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レコード大賞が30日なのが、どうもしっくりこない。何年も前から観てないから、どうでもいいっちゃいいが。でも、こんな歌手に重みもない“やる価値もない”番組になった今、潔くやめた方がいいとは思う。いくら今年の大賞受賞曲が”本当にヒットした作品”だからって、未成年で発表の瞬間にメンバー誰も舞台に居ないんじゃ・・・その代理で出て来た大人が揃って、喪服みたいな黒づくめの格好で無言で・・・異様だったわ。安住さんのテンションもエンディングまで低いままだし、太鳳は居る意味なかったし。ところで、F○orinはなぜあんなに売れたんだろう?子供には踊りも含めて大人気な楽曲のようだ。海外にもあの踊りが広がってるとも何かで言ってたが・・・そんなに”いい曲”なんだろうか? 作り手が大人気のあの人だから、「彼の作るものなら何でもOK」ってことはないのかな? これだけ世の中が盛り上がってるとこ悪いんだが、私はこの曲がとても苦手だ。何度も聴いたし、“深い意味が隠されてる”らしいとかいう歌詞も読んでみたが・・・特別に何かを感じることもなく。ま。“好み”の問題なので、そういうのが苦手な人間も居てもヘンじゃないでしょ。とにかくあの曲を聴いて“楽しい”気分になれない。ネット上で“実はこんな意味が籠められてる”んじゃないかと”読めば胸が締めつけられる“解釈をしてる記事もある。それを読まなくたって、私には“気分的に下がる”楽曲だ。作り手のY氏がどんな想いを籠めたのか知らないけど、個人的な“感想”として、彼の歌はどれも明るくなれない。でも、ひとつだけ“いい情報”を得た。F○orinのヒットにより、『パプリカ』の花言葉(野菜言葉?)を知ることができた。幾つかあるうちの『君を忘れない』は、すごく印象的だ。Y氏もこの花言葉を知って歌のタイトルを付けたんだろうなぁ。となると、やっぱ陽気に踊れるよな歌じゃない。だからあの歌を聴きたくない。特に今日は聴きたくなかった。でもたまたまレコ大やってて、あの歌が流れてた。11年前の夜。ちょうどレコ大をやってる時間帯に・・・九州の実父が亡くなった。病院で蘇生を試みている最中、母からの電話を受けた。電話の向こうで息を引き取る瞬間も耳に残ってて・・・あの日のあの時間の母との遣り取りが今も忘れられず・・・10年をこえた今も、こうして私の脳裏に焼き付き離れない。だから毎年“師走”を迎える時になると、気が重い。家族も何年も時間をかけて立ち直り、私自身もそれより早く“吹っ切った”つもり。けれども、毎年この時期が近付くと、じわじわ気持ちが沈んでいくのは変わらない。そんな気持ちを紛らわそうとTVをつけたら『パプリカ』で。その意味を知ってるだけに、辛くなってしまった。これまでは最愛の人に先立たれて苦しみ悲しみ続けた母とそばで守る弟を、必死に支えてきた。だから、父を想い泣く暇もあまりなかった。いつだったか一年位してやっと、急に号泣したことはある。ただしそれ以降、姑事に追われて実家のために尽くすのが後回しになってた。2年前、姑事(息子であるダンナと義弟に任せた)から解放されたせいか、最近、前より“父のこと”をよく思い出す。そして「もっと“親孝行な娘”であれば良かったのに・・・」「苦労ばかりの父の人生は幸せだったんだろうか・・・」とか、あれこれ“後悔”したり。いや、でも。今日で“あの日”から11年も経つのだから、今度こそ前を向かないと! 父のことを思い出すのは供養になるけど、いつまでも引き摺るのは”お互い“にとって良くないことだ。父を亡くした“平成”を越えて“令和”という時代を迎えたことだし、令和最初の新年の幕開けを機に、もっと強くなりたい。いや何としてでも、強く生きねば。★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「乃木坂と日向坂を見分けられる人、挙手~!」
2019.12.30
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なんか急に陽射しが強くなってきたぞ? ”大掃除”日和なんかもしれん。でも今日は“動かない”と決めた。昨日までなんやらかんやらで出て回り、時間に追われて過ごしたから、今日は起きて早々、ボケを連発。体よりも脳が疲れてるのだろう。いつもの朝の流れ作業で”見なくてもできてること”を、アレ?って感じでミスってる。くしゃみも三回続くと風邪と人は言う。ミスも三度となると“うっかり”とは言えない。こんな日は充分に気をつけねば。外に行くのは避け、大掃除も後回しにして(逃げたいだけじゃん(苦笑)、好きな音楽を流しながら、猫のように陽だまりで丸くなるのも悪くない。憂鬱でしかなかったクリスマスの押し売りの数日が過ぎ、正月を迎える空気が世の中に急速に漂ってきた。今年は本業も副業も早々『仕事納め』しちゃったから、かなり余裕。年賀状第一弾も出したし、正月飾りもお餅も買った。あとは大掃除を適当にすればいいだろ。ただし本当に今日は何もする気が起きないので、掃除はしたくない。なのにこうしてキーボードを叩く手は止めないのだから、私は本当にバカなんだな。感じたこと思いついたことを、書かずにはいられない。ブログは仕事じゃないから、“誰かのため”とかじゃなく、自分を”解放”したいだけ。カラオケで熱唱や絶叫するのとほぼ同じ。誰も歌を聴いてくれなくても、マラカスを振ってくれなくても、ハモってくれなくても・・・自分の好きな歌を気が済むまで唄えれば、スッキリできる。今年はでも、私にしては“発散”できた年になった。去年ここで書いた“今年の一文字”は、たしか『保』だった。