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競馬史上2頭目となる無敗の三冠馬、ディープインパクト死す。昨日からこの話題が あちこちTVで取り上げられ、名馬を偲んでいる。動物の死に、メディアがこれだけの時間をかけて報道するのもいいのかどうか・・・。けれど、N何チャラがどこぞの弱小党と節操なく組むとかをグダグダ垂れ流すのより、よっぽどマシ。何もかもが期待できない青二才な人間より、何をしでかすか分からない腹黒な人間より、世の中に沢山の夢を見せてくれて、競馬会に貢献し続けた鹿毛色の馬の方が・・・。それにしても当時は、大フィーバーだったな(遠い目)。私は競馬はしないけど、馬に乗ってた時期がある。だから、競技については知らなくても、単純に美しい馬、従順で賢い馬、疾走する馬の姿が好きだ。あの艶々の他の生き物にはない惚れ惚れする毛並と、色っぽくて凛々しい体特にお尻のライン・・・猫の美しさが私にとって一番なことは間違いないが、麗しい馬も捨てがたい。学生時代、運よく馬に触れるチャンスがあり。周りが流行りのテニスやスキーに夢中になる中、地味に馬小屋を掃除する、そんな時間を私は選んだ。どうせ体使うんなら、お金もかかるんなら、誰もあまりしないこと、できないことに挑戦したい!そんな私の負けん気が、この時有効に働いた。子供の頃から運動神経にそこそこ自信あったが、基礎体力があるわけでもなく。乗馬で必要な脚力はあっても、腕力がほとんどなく、鞍を持ちあげて馬に載せるのも、その先の鞍のベルトを締め上げるのも全くと言っていいくらい、ヘタレでダメダメだった。馬は犬と同じくらい人間に忠実で賢い生き物。だから、こんな初心者娘が自分を前にアワアワしてる姿が面白かったようで、乗馬がまともにできるようになるまでは、いつも大体“舐め”られた。鞍を装着させないように、お腹をパンパンに膨らませて知らん顔。そんなことを何度もされては、馬鹿(馬だけに)にした。そんな私もいっちょ前に乗れるようになり、馬にもそれが伝わって来た頃。今度は馬からのラブラブ光線に嬉しいやら戸惑うやら・・・。乗馬をした後、労いの言葉をかけながら体を綺麗にしてあげるのだが。顔を頬ずりしてくるようにもなった。向こうは「綺麗にしてくれてありがとう!ヒヒーン♪」のつもりだろうが、実際は酷い。あの大きな長い顔をひと振りして、私に触れようもんなら、身体ごと鮮やかにポーンと吹っ飛ばされる。ある時、蹄の手入れをしてたら。また優しい眼差しで甘えが始まった。そして、そっと私に顔を近づけて私の肩を“甘噛み”した。その瞬間の痛さったら!!今まで経験したことのない痛みで、思わず悲鳴をあげた気がする。馬にすれば「え?ナンデ??」って意味不明だろうが、私の方だって「ナンで噛むんだよぉー!(号泣)」である。その日から暫らく、私の片方の肩にはくっきりと歯型のアザが・・・。こんな経験も珍しいだろう。だからって全然嬉しくもないが、馬に“認められた”刻印と思えば、こんな風に時々想い出話にもなるか。ご対面の時、「雌馬苦手かも」と一瞬思ったら、直後、外乗で森に入った途端、馬が立ち上がって同時に倒れて下敷きになったり。これまた仲間がみんな乗りたがらない馬をあてがわれ、「大丈夫だろうか」と緊張しつつ乗ったら、カーブで首を下げられ滑り台のようにそこから落馬させられたり。馬はなんでも知っている。人間が思う以上に、人間の心理を読んでいる。だから、ディープインパクトの最期が、やむを得ず“安楽死“になったのは、そのことを知った時、競馬ファンでもないのに、すごく胸が痛んだ。馬は脚一本にほんの少し傷を負うだけでも、ヘタしたら命取りになる。あんな大きな体を、あんなに細い4つの脚で支えてるんだから、1個の傷は取り返しがつかない。だから、本人(馬)のことを思ってこその“安楽死”になってしまう。それを知ってるだけに、彼の最期が残念でならない。でもこれだけみんなに愛された馬もそういないだろうし、立派な成績と子孫を残してあの世に逝けたのは、かなり恵まれた“馬生“だったと言えるかも(合掌)。 そう言えば、『イケメンすぎる馬』を観た。 フリージアン・ホースという種の中で、今、世界一のイケメンとして話題になってるのが、米国オザーク高原の牧場に暮らすザ・グレート・フレデリック、通称”フレデリック”だ。私も数々の変わった柄や形の馬に乗っていたが、こんな馬は初めてだ。動画でこれだけ感嘆に値するならば、本物を間近で見たりなんかしたら、きっと声も出ないだろう。それだけ稀で存在感ある見た目。馬主さんの女性とキスする姿なんて、まるで恋人同士だ。なんだ、この不必要な色気は!!この馬はどこを目指してるんだ?でもちょっと見た目の圧がありすぎて、また私、一瞬腰が引けてしまうだろう。あ、でも、その時の彼の反応を見てみたい!彼ならなんだか王子様のようなルックスで、優しく見つめて、優しく私を落とす(落馬の方)だろう(苦笑)。★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「今更”純愛”語られてもな。相手の奥さんや子供さんに失礼すぎ。歌はどうした?」
2019.07.31
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ひとつの心配事が消え、代わりに小さな喜びがやって来る。と思ったら、その嬉しさを味わう間もなく・・・また悩みが生まれる。あっち押さえて、こっち出る・・・私のこれまでって、いつもこうだ。まるで終わりのない“もぐらたたき”を、一生やらされてるみたいだ。いろいろと気になることもあるけど、考えすぎると夢見が悪くなるだけだから、なるべく気分が良くなることだけを考え、テンション上がる好きなことだけに、囲まれよう。もともとふたりとも音楽はいろいろとジャンル選ばずマニアックに聴く。音楽が縁で、夫婦になったようなもの。だから、一度語り出すと熱が入りすぎて、どちらも話が止まらなくなる。それぐらい私達には、音楽が暮らしの一部。空気を吸うように、音楽を吸い込みながら力に替えて生きている、と言ってもいい。けれども、ある時期から洋邦の新しい音楽に、まったく面白さを見出せず・・・かと言って若い頃聴いていた音楽って気分じゃない時に、うまい具合にハマったのが、“クラシック音楽”だった。何年前になるだろう? ダンナが突然、大量にクラシックアルバムを買い込むようになったのが始まりだと思う。急に好きになったのではなく、結構前から好きだったようで、悔しいけど、私なんかよりかなり詳しい。私は子供の頃から習い事を通じて馴染みがあったから、私の音楽のルーツは、当時流行りの歌謡曲よりも、バレエ音楽やピアノ練習曲の方とも言える。そんなふたりのお気に入りは、洋楽邦楽と同じように、重なってる部分もあればまったく好みが違う部分もある。そのふたりのそれぞれの“お気に入り”作曲家の曲目が、偶然この日演奏されるというので、直前にチケットを手に入れ、ミューザ川崎シンフォニーホールへ、いざ!【フェスタサマーミューザKAWASAKI2019】と題された、このサマーコンサートは、“音楽のまち・かわさき”を掲げる川崎市の恒例の夏イベントだ。3年前位に「ボレロ」を聴きたくて初めて参加して、期待以上に強く記憶に残る楽しさだったので、去年もチャンスを狙ってたが行けず・・・。この日二度目の参加となった。新日本フィルハーモニー交響楽団は、ダンナ曰く私達は二度目らしい。前に別の場所で別の指揮者の演奏を観てた(らしい)。今回の私の目当ては、ラフマニノフ。ダンナは、プロコフィエフ。一番聴きたい楽曲ではなかったものの、子供連れもクラシック初心者も退屈しないように、どこかで聴いたことのある楽曲だから、ありがたい。チケット代をケチったわりに、事前に選んだ席もなかなか良い席で。前に来た時とはまた違う発見もあり、興味深い2時間だった。通常のホールコンサートと違い、気楽に聴けるのがこのイベントの一番の魅力。着飾る必要もなく、ラフな格好でリラックスして聴けるから、気を抜きすぎると寝てしまう(苦笑)。それもまた“贅沢な時間”の使い方ではあるが、もったいないからなるべく寝ないように姿勢正して、最後まで。感覚としては“あっさりめ”で、個人的な好みではなかったものの・・・前回に続き今回もまた、指揮者が超個性的で彼に目が釘付けに。上岡敏之氏、面白すぎ! 宮本文昭氏のパフォーマンスには負けるけど、結構好きなタクトの振り方。今年の夏の記憶に、しっかり刻まれた人になった。心配してた台風の影響もなく、いい生演奏を聴いて、心洗われた。時間にすれば短いけど、その間だけ“現実”を忘れられた。やっぱり音楽はいい。先月からライブづいてるので、この勢いに乗っかり、年末まで音楽三昧でなんとか乗り切りたい。★ ★ ★ ★ ★今日のやや長めのひとこと。「夕食のサラダから、小学校家庭科で作った懐かしい味がした。」
