安定な内外情勢をつくり出すことになるであろう。」「したがって、今後数年間、西側諸国は通常兵器による軍事力の大幅な強化を行わなければならない。・・・・この西側の通常兵器による軍事力は、ソ連が威嚇政策だけで利益を得ていた多くの機会を除去するであろう。通常兵器による軍事力は、わがアメリカの外交の柔軟性を補強し、核兵器の軍備管理について、ソ連と自信を持って交渉することを可能にするであろう。」「侵略者は通常兵器による限定戦争で勝利を得ようとし、手に入れた勝利を核兵器によって守ろうとするかもしれない。こうして、われわれは敗北を受け入れるか、それとも核兵器の使用を否認させるだけで侵略を黙認してしまうか、あるいは勝利を手に入れる前に侵略者から戦利品を奪えないようにする干渉戦争に乗り出すか、現実のディレンマに直面するであろう。もしソ連が通常兵器部隊でヨーロッパあるいはイランを軍事侵略することに成功すれば、ソ連は核兵器で自分の侵略地域を防衛し、反撃を阻止すると脅かしつつ、自分たちに都合のよい和平を提案することができる。」「これに応じて、われわれは戦略ドクトリンを調整しなければならない。しかし、われわれが重要な地域において通常兵器による戦争で敗北するかもしれないという印象を与えることはきわめて危険なことであろう。・・・・われわれが通常兵器による軍事戦略と、核戦略の関係について採用する戦略方針は、アメリカの外交と同時に、われわれの戦略が今後進むべき方向を決定するだろう。これは軍備管理交渉において明白である。」「今後、われわれが採用すべき方策は、限定戦争能力と通常兵器の軍事力を同時に再建しながら、きわめて重要な軍備管理交渉に乗り出すことである。アメリカの指導層は、われわれが軍備管理交渉に熱心な努力を傾ける一方で、軍事支出を増大しなければならないことを世論に理解させねばならない。この二つの努力のうち、どちらを軽視しても、その危険は非常に大きい。」 この共著(1960)に前後してキッシンジャーはハーバード大学の政府論講座の准教授・防衛問題研究プログラム主任という立場で核軍縮論の専門家として名声を確立して、アイゼンハワー大統領とニクソン副大統領の下で統合参謀本部で兵器体系評価の報告書をまとめあげ、対ソ軍縮戦略を研究していた。 彼の経歴で最も興味深いのは、この民主党ハンフリー上院議員との関係と、後のケネディ大統領による米ソ大気圏核実験制限条約に関する貢献である。 つまり彼は一時期、ケネディ政権内部にも、軍費管理問題の専門家としてコミットメントを持っていた。 しかしケネディ暗殺後、このキッシンジャーの軍縮交渉路線は完全に否定され、ベトナム戦争への本格的介入と軍拡政策が急遽決定された。 オリバー・ストーン監督の映画《JFK》では、元国防総省幹部の告白で、米ソ核軍縮交渉と、ベトナムからの駐留米軍撤退計画の打ち切りを事実上の「クーデター」だと衝撃的に描いている。 しかし、われわれがこのキッシンジャー論文を再読して発見することは、すでに《冷戦終結》に向けた必要なシナリオが完全に記述されていることだ。 もちろん当時の彼は、自分の戦略理論がソ連をどこまで追い込めるかについて、それほどの確信はもっていなかったであろう。 しかし、 「ソ連が通常兵器部隊でヨーロッパあるいはイランを軍事侵略することに成功すれば、ソ連は核兵器で自分の侵略地域を防衛し、反撃を阻止すると脅かしつつ、自分たちに都合のよい和平を提案する」という予測は、ソ連のチェコ侵攻(1966)やアフガニスタン侵攻(1980)などでまさしく的中した。 これは彼が仮想敵国・ソ連のコンバット・フォーメーションCombat Formation(戦闘様式)の行動原理を完全に把握していたからである。 さらに、彼のアメリカ国内に対する分析も正確であった。 朝鮮戦争後のアメリカは、まだ戦勝国としての威厳に満ちていたものの、度重なる戦争の連続で、国民の大多数の中には厭戦気分が広がっていた。 朝鮮からベトナムへ。ベルリンからキプロスへ。カイロからイスラエルへ。アメリカの軍事的な舞台がアメリカ本土からどんどん離れていくにつれて、国民の不安は増していった。「核実験停止は、限定戦争において核兵器を使用することに対して、既存の世論の強い嫌悪感をさらに増大させるであろう。このような状況で西側諸国が(世論と対立したまま)基本的に核戦略に依存するままであれば、きわめて不安定な内外情勢をつくり出すことになる」 平和運動の政治的発言力の拡大をキッシンジャーが冷徹に予測したのは卓見であった。後に彼自身も、その平和運動の勢力に負いまわされるために大変な労苦と代償を支払ったのである。 アメリカは建国時代にトクヴィルが指摘したように、マスコミの国であった。 マスコミ、ハリウッド、電力、エネルギーなど、アメリカ社会には特有の血管と神経のDNAがあった。 マスコミが国民の政治運動に押されて、「平和」を語り始めたら、大統領も抗しきれないことをキッシンジャーは見抜いていたのである。 そこで彼は次のような政治原則をアメリカ大統領に求めた。 (1)平和実現の具体的プロセスを国民に明示するために、核問題の軍縮交渉をすすめること。 (2)ソ連とその同盟諸国の脅威を明示し、兵器体系の更新と軍事予算の増加を推進すること。 彼のこの政策方針が明確に採用されたのはレーガン政権である。 ここでニクソン政権に引き続き、レーガン大統領はゴルバチョフに対して核弾頭削減の条約交渉を提案しつつ、いわゆる「スター・ウォーズ計画」という究極の軍備拡大方針をとった。 アメリカ国民はたくみに世論誘導されて、スター・ウォーズ計画についてはほとんど関心を持たなかったし、深刻な反対運動も起きなかった。 また核弾頭削減という進行中の平和交渉を継続することによって、この交渉に妨害をしてはならないという自己抑制を、レーガン政権に対立する勢力にも芽生えさせた。 このことがニクソン政権でうまくいかなかったのは、キッシンジャー自身がベトナム戦争からの撤退のために板ばさみになっていたこと、そして平和勢力を自分の側に取り込むことができないニクソン自身の保守的な狭量さが、反体制主義側に偽悪的に利用され、政界にも、マスコミにも、多くの政敵をつくり出してしまったことである。 料理中に料理人のフライパンに手を出すことを、常識人は手控えるものである。 もし料理人が料理中に、「おい、塩を忘れているぞ」とか「鍋が焦げているじゃないか」と、当たり前のことでまわりから罵声を浴びたりするとしたら、それは結局、料理人自身の稚拙と不手際なのである。 しかし、冷戦終結・ソ連崩壊の立役者は、レーガン大統領ではなく、ヘンリー・キッシンジャーであったこと。これはハッキリさせておかねばならない。
2005.03.20
