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弧文円板(復元)。纏向石塚古墳(3c)出土。みてわかるように、特殊器台の模様である。 纏向弁天塚古墳(3C)の特殊器台。見事だ。吉備の工人がこちらに来たのか。それとも吉備で学んだのか。 この前急いでみたので、今回初めてじっくり見た気がする。これが日本史解明の大きなカギを握る箸墓古墳から拾って来た、特殊埴輪の破片である。ビックリした。器台とは書いていなかった。埴輪なのだ。とにかくこれを「拾って来た」おかげで、箸墓古墳の時代がわかったのだからかなり貴重なのだ。 だとすると、楯築から箸墓まで50-80年ぐらいしかないのか。楯築の王が亡くなって、箸墓古墳が出来て曲がりなりにも大和に倭国を代表する王の墓が出来たその時までに、一〜ニ世代分の時間しかないのだ。そうか、やはり埴輪なのだ。しかし、特殊器台の終わりからすぐあとの世代だ。 メスリ山古墳(4C)の埴輪の実物である。やはり大きい。古墳の後円部中央にある二つの竪穴式石室の上部を長方形に取り囲む形で、大型の円筒埴輪と高杯型埴輪と円筒埴輪が二重に巡っていたらしい。最も大きな埴輪は、石室の両端の位置にあり、高さが2.4メートル。日本最大らしい。「王よ、私はこんなにも大きな埴輪を作ることに成功しました」「そうか、それならば今度のワシの墓に使おう」。そういう会話が聴こえるようだ。 (追記)昨日の記事をFacebookで公開すると、「このような大きな円筒埴輪があるのを見ていると、もっともっと大きな埴輪を作ってみようと思わなかったかな?って考えちゃいますね!!」と感想が届いた。しかし、仁徳天皇陵(仮称)の例から見ても分かるように、人間はある程度の大きさを極めると、あとは小さい方向、複雑系に向かっていくらしい。埴輪がどんどん形象化して行ったのは、そのせいかもしれない。ただ、日本人はともかく大きいのが好きで、スカイツリーで騒ぐのもそのせいだろう。そろそろあんなのは止めた方がいい。 大型埴輪の作成実験もしていた。形を作るのに一ヶ月。さらにその場所でゆっくり乾燥させ、埴輪の周囲を粘土でかこみ窯を作り、焼き上げるまで8ヶ月かかったらしい。楯築の実験は野焼きだった。こちらの方がはるかに大掛かりだが、大きく上手く作れるのは確かなのだろう。王の権力がそれだけ増大している。その力は何だったのか?鉄か?しかし吉備も鉄は輸入していたはずだ。倭国統一を果たしたあとに、大和はいったい何が変わったのか?わからない。 メスリ山古墳。長さ236メートルの前方後円墳で、代表的な前期古墳。後円部の頂上に約8メートルの竪穴式石室があり、これは既に盗掘にあっていたが、その東側の高杯型埴輪の下にも副葬品のみの石室(副室)があり、玉状や鉄製弓矢、200本を越す鉄製槍先、236本の銅鏃、鉄製農耕具などが納められ、まさに武器庫のようであったという。つまり、平和理のうちに始まった大和王権は、すぐに武力王権に変貌したというのだろうか。わからない。 これは太安万侶(古事記などを編纂)の墓誌。ビックリするのは、あれ程の歴史家が自らの人生を一切語らずに、身分と没年のことしか書いていなかったこと。そのおかげで、養老7年という彼の没年がわかり、実在の人物であったことがわかった。しかし中国の有名人などと比べるとあまりにもあっさりしている。 博物館を出て駅に向かう。途中、橿原神宮の鳥居を横目で見る。そう言えば、この辺りは何度も歩いたのに、橿原神宮に参ったことは一度もなかった。ここは神武天皇を祀っているところだと初めて知った。来年は(戦前かよと突っ込みたくなるような)「二千六百年大祭」があるらしい。 橿原神宮駅で埴輪饅頭なるものを買った。ここまで午前中に歩いた歩数は約2万6千歩。いやあ、歩いた、歩いた。 というわけで、近鉄奈良駅で降りて本来の目的であった平和委員会全国定期大会に参加したのでした。(続く)
2015年07月31日
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甘樫丘周辺から畝傍山のふもとの橿原考古博物館に歩いて到着したのは10時半ごろだった。予定よりも少し遅れた。これは修羅石である。古代7不思議というのがあるかどうかは知らないが、研究者の間では、熊本阿蘇山の遠くから古墳に使った巨石を運んだことは知られていたが、それがどうやって運ばれたのかは詳細はわからなかった。それで昭和53年、藤井寺市で朝日新聞社と朝日放送とが主催して復元修羅の牽引実験が行われた。その重量14トン。実際にこういう形で運んだことが証明されたし、使われた延べ人数がわかることで、当時の権力者の力が数字として出すことができるようになっただろう。 博物館館内に入った。前回までは飛鳥時代主に6ー7世紀の世界を想像していたのだが、これからは一挙に時代を遡って縄文時代から弥生時代、そして古墳時代の初めの頃にタイムトリップします。玄関前にあるのは、古墳時代初めの頃の象徴的なオブジェです。橿原考古博物館は、珍しく展示物によって、撮影OKなのと、ダメなのと分けている。しかし、おかげで堂々と写真を撮ることができた。助かる。これは桜井市メスリ山古墳の円筒埴輪(復元)である。箸墓古墳の次の世代の王だといわれている。見てわかるように、弥生の吉備の楯築遺跡から発達した特殊器台の名残りを持っている。しかし明確に円筒埴輪に移行しているのと、これはビックリしたのだが、こんなにも大きかったのか!ということ。それも一つではないのだ。百幾つもこれがずらっと並んでいたのである。この世のものとは思えないお墓が演出されたのではないか。 これは橿原市の観音寺本馬遺跡(縄文晩期)土壙墓から出土した埋葬人骨。屈葬だったこと、165センチと比較的背が高かったこと。などが特徴。 この地域から出土した縄文の土偶。すべて壊されて埋納されている。当然なんらかの儀式の必要があってそうしているのだ。最近気がついたのだが、現代人は土人形を壊すのも単なる「儀式」としか思わない。しかし、縄文人や弥生人は違う。明確に呪術的な「力」を信じていただろう。壊す前の土偶には、明確に「人」かそれに連なる「何か」が入っていたに違いない。そう思うと、この小さな土塊の一つ一つがとても生々しく見えてくる。 この部屋の中央には弥生時代のジオラマ(立体模型)が展開されている。一般的にジオラマはその時々の研究成果の集約的表現なので、着物の帯一つさえ参考になる。橿原の弥生人は、流石に都会人っぽい格好をしている。 弥生人の戦いの装束らしい。中国や朝鮮では、既に鎧は開発されているが、倭国では、その必要はなかったのだろうか。 戦争用の弓ではなく、短弓であることに注目。大きい矢じりはあまり出土していないのかもしれない。 弥生時代の武器である。軽々しくいえば、全体的に貧弱である。 弥生時代の舟。五人乗り。木材のくり抜きであって、構造船ではない。川を下って、高速交通、近海の魚獲りぐらいには使えたかもしれない。 ここまでは弥生時代。しかし、大和の考古学のすごいのは、弥生から古墳時代に移る時の決定的な遺物が豊富にあるところなのだ。(続く)
2015年07月30日
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6月に歩いた奈良の遺跡めぐりの続きです。水落遺跡から日本最古の仏像がおわします飛鳥寺はすぐそこ。歩いていく途中景観を守るためか、新築の建物が一切なかった。三階以上の建物を立てる時は、この地域ならばおそらくことごとく発掘対象地域になることが一つ。それとおそらく倉敷市美観地区もあるように、景観保全条例みたいなものがあるのではないか。これは長屋みたいな建物を改良して喫茶店にしていた。昔懐かしいマキストーブを入り口に置いている。 飛鳥寺は推古天皇元年(593)に起工し、推古4年に建物完成、14年に仏像安置したらしい(「日本書紀」)。建久7年(1196)に消失。止利仏師の作と伝える重要文化財の金銅丈六仏(飛鳥大仏)だけが残った。是非久しぶりにみたかったのだが、9時にならないと開かないという。まだ30分ある。そんな時間を無駄にするわけはいかない。諦める。後ろの山は甘樫丘(あまかしのおか)である。 その西側に蘇我入鹿の首塚というのがあった。逆賊として討ち取られた人が、首塚とはいえ、実家のすぐそばに祀られているという日本人の不思議がここにある。滅び去るものへの共感。この日は田植えの直前だった。甘樫丘の影が田んぼの水面に映っている。 甘樫丘と飛鳥寺の間に飛鳥川が流れている。その川沿いに弥勒石と呼ばれている石柱状の巨石があり、地元の人が祠を建てて丁寧に祀っていた。この地域には飛鳥時代の不思議な石仏が多く残っているが、そのうちの一つだろうと思われている。弥勒石を拝むと下半身の病気が治るという言い伝えがあるらしく、「ミロクさん」と慕われているらしい。祠の周りには、おびただしいほどの足袋や草履が奉納されていた。 ここまで来て甘樫丘(あまかしのおか)に登らないわけにはいかない。日本書紀などにその名が見られ、古代の重要な丘の一つであった。蘇我蝦夷や入鹿親子の大邸宅があった場所だとも言われている。登ってみて、一等地であることはすぐに知れる。熟年カップルが座っている先に見える二つの山は左が畝傍山、右が耳成山である。当然その大和三山の中央に位置する藤原京は眼下に見えたであろうし、遠くに生駒山、二上山、葛城山なども見えたはずなのだが、霞んでいるのと、教養がないために今ひとつわからなかった。 この丘には、万葉の植物路として、番号のついた樹木がある。そこに万葉の歌などが載っていて、樹木の名前を当ててくださいとある。バーコードで読み取るとヒントが出てくる。例えば以下のようである。 南淵(みなぶち)の 細川山に 立つ檀 弓束纒(ゆづかま)くまで 人に知らえじ (万葉集 7-1330) 【現代語訳】 南淵(明日香村稲淵)の細川山に 立っている( )の木(弓を作るのに用いた。)のように 弓に握りの革を巻きつけるまで(二人で相逢うまで)人に知られないようにしよう。 つまり、檀の木とは、何の木か答えよというのである。三つぐらいバーコードかざしたが、さっぱりわからなかった。「檀の木」って他に言い方があるの? 黒檀とかの高級樹木ですよね。調べたら、「まゆみ」という言い方があるらしい。でもこれも古語ですよね。こんな風に樹木の名前を覚えながら、散歩するのは最高の贅沢のような気がする。朝の9時ごろ、定年過ぎの人たちがたくさん散歩に来ていた。園路全長2.3キロ。 甘樫丘を降りた。これから急いで畝傍山の麓にある橿原考古博物館まで行かなくてはならない。もしかして、と思いバス便を探して大きい道に出ると、水落遺跡の横にある埋蔵文化資料館が目についた。さっき行ったときは8時前だったので、まだ開館前だった。9時を過ぎて開いている。ふらふらと入ってゆく。いろんな遺物が展示されていたのだが、写真はこれしかない。ボランティアガイドが熱心に説明しにくるので、写真を撮り損ねたのが一つ。もう一つは、ここの展示はほとんど飛鳥時代のもの、食指が湧かなかったのである。縄文、弥生、古墳時代の遺跡数の説明版があった。 「弥生時代の遺跡が少ないですね」とボランティアガイドに聴いてみる。 「ここは、主に飛鳥時代の遺跡を中心に掘っているから、発掘は飛鳥時代で止めているのがほとんどなんだよ」 やっぱり聞いてみるものだ。驚きの答えが返ってきた。つまり、この地域では発掘は飛鳥時代で止めていて、もし弥生時代の重要な遺構があっても発掘されないままになっているのである。これでは、なぜ弥生から古墳時代にかけて、この地域が急激に倭国の中心地になったのか、わからない可能性があるではないか。桜井市だけが弥生時代の重要な遺跡があるわけではないのかもしれないのだ。この一言がこの資料館の1番の収穫だった。 結局適当なバスはなかった。歩いて橿原考古博物館目指して、畝傍山の方向へ歩いていった。 (橿原考古博物館編に続く)
