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かつて『ものまね四天王』の1人として一世を風靡したコロッケが、『ものまねグランプリ』を卒業。若手に“枠を譲る”ということだが、62歳という年齢を考えると『令和の時代に合ったものまね』が難しくなったってことなんだろう。私の時代の『ものまね』芸人と言えばコロッケの名は欠かせない。特別な感情はないが、昭和から令和までの時代を『ものまねエンターテインメントの先駆者』として走り続けてきた彼に、拍手を送りたい。コロッケの記事を読んでいて真っ先に思い浮かんだのは、千昌夫のでっかいホクロだ。コロッケが千昌夫を演じるとき、おでこの真ん中に巨大なホクロをペタッと貼り付けるのがお決まりなのだ。デフォルメ型の形態・声帯模写がウリのコロッケは、数え切れないくらいユニークなネタを持つ。その中で今私の目の前にふと現われたのが、例のホクロの千昌夫(顔芸)である。若い人達には「それ誰?」状態かもな。コロッケの千昌夫をたとえ観たことがあっても、本人を知らない???な世代の方が多くなったかもしれない。私でさえ子供の頃にTVで観た『歌う不動産王』のイメージしかない。余談だが彼の設立したスタジオで、アーティストの表紙周りの撮影をしたことがある。その立派なスタジオが借金返済の為に売却されたのを、さっき知った。彼について調べてみたら、画像見て驚いた。私の記憶にある顔と何かが違う! 新しめの画像には、額のホクロがない!ある記事によると「開運のため」にとホクロを除去したようだ。しかもホクロなしになってから、20年以上も経ってる!!オリジナルが変わったんなら、あの顔芸が封印されても仕方ない。******ところで。ホクロを取ると『運が開ける』んだろうか? 千昌夫の場合、若い頃にはなかったホクロができてから芸能界で運気が上昇したらしい。その後、激動の人生の中でホクロを除去したものの・・・現在が満足いくものになったのかは判らない。実は亡き父の額にも、彼とほぼ同じ位置に所謂『大仏ぼくろ』があった。周りには「縁起が良いから取るな」と言われまくってて、本人も気に入ってはいたよう。観音像のような父の顔にあるソレが、私にはウルトラマンに見えて好きだった。しかし、父は若い頃から波瀾万丈だった。あのホクロのせいとは言えないけど、もしも取っていたら・・・父の人生はもっと穏やかで“生きやすく”なっていたのかも・・・と。くだらないけど、そんなことを今ちょっとだけ考えてしまった。******最近時々顎のホクロの真ん中から、1本だけ毛が生えてくる。手に僅かに当たるのがイヤで、たまに毛抜きで取っていた。そしたら先日、いきなり化膿💧 痛みと腫れに驚いて、皮膚科に駆け込んだ。子供の頃どうだかは覚えていないが、気づいたときには顎に当り前に在った小さなホクロ。それが加齢と共に育ってる気がして引っ掛かっていた。そのホクロが痛い。「症状が落ち着いたら手術で取った方が良い」と先生。病理検査すれば安心できるという理由から。以前に一度レーザー手術で首の付け根に育ったイボを取ったが、今度は顔にメスを入れることになる。「そんなに難しくないですよ。治りも早く傷跡も綺麗になります」と気楽に先生は言う。でも、ああそうですか♪とは軽く返せない。これからどんどんシワシワになるし、誰に見せる顔でもない。痛みにもかなり我慢強い。悪性の腫瘍じゃないかも調べられる。だから迷わず手術を受けるべきなのは、頭じゃ解ってるんだが・・・ホクロの除去手術によって、その後の暮らしがなんだか変わってしまうのではないかという“謎の不安”が、私の中に少しでもあるうちは踏み切れそうにない。今はひたすら軟膏塗って、患部が元通りになるのを祈るのみ。傷が治る頃には考えが前向きになっているだろう。その時はドンと構えて手術して、この悩ましいホクロとさよならしたい。★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「朝ご飯、毎日何食べてる?」生でどこまで実演できるか観て聴いてみたい!