“現状維持”がテーマだった気がする。それを受けての2019年は、振り返ってみれば私にとって“刺激”ある年だったと。多くの“新しいこと”に触れ大いに影響されて、若い頃の“ワクワク”してた感覚を思い出した。よって、私の2019年をひと言で表せば『動』である。岡崎体育7年越しの夢の舞台(“さいたまスーパーアリーナ“ワンマン)だけでなく、新しいアーティスト達の音楽が”枯れた心”を潤してくれた。ここ数年クラシック音楽に頼ってたけど、洋邦の音楽に仕事でもプライベートでも浸っていた頃の私が、今年再び“揺り起こされた”と言える。久々に音楽に囲まれてみて、やっぱり自分の人生には“音楽が必要”なんだと分かった。この勢いのまま、新しい年も良い音に溢れた毎日にしたい。観たいもの聴きたいものを求め、できるだけ足を運び、直に刺激を受けたい浴びたいという“欲”が、ウン十年ぶりに湧いてきたから。持病の長年の投薬生活が終わり、押し寄せる副作用の不安や恐怖が消え、心身“身軽”になり”動ける”範囲が広がったのも変わるきっかけかも。それを踏まえた2020年のモットーは『直感に従え』!先日の知人友人の件もあるが若いつもりでも、実際に若い世代であっても、前日までは元気でも・・・ある日突然病と闘うことになったり不運にも命を落としたりするんだ、命には“限り”があるんだと痛感した年でもあったので。あれこれ考えすぎて遠回りしないで、正直に生きよう!と。なぜか大嫌いな松○聖子の大昔の歌「チャンスは2度ないのよ」ってタイトルが頭に浮かんで・・・松本隆にひれ伏した。少し前から“直感”を信じ、“趣味”で某所で音楽を語り始めた。専門家の目で審査され、老若男女同じ趣味を持つ人達から“評価”もしてもらえる遣り取りは、なかなか”スリル”があって面白い。私が音楽業界を目指して奮闘していた頃の感覚にも似て、一回目の投稿で少しの反響があり、この前またさらに手応えを得て、なんだかとても“新鮮”な気持ちになれて、すっかりハマってしまった。活字バカだから、しばらく抜け出せないだろう。次に何を書こうか、ふとキーワードが浮かんだらどんな言葉でどう紡ぐか、文をどう構成するかタイトルでどう魅せるか・・・あれこれ考えてる時間も楽しくって嬉しくてしかたない。こんな作業を生業として私は今に辿り着いたけど、今の本業副業は『与えられたテーマ』を一定のルールのもとに確実に仕上げることが目標なので性質が違う。それに”プロとしてできて当たり前“だから、周りに褒められることもなく、手応えも直接は感じられない。だからと言って今更またお金稼ぐとかライターとして有名になりたいとか、もうそんな次元じゃなく「音楽を語りたい表現したい」から書くだけ。それで“解かってくれる”人がいて“評価して応えて”くれるなら、これからも私の“励み”になるし、生き甲斐にもなる。仕事じゃないけど緊張感があり、このブログとも少し違った感触を得られる。そんなすき間にちょうどいい『遊び場』をひとつ見つけてしまった。来年は“我が”まま“在るがまま”、正直にいこう。一瞬の”ひらめき”を信じて愉快に生きたい。★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「今年、あと何回書けるかな?」
2019.12.27
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毎朝の”家事のお供”のFMラジオ。どこにチャンネル合わせてもクリスマスソングだらけ。この一週間、流す曲がクリスマス過ぎて・・・お腹いっぱい。「今日で終わりますから。今日までですから!」って、苦情でも入ったのか、DJのお姉さんも思わず言っちゃったよ?どんなに陽気なアップテンポのワクワクな曲をかけようが、暖かい暖炉を思わせるほんわかした曲をかけようが、聴けば聴くほど気持ちが沈む。少し体調が下向きなのは確かだが、ココロが“病んでる”わけではない。懐かしいクリスマスの名曲や個人的に想い出のある曲がかかれば、何かしら“良い感情”も生まれる。でも、これだけパンパンにプレゼント箱からはみ出るみたいに、次から次にクリスマスソングばっか流されるとなぁ。どんなに”パリピ”な人でも、さすがに疲れるし飽きるって(え?そうでもない?)。上野アメ横の“叩き売りのお菓子”じゃないんだから、メリハリつけようよ? たまにはクールダウンの一曲でも挟んで“お口直し”してほし―――! 世の中のみんながクリスマスを“待ち望んでる”わけじゃないんだし。とりあえず、今年こうしてクリスマスを迎えるにあたり、このテンションに私は“ついていけない”んだってことが、よ――――――――く解かった。昨日これでも一応、ワイン風味のお気に入りアップルジュースとチキンとカルパッチョとかで、“それらしい”夕飯になったのよ。でも、そう“しようと思って”したんじゃなく、この時季うちの近所の店に行っても、”クリスマスか正月の食材”しか置いてないんだもん。フツーの食事がしたいのに!!そんな理由もあり、軽い“敗北感”さえ噛み締めながらのクリスマス。いや、子供の頃から何だかんだでパーティには“参加”したり“主催”したりしたし、プレゼントもチキンもツリーも“経験”済みではありますよ? けど大人になるにつれ“違和感”はあった。“アンチ”まではいかないにしても、それ程クリスマスに“浮かれない”自分だっていう居心地の悪さ。家族や友達が周りに沢山いる人達には、“楽しい”一日なんだろうな。それも理解はするけど・・・やっぱ“本場”の国の人達の過ごし方と違う“日本の商業的色味の濃い”クリスマス行事が、苦手なんだわ。