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「55歳からのハローライフ」村上龍 幻冬舎 副題には「Llfe Guidance for the 55-year-olds and all triers」とある「55歳からのハローライフ」の英訳なのだろうが、この題名はよくない。誤解を生んでいると思う。著者には「13歳のハローワーク」というベストセラーがあるので、てっきり中高年からの再就職活動の小説かと思うのである。それに似た話も一編あるのだが、テーマはそこではない。いわば「55歳からの再出発日記」なのである。となれば、「再出発日記」というブログを立ち上げていて、そういう年代になってしまっている私には、とても切実で共感出来る話ばかりになっていた。 2014年3月13日読了
2014年03月31日
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桜も咲き始めましたが、桃の花も咲き始めました。3月27日、岡山県古代吉備文化財センター。ここは、数ヶ月に一度展示変えをしているので、年数回行くようにしている。 遺跡から出土した桃核を展示していた。写真は倉敷市上東遺跡の波止場状遺構(弥生後期)から出土したものの一部。ここからはなんと9608個出たらしい。なんらかの祀りをしていたとしか、思えない。果たして何を祈ったのか。種を利用したのか。果肉も利用したのか。中国の昔から、桃は長寿の秘薬として崇められてきたが、それとは関係あるか。さらに言えば、その祀りが奈良の纒向に移った可能性はある(最近大量の桃核が出土)。他にも百間川今谷遺跡、津島遺跡の桃核が展示されていた。因みに、平安時代の「延喜式」には、岡山から都へ桃仁(種)を「薬」として納めていた記録がある(種には血行をよくする作用があり、今でも婦人の漢方薬として使われているらしい)。また、桃太郎伝説との関係(吉備津彦の温羅退治がなぜ桃太郎伝説に変化したのか)、現在でも岡山県は桃の主要産地である点(昭和30年代は全国一の生産、清水白桃は現在でも一位)、桃を巡っていろいろと物語はありそうです。
2014年03月30日
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桜の開花をやっと確認した3月27日、ある考古学施設を訪ねました。 行ったのは、岡山市埋蔵文化財センター。ここは、3月28日まで「造山古墳の時代」という特別展をしている。ギリギリのところで間に合った。造山古墳の陪塚千束古墳の発掘現地説明会で見た遺物もあったが、ここにはその時代の周辺の遺物があって面白かった。この時代の埴輪の変遷もわかった。写真、金蔵山古墳の埴輪は初めて見た。円筒埴輪ではあるが、まだ特殊器台としての面影が残っている。 右が当の造山古墳の埴輪、左が佐古田堂山古墳の埴輪である。全く同じ形であることが分かる。こういう比較によって、造山古墳の築造時代を決定したわけである。 これは、造山二号墳の円筒埴輪。最初の頃の円筒埴輪の模様は三角とか、丸とか、いろいろだったらしいが、この頃になると丸で統一されるらしい。 そして造山四号墳の家形埴輪。造山古墳の時代は、円筒埴輪から形象埴輪に移る頃。よく見る人物埴輪は、時代が下らないと出てこないらしい。(←その意味からも、埴輪が殉死した人物の代わりとして発達したと言う仮説は破綻する。) なぜ当時、古墳を埴輪で飾り立てることが、とってもとっても重要だったのか。どういう神事と関係しているのか。私はまだ納得する説明に出会っていない。古墳時代中期ごろに製造方法の革新があった。須恵器つくりに使用する「窟窯(あながま)」を使用して、硬質な埴輪を大量に生産することが可能になる。墳丘を多量の埴輪で飾る必要性からそうなったのか、技術革新があったから多量に飾るようになったのかは、わからない。中期の終わりころには、埴輪の簡略化・小型化が徐々に進む。さらなる大量生産を満たすために、工程を省略する必要があったと考えられている。 蓋(きぬがさ)形埴輪。貴人の上にさしかける笠を埴輪に写したものだそうだ。古墳時代の銅鏡の中には、住居に付随した大型の蓋が表現されているものもあり、権威の象徴であったと考えられている。展示している蓋は、笠の鰭(ヒレ)の部分や基底部分だそうです。 造山古墳を作った人びとは誰か。 説明板には、思った以上に突っ込んだことを書いていた。周りには五世紀の集落遺跡の数も多く、竪穴式住居が何度も建て替えられていることからも、安定した集落だっただろうと書いていた。さらにこう書いていた。 「住居にはカマドが付随していおり、陶質土器や鉄ていなどの朝鮮半島から持たされた遺物なども出土している。周囲の丘陵部には、陶質土器を出土した小型古墳も築かれており、渡来系の人びとが居住していたと考えられます。現在は田園風景が広がっていますが、当時は極めてエキゾチックな都会的な空間が広がっていたと考えられます。」 私は一時期大和政権が吉備政権に移ったに違いないと思っている。 これは、造山古墳の陪塚である千足古墳から出土したと言われている青銅鏡である。千足古墳は、明治末に「乱窟」された。その一部は宮内庁へ、一部は地元に戻されたと言われている。考古学が宝探しだったころの悲しい出来事である。その地元品の一つがコレ。 青銅鏡は倭製(国産)で、本来は怪獣が棒のようなものを咥えている図柄らしい。しかし、国の技術がまだ未熟だったのか、毛の束のような文様に崩れてしまっている。
2014年03月29日
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「あるキング」伊坂幸太郎 徳間文庫 プロ野球が始まりますね。 伊坂幸太郎って、野球派かサッカー派と言えば、間違いなく野球派だよね。それは、この作品が野球をテーマにしているからだけではなく、今まで「ポテチ」とか、「逆ソクラテス」とか言う中篇を読んで来て思うことである。 此処に出てくる「仙醍キングス」は明らかに楽天イーグルスをイメージして描いている。万年最下位チーム、それをもはや恐れることすらなくなったオーナーや選手たち。そんな中、いずれチームの救世主となるべく生まれた山田王求の半生がこの作品の内容である。単行本の発行が2009年、文庫本は2012年。まさか伊坂幸太郎も1人の優秀な監督と天才投手を迎えて、楽天がリーグ優勝までいくとまでは、想像していなかったのだろう。 同時に、伊坂版「マクベス」ではなく、「マクベス読本」になっている。木下順二の「マクベス」を愛読して来た私にはとても嬉しい内容だった。 伊坂幸太郎は、マクベスを持って来てもなお、主人公の手を血で汚しはしなかった。そこに、私はこの作家を読み続ける動機を確認するのである。 2014年3月15日読了
2014年03月28日
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平和新聞3月25日号は以下のような内容でした。 ●《改憲を止めるため「広げる」》 カフェやレストランで 憲法の勉強会やりませんか? 弁護士 太田 啓子さん ●《大好評のマンガで考えるシリーズ第2弾!》 ナニを守るの? 集団的自衛権 ●《イラク開戦11年・ファルージャ総攻撃10年》 アンバールの悲劇再び 高遠菜穂子さん(イラク支援ボランティア) ●ロシア、クリミア編入を強行 平和委員会が声明 「侵略断じて許されない」 特に一面トップの太田弁護士の話は刺激になりました。太田さんは「明日の自由を守る若手弁護士の会」のメンバーでもあり、既に精力的に憲法学習会をしていたそうですが、「関心のない人たちに関心を持ってもらう、広げる学習会」が必要だと考え、ファッション誌に憲法特集をもちこみで企画したらしい。 或いは、カフェで学習会を開くようになった。喫茶店に学習会企画のもちこみである。 ランチも兼ねての学習会。お母さんたちが参加する。彼女たちの気になるのは徴兵制のことらしい。自分たちのことより子どもたちのことが気になる。 「けっこう皆さん戦争の危険性をリアルに感じていますね」 火がついたら、お母さんたちは真面目である。お父さんに話をしたら、「中国が軍拡しているのに、日本はどうするんだ」と言われて、次はこうしようとアイデア会議をしたりしているらしい。 「憲法や政治のことを語るのって、オシャレだし、カッコいい、という空気を作るのが理想です」 ‥‥お母さんって、直感で分かればあとはぶれない。 ‥‥お父さんって、理屈で攻めてくるけど、ホントは分かってない。 ーーこれは、私の実感ですね。 私の所属している平和委員会でも、この前集団的自衛権の学習会をしました。「明日の自由を守る若手弁護士の会」作成のパンフを活用させて貰いました。「まだまだ勉強が足りない、まだまだ広がりが足りない」というのが、感想です。よって、四月は押しかけミニ学習会を数カ所企画しています。
2014年03月26日
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「明石海人歌集」村井紀編 岩波文庫 癩は天刑である。 加はる笞の一つ一つに、嗚咽し慟哭しあるひは呻吟しながら、私は苦患の闇をかき捜つて一縷の光を渇き求めた。ー深海に生きる魚族のやうに、自らが燃えなければ何処にも光はないーさう感じ得たのは病がすでに膏肓に入ってからであった。齢三十を超えて、短歌を学び、改めて己れを見、人を見、山川草木を見るに及んで、己が棲む大地の如何に美しく、また厳しいかを身をもって感じ、積年の苦渋をその一首一首に放射して時には流涕し時にはべん舞しながら、肉身に生きる己れを祝福した。人の世を脱れて人の世を知り、骨肉と離れて愛を信じ、明を失っては内にひらく青山白雲をも見た。 癩はまた天啓でもあった。(10p) いま歌集の「序」とでも言うべきこの一文を書き写して、やはり飛び抜けた詩人だと思った。その才能を、間違った政策のために瀬戸内の島(岡山県長島愛生園)に隔離した人間の愚かさに震える。人間の見ることの出来る世界の広さに驚く。 ソクラテスは毒をあふぎぬよき人の果は昔もかくしありけり 帰り来て人の語るは死顔に刷きし化粧の清かりしこと 人の世の涯とおもふ昼ふかき癩者の島にもの音絶えぬ 死にかはり生れかはりて見し夢の幾夜を風の吹きやまざりし 降りいづる雨あし暗き日の暮れを相撲放送の声あわただし 結局、幾つか美しい自然を謳った歌もあるのだが、選んだのは死を意識したものばかりになった。1935年には病状悪化で失明し、1939年に37歳で亡くなった。その直前に刊行された歌集「白猫」は25万部ものベストセラーになったという。以下の歌は失明した後のもの。 眼も鼻も潰え失せたる身の果にしみつきて鳴くはなにの蟲ぞも 音信(おとづれ)の今日はありたり老いらくの母が言葉はながからねども ひとしきり跳ぶや海豚のひかりつつ朝は凪ぎたるまんまるの海 世の中のいちばん不幸な人間より幾人目位にならむ我らか 入学試験合格の日の空のいろこのごろにして眼には冴えつつ 南京落城祝賀行進の日取のびて固くなりたる饅頭をいただく (愛国婦人会岡山支部より草餅を贈らる) 霞たつ吉備の春野の若よもぎおよび染めつつ摘ませけらしも 切割くや気管に肺に吹入りて大気の冷えは香料のごとし 引力にゆがむ光の理論など真赤なうそなる地の上に住めり 息の孔潰えむとするこの夜をことさらに冴ゆる星のそこらく 2014年3月13日読了
2014年03月25日
