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「失敗は引き摺らないんです。ボクは3分で忘れられるんで。」よくまあ、今にピッタリな話のネタを探してきたなぁと、TV観ながら感心した。番組スタッフ、珍しくグッジョブ!引き摺ってはないが、引き逃げてしまった若手人気俳優の某番組出演時の話が、妙にハマってしまう不祥事を彼が起こしてしまった。逮捕されて調べに対し素直に応じているようなので、それは良いとして。また、“逃げてしまった”理由を「パニックになったから」と言ったのも、なるほど事故とはそういうものだから、百歩譲って理解しよう。でもでも、聞けば彼の“運転中の事故”はナンと、半年前にもあったというではないか! その時は“物損事故”だとか自分で警察に連絡したとか、すべき事をしたようだが、何よりも気になってしまうのは、彼は“運転”に向かないんじゃないか?ということ。最近というか今年はドラマ、映画、CM等どこを観ても出ずっぱりで、かなり売れっ子の印象だ。だから疲れもあったりして、“注意散漫”になる瞬間があるのかもしれない。しかし、4月に事故を起こしたなら、その後相当運転に気を遣うようになるんじゃないのか? 私はペーパードライバーだから運転はしない。けどもし自分が運転中に事故を起こしたら、次にハンドルを握る時には「もう同じ失敗はしたくない。絶対にしない」と慎重になると思う。彼はまだ23歳で瞬発力に優れた年代である。見た感じも鈍くさそうではない。どんな仕事も器用にこなしているようだから、きっと勘が良いのだろう。そんな彼が運転ヘタなのは、彼の何がそうさせるのだろう?ここで効いてくるのが、最初の言葉だ。「失敗は引き摺らない」から「事故を起こしたことも3分で忘れる」というあの自信満々に語っていた彼のドヤ顔が、ヤケに印象に残る話しぶりだった。あの彼を観た限り、「自分は今、スゴい良い事言ってる」風味で悪びれた様子が感じられない。この人と似たような人を2人、思い出してしまった。1人はこの前亡くなった“子供大人”だった姑。死者の悪口は避けておくが、彼女もいつも自信満々だった。彼と同じように何の根拠もなく、「失敗は引き摺らない。寝たら忘れる。」と口癖のように言っていた。そのせいで、こっちが激怒しても、翌朝、ケロリとして私の前に現れる。で、私の方が「また怒鳴ってしまった」と翌日も反省してるとゆー💧彼女のそんな性格のお蔭で助かった部分もあるけど・・・全く“落ち込まない”良くも悪くもさばけた人だった。もう1人は、私が一時期夢中になってて、編集部時代に音楽活動を(公私混同を必死で抑えながら)バックアップしてた某ミュージシャン。何度も色んなカタチで取材をしてきて、ともに過ごす時間の中で、彼の“素”の部分が見える時があった。デビューして少し経ち、名前が知られるようになってTVに出る機会も増えて。私が初めて会った頃の初々しさは消え、すっかり立派な青年に成長した頃。アルバムのタイミングでインタビューした時の彼の言葉が引っかかって、あの場面が忘れられない。私が尋ねた内容は覚えていないが、彼はこう言った。「反省はしないですね。後悔するようなことをボクはしたくないから」カッコいいよ、あんた。台詞だけ聞くと、あの顔でキメ顔できっぱり言われると、ファンの私の方がクラクラしちゃいそう。でも、それを聞いたとたん、私は悲しくなったんだ。「後悔をしたくないから、精一杯物事に取り組んでいる」とプロとしての正解を言ったつもりだろうが、“反省”はしろよ~。どんな才能に恵まれた人であっても、誰だって失敗はする。スーパーマンじゃないんだ。私達、“人間“なんだから。そりゃ、あの時代のキミは輝いていて、何を遣ってもそれなりに成果を上げただろう。でも、すべてが順調だった?もし思うように何もかもが上手くいっていたとしても、それは私みたいなイチファンで編集者のハシクレも含めて、自分に関わる全てのスタッフやファンのお蔭もあるでしょう?その人達が必死になって、時には汚れ役にもなって、キミの神輿を抱え続けたからだ。そんな人達に“反省はしない”なんか、言ってみろ。いや、私だけに言ってセーフだったわけだが(モチロン、記事には載せなかった)。それでもあの時、ショクだったなぁ。まだ売れる前、私が少しアドバイスしたことも笑って誤魔化されたし。根っこは優しく愛嬌のある人だけど、誰が何を言おうと、“主に自分の考え“を通してしまう“我の強さ“がネックだった気がする。それもミュージシャンだから許されるとは思うけど・・・インディ―ズじゃないんだから、全部を押し通そうとすると、仕事なくなっちゃう。今も細々と音楽活動してるようで何よりだけど、充分すぎるくらい歳を取って、あの頃より恐らく“低姿勢”にならなきゃ、お金も稼げなくなってるだろうが・・・少しは“反省”することもできる大人に成れたのかな?あの若手俳優のニュースのせいで、セピアがかった想い出を振り返ることになってしまった💧『今日から俺は!!』や『スカーレット』で頑張ってたから、まさに“これから”の人なのにね。残念だな。自分をここまで大きく育ててくれた二人三脚の元女性マネージャーに感謝できない時点で、芸能人の前に“人として“ダメだよな。ま、これからイヤってくらい“反省”する日々を経験することになるんだろうけど。え? 無理なの?★ ★ ★ ★ ★今日のやや長めのひとこと。「アプリ入れようと思ったら、あなたのデバイスは対応してません。だって!! 旧式スマホはファンの資格無しかよ↷ 気持ち萎えるわ~。」唯一無二。愛しい人。Trick or Treat?
