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久しぶりのブログです。4月からずっと休憩なしで走ってきて、少し落ち着いてこの数カ月を振り返る時間をもつことができています。現在、気力・体力ともにとても充実しています。自己成長の実感もある。数カ月とても集中し、プロアクティブに動けている感触です。特に仕事については、ここ数年間の中で一番ノッテいます。勢いを感じている。この勢いを長期的に持続する。自分の内面の意志力・意識の力と外に出る成果のつながりが体感的に腹落ちしてきている感触があります。激しい感情の起伏は抑えられていて、良いことがあってもうぬぼれず、批判されてもさして落ち込まず、以前のような波の大きさがありません。安定してプロアクティブに攻めています。その要因はどこにあるのか?○これから数年~10年に渡り集中すべき目的が明確になった。 現在47歳ですが、50代で集中してやりたいこと、なすべきことが明らかになった。○具体的な目標を立て、それを毎日反芻している。それをぜひ達成しようと、あれこれ 手を打つことを考え、行動している。途中で「ひよらない」と決意した。○自分が得意なこと、得意でないことを明確にした。得意なことに徹底して集中し、 得意でないことはそれが得意な人に信頼してお願いする。○仕事に集中すると他のこと、特に家族のことをないがしろにしそうになるので、それを 避けるために、自分に注意喚起する。○これらのことをタブレットに記載し、それを毎日確認している。○自分のやっていることを「面白がり」、自分の人生を「面白がって生きよう」 としている。この「面白がって生きる」ということについて、最近思い出した言葉があります。それは「女神は女性名詞なので、口説くことができる」です。最近だと、立ち読みしたサッカー選手の本にこの言葉が乗っていました。私はマキャベリの君主論で見た覚えがあります。最近になって、また、この言葉の面白さ、含蓄の深さを実感しています。「好運の女神を味方にする」といった言葉は良くありますが、「口説く」のほうがよりプロアクティブで、攻めの感じがあって私は好きです。目には見えない「好運の女神さま」を口説こうとするなんて、大胆で、かつ、かなりワクワクします。
2011.07.17
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とても忙しく、充実した4月でした。今年もいろんな業界の新人さんにお会いすることができました。彼らの発展を心から祈るものです。今年、新入社員と面と向かっていて、自分の中で大きな変化がありました。それは過去感じたことのない状況でした。忘れないようにブログにしたためておくことにします。それは「プログラムを推進している途中に彼らのご両親の姿が浮かんでくる」というものです。自分の息子が成人したことより、今年の新入社員は自分の子供とまったく同じ年代となりました。それを考えたとき、彼らの面前に立つと、なんともいえぬ感謝、感激の念が浮かぶのです。「お父さん、お母さん、よくぞここまで立派に育てられましたね」「ここまでくるのに、さぞやいろんなことがあったでしょう」彼らの姿・顔の背景にある、ご両親・家族といった存在が透かして見える。それを思うとき、より一層、厳しく、強く接しようという執念が出ます。中途半端は絶対に許さない。それは今までとはまるで違う次元の、情熱や愛。彼らが途中であきらめようとしたり、とことん考えなかったりするときに自分の中で燃え上がる情熱が思わず湧きあがります。それは:あなた方は決して一人で育ったのではない。ご両親をはじめ、多くの人の真摯なまなざし、愛情の結晶である。そして、あなた方自身もここまで努力してきた結果、こんな素晴らしい会社に入ることができた。これは、まぎれもない、チャンス。このチャンスを活かし、素晴らしい人生を歩んでほしい!!ゆめゆめ中途半端に、諦めることなぞあり得ない。とことん、チャレンジしてほしい。そんな思いなのです。
2011.05.03
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昨日は雪模様でしたが、今日は一転していい天気ですね。昨日は雪の中、部屋大掃除兼模様替えをしました。長女が来年大学受験、次女が中学生になることもあって、2人により多くのスペースをあげようと思って、夫婦で使っている部屋とリビングの多くを彼女たちが自由に使えるように考えてセッティングしてみました。3LDKのスペースに家族5人いるのでどうしてもスペースが足りなくて、それでもなんとか工夫して使ってみようと考えてみました。長女はまだちょっと慣れないみたいで不満げでしたが・・・さて:ここのところ(12月くらいから)ずっと連続して考えてきたことが、「自分軸」というテーマでした。自分の特徴はとてもおおざっぱでいい加減なところと真面目で緻密に考える自分が同居しているところです。エイヤッでやってしまうこともあれば、ずいぶんと考え込むこともある。これがかなり極端に出る場面があり、この両方の自分に過去結構振り回されてきた。過去を俯瞰して眺めてきて、なんで今こうした人生を歩んでいるのか自分はいったい何を大切にしてきたんだろう、今後何を大切にしていきたいんだろう?と様々な資料を検討しながら、自分にも問いながら、整理してみよう、と思い立ちました。それがひとつ今後自分の両面に振り回されないで生きるヒントになるかもしれない。現在47歳、輝かしい50代を送るためにも、自分軸を保持することはとても大切だと直感したのかもしれません。いよいよ人生も後半に突入した、という実感もあり、時間を、無駄にしたくない、本当に自分のやりたいことをやっていこう、それも地に足をつけて、着実に実現していこう、といった希望ですね。見えてきたことが以下の3つです。1.人のために役にたっているというリアルな実感商社マン時代仕事も人の役に立っていないわけではなかったが、「より現場で人の役に立っているという実感」をほしい自分がいた。研修の場面では目の前の人が変化したり、感動したり、決意を述べたりする場面に多々出会いますが、そうした場面に出会うたびに自分の心が喜ぶ。また、改めてキャリアアンカーをチェックしてみると「社会貢献」の軸が強く出ている。20代、30代のころ成功だ、お金持ちだ、自由人だと求めていたけれでもどこか、空回りしていたのは、おそらく自分の中に深く存在している「他者に役にたちたい」「役にたっている実感」を横においてひたすら自分の利益だけを追い求めるところに矛盾を感じていたのでしょう。でもなかなかそのことに気づけなかった。40代後半になって、ようやく自分の中で整理できてきた。真に自分が追い求めているのは「他者に貢献できている実感」を通じての存在意義の確認であり、お金や売れるという結果そのものを追い求めているわけではなかった、と。2.楽しいこと、それも真面目、真剣に楽しいこと「楽しい」というキーワードは自分にはなくてはならないキーワードです。学びを得るにも「楽しさ」がないとおもしろくない。眉間にしわを寄せて考えても、決してユニークなアイデアは出ないし、場が楽しくないとおもしろくない、と考えています。ですから、学びを提供する側になっても、できる限り楽しさ、を提供したい、と考えています。ただし、単に表面だけで「楽しい」のでは物足りない。やっぱり、真面目に真剣に考えたり、話し合いをしないと楽しくない。自分にとって楽なことをばかりでは楽しくない。やはりそこには「挑戦」、ちょっと上のことにチャレンジする、それも真剣にやる。という過程が必要なのです。今の自分には難しいことに挑戦しようとすると、困難や悩みにぶち当たります。しかし、そこでめげないで、なんとかしよう、とすると周りの知恵を借りたり、新たな知識を吸収しようとする。今日の自分では解決できないことが、3日後の自分だと解決できたりする。それが楽しい、面白い、ということです。本気で、真剣に楽しさを追求しようとすることは実はとてもチャレンジングなことなんだな、ということです。3.仕事と家庭・プライベートのバランスをとる1と2を追求しようとするとどうしても仕事に夢中になりがちです。過去マラソンやトライアスロンにも挑戦してきました。達成の喜びはありました。が一方で、やはり本業でぶつかるチャレンジ、困難さ、達成の喜びはそれらとはまた別次元のものがある。「人と人とのぶつかりあい」「内面の葛藤」「予想しえない困難さ」が想像できない深さ・広がりで出てくる。また、自分にとっても、まさにそこで自分の生活の糧を得ているわけであり、家族を背負っているというプレッシャーの真剣勝負をやらないといけない。そういった口の中が乾いてくる、胃がモゾモゾするプレッシャーの中で成し遂げていく感覚はやはり本業での醍醐味です。そういったものを得ると一種の「依存症」的になっていまい、際限なく仕事を追求することになりかねない。そうすると、バーンアウトしてしまい、そのうちおもしろくなくなる。やはり、自分は自分らしいライフスタイルを確保する=家族との時間やプライベートも楽しみたい、という強い希望がある。だからこそ、かなり自由度の高い今の仕事についている(自然とそういうところに落ち着いてきた)。以上の「大切な3つの自分軸」の発見は、今後の自分にとって、きっとかなり大きな試金石、コンパスになることでしょう。この発見に至るまでに様々な知恵を私に提供してくれた先達の知恵に感謝します。20代後半から漠然と「自分は本当に何をしたいのか」「何を大切にしたいのか」といった問いを投げかけ初めて、何度も何度も回答を書いて、それでも納得いかなくて、また模索し、また回答を書く、という作業を何度も何度も繰り返してきました。自分でも納得のいく回答を得るまでに20年弱の時間がかかったようですが、一定の答えが出ました。長いようで、あっという間のようで。不思議なのはようやく探し求めてきたものに回答を得た、といった大きな喜びや高揚感はあまりなく、きわめて普通な状態であること。だからこそ、この得た回答は「自分らしい自然な状態」であるのかな、と感じています。
2011.02.13