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「おどろきの中国」橋爪大三郎 大澤真幸 宮台真司 講談社現代新書 経済面でみても、日本と中国は米国よりも強い関係がある。しかし、なまじ片言(漢字)が分かるだけに、隣国の性格までわかろうとしていなかったのではないか。そう思って読もうとした。図書館の順番を待つこと一年、やっと読むことが出来た。この本が人気を獲ったのは肯ける。古代から現代にかけて、中国がなぜ五代文明の中で唯一現代まで続いているのか、そもそも何を考えているのか、現代中国はそもそもどういう国で、何を望んでいるのか、そういう「そもそも論」をわかりやすく、古代から現代まで語った本はあまり見当たらなかったためだろう。隣国は外国だ。性格が違うのは当たり前だろう。 対談という仕組みがそれを可能にした。専門の違う社会学者の2人が1人の専門家と議論する形で、本来もっと精査されなければならない課題を100も200もエイヤッと切った。お陰で、全体像がくっきりと浮かんだのだろう。 しかし、それは諸刃の剣である。この本を読んで、いかにも分かった気になるのは極めて危険である。ここで断定的に述べられていることは、全て問題設定だと見た方がいい。また、橋爪大三郎はさすが専門家だけあって大きく的外れなことは言っていないが、大澤某の見識の低さには、終始いらいらした。 問題設定なので、刺激的な部分は多々あるが、自分の問題意識に照らしてメモしておくのが1番有効な読み方だろう。私の興味はあくまでも「日本とは何か」である。合わせ鏡としての中国を語った部分をメモする。 ●トップリーダーは有能でなければならない。しかし、秩序(安全保障)が優先されるから、世襲も認める。それを補助するために、ブレーンが有能であるために儒教を採用した。 ●科挙でどうのように能力を測るか。古ければ古いほど、基準が変わらない。多民族国家では、漢字が共通言語になる。日本は同質性が高いので、この苦労はない。結局能力試験は発達しなかった。 ●皇室の血統はカリスマ性の証明。よって宦官が出現。日本は天皇の血縁カリスマなんて誰も信じていない(源氏物語)。さらには、律令制の官職が世襲になった(藤原氏)。 ●日本はその時代に最も実力があるもの(貴族、武士、役人)が権力を握った。しかし、中国ではなぜか行政官僚が常に権力を持っていた。つまり中国は大きすぎるので、政権交代時の戦争はあるが、終わると直ぐに非軍事的な方法で序列化される。 ●政権の持続性や継承性の根拠として「天」という神でもないものを持って来たために、かえって政権を断絶させたり、変換させたりすることがときに必要になった。一方、日本には天皇が天皇であるための根拠というものが何もない。根拠がないから、逆に絶対つぶれることもなく、実権があったかどうかは別として、万世一系でいられた。その代わり日本人は「リーダーは有能でなくてよい」。いやむしろ、「リーダーは有能でない方がいい」と思っている。「リーダーは有能でない」のに、この社会は維持出来るのか。大丈夫。日本人は「自分が頑張るからいい」と思っている。でも、安全保障はそんなに甘いものじゃない。自分が努力したってダメなものはダメなんだけど、日本人の場合、なぜかそう思っている。平時と戦時、どちらに焦点をあわせるか、だ。これは農民の論理、ムラの論理だ。ムラはセキュリティに責任を持たないから、セキュリティに責任を持つ武士を必要とした。武士は自力救済で、刀を差していて、ムラを守り、いざとなれば相手を殺し、いざとなれば自分が死ぬ。中国人はこんなことをしない。政治で解決しようとする。戦前、武士は軍隊になり、戦後アメリカになった。これは、伝統日本としては異様な在り方だ。(宮台)でも、主観的にはアメリカを 日本的なものの枠内に「武士」として包摂しているので、客観的に異様な在り方であることに気がつかない。(大澤)アメリカが有能ならばいい。 ●なぜ中国はすぐに近代化できなかったのか。根本教典のようなテキストがあったから。翻って日本には規範となるテキストがない。そこで運命を分けた。 ●天皇は神々の子孫であり、日本人も神々の子孫。よって日本人は天皇をシンボルにすれば、自分たちを日本民族だと意識出来る。このロジックを江戸時代の儒学や国学は苦労の末に編み出した。しかし、中国の皇帝は、天と血縁関係がない。そもそも天には神話がない。ゆえに人民と運命的なつながりを持たない。これでは民族主義になり様がない。民衆の間の連帯も弱い。人びとは儒教道徳に従って、自分を大きな血族集団の一員と考えており、そこに属する人びとの福祉を最大の目的に生きている。その集団の外の人びとには、よそ者だとして、冷淡な態度をとる。広範な範囲の民衆がまとまろうとしても、砂を炭団にするようで、まとまらない。 ●台湾問題は、台湾の統合を中国&アメリカで合意したときに、日本が蚊帳の外になる可能性がある。この本を出版して一年間でそれはさらに大きくなった。 (目次) 第1部 中国とはそもそも何か(中国は「国家」なのか?/二千年以上前に統一できたのはなぜか ほか)/第2部 近代中国と毛沢東の謎(なぜ近代化が遅れたのか/明治維新とどこがちがったか ほか)/第3部 日中の歴史問題をどう考えるか(伝統中国は日本をどう見ていたか/中国人の認知地図 ほか)/第4部 中国のいま・日本のこれから(「社会主義市場経済」の衝撃/トウ小平のプラグマティズム ほか) 2014年3月11日読了
2014年03月24日
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昨日は黄砂も来てない快晴。倉敷市水島の亀島山に登ってみた。 一枚目は水島工業地帯。戦後のたった数十年で、こういう景色を作った。それも瀬戸内海の天然の良港があったから。 二枚目は鶴新田のレンコン畑と遠くに高梁川が見え、玉島を望む。近世から近代にかけて田んぼとレンコン畑が整備されたが、今は住宅の方が多い。 そして今日は岡山市旭川河川敷を散策。 京橋を路面電車が通る。京橋は江戸時代まで山陽道と岡山城下を繋ぐ幹線道路だった。その賑わいは今では想像出来ないほどだったという。向かいの家々は向かい岸ではなく、中洲。当時は女郎屋が連ね、昭和まで続いた。京橋は宇喜多秀家の時代に木橋で架設されたが、暴れ川の旭川に何度も流された。それでも現代でも木橋の名残りを留めて現役で頑張っているのは、もともとの土台つくりがしっかりしているからなのだろう。 これは舫いの跡なのだろうか。ご存知の方がおられたら教えて欲しい。この辺りの家には川辺用の石階段が多く残っている。 小さなお地蔵さんがあった。昭和47年5月6日、5才、とある。ゴールデンウイークの最中、川遊びをしていたのだろうか。
2014年03月23日
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「ビック・イシュー235号(3/15発行)」ゲット。 今回の表紙はゲイリー・オールドマンです。記者はアメリカから電話インタビューでドキドキしながら掛けたらしい。一般的には、まずインタビュー前に仲介者のお墨付きを貰って本人と話すらしい。その仲介者が陽気な若者の声で、おかしいと思っていたら「準備はいいかい?」とすぐにそのまま始まったという顛末。そういうお茶目な処もあるオールドマンなのでした。 記者はしきりに「名優」と冠を付ける。もちろん、否は無い。しかしその役柄を四つほど紹介した中に「レオン」がなかったのはなんともしっくりこなかった。私にとってオールドマンは、まず第一にカルトで暴力的な街のマフィアとして印象つけられたからである。だから最近のバットマンシリーズの優しい刑事役にも、いつか仮面を脱ぎ捨て鬼と化すのではないかという危惧をずっと持っていた。 やはり彼は生粋の英国下町育ち。監督デビュー作を飾った「ニル・バイ・マウス」に酒飲みの暴力夫の父親が投影されているという。これは、観なくてはいけない。 そのインタビュー記事に続いて浜矩子の「ストリート・エコノミックス」というコラムが載っていた。今回のテーマは「トリクル・ダウン」。 不勉強で知らなかったのだが、ポタポタ下へ、という訳。富が上から下へとそのように流れ落ちる、という意味らしい。そんなことは無い、あるのは「トリクル・ラウンド」だ、と浜さんは云う。富める者たちの間をグルグル回る。「トリクル・ダウン」を強く主張したのは、サッチャーやレーガンだったらしい。どちらの政権下においても経済格差は拡大した。 不勉強なのは、アベさんの方か。 コラムで言えば、いつも共感して読むのは伊藤悟さんの「テレビうらおもて(なんと200回目)」。満遍なくテレビチェックしていないので、この人の「記録」は貴重です。 今回は二月の大雪被害の報道について。ツイッターやFacebookでは大変なことになっているのは、リアルタイムで知っていた私たち。しかし、それはやはり一部だ。テレビは決定的に遅れた。15日では何処も扱わない。16日。NHK7時のニュースで「雪による死亡者は◯人‥」「孤立集落があり‥」と事も無げに淡々と報告するのみ。「サンデーモーニング」でも出ない。17日夜からやっと報道が始まったという。 タイムラグ約2日。まるで明治時代である。オリンピックがあったからに違いない。 ニュース担当者や政治家の「優先順位」感覚がおかしくなっているだけでなく、メディアと政治が機能していないのでは、ときわめて不安になった と伊藤さんは書いている。いや単に、当たり前の人間感覚よりも、オリンピック投資のカネ回収が大切だっただけだと信じたい(^_^;)。 2014年3月20日読了
2014年03月22日
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今月の映画評です。去年は介護・福祉関係で優秀な作品が多く出て来ました。 「愛、アムール」 去年のマイベスト2で、なおかつカンヌパルムドールを受賞した作品です。究極の「愛を問う」問題作でした。 フランスの老夫婦の妻のアンヌが突然、人形のように動きを止める(ポスターの場面)。彼女の症状は、病による発作であることが判明、手術も失敗に終わり、アンヌは車椅子の生活になるのが発端です。 老々介護の話です。普通と違うのは、夫婦は2人ともフランスの有名な音楽家であり、暮らしの心配はほとんどありません。しかし、特に妻のアンヌ(エマニュエル・リヴァ)は名ピアニストを育てたという人物で、とても強いプライドを持っています。もう一つ、妻はは夫に「二度と病院には戻さない」という約束をさせます。この二つがやがて二人を徐々に追い詰めてゆくのです。 夫のジョルジュ(ジャン=ルイ・トランティニャン)は、献身的な介護をします。車椅子からベットやトイレへの移動、食事の介護などが丁寧に映し出されます。しかし、アンヌの病状は次第と深刻になり、ジョルジュは看護師とヘルパーを雇うことになります。 ミヒャエル・ハネケ監督の作品は余白が多いのが特徴です。全てを映し出さない。それが今まで難解と言われ、同時に鑑賞時に緊張感をもたらす効果も生んでいました。初めて観る人には突然時が飛ぶので戸惑うかもしれません。けれど、私には今回は難しくなかったと感じました。介護体験のある人ならば、この老夫婦の行動一つ一つを、共感はしないまでも全て理解出来るのではないでしょうか。 また、私の所属する映画鑑賞サークルの話を持ち出して恐縮するのですが、この作品を私と同じようにベスト5に入れて大きく評価している人は三人いました。同時にワースト作品、つまり最悪だと評価している人もいたのです。彼の云うには「ジョルジュの最後の選択は絶対納得出来ない」というのです。また、ジョルジュがヘルパーを「こんなに無能だとは思わなかった」と言って突然解雇し、ヘルパーは「私はプロよ。何様だと思っているのよ」と怒って出ていくのですが、あの解雇は不当だと言っていました。介護労働者には酷に映ったかもしれませんが、私は当然の解雇だと思いました。皆さんはどう観るのか。そして最後のジョルジュの選択をどう観るのか。是非ともいろいろと語り合いたい作品なのです。(2013年フランス作品、レンタル可能)
2014年03月21日
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昨日、叔母が再入院した。現在87歳。昨年末に老健施設でトイレに行った時に転倒して骨折して入院。一旦治って再入所して12日後、手術後の傷が壊疽になり、熱も出て入院になった。もう私の顔を全然認識しない。叔母夫婦に子供はなく、昨年秋に叔父は亡くなった。 叔母は6年前に最後の兄弟である私の父が亡くなった直後に認知症を発症した。次第次第と悪くなっていったが、それでもまだ昨年末までは私と話は出来ていたのだ。ところが、入院した途端に認知は一気に悪化した。 そして今日はわずかに「なあんもわからん」とつぶやいただけだ。 人は次第次第と老いてゆき、次第次第と病状を悪化させてゆく。しかし、その間に適切な治療と運動と会話があれば、寝たきりになるのはかなり防げるのではないか。頑固な叔父はお金が心配で、最終盤になるまで介護保険を使わなかった。そのために六度ほど救急車のお世話になり、重い糖尿病の叔母は、今回のように抵抗力が無くなった。叔父を説得できなかった甥の私の力不足はあった。それでも、2人がどうしようもなくなるまで、介護度が上がらなかった恨みはある。自立支援と言いながら、それと反対方向に行こうとしている介護保険制度が恨めしい。 昨年末入院した時に、全然会話ができなくなった叔母のそばにずっといて、ショック状態で何時間も呟き続けている叔母の言葉を記録した。 それが、まるで「詩」のようになった。それを最後に記録しておきたい。 2013年12月16日の詩とも言えないもの 困ったなあ どうしたらええんかなあ 困ったなあ どうしたらええん なあんもわからん 困ったなあ どうしたらええんかなあ 困ったなあ 困ったなあ どうしたらええんかなあ 困ったなあ どうしたらええんかなあ 困ったなあ どうしたらええんかなあ どうしたらええん どうしたらええんかなあ なんもわからん どうしたらええん 困ったなあ 困ったなあ どうしたらええんかなあ どうしたらええん なあんもわからん どうしたらええんかなあ どうしたらええん どうなったらええんかなあ 困ったなあ どうしたらええんかなあ どうしたらええん なあんもわからん 困ったなあ 困ったなあ 困ったなあ どうしたらええんかなあ どうしたらええん なあんもわからん 困ったなあ 痛いなあ 困ったなあ どうしたらええん どうしたらええんかなあ 困ったなあ どうしたらええん どうしたらええんかなあ 困ったなあ どうしたらええんかなあ どうしたらええんかなあ どうしたらええん なあんもわからん 困ったなあ どうしたらええんかなあ どうしたらええんかなあ 困ったなあ どうしたらええんかなあ 困ったなあ どうしたらええんかなあ 困ったなあ 困ったなあ 困ったなあ 困ったなあ どうしたらええん どうしたらええん なあんもわからん どうしたらええんかなあ なあんもわからん 困ったなあ どうしたらええんかなあ どうしたらええんかなあ どうしたらええん いよいよなあんもわからん 困ったなあ どうしたらええん どうしたらええん 困ったなあ 困ったなあ