私、クリスチャンじゃないし、そんなに大勢でワイワイ騒ぐのも好きじゃないし、甘ーいケーキ(実家じゃみんな苦手で、子供の頃はアイスのホールケーキだった)も食べれないし。それにクリスマスの音楽も、国内外で吐くほど大量に生産されてるけど、子供の頃に唄ったクリスマスの定番や古き良き『ホワイトクリスマス』とかがあれば充分。惚れたのふられたの会いたいのに会えなくて震える系の、そういうロマンスはたとえそれがヤマタツのあの大ヒット曲でも、今更聴くには小っ恥ずかしい。夢がないと言われようと、それが私なんだわ。子供の頃からこういうファンタジーみたいな世界が、どうも苦手な可愛げのない子供(サンタのおじさんは架空の人物と理解)だったから。それがおばちゃんになって、強く出て来たってだけかも。そんなことを、クリスマスの音楽をテンション低く聴きながら思った2019年の師走。ま、楽しめる人達は思いっきり楽しんでください。特に子供は。あ。今年のクリスマスで、良かったなーと思ったのは、寒空の下、コンビニやファストフードの店先で、薄着でサンタやトナカイに扮して“マッチ売り”のナントカみたいにケーキやチキンを叫びながら売る姿が一斉に消えたこと!毎年立ち続けてた可哀相な彼女彼等に今年、いいクリスマスが来たなら・・・それでいいや。メリクリ!★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「今年は大掃除、何もする気が起きん。」
2019.12.25
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太く短く生きるか、細く長く生きるか。それを“理想“に掲げたところで、自分の思い描くようにいかないのが人生。闘病の末や不慮の事故で若くして亡くなった人を悼む時、『あんないい人が』とか『いい人ほど早死にするもんだ』とか、私達は言いがち。以前、雑誌のインタビューで瀬戸内寂聴もそんな話をしたようだ。100年近く生きてる作家僧侶が言うのだから、あながち嘘ではない。彼女の半分程しか生きてない私でさえ、主に仕事を通じ信じられない数の人と会い、本当に多くの『いい人』が『働き盛りの“まだまだこれから”』という時に、天に召されていったのを見てきたから。最近も『いい人』の代表みたいな知人が亡くなったのを知り、失ったものの大きさを今、じわじわ感じてる。と、同時に“あの時”私が受けた(と勝手に思ってるだけだが)“心の傷”を、思い出してしまい、両極端の悲しみが渦巻いている。とても繊細でユーモアのある人間臭い人だった。常に輪の中心に居るムードメーカーの“愛されキャラ”。とてつもなく『大きな存在』が、ものすごいスピードで疾走して人生を終えた。きっと嫌いな人はいないと思う。本当に愛されて愛されてたまま逝ってしまった。けれど私は、その人の言動に傷ついた過去がある。そのショックは私の人生を大きく変えた。今は酷く傷ついたことさえ忘れ、普通に暮らしてるけれど・・・やっぱりその人を思うと、当時のモヤモヤがぶり返してきて、その人に問いかけたくなるのだ。みんなを愛し、みんなに愛され、『人の才能を見抜く力』に長けていた人に、私はどうも“避けられて”いた。どーでもいいバカ話で共に笑い合った仲なのに、いざ“共同作業”となると理由も言わず逃げられた。そして最後は『仲間』から外されてしまった。いつもの癖でアレルギーの肌をぽりぽり搔きながら、視線をそらして呟いたシーンが目に焼き付いている。「きれいな人は・・・苦手なんだよねぇ・・・」それはその人なりに私に“気を遣った”発言だったのかもしれない。全く納得できなかった。それは私の能力への評価じゃない。そんな取ってつけたようなお世辞は要らない。その人らしくない。あまりにも理不尽で、私にとって“大事”な場所だったとこから「あなたは要らない」と斬り捨てられ追い出されてしまったという風にしか受け取れず、私の”劣等感”となり悶々と生きた。本当の“理由”は他にあったんだろう。それもついに二度と聞けなくなってしまった。だから私は、この先も“わだかまり”を背負ったまま、“答え”や存在意義”を求めて生きていかねばならない。その人の目に映るあの時代の私には、“何が”足りなかったのか?『いい人』に避けられてしまった私は、その人からすれば引き出す才能も魅力もない、『憎まれっ子』だったのだろうか。だとしても世に憚るほど“長生き”なんかしたくないから、困るんだが。お互いが歳を重ねて、どこかでバッタリ会ったら『恨みっこなし』に本音を聞きたかった。そして今の私が『どう見える』のか、視線を逸らしたままでもいい、ボソボソと独り言のようなあの声で、素直な言葉を聞きたかった(合掌)。★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「冬至早く来て――!でも雪は結構です。」
2019.12.20
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去年もこの時季、聞いた気もする。で、今日と同じように「心がかさついてるなぁ」とため息がもれた。全国各地の寺で『除夜の鐘』をつくかつかないか問題。たった”年に一度の数時間”のこと。火の見やぐらの鐘つきみたく”激しく連打”するわけでもなく、“煩悩を払い、新年の安寧を祈願”する祈りの鐘をゆっくり一突きずつ鳴らすだけなのに、それを『騒音』だと訴える人がいると聞く。そのため、ある寺は夜になる前に鐘をつく時間を早め、ある寺は鐘つき自体を諦めてしまうという、ありえない事態に。中には時間を早めたお蔭で、参り手が増えたとか、お坊さんが「大晦日の夜をゆっくり過ごせるようになった」とかメリットもあるらしい。それは好いことなのかもしれない。