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曹操閣下はヨーロッパ出張・王立陸軍大学院客員講義という多忙の中、日本経営倫理学会哲学理念研究部会幹事として、 【経営倫理学用語辞典】の第二次項目の担当を依頼され、原稿執筆をすすめている。 諸君にも初稿を御覧に入れよう。◇『論語』 (ろんご) 孔子の死後、容貌風姿の似た弟子の一人を身代わりに崇敬する一派があらわれ、孔子の遺族と若手(曾子・子夏・子張など)が中心になり、言行録によって亡き師の教育の真髄を伝えようと編纂が始まったと考えられる。 ゆえに非常に近い立場から孔子の言動を観察、活写している。 門前で座り込んで帰宅を待ち構えていた腐れ縁の知人を「まだ死んでいないのか」と鞭で叩き出したり、愛弟子の顔回が貧窮の中で死亡した時、我を忘れて慟哭しかけ、自ら礼容に反したことに動揺するなど。 近代産業の父、渋沢栄一が愛した『論語』は、こうした正義感と情味あふれる人間性に共感したゆえであろう。 近年、前漢趙王墓から竹簡本が発見され、校訂が整理された。 『漢書・藝文志』には各国版の『論語』が掲載されているが、これは各地の方言で翻案されたテキストだと推定される。
2006.07.31
曹操閣下はヨーロッパ出張・王立陸軍大学院客員講義という多忙の中、日本経営倫理学会哲学理念研究部会幹事として、 【経営倫理学用語辞典】の第二次項目の担当を依頼され、原稿執筆をすすめている。 諸君にも初稿を御覧に入れよう。『商君書』 (しょうくんしょ) 公孫鞅[こうそんおう(?-BC.338)]の書。 集団開墾・集団農場制や市場統制策、軍事兵器産業の国営化など国家社会主義・統制経済体制が主張されている。 特に「軍市(軍事予算の購買力)」と物価均衡の考察は古典経済学のレベルに達している。 これらの主張や政策は、彼が学んだ諸子百家の政策を総合的に活用したもので、恐るべき軍産複合国家の姿がうかがえる。 現在は考古学的発見が相次ぎ、始皇帝が統一した銅量升の脇に公孫鞅の銘文があったり、兵器の小さな部品一つ一つに「大良造鞅」の品質管理の刻印が確認されている。 1972年に湖北省雲夢県睡虎池の戦国時代の官吏の墓から出土した膨大な法律関係文献に、わずか数本の『工律』という工業法規が発見された。・「1.製品は規定どおりの長さ・重さ・品質で生産せよ」・「2.不良品や規格外の品を工場から出してはならない」・「3.生産量と納期のノルマが達成できない時は、工場長を免職、補佐に罰金を科す」。 この産業革命に匹敵する工業政策が60万の軍隊を動かす始皇帝の天下統一をもたらしたのである。
2006.07.30
曹操閣下はヨーロッパ出張・王立陸軍大学院客員講義という多忙の中、日本経営倫理学会哲学理念研究部会幹事として、 【経営倫理学用語辞典】の第二次項目の担当を依頼され、原稿執筆をすすめている。 諸君にも初稿を御覧に入れよう。◇儒教思想 (じゅきょうしそう) 孔子門下の中で魏(山西省南部)の子夏の系統、孔子の遺族が「孔子の学」を継承していたが、始皇帝の弾圧、焚書事件を契機に、著作と文献をもとにした学堂講習がはじまり、卒業生が行政官に登用、前漢初期に「儒学派」が生まれた。 しかし「為政者が率先して男子市民ほとんどに文字や礼法・楽曲を教育する」という孔子の理想政治は忘れられ、やがて時間と資金に余裕のある知識人の子弟のみが立身出世を目指す受験勉強の学問に変容した。 後の儒教思想家、朱子・王陽明も試験秀才だった。 つまり孔子の思想と草創期の儒学、孔子廟を拠点とする現在の儒教は別個の総括を要する相互矛盾した思想系列である。 孔子は部分的な教条のみが強調され、長子相続や女性蔑視など封建慣習なども「儒教文化の伝統」と膾炙された。 二千年以上をかけ、哲学が思想に、思想が民間信仰に退行したのである。
2006.07.29
曹操閣下はヨーロッパ出張・王立陸軍大学院客員講義という多忙の中、日本経営倫理学会哲学理念研究部会幹事として、 【経営倫理学用語辞典】の第二次項目の担当を依頼され、原稿執筆をすすめている。 諸君にも初稿を御覧に入れよう。『管子』 (かんし) 管仲[かんちゅう(?-BC.645)]の書。 『史記・管晏列伝』に司馬遷が牧民篇などに感心したとある。 土地制度を改革、「五人組」の相互扶助制度を創始。 約束の信義を重んじて領土を返還したり、戦闘を休止したエピソードもある。 「時を以って宝と為す」、 「これに与うることは、これを取ると為るを知るは政の宝なり」、 「衣食足りて礼節を知る」などの名言がある。 『七法篇』に 「天が与えた戦いのチャンス、地形の利点を活用すれば、展開できる戦略パターンはシミュレーション計算で必ず予測が可能になる。戦争の原則として予測可能なシミュレーションを事前に検討し、十分な準備をして出撃すべきである(不失天時、毋壙地利、其數多少、其要必出於計數、故凡攻伐之爲道也、計必先定、然後出兵)」、 『樞言篇』には「国家が滅亡する原因は、ある時期までは、その国の強みであった場合が多い。人が自ら崩れていく原因も、ある時期まで、その人の長所であった場合が多い(凡國之亡也、以其長者也、人之自失也、以其所長者也)」とある。 遠藤哲夫『管子 上・中・下』新釈漢文体系 明治書院 1989-1992年
2006.07.28
曹操閣下は多忙の中、日本経営倫理学会哲学理念研究部会幹事として、 【経営倫理学用語辞典】の第二次項目の担当を依頼され、原稿執筆をすすめている。 諸君にも初稿を御覧に入れよう。『孟子』 (もうし) 孟軻[もうか(BC.390?-305)]の書。 孔子の孫弟子たちが小さな町の政治家で理想政治の実践をしていた時期、一人だけ君主相手の遊説家として活躍。 人は生まれながらに善であるとする性善説を唱えたが、 これは性悪な弟子に 「糞土の壁には塗りなおしがきかない」と嘆いた実際の孔子の苦悩からは逸脱する。 さまざまなライバルの遊説家と論争を重ね、 「不仁の君主は殷周革命のように匹夫として誅殺される」など、 君主の過誤に無言を通した孔子の限界を踏み越えた。 このため『孟子』は正統な儒学とはみなされず、明代の朱子が再評価して儒者の必読書「四書」に加えるまで、何度も原典遭難の危機にあった。 彼の政策論は井田法、すなわち田を「井」の字に九分割し、八人で耕作して真ん中を共同作業で収穫を納税するという、まさに性善説の具体化だったが現実性はない。 ただ彼はこのような形で、侵略的な覇権政策に傾斜する君主の孤独な人間不信の心を救い、民衆の平穏な生活を守ろうと知恵をしぼっていたことがうかがえる。__________________☆心から平和を祈る。 心の問題なのだ。 戦争も平和も。 孟子はわかっていた。 異端ではあるが非凡だった。
2006.07.27