2015年07月29日
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6月に平和委員会全国大会で奈良に行った。財政難の岡山から行くので当然全部自腹である。それならば、というか、それだから、というべきか、これを旅をする機会ととらえて午後からの会議までの午前中は久しぶりに奈良の遺跡巡りをすることにした。出来るだけ時間を確保するために、前泊(前日夜遅くホテル泊)して、斑鳩周辺を歩くことに決めた。やっと写真の整理が終わりました。173の写真を撮ったけど、それを全部載せるわけにはいかない。選び出すと、それだけで時間がかかる。それでこんなにも間が空いてしまいました。 何処を歩くか。かなり迷った。決め手は博物館である。なぜなら、私の旅から弥生時代を外すわけにはいかないからである。弥生の遺物は残念ながら、博物館にしかない。そうなると、桜井展示資料館か、橿原考古学博物館しかあり得ない。。どちらも行ったことがある。どちらが魅力的か。ホームページを見てどちらもたいした特別展をしていなかった。どちらの周辺も何度も歩いたところだ。でも当て所なく歩けば必ず何かしらの発見をする自信は持っていた。歴史的地域というのは、それほどにも情報の宝庫なのである。 博物館が充実していて、(飛鳥時代だけど)遺跡の密集している橿原駅前のホテルに泊まることにした。 当日の朝はなんとか雨は止んでいた。博物館が開くまでの約3時間、朝6時過ぎにホテルを 出る。ガストでモーニングを食べて、近鉄吉野線沿いに歩いて橿原神宮東口辺りから東に折れる。 孝元天皇陵が右手に見える。石川池に綺麗に姿が映っている。濠を持つのは確かに天皇陵の証しではある。古墳後期。既に天皇陵といえども大型古墳は作らなくなった時期である。しかし、本当に天皇陵かどうかは発掘できていないので確かではない。 元田んぼだった処を埋めたてた住宅地を過ぎると、甘樫丘丘陵の北側は突然古い家々が建ち並ぶ。豊浦地区。酒屋の屋根の形は、この地域に特長的な切妻造り。屋根が反るのは雪が多い処によくある、と左官の棟梁に聞いたことがある。 豊浦駐車場に古宮遺跡のボロボロになった看板があった。一時期、推古天皇の都の小墾田(おはりだ)宮推定地ということで有名だったが、更に東に確定地が現れたとのこと。此処はどうも蘇我氏の庭園だった可能性がある。 ここからはいままで歩いて来た方向、橿原神宮の方に畝傍山が見える。 北側に形の良い耳成山。 北東部に形の悪い香具山。私には教養がないので、この有名な山々を歌った歌を紹介することは出来ない。けれども、ビルのほとんどないこの風景は、かなり古代の風景に近づいていて、蘇我氏がこの山々を見ながら、大和の地で日本国政治史の少年期を過ごしていたと想像は出来る。少し感慨深いものがあった。 この地域の張り紙にこういうのがあった。「盟神探湯神事(くがたちしんじ)」。甘樫丘陵の北側にある甘樫坐神社でするパフォーマンス。「熱湯に手を入れて火傷をすれば有罪」という、古代の裁判らしい。こういう住民掲示板にこんな「お知らせ」があること自体、全国的に珍しいと思う。 お地蔵さま。去年の8月23日が地蔵尊のお祭りだったようだ。表情が心なしか、他の地域の地蔵様よりも品があって仏像に近い気がする。 更に東に20mほど歩くと、雷丘という小山があった。 「大君は神にしませば天雲の雷の上に庵りせるかも」 と、説明板に書いていた。柿本人麻呂が「(天武)天皇、雷丘に出でます時」作ったと言われている歌である。「日本書記」などに雷神の降臨する説話を伝える「聖なる丘」であったらしい。このことが先ずあってこの歌が出来たのだろう。なぜここが「聖なる丘」になったか。最近になってここから東に降りた処が推古天皇の小墾田(おはりだ)宮に確定したので、あゝなるほどという感じ。日常的に「国見行事(国民を気にしているという形を見せて、民衆支配の広報活動とする行為)」をするには、とても都合の良い小山。当然、そこからは畝傍、耳成、香具の三山もよく見えたことだろう。 そこから南に100メートルほど歩いた処に、石神遺跡を説明する石盤があった。ちょっと読んでみる。 「(略)明治時代に須弥山石・石人像が出土し注目された。昭和56年以降継続的に調査が行われ、飛鳥時代の斉明天皇(655-667)のころを中心に各時代の遺構が複雑に重なっていることが明らかになっている。(略)西側は厠つきの大規模建物が見つかり、日常的な空間として利用されていたと考えられる。通路によって、南の水落遺跡とつながる。(略)石神遺跡は斉明朝の饗宴施設の一部と考えられている。」 西側北寄りの遺構があったであろう田んぼの景色を眺める。 水落遺跡跡である。水が落ちるの利用した時計の施設があった。 其処にネジバナが群生していた。
2015年07月28日
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今日は平和行進でした。東京から広島まで歩く平和行進は、ある人には五月の五月晴れのイメージかもしれないし、ある人には雨の日の行進かもしれないが、私にとってはいつも梅雨が明けたばかりの酷暑の中の行進です。今年は岡山入りをした次の日に台風が直撃して、私の経験では初めて平和行進一日飛んでしまいましたが、それからあとはジリジリ焼け付く行進になったようです。 今日は岡山最後の日、笠岡から広島県境まで歩きます。私のお気に入りのコースでもあります。 出発集会。ここの自治体あいさつは副市長ではあるけど、お仕着せではなく、いつも実感込めた自分の言葉であいさつします。 今年の海外代表リレー行進で、アメリカから来たメアリーが歩いています。美人で、みんなに可愛がられています。広島で数年間学生をしていたことがあったらしく、少し日本語が出来る。 このコースが好きなのは、途中古い民家が多くて、これで4ー5回目の行進なのですが、毎回なんらかの発見がある。それから、城見小学校でのソーメンの接待とかがいつも楽しみ。城見幼稚園の可愛いお出迎えは、今日が日曜日だったためにありませんでした(;_;)。 東京からの通し行進者に83歳の山口さんがいて、民放労連出身ということもあって、ずっとドキュメンタリーのカメラが追っています。カメラマンの佐藤さんに毎日何分ぐらいフィルムにおさめているのか聞きました。 「2ー3時間分ぐらいかな」 「東京からずっとならば、膨大な量になると思うけど、それを何分にまとめるんですか?」 「40分だよ」 「!!!2時間じゃなくて?それは大変ですね」 「大変なんだよ」 このドキュメンタリー、楽しみです(^-^)/ちなみに、今日半日の歩数は、20597歩でした。
2015年07月26日
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「ビック・イシュー266号」ゲット。販売者さんは最近は元気らしい。「やはり販売場所の近くに住むことができるようになったのが大きいです。前は40分かけて、荷物を引いてここまで歩いてきていたけど、今は10分ですから。疲れた方が全然違います」とのこと。反対にいえば、疲労でよく休んでいたということになる。なんか、深刻な持病があるのではないか?かえって心配。 特集の「木の都市へ ウッドファーストの世界」が1番面白かった。以前「里山資本主義」という新書の中でも語られていたが、いろんなところでエコで次世代エネルギーとして有力で鉄と代替可能(な部分もある)木材の技術革新が進められて居ることがわかった。 そもそも需要の7割を海外に頼っている日本が、自給など可能なの? 佐々木康寿名古屋大学教授「もちろんです。それどころか、日本の山全体でみても、適切に管理していけば、おおまかにいって、この先100年以上、私たちがいまのペースでふんだんに木材を消費し続けられるほどの消費資源量が蓄積されているんです」 要は山の管理、加工技術、流通ルート、消費者たちの意識改革、若木の育成への循環が必要というわけだ。でも、なんか夢がある。
2015年07月25日
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17日に行われたSEALDs呼びかけの国会前緊急行動での渡辺治さんのスピーチを紹介します。 3回に分けて戦争法の問題点を述べた。これからどうするのか。現代日本の知性、渡辺治が「4つの爆弾を爆発させよう」と言っている。 あともう少しだ。彼らが暑くて暑くて生きていけないほどの運動をつくろう。 みなさん、こんばんは。学者の会の呼びかけ人のひとりである渡辺治です。よろしくお願いします。今日はみなさんに、ぜひとも 1つお話をしたいことがあって来ました。それはこの憲法に違反する戦争法案、衆議院で強行採決をされましたが、本当に廃案にするにはどうしたらいいのか。本当に廃案にできるのか。このことについて考えてみたいと思います。 みなさんの中には、怒りでここに結集した、そして同時に、こんな衆議院の強行採決で国民の声も聴かないような安倍政権のやり方では、もしかしたら戦争法案、強行採決されるんじゃないか。そういう焦りもあるかもしれません。でもまず第1に言いたいことは、焦っているのは私たちより安倍政権です。安倍政権は私たちの運動の中で、2つの大きなミスを犯しました。 1つ。意外かもしれませんが、国会の会期を 8 月の初旬に終わらせたいはずだったのに、なんと国会の会期を 95日も延長せざるを得なかったこと。これは私たちの闘いの中で 6 月 4 日に憲法審査会で 3人の憲法学者が意見を言ってしまう。こういうようなことの中で、国会を 8 月初旬に閉じるなんてことはとてもできない。だから絶対に安全を期すために、なんと9月27日まで延ばさざるを得なかった。 それからもう1つ。意外かもしれないが、強行採決は本当は彼らもしたくなかった。そんなことをやれば国民がさらにこの戦争法案をどう見るかわかっているから、彼らだってやりたくなかった。それをやらないと間に合わない状況をつくった。この2つの誤算が安倍内閣を大きく縛っていると私は思います。 なぜ8月に国会を閉じたかったのか。そのことが一番問題です。8月になると、もし国会が開かれていると、戦争法案という大きな害悪に加えて、3つの爆弾が出てきます。1つは何か。8月の中旬に間違いなく川内原発の再稼働が行われます。安倍は絶対にこの川内原発の第1号機の再稼働を実現したい。大国をつくるために、強い大企業本位の国をつくるために、戦争法案と並んで、彼がどんなに国民の反対を受けても、川内原発をまず再稼働したい。これが8月の初めにあります。 続いて、8月の 10 日過ぎには、安倍がこれまた執着している戦後70年についての談話があります。これも安倍は自分の命をかけて発表したい。そこでは、戦前の日本の侵略戦争と植民地支配を絶対にお詫びしない。