2022.10.27
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真っ赤な『紅玉』を毎日のように囓っている。最近じゃ糖度の高い甘~い果物の方が人気のようにも感じるが・・・ダンナはコレが好きなのだ。子供の頃から彼の家では「りんごと言えば紅玉」ってくらいに、この品種が彼の“美味しいりんご”の基準になっている。確かに美味しいけど酸っぱい。“お菓子向き”というのも頷ける。それはさておき。スーパーのレジに並んだら、前のおじさんのリュックに“赤い可愛いストラップ”がぶら下がっていた。最近話題の『ヘルプマーク』(本物)だ。ほんの数分程度の後ろからの印象で外見だけでは判らないが、その人が“援助や配慮を必要とする”んだってのを理解した。ちょうど視界に入る位置に付いていたので、気づきやすくて効果的。電車内でも時々『マタニティマーク』を見かける。それを見たら、自分の中に自然と“いたわり”の気持ちが湧いてくる。たとえ直接手助けする機会がないとしても、その印の普及によって周りの空気が温かくなっていけば、もっと暮らしやすい社会になるだろう。そう信じたい。******人気歌手のリミックスアルバム限定盤が販売延期になった。購入特典グッズの中に、『ヘルプマーク』に酷似したストラップがあり、デザインに問題があるというのがその理由。デザインを“改訂”する方向で延期を発表したのは良かった。しかし、その決断を下すまでの時間が、意外にもかかりすぎた。編集者時代、レコード会社から届いたサンプル盤(リリース前に宣材として貰う非売品)が直ぐに“回収”されたことがある。初回限定盤のジャケットデザインの違反を指摘され、急遽デザインを変更することが決まったのだ。私が手にして数時間で販売元に戻っていった。とても待ち望んでいた新作だったから、封を切る間もなく回収された衝撃は忘れられない。今回のレコード会社とは別の会社だけど、あの決断はものすごく早く、鮮やかだった。今回はマズい。話題になってから10日くらいは決断が遅れた。今作のリミックスに協力したミュージシャンが大勢いたし、リリース日も来月に迫っているしで、このまま販売決行したい気持ちもあったのかもな。思えば新型コロナが広がり始めた頃、次々とミュージシャンがLIVEを諦める流れの中、全国ツアーを決行し世間をざわつかせた当事者でもあった。あの時は決断の末に“ファンやスタッフの協力で無事にツアーが終わった”のだとしても。今回のは、ヘタすれば恒久的に多くの人に“迷惑”をかけることになる。幅広い年代にファンがいる人だけに、初回盤枚数分の『ニセヘルプマーク』を付けた人達が街中を歩くことで招く混乱は、大きいと思われる。現に『ヘルプマーク』利用者や東京都からアルバムの販売中止を望む声が次々と上がった。もしも制作側に『校閲校正者』のようなチェック機能があれば、グッズアイデアが出た段階で即NGになったはず。誰かが疑問視して即座にデザイン変更していれば、時間も経費も抑えられ、アーティストイメージにも“傷がつく”ことはなかったのに。その人の生み出す独特な世界観や作品には、興味深いモノが確かにある。いささか挑発的な歌詞も、ミュージシャンとしての“個性”としては充分に魅力的。だからと言って音楽作品以外の事で“何かと世の中を刺激“してしまうのは、実にもったいない。細部にまでこだわるあの人のことだから、おそらくグッズひとつにも本人の意見が反映されているだろう。“ギリギリ“の面白さを狙ったのかもしれないが、今回は完全にアウトだ。本人はこの騒動について、今何を思っているのだろうか?大昔、メジャーデビューする直前だったか。プロモーションの一環で本人がレコード会社スタッフに連れられ、私の会社に挨拶に来た。音楽的にもキャラクター的にも、まだ全然“仕上がって”なかったから・・・まさかこんなに“別人”に成って、これほど酸味が利いた大物アーティスト扱いになるとは・・・当時は全く想像できなかったけどなぁ。★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「回復を祈る!」好きな歌を好きな人達がカバー♪
2022.10.19