2014年03月19日
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「自衛隊協力映画」須藤遥子 大月書店 ちょっと型苦しいまでに社会学的立場から自衛隊が協力して作られた映画を研究した本。しかし、重要な指摘が幾つもあり、知らなかったことも多く、良書だった。 氏の問題意識は明確である。その協力実態は知られてないことが多く、規模(制服からイージス艦まで)も形態(なんと原則無料!)も知らなかった。その協力根拠は明文化されており、初めて読んだ。文化政策としての、国家権力の「日本」「日本人」「日本文化」に対する構築・再構築・固定化、それにすり寄る文化産業に対してもメスをいれている。しかし、その内実は複雑。単なるブロパカンダ映画のみに協力をしていない(「自衛隊色を表面に出さず」という基準もある)。それは、作品の完成度がなければそもそもプロパガンダになり得ない反省から来ているという。これらの特徴はアメリカの協力基準ともいろいろ違い、興味深かった。その他、検閲の問題等もある。 各作品に言及する。 「ゴジラ」平成シリーズ(16-22作)とミレニアムシリーズ(23-28作)。自衛官が人殺しをせずに実戦出来る、ということで、「ゴジラ映画は自衛隊にとり聖戦」らしい。 99年12月公開の「ゴジラ2000ミレニアム」の頃から、リアルな自衛隊として脚本の注文が増したという。「ゴジラ×モスラ×メカゴジラ東京SOS」(2003)では、このころには有事防衛のための機龍(メカゴジラ)の登場や、ゴジラ対処のための閣議シーンを何度も挿入、また首相の「私には国民を守る義務がある」「我々を守るために戦っている仲間を見殺しには出来ない。我々は臆病者ではない!」という台詞を言わせるなど、小泉人気のもとでかなり意識された脚本が作られたらしい。 なんと「ゴジラ・モスラ・キングギドラ大怪獣総攻撃」(2001)の自衛隊協力では、憲法9条を改正した「防衛軍」が事前シナリオに登場していたために、協力できなかったらしい。このころは自衛隊の方が慎重だったのか。 平成「ガメラ」シリーズ(1995-1999)は、リアルな自衛隊を描いて画期的だった。 「ガメラ2」では、陸・海・空すべての自衛隊が協力している。「自衛官が主役になる」「ガメラ(善)と自衛隊(善)が協力して宇宙から飛来した生物レギオン(悪)から日本を守る物語」というコンセプトを自衛隊が大きく評価した。金子監督は「怪獣映画というのは、戦争映画の変型」だと認識する。「戦争のような状況になった人々を描く」。そのことの是非はともかくとして、本当に敵がきた時のシュミレーションとして、果たしてきちんと描けているのか。私はもう一度観て置く必要を感じた。 第八章「現代の自己犠牲」の「ミッドナイトイーグル」論は重要である。 第十章「自衛隊協力映画の太平洋戦争」の中にこういう一節がある。 アーロン・ジェローは「男たちの大和/YAMATO」は「反戦映画」という名目にもかかわらず、すべての日本人が見習うべき無償の愛国心を示した好例として右翼系の評論家から評価されており、この作品では「亡国のイージス」や「ローレライ」にも共通するように、命と生存を肯定する一方で、戦後の日本の再生を死と敗戦に依拠させるような矛盾するナショナリズムが見られる、と指摘している。これは、「神風特攻隊員を含む、未来のために命を捧げたすべての先祖に感謝するという主張」が、「日本の戦後の高度成長を犠牲死や英雄死と直接結びつけるという形で、新旧のナショナリストの中に復活している」というシュテフィ・リヒターの指摘とも重なる。(243p) これは、13年公開映画でおそらく二位につくであろう「永遠の0」にそのまま当てはまるだろう。 2014年3月7日読了
2014年03月18日
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3月16日、「日本航空労働者を励まし支える集い」があり、原告の神瀬麻里子さんの話を聞いた。そのあとJAL不当解雇撤回裁判原告団編の「もう一度空へ」も購入して読んだ。彼女の発言の正統性とJALのむちゃくちゃぶり、そして東京地裁のなりふり構わないJAL・政府よりの判決に、さすがの私も怒りが湧いた。 もう一度空へ [ JAL不当解雇撤回裁判原告団 ] 山崎豊子の「沈まぬ太陽」を読んだり、映画版を観た人は承知していると思うが、JALは昔から組合活動家を不当に弾圧して来た。今回の解雇も労組活動家を狙ったモノと言わざるを得ないだろう。 確かにJALは2010年1月に会社更生法の適用を受けて、経営の再建を行ってはいた。しかし、同年12月31日にパイロット、CA165名を整理解雇出来る根拠は無かった。この時点ですでに更生計画上の人員削減目標よりも200名近くも多く希望退職で会社を辞めていた。また、その時の経営も順調で1584億円の利益を上げていた。整理解雇4要件の(1)「企業が維持・存続出来ないほどの人員整理の必要性」はなかった。さらに言えば(2)「解雇回避努力」も労組のワークシェアリング等々の提案を蹴っていた。(3)「対象者選定の合理性」に至って言えば、JALは「希望退職」を募集している最中に、特定の機長・副操縦士に対して乗務スケジュールを外し執拗な個別面談を強要。その上退職者数が削減目標を超えると、突如「稼働ベース論」を持ち出し、解雇対象者数を引き上げた上で「目標未達」と称して整理解雇を強行したのである。CAにも同様の仕打ちを強行した。(4)「個人・労組へ十分な説明と協議を尽」していないのは明白である。 このような解雇がまかり通ることになれば、全ての労働者の解雇が会社の思うがママになってしまう。JALの問題は、私たちの問題である。 ビックリしたのは、JALに対してだけではない。司法が法治国家の原則を投げ捨てて、あからさまにJAL寄り、さらに言えばJAL「再建」を支援した政府に擦り寄ったことである。 2012年3月に行われた東京地裁判決は驚くものだった。JAL稲盛会長(当時)が法廷で「165名を残すことが、経営上不可能ではない」、「その時の収益から誰が見ても雇用を続けることは不可能ではないと思ったでしょう」と証言したのにもかかわらず、司法は「JALはいったん沈んだ船であり、二度と沈まないようにするため」というわけのわからない文学的表現でJALの言い分を支持したのである。「二度と沈まない」ためには、営業費用のわずか0.13%に過ぎない165名の解雇よりも、これまでの政官財一体となった無責任な経営体質を改めることにあるのは明らかである。高裁や最高裁で逆転判決されることはよくあるが、地裁の段階で此処まで支配層にゴマを擦った判決は寡聞にして私は知らない。 「JAL再建には3500億円の血税が使われた。普段とは違うリストラがあってもいい」という意見は間違っている。JALのV字回復のために、政府は7000億円の収入になったのである。私は労組活動家を切るための政官財一体となった謀略の可能性があると見る。2012年6月にILOが日本政府に勧告を出したのは当然。これをこのまま放置したら、国際的な信用にも関わるようになっている。今年5月6月に第二審の判決がある。でき得る限りの支援をしたい。 2014年3月16日読了
2014年03月17日
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「アトミック・ボックス」池澤夏樹 毎日新聞社 それからの長い歳月を耕三は一介の漁師として生きた。 海は無限におもしろかった。 コンピューターのシュミレーションや核エネルギーの開発などとは違う種類の知性が人間には備わっていることを日々の体験を通じて知った。最初の頃は日々釣果や潮や天候を日誌に書いていたがやがてそれもやめてしまった。言葉はいらない。仮想のものは一切いらない。啓介じいさんが言ったとおりすべては身体が覚える。身体と一体化した脳が覚える。 美汐と名付けた子供はすくすく育ち、どんどん言葉を覚えていった。それに逆行するように耕三は言葉を使わなくなった。本を手にとることもめったにない。 監視と保護の視線を感じるのが嫌さに島を出なくなった。島にも誰かいるのかもしれないが、それは気にするまいと決めた。 そんな風にして二十数年か過ぎた。美汐は大学に進み、社会学を専攻すると言った。そういう生き方もいいだろうと思った。工学に進むといったら自分はどうしたかとふと考えたがすぐに忘れた。 2011月3月11日、日本の北の方で大きな地震が起こり、津波でたくさんの人が亡くなり、原発が破壊された。大量の放射能物質が漏れ出た。 それをテレビで知った耕三はその日にすぐに新聞の購読を申し込み、原発に関する記事をすべて読んだ。遠い過去に眠らせたはずの悪魔が甦ったかと思った。 金田が言ったとおり、原発は核兵器より恐い。自分の人生の間にTMIとチェルノブイリと福島と、三回の大きな事故が起こった。放射性物質が人を襲った。さらに遠い過去には自分自身の被爆があった。忘れていた嫌なことが押し寄せる。 なぜ漁師に徹して生きてきたか? 自分でも気づかなかったが、「あさぼらけ」に関わっていた自分を悔いる思いが心のいちばん底にあったのだ。あんな仕事をするのではなかった。そう思ったから原爆から、工学から、仮想のものを数字で扱うことから最も遠い営みを選んで生きてきた。 福島で仮想は現実の脅威となった。福島ショックは65歳となっていた耕三にいろいろなことを考えさせた。(351p) この耕三老人が癌で余命幾時もないと知って、娘の美汐に託したCDがこの物語の発端である。それから、瀬戸内の海のルートをたどって、美汐と協力する様々な友だちと、公安・警察の国家組織との逃亡・追跡劇が始まる。 芥川賞作家とはとうていおもえない、バリバリのエンタメのポリティクスサスペンスになっている。池澤夏樹を知らない人にも、原発問題に感心がない人にも、お勧めです。 しかし、池澤夏樹。当然それだけでは終わらない。そもそも逃亡劇の舞台が東北でもなく、瀬戸内海というのがいい。美汐は社会学者として「離島における独居老人の生活環境」という論文を書いていて、その伝手を頼って逃げる。その論文を書いたキッカケが宮本常一の影響だと云うのが、池澤夏樹らしい。主に出てくる島は広島県細島。香川県牛島。愛媛県日振島。岡山県真鍋島。山口県祝島。逃亡劇の中で、国際政治の中で見落とされてゆく人びとの姿も、池澤夏樹は写しとるのである。 或いは、科学者の目を持つ池澤夏樹だけに、耕三が所属したある秘密のプロジェクトチームの描写もリアルになっている。最初はなんの感情も起きなかったその研究に、耕三が自分が被爆二世だと分かった時点から深く考え出したのは、象徴的だろう。 そして自ら東北ボランティアにも向かい、また国際派作家として世界的視野ももち、社会に対する批判的発信をずっと行ってきた池澤夏樹の面目躍如は、最終盤の2人(保守系の黒幕と死の間際の大物政治家)と美汐との問答にあることは間違いない。 そのお膳立て作り、その処理の仕方は、世のサスペンス小説としては少し無理があったとは思う。しかし、その問答のみが突然現れる実験風な文学ならば、大手や美汐の決断に説得力は持たなかっただろう。それまでの逃亡劇の中に大切なモノがあったからこその、最後の甘々なエンディングなのである。 2014年3月5日読了
2014年03月16日
