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ソバの起源は中国西南部…ダッタンはチベット高原 中国とドイツの共同研究チームは27日までに、日本のそばなどの原料になるソバの起源が中国西南部にあるとする研究結果を発表した。新華社が同日報じた。 新華社電によると、研究チームは過去十数年にわたり中国西部などに分布するソバ170種類を比較分析。その結果、気候が温暖な西南部のソバが起源にあたると判明したという。 普通種のソバとは別の種類で、苦味が強く健康食などに利用されているダッタンソバについては「チベット高原東部が起源」とした。(共同) ZAKZAK 2005/12/28☆なるほどね。 やっぱり自然食は古来より崑崙(雲南)にあり。
2005.12.31
ローソン24時間営業つらい、オーナー高齢化で 寒冷地、冬季深夜営業の廃止も検討 コンビニエンスストア大手のローソンが、24時間営業について一部見直す方針であることが28日までに分かった。背景には各店舗の経営者の高齢化に加え、新規加盟店オーナーが集まらない事情があるという。 24時間営業見直しは、28日付の朝日新聞が報じた。それによると、一部店舗で、2年後にも24時間営業を取りやめる方針を、同社の新浪剛史社長が明らかにしたという。 オーナーの年齢層の主体が、50歳前後に移っており、「24時間開けている必要はないのではないか」「体力的につらい」といった声が寄せられるようになったといい、新浪社長は、「来年度に実験店を設けた上で、2年後ぐらいに本格的にやるのではないか」と話し、寒冷地の冬季深夜営業停止などの案を検討し、今後、詳細を詰めるという。 ローソンは今年2月末現在、全国47都道府県に8077店を出店。このほか、中国・上海にも合弁で215店を出している。このうち、国内店舗については、夜間に閉鎖するビル内で営業している店などを除いて、原則として24時間営業を行っているのが実情だ。 コンビニ業界では、既存店売上高が、今年11月まで、16カ月連続で前年同月割れしている。 こうした現状の中、売り上げを伸ばすには新規出店が必須。実際、ローソンでは、2001年から2002年の間に微減したのを除き、創業から一貫して店舗数は拡大の一途をたどっている。 だが当然、そこにはひずみも生じる。特に都市部などで、同一社のコンビニ店舗が近くにできるといった例はよく見られ、全体の売り上げこそ伸びるものの、パイの食い合いとなって、既存店舗の売上高が減るといったジレンマも。 ローソンでは、フランチャイズ契約の締結時に提示された利益予測を、実際には大きく下回ったなどとして、FC契約をしたオーナーなどから損害賠償を求められ、地裁がこれを認めたことなどもある。 業界内からは、「24時間営業してこそコンビニだ」といった声も上がっているが、果たして、ローソンの動きを他社が追随するかどうか。 ZAKZAK 2005/12/28☆銀行ATMみたいに、無人販売だけのコーナーと、いつものレジ販売の二つに分割すればいいんじゃないかな。 営業時間がセブン・イレブンにもどる手もあるな。 まあ、競争してみてくれ。消費者が選ぶから。
2005.12.30
あまり詳しくは聞いていない(女の子たちしかいない)ので、推測で書こう。久々にマダム・ミクニにランチに行った。そこで発見《モンゴル平茸》。モンゴルの人たちは平茸とか、とにかくキノコ類はほとんど食べないだろう。中国の食材会社ならば、もちろん美味ありと聞けば、地の果てまでやってくる。ツバメの巣のゼリーは、海辺の断崖絶壁で採取される。孟子が《旨いから何度でも食べたい》と断言した「熊の手のひら」は、野生の熊の絶滅が心配されるほど乱獲されている。しかし、三国シェフがこんな新食材をモンゴルで発見したとは驚きだ。これは確かにうまい。熱を加えても折れず、歯ごたえの弾力感がちがう。価格もそんなに高くないのだろう。ふんだんに使っている。