2019.07.30
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台風来るとか言ってるけど、昨日も今日も朝から快晴。濃厚ソフトクリームみたいな入道雲の御出座しに、夏が来た――――!!と叫びたくなる。この台風が何も悪させず、無事に通り過ぎてくれれば待望の夏がやってくる。九州育ち初夏生まれなので、やっぱりこの時季が一番、気分いい。吹き抜ける海風を感じながら、事務所への坂を歩いて直ぐの所に在るお宅。坂の突先に坂に半分埋もれるように建つその家は、おそらく昭和の終わりか平成の初め頃のものじゃないだろうか。白いタイル張りの外観に、欧米の重々しい“当時の”モダンが感じられるこげ茶の玄関扉、住人のこだわりを感じる。きっと建てる時には、この場所に合う洒落た家を夢見て、ありったけの熱を注いだことだろう。そういう“想い”が見える作りの家だった。それが、ある時期を境に突然、その姿を変えた。二ヶ月前だったか、いつも通りにその坂に来ると家の様子が明らかにおかしい。人が居る気配が全くしない。そう言えば、この時間いつも玄関前におばさんが出て、庭仕事や掃除をしてた。つい一週間前にも見かけたのに・・・その姿が見えない。あれから毎週のようにそこを通ったが、一週ずつ様変わりしていく。家は人が使ってこそ“生きる”と聞いたことがあるが、人がそこに居ると居ないのでは、こんなにも速く“劣化”するのだな・・・この前まで年季の入った味のある家だったのに。主を失くした今はもう、タイルは苔生し、自慢だったハズの扉は、色褪せ朽ちかけている。悲しい。ここの家越しに、正面に海を感じるのが好きだったのに。今じゃ、ここに近づくにつれ胸が痛くなる。長年住み続けた家を、どんな理由で手放すことになったかは知る由もない。けれど、この小洒落た住宅地の一角が、このままの状態で放置されるのは、月に数回通りすがるだけの私にも、ちょっと耐えられない。とは言え、あんな難しい建て方をした分、壊すのも新築するのも難しいに違いない。そうじゃなくても私が見る限り、この周辺の高齢化は確実に進んでいる。あの家、廃墟・・・になるのか。うーん、悲しい。そんなことを考えながら家に戻り、昼寝して仕事して、までは順調だったのだが・・・・・・。また今年も早くも、“熱中症”になって寝込む。去年は体調も悪い日が続き、そのせいか二度も熱中症で苦しんだ。だから、ものすごく注意してるつもりなのに。いやー、昨日の夜は参った。目の前に美味しい夕飯用意したのに、全く食べれなかった。泣ける―。しかもその程度じゃ、全然痩せねー。ほんと年々、歳には克てなくなるなぁ。忍び寄るどころか、結構ダイレクトに弱る。こんな夏の始まりなんか、イヤ過ぎ。******関係ないが、若者言葉に『じわる』ってのがある。『尊い』とか『語彙力』とか『よき』と同じで、まさか『じわじわくる』って死語みたいな言葉を今どきのコが知ってるのに驚く。言葉遣い変で、会話もまともに成り立たない暗号みたいな喋り方のコが目立つのに・・・おかしなものだ。あ、茶化してんのか、昔の古い言葉を。もっと言葉を大事に本来の響きで使おうよぉ(懇願)。★ ★ ★ ★ ★今日のやや長めのひとこと。「体壊してまで投げて将来潰したら、誰が責任取るの?素人の子供を、才能あるからって特別扱いする大人にモヤモヤする。他の子も頑張ってんだよー。」
2019.07.27
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「船頭多くして船山に上る」 あの一件以来、ワイドショーも国営放送までもがわーわーとニュースを続けてる。外もスカッと夏っぽくなったことだし、こんなジメジメドロドロしたくだらない話題に、みんなが散々いろんなことを喋り倒し書き倒した今頃になって、後出しじゃんけんみたく書くのもなー。と思って書かなかった。でも、原稿から逃避中、お昼ごはんで満腹になった今、油断してしまった。もう語らずにはいられない! 既にみんなが気づいてることだが。芸人側と会社側の話を聞けば聞くほど、”論点ずれずれ“やん!って思う。芸人の謝罪会見、会社の弁明大失敗会見、それを取り巻く周囲のSNSやTV番組での言動・・・一個一個を個別に見ると、「なるほど」と思う部分もあるし、逆の部分もある。だから、芸人がああやってやつれた表情で声を振り絞り、彼等側の“真実”を誠実に語れば、大衆もマスコミも一斉に“同情”する。とりあえず私も、ロンブー亮の“ファミリー”関連の発言に、心震わされそうになった。彼は最初の“嘘”さえなければ、きっと謝罪も万人に受け容れられ、それなりの謹慎をすれば復帰も可能だったろう。会社の方の“トップ“(なの?何の?)の会見は・・・私ごときのお昼休憩の時間を割いても、話す価値さえない。「準備が足りなかった」と彼を擁護する発言もあったが、準備するって言ってもどうせ台本通りの質疑応答に備えてのコメントを暗記するとか、その程度だろう。どうでもいいが、私が編集者だった頃、取材でどうやら彼と会ってるんだな。まだマネージャー時代の。色んなマネージャーと仕事してきて、『マネージャーの鑑』みたいな人物が、本当にいるんだ♫と、時々驚かされる中で、数少ないマイナスの印象を持ったうちのひとりだ。ま、うちの雑誌なんか目じゃないってことなんだろうが。印象が薄い。でも、名前の字面見て今回、思い出した。*****この前の芸人会見を前後して、大物芸人や中堅人気芸人だけでなく、大小様々な芸人さんやその他の人が、SNSやTV番組を通じて言ったり動いたり・・・それぞれに思うことはあるのだろうが、どれだけ周りが騒ごうと、あの会社の感じからすると、そんなに変わるつもりがないような気がした。ここで思い出さないといけないのは、反社会勢力と関わり、そこから汚いお金を受け取り、しかも「貰っていない」と言い張ったことが、すべての始まりなのであって。会見をした二人は会社に、受け取ったことを話した後、「お金をボランティア団体に寄付した」とのこと。表向きはそれで済んでるのかもしれない。けれど、いくら寄付をしたところで、本当の詐欺被害者に届くわけじゃない。しかも“ギャラ”と認識していたならば、脱税の疑いはまだ消えてない。そういうことが、あれらの会見とそれに便乗した騒動で、うやむやになってしまった。あの会社の遣り方が、時代錯誤はなはだしくギャラもいい加減で、独自の経営方針なのは、前から知ってた。そのせいで所属芸人が、辛い思いをしているのは、本当に可哀相ではある。だから、それに関してはこの騒動の勢いを借りて直ぐにでも改善していけばいい。しかし、もともとの問題と、大物芸人たちが相次いで“事務所を辞める”発言をしてまで、渦中の芸人達を守ろうとするのは、全く違うと思うんだが???極楽加藤の熱すぎる男気、嫌いじゃないけどもっと冷静にならなきゃ。会長や社長が辞任すれば、それは会社を立て直すのにもいい機会だし、風通しのいい会社になるのは喜ばしいことだけど・・・・・・芸人が反社会勢力から金を貰ったこと、嘘をつき続けたこと・・・それを泣いて謝罪したところで、詐欺被害者は被害者のまま、なこと・・・この問題は、何も解決していない。そんな風に、違和感だけが膨らむのは、私がおかしいからなんだろうか?どうでもいいけど、この件の前に去年末、会社の方針に関して、社長とサシで意見した友近を見直してしまった。SNSで遠巻きに文句言わず、こうして直接言える人・・・好きだわ。実は、私も社長とサシで言い合った過去有り。加藤じゃないけど「首になる覚悟」でね(苦笑)。★ ★ ★ ★ ★今日のやや長めのひとこと。「レジ袋が公園の隅に膨らんで落ちてると、ほぼ猫に見間違えて心が弾む。(猫好きあるある?)」
2019.07.24