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3ヶ月間の新習慣の振り返りをしました。要点をまとめます。1.9月26日から初めて3ヶ月間続けたこと・毎日朝10分~15分の静座をする ただ、静かに座るだけ。体を動かさない。・毎日振り返り日記を大学ノートにつける 夜寝る前。大学ノート8冊になった2.どうしてはじめようと思ったのか?出発点・何かネガティブにとらえてしまう事象があると(他人の与える評価、ふるまいなど) それに引きづられて自分が揺れることをもう辞めたい!と強く願った・それをどうしたら辞められるかを考えるために、岡本太郎記念館にいったり、本を読んだり 人と話をしているうちに、これはという本に出遭った(下記)。そこに書いて あることを参考にして新しい習慣をはじめることにした。2.なぜ続いたか?・最長でも15分という短い時間だった・はじめはほかにも、やっていたが結局2つに絞り、まず3ヶ月間と期間を決めた。・忙しいときは5分でもOK、一行でもOKと最低ラインを決めていた・もし、一日飛ばしてもまた翌日からはじめればいい、何度でもやり始めると決めた・最初の動機付けとなった本を折りに触れ、見返した 書籍名:「集中力」セロン・Q・デュモン3.継続結果、学んだこと、成長したこと、得たこと・自分はやる!と決めたことを継続できる人間だ、というセルイメージの強化・日記に8冊分の自分資産がたまった。・自分を客観的に観察できるようになった。セルフコントロール力がついた 外部刺激で下がることがほとんどなくなった。落ちそうになるきっかけをつかみ、 自分がそうなりそうなときにすばやく気づき、すぐにノートに書くことで、それ以上 マイナススパイラルが続かないようになった・静座は自分の上機嫌を保つことにつながっているという確信・新習慣を軌道にのせるコツがつかめた。 ひとことで言うと1.すぐにできる 2.その場でできる 3.準備要らず なことをまずはじめる。・そんなに変化のない日常だったとしても、自分から何かを始めることで変化を 作ることができるという確信・マイナス事象(と自分が捉える)があると落ち込んだり、やる気をなくしたりするのは 結局「コントロールしていない放縦状態」に起因すると悟った・費用は大学ノート代金のみ お金をかけなくても自分変革は可能である。将来への夢は必要です。夢があると希望が持て、活力が沸いてきます。でも、夢があっても「今」という時間が充実して、楽しくなければ意味がないです。言い換えると、夢がリアルな現実感を帯びていないと今の充実につながってこない。過去に引きずられないこと。過去を整理し、「なるほど、この経緯があったから今の自分になっている」と腹落ちすることが必要。過去を統合・整理し、未来への希望を持ち、今に集中する。今に没頭できれば、充実感、幸せ感は自然と沸いてくる。今が充実していれば、その充実の瞬間の積み重ねが未来なので、未来への大きな希望につながる。未来が楽しみになる。3ヶ月の振り返りでした。
2010.12.23
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携帯端末を購入した機会にtwitterに入ってみました。へえなるほどこんな感じなのか!と面白い。人によって発信内容はまちまち。ブログとは違い、気楽な感じで書き込めたり、返事が出来たり出来ますね。自分でやってみるとわかる。新しい体験をするとまたひとつ拡がる。この繰り返しなんだなあ。
2010.12.21
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しばらくアップしなかったブログもアップし出すと、書けるものですね。内容はともかく(そらゃ~いいに越したことないけど)、まずはアップすること。すると、次何書こうかな、とアンテナが立つ。すると自分の中で、勢いがついてくる。動きが出てくる。この『勢い』って、改めて大切だな、と思います。別に最初はガォーって感じでなくてもいいので自分の中で何か動いている感覚を作る。そのために、何か今始める、やってみる。するとまた次の動きにつながる。
2010.09.24
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昨日、本を借りるために大雨の中歩いて行きました。最初から濡れることはわかっていたので、カッパとサンダルで。道はほとんどが水没していて、くるぶしあたりまで水につかりながら歩きます。最初はできる限り水を避けて歩いていたのですが、途中どうにも水を避けることができなくなり、ええい、ままよ、とザブザブ浸かりながら歩き始めたのです。すると、だんだん楽しくなって、子供の頃台風が来るとワクワクする、あの感覚を思い出しました。『ああ、あったな、この感じ』。すると大変だな、と思った状況が一転楽しい状況に変わったのです。『ピッチピッチちゃぷちゃぷランランラン♪』という歌も出てきてまたびっくり。ああ、雨って結構楽しかったんだと。しばらく忘れていたかもしれない、このフレッシュ感。
2010.09.24
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こんなふうでありたい意志の表明。どこまでできるか、ギリギリのところまで詰めてみたい。・やりたいことがあれば、結果や方法を考えずに、無条件で飛び込んでみる、まずやって みる。失敗したら、そこから何かをつかみとって、立ちあがる。・運命の女神に果敢に挑む。運命の女神の両肩を掴んで揺さぶる。・人から批判されたら、しかたない。それよりも自分の本心をごまかすことを恐れる。・危険だ、危ない、できそうにない、と思うことを始める。・今の状況・環境と心の底からの沸々とした喜びを切り離す。世間からの評価とあなたの 存在意義は別物である。⇔今の状況と心の状態を結びつけると沸々とした喜びを味わえなく なる。・あなたと同じ存在はこの世に一人としていない。だから、あなたが本当にやりたいことは 他の人にわからなくて当然。違うのだから。・そんなんじゃ駄目だ、と言われたら本当の自分を出していると思っていい。あなたが本当 にやりたいことはあなたとは違う脳みそ・感性を持った人には理解しがたく見えるから。・未来のことを考えすぎない。考えすぎると行動が止まる。・過去はないものとする。今この瞬間が常に新しい出発。・人真似は不要。あなたは唯一無二の存在だから、誰の真似もできないし、あなたの真似 も誰もできない。・誰しも本当は過激に、峻烈に、熱く生きていきたいのだ。そこそこまあまあ、なんて つまらない、と本心では思っている。・人に嫌われた、信頼をなくしたらいったんは落ち込み、そして復活。 いよいよあなたのオリジナルを発揮する転機だ。・今ぼろぼろでも、その瞬間、一心にのめりこむ。一心に取り組む。すべての命を吹き 込む。明日死んでもいい、と思うくらい。・エネルギーがないと行動できないなんてうそ。エネルギーがマイナスでも決意することで 行動できる。何かを始める、何かを創ることはできる。・僕は、私は本当は凄いんだぞ、こんなもんじゃないんだ、とうじうじしているのか? ならば、そのように振舞ってはどうか。・人間は気持ちで生きている。もっというと意志、決意といった言葉。 決意することで、自分が開ける。・すぐそばにいる人をじっとじっと見つめる。眼の力はきっとすごい。 それだけでも何かを創ることにつながりはしないか。
2010.09.20
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精神が広がるときと行き詰るとき。両方ある。僕自身もしょっちゅう行き詰る。自分でも笑ってしまうくらい、深刻に考えるときがある。でも、それは次に広がる前の前兆。自分自身に真剣に向き合えば、必ず行き詰ることがある。でも、何度も行き詰るうちに少しづつ対処の仕方、向き合い方が変わったきた気がする。以前は、行き詰ると「こんなんじゃだめだ、できることを考えよう」「ポジティブに考えよう」「早くこの状態から脱出しなければ」とあせって、ジタバタした。今は行き詰っても、やがては広がるときが来ることはわかっているので、「さて、今回の行き詰りはどこまでいくか」「とことん行き詰ってやろうか」「どうこれを楽しむか」なんて、考えたりする、どこかに出かける、本を読む、シャワーを浴びる、会話をする、心の赴くままに。自分と対峙する限り、行き詰るのはむしろ当然。センシティブであろうとすればするほど。
2010.09.19
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いくつになっても「したり顔」の大人にはなりたくない。「したり顔」とは、「こんな風にやればうまくいくんだよ」「人生とはこういうものだ」「仕事とは、家庭とはこういうふうにやればうまくいくんだよ」といったように、「答え」が見えた・わかった風なことをいう大人。いくつになっても、ずっと青っぽいことを考え、言い続け、やり続ける。青年期も中年期も壮年期も老年期もない。いや、むしろ、年をとるほどに青っぽいことを言い出す、やりだす。完成しない。生きることは「遊び」、「お遊び」ではなく、「真剣な遊び」。その瞬間に夢中になる、一心になる。遊びがおもしろいのは、何が起こるかわからないこと。どうなるか、わからないからおもしろい。過去と未来に縛りつけられると自分の中にある太陽が輝かない。「自分らしくあろう」と縛りつける必要もない。変われば変わっていいじゃないか。そもそも自分なんて、変わるもの。今、この瞬間何かを創る。思いついたら、パッと行動する。結果なんて、その時になってみなきゃわからない。決意とは固く、身構えて、怖い目をするのではなく、今この瞬間に自分を解放すること。ありのままで居ようと決める。両手・両足を目一杯広げて、空に向かう。すると、自分の中の無邪気な子供が騒ぎ出す。ねえ、何かをやろうよ!って。
2010.09.19