ふと気がついたのが、この新しい平茸はどうやらワイン・ビネガーの壜漬けにして日本に持ち込まれているらしい。これは輸入商社の発想ではあるまい。さすが三国シェフなり。そこで思うのだが、日本の有名シェフには二つの傾向が明確になってきた。一つは熊谷喜八さんや、わがオーベルジュ・ド・スズキの鈴木シェフのようにキャッチ・アップ型なんだよね。日本の有名シェフがフランスの三ツ星レストランを食べ歩きするというのは、それは確かにすばらしいこと。でも、それはアメリカの自動車を昔の日本の自動車会社が参考にするという30年前の経済構造と同じものだ。三国シェフは独自の新しい食材を求めて、モンゴル平原まで行った。彼の料理は、ミシェル・トロワグロさんが絶賛するほどの腕。もちろんミシェラン三ツ星よりも、レジョンドヌール・シュバリエ勲章のほうが権威がある。《バサラ》の小山さんのほうがこの勲章で名前を売ったが、三国シェフも受賞しているのだ。三国さんほどの人になると、料理の技法より、世界の有名シェフたちは「新しい食材」という新たなステージについて話題を渇望していることがよくわかる。これはアメリカの経営アカデミーをはじめ、国際学会に出ている経営学者として、「世界の要求」がそのように共感できるのだ。モンゴル平茸は、三国シェフの手で、全世界に紹介されることになるのかな。ヴォルフギャング・パックさんが採用すれば、国際的なニュースになるだろう。
2005.12.29

虎ノ門に来たら、他の店に行くことはない。まあ、必ず「ここ」という店があるのはうれしいよ。プティ・トノーは何度も取り上げたが、http://plaza.rakuten.co.jp/kakkanogourmet/diary/200509050000/前菜・パスタ・紅茶のセットで1050円で出している。この店は久しぶりに来た。このあたりの店は、飲み物なしでランチ900円などというところが多い。霞ヶ関ビルの日東紅茶ダーリントン・ホールなど、まさにオムライス900円なのだ。まあ味は大したことはないよ。虎ノ門に来た以上は、まあ他でランチすると損した気分になること請け合いである。
2005.12.27
出雲高吹奏楽部:世界舞台で腕試し 全米名誉バンドフェス招待受け、猛特訓 /島根 県立出雲高校(出雲市今市町、岩浅宏志校長)吹奏楽部が来年3月、 米国フロリダ州のテーマパーク「ウォルトディズニーワールド」で開かれる全米名誉バンドフェスティバルに参加する。 同フェスティバルはディズニー音楽プログラムの最高峰。 全米からオーディションで選ばれたトップレベルの高校吹奏楽バンド38団体とオーケストラが招待されるが、同校は海外バンドとして初めての招待となる。 世界の舞台での腕試しを前に、部員は懸命に練習に取り組んでいる。【細川貴代】 推薦を受けて申し込んだオーディションを通過し、出場が決まったのは10月。 来年3月27日からの10日間、同パークのメーンストリートで開催される公式パレードに参加し、米国を代表する音楽指導者から評価・指導を受ける。期間中は現地の家庭にホームステイし、環境保護のためのチャリティーコンサート参加、地元高校の音楽授業の見学などもする。 同校の部員は1、2年生85人。人数の多さは県内最大規模で、ダイナミックな演奏が特徴。これまで全国大会に21回、中国地区大会には毎年出場している。 顧問の大久保修教諭(38)は「自主性が強くて自ら進んで行動する子ばかり」と評価。 授業前に自主練習、授業後に通常練習を土日含め毎日している。 練習も年明けからは大詰めだ。部長の小川純平さん(17)=2年=は「出場は、うれしい反面驚いている。米国では日本代表として恥じない演奏をしてきたい」と笑顔を見せた。12月24日朝刊(毎日新聞) - 12月24日17時16分更新☆その手があったか。 ハッハッハッ。
2005.12.25