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ネットニュースの「シネマトゥデイ」で「震災映画、製作の原動力は怒り…3.11を見つめ続ける映画人の思い(3月14日)」という記事があった。 以下がその記事。 開催中の第9回大阪アジアン映画祭の特別企画「東日本大震災から3年~『メモリアル3.11』」内で11日、「東北を描く、未来を描く」と題したトークセッションが開催された。壇上には福島の家族を描く映画『あいときぼうのまち』の菅乃廣監督と脚本家・井上淳一、クリーンエネルギーを巡るドキュメンタリー『ブリージング・アース:新宮晋の夢』の彫刻家・新宮晋が出席した。 震災発生後、数多くの映画人が現地に赴き、製作された映画は約1,000本でうち劇場公開されたのは200本以上と言われる。しかし井上は、そうした作品の誕生を尻目に「自分は被災者の立場に立って映画製作に携われているのか? そもそも映画にするというのは商売にするということ。それでいいのか?」とためらったという。 だが、背中を押したのが脚本家仲間でもある菅乃監督だった。菅乃監督は福島・中通り出身。原発事故を見たとき、奇病で亡くなった父親が発した「変な病気になるのは原発の放射能が原因なんだ」という言葉を思い出して製作を決意。フィクションで勝負したいと、故・若松孝二監督の弟子である井上に脚本を託した。 井上の執筆の原動力となったのは“怒り”だという。「安倍政権は『福島はアンダーコントロールだ』と主張して東京五輪が決まった。これは、そういうことなどへの異議申立て。東京と福島は地続きであり、そして4世代家族の話にしたのも時間は繋がっているのだということを、作品を通して伝えたいと思った」と語った。 一方の新宮は当初「アーティストが政治に口を出すつもりはない」と控え目だった。だが井上らと議論を重ねるうちに熱を帯び、「ハッキリ言うと安倍政権だけでなく人類はどうかしているのではないか。巨大防波堤計画もあるようだが、未来に遺される人間の愚かさのモニュメントになっても、災害防止にはならないだろう」と持論を展開。 続けて「今の政治や大人に対しては諦めています。可能性があるのは子ども。それも心配になってきているから、そう簡単にあの世にいけない。遺言としてもメッセージとしても、できるだけ(作品を)残していきたい」というと、井上も「自分たちの合格点が見えるまで被災者の目線に立てるようなドラマを作りたい」と継続して3.11を見つめていくことを誓った。(取材・文:中山治美) 映画『あいときぼうのまち』は6月21日よりテアトル新宿ほか全国順次公開 『ブリージング・アース:新宮晋の夢』は年内公開予定 第9回大阪アジアン映画祭は大阪市内各所で16日まで開催 最初、彼ら映画人の誠実さに感銘を受けたものの、新宮晋の「今の政治や大人に対しては諦めています。可能性があるのは子ども。」の「諦めています」という言葉が気になった。「カッコつけている」とさえ、感じた。 諦めてないから、こういう映画を創るのではないか。諦め、という言葉をそんな簡単に使っちゃダメだ。 ただ、その夜に録画していた金曜日の「ごちそうさん」を観て、少し意見が変わった。 芽衣子は大輔としみじみ話す。 普通に手入れしていても、何で?ということが起こるんよ。お母ちゃんの世話なんか、大きい処では関係ないんよ。無力やな〜て。 せなけど、ほな、どないしたら良かったんやろって。どないしたら、こんな風にならんかったんやろかって。そんなことばっかり考えてた。 答えは出たん? 笑われても、怖あても、恥ずかしうても、言わなあかんことは、言わなあかん。おかしい、思うたら、言わなあかん。これは、無力な大人の責任や。エライ人は、それを言わせなあかん。山のように言わせて、聴く耳を持たなあかん。たぶん、どっちも無責任やったんや。 「無力」という言葉も、やっぱり「諦め」に似ている。けれども、それでも「無力な大人」は立ち上がるのである。
2014年03月15日
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「憲法 第五版」芦田信喜 高橋和之補訂 岩波書店 「憲法の基本学んでね」 弁護士有志が首相に“教科書”贈る(2014/02/16 共同通信)という記事があった。以下がその記事。 全国の弁護士有志でつくる「明日の自由を守る若手弁護士の会」は14日のバレンタインデーに合わせ、安倍晋三首相に憲法学の権威、故 芦部信喜 (あしべ・のぶよし) 東大名誉教授の著書「憲法」とチョコレートを贈った。国会で立憲主義を否定するかのような答弁を繰り返しているとして「憲法の基本を理解して」との思いを込めた。 個人の権利や自由を保障するために、憲法で国家権力を制限するというのが立憲主義だ。 安倍首相は今月3日の衆院予算委員会で「憲法が国家権力を縛るというのは、王権が絶対権力を持っていた時代の考え方だ。今は国の形、理想を語るものだ」と答弁した。 12日には、憲法解釈変更による集団的自衛権の行使容認をめぐって「最高責任者は私だ。政府の答弁に対しても私が責任を持って、その上で、選挙で審判を受ける。審判を受けるのは内閣法制局長官ではない」と述べた。現行の政府の憲法解釈が、内閣法制局を中心に積み上げられてきたことを意識した発言だ。 「民主主義国家が共有する立憲主義を過去の遺物であるかのようにみる発言にショックを受けた」と同会の 黒沢 (くろさわ) いつき共同代表(33)。「選挙に勝てば自分の手で憲法の読み方をどう変えようと構わないというのも、手続きに対する理解が不十分。首相として当然持っているべき知識があるのか」と疑問を呈す。 黒沢さんらは、大学で多くの学生が憲法の教科書として使う芦部氏の著書を選んだ。安倍首相は昨年3月の国会質疑で「芦部信喜さんという憲法学者、ご存じですか」と問われ「存じ上げておりません」と答えた。 同封した手紙では「憲法の本質を十分に理解されていないのなら、法の支配の原理を基本的な価値とする他国と連携を深めることなどできない」と指摘。「基本知識が万全でなければ国政を信託できかねます」と進言した。バレンタインデーにちなんだ熱い思いは伝わるだろうか。 さて、3月14日に首相がお返しをしたというニュースはまだ流れて来ていない。 それで、私もこの「教科書」を眺めてみた(最新版を選びました)。教授は、もちろん自分の意見も述べているが意見が別れているところはちゃんと明記してある(特に9条部分)。ところが、立憲主義のところは、異論などは全く書いていないのである。そこはこのように明確に書いてある。 憲法の概念は多義的であるが、重要なものとして三つあげることができる。 (一)形式的意味 これは、憲法という名詞で呼ばれる成文の法典(憲法典)を意味する場合である。形式的意味での憲法と呼ばれる。たとえば、現代日本に おいては、「日本国憲法」がそれにあたる。この意味の憲法は、その内容がどのようなものであるかには関わらない。 (ニ)実質的意味 これは、ある特定の内容をもった法を憲法と呼ぶ場合である。成文であると不文であるとを問わない。実質的意味での憲法と呼ばれる。この実質的意味の憲法には二つのものがある。 (1)固有の意味 国家の統治の基本を定めた法としての憲法であり、通常「固有の意味の憲法」と呼ばれる。国家は、いかなる社会・経済構造をとる場合でも、必ず政治権力とそれを行使する機関が存在しなければならないが、この機関・権力の組織と作用および相互の関係を規律する規範が、固有の意味の憲法である。この意味の憲法はいかなる時代のいかなる国家にも存在する。 (2)立憲的意味 実質的意味の憲法の第二は、自由主義に基づいて定められた国家の基礎法である。一般に「立憲的意味の憲法」あるいは「近代的意味の憲法」と言われる。十八世紀末の近代市民革命期に主張された、専断的な権力を制限して広く国民の権利を保障するという立憲主義の思想に基づく憲法である。その趣旨は、「権利の保障が確保されず、権力の分立が定められていない社会は、すべて憲法を持つものではない」と規定する有名な1789年フランス人権宣言16条に示されている。この意味の憲法は、固有の意味の憲法と異なり、歴史的な概念であり、その最も重要なねらいは、政治権力の組織化というよりも権力を制限して人権を保障することにある。 以上三つの憲法の概念のうち、憲法の最も優れた特徴は、その立憲的意味にあると考えるべきである。したがって、憲法学の対象とする憲法は、近代に至って一定の政治的理念に基づいて制定された憲法であり、国家権力を制定して国民の権利・自由を守ることを目的とする憲法である。(5p) それ以降は立憲の根拠を縷々と述べているが、長くなるので此処で切る。安倍さんは、日本国憲法を古いと言ったらしいが、いったい何処に新しい憲法があるのか。 自民党憲法草案の如くは、此処で言うせいぜい「固有の意味の憲法」になるだろう。今までの歴史を無視して、超然と未来を夢想したのだろう。しかし、頭に制限があるので、結局昔のナチズムを真似るせざるをえなかったのだろう。 自民党憲法草案は、70年前に時計を巻き戻そうとする計画草案である。もちろん、昔に帰るのがいつも必ず悪いとは限らない。儒教は常に古の聖の政治に帰れと教える。問題は復古主義ではなく、復古主義のみでしかないということを作った本人が気がついていないことにある。昔が見えていないので、50年先の未来が見えない。見えているのは、ほんのつい目の前、自分が生きている間の利益だけだろう。
2014年03月14日
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「ビックイシュー」234号(3.1発行)ゲット。 特集「被災地、女性の仕事づくり」が良かった。先編み「Tsubomi」、ハンドメイドアクセサリー「Amanecer」、編みもの「ソーシャルニットワークプロジェクト」、ケーキ&ビスケット「にこまるプロジェクト」、菓子・餅・惣菜・弁当「かーちゃんの力・プロジェクト」、東北の郷土料理・ずんだスイーツ「みんなのカフェ」、スイーツ・ランチ・晩ごはん「キッチンNagomi」等々が紹介されていた。みんなおしゃれで可愛い。質に拘って、温かい。 バックやコースター、ミサンガブレス、毛糸編みの小物、ビスケット、クッキーなどは通信販売もしている。写真を見て思ったのだけど、これなら「ツナミ被害」の支援という話題性もあるし、もっと世界への販路を開拓するべきなのではないか。充分魅力ある「商品」だと思う。まとめて紹介するサイトを立ち上げて、英語の詳しい解説と支払い決済の仕組みを作り、誰か有名スターが紹介すれば、一発で売れると思うんだけどな。 全ての仕事がNPO組織だということも共通点だ。作っている彼女たちに落ちるお金は多くはない。内職という感覚。それよりも、生きがいや交流、癒しなどに目的があるのだろう。 一つの方向性だと思う。
2014年03月13日
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今回は珍しく文字数が越えたので、前後編に分けて紹介します。 この前より啓蟄になりました。今日の七十二候は桃始笑 (もも はじめて さく) 。そして、3.11です。春は名ばかりの寒さです。
2014年03月11日