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南青山にある岡本太郎美術館で、パッション、情動の息吹を感じる。すでに故人であるのに、まるでそこに存在しているかのような躍動感のあるアトリエ。実物大の像はまるでこちらに話しかけてくるような、生きているかのよう。絵は原色がまぶしく突き刺さる。いつなんどきでも自分との闘いをやめなかった。<TAROの言葉>*「自分らしく」なんて、クソクラエ。どうでもいいじゃないか。ヒマ人の寝言だ。 今、この瞬間、命を開かせる。今、やれることを全身全霊、無目的にやる。 命がパッと広がっていく。*人に認められよう、うまくやろう、ときょろきょろしていると、無限に弱くなる。 認められなくていい、認めさせない、と決意してやれば何も怖くない。*みんなおかしいんだよね。なんか、升みたいなものにエネルギーがたまっていて、一定の 分量に達するとポーンと爆発するんだと。そんな風にえらく素朴に物理的に考えている。 そうじゃないんだ。 エネルギーがあるから爆発するんじゃない。エネルギーなんかゼロでも、マイナスだって やることがある。やりたい、だから爆発する。人間の情熱とか行動ってそういうもんだよ<TAROを全身全霊で支えたTOSHIKOの言葉>*誰もTAROになれないと思っている。あれは特別な人なのだ、と。だからなれない。 私はずっとそばにいたから知っている。岡本太郎は決して特別な人ではなかった。 優しくて、デリケートで、神経は鋭いし、痛がり屋の本当は弱虫といっていいくらい。 決して蛮カラの豪傑ではなかった。*ただ、決意したのだ。その決意を貫いた。決して変えなかった。だから強いと見えただけ。*みんな自分を輝かせたい。ぼくは、私は、もっともっと凄い力を秘めているのに、誰も わかってくれない、と密かに口惜しい思いをかみしめている。 ならば、うじうじしないで、そのようにふるまうべきよ。 平気じゃないの。誰に遠慮しているの?*これでわかった、自分はこういう人間だ、なんて思ってもそれは一時の幻想、迷妄にすぎない。 だから、追いつめて、追いつめて、らしくなんかじゃないギリギリの自分を突き詰めて みることに、ファイトをそそられる。今年の前半、なにやら人生ひと段落、みたいな風に考えていた自分。いやはや、とんでもない思い違い。自分とのファイティングポーズを下ろしたら、もうそれでジエンド。生きながらの死。再び、以前より数倍、数十倍、いや以前とは全然違うレベルでファイトする。
2010.09.18
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久しぶりのアップです。おもいたったら即行動。何でもすぐにやるのは勢いをますためにも大切なこと。皆さん、百聞は一見に如かず、って知ってますよね?じゃあ実はこのあとに4つ続くって知ってましたか? 百見は一考に如かず 百考は一行に如かず 百行は一功に如かず 百功は一幸に如かず と続くそうです。なるほどなあ、と思いました。
2010.09.06
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最近ずっとブログ更新をご無沙汰しています。気付きや学びは日々加速度的にたくさん起こっているのですが、それが直接的に仕事と結びついているいることが多く、公開ブログに書きづらいのです。結論だけ書いてもその経緯を書かなければ読んでいる人はなんのことかさっぱりわからないだろうな、と思ってしまったりします。なので、ブログから自然と離れていたのですが、最近私のブログをかなり読み込んでくれた方が居て、改めて公開しておくことの大切さを知り、びっくりしたことがありました。かなり以前の記事にまで遡って読んでくれていたことがわかり、うれしいのと驚きが入り混じった感情を抱きました。そして、その人は私がなぜ今こうした道を歩んでいるのか、ここ15年くらいの変遷の理由をものの見事に3分くらいにまとめて、僕に解説してくれたのです。「あなたは、以前こんなことを感じていたんですよね」「その頃こんなことに不満を持っていた・・・」「だから、こんなことを求めてこう動いたんですよね」それがあまりにも的確な言語表現でかつ深い洞察だったので、僕としてはおへそのあたりまでその言葉が入ってきてしまいました。こんな素晴らしいフィードバックを得られるなんて、このブログを書いてきていた良かったなあ、と。そして、自分自身の変遷の経緯をまるでビデオ映像を見るかのごとく振り返ることができ、そうそう、そうなんだよ、と自分を確認することができました。どこで誰が見ていてくれるかわからないもんだ。自分がやっていることを自分の狭い了見で勝手に決め付けることはやめよう。そんな感覚になりました。Sさん、ありがとうございます。またお会いして、いろいろお話しましょう。先日はSさんの問いにまだしっかりと答えていない部分があるのので、次回お会いしたときにはきっちりとお答えしたいな、と思います。
2010.06.13
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三泊四日の北海道での仕事から戻ってきました。滞在中いろいろな方にお世話になり改めて感謝です。微に入り細にわたる心遣いを頂き、大変密度の濃い時間となりました。今の北海道はオンシーズンのスキーシーズンを終えて、リゾート地はどこも人影がまばら。とても、とても静かなのです。空港から降りて、電車で移動。途中本土にはない針葉樹の森を抜けていきます。電車を降りて駅からお迎えのバスで移動していくと、目指すリゾートホテルが忽然と現れます。今年はたくさんの雪が降ったそうで、あちこちに残雪が見えます。ロビーに着くと、シックでぜいたくな空間が広がります。レストランでも我々しかいない貸切状態で、ホテルスタッフの方とゆっくり会話をしながらの食事を堪能しました。特にほっけのおいしさには驚きです。ほっけという魚はあんなにおいしい魚なんですね。他にもいろいろ食しましたがいずれもとてもおいしい。スタッフの方によると一時期のアルバイトで来たつもりが、北海道の居心地の良さにそのまま何十年も居付いてしまう人がたくさんいるとのこと。ひとことで「これ」と決めつけることはできませんが、北の大地の非日常的な空間の中で、自分の世界観が少し広がった感じがあります。帰り際、一緒に出張した仲間ととても深い会話もできました。これもあのシチュエーションがあっての中身だったな、と思います。
2010.05.09
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北海道へ向けて移動中。仕事です。GW中はひたすら家の環境整備と読書。かなり片付きました。新しい本棚も出来たし、納戸もかなり収納力がアップ。達成感あり。片付けをしながらず~っと妻とコミュニケーションを続けました。たわいのない会話ですが、このコミュニケーションが私の人生の幹を強く太く豊かにしてくれる軸となっていることに改めて気付きました。読書は数冊を並列しながら読み、テーマの立体的な深堀に挑戦してます。北海道は約20年ぶり。楽しみです。
2010.05.05
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昨日の晩は息子と少しだけ酒を飲んだ。ビールは苦い、チューハイならジュースみたいでいけるかも、という感じ。アルコールがもたらす体内反応に違和感を感じる姿がなんとも初々しく見える。だんだんと顔が赤くなる。お兄ちゃんの反応を見ながら、娘達も興味を示し一口ずつ飲んでみる。『胸がかあっとなるね!』とやはりアルコールの反応が新鮮な様子。今朝は御殿場に移動中。初めての宿泊先にて楽しみ。娘のピンク柄のついたコロコロバックを借りる。意外に量は入らない。見た目はちょっと不似合いだがまあ今回はお試しということで。いつもコース前の朝に軽くジョグするのだが、うっかりランニング靴を忘れたことに気付く。今履いているのはランニング用ではないが、軽く走る分には問題ないだろう。さて今年はどんな新入社員の皆さんなんだろうか。先入観なく目の前のお一人としっかり対話してこよう。緊張感とワクワク感の交わりを心地よく感じる。仕事って大変なこともありそうだが、なんだか面白そうだ、と良き未来につながりますように。最近、頑張った人には必ず次の成長への機会が諸手を挙げて大歓迎してくれるんだ、という強い確信を抱くようになあています。それがとても素敵なご褒美なんだと。大きな流れへの畏敬の念を抱く。人生への信頼感が深まる。感謝です。
2010.04.04
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1週間ロスに行ってきました。家族での海外旅行は久ぶり。5人で旅行にいけるのもなかなかないかもしれない、もろもろ今までお疲れ様でした!旅行です。初日は時差ボケ眠気まなこで、ビバリーヒルズ、ハリウッド、チャイナシアターなど見学。マリリンモンローの手形に自分の手形に合わせたり。次の日はユニバーサルスタジオへ。スタジオツアーでジョーズが出るぞ、出るぞ!とワクワクドキドキしていたら、意外にしょぼい・・・全然こわくな~い。飛行機が落っこちている風景や車が飛んでくる仕掛けはさすがハリウッド映画のセットだなあ、と感心。後は、バックドラフトの炎やマミーの後ろに下がるジェットコースターなど。3日目は2つのディズニーランドへ、最後の花火は日本より迫力あり、本物の人間ふが扮したチンカーベルがシンデレラ城の上を飛んでいくのにはびっくり。日本だと消防法などの規制があるところ、USAはそういうものはないみたいですべからく仕掛けはハデでした。てなことで、夜はバタンキューでのハードスケジュールでしたが、子供たち(特に女の子)は喜び、息子はしぶしぶついてくるみたいな図式でしたが、いい旅でした。一方で、ダウンタウンはかなりさびれた感じ。予想よりもさみしい感じでびっくり。かなりおしゃれなイメージを持っていただけに、ギャップあり。空にそびえる摩天楼とのギャップも経済格差を感じさせました。ダウンタウンを歩くとなぜか、何を言っているかよくわからんおじさんが近づいてきては、あれこれ声をかけてくるので、娘たちはビビりまくり。「なんと今住んでいる日本は平和できれいな国なんだ」と再認識していた様子でした。 帰りの成田近くで強風で空中旋回していて降りれず。アナウンスで「20分間旋回しま~す。降りれない場合はご了承くださ~い」というアナウンスがあり、「何を了承するんじゃあ??」とお互い知らない人同士がざわざわしていたのがおもしろかったです。さてと、旅行も終わり今月は怒涛の研修シーズンです。あちこちいきます。仕事だけと、仕事という枠組みを超えた活動にしていきます。自分も旅行を経て「日本はやっぱり素晴らしい国だ」という再認識を持ちました。なにゆえ、今、閉そく感だの、停滞感だの、言われっぱなしでないといけないのか。そうした集団催眠的な罠の入り口にははまらないように、しっかりと目の前の人々と一緒に貴重な時間を過ごそうと強く決心してます。目の前で接する人々は確実に熱き血潮の流れる生の人間です。そんな言葉でひとくくりにされてはたまりません。自分の目で、体でしっかりと現実と向き合い、輝かしい未来を築いていくお手伝いをする。根拠のよくわからない惑わしにはのらない。まだまだ、まだまだ、勉強したいこと、知りたいこと、やりたいこと満載。大量のインプット、大量のコミュニケーション、大量の体験をしていこう。おかげさまで息子も新生活をフル回転で始めました。さっそく明日からクラス合宿だそう。お酒が飲めるかどうか試す、といっているので、お手伝いしないとね(単に自分が飲みたいだけ?)笑。さみだれ式日記となりました。ご了承を。