わが友、ルチアーノ・パヴァロッティの《誰も寝てはならぬ・NESUN DORMA》をみんなにプレゼントしよう。もちろん、グルメな閣下は1990年のミラノ録音と、2001年ハリウッドの三大テノール競演ミレニアムコンサート録音の二つを用意した。ミラノのルチアーノは若い。ラストの声の伸びはさすが。いわば力技である。ハリウッドのルチアーノはさすがに歳がいっていて、かなり技巧や情感の出し方に工夫が見られる。この「違いを楽しむ」ところにグルメの精神世界があるわけだ。ではよい年末を。
2005.12.24
閣下は、「さいたまスーパーアリーナ」に付属する《ジョン・レノン博物館》に行ってきた。一回だけ来たことがあるが、開館当初だったので陳列品はほとんどパネルであった。この《ジョン・レノン・ミュージアム》は、埼玉県の公共工事を仕切ってきたゼネコン・大成建設の基金で設立された。その経緯が気に入らなかったので、これまで避けてきたのである。一番、衝撃を受けたのは、ジョン・レノンが軽井沢に滞在した一夏に着ていたパッチワークの服である。聞くと、日本の店で気に入って買ったものらしい。何が衝撃か。閣下は高校受験勉強をしていた中学二年生の夏休みに、長野に学習塾主催の合宿セミナーに参加していたのだ。一つは高天原スキー場、もう一つは中軽井沢の民宿だった。軽井沢で過ごしていた夏、閣下と遊び仲間(二人)は前の晩に相談して決めた「脱出作戦」を敢行した。旧軽井沢ロータリーまでタクシーを飛ばして、昼食休みを利用しようとしたわけだ。閣下と仲間たちは、うまく授業終わり間際を脱出し、窓から目をつけていた少し離れたタクシーに飛び乗った。何のことはない、珈琲一杯を飲んで、避暑地・軽井沢の雰囲気を満喫したかったのだ。さて喫茶店にはいったわれわれは、しばらくして奇抜な格好をした背の高い外国人がノッソリと入ってくるのを目撃した。頭には白帽子、そしてパッチワークの派手なシャツ。ジョン・レノンだった。その服が、目の前に展示されていたので、本当に卒倒しそうになった。木造の、暗い山小屋風の珈琲屋である。もちろん気軽に話しかけるわけにいかない。横目で見た記憶。「あれ、もしかしたらレノンか」すごく興奮した。忘れかけていた記憶が鮮明に蘇った。あれは確かにジョン・レノンだったのだ。涙があふれた。恥ずかしいとか言っていられない。
2005.12.17

閣下は、「さいたまスーパーアリーナ」に付属する《ジョン・レノン博物館・JLM》に来ている。『曹操注解・孫子の兵法』のサイトで、アメリカのジョージ・パットン将軍のことを書いた。パットンは先天的に「読書障害」という重荷を背負って生まれてきた。文字が読めないし、読むことに集中できない。今日の学校教育では、こうした児童・生徒は「問題児」としてかたずけられてしまう。しかし、マグナカルタ(大憲章)署名者たちやアメリカ建国の父たちを祖先に持つパットンの父親と母親は必死になって努力を重ねた。____________父は息子に乗馬や釣りを教え、その他、男として知るべきことを教えた。彼は男になっていく。だが一つ問題があって、「読書障害」を患っていたと考えられている。そのため、彼は12歳になるまで学校に行っていない。家では父母から本を読んでもらった。父母が読み聞かせたのは、聖書や古典だった。ヴェルギリウス、ホメロス、偉大な古典を読み聞かせた。内容は歴史、古代ギリシャの戦争、スパルタ人のことなど。それが頭に刻み込まれた。S.C.クラーク中等学校に入学した。この学校は当時、パサディナにあった。面白いのは、この12歳の少年パットンがほかの生徒たちとちがって読み書きができないのに、聖書の中味を暗誦したということだ。ヴェルギリウスの著作も暗誦し、シェークスピアもそらんじた。しかも、それを劇的な表現でおこなった。12歳で、すでに「役者」だったのだ。パサディナの後、パットンはヴァージニア軍事学校に進学した。そこで学んだのは一年間だった。その一年で、裏で父親が精力的に動いて、カリフォルニア選出の上院・下院議員に働きかけて、息子をウェスト・ポイントに入学させた。その実現に一年を要したのだ。パットンはヴァージニアで一年間、新入生の経験をしたが、結果的には三年間、新入生と同じ経験をすることになった。