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「ここに書きこんだことが実行できるなら、便利な道具だね」「道具?」「用事を片づけたければ書きこめばいい」 書いてしまった用事に縛られる。 どうなるかわからない[おはなし]の影響のもとで暮らす。「なんか、さみしい…」「で?」「なんか、さみしくなくなるような用事、ないかな?」「甘い物食べるってのはおすすめだけどね」 そういうわけで、甘い物を買いに散歩する。 マドレーヌとワッフル食べたあと、水溜まりから何が出てくるか、じっと見つめる。
2009年11月30日
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「用事でもあるの?」「トイレ掃除しようかと思いついたんだ」「きょう?」「明日じゃ間に合わないかもしれない」「え?」「明日といえば…」 明日街で逢(あ)った母さんと子どもちらと聞いたは「明日(あした)」街の果(はて)は夕焼小焼、春の近さも知れる日。なぜか私もうれしくなって思って来たは「明日」(金子みすゞ童謡集:ハルキ文庫)より引用 金子みすゞさんの童謡を読むたび、なんだか泣けてくる。 今は泣いてないけど、泣けてくる感じがしてくるだけじゃなくって、これまでほんとに何度も泣いてしまった。 さてトイレ。「トイレ掃除、きょうやるとは思ってなかった」「書きこんだらやれるなら、便利な道具だね」「道具?」「用事を片づけたければ書きこめばいい」
2009年11月30日
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食べたら、言葉。 気になった文章の引用を集めていたノートを最近見つけたので、ちょっと書き写そう。「なんでそんなことするの?」「なんか引っかかる…なんだか謎めいた言葉たち…」「たとえば?」『しかし労働が、働くという行為が抑圧なんです。あれこれと経済体制を変えてみても、労働という事実を変えることにはなりません。それは労働の増大をひき起こすだけです。 問題になっているのは全く別のこと、つまり労働をなくすことなんです。』(ジョン・ケージ/小鳥たちのために:ジョン・ケージ ダニエル・シャルル(著):青山マミ(訳):青土社)より引用「ここで言ってる「労働」って何なんだろう?」「さあ…好奇心があるなら読んでみたら?」「そのうちにね」「用事でもあるの?」「トイレ掃除しようかと思いついたんだ」
2009年11月30日
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難しいこと言わず、まずはニンジン! ニンジン!! 食べたら、言葉。
2009年11月29日
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「水溜りに飛び込むとか水溜りから何かが浮かび上がってくるとかはどう?」 「悪くないね」 水溜りに飛び込む勇気はないから、何かが浮かび上がってくるのを待つ。 待ってても何も浮かばないまま、雷雨は終わり、家へと歩く。 おお、月がある! 久々の家に辿り着いたら、 難しいこと言わず、まずはニンジン!
2009年11月29日
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「いまどこにいるの?」「そう、扉を抜けて、それから…」 雷雨ameの街へはどう曲がればよかったのかしらねぇさみしいのでカミナリなので散歩してしまうズブ濡れさみしいってことは つまり 何かかんがえてんでしょカミナリが好きameameふれふれカミがナル 何なんだろう、この水溜りは? こんなふうで家に戻れるんだろうか?「家に戻りたいの?」「いや、べつにぼく自身のことじゃないから、おはなしがどう転ぼうとかまわないんだけどね」「けど?」「どう転んでもいいのだから、自分勝手に書きたい」「だったら自由に書けばいい」「不自由なんだろうね、頭というか、思いつきが不自由というか、性格みたいなものかな。自分勝手のつもりが踊らされてる」「水溜りに飛び込むとか水溜りから何かが浮かび上がってくるとかはどう?」「悪くないね」
2009年11月29日
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ニンジンのこと、忘れてるわけではありません。うまくゆけばあしたの夜、遅くともあさっての昼には家の台所に立っているはずです。そして食べる前に携帯で写真に撮っているでしょう。(このようにして、自分で自分の行動を縛ってゆくのです)「ニンジンは家の冷蔵庫にあるの?」「最近、居間に置いてあった冷蔵庫を台所に引っ越したんだ。そのときニンジンもいっしょに移動したはず」(冷蔵庫が引っ越す前の家の夜は、冷蔵庫の隣のホットカーペットで眠っていたのです) 最近、気になった文章の引用を集めたノートを見つけたので、いくつかこの[おはなし]に入れたいんだけど、ノートは家にあるので、これまた家に戻ってからでないと書き写せません。まあ、あさっての夜にはできるかも。「いまどこにいるの?」「そう、扉を抜けて、それから…」