日露戦争における児玉源太郎の大戦略論の基本となったものは、明治維新政府でプロシア陸軍から招聘されて、陸軍士官学校の教官となったメッケル少佐の非常にすぐれた戦略理論であった。 そのメッケルの理論の原典となっているのは、プロイセン・フランス(普仏戦争)戦争を成功させたばかりの参謀総長モルトケ監修の軍事教科書である。 普仏戦争は、宰相ビスマルクの威力外交とモルトケの電撃作戦の勝利で、実際に青年時代に訪欧してビスマルクと会見したこともある伊藤博文の頭にあるモデルは、常に普仏戦争におけるプロイセンの政治と軍事の戦略的一体化であった。 これにもう一つ、陸軍の草創期に参加した伊藤博文と児玉源太郎は、明治維新の戦略を支えた長州の大村益次郎という人物を知っていた。日露戦争に勝利すると、彼らは巨費を集めて靖国神社の前に大村益次郎の像を建て、自分たちの守護神として国家鎮護の感謝を捧げた。 大村は孫子兵法の忠実な理解者で、長州征伐の迎撃では、一時退却という大芝居をやって、幕府軍を不利な海岸に誘導し、そこで待ち構えた伏兵を出して、先端の小部隊を徹底的に殲滅した。あとは逃亡するにまかせた。 実はここで長州軍の迎撃能力は払底していたが、大村は幕府軍が再度総攻撃をするほどの統率力もないと見ていた。その賭けは当たった。 それで大村は西郷隆盛・陸軍大将をさしおいて、日本陸軍の創設者となっているのである。 伊藤は自分が実質的に指導した日清戦争では大勝利をおさめたにもかかわらず、自ら李鴻章と談判して結んだ下関条約を、ドイツ・フランス・ロシアの三国干渉によって変更を余儀なくされた。 その時に占領を放棄した遼東半島は、旅順要塞はもちろんロシアの支配下に落ちた。 ≪軍事的に勝利しても、外交をしくじると全てを喪失する≫という危機感は、あるいは児玉源太郎より痛切な感情を持っていたかもしれない。 児玉源太郎も国際世論と列強各国の動静が二国間の戦争の行方にも影響するという基本的な外交センスを心得ていた。 それはモルトケと大村という先人の思想があったからである。 これに対して、第二次世界大戦の昭和軍閥は国際連盟脱退後は国際世論など全く無視し、敵軍を無条件降伏させれば講和条約交渉は無意味だと強引に突き進んでいった。 それで外務省と別に大東亜省を設置したり、陸海軍の前線将兵は国際条約違反など知らずに戦争の惨害を拡大していった。 陸軍と海軍も足を引っ張り合い、外務省経由の情報も無視していた。 この昭和軍閥の権力における理論的な支柱になったのが、プロイセンの軍人であったカール・フォン・クラウゼヴィッツの≪戦争論 Von der Krieg≫である。 このクラウゼヴィッツ戦略論は今日でも関心を持つ多くのファンがあるので、現代戦略理論の立場から明確に否定しなければならないと思う。 そもそもクラウゼウィッツの≪戦争論≫初版は、彼の死後になってから未亡人の手によって、ささやかに出版されたものであって、未完成原稿や項目は削除されていたと考えられる。 彼の≪戦争論≫は国民経済の大半を軍事力の展開に利用する「総力戦構想」について述べたものであるが、軍事と外交の関係については全く記述がない。 また軍事と政治との関係についても記述が少ない。 もしも≪戦争論≫の出版までクラウゼウィッツが健在であったら、 「そこのところはどうなんですか」という質問にも答えられたであろうし、おそらくはモルトケと同じように 「国家の大戦略において軍事は外交と一体化する」という原則を自著に書き加えたであろう。 そこに死後・未完成出版という大きな穴がある。 さらに不幸なことは、モルトケ戦略が明治世代の教科書であったとすれば、クラウゼヴィッツが日本で紹介されたのは大正時代以降であったから、「メッケル・ノート」よりも新しい印象で、最も体系的な戦略理論として受け入れられてしまったことである。 また「メッケル・ノート」は門外不出であったのに対し、クラウゼウィッツの≪戦争論≫は著作であったから、民間の批評家も多くを引用して世論を形成するに至った。 したがって、「軍事組織は外交や財政と協力して国家戦略の最も決定的な一部を執行する」という政治的に中立なモルトケの考え方に対して、クラウゼウィッツの≪総力戦≫の思想は、軍事組織が経済や社会をも統制し、最終的な戦争目的の完成に不都合なものは排除していくという「軍事政権」の構想に発展していった。 そこで第一次世界大戦の直前には、ドイツのみならずフランスにも実質的軍事政権が誕生し、大日本帝国もそのような国際的な潮流に流されていった。 今でもビスマルクの時代より、クラウゼヴィッツの理論は新しいと考える人々が多いのは驚きである。 クラウゼヴィッツはナポレオン戦争時代の人物であり、トルストイの≪戦争と平和≫には、ナポレオンのドイツ侵攻でロシアに亡命してきたドイツ貴族の一人としてあまり好意的でなく描かれている。 彼の思想には、鉄道を軍事利用したモルトケや電報で怪情報を操作したビスマルクのような新しい技術をドンドン利用するような発想はない。 ナポレオン軍がロシアで敗退した状況を知っているので、ゲリラ戦の効果の大きさは知っていたが、貴族なので自分からコマンド部隊を率いて敵地に乗り込むような具体性はない。 トルストイがクラウゼヴィッツの本質を見抜いていたからかどうかは知らないが、この亡命貴族はロシアに金銭面、待遇面でもやっかいになりながら、ロシアそのものには侮蔑の感情を隠さなかった。 それというのも、強大なナポレオン軍に撃ち負かされ、生命からがら亡命してきた人々であったので、戦争の危機感もなく、享楽的に毎日を過ごしているブルボン王朝のようなロシア貴族社会のありさまに彼らはどうにもガマンがならなかったのである。 あるいはクラウゼヴィッツの一般的な社会観は、ここで大きくネジ曲がってしまったのかも知れない。 前にも述べたように、軍事組織が政治権力を掌握し、産業や経済にも統制を強要して最終的な国家目的の完成をめざすというのが、クラウゼヴィッツの総力戦構想なのであるから、これは官僚統制国家における「産業統制」のみならず軍事政権下における「軍産複合体」といった、さらにゆがんだ副産物も歴史上に残してしまったということもできる。 言うまでもなく、こうした構想はヒトラーのナチス・ドイツの第三帝国に結びついたばかりでなく、スターリンによる社会主義国家の典型にも影を落としている。 戦後のアメリカも、軍人出身のアイゼンハワー大統領が退任演説で警告したように「軍産複合体」の伏魔殿が存在し、キューバ侵攻やベトナム戦争などに大きな傾斜の圧力を加えた。 日本の≪昭和十五年体制≫といわれる官僚統制機構もまたクラウゼウィッツ構想の亜流として形成されたものである。 スターリンの神話が崩れ、中国に改革開放政策が定着した現在、クラウゼヴィッツが構想したような軍事産業統制国家の枠組みを信奉する人々は少数派になっている。 わが国においても官僚統制の弊害と腐敗が暴露され、構造改革が深刻に叫ばれるようになって久しい。 しかし、改革というものは、道路公団でも、社会保険庁でも、なかなか大変である。 「お前たちの仕事はどうなっているんだ」と総裁や長官が絶叫しても、少しずつしか代わっていないのが現実だ。 しかし、「変わった」のは事実だ。改善は始まっている。 だからこそ、クラウゼヴィッツの不完全かつ未完成な構想の欠陥は徹底的に批判されるべきであるし、その産物と副産物も終局的な総括の俎上に揚げられるべきである。 孫子兵法の根本的な思想の一つに≪最初を見れば、結末も予測できる≫というものがある。 クラウゼヴィッツの戦略構想は権力の媚薬によって破綻をまぬがれたフランケンシュタインだったのである。
