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遅くなりましたが、今月に投稿した映画批評の分です。 「きっと、うまくいく」 去年の観た映画のマイベストの中ではベスト6になるのですが、これをベストワンに推す映画仲間もたくさんいました。久しぶりのインド映画です。歌って踊るインド映画らしさももちろんあるのですが、それよりも日本の古き良き人情喜劇の趣きもあります。2010年インドアカデミー賞で作品賞・監督賞など16部門受賞したそうです。 エリート大学に合格した3人の新入生。そのひとり、ランチョー(アーミル・カーン)は“超天才かバカ”といわれる自由人。なんとか大学を卒業するが、ある日突然姿を消してしまいます。そんな彼を探し、10年前に交わした賭けの答えを出すために、共に学んだ親友たちが旅に出るのです。原題は「3バカトリオ」ですが、「将来は誰もわからない。友よ、うまくゆく」と唄う主題歌から採ったこの邦題の方がずっといいです。 物語はランチョーを捜す親友たちの旅と、大学時代のエピソードが交互に進んでいきます。禍福はあざなえる縄のごとし。嬉しいことがあれば、悲しいことがある。そのテンポがとても良いのです。次はこういう展開になるだろうな、という定番の人情劇ですけど、ランチョーの機転の効いた発想が小気味良く、最初の方で張られた伏線(学長の万年筆のエピソードなど)があとでちゃんと活きてくるあたりが脚本の上手さを感じさせます。170分が全然退屈しない。もう少し歌が欲しかったぐらいでした。 競争社会批判や家族の問題も適当に皮肉が効いているのです。従来の貧困社会や宗教社会など、矛盾を抱えたまま巨大になりつつある現代インド社会の今がそのまま出ていていました。 ともかく笑わせて泣かせる、日本映画がなくしたモノをたくさん詰まっている映画です。文句なしの五つ星でした。(2013インド、監督・脚本: ラジクマール・ヒラニ、レンタル可能)
2014年06月28日
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100分de名著「遠野物語」(4最終回) 大学時代、教養学部で民俗学概論の授業を受けた。その年に赴任して来てまだ30代だと思う若い講師が「民俗学のサークルを作りたい。ついては、毎週土曜日研究室で集まりをするから寄ってみないか」と誘ってきた。私はその頃梅棹忠夫の「文明の生態史観」を読み、小松左京「未来学」、加藤周一の「雑種文化論」を読んで、日本文化論と民俗学的な日本史へのアプローチに興味を持っていたので、新聞会という処で新聞作りもしていたのだが、参加することにした。 講師は高桑守史先生と言って、都市民俗学を専門にする気鋭の学者だった。時には自宅まで招待してくれた。美人の奥さんは人類学を専攻している平等なパートナーだった。常民文化研究会と名付けたそのサークルは、自由な学びの環境だった。私はそこで大学で学ぶ意味を初めて本格的に教えられた気がする。 「私は自分の生きている日本の未来を知りたい。だからこそ、歴史を学ぶんです。そのためには、教科書的な歴史では不十分。文字化されていない、民衆の本当の歴史を知る必要がある」 高桑先生は議論を好んだ。私は、そんな背伸びした問題意識も披露したと思う。 「いいなあ。柳田は正にそういう問題意識で民俗学を始めたんだ。経世済民が柳田の動機だった」 「そう教えられて、柳田の日本人論を読みました。けれども正直ガッカリしました。政治は腐敗しているのに、相変わらず金権政治がまかり通っている。なぜそうなるのか。それが変わる原動力を民衆の中に見出そうと思ったのに、柳田は日本人とは何かと問われて結局"事大主義だ"と言ったんですよ。長いものに巻かれる。なんなんだ、それは。それは敗北宣言じゃないですか!どこを読んでもそれを克服すべきなんの処方箋も用意していない」 「君は柳田を性急に読み過ぎる。よく読めば、昭和30年代にそうまとめた柳田の気持ちがわかるはずだ」 「わかりませんね。柳田は細かい処に入り過ぎて、歴史の動く姿が見えなくなったのではないか。確かにマルキシズムをそのまま日本に当てはめるのは危険かもしれませんが、日本の置かれている矛盾は説明することが出来る」 「民衆に変革の契機が無いとは、柳田は思ってなかったはずだよ」 高桑先生も70年安保ではデモに出たことがあったと云う。しかしそれに疑問を感じて民俗学に入った経緯があった。私はやっと「共産党宣言」を読んだばかりだという20歳の若造だった。何時の間にかしたり顔マルクス主義の立場で論争することがよくあった。 しかし、こういう論争は、例えば民俗調査で合宿した時に一升瓶を空けながらなされたもので、結局結論の出るはずのないものだった。やがて私は新聞会の仕事が忙しくなったのを言い訳にして、常民文化研究会を離れていった。あれから34年、高桑先生とは一度も会っていない。 閑話休題。100分de名著の最終回である。柳田は「この書を外国に在る人々に呈す」と序文で書いて、日本の文化を世界的な視野で読み取ろうとした。33歳の農政官僚だった柳田國男の問題意識は最初から高かったのは、確かだろう。また、(番組では触れられなかったが)決して積極的に戦争に協力はしなかった。学問の性格から、いくらでもナショナリズムに傾くことが可能だったのにもかかわらず、である。 「悲しみを乗り越える時は笑いは必要」 「凶作を伝える馬追い鳥」「コノハズクが里に来て啼くとその年は飢饉になる」 貧しい日本人がピンチを乗り越えるためのこれらの知恵を、柳田はひとつひとつ掘り起こそうとしていたのかもしれない。そのことは、20歳の私には見えていなかった。 「祖父は狩猟民的、祖母は農耕民的」な知恵は既に失われつつあった。「自然にはかなわないと知った時には、謙虚になる。」自然との共生を描いた、遠野の話の数々の先に、したたかに生きて来た日本人の歴史があるはずだ。 それは確かに従来の文献史学では、見つけることが困難な分野ではある。 一方、この20年間で私が学んで来た考古学は、自然との共生の仕方を科学的に証明し、文字化されていない民衆の日本史の一部を明らかにするだろう。文献史学、考古学、そして民俗学とが連携して、私が性急に求めて果たせなかった、そして未だ誰も明らかにしていない、日本人の未来の有るべき姿が、いつか明らかになりはしないか。と私は残り少ない人生で、当てもなく、探してゆくのである。
2014年06月27日
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100分de名著「遠野物語」(3)生と死 魂の行方 ちょっと間が空いたけど、連続してこの講義を仕上げたいと思います。 石井正己教授「近代社会では、死を遠ざけようとして来たが、遠野物語の世界では、それは身近で、生と死の間がとでも曖昧なんですね」 111 山口、飯豊、附馬牛の字荒川東禅寺および火渡、青笹の字中沢ならびに土淵村の字土淵に、ともにダンノハナという地名あり。その近傍にこれと相対して必ず蓮台野という地あり。昔は六十を超えたる老人はすべてこの蓮台野へ追い遣るの習ありき。老人はいたずらに死んで了うこともならぬ故に、日中は里へ下り農作して口を糊したり。そのために今も山口土淵辺にては朝に野らに出づるをハカダチといい、夕方野らより帰ることをハカアガリというといえり。 まるで姥捨山のような風習であるが、遠くの山ではなく、(つい最近まで)集落のすぐそばに設けられていた処に特徴があるだろう。そして、墓場もまるで集落を見守るようにしてある。墓場の位置は、私の集落でも同じ位置にある。この前亡くなった伯父の墓場も実家のすぐ裏山だった。日本では、死んだ人は基本的に「天国」には行かない。すぐそばにずっといて、子孫を見守っている。やがては彼らは村の神様になるだろう。 97 飯豊の菊池松之丞という人傷寒(腸チフス)を病み、たびたび息を引きつめし時、自分は田圃に出でて菩提寺なるキセイ院へ急ぎ行かんとす。足に少し力を入れたるに、図らず空中に飛び上り、およそ人の頭ほどのところを次第に前下りに行き、また少し力を入るれば昇ること始めのごとし。何とも言われず快し。寺の門に近づくに人群集せり。何故ならんと訝りつつ門を入れば、紅の芥子の花咲き満ち、見渡すかぎりも知らず。いよいよ心持よし。この花の間に亡くなりし父立てり。お前もきたのかという。これに何か返事をしながらなお行くに、以前失いたる男の子おりて、トッチャお前もきたかという。お前はここにいたのかと言いつつ近よらんとすれば、今きてはいけないという。この時門の辺にて騒しくわが名を喚ぶ者ありて、うるさきこと限りなけれど、よんどころなければ心も重くいやいやながら引き返したりと思えば正気づきたり。親族の者寄り集い水など打ちそそぎて喚び生かしたるなり。 この男の空中浮揚のあり方は、私も夢の中で覚えがある。 「喚び生かし」というのは、「眠る男」という映画でも出て来た。日本では普遍的にあるのかもしれない。 99 土淵村の助役北川清という人の家は字火石にあり。代々の山臥にて祖父は正福院といい、学者にて著作多く、村のために尽したる人なり。清の弟に福二という人は海岸の田の浜へ婿に行きたるが、先年の大海嘯に遭いて妻と子とを失い、生き残りたる二人の子とともに元の屋敷の地に小屋を掛けて一年ばかりありき。夏の初めの月夜に便所に起き出でしが、遠く離れたるところにありて行く道も浪の打つ渚なり。霧の布きたる夜なりしが、その霧の中より男女二人の者の近よるを見れば、女は正しく亡くなりしわが妻なり。思わずその跡をつけて、遥々と船越村の方へ行く崎の洞あるところまで追い行き、名を呼びたるに、振り返りてにこと笑いたり。男はとみればこれも同じ里の者にて海嘯の難に死せし者なり。自分が婿に入りし以前に互いに深く心を通わせたりと聞きし男なり。今はこの人と夫婦になりてありというに、子供は可愛くはないのかといえば、女は少しく顔の色を変えて泣きたり。死したる人と物いうとは思われずして、悲しく情なくなりたれば足元を見てありし間に、男女は再び足早にそこを立ち退きて、小浦へ行く道の山陰を廻り見えずなりたり。追いかけて見たりしがふと死したる者なりしと心づき、夜明けまで道中に立ちて考え、朝になりて帰りたり。その後久しく煩いたりといえり。 明治29年の三陸大津波の記憶が語られている。その子孫はいまでも田の浜にいた。以前重松清がレポートしていた。極めて文学的。元カレの存在は福ニさんには自明のことだった。子孫はその母親を赦していた。「心の復興」を描いたと教授は云う。私もそう思う。そして「久しく煩いたり」と、簡単なものではないことで結ばれているのが重要。「最後はカネ目」などと云う大臣には、到底理解出来ない複雑さだろう。
2014年06月26日