でも、寺にも”プライド“はないのだろうか? お盆と並ぶ“ぶっちゃけ稼ぎ時”のこの時季に、メインイベントのひとつを止めてしまう、しかも「休めてラッキー」と考えるだなんて。私にも代々お寺を継いで守ってる親族がいるが、高齢になった住職から一度もそんな話、聞いたことない。檀家さんをいかに満足させるか、あの手この手で行事を入れて、みんなが立ち寄りやすい場所にしようと常に必死だ。「除夜の鐘をやめたらラクできる」という考えは、それが本音だとしても、不浄を祓う寺の関係者の口から聞きたくなかった。でもこれも“働き方改革”の一環、と割り切るべきなのか。『除夜の鐘』を”うるさい“と感じる人達って・・・どんだけ“繊細な耳”をしてるんだろ? たとえば寺のすぐそばに住む、”音を必要以上に敏感に吸収してしまう病”の人が訴えるのなら配慮も要るだろう。でもただ単に、この日の数時間しか鳴らない鐘に文句があるというのは、イマイチ理解できない。そんなにこの音が許せないのなら、耳栓をすればいい。たった一人の“都合”で、日本で長年慣れ親しんできた風習を終わらせるなんて、どうかしてる。第一、お寺は昔からこの土地にあるわけで。除夜の鐘を「うるさい」と感じるのは、“後から移り住んだ”人の感覚だと思う。ならば、住む前に環境を調べておくべきだった。季節ごとに何かの行事で賑わう”神社仏閣“が周りに在りはしないかを。ただし、これに限らず”無音”の場所なんか、余程の人里離れた土地か無人島にでも行かない限り、日本全国で叶うことはないとは思うが。工事現場の音は仕方ないにしても、何でもかんでも「うるさい」と感じてしまうのは、自分に“心の余裕”がないからかもしれない。心身が“健康”であれば、除夜の鐘程度の音が気にならない“無”の状態になれるはず。幼稚園や公園で子供が遊ぶ声も「うるさい」と感じる人もいて、幼稚園や公園が近所にできることを反対する人がいるらしい。集合住宅の狭い家の中で児童が“毎日運動会”状態だった時期は、私もうんざりして体調を崩してしまったから、解からなくもない。でも幼稚園や公園は“児童が安全に遊べる空間”なのだから、そこで子供がのびのび遊べないで声も出せないで、どこで子供らしく遊べると?? さすがにこれを“騒音”と言うのは、私も理解できない。むしろ、きゃっきゃ楽しそうにはしゃぐ子供の声に、癒されることだってある。あれもうるさい。これもうるさい。このままでは、日本の“情緒”が失われてしまう。“人の気配“や”季節の移り変わり“を音で感じることを避けて、人間関係も自分から遠ざけて・・・無音無味無臭無関心で、運動会も盆踊りも音無しになって・・・・味気ない日常になってしまいそう。そう言えばお寺の墓参りにも、その場所で所定のボタン押すと『AI和尚』が扉からウィーンと登場して、お経唱えてくれるってのを観たなぁ。あれがフツーになっちゃうのか、近いうち。随分生きにくい世の中になったものだ。★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「え‘‘? もう大掃除やるん? 」
2019.12.18
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『伊達直人』の名前をニュースで耳にすると、パブロフの犬並みに”年末感”がグッと高まる。全国に善意の輪が広がり、あちこちの“自称伊達”さんが子供達の幸せを願い、未来ある人達を支えようとするのは素晴らしい。そんなニュースに私も心が温まるから、贈り物を貰う子供達だけでなく、周りの人人も“救われてる”に違いない。と、とてもイイ話なのだが、ココにも“問題”はあるらしく。聞いた話では、例えば養護施設に届いた『ランドセル』。もちろん目の前にピカピカの色とりどりのランドセルがリボン付きメッセージ付きでサプライズで届くと、子供達は絶対に喜んでくれるはず。けれど、受け取る大人側にしたら、“複雑”な想いもあるのでは、と疑問を投げかける有識者も。実は各施設には子供達の新入学の際に”自治体から購入費が支給“されており、ランドセルは“足りている”というのだ。だから一部には、『一過性の善意』で終わらせず、彼等が18歳になり施設を出た後の暮らしや、施設内での見えない問題等にもっと関心を持ち、支えてほしいと呼び掛ける人がいる。私もその主張を聞いて初めて、なるほどと思った。確かに、こちらが“良かれと思って”行ったことでも、相手には“素直に喜べない”事情があるのは、『タイガーマスク運動』に限らず、この世に沢山ある。日本政府が先頃、「小中学生全員にパソコンを用意。1台5万円前後かそれ以下の価格を想定」との発表をした。ここ最近の教育ネタでは、“大学入試に英語の民間試験を導入”しようだのナンだのと、学生の立場を全く考慮しない身勝手な『改革』を思いつきがちなお偉いさん。本当に日本の教育を考え学生の学力向上を目指すのなら、“教育現場”や“学生”の声を掬わねば。そのプロセスをすっ飛ばして、自分達の想像と都合だけでGOサインを出そうとするから、結局うまくいかない。これだって、「パソコン与えりゃ世間も黙るだろう」と、子供だけでなく国民すべてをバカにしているとしか思えない。日本国民を低く見すぎ。能力も思い遣りもないお偉いさん達のそういう薄っぺらいひとつひとつの言動が、この世を悪くしてるんだ。とりあえず、10年前にアメリカの某中学校で”ノートパソコンを生徒全員に無償で撒いた”ことが、どんな悲惨な結末になったか調べて教訓にするとこから遣り直そうよ?******20代前半に出逢った親友から、Xmasプレゼントが届いた。年に一度は会う仲だったが、仕事が入ったり体調を崩したり親の介護したり(彼女の)娘の受験だ入学だをクリアしたり・・・ナンダカンダで気づけば2年会えてえない。