それから絶対に謝罪をしない。そうしなければ、これから日本の国を支える若者たちが、この国に誇りを持てないと彼は思っている。馬鹿げたことだ。戦後70年の談話は彼は絶対に出す。しかし中国や韓国だけではなくて、この私たち国民の中からも確実に反発が起こる。これが2つ目の爆弾です。 3番目の爆弾は、辺野古の新基地について、前知事が許可をした埋め立て許可を拒否すると、その決定を翁長さんは8月にやると言っている。この原発、戦後の歴史問題の修正、植民地支配を反省しないで居直る。そして普天間の基地を強行する。辺野古の基地を強行する。 この3つのことは、戦争法案がなくても大きな爆弾であり、安倍内閣の命を吹っ飛ばすような、私たちにとって重大な課題。これがなんと 8月に出てくるんです。彼は 8 月の初旬に国会を閉めて、心静かにゴルフをしたかった。ところがこの運動がそのことを許さなかった。9月27日まで、つまり8月の間中、国会の中でまさに原発の問題と、辺野古の問題と、戦後70年の問題を大いに議論する。戦争法案と合わせて、4つの爆弾を彼は抱えている。 もちろん私たちが寝ていたら、この爆弾は爆発しない。しかし私たちがこの闘いを大きくすることによって、確実に安倍政権のこの 4つの爆弾で、安倍政権の命運を左右することができる。これが戦争法案をなくす唯一最大の道です。 みなさん、じゃあいったいこの 4つの爆弾を爆発させるために、私たち・君たちは何をやったらいいのか。これについて話をしたい。もちろん毎週金曜日ここに来る。これは前提です。だけどこれだけでは不十分だ。大きな闘いをやるには、これだけでは不十分だ。私も大学で教えていました。 今、夏学期の試験、あるいは始まるところです。学生みんな来てるんです。そこのところで、まず集会が終わったら学園に帰って、そこで 1人でも多く友だちを見つける。そして戦争法案がいかに悪いかということを話して、ここに連れてくる。そしてもっと余力があったら、学習会を開いて、シンポジウムを開いて、大学の中で戦争法案について議論する。 僕らは喜んで行きます。学者の会は、伊達にあるんじゃない。多くの学生を呼びたい。少なくてもいい。だけど学者の会に声をかけてほしい。僕は九条の会もやっています。九条の会にも声をかけてほしい。みんな行きたい。そういうふうに思っている。ぜひとも学園に帰ってほしい。それが1つ。 もう1つ。もしかしたら夏休みに、地域に帰るかもしれない。郷里に帰るかもしれない。恥ずかしがることはない。絶対に帰るべきだ。そして地域の中で、学生諸君は、必ず地域の中で起きている運動に参加してほしい。なぜならば、九条の会は全国に7500あります。 7500 あって10年以上頑張っています。最大の弱点。中高年なんです。僕と同じ、おじさんおばさんが必死に頑張っている。だから君らは、地域に帰って、必ず君らの地域に九条の会はある。必ず地域で戦争法案反対の取り組みがある。ここに行って訴えてほしい。自分たちはこういうことを国会の前でやっているんだ。ともに闘おう、とぜひ言ってほしい。これは地域の人びとに、すごく大きな元気を与えます。 これから暑い夏が来ます。安倍さんはこう思っていると思います。このような強行採決の後の集会も、今は盛り上がっているけれども、そのうち常連ばかりが集まって、静かな国会がやってくるだろう。彼はそれを切望しています。こんなことは許せない。こんなことは絶対に許せない。じゃあどうするか。それは私たちが、安倍さんが嫌がるようなそういう暑い夏に、もう嫌で嫌でしょうがない、生きていられない。そういう夏にしようじゃありませんか。 私たちの熱気で、怒りの熱気で、暑い夏をつくり出しましょう。 この夏が勝負です。この夏は、戦争法案をとおして、国を戦争する国、70年の歴史を変えるのか、それとも戦争する国を阻んで、私たちの国をアジアに広げていくのか、そういう正念場が今来ています。この夏をもっともっと暑い夏にするために、ともに頑張りましょう。
2015年07月24日
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今日のテーマを一回で済ませるのは、実は暴挙である。私がネットを始めた昔から、延々「そのエネルギーどこから来るの?」というくらい長い長いコメント応酬が続いていたのを何度も何度も見たからである。 しかしあえて取り上げるのは、違憲だと本心では思っていようが、強行採決だと本心では認めていながらも、安倍首相を支持し続ける人たちの(おそらく)最大の理由は、「国際情勢が逼迫している」という危機感があるのであって、そのことの解消なしには彼らは決して安倍首相支持、安保法制支持をやめないだろう。と思うからである。 私は蟻地獄には入らない。尖閣諸島がいかに危険な状態にあるかとか、中国・北朝鮮が何を狙っているかとか、そのためにはどんな軍事上の備えが必要で、法整備が必要とか、安倍首相のいう「国際情勢」とネットウヨ(仮名)さんのいう「国際情勢」は全く違うものだ、とかいう論議には入り込まない。 それよりも、その前提になる論議が必要だと思うからである。 国会で「強行採決」のあった7月15日、大阪梅田ヨドバシカメラ前でシールズの寺田ともかさん(21歳)が演説をした。その一部を抜粋する。 先日、安倍首相は、インターネット番組の中で、こういう例を上げていました。 『喧嘩が強くて、いつも自分を守ってくれている友達の麻生くんが、いきなり不良に殴りかかられた時には、一緒に反撃するのは当たり前ですよね』 って。ぞーっとしました。 この例えを用いるのであれば、この話の続きはどうなるのでしょう。友達が殴りかかられたからと、一緒に不良に反撃をすれば、不良はもっと多くの仲間を連れて攻撃をしてくるでしょう。そして暴力の連鎖が生まれ、不必要に周りを巻き込み、関係のない人まで命を落とすことになります。 この例えを用いるのであれば、正解はこうではないでしょうか。 なぜ彼らが不良にならなければならなかったのか。 そして、なぜ友達の麻生くんに殴りかかるような真似をしたのか。 その背景を知りたいと検証し、暴力の連鎖を防ぐために、国が壊れる社会の構造を変えること。 これが国の果たすべき役割です。 ちょっと話を単純化し過ぎると思うでしょうか?でも、先ず単純化して、わかりやすい言葉で、マスコミを総動員して、不安情報を大量に垂れ流して、危機感を煽っているのは安倍首相たちの方です。 私のいいたいのは、こういう国のあり方を変える法律を作る前には、政府は「戸締まり論」などの軍事戦術の前に、軍事戦略いや外交戦略を明らかにした上で提案すべきだと言うことです。 集団的自衛権を行使する国になるというのは、非常に重い決断です。敵国は日本を明確に敵国として認識するということなのである。では、日本にその覚悟があるのか。仮に中国が相手だったとすると、中国在住の日本人の生命も保障されなくなる。もし、行使するのなら、どういう戦略を立てるのか。日本と地域の平和にとって大事なのはなんなのか。しかし、今まで出た「報告書」はそういうことを検討した形跡が一切ない。ある日突然アメリカが攻撃を受ける、という想定しかないのである。 よくネットウヨ(仮名)さんは、左翼は「お花畑にいる」という。自分たちは現実的だと自負しているのだろう。しかし私から見れば彼らこそ空想的好戦主義者だと言いたい。 「憲法9条の軍事戦略」(松竹伸幸)を読んで、私は初めて実際1957年に決定された「国防の基本方針」を知った。なんと、この58年間日本は無為無策といっていい「国防戦略」しか持っていない。 その「基本方針」とは、「日本は自衛のための防衛力をもつ」という。しかし一方で、「侵略に対しては」日米安保で対処するというのである。少なくとも文面上、侵略された際に日本が何をやるのかという問題は、一言もふられていない。自衛隊の役割を検討しないまま、ただアメリカに頼るという表明が「国防の基本方針」の真髄だったのである。(44p) そんなバカな、と思うならば、例えばもっと長い文章の「国防白書」でも紐解いてみればいい。尖閣諸島をいかに防衛するか、ということは最近書き始めたかもしれないが、その時中国在住の日本国民をいかに守るか、いかに平和理に着地させるかなどの「方針」は一切書かれていないだろう。 それもそのはず。すべて「アメリカまかせ」なのだから。 マスコミの情報垂れ流しのの中で隠れて見えないかもしれないが、もっと「現実的な」戦略は検討されている。 既に日本を含む23カ国が平和原則を掲げて作られている東南アジア諸国連合、姜尚中さんたちの提唱する「北東アジア共同体」、韓国の主導する「北東アジア平和協力構想」、日本共産党の提唱する「北東アジア平和協力構想」等々である。そこには、アメリカがどういう態度をとろうと、主体的に平和を勝ち取る道筋のヒントがあるだろう。 あゝ私の文章力がないから、こんなことを書いても安倍支持派が趣旨変えするとは思っていない。そもそもこんなことを、ネットで説得するのがムリだと思う。 出来たら、ネット空間で議論をせずに、街に出て議論をして欲しい。いまならば、護憲派はいろんなところに出没していると思う。
2015年07月23日
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前回どう「かみ合わなかった」のか。もう少し詳しくみて行こう、と書いた。 これは朝日が19日にまとめた「かみ合わなかった質疑応答の論点」である。国会質疑の全部じゃない(と思う)。少なくともPKO改悪法や、首相の先の大戦に対する歴史認識とかの重要な論点については書かれていない。しかし、これだけでも到底衆議院通過出来るような法案ではなかったことが分かる。 先ずは、「安保法制は憲法違反ではない」と主張する政府の「これまでの憲法解釈と全然変わりない」としている根拠の主な論点の二つが、何れも既に論破されているということを指摘しておきたい。 一つは、1959年の砂川事件最高裁判決が、集団的自衛権行使の「合憲性」の「根拠」になるとしていること。 いま一つは、1972年に国会に提出された政府見解「集団的自衛権と憲法との関係」が示した「基本的な論理」は変更しておらず、「これまでの政府の憲法解釈との論理的整合性および法的安定性は保たれている」としていること。 しかし、砂川裁判は集団的自衛権については一切争っていない。そのことは現内閣の横畠裕介法制局長官も国会審議で認めてしまった。 1972年の政府見解はどうか。これはまさに当時の政府が集団的自衛権は憲法違反であることを文書として明らかにしたもので、違憲であることの根拠になることはあれど、その反対はないのだ。 最近安倍首相は集団的自衛権を火事に喩えたが、それは既に首相側近が女子高生にツイッターで論破された論理だった。 集団的自衛権は違憲である。よって、それを展開している安保法制も違憲である。しかし、政府は「ウソも百万べん言えばホントになる」というナチスのやり方を忠実に真似ている。そのために、首相になって直ぐに、1ー2年間毎日のようにマスコミ関係者と会食を重ねてきたのである。首相は○○だが、ブレーンは賢いと、私はつくづくと思う。 「合憲学者は多くいる」という答弁の意味は、その後名前が出てくた「3人」という意味だったのか。それとも、マスコミアンケートで明らかになった(詳しく思い出せないが)「ほんの数%」という意味だったのか。