□要旨□ 馬王堆前漢墓など帛書・竹簡の出土文献は、古代中国の思想の片鱗を現代に明らかにした。 それは帛書『黄帝四経』に典型的に見られるように、自然摂理に実証的態度をとり、そのフィードバック原理・循環型構造を確証した上で、社会制度や人間関係をこの「天之道・理」に近づけることを理想とする。 黄帝思想や老子・墨子の理念は、この原理をもとに政治も軍事も福祉をも抜本的に改善しようとする遠大な構想であった。 したがって人間社会の倫理は本来、法律のような政治関係によって規定されない超越的な発想が求められる。 地球環境・自然生態系との共存を要請される今日、これら古代中国思想の循環型世界観の意義は再認識されるべきであろう。 われわれが求めるべき経営倫理は、経営戦略と一体化し、自然法則と社会的な倫理の合一をめざさねばならない。 こうした戦略判断を身につけた経営トップが適切に拒否権を行使することによって、トラブルの発生を萌芽の段階で未然に防止すべきである。 これが現代の帝王学といっても過言ではない。 1. はじめに 中国古代思想の再評価・再認識 われわれが今、「地球に優しい経営」で具体的に考えるのは、地球生態系の損傷を軽減するために、リサイクルを通じてエネルギーの過剰消費、企業の生産方式を改善しようという考え方である。 つまり自然の法則に順応して、社会の仕組み、利益追求のあり方を変えていく大戦略転換の提唱である。 しかし、環境生態系の循環型世界観に立脚する社会改革の理想、組織改革の提案は、すでに古代中国思想の中に実在した。 それが黄帝思想であり、老子哲学であり、墨子の実践論である。 ここに経営倫理と経営戦略の大きな一体化が予言されている。
2006.07.26

2.黄帝思想について 黄帝は夏・殷(商)・周王朝よりも古い伝説に登場する帝王。 周王朝中期まで、古代史料はすべて史官が管理していたが、春秋時代中期(紀元前五世紀)に王室は何度も内乱になり、宮廷の記録は散逸・消滅し、多くの専門官が業務を喪失して首都を離れた。 老子の隠逸伝説も同様であろう。 ここから『黄帝四経』をはじめとする黄帝思想が著作として紹介された。 東洋医術史での黄帝は「すべての草木類を人体実験し、薬草の効能を発見した」という。 『黄帝四経』もまた、自然摂理に実証主義をとり、フィードバック原理を見つけ、自然生態系に循環構造があることを確証した上で、社会制度や人間関係をこのような「天之道・理」に近づけることを理想とした。 したがって人間社会の倫理は、法のように社会政治関係によって規定されず、自然法則の観察や歴史的な教訓を比較し、超越した観点を要請する。「天地自然の原則にはずれた方向を行こうとすれば、一時的に利益があるように見えても損失になり、進歩のように見えても後退になる。このように原理原則を否定する指導者には災難と失敗がつきまとうであろう(凡變之道、非益而損、非進而退、首變者凶)」(『黄帝四經・稱』)「国民の力を集めようとする時に、少数の強そうな者たちの働きだけに頼り、多数の弱い者をのばして本当の実力を発揮させない国は強大になれない(用國而恃其強者弱)」(『同・經法・亡論篇』) この最も古く、当時は最も新しい文献の登場で、『孫子兵法』・『老子』・『墨子』の各著者がほとんど同時期に多大な影響を受けた。「権力者というものは、好き勝手にふるまえば手抜きをするし、給料が増えれば増えるほど怠慢になる。地位に驕れば門前ばらいをする。タイミングをはずした政策を出せば、民間には害になる。必要ないことを無理にやって費用をかける。過保護な助成で産業を衰退させる(淫溢則佚、豐而爲怠、驕而爲既、予之爲害、致而爲費、緩而爲衰)」(『黄帝四經・十大經・正亂篇』)「物事は決すべき時に決断しなければならない。もし指導者が優柔不断で決断すべき時に決定を先のばしにしていると、逆に何もしないことになり、かえって物事の挫折と失敗を招くことになる(因天時、與之皆斷、當斷不斷、反受其亂)」(『黄帝四經・十大經・兵容篇』)
2006.07.25

3.老子(李耳)について 『老子』のテキストは、もともと周晋語(当時の共通語・『論語』の「雅言」)であったものが、中国大陸の南方にその思想が広まるにしたがって、各地域の方言にしたがって、たくさんの異本が翻案され、再編集されたと考えられる。 大自然との闘い・治水が古代から政治課題だった黄河文明に対して、自然の法則(道)と一体化することにより、いわば風向きをうけとめ大きな作用を生もうとする精神は、長江文明の風土を感じさせる。 近年『老子』の出土テキストが発見された馬王堆漢墓・荊門郭店楚墓はいずれも長江流域である。「饑饉というものは年のめぐり合わせによる異常気象で発生する自然の現象である。しかし民衆の生活を破壊する饑饉は、君主が自分の消費のために税収の目減りを我慢できず、饑饉でみんなが困っている時に、税をさらに重くして、なお余計に奪い取ろうとする《食税》から発生するのである。これが民の饑饉の惨害の本当の原因なのだ(人之饑也、以其取食税之多、是以饑)」(帛書『老子・乙本』第七十七章)「自然の現象をよく観察すると、生命は循環しており、何か不足すれば、余っているところから補われて全体のバランスをとっている。ところが人間社会の制度は、これと正反対のことをやっている。欠乏している百姓から高い税を取り上げて、すでにあり余って満ち足りている君主に差し上げる。どこかの君主がそのあり余る財力で、天下万民のために何かをしてくれるとしたら、それこそ有道の君主と評価できるのにねえ(天之道、損有餘而益不足、人之道則不然、損不足以奉有餘、孰能有餘以取奉於天者、唯有道者乎)」(帛書・同・第七十九章) これは古代の「自然弁証法」と高く評価できるもので、老子の循環型世界観をよくあらわしている。 それは黄帝思想に由来することが『黄帝四経』の比較によって判明した。 過去の文献とその精密な解釈を事とする儒学に対し、目の前に働いている大自然の摂理を見極め、これに逆行する不自然な発想をとりのぞき、政治も軍事も福祉をも抜本的に改善する遠大な理想、聖人の治世が老子の主張であった。 膨大な自然原理の解説だった黄帝思想を実際に政治や社会の理想として動的(ダイナミック)に提言した。 これが『史記』に記された「黄帝・老子(黄老)の学」である。 地球環境・自然生態系との共存を企業経営改革に要請される今日、この古代の思想は再認識されるべきであろう。「故に聖人こそ、無形なるものに真理を洞察することができ、民衆たちの声なき声をも聴きわけることができ、何でもないところに真実を発見することができるのである(故隹聖人能察無形、能聽無聲、知虚之實)」(『黄帝四經・道原』)「聖人はいつも私心を持つことがなく、国民全体の心を心として、衆知を集めて政治の決断を下す(聖人恒無心、以百姓之心為心)」(帛書『老子・乙本』第四十九章) 「指導者の慈愛は、攻撃に勝利をもたらし、防御に人心を団結させる働きがある。これは天が特別な運命的役割をもった人だけに与える美質であり、そのような人は、自分のカリスマ性で人間の城壁を築くのだ(夫慈、以戰則勝、以守則固、天將建之、如以慈垣之)」(帛書・同・第六十九章)
2006.07.24