2005.03.19
もう一つ、「戦略とは何か」を考える上で、必読の書となるのは故・司馬遼太郎氏の大作≪坂の上の雲≫である。 しかし、すべてを通読するのは大変だし、司馬遼太郎さんが戦略理論専門の大家であったわけでもないので、このドキュメンタリーの内容そのものにとらわれてしまうのは非常に危険である。 何といっても、これは前世紀初頭の日露戦争の話であり、現在のRMA(Revolution in Martial Affairs軍事上の革命)などとは全く関係がない。 しかしながら、「戦略とは何か」を十分に理解していた児玉源太郎大将、 それとは逆に精神的こだわりで正面からの銃剣突撃のみに執念をもちつづけた第三軍司令官乃木希典大将、 失敗の責任を他部門に押しつけ、自分たちはストーブの回わりで酒をあおっていた乃木軍の高級参謀たち、 こうした冷静、錯誤と無能ぶりの三段階のギャップは、国であれ地方であれ民間であれ、どのような組織でも診られる現象で、私は特に東映の≪203高地≫という名画ビデオを推奨したい。 そこで伊藤博文が児玉源太郎を呼んで、 「今度のイクサは勝てるんか」と日露戦争全体の見通しを聞く場面がある。 すると児玉は 「今度の戦争は勝てません。うまくいって五分五分か六分四分。持てる力を最大限に発揮して、敵地に乗り込んで決戦し、引き分けに持ち込む。そうすれば世界の列強は、わが国の実力を認め、外交による国際圧力でロシアの領土拡大に掣肘を加えることができます。それだけが、資源と財源に乏しいわが国に許された唯一の戦い方です」と軍事と外交を一体化した戦略を説明する。 「しかし勝算のない、勝つ見込みのない戦争に踏み込んでどうなる」という伊藤の反問に、 「戦争をやるのは今しかない。このまま現状を放置して三年以上経過すれば、極東ロシア軍の勢力は数十倍に拡大するだろう。その時にロシア軍が全力で九州をめざして朝鮮半島を南下してきたら、わが日本はなすすべもなく敗退するしかない。今ならば五分五分でロシアと対等に戦える。戦争の決断が遅れたら遅れるほど余計な将兵の血が流れることになりますぞ」と激しく一喝する。 この一言が伊藤博文を動かす。伊藤は、ロシアと日本の最終的な講和交渉の仲介役としてアメリカのセオドア・ルーズベルト大統領に注目し、ハーバート大学で同窓の仲だった金子堅太郎に説得工作を依頼する。 「今度の戦争には勝てない。だからこそ勝ったという形で引き分けなくてはならない。その時に誰かが止めてくれなくては、日本は破滅してしまう。それはアメリカしかない」というのが伊藤の意見であった。 このあたりはフィクションもあろうが、この伊藤と児玉の軍事・外交連携が日露戦争の戦略と指導方針を決定したのは歴史的な事実である。 実際には、これにあと二つ、ヨーロッパでフィンランドやポーランドやロシア帝国内部の民族独立運動やレーニンなど社会主義の反体制運動家とも提携する明石元二郎大佐(後の台湾総督・明石男爵)の諜報活動と、進水したばかりの軍艦までも抵当に入れて、ロンドンやニューヨークで日本の戦時債券を売りまくった財務官・高橋是清の活躍があったことも頭に入れておかねばならない。 しかし、このように軍事だけではない政治・外交・財政・情報の一体化した戦略全体をバラバラに破壊しかねない大きなトラブルが発生する。 それが乃木将軍の第三軍による旅順要塞攻略の失敗の連続であった。 当時の陸軍の主要問題は児玉が予測したように、ロシア軍が占拠した満州地域で大決戦を行なうことで、その準備は進みつつあった。 しかし物資の輸送を担当する海軍は旅順湾とウラジオストックのロシア極東艦隊の閉塞と足留めには成功したが、これらをすべて撃破することができず、特に旅順港に停泊する艦隊を陸軍が背後の陸地から砲撃して撃滅することを要求した。 いわば旅順攻撃は「付け加えの戦術」であったのである。 それが大問題になったのは、第一次総攻撃で十万人の戦死者を出し、続く第二次総攻撃で十五万人の戦死を出して、退くに退けなくなったからである。 その失敗の理由ははっきりとしていた。 当時の日本軍はヘルメットも盾も持たない状態で、密集陣形のまま石ころだらけの山坂を駆け上がって銃剣突撃をくりかえす。 それに対し、ロシア軍は防御陣地に最新鋭の機関銃と手榴弾をたっぷりと装備し、移動式の大砲も設置して、軍服しか着ていない日本軍の来襲を迎え撃つのであった。 特に悲劇を重ねたのは、現場の指揮官の多くが緊急召集されたので、機関銃や手榴弾で部下がバタバタと残酷に殺戮されるのを見ても、その兵器の実態がわからず、部下たちの「敢闘精神」のみを報告して責任を全うしたと放心状態に陥るありさまであった。 その機関銃の対策として、最前線の兵士たちに護身用の小さな鉄板が配布されたのは第三次総攻撃以後であった。 乃木将軍の参謀たちは現場視察は儀式的なものと考えており、現場の情報をくみ上げることもせず、「対策の欠如や遅れ」を批判する将校は、むしろ軍規違反として処罰していた。 児玉将軍の幕下の参謀は「必要な物資がなければないで仕方がないから、何か知恵を出せ」と徹底的に教育されていたが、乃木将軍の下では 「必要な物資をよこさなければ一歩も進めない。進めというなら、あなたに責任を取ってもらうぞ」とケンカ腰で横暴をふるう伊地知参謀長がいて、あくまでも精神主義にこだわりつづける乃木将軍の銃剣突撃作戦を鉄壁のガードで守っていた。 最後に乃木将軍は 「私に二個大隊をくれ。それを率いて最後の突撃をし、私も名誉の戦死で散りたいのだ」と言い始めた。 そこでついに児玉大将が大山巌元帥の命令で参謀総長の立場のまま第三軍に乗り込み、伊地知参謀長を一喝して後方にあった砲撃陣地を24時間以内に前面に移動させ、≪203高地》の防衛陣地に集中砲火を浴びせた。 攻撃開始から数時間で旅順港を囲む多くの高地で、最も防御陣地が手薄い≪203高地》は陥落した。 児玉はさっそく、その頂上に当時最新技術であった電話線をつなぎ、弾道観測所を設置して、旅順港に停泊するロシア艦隊を山越えに砲撃、次々に撃沈した。 これは現在のRMAの軍事技術革新とも共通する情報通信技術の軍事的応用パターンとしても最初の成功例であるが、そのおかげで旅順港閉塞作戦にかかっていた連合艦隊を修復した東郷平八郎提督は満を持してバルチック艦隊を待ち受け、歴史的な大勝利を手にすることができたのである。 この日露戦争における児玉戦略を徹底的に研究したのは、むしろ第二次世界大戦後のアジア諸国であった。 ベトナムのボーグエンザップ将軍は《ベトナムの戦略は軍事だけではなく、政治と外交などさまざまな要素を統一するものだ》と述べている。 明石元二郎大佐とレーニンの親交は、モスクワ発行のレーニン全集における日露戦争の記述にも好意的に反映されたので、東北アジアの社会主義諸国においても、軍事・政治・外交を一体化させた児玉源太郎の大戦略法は、ほとんど名前を使わずに、また由来を語らずにひそかに各国で学習されたのである。 