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先週の結果を聞きに、主治医のもとへ。検査結果票を確認した先生は、笑顔でこう言った。「お薬をやめましょう」この言葉を待っていた。だけど、これまで何年もこの薬で体調をコントロールできてた安心感があるから、”お守り“を手放すような感じがして・・・思ったほど、喜べず。先生に見せた表情はきっと、困惑気味で引き攣っていたに違いない。過酷な労働を苦にも思わず、むしろ夢中になってエンタメ界に命を捧げてた(ほんとに)編集者時代。まだ若かったし、自分の体と向き合う暇もなかったから、気づくのが遅れたけど。寝る間も惜しんであれだけ人間働けば、そりゃどっか体壊れるわ。同業の何人かは、そうやって星になってしまった。若い人を見送るのは、辛かった。私もいつ倒れてもおかしくない症状を、何度か自覚した。今のように『働き方改革』など、考えられない時代だ。馬車馬のように働いたからと言って、稼げる仕事でもないのに、私の長年の夢を手に入れたばかりに、収入より経験を選んで今で言う『遣り甲斐搾取』のワナに自らハマってしまった。今思えば大馬鹿だったと思う。そこまで命削って楽しんだのと引き換えに、己の“健康”を失うなんか。会社の誰が悪いわけではなく、すべて私が悪い。いくら時間がないからと言って、もっと自分を大事にすべきだった。その”後悔”を大きくしたのは、今の病を患ってから(遅すぎ)。ここに至るまでの婦人科闘病については、過去のブログのあちこちで吐き出してきたから、割愛。今の主治医に辿り着くまで、色んな病院を彷徨った。前の主治医のもとで、手術をして長期に渡り治療を続けてきたが、その病院では手におえない状態に。私があの時、本気出してなければ、今の病院で特殊手術を受けることもなく、多くのことを諦めていただろう。“あの時”・・・諦めなくて良かった。自ら前の主治医の治療にケリをつけ、あちこちを彷徨い歩いた4年前。その甲斐あって、良い病院と執刀医と主治医に巡り合い、途方に暮れていた日々が嘘のように、私の病巣の範囲が狭まっていった。こんなに良い方に変わるんなら、もっと早く前の病院に見切りをつければ・・・何度悔やんだろう。でも、そんなことも今は、もうどうでもいい。とにかく私は、見えなかったハズの”ゴール“近くまで、この足で歩いて来れたのだ。“あの時”には全く先を思い描けなかった私が、少しはマシになった体を手に入れ、”これから”のことを前向きに考えられるまでになった。”絶望”しかけてた人生の、奇跡的な“逆転劇”と言いたいくらい、私には今日の先生の言葉が夢のようだ。けれど、これで全部が解決したわけじゃない。まだ心配な患部は残ってるので、定期検査は続く。それ以外はこれからは自分で、管理していかねばならない。生まれつき病弱なので、人一倍自分の体のことは気にしてきたつもりだが・・・加齢と共に思いがけない問題も起きるので、”その時”に慌てることのないよう。と言うより、そういう問題をこれ以上増やさないよう、もっと自分を労わるようにしたい。病院からの帰り道。駅前で小太りの中年男性が、右手人さし指を立てたままの格好で倒れてて。奥さんらしき女性が、早口で電話してた。キャリーケースがあったから、旅行者(もしかしたらアジア系外国人)かも?周りに人が集まってたし、救急病院も近いから何とかなって無事だと思いたいけど・・・観光先で急に体調崩すのも、中高年にはありがち。私もますます体に気をつけなければ・・・と、同年代と思しき彼の無事を祈りながらの今日一日。★ ★ ★ ★ ★今日のやや長めのひとこと。「膿を大量に出しても、芯が残れば会社の体質は変わらない。時代錯誤で独裁的。JもYも激震だー。」
2019.07.20
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「バエる」からだそうだ。今、若者を中心に爆発的ヒット(なのか?)となっているタピオカ。白っぽいあやしげな液体に大きめの黒い粒が沈殿するあの絵が、インスタに映えるらしい。あまりにブームになりすぎて、この夏、原宿駅前にテーマパーク『東京タピオカランド』(期間限定)までオープンさせるくらいの大人気(棒読み)。名称が意外にダサい(死語上等!)気がするのは、どうでもいいんだな? ま、とにかく世の中はタピオカがアツい!らしい。でもさ。全然新しさを感じないのは、私が結構いい歳してるせいだろう。なぜなら私がタピオカの存在を知ったのは、随分前のことだから・・・。さっきたまたま読んだ記事には、”20年ぶり“のブーム再来ってあった。確かに言われてみれば、そのくらい前か。あれじゃない? 日本に『台湾ブーム』がやって来て、渡辺○里奈が台湾台湾言いまくってたのも、その時期じゃないか?台湾からタピオカや亀ゼリー?みたいなののスイーツの名店が上陸して、流行りもん好きな女子がこぞって押しかけたもんだ(他人事)。私はエンタメ系の流行を仕掛ける側に長いこと居たけど、このテのブームは全然興味がなく。自分に女子らしさがほとんどないのも影響して、食指が動かなかった。だから一度も食べずにブームはあっという間に終わった。聞けばこのタピオカブーム、既に“第三次”らしい。さすがにそれだけ繰り返せば、そろそろ日本に“定着”しそうなもんだが。乙女心は気まぐれだ。特に最近のインスタ依存の若者は、次々に興味の対象が変わっていくから、この盛り上がりもせいぜい続いて「あと一年」と言われている。そんなに持てばいい方だろう。でも、環境問題やタピオカ女子のモラルの低下の速度を考えれば、極端な言い方すれば、今直ぐにでも終わった方がいい気がする。今、世界中でプラスティックごみによる環境汚染が、問題になっている。日本の飲食店や衣料店を中心にプラ製品を廃止する動きも進んでいる。そんな中、思いっきりプラ蓋とカップとストローを使いまくってるタピオカ商品は、時代に逆行していると言っていい。どうしてもこの容器を使いたいのなら、店側は一定のルールを決め、客にアナウンスを徹底する必要がある。けれど、売上ばかりを気にして、モラルもナンもあったもんじゃない業者が参入して、店を開いたせいで、これが全く守られてないのが、日本の主に原宿近辺の現状である。それにしても。自分の飲み食いしたモノを、自分でゴミ箱に捨てに行くってことは、日本じゃ幼稚園くらいの時には、もう学ぶと思うんだが。今の若者は教わってないのか? 可愛い格好をして、SNS上や動画サイトでは“盛れてるわたし“でも、飲んだ後にその辺にゴミを捨てて、知らんぷりして心が痛まないんじゃなぁ・・・。一体、どんな育てられ方してんだか、いや、これはもう親の躾レべルじゃなく、お嬢さん方ひとりひとりの人間性や生き様の問題だけども。TVで都心の繁華街のあちこちに、積み上げられたタピオカ商品の残骸を見る度に、日本、終わったな・・・と情けなくなる。今この状態で、来年オリンピックやるんでしょ? 大丈夫か? 心配でならない。それにしてもタピオカ。どんな味がするんだろう?甘党でも流行りもん好きでもないので、全然飲みたいと思わないんだが。あんなに流行ってるんだから、そこそこは美味しいんだよね?(疑いの目)私にはどうしても、カエルの卵や剥製の鹿の目に見えてしまう。しかも黒豆黒ゴマ以外の真っ黒いもんを、食べたいと思えない。喉に詰まりそうな大きさもイヤ。 というか、ゼリー状の食べ物が子供の頃から苦手で! なんか色も形も人工的で気持ち悪い。それに20年前、近くの某国でタピオカの中身が工場の用剤だった・・・という衝撃なニュースを観てしまったから、もうムリ。日本のタピオカ専門業者さんの、原料も底をついてきたと聞いた。国産のタピオカじゃなくなったら・・・どこのナニで作るんだろう?いろいろ考えると、やっぱり食欲が↷↷↷↷↷★ ★ ★ ★ ★今日のやや長めのひとこと。「天災も怖いけど、今一番怖いのは人間。自分に運の無いのは世の中のせいと責任逃れする輩のなんと多いこと!未来ある人が犠牲になるのは辛い。物騒な国に成り下がってしまった。」
2019.07.19