ヴァージニアに一年いて、それからウェスト・ポイントへ。その一年目も大変だったらしい。普通にやるのが大きな苦労だった。「読書障害」もあり、トラブルも多かった。だが、彼は何とか挫けずにやりとおした。やるしかないと腹を決め、粘り抜いた。一年後、彼はわずかの失点で数学の単位を落としてしまった。どういう理由だったのか、(今は)調査してもわからない。ただ、一つの科目で落第点をとると、ほかの教科でも追試験になる。フランス語は及第点をとっていたのに、追試験を受けるハメになった。そして追試験の結果、これもわずかの失点で落第してしまった。退学になるところを学校当局と直談判でかけあったが、非常に軍人的資質をもった生徒だと認められたので、学校側も再挑戦を認めた。翌年、彼は士官学校で再び新入生をやった。前年、同級生だったものが、全員一年先輩になっているという状況だ。その時の上級生は、みなその(落第の)事実を知っている。彼は五年かかって、同校を卒業した。_______________今回、JLMを訪ねてわかったことは、レノンもまたパットンと同じように学習障害をもっていたのではないかという発見だった。このことは「閣下の珍説」とかたずけてもいい。しかし、大きな証拠がある。それはレノンが日本語の単語を覚えるために、どっさりと書いたイラスト集である。彼は日本語の単語や会話を学習するために、概念やTPOをすべてイラストに表現して、彼なりに記憶していたのだ。その単語や概念の解釈がすばらしく天才的なのだ。これは閣下にとって衝撃の一品であった。それについては、具体的にこれから説明していこう。イラストを描きながら、文字や概念を学習していく。この《ジョン・レノン学習法》によって、多くの学習障害児たちに希望の未来がもたらされるかも知れないのだ。やっぱり天才だ。
2005.12.16
閣下は、「さいたまスーパーアリーナ」に付属する《ジョン・レノン博物館・JLM》に来ている。
2005.12.15
閣下は、「さいたまスーパーアリーナ」に付属する《ジョン・レノン博物館・JLM》に来ている。
2005.12.14
閣下は、「さいたまスーパーアリーナ」に付属する《ジョン・レノン博物館・JLM》に来ている。
2005.12.13
閣下はビックリした。一つは台湾映画のポスターである。まるでビートルズのようなボブ・ヘアーの女の子がキスしている。これはまさしく黒田清子さん・前内親王の髪型なのだ。清子さんは小さいころから髪型を変えていないと思う。その意味では、やはり自分というものを強く持った女性なのだろう。もう一つ驚いたのは月刊「SOUP」の表紙だ。これもプリンセス・ボブである。台湾は日本の皇室を尊敬する空気が強い。だから台湾の女性に、内親王のファッションが受け容れられるのは自然だ。しかし、茶髪やピアスが普通になったギャル文化の日本の若い女の子たちに、さて内親王のヘアスタイルが流行るだろうか。秋篠宮の姫宮たちは、やはりプリンセス・ボブだから、上流階級を中心に、やはりジワジワと浸透して市民権になるかもしれない。「まさか」というのは申し訳ない。あれは日本伝統の「カムロ・禿」という髪型で、稚児人形などにも見られるものだ。しかし、はっきりいうと、遊郭の小間使いをしていた幼女たちのヘアスタイルであり、彼女たちの名前も髪型から「カムロ」というのだった。最初に内親王に、単に「かわいいから」という理由で、この髪型を教え込んだ理髪師は有職故実の知識がなかったんだね。うーん。やっぱり日本は「フジヤマ」・「ゲイシャ」の国なのか。
2005.12.12
