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昭和20年度の国家予算は約292億円、翌年度は約1,191億円。 RAAへの5千万円融資、昭和20年度の国家予算の0.17%の融資額を使った占領軍向け慰安協会が発足。 平成26年度一般会計予算は約95.9兆円、皇室費所管 (皇室費(皇室費))の概算要求額は約55億円、内閣府所管 (宮内庁(宮内庁))の概算要求額は107億円で計約160億円で国家予算の 0.017%。 計算方法に於ける問題点や昭和20年と平成26年を比べる事への問題はあると思うが、現在の皇室の維持に必要な10倍の金額の重みを「特殊慰安施設協会」は使う。 終戦直後(1945年10月30日)発表の皇室財産は15億9061万5500円で昭和20年の国家予算の5.4%。 これは現金、有価証券・土地・林材・建物のみで発表で美術品・宝石および金銀塊の額を含んでいない。○「5千万円の女体防衛作戦/新版 みんなは知らない 国家売春命令」よりの抜粋・纏め◇昭和20年8月21日の閣議(首相官邸にて)、警察と慰安施設・閣議出席者:東久邇首相、重光葵外相・大東亜相、山崎内相、津島蔵相、米内海相、岩田法相、千石農商相、中島軍需相、小日山運輸相、松村厚相・文相、説明者はマニラ会議の全権委員・軍使の河辺虎四郎陸軍中将・報告概要:終戦処理に関する連合国の諸要求・議題の一つとして:連合国将兵のセックス処理・近衛文麿国務相の発言「婦女子を性に飢えた兵隊たちから守ること、これが対策は緊急に立てられなくてはならない」・河辺中将の発言「彼らの軍規はきわめて厳しい。沖縄では婦女暴行で十年の刑を言い渡された兵もあるというし、またかつて欧州上陸軍の行方不明者中、約半数は婦女子を暴行したカドで死刑に処されたものだそうだ」「おそらく米軍はそのような慰安施設をわが方から申出しても受入れることはないであろう」・閣議の結論:近衛国務相の意見に従った・閣議後に近衛は単独で警視総監板信弥(のちの大商証券社長)を呼んで対策を依頼「日本の婦女子をぜひ守って下さい。この問題は、部下に委せることなく、あなた自身、陣頭に立って指揮してもらいたい」・時を同じくして、内務省警保局長から無電の秘密通達が全国の各警察署長宛に発せられた。 「警察署長は左の営業について、積極的に指導を行い、設備の急速充実をはかるものとす。 記 性的慰安施設・飲食施設・娯楽場(カフェー、ダンスホール)等、営業に必要なる婦女子は、芸妓・公娼妓・女給・酌婦・常習的密淫犯者をもって、優先的にこれを充足するものとす。」◇警視庁、業者を招集・警視庁が中心となって、業者代表と懇談(8月18日/警視庁の記録による) 警視庁保安課は東京料理飲食業組合の宮沢浜治郎組合長・渡辺政治総務部長・辻穣相談役に伝えた(課長の高乗釈得の説明) 「占領軍の進駐に伴い、政府筋は占領軍と日本の婦女子の件で頭を悩ましている。保障占領とはいいながら、戦後には略奪や暴行がつきもの、どんな事態が起こるかわからない。そこで4千万の大和撫子の純潔を守るための”防波堤”をつくることが、ぜひ必要である。そのためには芸娼妓・酌婦など商売女をかり集め、アメリカ兵のセックスの欲望を組織的に解決する慰安施設を作らなければならない。しかも、この問題は急を要することであるし、業者の皆さんの力を借りなければ、到底できるものではない。どうか力を貸してもらいたい。もちろん、われわれとしては、全面的な援助を惜しむものではない・・・」・閣議(8月21日)で「慰安施設提供に関する件」を正式決定したという説がある、東久邇内閣の元閣僚へ確認すると「さア、昔のことだから忘れてしまった」と答えた。──〓勝手に独断と偏見〓 占領軍向け慰安施設の設立・運営は日本政府・警視庁の指導・保護下、表向きは東京料理飲食組合。 戦時中の海外にいる日本人(職業軍人・徴兵された軍人・軍属・従軍者(僧侶・記者・カメラマン・医師)等と推測)への慰安サービスも同様の構造を持っていたと推測する。 戦時中の慰安所は主に現地の女性に対する防波堤としての慰安サービスとの主張がある。 「戦後日本の公娼制度廃止における警察の認識/藤野豊/敬和学園大学」によると、 「1946年1月21日、GHQは・・・日本政府に対する覚書「日本における公娼の廃止」を発し」 GHQは日本政府に人身売買と強制売春の廃止を求める、占領軍に対する自由売春や占領軍による暴行は公にしないが前提に思える。
2014.10.29