4. 墨子について 墨子は孔子(BC.551-479)の後、孟子(BC.390?-305)より前の人物。 墨子と老子の思想的連環はかねて指摘されていたが、『黄帝四経』が発見され、知足・兼愛など共通の典拠となる重要な倫理思想が含まれていた。 墨子は優れた建設技術を持ち、防衛施設に新しい工夫を凝らした。 当時の軍事大国・楚(現・湖北・湖南省)の宮廷で防御法を敢えて披露し、その侵略意図を挫いた。これは数理モデルを用いた防衛ゲームで、ミケランジェロ・モデル(ローマ教皇庁サンタンジェロ城・函館五稜郭など)のように防衛側が常に三対一で反撃できる図式を示したからであろう。「小さな犯罪は非道であるとわかっていても、非道が大規模になって、他国に戦争をしかけるまでになると、その非道がわからずに、かえって戦争を礼賛する(今小爲非、則知而非之、大爲非、攻國、則不知而非、從而譽之)」(『墨子・非攻篇』)「道義によって君主を補佐するならば、軍事力の強大さによって、天下の人々を従わせようとはしないことだ。そうすれば天下の人々はきっと道義をもって応じてくれよう。軍事的な圧力をかけると周囲に茨が生えたように反抗する勢力も起きてくるようになり、戦争は結局、進めば進むほど自分も傷ついていく、茨の道だということがわかるようになる(以道佐人主、不以兵強於天下、其事好還、師之所處、荊棘生之)」(帛書『老子・乙本』・第三十章) 彼の考えでは、完全な防衛施設を建設することで軍事力を削減し、非軍事産業が経済の主導役となることを促進するというのである。「聖人、政を一國に為せば、一國は倍すべし。これを大にして政を天下に為せば、天下は倍すべし。其のこれを倍するは、外に地を取るに非ず。其の國家に因り、其の無用の費を去らば、以てこれを倍するに足る。聖王の政を為すや、其の令を發し、事を興し、民を使い、財を用いる也、用(戦略)を加えざるに、而して為す者なし。是の故に、財を用いて費さず(投資運用して費消散財しない)、民徳は労せず、其の利を興すこと多し。(『節用・上篇・第二十』) この所説は、戦争経済で領地を拡大して、経済規模を増大させようとする帝国主義的な政策に対して、現状の行政慣習を徹底的に見直して緊縮財政をはかり、それによって投資資金をつくって、国内経済に積極的な投融資をおこなえば、経済規模はもっと効率的に拡大できるという近代的な発想である。「吾れ、これを聞けり。曰く、安居なきにあらず。我に安心なし。足る財なきに非ず。我に足る心なし。是の故に君子は自らを難くして、彼を易す。衆人は自ら易して、彼を難ず。君子、進んでは其の志をやぶらず、しりぞいては其の情を究む。」(『親士篇・第一』) この一節はまさに『老子』の哲学である。墨子・老子の仏教的な諦観ともいえる禁欲的な実践論は、共通の循環型世界観に由来するといえる。
2006.07.23
■昭和天皇の苦い思い、浮き彫りに 昭和天皇の靖国神社参拝が途絶えたのは、A級戦犯合祀(ごうし)に不快感を抱いたからだった。富田朝彦元宮内庁長官のメモは、天皇の戦争への苦い思いを浮き彫りにした。 A級戦犯合祀に不快感を抱いている――。その思いは、複数の元側近らから聞いていた。 「陛下は合祀を聞くと即座に『今後は参拝しない』との意向を示された」 「陛下がお怒りになったため参拝が無くなった。合祀を決断した人は大ばか者」 なかでも徳川義寛元侍従長の証言は詳細で具体的だった。 14名のA級戦犯を含む合祀者名簿を持参した神社側に対して、宮内庁は、軍人でもなく、刑死や獄死でもなく病死だった松岡洋右元外相が含まれていることを例にとって疑問を呈した。 だが、合祀に踏み切った。 87年の8月15日。天皇は靖国神社についてこんな歌を詠んだ。 この年の この日にもまた 靖国の みやしろのことに うれひはふかし 徳川氏によると、この歌には、元歌があった。それは、靖国に祭られた「祭神」への憂いを詠んだものだったという。 「ただ、そのまま出すといろいろ支障があるので、合祀がおかしいとも、それでごたつくのがおかしいとも、どちらともとれるようなものにしていただいた」 側近が天皇から聞き取った『独白録』の中で、昭和天皇は日独伊三国同盟を推進した松岡洋右外相については 「……別人の様に非常な独逸びいきになつた、恐らくは『ヒトラー』に買収でもされたのではないかと思はれる」とまで述べていた。 昭和天皇の「不快」の一因が、特に国を対米開戦に導いた松岡外相の合祀だったことがうかがえる。 A級戦犯の14人は66年に合祀対象に加えられたが、当時の筑波藤麿宮司は保留していた。 筑波氏は山階宮菊麿王の三男。 歴史の研究家としても知られた。 しかし、78年に筑波氏の死去後、松平永芳宮司が就任すると、まもなく合祀に踏み切った。 松平元宮司は松平慶民元宮内大臣の長男で、元海軍少佐。 父の慶民氏は、東京裁判対策や『独白録』の聞き取りなどに当たり、天皇退位論が高まった時も「退位すべきではない」と進言した有力な側近だった。 メモには、昭和天皇は慶民氏について「平和に強い考があった」と評価する一方で、永芳氏について「親の心子知らず」と評しているのにはこうした背景がある。 メモは、天皇が闘病中の88年、最後の誕生日会見直後の天皇とのやりとりだった。昭和天皇は「何といっても大戦のことが一番いやな思い出」と答えた。 本来は「つらい思い出」と答える予定だった。 天皇も戦争の第三者ではないからだ。 その頃、別の側近はこんなことを語っていた。 「政治家から先の大戦を正当化する趣旨の発言があると、陛下は苦々しい様子で、英米の外交官の名を挙げて『外国人ですら、私の気持ちをわかってくれているのに』と嘆いておられた」 A級戦犯合祀は、自らのこうした戦争の「つらい思い出」と平和への「強い考え」を理解していない、との天皇の憤りを呼んだことをメモは裏付けている。 「(昭和天皇の)御(み)心を心として」と、即位の礼で誓った現天皇陛下も、即位後は一度も靖国神社には参拝していない。[朝日新聞] 2006年07月21日06時12分__________________聖徳太子の十七条憲法の第一条は「以和為貴・和を以て貴と為せ」。第二条は「篤敬三宝・篤く三宝(仏・法・僧)を敬え」。第三条が「承詔必謹・詔を承りては必ず謹め」。問題は軍人ではなくて、親英の天皇の御意思に反して、ナチスドイツやイタリアのファシストと同盟をすすめた外交官の松岡洋右と白鳥敏夫の合祀だった。これはその通り。全くその通り。これは確かに戦争犯罪人であり、昭和史の専門家も一致して「国を誤った」と言うだろう。昭和天皇さまのお気持ちを尊重し、靖國神社は分祀の方法を検討すべきである。それが國體護持ということだ。靖國神社が合祀の儀に際して、きちんと宮内庁や侍従職に皇室のご意向をうかがいながら、その意を体さず、したがわなかったのは明らかな手落ち。これは正面から批判しなければならない。
2006.07.22

KONZENTRATIONSLAGAR AUSCHWITZ-BIRKENAUI am introduced by a Polish Canadian friend, and this is the article which I purchased for $200. I am surprised at the contents. Because Israel Ambassador in Tokyo is to is an acquaintance, I contact it at once and intend to take a procedure of donation. Israeli people will remember joy, peace and importance of human rights if this is genuine...in this time.アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所これは私がポーランド系カナダ人の友人から紹介され、200ドルで購入した品物である。その内容に驚いている。東京駐在のイスラエル大使は知人であるから、さっそく連絡し、寄贈の手続きをとるつもりだ。本物であれば、イスラエルの人々は喜び、平和と人権の大切さを思い出すだろう。この時期に。
2006.07.21