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TVで見かけたスポーツ選手のことがちょっと気になって、ネットで調べようと苗字を入れたら・・・“検索キーワード候補”上位に、見覚えあるフルネームが!漢字まで全部同じだったので、「まさかな・・・」と思いつつも軽い気持ちで名前をポチッと押した。すると、知らない社名の会社紹介記事に“知ってる”顔が!!“あの頃”よりだいぶシュッとして痩せたようだが、この人は間違いない。インタビュー記事に添えられたプロフィールに、“彼と私”が在籍していたあの会社の名前もある。ビックリだが、元職場の後輩が“ベンチャー企業の社長”になってる!! しかも起業して既に5年以上経ってるではないか。彼のプロフィールを見てて気づいた。そうか、彼と音信不通になったのは、この仕事に繋がるひとつ前の転職の頃だったんだな・・・。私が雑誌編集者を辞めるまでの最後の3年間。同じ所属でほぼ“相棒”状態で仕事をしてた。私がその部署に異動して間もない頃、彼は中途入社してきた。どうやら社長と親が知り合いとかで、“縁故入社”の噂がたちまち広まった。そんなだったから、社内の“味方”はほぼいなかったようだ。それでも若くてガッツのある彼は、ブラック企業なあの組織のイチ歯車となり、クライアントの無茶ぶりにも常に笑顔で応えながら地道に“広告営業マン”としての力をつけていた。私が会社を去るときには、自ら“送別会”を企画してくれ、私と関わりのある社員やアルバイト達を大勢集め、私の好みを抑えた素敵な贈り物まで用意してくれていた。在職中の私は相当“アグレッシブ”だったから、社内外で恐れられてて。だから周りにそんなに好かれてはいなかっただろうけど、忙しいのに彼が苦労して皆に頭下げてくれたお蔭で、私は皆にお礼とお詫びを直接言う機会を持てて心残りなく退職できた。退職後暫くして、彼もあの会社を辞めて、時には相談にも乗った。新しい職場主催のアトラクションに、夫婦で招待されたこともあった。それっきり彼に会ってない。でも連絡は来たし、毎年年賀状を遣り取りして、近況を伝え合っていた。しかし、ある年から止まってしまった。その理由を、今頃こんな形で知ることになるとはね。私も彼もあの業界を離れた身。だから、この先互いが仕事で関わることは決してないだろう。彼の記事には、あの当時が一番ツラかったようなことが話されていた。そしてそれが「力になった」とも。彼は私を含む過去との縁を切って、新たな業界での人生を謳歌してるってことなんだろう。それにしても見違えるほど“立派”で小綺麗になったなぁ。入りたての頃の彼を今でもよく覚えてて、退職した後の苦労も少しだけ見てきた私には、“軒先で保護した雛”が“勇ましい鷹“に生まれ変わったかのようにすっごく眩しいよ。彼はもう私の事など忘れたかもしれないけど。一番ツラかった時代の“元同僚”として、高みを目指して挑み続ける今の姿が見られて嬉しいし、ちょっと誇らしい。なのに、自分はどうだ?彼が次々と挑戦をして、大きく飛躍しているちょうどその頃。振り返れば私は介護や闘病や家の問題に振り回されて、己を見失っていた。それを乗り越えての今も、何も進歩してない。むしろ後ろ向きな日々が続き、自己嫌悪に陥る情けなさ。ま、彼のように大きなビジョンを描くようなハイレベルの“夢“や“欲”は抱かない質なので。周りにどんだけ次々と“有名人”が誕生しようが、所詮私は“黒子”が性に合っている。若い頃に実力以上の無謀な“冒険”を充分に繰り返したぶん、“天命”を知った今の自分は、分相応、足るを知るで地味にコツコツ、“蟻”として生きるわ。★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「生きてるうちにチケット獲れますように。」若者には新しく、私には懐かしい音。
2022.10.17
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雨でぼんやりどんよりとした天気が続く。視界がぼやけ気味。もともと10代の頃から視力が悪く、今じゃ超超度近眼で、その他諸々問題もあるせい。若い頃はオシャレもしたいしフットワーク軽く動き回る仕事をしてたしで、職場や出先ではコンタクトレンズ、家では眼鏡と使い分けていた。それにより公私の心のオンオフができて実に便利だった。けれど持病の闘い始めた頃からドライアイが悪化し、コンタクトレンズで酷い充血を繰り返すようになった。それが結婚と闘病を機に働き方や住む町を色々変えてくうちに、私の“価値観”がどんどん変わって余計なモノを削ぎ落として暮らしてたら、心身も変化して眼鏡でいる方がラクになった。今思えば私にとって“コンタクトレンズ装着”の一番の目的は、「少しでもいいから印象を良く見せたい」という見栄を張ることだったのかもな。