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遺伝子レベルでの解析が進み、細かく、正確な情報を知る事が出来るようになった。遺伝子どころか、タンパク質やアミノ酸のレベルでの働きで、予想が進む。日本発の研究名古屋大学で研究が進められた、単純ヘルペスウィルスHF10東京大学の医学部で牽引した、G47Δウィルスオンコリスバイオファーマの、テロメライシン海外では既に治療の現場に持ち込まれている中国で実績を積み上げつつある、ゲンディシンフィリピンで使われ日本にも持ち込まれようとしている、Rexin-Gどれもこれも、あと1歩というところまで来ている『治療薬』の有力候補。特にRexin-Gが、日本での現実に、最も近いところまで来ている。そして今日、又新しい発見が新聞に載った。動脈硬化の予防等に活躍するタンパク質、アディポネクチン。アディポネクチンは、健康な人達の血中に沢山存在しているホルモン。このホルモンが、抗がん剤並みの抗がん作用を持っている事が分かった。このホルモンは、既に医療の現場に存在している。医者が選択すれば、すぐにでも利用出来るのではないか?待てれば勝てる、そんな時期に差し掛かって来ている。誰も負けるな。生きろ!!
Sep 28, 2006
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抗がん剤を止めて貰えたらしい。8月の末に見舞いで見た兄の下唇には、大きな内出血が出来ていた。その後、指先にも内出血が始まり、真っ黒になって行ったと聞いていた。口の中も酷くなり、飲み物すら飲み込めなくなったと・・・見舞いの時に点滴袋に見た、抗がん剤(5-FU)の副作用が気になっていた。体力が失われて行く事が心配だった。そしてその副作用としか思えないものが、家族の目にもハッキリと出て来ている。それが直接の問題とならないのであれば、止めて欲しいと思っていた。その言葉を、そのまま姉から主治医に伝えて貰えたのかも知れない。唇の内出血は、もう取れていた。指先も、表面の皮膚が剥がれて乾いた血の塊がかさぶたになっているという。そして、氷を口に含むだけだった状態が、カルピスを飲める位に戻って来た。これで病気の進行が、すぐに生死にかかわる問題を引き起こすのでなければ・・首はそのまま項垂れた姿勢のまま、動かない。しかし、長男に言って持ち上げて貰うようになった。苦しいからばかりではないと思う。項垂れた顔から見える視界と、首を起こした目に入って来る視界。少し、周囲を見るだけの余裕が出来て来たのだと思いたい。それまではずっと、自分の内面を見ているだけだったのだと思う。自分の身体の中の痛みの原因を探していた。痛みを紛らわす事の出来る、心の置き場所を探すだけの毎日だった。少しだけ余裕が戻って来たのだと思いたい。立ち上がる回数は、相変わらず多い。以前は、その都度トイレに向かっていたが、今はベッドを半周するだけ。もともと腎臓から直接ドレーンで導尿しているので、トイレに行っても殆ど出るものは無い。ただただ、ハッキリしない自分の身体が、尿意と似た感覚を訴えているだけだったのだろう。口数も、少しだけ戻って来たようだ。以前のように、冗談が口から出たり憤りを顕にすることは無い。しかし、家族からの話し掛けにボソリと返すのが、言葉になって来ている。体力が戻って来ているという程でもないのだろう。しかし、心と体調に余裕が出来てくれば、少しずつ戻って来てくれると思いたい。このまま、治療が出来る時まで生き続ける事が出来れば、兄の勝ちだ。生きろ!!