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二月は例年正月が明けて、真の実力作が揃う月である。よって、日にちが少ない割には比較的観る作品も多くなる。観たのは以下の11作品でした。「ウルフ・オブ・ウォールストリート」「マイティ・ソー/ダーク・ワールド」「抱きしめたいー真実の物語ー」「鑑定士と顔のない依頼人」「鉄くず拾いの物語」「大統領の執事の涙」「X年後」「スノーピアサー」「アメリカンハッスル」「エージェント・ライアン」「キック・アス/ジャスティス・フォーエバー」 「ウルフ・オブ・ウォールストリート」 証券会社に入社したばかりのジョーダンに彼の上司は云う。 「顧客のためなんて考えるな。家族の事を考えろ。株を買わしたら、さらに株を買わせろ。それで儲けたら、さらに買わせろ。最後に損をしても、手数料は我々のモノだ。コカインは仕事中に吸え。そうしないと、仕事に押しつぶられるぞ。」 つまり、お金を儲けたいのならば、「手段を選ぶな、いつも自分をハイに持っておけ」と忠告したのである。 真面目なジョーダンはそれを忠実に実践する。つまりクズ株を言葉巧みに顧客に買わせ続けさせたし、証券の違法取り引きも迷う事なくやった。薬物はやり放題、女はとっかえひっかえ。それで結果的に一時的にとんでもない大金持ちになる。 欲望の行き着く先にどういう景色が待つのか。スコセッシはこれでもか、というほどに描く。ホントにここまでやったのか?やったのかもしれない。人間という生き物はつくづく恐ろしい。 レオナルド・ディカプリオの「欲望」を具現化したような顔の七変化は見事である。 (解説) 実在の株式ブローカー、ジョーダン・ベルフォートの回想録を映画化した実録ドラマ。1980年代から1990年代のウォール街で、若くして大金を稼ぎ、その後証券詐欺の容疑で逮捕された彼の栄枯盛衰を見つめていく。監督と主演は『ディパーテッド』『シャッター アイランド』などでコンビを組んできた、マーティン・スコセッシとレオナルド・ディカプリオ。事実とは思えないほどのジョーダンのエピソードもさることながら、ジョナ・ヒルやマシュー・マコノヒーら、実力派の共演にも注目。 in movix倉敷 2014年2月1日 ★★★★☆ 「マイティ・ソー/ダーク・ワールド」 どうやらソーたちが頑張らないと、全宇宙がブラックホールに飲み込まれるという危機に立ち向かう話らしいのだけど、その柱の話があまりにもおざなりで、敵が弱すぎるのが今回の最大の欠点です。でも、そういうのは想定内。私は単にファンの義務として、ナタリー・ポートマン嬢を拝みに来ただけなので満足です。彼女は結婚しても、どんどん美しくなる。神々しい感じ。役の上では、まるきり人間なんだけど。 今回の陰の主役はロキです。最後まで、印象に残る脚本を作っちゃって、オイオイと思う。 (解説) 北欧神話をベースにしたマーベルコミックスの人気作を実写化したアクション大作の続編。ロンドンで発生した重力の異常を契機に訪れた地球滅亡の危機に、ソーが立ち向かっていく。ソーを演じる『レッド・ドーン』などのクリス・ヘムズワースを筆頭に、ナタリー・ポートマン、トム・ヒドルストンといった前作のメンバーが再結集。メガホンを取るのは、テレビドラマ「MAD MEN マッドメン」シリーズなどのアラン・テイラー。驚異的なVFX映像もさることながら、ソーの宿敵でもある弟ロキとの絆をめぐるドラマも見どころ。 in movix倉敷 2014年2月6日 ★★★☆☆ 「抱きしめたいー真実の物語ー」 闘病モノかと思いきや、全く違いました。普通の相当困難がある男女の恋愛を丁寧に写し取った「日常系」の作品でした。カメラワークに定評のある塩田監督らしからぬストレートな作品だと思います。 気持ちのいい作品だったのですが、映画にした以上はもう少し脚本を絞って映像も工夫して欲しかった。 北川景子はあの派手な顔立ちで損をしていると思う。いろんな役柄を器用にこなしているけれども、この人でなけりゃ、という感じがイマイチしない。もったいない。ホントに上手いんだけども。 (解説) 壮絶な交通事故に遭い、左半身と記憶能力に後遺症が残りながらも明るく生きるヒロインと彼女を愛する青年とのはかない運命を、実話を基に描く感動のラブストーリー。多くの障壁を乗り越えて結ばれた二人が幸せをつかみながらも、過酷な運命を背負っていく様子を映し出す。主演は、『パラダイス・キス』などの北川景子と『県庁おもてなし課』などの錦戸亮。上地雄輔や斎藤工、國村隼、風吹ジュンなどが脇を固める。監督は、『黄泉がえり』『どろろ』などの塩田明彦。真冬の北海道・網走の白銀の世界で繰り広げられる純愛に心が締め付けられる。 in movix倉敷 2014年2月6日 ★★★☆☆ 「鑑定士と顔のない依頼人」 「贋作の中には、必ず真実が隠されている」 真作と贋作の間を何度も行き交ってきたヴァージルにとって、この言葉は彼の信念でもある。 しかしもともと映画つくりとは、「贋作の中に真実を見つける」作業に他ならない。「ニュー・シネマ・パラダイス」で贋作を作った積りが、何時の間にか映画の真作に変貌を遂げて何十年もその軛から逃れないでいた監督が、開き直ったようなエンタメ「贋作映画」を作ってしまった。観客の感動が手に取るように分かる。拍手喝采の音が聞こえる。 あの部屋の絵の中に真作が紛れているらしいのだが、いったいどれなのか。最後のカフェのあの凝った作りはいったいどういう意味なのか。本来どこに本当の伏線はあったのか。後でいろいろと話題に出来るホントにエンタメ作品です。 ところで、監督が言っていた「あるべきカットがない」とは、いったいなんだろう。誰か名鑑定士、教えて! (解説) イタリアの名匠ジュゼッペ・トルナトーレ監督と、『ニュー・シネマ・パラダイス』以来、彼とずっとタッグを組んできた音楽のエンニオ・モリコーネ。 世界中から称賛を浴び続け、確固たる地位と名誉を築いた57歳と85歳が再び手を取り合って、軽やかに大胆に新たなる時代の扉を開ける、最新作が完成した。 シチリアを主な舞台に、観る者を感動の涙で包んできた二人が、圧倒的なストーリーテリングと、それを引き立てる哀切に満ちた音楽を披露するために選んだ、次なるステージ──それは、退屈な日常から遠く離れて、豪華で知的で刺激的な、謎解きのひと時を堪能させてくれる、極上のミステリー。イタリアの人々は、意表を突くこの挑戦の素晴らしいパフォーマンスに魅了され、あふれんばかりの拍手喝采を贈った。 なんと『ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日』『ホビット 思いがけない冒険』を抑え、初登場第1位の大ヒットを記録、さらにイタリアのアカデミー賞にあたるダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞で、作品賞、監督賞、音楽賞を始めとする、6部門に輝いたのだ。 イタリアから始まり、ヨーロッパ全土へと広がった熱狂が、ついに日本にやってくる。 ヴァージルを演じるのは、『シャイン』でアカデミー賞に輝き、『英国王のスピーチ』でも同賞にノミネートされたジェフリー・ラッシュ。 美術品の真贋を瞬時に察知する才能と、鮮やかなオークショニアリングの手腕によって、美術業界ではカリスマ的存在でありながら、私生活では人間嫌いで、芸術品しか愛することが出来ない。そんな心のない男が一転、謎の依頼人に翻弄され惹かれていく姿を、哀愁を込めて見事に演じ切った。 屋敷の隠し部屋から出ようとしない、秘密を抱えた依頼人には、ヨーロッパの映画やTVシリーズで人気を誇るシルヴィア・ホークス。透き通るような白い肌と神秘的な眼差しが、ミステリーに官能を添える。その他、どんなものでも復元できる特殊技能を持つが、女性にはだらしのない男に、『クラウド・アトラス』で注目されたジム・スタージェス。 ヴァージルとパートナーを組んで、オークションに罠を仕掛ける画家に、『ハンガー・ゲーム』のベテラン俳優ドナルド・サザーランド。国際色豊かな演技派たちが、何層にも重なる謎に、真実味を与える演技を披露する。スタッフには、撮影、美術、衣装、編集とトルナトーレが信頼をおく顔ぶれが集まり、ため息の出るような骨董品や名画の数々を存分に見せてくれる。 鮮やかに騙されて楽しいのが、極上のミステリー。だが、この物語には、まだその先がある。美しくも切ない人生のミステリーが──。 inシネマクレール 2014年2月16日 ★★★★☆ 「鉄くず拾いの物語」 ほとんどドキュメンタリーと言っていいつくりに、驚きとともにあの家族は何も解決していないことを気づいて愕然とする。普通に始まり普通に終わる。 子供たちの明るさと最低限のコミュニティが存在していることに救いを覚える。 ロマ族は領土というものを一度も持ったことがないが、ヨーロッパ各地にいて、推定800〜1000万人いるそうだ。彼らの80%が貧困ライン以下の暮らしをしているらしい。寿命はヨーロッパ平均より10-15歳短く、15%が常に飢えと闘っているそうだ。 (解説) 『ノー・マンズ・ランド』などで知られるダニス・タノヴィッチ監督が、ロマ族の一家の実話を基に描く感動作。ボスニア・ヘルツェゴビナを舞台に、緊急掻爬(そうは)手術が必要にもかかわらず、保険証がなく高額の治療費が払えないために手術を拒否される家族の苦難をドキュメンタリータッチで描き出す。出演者は実際その当事者であるナジフ・ムジチとセナダ・アリマノヴィッチ。第63回ベルリン国際映画祭で3冠に輝いた、真実の物語に心揺さぶられる。 (ストーリー) ロマ族のナジフ(ナジフ・ムジチ)とセナダ(セナダ・アリマノヴィッチ)夫妻は、2人の幼い娘と共にボスニア・ヘルツェゴビナの小さな村で生活している。ナジフは拾った鉄くずを売る仕事で生活費を稼いでおり、彼らは家族4人で貧しいながらも幸せな日々を送っていた。ある日、彼が仕事から戻ると妊娠中のセナダが激しい腹痛でうずくまっていて……。 inシネマクレール 2014年2月17日 ★★★★☆ 文字数を超えたので、後半は明日。
2014年03月10日
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大島優子の卒業が迫っている。この一年間のにわかAKBファンとして、大島優子ファンとして、ちょっと考えをまとめないといけない(←いらんお世話やで!)のだが、それは今日は置いておく。 ところで、Facebookである人がAKBの歌を批判していました。 AKBの「恋するフォーチュンクッキー」の「未来はそんな悪くないよ」「明日は明日の風が吹く」が、いまの時代に全然心に響かない、と言うのです。 (Facebookの元記事はコピー出来ないので、要約ですみません)彼は、「この歌詞で励まされたり元気づけられたりする人なんているのかな?3.11後の荒涼たる廃墟で聴いても空々しいたわごととしか聴こえない。」と言う。 もともとは吉川潮著「流行歌 西條八十物語」の感想として書いた記事。西條八十は戦時中書いた軍歌や愛国詩は多く軍によって検閲・変詞させられたらしい。また、学徒出陣の引率を早稲田の教務主任として引き受けている。そういう西條八十の姿勢と秋元康の姿勢がダブルらしい。 「AKBは児童労働であり、児童搾取であり、児童ポルノである」その大元締の秋元康がいっぱしの文化人としてもてはやされていることに救い様の無い絶望を感じる、とも書いている。そうしていると「国民をミスリードする歌詞しかかけなくなる」とも。 それに対し、私はこのようにコメントしました。 にわかAKBファンとして反論したい処(ヘタレの指原莉乃のイメージにはピッタリ。彼女なりの努力の結果トップをとったのだから、それに人々特にファンは共感している等々)はあるが、言いたいことは良くわかる。AKBの歌を300以上作っていると言われる秋元康の歌詞には、時代を歌おうとする姿勢はほとんどない。しかし、そもそも彼に制服向上委員会のような歌を期待するのは、無いものねだりではある。彼には「時代を歌うべき」という「責任」はない。 しかし、彼は大会社を統括している責任者として、AKBという大会社の方向を決める社会的責任はあるだろう。他の会社に移るような重大な労働条件の変更を本人に打診せず断れない公衆の面前で突然言い渡すなどもその一つだろう。そんなこともOKなんだと、殆どの若者に強烈にイメージさせるのは大きな社会的影響がある。 彼の歌は一言でいえば「夢を持って頑張ろう」と言っているにすぎない。それに文句をいうべきではなく、現実のビジネスに文句をいうべきだろう。 これをもう少し展開したい。とうのは、私の周りで「AKB総選挙で騒ぐのは、AKB商法に乗っかっているだけで、直ちに止めた方がいい」と云う人は多いのです。「AKBはブラック企業だ」と敵視している人もいます。それに幾つかは同意出来ることもあるのですが、もっと「敵を知る」ことをしないと、AKBを支持しているその人たちの子どもや妻や部下や友だちから、それこそ「だからアイツは何も分かっちゃねんだ」と総スカンを食う気がするからです。 AKB総選挙について言えば、AKB商法に乗っかっている部分もあるけど、総選挙自体はむしろ選挙運動を若者に参加させる体験にもなっており、また他にも興味深い現象もあり、私は面白いと思っています。 問題は、ブラック企業「的」な部分です。恋愛禁止条項は、労基法違反どころか憲法違反の内容ですが、秋元康は公的な処では「そんなことは言ってない」と言っている。その代わり高橋みなみ総監督が「そんなことはない、禁止です!」と公言して、社員の自主的な取り決めみたいになっているのです。巧くやっている。こんなことを並べたらキリがない。 AKBをASEAN会議で歌わせて、アベノミクスの宣伝「手段」にしました。これは、労基法違反じゃないけど、やってはいけないことです。 私は西條八十のことは知らないけれども、元記事を読む限りでは、自分の意の染まない歌が世に出るのを止めなかった段階で、 彼に社会的責任はあったと思います。 問題は、秋元康が歌によって「社会をミスリードさせているのか」と言う点です。 「恋するフォーチュンクッキー」については、既に書きました。秋元康はAKBで世の中にほとんど出てないけど、いろんな歌詞を書いていて、例えば「大事な時間」という歌があります。無理を重ねる前に「1人になって少し休もう。何もしないでぼんやりしよう」「次に何かを始める前に考えてみる余白が欲しい。私にとって大事な時間。いっぱいになったメモリーをもう一度ゼロにして」と過労死を避けようと、訴えていると聴けるような歌詞さえあります。 「スキャンダラスに行こう!」では「恋をしようが、誰と寝ようが、スルー、どうでもいいことでしょう」と自由恋愛を奨励するような歌詞さえ書いています。 結局どの歌が売れてゆくのかは、その時々の「世に連れ」なのです。 AKBには、確かに問題点が数多くあります。しかし、秋元康を作っているのは、社会でもある。的確に批判していく必要があると思います。