2020.10.30
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いつもの朝。ダンナを送り出す時間に玄関先で大きく深呼吸をひとつ。今日という日が始まってまだ間もないこの時間は、空気が澄んでいてかなり美味しい。いつものFMラジオを程良い音量で流しつつ、洗濯機を回す。今日みたいに秋晴れで、どこにも出掛けない日は必ず二度回し。狭いけど、遠くに小高い山並みの見えるお気に入りのバルコニーで、“猫額ガーデン”の水遣りをしたり、生えすぎた葉を間引いたり。時々、我家にやって来るスズメ(私にかなり慣れてる。ナンなら呼び名をチュン太郎に変えようかと)の声を背中に聴きながら、土いじりする時間が、無になれるから好き。季節が急に進んだので、激安で買い換えたビニールハウスを組み立てた。この冬はこれで何とか越えられるだろう。出掛けるなら最近は、午前中と決めている。コロナ禍で当り前の暮らしが奪われた時期、“日を浴びる”ために夕方から朝に変えた。それに朝の方が何となく町が汚れてなくていい。散歩や通院が日課のお年寄りや乳児を連れた新米ママ、そのくらいしか出歩いてなくて、道も店内も少しだけゆとりを感じれれるのもいい。『STAY HOME』中に何の専門家か忘れたが、何かの記事でアドバイスしてたのだ。「今まで仕事等で出掛けていた時間に、意識的に出掛けるようにすると、体内リズムが保てる」みたいなことを(中身全てがうろ覚えすぎ(苦笑)。ま、それを単に遣ってみてるだけなのだが。期待以上の効果を感じているので、私には合っていたんだな。でも、昼間活発に動いて戻ってくると、午後は早めに電池切れして、夕方頃には無意味に時間を費やし、ダラダラしてしまってた。特に先週頭くらいから何も遣る気が起きず、趣味の投稿用原稿書きも、なかなか進まず、あえて考えるのを避けていた。仕事が暇なので、気の緩みが原因だと思う。仕事で忙しい時期の方が、“現実逃避“と称して、ブログや投稿の原稿書きに逃げ込むと、俄然「書きたい欲」が湧き上がってきて、あっという間に長文に。だから、今この“のほほん“としてる穏やかすぎる日々は、私には贅沢すぎて物足りない。自分をどんどん甘やかしてしまい、気づけば想像力も低下。案の定、短期間で体重増&体脂肪率上昇という現実。これではイカン! 己に活を入れるべく、午後の時間割を見直すことに。で、今週から夕飯支度の前に、“脂肪燃焼エクササイズ“を行う時間を作った。この歳でこの体重で、いきなりハードワークに挑むと膝や腰を傷めてしまいそうだから、見栄を張らず、“初心者“でも続けられそうなメニューをYouTubeで見つけた。これが・・・なかなかハード💧 でも、性格的にやっぱTV体操やゲッタマン体操みたいな“スロー“に行うものより、エアロビみたいに音楽にのって阿呆丸出しで全力で動くのが、向いてるみたいだ。一回目は翌日身体中が筋肉痛になったのに、あのじわじわと汗の吹き出す“爽快感“が忘れられず、また同じ動画を同じ時間に流して、なんとかリタイヤせず最後まで“完走“して、さらに次の日もその次の日も・・・今朝なんて、目覚めたら脳内であの威勢の良い音楽が流れ出すくらい、数日でトリコに。そんなこんなで、毎日夕方のエクササイズが私の日課に加わった。すごく人気のチャンネルらしく、あちこちで紹介されてるんだけど、インストラクターのお姉さんが常に笑顔で元気印で可愛い人だからだという、明らかな偏見と軽い気持ちのもと始めた私だが・・・ナンと一度目の効果が目に見えるもので、あまりの“即効性“に浮かれてしまうとゆー変わり身の早さよ(苦笑)。今では彼女の「今日も一緒に頑張りましょう♪」から始まって、どアップで最後に笑顔で挨拶されるその流れが楽しみになってしまってる。名前を全く覚えていないけど、彼女になら、この先も怠けずについていける気がする♪「気分は五郎丸~」とか「ブラックビスケッツの振りみたいに」とか、動画に添えられる例え話が顔に似合わず古くさいのも、好感持てる♥「あ、もしや結構歳、いってる?」みたいに妙な親近感あるし、あれは相手に隙を見せる上手いテクニックだな。ああいう“誰からも憎まれないキャラ“って、たまにいるけどホント羨ましい。こんなおばちゃんの心も、初日の僅か20分で鷲づかみするんだもん。彼女のひと言ひと言が勉強になるわ。ま、これを続けたところで今さら彼女みたいな魅力的な人になれるわけでもない。でも、せめて彼女の笑顔と健康的な体型、前向きな思考を見習って、健康的な午後の時間を過ごせる私になる! あわよくば、緩みきったこのにっくき体脂肪も燃やしに燃やしてストレス解消して、心身身軽になりたいもんだ。そして今度の健康診断であの酷い数値を自己標準値に戻してみせる!あああ、今日もあの時間が楽しみだ~。★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「今日やっぱ配信LIVE観たかったなぁ(時間的に無理だけど後悔)。」Suchmos、SIRUPより軽めだけど、こっちの方が好み♥
2020.10.29
