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○「米占領軍とRAA」/「慰安婦と戦場の性/秦郁彦」166p~169pの抜粋・纏め 「良家の子女」を守るため、連合軍兵士用に「性の防波堤」をという思いつきで、内務省は有力業者に話しをつけ、警察力を動員して「特殊慰安施設協会」(RAA)を結成する。 大蔵省に頼んで3千万円の緊急融資を受け、米軍第一陣が到着する前日の1945年8月27日、東京大森の小町園に第一号が誕生、朝日新聞などに報じられた。 「急告 特別女子従業員募集 衣食住及高級支給、前貸にも応ず」の募集広告に応じて、千数百人の女性が集まった。 8月18日付で警保局長から全国の警察部長へ流された通牒を見ると、この種の「性的慰安施設」にふさわしい女性は「芸妓、公私娼妓、女給、酌婦、常習密売■犯者等・・・」とあるが、食うや食わずの世相だったから、戦争未亡人や恋人に戦死されたシロウト女性もどっと押し寄せた。 開業直後の小町園の混乱ぶりは相当なもので、女性一人につき、一人最低15人から最高60人までの米兵を相手とする有様だったが、9月末から東京各地の旧遊郭を動員したので、混雑は緩和されたという。・<表5-3>米進駐軍専用慰安婦 地域、人員数、時点、呼称 北海道、770、-、特殊慰安婦 新潟県、276、45.10.25、接客婦 東京都、1360、45.8.28、慰安婦 横浜市、355、-、接客婦 横須賀市、358、45.12.31、接客婦 兵庫県、1182、45.12、慰安婦 広島県、725、45.11.30、慰安婦出所:主として各県市の警察史によった、いのうえせつ子『占領軍慰安所』(新評論、1995)、『季刊戦争責任研究』第13号、14号(1996)の吉見義明・尹明淑論文(注)山形県酒田市の例のように戦勝国民となった朝鮮人、中国人専用の慰安所も開設されている。 1946年1月、公娼廃止を指令するGHQ覚書の発出をきっかけに、3月頃までに米軍用慰安設備は閉鎖された。性病が爆発的に広がったせいとも、米本国に報道され家族の抗議で問題化したせいだともいう。 1945年9月4日付けで、内務省保安課長から各府県の警察へあてた「米兵の不法行為対策資料に関する件」と題する通牒には、婦女子強▲事件の実情を紹介したあと、「慰安所は表面連合軍司令部としては公認せざる所なる如きも自衛方法として斯種施設は絶対必要なり」と述べ、場合によっては移動式慰安所も考慮せよと指示していた。 ・・・部隊によっては正面から要求してくる例も見られたからである。 朝日新聞の木更津支局長だった明石清三によると、1945年9月12日、市長室に武装した米軍将校3人が押しかけ、「女を提供してもらいたい。すぐ血液検査をする。30人以上」と迫った。──〓勝手に独断と偏見〓 「従軍慰安婦/吉見義明」p194~の「敗戦直後の連合国軍用慰安所」ではRAAに触れて、 「右翼の積極的介入」では笹川グループや元大日本赤誠会岩手支部長の菱谷敏夫と連合国軍用慰安所に関して触れ「連合国軍相手の慰安所設置に関しては、警察・右翼・売春業者が連携していたのである」としている。 これは「敗戦日記/高見順」の記述「企画経営者が終戦前は「尊皇攘夷」を唱えていた右翼結社であるということも特記に値する」に符合。 「慰安婦と戦場の性/秦郁彦」によると、朝日新聞もRAAの慰安婦募集を掲載、また連合軍が慰安婦を要求していたことも知っていた。 「山形県酒田市の例のように戦勝国民となった朝鮮人、中国人専用の慰安所も開設されている」は興味深い記述。 連合国軍の為の慰安婦の存在は、連合国による婦女暴行を軽減することができたのか。 当時は(現在も)日本への駐留軍の軍人の犯罪に対して日本の警察は力を十分に発揮できない、泣き寝入りしかなく連合国軍による事件自体も報道されるのは一部だったと推測する。 連合軍への慰安所や性サービスが日本国の女性の為だけとは限らない、しかし慰安婦の方々の行為は婦女暴行を軽減する事には役立ったと思う。 現在に於いても敵国民の人格を精神的・肉体的に否定するような行為が男女関係なしに行われていると思う、戦争・戦闘という行為は人権を否定している、人権の為に戦うの主張もある。 戦争状態で、人も殺した、明日には死ぬかもしれない、人を殺さないといけないの状態で現実的な慰安は必要(仮想現実の慰安が可能になるかもしれない)、異常な状態で通常と変わらない精神状態の維持は困難。
