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最高裁判所ではどのような判断が行なわれたか◇「判決文/最高裁」1948年5月26日(一部) 本件は・・・改正前刑法第74条第1項にいわゆる天皇に対する不敬の行為にあたるものとして・・・昭和21年11月2日東京刑事地方裁判所において、被告人に対し、有罪の判決が言渡されたが、其の翌11月3日、昭和21年勅令第511号大赦令が公布、施行せられ、同日前に前示刑法第74条の罪を犯したものは、同令により、赦免せられることとなったのである。(中略)しかして、大赦の効力に関しては、恩赦令は、大赦は、大赦ありたる罪につき、未だ刑の言渡を受けないものについては、公訴権は消滅する旨(恩赦令第3条)を定めている。即ち、本件のごとく公訴繋属中の事件に対しては大赦令施行の時以後、公訴権消滅の効果を生ずるのである。 しかして、裁判所が公訴につき実体的審理をして、刑罰権の存否及び範囲を確定する権能をもつのは、検事の当該事件に対する具体的公訴権が発生し、かつ存続することを要件とするのであって、公訴権が消滅した場合、裁判所は、その事件につき、実体上の審理をすすめ、検事の公訴にかかる事実が果して真実に行われたかどうか、真実に行なわれたとして、その事実は犯罪を構成するかどうか、犯罪を構成するとせばいかなる刑罰を科すべきやを確定することはできなくなる。 ・・・本件においても、既に大赦によって公訴権が消滅した以上、裁判所は前に述べたように、実体上の審理をすることはできなくなり、ただ刑事訴訟法第363条に従って、被告人に対し、免訴の判決をするのみである。従って、この場合、被告人の側においてもまた、訴訟の実体に関する理由を主張して、無罪の判決を求めることは許されないのである。(中略) しかるに・・・原審が大赦令の施行にもかかわらず実体上の審理をなし、その判決理由において被告人に対し有罪の判定を下したことは、前段説明したような大赦の趣旨を誤解したものであって、違法たるを免れず、その違法はまさに本判決をもって、これを払拭するところであるが、原判決がその主文において、被告人に対して、免訴の判決を言渡したのは結局において正しいといわなければならぬ。しかして、大赦の場合には、裁判所としては免訴の判決をする一途であり、被告人の側でも、無罪を主張して、実体の審理を要求することはできないのであるから、原審がした免訴の判決に対して無罪を主張して上訴することもまた違法であるといわなければならない。──「刑集2巻6号529項/戦後政治裁判史録1」p94~より※恩赦令は日本国憲法下では恩赦法(1947年3月28日法律第20号)、恩赦法は日本国憲法施行の日(5月3日)から施行〓勝手に独断と偏見〓 「東京地裁」判決の翌日出された大赦令(昭和21年勅令第511号)では不敬罪も赦免対象、大赦を無視した「東京高裁」の審理と判決(不敬罪)が無効とすると「東京地裁」判決の名誉毀損罪で有罪、ではなく最高裁は免訴とした。 「東京地裁」では名誉毀損罪、「東京高裁」では不敬罪(免訴)、「最高裁」では不敬罪に言及していない。 「東京地裁」は有罪にしたかった、「東京高裁」は権威を見せたいが有罪は不味いの判断、「皇室に對する罪」削除後の「最高裁」判決は此の事件に関わりたくないの感覚に思える。 戦後直ぐに判決が出た「横浜事件(4人が獄死、政府関係者によって当時の公判記録は焼却)」では「新聞紙法違反」「治安維持法違反」容疑だった。 「大赦令」は敗戦直後に2度行なわれた 「大赦令(昭和20年勅令第579号)」:「昭和二十年九月二日前左に掲ぐる罪を犯したる者は之を赦免す」 「大赦令(昭和21年勅令第511号)」:「昭和二十一年十一月三日前に左に掲げる罪を犯した者は、これを赦免する」 「プラカード事件」に関係するのは「大赦令(昭和21年勅令第511号)」。 違いは、対象期間、表記がカナ->かな、対象となる罪の若干の違い、第一条の「但し、その罪に該る行為が聯合国占領軍の占領目的に反する行為(昭和二十一年勅令第三百十一号第一条第二号乃至第八号又は第二条第三項に掲げる行為)であるときは、この限りでない。」 「大赦令(昭和20年勅令第579号)」の方が、赦免の制限が若干キツイ場合がある。 両「大赦令」の対象外には大逆罪 「刑法 第73条 天皇、太皇太后、皇太后、皇后、皇太子又は皇太孫に對し危害を加へ又は加へんとしたる者は死刑に處す」等がある。