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一張羅を出しに、クリーニング屋へ。ハイクラスな店なので、年に一度行く程度の利用率。しかも毎回、出すのは一着か二着。それなのに毎回、ものすごく待たされる。この日は雨だし寒いから、混まないだろうと思って向かった。お客さんはひとり。やった! すぐに順番が来そう。と、浮かれたのも束の間。客が帰る気配が全くない。痩せた小柄のお婆さん。杖はついていないが、結構な年齢のよう。それでもレインコートを上手に着こなして、ハキハキと会話している。お婆さん、私が後ろに座ってるのをまるで気づいてないのか気にしてないのか・・・“個人情報ダダ漏れ”で、接客担当のお姉さんに自分のことを話してる。お蔭で“聞きたくもない”よそ様の家庭事情が、私の耳に丸ごと入って来てしまう。病院やスーパー、銀行、役所・・・どこに行っても高齢者は、自分のすべてを容易く話してしまう(大体が自慢話)から、こんな風にその人の名前も家族構成も、いつの間にか知らない人の耳に入ってしまうんだよな~。だからいつの時代も“詐欺グループ”は、高齢者を主なターゲットにして、あの手この手で悪事を働けちゃうわけだ。優しく接すると、「あの人、良い人。私、大好き」とか、人嫌いの姑でさえ、病院の先生や介護福祉士さん、朝ドラの役者さんのその場の振る舞いだけ見て、単純に好きだの嫌いだの言ってたし・・・。でもこの日、お婆さんを通して改めて感じたのだが。高齢者は高齢者なりに自分のことを周りに知ってもらって、“助けてもらいやすく”してるのかもしれない。誰に言われたわけでもなくみんな無意識にそうしてて。過去にそれで助けられた”成功体験”がある人ほど、疑いもせず周りの人を信じて、何でもペラペラ喋ってしまうような気がする。このお婆さん。一度聞き取れなくてももう一度店員さんがゆっくり話せば、そこそこ内容を理解できる認知能力も聴力も持っている。誰も聞いてないのに自ら口にした本人情報によると、なんと御歳90を越えているらしい!! これには店員さんも部外者の私もビックリ。この店にはこの日初めて来たと言う。「娘が会員で、ここは腕がいいと言ってたから」と聞いてきたと、得意げに二回言った。彼女が持ち込んだ洗濯物は、薄いけど綿入りで、光沢のある生成りっぽい見た目のナニか、だった。座布団にも見えたが、薄すぎる。よく見えないが、何かしら子供っぽい柄が見えた。お婆さん曰く。ひ孫の布団一組とのこと。それを丸めて枕代わりにして寝たら、孫(赤ちゃんの母親)に叱られたのだと。それで、上質な洗濯をしてもらいに、ココに辿り着いたようだ。お婆さんの意地を見た気がした。孫に叱られた顛末を語気を強め三度は繰り返したから、相当ショックだったのだろう。悔しさは、彼女を奮い立たせ、高齢者がひとりでやって来るにはかなりの勇気が要るだろう場所の中に在る、初めてのクリーニング店にまで、来させてしまったのだから。店員さんに説明を受けたオプションを、全部付け“ひと仕事”終えた彼女の声は、満足そうだった。だがしかし、ここで全部済んだわけじゃない。「会員登録をしますので、ご住所とお電話番号を」とお姉さんに言われ、すぐに「住所ココにあるのでいいかしら?書いてちょうだい」までは良かった。続けて電話番号を聞かれ、「家の電話、かけないから覚えてないのよねー」と呟きつつ、そのまま誤魔化そうとしたが、急に思い出して「携帯電話でいいかしら?」と、ガラケーを差し出す。「お婆ちゃん、ケータイ持ってたんだ♪スゴイ!」カウンターの向こうの店員さんも、椅子で待ってた部外者(=私)も、同時に心の中で叫んだに違いない。ワントーン明るい声でお姉さんが、それで良いですと番号を聞くと、案の定「覚えてないのよねー」と。ならば、お借りしますと店員さんがケータイを触り、情報を引き出そうとするが・・・・・・奥からやって来たパートさんのふたりがかりでも、番号まで辿り着かなかった(勘弁して)。私が取り上げてどうにかしたかったが、テキトーに弄って、変なことになってもなぁ。そんなもどかしさを感じつつ、ひたすら待ち続けた。どのくらい待ったのか、わからない。とにかく、やっと、お婆さんの“はじめてのおつかい”はこれで終わった。晴れ晴れとした顔で、私の前を一歩一歩確かめるように歩いて去っていくお婆さん。自分の番が来て、カウンターに向かうとこちらが何も言わないうちに、お姉さんが笑顔でエクスキューズ。別に私、不愉快にもなってないし、まあ、待たされて疲れたけど、人間観察好きの私にはちょっと面白かったから、全然怒ってないし。彼女に話を合わせ、その場を収めた。それにしても・・・意地が動かしたこととは言え、あの歳でひとりで新しい場所に、初めてのことをしに行くという行動力と度胸は立派だな。見習いたい。と、思わず感心しかけたが、いや、違うな。どんなに自力で動ける体と脳を持って老いたとしても、たとえ自立して独り暮らしをうまくやってたとしても。あの老女だって結局は、周りの誰かしらに手を借りなければ、生きていけないのだな。そのことを実感した出来事だった。自立は何とかできたとしても、自律はあの歳では難しいのかもしれない。だから、自分を“生かす“ために、その場限りの人にさえ、自分のことを事細かに話してしまうのかも。「自分を知ってほしい。そして私を助けて代わりに動いてほしい」との一心で。私は警戒心が強いから、あんな風に他人様に何かを頼って生きるのは無理だろうな。その前に、あそこまで長生きする欲もないのだが。そうは言っても、私がいつまで生きるのかは神のみぞ知るところであり、その残りの人生をどんな形で過ごすのかは、私のこれまでとこれからの“行い”次第だと思っている。人はひとりでは生きられないとは、解っているものの。私がお婆さんになっても、できるだけ人に頼らず、自分で考え、自分の尻を拭ける(二つの意味で)よう、できることは自分でやる習慣を積み重ねていこう。反面教師の姑を介護した時、散々学んだから。姑みたいに生涯依存して息するだけの人間で終わるのだけは、絶対に私は避けたい。だから、できるだけボケないように、そして自分の足でこの先も歩けるように、自分を律して暮らしたい。なんて言いつつ。今日は何もしたくない、ダラダラの一日になりそうなわけで・・・。昨日の教訓はどこに???★ ★ ★ ★ ★今日のやや長めのひとこと。「【舐めるチャレンジ】。誰に何のためのアピール?あれはチャレンジじゃなくて恥部公開。」
2019.07.17
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少し早いけど、ふたりでこんなゆっくりできる時もそうないので、思いつきで今日。ホントは何にも考えてなかった。ただ都内の寺にいつも通り、お盆の墓参りに行くという目的だけで。でも寺を出た後にいつものレストランに入る時、前に来た時よりメニューに高級感が増して、オススメランチを頼んだら、なんかそういう気になって。「じゃあこのランチで前祝いにしよう♪」って急になっただけ。ま、そんなもんだな、20年にもなると。この7月で、私達ふたりは結婚20周年をついに迎える。さっき調べたら『磁器婚式』と呼ぶらしい。磁気かと思ったら磁器の方。「薄手なのに耐久性に優れ、使い込めば風合いや色合いが変わり、より馴染んでいく」というのが、由来らしい。振り返れば(去年も振り返って同じ話したと思うが)、私達が出逢ってからというもの、ほとんど“山と谷“ばかりの日々だった。これもまた去年書いたと思うが、“平穏”や“ちいさな幸せ”を感じたのは、つい最近で。ほんと―――に辛い厳しい苦しい悲しい情けない虚しいそんな後ろ向きの言葉をどれだけ重ねても足りない程、苦労と不運の連続だった。つき合い始めてそこまで運が悪いと、結婚する気も失せると思うんだが。何故だろう? ダンナが不幸のどん底だった時、「私がこの人を底から引き上げたい。幸せにしなくちゃ」と、またいつもの妙な正義感?責任感?お節介??が私の中に膨らんで、すんごく心は沈んでるのに、かえってメラメラと闘志を燃やしてしまった。親友には「それで本当にいいの?」と心配されたのに、気持ちは決まってた。ある意味、“感覚が麻痺”してたのかもしれない。戦闘ゲームのように、立て続けに困難が降りかかりすぎて、「闘うスイッチ入りっぱなし」というか、冷静に考えたり悩んだりも自分なりにしたけど、「前に進む」ことしか考えてなかった。そんなこんなで、いくつもの試練を乗り越えるうち、ほんの小さな“幸せ”がふたりの支えになった。お互いにケチだし、派手なことは好きじゃないから、“大きな刺激“を求めない私達は、欲を出さずに踏ん張れたのかもしれない。