Sep 24, 2006
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ちっとも良くはなっていないと言う。いつも見るのは、これ以上どうにもできない程に弱った姿。痩せて、内出血だらけで、首はガックリ落ちて、何も飲み込めない・・そうなっても、回復する事は有るのだろうか?もう期待してはいけないのではないか?そんな気持ちも心に浮かんで来てしまう。そう考えるのは勝手。そう感じるのが自然な症状であるように、自分にも見えた。体力と言えるものは、何も残っていないように見える。生きる為の動作、心臓が動いたり肺が動いたりしているだけでも驚きのように・・だけど自分達は、衰弱で亡くなる人を見た事もない。どれだけ力が無くなったら衰弱に負けるのだろう?そもそも、完全看護の状況下に置かれて、衰弱で亡くなるって有るんだろうか?世の中に幾らでも存在する現象でありながら、未だ医療を信じている自分に気付く。口内炎で大変な事になっている口には、もう何の刺激も与えることが出来ない。無理に突っ込んでも、首が上がらないから嚥下する事が出来ない。母は、氷を病室に持ち込んだ。良い加減に溶けて、口に入れ易いサイズになっていた。その氷だけは兄の口も嫌がらずに、頬張る事が出来たそうだ。母が見舞いから引き上げる時には、いつもより機嫌が良かったようだ。車椅子に身体を移し、出口まで長男に後を押させた。途中、自販機の前の窓から、キレイに夕日が見えた。首が落ちている為、見れなかった筈が、そのときばかりは少し持ち上がった。夕日が見える所まで上がったのかどうか。でも、キレイだという言葉に、ウンウンと返事が返って来た。体力が無くなっても、口内炎が酷くなっても、未だ抗がん剤が入り続けている。5-FUが、時間をかけてゆっくり流し込まれている。消化器系のがんに対して、細胞の複製を妨げる薬。その代表的な副作用、口内炎、食欲不振、全身倦怠感・・・それらが無くなるだけでも随分体力の保全になるように思える。今、抗がん剤を止めるとどうなるんだろう?一気にがんの増殖が進んでしまうのだろうか?もう一度、医師と相談をして貰おうと思う。生きろ!!
Sep 17, 2006
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口内炎と唇や指先の内出血が激しくなって来た。固形の食事が出来なくなってからは長いものの、これまではジュースや水分の多い果物は喉を通っていた。大腸に入る手前に付けた二つ目のストーマの為に、口から摂取しても殆ど吸収する事もないのだろうが、家族にとっては自分の口から摂取してくれているというのは、それなりに安心をもたらしてくれていた。しかし、それも最近には難しくなって来てしまった。口の中一杯に広がった口内炎と、もう持ち上がらなくなってしまった首。どうしても嚥下し切れなくなって来てしまっていた。下唇と指先は、内出血の為に赤紫色に変色している。下唇の内出血は唇の3分の1にも及び、もう1ヶ月以上の間、全く改善されて来ない。この頃は両手の指先も、同じような色に変色して来ている。バランスが取れなく自由にならない身体を倒れないように支える指先には、全身を震わせる位に力が籠められる。自分の力で寝起きが出来ない為、一日に何十回も座る便器への移動の度に、震える腕で身体を支える事になるのだ。ダメ押しのつもりの抗がん剤が、血小板を減らしてしまっているのだろう。体力と引き換えに癌細胞を叩き続けて来た抗がん剤。でも、もう身体がそれに耐えられなくなっている。ここまで来たら、残った体力の温存が最優先。出来ることなら、もう一度自分の足で歩きまわれる位に体力を戻して、来るべき時代を待つことは出来ないものだろうか。そんな事が奇跡じゃなく起きるのであれば、兄の症状もそちらへ向かって欲しい。生きろ!!
Sep 10, 2006
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兄の体力は、益々失われているようだ。母から電話で聞く兄の容態は、「弱くなった」から始まった。2週間前に見た兄の姿からは、もうこれ以上に削り取る体力はないように見えた。その後の変化として「弱くなった」という言葉は、どんな状態を意味するのだろう。首を支えるだけの力は無くなっていた。ベッドの上で身体を小刻みに震わせながら耐えている兄の首は、ガックリと落ちている。細くなった声で「首が痛い」と言っていた。あんなに首を落としていたら、健常者なら1日も耐えられないだろう。ずっとあの体勢が続いているのだから、痛くならない訳がない。その言葉を聞いた父が「バンテリンを塗れ」と言う。だが、兄の首にはバンテリンを受け入れる筋肉が無い。塗っても何の改善もされないのは、もう随分前に試している。だが、父は去年のくも膜下出血から、自分との違いを理解出来なくなっている。食べられないのに、無理やり食べさせようとする。食べないから痩せるのだと思い込んでいる。父の言葉は、全て兄を責めているのかも知れない。元気だった頃から、噛み合わなかった二人。自分勝手で強かった父に、逆らえない兄。いつも父の機嫌に気を遣い、争う事を避けながら生きてきた兄。今日もその心が働いたようだ。「バンテリンを塗ってくれ」「頼むからじいちゃんに逆らわないでくれ」父に逆らわないという事が、それほど大切な命題なのだろうか?いや、ぶつかり合う事が厄介な事、鬱陶しい事なのだろう。体力を失ってしまった兄にとっては、父だけでなく訪れる者全てが鬱陶しいだろう。それが、天皇陛下や総理大臣の見舞いだったとしても。鬱陶しいものを避けて、生きる事を選択している。兄の気持ちは、まだまだ強く生きているのだと思いたい。上手く先に繋いで欲しい。命は、生きる事を止めるまで続いている。その命が続いている限り、彼は勝者であり続けるのだと思いたい。生きろ!!