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このところ夜はグッスリ眠れているのに、昨日は(と言うより今朝)久々に胸がザワつく“イヤな夢”を見た。森に近い木々の茂るあまり光の差し込まない田舎道を、僅かな光を頼りに、独り歩き進んでいる。やっと目の前が開け、表通りに出たと思っても、また同じ場面のような所を彷徨って、一体どこに居るのか全く判らない。どんどん辺りは見えなくなり夜の帳が下りる。やっと見つけた夫婦のおじさんの方に道を聞く私。最寄りの駅を聞くが、そんなものはこの辺りにはないと言う。絶望する私。今思い出したけど、これと似た夢を少し前にも一度見て、やはりイヤな気分になって目が覚めてしまったんだった。あの後、実生活で何も悪いことは起きなかったハズだから“何か悪いこと”が起きるわけではなさそうだけれど・・・今朝もイヤな気分になり、“夢を断ち切る”ために敢えて目を覚まし、トイレに向かい洗面所で「もう続きは見ない」と言い聞かせ、“正気“に戻った上で寝直した。それが効いたのか知らないが、その後は朝までグッスリ眠れたから良かったものの。どうも夢の意味することが気になって、ネットで“夢占い”を色々調べてみた。一つ目の記事の中に、「田舎で迷う夢」について、こんな一文が。「毎日の人間関係や決まった日常に疲れを感じていることの表れ」。人間関係については、今はダンナ以外、ほとんど誰にも会わない状態だし、夫婦仲も良好だから、特に心当たりはない。でも“決まった日常“というのは、ある意味当たってるなぁ。最近、仕事も開店休業状態で、趣味の原稿書きもスランプ気味で思うように進まなくて、“ハリ“のない一日が続いてるからなぁ。この拍子抜けした日々から早く脱出しなければ。またあの夢を見ないで安眠できるように。もう一つの記事には、「知らない場所で迷う夢」は、「自分の無力さを実感し、その先に進めない暗示。原点に立ち返り、一から見直せ」と興味深いアドバイスが。さらに同じ記事の中には、「何度も知らない場所が出てくる夢」を見た場合、「新たな経験をするチャンスに恵まれ、冒険心をもって進める暗示」と書いてある。つまり、私の原点(知識、経験)をもう一度確かめ、それをモトに新しいことを試してみろ、ってことなのか? その“新しい挑戦“に一番近いのが、去年末から趣味で続けてる“投稿“なんだよなぁ、たぶん。それ以外、新しいことと言っても瞑想かリスニング強化くらいだから、投稿が私に今、必要な刺激なんだと捉えることにする。今はまだ、たたき台にネタを集めて方向性となるテーマを探ってる段階なので、この作業を地味に続けていけば、そのうちパン!と弾ける瞬間があって、それを境に自動筆記みたいに原稿書くのが楽しくなってくるんだし。たとえこれが私の収入に繋がらなくても、本気で書いた原稿が編集部の目に留まり、読んでくれた人が評価してくれる。こんなチャンスがあるだけで、私の暮らしに熱や彩りが感じられる。それに気づかせてくれたのだから、あの謎の夢も悪いものではなかったということ。しかし何故、行ったこともない『山口県』だったんだろう?しかも私、道を聞いたおじさんが『山口県』って言ったとたん、頭に『づぼらや』の『河豚(ふぐ)』みたいなのが浮かんでたし。何となく今調べたら、まさかの“大きなふぐの出てくる夢”まであった!(驚)「実物よりはるかに大きなふぐの夢は、運気アップの暗示」だって♪ うん。今夜は良い気分で眠れそうな気がしてきた♨♨(単純) ★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「今流行りの人、生歌がヘタすぎて、聴いてられん。そもそも持ち上げられすぎ。」編集部で独りきりで完徹してた頃、この曲聴きながら締め切り乗り切ってた。※売れまくったアルバム発売直前、取材したのも良き想い出。
2020.10.25
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さぁ、今からご飯♪という間際になり、炊飯器を使ってないことに気づき愕然とした。そんな昨日の夕食は“1杯分“の冷凍ご飯をチン!してふたりで分け合うとゆー、しょぼさ・・・ちゃぶ台ひっくり返すような俺様な夫じゃなくて、助かった(笑)。久々にやってしまった💧このところ“うっかり”は、なかったのに。一昨日から昨日にかけて、“ゆらぎやすいお年頃“ゆえ、自分でもちょっと怖くなるくらい気分がズドーン!と落ちて戸惑ってた。だから、何をするにも“気合い”を入れなきゃ進めなかった。頑張っても上手くいきそうにないことや、ソレをすることでストレスを抱えそうなら全部見ないフリして、“楽しい”と思えることを優先して暮らしてた。でも、まさかそのせいで、毎日“やって当り前”の炊事の手順をスッ飛ばすなんて!!(恥) う~~、軽くショックだ。ま、夕食はおかず多めで美味しかったから◎、ってことで。******昨日の深夜に途中から観て、目が釘付けになった出来事。モデル兼女優のその人は、“達人”の技をあっという間に自分のものにしてしまう。昨日はシャボン玉パフォーマーに直接レクチャーされながら、難易度を上げ次々と技を成功させていった。彼女が成功する度、横に居る達人の顔色が悪くなっていく。だって達人が“1年半がかり“でマスターした難しい技を、番組収録の時間内でケロッとやってのけるから、そりゃ“その道のプロ“も本気で焦るわ。この人、これ迄にもあっという間にマスターした技が沢山あるとか。それにしても、この森川葵って人、スゴい。何がスゴいって、先ず“目力“が強すぎて、もし生で彼女に会ったら、間違いなく私が目をそらしてしまいそうな“熱“を感じる。パッと見は時々、戸田恵梨香に見えなくもないんだけど、この人はなんというかもっと“貪欲”な印象。良くも悪くも好奇心の歯止めが利かないというか・・・何にでも興味を示す子供が、大人の真似して何にでも挑戦して、何が何でも己の欲望を叶えて、しかも大人を負かしてしまうよなenfant terrible感(あくまでも良い意味で)がハンパない。彼女の“成功“には、超ポジティブ思考が影響しているようだ。何か挑戦する時に「私はできる!」と自分に言い聞かせてやると、幾多の達人を唸らせた“成功の秘訣“についてインタビューで語っている。しかもそこには“負けず嫌い“な性格も加わり、良い方に働いている。けど、今日見かけた2017年のインタビューでは、「プライベートは超ネガティブ思考」と自己分析。