今日は久々に新宿マイシティの「くじら軒」に行ってきた。前の日記でマヌケなバイトのチンタラを酷評したが。あれはラーメンそのものの味じゃなくてさ、客としてスタッフ(店の呼び名)の態度や素振りがおかしいと非常に気になるわけだ。特に行列のできる店で、従業員が客に対して「傲慢な態度」に出ることは、店長なり経営者が一番配慮し、警戒しなければならない。別に従業員が美男美女だから、客が行列しているわけではないのだ。それなのに、いつのまにか従業員が、店長代理のような顔をして、客を整理したりする。これは腹立たしい。政治家の秘書もね、長くやっていたり、勘違いした若手が、「私は議員代理です」みたいな顔をしていたり、「私は副議員なのです」と名刺に書き込みそうな傲慢な秘書がいる。今日は、くじら軒の大将が、旭川本店から麺を打ちに来ていた。さすがだ。自分で何もかもやっている。仕事も正確。若いスタッフたちに、あのムダのない動きの意味がわかるだろうか。まったく休むヒマも見せない。これは彼自身の長い苦労がなせる姿、まことに労働の美学といってもいいぐらいの動きだった。実はこれが今日一番の収穫だった。くじら軒の大将、ますますの発展を祈る。
2005.12.11
グルメな閣下が、アンチ・グルメの世界、アメリカン・フードについて少し書いているが、今日はアメリカの誇る最高のグルメについても書いておこうと思う。今日の話題はヴォルフギャング・パック。http://www.wolfgangpuck.com/六本木ヒルズに出店したので一躍有名になったアメリカン・グルメの料理店なんだが、日本に進出したのはプリフィックスのカフェなんだな。http://www.wp-japan.jp/閣下は新宿店(マイシティ8階・くじら軒の上)のオープンの時、一応はグルメ客として出かけ、パックさんと握手できた。http://happy.woman.excite.co.jp/shunkan/01/c_eat1.htmlパックさんの料理は伝統の枠を飛び越えた斬新なものだ。パックさんがアカデミー賞の授賞式晩餐会の総料理長として提供されるスモーク・サーモン・ピッツァは、日本の店でも気軽に食べられる。日本でもタコライスとかナンタコスのような異文化折衷料理が生まれる素地ができつつつあるが、もちろんピザの本場イタリアでは邪道以外のなにものでもない。ピザにいれるのはアンチョビ(イワシ)と決まっている。日本ではツナ(マグロ煮)を入れたりしているけれど、これもイタリアでは受けないだろう(笑。でも、マーケティングではこう考える。「まさか」という戦略はありうるのだ。好例はフランスのユーロ・ディズニーランドである。本物のシュノンソー城や、クリスチャンボー宮殿よりも、観光客はシンデレラ城が好きなのだ。
2005.12.10
グルメな閣下が、アンチ・グルメの世界、アメリカン・フードについて少し書いておこうと思う。今日の話題はFRIDAY's。閣下のテリトリーの一つ、下北沢南口にFRIDAY'Sが進出した。それで「あっ出ているんだ」と気がついた。チェーン展開している日本代理店は居酒屋《和民》のワタミ・フーズである。なるほど、これならば店舗経営ノウハウもあるし、店員教育もやりやすいわけだ。ここはアメリカの「すかいらーく」みたいなファミレスなのだ。いってみれば、アメリカの新興住宅街の憩いの場なんだな。とにかくケチャップとか、ソースとか、大阪のたこ焼きみたいに、コテコテと塗りつけて肉やジャガイモ・卵を食べるのがアメリカン・フーズである。ここの特徴は、最近は普通になってきた一皿のアメリカン・サイズ。値段は安くない。しかし大皿の大盛というわけだ。シェーキーズのように、どうでもいい塩味ソース味のものをどんどこ出す。たまたま友人と、高輪プリンスホテルの隣り、ホテル・パシフィック店に行って、ちょっとびっくりした。外国人ばかりなのだ。いや、もちろんアメリカ人ばかりだろう。本来は六本木あたりで飲んでいる連中だ。しかし、六本木店は日本人も多い。ここで外国人ばかりで、ゆっくりと飯を食べたいというのがホンネのようだ。英語(かなりナマッている)で歌も歌う。酒場だからな。でも明るい仲間たちだけではない。一人でタバコをふかしてボッとしている男。何だか寂しそうにうつむいて、ハンバーガーも食べないでいる女性。偶然だが、日本に住んでいる彼らの孤独感がよくわかった。北京の日本人留学生たちが王府井の吉野家の牛丼を食べに行くように。