その一方で児玉の戦略理論よりも、乃木将軍の「作られた英雄像」とその「敢闘精神主義」の亡霊にふりまわされた後の日本陸軍には、伊藤と児玉のような発想の持ち主は統帥部にも内閣にも現れず、失敗を失敗と厳密に認めることもなく、多数の将兵の悲惨な犠牲をものともしない「乃木式の小英雄」がのさばる結果になった。 今日の日本のわれわれは、数人の戦略否定論者の「迷信」がまねくであろう戦略の不在の状況が、いかに現実の損害を大きくしてしまうかを、この≪203高地≫の教訓から知るべきである。 また合理的な戦略理論による「迷信」や阻害要因の排除によって、いかに損害を軽減し、プラス効果が上げられるかに注意していただきたい。また、間違った戦略や現実とは食い違うような混乱・矛盾した戦術・作戦には否定以外の関わりを持たないこと。それらを「迷妄」として真正面から攻撃することが必要である。 このように戦略問題に《軍事》という枠組を取り去って、外交・政治・財政をも一体化していく方法を《大戦略》という。 これも後章で詳しく記述するが、国家戦略は常に大戦略であらねばならない。 国家の政策を矛盾のない体系として、持てる力を最大限に活かす方法こそ、《大戦略》に他ならない。 現代日本の私たちは平和国家という国是を持っているのであるから、日露戦争のように海を渡って他国の支配地域に押しかけて軍事力を行使することはない。 しかし、同じ大戦略システムは、国内の組織や制度改革の実施にも必要不可欠なものである。 われわれは、こうした理論と学術を知らなければ、世の中に指導者として立って行くことはできないのである。
2005.03.18
私がよく学生たち、院生たちに推奨する参考図書は、イギリスのハードボイルド小説家フレデリック・フォーサイスの傑作≪ジャッカルの日≫である。 フレッド・ジンネマン監督で映画化もされており、名作ビデオの一つとしてビデオ・レンタル店には必ずあるものだ。 ちなみにジンネマン監督は助監督の時代に名作「ベン・ハー」の制作も経験している。 話は1962年にフランスのドゴール大統領が国民の世論を押し切って植民地のアルジェリア独立を認めたことで、軍内部の強硬派と植民地の権益を持つ人々がドゴール暗殺を計画するところから始まる。 ここまでは実話で、小説では「ジャッカル」という暗号名を持つ暗殺のプロフェッショナルが登場し、イギリスのロンドン・イタリアのジェノバ、フランスのニース、そしてパリと舞台を次々に移動し、何度も変装や偽造の身分証明書を使い分け、生存競争のように冷血非情の殺人を繰り返して目的地のパリにたどりつく。 映画で観ると、さらにオーストリアのウィーン、ローマの街頭などに舞台は転々とし、大英博物館の中央図書館では「ジャッカル」が記録書類を検索する数秒のシーンが出てきたり、ヨーロッパ旅行の経験がある人はもちろん、はじめて観る人にも緊張で息をつかせないほど面白い。 ≪眠狂四郎≫シリーズで知られる時代劇作家の柴田錬三郎という人は一読してこの作品のトリコになって、わざわざ「ジャッカル」の足取りを追体験したというが、実は私も学生時代に柴錬さんの後を追いかけてジェノバからパリまで放浪旅行をしたことがある。 この小説で「ジャッカル」は、偽名申請で取得したパスポートで若づくりした33才ぐらいの金髪のイギリス人ポール・ダカンになりすまし、その事実がライバルのパリ警視庁のクロード・ルベル警視に押さえられると、今度は背格好の似たデンマーク人の教師から盗み取ったパスポートで、黒褐色の髪をしたペール・ルンクイストに変装する。 それも相手につかまれると、さらに白髪で足の不自由な老人に変装して、暗殺の現場として選定した解放記念広場の向かいのマンションにたどりつく。 もちろんフィクションであるから、ドゴール大統領暗殺は成功せず、直前なってに警備がノーマークのマンションで最上階の窓が開いていることに気がついたルベル警視がようやく現場に踏み込んで、ついに「ジャッカル」は射殺される。 すでにジャッカルはイギリス紳士の服装に着替えて、すぐ空港で他国に逃亡できるような姿をしていた。 背が小さいレジスタンス運動の功労者に勲章を授与するため、長身のドゴールが背をかがめて相手に敬礼のキスをしたことが、「ジャッカル」の狙撃弾がはずれた理由だったと設定してあるのは、著者のフォーサイスの天才的なウィットである。 注目すべきことは、「ジャッカル」が眼に見えないライバルの出方を予測して、あらかじめ多くの「布石」を打っておくプロフェッショナルの思考が光り輝く場面である。 ビデオを何度も見ないと細かいところがわからないと思うが、墓場を散歩して、自分と同世代で三歳で死亡したポール・ダカンの墓碑銘を見つけ、その出生証明書や戸籍関係の必要書類を手に入れ、パスポート申請の手紙を送る。 変装のためのヘアカラー染料を普通の店で買ったり、有名なパリの「蚤の市」で古着を探したりする。ロンドンのヒースロー空港で入国手続をするデンマーク人のカバンからパスポートを抜き取るところなど、国際的な犯罪組織に常にマークされているわれわれ日本人も注意しておかねばならないところだ。 そして、この「ジャッカル」の行動に加えて、ストーリー展開を面白くしているのが、エレキュール・ポワロ警視の再来かと思われるほど、頭が切れるルベル警視の推理探偵ぶりである。 この「知恵の追いかけっこ」が暗殺ストーリーにサビを利かせているわけだ。 これは著者フォーサイスがイギリスやフランスの政府機構や軍事組織について、詳細かつ微細にいたる知識を披露しつつ物語の構成を「借景図法」で拡張しているからで、映画ではフランス政府やイギリス政府の協力を得て、本当の大統領官邸・エリゼ宮殿の内部や、内務省・パリ警視庁を伝令のバイクが往来する様子、刑事役の俳優がロンドン・ダウニング街の首相官邸に出入りするところなどに現場の実写が使われている。 内務大臣の特命で全権をゆだねられたルベル警視はまずヨーロッパ全ての警察幹部に通じる直通電話を用意し、若い助手を使って、国際的な警察機関の情報ネットワークをつくりあげる。 イギリス警察庁(スコットランド・ヤード)は協力に消極的だが、フランス政府から正式要請を受けたイギリス首相がスコットランド・ヤードに直接指示の電話を入れて、猛烈に動き出す。まず幹部が仕事の全体方針を論理的に説明して、部下に「あとはこの方針通りに徹底的にやるだけだ」と説得する。 これは別の名画≪戦場にかける橋≫でも観られるように、イギリス軍の伝統的指揮法と同じ方法なのだが、イギリスのチーム・スポーツであるラグビーでも同じ作戦指揮法が取られている。 それは英国貴族の伝統儀式でもある「キツネ狩り・フォックスハント」に由来するもので、この大切な「狩猟儀式」を通じて、イギリス貴族の子弟は古来伝統のリーダーシップの技法を学んでいく。 そこには古代ローマ帝国から連綿と続いてきた起源がある。ただイギリス人のフォーサイスにとってはありきたりのものなので、「陳腐な人海戦術」というカリカチュアとしてごく短く出てくるところである。 