2009年11月28日
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「さて、きょうは何をするの?」「本物の扉を探さなくては」 ついつい、本や映画や写真の中に、本物の扉を見つけようとしてしまう。 現実にはきょうすでに、いったい何枚の扉を開け閉めしたことだろう。 何枚かの限られた扉を、行ったり来たり。 え?逃げないといけない? 屋上には何があったんだろう? 屋上へは何かを探しに行ったのだったか…
2009年11月28日
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そろそろ眠ろうと思う。 たとえば屋上にいた化け物は思いこみにすぎず、ひとりで屋上にいるのだろう。 屋上にひとりでいて、そうしてどうなるのか、眠っているうちにわかるかもしれない。 さて、起きてみたら屋上から何が見えるのかわかっているかもしれないと期待したのだが、もっと端のほうまで行かないと見えてこないらしい。振り返ってもう一度屋上への出入り口を探す。 ちょっと嘘っぽい扉だけど、まあいい。扉をあけたらどうなるのか、楽しみだ。「偽物の扉の向こうには、偽物の光景がある」「おお、なかなかカッコいいこと言うね」「ニンジン炒めは?」「いや、まだ家には戻れないんだ」「ニンジンのほかにも食べ物を考えなくては」「帰り道、ローストビーフがあれば買いたい」「さて、きょうは何をするの?」
2009年11月28日
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「屋上にいた化け物、どうなったの?」「その話はもういいよ」「作り話、好きなんだろ?」「好きと言えばまあ、それはそうなんだけど、最近はすぐあきてしまう」 そこで気づいたのが、作り話だけが作り事じゃない。 作り事の一部としての作り話。「作り事と作り話とどうちがうの?」「作り話はわざわざ作るんだけど、作り事というのは生きておれば充満している」「詭弁」「おお、難しそうな言葉知ってるね」 そろそろ眠ろうと思う。 たとえば屋上にいた化け物は思いこみにすぎず、ひとりで屋上にいるのだろう。 屋上にひとりでいて、そうしてどうなるのか、眠っているうちにわかるかもしれない。
2009年11月27日
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「なるほど、おもしろいね」「なんか食べようか」「食べよう、食べよう、ニンジン炒め、作ろう」 ここで、じっさいにニンジン炒めを作って写真に撮りたい、そして食べたいのですが、ここしばらくは諸事情により家に帰って台所に立つことができませんので、[おはなし]の別の回にあらためて作りたてのニンジン炒めの写真を入れたいと思います。「ニンジンの写真なんか見たくないよ」「人が見たいか見たくないかではなく、あなた自身が見たいか見たくないか…」「見たくないよ」「あんたが見たいか見たくないかにかかわらず、いつかきっとニンジンの写真、見ることになるよ」「ニンジン、おいしいね」 ところで、じっさいに食べているのはカロリーメイトです。 ほんとはカボチャ炒めが食べたいのですが、家の冷蔵庫にはたぶん、カボチャは入っていなかったはず…「屋上にいた化け物、どうなったの?」
2009年11月27日
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屋上には化け物がいました。逃げようとしましたが出口が見あたらず、あきらめて化け物に話しかけました。「どうしてこんなところにいるのですか?」「おまえは何でここにいる?」 そう言われてみれば、どうしてここにいるのかまったくわけがわかりません。「まあいい。こんなところにいたってしようがない、降りよう」「だって、そんな格好だとみんなびっくりしてしまいますよ」「じゃあ、何かに化ければいい」 書きかけのノートから目を上げたら、聞かれる。「で、何に化けるの?」「うーん…つまらないな、こんな話」「まあ、何に化けてもいいし、どんな展開になったところで、それがどうした、って気もするね」「ところでこの写真↓、ふたりいるのわかる?」「え?」「みんなわかるかと思ってたけど、言われないとわからない人もいるらしい」「わかるよ」(ホントはわかってない)「ひとりはね、この人↓」「もうひとりはこの人↓」「なるほど、おもしろいね」「なんか食べようか」
2009年11月27日
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(ベルリン終戦日記/ある女性の記録:山本浩司(訳):白水社:p54)より引用『一九四五年四月二十五日、水曜日もう一度思い出してみよう。午前一時ごろ、地下室から二階に上がり未亡人のソファーに倒れこんだ。急に激しい爆撃の投下がはじまり、高射砲が猛り狂う。私は様子を見ることにする。とても眠くて何もかもがどうでもいい。窓ガラスはまっぷたつに割れて、焼け焦げた異臭のする風が吹き込んでくる。』
2009年11月25日
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司修さんの作品