2010.04.03
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自分は何がしたいのか、何を大切にしたいのか、明確に自分軸とすることがとても大切。他人がどう思おうが、他人に受けるかどうか、時流にあっているかどうか、正しいか正しくないか、とかそういうことではなく、自分の心の奥底の叫びはなんなのか、ほとばしるエネルギーを本心から何に使いたいのか?元気がないなんて、気のせいです。うわっとほとばしる歓喜のスイッチを押せてないだけ。そう簡単にはスイッチは見つからない。もがくしかありません。もがけばいつかは見つかります。もがこうとするか、スルーするかは自分次第。改めて自分に言い聞かせてます。
2010.03.15
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居間においてあるパソコン。今年の正月開けてから調子が悪くなりました。原因はわからないのですが、なぜか立ちあがってもすぐに、落ちてしまう。一方で、そのころ息子がパソコンのゲームにはまってしまって、昼夜逆転してしまうという現象が起きていました。「この状態だとまずい。なんとかゲームをしないようにするにはどうすればいいのか」と感じていたところだったのです。プライベートのメールが使えなくなったことにより不便はありましたが、パソコンが壊れたことでゲームができなくなり、助かりました。買い換えようと思ったものの、とにかく結果が出るまで待つことにしました。そうしたら・・・・ある時、突然何事もなかったように、パソコンが直っていました。それもちょうど、2次試験が終わったあたりから。そして、それを見た私はひそかに「これは合格しているかもしれない」「パソコンが直ったということは、もうゲームしてもいいよ、という合図かも」そして、その予感は的中しました。目に見えない力が私たちをサポートしてくれたのだと確信しています。壊れたときと直った時のタイミングがあまりにも絶妙だったから。念ずれば通ず。人生への信頼感が増した体験でした。今回の一連の成功体験は私にとってもとてもとても大きな影響を及ぼすことになりそうです。人生をオセロゲームに例えるならば、過去打ち手がまずったかな、これはどうだったかなと思っていたこともいくつかあったのですが、今回の件で、オセロゲームの白黒が一挙に全部白になった。結局オールOKだったんだと。他者(息子)への応援、他者の成功のために全力で取り組み、結果が出た。自分自身の成功を追い求め、結果を出したとしてもこれほどの解放感はなかったかもしれない。息子が合格し、親父や義父・義母が喜びの雄たけびを挙げてくれる。キャーキャー喜んでくれる。他者を支援する、誰かと一緒に喜びを体験する、ということの中に、人生の喜びの本当の本質が隠されているのではないか・・・それが実感を伴ってしみ込んでくる。そのことが、これほどまでに、自身の充実感と解放感をもたらすものなのか。本当に、すべてのあらゆる力に感謝です。
2010.03.13
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本日無事、息子の大学、合格しました。センター試験以降、時間が止まったのか、と思うくらい長い長~い時間でした。今はとにかく、ホッとしているのと、周りへの感謝で満杯です。しばらくは喜びを味合うことにします。ありがとうございます。
2010.03.10
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今週はホント~に濃い1週間です。仕事も朝から夜遅くまで、息子の大学2次試験もあり、仕事も家もフル回転。バタンキューで布団に入っています。毎日お会いする方々とは心の底からの本音トーク連発で、こちらもいろいろと考えさせられることばかり。業界や構成人数が違っても、人が集まる組織には共通のテーマがあるんだなあ、と改めて自身の為すべきこと・為したいことを反芻しています。「今この課題を抱える方々と一緒に、自分は何ができるのか?何がしたいのか?」今何を思っているのか、感じているのか、どうしたいのか、自分と向き合い、きちんと言語化して、周りの人々と共有し、対策を練っていく。途中批判的な話が出ても、それを本音で語り、周りとシェアできれば、そのうち場に前向きなエネルギーが湧いてくる。本音で語らないといつまで残念な想いがくすぶり、前向きなエネルギーに転換しない。表面だけの話が通り過ぎて行ってしまう。つくづく大切なことだな、と感じます。それができると一日終わったときに「ああ、今日は全力で完了したっ!!」と安心して怒涛の眠りにつくことができます。本音で語らないと、周りは間違った判断をしてしまうかもしれない。後になって「なんだ、そんなことならもっと早く言ってくれてたらよかったのに」「そういうことなら、こういう手立てが打てたのに」となってしまっても後の祭り。きちんと自分自身を主張していくには、自分軸が必要。エネルギーも必要。ビジョン、ミッション、パッション。この三点セットが必要。今日も1日フル回転で。週末はPTAの役員選考会があります。本部役員に推薦いただいています。これまたまったく未知の領域。どんな展開になるのかなああ?
2010.02.26
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今年は変化の年、という位置づけで、大きな変化に向けてトライ中です。年末に行った自分の棚卸を踏まえて、年明けから大きな変化の兆しが見えてきたので、しばらくはそちらに意識を集中して、具体的に動いていました。仕事の面です。結果として、形(外から見たら)そのものは大きくは変化ないのですが、内面においては大きくふるいにかけることになりました。また、今後将来長く付き合っていただけそうな人物とも新たに出逢うことができました。自分の使命、なしたいことに真正面から向き合って、今できることは何か?と実際に動いてみました。行動できるところまず行動してみる。最近、自分でも驚くほどに心が穏やかです。気分がいいのです。それに伴い、外から見ても変化しているようで「最近、様子が変わりましたね」と言われます。「~しなければいけない」という動機で動くのではなく「~したい」という動機で動くと、結果がどうあれ、それがシナリオなんだな、と落ち着いて対応できます。それがベストなんだなと。関わる方々が懸命に動いていただいている様子が伝わってきて、自分や自分の人生に対する信頼が増します。「心が弱いと周りで起きてくる事象の影響で心がぶれてしまって今を楽しめなくなる」どんな事象が起きようが、寒い時は雪が降り、太陽が照れば暖かく、お腹がすけばご飯を食べ、のどが渇くと水を飲む。こちらが穏やかに笑顔で接すれば、相手からも笑顔が返ってくる。周りで起きてくる事象と内面の心の動きを切り離して、コントロールする「すべ」をようやく身につけてきたのかな、という実感です。頭だけで考えるのではなく、体全体でそれを管理する。結局、自らの人生の中でトライ&エラーを重ねることでしか身に付かない。新しいことを始めれば失敗するリスクも増える。それはごく当たり前のことで、どうということはない。一番怖いのは何も新しいことをやろうとしないこと。以前は起きてくる事象で心が振り回され、上がったり下ったりするのが当たり前だ、それが普通だ、と思っていました。しかし、今は、どんな事象が起きても、一定の高いレベルでいい気分や穏やかさを維持することは可能だ、という理解に至っています。そのコツは1.自分が何者か、何をしたいのかできる限り明確にすること2.細かく自分を観察すること=頭の中、心の状態、肉体の状態に微細なセンサーを働かせ、マイナスの変化をしそうなときは即座に対処し、マイナス連鎖を断ち切るそして、これはチームや組織にも適用できるコツです。先日ある方から言っていただけました。「あなたが来るとみんなが元気になる」このひとことに私の存在意義、自分軸のすべてが表現されている気がしています。
2010.02.11
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ためしてガッテンから。体重を「測るだけダイエット」を初めて1カ月。その成果は・・・・???結果、2.5kgダウン!!1カ月で3kg以上減ってしまうとリバウンドがきてしまう、ということなので、かなりいいペースじゃないですかああ!!(自画自賛)。部屋の目立つ所にグラフが貼ってありますが、 確かに少しづつ、右肩下がりになってます。途中上がったりしてジグザグになっていますが、全体として右肩下がりのライン。引き続き、グラフにつけていきましょう。「グラフにつけるとなぜ痩せるのか?」はもう少し減ってから書きますね。
2010.02.07
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何か物事がその人に触れたとき、その人が自動的に頭の中で引き起こす思考を自動思考といいます。それはさらに奥底の中核思考(その人の行動・思考の源泉ともいえる核となる自己イメージ)の派生。そして、多くの場合頭の中で浮かんだ思考=自分、現実と思いこんでいます。思考や考えはあくまで思考、考えに過ぎず、自分そのものでもなければ、現実そのものでもないのに、なぜか自分そのもの、現実そのものだと思いこんでしまう。私の場合、自動思考のパターンとして存在するひとつが「早くしたい思考」。何か事が起きたとき、何かを思いついた時、その時即座に対応しないと気が済まない、という傾向があります。行動が速い、考えを即座に行動にあらわすという長所がある反面、相手のことを考えずに矢継ぎ早に要求をしていしまう、とりあえず自分の言い分を全部言ってしまおう的なふるまいをしてしまうことがあります。逆に、「自分はのろまだ」という自動思考を喚起する方もいます。仕事にしても、プライベートにしても処理スピードが遅い、という自己イメージです。しかし、冷静になって「自分はのろまだ、という根拠は?」と問うてみると、実は根拠がなかったりします。「自分はのろまだ」というのはあくまで思考に過ぎず、事実でもなければ、自分そのものではなく、その時、たまたま相対的に自分のほうが処理が遅かったかもしれないけれど、比べる対象が違えば、基準も異なる。こうした自動思考に気づくためには、自分の思考パターンがどうなっているのか、気づいたたびに紙に書き出すこと。そして、書いた紙を読み直し、他に解釈の仕方がないか?尊敬するあの人だったらどう考えるか、最高に気分の良い状態の自分だったらどう判断するか、など他の選択肢を探ってみる。そうすると、思考は単なる思考に過ぎないなあ、それによって自分を枠決めしているなあ、とに気づくことができます。すると、スッと解放される感覚があるのです。この辺の段取りはまたいずれ整理して、ステップを踏んで記述しようと思っています。