私の方の闘病や介護がやっと落ち着いたと思ったら、今度は彼女が体の不調と闘うことになり。しばらく治療や休養が必要なので、“再会”は来年以降にオアズケになってしまった。そんな時に彼女から、“今の想い”が綴られた手紙と贈り物が届いた。私の“喜びそうなモノ”を細々詰め合わせ、精一杯の愛に包まれて。だから私も、早速彼女へのプレゼントを選んでみた。Xmas一色な店の中、彼女の喜ぶ顔を思い浮かべ、あれでもないこれでもない。どのくらいそこに居たのか分からないけど、何度も店内をぐるぐる回っていたような。プレゼントは貰うのもモチロン嬉しい。でもそれ以上に“選ぶ”時間は、私にとって“至福の時“である。子供の頃から自分が“される”より相手に“する”のが楽しみで。相手を想い、その人の”一番の笑顔”を見る。それが私には何よりも“喜び”だった。それは大人になった今も変わらず。こうして大切な人のために、喜ぶ顔の見える贈り物を選ぶ。その“ワクワク”を思い出させてくれた彼女に感謝しつつ。私の選んだプレゼントが、彼女の不安や痛みを少しでも和らげる助けになればいいなと願ってる。******こんな風に“親友”と胸張って言える間柄でも、四半世紀越える関係が続いてやっと、“互いの想いや好み”が事前に分かるようになってきた。“全くの他人同士”の考えが、深く知りもしないでピッタリ!なんか、ありえない。だからこそ、“コミュニケーション”や“入念なリサーチ”は重要。じゃなければ、ただの“愛の押し売り”(自己満足)でしかない。★ ★ ★ ★ ★今日のやや長めのひとこと。「Matt化・・・ねぇ。自己実現は立派だけど、彼(彼女?)は、どの層で人気なの?どこ目指して、何になりたいの? 桑田じゃダメなの?? てか何屋さん?」
2019.12.17
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何も予定がなく、なんとなくネットサーフィンして時間潰してた。Radikoのプレイリストをチェックしてた時、たった今流されたばかりの楽曲を右目で確認。明らかに色男な見た目の若い男の、不敵な笑みを浮かべたジャケ写。そこに示された楽曲タイトルは『何なんw』。自他共に認める『男前好き』な私には、ルックス的にはストライクでも、このタイトルには”嫌な感じ”しかなかった。なのに彼の名前を検索してしまった。何が引っ掛かったのか自分でも分からない。単にこのふざけたタイトルとニヤついた顔に、勝手にムカついたのかもしれない。「YouTubeで話題騒然!ピアノの奇行師」みたいな持ち上げ方に、多少の違和感を覚えながらどんな奴か見てやろうと思った。きっと“見かけ倒し”なんだろうと激しく疑いながら、YouTubeで彼がカバー曲を演奏する動画を観た。なんだ、このクオリティの高さは!! しかも鍵盤を叩き楽しそうに唄う姿に色気が猛烈に溢れ出してる。安藤政信に似たイケメンの兄ちゃんが、鍵盤を前に”弾いてる風に振る舞ってる”とかいうレベルの動画じゃなかった! しかも1997年生まれの20代という若さで、この選曲のセンスの良さは何なんだ? 彼が生まれる前のヒット曲や隠れた名曲を洋楽邦楽問わずチョイスして、まるで自分の作品のように慣れた手つきでピアノを鳴らし、唄いこなす。色んなミュージシャンが様々な名曲をカバーしてるのを聴くが、そのどれよりも素晴らしく聴こえるのは、私の気のせいではないだろう。彼のイイ所は、楽曲や歌手へのリスペクトが見えるとこだ。皆に馴染みある楽曲の雰囲気を壊さず、そのイメージに合う衣装や空間を選び、“彼の色やスパイス”を加えていく。そしてどんな時も躍動していて、彼の息遣いや鼓動までが聴こえそうに楽しい。腕のいい調理人の手さばきをカウンター越しに身を乗り出して観る時のワクワク感。あれに近い面白さが全面に満ちている。演奏や唄い方が完璧なカバー曲は、他にも沢山ある。胸を打つ楽曲も山ほどある。けれど藤井風(ふじいかぜ)というこのアーティストには、それらのすべてを超えてしまう“とてつもない力”を感じずにはいられない。さっきまで”斜めに見ていた自分“を激しく恥じた。そしてあっという間に、彼の演奏の虜になった。驚いたのは、この演奏や歌が、絶対音感により耳コピされたものってこと! 恐るべきスキルの高さ、である。子供の頃に習っていたピアノで大きく挫折し、それが“コンプレックス”になった私。公私共に音楽に夢中になった時代に好きになった人はみんな、ピアノを自在に弾きこなす『ピアノマン』だった。自分がピアノをうまく操れなかった後悔は、いつしかピアノを弾く人への憧れに変わった。そしてそんなアーティストの奏でる音色に、心震わせ癒やされる日々・・・。最近はその役割をショパンやラフマニノフの名曲で間に合わせていたが、今日からはきっぱりと言える。藤井風の音楽に出合えて良かった!! これから毎日、彼のYouTube動画で幸せになれる♪彼のYouTubeのコメント欄には、国内外問わず多くの書き込みがされている。その中にはこんな一文が目立つ。「同じ時代に生きてくれてありがとう!」私も今、無性にそう叫びたい気分に襲われている。藤井 風オリジナル曲『何なんw』https://www.uta-net.com/movie/277986/★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「年賀状、書く相手いますか?」
2019.12.15