2009年11月21日
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2009年11月19日
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物語を手放し心の奥へ深く深く 沈んでゆく静かだこのあたり言葉で言葉を探しても見あたらない考えてるのに静かなので言葉は静けさの敵のはずなのにどうしたことかと訝る言葉は宙に浮いたまま言葉の雲は浮いたまま不思議だ
2009年11月19日
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人生は人間社会との関わりにおいては物語だろうけど、個人としては実験なんだろう。
2009年11月18日
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いまここに静けさのひろがりをもたらすそのときいまここは向こう岸いつのまにやら呼吸が深くなっているそれにしてもここは静かだああそうかなるほど人の命は甘美なものだ
2009年11月18日
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(脳のなかの幽霊:V・S・ラマチャンドラン&サンドラ・ブレイクスリー(著):山下篤子(訳):角川書店:p49/p50)より引用『ある日一人の男が、ニューヨークの自然史博物館の恐竜展に行って、巨大な恐竜の骨格を見ました。どれくらい前のものか知りたくなり、隅に座っていた年配の館員のところに行ってたずねました。「ちょっとうかがいますが、あの恐竜の骨はどれくらい古いものなんですか?」 館員は男の顔を見て「六〇〇〇万三年です」と答えました。「六〇〇〇万三年ですって?恐竜の骨の年代がそんなに正確にわかるなんて考えられない。どういう意味なんですか、その六〇〇〇万三年というのは?」「それはですね、三年前に私がここに就職したときに、あの骨は六〇〇〇万年前のものだと教わったんですよ」』おもしろい!
2009年11月18日
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2009年11月18日
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2009年11月17日
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2009年11月15日
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生まれてこなかった無数の私の代理としてそうであったかもしれない無数の私の代理として無数の私の死とともに漂う…
2009年11月15日
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せっかく生きているのに、人間社会の仕組みにあまり関わるのは、もったいないような…それでは、人の命を粗末に扱うことになるような…
2009年11月15日
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脳を向こう岸に立たせようとする心のはんぶん、乗り出し 感じる生活の中のある状況、小説の中のある状況、映画の中のある状況、写真の中のある状況、にそれなりに入っているとき、それなりに落ちつく。何ひとつ、それなりに入れそうな状況を見いだせないように感じるときでも、じつのところ、たったいま見えている状況、たったいま聞こえている状況、はつねに発生している。身を向こう岸に立たせようとする脳のはんぶん、乗り出し 感じる
2009年11月14日
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(ベルリン終戦日記/ある女性の記録:山本浩司(訳):白水社:p54)より引用『地下室は薄暗い。石油ランプがくすぶる。暗がりでうっかり頭をぶつけないように、目の高さのところで梁の周囲に塗られた燐が緑色に輝いている。新しい一員が加わった。書店主の夫婦がカナリアを持ち込んできたのだ。タオルで覆われた鳥かごが向うの梁にかかっている。外では銃声、内は静か。みんなうとうとしているか、眠り込んでいる。』
2009年11月11日
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(ベルリン終戦日記/ある女性の記録:山本浩司(訳):白水社:p51)より引用『爆弾が地上に炸裂する音が絶え間なく轟きはじめた。私はすっかり戦争を忘れ去っていた。そもそも私の頭は奇妙なくらい空っぽだった…こう書いた瞬間に私はびくっとさせられた、近くで何かが落ち、窓ガラスがガシャガシャーンと音を立てて割れた。食べたばかりなのに、またひどい空腹感が私を苦しめる。何か噛むものが欲しい。ミルクのない乳飲み子はいったい何を食べさせてもらっているのだろう?』
2009年11月08日