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AKBはブラック企業か?ということについて述べよう。 こういう問いかけをするということは、つまりは結局「ブラック企業ではない」ということを言おうとしているんでしょ?ですって。その通りです(^_^;)。でも、世のオタクのように完全擁護をするつもりはありません。 今野晴貴氏は著書「ブラック企業 日本を食いつぶす妖怪」の中でブラック企業とは何かを定義していない。次から次へと新たな手口を考えてくるので、それをしたら危険だからである。特徴は分類して指摘しているので、それを列挙し、AKBについて検討したいと思う。 (1)大量に募集して、月収は誇張する。 ●大量募集はしない。むしろ何百倍という狭き門になっている。月収は当然公表していない。そもそも募集時に月収を明らかにしていない。AKBグループが月収を払っているのと思われるのは、研究生だけであり、あとのメンバーは全てタレント事務所に所属しているから、そこの規定に沿っている。人気メンバーは研究生になれているので、報酬の問題はないかもしれない。問題は研究生たちに労働時間に見合った報酬が払われているか、どうかである。明らかにはなっていない。 (2)正社員として募集しているのにもかかわらず、契約を交わす時になって非正規社員になる。または、「試用期間」を悪用する。 ●最初は研究生からというのは自明である。ただし、研究生の労働条件は多分契約の時に初めて明らかになるのだろう。問題性は不明。不満が聞こえて来たことはない。 (3)入社後に更に選抜競争が続く。使える者のみ残す。そこで、5ー9割が辞める処もある。 ●いわゆる「選抜総選挙」に代表されるように、彼女たちは研究生からトップまで、入ってもずっと競争させられている。しかし、ブラック企業のように競争に敗れて辞めるのは少数であり、基本的に彼女たちのモチベーションの源になっているし、人気の源になっているだろう。だから、辞めさせることを目的に選抜競争をさせてはいない。 (4)戦略的なパワハラ。鬱を発症して辞める処まで行く。しかも、自ら辞めさせる、ことで労働災害リスクを避ける。 ●AKBの特徴として「目標」は「卒業」としている。夢を実現する見通しがついたら自ら辞めるのである。ブラック企業とは目的が違うだろう。しかし、鬱を発症したメンバーがいたかどうかは不明。そういう噂は聞いたことはない。 (5)代わりがいくらでもいる中で、若者を安く、厳しく、使い尽くす。残業代は不払いとする。 ●AKBに残業代という概念があるのか、どうかは不明。動機として「若者を使い捨て」にしているかどうかは、総論の処で検討したい。 (6)異常な36協定と長時間労働。 ●36協定は労組がないからあり得ないが、トップになればなるほど異常な長時間労働をしているのは確かだろうと思う。それだけの報酬になっているのかどうかは心配ではある。 (7)辞めさせない。利益が出ている間は「後続が決まるまで」「あなたを雇うためにかかった手前の分は働いてもらう」と言われる。 ●これはない。特に研究生にはない。 (8)職場崩壊。人を商品として扱う。非人間的な扱いの横行。 ●AKBはいつもテレビカメラがずっと追っている。選抜メンバーになればなるほどそうなる。その意味では24時間商品として扱われている。ただそれにより、普段の彼女たちをドキュメンタリーとして観て、ほぼ確信出来るのはスタッフたちに酷い扱いをする人たちはいない。 検討して見て思うこと(総論)。 ●芸能の労使関係は、ほとんどブラックボックス状態であり、第三者の正確な評価判定は無理である。 ●ブラック企業が労働者を「使い捨て」するために、あらゆる仕掛けを作っているのに対して、確かに違法ではないが、AKBも彼女たちの「若さ」を「使い捨て」にしていると思う。しかし、AKBに入ってくる少女たちは10代から20代の時間限定で、自らの若さを売って「夢を実現する」報酬を得ようと、明確に自覚して入ってくる。また、一般のアイドルと違って、劇場公演が本来の彼女たちの仕事である。よって、今のところは完全本人の希望による卒業ばかりであり、なんら強制的な退職強要は(ほぼ)起きていないと私は思っている。ほぼ、と書いたのはスキャンダルで退職させられたメンバーの事例があるからである。 ●「就職しても永遠と続くシューカツ」はAKBにもある。むしろ、それを「売り」にしている。しかしブラック企業は使える者のみ残して退職させることが目的だが、AKBは彼女たちを「売る」ことが目的。使えない者は、今のところ劇場公演で使えている。AKBが下火になった時にここの処理をどうするかは注目しておかねばならない。 ●非人間な扱いで、唯一明らかに酷いのは「恋愛禁止条例」である。憲法違反と言っていい。しかし、AKBは巧妙に法をすり抜けている。AKBの会長とでも言うべき秋元康は「そう言ったことは一切ない」と言明する。一方で、労働者代表兼部長職とでも言うべき、高橋みなみAKB総監督は「(自主的に)恋愛禁止条例は有効です」と公言させている。過去、これに違反して、一部退職させられたメンバーがいる。しかも、人気メンバーは温存させる。ここは、AKBのブラック企業的な部分と言っていい。ここ数年間は起きていない。 ●人事移動もかなり乱暴である。人事発表は有無を言わせず、いつも突然一方的に行われる(これも「売り」の一つ)。本人たちが拒否していないので問題にはなっていないが、「労働条件の明確な不利益変更」も時にはあったかもしれない。誰か拒否した時はどうなるのだろうか。 ●AKBも新興産業である。そういう処や、ブラック企業に似ている処はあるが、今のところは「ほぼそうではない」というのが私の評価です。AKB商法については、ここのテーマではないので、割愛したい。 AKB的な働き方として、生き方そのものを彼女たちはさらけ出しているので、ファンたちはそれを見ながらいろんな励ましを貰っているはずだ。AKB的な働き方が本来の労働のあり方だと、勘違いする若者が出てきたら、それは困ったものだと思う。しかし、批判する時は事実に即して批判しないと若者は聞く耳を持たないだろう。
2014年06月24日
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(今年の選抜総選挙Best16です。皆さんは何人顔と名前が一致しますか?私はもちろん全員です(^-^)/ AKBはブラック企業か?ということを検証してみようと思う。というのは、私の周りの「大人」は、私がAKBについて何かを語ると、明らかにサーと引いてゆくのが目に見えるかのようであるからである。その根本には、AKB商法への拒否と同時にAKBグループという企業が日本に害悪をもたらすブラック企業なのではないか、という疑念を抱いているからではないか、と私は勝手に推測している。今野晴貴の「ブラック企業」を読んだついでに、その辺りを確かめてみようと思った。 その前に、私とAKBとの出会いについて書く。先ず直接的には2012年10月テレビが臨終を迎えて、新しいテレビを買うまでの二ヶ月間ずっとスマホでYouTubeを見ていた時だ。つまり、人気映像のベストテンの半分以上がAKBの歌だったので、それを見ると、あとは数珠つながりに過去四年間ほどのAKB映像が出て来て、一日2時間〜8時間AKBばかり見ることになってしまった。それ位見れば、AKBについて詳しくなるのは当然だろう。しかし、ホントはその1年半前に衝撃的な体験があった。 2011年4月、私はある公的な職業訓練学校に通い出した。その学級の27人のうち、24人は中学や高校を卒業したばかりのいわゆる悪ガキや落ちこぼれのおとなしい少年ばかりだった。最初の自己紹介の時に「何でもいいから、自分の趣味や好きなもの、したいことを語ってみろ」と先生に言われて、彼らはみんな出身学校も地域も違っていたのにホントに全員申し合わせたようにこう自己紹介をしたのである。 「○○です。好きなのはAKBです。アッちゃんが好きです」「○○です。好きなのは、AKBの前田敦子です」「○○です。好きなのはAKBの板野友美です」「○○です。趣味はAKBです」「もっと詳しく言え」「好きなのは高橋みなみです」……以下だいたい同じ。 正直、衝撃だった。その頃私はAKBといえば「ヘビーローテーション」の曲名しか知らなかった。或る中学を出たばかりのやんちゃな奴は、授業中ずっと眠るのは当たり前、小さな暴力、おんな遊び等々とある意味大人びていた。陰ではもっと悪いことを色々していただろう。やがて、途中退校になった奴である。その子が携帯でAKBの声の電話応対サービスを聞いて小学生のようにはしゃいでいるのである。また、或る高校出のいじめられっこも、ずっと仕事を覚えられずに一年間通えるのかハラハラしたが、休み時間AKBのことを聞くとニッコリして色々しゃべり出す。みんなAKBに夢中だった。しかも、圧倒的に前田敦子に人気が集まっているとはいえ、みんな何かの「推しメン(ファンのメンバー)」を持っているのが特徴だった。現在の中学生の状況は知らないが、いったい何処がいいのか分からなかったが、その影響力だけは圧倒的だった。 今でも思う。AKBを無視することは、現代の日本が見えないということなのではないか。 日清カップヌードルのCMに「この国の若者はアイドルとカップヌードルが好きです」というのがある。昭和の初めに作られた主君に忠誠を誓うチャンバラ映画と重なるように、アイドルに忠誠を示すファンたちの映像が映る。それは柳田国男の「遠野物語」に出てくる各家庭にオクナイサマやオシラサマ、座敷童などの神様を祀る、民間信仰と同じレベルなのかもしれない。これは新しい日本の民間信仰なのではないか。と言えば、飛躍のし過ぎかな(^_^;)。 閑話休題。AKBはブラック企業か?ということについて述べよう。 (つづく)
2014年06月23日
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今日は、いのちと健康を守る中四国ブロックセミナーという学習会に行って来て、ブラック企業をテーマにした分科会に参加しました。 用事があって、2日目からの参加だったのですが、一日目はなんと今野晴貴氏の「ブラック企業」の本のまるまる解説学習だったそうで、読んでレポートを書いたばかりの私はなんかの縁を感じたのでした。 4月に岡山県の介護施設で上司のパワハラに逢い、うつ病を発症して焼身自殺した男性の裁判が完全勝利しました。岡山県ではパワハラによる労災認定は初めてです。 弁護士から詳しい経過と勝利要因を聞きました。上司(女性)は完璧を求めるタイプの人だったそうで、相手が壊れるまでなじり通したようです。また、職場もいじめを認識していたにもかかわらず配置転換の措置をとっていませんでした。 いろんな紆余曲折はあったものの、裁判の判決は簡単なものだったそうです。おおよそ「上司の口調には波があり、その指導は本人に合っていなかった」という社会常識とでも言うべきものが、パワハラの認定になっています。反対にいえば、そういう社会常識がパワハラ認定になる可能性が示された画期的な判決だったということです。 6月20日過労死等防止対策推進法が参議院で可決、施行されることになりました。これにより、「過労死を防ぐことは、国の責務だ」と明記されることになりました。更に過労死認定が成され易くなることが期待出来ます。しかしこれは20年以上に渡る遺族たちを始め労組や様々な人たちの運動の成果であることは忘れてはいけないし、推進協議会を骨抜きにしないように支援を続けてゆくことが大切です。