2014年03月09日
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津山に行ったので、やっぱり遺跡は見ておかないと。3月2日土蔵崩壊事件の集会に寄ったついでに、念願の処に行きました。 昔、二年も津山に住んでおきながら、弥生時代に興味を持ってはや15年、それなのに、それなのに、まだ訪ねたことがなかった津山市沼の弥生住居跡にやってきました。 沼というからには、沼地かと思いきや、珍しい高台にありました。すぐそばには、立派な文化財センターがあり、ビックリ。 この遺跡は遺跡保存運動の嚆矢になったらしい。 この辺りの弥生土器は、頸が綺麗なマフラーのようになっている。非常に特徴があり、なおかつこの形は奈良の纏向遺跡でも見たことがあり、少し感動。 こんな形のヤリガンナも出土したらしい。こんな小さなカンナで、丁寧に仕上げをしていたのだ。 少し時代は下るが、県北のこの地域、古墳時代にはこんな陶棺が数多く作られている。他の地域にはどうなんだろう。
2014年03月08日
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津山市の米軍低空飛行土蔵崩壊事件を国会で取り上げた参院議員の日本共産党仁比聡平氏の国政報告会が、3月2日津山市でありました。 この日は2011年に米軍機が津山市上空を低空飛行し、その直後に井口貞信さんの家の土蔵が倒壊した日からちょうど三年目の日でした。 それから3日後の3月5日、 岡山県平和委員会で調査して、このブログで私はどの新聞記事よりも詳しい記事を書きました(スマホで書いているので、リンクを張れません。すみません)。そこに載せた写真等々を元に、ある人が米軍機は確かに上空100m以下を飛んだと証明をしたのです。それが、その後の防衛局との交渉の力にもなりました。 そして、その交渉が煮詰まった段階で、仁比氏が国会で追求してくれたのです。 仁比氏は、2月6日の国会で、米軍の責任逃れの回答を追認しようとする小野寺防衛大臣の姿勢を責めて、米軍機飛行の高度や、米軍に責任を認めさせて損害賠償をさせるべきか、再検討させることを引き出しました。 それを受けて、県連絡会議で損害賠償の交渉を進めている吉村清人弁護士より「(事実認定に莫大な費用がかかる)裁判はしないが、米軍に責任を認めさせる損害賠償の交渉は進めてゆく」との報告がありました。 当該被害者の井口氏も参加し「今後ともよろしくお願いします」とあいさつがありました。 3年前といえば、当然その数日後に東日本大震災、福島原発事故がありました。当時はTwitterはまだ写真を広めるのは苦手でFacebookも私含めてあまり浸透していませんでした。大震災までにもう少しあの爆弾が落ちたかのような写真が広まっていれば、しらっと米軍が「私たちに責任はない」などとは言えなかったかもしれない。 米軍の無法な低空飛行の被害と不安は、オスプレイ問題と絡まりこの三年間に大きく広がっている。 結局「安保とは何か」、「安保は日本人を守るのか」という問題にも行き当たることになるのである。
2014年03月07日
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李陵 山月記 ハルキ文庫 / 中島敦 【文庫】 「李陵」 この男は何を目あてに生きているのかと李陵は怪しんだ。いまだに漢に帰れる日を待ち望んでいるのだろうか。蘇武の口うらから察すれば、いまさらそんな期待は少しももっていないようである。それではなんのためにこうした惨憺たる日々をたえ忍んでいるのか? 単于に降服を申出れば重く用いられることは請合いだが、それをする蘇武でないことは初めから分り切っている。陵の怪しむのは、なぜ早く自ら生命を絶たないのかという意味であった。李陵自身が希望のない生活を自らの手で断ち切りえないのは、いつのまにかこの地に根を下して了った数々の恩愛や義理のためであり、またいまさら死んでも格別漢のために義を立てることにもならないからである。蘇武の場合は違う。彼にはこの地での係累もない。漢朝に対する忠信という点から考えるなら、いつまでも節旄を持して曠野に飢えるのと、ただちに節旄を焼いてのち自ら首刎ねるのとの間に、別に差異はなさそうに思われる。はじめ捕えられたとき、いきなり自分の胸を刺した蘇武に、今となって急に死を恐れる心が萌したとは考えられない。李陵は、若いころの蘇武の片意地を──滑稽なくらい強情な痩我慢を思出した。単于は栄華を餌に極度の困窮の中から蘇武を釣ろうと試みる。餌につられるのはもとより、苦難に堪ええずして自ら殺すこともまた、単于に(あるいはそれによって象徴される運命に)負けることになる。蘇武はそう考えているのではなかろうか。運命と意地の張合いをしているような蘇武の姿が、しかし、李陵には滑稽や笑止には見えなかった。想像を絶した困苦・欠乏・酷寒・孤独を、(しかもこれから死に至るまでの長い間を)平然と笑殺していかせるものが、意地だとすれば、この意地こそは誠に凄じくも壮大なものと言わねばならぬ。昔の多少は大人げなく見えた蘇武の痩我慢が、かかる大我慢にまで成長しているのを見て李陵は驚嘆した。しかもこの男は自分の行ないが漢にまで知られることを予期していない。自分がふたたび漢に迎えられることはもとより、自分がかかる無人の地で困苦と戦いつつあることを漢はおろか匈奴の単于にさえ伝えてくれる人間の出て来ることをも期待していなかった。誰にもみとられずに独り死んでいくに違いないその最後の日に、自ら顧みて最後まで運命を笑殺しえたことに満足して死んでいこうというのだ。誰一人己が事蹟を知ってくれなくともさしつかえないというのである。李陵は、かつて先代単于の首を狙いながら、その目的を果たすとも、自分がそれをもって匈土の地を脱走しえなければ、せっかくの行為が空しく、漢にまで聞こえないであろうことを恐れて、ついに決行の機を見出しえなかった。人に知られざることを憂えぬ蘇武を前にして、彼はひそかに冷汗の出る思いであった。 中島敦「李陵」を初めて読んだ時に、私は誤読をしていた。李陵は最後まで自分に誇りを持って人生を全うしたのであり、蘇武は漢への忠節を持して極北で19年を耐えたのだ。そこには、忠節に対する男の態度の違いがあったのだ。という読み方をしていた。 久しぶりに本作を読んで、戦前に書かれたにしては、(正に隠れて天皇制批判をしているかのように)兵士が捕虜として捕まった時にどういう風になるのか、を予め予行演習しているかのような展開に驚きを禁じ得なかった。それと同時に、私の読み方は大きな勘違いであることに気がついた。 蘇武は「節旄を持して」忠節を守っていたから、耐えたのではなかった。「痩我慢が、かかる大我慢にまで成長してい」たのである。意地を張るとも云う。誇りとでも云うだろう。そして、李陵はそんな蘇武に気後れをする。しかし思うに、李陵にしても自死しなかったのは、義理などではなく誇りだっただろう。それが最後の漢の使節の誘いを断固断る処に結実する。 翻って、北方謙三版「李陵」である所の「史記武帝紀6」では、どのように描いたか。 北方も「節旄」を守ってという形にはしていない。むしろ、蘇武は自然を楽しんでいた。さらには、狼を飼ってそれに武帝の名前を付けて徹としていた。「国がない。そんなものを求めて蘇武は酷寒の地にいるのか」と李陵に呟かせている。蘇武の中にむしろ無政府主義者への端さえも見つけようとしているのである。そういう李陵に、蘇武に対する「気後れ」はない。この李陵もやはり、武帝に対する憎しみを越えて、自らの人生を選びとっている。しかし、そこまで描くのに五巻目と六巻目、本を二冊まるまる使っている所が中島敦とは違う処である。 2014年3月4日読了
2014年03月06日
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「史記 武帝紀6」北方謙三 ハルキ文庫 「読み終えたぞ、桑弘羊」 「今上本紀まで、でございますか?」 「そうだ。太初年間の俺のことまで、これでもかというほど書いてある」 「お怒りになっては、おられないようにお見受けします、陛下」 「ほかの帝の記述は、見事であった。俺が気になったのは、俺だけが、ある感情にもとづいて書かれたのではないか、ということだった。司馬遷を、見くびったものよ。ほかとまったく変わりなく、俺の強さも、名君たるところも、いや凡庸さや愚かさや弱さも、はっきりと書かれている。俺がいて、俺を読んでいる。俺はそういう思いにとらわれ、昨夜はほとんど眠れなかった。そして今日になっても、どこにも不快なものはないのだ」(312p) その後、武帝は父親の孝景本紀と今上本紀のみに不快を示して破棄を命じた。司馬遷は、それは「自分でも気づかぬまま、抱いた」武帝の死を願う気持ちを見抜かれたと思い、却って喜ぶのである。 司馬遷の今上本紀は武帝の無味乾燥な儀式のみを描いて全く面白味がない。おそらく、書き直したモノだと思う。 ここで、北方謙三は「司馬遷は武帝に復讐をするために史記を書いたのではないか」という説や、武帝は司馬遷の史記を読んでいないか、内容を理解していなかった、という説を尽く否定した。 司馬遷は自ら気づかないほどの武帝への「私情」をなくして、司馬遷としての「歴史」を書いたのであり、武帝はそれを理解した。となっている。それもまた、漢(おとこ)と漢の関係ではあるだろう。しかし、武帝はまだ列伝までは読んでいない。武帝は果たして「大苑列伝」を読んでも同じ感想を抱くだろうか。北方は果たしてそれを描くだろうか。それは最終巻を待たねばならない。 それと同じ漢と漢との関係は、この巻では李陵と蘇武の間でも描かれる。ただそれは中島敦「李陵」との比較で論じたいので、ここでは置く。 しかし、司馬遷の武帝への感情の変化、蘇武の武帝への感情の変化について、この巻では繰り返し繰り返し述べられる箇所があった。それこそが、わざわざ一巻をかけて武帝紀を書いた理由なのだろうが、冗長なのを感じざるを得なかった。蓋し、謙如不及遷。 2014年2月25日読了
2014年03月05日