2010.02.03
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「あの時、ああすればよかった・・・」「あの時、あれさえなければ、私の人生は違っていたのに・・・」「このままいったら私はどうなるのだろう?」「もし、あれがうまくいかなかったら・・・」一体、どれほどの思考が一日のうちによぎるのでしょう。一説によると、五万件の思考が脳をよぎるといわれています。一体、私たちはどれほどの時間、「今そのもの」を生きているのでしょう。家から駅まで歩く間、あなたは何を見ていますか?何を聴いていいますか?何に触れていますか?昨日私は同じ街にある昭和の大スターYMさんの家の表札がローマ字であることを初めて発見しました。ここに移り住んで10年以上、何度となく「あれがYMさんの家だよね」と認識していながら、表札がローマ字であることを10年経って初めて知ったのです。驚きでした。今まで見ているようで見ていない、という事実に。なぜ、発見できたのか?そのとき、私は徒歩でゆっくりと歩いていたからです。そして、新ためてゆっくりと周りを観察していたのです。なぜ、発見できなかったのか?見ているようで実は見ていない。聴いているようで実は聴いていない。目には入ってきている、耳には入ってきているのだけど、あっという間に通り過ぎてしまう。空の青さ、空気の冷たさ、誰もいない静けさ、誰かの優しい表情、ちょっとしたしぐさに隠された秘密、じっくりとよ~く見ていれば一瞬たりとも同じではなないのに、まるで同じ時間が次々と、まるで手のひらから水がこぼれおちるようにどんどんと過ぎ去っていく。そして、残るのは過去への憐憫と未来への不安を抱えた小さな自分。成し遂げたことへの自信と未来への希望。今現在を安心して過ごすためには必要なことだけど、今現在を感じるのにそれが絶対条件じゃない。金輪際見た目に誤魔化されるのはやめよう。金輪際その人が何を成したかに目を奪われるのをやめよう。そんなことに注意をするのではなく、今という時間を味わいたい。今、この瞬間何を見て、何を聴き、何を感じているのか?今手には何が触れているのか?頬には何を感じているのか?目には何が映っているのか?口の中の感覚は?どんな匂いがしているの?五感をフル活用して今を感じることができれば、なんとも豊かな時間。五感を使わずに思考だけ使うとなんとも窮屈な時間。
2010.02.01
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昨日のNHKスペシャルで「無縁死」を取り上げていました。朝新聞を見たときから、この番組を見ようと決めていました。「無縁死」とは、誰にも引き取られることなく、無縁仏となっていく方のことで、日本ではなんと、年間 3万2千人に上るとのこと。そして、無縁死が起きたときに身辺整理を行うために行政が委託をする、「特殊清掃業者」というビジネスがここのところ急成長しているという内容。個別ケースにおいて、東京で亡くなった方の故郷まで、その方の人生を過去にさかのぼる取材もありました。 かなり、重い内容でしたが、しっかりと腹と目を据えて、注視しました。これも今日本で起きている現実の一つ・・・
2010.02.01
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メンタル的にしんどい方がだんだんと増えてきているなあ、という実感です。第三世代の認知療法の中に、「マインドフルネス」という概念があります。これは「今の現状をあるがままに見る」という習慣をつけることで、自分の思考と自分自身を切り離して観察する、という習慣をつけることを促進します。これは仏教でいう「ヴィパッサナー瞑想」のことです。「ヴィパッサナー」とは「観察する」という意味。マインドフルネスのエクササイズに「レーズンエクササイズ」というのがあります。自分はまるで初めてレーズンを見たという前提で、よ~くレーズンを見て、じっくりと観察して、匂いを嗅いで、ゆっくり味わい、唾液が出るのを感じて、飲み込みたいという意思も感じる。「今、この瞬間自分は何を感じているのか」を私たちはほとんど感じていません。何をしていても常に「思考」が頭を支配しています。「あのときあれをしなかったどうだっただろう・・・」 「これがああなったら、どうだろう・・・」と過去と未来に関していつも頭を働かせてしまっています。頭の中の「おしゃべり小人」をいつも稼働させてしまっています。そのおしゃべり小人を鎮め、今に集中することによって、心が静まっていく。昨日、NHKのワンダーワンダーでフリーダイビングで100mを越えると「グランブルー」の世界となり、海と自分が一体化する至福感を味わうと紹介されていました。日常でもその一端を味わうことができれば、今現在起きている様々なメンタル障害は回避できるのではないか、と考えています。
2010.01.31
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今回15年~20年ぶりくらいにお会いした親戚のおばさま方が総じて若いことに驚きました。半分が60歳代、半分は70歳代ですが、いずれもとても若い。中には私が幼いころ会ったイメージそのままの方もいて、そこだけ時間がストップしているみたい。兄妹で「なぜあの人はあそこまで若さを保てるんだろうか?」という話をしてました。60歳で定年になって、年金をもらい始めたといういとこにあたる叔母がいるのですが、見た目は40代後半~50代前半といってもいいので、「定年」とか「年金」といった言葉がまるで似合いません。制度と現実はだんだんと乖離が始まっているようです。私はそういう叔母様たちから「あれぇ、ひでちゃん、お久しぶりね。貫禄ついちゃった感じね」「でも、昔のかわいいお顔は面影あるわね」とか、昔の幼いころの扱われ方で、いくつになっても自分と彼女たちの関係性は変わらないんだな、と少し軟らかなクッションで包まれたような、くすぐったさも感じました。道中車の中で3人兄妹で子供のころの思い出話やらこれからのことやら、ずっと話をしていました。片道6時間往復で12時間ほどかな。真面目な話やらドジ話やら、車の中はほぼずっと笑い声が絶えませんでした。同じ家族体験をしていても、兄妹によって感じ方・見方がまるで違う。お互い「へえ~そんなことがあったんか。知らんかったなあ(飛騨弁)」ということもあり、いろいろ楽しめました。
2010.01.25
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飛騨高山から戻ってきました。やはり東京とは気温が違います。お通夜、告別式と出席してきました。まるで眠っているかの如く本当にかわいくきれいな姿でした。 生まれながらに心臓に重い疾患を持っていた子で、3年間の人生のうち自宅で過ごしたのは9ヶ月間、残りは病院で過ごしました。食事制限、水分制限も余儀なくされていたそうです。喪主であるお父さんの言葉が本当に胸を打ちました。「一度でいいからお腹いっぱい食べさせてあげたかった・・・」ご遺族の悲しみを受け、随分と涙を流してきました。心の底から慟哭しました。随分と久しぶりの親戚の方々とも再会を果たしました。あまりにたくさんの出来事があった2日間でした。整理できたらまたアップするかもしれません。しないかもしれません。
2010.01.24
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子供のころから家族ぐるみでずっとお世話になっている叔母のお孫さんが、天に召されました。2歳・・・あまりに沈痛な状態に声も出ませんが、今からお通夜に出発します。こういう状態のお通夜は過去経験したことがありません。場面を想像すると耐えがたく、いったいなんと声をかければいいものか、途方にくれます。ただ、一人でも多くその場にいて、ほんの少しでも痛みを分かち合うことができれば、と思っています。場所は雪国・飛騨高山。東京にいる兄と妹3人で帰ります。こんなときはやはり兄妹が心強いです。
2010.01.23
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心の奥底のささやきに耳を傾け、素直に従う時、何か目に見えない力が応援してくれていると感じる時、物事はスムーズに進む。頭だけで考えている時、自分一人だけでやっていると感じる時、物事はギクシャクして進まない。
2010.01.21
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前に進んでいるとき、中心に向かっているとき、物事がスムーズに進む。後退しているとき、中心から外れているとき、なんだかぎくしゃくして物事が進まない。
2010.01.20
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私が「シャワーの舞」と名付けたワークがあります。これを行うと一発で、10秒で心晴れやかに元気に、いい気分になる技です。シャワーを浴びます。頭からシャワーをかけます。頭からシャワーをかけながら、腰を振って踊ります。できる限り、全身を使って。どんな言葉でもいいので、気持ちよく舞える言葉を投げかけます。「今日はいい気分♪、最高最高♪調子いいぃ♪~」「とってもとってもリラッ~クスぅ~♪」とかなんとか、バカバカしくなって笑っちゃうくらいやります。もし、鏡があれば鏡に向かってやってください。その姿に100%笑います。「本当かな?」と思った方、すぐにお風呂にはいってやってみてください。本当に即効性があります。元気になるために何か外から取り入れる必要ありません。これをやれば即座に体がウキウキ。早く何かをしたくなってきます。数年前に発見して(そんな大げさなものではないけど(笑)、たびたびブログに乗せてきましたが、やはりとても効果ありますねえ。自信を持ってお勧めします!