2014年06月22日
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「地底国の怪人」手塚治虫漫画全集 講談社 昭和20年代の手塚治虫シリーズ(?)第二弾です。この本の意義は私が拙い解説をするよりも、手塚治虫本人が珍しく熱をこめて「あとがき」に書いている。よって私の書評では珍しくそのほぼ全文を書き写して解説に換えたい。 世に出た長編単行本の第三作です。しかし、第一作の「新宝島」は原案が酒井一馬氏でしたし、第二作の「火星博士」(中学時代に描いた「幽霊男」のリメイクです)は、まだ戦前のにおいを残しているので、この「地底国の怪人」が実質的にはいわゆるストーリー漫画の第一作といえます。 冒頭のプロローグをごらんになれば、当時のぼくが、従来の児童漫画の枠をどう覆そうと思っていたか、わかっていただけましょう。 さらに、ラストのアンチ・ハッピーエンドもぼくのストーリー漫画への思い入れをこめたものです。よく、ストーリー漫画は手塚の創り出したものではないと書かれたりしますが、「冒険ダン吉」や「スピード太郎」などのように、ただ話を追っていくだけの物語漫画なら、ぼくの目指すストーリー漫画ではなかったのです。いや、ストーリー漫画という言葉すら、これは昭和三十年ごろにマスコミが勝ってに考えた名前で、それをぼくの作品に押し付けたのも新聞や雑誌です。 ぼくは自分の作品を単に漫画だという解釈をしており、ただ手塚カラーの漫画はこういうものだということを世に問いたかったのです。 内容に哲学的な深さをもたせ、人物の配置や構成に文学的な広がりを加える。かならずしも笑いは必要ではなく悲劇性、カタストロフィーも拒否しないーというのがぼくの主張でした。もちろん現在の劇画ではあたりまえの要素なのですが、それはこの「地底国の怪人」から始まったのだと、あえて申し上げます。 (略)人物のうちヒゲオヤジと耳男は、これも中学生のときに描いた「ロストワールド」の主人公たちの流用です。(略)また、脇役のラムネ、カルピス、ソーダという三人の所員は、これがレビューですが、ソーダだけが落伍して、爾後はラムネとカルピスだけが凸凹コンビとして長らくレギュラーを務めました。同じく脇役のハム・エッグもこれがレビューです。(略) 冒頭のプロローグは、はっきり当時のハリウッド映画の影響が見てとれる。作成は昭和22年の年末。 飛行機の落ちる場面の「線」がすごい。私はずっと線の美しさは、手塚アニメの第一人者だった坂口尚が1番だと思っていた。しかし、そのお手本はやはり手塚治虫だったのだ。 地底国人の造形やそれに対抗する人類の発想は、現代からみると少し型とおり過ぎる気があるが、優秀な脳を持つウサギを人口的に人間の脳と同じにして、自分が人間だと思い込んでいる耳男の造形(そのために人間から差別される)は、そのあと「メトロポリス」や「火の鳥」で繰り返し描かれるが、小保方研究を受けてますます「現代的な」テーマとなりつつある。その最初のデビューで耳男を「殺して」しまった手塚治虫はつくづく恐ろしい。 2014.6.21読了
2014年06月21日
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大佛次郎論壇賞を獲ったことで本書を見直した。湯浅誠が2008年「反貧困」で同賞を獲った時と、2013年に同賞を獲った今日ではギアが数段上がっていると著者は考えているのかもしれない。もはや徐々に社会から排除される「すべり台社会」ではない、一度ブラック企業に入ってしまったらその時点でアウト「落とし穴社会」になってしまったと著者は云う。 いろんなブラック企業が出てくる。ワタミやSHOP99、ウェザーニュース。しかしもっとも印象的なのは、訴訟に持ち込まれていないためにX社という言い方でしか紹介されていない(私はあえて言う)ユニクロの実態である。 私は小さな建設会社でブラック企業的な扱いを受けたことがある。そこでは労基法違反が十数例平気で罷り通っている最低の職場だった。これは親方的な感覚の社長が、自らの小さな財産を守るために行う無知我儘な振舞いだった。よく考えると、売り手市場の労働環境を背景に、入ってからも選抜を繰り返すやり方は、まさに現代のブラック企業の小型版とでも言うべきものだった。私はさっさと辞めたけど、数社を渡り歩いてここを辞めたら将来が無いと悲観していた青年はどうなったのだろうか。鬱を発症したら、それこそ落とし穴に嵌ってしまうだろうに。 ユニクロはなかなかずる賢く対処している。本人が心の病気で優しくも(訴えらるのではなく)退職しようとすると、いったん休職させて治ってから辞めさせているのである。これで「労働災害」としてのリスクはなくなる。その他よほど優秀な社労士がいるのか、ユニクロは未だ裁判に持ち込まれていない。 この本には様々な対抗方法が記されているが、最も大切なのは、ブラック企業がいかに国益を害するのかを指摘している処だろうと思う。「ブラック企業の成長それ自体が、日本の医療費等の直接的な、あるいは労使関係の信頼という間接的な財産を食いつぶして成立しており、実質的な意味では「一時的な成長」だということも出来ない。」(177p) 著者は根本的な社会的対策を提言する。労働時間規制、過労死防止基本法、非正規雇用規制、失業対策。しかし実情は反対方向に向かっているのは、ご存じの通り。残業ゼロ法案、非正規雇用拡大、職業訓練の縮小等々である。対策としては、労組やNPOに相談、加入して労使関係の再生に取り組もうと呼びかけている。また、中学・高校での労働法教育の充実をあげている。大賛成である。というか、「ブラック企業」という言葉のみが一人歩きするのだはなく、多くの労働者がそこに気がついて欲しいと思う。 2014年6月19日読了
2014年06月20日
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三人の女神が統べる遠野三山(早池峰山、石上山、六角牛山)は、女神の嫉妬を恐れて女性は登らない。反対に男性の成人儀礼の山となっている。 面白いのは、他の山は男の神様が統べるようになっている。混沌とした神様の体系。ギリシャの神々ともまた、違う。恐ろしい部分と豊かな部分を見せる。まさに自然そのもの。 里や家の中に神様がいる。 オシラサマ、座敷童。 家に福をもたらす神様。 実際にあった豪農の盛衰を語る。孫左衛門の家のことが繰り返し語られる。 柳田は神様は本当にいたと思っていたか。 「不思議であることをそのまま認めていた」 九六 遠野の町に芳公馬鹿とて三十五六なる男、白痴にて一昨年まで生きてありき。この男の癖は路上にて木の切れ塵などを拾い、これを捻りてつくづくと見つめまたはこれを嗅ぐことなり。人の家に行きては柱などをこすりてその手を嗅ぎ、何ものにても眼の先きまで取り上げ、にこにことしておりおりこれを嗅ぐなり。この男往来をあるきながら急に立ち留り、石などを拾い上げてこれをあたりの人家に打ちつけ、けたたましく火事だ火事だと叫ぶことあり。かくすればその晩か次の日か物を投げつけられたる家火を発せざることなし。同じこと幾度となくあれば、のちにはその家々も注意して予防をなすといえども、ついに火事を免れたる家は一軒もなしといえり。 知的障害の人々にも人を超えた能力を持つ人がいる。経済原理のの中の合理主義ではなく、居場所をもたせる。この白痴の男の嗅覚は非常に高かったのか、それともたまたまいつもの奇行が火事の家に当たり、それに尾ひれがついたのか。それはどうでもいい。ともかく、それが人々に語り継がれて、「許されている」しかも本人が去年まで生きてる、ということに、日本人の「人智を超えたもの」との付き合い方がある。 しかも、この男の能力は火事を防げなかった。人間の能力を超えたものは防げない。自然災害に対する日本人の諦めの良さはここから来ているだろう。 自然に対する態度は、それでいいと思う。私だってミサイル程度で殺されるゴジラは見たくない。神々とつながる人々はどうか。白痴の男は、共同体の中では人智を超えた者になった。共同体の中の居場所を与えていることは素晴らしい。しかし彼は自然そのものではない。白痴の人間は、一方では毎日家族が世話をしていた人間だっただろう。しかし、遠野物語の中では自然そのもののように扱われている気がする。神々と人々との付き合い方ではなく、人々と人々との付き合い方はどうするか、その答えを求めるのは、遠野物語の任務ではないのかもしれない。 明治から昭和にかけて、日本は史上稀に見る変革期を迎えた。政治体制の変化だけではなく、生活、民俗の変化が著しかった。その中で失われたものを大切にし、そのエッセンスはもしかしたら、現代に脈々と受け継がれているかもしれない。いや、受け継がれているのである。だからこそ、そこから得るものを探して行きたい。 ずっと昔、常民文化研究会の指導教官だった高桑守史先生との「論争」を、今しきりに思い出している。
2014年06月18日