首相命令とあって、イギリスの諜報機関もスコットランド・ヤードに協力し、国際的なテロリストの中で、ドミニカの独裁者トルヒーヨを暗殺したという噂のあるイギリス人の貿易商チャールズ・カルスロップの名前を上げてくる。名前のつづりを縮めたCha-Cal=Chacalは、Jackalのフランス語風の読み方に通じる。このあたりの推理は、まるでクロスワード・ゲームのようだ。 「ジャッカル」を追うルベル警視に対して、「ジャッカル」に大統領暗殺を依頼したOAS(アルジェリア植民地機構)のメンバーは、女性スパイを内務省の最高幹部に送り込んで、「ジャッカル」の捜査状況を逐一通知させる。 最終的にはルベル警視も関係者すべての「盗聴」を実施して、女性スパイと愛人関係で同棲していた幹部を洗い出す。息詰まるような双方の作戦と作戦のぶつかり合いの中で、「ジャッカル」は布石を打って準備した変装やさまざまな小道具を使い、ルベル警視の捜査網をくぐりぬけていく。 これは「ジャッカル」の戦略が、ルベル警視の戦術を上回った勝利である。 最終的な結果は、たまたまドゴールの強烈な運命が、ジャッカルの不運に荷担したといえなくもない。 ≪ジャッカルの日≫は基本的に犯罪者を主人公とする物語であり、「ジャッカル」も結局は運命と正義の制裁を受けるわけだが、これらをくりかえし検討すると、いわゆる「Executive Actionsエグゼクティブ・アクション」という≪国際標準・グローバルスタンダード≫が見えてくる。 世界で一流の人々は、どのような行動パターンをもって生活し、ビジネスや趣味で活躍しているかをイギリスのパブリック・スクールに行かなくても習得することができる。 このような≪生きる時間の使い方≫を知ることが、実は戦略とは何かを考える上で最も重要である。それはいわば、「生きる時間の哲学」ということだ。
2005.03.17
“当たり屋”の片棒…おしんボクサー転落のワナ 東洋大でリーグ昇格に貢献、夢捨てきれずジム通い 交通事故を装った保険金詐欺グループの一員として“当たり屋”の片棒をかつぎ、警視庁に逮捕されたプロボクサー、三浦数馬容疑者(25)。一度はあきらめたプロボクサーへの道へ、仕事を捨ててまで飛び込んだ情熱の男だった。将来を有望視されたファイターが陥ったワナとは? 「誘いを断れなかった数馬は確かに悪い。だがあいつは一銭ももらってない。利用されただけ」 そう語るのは、三浦容疑者が所属するドリームジム(東京都北区)の三浦利美会長(41)。 昨年、プロ野球・巨人軍の元マスコットガール(31)らの詐欺グループが摘発されたが、三浦容疑者は自分たちの犯行と手口が酷似していたため、会長に事件を告白。会長に促されて警察に出頭した。 会長によると、当時アルバイトしていたキャバクラの社長に呼ばれ、詐欺を持ちかけられたのは平成14年12月1日。他の同僚が誘いに乗る中、断り切れなかったようだ。 犯行グループが詐取した休業補償や治療費、慰謝料は計約463万円。だが、三浦容疑者は報酬に手をつけなかった。 三浦容疑者は青森県弘前市出身で、高校、大学とボクシング部の主将を務めた。東洋大の関東リーグ1部昇格に貢献したものの、アマ時代の通算成績は37戦20勝17敗。 専門誌「ボクシングマガジン」3月号のインタビューで、「俺の名前なんて、アマチュア界じゃ誰も知らないですよ。知っている人がいてもその記憶は“へたくその三浦”で」と自ら語るほど、無名の存在だった。 大学卒業後、一度は就職したが、夢を捨てきれずに会社を辞め、平成149月からジムに通った。プロテストに合格したのは事件の2日前だった。 「“エリートボクサー逮捕”なんて書かれたが、本当は苦労人。まじめで努力家。わざわざ荒川の近くに引っ越して、とにかく川沿いをよく走った」(三浦会長) 三浦容疑者が懸命に練習に取り組む姿は、ジム内でも群を抜いていた。後輩の指導役も買って出た。デビュー後は5戦5勝(4KO)。スーパーバンタム級の日本ランク入りも間近だった。 三浦容疑者の夢だったボクシング。だが、取り巻く環境は厳しい。世界戦でも、超人気選手でない限り、“併せ技”でないとTV中継はつきにくい。 ボクサーの生活も同じ。「日本チャンピオンで働いているやつもいる」(同)。10回戦ボクサーの三浦容疑者でも「1試合のファイトマネーは20万円くらい。試合は3カ月か、下手すると半年に1回のこともある」(同)という。 チケットを売るために種々の付き合いも欠かせない。引っ越し代欲しさに選んだキャバクラの仕事は、実入りのよさと引き換えに落とし穴を用意していた。 世界王者のセレス小林、トラッシュ中沼を育てた三浦会長は、「大物食いの可能性を秘めたボクサー。スピードやパンチのキレで勝負する自分のスタイルを10年かけてやっと確立して、日本チャンピオンも見えてきたというときに…」と無念さをにじませる。 日本ボクシングコミッションは「知らない間に利用されたと聞いている。有望な選手だし、将来を閉ざすことはしたくない」としている。 だが復帰には別の不安もある。「あいつはまじめなだけに、母校やボクシング界に迷惑をかけた責任を人一倍感じている。『詐欺野郎』なんてヤジを、乗り越えられるかどうか」(三浦会長) 「今までもそうだし、これからもずっと面倒を見ていくつもり」という会長の親心は、三浦容疑者の心にどう響くか。ZAKZAK 2005/03/16________★KZさんも同じファイトマンだね。くれぐれも気をつけてくれ。
2005.03.16
『ローレライ』講義録が大ウケだったので、今度は閣下の戦略理論講義を何回かに分けて掲載することにした。まず、映画『ブラックホーク・ダウン』について準備している。乞う御期待。
2005.03.15
さて、閣下は無事に研究生活に帰還したものの、卒業式・大学院修了式など、実は出席を予定しなかったものまで呼び出される始末で、ここ数日はなかなか大変だったのである。パソコンを離れて、大学内部の社交生活の輪にはいってしまうと、メール確認もできずに、あれよあれよと200通以上の未開封がたまってしまった。そのほとんどは同僚と卒業生・院生のもので、この返信も骨が折れて大変だったのだ。____________________しかし、このホワイト・デーには仲間や弟子たちを引き連れて、銀座松竹の裏で1400円の東宝の株主優待券を買い、当日券1800円のお台場メディアージュにまでいって『ローレライ』を見てきたのだ。なかなか面白かったぞ。かつて『Uボート(独語題・Das Boot)』ヴォルフガング・ペーターゼン監督は、昨年に『トロイ』を完成させたが、あの俳優たちのスピード感ある動きと、場面転換のリズム感、そして観客に居眠りさせない効果音の連続と、選び抜かれた俳優のセリフ回し。これらはすべて、ペーターゼン監督と同じ映画制作の戦略的な原案・立体的なシナリオに基づいている。____________________面白いのは、『キル・ビル』・『キル・ビル2』で日本のヲタ・マニアたちを狂喜させたタランティーノ監督も、このペーターゼン・ドクトリンを大いに活用していることだ。われわれ日本人からすると、ストーリーはハチャメチャなのに、本人たちが本気になって刃物を振り回しているから、どんどんストーリーが進んでいく。