2010.01.19
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大阪からアップです。偶然目にしたスイスアルプスの物語。あの美しい風景は自然が創ったのではなく、500年かけて人口的に創りあげられたという事実。驚きました。アルプで子供たちが夏を過ごす度に、人生に対する 「アルプ力」 が付くという・・・急に話変わりますが・・・電話での親父の反応、言葉。とてもうれしかった。あんなに喜んでくれるなんて。心に響いた。書き残しておきたくて、書きました。
2010.01.18
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胸のあたりからライトを照らす。あたかも胸からライトを照らしているように感じてみる。不思議なことに周りの人との距離が縮まる気がする。見も知らぬ人もごく近い距離にいる気がする。動物とも近づける。ルンルン(ペットの犬)を連れて散歩に出かけた。ルンが公園で砂を掘り始めた。すると、そばでサッカーをしていた男の子3人が、なんだなんだ、と興味を持って近づいてくる。すぐそばまで近づいていくと、 突然ルンが大きな声で吠える 「ワン!」びっくりした少年たちは私の周りで転げまわる。大きな笑い声をあげながら。ある子がおばあちゃん家の犬の話をしてくれる。「へえ~、そんなことがあったんだあ」 穏やかな昼下がりの光景。もうすぐ、センター試験2日目が終わる。何はさておき、ねぎらいの声をかけてあげよう。
2010.01.17
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今日からセンター試験。快晴の天気!感謝。電車トラブルはまったくないだろう、とはわかっちゃいるものの、つい電車に乗って会場へ。どんな所でセンター試験をやるのか見ておきたい、という好奇心もあり、試験場所は国士舘大学、駅は世田谷線松陰神社前。初めての訪問。「集中しているのでくれぐれも道中は声をかけないでね!!」と猛スピードで歩く本人の後から、まるで影武者のように、ナビタイムのヘルメットおじさんよろしくついていったのです。京王線から世田谷線へ。久しぶりの世田谷線。スイカも使えるようになってました。相変わらずのキュートな車両。無事本人を送り届けたことを確認し、吉田松陰を祀った松陰神社にお参り。松下村塾を再現した屋敷もあり。特大野菜パンを格安で販売している、オカムラベーカリーを発見。なんだか、得した気分。18歳にもなる大人に夫婦二人も付いて行かんでも、と頭ではわかっちゃいるが、体が動く。ついこの間まで小学生だったのに・・・といろんなシーンが頭がよぎる。まずは無事スタートを切れて、安堵感。
2010.01.16
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NHK「ためしてガッテン」編集の『やせるスイッチ 太るスイッチ』を購入。書いてあるのは『朝晩の体重を測り、記録するだけでやせる』というもの。開始して、まだ3日目ですが、朝起きて一番軽い時と、夕食後の一番重い時の2回測ると、 ジグザグ状の折れ線グラフになります。ジグザグを描きながら、少しづつ右肩下がりになっていく。一日、50gから100gというごくゆっくりしたペースで。リバウンドがないように。消費カロリーより摂取カロリーが増えてしまう。これをなんとかしたい。でも、意志力だけでは難しい。グラフ記入をしばらく続けてみます。
2010.01.15
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なんとなく、疎遠になっているな、ちょっと引っかかるな、という人がいれば、そう感じたときにこちらから声をかけてみましょう。なんとなく、遠くなっているな、と感じているのは、おそらく先方もそうなので、こちらから声をかければ、よほどのことがない限り、先方もうれしいはず。そんなときに「向こうから声がかかるのを待とう」というのは、気になっている間の時間と心的エネルギーがもったいないです。ササッとこちらから声をかけてしまいましょう。そうすると案外「そうそう、そう言えばね・・・」ということで、向こうから新しい話が舞い込んでくる可能性も高くなります。
2010.01.14
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あれをやらないと、思っていることをつい先延ばししたり、うっかり忘れてしまったり、することないですか?「あれをまとめてやろう、でも今は時間がないから」といってつい先延ばしになる。ブログも何かアイデアが浮かぶまで書かない、浮かんだら書こう、としていると一向に書けなかたったりします。でも「なんでもいいから、2行でいいから書いておこう」と書いて、下書き保存に残しておけば、後は、推敲するだけでアップできます。最初の数分のとっかかりさえしてしまえば、案外ペースに乗るものです。思いついた時は新鮮なイメージがあるので、その時、ほんの数分でも取り組んで記録を残しておくとと後からの作業がグンと楽になります。やろうとすること、気になっていること、は思い浮かんだらそちょっといいので、何か前に進めてみる。無意識放置をやめて、前に進めるとだんだんと毎日に勢いがついてきます。機嫌が良くなっていきます。
2010.01.13
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どんど焼きの大きな炎。上昇気流がすごいです。今年3回目の天満宮参り。父が送ってくれた実家の天満宮の絵馬を地元の天満宮にお供えしてきました。昔私が大学受験の時、亡きおふくろが何度も何度もお宮参りをしてくれていたこと、後から父から聴かされました。おばあちゃん、もうすぐあなたが深く愛してくれた孫が挑戦の時を迎えます。応援よろしくお願いします。今日のテーマは「事実を言葉にする」です。昨日高校に入って初めてバトミントンの試合をしてきた長女が戻ってきたときのこと。私「どうだった?」娘「3回戦で負けた」私「そうか、2回勝ったのか」ほんの数秒の会話だったのですが、私はひそかにガッツポーツをしてました。この会話の後娘が「良かったあ、勝てることができて・・・」とポツリと実感を込めた独り言をいっていたからです。「3回戦で負けた」と「2回勝った」はいずれも事実です。事実なのですが、ややもすると人は自分の中で「3回戦で負けた」ことのほうをクローズアップしがちではないかと。日頃何気なく当たり前のようにこなしていることの中に、とても素晴らしい事実があるのに、それを流してしまい、うまくいかなかないことに焦点をあててしまう。毎朝起きて、出勤する、それを何十年と続ける。毎朝起きて、食事を作って、掃除をする。それを何十年と続ける。それだけでもすごいこと。すごい事実です。自分が今までやってきた事実を認めて、言葉にする。相手が今までやってきた事実を認めて、言葉にする。それだけでも、エネルギーがポンッと上がります。
2010.01.12
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映画アバター見ました。美しい映像とストーリーを堪能しました。空を飛ぶシーン、なんとも憧れますねえ~。あんな風に飛んでみたいッ!今朝、どんど焼きに参加したのですが、人々が火の周りに集まって敬虔な面持ちでいる姿と、アバターで出てきたシーンが重なり、人間には国籍を越え、共通した祈念の想いがあることを実感しました。アバターのキャメロン監督は映画の構想を1995年に思いついていたそうでですが、当時の映像技術では映画化が不可能であり、時機を待っていた。現在の技術であれば映画化が可能ということで制作に踏み切ったと聴きます。その間15年間。その間ずっと想いを温めていたのでしょう。「今はまだできないかもしれないけれど、いずれ、やる」そういう何かがあるだけでも、人生にハリが生まれます。他の誰かのものではなく、自分自身のもの。「このことは自分にしかできない」そんなことに気付いた時、エネルギーはグググッと上がり、悪玉ウィルスは退散するしかなくなる。「強い想いは最大の防御なり」そんな感じでしょうか。
2010.01.11
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今の自分の状態を客観的に確認できると便利だと思いませんか?今調子がいいのか、悪いのか?それを見れば一目瞭然すぐにわかるという判断基準はあるのか?もちろん、自分の体調やモチベーションは自分でも感じられるので、今調子がいいのか悪いのかをおおよそ判断はできます。過去の自分とも比較してみればある程度はわかる。ただ、自分だけの判断というのはあてにならないものでもあります。調子がいいと思っていても実は一時的な盛り上がりだったり、そういうふうに思いこませようと自分で無理をしていたり・・・じゃあ、今自分は調子いいのか、悪いのか、何を見れば明確にわかるのか。ズバリ「自分と最も近しい存在の人の調子を見る」です。ほとんど毎日接して、一日の多くの時間を一緒に過ごしている人が、今元気か?笑顔がよく出ているか?調子が良さそうか?その人が調子が良さそうであれば、自分も調子がよいし、その逆もそう。さあ、今もし、すぐ横にあなたの大切な人がいるなら、その人の調子をじっくり観察してみましょう。その人は今、元気ですか?生き生きしていますか?楽しそうですか?漠然とその人を見るのではなく、よ~く、じっくり、そのつもりで意識を傾け、しっかりと視界に捉えて、見る。表情、体の動き、声のトーン、全身から発するエネルギーなど、しっかりと見る、感じる。一緒にいて調和がとれている感触がありますか?居心地がいいですか?YESであればあなた自身も調子がよくて、バランスが取れている状態。Noであれば何か変えたほうがいい、というメッセージ。あなたの内面の状態は間違いなく周りの人に伝わっています。周りの人の調子に確実に影響を及ぼしています。あなたがいい状態だと、その良き状態が周りに伝わり、周りの人も調子よくなります。あなたが悪い状態だとその悪い状態が伝わり、周りの人も調子悪くなります。今、周りの人がいとおしいですか?