聖徳太子の十七条憲法の第一条は「以和為貴・和を以て貴と為せ」。第二条は「篤敬三宝・篤く三宝(仏・法・僧)を敬え」。第三条が「承詔必謹・詔を承りては必ず謹め」。昭和天皇さまが靖國神社の合祀問題について否定的な見解をされていたのは事実となった。__________________■靖国関連部分のメモ全文 「それが私の心だ」 ◇昭和天皇の靖国神社に関連した発言について、富田朝彦氏のメモの全文は次の通り。(原文まま) 私は 或る時に、A級が合祀されその上 松岡、白取までもが、 筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが 松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々と 松平は 平和に強い考があったと思うのに 親の心子知らずと思っている だから 私あれ以来参拝していない それが私の心だ(共同通信) - 7月20日20時26分更新__________________問題は軍人ではなくて、親英の天皇の御意思に反して、ナチスドイツやイタリアのファシストと同盟をすすめた外交官の松岡洋右と白鳥敏夫の合祀だった。これはその通り。全くその通り。これは確かに戦争犯罪人であり、昭和史の専門家も一致して「国を誤った」と言うだろう。昭和天皇さまのお気持ちを尊重し、靖國神社は分祀の方法を検討すべきである。それが國體護持ということだ。靖國神社が合祀の儀に際して、きちんと宮内庁や侍従職に皇室のご意向をうかがわなかったのは明らかな手落ち。「勅使をお迎えできるか」など、いくらでも方法はあったはずだ。これは正面から批判しなければならない。■<昭和天皇>靖国合祀不快感に波紋…遺族に戸惑いも 「だからあれ以来参拝していない。それが私の心だ」。 富田朝彦・元宮内庁長官が残していた靖国神社A級戦犯合祀(ごうし)への昭和天皇の不快感。 さらに、合祀した靖国神社宮司へ「親の心子知らず」と批判を投げかけた。 昭和天皇が亡くなる1年前に記されたメモには強い意思が示され、遺族らは戸惑い、昭和史研究者は驚きを隠さない。 A級戦犯分祀論や、小泉純一郎首相の参拝問題にどのような影響を与えるのか。 ■A級戦犯の遺族 「信じられない。陛下(昭和天皇)のお気持ちを信じています」――A級戦犯として処刑され、靖国神社に合祀される板垣征四郎元陸軍大将の二男の正・日本遺族会顧問(82)=元参院議員=は驚きながらも、そう言い切った。 正氏は昭和天皇が参拝を中止したのは、A級戦犯合祀とは無関係だとの立場を崩さない。「三木(武夫)総理(当時)が昭和50(75)年に現職首相として初めて参拝し、その秋の国会で論議になったため、陛下はその後参拝できなくなったのだと私は思うし、さまざまな史料からも明らかだ。A級戦犯合祀は、陛下の参拝が止まった後のことだ」と話す。その上で「(富田元長官が)何を残され、言われたかは関知しない」と言った。 同様にA級戦犯として合祀される東条英機元首相の二男輝雄氏(91)=元三菱自動車工業社長=は「そんな話、いまだかつてどこからも聞いたことがない」と繰り返した。「信ぴょう性が分からない以上、言いようがない。個々の動きでいちいち大騒ぎしても仕方ないよ」とコメントを避けた。 ■識者は 昭和史に詳しいノンフィクション作家の保阪正康さんは「昭和天皇は東京裁判の結果を容認し、A級戦犯合祀はおかしいと判断していたから、想像できる範囲ではある」とし、影響について「参拝に反対の立場の人たちからは『昭和天皇でさえも否定的』という声が強まるのではないか。小泉純一郎首相と昭和天皇は靖国について考えが違うことがはっきりした。首相は参拝するのであれば、昭和天皇の判断に、政治の最高責任者として戦争について見解を改めて述べる必要があるのではないか」と語った。 一方、一橋大大学院社会学研究科の吉田裕教授は「徳川義寛侍従長の回想で示唆されていたことが確実に裏付けられ、松岡洋右元外相への厳しい評価も確認された。今後は分祀論にはずみがつく。小泉首相も、少なくとも(終戦の日の)8月15日に参拝をしない理由になるのではないか。首相の参拝には多少の影響はあると思う」と話した。 日本近現代史に詳しい小田部雄次・静岡福祉大教授は「昭和天皇の気持ちが分かって面白い」と驚き、「東京裁判を否定することは昭和天皇にとって自己否定につながる。国民との一体感を保つためにも、合祀を批判して戦後社会に適応するスタンスを示す必要もあったのではないか」と冷ややかな見方を示した。その上で「A級戦犯が合祀されると、A級戦犯が国のために戦ったことになり、国家元首だった昭和天皇の責任問題も出てくる。その意味では、天皇の発言は『責任回避だ』という面もあるが、東京裁判を容認する戦後天皇家の基盤を否定することもできなかったのではないか」と話した。 ◇靖国神社とA級戦犯合祀を巡る動き◇1945年8月 終戦の玉音放送 46年4月 国際検察局がA級戦犯容疑者28人を起訴 6月 松岡洋右被告が病死 48年11年 極東国際軍事裁判(東京裁判)でA級戦犯のうち7人に絞首刑判決 51年9月 サンフランシスコ講和条約調印 56年4月 厚生省(当時)が「祭神名票」送付による合祀事務に対する協力を都道府県に通知 66年 A級戦犯の「祭神名票」を靖国神社に送付 75年8月 三木武夫首相が現職首相で初めて終戦記念日に参拝。私人としての「参拝4原則」を強調 11月 昭和天皇が最後の参拝 78年10月 靖国神社がA級戦犯14人を合祀 85年8月 中曽根康弘首相が公式参拝。「宗教色を薄めた形式なら公式参拝は合憲」との官房長官談話を受けて 86年8月 近隣諸国に配慮して中曽根首相が参拝断念 01年8月 小泉純一郎首相が13日に参拝。以降、毎年参拝 05年6月 小泉首相が衆院予算委員会でA級戦犯について「戦争犯罪人であると認識している」と答弁 ◇内容を精査し、冷静な分析必要 天皇の靖国神社参拝は1975年11月21日に昭和天皇が行って以来、今の天皇陛下も含め行われていない。同神社や遺族側は、その後も「天皇参拝」を求めているが、30年以上途絶えたままだ。これまでいくつかの理由が推測で語られていたが、今回の「富田元長官メモ」は、このうちの一つを大きくクローズアップした。 宮内庁によると昭和天皇は、終戦に際し45年11月に同神社を参拝。その後も数年おきに訪れ、75年までに戦後計8回参拝した。また、今の天皇陛下は皇太子時代、69年までに戦後計4回参拝している。 途絶えた理由に挙げられるのは(1)78年のA級戦犯合祀(2)対外関係の考慮(3)公人私人問題――など。 靖国参拝推進派はこのうち(3)を取り上げることが多い。75年8月、三木武夫首相は「私人」の立場を強調して参拝。同年11月の天皇参拝では、政府は「天皇の私人としての行為」と国会答弁した。この点につき、「公人中の公人」の立場を昭和天皇が熟慮して、その後の参拝を取りやめたとの考えだ。 だが、今回のメモは(1)が大きな理由だったと読める。天皇参拝を求める以上、遺族側でもこの発言を理由に、A級戦犯分祀論が強まる可能性がある。 一方で、メモで取り上げられている松岡洋右元外相と白鳥敏夫元駐伊大使への昭和天皇の思いを考慮する必要もある。 「昭和天皇独白録」で、松岡元外相について「恐らくは『ヒトラー』に買収でもされたのではないかと思はれる」と辛らつに評価。 白鳥氏が担当した日独伊三国同盟にも不満を述べている。 信任していたとされる東条英機首相や木戸幸一内大臣らと比べ、冷ややかに見つめていたのは明らかで、それが発言に反映している可能性も否定できない。 また、合祀されているA級戦犯14人の多くは陸海軍幹部で、2人は元々からの外務官僚。 軍人でもなく、戦死でもなく、靖国神社にまつられることに違和感を語る向きもあった。 昭和天皇が何を問題と感じ、それを今後我々がどうとらえていくか。内容について全文を精査し、冷静に分析していくことが必要だろう。【大久保和夫、竹中拓実】 (毎日新聞) - 7月20日14時12分更新