どちらかが何か贅沢や大きな幸せや愉しみを求めてたら・・・あっという間に亀裂が生じ、きっとこんなに長くは続かなかっただろう。一番最悪だった時期もほんの数年前まであり、姑のせいで本気で別居も考えたりもしたけど・・・その難関を何とかクリアしての“今”がある。だから今は、こうして大していつもと変わらないいつもの昼の外食にほんのちょっプラスしたくらいのプチ贅沢でも、充分嬉しい。こんな風に姑や時間・・・何にも縛られずゆっくりと流れる時間の中、美味しい肉を頬張ることのできる幸せ。これが思いつきでそうなった“祝い膳”でも、何よりも記憶に残る記念日となった。とりあえず今日のサーロインステーキの肉汁と旨味は忘れない。墓参り後のお楽しみだった猫カフェも美術館も行けなかったけど・・・上野公園のこの時季の緑が思いのほか深く美しく・・・それを知れただけでも、なんか得した。20年と言えば、人間に例えると“成人”する大事な時期である。私達には子供を授かることはなかったから、自分の子の成長を見て夫婦として、どれだけ成長できたのかを形で感じることはできない。それでも私やダンナが、弱い力ながらも互いに叱咤激励時には喧嘩しながら歩んできて、途中途中で掴んできたモノや払い除けてきたモノやヒトの数を思えば、随分“たのもしい夫婦”に成長できたんだと思える。私はわりと子供の頃から困難を越えて肝も据わってるから、大して変わらない・・・と言うよりパワーアップしたのだけど(苦笑)。私的には、ダンナが強くなったのが一番嬉しい。心が繊細で、周りのキツイ一発にいちいち傷ついてるとこが弱点だった。それがこの20年で強くなった。ま。そうは言っても私に比べれば、まだまだ黒帯には程遠いけど(苦笑)。この調子をキープしつつ、多くを望まず細やかな幸せに素直に喜び合える柔軟な心を持ち、この先10年20年と夫婦の“耐久性“を強めていくとするか。お疲れさん、私達。これからも、へこたれんなよ。★ ★ ★ ★ ★今日のやや長めのひとこと。「『それを先に言ってよー!』なひと言に、じわじわ傷つき4日経つ。精一杯頑張った後のソレはきついわ。」
2019.07.15
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かゆい。昨日から痒みが止まらない。体調やストレスにより、蕁麻疹が出やすいのだが。ここ一年位は治まってた。それがつい最近になり、何かの拍子で再発。鼻炎もセットだから、先生は何かしらのアレルギー反応でしょうと。薬もあるが、ちょっと重めの薬らしいので、あまり使いたくない。軟膏も全然効かない。ということで、保冷剤で冷やす。これが一番今は効く。******夏ドラマ。オリジナル作品がゼロ。というニュースを見かけた。40年以上のキャリアの某ドラマウォッチャ―によると、オリジナル脚本の作品が全くないのは、“前代未聞“らしい。少し前に時代を賑わした人気脚本家達も今や、深夜帯へ活躍の場所を移していると。今季のドラマは、漫画、小説、韓流、ノンフィクションがベースに作られているとのこと。漫画や韓流がドラマ化されるようになったのは、今に始まったことじゃない気もするが、言われてみれば、ここ最近は特にそれが目立つ。とか偉そうに言いながら、どれも全然観てないんだが。今ちょうどTVつけたら、漫画原作のドラマ初回の『おさらいスペシャル』と言う名の“再放送“が始まった。別に興味もないが、珍しく“暇”なので、流し観してる。10分経たないうちに、脱落しそうになった。ホントはもうチャンネル替えたいのに、このブログのネタにするために耐えてる。それにしても酷い。何がって、この展開のあり得なさ!ドラマって、本来はフィクションを気楽に観るのが醍醐味だと思うんだが、このフィクションはいただけない。何を楽しみに観ればいいのだ、このドラマ!! 展開はあり得ないくらい早いのに、流れがゆるゆる・・・というより、温すぎ!!!台詞もみんなぼそぼそ呟くように喋るから、何言ってるか聞こえづらい。全体がダラダラ、ぬるぬる・・・あまりにもテンポが悪いから、観てると疲れる。だって、現役モデルで長身の女優さんに、「流行の服が似合わない」「こんなおばさん」って言わせるのは、どう考えたって無理あるだろ~? どんなに冴えない格好させても、スレンダーな立ち姿は消せないし、顔だって多少、子育て中の疲れ感はあるものの相変わらず綺麗だし。それをそのままの見た目で演じてしまったら、モデルはモデルにしか見えない。演技力でカバーできればいいけど、彼女そういうタイプでもないし・・・しかも相手役がほぼ素人に近い演技の、これまたモデルの某氏。ふたりが夜景をバックに横並びで歩くシーンなんか、何かのファッションCMにしか見えない! あんなスラリとした背の高いお洒落なカップル、その辺で見かけますか?虚構だから許されるけど、さっきこの原作漫画の表紙見たら、主人公の女性と大違いで。漫画はアリでもこのドラマはないわー!と思った。誰かもっと演技派であの役にふさわしい女優さんいそうなもんだが、事務所の力関係でそうもいかないのだろう。それが局ドラマの辛いとこ。それにしても酷い。あまりに中身が臭い台詞とやる気を感じない芝居の連続で、始まって5分で体痒くなってきた。そうこう文句言ってる間に、一話が終了したようだが、最後の最後までゆるゆるしたまま終わっていった。今日の再放送で「面白そー!次も観よう!」と思った視聴者がどんだけ確保できただろう?こんなドラマですまないと、とりあえず制作側は漫画家さんに謝っといた方がいい。それくらい私には、学芸会に見えた。私が編集者だった頃。ドラマ取材の仕事も担当してた時期があって。当時はドラマそのもののクオリティが高く、運よくドラマの主題歌や挿入歌を担当すれば、アーティストは一夜でミリオンヒットして売れっ子になれる、そんなドラマに影響力がある時代だった。とあるドラマの取材で、大御所の脚本家さんに直接会う機会があり。しかも、その方の仕事部屋兼自宅にお邪魔させてもらうとゆー、なんとも貴重な体験をした。ドラマ自体、とてもセンセーショナルで現実離れしている内容だったが、出演者の豪華さと実力派アーティストの主題歌とがいい具合に混じり合い、そこそこ話題を呼んだ。その先生はお会いするまで、とても気難しいイメージを持ってたから、家の扉開くまで緊張したけど。すごい笑顔で歓迎されて、しかも私達取材陣のために、アシスタントさんがわざわざ人気店の美味しいお菓子を並んで買って用意してくれたって聞いて、感激した。そのお菓子は緊張で味を覚えてないし、インタビュー内容も、完全に忘れたが・・・(恥)。先生を囲んでみんなで品の好いテーブルを前に品の好い椅子に腰かけて、美味しい紅茶を頂きながら、足元には先生の犬が走り回りながら・・・まるで“女子会”みたいに楽しい時間を過ごした記憶だけが、今もある。良い作品を生み出す人にも、余裕を感じるそんないい時代だった。当時、私が個人的に好きだった作家さんは、最後の作品にメッセージをこめて、自らこの世を去った。40代半ばで、まだこの先の作品をドラマで観てみたい人だった。素晴らしい歴史小説の脚本を任され、本人も喜んでいた矢先。彼は、ドラマ制作の何かしらに不満を持っていたようだ。“流せばヒットする”ドラマの全盛期が過ぎた頃と重なる。彼の死を境に、日本のドラマ界も変わったように思う。ちょうど時代の変わり目だったのかもしれない。あの頃に、良質なドラマの時代は、一旦終焉を迎えたように感じる。そして、いつの間にかドラマの作風も、その存在意義も、出演者の腕も、主題歌の力も・・・何もかもが小粒になった。万人が楽しみに観て、次の日会社や学校でストーリーや主題歌を話題にするなんて時代が、とっくの昔に終わったんだから、仕方ないけれど。誰に向けてドラマを作るのか、この作品で何を訴えたいのか、演じる者は何を思い演じるのか・・・作り手側がこの基本を忘れてしまったように感じる今、誰が何をどれだけお金かけて作ろうが、人の目を惹くことは難しい気がする。だからこその、脚本の手抜き。そこそこの視聴率を得るために、平均点を取るためだけに、過去話題作に出た役者や注目の若手を起用し、そこそこの原作の既成品をもとにドラマを作る。そんなぬるいやり方じゃ、売れるもんはこの先も期待できんわ。かと言って、大ヒット作を過去生み出してきた先生達も、今や時代の波に乗れず。ドラマっ子だったから、今のこの覇気のない番組作りが、残念でならない。これを“時代”のせい、で片づけたくない。作り手が熱を籠めて良いモノを作れば、観る側に必ず伝わる。深夜枠で好きに作ってるドラマが、のびのび面白いのを生み出してるから、まだ“光”は消えてないんだと信じたい。★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「みなさんのお盆は7月?8月??」