2010.01.10
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毎日をエネルギーに満たされ、調子よく過ごすコツ。今年はこのブログにいろんな具体策を載せていきます。すべて自分自身で試して、これは有効だ、と体感したことばかり。机上の空論は書きません。調子が悪くならないような予防策として、ちょっと調子が悪くなったときの立ち直り策として、ぜひ使ってみてください。今日は「毒を意識する」ということです。「毒」というと過激ですが、体やパフォーマンスにあまりいい影響を及ぼさないと自分でもわかっているのに、つい手を伸ばしてしまうもの。私の場合は煙草とお酒でした。煙草はやめようとして、何度か復活して、また最近はやめています。精神力だけではどうにもやめることができなくて、二コレットクールミントの力を借りました。ちょっと値段は高いですが、投資効果はバッチリ。煙草をやめようと思って、やめられない方は一度試してはいかがでしょう。煙草吸いたいな、と思う時に噛むと確かにイライラ感は収まります。私の場合、煙草と運動は反比例します。「煙草を吸っているときは運動しない、煙草を吸っていないときは運動する」記録をつけた結果、関連性が深いことが明確に判明しました。おそらく今喫煙習慣がある方は同じように、運動習慣がない人が多いのではないでしょうか?煙草を吸っていると「体を動かそう」という意欲を吸い取られる気がします。逆に煙草を吸わなくなると、体を動かしたくなる。煙草を吸いながら運動習慣を身につけようとするより、ます煙草をやめると自然と体を動かしたくなる、というのはどうでしょう。自然な感じですよね。もうひとつがお酒。こちらはやめているわけではないですが、量は減っています。機会も減っています。以前はストレス解消、むしゃくしゃを晴らす、という感じで深酒をしていました。つまり、「よ~っし、今日は徹底的に飲むぞっ!」と気合を入れて、長時間、時には朝まで飲んでいました。確かにその場はとても発散できますが、翌日は最悪。パフォーマンスは全然ダメで、夕方まで機能しないことが多い。今は「よ~っし、お酒を飲むぞ~っ」といって飲むことはほとんどなくなりましたが、それでもそういう風に量を飲むと、どうしても翌日はパフォーマンス落ちます。また、飲みすぎるとついわずもがなのことを口走ってしまうというか、いまいちなパフォーマンスをしてしまう、という経験もあります(笑)。なので、今年はさらに量に気を配りながら、コントロールする方針、というか「まあ、ほどほどでいいかな」という感じです。純然と「お酒を楽しめる」ところで止める。お酒は深層心理と深くかかわっています。お酒をたくさん飲みたくなる、我を忘れるほど飲んでしまう、という心理の奥にはやはり「何か満たされないものがある」ことと関係が深い、といっていいでしょう。何かを我慢しているので、それをお酒をのむことで解消する、誤魔化す、という心理が働く。なので、毎日が「私はこのために生きている」と感じていることを為していると、それほどお酒を飲みたい、という気分にはならず、飲んでも楽しくいられる範囲内に抑えることができる。お酒を飲み過ぎて、翌日自分が楽しみにしていることが気持ちよくできなくなるくらいなら、飲まないほうを優先する。人生の中で、自分が本当にやりたいことと出逢えると、自然にお酒の量は減っていく。そんな感じですね。お酒を飲みすぎて、翌日の体調悪化に罪悪感を感じているんだけど、また同じことを繰り返してしまう方は、今一度「自分は本当は何をやりたいのか」を見直してみるのが、案外解消への近道かもしれません。今年も10日が経ちました。いろんな方とお話していると、ますます今年は「変化の年」だという感触が強くなってきています。マクロ的、世の中の流れにおいても、何か大きな方向性変化のスタートの年になりそうです。
2010.01.10
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一昨日、電車の中からさわりだけ書いたことの続きです。昨日書いた「OK出しから始めよう」もストレスにのまれてしまわないようにするための予防策のひとつです。自分を自分で笑うことができれば、まず問題ありません。大丈夫。問題になってくるのは、自分を自分で笑えなくなってくるとき。ストレスにやられかけている人たちの共通項は、大抵の場合、現状を深刻にとらえ過ぎています。笑顔が消えつつある。笑えなくなる。自分ではしごく冷静に現状を捉えていて、これがベストな取り組みだと思っているのですが、「こうするしかない・こうなるしかない」という思い込みが強くなっていて、無理をしているのが伝わってきます。「こんなはずじゃないのに」という想いが伝わってきます。つらい波動です。その状態が表情や体つきに現れています。ストレスをかなり溜めこんでしまって、はけ口がないまま内側で悶々としてしまっている状態。堂々巡りをしているので、いったんその堂々巡りのパターンを崩したり、切る必要があります。 いくつか候補行動があります。●自分で自分を笑う。「私、何こんなに悩んでんだろ?」とか言って自分をクスッと笑う●誰かに思いのたけしゃべる●想いのたけを書きまくる●泣く●似つかわしくないことをする。(例)深刻に悩んでいる人と油ギトギトのとんこつラーメンは似つかわしないのでトンコツラーメンを食べることはブレイクスルーのきっかけになるかもしれない)●外に出て、太陽を浴びる●歩く●走る●熱いお風呂に入る●仕事を休む●掃除する●身の回りの整理整頓をする●本当はやりたいのに忙しくてできない、と先延ばししていることを強行するそして、一番パワフルなこと。それは『この人生での天命(志)を発見し、それを実行に移す』言うは易し、行うは難しでなかなか見つからないもの。明確ならば、とうに実行しているはずですから、今現在ハリのある毎日を送っているはず。直感や感情に頼っていてはころころ変わる「ココロ」に惑わされて見つけにくい。直感や感情に左右されない、あなたの魂からの声。実は、ここまでの人生の中で既にずっとやり続けてきていることなのに、自分ではそれが自分の天命(志)だと気づいていないこと。なんだか理由はよくわからないけど、ふと気付くといつの間にか、それをしていること。また、ここに戻ってきたか、と思えること。「自分はいったい全体何をやりたいんだろうか?」「ここまで自分はずっと何をやりつづけてきたんだろうか?」とまずは「まともに真剣に」自分に問いかけることから始めましょう。あっ、これって「仕事」「職業」という括りにこだわる必要はないです。動詞のキーワードで表せるもの。「変革する」「育成する」「癒す」「楽しませる」「挑戦する」「応援する」「創る」「探求する」「役割を果たす」「守る」「助ける」「救う」などなど「天命?志?そんなことよりまずはXXだよ」と思った方。そこにあなたの天命、志のヒントがあるかもしれません。一度問うたくらいでは見つからないので、問い続ける必要があります。
2010.01.09
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一日を気持ちよく過ごすための簡単なコツ。『OK出し』をしてみましょう。結構、スッキリしますよ。やり方はとても簡単。じゃ、これからやってみましょう。一緒に。ごく軽いトーンで 『オッケーで~す』とつぶやいてみてください。いきますよ・・・・せ~の『オッケーで~す』言ってみましたか?もし、言ったならば、あなたは10人中1人の確率で存在する、『本当に行動する人』です。(笑)素晴らしい。ささっ、もう一回やってみましょう。やった人もやらなかった人も。せーの。『オッケーで~す』この時、できるだけ、明るい、軽いトーンで、少し間が抜けた感じで口にしてみてください。そうすると、どうです?なんだか、笑えてきませんか?『オッケーで~す』どうです?笑えてくるでしょ、クスッって。ねえ、ねえ、でしょ、でしょ!ほ~ら、笑ったああ(笑いを強制すんなって)なんだか、ちょっとだけ、大丈夫な感じになったでしょ。では、では、良い一日を!『オッケーで~す』
2010.01.08
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帰りの新幹線の中。今朝は御堂筋を軽くランニングして研修に望みました。とても気さくな皆さんで楽しく出来ました。また来ま~す。電車の中からなので、まえふりだけ。ストレスをうまく流す人は流すパターンを持っています。同様に溜め込んでしまう人は溜め込むパターンを持っています。それも、無意識に溜め込むパターンにはまってしまっているのです。もし、はまってしまったらそのパターンに風穴を開ける必要があります。
2010.01.07
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は~いっ大阪からですよ~。心斎橋にあるとても瀟洒なホテルに泊めてもらえて幸せです。インターネット使い放題でさくさくです。どこにいてもブログにアクセスできて便利な時代です。今日は明日の研修の準備のために大阪入りしたのですが、早めに大阪入りしました。 以前からぜひ逢いたかった人に会うためです。RANAKI主宰の天音らんさん。壁のない距離感・不思議さが最高です。多彩な経歴の持ち主でもあります。 現在大阪の都心部に事務所兼カウンセリングルームを構えて、提携講師陣とタッグを組んでカウンセリングやセミナーを展開していくべき 鋭意活動中。一緒にたこ焼きと明石焼きを食べました。さすが、大阪のたこ焼きやわらかくておいしい!せっかくなんで、写真を撮るつもりだったのに、楽しかったのでつい忘れました。一杯いろいろ話して、いろいろ気づいたことたくさんありすぎて、整理中。とにかく、らんちゃんありがとう!また逢いましょう。