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「年収100万円の豊かな節約生活術」山崎寿人 文春文庫 お金がなくても豊かな趣味の生活を工夫次第で過ごす。パラパラめくると、私の生活と重なる処が多かったので、何か参考になるかなと思い買ってみた(←500円位内ならば、彼の云う「特別会計」として私には図書券のプールがある)。 読んでみて、思った以上に私との共通点が多かった。1960年生まれ独身。親から相続した持家あり。私の場合は収入(彼のような不労所得ではないが労働時間は短い)と特別会計と25年間働いた貯金の取り崩しで、年間約130-150万円で、この5年間過ごして来たし、あと数十年間はこれでも行けると踏んでいる。彼のように料理を趣味とはしないが、映画と読書は年間約100作100冊以上観て読んで、自分の糧にしているし、社会活動も活発にしているので、孤独とか暇とかは無縁だ。 食事は彼のように凝ってはないが、節約は完全に身についたし、野菜炒めばかりだが健康的だと自負している。 ただ、この本を見てそれでももっと食事に気を使おうとは思ったし、健康に気を使うべき(医療費は最大の特別出費となる)とは、思った。 人間はつまり、年間100万円ちょっとでなかなかしあわせに生きることは出来るだろう。しかし、彼も書いているように、 もちろん、失ったもの得られなかったものは沢山ある。たとえば社会的地位や評価、金、結婚と新たな家族…。社会的地位や評価など必要のない生活だから一向に構わないのだが、正直な話、さすがに結婚して自分の家庭を築けなかった(築けそうもない?)ことだけは、いささか心残りがないでもない。(211p) 私もこの点だけだ、心残りは。 終わりに参考にすべき処を箇条書き的に。 ●サラダはトマト缶スィートコーン缶(80-90円)を常用。 ●ヨーグルトメーカー。一度種が出来ると半永久的に自家製ヨーグルトが出来る。 ●買い物がてら毎日5キロの散歩と、10分ほどの筋トレ。 ●特別会計20万円を超えると確定申告義務。 ●YAMADA電気の立ち寄りポイントで年間5000-8000ポイント。 ●薬の治験アルバイト。 ●部屋の明かりのLED化。 ●アメリカ製のミキサー&フードプロセッサーで余りの野菜の有効利用。 ●「忘れてはならないのは次の三つだ。欲をかかないこと。人やものごとを思い通りにしようとしないこと。そして過去と未来に囚われないこと。それさえ守れば、たいていのことは何とかなるものだから」→最後のこの点だけは異論がある。私には家族はないが愛する仲間がいる。そのために未来には拘りたい。 2014年6月15日読了
2014年06月17日
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「生きている兵隊(伏字復元版)」石川達三 中公文庫 「何だ、女が泣いとるぜえ」と女好きな笠原伍長が言った。「姑娘(クーニャ)だぞ!」 「何だってこんな所に居るんだろうね」倉田少尉が静かな声でひとりごとを言った。 平尾一等兵がやや遠くの方でこの会話を聞いていたが、どれ、調べてやると言って壕の上にとびあがり、小走りに民家の方に進んだ。 「危ないぞ、気をつけろ」倉田少尉が振り向いて注意した。 「俺も行こうッと!」 笠原伍長がそう言って壕の上に駆け上がり、下を向いてにこにこと笑った。 兵たちがじっと見ていると2人は倒れた表の扉から土間へずかずかと入って暗がりに見えなくなった。そして泣き声が止んだ。待っている兵はいらいらしてきた。それほど彼等は若い女に接しなかったし、戦場に居ると不思議に女のことばかり考えるものであった。 が、やがて笠原と平尾とはさっきの表口からのそのそと出て来た。そして元の壕に飛び降りると平尾はこう言った。 「母親がな、弾丸を喰ってまいっているんだよ。十七八のクーニャだ。可哀想にな」 「いい娘(こ)かい?」と1人の兵が言った。 「ああ、良い娘だよ」平尾はなぜか憤然とした調子で答えた。(82p) こういう追撃戦ではどの部隊でも捕虜の始末に困るのであった。自分たちがこれから必死な戦闘にかかるというのに警備をしながら捕虜を連れて歩くわけにはいかない。最も簡単に処置をつける方法は殺すことである。しかし一旦つれて来ると殺すのにも気骨が折れてならない。「捕虜はとらえたらその場で殺せ」それは特に命令というわけではなかったが、大体そういう方針が上部から示された。 笠原伍長はこういう場合にあって、やはり勇敢にそれを実行した。彼は数珠つなぎにした十三人を片ぱしから順々に斬っていった。(115p) 有名な石川達三の発禁本である。1935年に芥川賞を獲った石川を従軍記者にして送ったのだが、出来た本は日本軍にとってとんでもない作品だったので直ちに発禁、石川も禁固四カ月執行猶予の刑を受けた。読んでみて初めて知ったのであるが、これは1937年のいわゆる南京攻略戦を兵士の立場から詳細に描いたほとんどルポルタージュと言っていい「従軍記」なのである。 とはいえ、石川達三は実際の戦闘には参加していない。1938年1月に南京に着いた石川は、南京で八日、上海で四日精力的に取材を済ませると、直ちに帰国、2月1日から書き始めて11日紀元節の未明に脱稿したという。「中央公論」3月号は2月17日に配本されたが、出版社は流石に伏字を用いた。しかし、あまりにも急いだために伏字の相違が発生した。それが当局を騙すための目くらましにも取られたし、伏字でないところも問題の所が多くあった。 例えば、私が引用した1番目のそれには伏字は一つも使われていない。しかしこれは笠原たちは姑娘を○○したととらえる方が自然である(すみません、ブログの禁止語に当たるので、ハッキリ書けない)。 2番目の引用には伏字が多く使われていた。しかし、注意して読めば何が書かれてあったかはもし伏字で読めなくても明白であっただろう。 読めばわかるが、のちに東京裁判で出てきた事実と比べれば、この作品には戦争犯罪の告発の意図はほとんど無かったと言っていいだろう。それよりも、小説としての主眼は兵士が自らを省みて、自分を含めて人の命を簡単に殺すようになっていることの葛藤にあった。(「敵の命をゴミ屑のように軽蔑すると同時に自分の命をも全く軽蔑しているようであった」108p)時には鬱々と、時にはさっぱりと自覚してゆくのを記録している。多分そのために必要な山のように聞いた兵士たちの生の声を、彼らの悩みがわかるように再構成したのが、この小説なのだ。私は「生の声」そのもので、加工はしていないと思う。それでないと、実際の場面に遭遇していないのに、初めての従軍記者がここまで生々しく描写出来ない。 現代の若者にとって、この小説は途轍もないインパクトがありそうだ。何故なら南京(大)虐殺を日本側から描いた映画はおろか、小説も戦後69年、まだ存在していないからである。 小説を読んで「真実」があるかどうか、は読んだ当人が判断することだ。しかし、その前提として広く読まれることが必要だ。そして、まだ遅くはない。これを原作とした「忠実な映画化」を、日本は実現するべきではないかと思う。ナチスの戦争責任を国家的規模で追求して来たドイツやポーランド、チェコでさえ、近年になってやっと普通の市民の戦時下を描き始めたのだ。いわんや日本をや。
2014年06月16日
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石田雄東京大学名誉教授は知る人ぞ知る丸山真男門下の政治学の泰斗である。その人が「一市民」の立場から、以下のような投稿をして朝日新聞の投書欄に載っていた。 これを書かざるを得なかった91歳老教授の胸の内は非常に辛いものがあったに違いない。今まで何処まで公表したことがあったかは知らないが、この公表の仕方を考えると、おそらく教授の今までで最大のものだったに違いない。 加藤周一がかつて反戦が自身の戦後の出発点になった理由を述べて、一つは親友中西の戦死、一つは南京方面に学徒動員で行っていた親友の戦後の豹変があったと言ったことがある。「あいつはもう昔のあいつではなかった。そういう意味では、戦争は私の親友を2人も殺したのだ」という意味のことを、加藤周一でさえ、20世紀が終わる頃になってやっと公にしたのである。親友は中国の戦線に駆り出されていた。 それ程にも、戦争で「心ならずも」「人を殺す」ということは、本人を傷つけるし、周りの友人さえ傷つけるのである。 集団的自衛権の容認は、それを又日本人に強制させる政策である。断じて許せないし、阻止しなければならない。もし、閣議決定しても法整備は絶対に阻止しなければならない。 実は1938年の段階で、南京の虐殺を描いた小説があった。読んで衝撃を受けた。次回、その小説を紹介したい。
2014年06月15日
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100分de名著「遠野物語」(1) 今さらながら、録画を見ました。正直、私の趣味です。昔、斜め読みしたので、今回じっくり文章を吟味したい。石井正巳先生のいう様に「100年前の人たちが何を考えて来たのか、ということを知ることは、私たちの持っている記憶の底を知ること」だと思うからです。それは即ち、私たちのいいところも悪いところも含めて、自らを省み未来を作ることに結びつく、かもしれない。 明治43年(1910)の小冊子。柳田国男が佐々木喜善から聞き書きを纏めたもの。私は、柳田が佐々木の成果を横取りしたのではないかとずっと疑問に思っていたけど、今回これを見て柳田の「成果」であることは確信した。非常に「主体的に聞いて、主体的に書いた」のである。 遠野の地方地図を初めて見た。小さな盆地の中に、縄文(狩猟民俗)から弥生(稲作民俗)そして江戸文化から明治の文化まで、日本の歴史が風景として堆積している。 序文にこう書く。「願わくはこれを語りて平地人を戦慄せしめよ。」平地人とは、テレビでは狩猟民を追いやった稲作民と解説していた。柳田は、この様に次々と新語を作ることが得意だ。日本民俗を体現する人たちという意味で「常民」という言葉もやがて作るようになる。平地人には、経済優先で昔の「大事なこと」を忘れた「現代人」のような意味を付加することが出来るかもしれない。 オクナイサマの事例など、昔は個人情報保護法などなかったから、実名で出ている。これは不思議だけど可愛らしい話なので、問題はないけど、川童の話はそうはならない。 五五 川には川童多く住めり。猿ヶ石川ことに多し。松崎村の川端の家にて、二代まで続けて川童の子を孕みたる者あり。生れし子は斬り刻みて一升樽に入れ、土中に埋めたり。その形きわめて醜怪なるものなりき。女の婿の里は新張村の何某とて、これも川端の家なり。その主人人にその始終を語れり。かの家の者一同ある日畠に行きて夕方に帰らんとするに、女川の汀に踞りてにこにこと笑いてあり。次の日は昼の休みにまたこの事あり。かくすること日を重ねたりしに、次第にその女のところへ村の何某という者夜々通うという噂立ちたり。始めには婿が浜の方へ駄賃附に行きたる留守をのみ窺いたりしが、のちには婿と寝たる夜さえくるようになれり。川童なるべしという評判だんだん高くなりたれば、一族の者集まりてこれを守れどもなんの甲斐もなく、婿の母も行きて娘の側に寝たりしに、深夜にその娘の笑う声を聞きて、さては来てありと知りながら身動きもかなわず、人々いかにともすべきようなかりき。その産はきわめて難産なりしが、或る者のいうには、馬槽に水をたたえその中にて産まば安く産まるべしとのことにて、これを試みたれば果してその通りなりき。その子は手に水掻あり。この娘の母もまたかつて川童の子を産みしことありという。二代や三代の因縁にはあらずという者もあり。この家も如法の豪家にて何の某という士族なり。村会議員をしたることもあり。 昔も発達障害の子どもは産まれるだろう。河童の子ならば、殺してもいいだろう、ということを、村人は河童に託して言い訳していたのではないか。 何度も書いたことがありますが、私は大学時代に民俗学の自主的サークル「常民文化研究会」に入っていたことがあります。そこで、岡山県の北のK村の民俗調査を泊まり込みでやりました。その時に出て来た「ウワサ話」が「キツネつきの家」というものでした。しかし、既に昭和56年にもなろうとしていた頃で、遠野のように明確な「話」としては残っていなくて、あまり深まりませんでした。指導教官の見解は「当時の金持ちを周囲が嫉妬して、その中の病気を持った者をそう呼んだのではないか」というものでした。 河童の話も、それに似ている。だとすると、精神疾患や子殺しは、正に現代の話でもある。人々の「負の話」に対する、眼差しと対応、そこにわれ我々は何かを学ばないといけないだろう。 それは、責任逃れということもある。臭いものには蓋をする、ということもある。また、河童を逃がす話にあるように、何とかして共存していこうという気持ちの現れもあるのである。