2014.03.30
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●「プラカード事件/戦後政治裁判史録1」より◇事件の概要(纏め)+「プラカード事件/ウィキペディア」(抜粋) 1946年5月19日、皇居前広場で開かれた労働戦線統一世話人会主催の「飯米獲得人民大会」のデモの途上で起きた。 大会は、天皇に対する食糧事情の適切な措置を望む「上奏文」などを決議した後で、都心へのデモに移った。 参加者の一人である日本共産党員の田中精機工業社員・松島松太郎が 表面:「ヒロヒト 詔書 曰ク 国体はゴジされたぞ 朕はタラフク食ってるぞ ナンジ人民 飢えて死ね ギョメイギョジ、 裏面:「働いても 働いても 何故私達は飢えねばならぬか 天皇ヒロヒト答えて呉れ 日本共産党田中精機細胞」 のプラカードを掲げた。 東京検事局は、このプラカードの作者日本共産党田中精機細胞が当時の不敬罪(刑法74条1項)にあたるとして、同細胞の代表者松島松太郎を起訴した。◇裁判の経過・第一審 東京地裁:1946年11月2日 ポツダム宣言受諾後は従来の「天皇の特殊的地位は完全に変革」し、天皇に対する誹毀侮辱等の行為は、不敬罪ではなく一般の「名誉に対する罪」すなわち天皇に対する名誉毀損罪として扱うべきであるとし、刑法230条1項を適用して、被告人を懲役8ヶ月に処した。・第二審 東京高裁:1947年6月28日 不敬罪は名誉毀損の特別罪としてなお存続しているとし、本件プラカードが不敬の行為にあたるとした。しかし、1946年11月3日の日本国憲法公布にあたり発せられた大赦令により不敬罪を犯した者に対する赦免が行なわれたことを理由に、免訴を言い渡した。・上告審 最高裁:1948年5月26日 本件が不敬罪にあたるかどうかの問題には触れることなく、大赦令により本件に対する公訴権が消滅した以上、免訴の判決をなすほかはないと判示して、無罪判決を求めた上告を棄却した。──◇関連した出来事・1945年 09月02日:降伏文書(休戦協定)に調印、大赦令(昭和20年勅令第579号)公布・施行 10月04日:自由の指令・1946年 05月19日:プラカード事件 11月02日:「第一審 東京地裁」 11月03日:日本国憲法公布、大赦令(昭和21年勅令第511号)公布・施行・1947年 05月03日:日本国憲法施行、恩赦法施行(昭和22年3月28日法律第二十号)、裁判所法施行 06月28日:「第二審 東京高裁」 10月26日:「皇室に對する罪」削除の刑法改正公布・1948年 05月26日:「上告審 最高裁」─〓勝手に独断と偏見〓 「刑法 第1章 皇室に對する罪(第73条~第76条)」、奇数条は大逆罪、偶数条は不敬罪。 「プラカード事件」に東京検事局は不敬罪(刑法第74条1項)「天皇、太皇太后、皇太后、皇后、皇太子又は皇太孫に對し不敬の行為ありたる者は三月以上五年以下の懲役に處す」で起訴。 東京地裁では名誉毀損罪、東京高裁では不敬罪(免訴)、最高裁では免訴、裁判は占領下に於ける憲法改正(国民主権)の流れの中。 「1946年1月1日の詔書」では昭和天皇が「天皇の神性消滅」を主張、法的には1947年10月26日に「皇室に對する罪」が削除された。 「第一審 東京地裁」判決の翌日施行の大赦令(公布・施行1946年11月3日)の赦免対象には「 刑法第74條及び第76條の罪」があり、該当の「不敬罪」は刑法第74條。 「第二審 東京高裁」では「刑法第74条違反で訴追」は意味がなくなっている。 「上告審 最高裁」が判断を下す前に、日本社会党の片山内閣にて「刑法 第1章 皇室に對する罪(第73条~第76条)」が削除されている。 刑法に「皇室に對する罪」や、新聞等への「皇室の尊厳を冒涜する」に対する出版法法律15号・新聞紙法法律41号が存在した時代。 2014年現在、「刑法 第1章 皇室に對する罪」・「特別高等警察」・「治安維持法」は無くなっているが、皇宮護衛官(定員920人)・宮内庁病院(医師・看護師は約50名)等があり名誉毀損罪の親告代理は総理大臣(232条2項)。 「日本国憲法」へ向かう中、司法は天皇の安全や人権や日本国の象徴の権威を守る為に刑法第73条~第76条を否定(無効と)していたのか、削除はGHQの圧力か。 GHQの「自由の指令」により「治安維持法」などが廃止された、此の時点で「皇室に對する罪」廃止は東久邇内閣では当然として指導層に近い幣原内閣・吉田内閣では困難だったのか。
