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玄関前のポスター、秋の模様替えしました。ネットプリントで手に入れました。いい時代になったと思います。 閑話休題。 先日、私はこのように書いた。 昨日、各新聞の世論調査が出揃った。法案が成立したにも関わらず「安保法評価せず」が圧倒的だ。それは当たり前である。問題は、内閣支持率が微減しかしていないのだ。朝日、毎日35%、共同38%、読売41%である。私は2割台まで落ちると思っていた。落ちなくてはならないと思っていた。 (略) 共産党の方針転換で、来夏の選挙情勢は変わるとは思うが、それでもこの内閣支持率四割前後の構造の意味に、これからの10ヶ月で切り込んでいかないと、構造的な変化は望めないのではないかと思う。 その後、私は共に運動している仲間にこの疑問をぶつけ、二度ほど長い間話し込んだ。 私はますますわからなくなっている。その想いを率直に書こうと思う。 私の問題意識はこうである。 四割のうち、一割以下は所謂正真正銘のネットウヨであり、私がどんなことを言おうとも意見を変えない層である(根拠はあるにはあるが希薄)。問題は三割近くがネットウヨやメディアに影響されて、なんとなく「攻められて来たときのために安保法制必要なのでは」「アベノミクスは景気浮上のために必要なのでは」と思って内閣支持に回っているのではないか。 そこを切り崩すためには、 「攻められて来たとき」という問題意識に「かみ合った」形で運動を起こすべきではないか。 「違憲の安保法制は無効」だとか、「民主主義が危ない」、「戦争に巻き込まれる」という主張を全面に出す運動だけでは、四割を切り崩すことはできないのではないか。何しろ、今度は絶対絶対負けられないのだ。 仲間は違うと言った。 「夏の運動の成果は大きい。人々は安倍政権の欺瞞にやっと気がついた」 「ネットの意見はあまり当てにはならない。私は、署名や世間話で貴方よりもずっと直にいろんな人と話をして来たけど、確実に人々は変わっている」 「北朝鮮や中国脅威論の胡散臭さにほとんどの人々は気がついているので、それよりも憲法を守る、立憲主義を守る、戦争をさせない、という正攻法の運動をするべきだ」 果ては「世論調査はかなり誘導尋問がある」とまで云う。 一理はある。しかし、私は納得がいかない。 もちろん、私は脅威論や鍵かけ論にまともに付き合うつもりはない。 「あなたたちは、問題の立て方から間違っている」というつもりである。 「攻めて来たらどうするか」ではない。「攻めて来ないようにどうするか」それが国の役割である。 しかし、それをいうためには、先ずは相手の意見を聞かなくてはならないのである。 これからの運動の立て方を間違えれば、この先ずっと四割の内閣支持率が落ちないままに推移する気がする。 私は間違っているのだろうか。 (追記) あっ、もちろん「どちらもやるべきだ」という意見があるのは承知しています。そうではなくて、このままでは「脅威論」等々が軽視されるのではないか、と危惧しているので書いたのです。私はあの時反論できなかったのですが、脅威論はネットの中だけではない。私の身近に何人もいるのです。
2015年09月30日
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先週の日曜日、岡山県日本原自衛隊基地の50周年記念行事があった。 批判のあった、銃を子どもたちに触らせるという展示は、厳重に縄を張って触らせないようにしていた。それは自衛隊が反省したからではなく、明確に銃刀法違反に当たると判断したからである。 しかし、それ以外の榴弾砲、戦車、短SAMなどは乗り放題、触り放題。 「銃砲刀剣類所持取締法」第三条において、一部例外を除いて、「何人も銃砲又は刀剣類を所持してはならない」とあります。例外は全て、国又は地方公共団体の職員並びに「許可を受けた者」となっており、不特定多数の一般人が「所持」することは、法律違反です。ましてや、子どもに持たすなど論外です。それがあるから、銃の展示はあんなに厳重になったのでしょう。では、榴弾砲や戦車に乗ることはどうなのか?もしかしたら、自衛隊はそれは「砲」の運搬車だから大丈夫だと、「解釈」しているのかもしれない。しかし、それは誰が見ても「詭弁」である。武器と砲はどうとっても「一体のもの」だろう。 この日、自衛隊は何千人もの一般人に「騙して」法律違反を強要したということになるであろう。 戦車試乗コーナーがあって、74式戦車に三台、10人づつぐらい、500-600メートルを、載せて走りました。長い列が出来ています。一回三台が動いて、何十回も回ったので、少なくとも千人以上は乗ったことになる。 売店では、萌えキャラクターグッズの他に、ロシアンルーレット激辛クッキーや、オスプレイチョコクランチ等、冗談のようなお菓子も売っていた。 有名アニメ画家を起用して、岡山県専用アニメキャラを作っていた。吉備桃恵一等陸士である。 バッジも含め、非常に戦略的である。 昼食は焼きそばとかにしようとしたら、ものすごい長い列だったので、諦めて施設内の隊員食堂にたまたま入ったら、今日もやっていて、あまり混んでなかった。それで、隊員がいつも食べていると思われる「定食」(500円)にした。自分で皿を取って、味噌汁とご飯がつくこれは、出来合いのフライが多いのだけど、やはり比較的安価、ヘルシー、ボリューム感があります。ご飯少なめに頼みました。 三時間かけて県北に来たのですが、出るのが遅かったのでついたのは展示訓練のあった閲覧式が終わった昼過ぎ。あとはいろ装備の展示だけを観ました。大のサラリーマンらしき男が嬉々として、自衛隊装備用品を背中に背負ってその重さを実感している。実は、その隣に「自衛隊員募集コーナー」があって、リュックを背負った高校生か、成人真近ぐらいの声の小さな青年が、「説明会参加」の募集要項に名前・住所を書いていた。県北ではなく、県南の倉敷市茶屋町の青年だった。「そんなことやめろよ」「これからは国を守るじゃなくて、他国の戦争に赴いて命を落とすのかもしれないんだよ」とは、もちろん言えるはずもなくて、歯がゆい想いをした。
2015年09月28日
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今日夕方五時からはこの「有志デモ」に参加しようかと思っています。 さて、安保法案が可決した9月19日未明に行われたSEALDs関西大沢まみさんの国会前のスピーチ全文を先ず文章で読んで、そのあとやはり気になってYouTubeで映像を見た。 いかん! 読んだときは冷静に読めたんだけど、生を聞いたら、もう涙が出て止まらない。最近涙腺が緩んでいるのかもしれない。ブログにうまいこと貼り付けれないので、キーワードで検索するか、以下のURLでみてください。 http://t.co/GfXwfcK5Tu 実はSEALDs関西大沢まみさんのスピーチに対して、Facebookのコメント欄にMさん(無断引用だし、個人攻撃が目的ではないので匿名とします)から 反論が載った。 「私たちが戦わねばならない相手は、海の外には1人もいないんです。」 これには、共感できないな。 では何故、ダライ・ラマは、亡命した? では何故、日本人が北朝鮮に拉致された? では何故、未だアメリカではネイティブインディアンの人が差別されている? では何故、日本人はイスラム国に殺された? 私は、それを見ているので、海外に一人もいないなんて言えることが信じられない。 上手く言えないのですが…。 このスピーチで、小さい喫茶店をすることに家賃や材料費や人件費がいる。そこに経済がある。 私は、儲かりにくい文化(演劇)をやっていますが、世の中が不景気になると、もっと儲かりません。夢は叶えられません。皆が豊かでないと、余分なお金は使えません。 何故、日本が海外の問題に敏感かというと、食料もエネルギーも他国に依存しているからです。 戦争の多い国は石油産出国が多いです。日本は2日に1回戦艦大和並みの石油を運ばないと電気が供給出来ないそうです。電気が供給出来ないとライフラインどころか、生産が止まります。益々不景気になります。 喫茶店に寄れる余裕すらありません。 日本が石油に依存せずに、原発を使おうとすれば、また反対運動です。八方ふさがりです。若くてもひきこもりが出来ていたのは、親が経済力があったからです。 経済力が無ければ引き籠もりも出来ません。放っておかれた生活力のない、お菓子を食べている子と同じ状態になります。 戦争は突然始まるものではありません。そのような国内情勢、社会情勢から生まれます。交渉の結果が戦争(武力行使)です。根本的な問題から、もう一度、考え直さないと。お金がどのように動いて、私たちの生活やインフラが整っているのか。殆ど、しっかり働いて税金を納めている人たちのお陰で、この日本が成り立ちます。 引き籠もれたことに感謝し、しっかり働いて税金を納め、投票に行くことですね。 私自身は原発反対ですが、日本のお金が海外に出てその利権争いで他国の子どもを戦争に巻き込むぐらいなら、自国のエネルギー自立の為に材料費のかからない原発でお金を貯金し、そのお金で原発の無害化と新エネルギーの開発費にお金を使ってくれることを望みます。 それを望まないなら日本の発展を望まないこと。 電気は一切使わない、パソコンも、オール電化も、信号も、携帯も、工場も皆止めないとね。 日本のエネルギー自給率は10%も満たないんじゃないですか? 絵に描いた餅じゃダメです。 現実見ないと。 それに対するまともな反論はほとんどなかった。この読者は大沢さんのスピーチにみんな好意的なのにも関わらず、である。例えば、こんなものぐらいしかなかった。 このスピーチにおいて 海の外 で 戦う ことは戦争を指しています 政権やネトウヨのいう 戦う です そして 日本の首相 にたいするわたしたちの たたかい は非暴力の たたかい です そして 海の外で同様に理不尽なことをする者たちにたいしても わたしたちは非暴力の たたかい をする あまりにも少ないので、私もコメントした。何故か。Mさんのコメントは、真面目なものではあるが、いわゆるサンケイその他の戦争法賛成派の言い分の引き写しだと思ったからである。そういう意見にキチンと反論しないと、大沢さんのスピーチに感動した人たちでさえ、大量の宣伝の中でひきづられて行ってしまうのではないか、と危惧するからである。 長時間経過しても、誰もMさんにまともな反論をしていないので、コメント欄でするのはいけなかったら止めて欲しいのですが、一応反論します。 ○Mさんはこのスピーチの言葉尻に反論しているだけで、このスピーチの価値はひとつも下がらない。 ○海外に理不尽なことをする国、団体があるのは認めるが、それを「させないようにする」のが国の役割。しかしアベ氏の戦略は、「米国の抑止力」という抽象的な米国任せの戦略しかない。それはかえってリスクが高まる。例えはテロの危険性とか。 ○石油が止まれば、確かに生活は困る。そのために「軍事力で抑える」という「期待」をアベ氏はしているみたい。それが賢明かどうかは、流動的。それよりも9条で培って来た「信頼力」を使う方が戦略的だとは思うが、戦争法が成立した今、残された時間は少ない。 ○原発は石油や自然エネルギーよりもはるかにコストが高いです。詳しくは新書大賞を取った「原発のコスト」(大島堅一 岩波新書)を参照してください。 以上。その後、Mさんから再反論はなかった。
2015年09月27日
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「男と女のワイン術」伊藤博之 柴田さなえ 日経プレミアシリーズ 今年に入って、ワインの学び直しを始めた。むかし、懐に余裕があったころ、ワインの通信教育を受けていて、毎月数本のワインと教材を学びながら、ワインのラベルの見方とか、代表的なワインの味の確認、チーズや料理と合わせることでどのように味が変化するか、を愉しんだ。 ところが、期間が終わると、AOCワインのラベルの読み方ぐらいしか頭に残らないで、ほとんど忘れてしまった。思うに、2000円から3000円、或いはそれ以上の一級ワインはなかなか買えないものだ。味が際立つのは、その辺りからだと知りながらも、ついつい買ってしまうのは1000円台の安旨ワインである。その味の比べ方がわからない限りは、なかなかワインの味を自分のものに出来ない、ということだけを、実はこの20年間の間に学んだ気がする。 この本には、実はシャルドネならば代表的なワインはコレコレで、味はこうだ、という書き方は一切されていない。ワインの銘柄はひとつも出てこない。 ワインの味の違いがわかるためには、先ずは標準的なワインの味を確かめよう(この本では、白はブルゴーニュのマコン、赤はボルドーのメルロー)、その上で、果実味、辛口、酸味、渋みなどの味の違いが「どのように表現されているか」に注目して、「自分の好きなワイン」を見つけることにその第一歩があることを教える。 そういえば、私は未だにその味の違いを確かには知らなかった。辛口とは「辛いワイン?」「酸味があったけ?」という変な考え方だった。辛口の代表格がシャブリとは知らなかった。私は大いに勘違いしていた。 今まで曖昧だった、ラベルの裏や店先のポップに書いている果実味、辛口、甘さ、渋み、酸味などの表現と自分の体験を、一致させること、私の場合はそこから始めなくてはならない、そのためには1000円台のワインで充分なのだということを教えてくれたということで、昔受けた通信教育の1/100の値段で、再教育された気がする。 でも、いま月に数本のワインを飲んでいるから、やはり結局かかる値段は同じかもね。 2015年9月23日読了 【ワイン】【赤】 ラ パッション グルナッシュ 750ml ちなみに、最近飲んだワインでヒットだったのがコレ。いわゆる安旨ワインです。 味の濃い焼肉に合いました(^-^)/ 「南仏ルーション地方。グルナッシュ種のこだわり。収穫量を激しく抑え、手積み葡萄を丁寧に仕込み。イチゴジャムのような甘い香りと、スパイシーで力強い情熱の味わい。」
2015年09月26日
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戦争法の強行採決から一週間が過ぎましたが、倉敷では懲りずに反対集会&パレードをやっています。 今日は「安倍政権を許さない!市民集会&パレード」です。 主催者、政党のあいさつのあとにちょっと前に厚木に住んでいましたという女性が飛び入りでスピーチ。 「戦争にいく流れを感じている。引っ越し前の地元のためにも、素晴らしい倉敷のためにも頑張りましょう」 元自衛隊の井筒氏の講演を聞いて来たという青年は 派兵したら、自衛隊は犬死してしまう。今は米は民間派遣会社に委託している。来年は自衛隊がその穴を埋めている可能性がある。(井筒氏が率いていた)レンジャー隊でも、生きる死ぬの訓練受けていない。彼らは丸腰で戦場に行くようなもの。アベは死者が出るのを待っている。そのとき、9条不要論の宣伝をしても、一気に改憲に持ってゆくためだ。」という講演内容を紹介。 青年は「「平和ボケ」どこが悪い。日本が攻めてこられる、というのだけど、この戦争法はそれと無関係だということを伝えて行きたい」と力強くアピールしました。 今回も、老人から若いママさん、高校生のような青年など、様々な人が参加していました。 「アベは辞めろ」「賛成議員も今すぐ辞めろ」とパレードしたとき、暫く集会を見ていた外国人夫婦も100m歩いてくれた。嬉しかった。 今日の参加者は100名でした。
2015年09月25日