それを変えるために、当時アシスタントを務めていたTV番組『A-Studio』を通じ、自己改革に励んだそうだ。いくら『A-Studio』で笑福亭鶴瓶やゲストに会い、タメになる話を見聞きしたからと言って、簡単に吸収できるとも限らない。“芸能人“のプライドもあるだろうし、周りの良い点を真似できたり、自分の欠点を改善したりは容易でないと思う。一般人でもなかなか難しいのに、それを素直に自分に取り込めること、自分を変える意識を持って“実践“できる彼女には、初めから“伸びる”素質があったのかもしれない。『A-Studio』のアシスタントを務め終えてからは、何をしてるのか詳しいことは知らない。ただ、やたら“恋”の噂を耳にするから、“気が多い”人なのだと、正直なところ良い印象がなかった。それが昨日の番組を観て、少しだけ考えが変わった。彼女はネガティブな自分を僅か3年で克服し、恋にも仕事で指令の出た達人の技にも“一心不乱“に取り組んで、必ず結果を出すまでに成長した努力家なんだと・・・。まだ25歳か。一番“何もかもできる“心身の柔軟な年頃だなぁ。そう言えば、あまりポジティブではない私も彼女の年齢の頃、そういう“貪欲”さを胸に、物怖じせず前に進み続けていたんだった。失敗も多かったけど欲しかった“夢”も手に入れた。そんな自分も私の中にいたことを、最近はネガティブすぎてどうも“他人事”のように遠く感じてしまうのだけど・・・。彼女のポジティブな思考を見習って、もっと自分を認めて、私なりの前向きな考えに変換していきたい。焦らず慌てず、一歩ずつゆるゆる、ゆるゆる進んでいくだけ。先ずは「美味しいご飯が炊き上がる!」と米に念じて、炊飯器を忘れずセットしよう(苦笑)。★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「青汁飲んでると青虫になった気がする。」とにかくカッコいいふたり。
2020.10.22
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久々に晴れたのに、“もやもや期”再び・・・関ジャムでついこの前、好きなアルバムのこと、熱く語ってたミュージシャンが自ら命を絶った。まだ若く、周りから才能を認められ実績もあって、活動再開後の仕事も順調なのに、てか、この前本当に楽しそうにTV出てたのに・・・・・・ナンで??彼女のこと詳しくは知らないけど、そんな私でも彼女の選んだ道がこれで良いとは思えない。きっと“救えた“命だった。それが、とても哀しい(拝)。毎朝ニュースを観る時間、最近やたら“事故で電車が止まった“との速報が入る。新しい人がこの国の上に立っても、何も変わらない。人人が各地を好き勝手に移動できるようになったからって、コロナ禍は収まる気配もない。“ふつうの暮らし”が奪われて以降、この国はまだ多くの人々が様々な“傷み“を抱えたままだ。“将来ある人達”は声も上げずに、次々この世から去って行く。こんな世の中で、良いわけがない。どうしたらいいのか、私自身も「自分の存在意義は何なのか?」をまた考えてしまい、朝から迷走してるから分かるハズもない。とにかく“無心“になろうと、家のあちこちを磨いてみた。これは独身時代から遣ってるから、そこそこ効目はあるのだけど、今日はピカピカになると嬉しいのは嬉しいけど、心は晴れない。だからYouTubeで人気というアイドル顔のエクササイズ系お姉さんに付いて、体を思いっきり動かしてみた。汗をかいた後の程良い疲労感と筋肉痛は、悪くないけど、まだ足りない。夕方になり更に気持ちが落ちてきた。こういう時は、コレに限る。YouTubeで今度は“瞑想“のインストラクターの簡単そうな動画をピックアップ。1本目のお兄さんのはイマイチ。さっさと中断、もっと楽になりそうなものを!初心者向けのを遣ってるお姉さんに辿り着く。半信半疑で、彼女に言われるがまま瞑想。10分間、“全集中“(今流行りの)して深呼吸を繰り返すうち、さっきまでのモヤモヤが、スッキリと消えてくれた。今はクラシック音楽に癒やされ中。うん、なんか少し元気でた。夕飯作るぞ!(でも手抜き)★ ★ ★ ★ ★今日のやや長めのひとこと。「新しいビニールハウス買った時より、成長しすぎ。幸福の木、無理矢理入れたら、頭の葉っぱパツパツやん💦」猫は振り向かない(^_^;)
2020.10.20
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「英語から逃げた分岐点に戻って、もう一つの人生も回収したい」芸歴28年の光浦靖子さんのエッセイ『49歳になりまして』(文藝春秋11月号掲載)がSNSやTVで話題に。私もタイトルに惹かれ、彼女のことを(ファンというわけではない)好感持っているので、エッセイを読んだ。今年4月からカナダ留学のため仕事も家も整理し、入学金まで支払ったのに、コロナ禍に巻き込まれてしまったらしい。彼女がなぜ今、留学しようとしていたのか。その理由は昨今の芸能人の“留学“ブームの中で一番説得力があり、彼女の話す不安や迷い、決断そのどれもがアラフィーの私にも“思い当たる“ことばかりで、とても興味深い内容だった。端から見れば、周りに気を遣いながらも素の魅力を力まず出してて、荒んだ芸能界の中で数少ない“人の良さ“の滲み出た芸能人のひとりだと思う。手が器用で、頭の回転が速く、情に脆く、品の良い話し方の温かなトークも魅力的だ。それなのに、子供の頃から「みんなができるのに自分はなぜできないんだろう?」と思い悩んでいたそうだ。その気持ち、私も解るとこがある。私も子供の頃から今も変わらず、自分が何を遣っても“中途半端“な人間だ、と感じてしまう。子供の頃は、親の過大な期待のもと、様々な習い事や勉強をする機会に恵まれた。