2010.01.06
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今日はこれから大阪です。楽しみ。時間があまりないですが、どうしても書いておきたいことが頭の中でどんどん出てきて手が追いつきません(笑)。「ダメなものはダメ」昨日びっくりするようなことがありました。内容はかけませんが、とにかく「やっぱり駄目なものは駄目なんだな」「合わないものは合わないんだな」と改めて認識させられたんですね。能力がないとか、そういうことではなく、相性とかタイミンググとか場の空気とか、特に人間関係において、合う合わないはある。だから、今人間関係きつい方に向けて。そこで頑張ってなんとかなる、他に何か得るものがあって、納得できるのなら踏ん張るのも手ですが、あっさり、場所を移すのも手ですよ、といいたいです。ダメなもんはどんなに頑張ってもダメです。自慢ではないですが、私も合わない人はいます。これ、どうやってもダメですね。だから、あっさり、諦めます。あなたを大切に思ってくれる人は必ずいます。その人たちといい関係を結ぶために力を注ぎましょう。そのほうが元気になります。笑顔が出ます。上司とかともめて「私が、俺がダメなんだ」なんて、追い詰めないでくださいね。単に相性が合わないだけ、っていうことがあるんですから。あっさり離れてみると、なんてことはないんです。あまりにシンプルで拍子抜けするくらい。あなたを嫌う人がいるということは、あなたを好きな人が必ずいるということ。そっちにいきましょう。それと、今はいかん、と思っても結局後でよくなります。独立時うまくいかなくて、たくさんのお金が手からあっという間にこぼれおちていきました。「俺はビジネスの才能がないんだ、ダメだ、なんてなさけない・・・」自分を責め抜きました。結果として、うつ病を発症しました。嫁さんに「なんだそれっ!」と言われました。嫁さんが働きだしました。「女房を働かせるなんて男の沽券にかかわるっ!」(古ッ)なんて、思ったけど、現実のスピードはあまりに速い。彼女も最初はつらそうだったけど、今はと~っても元気。「コラーゲンだっ!XXXだっ!」とやってます(笑)。外にいくようになっておしゃれにも気を使うようになり、かえって若返ったかも。娘は本当に見た目も性格も超かわいい!(親バカすいません)。ほんまに元気に育ってくれています。私も、わざわざこうやって大阪からも呼んでいただけています。体はトライアスロンとかにも出れるようになりました。本当に感謝です。ありがたいことです。案ずるより産むがやすしとはよく言ったものです。砂を噛むような状態から数年で心は晴れやか、こんなブログが書けるようになりました。「あなたが必要だ」「あなたが好きだ」と言ってくれる人に囲まれて幸せです。ちょっと勇気を出せばいい。今、砂を噛むような生活をしている方へ、いつかは必ずその時期を脱します。ただ、待っているだけでは何も変わりません。何か行動が必要です。最初の行動はちょっとの行動で大丈夫。やがて、それが波となって大きくなっていきます。いろんなものと共鳴するんです。 ダメなもんはダメなので、無理にそこにしがみつかないで、何かを変えてみてはいかがでしょう。あっ、!!もう出発だ。行ってきます。また、大阪からアップします。さあ、本日も元気に行きましょう!!
2010.01.06
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昨日家具を買いに出掛けたところ、驚きの商品を発見しました。電源がないのに触っているうちに暖まるマット。ほんとに電気毛布のようにポカポカしてくる。セラミックの効果で体温を利用して暖かくなるという優れ物らしい。まさしく自燃(じねん)性。自燃性はエコなんですねえ。自ら燃えて、自ら動く。自分自身のエネルギーを活用する。誰か他人の熱に触れると暖かくなる他燃性は他人のエネルギーが必要となります。エネルギーが不足していると自らを暖めることができない。体温を上げると元気になる、というのもうなづけます。う~ん、商品とは関係なくなっちゃったかも・・・ まあいいっか。今年はつじつまの合わないブログがふえるかもしれません。私の尊敬し、大好きな天外伺朗さんがおっしゃっていた。「人の目を意識して、カッコよく理路整然としようと努力しているうちに、その最も大切なポイントがどこかにいってしまう」「支離滅裂に思いついた単語を並べたり、叫び声や踊りを混ぜたほうが、古い脳に発生した本質的なポイントが伝わる」なるほど、心がけてみます。とにかく、まずは発信すること。発信を継続すること。今日もいい天気です。元気ですか!?私は元気です。名著「私はどうして販売外交に成功したか」F.ベドガーを再読中。
2010.01.05
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いよいよ仕事の幕開けですね。今年は大阪からスタートを切ります。今年初めのブログをいろいろと拝見すると、「変化」という言葉を使っている方がとても多い。何かそういう流れがきているのかもしれません。今日は結構重い内容になるかもしれません。今年の仕事に向けて、ここで書いておきたいことがあります。古い友人の中でお子さんが一人の場合、お子さんが親元を離れていき、また夫婦二人に戻った、という友人がぽつりぽつりと出始めました。ことを成し遂げて、いよいよ円熟の人生をスタートされること、お喜び申し上げます。折り返しを過ぎたところ。まだまだ若輩です。今まで以上に「命を使って」いきたい。日本はとても恵まれた素晴らしい国。窮屈な面もいろいろあるけど、素晴らしく恵まれている国、日本。でも、残念なことに毎年自ら命を絶ってしまう人が3万人以上もいる国。新型インフルエンザが流行ったときに、たけしがTVで「もし、新型インフルエンザで3万人死んだらとんでもない大騒ぎになるのに、毎年3万人が自殺してもなぜとんでもない大騒ぎにならないんだろう」グッと心に刺さってしまいました。とてもとても重い話題。じゃあ、具体的にどうするんだ?と問われても即答できない。私がその昔メンタルヘルスの分野に入ろうと思ったきっかけはまだ若くして亡くなっていったおふくろとの別れ。「なぜ、このタイミングで召されなければならなかったのか?」この答えを見つけたくて、哲学、心理学関係の本を読みあさりました。退行催眠をかけてもらい、幼いころに戻り、まだ若いころのおふくろにあいました。答えは、見つかりません。自分も召されたら直接本人に聴いてみます。それまで、答えは見つからないのかもしれません。新年早々重い話題で恐縮です。でも、なんだろう、なぜか書きたい。私は、おそらく、スラムダンク桜木花道のような脳天気さも備えています。人生はゲームだと思っています。楽しめばいい。いろいろチャレンジして、最後まで楽しんで 「おおっ今日こそ死ぬのにちょうどいい日だ」といって召される。それまで、なんとかして粘る。何かやってだめなら、また違うやり方で何度もチャレンジする。仮に道半ばで倒れたとしても、いいじゃないか。完遂できたらうれしい。落ち込んだらなんとかそこで踏ん張って、嵐をやり過ごし、後になって振り返ると、なんとか乗り越えることができたんだな、と人生に味わいが増す。襞が増えたような感じ。なぜ途中で全部まるごとゲームクリアしてしまうのか。自ら強制終了しちゃうのか。そこまで追いこまれ、苦しんでしまうのはなぜなのか???この命題から目をそむけることができなくなってきました。今までもそうした意識はあったのですが、ここにきて、それが強くなってきました。世の中に一人でも苦しみあえぐ人が減るようにならないものか、少しでも予防策への支援ができれば、と思っています。自分自身を追いこんでいく「魔境」へ誘い口が 「自分を責める状態」にあると思います。その状態が続くようならほったらかしにしないで、早目に手を打つ。追い込まれれば追い込まれるほど、袋小路にはまってしまい、抜け出せなくなる。周りから見れば「逃げ」と思われてもいい。いったんは避難する。また、機会を待ってチャレンジすればいい。その人がどこまでの状態で追い込まれているのかは、外から見ている分にはなかなか見わけがつかない。一番わかっているのは自分です。進んでいくと突然「虚をつかれる」ような瞬間がある。一瞬でも油断していると、まさに、針の穴ほどのほころびをついてくるような打撃を受けることがある。「なんで、ここで、こうくるのか??」と全く理解できない瞬間。その刹那にもなんとか、踏ん張って、ファイティングポーズを下げない。まとまりのない文章ですみません。とにかく粘り強く発信し続けたい。
2010.01.04
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