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2日しかたっていない。たった2日なのに、兄のコンディションは深刻なものに戻ってしまった。相手の顔を見ていた目は半ば閉じ、首はガックリ落ちてしまった。父の言葉が鬱陶しい。自分から聞こえない所に行く事は出来ない。だから、早く帰って欲しい。寂しさよりも、人と一緒に居る事の煩わしさが先行してしまう日だった。心なしか、足の浮腫みが進行しているようだ。足だけが皺も無く、ツルンとしている。だけど、未だそんなもの。丸く膨れてる訳でもないし、足首だったちゃんとある。体力の落ちるスピードをうんと遅くして、その時を待とう。フィリピンでは、ウィルスを介した遺伝子治療が全ての癌への適用となった。製薬会社の本国、アメリカでもすぐに認可プロセスが進むだろう。そうなれば、日本にだってオキサリプラチンの時よりももっと早く入ってくるだろう。待とう。先延ばしにして。
Aug 29, 2006
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少しだけ元気を取り戻して、会話が出来るようになった。放蕩息子の次男への苦言を少し零した。トイレも、そんなに頻繁ではなかった。長男に車椅子を押させながらの往復。背中を向けたまま、全てを否定していた長男に押させた椅子。彼等の間にも、会話は有ったのだろうか。この関係は、明らかに進歩した。長男は当てにされ、その期待に応えようとしている。自分で親戚に電話をかけて、見舞いに来て貰っていた。自分が子供だった頃から好きだった、とても若いおばさん。その頃からずっと、おねぇちゃんと呼んでいた。還暦を目の前に迎えた、今でも。嬉しいのは、今でもこうして調子の良い日がある。寂しいのは、元気な日でも歩ける程の体力は無いという事。
Aug 27, 2006
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見舞った兄は目を瞑り、寝てるとも起きてるとも付かない、朦朧の中に居るようでした。いつも通り腰の痛みを逃がす為、上半身を起こしたままで大きなクッションで支えていた。自分達が病室に入った物音にも気付かないかのように、何の反応も見せない。と思うと突然身体を起こし、トイレと一言発して立ち上がりだす。病室にもポータブルトイレが置いてあり、用足しを試みる。だが、兄はストーマに腎臓に直接挿した導尿管で、トイレに行っても何も出るものは無い。ただ単に、兄の薄く、細くなった身体を確認する羽目になったばかりだった。174センチに、40キロを切る体重・・・骨と皮の間を埋める以外には、もうふくよかな肉は付いていない。 本当に削げてしまった兄は、残尿感を感じるらしくて幾度も幾度も繰り返す。その度に身体を震わせながら、立ち上がる。それでも兄が嫌がらないならと、慌てて車椅子をセットし、兄を乗せてトイレに運ぶ。幾度も幾度も運ぶ。トイレの中では、時間を掛けて尿意が膀胱の中身を押し出してくれるのを待っている。何も出ないまま、病室へ戻る。戻って少し目を閉じたかと思うと、またトイレへ。その繰り返し・・・ふと気が付くと、ポートに入る高カロリーの点滴バッグに貼られたシールには、5-FUの文字が。唇には、真っ赤に爛れた大きな口内炎。身体は限界に来ているのに、それでも抗がん剤で腫瘍の増大を抑え続けている。気休めなのかも知れないが、粘膜が傷付いて苦しいかも知れないが、それでも戦うしかない。兄からは、諦めの言葉が出て来た事すらないのだから。兄の当面の敵は癌ではなく、体力の低下であるのだろう。院内感染に気を遣っている結核も扱う郊外の病院であることが、救いに感じる。調子の良い日が、戻って来て欲しい・・・
Aug 20, 2006
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8月19日(土)、とても暑い日になりました。この日はRFL直前のCPSP全体会議でした。暑くて暑くて、呼吸するだけでも体温が上がって行きそうな日。駅からの道も、出来るだけ穏やかな呼吸で、エネルギーを燃やさないイメージを作って現場入りしたのでした。それでも汗が噴出し、自分の顔の紅潮している様が想像出来そうな位にのぼせて会議室にに入って行くと・・・居る居る、沢山の元気な顔!!みんな笑みを湛えながら楽しげに話していました。その中に・・・オッ、MOMOさんだ!プレの時に見た、ステージの上の人。オッ、隣はseimamaさんだ!なぜかミーハーな気分で気持ちが高揚して行くのでした。そして現れたのが、CaRAVANのバグースさんと蓮さん。こちらは確実に憧れの二人・・・・お話をさせて貰うと、何とバグースさんは自分と同郷だし、蓮さんは同い年だという事が判明。一気に一人だけテンションが上がって行ってしまいました。会議の中では、随所に検討や要求しなければならないポイントが見つかり、皆さんの中には問題意識が高まって行くようです。そんな中、一人だけ(ハルチさんもかも?)喜びに浸っていたのでした。会議の終盤、一足先にお暇させて頂いて、故郷に向かう新幹線へ。日付が変わる頃には、兄が戦っている故郷に辿り着くのでした。
Aug 19, 2006
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先週の連絡は混乱を伝えるものだった。若干、心配しながらの1週間になっていた。だが、兄の容態は安定に向かった。今週は、目もキチンと相手を向いており、会話も出来ている。もうすぐ見舞い客が来る事も、ちゃんと認識出来ている。さすがに、笑みがこぼれる程の余裕まではないようだが・・食欲が無いのは相変わらずで、少し食べると戻す、寝込むが続いている。高カロリーの点滴が入ってるから、栄養分としては問題ないんだろうけど。体液はどんどん悪液化が進んでいるのだと思うと、何か改善しないものかと期待してしまう。もう少し、元気出して行こうか!
Aug 13, 2006
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薬を足しても眠れないのだと言う。夜間に起き出しては、トイレに行く。兄は1年も前から腎臓からドレナージによって直接排尿している。トイレに行っても何も出るものは無く、感覚的な要因が強い。でも、離れている自分にしたら、動けるなら動いた方が安心と思う。日に3度も家に電話をするのだと言う。看護士の他に嫁も24時間付いていて、不自由という事も無い。それでも携帯から電話をする。眠っていないせいか、電話番号を確かめる事も出来ず、色々な所にかけてしまっているという。何処にかけても「あ、かぁさん?」と呼び掛けているのだそうだ。眠ってないのだから、そんな間違いは当然であって、それは錯乱でも何でもない。訪ねて来た父に向かって、挨拶をしてしまう。肉親であるという認識が無くなってしまったものか、他の誰かと間違えているのかは不明。そう言えば、父もくも膜下で入院中に、孫に向かって「どちら様ですか?」とやっていたっけ。これは、強い薬の影響なのか。問題は眠れない事なのだと思う。薬をどんどん足している。痛みを訴える事はない程に、足してしまっている。それでも神経は尖って行く・・・沢山の混乱が起きている。今日、母が見舞っている間に、少し眠っていた。本人に眠るつもりが無かったのか、不自然な体制のまま眠っていたそうだ。起きたらまた、まともな兄に戻っているかな?
Aug 6, 2006
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