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夕方、買い物からの帰り道。後ろを歩く大学生女子二人組の話に、耳が反応。片方が『好きな異性』について熱く語ってたんだが。“坂口健太郎”が好きだと言い、それをもっと”強烈にした感じ”の理想の人に出逢ったらしく「なんて言うか・・・クレイジーソルト顔なんだよね~!」と大興奮で早口で説明してて。それに相方が「うん、解かる解かる~!」って相槌打ってた。でも、それ、例え違ってるし! お姉さん二人とも何故その塩が『クレイジー』って名称なのか、勘違いしてる。彼女等はきっと「狂いそうなしょっぱさ」「バカみたいな辛さ」みたいな意味と思ってるんだろうが、その塩の『クレイジー』は「Crazy for you」の方だから、全く意味が変わる。そんなことより、おばちゃんが気になったのは『○○顔』っていう表現を、今どきの女子が使ってたこと。それってだいぶ前に流行ってたんだよ。親の世代が馴染みあると思う。私が関わってる若い子達の間では聞いたことなかったから、ちょっと驚いた。調べてみたら、出るわ出るわ・・・今も変わらず女性誌の一部じゃ『イケメン』の特徴を例えたりカテゴライズしたりする際に、フツーに使ってるんだね、知らなかった!ちなみに坂口健太郎は、『塩顔男子界のプリンス』『塩顔男子ブームの火付け役』とかネット上では呼ばれてた。これとは別に今日たまたま読んだ記事も、「今、50代のソース顔が大活躍」みたいな特集で。そのライターが何歳くらいの人かは分からないが、随分例えが“懐かしい”な~と感じてしまった。その流れのまんま更に調べてみたところ、御丁寧にそこに属する男性芸能人の写真付きで違いを説明してくれてるではないか!あまりにも詳しく分類してるんで、ワクワクして読んでみた。でも途中から判らなくなってきた。まず、マヨネーズ、ケチャップ、味噌の分類がはっきりしない。例を挙げてる写真を見ても「この人は、こっちじゃ???」というのが何人か含まれてて、判別が曖昧。速水もこみちなんか、ヒドイよ? 『オリーブオイル顔』て!!しかもどういうジャンルの顔かのコメントも無し! それにオリーブオイルだけ醬油や塩とか他の調味料ともジャンルが違うし、もこみちが『オリーブオイル顔』って、それは彼がオリーブ油大量に料理で使う印象からじゃん! 顔の印象違うやん!?(苦笑)この特集を担当した編集者自身、途中からワケワカランことになってしまったんだろうなぁ。で、ヤケクソで公表したと。そんな雑さが透けて見える分類だ。でも、ちょっと面白いついでに、うちのダンナの顔はどれに当たるんだろう?と、リビングで寝息立てて転がってる寝顔見ながら一番近いのを選ぼうとしたが・・・・・・どれも当てはまらず。は! これは『イケメン』前提の分類だった!! そっから既に間違ってたわ(恥)。★ ★ ★ ★ ★今日のやや長めのひとこと。「連れてた犬に猛ダッシュされ、犬の名を叫びながら交差点で大の字に転んだおばさん。犬は一度も振り返らず逃走。子犬に舐められてる時点で散歩行く資格ないわ。御自愛ください。」
2019.12.14
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チャンネルかえたら、L○NA SEA出てた。こんな朝っぱらから、生歌生演奏してた。ニューアルバムとツアーの宣伝らしい。この番組は朝の生放送にこうして一曲披露のコーナーがあるから、なかなか興味深い。他局の真似で始まったような感じもするが、今じゃこっちの方が続いてる。朝から声出すのとか、大変だろうに。しかもバンドマンに朝から活動させるとか! ありえないんだけど、外タレも含めみんな意外にも楽しんでる感じ。そういう他では観られない貴重な時間を逃さぬように、家にいる時はチェックする。ビックリした。ボーカルのRが痩せて元に戻ってる!!たしか少し前まで、二倍くらいに膨らんでたけど?きちんと体を絞ってイメージ回復に努めるあたりプロだなと感心した。ついでに言うと、ドラマーのSも相変わらずぽっちゃりで、ある意味イメージ通りだ(苦笑)。実は彼等がメジャーデビューを果たした頃から、いくつか縁があり。初々しい頃のメンバーを今でも覚えている。初めて見たIは、ほんとに小動物のような可愛さで。ある日、知人に招かれ某大物歌手のライブに行ったら、私の隣にメンバー3人がやって来て、一緒に並んで観たことも。仕事でライブ特集組んで、いざ取材!って日に高熱で寝込み、編集担当なのに現場に行けなかった苦い想い出もある。だから今でも彼等を見ると、あの時代のことがよみがえり、ファンではないが『頑張ってるなー』と勝手に励みにしてる。彼等のような所謂『ヴィジュアル系』で括られたバンドは特に、パフォーマンスにしても見た目にしても“若い頃のイメージ”をキープしなければならないだろうから、大変なんだろうな。私みたいにファンじゃなくても、一時期パンパンに肥えて別人みたいになって、声も変になってたRを観た時、「L○NA SEAじゃない」って、“現実”を認められなかったもんな。あれから時が流れに流れ、自分も歳を取ったけど彼等だって既に“アラフィフ”! そりゃ、見た目も変わるわ。と、納得しかけたけど、今朝のRの“肉体改造”を目にして、そしてあの時代の声も戻ってきて、「L○NA SEAに戻ってる♪」とホッとしちゃうんだから、オーディエンスとはホント身勝手なもんだ(苦笑)。でも昔から、『ミュージシャン=不摂生』というイメージがあるから、健康に気遣い若さを保つってのは、バンドマンとかにしてみれば一番ナンセンスなのかもしれない。けれど、メジャーデビューして”商業音楽“のやぐらに乗ったからには、ファンや周りのスタッフや関わる人の全員(相手)のことを頭に入れて音楽活動する”義務”がある。