全11件 (11件中 1-11件目)
1
今更感満載ですが、ホットスポット最新情報http://www.asahi.com/national/gallery_e/view_photo.html?national-pg/0929/TKY201109290449.jpg松戸市の新松戸界隈では、幼稚園や保育園で園庭の砂を入れ替える作業が自主的に行われているそうで。土を入れ替えて除染すると、0.06マイクロまで下がるらしい。何もしないとこのあたりの放射線量は、0.1~0.5マイクロシーベルト。しかし場所によっては0.7とか普通に計測でき、たま~に、1マイクロとか5マイクロとか出ることもあるとか(!)本物の被ばくだ。
2011.09.29
コメント(0)
日本人は政治に無関心だと言われている。しかしそれはとても幸せなことだったのではないかと思う。政治に無関心でも国はなんとなく豊で平和で、病気になれば健康保険で十分な医療サービスを受けられ、失業率も低く、治安も良く、真面目に会社を勤めあげれば年功序列で給料は上がって行き、老後は年金で生活できた国、それが日本だった。しかし最近では、国民が政治に無関心では、国はどんどん悪い方に進んでいくようだ。国を正しい方向に進めてくれる有能な政治家も生まれてこない。国民ひとりひとりが政治に関心を持ち、能動的に、そして我慢強く有能でリーダーシップのある指導者を生み出し、育てる、そんな姿勢が求められているような気がする。野田首相がそんなリーダーなら良いのだが。
2011.09.25
コメント(0)
よりわかりやすい画像が出てきた。http://or2.mobi/data/img/7650.jpg
2011.09.22
コメント(0)
今日は取材を2件。取材が終わった頃に台風が関東付近を通過するという廻りあわせで、最寄駅にたどり着かず途中駅のJR綾瀬で電車が無念のストップ。駅に居ても仕方がないので、駅前のイトーヨーカ堂に逃げ込んだ。昼食を食べていなかったので、ヨーカドー内のサプウェイへ。BLTサンドを食す。ひさしぶりのサブウェイだったのだが、とても美味しかった。確か娘を一度も連れてきたことがない。ハンバーグよりこちらのパンの方が娘の嗜好に合うような気がする。その後、イトーヨーカ堂で傘を購入。渋谷駅で傘が大破してしまってみうごきが取れなかったのだ。しかし、買ったばかりの傘で駅に戻る道すがら、再び突風に煽られて傘の骨が曲がってしまった。ウソー!!ありえねー。台風時に傘を持っていても意味がないという教訓を得た。常磐線が動く気配もなかったので、居酒屋で飲んだくれようと決心。駅前にある雑居ビルに入ってみると、有名居酒屋のチェーン店やサイゼリアなどがあったがどこも満員。まずいチェーン店に入るなんて愚の骨頂と普段豪語している私だが、このような不測の事態に遭遇すると人は慣れ親しんだ店に集まりやすいということを学ぶ。仕方がないので空いていた中華レストランに入った。このレストラン、雲南料理の専門店だった。広東でも上海でも四川でもない、雲南料理とはなんぞや?味は淡泊で辛いあたり、四川料理のお友達的な感じ。本当は坦々麺が食べたかったのだが、お腹がいっぱいだったので、豆腐とピータンの和え物、クラゲのワサビ和え、キクラゲの辛味和えというおつまみ3点セット(各300円)をオーダーし、当初の目的通り生ビールとレモンサワーなどで飲んだくれながら、東野圭吾の『容疑者Xの献身』を読んだ。21時近くになり、山手線が動き出したという情報をキャッチして、駅に戻ることに。常磐線が動き出したのはそれから20分程度かかったが、なんとか無事に自宅に帰りついた。疲れた一日だった。
2011.09.21
コメント(0)
ドラマ『セカンド・バージン』を勢いで観てしまった(笑)2010年にNHKで放映された作品で、放映前から予告を観ていて知っていた。「濃厚そうで趣味じゃないわ」と思っていたが、予告を数回見たぐらいで覚えたいたのだから、一応心にひっかかるものはあったのかもしれない。映画化されたと聞き、ちょっと気になって初回を観たら、面白くてやめられなくなり、一気見してしまった。鈴木京香演じるバツ1でアラフォーのシングルマザー「中村るい」が主人公。ベストセラーを連発する人気出版社の理事を務めるキャリアウーマン(もはや死語)だが、浮いた噂はひとつもない「鉄の女」だ。そんな彼女が偶然、17歳年下のエリート官僚「鈴木行」と出会い、熱い恋に落ちるというもの。このエリート官僚「鈴木行(こう)」の妻役をあの深田恭子が演じている。このドラマを観る前、たぶん女性ばんの「失楽園」だろうと思ったら、まさにそんな内容だった(笑)。