いずれにせよ、朝日新聞は「かみ合わなかった」と書いているが、実際は「違憲であることが明らかになった」のである。 その下の具体的な法案の審議の「かみ合わなかった部分」を見て欲しい。 「あらかじめ言えない」「(政府が)客観的、合理的に判断する」「我々が主体的に判断する」「戦闘行為がないと見込まれる場合」 つまりは、すべて「政府の判断まかせ」なのである。これほどまでに「信用できない政府」がこれほどまでに「我々を信用してくれ」と、言っている「だけ」の法案は珍しい。 「政府は必ず嘘をつく」と言ったのは、堤未果さんの著作の題名である。これは人類の歴史の教訓でもある。だからこそ、近代国家は立憲主義をとり、政府の暴走を抑止するための仕組みを作った。それでも機能し切れないから、堤さんがアメリカの教訓をもとに警笛を鳴らし続けているのだし、アメリカのポチたる日本国首相たちは、前回の失敗から学んで現在巧妙に暴走を始めている。 自民党支持者の中には、安倍首相を信頼したいという気持ちが一定程度強いと思う。特徴的なのは、彼らは自らを「孤立している」と思っていることだ。「マスコミは執拗に安倍首相を攻撃する」「プロ市民はアベとか、カタカナで呼び捨てする」。しかし、彼らが孤立していないのは、客観的事実である。それはこれほどまでに失点を重ねているのに、未だ30%台の内閣支持率がある(4000万人近く?)ことでもわかるし、NHK、フジサンケイ、BS日テレなどのお友達マスコミも健在だ。ただ、彼らは横のつながりは薄い。それが、そういう感想を持たせているのだと思う。それは「反アベ政治」で動いている自覚的な市民たちも同様だ。ただ、今回は危機感の現れで、アベ支持者たちよりも若干早く横のつながりを持ち始めている。 加藤周一はそれを戦略的に進めようとした。しかし、それを展開することはこの小論の役割ではない。 彼らが横でつながって、アベ政治の議論を始めたら、かえってアベ政治には脅威になるかもしれない。それは、「戸締り論」に代表される、彼らの共通認識の論理の希薄性が暴露されるかもしれないからである。 そのことの展開は次回にしたい。
2015年07月22日
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この前、私のTwitterもめでたく5000ツイートを超えました。そのちょうど前後で、めったにない揶揄が入ってきたので、ちょっと解説します。 あっ、写真は平和行進の時に貰ったポスターを家の前に貼ってみました(^-^)/ まずは制服向上委員会の7月15日の公式Twitterによる呟きから始まります。 @ski_official: 『強行採決反対 国会正門前大集会』に私たち制服向上委員会も参加させていただきます!与党のみで単独採決。国民の八割が説明不足と言っている状況で採決なんておかしい!国民が納得してからにしてほしいです。 なので諦めず戦争法案絶対反対を訴えていきます! 制服向上委員会 西野莉奈 (補足)制服向上委員会の皆さんが、自覚的に集会に参加したり発言したりしているのは、前回記事で書いた。それがあるから、以下のような励ましのツイートをしたのですが、それがどっかのネットウヨ(仮名)さんの癇に障ったらしいです。 (コレ私です) @KUMA0504: @ski_official @kijitora0510 委員長が約束していた資料の提出も結局なくて、強行に審議打ち切り。こういうのを強行採決という。「バックにオトナがいる」とかいつものバカな揶揄を気にせず、頑張りましょう! (補足)強行採決の直前、焦点になっていたのはイラク自衛隊派遣時の実態を書いた資料だったのですが、出てきたのは「黒塗り」でした。PKO法が改悪されようとしている時、現行法でもどんな危険があったのかどうかを確かめようとして、更に資料提出を求めたのです。浜田議長も再提出を約束しました。それを議長が突然審議を打ち切ったのです。安保法制の根幹に関わる内容の審議を打ち切ることが、果たして民主的な国会運営と言えるのでしょうか? @arisa11111: @KUMA0504 @ski_official @kijitora0510 全会一致で可決したものを強行採決なんて言いません。嘘つかないでください。本当に反日売国奴って息するように嘘を平気でつきますよね。気持ち悪い。 (補足)とネットウヨ(仮名)さんからツッコミを入れられたので、ネットの「国語辞書」で調べてみました。 (コレ私です) @KUMA0504: @arisa11111 @ski_official @kijitora0510 きょうこうさいけつ【強行採決】 国会などで、少数派が審議の継続を求めているにもかかわらず、多数派が一方的に審議を打ち切り、採決を行うこと。 常識を知らないのは、どちでしょう? @arisa11111: @KUMA0504 @ski_official @kijitora0510 @tyuusyo: 「強行採決」というのはマスコミの造語です。法律上は何の定義もありません。恥の上塗りですね。 (補足)「マスコミの造語」じゃありません。ちゃんと辞書でも定義されているんですよ。 これ以上はバカらしくてツイートしませんでした。このネットウヨ(仮名)さんは、どうやら「強行採決は許されない!」と、私たちが主張しているのは、「(法的に)採決が無効だ」と主張しているのだと勘違いしているようです。或いはそのようにミスリードさせようとしているのか。 しかし、この4日間のデモや集会で、いったい誰が「衆議院採決は無効だ!」と主張したでしょうか?ところが、今回ネットウヨ(仮名)さんたちは、かなり「強行採決」という言葉に敏感に反応したようです。ツイッターの全国トレンドでずっと上位だったことでもうかがわれます。それは彼ら自身が「強行採決だった」ことを認めているということなんでしょう。 戦争法或いは安保法制は、間違いなく戦後日本の国のあり方を変えるものです。ところが、「審議は全然充分されていない」とは、あらゆる世論調査が示しています。 自民党は「(審議時間のめやすである)80時間以上の審議はした。充分審議はした」と言っています。ここには、自民党のいつもの「黒を白と言いくるめる」レトリックがある。(1)この安保法制は一つではない。11もの法案を一括で審議している。100時間どころか、1000時間やっても足りないのだ。(2)あとで検討するが、野党と自民党の言い分は、全然かみ合わなかった。審議すればするほどわからなくなった。というのがこの国会の審議だった。(3)あとで検討するが、そもそもこの法案は憲法違反である。成立する前から違憲だと、ほぼ明らかになる法律を作らせないのが、そもそも国会の役割だったはずだ。到底「採決」出来るような状況ではなかったのである。私たちが「強行採決は許されない!」と言っているのは、つまりはそういうことなのである。 では、どう「かみ合わなかった」のか。もう少し詳しくみて行こう。
2015年07月21日
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『ブルージャスミン』 リメイクものと原作ものと大作の続編しか作らなくなったハリウッドの中で、毎年毎年、新作のオリジナル脚本を書き、監督もつとめている御歳78才の才人がいます。ウディ・アレン監督です。 昔はニューヨークセレブの生活しか描かないアレンの作品は好きではありませんでした。ところが、『男はつらいよ』シリーズも終わりを告げて、もう恒例のコメディ映画もなくなったのかな?と思ったころにアレンの作品『世界中がアイラブユー』を観て、気の弱い知識人が恋をしては失恋してゆく様に、あゝ人間て、その面白さ哀しさを描くのに国とか金持ちとか関係ないんだ、と思ったのです。それからはアレンの作品を年一回観ないと気持ちが落ち着かなくなったのでした。 『アニーホール』 『ミッドナイト・イン・パリ』などのロマンティック・コメディ路線が有名な監督ですが、これまでも『マッチポイント』など笑いを封印したこともありました。今回も久しぶりのシリアス路線で、ひとりの女性の転落人生を描いています。ジャスミンを演じたケイト・ブランシェットはこれでアカデミー主演女優賞を獲りました。 大富豪のジャスミン夫(アレック・ボールドウィン)は、実は大詐欺師。夫が逮捕されて彼女は一文無しになり妹の家に間借りをします。虚言と現実逃避を繰り返し、ひたすら堕ちていく元セレブのジャスミン。 華やかな生活が好きで、虚栄心とプライドで塗り固められたジャスミンと、堅実な生活をしているけど粗野な男が好きで、貧乏から離れられない妹のジャンジャー(サリー・ホーキンス)との対比がとても上手い。ジャスミンは終盤に至るまでほとんど心の病を患っていたとは感じさせません。至る所に病的な部分はあるのですが、それを彼女の性格だと思わせるケイト・ブランシェットの演技。この微妙な匙加減が、ラストの余韻を持たせる終わり方に繋がっていました。 ジャスミンの悩みは、もしかしたらウディ・アレンの悩みであったのかもしれません。映画興行は詐欺行為に似ています。出資者からいつ「騙された!カネ返せ」と言われるかもしれないヤクザな稼業です。シリアスだけど、何処かおかしみがあり、哀れでもある。アレン作品にはいつも現代人の不安定な心があります。もうこんなオリジナル脚本を書ける人はハリウッドには現れないかもしれません。(2014年公開米作品 レンタル可能)
2015年07月19日
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18日1時から澤地久枝さん提唱の「アベ政治を許さない」統一行動に参加しようとしたのですが、急遽岡山県入をした全国平和行進の送迎を頼まれて、お昼に運転をすることになったのです。 それで、とりあえず自宅玄関前に「アベ政治を許さない」ポスターを貼って出かけました。ポスターはあと4枚印刷していたので、知り合いに渡して地元で掲げる段取りはつけました。運動の広がりには一役買ったとは思います。 平和行進では、出発の一時に、みんなポスターを掲げて全国に連帯しました。 岡山市曹源寺前です。私のコンビニでゲットしたA3の紙より良いのを使っている(^_^;)。でも、貰えたのでこれも夕方私の玄関前に貼りました。平和行進は、これから岡山市街入り。梅雨も明けて、岡山らしい炎天下の平和行進が始まります。
2015年07月18日