裕福な家庭環境じゃないそんな中で、親が苦労してチャンスを与えてくれたのに、大した能力にはならなかった。先生に才能を認められた習い事もあったけど、“その道“に進む覚悟もなく、開いたかもしれない道を早々と断った。もしあの時、先生の弟子につく道を選んでいたら、私はあの仕事で成功して、自信をつけられたのだろうか?たらればの話をしても無駄なだけだが、今はそのキャリアさえアヤシいくらい身につけた力が落ちてるから、どのみち大成はしていないだろう。私なんかに比べると、光浦さんの“才能“はやはり“芸能人“になるべくしてなった人だと思えるものだ。それでも芸能界には、たとえばお笑いの分野だけ見ても、世の中の求めるものにフィットする若手が次々出てくるから、彼女が危機感を持つのも無理はない。しかし彼女は今の自分を「不思議と心は穏やか」と話す。それが、何よりスゴいと思った。でもこれも“アラフィーならでは”なのかも。なぜって、私もこの歳になってからずっと“そんな考え方“をしてるから。そう、私がもしも30代でコロナ禍を経験してたら、もっと自分のこの先のヴィジョンが見えずに不安で、今頃焦りまくってたんじゃないかな。でも、この歳にもなると、これまで“自信”なく生きてきたとしても、自分なりに頑張って積み重ねてきたものはあるから、これ以上、ムキになって頑張る必要はないって考えちゃう。無駄な労力を使いたくないというか、経験値のお蔭で、どうすればどうなるかの予測ができるからかな。周りの顔色見ながら、人と競り合って“汗をかいて”必死感丸出しで何かをもぎ取る生き方は、卒業してもいい年頃なのだ。ただし、何もかもを諦めるわけではない。これまでの経験を糧に、己のスピードで、今の自分が目指す理想に近づけるように、できるだけ自然体で流れに乗って、“挑み“続ける。それが、私達中年の心地好い生き方なんじゃないのかと、彼女の文章を読みながら考えた。「“逃げ”と“新しい挑戦”の線引きなんて曖昧なもんだ。これは“挑戦“だ。」と自ら言い聞かせ、「(遣りたくて逃げてきたこと)広く浅く全部に手を出そう。今から全部叶えよう。」「もう考え方を変えられるほど柔軟じゃない。だったら、ひん曲がったなりにナチュラルに生きてみよう。」(※光浦 靖子/文藝春秋 11月号より拝借)自分の弱い部分を言葉にして、赤裸々に綴ったこのエッセイ。『自己肯定感』が低い印象なのに、全く嫌味なく、読み手を暗い気持ちにもさせない。この潔い開き直りは、彼女が決して下を向かず、むしろ、今とこれからをとても“前向き”に見据えているからこそ。光浦さんには、自由に世界を行き来できる時期になったら、ぜひとも“分岐点”に戻って、もうひとつの人生回収してきてほしい。彼女から引き出される新たな力を、楽しみに待ちたい。私も元気もらった。彼女のように私も、ひん曲がったままナチュラルに生きていこう。私の人生の未回収事項。今思い付くのは、10代の頃逃げまくった“ピアノ”と、もう一度向き合いたい。藤井風のピアノに魅せられてるうち、ピアノ弾きたい熱がこのところ急上昇中。それと書道も英語も・・・って、コレ全部、子供の頃の習い事やん。結局、私は“あの頃”全部が“中途半端”だった時代から遣り直さねばいけないらしい。あの頃に伸びなかったものが、今さら伸びるとは思えないけど・・・別の“楽しみ方”が見つかるかもしれない。何より、ボケ予防になるのは間違いないな♪★ ★ ★ ★ ★今日の長いひとことふたことみこと。「姑の供養にと頂いた花籠。その飾りの葉っぱが2ヶ月生き続けてる!しかも根が出て青い芽も!! これから鉢に植え替えてみる♪ 恐らくヒポエステス。花言葉は“すべての人々への優しさ”、“美の秘密”♥」
2020.10.16
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履歴書に性別欄があることに疑問を持った人達の運動『#なんであるの』。そこから派生した『就職活動等の履歴書から写真欄をなくして』という署名活動がTVで取り上げられていた。“見た目“に特徴的な症状をもつ人達、それを支援する人達が中心となり、ネット署名の輪が広がっている。約二週間で1万2千人もの賛同が得られているのなら、この先、世の中を変える力になり得るのかもしれない。「選考に顔写真は必要か?」「書類審査で落とされ、面接にすら辿り着けない」そんな理不尽な就活に悩まされている経験者の声は、なかなか興味深い。TVで知った実際の採用側のアンケートでは、写真の印象が影響するという答えが63%も占めていると分かり、外見の影響が思った以上に大きいことに驚いた。でもこれも職業別に見てみないと。例えば接客業等、人と接する機会が多い仕事なら、第一印象は大事。履歴書の段階で人に与える感じや清潔感等をチェックするために、写真の印象は参考材料になりそうだ。しかし、単に63%という結果を見せられただけでは、「人は見た目が大事」と採用側が本気で思ってるかどうか判断しづらい。採用に関わる立場であるというロバート・キャンベル氏は、大量の履歴書を「平均7.4秒で読まなければならない」と話す。となると、やはり写真もあった方が助かるのかもしれないが、アイドルオーディションじゃないんだし。書かれた部分の何かしらが光ってるから、僅かな時間の中でも評価される人はされるのだと思う。ちなみに日本で“履歴書”(JIS規格標準用紙)に写真を貼る位置が入るようになったのは、1963年とさっきTVで。昭和38年から令和の時代まで“当り前”にそこにあった写真欄ではあるが、何故写真が必要なのだ?という疑問や不満を持った人は、どの時代にもいただろう。でも、それを受け容れるしかなかった。それが日本の“標準“だから(あと本人証明の意味もあるかな?)。