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特殊慰安施設協会は大日本帝国政府発起、占領軍相手に売春等を行なう組織。 「鬼畜米英」を主張していた新聞、「鬼畜米英」を慰安する女性募集を掲載する。○特殊慰安施設協会の発足と1945年9月4日の新聞、協会の概要・毎日新聞 急告-特別女子従業員募集、衣食住及高給支給、前借にも応ず、地方よりの応募者には旅費を支給す 東京都京橋区銀座七ノ一 特殊慰安施設協会・東京新聞 キャバレー・カフェー・バー ダンサーを求む 経験の有無を問はず国家的事業に挺身せんとする大和撫子の奮起を確む最高収入 特殊慰安施設協会キャバレー部・特殊慰安施設協会は、第二次世界大戦後、連合国軍占領下の日本政府によって作られた同軍兵士の相手をする売春婦(慰安婦)がいた慰安所である。 英語では Recreation and Amusement Association と言い、RAA の頭字語で知られた。直訳は「余暇・娯楽協会」であり、日本語の名称との間で意味が大きく異なる。・8月17日に成立した東久邇内閣の国務大臣近衛文麿は警視庁総監坂信弥に「日本の娘を守ってくれ」と請願したため、坂信弥は一般婦女を守るための「防波堤」としての連合軍兵士専用の慰安所の設営を企画した。 8月18日、内務省は同省警保局長橋下政実によって「外国軍駐屯地に於る慰安施設について」(「外国軍駐屯地における慰安施設設置に関する内務省警保局長通牒」)、および「外国駐屯軍慰安設備に関する整備要項」を各県に行政通達し、警視庁は花柳界の団体と打ち合わせを行った。─(「特殊慰安施設協会/ウィキペディア」よりの抜粋) (一書に曰く) 「広岡敬一によれば、内容の詳細は広告に記載されておらず、これを見てやってきた女性の多くは水商売の経験のないもので、大半は仕事の中味を聞いて去っていったとされる。」 「アメリカ軍が日本に進駐した際、最初の10日間、神奈川県下では1336件の強■事件が発生したこと( Schrijvers, Peter (2002). The GI War Against Japan. New York City: New York University Press. p. 212. ISBN 0814798160)。 占領直後の性的暴行や強■の件数については確定していないが、藤目ゆきによれば上陸後一ヶ月だけでも最低3500人以上の女性が連合軍兵士によって被害をうけた(藤目ゆき「性の歴史学」p326)。」〓勝手に独断と偏見〓 RAA(Recreation and Amusement Association)の日本語表現は「特殊慰安施設協会」、実体として性的サービスが存在する。 親族や知り合いが米英と戦ったり親族を失った者が「鬼畜米英」の慰安を行なう。 近衛文麿に代表される国民を戦場に送り出した者達のグループ(特権階級・エリート層)は占領軍への性的サービスを急ぐ。 国民の防波堤として特権階級・エリート層・公務員からも慰安婦を出す感覚はない時代、敗北責任は国民が取れの意識か。 現実的な対応として性的被害を少なくしたい、占領軍に裁かれる対象から除外してほしいから国民を犠牲にする、自分達が占領地等での実体からの結論、単なる利権、等が混在していると思う。・「細川日記(下)」p432~には不可解な記述(1945年8月21日)がある(マニラ会談へ河辺軍使に随行した一通訳の話) 彼等(米軍)の軍規は、極めて厳正にて、沖縄にて強■嫌疑の者が、現に10年の刑に服役中なりと。又欧州上陸軍の行方不明中、半数は強■せる為死刑となりたる者にて、家族の不名誉を思ひ、行方不明とせるものなりと。娯楽設備につき仏当局が、米軍に申出たる所、キッパリ断りたる例あれば、我方も斯の如きことを為すべからず、等々語れり。── フランス当局が米軍に申し出た「娯楽設備」は慰安所の事だろう、米軍は表向きは慰安所を断ってはいるが、フランス当局の提案はフランスでの米軍人による婦女暴行が多発していた事を思わせる。 フランスは慰安所により米軍人の婦女暴行が軽減されると判断していたのだろう。 日本軍に比べると米軍の方が軍規に厳正の主張等、「一通訳」の報告は米国側の建前を其のまま報告したと推察する。 近衛文麿の「日本の娘を守ってくれ」(8月17日)と其の後の日本政府の対応が早い、急ぐ必要があると思うが、近衛自身が「鬼畜米英」主張していて其の責任を取ろうとしているのか。
2014.10.19