2019.07.14
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こんなに肌寒いのに、蝉が何を血迷ったか鳴いている。その声はなんだかとても憂いに満ちて、聴けばこっちも憂鬱になる。ムシムシするのも嫌だけど、上着が必要な程、冷えた雨が中途半端に降り続くのもなぁ・・・。いつもは観光客で込み合う車内は、少しだけ“日常”に戻っていた。でも、発車する直前ドカドカわいわい賑やかな人達が駆け込んできた。残念ながら、私の目と鼻の先がガラ空きで。そこに”彼等“は次々と座ってく。何故か「え、兄弟?」と聞いてしまいたくなるような、よく似た見た目の男達数人。オタクっぽい(じゃなく完全にオタク)話し方も声のトーンもそっくり! と思ったら、所々に女性もいるではないか!! 化粧っ気のない“図書館ガール”とでも言っとくか。そんな素朴な風貌の“御一行”が、子供のような瞳で車両や車窓についてのトークを弾ませる。モチロン、みんな“敬語”で。仲良いのか余所余所しいのか、なんだかな・・・。あんな風に、好きなことを一緒に語り合える仲間がいるのって、楽しいんだろうな。“親友”じゃなくても、マニアックな話を直で受け止めてくれる”ツーカーの仲”(古っ!)。これだけ悪天候でも、彼等にはたいして関係が無さそう。とにかくやけにテンション高く、“何か楽しい”ことを得るために、目的地に向かってるようだ。これからどこに行くのか、だいぶ気になった。でも私は、事務所の最寄駅に着いたので、先に下車。”鉄道ファン”はいつの時代にも大勢いる。かなり前に『タモリ倶楽部』で知ったんだけど、その中にも色んな“マニア”に分かれてて、“撮り鉄”“乗り鉄”“車両鉄”“切符鉄”“模型鉄”等ナド、その種類は素人には把握しきれない。でも、ハマる理由はなんとなく解かる気もする。私は鉄子ではないが、子供の頃から身近に鉄道があった。一時期なんて、線路のすぐ近くに住んでいたことも。そして今の実家のマンションからも、眼下に広がる自然多めの風景の中、時々、昔より軽くなった車輪の音を響かせ、短い電車が走り抜けるのが見える。だから、想い出の一部には汽車(あの頃はこう言ってた)がある。警笛、踏切音、線路を刻むガタゴト音・・・耳に馴染んだその音を、聴けばなんだかホッとする。今住む我が家も、雨の日や静まった夜間に駅の方向からたまーに警笛や線路の音が、風に乗り流れてくる。鉄道の音が好きなマニアもきっと、いるんだろうな。どこの地域の何線がオススメなのか、聞いてみたいような気もする。でも私が鉄子になるなら・・・と、さっきの集団の会話を聞きながら、寝るフリして考えてた。やっぱ、“乗り鉄”かなぁ。新幹線や特急もいいけど、鈍行でのんびり・・・てのが、今は気分的に。実際にはそんな“余裕”もないんだが。梅雨が明けたら、いや夏が終わったら、前みたいに電車に揺られて小旅行気分味わって、あそこの温泉で半日過ごしたい。そう言えば、何年か前。最初に勤めた出版社の先輩と、退職して初めての再会を果たした時。ご主人の趣味を息子さんがしっかり受け継いで、幼い頃から毎年、江ノ電の『タンコロまつり』に行くんだって聞いた。そうやって、代々続いてくんだなぁ・・・。♪線路はつづくよどこまでも♪なんてね。関係ないが、江ノ電のプラレール、ちょっと欲しいかもしれん。弟が幼い頃、実家にも鼻の丸い新幹線のセットがあった。レールがしょっちゅうカーブで脱線したけど(汗)。★ ★ ★ ★ ★今日のやや長めのひとこと。「店での存在感に負け、自分への御褒美に。このサイズのスイーツ…甘党じゃない私には無理なんだわ。おいしいより気持ち悪いが勝った。」
2019.07.12
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どんなに一代で大帝国を築こうとも、どんなに資産がウン十億あろうとも、どんなにその名が世の中に知られようとも・・・寿命までは変わらない。誰もが罹る病気にもなるし、そう簡単に奇跡も起きない。そうして、みんなに惜しまれながら逝ってしまう。日本の男性アイドル界を長年牽引してきたジャニ―さんことジャニ―喜多川氏が、亡くなった。少し前に意識不明で緊急搬送され、彼の教え子たちが病院に見舞いに・・・なんて話が聞こえてきたから、あまり良くない状態なのだとは、感じていたが・・・87歳という年齢で、現役で芸能界の裏方に徹するのは相当な心身の丈夫さがないと厳しいだろう。だけど、この人だけはなんだか“特別”な気がして、おかしな言い方だし、失礼でもあるけれど、“死なない”んじゃないかと思うことさえあった。昭和平成令和を生きて、その先も生き続けて、永遠に日本の男性アイドルを産み出し続ける・・・みたいに。妖怪じゃないけどそれに近いくらいの“モンスター”感が、彼にはあった。でも、少し前から彼にしては珍しく、送り出す新人グループのどれも、キラキラ感が足りなくなった気がした。どんなにマスコミが持ち上げようと、どんなにファンが熱狂しようと、編集者だった頃、少しだけジャニ―ズの仕事をした経験のある私には、物足りないものばかりで。私が歳を取りすぎたせいじゃないと思う。子供の頃からずっと見てきたジャニーズ特有の”オーラ”や“大衆性”が、最近の新人グループには全く感じられない。だから、ある時期からこの組織の新人に、嵐やスマップほどの“大物に化ける”予感がしなくなった。一番ジャニーさんの熱が弱まったなぁと思ったのは、グループ名。ここ数年のは、それ程いいセンスとは・・・。グループ名を聞いても、メンバーの顔が浮かばない。仕事でどれだけ名前を見てインタビューの内容を読んで、それぞれの個性を捉えた気になっても、覚えられない。私の老いだけでなく、彼等の個性のなさもある。そんな人達をデビューさせてしまうジャニーさんに、恐れ多くも“衰え”を感じた。最近彼が「うちのコ達の顔がみんな同じに見える」と言っていたのは、どういう意味だったのだろう?今となってはもう真意を聞くことができないが。結構、深い意味にも思える。真言宗の僧侶の父が布教活動のため渡米し、日本人の両親のもとに生まれながら、アメリカ国籍を持っていたばかりに、朝鮮戦争では米軍の一員に。その時の体験が彼を、後にエンターテインメントの世界へと導いたとも言える。平和を祈り、日本に希望の光を当て続けた陰の立役者。夢を作る側の人間は、表に出ちゃいけないとその“存在”を皆が知りながらも、姿を知る者はほとんどいないくらい謎の存在だった。私もいろいろ仕事をさせてもらって、向こうからの要望は人伝いにあっても、直接のやり取りは一度もなかった。『天狗にならず“普通の感覚”を大事に』彼が育てた子供達に伝え続けた言葉と聞く。私がこれまで取材を通して観たりインタビューしたりして会ったジャニーズのアイドル達はみんな、やっぱり“普通”の人とはレベルが違い、眩しい光を放っていた。普通の感覚を彼等がどれだけ持っていたかは、わずかの時間の接触では判断しきれない。でも、意外と“素直”な人が多かったな。一部の”超芸能人”(あ、今偶然TVに!!)を除いては、みんな好い“YOU”達だった。さっき、“死なない”とか“モンスター”とか怖い存在のように書いてしまったが、本当のジャニーさんは、とても優しい愛情溢れるおじいさん(でもエンタメへの情熱は凄い)だったようだ。頑張ったジュニア達に、“ホタテの貝柱をあげる”ってのには、なんだか可愛くて笑っちゃった。細々いろんな問題もあるにはあるけど・・・しかも私、どの時代にもジャニーズのアイドルに一度も夢中になった記憶も全くないんだけど・・・・・・日本の芸能界をひとりでリードし続けた功績は立派。あなたの築いた帝国の今後は、ぶっちゃけかなり不安定な状態。けれど、あなたの名前は忘れません。これからは、あの世でエンタメ界を盛り上げてください。★ ★ ★ ★ ★今日のやや長めのひとこと。「昨日ベランダでひっくり返っててレスキューしたカナブンが、今朝見たら羽根と足だけに…。生きるって難しい(p_-)」