2014.12.31
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『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』の公開は1995年11月18日。 「すべてがFになる The Perfect insider/森博嗣」「有限と微小のパン The Perfect outsider/森博嗣」の初稿完成時期は1995年12月と1997年6月。 「マトリックス (映画)」の日本公開は1999年9月11日、バーチャルリアリティ(Virtual Reality)が一般に広まる時代で、森博嗣やマトリックス は『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』の存在に触発されたと思う。 「有限と微小のパン The Perfect outsider/森博嗣」では「コンピュータを駆使しても、将棋の名人にはかなわない・・・チェスやオセロは、コンピュータの方が強いみたいですけど」の微笑ましい会話がある。 2014年3月から始まった「第3回将棋電王戦」では日本将棋連盟のプロ棋士vsコンピュータだったが1勝4敗でコンピュータ側の勝利、事前に「第3回将棋電王戦」本番用ソフト・ハードをプロ棋士側に3ヶ月以上前に貸し出し、貸し出し後プログラムを変更しない(ソフトの一つである「やねうら王」のバグ修正が対局の21日前に行なわれた)でありハードの制限等があるでハンディありの戦いだった。 完全な存在が創った宇宙と不完全な存在が創ったバーチャル空間では意味が違ってくる、不完全な存在か完全な存在かは視点(立場)による事になる、卑近な例では社長は社員にとって完全に近い存在の場合があるが会社を離れると完全度は格段に落ちる、その会社と関係ない人は存在を意識しない事が殆ど。 もし、マトリックスのようなバーチャル空間が創れたとして、マトリックスでマトリックスを創った文明以上の進化は制限されると思える、例としては現在理解出来ていない宇宙現象や物質・エネルギーをマトリックスに導入できない。 しかしバーチャル空間特有の科学は発達する可能性がある、宇宙の解明はバーチャル空間の解明で可視光線や他の惑星・恒星に対する認識が異なると思うからだ。 マトリックスのような人間をエネルギー源として使用するのであれば、人間は人工生殖なのかクローン技術なのか、確かパラダイスのような空間では上手くいかなかったとしていたの記憶がある。 今回の「有限と微小のパン/すべてがFになる」#9は製作者側がやっとやる気になったと思わせる出だしだったが、また事件現場で武井咲(西之園萌絵)がしゃしゃり出るのパターンを採用している、綾野剛(犀川創平)をメインにするともたないのだろうか。
2014.12.17
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○RAAに関する記述等/「敗戦日記/高見順」p425~(抜粋)◇1945年11月14日 外へ出ると細雨。「銀座見物に行きましょう」と伊藤君を誘った。雨でもアメリカ兵は銀座に土産物買いに出ていた。小箱をかかえているのにつづけて会った。人形の箱だ。 ・・・ 松坂屋の横に Oasis of Ginza と書いた派手な大看板が出ている。下にR・A・Aとある。 Recreation & Amusement Association の略である。