2014.03.23
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「AKB48グループ大組閣祭り~時代は変わる。だけど、僕らは前しか向かねえ!~」が2014年2月24日に行なわれ、27日には組閣確定の発表が行なわれた。 以下、敬称略 最も気になったのは、松井玲奈の乃木坂46との兼任、生駒里奈のAKB48チームBの兼任、これで乃木坂の売り上げはどの程度伸びるのだろう、運営側の意図は之からのAKB総選挙を見据えて活性化(不安定化)と安定化を図っているように思う。 大島優子は「大組閣祭り」に於いて「ファンを引き連れて 自分のチームにもってくること」と言っている。 大島優子は昨年末の『第64回NHK紅白歌合戦』にてAKB48卒業を発表しているので、大島優子のファンはAKBから去っていく(或いは引き連れていく)の自覚があるのだろう。 前田・大島はいなくなるが一位は指原莉乃だった、指原莉乃の復活は素晴らしいがAKBのスタンダードとは思えない。 指原莉乃は新しいAKB像を示したのか、グループとして多様性が増え強くなったのか不安定になったのか。 今年のAKB総選挙に生駒里奈の立候補が可能になったとして。 其れは乃木坂メンバー全員がAKB総選挙立候補可能となった場合のシミレーションが可能になるかもしれない、全員参加でCDの売り上げが伸びても票が分散され誰も30位以内にも入れないでは、乃木坂がAKBグループであるに終わってしまう。●今年(2014年)のAKB総選挙の投票権が乃木坂のCDや乃木坂の会員に与えられ、乃木坂からは生駒里奈(松井怜奈)が立候補できるとして考える。 去年の指原莉乃の票の分布に於いてHKT経由が圧倒的のような分析があるのかもしれない(調べるのが面倒)。 現状、CD売り上げはHKTと比べて乃木坂は10万枚以上多い、乃木坂の票が生駒里奈と松井怜奈に二極集中すると、総選挙の一位と二位が生駒里奈と松井怜奈になる可能性がある。 松井怜奈は乃木坂での活動を早急に始めHKTに於ける指原莉乃のような立場を確立できれば総選挙では有利になると思う。 2012年の総選挙では大島優子が108,837票に対して、松井珠理奈は45,747票、松井玲奈は42,030票、指原莉乃は67、339票。 2013年の総選挙では大島優子が136,503票に対して、松井珠理奈は77,170票、松井玲奈は73,173票、指原莉乃は150,570票。 これで見ると、松井珠理奈はAKB兼任でありながら松井玲奈との差は大きくない。 兼任ではなかった2011年の総選挙では 松井珠理奈は14位で27,804票、松井玲奈は10位で36,929票、運営側は松井珠理奈をSKEのトップにしたいのだが松井玲奈の力は大きいの印象。 乃木坂での握手会で松井玲奈が圧倒的な動員を見せるのか。●今年(2014年)のAKB総選挙の投票権が乃木坂のCDや乃木坂の会員に与えられない場合。 2012年とSKE等のCDに投票券が与えられた2013年を比較すると両松井はそれぞれ約3万票増加、指原莉乃は8万3千票の増加、2012年の両名の票数を加えると約8万7千票で2013年の総選挙では6位になる、半分の票で16位。 松井玲奈には是非3位以内に入ってほしいが運営側の意図はそれではないと思う、運営側は今年の総選挙で生駒里奈を16位以内にする予定なのか、だが生駒里奈が3位以内だと総選挙自体が壊れかねないと思う。 これを阻止するために、現在のファンに今以上のCD複数枚買いをさせる為の活性化・誘導か、ファンを増やす為の方策でもあるのだろうが。
2014.03.16