でも今、SNS等で自分の意見を誰もが手軽に発信し、ムーブメントを起こせる時代になり、世の中に“もの申す”想いの強い人がいさえすれば、こうして表立った活動に結びつく。こんな日本でもだいぶ風通しは良くなった方だ。海外の履歴書には写真添付はなく、その代わりにTVで紹介された米国の履歴書には、経歴やいかに何ができるかというアピール欄が大きく設けられていた。様々な差別問題を抱える一方、実力さえ確かならば誰もが認めるという国ならではの履歴書。これ以外にも国によっては写真の提出を禁止する法律まである。そんな世の中の動きに影響されてか、日本でも外資系などが率先し、独自の“履歴書”で審査する企業も。ユニリーバ・ジャパンは、2020年のあらゆる採用から、性別に関する項目や顔写真の提出を排除すると発表。書類審査で“能力重要視“した採用を行うため、履歴書には性別欄もなく、名前も苗字のみ、内定が決まるまで下の名前等の確認をしないという徹底ぶり。“公正な採用選考“を企業側が柔軟かつ積極的に行うようになれば、『#なんであるの』に賛同する人達や身体的面を理由に不快な想いをしてきた人達の願いが叶い、活躍しやすい世の中になっていくだろう。******私も初めの転職活動の際、関東圏内の大小企業に100枚以上の履歴書をばらまいたので、所謂“お祈りメール”(当時は封書)を山ほど受け取った経験がある。“不採用”理由が審査後に教えてもらえるわけではないから、書類が戻ってくる度に「自分の何がいけないのか?」と、自信がどんどんなくなり“人間不信“になりかけた。その上で言わせてもらえば、書類選考する側も実際は“写真だけ“で落としてるわけではないだろう。私は初め何故自分が落とされるのかと悩み苦しんだけど、途中から自分のダメな部分が判るようになった。それからは、写真の写り方ひとつ取っても、印象良くなる努力をしたし履歴書の文面も工夫したし、悪い所を分析しては直ぐに改めることをしてきた。向こうも人事のプロだし、写真の顔を見て何かしら感情を抱いたとしても、それだけで全てを決めるとは言い切れない。私は人事に関わったことはないが、仕事であらゆるタイプの人と接する時間が長かった。その経験から、外見には人柄や素養が滲み出ると思ってる。美醜がどうのではなく人間性は表情に出る。また、活字を通して人間を見てきた分、人の書く文字や文章のクセにも書き手の人格が透けて見える。だから、採用する側の人達も用紙に示された全体を瞬時に見て、その職場にふさわしい力がある人を次の段階に呼ぶんだろうし、職場に必要な人材でなきゃ、そこでお終いという妥当な判断をしているのだと信じたい。あの頃私の一番入りたかった企業には、当時からオリジナルの履歴書があった。高校以降の“学歴不問“で学校名を書く欄がなかった。会社説明会も面接も服装指定はなく、むしろ“自由にアピールしてください“的な空気さえ感じられ、異色だった。それでもちゃんと手書きだったな。今思えば、あの用紙に好きに書き込んでみても受け容れてくれる社風だったかもしれない。真面目に書いて損した(これでも役員面談の直前まで行けたけど)。『就職活動等の履歴書から写真欄をなくして』に関するSNSのコメントには、「それより手書きがイヤ。時代遅れ」というさらなる不満を口にする声も多数ある。確かに時代遅れで、時間の無駄に感じる作業だ。今時、紙を使うのもエコじゃないし、手書きで記入なんか馬鹿馬鹿しい。そういう意見も、あって当然とは思う。言いたいことは充分解る。けど、“読書感想文不要論”(過去ブログ)でも書いたが、履歴書一枚に集中して書く、その行為自体が無意味なようで実は仕事をする上で大いに役立つのである。手書きがイヤと言う人は「自分のプロフィールをPCでまとめて見せればいいじゃん」と考えてるのかな。それはそれでPCのスキルが判って良いが、手書きで書類をまとめる作業、そのものが仕事に重要なわけだ。いくらこの世のデジタル化が進んでも、就職先でもそれ以外でも手書きで作業する場面が、なくなりはしない。デメリットばかりを見ていないで、“遣ること”で得られるメリットにも目を向けなければ“社会人”として働く以前の問題だ。“組織”に属し仕事を与えられる立場になるということは、組織の放つ色に染まらなければいけない。たった一枚の手書き如きでケチをつけるくらいなら、集団で同じ方向を見て進む企業体質なんか窮屈で耐えられない人、という印象で心配になる。というわけで、ものは考えよう。第一次の履歴書で不採用になり、その原因が自分の写真にあると(※本当の理由は教えてくれないから分からないけど)感じたとしても。「外見で選ぶような企業は、私に合わない」と吹っ切れば、少しは腹も立たなくなるのでは? 就職活動を長年続けてみて思うのは、就職活動は“婚活”や“友達作り”と、わりと似ているということだ。相手もこっちのことを“品定め“するけど、こっちも相手を吟味するチャンスでもある。就職も“婚活”や“友達作り”で自分が本能で己に合う人を見分けるように、シンプルに考えてみればいい。写真添付にしろ手書き指定にしろ、志望する企業側が示す条件に“納得できない“時点で、自分はこの企業のカラーに“既に合わない“のだという見方もできる。そんな志望先はこっちからも斬り捨て、自分に合う職場を求めてひたすら前に進むしかない。実際、私もそうやって前進し続けた。言い表せない地獄を見たけど、自分を信じて諦めずに時間をかけて歩いていけば、本当に“自分に合う場所”に辿り着けた。それでも古い時代の規則や可笑しな社風に、首傾げながらも(社員だから)従うことを避けられなかったけどね!(それも今は良き想い出)★ ★ ★ ★ ★今日のやや長めのひとこと。「横浜横須賀の連続異臭騒動。過去の震災前に異臭感じた人に嗅いでもらって、同じかどうかを聞いてみたい。」よく観るとR指定。おこちゃまは観ちゃダメ!