Sep 3, 2006
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RFL当日、朝はいつもの平日と同じ時間から始まりました。7時からの朝ごはん、おかずは大ぶりの鯵の開きに納豆、味噌汁に味海苔。「納豆は食べれない」というMOMOさんと一緒の食事は、自分にとってはとても嬉しいものになりました。この人がみんなから好かれる理由も何となく納得が行き、その勢いを貰って現地入りです。スタッフとはいえ、「無くてはならない」という役割ではなくなったメインステージ部。朝のミーティングの後、それを痛感させられる事になりました。ステージの上では、朝から入ってくれている各ボランティアバンドのリハーサル。その間に更衣室となる部屋や食堂の位置を確認し、音響さん達との段取りの確認が終わると・・やる事と居場所が無くなってしまったのです。皆さんが忙しく動き回っている間、ボーっとリハーサルを眺めているのも申し訳ないのです。それぞれが役割を果たす為のテントを持っている各部。それに対して、更衣室も出演者控え室も、自分達の場所ではないメインステージ部。準備するものは、何も有りません。手順を確認した後は、それぞれのテントにお手伝いに回る事にしました。お手伝いというよりも、足手纏いに回ったような面も有りましたが・・;;イベントの開会と閉会部分を仕切った中里さんとお会いしたのも、この時でした。誰も居ない絵本朗読テントに、一人佇んで竹トンボや幾つかの印刷物を眺めている女性。スタッフの方と勘違いして話し掛けてしまいましたが、彼女から出た言葉は違っていました。「このテントを、どう紹介すれば良いんでしょう?」短い会話で、何をする所というより子供達の集まる場所であって欲しい、とお伝えしたのでした。勿論、司会の方だと思っていなかった自分は、あくまでも世間話のつもりでしたが。。。そうこうしている間に、スタートの時間。中里さんが仕切る型通りのイベントの開始。サバイバーズ・ラップオープニング・ウォークそして、ほりきんバンドからの皮切りです。軽快なベンチャーズサウンドは、スタッフを元気付け、ウォークを後押ししました。それぞれの出演者には、JCSからの案内や音響さん達からの指示が入っています。こちらで作ったステージの進行予定とも、微妙にズレている予定の時間。どちらにせよ、ステージの進行具合によってズレるのでしょうから、気にはなりません。呼び出しの順番だけ、確かに合っている事を確認して、後は連携です。出来るだけ出演者の皆さんが緊張しないでステージに上がれるようにとだけを気を付けました。少し早めに出演者の方と接触して、チョッピリお話をさせて頂きながら時間の確認です。出番になる時間を伝え、また近付いたら迎えに来る事を約束しながら走り回りました。出演者によって、時間の気に仕方って違うのですね。2時間も前から控え室に入ろうとする人。前の出演者が最後の曲になるまで、控えに入らず練習を続けるチーム。控え室に誘導している間にトイレに寄って、そのままテントに戻ってしまうメンバー。本当に人それぞれ、チームそれぞれなんですね。初めの頃こそヒヤヒヤしましたが、途中でふと気が付きました。ステージの上に居るのは、ほりきんさんとミーミさんなのですよね。何が起きたって、その起きてる状況さえ分かれば何とでもしてくれる二人。そう思ったら、何一つ問題には感じなくなっていました。そう、メインステージ部としては、何も難しい事が起きませんでした。問題が起きたのは、自分の身体でした。日焼け止めを塗らずに歩き回った報いで、気が付くと腕は真っ赤になっていました。同じように焼けてしまった首は、ヒリヒリなのか筋肉痛なのか分かりません。それ以上に大きな問題は、足の薬指に出来たマメ。特に左足のマメは長さ2センチ、厚み7ミリ程にも膨れ上がっていました。普段、履き慣れないスニーカーに厚手の靴下が産み出した困難でした。痛いんだか感覚が無いんだか・・・皆さん、後半に自分の動きが悪くなった理由は、疲れではなくマメです。準備不足でごめんなさい。途中から、否応なしに盛り上がって行くステージ。