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この御前会議決定は徹底抗戦派向けの建前と講和の首謀者に成る事を避けたいと推察。◇「今後採るべき戦争指導の基本大綱」(1945年6月8日、御前会議決定)・方針 七生盡忠の信念を源力とし地の利人の和を以て飽く迄戦争を完遂し以て国体を護持し皇土保衛し征戦目的の達成を期す・要領 一 速かに皇土戦場態勢を強化し皇軍の主戦力を之に集中す 爾他の疆域に於ける戦力の配置は我か実力を勘案し主敵米に対する戦争の遂行を主眼とし兼ねて北辺の情勢急変を考慮するものとす 二 世界情勢変転の機微に投じ対外諸施策特に対ソ対支施策の活発強力なる実行を期し以て戦争遂行を有利ならしむ 三 国内に於ては挙国一致皇土決戦に即応し得る如く国民戦争の本質に徹する諸般の態勢を整備す、就中国民義勇隊の組織を中軸とし益々全国民の団結を鞏化し愈々戦意を昂揚し物的国力の充実特に食糧の確保並特定兵器の生産に国家施策の重点を指向す 四 本大綱に基く実行方策は夫々担任に応し具体的に企画し速急に之か実現を期す─『御前会議議事録』より◇御前会議経過・出御・総合計画局長官 「国力の現状」朗読・内閣書記官長 「世界情勢判断」朗読・参謀総長代理 参謀次長 発言・軍令部総長 発言・軍需大臣 発言・農商大臣 発言・外務大臣 発言・平沼枢密院議長 発言・内閣書記官長 「今後採るべき戦争指導の基本大綱」朗読・内閣総理大臣 本議題に付て皆様より御意見を御述べ願ひ度いと思ひます。 (発言無し)・内閣総理大臣 別に御異議もないものと認めます。・内閣総理大臣 「今後採るべき戦争指導の基本大綱」に今後政府、統帥部は真に一体となつて之が実現に努めて参る次第でありまするが、本件は本日の論議に徴しても明かなる通り、政府並に統帥部に於ては並々ならぬ努力を致すことが必須の前提条件となつて居るのであります。統帥部に於かれましては真に陸海一体の総合作戦の妙を発揮せられまするやうに御願を致しますると同時に、政府の側に於きましても本大綱就中其の第二項及第三項に付ては閣僚一同言葉の通り必死の決意を以ちまして之が具現に努力致しまして、誓つて本大綱に示されたる方針の完遂に邁進致す覚悟でございます。 現下帝国の情勢は真に危急でございます、謂はば死中に活を求むるの立場に在るとも申すことが出来ると思ふのでございまするが、是は単純なる智恵とか才覚とかを以ては能くし得ない所でございまして、簡明直截、右顧左眄することなく、驀らに所信に向つて邁進する外はないのでありまして、此処に私共政府の覚悟を申上げて置く次第でございます。・入御─「敗戦の記録」p256~よりの抜粋〓勝手に独断と偏見〓 方針「・・・地の利人の和を以て・・・戦争を完遂し以て国体を護持し皇土保衛し征戦目的の達成を期す」。 御前会議の主要メンバー「最高戦争指導会議構成員」はソ連仲介による講和を望む、しかし今回の御前会議では 「挙国一致皇土決戦に即応し・・・国民義勇隊の組織を中軸とし・・・物的国力の充実特に食糧の確保並特定兵器の生産に国家施策の重点を指向す」 指導部の理屈と国体護持の為の皇土決戦で一般国民を戦闘員としても活用の法的整備。・「六月八日の御前会議とX項/昭和天皇独白録」よりの抜粋 六月の臨時会議前の御前会議は実に変なものであった、当時、梅津は満州に主張中で、参謀総長の代わりに次長[河辺虎四郎]が出席した。 政府側の報告に依れば、各般の事情を総合して戦争はもう出来ぬと判断されているにも不拘、豊田副武(軍令部総長)と参謀次長とが勝利疑いなしとして戦争継続を主張した。 この勝利疑いなしとする論拠は政府側の報告と非常に矛盾しているが、結局会議の決定は戦争継続という事になった。 