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「暴力の人類史(上)」スティーブン・ピンカー 幾島幸子・塩原通緒訳 青土社 「はじめに」を読んで著者の言うように「信じられないような話」と私も思った。とてもとても驚いた。なんと、「長い歳月のあいだに人間の暴力は減少し、今日、私たちは人類が地上に出現して以来、最も平和な時代に暮しているかもしれないのだ」というのである。 確かに北側諸国の飢餓や差別、戦死は少なくなったかもしれない。しかし、数千年単位では戦死者は多くなり、南北格差が言われ貧困による暴力による死者は増えているのでは無いか?単なる数字の操作なのでは無いか?しかし著者はこの文章のすぐあとにそれを否定する。 「もっともその減少はなだらかに起きたわけではなく、もちろん暴力が完全にゼロになったわけでもない。また今後も減少しつづけるという保証もない。だが暴力が減少傾向にあること自体は間違いなく、これは数千年単位でも数十年単位でも、また戦争から子どもの体罰にいたるさまざまな種類の暴力についても見て取れる傾向である。」(11p) 著者はそれをきちんと証明するために、この本はここまで分厚くなったという。この最初の衝撃に引っ張られて、私も図書館の借り出し期間が終わる前までに急いで読まざるを得なかった(一冊4200円もするので買えない)。 私の関心は、言うまでもなく古代である。私は佐原真氏の云う「人類史の中で、戦争を始めたのはつい最近である。人間が始めた戦争は、人間がやめさせなくてはならない」という指摘に目覚めさせられて、考古学を学び始めた者である。佐原真氏は、イデオロギーで言ったわけではない。根拠はあった。ではこの著者の根拠は何か。きちんと数量化して、根拠を出しているのか? 1番大きな根拠は111pの表「非国家社会と国家社会の戦争により死亡する人の割合」である。死亡の絶対数ではなく、割合を出したのは当然である。「遺跡から発掘された骨に占める暴力死の割合」は「平均15%」と導き出す。その他「現代」の「狩猟採集民」や「狩猟採集農耕民その他」の割合も14%、24.5%も出していて、一方16世紀から現代に至る「一部」の「国家社会」の割合は1%未満になると言う。 明らかに恣意的なサンプル抽出である。ここには、それぞれの遺跡の考古学的な資料批判もなければ、その他の遺跡の比較検討もない。確かに、遺跡の骨からすべての暴力死の痕跡を類推することは不可能である。だから、比較的資料が多い現代の非国家社会の資料も出してきたのだろうが、ともかくここだけを見ても考古学的な学問的厳密さからかけ離れている。 因みに、佐原真氏の主張のきっかけは、縄文時代よりも弥生時代の方が石鏃の大きさが動物殺傷目的から人殺傷目的に変わったことに注目したのだが、当然人物の骨も後年検討し、質も量も(酸性土の日本ではサンプル数が少ないとは言え)、縄文時代に戦争があった証拠は見つけられなかったという。 この著者のサンプル抽出は、先史の抽出は、最近では西暦1770年の遺跡も含み、注目すべきは1300年代の遺跡の割合がかなり突出しており、平均を大きく押し上げているのである。 非国家社会と言いながら、間接的に国家社会の影響を持ったサンプルではないかと言う疑問は拭えない。 ここで、つまづいたので、もう私はこの著者の主張を全面的には信用できなくなった。確かにこの数世紀は、暴力死の「割合」は減ってきているのは、説得力があるのかもしれないとは思う。 2014年9月12日読了
2015年09月24日
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「ビッグイシュー271号」ゲット。スペシャルインタビューはアニメ「心が叫びたがっているんだ」制作スタッフの三人。前作「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない」は高校生を中心に大ヒットしたらしい。変わったアニメが来ているな〜とぐらいしか思わなかったのだが、現代の高校生の気持ちに近づきたいという下心もあって、前作を今度DVDで観て面白ければ、映画新作も観てみようと心に誓う。 さて、ミニ特集で「ストリートデモクラシー2」をしていた。8月23日の東京の6500名のデモ。若者の想いや行動を雨宮処凛さんがレポートしていた。雨宮処凛レポートは、いつもとてもいい。彼女自身が運動の当事者だから、まるで彼女と一緒に集会に参加しているような気分になる。 模試が終わって直接来たという高校二年生のスピーチが紹介されていた。 「日本の最高法規たる憲法を軽視して、安保法制を争点にあげない選挙で選ばれた議席を頼りにして、強行に採決しようとしている内閣や与党の姿勢を僕は絶対に許しません!」 彼は経済的徴兵制の可能性に触れ「もしそうなったら実際に戦場に行き、命をかけて戦うのは、僕達自身です。憲法違反を犯した政治家ではないのです」 このスピーチにネットウヨさん(仮名)は、まともな反論が出来るだろうか。私の感じたのは、荒削りだけど、新鮮で本質に迫る「知性」だ。 また、きっと取り上げるけど、9月17日国会前に45000人のアベは辞めろコールが鳴り響いていたときに、新宿で戦争法賛成の集会が100人ほどでひっそりと開かれ、そこで語られたスピーチが「素晴らしい」とネットウヨさん(仮名)たちの間で話題になっているらしい。ネットウヨさん(仮名)は「メディアは左翼だ」といい、このスピーチが取り上げられないのがおかしいという。しかし、規模の多寡は置いといて、その内容の「知性のなさ」に私は唖然とした。 高校生の知性と、自称新米ママやあるいは普通の市民の反知性と、二つの言葉が今の日本に飛び交っていて、なかなか議論になっていない。 誰か、高校の文化祭とかで「公開討論」とかを開かないだろうか。
2015年09月23日
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実はかなり心配していたのだが、安保法が成立したあと、60年安保のときのように「敗北論」が蔓延しないかと思っていた。けれどもSEALDsはすぐさま落選運動に切り替えると宣言し、共産党が異例の早さで安保法制に限る選挙協力を打ち出した。19日未明の成立から3日しか経っていないが、果たしてどちらが勝ったのだろうか、という状況が出現している。安保闘争から学んだのは、支配者層だけではなかった。 しかし、この段階で私はまだまだ「越えなければならない問題」のことを言わなければならない。 昨日、各新聞の世論調査が出揃った。法案が成立したにも関わらず「安保法評価せず」が圧倒的だ。それは当たり前である。問題は、内閣支持率が微減しかしていないのだ。朝日、毎日35%、共同38%、読売41%である。私は2割台まで落ちると思っていた。落ちなくてはならないと思っていた。 先日、袋に入ったまま積ん読状態にあった「図書九月号」を読むと、高村薫がまったく同じことを書いていた。もっとも彼女は7月の強行採決のあとの所感なのだが、奇しくも今現在も構造はまったく変わらないどころか、内閣支持率まで同じだ。 共産党の方針転換で、来夏の選挙情勢は変わるとは思うが、それでもこの内閣支持率四割前後の構造の意味に、これからの10ヶ月で切り込んでいかないと、構造的な変化は望めないのではないかと思う。 同じく7月の強行採決直後の朝日新聞の「声」の欄にこういうのが載った。その声に少し応えてみて、その端緒としたい(本名は書いておられますが、無断引用なので匿名にします)。 無職 Sさん(愛知県 75) 安全保障関連法案が衆院を通過し、参院に送られた。野党は審議が尽くされていないとして猛反発している。しかし、反対一辺倒の対応はいかがなものか。与党側がこれ以上審議を続けても無駄と判断したのも無理からぬことだ。 国民の大半は法案が憲法違反だとして成立に反対する。かたや国際情勢に対応するため、法案をめぐる憲法解釈について国民的合意がなくても、積極的に世界平和に貢献すべきだという声もある。 私は、安保法制が戦争への道を開くと危惧するのは早計だと思う。戦前とは異なり、かりに安保関連法案が成立しても、国民は、政権が平和に反する政策をとらないよう監視できる。 日本さえ平和ならいいという「一国平和主義」は国際情勢から見て妥当とは思えない。憲法解釈上の疑義があっても積極的平和主義に進むことは妥当だと思う。そうした疑義なく世界平和に貢献できるよう、憲法改正の是非を問うことも、政権に求めたい。 Sさんは「憲法解釈上の疑義があっても積極的平和主義に進むことは妥当だ」という。違憲状態はおそらく認めているのだろう。立憲主義を無視する考え方であるが、とりあえずひとつの見識として置いておきたい。 「戦前とは異なり、かりに安保関連法案が成立しても、国民は、政権が平和に反する政策をとらないよう監視できる。」という点について。 安保法の大きな問題点は今国会で一定明らかになった。情勢判断は「ときの政府に一任」されていて、国会のチェック機能は、「祭りのあと」の無いに等しいのだ。Sさんは、要は「政府がそこまで酷いことをするはずがない」という根拠の無い「信頼」の元にこの法を支持していたのだと思う。しかし法は政府の「暴走」を許している。国民は「監視」出来ないのである。 そんなこんなに目をつむっても戦争法を支持したい理由が彼にはあるのだろう。それが、 「国際情勢に対応するため、法案をめぐる憲法解釈について国民的合意がなくても、積極的に世界平和に貢献すべきだ」という意見に繋がっているのだろう。 彼にとって「国際情勢」とは、決して(アメリカの重視する)シリア情勢でもなければ、南米諸国の独立問題でもない(はずだ)。北朝鮮の(目的もハッキリしない)ミサイル攻撃問題であり、中国の尖閣諸島への(国際的な信頼を失墜してもなお行うであろう)侵略問題である。 しかし、Sさんや他の「国際情勢」をいう人に共通するのは、そのために「武器を持とう」という「戦術」のみで、そうならないように外交「戦略」をどうするか、という提案はほとんどない。 あるのは、「日米安保の抑止力」という、非常に「抽象的」な一言のみである(いや、日本独自の軍事でやるという勢力もあるが、そこにはさらに戦略は一言さえもない)。つまり、アメリカの政策次第なのだ。明日でも、アメリカと中国が手を結べば、全てひっくり返る内容である。米中軍事演習は実際行われているのだから、それは実際にあり得ることなのである。 民主党はかつて北東アジア構想を言及したときがあった。日本共産党は長い文章で北東アジア平和協力構想を提案している。奇しくも韓国も同じ名前の構想を提案している。アジア全体では、ベトナムやフィリピン、インド、インドネシア、タイ、日本等々23カ国の国々が参加してる東南アジア諸国連合を動かしている。そこでは、具体的に「紛争があっても拡大しない」ように一ヶ月に二回もの当事者協議が行われているという。戦略とは、このような具体的な努力と内容の中にある。核兵器の抑止力論はずっと昔に論破されているのに、どうして軍事力抑止力論が通用するのか。それは(今のところ)世界一の大国アメリカがまだその論理にしがみついているからである。日本は、その後ろを何も考えずにしがみついている。 というようなことを、ここで言ってもSさんは納得しないだろう。あと10ヶ月。一つ一つ「対話」によって、この内閣支持率を下げていくしかない。 いつも思うのだが、「もし攻めて来たら」という発想からSさんたちは始める。「戦争そのものには反対です」という認識だけは、お互いに共通なのだから、「攻められないために、何をするか」という議論から始めるのが、ものの順序なのではないか。
2015年09月22日
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「亡国記」北野慶 現代書館 斎藤美奈子さんが勧めていたので、いち早く図書館にリクエストした。まだ誰もこの本に気がついていなかったのか、まるで深田父娘のようにここ数年で1番早く手に取ることができた。 斎藤さんは「最悪のシナリオ」だという。私は「最低最悪のシナリオ」だと思う。けれども、もっと最低なのは、私たちが生きているこの現代この段階が、著者が本を書いたその時よりも、さらに最悪の方向に向かっているということだ。 本の中の設定はこうだ。岸辺首相(モデルはアベであることは明らか)になってから、秘密保護法、安保法制が次々と通り、原発も50基全て再稼働した。そして憲法が改正されて、何も言えない社会が出現しようとしていた。そんな時に、南海トラフ地震が発生する。静岡沖M8.6。浜松市の島岡原発(浜岡原発であることは明らか)は、三号機は圧力容器が壊れて即発臨海に、連鎖的に四、五号機もメルトダウン、今度は神風は吹かずに春風で関東を直撃、首相官邸はいち早く北海道へ逃げる。風はその後も関西にも吹き、事故発生から2日目までに日本人口の七割までが被曝する。 深田父娘は妻の翠と共に反原発運動していて、危険性を熟知していたために、妻は浜松市にいて亡くなるが、京都から山陰を通って九州まで素早く逃げる。博多からソウル、大連、北京、リトアニアのヴィリニュス、ポーランドのギジツコ、ロンドン、カナダのトロント、そして最後はオーストラリアのケアンズへ。難民として落ち着くまで、一年間の旅が続く。 深田父娘の素早さは教訓的ではあるが、一方では運が良かっただけの面もある。著者は主人公を難民の最先端に置くことで、日本の運命を俯瞰的に見る視点を持たせる。その狙いを分かった上で言うのだが、やはり主人公にあまり共感出来ない自分がいる。私は、おそらく渋滞に巻き込まれて被曝してしまう1人/7千万人だろうと思うからである。 或いは、大国(アメリカ、中国、ロシア)に分割統治されてしまう日本人の1人だろうと思うからである。 せっかく、反対運動はしてきた主人公たちに「大人の責任」を鋭く追求する青年を登場させたのだから、最後に主人公は父娘の安住で終わらすのではなく、「大人の決意」を見せて欲しかった、と思う。 岸辺首相が終身刑を食らったあとに「これは東京裁判に劣らぬ一方的で不当な裁判であって、断じて承服することができない」と叫んだのは、あまりにも言いそうなことだったので、ホントにあることのように感じてしまった。哀しくなった。 鬼怒川決壊の時に、またもや役人は「想定外」と言った。住民は「まさか」と言った。終わったあとにそう言うのは、もう止めにしたい。 2015年9月15日読了 (出版社の紹介文) ■斎藤美奈子さん推薦! 「最悪のシナリオ」が進行する中、日本を脱出した父と娘は生きのびることができるのか。ロードノベルの傑作です。 ■小出裕章さん推薦! 原子力を選択することのツケ、本書に描かれている近未来を避けるためには、私たち一人ひとりが賢くなる必要がある。 ■2017年、原発事故に巻き込まれた親子が難民化してゆく過程を描写! 2017年春、なし崩し的に原発再稼働が進む日本列島を東海大地震が襲う。原発の破損、放射能漏れにより、日本は壊滅状態となる。京都で暮らしていた父娘は日本を脱出し、韓国から中国、欧米諸国へ…。普通の人々が国を失う姿をリアルに描写。 ■原発に賛成でも反対でもない中間層に幅広く届けたい1冊! 賛成論・反対論に二分されてしまう「原発もの」とは一線を画し、「原発もの」である前に「読み物」として面白くあることを最優先。従来のノンフィクションでは届かなかった読者層にもアプローチします。 ■火山噴火と地震が相次ぐ日本の未来を明示! 日本人の真価が問われるドラマ。 原発と日本の地理的リスクについて見て見ぬふりをする日本には、どんな未来が待ち受けているのか? 苦難の中でも誠実に生きる親子の感動のラスト!