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雨水、草木萌動 (そうもく めばえいずる) 卒業式の季節である。以下は君が代斉唱を巡って、Facebookで出て来ているコメントです。本人たちに無断でコピーしているので、名前は一切出しません。 そういえば、わたしは結構ダメさんだったかも。 立ったままで、歌わなかった記憶が。口元チェック対象ですね^^; でも、いまこそ毅然とノーの態度を示さねばならない時ですね。 現在中1と小5の子どもたちの小学校入学式では、「国歌斉唱、ご起立願います」だったのが、昨年、小学校の卒業式と中学校の入学式では、「開会の辞、ご起立願います」の後、続いて国歌斉唱でした。「起立しないよりも敢えて着席する方がやりにくいからかな」と私も思いました。国歌斉唱で着席したのは私だけでした(夫は後れて来た 笑)。私も誰かに怒鳴られるんじゃないかとドキドキしましたが、他の場所で同じ行動を取っている人たちを思い浮かべていました。今まで、怒鳴られたり文句を言われたことはありません。 怒鳴られなくても、子供が人質になっているといろいろやりづらいですよね。 無理しなくていい。 同調する「フリ」でいい。 起立しても、内心の自由はあなたのもの。 自分の心さえ流されなければ、それでいい。 表面的におこないを強制させることはできても、心は屈服させることはできない。 しなやかに、したたかに。 みんな矛盾や後ろめたさを抱え生きている。 その秘めた気持ちだけには決して目を背けずに、明日もちゃんと生きていよう。 卒業式だと、もう縁が切れるから、着席でもいいですね。そうします。 形式的な式典なので、嫌ではありますが、起立はします。あくまで「形式的」にですけどね。反天皇主義なので、歌は当然歌いません。 親が起立拒否してもまわりから「変な人だな」と眉を顰められるだけでしょうが、教師や児童・生徒が意思表明するには現状相当な覚悟が必要ですね。良心的不服従を認めるインクルーシブな社会にしていきたいものです。日本は見事に逆行してるし...。 今31歳と30歳になった息子たちが子どもの頃、小・中・高の入学式と卒業式でわたしと妻は一度も起立しませんでした。そのことで息子たちが不利益を被ったことはなかったと思います。次男が小学校に入学して息子二人が在校生になった年のPTA総会で、わたしは日の丸・君が代に反対する意見書を朗読しましたが、そのことで息子たちがいじめられたりしたことはありませんでした。 以上とはまた、別の記事。 外国人のお母さんが「君が代斉唱の時に着席する」と、娘さんに伝えたら日頃は親思いの娘が「卒業式に来ないで」と言って部屋にこもってしまった、という記事に対して実に多くのコメントが寄せられた。これはその一部。 東京の教育委員会は特に厳しいと聞いています。 私は去年自分の通信教育の修了式は国立のNHK学園で、公立ではないけれど、先生たちが日の丸にお辞儀する構成の中で着席&歌いませんでした。意味が通じているのかわかりませんでしたが。でも、子供の式では今まで歌わなかったけれど起立はしていたかしら。小学校以来いじめがひどかったので気が弱くなっていたのかもしれません。田舎でケーブルテレビで撮影され、何度も放映されますので、今度は()さんと共に着席のまま参加します。 ()さんのお嬢さんはショックを受けられたかもしれませんが、そのことの意味があとになってお分かりになるのではないかと思います。私も最後だからきちんとして、子供が自分の良心に従って生きる一つのあり方を示しておきたいです。 以前「お母さんの思想信条は別のところで表明してくれ。ここは俺の学校だ」と言われて、上の子たちの時に、ちょっとやめといたこともありました。でも、今度卒業式の三男は話せばわかる子だと思うので、やってみます。たった1分半ですしね。座って目を閉じて息を三回止めようと思います。 権力による強制と正面衝突するだけが抵抗ではない。 「起立を強制されるので、嫌々ながら従っています」ということを、世界に知らせることのほうが重要。 娘も私も一応起立はしますが君が代は歌いません。でも、さきほど()さんの例を出して聞いたところ、娘の答えは「卒業式は娘のものであって親のパフォーマンスの場ではない」でした。娘のいうことも一理あると思います。親の思想信条は理解していても、お嬢さんがこれまで培ってきた人間関係や、感情的な部分もあるでしょう。まずはお嬢さんとじっくり話し合ってみたらいかがでしょう。アクションを起こすことも大切ですが、お嬢さんがそれをどう捉えるかのほうが将来的にはずっと大切な気がします。 私は、すべてにおいて、強制される事には 全て従いません。子供たちにも 私の考え 思想も押しつけません。日の丸 君が代は唄いませんし、着席してます。三人の子供たちは 父の生き方だと 感じてる様です。三人とも成人してます。選挙も自分で行きます。葬儀や神社とは…。ちょっと違う対応です。どのような国家であろうとも 権力者による強制には 従わない。これが 私の生き方です。 起立の強制と口元の監視... 幼稚過ぎるほどの「見せかけ」を求めています。 見せかけ... 日本人には国を愛するふりを求め、外国人には他国に敬意を表すふりを求めています。 しかし、そんな「ふり」を求める前に、愛するに値する国なのか? 敬意を表するに値する国なのかをいま一度考えてほしいと思います。 安倍政権の「教育再生」政策は最悪です。「愛国心」の強制、「教育委員会改革」、教科書検定制度の改悪、どれも歴史改竄、憲法崩壊へまっしぐらです。是非、教育現場からも「反対!」の大きな声を上げて欲しいです。でもそれができない現実。厳しいです。 教育現場への国家の介入は断じて許すことは出来ません。 この問題で、親子の溝が出来るなんてとんでもないことです。お気持ちを察すると、胸が詰まります。 シェアしたいのですが、プライベートな事柄でもあるので、お許しを得てからにします。よろしいでしょうか? 日本人は、コメみたい。同じ色同じ形。水のようにザーザーあちこち流れる。一粒では力ないと思っている。でも一粒一粒が強力。早く気づけばいい。誰に何を強制される必要もないし、雑穀のように、さまざまな色形も、また栄養。 自分が正しいと思うことをするか、しないか、これを丸ごと伝えるチャンス。 違うことは悪くない! Hさん、オラの答えはいたって簡単。「「君が代」はうたいません」のプラカードを持って黙って立つです。去年の、Mの中学の卒業式では「すみません。退席しますので、ちょっと待ってください」と言って「君が代」がなっている間、外に出ていました。高校の入学式でもやるでと言ったら来るなというので、一晩考えて冒頭の戦法をとりました。アピール度抜群でした。今日も今からましポンの高校に保護者を名乗ったビラを持って、卒業生・保護者・教職員に配ってきます。後でそのビラの写真をアップしますね。教職員は3回歌わなかったら処分なんて、バカバカしいことを押し付けようとする大阪府です。断固許せません。お咎めなしの保護者ができることをやります。それと、どなたか書かれていましたが、卒業式は卒業生だけでなく、保護者や教職員にとっても大切な日なんですよ。 育鵬社の歴史・公民教科書を使用している武蔵村山市では卒業式でなく、卒業証書授与式と言い、主役は子供たちで無くなっている気がします。 1.国旗を至る所に飾れ(卒業制作よりも目立つ所に) 2.卒業生と在校生を対面で座らせない(式の間は国旗にお尻を向けさせないため) 3.式の開会宣言に続けて国歌斉唱を行う(着席する意図間を与えないため) などを教育委員会から各学校に細かい指示を出しています。 私は今年も来賓として参加しますが、子供達の前で国歌には堂々と着席しようと思いますけどね…。 思想信条の自由を伝える最後の授業です。 3月1日の娘の高校の卒業式、同じような状況で欠席しました。幼稚園の入学式から意思表示を続けてきた理由も娘は知っています。でも思春期の子どもの感情も分かる。自分も信念を曲げられないので欠席しました。子どもの卒業を祝う気持ちが本人に伝われば良い。これを理由に親子で喧嘩してしまうことが1番の愚策。そこまで分断されてしまうわけには行きません。時が経てばわかってくれる。自分の娘ですから。それまで社会の歪みを正す活動に自分なりに参加して行きます。 일본만 그런 게 아니라 한국도 신자유주의 교육체제에 신음하고 있습니다. 일교조의 저항도 이젠 잦아진 모양이군요. 한일 모두 안타까운 일입니다. 私は、みなさんと一緒に立って、その後深くお辞儀をして着席しました。意見が違っても、礼はつくしたい。 娘さんとの葛藤が切ないですね(・_;) 「とくに日本人でもなければ在日でもない、外国人としての立場は、ある意味で複雑です。」 私が外国にいたとき、こうした公式行事等に参加しているときにおいても、「私は外国人だから」と気楽な立場でしたが、日本においてはそうではない、という状況が異常ですね。 私にも高二の娘がいて、約三年前に中学校を巡回するカウンセラーにお話しを伺いました。その時驚いたのは、そのお年頃の現代娘は過敏な程、他人と異なることを恐れるということで、(男女の違いがあるかもしれませんが)私のその時代は真逆であったように思うのでショックでした。 お嬢さんは、日本の学校に通学しながら、外国人であることで納得できない思いや、逆に多角的な視点を有効に駆使できる「自由」さなど、複雑な気持ちを抱えていらっしゃるのですね。私は、子どもの意向を汲まず親の思いを優先させることは一番マズイと思います。子どもの晴れ姿を見ないのは残念ですが、お嬢さんのご意向に添われるのも、「反意」としてアリなのかもと思います。でも、これは決めるのはあくまでも当該保護者ですが。私自身は、K さんと同じように、何十年も(何十年!!実に悔しく責任を痛感するのですが)「日の君」反対をやってきました。子どもたちと、とことん話しあって、最後には子どもが「おかあさんの思想を子どものためにやめろとは言えない」と「日の君」反対の本質に気づいてくれたからできたと思っています。簡単ではなかったです。教職員、保護者への働きかけも日常的にやることで随分と同じ思いの方々と出会え、現在もそこで一致した関係は繋がっています。日本での最後の卒業式ですから、なおさら苦悩されていることが、とても胸に迫ってきますが、だからこそ思い出に残る素晴らしい卒業式にしてください! ()さん 上の娘から聞いた話です。(上記の投稿は下の娘のことです) 東京高校生平和ゼミナールの集まりで、ある男子高校生が次のような発言をしたそうです。 「都立高校に通っていますが、入学式で君が代斉唱の時、起立しなかったら、教師がそばに来て、「立ちなさい!」と何度も言い続けました。しかしそのまま座っていました。式が終わったら校長室に呼び出され「あなたのせいで式が台無しになったのではないか」と、怒鳴られました」 式の主体である生徒・児童が不起立(現在は起立させたままの状態で進行させますので「着席」闘争ですが)すると、学校だけでなく、親、地域からの反動を受けることも多々あります。そのため「日の君ホットライン」など設けて子どもたちを守ることもしています。しかし、これで完全に守れるわけではありません。子どもの方が逞しく蹴散らかして伸びてくれるのでむしろこちらが助けられた気になります。私自身、失敗やこうすればよかったということがたくさんありますが、保護者、教職員がその先頭にたたなくてはダメなんだということを痛感しました。そのため小学校なら5年から参列させますから、来るべき時に備えて入学以前から学校、地域の保護者と、とにかく関係をつくりました。これは「踏み絵」なのですから、「踏み絵」足らしめないようにするには本腰を入れた準備が必要なのです。 ()さんがどういう行動をとったのかは、今のところまだわからな。教職員の君が代斉唱問題も大変だが、賞罰が決定している処では、気持ちは楽な処はあるかもしれない。親と子の君が代斉唱問題はまた、その結果がどうなるか、わからない分複雑です。今年はまた去年とは事情が違うかもしれません。深く鋭い問題が立ち上がっているようです。
2014年03月03日
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「非暴力行動198の方法」を書き写しました。 (ジーン・シャープ「独裁体制から民主主義へ」(ちくま学芸文庫)より)※印は訳者瀧口範子による注を選択的に附した。 ■非暴力抵抗と説得の方法 形式的声明の方法 1.公共の場で演説する 2.反対意見や支援を示す手紙を送る 3.組織や機関にによる宣言を行う 4.署名入りの公共声明を出す 5.告発や決意を宣言する 6.グループや大衆による嘆願を出す 幅広い人々とのコミュニケーション手段 7.スローガン、風刺画、シンボル 8.旗、ポスター、プラカード 9.チラシ、パンフレット、本 10.新聞、刊行物 11.レコード、ラジオ、テレビ 12.空中文字、地上文字 グループによる主張の方法 13.代表団を設置する 14.模擬的な賞を授与する 15.ピケを張る ※重要な場所に行って歩き回ったり座り込んだりして、監視すること。 16.模擬的な選挙を実施する ※合法的な選挙を行うことが認められていない場合に、独自に直接選挙や訪問による票回収などの方法で違法な選挙を行うこと。 象徴的な公然行動の方法 18.旗や象徴的な色を掲げる 19.シンボルを身につける 20.祈祷や礼拝を行う 21.象徴的なモノを届ける 22.抵抗のための脱衣行動をおこす 23.自身の所有物を破壊する 24.象徴的な明かりを掲げる 25.肖像画を提示する 26.抗議のためにペンキを塗布する 27.新しい標識や名前を掲げる ※道路や駅名などの標識を撤去したり、異なった名前をつけたりすること。 28.象徴的な音を鳴らす 29.土地や領土の象徴的な返還要求行動を起こす ※重要な意味を持つ土地に木を植えたり、建物を建てたりすること 30.無礼な身振りをする 個人に対して圧力をかける方法 31.役人に"つきまとう" 32.役人をなじる 33.馴れ馴れしくする ※主に兵士や警察を相手に、親しげに振舞って、こちら側の影響力を直接的、間接的に与えること 34.寝ずの座り込みを行う 演劇と音楽 35.ユーモラスな寸劇やいたずらを行う 36.演劇や音楽会を上演する 37.歌を歌う 行進を利用する方法 38.行進をする 39.パレードを行う 40.宗教的な行列を実施する 41.巡礼する 42.車によるパレードを行う 死者を讃える方法 43.政治的追悼式を催す 44.