2014年06月14日
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特別このニュースに希望が持てるという意味でも、NHKの取り上げ方が凄いという意味でもなく、NHKでさえこのような動きを取り上げざるを得ない、今の状況に危機感を抱いているという意味で、ニュースを載せました。 「解釈変更は立憲主義否定」6月9日 18時34分(NHK) 憲法解釈の変更による集団的自衛権の行使容認に向けた動きについて、学者らのグループが都内で会見し、憲法に基づく政治という近代国家の立憲主義を否定するものだと懸念を示しました。 会見したのは、憲法学や哲学などさまざまな分野の学者が憲法と政治の在り方を考えようと発足させた「立憲デモクラシーの会」です。 会見では、この会の共同代表で、法政大学の山口二郎教授が「内閣の解釈変更によって憲法9条の中身を実質的に改変することは憲法に基づく政治という近代国家の立憲主義を否定するもので、『法の支配』から恣意(しい)的な『人の支配』への逆行だ」と訴えました。 また、慶応義塾大学の小林節名誉教授は「さまざまな事例が示されているが『同盟国の戦争に無条件で駆けつけ参戦する』という、集団的自衛権の本質を踏まえ、議論すべきだ」と述べました。 集団的自衛権の行使を容認する憲法解釈の変更について、安倍総理大臣は、今月22日までの今の国会の会期中に閣議決定することを目指して与党側との調整を加速させるよう指示しています。 大新聞が相次いで「破綻した論理」だと批判しているのに、閣議決定をサッカーw杯で盛り上がざるを得ないこの時期に強行するのは、安倍の危機感の現れであるのは確かでもある。 私は、危機感はあるけど、絶望はしない。 解釈改憲を行っても、それを保証するためには、いくつもの法整備が必要なのである。闘いは現在、拮抗を保ちながら綱引きをしている。
2014年06月13日
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「ビック・イシュー240号」ゲット。今回の表紙は映画「トランセンデンス」を控えるジョニー・デップ(51歳)。 この撮影でニューメキシコ州に滞在していた彼は、散歩の途中、2人のホームレスに出会う。2人のたたずまいが気に入ったデップは、エキストラとして映画に出演しないかと提案。彼らにふさわしいシーンを考えて承諾を得ると、その場でキャスティングディレクターに電話したという。それ以上もそれ以下のことも書いていなかったが、ビック・イシューらしいエピソードだし、日本の俳優にはちょっとないエピソードではある。 映画の中身は当然観てみないので、傑作かどうかは判断できないけれども、この間この雑誌で紹介された作品(洋画)はかなり高い確率でその年のマイベストに入る水準の作品が選ばれているのである。「エリジウム」然り、「あなたを抱きしめる日まで」然り、「ブルージャスミン」然り。これも観なくてはならない。内容は夫(デップ)の死を悲しんだ妻が、デップの脳をコンピュータにアップロードするというもの。 ーこういう技術があったら、あなたは試したい? こういう質問にデップは「わからない」と言いながら 「(略)いつか僕が入っている機械が質屋に流されて、今から1000年後に質屋にやって来た誰かがそれを見て「これは何だ?」ってことになるかも。子どもがしわくちゃの老人を見るように「これは一体何だ」って。僕らはみんないろんな点で時代おくれの遺物になると思うし、そうなる方がいいんだよ。」 かなりクレバーで、相対主義的な人物だと思った。私は、作品選びに癖があるけれども、それを含めて彼のことを好きではない。ビック・イシューのインタビューに出ると、それでも好印象を持ってしまう。困ったものだ。 今回の「浜矩子のストリート・エコノミックス」の題名は「想定の内と外」だった。 この間「想定内」がしばしば新聞紙面を賑わせた。消費税前の駆け込み需要も、消費税あとの反動減も想定内だ、というのだ。ということと、3.11のあとの想定外の乱発を比較して、浜矩子さんはこういう。 「想定外だったから、致し方ない。想定内だったから大丈夫。想定の内も外も、どうも、いささか危うい感じがつきまとう。想定外だったから致し方ないというのは、いかにも責任逃れがひどすぎる。想定内だったから大丈夫というのは、何ともあてにならない観がある。 いずれの場合にも、想定の内だったか外だったかということは、本質的な問題ではない。問われるべきは想定の内容であり、想定の質であるはずだ」 「6月には政府の新成長戦略が発表されるのだという。そこで何が想定されているのか。とてつもなく楽観的な想定に基づいて、とてつもなく楽観的な展望を描いているかもしれない。そこをしっかり見極めておく必要がある。後々、想定の内外の妙な使い分けに翻弄されないように」 という浜矩子さんでした。
2014年06月11日
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続きです。 「闇金ウシジマくんPart2」 どうしてこんなクズばかりが出てくる話がPart2ができるほど支持されるのか。映画館で観るのはこれが初めてだが、やはりピンと来ない。もちろん丑嶋は「いいやつ」でも何でもない。いわば彼を狂言回しにした、日本借金事情物語を狙っているような気がするが、描かれているのはホストに貢ぎ貢がれる夜の町事情とあまりにも刹那的なヤンキーたちの生き方のみで、面白みがない(←現代の若者は彼らに共感するとでもいうのだろうか?)。窪田正孝が最後にたどり着いた境遇のみが、この映画の救いであるが、それも大したことないし、五円玉を巡るエピソードもありふれている。綾野剛、菅田将暉、中尾明慶、窪田正孝、柳楽優弥ら、これからを嘱望されている男優たちの競演のみが見どころと言えるのかもしれない。 ■ 解説 真鍋昌平のコミックをテレビドラマ化、闇金融の業者を演じた山田孝之が強烈なインパクトを与えた群像劇の劇場版第2弾。原作のエピソード「ヤンキーくん」編と「ホストくん」編を脚色し、カウカウファイナンスを中心にヤンキーや暴走族、ライバルの女闇金、ホスト、情報屋などが金をめぐる争いや駆け引きを展開する。山田ややべきょうすけらのレギュラー陣に加え、綾野剛、菅田将暉、光石研、柳楽優弥など豪華なキャストがひと癖もふた癖もあるキャラクターを熱演。激しい演技合戦に引き込まれる。 ■ キャスト 山田孝之、綾野剛、菅田将暉、木南晴夏、門脇麦、高橋メアリージュン、中尾明慶、窪田正孝、希崎ジェシカ、バカリズム、大久保佳代子、キムラ緑子、マキタスポーツ、本仮屋ユイカ、光石研、柳楽優弥、崎本大海、やべきょうすけ ■ スタッフ 監督・脚本: 山口雅俊 原作: 真鍋昌平 in TOHOシネマズ岡南 2014年5月22日 ★★★☆☆ 「レオン 完全版」 私の生涯ベストテン作品に入ることを再確認した。私はやはり少女が健気に頑張る話には弱いのであるが、その少女が賢くて凛としていたら、もうヤバイ。1994年作品。あれから既に20年が経ったのか!マチルダはあれからアカデミー主演女優賞も獲ったし、結婚して子供さえもうけた。なんか作品とリンクしていないのに、その後彼女が出演した作品を見るとホッとする。レオンはその後、転生してドラエモンになったのはご承知の通り。 改めて、ナタリー・ポートマンもジャン・レノも、ゲイリー・オールドマンも、表情のアップが多いリュック・ベンソンの演出のせいか、眩しいくらいに輝いていた。あっという間の132分だった。 名セリフが多いのが、やはり名作が名作たる所以だろう。 2人の出逢いの場面。 「大人になっても人生は辛い?」 「辛いさ」 街のチンピラと話しているところを理不尽に叱られたマチルダは、却ってキュンとしてしまう。 「わたし、どうやら恋をしたみたいなの」 「どんな感じなんだ?」 「お腹のあたりが温かい」 「君の腹痛が治ってなによりだ」 2人組の「掃除(暗殺の仕事)」を始めることに躊躇するレオンに、マチルダは言うのだ。 「わたしはもう大人よ。あとは年をとるだけ」 「俺は年をとったが、まだ大人になれていない」 レオンはそうは言っても、12歳のマチルダの保護者としてやるべきことをやったと思ってラストを迎えたのかもしれない。それでも、やはりこれは年齢差を超えた、とっても素敵なラブストーリーになっている。 in TOHOシネマズ岡南 2014年5月22日 ★★★★★ 「ぼくたちの家族」 石井裕也監督が「川の底からこんにちは」で世に出た時、彼はずっとこんなタイプの作品(社会派?コメディ)を作るのかと思っていた。そうしたら、「舟を編む」で化けた。 私は今回の方が「舟を編む」より好きだ。難病ものにも、家族問題の告発ものにもせずに、正面から「家族の絆とは何か」を描き切った。「川の底から」の時のように、ある時から兄弟は「未来をふっ切る」のである。そこにとてもリアリティがある。一つ一つの家族には歴史がある。幾つかの瑕疵はあっても、玲子のようにお母さんがしっかりしていれば、兄弟はそれなりに頑張るものだ。無茶なことはしない。兄は「なんとかする」といい、弟はしっかりフォローする。そんなもんだよ、きっと。 ■ あらすじ 重度の物忘れにより病院で検査を受けた玲子(原田美枝子)は、末期の脳腫瘍で余命1週間と宣告される。そして認知症のような状態になった玲子は、それまで話すことのなかった家族への本音をぶちまけ、長男・浩介(妻夫木聡)、次男・俊平(池松壮亮)、夫・克明(長塚京三)はうろたえてしまう。やがて経済破綻や家庭内不信など、ごく普通の家族に隠されていた問題が明るみに出てきて……。 ■ 解説 映画化もされた「ひゃくはち」の作家・早見和真の小説を、『舟を編む』などの石井裕也監督が映画化した人間ドラマ。母親の突然の病気をきっかけに、それまでバラバラだった家族に隠されていたさまざまな問題が噴出し、その後関係を見つめ直し家族が再生していくさまを描く。