この会議が実に変なものだと云うのは、決定は右の通り戦争継続であるが、之は表面上の事で、首脳部は本心講和の考えで、X項を肚に蔵していた事だ。─── 占領軍による昭和天皇への戦争責任追求回避の一環として作られた「昭和天皇独白録」、以下も記されている。 「この会議に於る平沼の態度は狡猾であった・・・彼は自分の気持ちは現はさずに、只陸軍の意を迎える様な事を云う」 「戦争継続を主張した豊田副武は賛成出来ぬ人物であるる、強がり許り云っている」 「軍令部総長(豊田副武)と次長[大西瀧治郎]との人事は米内の失敗である」 大西瀧治郎は8月16日に介錯なしで割腹自決、平沼騏一郎は「極東国際軍事裁判」で終身刑、豊田副武は無罪。
2011.08.28
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「息もできない」は韓国映画、韓国映画を観るのは二回目、「冬のソナタ」も観たことがなく韓国俳優の名前は殆ど知らない。 取立て屋のサンフンは暴言と暴力でコミニュケーションを取る、女を殴っている男を殴り、殴られている女を殴る、取立て屋の仲間を殴り・警官を殴り・父親の暴力から母を守ろうとした妹を殺して出所した父親を殴る蹴る。 ヨニは女子高生、進学は諦めている、弟は学校に行かず金をくれないとお前の下着を破ると言う、父親はベトナム戦争で勲章をもらっている、そして父親は妻が居ないことに文句を言う、ヨニが母さんは死んだと訴えると包丁を持ち出してくる。 サンフンは歩きながら唾を吐く、唾はヨニの胸のネクタイにべったりとついた、ヨニが文句を言うと手でネクタイを拭う、ヨニが殴るとサンフンは拳で殴りヨニは気絶、意識を取り戻すとサンフンはヨニにネクタイを拭いておいたと言う。 取立て屋の社長がサンフンの父親にと金を渡す、「俺みたいな孤児は そんな父親でもいてほしい」、サンフンは其の金を持って父親を殴りに行く。 父親の自殺、サンフンは父親を担いで病院へ、サンフンの血を輸血して一命を取り留める父親。 「人を殴る野郎は自分は殴られないと思ってる」の連鎖を断ち切ろうとするサンフン、ヨニと幸せに成れるのか。 泣ける映画ではない、暴力シーンが多く血が流れるが見えない血がそこらじゅうに流れている、心臓が締め付けられる映画だ。
2011.08.20
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◇「九大生体解剖事件」(「1945年 日独全体主義の崩壊/毎日新聞社」p146より)・1945年5月5日:大分県竹田市上空でB29に「紫電改」が体当たりし両機墜落。 B29搭乗員11人のうち10人がパラシュート脱出し捕虜として福岡の西部軍司令部へ送致。・1945年5月17日:捕虜収容所より2人が九大医学部解剖学実習室に移送、多量の麻酔薬を投与され軍事医学上の実験材料として生体解剖がなされた。 まず1人目の右肺が摘出され、さらに「代用血液」の実験として海水を注射、死に至らしめた。 2人目も同様の手術により死亡。 遺体からは「解剖学教室で使えるように」諸臓器を摘出。 実験手術開始については「軍の命令下」か「軍の依頼の下」か「軍の許可の下」か、定かになっていない。・1945年5月22日:第2回の手術。 米兵2人が移送され1人目は胃の全摘出と心臓の切開と縫合の実験、2人目は肝臓の摘出がなされ死亡。 今回も遺体から諸臓器摘出。・1945年5月25日:第3回。 米兵1人の脳を実験手術、死亡後首を切り落とし脳髄の標本を採る。・1945年6月2日:第4回。 3人相前後してそれまでと同様の趣旨の解剖がなされる。 以上4度の生体解剖で死亡した捕虜は計8人、動員された医師・医学生は延べ40人を超えるともいわれる。 