模範的な葬儀を行う 45.示威的な葬儀を行う 46.墓参りをする 公の集会方法 47.抗議や支援の集会を開く 48.抗議会合を持つ 49.偽装した抗議会合を開く 50.討論会を開く 撤退と放棄の方法 51.退室する 52.沈黙する 53.勲章を放棄する 54.背中を向ける ※文字通り身体的に背中を向けて沈黙すること。 ■社会的非協力の方法 人を排斥する方法 55.社会的にボイコットする 56.選択的な社会的ボイコットを行う 57.セックス・ストライキをする ※好戦的な夫に対して、妻たちがセックスを拒否し続けること。 58.破門する 59.職務禁止令を出す ※宗派のトップが、特定の地区での祭事の禁止を命じること。 社会的行事、慣習、機関への非協力の方法 60.社会活動やスポーツ活動を停止する 61.社会的行事をボイコットする 62.学生ストライキを行う 63.社会的非服従を起こす 64.社会的機関から脱退する 社会制度からの撤退の方法 65.自宅待機する 66.完全な個人的非協力を行う 67.労働闘争を起こす 68.避難所を設ける 69.集団失踪する 70.抵抗の避難行(ヒジュラ)をする ■経済的非協力の方法:(1)経済ボイコット 消費者による行動の方法 71.消費者によるボイコットを起こす 72.ボイコット製品の非消費行動を起こす 73.耐乏生活に入る 74.家賃不払いを起こす 75.賃貸拒否をする 76.全国的消費者によるボイコットを起こす 77.海外の消費者によるボイコットを起こす 労働者や生産者による行動の方法 78.工具によるボイコットを起こす 79.生産者によるボイコットを起こす 中継による行動の方法 80.原料供給者や仲買人によるボイコットを起こす オーナーや経営陣による行動の方法 81.売買業者によるボイコットを起こす 82.土地の賃貸や販売を拒否する 83.閉鎖する 84.産業支援を拒否する 85.商人による“全体ストライキ(ゼネスト)”を起こす 財政源の所有者による行動の方法 86.預貯金を引き出す 87.料金、会費、税金の支払いを拒否する 88.負債や金利の支払いを拒否する 89.財源や信用金を遮断する 90.政府への支払いを拒否する 91.政府紙幣を拒否する 政府による行動 ※この政府とは、何らかの独裁的権力が支配的な中で、別の政府が存在している場合のこと。 92.国内通商を禁止する 93.業者をブラックリスト化する 94.海外販売業者との取引を禁止する 95.海外買受業者との取引を禁止する 96.国際貿易を禁止する ■経済的非暴力の方法:(2)ストライキ 象徴的ストライキの方法 97.抗議のストライキを起こす 98.急に退室する(稲妻ストライキ) 農業ストライキの方法 99.農民によるストライキを起こす 100.農業労働者によるストライキを起こす 特殊グループによるストライキの方法 101.押しつけ労働を休止する 102.囚人によるストライキ起こす 103.同業組合によるストライキを起こす 104.専門職によるストライキを起こす 通常の産業ストライキの方法 105.機関によるストライキを起こす 106.業界でのストライキを起こす 107.同情ストライキを起こす 限定的ストライキの方法 108.細分ストライキを起こす ※職場から作業員が1人づつ去って行く方法で行なわれるストライキ。 109.バンパー・ストライキを起こす ※ある業界の中で、会社ごとにストライキに入っていく方法。 110.減産ストライキを起こす 111.順法ストライキを起こす 112.仮病を使って休む 113.辞職によるストライキを起こす 114.限定的ストライキを起こす ※時限ストのこと。 115.選択的ストライキを起こす ※特定の作業だけを行わないストライキ。 複合的産業ストライキ 116.一般的ストライキを起こす ※部分ストのこと。 117.全体的ストライキ(ゼネスト)を起こす ストライキと経済封鎖を組み合わせた方法 118.同盟休業をする 119.経済封鎖をする ■政治的非協力の方法 権力に対する拒絶の方法 120.忠誠を保留、あるいは撤回する 121.公的援助を拒否する 122.抗議を唱える文書公開や演説を行う 市民による政府への非協力の方法 123.立法機関をボイコットする 124.選挙をボイコットする 125.政府による雇用や就職をボイコットする 126.政府の省、機関、その他の組織をボイコットする 127.政府の教育機関から退学する 128.政府支援を受ける組織をボイコットする 129.執行機関への協力をボイコットする 130.自身の標識や表札を撤去する 131.役人指名の受託を拒否する 132.既存機関の解散を拒否する 市民による服従に代わる方法 133.不承不承と緩慢に従う 134.直接的な指示不在のもとで非服従を行う 135.民衆規模での非服従を行う 136.偽装的な不服従を行う 137.集会や会合解散を拒否する 138.座り込みを行う 139.徴兵や国外追放に対して非協力になる 140.潜伏や逃避をし、偽りの身分を名乗る 141.“非合法的”な法律に対して市民的不服従を起こす 政府職員による行動の方法 142.政府職員による支援を選択的に拒否する 143.指令や情報系統を遮断する 144.足止めや障害を起こす 145.事務業務全体での非協力を起こす 146.司法関係者による非協力を起こす 147.警察関係者による意図的非効率と選択的非協力を起こす 148.上官に対する暴動を起こす 政府による国内行動の方法 149.疑似合法的な回避や遅延を起こす 150.地方政府による非協力を起こす 他国の政府による行動の方法 151.外交や他の代表を変更する 152.外交行事を遅延する、あるいは取りやめる 153.外交交渉を保留する 154.外交関係を断絶する 155.国際機関から脱退する 156.国際機関への入会を拒否する 157.国際組織からの除名を受ける ■非暴力的介入の方法 心理的介入の方法 158.自らをその要素にさらす ※火や灼熱の太陽など、身体的、心理的に極限状態に陥るような状況に身を置くこと。 159.断食する (a)道徳的圧力をかけるための断食 (b)ハンガー・ストライキ (c)サティーヤグラハ的(非暴力抵抗としての)断食 160.逆提訴する 161.非暴力的いやがらせをする 物理的介入 162.座り込みを行う 163.立ち尽くしをする 164.無許可乗車をする 165.無許可の水中侵入をする 166.歩き回りをする 167.無許可で祈祷をする 168.非暴力的急襲をかける 169.非暴力的空襲をかける 170.非暴力的侵入をする 171.非暴力的介入を行う 172.非暴力的妨害をする 173.非暴力的占拠をする 社会的介入 174.新しい社会パターンを構築する 175.機関の作業を過剰負担にする 176.業務を停滞させる 177.集会で介入演説をする 178.ゲリラ演劇を上演する 179.別の社会的機関をつくる 180.別の通信システムをつくる 経済的介入の方法 181.逆ストライキを起こす ※必要以上に働いて、従業時間や生産量をオーバーさせること。 182.居座りストライキをする ※職場には来るが、作業は行わないストライキ。目的が達成されるまで続けられる。 183.非暴力的に土地の差し押さえをする 184.封鎖を無視する 185.政治的動機による偽造を行う 186.妨害的な買い占めを行う 187.資産を差し押さえる 188.投げ売りをする 189.選択的に後援する 190.別の市場をつくる 191.別の交通システムをつくる 192.別の経済機関をつくる 政治的介入の方法 193.行政機関を過剰負担にする 194.秘密警察の身分を暴く 195.拘束を求める 196.“中立的”法律への市民的な不服従を行う ※独裁政権が提示する一見中立に見える法律を受け入れないこと。 197.非協力の下に仕事を続行する 198.二重統治や並行政府を打ち立てる 2014年2月27日記入 実際は、198よりはるかに多くあるだろう。書かれた時期が90年代だから、インターネットは言及されていない。しかし、これをみて例えば「12.空中文字、地上文字」というやり方に「あっ、」と思うのである。「まだまだやれることはいくらでもあるのではないか」
2014年03月02日
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私がこの本を知ったのは、昨年12月11日の東京新聞、斎藤美奈子の「本音のコラム」によってである。そこで彼女は一年前にこの本を読んだ時には「日本では、こんなことはムリ」と思ったそうだ。しかし、今はなんと胸にストンと落ちる。言うまでもなく、安倍の強権政治が目の前に展開されたからである。なるほど!私もさっそく取り寄せて読んでみた。 「独裁体制から民主主義へ 権力に対抗するための教科書」ジーン・シャープ 瀧口範子訳 ちくま学芸文庫 1980年以来、エストニア、ラトビア、リトアニア、ポーランド、東ドイツ、チェコスロバキア、スロベニア、マダガスカル、マリ、ボリビア、そしてフィリピンといった国々で、民衆による非暴力を中心とした抵抗によって独裁体制が崩壊してきた。非暴力的な抵抗はまた、ネパール、ザンビア、韓国、チリ、アルゼンチン、ハイチ、ブラジル、ウルグアイ、マラウイ、タイ、ブルガリア、ハンガリー、ナイジェリア、そして旧ソビエト連邦のさまざまな地域(1991年8月に起こった守旧派によるクーデターの敗北では、顕著な役割を果たした)での民主化運動を推し進めてきた。 さらに近年になって、大衆による政治的抵抗は中国、ビルマ、チベットでも起こっている。こうした闘争は現在の独裁体制や占領を終焉させるにはいたっていないものの、抑圧的な政権の非人道性を世界コミュニティーに向かって示し、このかたちをとって闘争するという貴重な体験を国民に与えたのである。(16p) この本はこれらの国の具体的な「非暴力行動」を論述した本ではない。しかし、それらの貴重な体験を踏まえて書かれていることが明らかだからこそ、一定の説得力を持つだろう。 ここでは殆ど触れられてはいないが、著者がガンジーやキング牧師の運動に影響を受けているのは、明らかだと思う。解説によると、最初ガンジー研究者から出発した著者は、朝鮮戦争兵役不服従で拘束を受け、やがてビルマの運動に潜入、本書を発行したという。最近観た「大統領の執事の涙」では、戦後の黒人公民権運動の歴史を慨観し、最初は非暴力行動で始まり、次第とエスカレートして行く様が描かれていた。アメリカで著者みたいな研究者が生まれたのは、偶然ではない。 独裁政権に対して、軍事的反乱かゲリラ戦が必要だ、という意見に対して著者は明確に反論する。 あらゆる軍事的抵抗は、いっとき成功しても、必ずそこに大きな疵と将来への禍根を残す。では、どうするのか。最も効果的に、しかも最小の代償で倒すことを望むならば、以下の四点が必要だという。 ・抑圧された民衆自身の意思や自信、抵抗技能を強化すること。 ・抑圧された民衆が関わる独立した社会グループや機関を強化すること。 ・国内で強力な抵抗組織を築くこと。 ・解放のための全体戦略計画を練り、それをうまく実行すること。 (25p) 独裁体制の「政治的な力の源」は何なのか。著者は実にシンプルだという。「独裁者は、統治する民衆の支えを必要とする」(43p)ならば、この源を断つことが必要だ。反対に言えば、この源さえ断つことができれば、暴力手段に訴えることなく、簡単に独裁体制は倒すことができるのである。非暴力行動は、そのための人類が生んだ「知恵」なのだ。 「過去におけるその場しのぎの政治的闘争に共通する間違いは、ストライキや大衆デモなど、一、二の手段しか訴えなかったことである」(61p)つまり巻末に掲げられた「非暴力行動198の行動」はそのことを助ける有力な武器になるのである(明日書き写した全文を載せます)。 以上、原理は非常に簡単なものだ。しかし、それからメンバーを集め、戦略計画を練り、実行するとなると、アフリカのジャスミン革命の後退でも明らかなように、あらゆる「実状」が関わるだろう。著者も戦略計画については、多くの頁を費やす。 私がこの本を読んだ動機は、果たしてそうでもなお、またここで想定している現状と日本が大きく違っているにもかかわらず、現代日本の我々にはここから学ぶべきものがある、ということである。もちろんまだ自民党政権は「独裁体制」ではない。けれども、「そうならないために」何かをやるべき現状だし、やるべきことはあるのだ、と思うのである。 2014年2月26日読了
2014年03月01日
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