妻夫木聡と池松壮亮が、責任感の強い長男と家族に対して素直になれない弟という正反対の兄弟役で初共演。彼らの両親を、ベテランの原田美枝子と長塚京三が演じる。 ■ キャスト 妻夫木聡、原田美枝子、池松壮亮、長塚京三 ■ スタッフ 監督: 石井裕也 原作: 早見和真 in movix倉敷 2014年5月24日 ★★★★★ 「マンデラ 自由への長い道」 冒頭、マンデラの出身部族の成人式での長老の言葉が流れる。 「お前たちの若さや強さや美しさはお前たちのものでは無い。それは部族(民衆という訳語を使っていたが違うと思う)のものだ」マンデラは何度もその時の夢を見たらしい。それは即ち部族(民衆)の団結こそが、自らを救うのだという主張に繋がるだろう。 しかし、もしそれがテーマだとしたならば、それがわかるように脚本が作られてはいない。不満が残った。 南アフリカの黒人独立運動はずっと非暴力と暴力の間を揺れてきた。マンデラは云う。「我々の暴力はあなた達の暴力には決してかなわない。しかし、私たちは3000万人いる。終わりがないだろう」結局、南アフリカ政府は、無条件にマンデラを釈放して1人一票制の選挙を行う。それは即ちマンデラの大統領就任を南アフリカの経済と引き換えに認めたということである。 「人は憎むことをを覚える。それならば、愛することも学べるはずだ。なぜなら、愛することの方が、自然だからだ」 二時間で半世紀のマンデラの半生と運動の歴史を描くのは、少し無理があったと思う。作品としては少し散漫になったかもしれない。作品は、結局マンデラとその妻との愛憎合い半ばする人生を描いたものになった。妻は結局、多くを殺した南アフリカ政府を赦したマンデラを許せなかったのである。 マンデラが、暴力主義から平和主義に転換した決定的な「ドラマ」が描かれなかった。そこが、この作品を散漫にした点だと思う。因みに、「その死を悼むだけでは、あなたの世界は変わらない」という煽り文句に直接明快に応える内容にはなっていません。 ■ あらすじ 人種隔離政策アパルトヘイトによって、白人たちが優位に立ち、黒人たちが迫害されていた、南アフリカ共和国。弁護士として働いていたネルソン・マンデラ(イドリス・エルバ)は、そんな差別や偏見が当然のように存在している状況に疑問と怒りを感じられずにはいられなかった。その思いを強くするあまり、彼は反アパルトヘイトを訴えた政治活動に身を投じていくが、それと同時に当局から目を付けられるように。活動は熱を帯び、ついには国家反逆罪で逮捕され、終身刑という重い判決を下されてしまう。 ■ 解説 2013年12月5日に逝去した元南アフリカ大統領、ネルソン・マンデラの「自由への長い道 ネルソン・マンデラ自伝」を実写化した伝記ドラマ。人種隔離政策アパルトヘイトに挑む闘士から大統領となった彼が歩んだ波瀾(はらん)万丈の人生を、重厚なタッチで映し出していく。メガホンを取るのは、『ブーリン家の姉妹』などのジャスティン・チャドウィック。『パシフィック・リム』などのイドリス・エルバが、マンデラを熱演。実際にマンデラと親交の深かったU2のボノが作品のために書き下ろした主題歌も聴きもの。 ■ キャスト イドリス・エルバ、ナオミ・ハリス ■ スタッフ 監督: ジャスティン・チャドウィック 製作: アナント・シン in movix倉敷 2014年5月28日 ★★★★☆ 「ワレサ 連帯の男」 アンジェイ・ワイダが今年88歳だということが信じられない。複雑な70ー80年代のポーランド情勢と労働運動を二時間の枠で描いてしまった。しかも、動きのある群衆シーンはとても若々しく、人物のドラマもレフ・ワレサという一癖も二癖もある人間を中心に据えて、その夫婦愛も折り込みながら、重層的に描いたのである。 労働運動をしている人は出来るだけ見た方がいい。ワレサは決して知性的な人物ではなかった。連帯を独裁的に率いたのも、全てが正しかったとは描いていない。しかし、ワレサは常に底辺の労働者の発想に寄り添って決断をした。共産党に逮捕された時は、自らの命を盾にしてでも決して「連帯」を裏切らなかった。時代が産んだ英雄の面はあるが、労働運動のリーダーに大切なことをいくつか示している。 自らの危険が迫ると、決まってワレサは妻に時計と結婚指輪を「いざという時の資金にしろ」と置いて行く。その繰り返しが絶妙な効果を産んでいた。当時の記録映像と最新の映像をうまくミックスして、ポーランドの歴史的な一瞬を見事に映画化していた。東欧革命を準備したあの時代を知る上でもオススメの作品になった。 (解説) 東欧革命、その口火となったポーランドの独立自主管理労組「連帯」の闘いを、初代委員長ワレサと彼の家族の日々をとおして描く歴史大作。 1980年代初頭、グダンスクのレーニン造船所で電気工として働くレフ・ワレサの家に、イタリアから著名な女性ジャーナリスト、オリアナ・ファラチが取材に訪れたところから映画は始まる。 ワレサは彼女に、1970年12月に起こった食料暴動の悲劇から語りだす。物価高騰の中で労働者の抗議行動を政府が武力鎮圧した事件だ。 この時、ワレサは両者に冷静になることを叫び、検挙された際、公安局に協力するという誓約書に署名を強いられた。 グダンスクのアパートで質素に普通の生活を送っていたワレサとその妻ダヌタ、そして産まれてくる子供たち。 この事件以降、一家は、歴史的転変期の真只中に深く関わってゆき、ワレサはその中で次第に類まれなカリスマ性と政治的感性を発揮してゆく…。 1970年から1980年代のポーランドをはじめとする東ヨーロッパの国々は、ソ連邦の傘下、検閲や思想統制など社会的に束縛され、極めて厳しい状況にあった。その体制に対して、人々が自由のために闘い、未来のために議論し、力を合わせて抗したことを、ワイダ監督は映画に記して、後の世代に残そうとした。 ワイダ監督はワレサに敬意をこめながらも、彼を英雄としては描いていない。 気高く、家族思いであるとともに、ユーモアがあり、弱くて傲慢でもある複雑な性格を持つ人物として描いている。 また彼の英雄的行動の背景には妻ダヌタの存在があったことを、とりわけ大切に描いている。 そこにはワイダ監督夫妻の体験も重ねているようだ。 『大理石の男』『鉄の男』から30年を経て、ワイダ監督が最新作に込めたライフワークともいえるテーマ 2016年に90歳になるワイダ監督は、『地下水道』(56)、『灰とダイヤモンド』(58)など、第二次世界大戦におけるポーランドの苦難の歴史を描くほかに、『大理石の男』(76)、『鉄の男』(81)など、グダンスク・レーニン造船所の労働者をテーマに、戦後ポーランドの大きな転回点となった時代を描いてきた。 本作は、これら2作から約30年を経て、三度、同じテーマに取り組んだ彼のライフワークともいえる。 撮影は35ミリと16ミリのカメラを併用し、当時撮影された膨大な記録映像に質感を合わせ、実写映像と見事に結合させた。音楽も大きな効果をあげている。 80年代のロックミュージックを全編使用し、時代の高まりをリアルに生き生きと表している。 また「鉄の男」から、ビラ配りのシーンや政労合意の調印がされた後の人気のない会場の情景を挿入し、過去の2作品との連続性を暗示させている。 レフ・ワレサ役 : ロベルト・ヴィェンツキェヴィチ ダヌタ・ワレサ役 : アグニェシュカ・グロホフスカ オリアナ・ファラチ役 : マリア・ロザリア・オマジオ inシネマクレール 2014年5月29日 ★★★★★
2014年06月10日
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5月に観た映画をまとめます。全部で10作品でした。少し多いので、前後編に分けます。 春休みが終わって一段落して力作が出て来た月だったのではないかと思います。 「アメイジングスパイダーマン2」 前作のスパイダーマンは9.11を受けて、「ヒーローの責任とは何か」ということにかなり悩んでいた。それに対して今回のスパイダーマンはビックリするほど悩まない。いや、悩んでいるのだが、それを描かない。しかも、かなり重い現実を突きつけられるのにである。これが、この10年間のアメリカの責任の取り方だったと言える。 それにしても、もとは友だちだった敵役が何故スパイダーマンを憎むようになったのか、納得する人はいたんだろうか。 因みに、事情があって3Dで観たけど、400円分の価値はないことを報告しておきます。 まるでジェットコースターに乗ったような映像は健在。そのためだけに観た方がいいですね。 ■ 解説 キャストとスタッフを一新した人気アメコミ超大作の第2弾。超人的能力を駆使して正義の味方スパイダーマンとして活躍する青年ピーターが、ニューヨークの平和を脅かす敵たちに立ち向かう。監督のマーク・ウェブ、主演のアンドリュー・ガーフィールド、エマ・ストーンと前作のメンバーが再結集し、『Ray/レイ』などのジェイミー・フォックス、『クロニクル』などのデイン・デハーンが新たに参加。迫力満点なアクションはもとより、ピーターに降り掛かる試練を見つめたドラマも見もの。 ■ キャスト アンドリュー・ガーフィールド、エマ・ストーン、サリー・フィールド、ジェイミー・フォックス ■ スタッフ 監督: マーク・ウェブ ムービックス倉敷 2014年5月3日鑑賞 ★★★ 「テルマエロマエ2」 領土拡張よりも隣国との外交によって平和を実現する。そのためにテルマエ(大衆浴場)が大きな力を発揮する。それを日本の観客は笑いながらも満足感に浸りながら鑑賞する。なんと平和な映画なのか。「テルマエロマエ」は2作目に至り見事な大団円を迎えたとおもう。エンドロールの「与作」の映像がなんとも誇らしい。 1と2を併せて観るのをお勧めする。 ■ 解説 古代ローマの浴場設計技師が現代の日本へタイムスリップするヤマザキマリの人気コミックを実写映画化した『テルマエ・ロマエ』の続編。新たな浴場建設を命じられアイデアに煮詰まったルシウスが、再度日本と古代ローマを行き交うさまを描く。主演の阿部寛や上戸彩、市村正親ら主要キャストが続投し、ブルガリアに実物大のコロッセオを建設するなど大規模なロケを敢行。また、曙や琴欧洲ら現役、元力士も出演。帝国を揺るがす危機的状況を、日本の風呂文化によって救おうと頑張るルシウスの奮闘に注目。 ■ キャスト 阿部寛、上戸彩、北村一輝、竹内力、宍戸開、笹野高史、市村正親 ■ スタッフ 監督: 武内英樹 原作: ヤマザキマリ 脚本: 橋本裕志 in movix倉敷 2014年5月4日 ★★★★☆ 「相棒 劇場版3」 「あなた方は病に侵されている。平和ボケという病にね」 「あなたこそ、病に侵されていますよ。国防という流行り病にね」 ネタバレを含みます。サスペンス部分のネタバレにはならないと思います。 (…いいかな?) むしろ、相棒史上最高のサスペンスとは私は思わなかった。キチンとテーマ性を持っているのが、今回の作品のいい処です。