松坂屋の横の地下室に特殊慰安施設協会のキャバレーがあるのだ。 「のぞいて見たいが、入れないんでね」というと、伊藤君が、 「地下二階までは行けるんですよ」 地下二階で「浮世絵展覧会」をやっている。その下の三階がキャバレーで、アメリカ兵と一緒に降りて行くと、三階への降り口に「連合国軍隊ニ限ル」と貼紙があった。「支那人と犬、入るべからず」という上海の公園の文字に憤慨した日本人が、今や銀座の真中で、日本人入るべからずの貼紙を見ねばならぬことになった。 しかし、占領下の日本であってみれば、致し方ないことである。ただ、この禁札が日本人の手によって出されたものであるということ、日本人入るべからずのキャバレーが日本人自らの手によって作られたものであるということは、特記に値する。さらにその企画経営者が終戦前は「尊皇攘夷」を唱えていた右翼結社であるということも特記に値する。 世界に一体こういう例があるのだろうか。占領軍のために被占領地の人間が自らいちはやく婦女子を集めて■■屋を作るというような例が--。支那ではなかった。南方でもなかった。懐柔策が巧みとされている支那人も、自ら支那女性を駆り立てて、■■婦にし、占領軍の日本兵のために人肉市場を設けるというようなことはしなかった。かかる恥かしい真似は支那国民はしなかった。日本人だけがなし得ることではないか。 ・・・ 戦争は終わった。しかしやはり「愛国」の名の下に、婦女子を駆り立てて進駐兵御用の■■婦にしたてている。無垢の処女をだまして戦線へ連れ出し、■■を強いたその残虐が、今日、形を変えて特殊慰安云々となっている。◇1945年11月15日 川端・中山両氏と東京駅へ行くとちょうど電車の出たあとだった。 ・・・ そうした文学話をしていると、前の席の人たちが、すッと立って帽子を取って最敬礼をする。 「・・・?」 振り返って歩廊を見た。歩廊で汽車を持っている人たちもみな直立不動の姿勢だ。 向うのホームに、見なれない立派な列車がついている。車に菊の御紋が光っていた。 天皇陛下がおかえりになったのだと知らされた。 ・・・ 昔だったら何時間か前から警護の巡査や憲兵が駅に沢山出ていて、天皇陛下の特別列車がおつきになる頃は駅になど私たち一般乗客を入れはしなかったろうと、その変化に驚かされた。 ・・・ 宮様のお通りでも一時間ぐらい平気で街頭で待たされたものだが。──〓勝手に独断と偏見〓 「世界に一体こういう例があるのだろうか。占領軍のために被占領地の人間が自らいちはやく婦女子を集めて■■屋を作るというような例が」 大東亜戦争は大東亜共栄圏による自存自衛の確立をドイツに認めてもらう戦い、国民を犠牲に国家運営の安定を求めた戦い。 敗戦後に戦争を遂行した勢力が行なうことが、一般国民から占領軍将兵の慰安婦を募ること。 「連合国軍隊ニ限ル」の貼紙がある特殊慰安施設協会のキャバレーが銀座の松坂屋の横の地下3階にできた。 日本人男性は自分達の情けなさの象徴が増える、占領軍に依り婦女子が日常的に▲▲される世界になる認識が強かったとも言える。 昭和天皇の戦後の巡幸は1946年(昭和21年)神奈川県 2月19日 ~ 1954年(昭和29年)北海道 8月23日、昭和23年はなし、沖縄への巡幸は行なわれなかった。 敗戦までは、「宮様のお通りでも一時間ぐらい平気で街頭で待たされたものだが。」、戦後でも直後は「直立不動」、戦後の巡礼の警備は初期に於いてはMPで「直立不動」「土下座」は無くなっていったと推測する。 占領下、天皇は「朕」は使わなくなる、敗戦と占領軍による日本の民主化が進んでいると考える、不完全でも人権や平等が重要な要素になりだした。 現在の「文化勲章親授式」に於いての総理大臣の立ち位置は天皇の下僕の感がある、総理大臣は国民の下僕の長であっても天皇の下僕ではない、見届け人として参加ぐらいの立ち位置がよいと思う。
2014.12.07
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