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雑誌の仕事の年末進行&トラブルと、MRテキスト執筆の仕事と、ガールスカウトの仕事と、1/4から行く旅行の準備で、もはや収拾不可能な状態〈笑〉こういうときは「大変だ~、どうしよう~」といろいろ考えず、とりあえず手元にあるやらなければならないことをひとつずつ片づけていくのがよろしい。少しずつやらなければならないことが片付けば、気持ちも落ち着いて余裕が生まれる。ということが、46歳になってやっとわかってきた〈笑〉今日朝起きた時に、「大変だ~、どうしよう~」と思ってしまったので、とりあえず洗濯をして、その後お仕事に移り、合間に家事を片付け、またお仕事に戻り、合間に家事を片付けと続けたら、仕事のノルマと最低限の家事は終わった。ただし、プールには行けなかった〈泣〉やはりプール通いは優先順位が低い。明日は朝一で、神奈川県の辻堂まで行って取材である。優先順位の高いものから、ひとつずつ確実に片付けていくことが肝心だ。24日には自宅で両家両親を招いてクリスマス会を開き、25日は実家で開かれたクリスマスイ会に取材の後合流した。自宅のクリスマス会では、カナッペ、ヤムウンセン、生春巻き、サラダ、パエリア、鶏のから揚げなどを作った。パエリアをだいぶ上手に作れるようになってきたのでうれしい。そういえば私のつくるカナッペは母直伝だ。どこで覚えたのか知らないが、私が小学高学年の頃から母はクリスマスにこのカナッペを作り始めた。クラッカーに、チーズや生ハム、イクラ、玉ねぎやピーマン、トマトなどを乗せるものだ。食材が今より豊富になってからは、カラスミ、キャビア、ブルーチーズ、パプリカなどなど、具材のバリエーションが増えていった。彩はキレイだし手軽に作れるお勧めのパーティーメニューだ。家庭環境というのは大切なのかもしれない。母がカナッペなどを作らなければ、私も作ろうとは思わなかっただろう。一方で、生き物にとって育った環境より生まれ持った素質が重要という気もする。それは娘を育てていても思うし、猫を養っていてさえそう思う。とうような益体もないよもやま話はいい加減にして、明日取材のためにそろそろ眠らなければ。
2011.12.26
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来年の1/4から1/9まで中国に旅行することになった。経路は、北京→鄭州(洛陽)→北京だ。北京、洛陽は別にして、鄭州ってどこ?と思う人が多いに違いない。鄭州は黄河流域に位置する河南省の省都だ。今から約25年前、友人と中国旅行に行った際、なんと1週間も滞在してしまった場所だ。もちろん、鄭州に1週間も逗留する予定ではなかった。目的地はあくまでも洛陽で、鄭州はちょっと立ち寄る場所でしかなかったハズなのだが、結果的に私達はここに1週間も居続け、結局洛陽には行けず、そのまま次の訪問予定地だった桂林へと向かう羽目になった。中原と言われるこの地は、当時の中国では外国人が足を踏み入れると出られなくなる袋小路として有名なエリアだったということを、私は後に知った(笑)本当にその通りの場所だった。鄭州は、広大な中国大陸を移動する際に、中継地点となるお臍的な地域だったのだ。ここで旅人達は鉄道を乗り換えて目的地へと向かう。鄭州からは、首都北京はもちろん、西のシルクロードや北の南京、南の広州と、縦横無尽に鉄道が広がっている。当時の鄭州駅前には、たくさんの中国人たちがとぐろを巻いて行列をなし、野宿して鉄道の切符を手に入れていた。特に夕方を過ぎる頃から人々の列が何重にも交差して、足の踏み場がなくなった。目がくらみそうになるその人の集合体の中、列の中から、自分が乗るべき列車の列を見つけ並ばなければならなかった。中国語を話せない外国人からすると、それは至難の業だった。なぜなら、駅の従業員に切符見せて、どこの列に並べばいいのか?と聞いても、正しい回答を得られる可能性が絶望的に低かったからだ(笑)そこはまさに混とん、カオス! 私達は、北京から鄭州に入って、2泊して洛陽に向かう予定だった。しかし1回目、血眼になって自分たちが乗るべき列車を探したが、見つけることかできなかった。2回目、カオスだと思っていた駅と列の法則を見つけて、なんとか乗るべき列車の列を見つけたものの、なんとその列車はなんのトラブルか知らないが鄭州に到着することはなかった(笑)。8時間ほど駅で待った挙句のことであった。その後、私達はインフルエンザに罹ってしまい、3日ほどホテルで寝て過ごすこととなった。そこで洛陽行きをあきらめ、次の目的地である桂林への切符を取って、3日ほどホテルで静養してから、やっと鄭州を脱出できたのだ。1週間も鄭州にいたが、観光したのは黄河のみ(笑)。でもなぜか、25年前の旅行の中で、この鄭州での思い出が際立っている。当時ずっとお世話になることになった国際飯店、そこのレストランや、唯一日本語が話せたスタッフの女性の顔。1泊だけした駅前の旅館。鄭州駅の休憩所で友人とケンカしたことや、友人がその休憩所の職員からもらったリンゴ。インフルエンザになって高熱を発し、駆け込んだ病院。そこで出会った日本語が堪能なお医者さん。病院の治療代は人民元しか使えなかったのだが、そのお医者さんが私の治療費をポケットマネーから払ってくれたのだった。「私には日本人の親友がいます。彼の国の方は私の友人です」と、そのお医者さんはおっしゃってくれた。今思えば、住所と名前を伺って治療費をお返しすべきだったのに、インフルエンザで頭がもうろうとしてそんな考えも浮かばなかった。あのお医者さんにもう一度会いたいな~。鄭州は今や大都会だそうである。私達が訪れた25年前、鄭州に空港ができるという看板を見て、このカオスのような町もずいぶん便利になるのだろうと思ったものだ。1/4の夜、私はその鄭州空港に降り立つ予定だ。この鄭州を起点に、もう一度洛陽観光にチャレンジするつもり(笑)25年前たどり着けなかった洛陽を今度こそ見てくる! 洛陽といえば、芥川龍之介の『杜子春』の舞台なんだよね。そしてもう一度北京へ!
2011.12.10
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