そういう意味で、一度作られた『アーティストイメージ』を維持しなければいけない。それを怠ったり、裏切ったり、そういう身勝手な行為はセールスや評価に直にあらわれるから。『大胆にイメージチェンジする』のは、様々なリスクと覚悟をもった人にしかできないと、私は思う。編集者時代、バックアップしてた歌手がころころ髪型を変える人で。「歌と名前と顔が一致するまで、髪型は変えない方がいい」とアドバイスしたけど、無理だった。それも“個性”だから尊重はしたい。けど、その前に先ず顔と名前を覚えてもらわないことには、せっかく良い歌を唄っても効果がない。その後、スマッシュヒットするまでにセールスは伸びたものの、名前を言って今、どれだけその人の顔を思い出せる人がいるだろう? そういう意味では、私はその歌手の売り出し方に悔やむ部分がある。私が感心するアーティストはThe Rolling Stones。日本では永ちゃん。いずれも70歳を過ぎているのに、イメージはそのまんま!!歌も演奏もステージパフォーマンスの勢いは変わらず。周りの求めていることを解かった上で、“セルフプロデュース”して、自己表現を楽しむ人達・・・。不摂生なのもアウトサイダーも人間味あふれてカッコいいけど、己の中に指針をもち、湖面を優雅に進む白鳥みたく見えない所で必死にバタ足して、『人知れず努力を重ねる』アーティストの方が、末永く世の中に受け容れられる気がする。どうでもいいが、RED WARRIORSのDYは、イメージ好い人に変わり過ぎ。彼は私生活を見せないでいた方が、バンド的には良かった残念な例。★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「最近のハマりもの(沼?)は、神田松之丞です!」
2019.12.13
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「誰と結婚するかじゃなくて、 最期を誰と過ごすのかが大事」「大助くんを見送るまで生きる」と言い切る妻と「今はふたりで二度目の恋愛をしている感じ。まだ大恋愛中です。大好きで大好きなんですよ」と公共の電波で、妻の隣でラブコールする夫。外はとても寒いけど、体中が熱るくらい感動した。私が思い浮かべる”夫婦漫才”と言えば、宮川大助花子。その花子さんが『多発性骨髄腫』を昨日公表する場面を、たまたま観た。いつもはその時間、TVは観ないのに。でも観て良かった。今年を締め括るにふさわしい(というのは不謹慎か)『我が身を振り返る』きっかけになった。彼等が漫才の仕事を続けながら、これまでにも裏で個々の病と闘っていたのは、なんとなく耳に入って来ていた。けれど、今こんな“大変な状況”にいるのは知らなかった。この半年間、花子さんは初診で「余命6か月」と宣告され、大助さんの愛に支えられ、病と闘っていた。そして今、復帰の目途は立たないものの余命の心配は消え、“回復”の目途が立ったということで会見で闘病を公表。同じように病で”闘っている“人達の役に立ちたいと、想いを伝えた。******今週に入り突然体調を崩し、ひとつ悪くなると体のあちこちに”負の連鎖”が起きている。婦人病が特殊手術と投薬治療により、今夏にひと段落したのは確かだが、他にも幾つかの“問題”を抱えて生きている。だから、ちょっと無理すると必ず体に異変が起きる。そんなわけで、今年も去年の今頃と同様、医者通いの日々。こんな風だから、”年末年始を穏やかに過ごす”のが、年々難しくなっている。体のどこかしらに問題を抱えながらの年越しは、不安でいっぱい。気になる症状を検索すると、顔を歪めてしまうような”最悪な事”ばかり目に入ってしまう。もしかしたらそうかも? そんな取りこし苦労ばかりしてしまい、気持ちもどんどん落ち込んで・・・。そんな全部を投げ出したいよな”後ろ向き”になりかけた私を、大助花子が奮い立たせてくれた。そう言えば、今年の私の抱負は『無駄を削る』ってことだった。こういうマイナスの“もしも”は宜しくない。こんな考え方こそ、無駄なのだ。今、私がすべきなのは、これ以上悪くならないように、“できる限りのことを今のうちにする”ってこと。そして愛する人をこれ以上悲しませないってこと。それにしても『愛は勝つ』なんだな、とこの夫婦を見て思う。あの歌自体は嫌い(KANは大好き)だが、このふたりこそ夫婦愛の鑑。結婚して夫婦になるってのは、こういうことなんだ!“献身”ってこういう言動なんだ!と、感じ入る会見だった。余命の恐怖をふたりで乗り越えた自信を世に公表して、同じ病に苦しむ人に、自身の経験をもとに『私のように助かる方法はきっとあるよ』と励ますことも忘れない。ゲイノー人のこのテの『私、闘病しました』会見をよく観るが、『私を見て』『私を慰めて』アピールが強く、どれも胡散臭い。けど、この夫婦がそう見えないのは、人への”愛が本物”だから。それが画面を通じて沁みるから泣けてくる。しかも相当に厳しくツライ日々のハズなのに、相変わらずの打てば響くコンビネーションの良さで、深刻な闘病なのに周りを笑わせ、ほんわかと温かい空気でくるむ。”笑い“や“笑顔”は万病を癒やすと本気で思ってる私にとって、彼等の生き方こそ、見習う価値がある。どんなに痛くて苦しくて不安が押し寄せても、夢や目標を持ち前向きに明るく振る舞い、時に涙を流して弱音を見せて・・・己の運命を真っ直ぐに受け容れて、それと“うまくつき合う”ことの大切さを、そこに息づく愛を、ふたりの姿に見た。『東京オリンピックは立って歩いて見に行くぞ!』花子さんの夢、是非とも叶えて、来年もまたTVで全国に夫婦漫才で笑顔と笑いを振りまいてほしい。★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「2年縛りやめて!契約解除料税抜9500円って・・・怖いわ。」