そうこうして歳を重ねるうちに、そんなのは全く気にならなくなった。人に何と思われようが、私は私でしかないと開き直った。今は周りの目より、私が“自分らしい”姿であることを一番大事にしたい。そしたら“眼鏡”が顔の一部になった。若い頃からの付き合いの友にも、すっかり眼鏡顔が馴染んだようだ。気づけば友の1人も、会うときは常に眼鏡姿になっている。******こうして“メガネ族”になった私は、何本かの安い眼鏡を気分や用途に応じて使い分けているのだが。ここ数年、視力の変化が激しく、遂にどの眼鏡も度が合わなくなってしまった。3年くらい前に、思い切って初の“遠近両用”を作ったものの、ちょっと持つには早かった。あの後、“老眼”気味の症状が落ち着いて、眼鏡に頼る必要がなくなってしまった。たまに思い出してかけてみても、今度は近視用の上半分が今の視力に合わない。だから外出用にたまーに使う程度で、ほとんど出番がない。早まって作ったことを、激しく後悔中。それ以外も全部作ってからだいぶ経つので、微妙にピンが甘くなってて。普通に生活する分には、これでもいいのだけど、仕事で文字を読んだり書いたりする時間が長いから、そろそろクリアに文字が読める眼鏡を新調しなきゃなぁ・・・とは思ってる。でも。少しぽわんとして見える眼鏡の視界も、悪いことばかりじゃない。人と接するときに、相手の目を見ても変に緊張しなくて済む。輪郭や細かい表情が滲んで見える分、みんな“柔らかい”顔に見える。ばっちりと見えるコンタクトレンズで、相手の一挙手一投足を見逃さずにいてやろう!と鼻息荒く過ごしていた若かりし時代の私はどこへやら。今はちょっとピンボケくらいが、ちょうどいい。世の中、あまりにも目を背けたくなる出来事が多すぎて。★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「結局また民の声は無視なんだよなぁ😢」パナスタ上空まで当日飛んでいきたい🌞
2022.10.14
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“ユーミン”こと松任谷由実の『50周年記念ベストアルバム』が、O社週間アルバムランキングで初登場1位を獲得。それにより、荒井由実としてデビューした1970年代から2020年代まで『6年代連続』でアルバム1位達成したとのニュース。これは同社調べ史上初の快挙となった。ここに至るまで、だいぶ前から“ユーミン”を支える裏方は、各メデイアを網羅する勢いで、本人ゲストも含めた大々的なパワープッシュ・キャンペーンに力を注いできたようだ。ラジオやTVでユーミンを聴かない日がなかったくらいに。そのせいで毎朝起きたら、脳内でユーミンが繰り返されてしまうまでになる。これはもう“洗脳”状態。時々急にフレーズが浮かんでくる楽曲のタイトルを思い出せなくて、YouTubeにまでダンナと度々飛んだ。そして懐かしさに浸って何曲も聴く。作戦成功である。私も“そっち側”にいたことがあるので、こんなとき裏方側に自分を重ねてしまう。過去アーティストの新曲キャンペーンに同行取材等した私の経験の範囲で想像しても、今回の結果は彼女を取り巻くスタッフの並々ならぬ努力のお蔭も多分にあると言える。そんな裏方全員と彼女を支持し続けるファンの人達の今の想いは、アルバムタイトル通りまさに『ユーミン万歳!』な達成感と爽快感に満たされていることだろう。私は特にファンではない。九州の最新情報に乏しい町にいた頃からずっと、彼女の楽曲を何かしら耳にする機会はあった。だから当時から“好きな曲”は幾つかある。平成から現在までの彼女の楽曲はあまり惹かれないけど、私も一学年上のダンナも“荒井由実”時代の楽曲に、お気に入りが集まっているのが判った。この前、新聞にこのアルバムの広告がどーん!と出ていた。そこに収録曲全部のタイトルが紹介されていたので、夫婦で懐かしくなり暫くの間、「どんな歌だったか?」を思い出してみた。自分でもビックリするほど、どれも結構“唄える“。“ユーミンの歌のスゴさ”は、こういうファンでもない私達みたいなただの音楽好きさえも、歌詞も見ずに“口ずさ”ませてしまう点にある。キャッチーで耳触りの好いメロディに丁寧に描かれた情景が言葉に乗り鮮明に浮かぶ。私が学生の頃だったと思う。彼女がインタビューか何かで“楽曲作り”について話していて、とても印象に残っていることがある。それは恋愛でも何でも実際に“経験”してみて作品に活かしていると。