2005.12.09
グルメな閣下が、アンチ・グルメの世界、アメリカン・フードについて少し書いておこうと思う。今日の話題はSIZZLER。
2005.12.08
閣下は東京に帰ってきて、つくづく考えている。烏丸寄りの三条・柳馬場に《万菜・はせがわ》という「おばん菜バイキング」の店がある。http://gourmet.yahoo.co.jp/gourmet/閣下も期待して行ったのだが、どうもいけない。これはグルメ向きの店ではないとわかった。京都はもちろん《おばん菜》の文化的な発信地であるはずなのだが、いかにも力不足に思える。サバの焼き魚がただ塩をつけて焼いただけというのは驚いた。もうちょっと工夫が必要だろう。嵐山の料亭・弁慶がプロデュースしている嵯峨・天竜寺門前の《ぎゃあ亭》を最初に知った時は、これはもう感激の連続だった。http://machi.goo.ne.jp/report/kyoto/20051020.asp「大根のたいたん」という意味さえ、閣下は小惑星タイタンと間違えてしまったほどだ(笑。しかし、気がついてみると、ぎゃあ亭の料理も相当に手抜きものであると気がつくようになった。これはいけない。一つはここ数年で、閣下は和食に非常にうるさくなったことだ。これは《なだ万・帝国ホテル店》のおかげである。《吉兆》や《伊勢長》にも世話になり、かなり和食の味について勉強させてもらった。もう一つは、サントリーの料飲食チェーン《ダイナック・響》の膳丸・新宿店がやっている「おばん菜ブッフェ」である。これで閣下の「おばん菜」の味は決定された。ここではサバの焼き魚一つにも山椒をきかせたり、臭みを抜く工夫の一手間を惜しまない。豆腐は佐賀からできたてを空輸している。http://www.suntory.co.jp/gourmet/shop/0332253038/food.htmlこれと比較すると、錦市場のおばん菜も今ひとつの味に思われる。新宿のおばん菜はれっきとした日本料理だ。京都よ、京都商売の悪しき退廃に沈殿するなかれ。東京の京都料理の勝負師魂、料理人の粋に注目すべし。
2005.12.07
閣下は京都に来ている。健康を気にするようになってから、関東の鰹ダシ醤油味の甘辛はきっぱりと拒絶して、京風の昆布ダシ白味噌に食味を変えた。これは実に具合がいい。舌が塩味でしびれないので、味もよくわかるようになった。塩味のつけ方にも、舌が肥えてしまった。関西では、「おでん」のことを「関東炊き」という。船井総研で大阪に出張していたとき、「関東炊きって知っていますか」と聞かれて当惑したことがある。スーパーの商品調査なのだが、聞いている大阪の社員も、その実態を知らなかったのが面白おかしく、なつかしい。もちろん、おでんと「関東炊き」は、ダシ汁や煮方がまったく違うのだから、具は同じでもまったく違う料理だといえるだろう。具が同じだからといって、カレーライスとハヤシライスを混同する人はいないだろう。京料理といえば「おばん菜」が有名で、これはもうどこにでもある。嵐山でも岡崎でも、「豆腐料理とおばん菜セット」という看板があちこちでぶら下がっている。京都の町衆の意見を聞いたことはないが、「あれはただの商いや、ほんまのおばん菜は別ものどすえ」と言われるだろう。料亭でおばん菜というものが出ると、また高くつくのだ。本当にイヤになってしまう。これが「高級おばん菜」なのか。シラケてしまう。料理屋で鱧焼きを食べたら、1万円を超えてしまう。錦小路の魚力本店では1000円(草履より大きい)の鱧焼きを200円引きにしてくれる。閣下は「おばん菜を食べたい」と思ったら、迷わずに堀川通りや大宮通りの庶民の町に足を向ける。狙いは食品スーパーだ。京都の普通の人々は、こうした地元の食品スーパーのおばちゃんたちの手づくりのおばん菜を食べている。ここならば、たくさん買っても500円以下だ。錦小路の専門店で同じ買い物をしたら、3000円は突き抜けるだろう。京都ほど裏表のある町はない。しかし、京都の裏町を知れば知るほど、京都は住みやすい街なのかもしれない。