生体実験の「目的」は「人間の血液の代用としての海水注入の効果と限度」「肺の全摘出手術」「てんかん治療の脳の切開」などで、この間、事実は伏せたうえで県の外科学会で成果の一部を発表しているが、医学的に意味のある実験ではほとんどなかった。 終戦後、西部軍は8人の捕虜の死は広島での被爆によるものとし隠蔽。・1946年7月13日:西部軍関係者3人・九大関係者5人(うち1人は無関係)が戦犯容疑で逮捕されたのをはじめに、最終的に西部軍関係16人・九大関係14人が逮捕される。・1948年3月11日:横浜軍事法廷で第1回公判開始。 この公判では当時の新聞に「人肉試食事件」「食肉事件」と紹介された事件もあわせて審理された。 「食肉事件」の内容は第2回目の手術で取り出された肝臓の一部が醤油で調理され将校集会所の宴席に供されたというもので、死刑を求刑されたが事実がなかったことが立証され無罪となった。・1948年8月27日:本筋の事件では主だった軍関係・九大関係の5人に絞首刑、4人に終身刑を宣告。・1950年10月:マッカーサーの再審減刑で死刑囚は全て絞首刑を免れる。───〓勝手に独断と偏見〓 本土に米軍の無差別爆撃が行われている最中、捕らえられた米兵8人が裁判なしで軍と九大関係者により殺害された。 軍と九大関係者は占領軍による裁判で絞首刑・終身刑を宣告されるが、マッカーサーの再審減刑で死刑囚は絞首刑を免れた。 この事件は生体解剖を望む医者達と彼らが抹殺しても良しとする被験者の存在が前提、戦時中の極端な例とは言えない。 「海と毒薬」の解説によれば、軍は九大第一外科部長の石山福次郎(ウィキペディアの「九州大学生体解剖事件」では福二郎、「生体解剖/上坂冬子」では福太郎)に依頼する前に外科病院長に断られている、解剖環境で断ったのか。 九大側の首班である石山教授の遺書(チリ紙に鉛筆書き/1946年7月16日 福岡市の刑務所にて) 「一切は軍の命令、責任は余にあり、鳥巣・森・森本・仙波・筒井 余の命令にて働く、願はくば速やかに釈放され度 12時 平光君すまぬ」 九大側の関係者の証言として 「先生に反対するなんてことは考えられません。私達は大学を辞めたあとも一生医者として石山先生との関係が続くのです。また当時軍がやることに口を挟むことなんて出来ませんでした。」 「日本国土を無差別爆撃し無辜の市民を殺害した敵国軍人が殺されるのは当然だと思った。ましてたった一人の倅をレイテ島で失った私にすれば、それが戦争であり自然のなりゆきだと信じていた。」 当時の日本は、戦時中であり無差別爆撃を受けているという状況を考慮に入れないといけないが、敵も味方も平等に治療する事を心がけた者も存在したと思う。 しかし石山の遺書に於いては自分が殺した米兵8人に対する謝罪がなく、一部分の証言の為か人間の命より自分たちの生活が重要の感がある。 権力・力を持つと愚かさが増大し被害が拡大、小人閑居して不善を為す場合もある、この事件を調べると自分自身が善なる者ではない事が実感されるが棚に上げないと話が進まない。
2011.08.16
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「最高戦争指導会議構成員」は鈴木総理・東郷外相・阿南陸相・米内海相・梅津参謀総長・豊田軍令部総長(5月29日に及川古志郎から交代)。 沖縄での敗北が濃厚なる認識に於いて無条件降伏を回避し皇位・皇統を護り国体を護持を目指す。 「構成員」夫々の認識と手法は異なる、しかし講和条件を良くする為に戦後米国の対抗勢力になるソ連を仲介役にして対米勢力の日本の力を温存させる事を狙うは全員同意、6月8日時点では東郷外相と米内海相以外の四人は徹底抗戦を主張している。◇「時代の一面」よりの纏め・抜粋・「戦況と外交活動」 本年(1945年)春以来我方は沖縄に全力を傾倒したのであるが、鈴木内閣成立の頃には事態憂ふべきものがあつた。 