2019.12.12
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“初”カキコである。といってもこの前、コメントいただいた方に返事を書いてみたから、そっちの方で“再デビュー”済みだが。師走を迎え、公私ともに急に慌ただしくなってきたので、今年一番の私にとっての”厄介なこと”を今のうちにやっつけておかねば・・・。んなわけで、12月に入るのを機に、“新しいPC”を本格始動!色味もデザインもそのメーカーもそのアフターサービスも、トータルでお気に入りだったマイパソコン(私専用)。ずっと使っていたいけど、それなりに古くなってきた。気づけば7年のつきあい。この前、購入の相談をした担当者に「長くお使いいただきまして」と、何度もお礼を言われた。一台のPCの利用期間が長いのか否か考えたこともなかったが、たまたま読んだ記事には「5年で買い換える人が多い」というアンケート結果があり、そんなもんかと驚いた。私もダンナも根がケチだし、古いものほど有り難がるからナンデモカンデモ擦り切れるまで気にせず使うからな~。だから7年間も使ってたという感覚は全くなく。でも、慣れ親しんだ“Windows7“のサポート終了期限が一月に迫り、諦めるしかないというか、これをきっかけに自分のPCの使い方も見直す必要もあると思い、検討に検討を重ねWindows10搭載のこのPCを買った。編集者時代からPCはなくてはならない“相棒“だ。けれど私は、文系脳のメカ音痴なので、PCが新しくなる度に各種”設定“に四苦八苦してしまう。基本、家電のマニュアルを見ないでいきなり使い、気合いでなんとか動かし、トラブルもそれで解決しがち。だから今回も私のモットー「なるようになる」で乗り切ろうとした。苦戦した――。何とか自分の力で仕上げようと頑張ったのに、何が悪いのかメール機能の設定で一部うまくいかず・・・数日格闘しても解決できず、結局カスタマーセンターに世話になってしまった。実は7年前、PC買ったときも世話になってる♪ あの時もメールの設定だったな。はっ!7年経っても進歩してないんじゃ・・・全部メモって大事に残してるのに、7年という月日の流れは残酷。まずカスタマーの名前も変わってるし窓口電話も調べなきゃで、そっからかよ!と自分に突っ込み入れつつ、なんとか担当のお姉さんに辿り着いたとゆー(汗)。全部古い方からデータ移行とか簡単にできるPCもあるけど、私のはそうはいかない部分もあったので、全部が自分で動かねばならず。こんなおばさんがいるから、よくTV通販とかでPC売るときに「セッティングからまるごと出張レクチャーします!!」ってサービスを強気で紹介できるわけだな。でも、そこまでは困ってないから、できることは自分でしたい(何の意地よ?)。挙げ句、担当者に泣きつくんだから偉そうなことは言えんが。前回もマニアックなPCオタクなお兄さんが、厳しくも温かく支えてくれたけど、今回のお姉さんもほんわか優しく支え導いてくれた♥私にはない理系脳のこの才能を持った人は、立派なPC買っても“おもちゃ”程度にしか使いこなせない私にとって、みんな『神』。私の話をちゃんと聞いて、A案ダメならB案で・・・って直ぐに修正できる能力の高さが素晴らしい♪ あー、私も理系脳に生まれたかった(今頃?)。とにかく、彼女の天使のようなささやき(ほんとに小声で品のいい人)のお陰で、“サルにも使えるメール機能“になったわ! お姉さんの指導の中で、今まで何年も知らなかったサービスをこの日知ったし!たまにはコミュニケーション取ってみるもんだなって感心した(迷惑)。それにしても。Windows7がすっごく使いやすかったので、比べてしまうと新しいPCの使い心地がイマイチ。本体自体の性能は、明らかに良くなったが、価格は前より高い割に、本体デザインもメールのフォーマットも色々なアイコン等のデザイン性も、シンプルというより雑な印象。しかも何がどこにあるのか、何をするものかが分かりにくい。断然古い方のがシンプルで無駄なく分かりやすい。Windows10が使いにくいという噂を耳にしたことが何度もあるが、ここまで差があるとは・・・ダンナ専用のも途中からWindows10に切り替えたが、今まで感想を一度も聞いたこともなかったなぁ。私は会社じゃ調べ物の検索しかしないから、そこまでストレス感じないのだが。家でリラックスしたい時間に使うのには不向きだなー。なんて考えると、この先のPCライフが憂鬱だった。でも今朝、PC立ち上げてあちこち触ってたら“見慣れてきた“のか、徐々に気にしなくなった。急に便利になった機能も付いて、その使い心地にうっすら感動してる自分もいる。『住まば都』ってやつ? いやでも、“今となっては田舎風味“なPCの方が現時点ではやっぱ好き。今日はなんとかこっちでブログを更新してるが、キーボードも何かしら違うのか、これまで通りにならない時がさっきから何度もあり、イライラしてる。明日以降はまた、古い方から書き込むことになりそう。うーん。ここまでいつも通り書いただけなのに、疲れた。肩こってきたわ・・・こうなったら、一月のサービス終了ぎりぎりまで使ってやる!!★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「アナ雪のファンでもないしファンタジー系も苦手なのに、起床直後から脳内ループで松たか子が熱唱してる。しかもサビのみ。」
2019.12.05
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