そう。『キル・ビル』も『トロイ』も同じ基本構造になっているのだ。それは戦略ドクトリンが同じだからである。その起源とは。やっぱり深作欣司の昔のヤクザ映画『仁義なき戦い』だろうねえ。あれもね、「えっ。なぜ殺るの」観客が「アッ」と驚く拳銃一発からヤクザ抗争が始まるわけだけど、これも国内に、お手本があるんだ。中里介山原作・山本薩夫監督『大菩薩峠』。あれもね、豪腕の剣士が石ころだらけの峠道で、何でもない通行人をダァと切り殺すんだ。映画の一番最初に。しかも大菩薩峠は、武蔵と甲斐の国境であり、街道はなくて、幕府の役人もいない。「どうして。なぜ殺す必要が」と、みんな思うだろう。そこからストーリーが展開していくわけ。この映画の殺戮はね、白黒なのに、すごく手がこんでいるのだ。それは山本薩夫監督が「満州映画撮影所(満映)」で、甘粕正彦・所長(元憲兵大尉・関東大震災時にアナキスト大杉栄を殺害、後に軍法会議審決で除隊、極秘諜報活動の総帥として満州帝国建設に参画)の下で働いた経験があるからだ。あそこも、日本刀で人体を切断するような人体実験をさかんにやっていたところだ。(もちろん閣下も勝手に想像しているだけだよ)どうだ。『キル・ビル』と同じだろう。『トロイ』もそうだ。制作者は「当時は青銅剣だ。腕や足を切っても致命傷にならない。頭蓋骨や動脈のある急所を攻撃して、最後のトドメに首・心臓・肺に剣を突き刺して呼吸を止める。ギリシャ思想では生命の象徴は呼吸だったから」と説明している。という具合に、ちゃんと博士号を持った歴史学者が徹底的に考え抜いて、映画制作の時代考証の「現場」に参加しているわけだ。それでも主役のアキレスは「くだらない戦争だ」といいながら、どんどん深みにはまってしまい、復讐のためにヘクトル王子を殺害し、逆にトロイの姫巫女を救出しようと、「トロイの木馬」で王宮に侵入したら、臆病者のパリスの毒矢で射殺されてしまう。要するにハチャメチャなんだ。原作ホメーロスの『イリアース』が実際にそうなっているんだから。__________________あんまり映画の内容に立ち入ると、お金を払って見に行く楽しみがなくなるだろうから、遠慮するけれどもさ。「ローレライ(妖精ラウラの絶壁)」というのは、日系ユダヤ人の少女の天性の霊感を利用して、いわば「念写」のように、海上の敵艦隊やら、魚雷や爆雷を「動く映像」として、テレビ画面のように潜水艦の戦闘室に投影させるわけ。だから主題歌が「ローレライ」でも、「トロイメライ」でもなくて、モーツァルトの「眠れ、良い子よ」の子守歌、歌っているのはドイツ語の巻き舌やらウムラオト発音も不安定なイギリス系の少女なのだ。ここは吹き替えがハッキリしすぎだな。鼻歌だって、ちょっとの間違いや発声や練習のくりかえしがあるよねえ。最初から完全な歌声が出るなんて、そりゃ美空ひばりのレコーディングじゃないかね。まあ、これはね、わかるんだよ。何が。これねえ、原作者が閣下と同じように、ガンダム世代だと思うんで、おそらく「ニュー・タイプ」とか、超能力の霊感の「戦力化」のために戦場に引っ張り出される「ララァ」という不思議なインド系の少女の存在とか、「何でアンタが出てくるんですか」という異様な世界ね。そりゃあ気味が悪いよ。潜水艦探査のソナーに、若い少女の子守歌なんて、場違いもはなはだしい。しかし、これもヒントはあるんだ。ショーン・コネリー主演『レッド・オクトーバーを追え』で、ソ連の潜水艦乗組員が新型潜水艦の性能に感激して、革命歌インターナショナルを斉唱する。それをアメリカの潜水艦のソナー探知のプロが「あれっ。スクリュー音はないのに、歌声みたいな響きが」と感知しちゃうんだ。チョイひねってあるねえ。ハッハッ。ちょっと掘り下げると簡単にわかっちゃうネタネタがありすぎるっテカーッ。底が浅い。修業が足りん。思わずプッと噴き出してしまう。アニメージュ・ファンだっただろ、原作者のアンタッ。戦前には初歩的なテレビは開発されていたけれど、動画まで写すブラウン管の特許は戦後に開発された。レーダーだって、つい十数年前はオシロスコープのような曲線を専門的に解読していたんだぜ。もちろん、時代考証はメチャクチャだよ。もうちょいドクトリン構成の基本的な理論のお勉強が必要だワイね。まあ、それは戦略理論の専門家の欲目というもの。___________________________この『ローレライ』の監督は、世界中のすべての潜水艦映画は手当たり次第、参考にしただろうね。それはもう、アクション・シーンは見ごたえ十分。展開のテンポも激しい重低音(メガ・ベース)の効果音もよろしい。ただ、駆逐艦隊の追突事故ね、あれを回避するんで、戦闘陣形は円形に散開したり、「雁行」といって、三角形にうまく戦闘配置するようにしたもんだ。第一次世界大戦(ユトランド沖海戦)後の世界の海軍の艦隊運営のイロハも知らないで、あんな突飛な空想をするなんて、ちょいと困るなあ。非常識がすぎるよ。でも、これもね、閣下は「年の功」で、まあまあ底の浅い理由もわかるんだ。『宇宙戦艦ヤマト』で、ガミラス軍のドメル艦隊が、「七色発光星団の決戦」の最後の局面で「ドリル・ミサイル」が逆転して(カルト・クイズの世界だな)、まず戦闘空母が爆発し、第一空母・第二空母・第三空母が追突してしまうんだよ。一瞬にして、ガミラス艦隊が将棋倒しで全滅しちゃうわけ。これは「うまく考えたなあ」と当時は「中学生の閣下」は驚嘆したものだった。でも、それは宇宙でのフィクションじゃないか。現実の戦争秘話に同じことを利用するなよ。それは「掟破り」というものザンショッ。ナチスのユダヤ民族に対する人体実験の残酷さも、まあ適切に描かれている。けれども何で、日系ユダヤ人の少女が住居区域を抜け出して、おそらく極秘地下施設だった人体実験室(ガス室も半地下だった)をドアからのぞき見したのかね。ますます不可解だ。彼女は、その目撃経験のトラウマのショックで、霊感が開化したというんだから、つまり、その事件だけは彼女の超能力の「霊視」じゃないわけ。カイモクわからん。まあ、それはチャブ台を全部ひっくり返すような疑問じゃないね。フィクション御承知、ご無理ごモットモの「瞬間疑惑」だワね。そうしないと、『戦国自衛隊』なんて映画は「存在しちゃいかん」ということになるからな。しっかり予告編をチェキラウトしたぞ。萬屋錦之介主演『子連れ狼』シリーズ三部作は主役のアイシャドーが濃すぎてね、何であんな役作りをしたのか、未だに謎というか、疑問だしなーっ。それから、主役が恰幅が良すぎて、下腹が安定しすぎなんだよ。彼らは真剣に演技しているのに、観客が安易に批判しちゃいけないんだけれどもね。もちろん「確かに傑作だ」と閣下も思うし、感涙もするし、本当に錦ちゃん大好きなんだけれども。乳母車の下に仕込んだ仕込み機関銃で十数人をすべて殺戮するなんて、そりゃ時代考証メチャメチャだよ。閣下はちゃんと何発発射音が響いたか、カウントしてました。バッチです。ハイッ。ペリーの黒船来航以前には絶対に不可能です。重機関銃8丁分は撃ちまくりましたから。物量的にも、スペース的にも。