2005.12.06
閣下は京都に来ている。京都に来ると、まず足を運ぶのは錦小路市場だ。京都に来たら、やっぱり鱧(ハモ)焼きを食べたい。しかし、うなぎの蒲焼みたいに、鱧焼きはあたこちの店で売っているものではない。鱧を食べるには調理する前に「骨切り」という面倒な作業が必要だ。だから、フグ料理のように特殊な技能を持った料理人がいないと、鱧料理は吸い物一つ出すことはできない。まして、繊細な舌ざわりを要求される甘酢味噌添えなどは、めったにお目にかかれないのだ。閣下の畏怖の念を打ち砕いたのは、錦小路の魚力である。http://www.kyoto-nishiki.or.jp/shop/uoriki/uoriki.htm何しろ威勢がいい。築地や御徒町アメ横には比較しようもないが、京都の店で、こんなに威勢のいい店は少ない。そして気前良くまけてくれる。閣下はここで鱧焼きを安く買い、高島屋などのデパ地下でうまい白飯を買って、おばん菜とともにオリジナルの鱧焼き丼を食べる。うまいのなんの。ハッハッハッ。
2005.12.05
閣下は京都に来ている。打田漬物は錦小路で生まれた漬物屋である。大安など全国展開している企業と違うのは、あまり外に出て行かないことだ。《土の香り・樽漬け製法を守り続ける》という経営理念は立派だ。閣下が最初に打田漬物のことを知ったのは、天竜寺管主の息子さんから送られたお歳暮だった。http://www.kyoto-uchida.ne.jp/「なるほど京都の人々はこういう漬物を食べているのか」と思った。錦小路を歩いていると、《味どんつき》は開店したばかりだった。http://www.kyoto-nishiki.or.jp/shop/shops.htm京都の漬物の食べ方、つまり「ぶぶ(おんぶ)漬け」の京茶漬を商品化したもので、なかなか新しい試みだったのである。「これは発展しますよ」と言ったら、すごく喜んでもらえた。女将は社長の妹さんだそうだ。「どんつき」というのは、京都の街小路の行き止まりである。つまりは「究極の味ということかな」と聞いたら、「いえいえ。京都の普通の家庭の味ということなんです」と謙遜された。話の途中で、私の住所の話題になると、「あれっ。そこは私、若いころに住んでいました」というのである。東京暮らしの中で、女将さんが一番渇望したのが、この何でもない「おんぶ漬け」の味だったのだろう。最初のころは、京都では当たり前のものを商品化したということもあって、さすがに大変だったらしい。しかし、閣下は今年、新宿の小田急ハルクの地下一階食品コーナーで、打田漬物の上の棚に「味どんつき」の味噌や茶漬が並んでいるのを発見した。これまで京都にこだわりつづけてきた内田漬物の東京進出の静かな始まりに、《味どんつき》が参加していた。閣下が笑顔になったことは言うまでもない。《味どんつき》の「味」の字は、ちょっと見ると「妹」とも読める。兄妹の愛が、この味を産んだのだ。
2005.12.04
閣下は京都に来ている。寺町・新京極と錦小路は京都の中でも最も先進地域といえるだろう。寺町四条を下がったあたりはパーツ屋が軒を並べ、いわゆる「裏秋葉原」のようなところだったが、ついに客が離れてしまった。「パソコン自作」という看板がむなしい。簡単なことで、いわゆる「萌え☆ブーム」に乗り切れなかったのだ。このあたりにフィギュアの店はない。少女アニメの格好をしたゴスロリ系の女の子たちもいない。いるのは寺町・新京極なのだ。それで、この地域は干上がってしまった。本家の秋葉系の「萌え☆革命」についていけなかったんだね。それに比べて、寺町アーケードは大きな変化が。古着屋がどんどん進出している。昔は修学旅行の学生相手のみやげ物屋だったかと思われるところが、軒並み改装され、このような「裏原系」の店に変わってしまった。京都の町衆も目を白黒させているだろう。錦小路の人々は、京都の町衆の中でもかなり開明的な人たちが多いと思う。