2015年09月20日
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県労会議という機関紙に連載している今月映画評です。ちなみに、「冒頭の夕焼け場面」というのは、このDVD写真の下の部分がその場面です。 「風と共に去りぬ」 言わずと知れた名作です。皆さんには改めて紹介する必要はない。と思っていたのですが、東宝シネマズでやっている「午前10時からの映画祭」で、この四年間に三回観て、驚いたことにその度ごとに「発見」があって全然退屈しなかったのです。だから、皆さんにも再度観てもらう意義はあると思いここで扱うことにしました。一度観たことを前提に書くので、詳しい粗筋は省略します。 3時間42分もある大長編ですが、実は今回最初の7分間に既に3つもの重要な伏線があることを発見しました。 一つは、スカーレット(ヴィヴィアン・リー)が取り巻きの若者と話をしている冒頭場面で「明日のことは明日考えるわ」という、ラストの有名なセリフに繋がる言葉を言っていること。 一つは、父親の馬での柵越えをスカーレットがたしなめる場面。その後、この馬での柵越えは、中盤の父親の死と、最終盤の娘の死に繋がります。二つともスカーレットにとっては、最大の不幸でした。そして生まれ変わるきっかけでもありました。 一つは、父親がスカーレットに「このタラの土地への愛に目覚める時がきっと来る」と言い夕焼けを一緒に見て「タラのテーマ」が鳴ります。有名なラスト場面を最初に一度出していました。 他にも、冒頭で南北戦争の時代背景をセリフのやり取りで見せているし、アシュレー(レスリー・ハワード)とメラニー(オリヴィア・デ・ハヴィランド)に対するスカーレットの複雑な心の中も推察出来るようになっています。 この作品は、南の立場から南北戦争を描いた歴史を縦糸に、スカーレット、アシュレー、メラニー、レット・バトラー(クラーク・ゲーブル)の四角関係を横糸に描いています。それぞれがそれぞれに恋をして、それぞれが叶わない。気持ちの変化があって、両想いになりそうになると、気持ちのすれ違いが起こって必ず喧嘩になるのです。はっきりいえば、メロドラマの元祖だと言ってもいい。私は、この四角関係の仕組みを上手くリメイクしてきたのが、韓流ドラマだと思っています。 もっといろいろ発見はあるのですが、字数の関係であと一つのみ。ヴィヴィアン・リーはこれでデヴューしましたが、冒頭場面は高慢な女にしか見えない。いや、物語全体を通じて彼女は悪女を貫き通します。でも、彼女が試練に遭えば遭うほどに、彼女はなぜか匂うほどに美しくなってゆくのです。作品の中で1人の女性が大女優になってゆくのを目撃することの出来る稀有な作品だと思います。(1939年米作品ヴィクター・フレミング監督、レンタル可能、500円の激安DVDも出ている)
2015年09月19日
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倉敷駅前で7回目の戦争法廃案、安倍退陣を求める、そして今回は強行採決許さない集会&パレードを行ってきました。 その間も、国会は今日の午後にでも決まりそうだと言っていた法案がまだ決まっていません。国会内外の闘いは、全国で展開されています。 集会では、いつもの主催者や政党あいさつ以外にも3人どうしても語らせて、と出てきました。先週結成した「戦争法案に怒れるばーばーずの会」と一男性、そして共産党倉敷市議会議員でした。 ばーばーずは、「昨日から今日にかけて怒りの炎で身体中が燃え広がっています。こんな民主主義を無視した首相はさっさとやめちゃえ!私は像を倒す一匹のアリになる。」と意気軒昂でした。 一男性は「昨日の強行採決あまりにもひどい。強引すぎる。あれは政治とは言えない。国民が主人公の政治を取り戻して行きたい!廃案に追い込むまで、諦めない。」と決意を語りました。 市議会議員は、戦争法案の廃案を求める請願八本全が本会議で否決されたこと。反対意見では公明党の女性議員が「抑止力でないと、平和守れない」とヒゲの隊長と全く同じことを言っていたことなどが、報告されました。 「ちばけた(岡山弁でふざけたの意)法案あり得ない」「強行採決あり得ない」「アベは辞めろ」「賛成議員も辞めろ」などのコールで駅前をパレードしました。 集会&パレードは150名の参加でした。隣の小学一年生くらいの男の子が、パレードの間中で1番声が通っていたこと。生後一ヶ月の赤ちゃんを連れてお母さんが来ていたこと(一ヶ月の国民連れてデモにゆく)などが、印象に残りました。 それはそうと、もう戦争法案成立必至となった昨日、タレントの石田純一さんが国会前に来て「戦争は文化じゃない」「個別的自衛権で対応すればいい」と訴えたそうだ。 松本某に爪の垢でも煎じて飲ませてやりたい。石田さん、男やな〜!
2015年09月18日
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戦争法の委員会採決は今日にずれ込んだ。横浜での地方公聴会には市民が詰めかけ、国会議員が霞が関に行けないようにした。どのように議事を運営するのか、理事会で決めるのだが、野党国会議員が頑張ってくれて、決まるのが次の日に持ち越した。 9時開会と同時に鴻池委員長がまたもやだまし討ち的に、理事会ではなく委員会を始めようとしたので、国会生中継もあることもあって、理事会に差し戻したのが9時半ごろ。 10時現在、戦争法の行方は混沌としているが、もし強行採決されたとしても、来年の参院選まで10ヶ月間もある。何が。落選運動が出来る期間が、である。 昨日、倉敷市議会では、請願が否決されたが、その時の保守議員の反対理由があまりにもひどかったらしい。市議会の落選運動も始めたい。 我々は諦めない。民主主義を諦めない。 私と塚本監督が同年代だということを、この間初めて知った。彼は高校生の時に「野火」を読んで、ずっと映画化を模索して来た。 この前彼の「野火」を観たあと、いつものように映画語る会で感想を述べあった。ある若い女性は「もう二度と観たくないけど、観て良かった」と、この記事にあることと同じことを言った。 あらすじを言っても意味がない。この映画は体験する類の作品だと思う。その監督が、戦争法についても、まともな考えを持っていることがわかり嬉しかった。今日の朝日新聞の記事をコピーする。(下線はKUMA0504編集) (にっぽんの現在地)戦争するということ この夏、「野火」を公開した映画監督・塚本晋也さん 2015年9月17日5時0分(朝日新聞) 安保関連法案の国会審議が大詰めを迎えている。安保政策の大転換にとどまらず、「戦後日本」に変容を迫るものともいえる。戦後70年の今、日本社会はどの地点にあり、今後どこに向かうのか。識者への連続インタビューで考えたい。まずは、人間の本質を鮮烈な映像美でえぐり続け、このほど大岡昇平の戦争文学「野火」を自主製作、監督・脚本・主演を務めた塚本晋也さんに聞いた。 ――自費を投じて作られた映画「野火」は、7月に公開されるや大きな反響を呼び、各地で上映が続いています。「二度と見たくないけど、見てよかった」など、寄せられている感想も独特ですね。 「日本中の映画館に足を運び、お客さんと対話するよう心掛けているのですが、多くの方は、すぐに感想を言えないんですね。言葉に詰まり、もう一度見ますとか、後でゆっくり考えますとか、1カ月考えてやっと答えがでましたとか、言葉にならない思いをなんとか言葉にしようとしてくれている。『泣けた!』では終わらない、そのプロセスと時間の長さはとても大事で、作り手として望んでいたことでもあります」 「肉が裂け、ウジがわき、内臓が飛び出し、手足が千切れ、脳みそが砕け散る。大岡昇平さんの原作にできるだけ忠実に、『肉体の死』を容赦なく、叫ぶように描きました。大義もヒロイズムもない戦争の悲惨さや痛みを、理屈ではなく身体で感じてほしかったからです。そしてできれば、感じたことの内側にさらに深く踏み込んで、自分の頭で考え続けてほしい。戦争とは何か。戦後70年を迎えた日本でいま、何が起きようとしているのかを」 ――悲惨極まりない戦争の実相を描いているのに、涙を流す余地がまったくありません。 「戦争を描くなら、加害者の目線で描かなければならないと、ずっと思ってきました。10年くらい前、『野火』を撮るために、フィリピン戦を経験した元日本兵へのインタビューを重ね、多くの資料にあたった。捕虜をやりで突けと言われ、やりたくないと思いながらドーンと突いた瞬間、腹のあたりに今まで感じたことのない、ある充実した手応えを感じた、そこからは殺すことが平気になって――そんな話をたくさん見聞きしました。加害者は、涙とは無関係の世界に行ってしまう。戦争の一番の怖さはそこにある。加害を描かなければ、戦争や人間の本質には届きません」 「加害の記憶は、多くの方が口をつぐんだまま亡くなられるので、なかなか継承されません。それをいいことに、加害の事実をなかったことにして、戦後日本の方向性が大きく変えられようとしている、恐ろしいと思ったのが、『野火』を作った原動力のひとつです」 ■ ■ ――安倍内閣は、安全保障関連法案を「平和安全法制」と名付けました。戦争のイメージをできるだけ遠ざけたいという意図を感じます。 「戦争とは結局、殺すか、殺されるか。極めて肉体的なものですが、安保関連法案の国会審議を聞いていても、戦争の現場で痛い目にあった人たちの存在は忘れさられているとしか思えません。その痛みの実感をどうにかして取り戻さないと、『戦争は平和である』的な政府の論法にズルズル引きずられてしまいます」 「ものすごいスピードで物事が進められているのは、深く考えてもらったら困るからでしょうか。徴兵制はあり得ないとか、戦闘には参加しないという政府の言葉はどうやって信用したらいいのでしょうか。自民党の憲法改正草案には、国家のためには個人の人権は軽く扱わせて頂きますよということが、ちょっと難しい言葉で書いてある。テクノロジーの発達で戦争の方式は変わっても、そこに根付く精神が戦前と変わらなければ、同じようなことが起こり得ます。『戦争は絶対悪だ』という線を手放してしまえば、限定的だとか後方支援だなんていう境目は、いずれ押し流されてしまうのではないでしょうか」 ――しかし、「大事なものを守るために戦う」というヒロイズムには、「戦争は絶対悪だ」以上の訴求力がどうもある。安倍首相は「国民の命を守るため」と法案の意義を強調しています。 「ヒロイズムで戦争をとらえるのは間違いだと、はっきり言えます。実写でもアニメでも、戦争を暗示させる作品が描くのは幻想としての甘美な死で、肉体の死では決してない。命を捧げて、何かを守る。死によって、その人の生は意味あるものとして肯定される。主人公の内面に寄り添ってそのプロセスを感動的に描き上げれば、観客がカタルシスを覚えることはあるでしょう」 「だけど、考えて欲しい。目の前に銃を突きつけられ、数秒後に死ぬという時の自分の感情を。銃を相手に突きつけて、数秒後に殺すという瞬間のことを。きっと、こう思うのではないでしょうか。『他に方法はなかったのか?』。こうなる前に、戦争を回避する方法はなかったのかと」 ――「野火」を撮ったのは、そういう風潮への反発ですか。 「反発と言うより、焦りです。この20年、『野火』を映画化したいと言い続けてきましたが、とても難しかった。最初は金銭的な理由で断られていたのが、次第に予算と関係なく断られるようになりました。ボロボロになった敗軍兵が飢えて人肉を食べたなんていう映画を作るわけにはいかないという、暗黙の自粛なんだなと」 「戦争は絶対悪だというのは、戦後日本の当然の前提だったはずです。それがいつの間にか、大きな声でそう言うことをためらわせる時代の空気というか、無言の圧力が生まれている。だからこそ、戦争の愚かさを圧倒的に描いた『野火』を、この時代にぶち当てたい、そうしないと気が済まないという使命感のようなものにも駆られ、まったく何もないところから自主製作に踏み切りました」 「映画が公開される前から、そんな映画を作るなんてけしからんという声もありました。反日という声もあったそうです。驚く以前にあきれてしまいました。クロかシロか、敵か味方か、そんな極端なカテゴリーのどちらかに簡単に放り込まれる。つまんないですね。作り手は自由に表現し、観客は自由に解釈する。その往還が社会を豊かにするのに、気に食わない表現は潰してしまっても構わないという風潮が強まっていると感じます」 ■ ■ ――クロかシロどころか、「野火」の日本兵は、誰と、どこで、何のために戦っているのかすらよくわかりません。 「敵を一切映しませんでしたからね。仮に予算が潤沢だったとしても、敵を描くつもりは最初からなくて、米兵が映るのは、死にゆく日本兵にたばこをあげるとか、いいことをしているシーンにとどめました。敵を撮れば、どうしたって被害者感情が喚起され、憎悪が生まれます。だけど僕は、この映画ではそれをしたくなかった。弾は戦場にいる敵から飛んできているのか? 戦争をすると決めた人から飛んできていて、僕らはいつもそれにやられているのではないか。そんな思いを込めて、弾は闇の向こうから突然降ってくるという表現にしました」 「敵を仕立て、それを怪物のように描き、これだけ被害を受けたのだから仕方がない、大切なものを守るために名誉をかけて闘う、そして苦戦の末に勝利する。そういうハリウッド映画が、子どものころから大嫌いでした。敵もただの人間なのに、悪魔化するのはおかしい。だけど、現在の日本の政治の論法は、ハリウッド映画と同じ構造ですね。仮想敵を作って、あいつが悪い、あいつは怖い、だから抑止力を高め、戦いに備えなければならないと」 ――しかし多くの人は、そう言われると説得されます。「殺すのも殺されるのも嫌だ」という原初的な物言いが、歯止めになるでしょうか。 「身体性を伴った原初的な物言いだからこそ、強いのではないですか。『国際環境の変化』といった知識に根ざすよりも、人を殺すのは絶対に嫌だという直観に根ざした方が強いし、結果的に間違いが少ない」 「これは映画監督の大林宣彦さんが言っていたことですが、何が正義かは教育が教えてきた。それは時代やそのときの政治で大きく変化することがある。でも正気は、教えられるものではなく、確実に自分の中にあるものだと。『これが正義だ』と教えられて人を殺してしまったとしても、それを正義だとは言い切れない正気の目線が、頭の上の方で常に自分を見ているはずです。それに無理に逆らわないこと。原作の『野火』の主人公も、戦争で死ぬのが当たり前だとはまったく思っていなくて、いつも状況から一歩距離を取っている」 「時代の熱狂や共同幻想から距離をおかないと、正気を保つことはできません。自分の正気と対話しながら、物事を深いところで把握する。嫌なことは嫌だと言っていく。その積み重ねが、いつか事態を覆す力になる。僕はそう思いたいです」 (論説委員・高橋純子) * つかもとしんや 60年生まれ。89年に「鉄男」で劇場映画デビュー。ベネチア国際映画祭オリゾンティ部門の最高賞を受賞するなど国際的評価も高い。