2019.07.10
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♪俺とおまえと大五郎~♪ってのを、急に思い出してしまった。 プロ野球中日の公式応援団の応援歌「サウスポー」演奏休止に発展した騒動。歌詞の中にある“お前”が問題のようで・・・。と言っても、「(観戦する)子供達の教育上良くないのでは?」と、監督が言ったことが彼の想いとは違う明後日の方向に行ってしまった、らしい。彼はその歌自体を唄うのをどうこう言ってるのではなく、「“お前”を選手名に替えて唄ってはどうか?」と提案したつもりだった(らしい)。それがいきなり球団からの中止発表。ファンもだけど一番ショックだったのは、監督本人だったに違いない。 こんな風に言葉は、いつ何時も油断できない。 誰かの口を滑り出た瞬間から、ほかの誰かの聞き間違いや曲解によって、ヘタしたらその原型を留めないモノに変えられてしまう。そんな誰か(おそらくは球団関係者)の勘違いと過剰な忖度によるこの騒動。ま、冷たいようだがサッカー馬鹿な私からしたら、野球のそういう細々したクダラナイ騒動は、正直な話、どうでもいい。ただ、監督さんが可哀想だなぁとニュースを斜め読みしながら思ったもんで。 けど、こんな歌詞にいちいち神経使ってても遅すぎる気が。この歌に限らず、“お前”が入ってる歌もアニメも映画もテレビもネットにも山ほどある。子供の目や耳に入らないわけがない。教育上悪いかどうかはもう、それぞれの親に判断を託すしかないわけで。それよりも、例えば試合中の乱闘とか暴言とか球団や選手の金絡みのトラブルとかナ○ツネの独裁支配とか、そういう方が子供達には悪影響じゃないのか?(知らんけど) ま、想像の範囲で書くのもネタが尽きてきたので、この辺でやめちゃう。あ、でも。サッシ―が「お前って言われたらムカつく」と言ったみたいに、私もあのくらいの年齢の頃は、言われるとムカついてたなー。カレシでもない人や、カッコいい頃のキムタクでもない同僚に、「お前な・・・」とか言われただけで、そりゃもうぷんぷんですわ。仕事の上で、見下されたくなくてね。沸点低かったからね(今頃猛省)。今はどうだろ? うちのダンナは「お前」って言わないからなぁ。そんなキャラでもないし。だから、誰かに言われるチャンスがないなー。結局は言う人のキャラが、言われる側の心証を決めるんだと思う。「どこからがセクハラか?」の線引きと同じで。 ちなみに、冒頭のは焼酎『大五郎』TVCM曲。随分前から聴いてる気もしたけど、まだ15年か。長いんだか短いんだか。でもインパクトある。こうしてこんなニュースで、久しぶりにでも鮮明に思い出すんだもん。今はどうか知らないけど、去年はHKがリメイクしたバージョンを担当して唄ってたらしい。皮肉にも俺にもお前にも一番向いてない人が、唄ってたんだな・・・(遠い目)。そう言えば観たかな?観たのか?観てないのかも。(だんだん弱気)今さらだけど・・・『大五郎』って、アサヒビールなんだ!?(そこかい!) ★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「そのコスプレで100票は確実に逃げたよ。」
2019.07.09
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西日本豪雨から7月6日で1年。14府県で275人死亡という数字を改めてみると、災害の規模の大きさと命の重さについて、考えずにはいられない。ここ最近、海外でも大きな地震が続き、その影響も多少はあるのかないのか知らないが、日本のあちこちで、地震の報せが耳に飛び込む。 この国だけを見ても、ここ数年で自然災害があまりにも多すぎて、「きっと忘れない」と言いながら、ニュースで観ては毎回、「いつの?どこの?」と直ぐには思い出せないこの愚か者!(=私) 結局、口ばっかじゃないか! 画面越しに、今も立ち直れないでいる人達の嘆きの声を聞く度に、自分がほんと情けない。無知で無力で無・無・無・無・無!!! とりあえず帳尻合わせに、ボトルキャップを300個寄付してきた。豪雨関係ねー、海外ぃー。でも、心に清らかさや人を想う気持ちを取り戻そうと思ったわけで。私なりの反省の一歩。これを機にまた、最近薄れかけてた“どこかの誰かの幸せを願う気持ち”を、維持しながら生きることにしよう。加齢とともに“同じ温度の熱を保ち続ける”のが難しいと感じながらも。 ****** お悔やみ欄を悪用。故人がわいせつDVDをレンタルしたと家族を脅す詐欺が北海道で多発。この前、このニュース観て、悲しくなった。人の不幸を喜ぶ人間や、それに付け込む人間はいつの時代にもいるにはいる。しかし、なんでこんなしょーもない脅し文句で詐欺するんかな?誰か引っ掛かった人がいるから、調子に乗ってるんだろうか?レンタル遅延の料金を請求する脅しの手紙も公開されたが、あまりにも稚拙すぎて、笑いを通り越して憤りが。詐欺するんなら(絶対にダメ!)、手紙貰った人間が疑う余地もないくらい精巧な作りにしろ! あんなおつむのネジの緩そうな子供の作文の方がもっとマシなもん書けそうな下手糞な文章で、誰がワナに引っ掛かるんだよ? その詐欺師の親が見たらいろんな意味で泣いてしまいそうな脅しにもならない手紙に、観てる私が泣きたくなった。人の不幸で商売する前に、先ずは正しい日本語とビジネスマナーを学ぼうぜ!話はそれからだ!!(あの手紙程度の日本語レベルなら、話聞いても意味不明だろうが) ****** 仕事関係の知り合い(向こうは私なんか、とっくに忘れてるだろうが)が、余命宣告を受けて、“今を必死に生きている”のを偶然知った。 生き方や存在自体がアーティスティックでアナーキー。根は繊細で真面目だって解ってるけど、いつも無茶してて、不健康そうなイメージしかない。だから、今も変わらず、好きな事だけをガンガン遣り続けて突っ走ってる、あの頃のまんまの暮らしぶりなんだと思ってた。私にはひと欠片もない才能の持ち主だから、その能力や自由さに、軽く嫉妬に近い感情を抱いた時期もある。でもどうしたって、あの人のようにはなれないのは最初から解ってた。平たく言えば、次元が違うのだ。見えてる世界が、明らかに違う。だから私は向こうからすれば、面倒くさいというか、苦手な存在だったに違いない。それを感じることが何度かあった。それが解ると、なおさら私の中にその人への“イライラやモヤモヤ”が降り積もっていった。最後に会った時の飲み会で、酒の酔いに任せて私、酷いことを言っちゃったんだよな。あの時は我慢してた不満を吐き出せてスッキリした。けど、その後に悔やむ気持ちが膨らんでいった。でもそのまま、話すこともなく。 その人の活躍は時々、すべて偶然の形で私の目や耳にも届いてきた。いつもあの頃と変わりなくて元気そうだったから、逆に私も頑張らなきゃと思えたりもした。 そんなことさえ、忘れていたら・・・・・・この突然のニュース。いいこと悪いこと、当時のいろんなことをまた思い出してしまって、その時の様子と今の様子が違いすぎて少し、動揺。でも、写真を見る限り、相変わらず楽しそう。痛みを堪えているんだろうけど、好きなことや信じられる仲間が沢山あってヨカッタ。もう会うチャンスはないけど、もう忘れてるかもしれないけど、この場所から今の時間が一日でも長く続くように祈ってる。いつもみたいに少しだけ嫉妬しながら、私には叶えられない夢を叶え続けてるあの人の幸せを願いつつ。私もいつまで続くか判らない自分の人生、もっと丁寧に楽しんで、今を生きよう。 ★ ★ ★ ★ ★今日のやや長めのひとこと。「ファンキー●●って名乗ってる割に、みんな全然ファンキーじゃない。私、英会話のアメリカ人の先生に“今日はファンキーだね!”と服見て言われたことが。」
2019.07.07