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1945年11月19日には戦争犯罪人として梨本宮守正(皇族)・徳富猪一郎(蘇峰)・正力松太郎(読売新聞社社長)・緒方竹虎(元朝日新聞主筆、小磯内閣と東久邇内閣の情報局総裁)等の59名が逮捕された。 また組閣後の10月11日に幣原喜重郎首相とマッカーサー連合国軍最高司令官との会談が行なわれた。◇十月十一日幣原首相に対し表明せる「マクアーサー」意見 「ポツダム」宣言の実現に当りては日本国民か数世紀に亘り隷属せしめられたる伝統的社会秩序は是正せらるるを要す右は疑ひもなく憲法の自由主義化を包含すへし 日本国民は其の心理を事実上奴隷化する日常生活に関しての有らゆる形式に於ける政府の秘密審問より解放せられ思想、言論及信教の自由を抑圧する有らゆる形式の統制より解放せられさるへからす能率化の名を籍り又は其の必要を理由として為さるる国民の組織化は政府の如何なる名に於て為さるるものも一切廃止せらるるを要す 斯る諸要求の履行及諸目的の実現の為日本の社会制度に対する下記の諸改革を日本社会に同化し得る限り出来得る限り速に実行することを期待す 一、参政権の賦与に依り日本の婦人を解放すること―婦人も国家の一員として各家庭の福祉に役立つへき新しき政治の概念を齎すへし ニ、労働組合の組織奨励―以て労働に威厳を賦与し労働者階級か搾取と濫用より己れを擁護し生活程度を向上せしむる為大なる発言権を与へらるへし、之と共に現存する幼年労働の悪弊を是正する為必要なる措置を採ること 三、学校をより自由主義的なる教育の為開校すること―以て国民か事実に基礎付けられたる知識に依り自身の将来の発展を形成することを得政府か国民の主人にあらすして使用人たるの制度を理解することに依り解答するを得へし 四、国民を秘密の審問の濫用に依り絶えす恐怖を与ふる組織を撤廃すること―故に専制的恣意的且不正なる手段より国民を守る正義の制度を以て之に代ふ 五、日本の経済制度を民主主義化し以て所得並に生産及商業手段の所有権を広く分配することを保障する方法を発達せしむることに依り独占的産業支配を是正すること 刻下の行政部面に就ては国民の住宅、食糧、衣料の問題に関し政府か力強く且迅速なる行動に出て疫病、疾病、飢餓其他重大なる社会的政局を防止することを希望す、今冬は危機たるへく来るへき困難克服の道は総ての人々を有効なる仕事に就業せしむるの他なし──「幣原首相・マッカーサー会談 1945年10月11日/「HP:日本国憲法の誕生」〓勝手に独断と偏見〓 マッカーサー司令官は幣原首相に「人権確保のための五大改革」を指示、「日本国民か数世紀に亘り隷属せしめられたる伝統的社会秩序は是正・・・日本国民は其の心理を事実上奴隷化する日常生活に関しての有らゆる形式に於ける政府の秘密審問より解放」。 日本では国民への奴隷化政策が行なわれていたの主張。 「戦後秘史5/大森実」p144~によると、「五大改革」は12日付で司令部発表として新聞掲載、また「憲法改正準備、内府御用掛に近衛公、佐々木博士」の見出しで改憲準備が天皇の思召しと発表。 幣原首相は73歳、加藤内閣・若槻内閣・濱口内閣の外相、岩崎弥太郎(三菱)の女婿。◇「昭和の宰相 4/戸川猪佐武」p42~によると 「人権確保のための五大改革」のなかの一つ「日本経済の民主化」は、具体的には財閥解体と農地改革とを意味していた。総司令部はその二大政策によって、明治以来、日本経済の基礎を形成していた独占資本主義を破壊し、経済の民主化をなし遂げようとしたのである。 財閥というものの正体については、総司令部はこれを的確にとらえていた。三井や三菱がそれぞれ政友会、民政党との結合において、日本資本主義の帝国主義的発展にあずかっていたことも、日産(自動車)や中島(航空機)などの新興コンチェルンが軍部や新官僚と提携し、日本経済の軍事化によって対外侵略にあずかったことも、総司令部には開戦当時からわかっていた。── 「人権確保のための五大改革」で先ず重要なのは 「刻下の行政部面に就ては国民の住宅、食糧、衣料の問題に関し政府か力強く且迅速なる行動に出て疫病、疾病、飢餓其他重大なる社会的政局を防止することを希望す、今冬は危機たるへく来るへき困難克服の道は総ての人々を有効なる仕事に就業せしむるの他なし」 「高松宮日記 第八巻」9月13日の項には「戦時中女の代つたのを男に戻す 180万人」を入れても600万人の失業者。
2014.03.09