2015年09月17日
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民主主義という堤防が壊れて決壊しようとしている。 金銭欲、権力欲、独善、無知、様々な汚泥が一気に平野に流れ込もうとしている。 国民は「まさか」という。あんな素晴らしい先生が裏切るはずがない。こんなに時間があったのだから、安全なはずだ。 しかし、百年に一度の災厄が住民を襲うだろう。 9月15日中央公聴会、奥田愛基さん意見陳述全文(太字はKUMA0504編集) 「ご紹介に預かりました、大学生の奥田愛基といいます。 『SEALDs』という学生団体で活動しております。 すみません、こんなことを言うのは非常に申し訳ないのですが、先ほどから寝ている方が沢山おられるので、もしよろしければお話を聞いていただければと思います。僕も二日間くらい緊張して寝られなかったので、僕も帰って早く寝たいと思っているので、よろしくお願いします。 初めに『SEALDs』とは、”Students Emergency Action for Liberal Democracy-s”。日本語で言うと、自由と民主主義のための学生緊急行動です。 私たちは特定の支持政党を持っていません。無党派の集まりで、保守、革新、改憲、護憲の垣根を超えて繋がっています。最初はたった数十人で立憲主義の危機や民主主義の問題を真剣に考え、5月に活動を開始しました。 その後、デモや勉強会、街宣活動などの行動を通じて、私たちが考える国のあるべき姿や未来について、日本社会に問いかけてきたつもりです。 こうした活動を通して、今日、貴重な機会をいただきました。今日、私が話したいことは3つあります。1つは、今、全国各地でどのようなことが起こっているか。人々がこの安保法制に対してどのように声を上げているか。 2つ目はこの安保法制に関して現在の国会はまともな議論の運営をしているとは言いがたく、あまりにも説明不足だということです。端的に言って、このままでは私たちはこの法案に関して、到底納得することができません。 3つ目は政治家の方々への、私からのお願いです。 まず第一にお伝えしたいのは、私たち国民が感じている、安保法制に関する大きな危機感です。この安保法制に対する疑問や反対の声は、現在でも日本中で止みません。つい先日も国会前では10万人を超える人が、集まりました。 しかし、この行動はなにも東京の、しかも国会前(だけ)で行われているわけではありません。 私たちが独自にインターネットや新聞などで調査した結果、日本全国2000ヶ所以上、数千回を超える抗議が行わわれています。累計して130万人以上の人が路上に出て声を上げています。 この私たちが調査したものやメディアに流れているもの以外にも、沢山の集会があの町でもこの町でも行われています。まさに、全国各地で声があがり人々が立ち上がっているのです。 また、声を上げずとも、疑問に思っている人はその数十倍もいるでしょう。 強調しておきたいことがあります。それは、私たちを含め、これまで、政治的無関心と言われてきた若い世代が動き始めているということです。これは誰かに言われたからとか、どこかの政治団体に所属しているからとか、いわゆる動員的な発想ではありません。 私たちはこの国の在り方について、この国の未来について、主体的に一人ひとり、個人として考え、立ち上がっているのです。 SEALDsとして活動を始めてから、誹謗中傷に近いものを含む、さまざまな批判の言葉を投げかけられました。 例えば『騒ぎたいだけだ』とか、『若気の至り』だとか、そういった声があります。他にも『一般市民のくせにして、何を一生懸命になっているのか』というものもあります。つまり、『お前は専門家でもなく学生なのに、もしくは主婦なのに、お前はサラリーマンなのに、フリーターなのに、なぜ声を上げるのか』ということです。 しかし、先ほどもご説明させていただきましたように、私たちは一人一人、個人として声をあげています。不断の努力なくして、この国の憲法や民主主義、それらが機能しないことを自覚しているからです。 『政治のことは選挙で選ばれた政治家に任せておけばいい』。この国にはどこか、そういう空気感があったように思います。 それに対し私、私たちこそがこの国の当事者、つまり主権者であること、私たちが政治について考え、声を上げることは当たり前なんだということ、そう考えています。 その当たり前のことを当たり前にするために、これまでも声を上げてきました。そして2015年9月現在、今やデモなんてものは珍しいものではありません。路上に出た人々がこの社会の空気を変えていったのです。 デモや至るところで行われた集会こそが『不断の努力』です。そうした行動の積み重ねが基本的人権の尊重、平和主義、国民主権といった、この国の憲法の理念を体現するものだと私は信じています。 私は、私たち一人ひとりが思考し、何が正しいのかを判断し、声を上げることは、間違っていないと確信しています。また、それこそが民主主義だと考えています。 安保法制に賛成している議員の方々も含め、戦争を好んでしたい人など誰もいないはずです。 私は先日、予科練で特攻隊の通信兵だった方と会ってきました。70年前の夏、あの終戦の日、20歳だった方々は、今では90歳です。ちょうど今の私やSEALDsのメンバーの年齢で戦争を経験し、そして、その後の混乱を生きてきた方々です。 そうした世代の方々も、この安保法制に対し、強い危惧を抱かれています。私はその声をしっかりと受け止めたいと思います。そして議員の方々も、どうかそうした危惧や不安をしっかり受け止めてほしいと思います。 今、これだけ不安や反対の声が広がり、説明不足が叫ばれる中での採決は、そうした思いを軽んじるものではないでしょうか。70年の不戦の誓いを裏切るものではないでしょうか。 今の反対のうねりは、世代を超えたものです。70年間、この国の平和主義の歩みを、先の大戦で犠牲になった方々の思いを引き継ぎ、守りたい。その思いが私たちを繋げています。 私は今日、そのうちのたった一人として、ここで話をしています。つまり、国会前の巨大な群像の中の一人として、国会にきています。 第二に、この法案の審議に関してです。 各世論調査の平均値を見たとき、初めから過半数近い人々は反対していました。そして、月を追うごと、反対世論は拡大しています。『理解してもらうためにきちんと説明していく』と現政府の方はおっしゃられておりました。 しかし説明した結果、内閣支持率は落ち、反対世論は盛り上がり、この法案への賛成の意見は減りました。 選挙の時に集団的自衛権に関してすでに説明した、とおっしゃる方々もいます。しかしながら自民党が出している重要政策集では、アベノミクスに関しては26ページ中8ページ近く説明されていましたが、それに対して、安全保障関連法案に関してはたった数行でしか書かれていません。 昨年の選挙でも、菅官房長官は『集団的自衛権は争点ではない』と言っています。さらに言えば、選挙の時に国民投票もせず、解釈で改憲するような違憲で法的安定性もない、そして国会の答弁をきちんとできないような法案を作るなど、私たちは聞かされていません。 私には、政府は法的安定性の説明することを途中から放棄してしまったようにも思えます。憲法とは国民の権利であり、それを無視することは国民を無視するのと同義です。 また、本当に与党の方々は、この法律が通ったらどんなことが起こるのか、理解しているのでしょうか、想定しているのでしょうか。先日言っていた答弁とはまったく違う説明を翌日に平然とし、野党からの質問に対しても国会の審議は何度も何度も速記が止まるような状況です。 このような状況で一体、どうやって国民は納得したらいいのでしょうか。 SEALDsは確かに注目を集めていますが、現在の安保法制に対して、その国民的な世論を私たちが作り出したのではありません。もし、そう考えていられるのでしたら、それは残念ながら過大評価だと思います。 私の考えでは、この状況を作っているのは紛れもなく、現在の与党のみなさんです。つまり、安保法制に関する国会答弁を見て、首相のテレビでの理解し難い例え話を見て、不安を感じた人が国会前に足を運び、また、全国各地で声を上げ始めたのです。 ある金沢の主婦の方がFacebookに書いた国会答弁の文字起こしは、瞬く間に1万人もの人にシェアされました。ただの国会答弁です。普段なら見ないようなその書き起こしを、みんなが読みたがりました。 なぜなら、不安だったからです。 今年の夏までに武力行使の拡大や集団的自衛権の行使の容認を、なぜしなければならなかったのか。それは、人の生き死にに関わる法案でこれまで70年間、日本が行ってこなかったことでもあります。 一体なぜ、11個の法案を2つにまとめて審議したか、その理由もよく分かりません。一つひとつ審議しては駄目だったのでしょうか。まったく納得が行きません。 結局、説明をした結果、しかも国会の審議としては異例の9月末まで延ばした結果、国民の理解を得られなかったのですから、もう、この議論の結論は出ています。 今国会での可決は無理です。廃案にするしかありません。 私は毎週、国会前に立ち、この安保法制に対して抗議活動を行ってきました。そして沢山の人々に出会ってきました。その中には自分のおじいちゃんやおばあちゃん世代の人や、親世代の人、そして最近では自分の妹や弟のような人たちもいます。 確かに若者は政治的に無関心だといわれています。しかしながら、現在の政治状況に対して、どうやって彼らが希望を持つことができるというのでしょうか。関心が持てるというのでしょうか。 私は彼らがこれから生きていく世界は、相対的貧困が5人に1人といわれる、超格差社会です。親の世代のような経済成長も、これからは期待できないでしょう。今こそ、政治の力が必要なのです。 どうかこれ以上、政治に対して絶望をしてしまうような仕方で議会を運営するのはやめてください。 何も賛成からすべて反対に回れと言うのではありません。私たちも安全保障上の議論は非常に大切なことを理解しています。その点について異論はありません。しかし、指摘されたこともまともに答えることができないその態度に、強い不信感を抱いているのです。 政治生命をかけた争いだとおっしゃいますが、政治生命と国民一人ひとりの生命を比べてはなりません。与野党の皆さん、どうか若者に希望を与える政治家でいてください。国民の声に耳を傾けてください。まさに、『義を見てせざるは勇なきなり』です。 政治のことをまともに考えることが馬鹿らしいことだと思わせないでください。現在の国会の状況を冷静に把握し、今国会での成立を断念することはできないのでしょうか。 世論の過半数を超える意見は、明確にこの法案に対し、今国会中の成立に反対しているのです。自由と民主主義のためにこの国の未来のために、どうかもう一度考えなおしてはいただけないでしょうか。 私は単なる学生であり、政治家の先生方に比べ、このようなところで話すような立派な人間ではありません。もっと言えば、この場でスピーチすることも、昨日から寝られないくらい緊張してきました。政治家の先生方は毎回このようなプレッシャーに立ち向かっているのだと思うと、本当に頭が下がる思いです。 一票一票から国民の思いを受け、それを代表し、この国会という場所で毎回答弁をし、最後には投票により法案を審議する。本当に本当に、大事なことであり、誰にでもできることではありません。それは貴方たちにしかできないことなのです。 では、なぜ私はここで話しているのか。どうしても勇気をふり絞り、ここにこなくてはならないと思ったのか。それには理由があります。 参考人としてここにきてもいい人材なのか分かりませんが、参考にしてほしいことがあります。 ひとつ、仮にこの法案が強行に採決されるようなことがあれば、全国各地でこれまで以上に声が上がるでしょう。連日、国会前は人で溢れかえるでしょう。次の選挙にも、もちろん影響を与えるでしょう。 当然、この法案に関する野党の方々の態度も見ています。本当にできることはすべてやったのでしょうか。私たちは決して、今の政治家の方の発言や態度を忘れません。 『三連休を挟めば忘れる』だなんて、国民を馬鹿にしないでください。むしろ、そこからまた始まっていくのです。新しい時代はもう始まっています。もう止まらない。すでに私たちの日常の一部になっているのです。 私たちは学び、働き、食べて、寝て、そしてまた路上で声を上げます。できる範囲で、できることを、日常の中で。 私にとって政治のことを考えるのは仕事ではありません。この国に生きる個人としての不断の、そして当たり前の努力です。私は困難なこの4ヶ月の中でそのことを実感することができました。それが私にとっての希望です。 最後に、私からのお願いです。SEALDsの一員ではなく、個人としての、一人の人間としてのお願いです。