ハッハッハッ。________________も一つ、注文をつけておこう。それは主役の役所コージだ。彼はこの配役の「少佐・潜水艦長」にしては年齢が古すぎる。予備役復帰組じゃないかと思われるけれど、海軍はそんなことはしなかった。陸軍はやった。あれは任務が広いから、確かに内地の防空任務とかで予備役将校を一部は現役復帰させたな。海軍は操船技術とか暗号とか、新兵器とか、予備役になったらわからなくなることばかりなので、佐官も将官も予備役の現役復帰は一例もない。現場が混乱するじゃないか。ありえない。潜水艦長の少佐が、作戦課長のエリート大佐よりも、やつれて古ボケ過ぎている。年功序列が基本の軍隊組織に、それは決してありえないこと。ヒゲは戦時の海軍は衛生面を配慮して特に厳格な禁令が出された。太平洋戦争でジャングルでもない通常配備の海軍将校たるものがヒゲなんて、どこにも聞いたことがない。それもありえない。したがって、こんな「ありえないこと」をやってしまうのは、単なる原作者・脚本家・監督をひっくるめて、完全なる制作側の勉強不足なのだ。疑問や異論がキチッと出なかったから、こんな無理不条理がまかりとおってしまったのだ。時代劇の切られ役が、たまたま腕時計をはずし忘れて、そのまま「やられたーっ」とオンエアしてしまったようなものだ。閣下ならば、悪役医師(大尉)役の石黒を、マジメ一本の副長にする。副長役の柳葉を主役の潜水艦長役。役所は。そうさな。悪役医師をやらせたら、本当に身の毛がよだつような演技をしてくれたんじゃないの。メフィストのように、「悪役」が板につく相当な年齢ってあるんだよ。年功のある噺家の人情話みたいなもんでね。こんな洋行帰りの医師の役なんて、年齢は関係ないじゃないの。テレビ東京・『ガイアの夜明け』で、役所が演じているのは、さわやかなマジメ管理職じゃないでしょ。どうみたって、ドロップアウトしたホームレスおじさんですぞ。それはねえ、フジテレビ・『踊る大捜査線』で、柳葉が演じている警視庁の課長さんの役ドコロじゃないの。だから柳葉艦長が真っ赤な顔をして苦悩したり、男涙で決断すると、絵になるはずだったんよ。_____________________んじゃ、ここいらでまとめようか。つまり、『ローレライ』は原作者の戦略構想が不勉強で、「底が見え見え」でした。それから役者の配役に「手違い」がありました。でも、映画館でお金を払って鑑賞する価値はあります。曹操閣下が保証します。以上。講義おわりッ。敬礼ッ。
2005.03.14

「写真を見て、ドキッとしました」んな☆おやじギャグ☆お許しくだされい。ハッハッ。■北海道最古の土器と判明 1万4000年前に使用? 北海道帯広市の大正3遺跡で2003年、出土したつめ形の文様のある土器が、本州の縄文時代草創期に当たる1万4000-1万4500年前の物であることが11日までに、分かった。北海道で見つかり、年代測定された土器としては最古となる。 北海道ではこれまで、大麻1遺跡(江別市)で出土した約1万年前の土器片が最古とされていたが、北海道の土器使用の開始時期が早まる可能性がある。 帯広市教委によると、大正3遺跡から出土したのは、つめ形文などがある5、6個分の土器の破片数百と、半月形石器など。土器片に付いていた炭を放射性炭素年代測定法で測定した後、暦年代との誤差を補正する方法で算出した。 つめ形文が全面に付いた土器は、本州でも1万2000-1万3000年前とされており、今回の土器がつめ形文土器としては初期のものである可能性もある。 市教委の山原敏朗学芸員は「これまでは、本州で作られたものが北海道に持ち込まれたとされていたが、地元で土器が作られ、その文様が本州に伝わった可能性も捨てきれなくなった」と話している。(共同通信)(03/11 22:51)_________★縄文時代の本家論争したいわけかなあ。でも誤差500年なんて、過去は江戸時代を飛び越えて、室町時代じゃないか。そりゃいくらなんでも想像不可能だよ。「白頭山麓の北朝鮮原人が全人類の祖先だ」なんて、平壌トンデモNEWSみたいなものだな。こりゃ★
2005.03.12
This Boy (「コイツはね」)That boy took my love away Oh, he'll regret it some day アイツはね ボクの彼女を 奪っていっちゃったんだやれやれ いつか彼は 後悔することになるだろうさBut this boy wants you back again でも コイツはね キミを 呼びもどしたいんだってThat boy isn't good for you Though he may want you too アイツはね キミにふさわしくないんだ彼がキミに告白したとしてもねThis boy wants you back again コイツはね キミを 呼びもどしたいんだってOh, and this boy would be happy Just to love you, but oh, my, oh ああ それにコイツはねキミを愛するだけで 幸せになれるんだでもねThat boy won't be happy till he's seen you cry アイツときたら キミが泣くところを見るまで幸せになれないだろうよThis boy wouldn't mind the pain コイツはね 失恋の悲しみなんて 気にしないよWould always feel the same If this boy gets you back again もし キミがもう一度 もどってきてくれるなら同じことさ なにごともなく いつもどおりThis boy, this boy... コイツはね そんな男なのさ_________□名曲だね。
2005.03.11

こういう機会だから、ということで、閣下は用意したビートルズ・アンソロジーのDVDボックスを全部、最初から終わりまで見ることになった。 いろいろ考えさせられるものがあったな。ポールやジョージ(生前)が、「ろくに女性も知らないのに、ハンブルグでストリッパーの女性と関係を持った」と告白していたのはビックリ仰天した。それから、メジャー・デビュー第1号になった『ラブ・ミー・ドゥ』だが、ヒットチャートは最高17位どまり。ところが、ビートルズは未だにリバプールを本拠としていたダンス・フロア・バンドであり、彼ら本人たちは「奇跡のように喜んだ」という。第2弾になった『プリーズ・プリーズ・ミー』(ジョン・レノンの解説では「どうぞ、私を喜ばせて」という意味)だが、その時にもビートルズは小さなバンにすし詰めになって、地方巡業をしていた。メインになることはめずらしかったが、『プリーズ☆』がヒットすると、バックバンド扱いから、きちんとしたメインキャストで迎えられるようになったという。それでも、こんなことがあった。吹雪のふきすさぶ厳冬の一日、彼らの乗ったバンの窓が割れた。運転手のマル・エバンズは窓を壊して、そのまま車を走らせた。後ろの三人は交代して、車の中で「押し競饅頭」をして、互いをかばい、暖めあったというのだ。すでに英国ヒットチャート1位を制覇しているのに。驚きだった。さて、こんな調子では、こんなところには描ききれないエピソードばかりだが、閣下がDVDの豊富な映像資料を見て、それなりに「ハハン」と気づいたことがある。それは「ビートルマニア」と言われた熱狂的な若い女の子たちだ。彼女たちが、あそこまで熱狂した理由は。それは若い美少年ポールとジョージの2人が、仲良く1つのマイクを間に「イエーイッ」とコーラスを入れるところだ。ここで女の子は我を忘れて熱狂し、叫び声をあげている。わかるかな。閣下も最近になって、よおくわかってきたのだ。腐女子の秘密☆ハッハッハッ。