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当時(終戦前後)、「国体護持」は日本が日本である為に必要、なる主張は多数派と推察する。 教育の成果だろうか、それとも方便か、「1946年1月1日の詔書」が昭和天皇の本心だとすると、昭和天皇自身は其れほど影響を受けなかった、自分自身が現神人ではないことは自明であるから当然か。 「天皇を以て現御神とし、且日本国民を以て他の民族に優越せる民族にして、延て世界を支配すべき運命を有すとの架空なる観念に基くものにも非ず。」ではなかった。 教育と言っても、台湾・朝鮮半島に於いて敗戦後は天皇を国家元首にと主張する者は皆無だろう。 日本でも1935年の「国体明徴に関する政府声明」の主張を否定する者は戦中・戦前から存在し戦後は増加したと考える。 敗戦は此の架空なる観念から大日本帝国の人々を解放する事になった。 大日本帝国の敗北は天皇=現神なる神話を破壊するに十分な力を持っていたし、天皇サイドは此の観念を継続する事は危険と判断、国民が戦中・戦前の天皇制を否定する前に先手を打ったともと思える。 1946年5月19日には「食糧メーデー(飯米獲得人民大会)」が皇居前で行われ、不敬罪での逮捕者が出ている。 「不敬罪」は特権階級が存在する事を示す、天皇・皇族と国民との距離を再設定が必要。 国民は終戦が確定するまでは平和を望むこと(戦争を止めること)を主張できなかった、様々な理由で戦争に反対し捕らえられたり獄中死した者もいる。 「大日本帝国憲法 第13条 天皇は戦を宣し和を講し及諸般の条約を締結す」 開戦・講和を決定できるのは天皇、終戦に手間取ったのは天皇以外の指導層に問題があったのか、「極東国際軍事裁判」では木戸や東條が起訴され刑を受けている、二人は対米英開戦・戦争継続に於いて昭和天皇に極めて近い人物、「昭和天皇独白録」では天皇が信頼する人物として記されている、平沼・松岡については天皇は利用するが好きではない人物として記されている。◇自由の指令(用語解説/HP:日本国憲法の誕生) 反体制的な思想や言動を厳しく取り締まっていた日本政府に対し、1945(昭和20)年10月4日、GHQが、自由を抑圧する制度を廃止するよう命じた指令。正式には「政治的、公民的及び宗教的自由に対する制限の除去の件(覚書)」という。「人権指令」とも呼ばれる。この指令は、思想、信仰、集会及び言論の自由を制限していたあらゆる法令の廃止、内務大臣・特高警察職員ら約4,000名の罷免・解雇、政治犯の即時釈放、特高の廃止などを命じていた。東久邇宮内閣はこの指令を実行できないとして、翌5日に総辞職した。つぎの幣原内閣では、この指令に基づき共産党員など政治犯約3,000人を釈放、治安維持法など15の法律・法令を廃止した。──〓勝手に独断と偏見〓 「不敬罪」(大逆事件としては幸徳事件・虎ノ門事件・朴烈事件・桜田門事件)の下に行われた官吏による殺人・拷問、官吏の運用に間違いはなかったのか。 「目には目を、歯には歯を」が刑の上限と思うが、未遂や拷問での自白でも死刑となる可能性があった。・旧刑法より 第116条 天皇三后皇太子に對し危害を加へ又は加へんとしたる者は死刑に處す 第118条 皇族に對し危害を加へたる者は死刑に處す其危害を加へんとしたる者は無期徒刑に處す─ 戦後は「朕は爾等国民と共に在り、常に利害を同じうし休戚を分たんと欲す。」 東久邇宮内閣は「自由の指令」を拒否し総辞職(10月5日)した。・「アジア特電/ロベール・ギラン」p156~p161、によると ロベール・ギラン、ジャック・マルキューズ、ハロルド・アイザックスは1945年10月に参謀本部派遣された将校というふれ込みで府中刑務所に米軍の司令部専乗用車で乗り付ける、刑務所側は共産党員はいないを主張、しかし彼等は収容されている共産党員(徳田・志賀等)を発見、共産党員は拷問の傷跡を示し「200人以上の同士が獄死しました」と語った。・「日本国憲法制定の系譜(III)」p255~、p290によると、フランス人記者のギランに日本共産党の指導者が獄中にある事を伝えたのは同盟通信社の安達鶴太郎・「終戦の和平工作と政治犯釈放のころ/証言:日本の社会運動/法政大学大原社会問題研究所」によると 「徳田球一・志賀義雄ら日本共産党の幹部が府中刑務所になお拘禁されている事実を,直接ギラン記者に伝えたのは,藤原春雄を通じて情報を得ていた同盟通信社の山崎早市記者。」
2014.03.02
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