2015年09月16日
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8月に観た映画の後半、4作品である。 「ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション」 イルサ役のレベッカ・ファーガソンがとても魅力的。アクションは彼女の方がすごかった。 彼女はスウェーデン出身、まだ「ヘラクレス」ぐらいのB級映画しか出ていない「新人」である。しかし、かなり堂々とした演技と切れのあるアクションを披露していて、これからが楽しみ。 さて、内容はIMF解散の危機と、シンジケートという無国籍テロ集団との闘いという、現代的な派手なスパイ映画。内容的には映画館を出るとなにも覚えていないというエンタメの常道映画になっていた。 (チェック)ハリウッドスターのトム・クルーズ主演の世界的大ヒットシリーズ『ミッション:インポッシブル』の第5弾。スパイ組織IMFに所属する腕利きエージェントが、仲間たちと協力して暗躍する無国籍スパイ組織撲滅というハイレベルのミッションに挑戦する姿を活写する。共演は、ジェレミー・レナー、サイモン・ペッグ、アレック・ボールドウィンら。高度1,500メートル、時速400キロメートルで飛行中の軍用機侵入を試みる、トムの命知らずのアクションも見どころ。 (ストーリー)正体不明の多国籍スパイ集団“シンジケート”をひそかに追っていたIMFエージェントのイーサン・ハント(トム・クルーズ)は、ロンドンで敵の手中に落ちてしまう。拘束された彼が意識を取り戻すと、目の前に見知らぬ女性と、3年前に亡くなったはずのエージェントがいた。拷問が開始されようとしたとき、その女性は思わぬ行動に出る。 キャスト イーサン・ハント: トム・クルーズ ウィリアム・ブラント: ジェレミー・レナー ベンジー・ダン: サイモン・ペッグ イルサ・ファウスト: レベッカ・ファーガソン ルーサー・スティッケル: ヴィング・レイムス ソロモン・レイン: ショーン・ハリス アラン・ハンリー: アレック・ボールドウィン 他 in TOHOシネマズ岡南 2015年8月16日 ★★★☆☆ 「ジュラシック・ワールド」 思ったよりは「とんでも映画」ではなかった。いや、見事なエンターテイメントだったと思う。ジェラシック・ワールドの意義を、冒頭それぞれの立場の人間がそれぞれの言葉で言い合う。曰く。 「6500万年前の敗者を支配するための施設だ。動物は強者が生き残るようになってる」 「人間に、驕りを思い出せるための施設なのさ」 大きく分けてその二つの意見の対立があるようである。それに、研究施設か、テーマパークとしての商業施設か、という対立もあるようだ。 それら導入部にふたつのテーマをさらりと見せて、あとは怒涛のCGエンタメに徹する。いいんじゃないかな。所々ツッコミどころはあるけど、エンタメなんだから無いとおかしいとさえ、思ってしまう。 (あらすじ) あれから22年…「ジュラシック・パーク」は、最先端のテーマパークとして遂にオープンを果たし、観光客でにぎわう高級リゾート地として大成功を収めていた。だが、更なるビジネスの拡大のためには、リピーターを増やす必要があり、誰もが驚く新アトラクションの開発が不可欠であった。そのため、史上初の遺伝子操作によって新種の恐竜を生み出すという計画が進行。恐竜の調教師オーウェン(クリス・プラット)の警告にもかかわらず、パークの責任者であるクレア(ブライス・ダラス・ハワード)が《新種》をついに誕生させる。 監督 コリン・トレボロウ 出演 クリス・プラット、ブライス・ダラス・ハワード、ヴィンセント・ドノフリオ、タイ・シンプキンス、ニック・ロビンソン in movix倉敷 2015年8月23日 ★★★★☆ 「at Home アットホーム 」 久しぶりに低予算ゆるゆるのダメ邦画を観てしまった。製作をみると、懐かしい奥山和由の名前。なるほどね。人気の原作と、老若男女に配慮した人気俳優を配しておけば、ほどほどの興収があるということ。どうしてもこれを撮りたいのだ、という情熱はさらさら感じなかった。昔ながらの邦画の作り方だ。元松竹の専務で現在フリーのプロデューサーの奥田は過去の人だ。道楽で映画を公開して欲しくない。 下段の数行のストーリー紹介が、二時間の内容はすべてである。前半の40分ほどで、いいたいことは全部言い切っている。登場人物の過去をフラッシュバックして紹介するのは、屋上に階を重ねるがごとし、無駄。しかも、事件の処理は、いくらなんでもあれじゃ警察を騙すことは出来ない。あれで完全にリアリティをなくした。若手俳優を無駄使いさせたプロデューサーの罪は重い。 【ストーリー】 空き巣の父・和彦(竹野内豊)と結婚詐欺師の母・皐月(松雪泰子)は、 犯罪で生計を立てながら3人の子どもたちと暮らしていた。そんなある日、 母の詐欺が相手に見破られたことで誘拐され、身代金を要求されてしまう。血のつながりはなくとも、それぞれに苦しい過去を持つ寄せ集めの家族は、ささやかな幸せを守るため立ち上がる。 「眠りの海」で小説推理新人賞を受賞し、単行本デビュー作「MISSING」で一躍脚光を浴びた本多孝好の人気小説を映画化。一見何の変哲もない幸福に満ちた家族ながら、裏では犯罪に手を染める一家の母が結婚詐欺相手に誘拐され身代金を要求されたことで、母を取り戻すため奮闘する家族の姿を描く。監督は、『未来予想図 ~ア・イ・シ・テ・ルのサイン~』の蝶野博。それぞれに過去を抱える血のつながらない5人家族の父親に竹野内豊、結婚詐欺師の母には松雪泰子がふんする。 【原作】 本多孝好 【監督】 蝶野博 【出演】 竹野内豊、松雪泰子、坂田健太郎 2015年8月27日 イオンシネマ岡山 ★★☆☆☆ 「テッド2」 「1」の時は面白かったんだけど、イマイチ傑作だとは思わなかった。「2」になってその面白さのエッセンスが如何なく発揮されるようになったと思う。傑作である。 字幕監修に町田智裕さんの名前があったのも頷ける。麻薬漬けのテッドもジョンもタミ・リンも、新登場の(アマンダ・セイフライド)アマンダも全員(この人弁護士なのに)キツいハッパをヤっている。彼らは普段の役は真面目な役が多い。むしろ社会派に出ても可笑しくはない彼らが嬉々として、この役をやるのは何故なんだろ。それだけ「虐げられている」立場から現代アメリカ社会を見ないと、コメディの色つけをしないと、その病理は見えてこないからなのかもしれない。 人権裁判で戦っている時の、テレビ番組の茶化し方は酷い。ジョンもテッドも「悪さ」ばっかりしているけれど、弱いものいじめはしない。 だから、「君たちは社会に貢献していない」と弁護を断った人権弁護士(モーガン・フリーマン)も最後は意見を変えたのである。 黒人やホモやその他の差別されている者たちも、最初は人間として扱われなかった。そういう者たちへの共感が、単なる悪趣味、セックスネタの露悪コメディを中味のあるものにしている。 (あらすじ) 冴えない中年男のジョン(マーク・ウォールバーグ)が恋人と結婚してから数年。中年テディベアのテッドと親友のジョンは、ボストンで相変わらず平凡な毎日を送っていたが、唯一大きな変化があった。そう、テッドがバイト先のスーパーで知り合ったカノジョ、タミ・リンとまさかのゴールインを果たし、夫婦となっていたのだ!めでたし、めでたし―。で終わるはずがない。テッド夫妻は、ある日些細な問題で大ケンカとなり早くも新婚生活の危機を迎えてしまう。テッドは危機を乗り切るために子供を持ち、父親になる事を決断するが、州政府より「テッドは人間ではなく“モノ”である」と通達されてしまう。※R15+ 監督 セス・マクファーレン 出演 マーク・ウォールバーグ、セス・マクファーレン、アマンダ・セイフライド、ジョバンニ・リビシ、ジョン・スラッテリー、ジェシカ・バース、モーガン・フリーマン [ 上映時間: 116 分 ] in movix倉敷 2015年8月29日 ★★★★☆
2015年09月15日
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映画レポートの続きにしようと思ったけど、情勢が緊迫しているので。現在ギリギリのところで、参議院議決を見送るか、強行するか、我々が追い込んでいいる。やはり少し書こう。 ことは、安全保障の問題を超えている。民主主義の問題になっています。 かつて1979年五月、山口大学新聞会で大学の1960年の安保反対闘争の取材をした時、教授に紹介されて当時の学生自治会役員だった県庁の職員の所に行ったことがある。大学新入生の私の拙い取材を可哀想に思ったのか、誠実に対応してくれたその「大人」は、「あの頃は、社会の仕組みも何も分かってなかった。ただ、日本の未来を左右される重要法案が国会軽視の数の論理で、十分な論議もなく強行採決された。私たちはそれに怒った。このままでは、日本の民主主義がダメになってしまう。それだけで街に出てデモをした」と、そう言いました。東京ではない。言って悪ければ、私から見てもかなりの小さな町の山口市で、今から考えれば岸首相の地元で、それだけの熱い日々があったのだ。私は「歴史の生き証人」を初めて目の前にした思いがした。「足で書く」とは、こんなことだな、と生意気にも思ったりした。 それから37年。60年安保から55年。国会はまたもや、暴走している。国会討議は、「答弁不能」が続いて審議中断が百回を超えた。私は衆議院強行採決のあとに、違憲法案であることと、いざという時には「政府を信用してくれ」という説明しかしていないと、指摘したが、その構造は全く変わっていないばかりか、そのことをもっと深く論議するとば口にも立てれない。政府どころか自衛隊の暴走が明らかになって、法案が成立したらなんでもありの可能性さえ出てきた。 つらつら内容まで、書くのはやめよう。今日はふたつの「事実」を紹介したい。 山梨県上野原市議会において、公明党議員が戦争法反対請願に対して「(紹介議員が)共産党だから、反対」と言ったらしい。このかこみ記事を見る限りでは、その他言い訳もしているみたいだが、この発言をしただけでアウトでしょ。 全く驚きの反対理由。理由も何もあったもんじゃない!どこの党が信頼できないとか、そんな問題ではない。問題は請願の中味です。民主主義が壊れる時には、こういう体を晒すのか(涙)。 と思う。 しかし、ことは地方自治体の問題だけではなかった。あとで思い返すと、中央政界の幹部もとんでも発言をしていた。 安保法案:高村氏「国民の理解が得られなくても成立」(2015.9.7毎日新聞) 自民党の高村正彦副総裁は6日、青森市内での講演で、安全保障関連法案に関し、国民の理解が得られなくても今国会中に成立させる方針を強調した。「国民のために必要だ。十分に理解が得られていなくても決めないといけない」と述べた。 同時に「国民の理解を得られなければ次の選挙で政権を失う。それが民主的統制だ」と述べ、次期衆院選で審判を受けたいとの意向を示した。 自衛隊の海外派遣に例外なく国会の事前承認を求める次世代の党など3党の修正案について「民主的統制は極めて大切だ」としながらも「衆院に戻して成立させる時間的余裕があるか考えないといけない。最後になると野党はあらゆる手段で抵抗してくる」と語り、法案自体の修正は困難との認識を重ねて示した。(共同) つまりは、国民の2割台で絶対多数を獲った与党は、国民のためではなく、自分のために「力」で押し切ろうとしているのである。 国会とは、民主主義が壊れる時には、ここまでの無惨な状態になるのだろうか。 国会の守り抜いた民主主義汚泥の如く決壊する秋(とき)
2015年09月13日