男のファンタジーを描いたのが『失楽園』なら、女性のファンタジーを描いているのが『セカンド・バージン』だろう。それはそれでなかなか面白い内容なのだが、私が夢中になったのは、実は秋月という大御所作家だ。日本の文壇にとてつもない影響力を持った人で、るいと出版社の社長が会社を設立するときに助けてくれた大恩人。博識で博学、話題が豊富でカリスマ性溢れる女だ。お気に召した人間にはとことん便宜をはかり大事にするが、逆鱗に触れたが最後、手のひらを返したように冷酷に振る舞う。実はこの手の女、権力を手にした年配の女性によく見るタイプだ。絶対的な利己主義を悪気なく無意識のうちに行う。しかしそこに意識した悪意は存在せず、本能の赴くままに行動しているのみ。こういう女性は絶対に未婚だし出産経験もない。そんな人並みな経験をしてしまったら、自分に対する盲目的な愛情や絶対的な自信は生まれないからだ。この秋月が、特に理由もなくるいたちを助け、特に理由もなく全てを奪い、そしてるいが使える女だと知るや否や、再びその力を与える。それはまるで神のように。一方るいも、秋月から全てを奪われても怨むことなく、再び与えられても平常心のままだ。絶対的な利己主義という意味では、主人公のるいも同じ。行の妻もこれまた同じよう。つまりこのドラマは、絶対的に利己主義な女たちに振り回され、弱体化していく男たちと、さらに自分の命さえも捧げる男の屍を乗り越えて華麗に咲く主人公の生き様が鮮やかに描かれているのだ。もちろん、現実はそんなに甘くはない。17歳も年下の男が50を目の前にした女に夢中になり、命さえも投げ出してくれるというようなおとぎ話はない。しかしたったひとつ、このドラマにはウィークポイントがある。主人公ルイの息子のサイドストーリーだ。母性が欠落し、子供を育て損ねたるい。しかし、この息子の母親に対する態度は甘いに尽きる。現実では、育て損ねた子供はもっと明確に、もっと残酷に、もっと執拗に執念深く、親にかたき討ちをする。それは二度と立ち上がれないほどに、だ。そして社会も、子育てに失敗した女に対して、徹底的に鉄槌を食らわすのだ。このドラマ、薄い親子描写だけが残念だった。なんでるいを子持ちにしたのだろう?子供なんていないことにした方が良かったように思う。
2011.09.20
コメント(0)
好きな詞です。A CREED FOR THOSE WHO HAVE SUFFERED I asked God for strength,that I might achieve I was made weak,that I might learn humbly to obey... I asked for health,that I might do greater things I was given infirmity,that I might do better things... I asked for riches,that I might be happy I was given poverty,that I might be wise.. I asked for power,that I might have the praise of men I was given weakness,that I might feel the need of God.. I asked for all things,that I might enjoy life I was given life,that I might enjoy all things... I got nothing that I asked for -- but everything I had hoped for Almost despite myself,my unspoken prayers were answered. I am among all men, most richly blessed ! (訳) 大きなことを成しとげるために 力を与えてほしいと神に求めたのに 謙遜を学ぶようにと 弱さを授かった より偉大なことができるようにと 健康を求めたのに よりよきことができるようにと 病弱を与えられた 幸せになろうとして 富みを求めたのに 賢明であるようにと 貧困を授かった 世の中の人々の賞賛を得ようとして 成功を求めたのに 得意にならないようにと 失敗を授かった 人生を享楽しようとあらゆるものを求めたのに あらゆることを喜べるようにと いのちを授かった 求めたものは一つとして与えられなかったが 願いはすべて聞き届けられた 神の意に添わぬ者であるにもかかわらず 心の中で言い表せないものは すべて叶えられた 私はあらゆる人の中で もっとも豊かに祝福されていたのだ (訳詩;本田 哲康)