2005.03.10

なぜだろう。このCDアルバムを聴いて、感動のために涙を流してしまった。今の閉鎖的な環境が昔の潜水艦の生活と似ているからかな。音楽を聴いていると、鮮やかに映画のシーンが記憶によみがえってくる。かつて「夢はカラーでは見えない」という心理学の学説を聞いたことがある。しかし、閣下について言えば、白黒テレビはもう記憶の外の出来事だ。寝ているときの夢もカラー映像を意識することが多い。別に変なクスリは使っていないよ。それだけ「右脳のイメージ能力が強い」ということか。今日の自分に感謝。
2005.03.09

ビートルズのアルバム【リボルバー】から For No One (誰のためでもなく)Your day breaks, your mind aches, you find that all her words of kindness linger on, When she no longer needs you夜が 明けても 心は闇やさしかった 彼女の言葉の ささやきがあなたの 心の中を かき乱す彼女は もう あなたを必要としていないのにShe wakes up, she makes up, she takes her time and doesn't feel she has to hurry, She no longer needs you 彼女は起き 化粧をして外に 出かけようとしているでも 急いでいるわけじゃない彼女は もう あなたなんか必要としていないのだからAnd in her eyes, you see nothing, no sign of love behind the tears, cried for no one,A love that should have lasted years彼女の瞳には もう 恋の面影はない誰のためでもなく 流した涙のあとにもそれは もっと続く愛だと思っていた You want her, you need her, and yet you don't believe her, when she says her love is dead, You think she needs you彼女が ほしい彼女が 必要だそう 思いつづける あなたは「終わりね。別れて」と彼女が 言ってもまだ 信じられない彼女は きっと 戻ってくると You stay home, she goes out, she says that long ago she knew someone but now he's gone She doesn't need him,あなたは 部屋にのこり彼女は 去っていくいつの日か 彼女は 言うだろう「昔ね、誰かさんと一緒だったわ。けど、今は何でもないことね」って彼女は もう彼なんか いらないのだから Your day breaks, your mind aches, There will be times when all the things she said,will fill your head, you won't forget her 朝が来ても 心は閉じたままそういつの日か 彼女がいうとおり何もかもが 過去になるだろうでも そのときまであなたは 彼女のことで頭の中がいっぱい忘れることなんかできやしないAnd in her eyes, you see nothing, no sign of love behind the tears, cried for no one,A love that should have lasted years彼女の瞳には もう 恋の面影はない誰のためでもなく 流した涙のあとにもそれは もっと続く愛だと思っていたのに%%%%%%%%%%%%%%%%★閣下訳。名曲は泣けるねえ。(涙
2005.03.05
いいねえ。プレゼントされました。
2005.03.04

今日は雛祭り。銀座のマリアージュ・フレール本店☆サロン・ド・テに閣下は出かけた。お相手はヒミツ☆ 店員は、閣下たちの対応にすごく気を使ってくれた。そりゃね、店のど真ん中に、フランス語をしゃべりまくる女の子がすわったら、緊張するし、気を使うわなあ。どうやらホテルのレストラン勤務の経験がある人々らしい。ただのバイト店員ではない。どことなく動きはぎこちないが、懸命にやっている。それは好感を持てた。銀座エルメスは、店頭ディスプレイにジャン・ポール・ゴルチェのペイント・ジーンズを飾っている。やっているな。一目で、JPGだとわかる。お相手にすごく受けていた。それから☆ヒミツだよ。
2005.03.03
健康だなあ☆鍛えてますね。
2005.03.02
いろいろ取り沙汰が多い今期のパリコレで、Gaultierのアトリエは元気いっぱいのようだ。エルメスのチーフデザイナーに就任したことは、明らかにプラスになった。彼はこれまでジーンズ系の縫製のノウハウしか持っていなかった。それが数百年の馬具製造技術をもったエルメスと融合することによって、高度な縫製や布地の立体裁断技術に踏み込んだ。これはエルメスのデザイナーがあえて挑戦しなかった「シナジー融合」である。具体的には。エルメスのバッグの縫製技術。皮革を裁断して、立体に仕上げる技術。これが女性の起伏に富んだ身体をつつむ立体裁断に応用できるわけだ。イブ・サンローランが肩パットを積み上げて重い服で造形を試みたのに対して、エルメスのノウハウをつかえばテトラパックのように軽い服の造形ができる。サンローランの時代には、お針子がマネキンと格闘して立体裁断をやっていた。ディオールのオートクチュールは今でもこの方法にこだわっている。これはココ・シャネルが編み出した方法なんだが、もちろん今ではコンピューターの3Dシミュレーターで微積分解析して、レーザー・カットでミクロン単位の誤差もない型紙を出すようにしている。シャネルは世界中に店舗があり、各国で内覧会をするだけでも、使いまわしはできない。オートクチュールも量産体制を組まなくてはならないから大変なのだ。ゴルチェとエルメスの関係は、結果的にアトリエの資本増強になった。ゴルチェのアトリエも、レーザー・カットで型紙をつくり、造形は思いのままだ。鬼に金棒、ファッションの鬼才に最新テクノロジーといったところか。
2005.03.01
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