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・1945年8月28日、皇居前広場にて特殊慰安施設協会(RAA)の設立宣誓文が読み上げられた。 ・・・時あり命下りて、我らが職域を通じ、戦後処理の国家的緊急施設の一端として、進駐軍慰安の難事業を課せられる、命重くかつ大なり。・・・”昭和のお吉”幾千人かの人柱の上に、狂瀾を阻む防波堤を築き、民族の純潔を百年の彼方に護持培養するとともに、戦後社会秩序の根本に、見えざる地下の柱たらんとす・・・・RAA本部の銀座表通りの門前の大きな立看板 「女子事務員募集! 年齢18歳以上25歳まで。宿舎、被服、食糧全部当方支給。新日本女性に告ぐ! 戦後処理の国家的緊急施設の一端として、進駐軍慰安の大事業に参加する新日本女性の率先協力を望む」○鏑木清一(RAA情報課長としてRAA開店準備段階から参加)への有馬将祠記者による取材・鏑木清一の経歴 慶応大学法学部卒、文芸春秋の編集者、陸軍宣撫班員(宣撫:占領地で、占領政策の目的・方法などを知らせて、人心を安定させること。/デジタル大辞泉の解説)・鏑木清一の述懐(RAAの募集に関して) 女の募集で最初に目をつけたのが、芸妓や娼婦などプロ女性でした。吉原の大竹広吉が古い名簿を探しだしてきて、郷里に帰っていた女たちを呼びもどしました(吉原遊郭は、3月9日の大空襲で焼野が原と化していた。吉原病院に50名ぐらい残っていただけだった)集まったのはこのほかに38名で、なかには40がらみの老女もいた。これがすぐ動員可能の”第一線部隊”となったが、どうしても足らぬので、一般募集することになったのです。 募集看板を出すと、18歳から25歳までの年齢制限をつけたのに、衣食住保証がきいたのでしょう。若い女がぞろぞろ集まってきました。いま東芝ショールームの2階になっているところで、毎日面接をやったが、2、3百人の大行列ができた。総務部の連中が面接をやった。総務部の連中が面接をやった。私は背後で面接を見ていた、面接には言葉使いに苦労していたようです。面接に来た女性の中には、カフェーの女給の経験者もいたようだが、ほとんどが素人娘で、会社の事務員や戦災娘が多く、接客婦という言葉の意味を知らなかった。 職種には、接客婦とダンサーの2種類があることを説明したが、この説明がたいへんだった。”昭和のお吉”になるんだといっていた。亭主と一緒に応募にきてカンカンに怒って帰った女もあったが、衣食住つきの誘惑には勝てず、応募してきた女のうち、九分九厘が承知した。衣料は、東京都が責任をもって集めた。食糧は、なにしろ激しい肉体労働のことなので毎食白米を与え、スキヤキもたっぷり提供した。住のほうでも、接客する料亭の中に一室を与えるようにした。 女の収入も悪くはなかった。ショート・タイムで30円、泊まりは百円。これをRAA側と女で折半していた。キャバレーは、一回踊るチケットが2円だった。私の給料は1800円だから当時としては悪くなかった・・・・鏑木清一の述懐(RAAの接客) RAAの店の内部は、広い日本間をカーテンで支切り、大量に接客させたが、一人だけ気の毒な女が出た。それは品川の”見晴”という店にいた19歳の娘で、銀行に勤めていたそうだが、実家が戦災で焼けたために応募してきた。処女だったようだ。最初の客が黒人兵だった。よほど大きなショックを受けたらしく、最初の黒人兵の客を一人とっただけで、あとはなんといわれようとも部屋に篭り切ったまま、絶対に客をとろうとしなかった。翌日、行方不明になった。女を監督している取締主任たちが八方探したがわからなかった。駐在所から連絡が来た。その娘は京浜急行の電車に飛びこみ自殺をしていたのです。ほかの女に感づかれぬように苦労していたが、RAAが存在していた期間を通じ、自殺したのはこの娘が一人だけだった。ほかの女は、2,3人の客をとると慣れてしまった。私は女はこわいと思った─「戦後秘史 6/大森実」の「池田勇人が引き受けたRAAへの政府融資」の項に於いて〓勝手に独断と偏見〓 「女はこわい」なら男は鬼畜。 「池田勇人が引き受けたRAAへの政府融資」によると、 「当時、関東地方に進駐してきた米兵数は12万人、米兵の個人消費ドルは1億5千万ドルといわれたが、米兵消費ドルの大部分が、この種の性処理慰安施設に吸い込まれていった・・・」 1945年度の国家予算は約292億円、1ドル=15円とすると1億5千万ドルは22億5千万円、この協会は巨大利権。
2014.10.05
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