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「天と地の守り人(第三部 新ヨゴ皇国編)」上橋菜穂子 新潮文庫 追記 いま、窓から外を見ると、青いビニールシートで屋根を覆っている家が見えます。 平成23年3月11日に起きた、東日本大震災の被害がまだまったく収まらず、福島原発の状況も予断を許さず、震度4レベルの余震がめずらしくない状況の中で、私はいま、このあとがきを書いています。これから日本はどうなっていくのだろう、私はいま、何をすべきなのだろう、と思いながら。(略) こういうときには、人の愚かさ、醜さも顕(あらわ)になりますが、それを遥かにこえて、人の毅(つよ)さ、美しさも見えてきます。 天と地は、こうして、ただありつづけ、動きつづける。 その中に生まれ落ちた私たちは、いま、生きる、ということに向き合っています。知と、理と、情を尽くして、己が負える荷を負い、ともに生きて行きましょう。 (文庫版あとがきより) まるで不思議な運命であるかのように、文庫版発売の最終段階で3.11が起きた。最終章には、大津波ならぬ、人間世界とは別のからくりによって引き起きた大奔流が、新ヨゴ皇国の京(みやこ)や、侵略してきたタルシュ帝国の兵士たち、そしてヨゴの王を流し去って行った。 その中で、バルサは、チャグムは、タンダは、シュガは、「知と、理と、情を尽くして、己が負える荷を負い」生き切った。 次は我々の番だ、とでもあるかのように。 「守り人シリーズ」が終わってしまった。今年の2月にこれを読み始めたときは、ノンフィクション系書物の合間の「息抜き」に読むものがないときの切り札として読む積もりだった。しかし、やはり甘くはなかった。特に最後の4冊は一ヶ月で読んでしまった。残念だ。あと補遺のように外伝や関連本があるけれど、あと残る本格的な物語は「鹿の王」しか残ってなくて、文庫本はいったいいつ発売になるのやら。まあ、しかし何時の間にやら上橋菜穂子の著作はほぼ100%読む体制になった。「守り人シリーズ」を外して上橋菜穂子特集本は読めないのだから、しばらくは彼女の 世界の分析・評論が出来る。 今年のマイ読書ベストには、「守り人シリーズ」はどうしても入ってしまうだろう。 2015年7月6日読了
2015年07月17日
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「天と地の守り人(第2部 カンバル王国編)」上橋菜穂子 新潮文庫 「そう。ここ数年のあいだに、少しづつノユークの海面が上がってきたのは知っていた。ノユークに春が来たのだろう。ノユークの山々が雪融けを迎え、いっせいに雪融け水が流れ出したのではなかろうかな。何百年に一度の、春だ。水面が上がり、山も海の下になり、それまで山にさえぎられていたところが、海に繋がった。そうして、遠くから、いく筋も、大河のように群れをなして泳いできた精霊たちが、この海へたどり着いたんだ。この渚で番(つが)い、新たな命を産み出すために」(301p) 守り人シリーズのオリジナリティは、一つにはサグ(こちら側)の世界と同時にナユグ(あちら側)の世界が存在して、サグ(人間世界)の都合とは全く無関係にナユグ(他の国ではノユークとも云う)の壮大な動きが描かれていることにある。 まだ2007年の発刊ではあるが、これはまるで私たちの知らないあいだに太平洋下に潜って行った巨大なマントルのイメージだ。我々とは時間軸が違うこの星の別世界の生態系。そして、やがてそれが人間世界に途轍もない影響を及ぼすことにもなる。 それが天の動きだとしたら、地の守り人として、バルサとチャグムは「戦争」を止めるために、或いは犠牲を最小限に止めるために、苦しみながら大きな努力をしてゆく。 バルサは、掠れた声でいった。 「人を助けるために、人を殺す矛盾は、いまもわたしをがんじ搦めにしている。同じ矛盾にむきあっているあんたに、楽になれる道なんて、示せるはずがない」 そういってから、バルサは、かすかに苦笑を浮かべた。 「だけどさ、こんな人生だって、哀しみしがないわけじゃない。たとえば、ほら‥」 バルサはそっと右手をのばして、チャグムの頬を包んだ。 「ふくれっ面をして、駄々を捏ねていたおチビさんが、一人前の男になって、いま、こうしてとなりに座ってる‥」(314p) 次巻は遂に、そしてはやくも最終巻だ。 2015年7月2日読了
2015年07月16日
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「天と地の守り人(第一部ロタ王国編)」上橋菜穂子 新潮文庫 バルサ、探しに来てくれて、ありがとう。 あなたが、ロタまで来てくれたと聞いて、ふるえるくらい、うれしかった。 もう一度、一目でもあなたに会いたいけれど、どうかもう、わたしを探さないでください。 いまは、わたしのことよりも、タンダのことを考えてほしい。 新ヨゴ皇国は、もうすぐ、戦場になる。 わたしが間に合わなか、ったら、街も田畑も、火の海になってしまう。 一刻も早く、タンダたちを山奥へ逃がしてください。あの冬の狩穴でもいい あなたたちが無事生きていると思うことができれば、わたしは、がんばれる。 わたしは、大丈夫です。心配しないでください。 なにがあっても、かならず生き抜いて、心に決めたことをやり抜いて、故郷へ帰ってみせます。(262p) もはや、12歳の少年ではない。なんと何時の間にやらバルサの背丈を越えた16歳の「青年」なのだ。私は前作「蒼路の旅人」の時に「バルサよ、すぐにチャグムを助けてあげて!チャグムの思うようにはいかないと思うけど、バルサと彼女の人的ネットワークがあれば、もしかして!」と書いた。この時に思い浮かべていたのは、ロタの呪術師の長カシャルの「鷹の目」で捜せば、チャグムを見つけることができるのではないか、ということだった。そんなバカなことを、バルサは思いつきもしなかった。やったのはもっと地に足のついた、地道な捜索活動だった。 本作は、守り人シリーズでも、かなり特徴のある一冊になっている。バルサが物語の八割を活動しているのに、登場していないチャグムが、その間ずっと生き生きと活躍するという仕組みを持っているのだ。守り人シリーズは、何時の間にか、バルサとチャグムの話になっているのだが、全体を読み終わってみると、なんと2人が共に活躍するという巻は、この第一部の最終章と次の巻だけなのだ。おお、なんという不思議な物語なのか! 2015年7月2日読了
2015年07月15日
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「蒼路の旅人」上橋菜穂子 新潮文庫 「守り人シリーズ」も7冊目に入った。終わりが近い。というよりか、今回は終わりの四部作の第一部みたいな感じだ。チャグムが主人公で、バルサが出てこないから「旅人」の冠は付いているが、もうあとは終わりに向かって一気に読ませるような力を秘めた内容だった。 チャグム皇太子のいる新ヨゴ皇国、ロタ王国、カンバル王国、サンガル王国、これら北半球(⁈)の小国群に対して南の大国タルシュ帝国の侵攻が遂に始まった。 チャグムは罠と知りながら、タルシュの虜囚となり「世界」を知る。 タルシュの巧みな支配方法はこうだ。他国を攻める費用を枝国に出させ、タルシュに反逆する国力を奪う。最初は重税を課すが、枝国兵が他国を攻める戦で勇敢に戦えば、その兵士の家族に臣民権を与え、税をタルシュと同額にする。枝国兵は必死に戦う。家族を重税から救うために。 ヒョウゴは穏やかな声で続けた。 「タルシュは国獲りによって豊かになった国です。皇帝になることさえ、国獲りの巧で決まるくらいですからね。タルシュは、他国を食うことで生きている獣なのですよ」(233p) 仕組みは違うが、まるでアメリカ帝国のようである。ドルでその国の経済どころか民心さえも支配して、頑張れば浮き上がれると思わせる。アメリカ帝国自身もアメリカンドリーム等の言葉によってアメリカ国民自身を洗脳していた。そんな国はやがて、すべてを食いつぶさないと生きていけない獣の姿を露呈するだろう。 まだ15歳を過ぎただけの少年チャグムは、急速に大人になる。なんとか帝国の侵略を止める手段はないか。そして得た手段は、なんと少年らしい「一か八かの賭け」だった。 読者はすぐに思う。バルサよ、すぐにチャグムを助けてあげて!チャグムの思うようにはいかないと思うけど、バルサと彼女の人的ネットワークがあれば、もしかして!と。 いや、それはもう既に次の巻の話だ。
2015年07月14日
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ある記事を読んで今から8年前(2007年5月13日)国民投票法が成立してしまう前日に、こんな記事を書いていたことに気がついた。その題名は「5年後ではない、2ヶ月後だ」。 「憲法九条を世界遺産に」太田光 中沢新一 去年数多出た憲法関連本の中で、この本一冊が一人勝ちをした。つまり売れた。なぜか。 中沢「SMAPのメッセージが遺伝子治療のように、すーっと相手に入っていくことが出来るのは、相手の心が受容器となって自分を開いているからだと思うよ。その意味では、きっとSMAPと女の子たちが、合作しているんだよ。日本国憲法がどんなに問題をはらんでいたとしても、日本人の心に深くはいっていくものがあった。今のSMAPの話とよく似ているね。」(P162) 太田光は「ジョン・レノンでさえなし得なかったことが僕なんかに出来るわけがない」とはいっているが、この本で彼はそれに近いところまでやってしまっているのかもしれない。少なくとも、渡辺治や伊藤真以上のことをこの本はやってのけた。なぜか。 マスコミ人たることからくる知名度。 「憲法九条を世界遺産に」という一言でわかるキャッチフレーズの見事さ、であろう。 この二つは「自民党をぶっ壊す」と言って勝ってしまった小泉郵政選挙と同じ構図だ。ただ、マスコミ露出度の違いと、時期が熟していなかったために、地すべり的に世の中を動かすほどには至っていない。 明日国民投票法という悪法が法になる。これで「あと5年をかけてじっくりと憲法を守る戦いをしていけばいい」と思うのは、甘い。憲法改悪の外堀は改憲手続法だけではない。言いなり教師を作る教育三法、労働者を際限のない労働強化に追い込み考える余裕をなくさせるホワイトカラーイグゼプション、九条の改悪を待たずに憲法解釈で集団的自衛権を認めてしまおうとする「懇談会」の設置、等々矢継ぎ早に大きな外堀を埋めてしまおうと言う策動が参議院選挙をはさんで目白押しだ。 いま最大の課題は参議院選挙だ。 この選挙でもし自公が勝ってしまったなら、(ブッシュのプードル・ブレアが退陣した英国とは対照的に)地すべり的にブッシュのポチ・安倍自民党が力をつけ、五年後の本丸決戦を待たずに勝敗が決定してしまうような状態になるだろう。 このとき心配していた国民投票法は既に発効し、教育基本法は改悪され、ホワイトカラーエグゼプションは閣議決定させれて審議待ち、集団的自衛権の解釈改憲は閣議決定されてその具体法をギリギリのところで食い止めようと、正にいま正念場だ。 あの時から5年どころか、8年経って改憲はまだタイムテーブルに乗っていない。ホワイトカラーエグゼプションもかろうじて成立していない。何故か。その2ヶ月後の参議院選挙で、自公民政権が大幅に議席を落とし、その4ヶ月後に安倍首相が退陣したからである。 8年経って、自公は大きな戦略を作って体制を立て直した。しかし、黒を白と言いくるめるそのやり方自体は変わっていない。平和と暮らしを守りたい国民の願いとかけ離れている限り、それを潰すのは、やはり国民の世論を高めること以外に戦略はないだろう。 「アベ政治を許さない」 自公政権の1番の恐れは8年前の再現だ。次の選挙で大幅に議席を落とすようなことは絶対に避けたい。そのためには、戦争法も後方に追いやるだろう。あと10%支持率が落ちたら、その可能性がある。 できることをしていきたい。微力だけど、無力じゃない。既に2回デモ(パレード)に参加したし、24日には3回目に参加する。18日の提案にも乗りたい。 この記事に気がついたのは、太田光の「変節」について書かれた以下の記事を読んだからである。8年間は1人の芸人をこんな風に変えるのだ。 