2006.07.20
5.結論 人間社会科学は、再現性のある現象科学である。 社会的な経験や、近代社会科学の原理をふまえないで、古典を文学的解釈だけで読解しようとすると、その真意など、本質的な課題を把握できない。 古代中国の社会倫理は、この黄帝思想に典型的に見られるように循環型世界観に立脚した自然と社会の共通法則を根幹の思想としている。 多くの人生の上での道徳的な選択、そして経営指導者としての経営判断は多くの矛盾に満ち、ケース・バイ・ケースの判断に迷うことが多い。 経営者が「よかれ」と思って強引に進めたことが裏目に出たり、「なりゆきにまかせよう」という判断が、かえって部下の自主性を引き出して成功する場合がある。 このような複雑な経営判断に適合する倫理観は、黄帝思想の循環型世界観を科学的な現代思想によって補強した法則的な認識、いいかえれば経営倫理と経営戦略の理論的な一体化である。 また、経営倫理の具体的な実現のためには、倫理的なトラブルを発生させる可能性の萌芽に対して、経営者および経営幹部が拒否権[ラテン:veto]を行使しなければならない。 以上の考察から、箇条書き的な教条倫理[code of ethics]や内部告発[whistleblowing]に依拠して、これによって経営倫理を実現しようとする考え方は、戦略理論の観点からはまったく評価できない。 前者は儒教倫理の退廃した末期の姿を追うものであり、後者は問題が発生した後のトラブル処理の方法論に過ぎない。 われわれが求めるべき経営倫理は、経営戦略と一体化し、自然法則と社会的な倫理の合一をめざすものであるべきで、こうした柔軟な戦略判断を身につけた経営トップが適切に拒否権を行使することによって、トラブルの発生を萌芽の段階で未然に防止すべきなのである。 これが現代の帝王学といっても過言ではないであろう。 松下電器産業の創業者・松下幸之助翁が常に語っていた言葉、「天地自然の理に則した経営」は、こうした循環型世界観をふまえた経営理念を直感的に表現していたと考えられる。 21世紀の経営哲学は、このように前近代および近代の試行錯誤の超克の上に、古代思想との共通の基盤にたちかえるものとなるであろう。「したがって《道》の原理によって天下を論ずる者は何ものにもとらわれず、国家や国境にもとらわれず、自分の立場にもとらわれず、自分の利害も捨てた人物である。 ・・・・利害を離れて判断できるのが本当の智者ということである。 (故執道者之觀天下也、無執也、無處也、無爲也、無私也・・・・無私者智)」(『黄帝四經・經法・道法篇』)
2006.07.19
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資金提供で親米政権安定化…CIAの対日工作明らかに 【ワシントン=貞広貴志】米国務省は18日、米中央情報局(CIA)が1958年から10年間にわたり自民党や旧社会党右派の有力政治家への秘密資金提供などを通じ、親米・保守政権の安定化と左派勢力の抑え込みに向けた工作を実施していたとの記述を盛り込んだ外交資料集(1964~68年)を刊行した。 国務省が編さんしたもので、資料によると、CIAの秘密工作には <1>自民党主要政治家への財政支援と選挙アドバイス <2>親米で「責任ある」野党育成に向けた野党穏健派の分断工作 <3>極左勢力の影響力排除のための広報宣伝活動 <4>同様の目的による社会各層の有力者に対する「社会活動」――の4種類があった。(読売新聞) - 7月19日22時43分更新 ☆まあラテン・アメリカではいつもやっているんだ。 オリバー・ストーン監督の「サルバドル」という映画がある。 エルサルバドル内戦で、左翼ゲリラと戦うため、アメリカのレーガン政権が軍部の右翼と提携し、住民虐殺やロメロ大司教の暗殺にも間接的に関与しているという衝撃的な内容だ。 もちろん、このような政策はブッシュ副大統領(当時)によって撤回されたが、重要なことはカーター政権末期の状況で、ラテンアメリカはこうだったという事実。 そしてアメリカはこうだったという事実。 忘れてはならないことだ。
2006.07.18
<秋田男児殺害>「娘愛してなかった」食事なし汚れた服 「ショックが大きくて、流したい涙も出ないほど苦しい」。一人娘の彩香ちゃん(9)を失った悲しみをそう語った畠山鈴香容疑者(33)。ところが彩香ちゃん殺害を認める供述を始め、“悲劇の母”は一転して連続殺人事件に関与した疑いが強くなった。「彩香は水を怖がっていた」と語りながら、なぜ橋から川に娘を突き落としたのか。畠山容疑者は彩香ちゃんに対して「愛情はなかった」「疎ましく思った」という内容の供述をした。「母親失格だった」という近所の住民の声もある。秋田県警能代署捜査本部は、畠山容疑者と彩香ちゃんの母娘関係の実態解明を進めている。【馬場直子】 藤里町立藤里小では、「ハッタ」のあだ名で呼ばれていた彩香ちゃん。「4年生になったらトランペットをやりたい」と楽しみにしていたが、始業式の3日後に水死体で見つかった。小学校でいじめられることもあったが、畠山容疑者は逮捕前、「そんな時も『何もなかったよ』と、私に心配かけないように隠していた」と話した。 しかし、そんな一人娘に対して「可愛がっていなかった」と複数の人が証言する。ある知人は「自分は派手な格好をしているのに、彩香ちゃんには汚れた服を着せていた」と話す。「来客があると、夜でも彩香ちゃんは自宅の外に出され一人で遊んでいた」「カップめんを持って外にいたので、ご飯を食べさせてあげた」などと住民らは一様にまゆをひそめる。 「彩香ちゃんが手を差し出すと、払いのける感じだった」と話す元同僚も。離婚したころ「夫が引き取ってくれたらいいのに」とも言っていたという。朝食を作らず、彩香ちゃんが学校で倒れたこともあった。知人は「学校から『彩香ちゃんへの嫌がらせよりも、母娘関係の方が心配』と言われた」という。彩香ちゃんの火葬の際、涙も見せず無表情でいるのを不審に思った人もいた。 一方で逮捕前、毎日新聞のインタビューなどには、彩香ちゃんに愛情を注いでいたように装っていた。「私は母1人、娘1人。できるだけいろいろなところに連れて行った。どこに行くのも一緒だった」と強調する畠山容疑者。彩香ちゃんの死後、毎日2時間ほど実家から自宅に戻り、遺品を整理していたという。「彩香が座っていた椅子に座って元気だったころの彩香を思い出している」と語る表情は、愛情に満ちているように映った。 畠山容疑者は4月9日夜、「午後4時ごろに『(人形を)見せに行って来る』と出掛けたまま戻らない」と同署に捜索願を出した。“悲劇の母”は「知りませんか?」と大書した手作りのビラを付近の商店や住宅に配り、情報提供を求めた。周辺には一人娘の死の原因を知るために必死になっているように映った。しかし今月になって、「橋から足を滑らせて落ちた」と供述。さらに「橋から突き落とした」と供述を変遷させた。 捜査本部は、畠山容疑者が米山豪憲君殺害事件の取り調べでも何度も供述を翻したことから、今回の供述についても慎重に裏付けを進めている。 (毎日新聞) - 7月17日3時6分更新★これはまあ死刑だろう。 弁護側も何度も被告のウソに振り回されているから弁護もしづらいだろう。 自分の子を複数殺害しても死刑にはならないが、今回の場合は精神鑑定は意味がない。 マスコミが注目する中で、さらにマスコミで有名になりたいために、「理想の母親」を自作自演して、他人の子どもまで殺した。 自分が殺したのに、「他人が連続して殺した」と見せかける必要があったからだ。 ほとんどの殺人というものは幼稚な発想で起きるもの。 複雑な思考はいらない。