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8月の映画鑑賞は9作品でした。二回に分けて紹介します。 「グローリー 明日への行進」 キング牧師と言えば、ワシントン大集会での「私には夢がある」と始めた演説が有名だが、この中ではおそらくわざとその場面も台詞もない。 作品は1964年のノーベル平和賞受賞式の直後、無垢な少女たちが犠牲になった教会爆破事件から始まる。白人至上主義たちの暴力・殺人は、驚くべきことに、当時誰一人として捕まらなかった。何故か。黒人たちは決して陪審員の席に座れない仕組みがあったのだ(陪審員を選ぶ役人を選ぶ人間が圧倒的に白人だったからである)。だからこそ、今やノーベル賞受賞者として大統領と対等に交渉出来るキング牧師は、大統領から先ずは貧困や教育の改善を約束されても、断固として黒人選挙権の獲得を希望し、一歩も引かない。幾つかの暴力・殺人の場面のあとに、アラバマ州都モンゴメリーに向かう行進は、テレビの実況中継の中で州警察と民兵隊によって決定的な暴力に逢う。 映像的に派手な部分はそこぐらいなものではあるが、50年経ってやっと初めてのキング牧師の長編映画が出来たというところに、「自由と民主主義の国」のアメリカの現実が見えてくる。「ジョージを殺したのは誰か」それは直接下した州警察ではなく、アバラマ州知事(ティム・ロス)や、それを認めた住民そのものだと言ったキング牧師の言葉が、今や大きく響く。 この作品の試写を見て感想を述べた潘基文国連事務総長の「いかに不寛容が容易に憎悪と暴力に転化するか」の言葉は、それを意図していなくても、日本のヘイトスピーチを叫ぶ人たちだけでなく、それを心情的に支持する人たちに対しても突きつけている問題だと思うのである。 (解説)アメリカ公民権運動が盛り上がりを見せる中、アラバマ州セルマで起きた血の日曜日事件を題材に描く感動作。ノーベル平和賞を受賞したマーティン・ルーサー・キング・Jr.のリーダーシップでデモに集まった人々が警官の投入によって鎮圧されたのをきっかけに、世論が大きく動いていくさまを描く。俳優のブラッド・ピットや人気トーク番組で有名なオプラ・ウィンフリーらが製作を担当。史実を基に描かれる、激動の近代史に心動かされる。 (ストーリー)1965年3月7日、マーティン・ルーサー・キング・Jr.の呼び掛けにより集まった、黒人の有権者登録妨害に抗議するおよそ600名がアラバマ州セルマを出発。だが、デモ行進がいくらも進まないうちに、白人知事は警官隊を動員して彼らを暴力で制圧する。その映像が「血の日曜日」としてアメリカ中に流れたことにより抗議デモはさらに激しさを増し、やがて世界を動かすことになる。 2014年アメリカ・エヴァ・デュヴァネイ監督作品。出演・デヴィッド・オイェロウォ、オブラ・ウィンフリー、トム・ウィルキンソン、ティム・ロス inシネマクレール 2015年8月2日 ★★★★☆ 「国際市場で逢いましょう」 韓国史というと、「事件」における多数の死者や政変における政治変転などが直ぐに思い浮かぶが、こういう形(サイドエピソードで繋ぐ形)で韓国史を表すやり方もあったのか、と思う。 1983年に、ヨンドでの大々的な離散家族再会番組があったとは知らなかった。あれもおそらく民主化の過程の中で起こったのだろう。 技術者の「後方支援」のために行ったドクスのベトナム出兵が、あれ程の戦乱に巻き込まれるのだから、日本政府のPKO法改悪がいかに好い加減なものかはわかろうものである。 最初から最後まで泣かせる映画に徹した。韓国映画の作り方は、いっそ清々しい。思い切り泣かせてもらってスッキリした感じ。 (解説)『TSUNAMI-ツナミ-』などのユン・ジェギュン監督がメガホンを取り、『傷だらけのふたり』などのファン・ジョンミンを主演に迎えた感動の家族史。朝鮮戦争や軍事政権、ベトナム戦争など動乱の時代を家族のためにささげた一人の男の足跡を活写する。主人公の妻を『ハーモニー 心をつなぐ歌』などのキム・ユンジンが演じ、『パパロッティ』などのオ・ダルスらベテランが脇を固める。時代の波に翻弄(ほんろう)されながらも、たくましく生きる人々の姿に泣き笑いする。 (ストーリー)朝鮮戦争中、父親と末の妹と生き別れたドクス(ファン・ジョンミン)は、母親と2人のきょうだいと一緒に避難民として釜山で暮らすことに。まだ幼いながらも家長として家族を守ることを心に誓った彼は、自分のことは後回しにしていつも必死に働いてきた。その後、西ドイツの炭鉱で働き、ベトナム戦争に従軍するなど、ドクスは何度も命の危険にさらされる。 inシネマクレール 2015年8月2日 ★★★★☆ 「進撃の巨人 ATTACK ON TITAN」 アニメはつまみ食いで見ていたのだが、原作自体が「細部のみに」にこだわる作り方をしているために、全体像がわからなかった。今回やっと全体像が見えた気がする。多分後編をみても感想は変わらないだろうと思うので今言っておくと、これは「井の中の蛙」の話である。 つまり、「大海=世界を(自ら意図したかどうかは置いといて)知らないままに、一方的に、理不尽に攻撃を受ける人間がどのように行動するのか」ということのみを描いた物語である。 巨大な壁の内側の「人類」は、近代程度の文明を維持していると思えるが、都合よく彼らには飛行機を開発する能力は失われている。映画を見る限りでは、壁の内側には数万人は生存していたように思えるが、その「引きこもり」心理状態は不思議としか思えない。100年の間に、壁の外の世界を知る方法はいくらでもあったと思う。もちろん映画の中では、「外に出た人間は帰ってこない」という台詞もある。また、唯一の脅威である巨人は生殖能力はなく、不死身で尚且つ死ぬと消滅するという「都合のいい存在」でしか扱われていない。いかにして「壁の外=世界」の認識が不可能になるのかに、一生懸命知恵を絞っているかのようだ。そして敷島隊長の「壁の内で安住するのを家畜という。嫌なら跳べ!」という台詞によって、唯一「引きこもり」から外に出る道が示される。 「世界は残酷」。今の若者にとっては、物心ついた時から、超氷河期で、せっかく就職してもブラック企業に入ってうつ病になり、一生を壊される。生活保護を受ければパッシンクされる。どうしてそうなったかわからないままに「世界は残酷」な「状況」のみが襲いかかる。 だからこそ、若者に言いたい。やおら命を粗末にして「跳ぶ」前に、世界を知ろう。壁は実は無いんだよ。しっかり人間を信頼して見つめれば、世界は目の前にあるんだよ。しかし、その声はおそらくこの作品世界には届かないだろう。 (解説) 人間を捕食する巨人と人類との壮絶な戦いを描いた諫山創の人気コミックを基に、『巨神兵東京に現わる 劇場版』などの樋口真嗣が実写映画化したアクション大作。100年以上前に出現した巨人が巨大な壁をぶち破り、再び侵攻してきたことから、巨人対人類のバトルが繰り広げられる。エレンを『真夜中の五分前』などの三浦春馬が演じるほか、長谷川博己、水原希子、石原さとみ、國村隼といったキャスト陣が集結。原作にはないキャラクターも登場するなど劇場版ならではの展開や、巨人のビジュアルやすさまじいバトルの描きかたがすごい。 (あらすじ) その日、人類は思い出した―。 百年以上前、突如現れた巨人たちに、人類の大半は喰われ、文明は崩壊した―。この巨人大戦を生き残った者たちは巨人の侵攻を防ぐため、巨大な壁を三重に築き、内側で生活圏を確保して平和を保っていた。だが百年、壁が壊されなかったといって、今日、壊されない保証はどこにもない―。 ※PG12 監督 樋口真嗣 出演 三浦春馬、長谷川博己、水原希子、本郷奏多、三浦貴大 in movix倉敷 2015年8月6日 ★★★☆☆ 「日本のいちばん長い日」 半藤一利氏のノンフィクション原作が元。1945年4月の鈴木貫太郎の首相就任、阿南惟幾の陸軍大臣就任が、昭和天皇の強い要望で実現出来たところから始まり、8月14日深夜に起きた畑中陸軍少佐や近衛師団のミニクーデターで幕を閉じる。 昭和天皇、鈴木、阿南の「連携」による「聖断」、戦争終結は確かに彼らの謀(はかりごと)だったのかもしれない。戦争の始まりは、昭和天皇が口を挟む余裕は無かったのかもしれない。しかし、それで昭和天皇の「戦争責任」を免罪にすることは絶対に出来ない。 原田「いちばん長い日」は、終戦の詔勅の「時運の趣く所、耐え難きを堪え忍び難きを忍び」の表現は、最初は「義命の存する所、耐え難き」だったのを、「国民にはむつかしすぎる」と削られた経緯を重視する。ただ仕方なく終戦したのではない。自覚的に終戦したのだ、と原田監督は暗に主張する。 過去を正しく知ることは重要である。「時運の趣く所」戦争出来る国に変えようとする「時運」がある現在は特に、である。たとえむつかしすぎるとも、である。 原田監督は、今回もそれぞれの登場人物に字幕をつけて紹介しなかった。結果、観客にはむつかしすぎるかもしれない。しかし、これを元に議論を始めてもいい。右翼云々、左翼云々の映画ではない。ことは確かだ。 (解説) 半藤一利のノンフィクションを基にした群像歴史ドラマ大作。太平洋戦争での日本の降伏決定から、それを国民に伝えた玉音放送が敢行されるまでの裏側を見つめていく。メガホンを取るのは、『クライマーズ・ハイ』『わが母の記』などの原田眞人。キャストには『わが母の記』などの役所広司、『おくりびと』などの本木雅弘、『ツナグ』などの松坂桃李ら実力派が集結し、昭和天皇や阿南惟幾陸相をはじめとする実在の人物を熱演する。身をていして現在の平和の礎を築いた人々の思いに引き込まれる。 (ストーリー)1945年7月。太平洋戦争での戦況が悪化する日本に対して、連合軍はポツダム宣言の受託を迫る。連日にわたって、降伏するか本土決戦に突き進むかを議論する閣議が開かれるが結論を一本化できずにいた。やがて広島、長崎に原爆が投下され、日本を取り巻く状況はさらに悪くなっていく。全国民一斉玉砕という案も取り沙汰される中、阿南惟幾陸軍大臣(役所広司)は決断に悩み、天皇陛下(本木雅弘)は国民を案じていた。そのころ、畑中健二少佐(松坂桃李)ら若手将校たちは終戦に反対するクーデターを画策していた。 スタッフ 監督・脚本: 原田眞人 原作: 半藤一利 キャスト 役所広司、本木雅弘、松坂桃李、堤真一、山崎努 2015年8月9日 イオンシネマ岡山 ★★★★☆ 「王様と私」(新午前10時からの映画祭) 初めて観た。名曲「シャルウィダンス」がなかなか登場せず、最後の方で登場して盛り上がったところで、突然終わったことにビックリした。しかも王様はほとんど歌わなかった。当然これは前振りで、クライマックスにおいて、ホントの「シャルウイダンス」が歌われるのかと思いきや、なんとも急転直下意外な結末。どうしてこれが名曲・名作に数えられたのかわからない。 劇中劇の翻案「アンクルトムの小屋」は素晴らしかった。中国京劇の外連味と、仏教美術と、南国シャムの民族と、奴隷制を批判する西洋文明の見事な融合である。 そして、この作品自体が、その見事な融合だった。(1956年アメリカ作品) (解説) 「回転木馬」に次ぐロジャース=ハマーステインのミュージカルでシネマスコープ55の第2回作品。製作は「あの日あのとき」のチャールズ・ブラケット。マーガレット・ランドンのベスト・セラー伝記“アンナとシャム王”を「重役室」のアーネスト・リーマンが脚色、監督は「ショウほど素敵な商売はない」のウォルター・ラング。戦後公開の「アンナとシャム王」は同一テーマによる劇映画である。主演は「誇りと冒涜」のデボラ・カー、舞台で同役を演じたユル・ブリンナー。他に「スカートをはいた中尉さん」のリタ・モレノ、ロンドン生まれの舞台俳優マーティン・ベンソン、「愛情物語」の子役レックス・トンプソンなど。音楽監修と指揮はアルフレッド・ニューマン、撮影監督はレオン・シャムロイ。バレー振り付けは舞台同様ジェローム・ロビンスが当たる。 (ストーリー) 1862年、アンナ夫人(デボラ・カー)は息子ルイズ(レックス・トンプソン)を連れてシャム王(ユル・ブリンナー)の王子や王女らの教師としてイギリスからシャムに渡る。バンコックでは首相のクララホーム(マーティン・ベンソン)の出迎え。アンナは王が宿舎提供の約束を忘れていることを知り、直談判しようとする。王はビルマ大公の貢物、美姫タプティム(リタ・モレノ)を受け取ったところ。早々アンナを後宮へ伴い正妃ティアンを始め数多くの王子、王女らを引合わせる。アンナは王の子女の教育についてティアン妃の援助を受けることになり、タプティムは妃達に英語を教えることになる。アンナはタプティムの恋人がビルマから彼女を連れてきた使者ラン・タと知り、何とか心遣いをしてやった。アンナは王子、王女らの教育で“家”という言葉を教え、宿舎の提供を怠った王の耳に入れようとする。次代の王、チュラロンコーン王子は、シャムは円い地球上の小国と言い出し、驚いた王は授業参観に赴くが、却ってタプティムの朗読する“トムおじの小屋”に感激。だが首相は王の頭を混乱させるとアンナを避難する。ある日、自分が英人から野蛮人と考えられていると知った王は、保護国の資格を失うと考え、近く国情調査にくる英特有のもてなしをアンナに一任。やがて特使ジョン・ヘイ卿の歓迎晩餐会は、ヨーロッパ風の豪華なもの。宴は成功裡に終ったが、タプティムは恋人と駈落ちする。捕らえられた彼女のアンナのとりなしで笞刑を逃れるがラン・タは殺害。愛想をつかして故国へ戻ろうとするアンナとルイズ。だが船が出帆する日、王は心臓発作で倒れる。アンナは教え子の願いでシャムに留まることになり、王は宿舎新築を約束して息を引き取る。 in TOHOシネマズ岡南 2015年8月16日 ★★★☆☆
2015年09月12日
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9.11同時多発テロの日、今日金曜日、倉敷では6回目になる戦争法廃案、安倍政権退陣を求める集会&パレードを行いました。 リレートークではいつもの主催者代表や政党あいさつに続いて、SEALDsとか若者に負けないと、発足したばかりだという「倉敷ば~ば~ず」のあいさつがありました。 「今度、3人目の孫が出来ます。私たちは孫のためなら何でもします。安倍総理は戦争をしりません。私たちは孫が戦火のない飢えることのない社会を生きることを願っています。つぶらの瞳に涙を見せさせません!」若者に負けない力強い挨拶でした。 ババアは蔑称ではないそうです。バリバリ活動するシニアの会ということだそうです。 パレードは200名でした。 ちなみに、一昨日の9月9日には、岡山市内で30人以上が集まって9時9分に9条でカンパイということで、大いに飲み食べました。 【6本〜送料無料】アウレオ モンテプルチアーノ ダブルッツォ 2013 テッレ デル コルノ 750ml [赤]Aureo Montepulciano d'Abruzzo Terre del Corno 私はこれを差し入れました。別に9条用のワインではないのですが、9に見えるでしょ? 1年前に見つけて、やっと手に入れました。スペインのオーレオ。フルボディの赤。濃いめの料理ならば何でも合うと思います。
2015年09月11日