太田光が、制服向上委員会から「安倍さんにゴマをすってる方が痛々しい」と反撃された! 2015年7月5日 22時0分 LITERA(リテラ) 「諸悪の根源、自民党」という歌詞の曲を歌ったことで、自民党市議から「政治運動だ」「名誉毀損だ」と圧力を受けたアイドルグループ・制服向上委員会。結局、この騒動では圧力をかけた自民党でなく、制服向上委員会のほうが自民党支持者やネトウヨから激しい非難を浴びる事態となった。 本サイトではこうした反応を批判的に紹介し、制服向上委員会を擁護する記事を掲載したが、この騒動では意外な人物が彼女たちを攻撃していたようだ。 そう、爆笑問題の太田光である。太田は6月30日深夜のラジオ番組「爆笑問題カーボーイ」(TBS系)で、彼女たちの政治的メッセージについて「あれ、やらされてるんだろうなぁ」と憶測を披露し、バカにしたように「かわいそうだよねぇ」とからかったのだ。相方の田中裕二が「歌っている映像見たけど、歌いたそうな感じじゃなかったよ」と相づちを打つと、太田は「あれはさすがにちょっと痛々しいよね」とも語っている。 この主張はまさに、報道直後からネトウヨやネトサポの「どうせ洗脳されているんでしょ」「大人に利用されているだけ」「女子供を利用するのは左巻きお得意の手口」という攻撃とほとんど同じものだ。 太田といえば、今年3月、普天間基地移設問題への対応をめぐって「安倍っていうバカ野郎」「私は個人的に安倍首相はバカだと思っていましたから」と安倍首相を罵倒しながら、翌月に、安倍首相主催の「桜を見る会」に光代夫人と一緒に出席。安倍首相から「一緒に写真を撮りましょう」と言われ、隣でおどけたポーズをとったあげく、「番組に出てください」などと依頼するなど、腰砕けっぷりを見せつけたばかりだ。 安倍と意気投合してネトウヨにでも転向したのか、と批判しようとしたら、それより早く、当事者が見事なツッコミをしてくれた。太田に「痛々しい」と言われた制服向上委員会のメンバー・齋藤優里彩がツイッターでこんな一言を見舞ったのだ。 「私からすると、安倍さんにゴマをすってる太田光さんの方が痛々しく見えます」 さすが制服向上委員会。本サイトがいちばん言いたかったことを代弁してくれた。たしかに痛々しいのは、しがらみにがんじがらめになって、何も言えなくなってしまった太田光のほうだろう。 10年近く前、太田は雑誌やラジオで過激な政治的発言を連発していた。当時の右傾化の風潮を徹底批判し、靖国問題や教科書問題などにも切り込み、歴史認識についての中国や韓国の抗議を「内政干渉」とする国内の意見についても、正面きって批判していた。 「かつて日本人として戦場に行かされた人々がいる。皇民として生きることを無理矢理強要され、自分の国の言葉を奪われ、名前を奪われて戦場に行かされた人々がいる。その人々にとって日本の歴史は自分達の歴史であることに間違いはない。(略)自分の都合の良い時だけ、お前達は日本人であるとして、都合が悪くなると、外国人が干渉するなというのは、あまりに身勝手ではないか」(東京ニュース通信社「TV Bros.」連載『天下御免の向こう見ず』より) そして、日本国憲法については、「人類が行った一つの奇跡」と敢然と擁護したうえで、「私に愛国心があるとすれば、それはこの国の"この国は戦争をしない国であると、世界に宣言している部分"に注がれる」と言い切り、中沢新一との対談本『憲法九条を世界遺産に』(集英社新書)という著書まで出版していた。 ところが2006年、その太田の靖国についての言動に対し、右翼団体が太田の所属事務所に抗議活動を展開。警視庁が事務所に警備員を常駐させるように要請し、太田にも護衛をつける騒動となった。 そして、この右翼の抗議事件をきっかけに、太田の連載やラジオの発言から徐々に、憲法や歴史認識などを扱う機会が減り始め、07年ごろには、こういうイデオロギー的なテーマに触れることはほとんどなくなった。「TV Bros.」の連載もいつのまにか、社会批評でなく自分のヘタな小説や童話を発表する場になった。 先述した「安倍はばかやろう」発言はそんな太田の久しぶりの過激な政治的発言だったのだが、しかし、それも安倍支持者やネトウヨたちから「一介の芸人が総理をバカにするな」「この反日チョン芸人が」「一国の首相に対して名誉棄損だ」などと総攻撃を受けると、以後は一切沈黙。前述のように翌月、「桜を見る会」で安倍首相に尻尾を振る姿を見せつけたのだった。 そして、いま、安倍政権によって、憲法9条が最大の危機に瀕しているというのに、太田は安倍批判も安保法制批判も口にしないまま、ダンマリを決め込んでいる。かつて、「憲法9条を世界遺産に!」とまで言っていたあの思いはどこへいってしまったのか。不思議でしようがない。 まあそれでも、ただ沈黙しているだけなら、太田もトヨタのCMにまで出演するようになって、やっぱり仕事が干されるのがコワくなったのかねえ、とがっかりするくらいで、ここまでの怒りは感じなかっただろう。 しかし――。今回、太田は「一介の芸能人が政治に口を出すな」という世の中の空気に抗い、孤独な闘いを続けている勇気あるアイドルに難癖をつけ、足を引っ張ったのだ。しかも、かつて自分を批判した者たちと同じ、大人にやらされてるだけ、操られているだけという論理を身にまとって、である。 この太田の揶揄について、制服向上委員会は、やはりメンバーの齋藤乃愛が「メンバーは全員、自分の意思で活動しているんですよ♪」と軽くいなしていたが、太田は制服向上委員会のことをまったくわかっていない。彼女たちは政治的なプロテストソングを5年前から継続的に歌っており、歌だけでなくデモにも参加するなど、お遊びや一時の話題作りでやっているわけではないのだ。 というか、そもそも、「大人に操られている」のは、いまの太田のほうだろう。 本サイトでも以前指摘したことがあるが、太田が政治的発言をしなくなったのは、それこそ光代夫人にストップをかけられたからだった。 右翼団体に抗議された後、政治発言を続けようとする太田に対して、光代夫人が「家族や社員の命を晒して、なにが平和なの!」と激怒。売れない時代を支え続けてくれた光代に頭が上がらない太田が、泣く泣く方向性を転換したといわれている。 また、今年の「NHKで政治ネタをボツにされた」発言の際も、光代夫人が否定すると、太田も発言を撤回。「安倍バカ発言」も光代夫人は即座に「無礼です」「バカと言う言葉は、いけません」と火消しに走り始めると、太田は何も語らなくなった。 もちろん、光代夫人によるこうした太田の言論封じの背景にあるのは、商売上の問題だ。所属事務所のタイタンは、以前は爆笑問題の個人事務所でしかなかったが、いまは所属タレントも増え、事業の多角化も行っている。爆笑問題自体もさまざまなCMに出演している。太田が政治的発言をして炎上でもしたら、会社の経営に影響を及ぼしかねないのだ。そして、太田もそういう事情がわかっているからこそ、最終的には光代夫人の言うことを聞いて、どんどんおとなしくなっていったのだろう。 そういう意味では、まさに「大人の事情」に負けて、自分をなくしているのは太田のほうであり、炎上や脅迫、嫌がらせにも負けず、リスクも自身たちで引き受けている制服向上委員会のメンバーのほうがはるかに自立している。 もはや、太田光にはなにも期待することはない。ただ、自分が日和ったことを自覚して、闘う者の足を引っ張るな、ということだけは言っておきたい。 (酒井まど)
2015年07月12日
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昨晩日付け変更直前に、セブンイレブンで件のポスターをゲットしました。 コピー機の所に行って、ネットプリントのボタンを押して、手順説明が表示されるので、予約番号押して手順通りにやれば簡単に印刷できました。 皆さんどうですか? 澤地久枝のよびかけ アベ政治を許さない!! 7月18日(土)午後1時きっかり 同じポスターを全国一斉にかかげよう みなさんへのお願い よびかけチラシはこちら→アベ政治を許さない (7/7版) ラルフる アベ政治の非道に、主権者一人ひとりの抗議の意思をいっせいに示そう。 全国共通のスローガンを、同時に掲げる。言葉は ”アベ政治を許さない” 文字は金子兜太さんが書いてくださいました。 A3の大きさで掲げて下さい 「セブンイレブン」のネットプリントで印刷できます。 予約番号 68764373 A3 白黒 プリント有効期限 2015.07.10 (1枚20円) 予約番号 56685099 A3 白黒 プリント有効期限 2015.07.12 (1枚20円) 日本中に拡散をお願いします! ★2015年7月18日(土)午後1時★ このコピーを一人ひとりが道行く人に見えるようにかかげるのです。 一人で悩んでいる人、誰にも声をかけられない人はわが家の前で、 あるいは窓辺で。 どこででも、あらゆる形で。 東京は国会議事堂前、その他主要駅頭などで。 全国すべての駅、学校、街、村、会場の外など。 示すのは勇気のいる世の中かもしれません。 「許さない」勇気が試されます。 政治の暴走をとめるのは、私たちの義務であり、権利でもあります。 (澤地久枝)
2015年07月11日
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「予告犯」(1)〜(3)筒井哲也 集英社コミック 映画「予告犯」が素晴らしかったため、原作も読んでみた。結果は、甲乙つけがたい所もあるが、基本的に映画の方が秀逸だった。 映画オリジナルの設定は何だったのか。幾つかを羅列してみる。 (1)サイバー犯罪対策課の吉野絵里香の過去を、貧困あがりにしたのは映画オリジナル。よって「シンブンシは単なる犯罪集団」として嫌悪する吉野の主張は「貧困は自己責任、私は頑張ってここまで這い上がってきたんだ」という自負と共に一見正しいかのように思える。しかしシンブンシの目的が「社会に対する復讐ではない。」とわかった途端に吉野の誇りに疑問が生まれる。「頑張れる分、貴方は幸せだったんだよ」というセリフは映画オリジナル。貧困スパイラルの仕組みは、映画の方がわかりやすく、シンブンシたちの動機とは裏腹に、極めて社会性の高い映画に仕上がったのは、そのアンチテーゼとしての吉野の存在があったからに他ならない。 (2)一度履歴書に未就期間が載ってしまうと、再就職が極端に難しくなり、結果日雇いになってしまう構造は、映画オリジナル。映画の批判に「あれぐらいで自殺を選ぶのはリアルじゃない」という声があった。漫画は、最初から奥田1人自殺することで、他の人間の罪を3年ぐらいに軽くさせていた。映画は他の3人を無罪にさせるかのようなラストにさせていたが、そういう意味では、漫画の方がリアルだったのかもしれない。それにしても、自殺するまで追い込まれた「社会的背景」は映画の方が優れていて、あれでも主人公たちの「絶望感」が理解できないようでは、それだけで観客の「想像力」か不足していると私は思う。 (3)マンガのキーセリフは「それが誰かのためになるという間違いのない確信を得た時、人は利得を超えた行動をとることがある」となっている。映画よりもかなり難しく言い回ししている。「少しでも誰かのためになるのならば、人は動く」。こちらの方がよりわかりやすく、真実を突いているし、発せられたセリフも、吉野の独り言ではなく、ネットカフェ従業員のセリフだったので、より共感を得るものになった。映画の方が秀逸。 その他、漫画にはハッカーが捜査に協力するなど、非現実設定も少しあるなど幾つかの異同もある。ただ、この複雑な犯罪漫画を作り切った筒井哲也の才能は、漫画作者にするのには惜しいほど際立っていると感じた。 2015年6月19日読了