2011.09.18
コメント(0)
『八日目の蝉』を読んだ。不倫の相手の子供を身ごもり、中絶。ところが同じ時期に不倫相手の妻も妊娠していた。夫婦がアパートに一人娘を置いて外出するその一瞬の隙をついて彼女は部屋に忍び込み、生まれたばかりの赤ん坊を目にする。その刹那、彼女は赤ん坊を抱え、その場から逃亡をはかっていた。赤ちゃんを実の両親から盗み出して逃亡するというとんでもない女のストーリーなのだが、間違いなく読者はこの誘拐犯である女性にシンパシーを感じてしまう。一流女子大を卒業し、一流企業に入社。賢く優しい性格で容姿にも恵まれた女性。それが、愛してはならない人を愛してしまったがゆえに人生の歯車が狂い、人の子供を奪うという恐ろしい行動を起こしてしまうのだ。彼女は、中絶後に「アンタなんか女としてがらんどうじゃない」という言葉を不倫相手の妻に投げつけられる。それが、彼女の中の何かを壊してしまう。そして、盗んだ娘との生活を守るために、彼女は手段を選ばずひたすら逃亡を続ける。たどり着いたのは小豆島。温暖な気候と穏やかな海、そして親切な島民に守られるように、嘘の親子は初めて幸せな生活を手にするのだが…。物語の後半、誘拐された娘に物語の視点は移る。心の空虚さを埋められない娘は、自分を誘拐した女と同じように不倫の末、妊娠してしまう。それまで誘拐されていたという過去を封印して努めて思い出さないようにしていた彼女だが、妊娠を機に自分の過去をたどり始める。親子とはなんだろう? 血がつながらない2人。社会的には誘拐犯とその被害者である2人。しかしそこには確かな親子のつながりがある。娘がどんなに否定しようと、そこには確かな愛がある。誘拐犯の女は言う、「娘を育てられて幸せだった」と。そしてそれから20年近く経って、「全てを失い何もない「がらんどうのような自分」なのに、それでもその何もないはずの手の中に、何かを感じるのはなぜだろう?」と。その一方で、娘を盗まれた母親はどうか。娘を誘拐された当時、実はこの女性も夫と同様に不倫をしていた。この事実が誘拐事件の初動捜査を遅らせ、さらに夫の不倫相手を責め続け追い込んだ事実が明るみになるにつれ、夫婦は被害者にも関わらず社会的にはある意味加害者として糾弾され続けることになる。4年振りに手元に帰って来た娘に対しても、どのように対応してよいのかわからず苦悩する。それでも、誘拐された娘は最後、「子供を産んで両親の元で暮らそう」と決心する。自分は働き、父と母に育児を助けてもらおうと。そこにこの物語の救いがあるように思う。そして私は、自分の娘を普通に愛し、当たり前のように世話ができて本当に幸せだと感じた。
2011.09.17
コメント(0)
本日は娘が修学旅行で、夫が飲み会で家にいなかったので、友人と外食してきた。その友人とは、20年以上前に同じ出版社で働いていたことがある。その出版社の同窓会みたいなものが、今年の4月に行われて、私は出席できなかったので、その飲み会の模様を撮影した画像を見せてもらった。なんなら20年近く会わない人もいるのだが、そこに集うメンバーがみんな若いこと、若いこと。いちばん年上の人で50を過ぎているハズなのだが、20年前とあまり印象が変わらない。最近の女性は中年になっても若いということもかもしれないが、それ以前に、その会合に集ったメンバーは誰一人子供産んでいないことも影響しているような気がする。誤解を恐れず言うならば、女性が子を生むと、「生物的に傷む」ような気がするのだ(笑)レタスとかトマトが古くなると、なんか傷んだ感じになる、アレである。子供を産まない女性はこの「傷み」がない。このメンバーに限らず、私の友人は未婚の人がほとんど、結婚していても子供を産んでいない人がほとんどである。女性としての傷みは、出産と育児の勲章!?とは、正直私は思えない(笑)子供はいつか巣立っていくわけで、最終的に人はスタート地点に戻るような気がする。となれば、残されたものが「女として傷んだ自分だけ」であるのは悲しすぎる。人としての成長を考えても、結婚しているから、あるいは子供を産んで育てているから、特に人生経験が豊富で立派な人間になれるわけないのは自明の理だ。未婚だろうが既婚だろうが、子どもがいようがいまいが、立派な人は立派だし、ろくでなしはろくでなしである。「女として傷んだ」部分をこれからケアしよう! 一見、子供なんか産んでなさそうな感じになるくらいにね(笑) と私は決心した!!