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昨日、鴻池委員長へ抗議の意見を送りました。以下の鴻池氏のホームページの意見フォームから送れます。ホントはTELやFAXの方がいいのかもしれない。それも以下に記す。 https://s360.jp/form/31244-1010/ 神戸事務所(鴻池よしただ後援会 自民党兵庫県参議院選挙区第二支部) 〒650-0024 兵庫県神戸市中央区海岸通八番 神港ビル509号 Tel : 078-334-6611 Fax : 078-334-6688 〒100-8962 東京都千代田区永田町2-1-1 参議院議員会館1001号室 Tel : 03-6550-1001 (代表) Fax : 03-3502-7009 昨日、憲法違反であることが明らかになった戦争法案の強行採決に繋がる中央公聴会の日程を、貴方はそれを阻止できる立場にあったにもかかわらず強行しました。 立法府たる国会の役割とはなんでしょうか?憲法の具体化ではないでしょうか?それなのに、99%違憲の法律を通すことは、貴方の存在そのものの否定ではないでしょうか?参議院は「良識の府」であるとすべての国民が授業で習っています。貴方はそれよりも、党の言いなりになることを選ぶというのでしょうか?日本の民主主義の歴史に黒点をつけるのでしょうか?今ならまだ間に合います。 決して戦争法案の強行採決を許さないでください! ついでに、 中央公聴会強行の実際はどうだったのか。詳しいレポートがあったので、以下に貼り付ける。「民主主義が終わっている」と嘆くのは容易い。しかし、今はできることをしたい。 記事福山哲郎2015年09月09日 06:46「参院安保特別委員会報告19日目。突然の提案、合意なしの強行採決…力による暴挙はじまる。」 こんばんは。 今日、とうとう数の力に任せた乱暴極まりない委員会運営が始まりました。 昨日お知らせした通り、13時から参考人質疑を行い、大森政輔・元内閣法制局長官や伊藤真・弁護士らの意見を伺いました。大森元長官、伊藤弁護士からの違憲立法との陳述は、とても論理的でかつ説得力のあるものでした。ぜひ、このお二人の陳述はご覧いただきたいと思います。 参議院ネット中継(アーカイブ) さて、参考人質疑の前に開かれた理事懇談会では、総理のテレビ出演に対する官房副長官からの説明がありました。しかし、国会の委員会に出席せずに出演するほどの理由には程遠く、陳謝もなしで、極めて不愉快な説明でした。毎日でも総理に出席するよう強く求めました。 また、統幕資料も「同一のものの存在は確認できなかった」という不誠実な回答に終始しました。これだけの情報がもれていることの責任をどう感じているのでしょうか?鴻池委員長からも「不愉快を通り越している」との発言がありました。 さて、その後の理事会で、突然、与党から中央公聴会の提案があり、今日にも議決したいということだったので、「地方公聴会、総理の質疑、再度の参考人質疑などの、約束の審議日程がまだ実現していない。時期尚早だし、突然すぎる。」と返しました。 委員長は「委員会中に理事同士で協議を」と仕切られました。委員会終了後の休憩も、理事会の再開も合意していませんでした。 ところが、参考人質疑等が終わったところで、本来は散会となるはずが、委員長が急に休憩を宣言。理事会再開を合意していないにもかかわらず、勝手に理事会が再開され、中央公聴会日程の提案を決定。さらに、野党側に呼び込みもなく再開された委員会で、運営に問題があるとして野党側が強く抗議をする中、中央公聴会の日程が強行に議決されました。その後の理事懇談会も野党にまともな呼び込みもなく勝手に開会されていました。 まるで、野党に出てくるな!と言わんばかりの態度です。まさに暴挙はじまる、です。 鴻池委員長は、これまで公正な運営を続けてきていただいていたので、とても残念です。 明日4時間の審議が予定されていますが、この混乱の原因はすべて政府・与党の責任です。野党は常に審議を求めてきています。 今回の混乱をどう収拾するかは、明日の午前中までに与党が何らかの対応策を持ってくるはずです。 質疑をすればするほど、今日の参考人質疑で指摘された違憲性の問題にとどまらず、不明確で不誠実な答弁を繰り返し、答弁が食い違い、法案の不備や矛盾、立法事実の曖昧さ等々が次々と露呈してきています。先週までの審議で、ナント95回も審議が中断しています。前代未聞です。採決などとんでもありません。
2015年09月10日
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「ビッグイシュー270号」ゲット!今回スペシャルインタビューは奈良美智(ならよしとも)さん。男である。初めて知った。表紙も奈良さんなのだが、裏表紙はなんとブラカードにもなる作り。 単純な線の中に強烈な意思を持つ少女を登場させる。その幾つもの作品を見て、こういう現代美術家がいるのか、と瞠目した。 今号は創刊12周年号ということで、とても読み応えがあった。是非手に入れて欲しい。編集長と浜矩子氏との対談で、浜氏は「日銀が倒産して、日本発の世界経済恐慌の可能性」さえ言及する。安倍が守ろうとしてるのは、国民ではないのでそういうこともあり得るのである。恐ろしいのはそのあとだ。 「すると、彼らはその機に乗じて強引に経済的国家主義を確立してしまう」「経済的混乱の世界は、権力を完璧に掌握する絶好のチャンスですからね。今こそ強いリーダーシップが必要という言い方になって、ヒトラーみたいな人物が出てくる」 その詳しい仕組みもよくわからないし、その処方箋もよくわからない。でも、一つの見方としては憶えておきたい。 特集は「2015年夏、ストリートデモクラシー」。 どこよりも詳しく東京の高校生、札幌、東北、関西の若者のストリートデモをレポートしていた。泣きそうになった。 2015年09月9日読了
2015年09月09日
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「ぼくらの民主主義なんだぜ」高橋源一郎 朝日新書 「民主主義ってなんだ!」「民主主義ってこれだ!」とSEALDsがシュプレヒコールしたからでもないのだろうが、改めて民主主義という言葉が注目されている。国会が民主主義を拒否している場面が多すぎるからだけでなく、実際現代が戦後民主主義の危機だから、なのだろう。 高橋は東日本大震災の直後からたまたま朝日新聞紙上で論壇時評を始める。今年の3月までの文章を集めた。 震災、原発、特定秘密保護法、若者の就活、ヘイトスピーチ、従軍慰安婦、などをテーマにしながら、言及するのは評論家の文章だけにとどまらず、マンガ、映画、ウェブから多く採る。その方法は正しいと思う。今さら、評論誌で世論が出来上がっていると思っている人々はほとんどいないだろう(しかし、単純意見を求めようとしていることが民主主義の破壊に手を貸していることも、人々は気づかなくてはならない)。 閑話休題。私は、在特会のレポートを書いた「ネットと愛国」(安田浩一)で指摘されている「彼らの大半は、頼りなげでおとなしい、普通の今時の青年だった」というのに注目した。「彼らは「奪われた」という感覚を共有している。仕事や未来や財産をだ。誰が奪ったのか。それは特権を持っている(らしい)「在日」や、なぜか優遇されている(らしい)「外国人」や、権力を握っている(らしい)メディアや労働組合だ。彼らは「奪われた」ものを取り返すための「レジスタンス」をしている、と信じている。」安田浩一のこの指摘は的を得ていると思う。そしてれが「一般社会でも広がっている」という指摘は、私もうーんと頷かざるを得ない。しかし、高橋は「ほんとにそうなのだろうか」と反論する。ただ、その根拠は各々述べているが、明確ではない。(77p) 「衆議院選挙東京第25区の候補者に会って質問できるか、やってみた」という動画を高橋は泣きながら見る。1人の無名の青年の試みを自分で撮影してYouTubeにUPしたものらしい。私も感動した。(119p) 2014年3月18日、台湾立法院で行われた学生たちの立てこもりの一部始終の記録番組を見て、高橋はこのように感想を記す。 「民意」をどうやってはかればいいのか。(略)学生たちがわたしたちに教えてくれたのは、「民主主義とは、意見が通らなかった少数派が、それでも「ありがとう」ということのできるシステム」だという考え方だった。(196p) その暮れの自民党が圧勝した衆議院選挙で、「選ぶ人も党もない」と言って棄権した森達也に共感しながらも、高橋はしりあがり寿の「とりあえず、選ぶ候補者には全く自信がないけど、「民主主義を諦めてないぞ」ってことだけで投票にいく。投票先は民主主義だ。クソ民主主義にバカの一票」という行動と共にする。私には、彼らがそこまで悩むのが不思議でならない。彼らと同じように自民党独裁を防がなくてはならないという共通認識はあるのだから、棄権は自民党を利するだけというのは分かり切っている。悩む暇はない。自民党と正反対の投票行動をすれば済む話なのではないか。しかし、私は古いタイプの人間なのかもしれない。私の周りの若者も「この一票はバカだ」ということで棄権した。流されて投票する人よりはよっぽどいいが、しかし私はそれこそバカだと思う。バカ一票を投じるべきだと思うのである。ここに高橋と彼に共感する若者と、私との剥離がある。 2015年9月5日読了
2015年09月08日
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昨日、総社神明遺跡の現説(現地説明会)に行ってきました。またか、と思われるとは思いますが、ここでこの遺跡の現説の記事は三回目ですから当然です。岡山埋文の発掘調査はここにかかり切りみたいですし、他に適当な現説がないのです。これは弥生時代の焼失住居跡の説明状況。失火ではなく、他に土器が見つかっていないことからも移転のための焼失だろう。とのこと。 今回埋文が現説を開いたきっかけは、例の銅鐸の洗い出しが返ってきて、模様がはっきりしたからとのこと。 とは言え、私の撮影技術ではその模様はよくわからないので、パネルをみて欲しい。しかし、意味わからんとおもうので、むつかしい漢字は苦手なので、説明パネルをそのまま載せます。 今のところ、同型の銅鐸が見つかっていない。それはそれで、特異な話。また、1番期待された発掘調査での銅鐸発見によって、細かな埋納時期が特定出来るのではないかという期待は空振りに終わりそうだ、ということ。しかし一世紀前半とわかっただけでも良しとするべきか。 今回のマイ大発見は、楯築以前の孤帯文土器が見つかったことである。つまり、あの文様自体は楯築遺跡で突如出現したモノではなく、一般住民の祭祀を流用したものだったということです。模様はあまり規則性はきちっとしていないし、非常に細い線で描かれて弱々しい。身分の低い、普通の家の祭だと見る所以である。しかし、孤帯文様は私には雲の渦巻きに見える。やはり「龍神の祭」が王位継承の祭に進化した可能性が、私の中では高くなってきた。孤帯文土器は、普通の祭用の器台か広口壺だったのだろう、とのこと。時代は弥生時代後期である。残念ながら、近代の穴倉から見つかったために詳しい時代認定は出来ない。しかし、この土地は100年以上人々が住んでいたらしい。暮らしやすい中核の村だったのである。吉備の村の一つの典型と思っていいだろう。面白いものを見させてもらった。
2015年09月06日
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神戸市立博物館は久しぶりの来館。企画展はボヘミアンガラス展らしい。チェコの17世紀から始まる、カットとエングレーヴイングによって、水晶ように輝くボヘミアングラスは、しかしこの時代に既に完成し尽くされている気がした。宮崎あおいちゃんはかなり興味を持っているらしいが、私は興味がないのでこのくらいの説明で止める。写真もありません。 神戸市立博物館といえば、何といっても桜ヶ丘銅鐸である。復元実験によって、作成時には同じ形でもこれだけ差があるという展示もしていた。青銅器は作りたては黄金のように輝いているのです。 桜ヶ丘銅鐸がなぜ有名かというと、豊富な絵画が施されていて、カエル、カマキリ、シカとか様々な意匠が施されていたこと。しかし、その意味をまだ学者は解明してはいない。 神戸の「初期弥生人」の骨の説明があった。かなり高度な稲作文化を達成しているのだが、骨格は縄文人に近い形質的特徴を持つという。「朝鮮半島からの渡来系ではなく、もともといた縄文人が弥生文化を受け入れて弥生人になったと考えられている」との説明。 兵庫県民が誇る県下最大の前方後円墳、五色塚古墳。なぜ巨大な古墳がいきなり登場するのか。博物館はこのように説明している。 「4ー5世紀という時期は、ヤマト政権の大王が、他地域の王たちを抑えて力を強めていく時代である。五色塚の被葬者は、ヤマト政権のために西の玄関口、明石海峡を守った人物と考えられている。ここより東は大王の土地という意味をこめて、五色の主は自らの墓所を、海を往来する人々によく見える台地上に築いたのだろう」 反対にいえば、ここから西はヤマト政権の力の及ばない、吉備王権の土地だったのだ。五世紀初頭に造山古墳が出来上がったのは、五色塚に対抗するという意味もあったのかもしれない。 江戸時代の動物絵画ミニ企画展もしていて、興味深かった。 「虫合戦図(1851)」という絵がある。ペリー来航以前に、アヘン戦争やナポレオン戦争の噂を聞いた絵師たちが「戦争」をテーマに絵を描いていたらしい。それが鳥獣戯画以来のマンガ表現になっているのが興味深い。モンシロチョウの軍艦、カタツムリの大砲。 1813年長崎に象が来たらしい。しかし、インド総監の思惑は外れて出島を出ることなく、直ぐに返される。そのわずかの間に、日本人は精密なスケッチをしている。この器用さが日本人である。 五冊ほどミニ図録を買う。めったに来ない博物館に行く喜びは、こういう図録を買うことができるというのも一つある。 近くの喫茶店REAL DINING CAFEでチーズケーキのセットをいただく。神戸らしい繊細なチーズケーキでした。 三宮駅から快速を乗り継いで帰る。夕食は昼食をしっかり食べたのでパンのみにした。実は昼食前に確か「イスズベーカリー」という名前の店で看板でグランプリを取ったというカレーパンを買っていた。カバンの中でひしゃげていたけど、美味しくいただいた。