依面統帥部からソ連の参戦防止に付き申出があつた際にも自分は作戦の将来について軍部の考慮を求め、若し日本が沖縄に於て敵を撃退し得し得ればソ連他も日本の戦力に猶相当の余裕あることを認め、且敵側が攻勢を取る為には若干の時日を要するから其機勢を利用すれば行詰まれる我外交も活動の基礎を築き得るに至るべきも、万一沖縄に於て敗衂を蒙る場合には外交は活動の基盤すら見出し得ないことになるから、此際全力を挙げて敵を撃退する必要があることを述べて其奮発を促した。 この事は陸海軍大臣、参謀総長、軍令部次長に個別的に述べた外、最高戦争指導会議構成員の会合に於ても再三述べたが、戦時外交は戦局の推移に繋ることは六月初旬の御前会議に於ても強調した。 但し統帥部に於ては沖縄戦に付きても始めは成算あることを述べて居たが、時の経過に伴ひ其説が曖昧となり、作戦に関する陸海軍の方針にも齟齬あることを洩し、漸次自信を失ひ来りつつある状況は明白であつて、早晩失陥の運命にあることが、一般に憂へられた。─── 「昭和天皇独白録」の「沖縄決戦の敗因」には 「之は陸海作戦の不一致にあると思う、・・・ 陸軍が決戦を延ばしているのに、海軍では捨鉢の決戦に出動し、作戦不一致、全く馬鹿馬鹿しい戦闘であった。 ・・・ 私は之が最后の決戦で、これに敗れたら、無条件降伏も亦己むを得ぬと思つた。」 の記述があり、「時代の一面」の記述を補完している。〓勝手に独断と偏見〓 「最高戦争指導会議構成員」と昭和天皇・木戸内大臣、あの時代・立場において彼らの代わりが務まる人は少なかったのではと思う。 ドイツは徹底抗戦を行って総統まで自殺しているが無条件降伏で終わった。 1945年6月8日の時点でドイツの様な徹底抗戦を行うことで国体護持が可能になるとは考えて居なかったと推察する。 国体護持を前提に建前・本音・組織防衛・陸軍の一部に対する恐怖があり、負けを認めたくない統帥部が主張する徹底抗戦に大きな声では反対できない。 ドイツとの違いはソ連との関係と人種と地域、そして三国同盟は消滅している。 東郷外相は沖縄で敵を撃退できればソ連等に対しても「我外交も活動の基礎を築き得る」が「敗衂を蒙る場合には外交は活動の基盤すら見出し得ない」 これから始まるソ連を仲介とする連合国との交渉は東郷外相的には絶望的な交渉の認識であったと想像。 1945年2月11日の米英ソのヤルタの密約ではソ連が日ソ中立条約を破り対日参戦すると其の条件が決められているが、外務省や陸海の上層部は覚悟していたと推測する。・「ヤルタ協定/外務省編『日本外交年表並主要文書』下巻 1966年刊」によると(抜粋) 千九百四十六年二月十一日 米国国務省ヨリ発表 三大国即ちソヴィエト連邦、アメリカ合衆国及英国の指揮者はドイツ国か降伏し且ヨーロツパに於ける戦争か終結したる後二月又は三月を経てソヴィエト連邦か左の条件に依り連合国に与して日本に対する戦争に参加すへきことを協定せり 二、千九百四年の日本国の背信的攻撃に依り侵害せられたるロシア国の旧権利は左の如く回復せらるへし (い) 樺太の南部及之に隣接する一切の島嶼はソヴィエト連邦に返還せらるへし 三、千島列島はソヴィエト連邦に引渡さるへし 前記の外蒙古並に港湾及鉄道に関する協定は蒋介石総帥の同意を要するものとす大統領はスターリン元帥よりの通知に依り右同意を得る為措置を執るものとす ソヴィエト連邦は中華民国を日本国の覊絆より解放する目的を以て自己の軍隊に依り之に援助を与ふる為ソヴィエト社会主義共和国連邦中華民国間友好同盟条約を中華民国国民政府と締結する用意あることを表明す 千九百四十五年二月十一日───
2011.08.07
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