話の中で当時の私には強烈すぎたエピソードがあったが、色々誤解を与えるといけないので割愛。で、無難な例としては「人間観察のために喫茶店でカップルの会話に聞き耳を立てる」というネタ集めの仕方が忘れられない。随分前にこんなに大物になってしまったから、さすがにあの頃のような作品作りはしてないと思うが。過去の作品がいつの時代もリスナーに受け容れられ1位を獲り続けたのには、“市井の人々の暮らしに寄り添う”彼女の努力や好奇心があったからに違いない。余談だが、うちの雑誌で彼女の“巻頭特集”を企画したとき。私の担当ではなかったけど誌面担当者に誘われ、編集部を抜け出し近所の撮影スタジオに“見学”に行ったことがあった。スレンダーな人だったけど、なんか後光が差してて(実際には白バックに照明が眩しかったせい)“圧倒的存在感”があるアーティストってオーラ、やっぱあって・・・ユーミン万歳!って思わずひれ伏したくなる、“ユーミン教の教祖”的な崇高さ漂う人だったなぁ(遠い目)。★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「え、花粉飛んでる?」私のユーミン第一位は、この曲! エレカシ宮本さんバージョンもイイ👍
2022.10.11
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3ヶ月ぶりに都内。美容院で髪を切る。前回に引き続き、オンザ眉毛の菱形ショート。今回もコレ!と指したファッションモデルの髪型とは全く別物に。最近はどんどん短くなってゆく。それはさておき。今回少し早めに予約を入れたのには、『特別な理由』が。店長のOさんと共に長年店を切り盛りしていたスタッフTさんが、“店を去る”との情報を得たのだ。彼に一体何が?あれこれ考えてても時間の無駄なので、直接会いに行く。“彼が去る日”の週が私の仕事の切れ目に当たり、幸いにも予約が取れた。店に着いたら前の客が帰るところで、直ぐにフロアに3人だけになった。いつもなら貸し切り状態を楽しむところ。でもなんか気まずい。“できるだけ普通に“と思ったのに、Tさんを私の鏡越しに見たとたん、声が上ずる。必死で普段通りに振る舞った。彼が次のお客さんを相手してる間に、Oさんが小声で少し話を聞かせてくれた。そして私が家であれこれ考えていた辞職理由とは違う“予想外”の理由に、ショックを受けた。まだ30代で明るく若々しいTさんが、“厄介な病気”に罹っていた。それも前回私が来た時既に“闘病中”だったというから驚きだ。好奇心旺盛で話し上手聞き上手。気配りのできる関西人。いつも私のくだらない話を、大きな目を輝かせて愉快そうに聞いてくれる温かい人だ。コロナ禍前に一人スタッフが故郷に帰ってしまって以来、Oさんとの息の合ったコンビで、店に集まるお客さんを技術と話術で癒やしてくれた。その時間がこれから先も変わらずに続くと信じ切っていたのに・・・現実にはやっぱり、“永遠”なんてない。何をはなむけに伝えればいいんだろう?話をしながらそんなことをずっと考えていたけど・・・私の“果てしなく続いた闘病話(奇跡的に克服)”をした流れで声に出たのは、「頑張らないでいい。でも諦めないでね」だった。持病が悪化する度に何度も絶望した私が、長年孤独に病に苦しみながらもその気持ちで進み続けて、“今の当り前”な暮らしがあるから。「ボクにできるかなぁ?」彼はちょっとおどけながらも、良い笑顔で聞いてくれた。うん。彼ならきっと大丈夫。店を去った後、暫く故郷に戻るそうだ。「メンタル的にも参って、都会の人混みがダメになった。今は自然に浸りたい」と。だね。すっごくわかるよ。少しホッとしたのは、正スタッフを辞めた後も時々この店に助っ人で来るつもりでいるらしいこと。体力的に限界がある病なので、彼曰く「働き方を変える」のだそう。それも多様性を重んじる今の時代に合ってて、なかなかいいアイデア。好きな店を去って闘病するTさんにとっても、店を独りで続けてくOさんにとっても、今はツラい時期かもしれないけど・・・・・・永遠はないのだから、マイナスな時はいつまでも続かない。その先には必ず、“手応え”を感じられる時が待ってる!Tさん、次に会う日も、お互い笑顔で🍀★ ★ ★ ★ ★今日のふたこと。「雨の続く時季、洗濯物どうやって乾かしてます?浴室乾燥機が昨日終わりました😂」日活ニューフェイスに選ばれてそう。
2022.10.06
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