2006.07.17
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テルーの唄 作詞・宮崎吾朗作曲・谷山浩子編曲・寺島民哉 唄・手嶌葵 夕闇せまる 雲のうえいつも一羽で 飛んでいる 鷹はきっと 哀しかろ 音もとだえた 風の中空をつかんだ その翼 休めることは できなくて 心を何に たとえよう鷹のような この心 心を何に たとえよう空を舞うよな 哀しさを 雨のそぼ降る 岩陰にいつも小さく 咲いている 花はきっと 切なかろ色も霞んだ 雨の中薄桃色の 花びらを 愛でてくれる 手もなくて 心を何に たとえよう花のような この心 心を何に たとえよう雨に打たれる 切なさを 人影絶えた 野の道を私とともに あゆんでる あなたもきっと さみしかろ 虫のささやく 草原をともに道行く 人だけど 絶えて物言う こともなく 心を何に たとえようひとり道行く この心 心を何に たとえようひとりぼっちの さみしさを ☆子供向けじゃないんだね。 「鷹のような心」というのは指導者の孤独。 「花のような心」というのは孤高の男性を愛してしまった女性。 恋人なのに、二人とも一人ぼっちというわけ。 空の鷹と岩陰の花。 心だけでは通じない。 「あなたは飛んでばかり。でも私は飛べない」という岩陰の花の切なさ。 でも鷹はそれなりに「休みのない孤高」を楽しんでいたりするよ。 鷹が花を空に連れ去ると、花は死ぬ。 鷹は岩陰に住めない。 微妙だな。 ギリシャ神話のゼウスのように、岩陰の花に「翼」をあげればいいわけ。 「キミも早く飛んで来いよ」ということで。 大人の恋愛の世界なんだよ。 「薄桃色の花びら」って、すごいエッチな表現だな。 ドキッとするね。 子どもにはわかんないよね。 ハッハッハッ。《曹操閣下の音楽倉庫》ここからダウンロードできます。
2006.07.16

■イスラエル、ヒズボラ拠点の空爆拡大…死者60人超す 【エルサレム=柳沢亨之】レバノンのイスラム教シーア派組織「ヒズボラ」掃討作戦を行っているイスラエル軍は14日、攻撃対象を拡大し、ヒズボラの拠点である首都ベイルート南部の住宅街、国際空港の燃料タンクや滑走路などを集中的に空爆、作戦を開始した12日以降のレバノン側の死者は60人を超えた。 ヒズボラも14日、イスラエル北部をロケット弾で攻撃し、双方の応酬は激しさを増している。 軍事攻勢を強めるイスラエルは13日、ヒズボラを支援する「テロと憎悪の枢軸」としてイランとシリアを名指しで非難する声明を発表、両国への外交圧力を高める戦術にも出た。ブッシュ米大統領が使用した「悪の枢軸」に似た表現を使うことで、米国などに対し、外交支援を求める狙いとみられる。 (読売新聞) - 7月15日1時19分更新__________________■中東紛争は権力闘争?=「勉強になった」と小泉首相 「今回、中東の動きを見て権力闘争のすさまじさが分かった」。小泉純一郎首相は14日のヨルダンでの同行記者団との懇談で、イスラエルとパレスチナの民族紛争を「権力闘争」ととらえる独自の分析を披露した。 日ごろから「権力闘争」に興味を示す首相、懇談の最後に突然「政治は一通りではない」と切り出すと、イスラエルのガザ攻撃などが激化した中東情勢に言及し「内政も外交もいい勉強になった」と語った。 イスラエルのオルメルト首相に自制を求めたが事実上拒否され、限界を露呈した首相だが「勉強になった」と総括した形だ。 (時事通信) - 7月14日23時1分更新__________________■小泉首相、アラビアのロレンス? 小泉純一郎首相は14日午後(日本時間同日夜)、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産に指定されているヨルダンのペトラ遺跡を視察した。 首相はがけに建造された古代の神殿を見学し 「紀元前のものなのか」 「ちょっとやそっとじゃ来られない」と感心しきり。 ヨルダンの民族衣装の「クーフィーヤ」を頭にかぶり、記者団から「アラビアのロレンスみたいだ」と声を掛けられると「このままで行こう」とご満悦の様子。 古代ローマの円形劇場では観客席で「皆さん、ここは忘れ難く印象的なところです。サンキュー」と観光客に英語であいさつ。 馬車やラクダにも乗り、リラックスしていた。(日刊スポーツ) [2006年7月15日1時39分]__________________★「平和と繁栄の回廊」ネエ。 外務省の外交ショーだったわけか。 マア、小泉劇場は一人喜劇で終わる。 で、いいか。 ハッハッハッ。
2006.07.15
黒澤明映画 織田裕二主演でリメーク 黒澤明監督、三船敏郎さん主演の映画「椿三十郎」(62年)が、森田芳光監督(56)、織田裕二(38)のコンビでリメークされることが12日、配給の東宝から発表された。黒澤作品が日本国内でリメークされるのは初めて。大役を任された織田は「これ以上ないプレッシャーですが、良い作品にしたい」と気合十分だ。 黒澤作品の中でも人気の高い「椿三十郎」が、オリジナル版の公開から45年、装いも新たにスクリーンに登場する。 昨年5月に角川春樹事務所が、「用心棒」(61年)と「椿三十郎」のリメーク権を黒澤プロから約3億円で取得。「黒澤映画をリスペクトし、学んできた」という森田監督が手を挙げ、製作がスタートした。 凄腕の浪人・椿三十郎(三船)が、上役の汚職を暴こうと立ち上がった9人の若い侍たちに助太刀するアクション時代劇。 三船の殺陣や、三十郎と敵役・室戸半兵衛(仲代達矢)が対決し、血しぶきを上げるクライマックスシーンなどが現在でも語り継がれる名作だ。 三十郎役には、森田監督が「織田裕二君しか考えられない」と指名。織田は映画「将軍家光の乱心 激突」(89年)に数シーン出演したが、時代劇に本格的に挑戦するのは初めて。9月中旬のクランクインに向け、今月初旬から殺陣の特訓を始め「これ以上ないプレッシャーですが、森田監督の指名に応えられるよう、ともに闘って良い作品にしたい」と意気込んでいる。 海外では多くの映画人が黒澤作品に影響を受け、リメークされているが、日本では初めて。オリジナルのシナリオに忠実に描きながらも、森田監督はコミカルな部分を強調する意向で「身の引き締まる思い。チャレンジと同時に歴史的意義も感じている」と意欲満々。角川春樹事務所の特別顧問でプロデューサーを務める角川春樹氏(64)も「黒澤作品の偉大さを再び世界に問い直したい」と話している。来年公開予定。 (スポーツニッポン) - 7月13日6時10分更新☆よく駅前で黒澤作品の韓国版DVDが売られているが、この「椿」だけが見当たらない。 経営コンサルタントとは何か。 年配の経営者に聞かれると 「要するに椿三十郎です」 それで膝を打った経営者は数多い。 それだけ名作なのだ。 この映画の主題は、簡単に言って武力闘争と政権クーデターである。 それを椿三十郎というチェ・ゲバラのような風来坊が一人で成し遂げる。 この映画があったから、曹操閣下はフィリピン革命をやったのだ。 アジア諸国に革命の闘士がさらに現われることを願う。