2020.10.13
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希代のヒットメーカー、筒美京平(作曲家)氏が死去していたというニュース。病気療養中の誤嚥性肺炎で80歳で亡くなったそうだ。音楽関係者はものすごく早死にかボケずに長生きか極端な印象だが、彼は長年多忙に働いていただろうから“長生き”した、ということではないのかなぁ。ついこの前、松本隆氏の特番とか売野雅勇氏のインタビューとかTVで観て、昭和以降の音楽制作の裏側を色々知れた上に、テクニックやセンスに感嘆したばかり。彼等に匹敵する活躍の筒美氏だから、きっとまた特番等で振り返る機会もあるだろう。私が九州に暮らした高校卒業迄。家に居て最新の“音楽”に触れるには、当時はTVやラジオの歌番組くらいしかなく。そのほとんどは、所謂“歌謡曲”だったから、当時のヒットメーカーの名前は、知らず知らずに脳みそに刷り込まれていた。今振り返れば結構ジャンル問わず多岐に渡り楽曲提供をしていた1人が、筒美さんで。人見知りであまり表に出ることがない人らしく、今、画像を見ても「ああ、この人か」と何となく見たことある程度の印象しかない。他の作詞家や作曲家はなかなか派手な人が多かったから、彼等と比べれば、メディアに滅多に出ない“職人気質“な“縁の下の力持ち“的作家と言えるだろう。訃報に添えて紹介される歌はどれも大ヒット曲ばかり。彼の手掛けた作品リストも見てみたが、その歌手のファンでなくても今でも口ずさめるものが並んでいる。耳障りいいメロディラインに、キャッチーなサビ。現代の音楽シーンのように、複雑に音を重ねたり楽器に色を添えなくても、シンプルに直球で(でも華やかさもあって)イイモノを産み出すことができた作り手だったと思う。私の選んだ“本日聴きたい筒美京平”作曲品ベスト3を紹介しつつ、ご冥福をお祈りいたします(拝)。3位 PIZZICATO FIVE 「恋のルール・新しいルール」2位 鈴木蘭々「なんで なんで ナンデ?」1位 は・・・・・・動画で👇 ★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「まるいの、長細いの、足下どんぐりだらけ。」
2020.10.12
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昨日そこそこな時間をかけて或る事について書き上げたのに、公開ボタンを押したら、ログインからやり直しになって文章が全部消えたから、書き直す気も失せた。政治がらみのネタだったから、“触れちゃダメ!”って活字の神様に叱られた気分。前にも気合い入れて書いた長文が、何度かブログに投稿しようとしてできなかったり、消えたりしたことはある。偶然もあまりに重なると、このテの公開ブログでは書いちゃダメな何かしらの基準があって、“何かの力“が働いてるのかしら?と疑ってしまう。実際はそんなことは全くなくて、私の方の操作ミスだと思うが。だから、そういう時はムキにならず「これは書かない方がいいのね」と、潔く諦めることにしている。そもそもこんな駄文誰も読まないし。ブログに書くことで、自分の中に溜まった“日々の感情“を吐き出せればそれでいいのだし。******ガラケーを使い続けていたダンナが、遂に“スマホデビュー“した。職場でどうしても必要だからと、持たざるを得ない状況になり。思いっきり文系な中年夫婦、アナログ人間である。最新機種とか家電モノにめっちゃ弱い。なんなら昭和や平成に戻りたい。こんなだから、私自身もガラケーからスマホにしなきゃならなくなった時、だいぶイヤだった。だからダンナが嫌がる気持ちがよく解る。私の時も私の機種の一部が機能しなくなるとか急かされて、しぶしぶ。ダンナの場合も同じ感じで、機種の機能があと少しで使えないとかなんとかだいぶ前からせっつかれていた。そして遂にスマホを手にする時を迎えたのだが。担当(やんわりとだが)はダンナの手続きがある程度進むと、今度は私のスマホのことを話し始めた。「もうだいぶ古いですが、何故換えないのですか? 何か問題があるんですか?」と。最近、自宅のPCも企業側の都合で使えなくなり、長年大事に使ってきたPCから最新の機種に換えたばかり。あの時も“向こうの都合”で無理矢理新しい物を買わされて、納得いかなかった。なのに今度は、スマホまで“向こうの都合”で換えろと迫られる。私のスマホ利用なんか、今この世でスマホを使いこなしてる人達の足下にも及ばない。使ってる第一号スマホは、もう5年くらいになるらしいが、使い方に慣れたとは言えガラケーで充分なレベルの使い方しかしてない。壊れるまで使わない機能だってあるはず。それに荒っぽい使い方はしないので、まだ調子はいい。それなのに、“もう5年も”とか“かなり古い”とか、大きなお世話だ!モチロン、お店の人の立場や言いたいことも解ってはいる。けれど、こんな高価なモノを他人にもう買い換えた方がいいとか、指示されたくない。それじゃ結局この先、古い機種のスマホ使ってる私が困ることになるんだろうけど。でも他の人みたいに“スマホ依存”じゃないから、万一故障とかしても、そんなに焦らない気がする。大したデータも入ってないし。こうなったら意地でも長く使ってやる!! そして次のを買いに行く時、「こんなに長持ちしたのか」と担当を驚かせてやる!!そんなことをダンナのスマホ購入の日に思ってしまった。みんな何年くらいで買い換えるんだろう?(エコじゃないよね↷) ★ ★ ★ ★ ★今日のやや長めのひとこと。「イニシャルトークの解らなかった人に今日気づいたけど、肝心な元ネタを忘れ、何で話題になってる人かまた思い出さなきゃいけないという忘却のループ💧」強炭酸水飲んだ気分🌊になれる🍺
2020.10.07