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※お食事中など、一部不快な思いをする場合があります。ご了承ください。※どうしても解せないことがある。渋谷のスクランブル交差点を、ものすんごい勢いで縮小したくらいの十字路があるんだが。そこにある信号機で止まる時、結構な人数が居るにも関わらず、大体私があの”ボタンを押す係”になる。その信号機、私がこの道を利用し始めた十数年前からずっと変わらず、『押しボタン式』なのだ。それなのに、みんな押さない。押さないで、ひたすら棒立ちして辛抱強く青に変わるのを待ってる。「そんなに耐えてても、変わんないから。そこのボタン、押せよ」と、私の中の黒い方が囁く。でも、誰も一歩も動こうとしない。ある程度待った信号が、いつまで経っても変わんないなーと思ったら普通、どこかにボタンがあるのかもと探すんじゃないのか? なんでいつ行っても、誰も何もしようとしないの?? で、しょうがないから「ほ~ら、ココにこんなイイモノがあるんだよ~」的にわざとらしくオーバーアクションで体を少しボタンの方に折り曲げ、ボタンを押してみるのだが。誰も私の小芝居など見てはないのだ。何事もなかったようにみんな、さっさと渡り、さっさと消えてゆく。こんな生活を十数年・・・。さすがに私も、この小芝居するのに飽きてきた。誰か後継が育ってほしいのだが、どうも無理っぽい。この交差点を使う度、そして私がぽちっと押す時、思うのだ。世の中どんだけ”人任せ”に生きてんだ?と。何でもかんでも人感センサーみたいなので、自動でラクできると思ってたら、甘いんだよ。時にはこういう手動でやんなきゃ先に進まないことだってあるんだ。だけど、そんなことさえもう考えるのが面倒な程 、頭ん中“自動式らくらく楽ちん仕様”に進化しちゃってんのかなぁ?いや、これって進化じゃなくて『退化』だと思う、人間にとって。ただぶらぶらと外を歩いていても、それなりに頭を使って歩いてなきゃ、何かしら不利なことに出くわす。その時に臨機応変に物事を考えられなきゃ、命に関わることだってあるのだ。まー、変わらない信号機を辛抱強く待つくらいなら、何も怖い目に遭うこともないかもしれんが。でも、待たなくていい時間をそこで過ごしたがために、交差点の事故に巻き込まれることだって考えられる。ならば、自力でその場から素早く離れる方法を考えた方がいいと思う。大げさかもしれないが、そんなことを、たかが押しボタン式信号機で深いとこまで考えてる私がいる(暇かも?いや、仕事から逃避中なだけ)。誰もしないこと、と言えば。もうひとつ私が遭遇しがちなのが、職場を含む外出先のトイレの件。運(トイレなだけに(苦笑)が悪いのか、結構な確率でトイレットペーパーが切れている。で、私が個室に入ると大体、新しいロールをセットするところから始まる。時にはブツや黄色い色味の液体や使い捨てのペーパーを、息を止めて流すとこから始めなければならないことも。自分のせいではないのに、「なんでいつも、こんなことしてんだろう?」と、情けなく思うことも。そう言う意味では、ホント運が悪い。個室の扉を開けたとたん、???になった時は、ハズレくじを引いた気分になる。だからと言って、誰か背後から来てるのに、その場を放置して去ってしまうと、私がそのダラシナイ犯人みたく勘違いされちゃいそうだから、これはこれでイヤ!で結局、アカの他人の粗相を私は観念して片づける。むかーし、むかし。小学生の頃、掃除の時間にクラスメイトのひとりが、床にスプラッシュした。牛乳と胃液混じりのそれは、なんとも言いようのない悪臭を放つ。もちろん、みんな大声をあげ、わー!きゃー!!言いながら、逃げるわけで。その時、妙な正義感にまみれた私は、雑巾を手にそれを拭き始めた。だからと言って、誰かが続くわけじゃない。うへ~、くせぇ~の声の中、ただ覚悟を決めて黙々と床を拭いた。その光景は今でも覚えてる。吐いた本人が誰かは、もうとっくに忘れているのに。ま、なんというか。これが私の人生なんだろう。お蔭で乗馬をしてた時も、馬の汚物をなんとも思わなかったし(干し草でむしろ好い香り)、姑の撒き散らしたブツを始末するのも、全然平気だった。過去の覚悟が効いたとも言える。いや、そんな大げさなもんでもないです。盛り過ぎ(ウンなだけに)。★ ★ ★ ★ ★今日のやや長めのひとこと。「楽曲をダウンロードして聴く場合、歌詞は見られるの?誰かアナログおばちゃんに端的に教えて。」
2019.07.03
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家で仕事をする時は大体、何かしらの音を流してる。これは私が編集者だった頃から、変わらないスタイル。前にもココで、図書館みたいな静けさの漂うオフィスが苦手という話を書いたくらい、私の仕事には音楽が欠かせない。どっかのキャッチコピーじゃないが、【ノーミュージック、ノーライフ】である。”集中力”がハンパない(かなり胸を張ってみる)ので、原稿と向き合う時間は、“必要な”音しか拾わない。このところずっと近所で大きな工事をしてるのだが、工事現場の音でも、たいして気にはならない。ただし時々、耳に痛い金属音が延々と続く日があって。それだけは参る。三半規管狂いそうな金きり音は、連続して聴いてると気持ち悪くなってくる。そんなわけで今日は、仕方なく“ライブ用の耳栓”を使ってみた。完全にあの音を遮ることはできないが、かなりイイ。ラジオの音はちゃんと聴けるし。でもなんか、ものすごい閉塞感。それはそれで落ち着けずにかえって集中力を欠くので、結局一時間くらいで耳から放り出す。やっぱ信じられるのは自分だけ。自分の耳と精神をうまいことコントロールするしかない。******ラジオを聴いてて気づいたんだが。最近、ラテン系のリズムを取り入れた音楽が増えてる? 調べてみたら世界的なラテンブームは去年だったようだ。だから日本は、一年遅れで流行がやって来てるってことか??声の小さい人気者のアイドルが、もそもそ色気全開で唄ってるのとか、日韓混合グループの新曲がモロそっち系のタイトルだったり・・・昨日もなんか居たな。男子グループ?韓流系?それの新曲もラテンのタイトルだった。何? 何なの?? 夏が近いから?私が音楽業界に居た頃も、欧米じゃない国の音楽を取り入れた邦楽はいくつもあった。でもどれにしろ、合わんのだ。日本という国民性には、ちっとも。イロモノのだとうまくいくとは思うよ。でもそういうのって飽きられるのも早い。濃すぎるのだ、ソースが。(知らず知らずラテン語の語源の言葉を使ってしまった!)とにかく。日本人には一番合わないかもしれないリズムに思える。言ってみれば、サッカー日本代表がラテン系のチームにいつだって振り回されてるくらいに、合わせるのが難しい(例え話も難しすぎ)。だから、声の小さい人気者のアイドルのMV観ても音楽番組の唄ってる(口パク)映像観ても、ちっともウキウキしないのだ。彼、踊れる事務所の人だから、リズム感いいはずなのに、躍動感が伝わってこない。え? 単に彼のキャラの問題?(そうかも。)でも、歌も踊りもうまいはずの韓流スターも似たり寄ったりで、全然ラテンじゃない。やっぱアジア人は、あのテのリズムは刻めないのかも、と。日本より明らかに技術が上の韓流スターを観ても思う。なのに何故、日本でみんなラテンのリズムを敢えて唄おうとするのか?何? 何だろ?? 異国情緒への憧れ?そこにあるのはただ、異国感じゃなく違和感。旅行会社とグルなの???ま、どうでもいいです。これを書きながら私が思いついたラテン系と言えば。中森明菜の「ミ・アモーレ〔Meu amor é・・・〕」。今まで気づかなかったけど、初めのタイトル「Mi Amore」が誤りだって!「スペイン語とイタリア語が混ざった現実には存在しない単語として発表」(Wikipediaより)だって!! で、無理やりポルトガル語の言語を当てはめたけど、これもまた正しいものではないらしく・・・その辺の誤りについては、Wikiに誰かが恨み節みたく延々書いてくれてるんで、興味があったら是非。そう言えば。スペイン旅行から戻ってきて「フラメンコ始めたんです~」って興奮気味に言ってた1つ下の後輩・・・ウン十年前だからナニさんだか忘れたけど、元気かな~?(顔もぼんやり)。★ ★ ★ ★ ★今日のやや長めのひとこと。「災害級の大雨被害に遭われた地域の皆さん、お見舞い申し上げます。参院選より被災地視察を!五輪開催より被災地復興を!!」
2019.07.02
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