2011.09.15
コメント(0)
死をまだあまり身近に感じたくない。それでいて、以前より確かに近づいて来ているような気がして、困っている。死とはなんなのか?今の私には明確なイメージも哲学もない。ただ漠然と、「来て欲しくないもの」、「考えたくないもの」という感じ。今までに本当に身近で大切な人を失った経験がないから、死をイメージしにくいのかもしれない。父は養子だったので、私にとって父方の祖父母は義理の関係である。こんな事情から生前はほとんどつながりがなかったので、亡くなっても正直喪失感を感じることはあまりなかった。母方の祖父は私が小学校1年生の時に亡くなった。それまでに会ったことが1回しかなかったし(それすらも記憶にない)、祖父の葬式の記憶も幼かったせいで希薄である。私にとって唯一身近な存在だったのが母の母である。しかしこの祖母、少し変わり者で(笑)、孫を可愛がるという雰囲気のなかった人なので、心情的に言うとそれほど近い存在ではなかった。唯一、死を間近に感じたのは、昔飼っていた猫が死んだとき。高校3年生だった。このときは生と死の狭間をまざまざと感じた。今後、私の両親は私より早く亡くなる可能性が高い。ここで私は初めて、死を明確に実体験することになるだろう。今から来たるべきこの瞬間を思うと、正直恐怖する。
2011.09.11
コメント(2)
日本の社会全体が管バッシングに走っていたような状況だったので言い出しにくかったのだが(笑)、私は総理大臣・管直人をある程度評価している。あの未曾有の大震災、それに続く原発事故が起こった瞬間、管直人が総理大臣で良かったと思っているのだ。もちろん、その対応は決して誉められたものではなかっただろう。当然、改善べき点は山のようにあったろう。それでも、あくまでも消極的な意味で、管直人が総理大臣じゃかったら、事態はもっと悪い方向に進んでいたような気がするのだ。日本人に多いボトムアップ型の人があの瞬間総理大臣だったら…と思うと、かなり嫌な汗がにじみ出てくる。東電が福島原発を放棄したいと言った時、「全員死んでもいいからそこに残れ!」と言えるような人じゃなければ、あの事態を収拾できなかったと思う。あの発言について、「人でなし」的な言われ方をされていたが、私が総理大臣でも同じことを言ったように思う。ただ、管直人には人徳がない(笑)日本で人徳がある人は、ボトムアップ型が多い。トップダウンで人徳のある人というのを私は日本ではあまり見たことがない。日本でトップダウン型のリーダーは、若い頃はカリスマ性があって良いのだが、年を経るごとに周囲から人が1人去り、2人去り、最終的に1人で残される…という末路をたどる人が多いようだ。つまり日本ではトップダウン型のリーダーが育ちにくいのだ。しかし、時代はそんなリーダーを求めている。日本に勢いがある頃ならボトムアップ型リーダーがふさわしかったのだが、今は違う。そして、良いリーダーは天から突然降ってくるものではなく、日本人ひとりひとりが忍耐強く、生み出し育むものではないかと、最近思い始めている。
2011.09.10
コメント(0)
野田政権にあの安住なんたらが財務大臣として入閣てしまったではないか!?管元首相に対するひどいやり口をみて、一気に名前と顔を覚えたてしまった。あの亀井さんも苦言を呈していたが、まさに私も同感という感じ(政治思想には共感できないが、なぜかあまり嫌いになれない亀井さん)。野田さんの後ろでヘコヘコしながら自民党の面々と握手をしていた姿も卑屈でイヤだった。野田さんと同じことをしているのに、一方は謙虚な人に見え、他方は卑屈な人に見える。これが所謂「色眼鏡」というヤツですか?(笑)緊張しておどおどしている姿を見ると、この人本当に大丈夫なのだろうか?と疑問に思う。それは私だけではないようで、世界からもかなり注目されいるようだ(悪い意味で)。
2011.09.03
コメント(1)
全11件 (11件中 1-11件目)
1