2006.07.13
<甲斐智枝美さん>千葉県警が自殺と断定 10日に自宅で死亡した元歌手でタレントの甲斐智枝美さん(43)=本名・長谷部智枝美=は、首つり自殺だったことが、千葉県警習志野署の調べで分かった。 調べでは、10日午前6時40分ごろ、千葉県習志野市の自宅2階の寝室で、甲斐さんが首をつっているのを中学生の長男が発見した。検視した同署は自殺と断定した。 遺書はなかったが、甲斐さんは最近、周囲に「疲れた。死にたい」などと話していたという。(毎日新聞) - 7月13日11時34分更新__________________甲斐智枝美さん自殺だった!不整脈に悩む 10日に急死した80年代の人気アイドル甲斐智枝美さん(本名・長谷部智枝美、享年43)が首つり自殺していたことが12日、分かった。 長男を生んだ後から不整脈などの体調不良を訴え、悩んでいたという。 この日、千葉県習志野市の斎場で営まれた葬儀には、ホリプロの3年先輩の歌手榊原郁恵(47)ら約100人が参列した。 好きだった花に囲まれ旅立った。 関係者によると、10日午前6時45分ごろ、智枝美さんの自宅からの119番通報で駆けつけた救急隊員が、智枝美さんの心肺停止を確認。 自宅2階の寝室で首をつって亡くなっていた。 千葉県警習志野署が自宅で検視を行い、自殺と断定した。 近所の人などによると、智枝美さんは91年に長男を出産したころから、不整脈を訴えるようになった。 数年前には2~3週間の入院も経験。 普段は笑みを絶やさない智枝美さんだったが、時折、体調のことで悩んでいるような姿が目撃されている。 この日の葬儀には、生前に親交のあった約100人が参列した。 数年前から生花店で働き「いつか店を持ちたいな」と語っていた花の好きの故人のため、祭壇は多くの花で囲まれ、戒名も「花香妙智信女」と「花香」の2文字が刻まれた。 所属したホリプロの先輩、榊原郁恵も最期の別れに駆けつけた。90年に芸能界を引退した後でも、年賀状のやりとりを欠かさなかった。 頼れる先輩に、数年前には仕事復帰を相談していた。「電話で相談を受けました。子どもに手が掛からなくなったからと言って。今思えば、力になれなかったことが残念です…」。榊原はそう言うとキュッと唇をかんだ。 出棺の際、位牌(いはい)を抱いた夫の徹氏(43)は泣き明かした目を真っ赤にはらしていた。その横で、遺影を持った長男と二男は涙を必死にこらえていた。遺影はメガネをかけたエプロン姿。普段着で気取ることなく、やさしくほほ笑むいつものお母さんの写真だ。 徹氏は「わが家は、智枝美を中心にして子どもが3人いるような家族でした。智枝美がいなくなって、これから3人でどうやっていくのか。今はパニックで何も言えません」。堀越学園の同級生で、10年来の愛を実らせて結婚してから16年。突然の悲報を、まだ受け入れられない様子だった。 (日刊スポーツ) - 7月13日10時8分更新★悲惨だ。 普通の主婦にはなれなかったんだ。 花屋でバイトしていたとは。 やはり母子関係の不全なのだろう。
2006.07.12
「やずや」誇大広告の疑い 黒酢食品、公取委が調査 テレビCMで知られる健康食品の通信販売大手「やずや」(福岡市)が、黒酢を原材料とした健康食品を販売した際、成分表示を誇大に広告していた疑いが強いことが10日、関係者の話で分かった。公正取引委員会もこうした事実を把握、景品表示法違反に当たる可能性があるとみて調査しているもようだ。 誇大広告の疑いが持たれているのは、同社の人気商品「熟成やずやの香醋(こうず)」。同社の公表資料によると、中国産の黒酢を濃縮加工してカプセルに詰めたもので、昨年から今年にかけて販売された商品に「黒酢を当社独自の研究開発により約20倍に濃縮しエキス化することに成功」などと表示していた。 しかし実際には、商品の主要成分であるアミノ酸の濃度は原材料の4-6倍程度とみられ、関係者は「消費者に誤解を与えかねない表示」と指摘している。(共同通信) - 7月11日2時1分更新★「やずや」は 「やめや」
2006.07.11
阪大生、母親を殺害 逃げ場失った子供の“爆発” 最も身近な存在である家族に、殺意が向けられる事件が相次いでいる。子供が親を短絡的に殺害するケースが目立つ。少子化、核家族化、コミュニケーション不足…。警察庁によると、平成16年までの5年間で家族を対象にした殺傷事件は56件にのぼるが、根底にはこうした社会の問題点が潜んでいるとの指摘もある。 「しかられ、かっとなった」。辻森容疑者は母親殺害の動機をこう話した。親への反発が殺害に至ったことをうかがわせた。昨年6月の板橋区の建設会社社員寮管理人夫妻殺害事件では、逮捕された長男(15)は「前日に父親から『おまえは頭が悪い』とののしられ殺害を決意した」と動機を供述。今年1月に盛岡市で高1長男(16)が母親(39)を殺害した事件でも動機は「無断欠席を注意された」という短絡的なものだった。 心理カウンセラーで「子ども家庭教育フォーラム」の富田富士也代表は「細かいことを気にする過敏な人ほど、ちょっとした恨みでも深みにはまり爆発する」と分析。さらに「時間に余裕がなくコミュニケーション不足から親子で互いの気持ちが分からなくなっている。子供が親へのサインを出せないままに、爆発するケースが増えている」と指摘する。 「家族内殺人」では、社会的地位のある親からの過度の期待感が重圧となり凶行に走ることも多い。今年5月の杉並区の海洋学者夫妻殺人放火事件では、長男(33)は米国の大学院で修士課程を修了するなど「地元でも秀才」(同級生)。だが帰国後は人間関係がうまく作れず就職先を解雇され、父親(70)から何度も就職するよう注意されていた。 元家裁調査官で日本福祉大教授の加藤幸雄さんは、「少子化や核家族化で親の期待が1人の子供に集中する。子は親の期待に応えようとするが、つまずいたときに親から怒られると逃げ場を失う。親だけでなく地域が一体となって子育てをする必要がある」と話している。 [産経新聞](2006年7月8日)☆地域の問題ではない。 乳幼児期に母子関係に失敗しているんだよ。
2006.07.10
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皇太子さま、第九を演奏 皇太子さまは9日午後、東京都豊島区の学習院創立百周年記念会館で開催された学習院OB管弦楽団の定期演奏会にビオラ奏者として出演、ベートーベンの「交響曲第九番」を演奏された。 雅子さまも鑑賞に訪れた。 この日の演奏会は当初、世界的な指揮者の岩城宏之氏が指揮をする予定だったが、6月に死去したため実現しなかった。 皇太子さまは、追悼曲の演奏にも参加したほか、会場で配布された追悼文集にメッセージを寄せた。(日刊スポーツ)[2006年7月9日17時29分]
2006.07.09