では、冒頭のやり取りに繋がる犯人の「動機」のセリフをお読みください。 「私のしたことが非合法だというのは、わかりきっている。しかし、相手がこの兵器でやって来た時に指を加えてそのままにするのですか?かの国が助けてくれるわけではない。むしろ手を組むかもしれない。反撃の兵器を持つことが、最高の自衛なのです。私が非合法だというのならば、核兵器はどうなんですか?持てる国と持てない国があるのは、おかしくはないですか?」 若者と、これをもとに話し合ってみたい。 ■ あらすじ 東京から約300キロ離れた島・鳳凰島で馬に蹴られた男性が死亡する事故が発生。警視庁特命係の杉下右京(水谷豊)と甲斐享(成宮寛貴)は、不思議なうわさのある島の実態を調査することに。その島は実業家(宅麻伸)が所有し、元自衛隊員が集まり訓練に励んでいた。右京は男性の死亡理由が事故ではなく殺人であると確信。島には特命係、捜査一課、鑑識課が集結するが、彼らを何者かが襲撃し……。 ■ 解説 2002年より連続テレビドラマとしてオンエアされて人気を博す刑事ドラマ「相棒」のおよそ3年半ぶりとなる劇場版。太平洋に位置する孤島を舞台に、水谷豊演じる警視庁特命係の刑事・杉下右京とその相棒で成宮寛貴演じる甲斐享が、実業家が所有し、元自衛隊員が訓練をする謎の島の真相を探るべく捜査に乗り出す。六角精児や川原和久らレギュラー陣のほか、伊原剛志や釈由美子、そしてかつての相棒である及川光博などが共演。防衛省や国の権力者の暗躍、ジャングルや岩礁での捜査など、劇場版ならではのスケールに期待が膨らむ。 ■ キャスト 水谷豊、成宮寛貴、伊原剛志、釈由美子、風間トオル、六平直政、吉田鋼太郎、渡辺大、宅麻伸、鈴木杏樹、真飛聖、川原和久、大谷亮介、山中崇史、山西惇、六角精児、神保悟志、小野了、片桐竜次、及川光博、石坂浩二 ■ スタッフ 監督: 和泉聖治 脚本: 輿水泰弘 in movix倉敷 2014年5月9日 ★★★★☆ 「WOOD JOB! 神去なあなあ日常」 矢口監督なので、安心してクスクス笑えて共感できて気持ちよく終われた。のだが、ちょっと予定調和がありすぎて物足りない部分も(同級生の大学生がやって来て都会風を吹かすのに、主人公が反発するという展開は、あまりにもありすぎ)。 自治体主導の次世代育成プログラムの一貫なのだろうけど、あらゆる専門職には「タイヘンさと、魅力がある」。それをずっと監督は うまい事作品にして来た。林業でも当たり前のことなんだけど、それでもなかなか若者が定着しないのは、伊藤英明扮する先輩たちがスパルタ教育と人権無視を混同しているからではないだろうか。そういうことまで描いたら、社会派作品になってしまうのだろうか。出来たら、里山資本主義に繋がる環境問題もテーマにしてほしかったけど、和歌山じゃ無理か。 伊藤英明と染谷将太は「悪の教典」では殺し殺された仲だけど、人間関係は田舎に向かったほうがよくなる(^_^;)。 多分ふんどし姿の人々が動員されたのだろうけど、岡山県西大寺会陽の林グループが協力していた。ビックリ。 ■ あらすじ 大学受験に失敗し高校卒業後の進路も決まっていない勇気(染谷将太)は、軽い気持ちで1年間の林業研修プログラムに参加することに。向かった先は、携帯電話が圏外になるほどの山奥のド田舎。粗野な先輩ヨキ(伊藤英明)のしごき、虫やヘビの出現、過酷な林業の現場に耐え切れず、逃げようとする勇気だったが……。 ■ 解説 『ウォーターボーイズ』など数々のヒット作を送り出してきた矢口史靖監督が、人気作家・三浦しをんのベストセラー小説「神去なあなあ日常」を映画化した青春ドラマ。あるきっかけで山奥の村で林業に従事することになった都会育ちの若者が、先輩の厳しい指導や危険と隣り合わせの過酷な林業の現場に悪戦苦闘しながら、村人たちや自然と触れ合い成長していく姿を描く。『ヒミズ』などの染谷将太をはじめ、長澤まさみ、伊藤英明、ベテラン柄本明らが共演する。 ■ キャスト 染谷将太、長澤まさみ、伊藤英明、優香、西田尚美、マキタスポーツ、有福正志、近藤芳正、光石研、柄本明 ■ スタッフ 監督・脚本: 矢口史靖 原作: 三浦しをん in movix倉敷 2014年5月15日 ★★★★☆ 「ブルージャスミン」 この映画の凄さは、他の誰かが延々と語ってくれることだろうから、私は私にとってのこの映画の意味について考えようと思う。 ジャスミンの人生はおそらく今までもこれからも私とは全く接点を持たない人生を送ると思う。彼女のセレブ趣味は私には単なる洋服にしか見えないし、彼女がこれから送るであろう閉鎖的な空間も知ったこっちゃない。だからこの作品がいかに素晴らしいかろうと、私の人生にはひとつも寄与しない。のだろうか?否、私はジャスミンの上昇思考一辺倒高飛車女と、ジンジャーのビンボー尻軽女に、人生の何分かの一を振り回されたし、これからも振り回される恐れがある。この決して共感出来ない女たちのクルクル回る表情の変化を学習することは、おそらく私の人生に大きく寄与することだろう。 …などと書けば、 「そういうアンタはどうなの!」 と言われそうなので、作品に即して若干述べて終わりたい。 ケイトは終盤に至るまでほとんど病気を患っていたとは感じさせなかった。至る所に病的な部分はあったのだが、それは彼女の性格だと思わせていた。この微妙な匙加減が、ラストの余韻を持たせる終わり方に繋がっている。 ジャスミンの悩みは、おそらくウディ・アレンの悩みでもあるのだろう。映画興行は詐欺行為に似ている。出資者からいつ「騙された!カネ返せ」と言われるか、いつも恐怖に怯えていた可能性はあるのだろう。シリアスだけど、何処かおかしみがあり、哀れでもある、アレンのオリジナル脚本はやはり凄い。もうこんなオリジナル脚本を書ける人はハリウッドにはいないだろう。 (解説) 『ミッドナイト・イン・パリ』『ローマでアモーレ』などのロマンティック・コメディ路線から一転、ウディ・アレン監督がシリアスな作風にギアチェンジした本作は、ひとりの女性の転落人生とその複雑な胸の内をあぶり出す人間ドラマだ。虚栄心とプライドで塗り固められたヒロインの華麗なる“過去”と、痛々しすぎるほど悲惨な“現在”とを対比させながら、セレブが身も心も破綻していく様を容赦なく映し出す。78歳にして新たな絶頂期をひた走るアレンが創造した主人公は、現代性と真実味を帯び、「女性映画を撮らせたらアレンは随一(タイム誌)」との評に誰もが納得するだろう。これまで3度の受賞を誇るアカデミー脚本賞に通算16本目のノミネートを数えた本作でも“話術の達人”ぶりを大いに発揮している。 主人公にはケイト・ブランシェット。虚言と現実逃避を繰り返し、ひたすら堕ちていくジャスミンのはかなさと哀しみを体現した、鬼気迫る演技は『欲望という名の電車』『サンセット大通り』といった伝説的なヒロインのそれに比肩すると言えよう。大本命と目されたオスカーも手中に収めた。 出演 ケイト・ブランシェット、サリー・ホーキンス、アレック・ボールドウィン、ピーター・サースガード inシネマクレール 2014年5月18日 ★★★★★
2014年06月09日
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「AKB48選抜総選挙結果を見ると、その年の選挙傾向が見える」というのが、私の持論です。 まだ十分な分析は出来ていませんが、 特徴その一 正当アイドル回帰(保守化) 特徴その二 劇場で頑張った候補の躍進(地道に頑張った候補が報われる) 特徴その三 若者の躍進 特徴その四 スキャンダル候補の後退(法律違反候補は許さない) という感じでしょうか。(^_^;) つまり、来年の一斉地方選挙は、自民党と共産党が伸びるということになります(^_^;)。 因みに私の押しの松井珠理奈は2ランク上がって四位でした。写真では一位にならなくて泣いていますが、後のインタビューで「今年は四位という結果だったので、来年はよんい結果になればいいなと思います」ここまで鋭いダジャレが言える。 大物である。 結果は以下の通り。 Facebookで紹介したところ、「全て初めて聞く人ばかり」「顔と名前が一致するのは指原だけ」とのことでした。正直言って、そこまで知らないとは思いませんでした。40-60代の人は、少しはこれらの名前に反応できないと、子どもや孫との会話についていけませんよ(^_^;)。 1 渡辺麻友 2 指原莉乃 3 柏木由紀 4 松井珠理奈 5 松井玲奈 6 山本彩 7 島崎遥香 8 小嶋陽菜 9 高橋みなみ 10 須田亜香里 11 宮脇咲良 12 宮澤佐江 13 横山由依 14 生駒里奈 15 柴田阿弥 16 川栄李奈
2014年06月08日
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書評で、私は抜き書きを多用する。いや、必ず抜き書きする。と言った方がいいかもしれない。映画評ではさすがに抜き書きは出来ないが、時々場面の詳しい描写を入れる。台詞を抜き書きすることもある。 書評や映画評に本来「あらすじ」は必要ない、あればその作品を貶めることになるのではないかと怖れている。しかし、文章力がないので、時々入れている。 文学や映画は、文体や映像、或いは間やリズムが大切なので、それをわかってもらわない事には、自分の感動は伝わらないと思うからである。反対に言えばあらすじで、「分かった」様な気になってもらっては困るのである。 一方では、あまり長くなってはいけないとも思っている。名文家ならいざ知らず、出来ることなら300字、いや600字、長くて1000字が限度だろう。(←だんだん自信が無くなって来てるで) 井上靖には、まるで詩の様な短文、短文の様な詩がある。20代のころかなり影響された。加藤周一は科学者としての論理性と文学者としての叙情性を、漢文を毎日読むことで磨いていったという。よって、加藤の文章には漢文の影響が其処彼処にある。北方謙三の水滸伝シリーズは、このブログにずっと抜き書きしている。私の文章修業の一つではある。不肖の弟子だ。 小説をたくさん読んで、映画をたくさん観て、いつかライフワークの様な作品が出来れば良いな、と願っている。毎日の様に書いている。まるで白昼夢の様な日々。以上603字。 というような文章を二年前に書いていたのを見つけた。ここから、一ミリも進歩していない。いや、退歩している。戒めとして載せて置く。
2014年06月07日