2015年09月05日
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ここからは、さらに細部に渡る「驚きの技術」編だ。凄い「棟梁」というのは、腕だけじゃなくて、頭も良かったんだな、とつくづく思う。これは薬師寺金堂の復興を任された、西岡常一棟梁の技術ノート。材料計算、試案図面などを細かな字で色も使い分けて几帳面に整理されている。ちょっと見ただけで、「私にはムリ(←当たり前)」と思ってしまう。 日本の建築は出来るだけクギを使わないで造る。それだから何千年も腐らないで残っている。しかし、一方では強度も必要だ。だから、ホントに複雑な「継手仕口」が発達した。道具館には、「繋いでみよう」と何種類もの組手が展示されている。こういうのを考えるのも作るのも、昔の人はつくづく凄いと思う。 これは三方の丸太が組み合わさる「捻組(ねじくみ)」というらしい。難易度の高い仕口。ビデオを見ながらチャレンジしてみて、と書いていたが、遠慮した。 前回の訪館の時に私はアンケートに「左官の展示もして欲しい」と書いた。それを聞いてくれたのかどうかはわからないが、茶室スケルトン模型展示がされていた。大工や左官の仕事が分かるように、壁や天井、建具を部分的に取り払った展示。見えるところは軽やかな材を使い、見えないところでがっしりと補強する作り方がよく分かる。 壁は竹でしっかり掻いて、この上に土を荒塗りして、その上に網を貼り、さらに上塗り、そして仕上げ塗り、必要ならばその上に化粧塗りさえするのが日本家屋である。そうすることで、湿気も吸い、保温性もあるしかも丈夫な、日本の気候に適した家屋が出来上がる。常に均一に数ミリ間隔で土を塗るのには数年の修業が要るだろう。百姓家屋は二重塗りぐらいで終わっている家も多い。だからこそ、左官は技術職なのである。 さらには、いろんな繊細な壁塗りも展示されていた。これは「火灯窓付蛍壁(かとうまどつけほたるかべ)」。古来中国から伝来し、寺院建築に広まったのが火灯窓。通常木枠で作られるが、本作品ではこれを黒磨きとしている。砂漆喰で形を作り、つくりおいた専用の墨を混ぜた漆喰で磨く(写真ではよくわからない)。土壁の中から浮かび上がる錆の景色を蛍光と見たてる粋な蛍壁。だ、そうである。こうなれば中国文化の換骨奪胎、日本の芸術です。 前回でも展示されていたけど、木の種類別の特徴を記して香りも嗅げるように木屑も置いて展示する。大工は一目見て、木の種類が分かるんだろうな。古代人もそこは見事に使い分けていた。これは檜葉(或いはアスナロ)ヒノキ以上に殺菌作用があり「檜葉つくりの家には三年虫が入らない」と言われるそう。 序でに、これは「栗」。管理のし易さから古くから日本人の生活と共に育てられた。水に対して強い性質を持ち、土台として利用されることが多い。つまり今でもちゃんと建築部材として使われているのだ。 これは何処かの有名な寺の屋根の構造を再現したもの。ビデオを見ると、下からだんだんとクギを一切使わないで組み立てる様が見える。 その他いろいろ見所はあったのだが、きりが無いのでこれくらいで。以前にはなかった図録が作られているのが嬉しかった。 昼食を食べに三宮駅のガード下のこの店に来た。ワインバイキング900円というのに誘われてである。「アルバータ」という店でした。 カットステーキランチ(980円)とワインバンキング(900円) スペイン赤 ヴィニャ・ドリア 肉にはあった。これが1番美味しかったかもしれない。 スペイン白 ヴィニャ・ドリア ヴィラ・アレン種 サラダ(ブロッコリー)にあった。 南フランス赤 ジャンジャン・ジェンティモン・ルージュ 南フランスの代表的なテーブルワインらしい。カットステーキにもとってもあった。 ワインは9杯はお代わり(テイスティング^^;)したかな? これで合計2000円弱は安い!流石に神戸のワインは素晴らしい!もちろんこれはあくまでも「昼食」ですから、次の目的地市立博物館に向かったのでした。
2015年09月04日
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今年の夏休みの最大の旅は新神戸駅の近くに新築オープンした竹中工務店道具館に行くことでした(去年からの念願でした)。旅してから3週間以上経ったけど、やっと写真の整理が終わったのでアップします。 少し時間があったので、異人館の辺りを散歩。博物館フェチの私も流石にお金を出してまで異人館の中に入るつもりはなく(近代建築・遺物に興味ないんです)、例えば一般の家の塀に、このような装飾をしているのを楽しんだり、 モダン(死語)な通りの一角にある雨に濡れた不動尊を写したあとに、「写真は撮らないでください」という貼り紙を見つけて、何か写っちゃったかな?とメモリを覗いてみたり(右の白いモノがそれらしいといえば、それらしい?)、 一般の家のモダンな屋根を写してみたりしたのでした。 新築オープンの竹中工務店道具館は、新幹線新神戸駅を起点とすると、右が異人館通り、左に新館があります。駅の観光案内所で聞けば丁寧に教えてくれるのと同時に500円の入館料が400円になる割引券までくれるのでラッキーでした。新館はまるで何処かの社長の別宅みたいな造り。しかし、実は地下二階の見事な見応えのある博物館でした。以下私なりの「学習メモ」としての展示品紹介です。もちろんこの数十倍(数百倍?)の展示品と解説があることは言うまでもありません。 展示品は半分は以前の展示品を使い、半分は新しく作っている気がしました。縄文時代に先ず注目しているのは三内丸山遺跡の大型竪穴住居の作り方でした。石斧で加工された木材で、ここまでの家を建てることが出来る。一部「木組み」も使われているらしい。私は勘違いしていたかもしれません。ここまでになると、日本の縄文時代は、朝鮮半島の青銅器時代と遜色ないのではないか? 弥生時代のニュースは、道具館としては何よりも鉄器の登場に注目しています。考古博物館ではないので、実物ではなく、鉄器の復元がずらりと並ぶ。ここには、斧の他に、細部を加工するための鑿(のみ)、木の表面を削るヤリガンナなどが展示されていました(弥生時代)。これらによって、「継手仕口(つぎてしぐち)」を伴う倉庫や高殿、物見櫓などの様々な建物が建てられるようになったといます。 古墳時代になれば、さらに多種多様になります。岡山県金蔵山古墳(5C)では、保存性の高い大工道具が出土しているらしい。右上は金蔵山出土の鋸(ノコギリ)である。左上は錐(キリ)。左下はヤリガンナ。右下は弥生時代沼遺跡(岡山県)出土のヤリガンナ。いずれも復元。墨かけ道具を除く基本的な大工道具がほぼ出揃ったらしい。 平安時代の絵巻に描かれた大工道具を見ることで、形、用途、作業姿勢まで読み取ることが出来る。鑿で材を割り、材の表面をチョウナはつり、ヤリガンナで仕上げる。いわゆる「打ち割製材」の工程が確認できます。 昭和9年の法隆寺の修理の際に、解体された建築部材に工具の加工痕が発見された。それを元にチョウナ、鑿、ヤリガンナが復元されて、修理で使用されたらしい。 室町時代になると、打ち割製材に使うまっすぐなスギ・ヒノキなどの良材がなくなって2人で挽く縦挽き鋸「大鋸」が大陸から導入され、木目のねじれた松や堅いケヤキなどもも使えるようになった。これで、細く薄い材が多用されるようになり、障子や引き戸などの軽い建具の普及、和室の原型である書院造の成立に繋がっていく。安土桃山時代になれば1人挽きの「前挽き大鋸」も出てくる。 これは天保12年(1841)に京都伏見の桃山天満宮を建てた大工・坂田岩次郎が、社殿完成時に奉納した道具59点。1人の大工が持っていた道具一式が伝わるものとして貴重。 明治になると、ガラスやレンガなどを使い、ネジの使い方も普及する。よって、こういう西洋建物も建てられるようになった。以上が道具の歴史編です。
2015年09月03日
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30日の安保法制廃案、安倍政権退陣を求めた国会前12万人集会では、喉頭がん治療中の坂本龍一氏も、命を削って駆けつけた。 参加した学生は「いつか教科書にのる風景ですね」と言ったという。この日、東京だけでなく全国350カ所以上で集会やデモが開かれた。朝日新聞は岡山県は5カ所以下の県に分類していたが、私が知っているだけでも8カ所で行動が起きた。そして倉敷市でも、岡山市でも今までにない人たちが参加した。60年安保に匹敵するか、それ以上の運動が起きていることは間違いないだろう。 しかし、官邸は当然というか冷やかだ。官房長官は「安保法案の抗議行動は大きな誤解、残念」と言ったという。ただ、「徴兵制の復活」は誤解だと言いながら、「経済的徴兵制」については「よくわからない」と答弁を誤魔化した。 相変わらず二枚舌である。 首相周辺の一人も「デモに参加する若者は理想や建前に走り、現実を知らない。世界では戦争が起きている。日本が何もしないわけにはいかない」と言ったという。 しかし、世界では「OVERSEAs(安保法制に反対する海外在住者・関係者の会)」が発足し、瞬く間に900人を超えた。「何かあったら先ず狙われるのは、在外邦人の私たちだ」という。現実を知らないのは、どちらか?今年一月、首相の判断で2人の犠牲が出たばかりだ。 安保法制を廃案に持ち込むには、残念ながら選挙という手段は取れない。デモをして、世論調査で自民党が「このままでは次はなくなる」と思わせるまでに知らしめる他はない。だから、次の世論調査が決定的だ。 世論調査で、40%近くが安倍政権を支持しているのはなぜか? 戦争を起こそうと思っている人たちはほんの一握りだろう。「戦争は嫌だけど、安保法制は仕方ないんじゃないか、抑止力は必要なんじゃないか」という人たちがほとんどなのではないか。 その人たちに言いたい。 あなたたちはご存知ないとは思いますが、戦争したい一握りの人たちの力は強力です。 知らない間に戦争協力者になるのが現代です。何時の間にか、兵器の部品を作るかもしれない。兵器の部品を輸送するかもしれない。既に東芝は紛争地域の兵器の部品を作っている。民間協力という名で看護婦も派遣されるかもしれません。断ればいいか?その通りです。でも、いったん正規のルートを外れたら、真っ逆さまに落ちる雰囲気がその会社にあればどうなるか。 それに付け加えるならば、 「抑止力」にもならない。そういう主張をして、アメリカが戦争して来た地域はどうなったか?中東にしても、朝鮮半島にしても、アフリカにしても、半世紀以上ぶすぶすと戦争の火種が燃えている。民衆の力でアメリカに勝ったベトナムだけが、本当の平和を実現したのかもしれません。武力は憎しみの連鎖を煽るだけで、平和をもたらさないのです。 理想論だというかもしれませんが、9条による外交の力で、国際関係を築いていく方がはるかに現実的だとは思いませんか?今の安倍政権では無理です。真逆の発想しか出来ない人たちですから。でも、自民党の中にはそういう発想でずっと政治をして来た人が多くいます。結局は国民が「どちらの方向に 向くのか」が決定的なのです。 「戦争は嫌だけど、安保法制仕方ない」と思っているあなたたちに言います。 本当に戦争が嫌ならば、自分の子どもたちや孫のことを考えるならば、あの12万人集会が決定的だったと、将来教科書に載せるために、今意思表示をしませんか?
2015年09月02日
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報道からアベノミクス云々という言葉がなくなっている。政府は成果を威張らなくなった。それもそのはず、威張れるような成果はなにひとつ無いのだから。それどころか、早くストップをかけないと日本は遂に兵器産業が牽引して、戦争が無いとやっていけないような戦時経済になってしまう。ものすごく薄いけど、中味は濃い、アベノミクス批判の書を紹介する。 アベノミクスと暮らしのゆくえ [ 山家悠紀夫 ] 「アベノミクスと暮らしのゆくえ」山家悠紀夫 岩波ブックレット 昨年の10月に発行されたアベノミクス批判の書である。アベノミクスの「景気をよくしよう」とする「問題の立て方」そのものが既におかしいといい、「第一の矢(大胆な金融政策)」「第二の矢(機動的な財政政策)」の効果を検証して、決して成功しているわけではないことを明らかにする。 そして、やがて明らかになるはずの「第三の矢(民間投資を喚起する成長戦略)」がもたらす危険な内容を予言する。 問題の立て方。何よりもアベノミクスは、「経済の長期停滞」という認識があるだけで、(それさえも20年来という認識は間違っていて97年からなのだが)、その分析は全く行われていない。その処方箋もあらゆる経済学が混在している。 そうなると、三本の矢がとんでもないところに行くことは目に見えていて、そのことを具体的に記述していて説得力があった。 去年の今頃書いていて、それは今でも続いているのだが、この間に起こったことは、(1)企業は儲かるようになったが(2)働く人の賃金は下がり(3)正規雇用者は減少した。のである。よって需要はさらに落ち込み、日本経済は停滞から脱出出来ないどころか、さらに長引く。よって、「世界で1番企業が活動しやすい国」化のツケは、人々の暮らしに、そして日本経済全般にかかってくるだろう。この本の「予言」は今のところ、当たっている(と、書いたその日にGDPのマイナス1.6%という発表があった。目標のプラス2.0%は何処へ行ったんでしょうね)。 著者の処方箋は、だからアベノミクスと反対のことをするべきだということになる。しかし、そのためには「政治」が変わる必要があるので、ここでは詳しく書かない。 2015年8月18日読了
2015年09月01日
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