イベリア航空、機内食はカリスマシェフのサンドイッチ [マドリード 3日 ロイター] スペインのイベリア航空は今後、世界的に有名な3つ星レストラン「エルブリ」のシェフ、フェラン・アドリア氏の手によるサンドイッチを機内食として提供する。 イベリア航空は、国内および欧州内路線では無料の飲食サービスを行っておらず、このサンドイッチを含む軽食は有料。 新メニューとして登場するアドリア氏のサンドイッチの値段は明らかにされていないが、数カ月前の予約が必要な「エルブリ」で食べるのに比べれば安く済みそうだ。 (ロイター) - 7月4日14時9分更新__________________☆このアドリアさんは服部幸応さんの招待で、2004年に来日した。 あのロブションが「世界最高の料理だ」と脱帽したというので、服部さんも動いたようだ。 エルブリ(現地発音ではエルブジ)の料理はちょっと食べたことがある。 おかしなことだが、今から数年前のこと、曹操閣下がスペインに滞在していたとき、ある大貴族(その人の領地はスペインの十分の一もある)の屋敷に案内された。 その時にデザートが出て、若いT大公が誇らしげに、「これはわざわざ三ツ星レストランから空輸したものだ」という。 それは「コンニャク畑」のようなゼリーのムースだった。 あとで聞くと、それはゼラチンではなくて、大豆のレシチンだったという。 なるほど。 来日した時、アドリアさんは「水」にレシチンやゼラチンを入れ、メレンゲみたいに泡立てたり、凍らせたりして、10種類ぐらいの「水の調理」を公開したという。 半年間はレストランを閉めて、バルセロナ市内のアトリエで調理法の開発研究に没頭している。 まさに料理の技術開発をしているようだ。 これだけではもちろん採算は取れない。 バルゼロナ遠郊(近郊ではない)とは反対側、ジブラルタルに近いセビリアに、エルブリのレシピを完全に再現した「エルブリ・ホテル」があり、ここの営業でアドリアさんの研究チームに巨額の資金が提供されているとのこと。 言うまでもない。 閣下の知友のT大公の領地だ。 三國さんもそんな風に仕事したらいいですよ。 レシピより哲学を追究しなくちゃ。__________________■三国シェフが暴行で書類送検へ フランス料理店を幅広く展開する三国清三(きよみ)シェフ(51)が男性従業員(46)を殴ってけがをさせていたことが4日、明らかになった。関係者などによると、三国シェフは今月1日、東京都新宿区の本社で打ち合わせの最中、「仕事が遅い」などと激高し、従業員を殴ったという。警視庁四谷署は近く傷害容疑で書類送検する方針。同シェフはテレビや雑誌にも登場、「カリスマシェフ」などと呼ばれている。 調べによると、三国シェフは1日午後3時半ごろ、新宿区のフランス料理店「オテル・ドゥ・ミクニ」に隣接する本社「ソシエテミクニ」3階の会議室で、男性の顔面に受話器を投げつけ、その直後に男性のほおを左拳で1回殴った疑い。男性はそのまま会社を飛び出し、JR四ツ谷駅前の交番に被害届を提出した。男性は顔面打撲で全治1、2週間という。 三国シェフの広報担当者によると、シェフは会議室で男性と仕事の打ち合わせを行っていた。その最中に「仕事が遅い」と激高し、暴行に及んだという。「仕事が進んでいないことに腹が立ち殴った」と事実を認めているという。三国シェフは広報担当者を通じて「業務上の指導の仕方として、手をあげてしまったことは弁解の余地はなく大変深く反省しております」とコメントした。一方で、男性が受話器を投げつけられたと主張している件には「受話器は男性に当たっていないし、投げてもいない」と否定している。 四谷署は三国シェフを近く事情聴取して、書類送検する方針。「なるべく早い時期に三国シェフから聴取したい。男性と食い違いが生じているのなら、徹底的に取り調べをします」(同署)。 殴られた男性は営業部門のスーパーバイザーで、1年半前に入社、主にデパートなどとの交渉を担当していた。三国シェフの知人からの紹介で転職してきたという。男性からは退職届が提出されている。 イタリアンでは、「リストランテ・ヒロ」(東京都港区)の山田宏巳シェフ(53)が今年4月に大麻所持で逮捕され、懲役6月、執行猶予3年の判決を言い渡された。(日刊スポーツ)[2006年7月5日7時37分 紙面から]
2006.07.05
三国シェフを傷害容疑で書類送検へ 東京都内などで有名フランス料理店を経営する三国清三シェフ(51)が、男性社員を殴りけがをさせていたことが4日、分かった。 警視庁四谷署は近く、傷害容疑で三国シェフを書類送検する方針。 調べでは、三国シェフは今月1日、経営する新宿区のフランス料理店「オテル・ドゥ・ミクニ」の社長室内で、男性社員(46)の顔面を殴り、受話器を投げ付けるなどして顔面打撲など1~2週間のけがをさせた疑いが持たれている。 男性が同日、四谷署に被害を届け出た。 三国シェフは「仕事が進んでいないことに腹が立ち殴った」などと容疑を認めているという。 三国シェフは帝国ホテルなどで修業後、在スイス日本大使館の料理長、00年の九州・沖縄サミットでは蔵相会合の総料理長を務めた。(日刊スポーツ)[2006年7月4日14時15分]★これは残念だな。 でも相手は青二才ではなかった。 中途採用の事務員だろう。 足を踏んづけたり、尻を蹴飛ばせば傷害事件にならなかったのに。 味で勝負してください。
2006.07.04

http://www.chateaudemontvillargenne.com/
2006.07.02

橋本元首相が死去 元首相の橋本竜太郎(はしもと・りゅうたろう)氏が1日午後2時、多臓器不全と敗血症ショックのため死去した。68歳だった。 橋本氏は首相時代、中央省庁再編を柱とする行政改革に取り組み、日米、日露関係を発展させるなど数多くの成果を残した。 橋本氏は1937年7月、東京都渋谷区で、厚相などを歴任した竜伍氏の長男として生まれた。高知県知事の大二郎氏は異母弟。 60年に慶大法学部を卒業後、呉羽紡績(現・東洋紡績)社員に。竜伍氏の死去を受け、63年11月に衆院旧岡山2区から26歳で初当選。以来、連続14回当選した。厚相、運輸相、蔵相、通産相、自民党政調会長、幹事長などを歴任。(読売新聞) - 7月1日16時47分更新<小泉首相>プレスリーの旧宅訪ね「夢かなった」 【メンフィス(米テネシー州)及川正也】「夢がかなった。すばらしいもてなしをありがとう」。小泉純一郎首相は30日昼(日本時間1日未明)、故エルビス・プレスリーの旧宅「グレースランド」を見学後、エルビスの「見果てぬ夢」の歌詞にのせてブッシュ大統領に謝意を伝えた。興奮気味な首相に大統領も笑顔で応じ、「蜜月」の5年を締めくくった。 両首脳は大統領専用機エアフォース・ワンでメンフィス入り。到着場面からグレースランドに移動する様子は地元テレビ局が生中継した。プリシラ夫人、娘のリサ・マリーさんの案内で大統領夫妻とともに見学。米メディアの求めに応じて「ラブ・ミー・テンダー」「好きにならずにいられない」を次々と口ずさんだ。 首相の高揚が頂点に達したのは十八番の「アイ・ウォント・ユー、アイ・ニード・ユー、アイ・ラブ・ユー」を歌い始めた時。隣のリサ・マリーさんの肩に突然、手を回し「きつく抱きしめたい」。大統領に勧められてプレスリーのサングラスをかけると両手を突き出す派手なポーズで周囲を沸かせ、全米メディアはこの場面を繰り返し放映した。 プレスリーよりカントリー音楽が好きな大統領だが、はしゃぐ首相を笑顔で見守り、「首相がこんなにエルビスを好きとは知らなかった」。「米国のみなさん、やさしく愛してくれてありがとう」と29日の共同会見で別れのことばを告げた首相は30日午後、大統領との昼食会を終えると、日本への帰途についた。(毎日新聞) - 7月1日11時17分更新★総理。 任期を終えたら普通にいきましょうね。
2006.07.01
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