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今年は5月あたりからずっと“姑事“に振り回されて、気持ちに余裕がなかった、特に彼女が亡くなった7月から更に渦巻きは大きく成長し、その猛スピードの流れに絡み取られるように、時には沈みながら今日に辿り着いた。もの凄く気も遣うし頭も体もフルに回転状態で、必死に前に進んできたから、姑事以外の記憶がほとんどない。夏って、今年、あったのかな?彼女の一連の行事を全部こなして、先月やっと“普通“の生活を手に入れたけれど・・・ここ最近、あの時以上に一週間が経つスピードが、ほ―――――――んと速い。この前この番組観たのに、また?!って突っ込み入れたいくらい、気づけば週末に同じ時間のTV番組を観ている。いつの間にか夏の朝の匂いは消え、代わりに濃厚な金木犀がどこからともなく香りを漂わす。秋になってしまった。この匂いを嗅ぐってことは、間違いなく季節がまたひとつ進んだということだ。どおりで私のメンタルも、アップダウン激しいわけだ。年齢的にホルモンの乱れがあるからだろう。気持ちの浮き沈みが、私にしては珍しく激しくなっている気がする。婦人病の投薬治療時期、副作用で似たような精神状態に何度かなったことがあるので、“予行演習“はバッチリ。あの時よりずっと“穏やか“な方だが、それでも急に胸がザワザワしたり、叫んでスッキリしたいような衝動に駆られたり(カラオケ行きたい)・・・結構ギリギリのとこで踏ん張ってる状態なのかも(ヤバいな私)と思ったり。数少なくなった友達に、長々とメールでボヤキたいとこだが彼女達もそれぞれに問題を抱えてるから、私の重い話をわざわざ聞かせるのも悪いような気がして、堪えている。 そんなこんなで。一日一日が自分との孤独な闘い。あれもこれもと立て続けに問題やすべき事が迫ると、急に“後ろ向き”で“陰気“な自分が頭を擡げる。できれば逃げてしまいたい。でも動かなきゃ、何も解決しない。だから欲張らず、優先順位を決めてひとつひとつ進めることにした。若い頃は何をするにしても「精神一到何事か成らざらん」を自身に言い聞かせ、踏ん張ってきたけど。中年になってからはずっと「なんとかなる」が私のモットー。ひとつ山と向き合う度に、大きく深呼吸してバタつく心と混乱する頭を鎮め、その言葉を今はお守りにして呪文のように繰り返す。ひとつ終わって、またひとつ問題が起きて、なかなか思うように事は進まない。それでも、いくらかは楽になるから、焦らず求めすぎず、凸凹は削ぎ落としできるだけシンプルに考えて。そんな風に今の自分の“精一杯“を程良い加減で続けてくだけ。あまりに完璧に何事もするクセをつけてしまうと、ある日プツリと糸が切れて、生真面目すぎたあの人達のように自分を追い込むことになるから。“息継ぎ”できる水面と己を“許す“勇気を失わないよう、“弱い自分”も受け容れていけばいい。買い物の帰り道。小川を眺めスマホを構える女性がひとり。と思ったら、私の頭上を白くて細い線の美しい生き物が音もなく羽を大きく広げ、優雅に飛んだ。“神の使い“とも言われる鷺。しかも真っ白な鷺が飛ぶのを見るのは、“大きな幸運に恵まれる“前兆♪だとか。リラックス効果のある金木犀の漂う中で、目にも鮮やかに飛翔する白鷺。“贅沢な小休止“に、少しだけ気分が軽くなった。でも週末、街灯の少ない夜道を歩いてて、わんこのう○こをお気に入りのスニーカーで踏んでるし💧(九州の田舎に居た小学生以来や!最近飼い主のマナーがなってないぞ!!(嘆)吉と出るか凶と出るか? 最近の出来事を思い浮かべながら今日は、神社で久しぶりにお参りなんぞ。そう言えば、“神様“はみんな今、出雲に出かけてるんだっけ?留守中のお社かもだけど、“悪いうん気“を祓ってもらい、なんとなく好い気分に。明日からまた腐らないで楽しいことだけ考えて、ひとつひとつ一歩一歩、踏みしめて(でも💩は踏まずに)歩いて行こう。★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「KENZOさんまでコロナで・・・なんてことだ!」詞が秀逸すぎて深い。ほんとに好き。
2020.10.05
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今日は一日、家に居ると決めたので、後回しにしてる家の中の細々したことを、思い付いた順にしてみることに。で。午前中、キッチンの棚の中、隅っこに隠すように置いてあった“ブレンダー“を出してみた。家で“バナナジュース“が飲みたくて、5年前に買った(らしい/忘れてた💧)もの。2012年頃から日本は“スムージーブーム“が到来してて、私がブレンダーを探している頃にもまだ、ネットショップや実店舗、中には家電関係ない店でも結構な種類を取り扱っていた。実は新婚時代にミキサーを持っていたので、その時もバナナジュースをよく作り飲んでいたのだが。当時私が買った安物ミキサーは、ガラス製の器の部分がとっても重く、素材をカットするカッターの周辺を洗うのもなかなか大変で。いつの間にかキッチン棚の“肥やし“に。それでもいつか使うんじゃないかと、捨てずに今の家の引っ越しで連れてきたものの・・・何年も眠らせたまま処分した。なのに、またブレンダーを買ってしまうとは。ミキサーよりコンパクトだから使い勝手もいいだろうと思ったのだ。確かに、ミキサーみたいに場所も取らず、あっという間にジュースになるから、なかなか好い買い物をして満足だった。そもそも何故バナナジュースなのかと言うと。子供の頃、母がミキサーでよく作ってくれた、私にとっては“想い出の味“のひとつなのだ。だから無性に飲みたくなる時がある。それをこのブレンダーで手軽に自分で作れれば、気持ちの上でもなんとなく郷愁に浸り、“癒やし“になる気がしたのだ。けれど、喜んでスムージーを作りまくったのは、買って1年くらい。どうやら2018年には世の中的に“第二次スムージーブーム“がやって来たようだが、そのことにも特に影響を受けることもなく。スムージーは飲みたい時に、買って飲むのが当り前になっていた。自分で作るのも楽しい。ただ、器用でも家庭的でもない私には、丁寧な暮らしとかマメな主婦業が何しろ向いてない。キッチン家電の掃除は、かなり手を抜きたい。だから、手頃なブレンダーさえも手に負えない。それでもヘンなとこで神経質なので、衛生面はきっちり保ちたい。となると、パーツパーツの細々した洗浄や後片付け、これが全部面倒で負担に感じてしまう(恥)。そんなわけで、ブレンダーも買ったのに遂に出番がなくなって、ミキサーの末路と同じことになりかけていた。でも今日は覚悟を決め、朝からブレンダーを引っ張り出しパーツを取り外し、ちまちま掃除してみた。思ったより早く綺麗になったので、早速使ってみた。今日の材料は、完熟バナナと“深煎りきなこ黒蜜入り豆乳“のみ。その時々の気分で何でも入れてみたら、きっとそれなりに美味しいはず(ほぼ素材頼み)。あまりに久しぶりで、作る前はちょっとバタついてしまったけれど・・・うっま!! 激うま!!! これはハマるわ♪見事にひとくちで“恋“に落ちた(苦笑)。とりあえず今週末、ダンナに作ってみて感想を聞こう。これから我家の“スムージーブーム”が、またしばらく続くことになるだろう。そして、この熱がいつまで続くかは、私の“気分”次第“♪けど。ホントは街中にある専門店のスタンドバーで、季節のフルーツで作ったスムージーを、その時の気分で注文して、“立ち飲み”するのが一番うまい♥んだよなぁ。(うちのブレンダーにあやまれ!)🎵たまに聴きたくなる🎧💐
2020.10.01
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