2015年07月10日
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最後は三作品を紹介。 「ストレイヤーズ・クロニコル」 せっかく期待の若手たち(松岡茉優、白石隼也、高月彩良、清水尋也、柳俊太郎、鈴木伸之、瀬戸利樹、黒島結菜)がこぞって出演しているのに、この冗長な脚本は何?あと40分短く出来るよ!彼らたちを無駄に殺している。しかも、ラストの学の処理は何?1人観にきたおじいちゃん、あの場面で帰っちゃったよ。 一つ、あの美人(高月彩良?)が隊長(豊原功補)に近づいた理由と、あのあとの後ろの影の意味がよくわからない。 ■ あらすじ 1990年代初頭、極秘実験によって人間の能力を限界まで発達させた子供たち、動物や昆虫の能力を備えた子供たちが生み出される。それから20年後、実験で視覚、視神経、脳伝達速度が発達し異能力者となった昴(岡田将生)とその仲間たちは、特殊能力を得た代わりに精神が崩壊する危険性も抱えることに。そして、その解決の鍵を握る外務副大臣・渡瀬(伊原剛志)のもとで、公にできないさまざまなミッションを遂行していた。そんな中、同じ異能力者である学(染谷将太)が率いる暗殺者集団アゲハが渡瀬をターゲットに定めていて……。 ■ 解説 本多孝好のベストセラー小説を実写化したアクション。極秘実験で視力・聴力・筋力などが常人よりも発達した青年が、謎の殺りく者集団との激闘を繰り広げながら自身の秘められた宿命と対峙(たいじ)する。メガホンを取るのは、『へヴンズ ストーリー』などの瀬々敬久。『悪人』などの岡田将生と『寄生獣』などの染谷将太が、導かれるように激突する異能力者たちを快演。その脇を、成海璃子、豊原功補、石橋蓮司、伊原剛志らが固める。スリリングなストーリーに加え、岡田が繰り出す体を張った渾身(こんしん)の見せ場にも熱くなる。 ■ キャスト 岡田将生、染谷将太、成海璃子、松岡茉優、白石隼也、高月彩良、清水尋也、柳俊太郎、鈴木伸之、瀬戸利樹、黒島結菜、豊原功補、石橋蓮司、伊原剛志 ■ スタッフ 監督・脚本: 瀬々敬久 原作: 本多孝好 脚本: 喜安浩平 音楽: 安川午朗 撮影: 近藤龍人 アクション監督: 下村勇二 主題歌・挿入歌: ゲスの極み乙女。 in movix倉敷 2015年6月27日 ★★☆☆☆ 「私の少女」 キム・セロン恐るべし。もう子役じゃない。ぺ・ドゥナと堂々と互角に渡り合った。 粗筋では「人を愛することをあきらめていた“私”は少女を守るために心を許し、無力だった幼い“少女”は初めて誰かのために行動をおこす。」と書いているが、別の解釈も存在すると思う。「私」は「怪物に変貌しつつある少女をそのままにすると、後悔すると思って引き返した」のかもしれないし、少女は誰かのためではなく、あくまでも計算づくで自分を守るために「危険な賭け」を打った、ともとれる。 そういう微妙な駆け引きを想像させるだけでも、2人の演技は凄かったし、緊張感のある作品だった。 (あらすじ) 海辺の村に赴任してきた警官のヨンナムは、少女ドヒと出会う。ドヒは血のつながりのない継父ヨンハと暮らし、日常的に暴力を受けている。村全体が暴力を容認しているなか、ひとり立ち向かっていくヨンナムは、ドヒを守ってくれる唯一の大人だった。ヨンナムもまた少女の笑顔に癒さてゆくが、やがて激しく自分に執着するようになっているドヒの存在に少し戸惑いを憶える。ある日、偶然にもヨンハはヨンナムの秘密を知り、彼女を破滅へと追い込んでゆく。ヨンナムを守るため、ドヒは危険な選択をするが・・・。人を愛することをあきらめていた“私”は少女を守るために心を許し、無力だった幼い“少女”は初めて誰かのために行動をおこす。ありのままの自分を認めてくれる人がいれば、人はきっと強くなれる。ふたりが背負わされた過酷な運命から一歩前へと踏み出す、希望の物語。 (解説) カンヌ国際映画祭 「ある視点」部門に、オリジナル脚本のデビュー作で選ばれるという偉業を成し遂げたチョン・ジュリ監督。女性監督ならではのきめ細やかな描写でリアルに物語を紡ぎだし、社会の闇を静謐ながら緊張感あふれる演出で浮き彫りにする。 出演は韓国の観客動員記録を塗り替えた大ヒット映画『グエムル-漢江の怪物-』、日本映画『空気人形』、そしてウォシャウスキー姉弟の『クラウド アトラス』で、ハリウッドデビューを果たしたペ・ドゥナ。脚本を受けとった3時間後には出演を快諾し、2年ぶりに韓国映画への復帰を果たす。共演は『冬の小鳥』『アジョシ』で、その確かな演技力が高く評価されているキム・セロン。複雑な役柄のため一度は辞退するも、「500人の子役をオーディションしても決められなかった」という監督から、再度ラブコールを受け出演を決意した。また脚本に惚れ込んだ『オアシス』などの巨匠イ・チャンドン監督が、自ら申し出てプロデューサーを努めている。奇跡のような巡りあわせが、この力強い傑作を誕生させた。 inシネマクレール 2015年6月28日 ★★★★☆ 「パレードへようこそ」 uinion makes us strong. 連帯は私たちを強くする。 私たちに必要なのは「パンとバラ」だ。どちらも欠けてはいけない。 始まりは、ロンドンに住む1人の青年のシンプルなアイデアだった。ゲイの活動家たちは「彼らに募金を送ろう」と提案する。「どちらもサッチャーと警察にひどい目にあっている。僕らは世間から差別されている。僕らはいろんな人々と手を取り合うべきなんだ」 これって、現代の課題と同じ。 ゲイと労組の話だけど、テーマはもっと広い。そして、労働歌がそのことを既に歌っていたのだ。 (解説) カンヌから始まった熱狂のパレードが、ヨーロッパからアメリカへ 世界各国で今最高に愛されている感動の実話! 「大好き!」「愛さずにいられない」「愛しても愛し足りない」──まるで、待ち焦がれた運命の相手にめぐり会ったかのように、世界中の人々が英国のある映画に熱い想いを募らせている。いつもは辛口の評論家までが、メディアに寄せるのは批評というより、もはやファンレターのようだ。 ロッテントマトでも批評家94%観客93%の高い満足度を獲得、年齢や国籍に関係なく観る者すべての心を虜にしているのは、何と言っても初めて映画化が実現した知られざる実話であるということ。それも、本作のプロデューサーが最初にこの事実を耳にした時、「本当にあったことだなんて、とても信じられなかった」とその驚きを保証する物語なのだ。 2014年のカンヌ国際映画祭クィア・パルム賞受賞を皮切りに、ヨーロッパ各国で様々な賞を贈られると共にアメリカに上陸、見事ゴールデン・グローブ賞作品賞(ミュージカル・コメディ部門)へのノミネートを果たした。2015年の賞レースでも特等席が与えられるに違いないスペシャルな作品が、遂に日本へもやって来る。 80年代イギリス、サッチャー政権下不況と闘うウェールズの炭坑労働者に手を差しのべたのは、ロンドンのきらびやかなLGSMの若者たちだった── 1984年、サッチャー政権下の荒れるイギリス。始まりは、ロンドンに住む一人の青年のシンプルなアイデアだった。炭坑労働者たちのストライキに心を動かされ、彼らとその家族を支援するために、仲間たちと募金活動を始めたのだ。しかし、全国炭坑組合に何度電話しても、寄付の申し出は無視される。理由は一つ、彼らがゲイだから。炭坑組合にとって、彼らは別世界の住人でしかないのだ。そこへ、勘違いから始まって唯一受け入れてくれる炭坑が現れる! 寄付金のお礼にと招待された彼らは、ミニバスに乗ってウェールズ奥地の炭坑町へと繰り出すのだが──。 『リトル・ダンサー』『ブラス!』など、イギリスの炭坑を舞台にした映画には名作が揃っている。本作も炭坑産業の苦境と闘う人々をユーモアに満ちた温かな視線で描くというスタンスは同じだが、決定的に違うのは現代社会に通じる深いテーマがあること。質実剛健な片田舎の肉体労働者と、ハデなファッションの同性愛者──誰から見ても水と油、両極端の境遇の二つのグループが、手を取り合って未来を切り開く姿が描かれる。彼らは誤解や衝突を乗り越え、固い絆を結び、新たな人生を掴み取っていく。この稀有なる実話は、人と人のリアルな繋がりが希薄になり、誰もが孤独を抱えて生きている今の時代でも、他人を思いやる誠実なアイデアと、ほんの少しの勇気があれば、素晴らしい人生を見つけられるという希望を私たちに与えてくれるのだ。 80年代の大ヒットナンバーにのせてトニー賞受賞監督が鮮やかに指揮をとる英国の名優と次世代スターによる胸躍るコラボレーション 炭坑労働者を支援したLGSMグループのリーダーを演じるのは、アメリカ人ながら圧倒的なカリスマ性を表現できると大抜擢されたベン・シュネッツァー。本作でブリティッシュ・インディペンデント・フィルム・アワードにノミネートされ、今後が注目される。グループのメンバーには、大ヒットTVシリーズ「SHERLOCK/シャーロック」のモリアーティ役で高い人気を誇るアンドリュー・スコット、『サンシャイン/歌声が響く街』で絶賛されたジョージ・マッケイらが扮した。 ウェールズの人々を演じるのは、『ラブ・アクチュアリー』『マリーゴールド・ホテルで会いましょう』のビル・ナイ、『ヴェラ・ドレイク』『ハリー・ポッター』シリーズのイメルダ・スタウントン。英国を代表する二人の名優の奥深い演技が、若手俳優たちのパワーをさらに引き出し、痛快な笑いと胸を突く涙を呼び起こす。 監督は、「ゴッド・オブ・カーネジ」でトニー賞&英オリビエ賞を受賞したマシュー・ウォーチャス。80年代のロンドンの街並みやファッションが再現され、カルチャー・クラブ、ザ・スミス、ブロンスキ・ビートなど、当時の名曲が全編をエネルギッシュに盛り上げる。さらに炭坑の町としてウェールズでロケを敢行、城跡が残る雄大な美しい景色を存分にとらえた。 ゲイの権利を訴えるパレードで幕を開けた物語。かけがえのない出会いと共闘を経た1年後、またその季節がやって来た。今度はスクリーンの前のあなたも、拳を力いっぱい振り上げずにはいられない、生涯心に刻まれるパレードへ、ようこそ──。 inシネマクレール 2015年6月28日 ★★★★☆
2015年07月09日