CaRAVANの出演には、会場全体が期待していたのでしょうか。次々に集まってくる参加者は、ステージ前に座り込ん行きます。DEWには、演奏を聴くというより心に染み込ませるような表情で聞き入っていました。MMさんのHHCバンドでは、3人のお嬢さん達が可愛く3色の頭で和やかに。ほりきんさんの娘さん率いる大学バトン連盟はダイナミックに。J-BANDが命のリレーを歌う頃には、辺りは薄暮に包まれて行きます。本当は少しやんちゃな目をした小比類巻さんのオカリナ。参加者がルミナリエに記した名前の人に、思いを馳せる時間になりました。対象的に、ステージではとても元気な横内さん。ステージからは、体力的にも集中力的にも、殆ど空になって降りて来ました。・・・ルミナリエ・・・・・・最終ラップ・・・周りが暗い闇に包まれても、ほとんど人数が減ると感じることもありませんでした。トラックをラップする人の数も、逆に増えて行ったのではないかと思わせる程。参加者みんなで共有して、みんなが同じ方向に向かったエンディングのようでした。みんなの気持ち・・・また来年!そんな希望に満ちた目が、あちこちに見えていました。スタッフの皆さん、お疲れ様でした。これだけのスタッフを集めた、シュウさんは、やっぱり凄い!!
Sep 2, 2006
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リレー・フォー・ライフへの参加の為、研修センターへは前日入りしました。仕事の切れ目が悪く、職場を出るのが遅くなってしまい、つくばに着いたのは11時過ぎ。地上のバス乗り場に行ったら、丁度出発するバスが・・・バスの運行は、確か20分おき。バス停からの歩きを考えると、30分。歩いた方が早いかな?目の前の交番で道順を確認して、スーツに革靴で歩き出す。真っ暗な道、ちょっと怪しかったかな?道中、色々な事を考えながら歩いていました。自分は何の為に参加してるんだろうか?兄は、TVを見れなくなってから、もう1年にもなる。今年に入ってからは、新聞にも目を通せなくなった。自分の身体を生かしておくだけで精一杯の毎日。周囲で何が起きていようが、そこに喜びも感動も無い毎日。自分の身体と相談して、時間を先に繋いでいる。RFLの事を最初に家族に話した5月。「何様になったつもりなのか?」「お前が世界を動かしてるつもりにでもなっているのか!」「それをすれば、兄が助かるのか」「医者に知れたらどうするつもりなんだ」「治療を止められたら、お前のせいなんだよ、分かってるのか?」「頼むから止めてくれ!」家族の反応は、徹底して否定的なものだった。毎日、兄と時間を共有して、世界からの隔離感を味わい続けた家族。それ比べ、離れた地で普通の生活を送る自分は、当事者ではない。そうやって区別されるのが悔しかった。弱った兄を見舞いに帰った8月。この時も、初めの言葉は、決して理解のあるものではありませんでした。「このイベントは一体何なんだ」「お前の説明は分からない、何故アメリカのイベントにお前が動いてるんだ」「お前は日本の代表なのか?」「そんなに立派なイベントならこっち(青森)にも知られてる筈だろう」「じゃぁ、こっちの代表は誰なんだ?」年寄り達には、ネットによる社会の繋がりが理解できない様子でした。一部の人達の間で広く広がるムーブメント。政治が先導する訳でも、企業の宣伝による扇動もなく広がる意識の輪。それでも離れて暮らしながら動いている自分への理解をしめそうとしてくれました。「じゃ、知事に電話をしておいてやろうか?」「○×医院の院長にだったらお願いしてやれるぞ」そういう事ではない。そういう事ではないのだけど、何とかしようと思ってくれる気持ちが嬉しかった。そうして今日、こうやってみんなとの合流の為に歩いている自分が居ます。明日はどんな日になるのか、そこはスタートなのかゴールになるのか。兄にとっては、きっと何の影響を与える事も出来ないままでしょう。救うことも、励ますことも出来ません。少なくとも今は・・・
Sep 2, 2006
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