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映画を見ながら思ったのだけれど、登場人物にせよ、そこに写っている光景にせよ、それらは、表現されようとしている何かの代理のような…俳優が登場人物の代理の役をしているばかりでなく、登場人物たちもまた、元に何かあって、その何かの代理として物語に登場している…代理としての、たとえとしての映像…元の何か、というのは、何であるかが判明したなら、その、判明した何かがまた、何かのたとえであるような…けっして判明することのありえない何か…ああ、でも、この考え方をひろげると、私もまた、何かの代理になる…あらゆる何かは、何かのたとえ…
2009年11月08日
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2009年11月08日
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静かで不思議な身心を漂う…
2009年11月08日
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(脳のなかの幽霊:V・S・ラマチャンドラン&サンドラ・ブレイクスリー(著):山下篤子(訳):角川書店:p45)より引用『卒中の犠牲者の多くは、損傷を受けた脳の部位の反対側の半身が麻痺する。麻痺した半身の随意運動は永久的に失われる。 だがこうした患者も、あくびをするときは、無意識に両腕をのばす。なんと、麻痺した腕が急によみがえるのだ。あくびをしているあいだは、別の神経回路(脳幹の呼吸中枢と緊密に連絡した回路)が腕の運動を支配するからである。』
2009年11月05日
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(ベルリン終戦日記/ある女性の記録:山本浩司(訳):白水社:p50)より引用『ヘフター精肉店のまえに並ぶ行列に直撃弾が落ちた。死者三名、怪我人十名…それでも行列はもう持ち直している。周りに立っている人々が肉の配給券から血しぶきを袖で拭き取っている様子を未亡人は実演してみせる。それからこう言うのだ。「ええまあ、三人だけですからね。空襲を考えれば、こんなものが何だというのでしょう。」確かに私たちは贅沢にならされ、これくらいの死者には驚かなくなっている。 それでも私は驚かずにはいられない。仔牛四分の一頭と豚の頬肉がわずかばかりあるのを目にして、どんなによぼよぼのおばあさんも断固として頑張っている。彼女たちは壁のように立っている。以前には中部ドイツ上空を三機の戦闘機が飛んできたというだけで地下壕へ一目散に逃げ出していたというのに、その同じ女たちが今ではせいぜいバケツか鉄兜を頭にかぶるだけですませている。』
2009年11月05日
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「目の変化」が起これば、同じ場所にいながらにして、別の時空へ移動する。ひとつめの扉を抜けたなら、そのあとは数ヵ月かけて、自動的にいくつもの扉を抜け、時空を移動してゆくことになっている。
2009年11月05日
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商品名もなく(プリンのつもりが(たぶん)クリームチーズみたいでした)「未完成品」だなんて、ついつい買ってしまう…どうして未完成なのかはわかりません…
2009年11月04日
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生きている間、人間の物語に大きく関わるしかないのだけれど、静かだ風呂あがりどこでもない場所で誰のものでもない指でみかんの皮をめくる
2009年11月02日
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2009年11月02日
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漁夫(りょうし)の子の唄私は海に出るだろう。 いつか大きくなった日に、 そしてこんなに凪の日に、 浜の小石におくられて、 ひとりぼっちで、勇ましく。私は島に着くだろう。 ひどい暴風(あらし)に流されて、 七日七夜(なぬかななや)の、夜あけがた、 いつも私のおもってる あの、あの、島のあの岸へ。私は手紙を書くだろう。 ひとりで建てた小屋のなか、 ひとりで採った赤い実を、 ひとり楽しく食べながら。 とおい日本のみなさま、と。 (そうだ、手紙を持ってゆく、 お鳩ものせて行かなけりゃ。)そして私は待つだろう。 いつも、いじめてばかりいた、 町の子たちがみんなして、 私とあそびにやってくる、 あかいお船の見えるのを。そうだ、私は待つだろう。 丁度こんなふうにねころんで、 青いお空と海を見て。(金子みすゞ童謡集:ハルキ文庫:p24/p25)より引用なんだかめまいがするなあ…すごいなあ…
2009年11月01日
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