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NHKの火曜日のドラマ「サイレント・プア」全9回)が終り、録画を見終わった。そこで描かれている「声なき貧困」を誠実にドラマにしようという態度には、感心したし、とりあえず全回観てみた。結論としては、あまり注目されていないけど、町の民生委員とか社会福祉協議会の仕事を初めてドラマにしたという意味では、意義があるかな、と思った。ドラマ的には、ご都合主義の部分はあるけど許せる範囲ではある。しかし、その全体評価に関してはもう少し間をおきたい。微妙な問題を扱っているからである。 以下少し展開する。 NHKのホームページより サイレント・プア――声なき貧困。いま、そんな「見えない貧しさ」が社会に広がっている。それに立ち向かうべく新たに全国各地に登場したのが、コミュニティ・ソーシャルワーカー(CSW) という仕事だ。 里見涼(深田恭子) は東京下町の社会福祉協議会CSWとして、今日も愛する町を駆けまわる。 涼が出会うのはゴミ屋敷の主、引きこもり、ホームレス、若年性認知症など、懸命に生きながらも現代の社会的孤立の淵に沈んだ人たち。彼らに手を差し伸べ、それぞれの人生にふれていく涼だが、そんな涼自身にも独りで抱え続ける絶望的な孤独があった。 人は何度でも生き直せる――この信念で走り続けた涼がその先に見出したのは、自らが手を差し伸べてきた人や町に支えられ、新たな生へと踏み出す自分自身の姿だった。 これに関して、四月にウェブコメンテーターのみわよしこさんのブログにこんな記述があった。 ここ数ヵ月で盛んに報道されている「中間的就労」「コミュニティ・ソーシャルワーク」のモデルケースの1つとなったのは、豊中市・豊中市社協でもある。番組サイト内「番組のみどころ」ページにも、豊中市がモデルであることが明確に示されている。しかし筆者は、「このドラマで描かれているのは、豊中市で地道に積み上げられてきた取り組みの内容そのものなのだろうか? 少なくとも地続きではあるのだろうけれども」という疑問と違和感を抱いている。しかし「いつか豊中市で現地取材を行ってみたい」と思いつつ、未だ果たせないでいる。 筆者の周辺では、引きこもり経験者には「最もされたくないタイプの支援」「余計なお世話、気持ち悪い」と評する声が多い。統合失調症を抱える精神障害者の1人は「こんなことをされたら病気が悪化する、やめてほしい」と怒りを示す。また、貧困問題に取り組む支援者たちからは「自助努力や共助を強調しすぎ」という声もある。その声には筆者も共感する。 筆者自身は「人間ドラマとしては評価してもよいのではないか」と思うし、深田恭子の好演ぶりには好感を抱いてもいる。しかし、「これがコミュニティやコミュニティ・ソーシャルワークということで、いいのかなあ?」という引っ掛かりが残る。その引っ掛かりを言葉で明確に表現するためにも、なるべく早く豊中市で現地取材を行い、現場の人々の声を聞いてみたい。 ーー全部を観て、私も同じ感想を抱かざるを得ない。もちろん「中間的就労」が全て悪いわけではないだろう。必要としている人は多いに違いない。それが、このドラマで描かれるように自立への第一歩となれば素晴らしいと思う。でもホームレス対象にしたブラック企業の実態も知っているだけに、低賃金労働の温床にならないかとも心配する。 実際に引きこもりをしている人々にとって、里見が何度もドアの前に足を運ぶ描写を「もっともして欲しくない支援」だと思うのも、もっともなことである。しかしそれは一話完結のドラマとしては、仕方がない描写だと思っている。描き方が浅いのを批判するのではなく、引きこもりやホームレス、ゴミ屋敷の当人たちに、なかなか溶けない「心のわだかまり」があることを、視聴者が発見することが重要なのだと思う。 介護保険が改悪されて、要支援からヘルパーやデイケアサービスなどの公的介護が外され、ボランティアにまかされようとしている。里見たちの「仕事」が、その動きに拍車をかけるものにならないようにせつに願いたい。
2014年06月04日
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高校生の始めた、フランス版維新の会ともいうべき極右政党FNに反対するデモのニュースが31日の赤旗に載っている。感銘を受けたので、紹介したい。 反極右 仏全土デモ 高校生がよびかけ 「歴史逆行させない」 (写真)反ファシズムのスローガン「NO PASARAN(やつらを通すな)」を掲げ、極右に抗議する高校生ら=29日、パリ(島崎桂撮影) 【パリ=島崎桂】25日投票の欧州議会選挙で移民排斥を掲げる極右・国民戦線(FN)が第1党を獲得したフランスで29日、1人の高校生の呼び掛けに応じ、全国20以上の都市で学生中心の「反FNデモ」が実施されました。パリでは約8000人が参加。「人種差別の政治はいらない」と声をそろえ、極右の台頭に抗議しました。 デモを主催した全国学生連合、独立民主高校生連盟など12団体は共同声明で、選挙結果は「民主主義の深刻な危機だ」と指摘。「若者は平等と連帯の価値観を持っている」と述べ「極右が私たちの代弁者になることを拒否する」と訴えました。 パリのデモ出発地となったバスティーユ広場には「歴史に逆行するな」「欧州のみんな、(極右の台頭を許して)ごめんなさい」などと書かれたプラカードが林立。広場を埋め尽くす若者からは「私たちの街に極右はいらない。極右のための居場所はない」との唱和が起こりました。 世論調査会社IPSOSによると、今回の選挙では同国の35歳以下の約3割がFNに投票しました。 「批判票では問題解決にならない」とのプラカードを掲げデモに参加したマチルド・カルベさん(21)は「FNに投票した人は、その害悪に気付いていないだけ。現政権への批判として過激な政党に票が集まるのはいつものことだけど、人道に反するFNを支持したわけではない」と語気を強めました。 デモのきっかけとなったのは、南部マルセイユに住む1人の男子高校生(17)です。この高校生は欧州議会選の翌日、自身のフェイスブックで「FNの人種差別、外国人嫌悪や憎悪、閉鎖性を告発し、フランス人はこれらの価値観を共有しないと表明しよう」と呼び掛け。これに応じた学生団体や労働組合がデモを組織しました。 今回のデモには、大学生とともに多くの高校生も参加しました。 パリのデモに参加した女子高校生(15)は「FNの描くフランスは、私たちのフランスとは全く違う。多くの人がFNに投票した中で、選挙権を持たない私たちにできる意思表示はデモだけです」と語りました。 こういうデモが出来るのは、ヨーロッパのフランス革命からの「土壌」があるからだ、という意見もある。日本ではハードルは高そうだ。とも言う人もいる。最もな意見である。 しかし、「多くの人がFNに投票した中で、選挙権を持たない私たちにできる意思表示はデモだけです」という女子高生の気持ちは、日本でも生まれているはずだと信じる。そういう高校生や大学生がいたら、周りの大人がぜひとも応援したいものだ。高校生でもデモは出来ることを知らせること、デモ申請の具体的なやり方などは、大人が出来ることだ。SNSを最も駆使しているのは彼らなので、何人かがヤル気を起こせば、成功する可能性はある。
2014年06月03日
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先日、このような新刊本を紹介するメールが届いた(日常的に複数こういうメールが届くようになっている)。北村薫の新刊本である。それだけならば、文庫本になるまで待つしかないと直ぐに削除しただろう。しかしその本の内容に驚いた。献本応募用のメールなので詳しい紹介文が載っている。これを読んで、普通の北村薫ファンならばあっと思うはずだ。 忙しさに心が擦り減る毎日でも、“そこ”ではわたしを取り戻せる。 不器用編集女子が山から貰った<非日常>と<不思議な縁>とは......— 40歳目前、文芸雑誌の副編集長をしている“わたし”。 元来負けず嫌いで、若い頃は曲がったことには否、とかみついた性格だ。 だがもちろん肩書がついてからはそうもいかず、上司と部下の調整役で 心を擦り減らすことも多い。 一緒に住んでいた男とは、……3年前に別れた。 忙しいとは《心》が《亡びる》と書くのだ。 そんな人生の不調が重なったときに山歩きの魅力に出逢った。 山は、わたしの心を開いてくれる。四季折々の山の美しさ、恐ろしさ、 様々な人との一期一会。 いくつもの偶然の巡り会いを経て、心は次第にほどけていく。 だが少しずつ、しかし確実に自分を取り巻く環境が変化していくなかで、 わたしはある思いもよらない報せを耳にして……。 『八月の六日間』 著者:北村薫 発売日:2014年5月30日 定価:1,620円(税込) / 四六判上製 この「わたし」という一人称の主人公に読み覚えがある。北村薫のデビュー作「空飛ぶ馬」から始まる《円紫さんと私》シリーズの日常の謎を解く傑作の数々。その第五作「朝霧」において、「わたし」は編集者に成って終わった。あれから十数年しか経ってないから40歳目前というのは勘定が合わないけれど、「空飛ぶ馬」の高校生が89年刊行だったことを考えると、勘定が合う。《円紫さんと私》シリーズがまた始まるのか!と考えるとこの本は直ぐに読まなくてはならないだろう。 しかし、である。いくら出版社が変わっているといっても、新刊本の紹介の中にそのことに全く触れられていないのである。念のために、他のいくつかのサイトを巡ってみたが、どうやらこの本は「本格的な山女小説」という位置づけらしい。もちろん「円紫」の言葉は一言も出てこない。《円紫さんと私》シリーズの特徴である「本を巡る謎」は出てこない可能性がある。 私は、これだけ「設定」が類似していて、作者が《円紫さんと私》シリーズを無視するはずがない、と「推理」する。何処かに「謎」が仕掛けられているはずだ。よって早めに読んでみようと思う。昨日段階で、図書館に予約したならば、まだ購入していないのにもかかわらず私は予約の二番目でした。
2014年06月02日
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時は小満。あらゆる生命が天地に満ち始める季節です。当然雑草もどんどん伸びている昨今です。 四月第一週に行った当番の◯◯一族を祀る祠の祭。六月第一週の日曜日の朝に、もう一度、参拝路と祠の周りを綺麗に草取りをして、幟を立て、お供え物をして、祀りました。この二回で草取りはだいたいなんとかなるという先人の知恵ですね。 この大木は隣が濃い緑が椿の木だとはわかったのですが、主人公の大木は栃の木かな?何かな。わかりませんでした。指導をしてくださる近所のお年寄りは、1人は90歳、1人は83歳となかなかのお年なのですが、この小山にどんどん登って全然お年を感じさせません。1人は子供の頃にこの木に登っていて、落っこちたらしいですが、奇跡的にたいしたケガをしなかったらしい。氏神様のお蔭かな? 今日は日中32度まで上がり、完全に真夏日。皆さん体調を崩されませんように。
2014年06月01日
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