この寺町の変化は、当然のことながら、おとなりの錦小路市場にも静かな変化を起こしていた。その発端として成功したのが《やお屋の二階》である。http://www.kanshin.com/keyword-852811これは文字通り、京野菜専門の八百屋の二階にしつらえられたもので、おばん菜の《長寿ランチ》が味わえる。http://www.gishi.co.jp/home/link_kanematsu.htmはじめたのは最近のことだ。数年前、閣下がいつものように錦小路を歩いていると、女将さんのご亭主が「ランチいかがですか」と誘ってくれたのだ。今では行列ができ、テレビの京都特集でも取り上げられ、こんなお誘いは必要がなくなったね(笑。お店の一角に、「占い」という看板を下げて、女の子が座っている。これも異様な感じがするが、近くの店の二階にできた「魔女の館」に触発されたお店の娘さんが始めたことだろう。当るかどうかは本人の努力次第。別に紹介する《味どんつき》も、打田漬物の社長の妹さんが創業した京茶漬けの専門店だ。同じ漬物業では《大安・だいやす》がやはり二階にお茶漬け・漬物セットを出す《漬物カフェ》をオープンした。これはなかなかいいんだけれど、本当は《漬物バイキング》のようなことをしたら、消費動向のサンプリングができると思うんだが。日本の商店は、一階で商売し、二階に寝起きするのが基本だった。しかし、商売を大きくしようと思ったら、商店となる建物全体を会社資産にしておくほうが税制上は都合がいい。それで、商店の二階は倉庫になったのが昭和バブルの傾向だったが、バブル崩壊の危機を乗り越えた商店主たちが、別業態の挑戦を「二階」ではじめたわけだ。京都の革新は、「ニ階」でおきつつある。
2005.12.03
閣下は京都に来ている。六本木ヒルズに出た《トラヤ・カフェ》はいつも満員で、太ったおばさんたちや雑誌情報でかけつけたグルメ・ファンのおしゃべりでうるさくてかなわない。静かでなくてはカフェの魅力は半減だ。そこにいくと、京都御所・中立売門の外、長者町の横丁を入ったところにある京都版トラヤ・カフェ《虎や茶寮》は実に静かでよろしい。閣下は京都御所関係でこのあたりに来ると、必ず昼飯抜きで、ここに立ち寄りたいと思う。赤坂見付の虎屋黒川本店の地下のカフェもおばさんたちが押しかけるようになっている。しかし、ここまで来れまい。京都のど真ん中で、心落ち着けたいと思ったら、ここしかないという結論だ。まあ、おばさんたちが押しかけるぐらいでないと、商売としては繁盛にならないから、これは客の欲目ではある。しかし、一保堂のように、客に対して「お茶はこう呑んでください」と丁寧にひとつひとつマナーを躾ける店もある。その姿が実に好ましく思える。客のマナーもカフェの魅力の一つになるものだ。それぐらいの文化を持ちたいものである。
2005.12.02
閣下は京都に来ている。寺町四条を上がったところにあるドミニック・ドゥーセは以前から注目していた。芦屋のビゴの店のビゴさんと同じく、鈴鹿のドゥーセさんはともにフランス政府からレジョン・ドヌール農事勲章を授けられた。「なぜ鈴鹿に」もともとはホンダが国際的なレースを呼ぶスポンサーとして、各国の選手をもてなすために、腕の良いパン職人だったドゥーセさんを鈴鹿サーキットの調理長として招いたということだ。それで独立して店を持ったのが鈴鹿市のドライブインのような店。彼の手がけたレシピは、JRと提携した《サンピエロ》で食べられる。しかし、やはり彼の味に近づきたいではないか。京都はおばん菜の王国だし、あちこちに焼きたてパンの店はたくさんある。路面店ではなく、アンデルセンのようにデパートを中心に商売を広げたらいいのにと思うのだが。味に比べて、客の出入りは今いちの雰囲気だった。これはドゥーセさんの責任ではないと思う。もっと彼の味を積極的に出せる場所が必要だったね。
2005.12.01
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