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6月に観た映画の二回目。今回も四作品紹介。 「海街diary」 是枝監督、美しいものをまだ美しい映画として見せてくれて、嬉しいです。 広瀬すずの「すず」が奇跡のように良かった。 仏壇があって当たり前のように毎朝お供えをして手を合わせる。ご先祖さまに一度もあったことのないすずも、姉たちの話を聞きながら、家族の繋がり、姉妹の絆を確かめあう。 原作のエッセンスを少しも薄めることなく、付け足すこともなかった。いや現実に素晴らしい鎌倉の四季と、美しい四姉妹を眺めていることの出来る二時間を過ごせたのだから、「付けたし」としては、これ以上ない至福の時間でした。 「歩いても、歩いても」で樹木希林の発したような毒はなかったが、人間生きていくのに、毒は必ずしも必要ない。 それにしても、原作同様「新井さん」が登場して、なおかつ顔出しがなかったのは驚いた。 (あらすじ) まぶしい光に包まれた夏の朝、三姉妹に届いた父の訃報。十五年前、父は女と出て行き、その後、母も再婚して家を去った。三姉妹を育てた祖母もとうに亡くなり、広くて古い鎌倉の家には、彼女たちだけが残った。両親へのわだかまりを抱えた、しっかり者の長女の幸と、そんな姉と何かとぶつかる次女の佳乃、マイぺースな三女の千佳。三人は父の葬儀で、腹違いの妹すずと出会う。頼るべき母も既に亡くし、それでも気丈に振る舞う、まだ中学生のすず。そんな彼女の涙を見て、幸は、別れ際に「いっしょに暮さない?」と誘う。そして、秋風とともに、すずが鎌倉へやって来る。四人で始める新しい生活。それぞれの複雑な想いが浮かび上がる――。 監督 是枝裕和 出演 綾瀬はるか、長澤まさみ、夏帆、広瀬すず in movix倉敷 2015年6月18日 ★★★★☆ 「ライアンの娘」(新・午前10時からの映画祭) 前半はほとんど昼メロ。ところが、後半になって一挙に罪と罰の世界に突入する。 1910年代のアイルランドの風俗が素晴らしく、後半の嵐の場面はいったいどうやって撮影したのか?死人や怪我人は出なかったのか?不思議でならない。 あまりにも大人な中年教師の夫や、神父さまと、悩み悩み生きる娘や少佐の話が、こんなにも壮大な話になるのは、やはりデイヴィッド・リーンならでは。 (解説) 反英世相高まるアイルランドの寒村を舞台に、不倫の恋に燃える人妻の業を描く。製作はアンソニー・ハヴェロック・アラン、監督は「アラビアのロレンス」「ドクトル・ジバゴ」のデイヴィッド・リーンで、他のオリジナル脚本のロバート・ボルトや撮影のフレデリック・A・ヤング、音楽のモーリス・ジャール、編集のノーマン・サベージ等は両作品の時と同じスタッフである。出演は「秘密の儀式」のロバート・ミッチャム、「遥かなる戦場」のトレヴァー・ハワード、「召使」のサラ・マイルズ、「さよならを言わないで」のクリストファー・ジョーンズ、「ふたりだけの窓」のジョン・ミルズ、その他レオ・マッカーン、バリー・フォスターなど。メトロカラー、スーパー・パナビジョン七〇ミリ。 in TOHOシネマズ岡南 2015年6月25日 ★★★★☆ 「愛を積むひと」 アイルランドでは、当たり前のように家々を低い石塀で囲んでいる。原作はイギリスというよりもアイルランドよりだろうな、と思った。それを北海道美瑛町に移し替えてほとんど違和感ないものにしている。 あんな風に何もかも見透かされた女房に死なれたら、男はやり切れない。なおかつ、若い恋人たちも全く同じタイプというのは、出来過ぎ。 思った以上に手紙は出てこなくてホッとした。五つも六つもタイミングよく手紙が出て来たら、そら恐ろしくなるだろうし、リアルじゃなくなるんじゃないかと心配していた。あの程度ならば、他の夫婦でもありそうだ。 (あらすじ) 亡き妻から届いた手紙。それが、彼を新たな人生へと導いていく──。第二の人生を大自然に包まれた美しい土地で過ごそうと、北海道に移り住むことにした夫婦、篤史と良子は、かつて外国人が住んでいた家で暮らし始める。良子は篤史に家を囲む石塀作りを頼んだが、以前から患っていた心臓の病を悪化させて、この世を去ってしまう。悲しみにくれる篤史のもとに、ある日、良子から手紙が届いた。驚く篤史。そして、次々と見つかる手紙に導かれるように、篤史は周囲の人々の人生に関わっていく。また、長年疎遠になっていた娘、聡子と再会し・・・。 監督 朝原雄三 出演 佐藤浩市、樋口可南子、北川景子、野村周平、杉咲花、吉田羊、柄本明 in movix倉敷 2015年6月24日 ★★★☆☆ 「マッドマックス 怒りのデス・ロード」 噂に違わない、スカッとするロックンロールな一作だった。 シャリーズ・セロン様は、丸坊主になっても、どんなに汚れても、腕が無くたって、血まみれになろうとも、美しく凛としてかっこ良く、いいところを全て攫って行きました(^-^)/ えっ⁉最後になって本名を明かした主人公って居たの?あゝ居た居た!そういえば、助っ人としては役に立っていました(^-^)/ 初めてこのシリーズ観ました。無法地帯において個人がなす事は何か。核戦争あとの世界描写は突っ込み処満載だけど、科学的根拠はどうでも良くて、ひたすら無法地帯とカーバトルをやりたかったのだと直ぐに了解出来た。そういう意味ではとっても単純、だから単純にスカッと出来る。 (あらすじ) 資源が枯渇し、法も秩序も崩壊した世界。愛する者を奪われ、生きる望みさえ失って、荒野をさまよう主人公「マックス」。彼はある日、砂漠を支配する凶悪な敵、ジョーの一団に捕らえ、瀕死の重傷を負う。そこに現れたジョーの配下の女リーダー・フュリオサ、謎の全身白塗りの男、そしてジョーと敵対するグループ。マックスは彼らと力を合わせ、強大なジョーの一味と立ち向かう決意をする― ※R15+ 監督 ジョージ・ミラー 出演 トム・ハーディ、シャリーズ・セロン、ニコラス・ホルト、ヒュー・キース=バーン in TOHOシネマズ岡南 2015年6月25日 ★★★★☆
2015年07月08日
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6月に観た映画は5月に続いて11作品でした。三回に分けて紹介します。春休みや夏休みには、つまらない大作が多いのですが、この時期は見逃せない秀作がたくさん来ます。よって次第と観る本数が多くなります。画像が入手できなかった作品もありました。ご了承ください。 「ザ・トライブ」 ろうあ者の寄宿学校というのは、一つの閉じられた世界である。どこにも助けを求めることはできなかったのだろう。 そこでは、人間の原始的な「力」、暴力と性が幅を効かす。初めは弱々しかったセルゲイは、おそらくたまたま喧嘩が強かったのだろう。また、従順性と協調性があった。不良仲間の中に入って行くのは、必然だったのかもしれない。 そういう彼が、金で買ったとはいえ、初めての「女」を知る。夢中になったとしてもおかしくはない。そして、あのような展開になってもおかしくはない。しかし、見ていられなかった。無音の世界では、人は震動ぐらいでは、起きないのか。 アンゲロプロスを思わせるような、重ぐるしい長回し。現代の話でありながら、まるで荒々しい神の誕生譚のように思えるのは、その撮り方があの巨匠のそれに似ているからだろう。しかし、アンゲロプロスと決定的に違うのは、生きるのに必要な「歌」がなかった。好き嫌いでいうと、私は嫌いだ。いい経験をさせてもらいました。 (解説) 世界中の映画祭が熱狂! 全篇手話のみで描かれる前代未聞の衝撃作 2014年カンヌ国際映画祭で批評家達を震撼させ、批評家週間グランプリ含む3賞受賞の他、各国の映画祭で30以上の賞を受賞、「サイト&サウンド」誌のベストテンにも選ばれた驚異の問題作が登場する。 ウクライナの新鋭監督ミロスラヴ・スラボシュピツキーの長篇デビュー作である本作は、台詞や音楽は一切なく、字幕も吹き替えすらも存在しない。登場人物すべてがろうあ者であり、全篇が手話のみによって構成されている。 登場人物の背景や心理的な説明を全て排し、純粋な身振り、表情、眼差しによる表現方法に、観客は想像力をフル回転させてスクリーンと向き合う、という初めての映画体験に身を委ねることになる。そしていつしか彼らの会話を理解している事に気付く。 (あらすじ) ピュアで、過激で、 パワフルな純愛が暴走する ろうあ者の寄宿学校に入学したセルゲイ。 そこでは犯罪や売春などを行う悪の組織=族(トライブ)によるヒエラルキーが形成されており、入学早々彼らの洗礼を受ける。何回かの犯罪に関わりながら、組織の中で徐々に頭角を現していったセルゲイは、リーダーの愛人で、イタリア行きのために売春でお金を貯めているアナを好きになってしまう。 アナと関係を持つうちにアナを自分だけのものにしたくなったセルゲイは、組織のタブーを破り、押さえきれない激しい感情の波に流されていく…。 inシネマクレール 2015年6月1日 ★★★☆☆ 「予告犯」 先ず宣言します。傑作です! この作品の「予告編」を見て、「正義か、悪か」という煽り文句に対して真剣に考えてしまった私です。「私設警察」をどう考えるか、という映画なんだと思っていました。つまり「必殺仕掛人」みたいな話だと。うーむ、やはり日本ではそれはよくないんじゃないか、などと思っていたのです。 違いました。見事に騙されました。 ブラック企業、貧困の連鎖、メディアと世論、それらの「現代社会」の問題に、しっかりと目を向けていて、ビックリ。 「頑張ることが出来る分、貴方は幸せなんだぜ」 「たとえ小さなことでも、人のためになるのなら、人は動くんです」 監督賞或いは脚本賞候補です。 ■ あらすじ インターネット上に、新聞紙製の頭巾にTシャツの男(生田斗真)が登場する動画が投稿され始める。彼は動画の中で、集団食中毒を起こしながらも誠意を見せない食品加工会社への放火を予告する。警視庁サイバー犯罪対策課の捜査官・吉野絵里香(戸田恵梨香)が捜査に着手するが、彼の予告通りに食品加工会社の工場に火が放たれる。それを契機に、予告犯=シンブンシによる予告動画の投稿とその内容の実行が繰り返される。やがて模倣犯が出没し、政治家殺害予告までもが飛び出すようになる。 ■ 解説 「ジャンプ改」で2011年から2013年にかけて連載されて人気を博した筒井哲也のコミックを実写化したサスペンス。法では裁けぬ悪や罪をネット上で暴露し、その対象への制裁を予告しては実行する謎の予告犯シンブンシとエリート捜査官の攻防が展開する。監督は『ゴールデンスランバー』、『白ゆき姫殺人事件』などの中村義洋。『脳男』などの生田斗真が、新聞紙製の頭巾を被った異様な主人公を怪演、その脇を戸田恵梨香、鈴木亮平、濱田岳、荒川良々ら実力派が固める。息詰まるタッチに加え、社会のさまざまな闇に光を当てる硬派な視点にも注目。 ■ キャスト 生田斗真、戸田恵梨香、鈴木亮平、濱田岳、荒川良々 ■ スタッフ 監督: 中村義洋 脚本: 林民夫 原作: 筒井哲也 in movix倉敷 2015年6月8日 ★★★★★ 「おかあさんの木」 本来これだけの戦死者を出した家の物語ならば、戦前ならば「誉れの家」として語られてもいいような話ではある。それを、逆転させて厭戦作品として生まれ変わらせたのが、この原作の真骨頂なのだと思う。 しかし、時間的には仕方ないとはいえ、あまりにも一郎、三郎、四郎、六郎、誠のエピソードが少なすぎて、おかあさんの悲しみが伝わりきれない。 あまりにも重すぎて、鈴木京香はおろか、ほとんどの女優では映画としては演り切れないのではないか。或いは演出上の工夫があまりにもなさすぎ。 「おかあさんの木は切っちゃいけない」それはその通り。いまの時代だからこそ、その通り。おじいちゃんおばあちゃんしか観にきていなかったのが、この作品の限界を示している。 ■ あらすじ 昭和初期、長野県の田舎の村。7人の息子を生んだミツ(鈴木京香)だったが、若くして夫・謙次郎(平岳大)が心臓発作により他界。息子たちは立派に成長するも次々と出征し、ミツはそのたびに畑に桐の木を植えていた。謙次郎の同僚だった昌平(田辺誠一)やその娘・サユリ(志田未来)らに気遣われながら、ミツは木に語り掛け、息子の帰りを待っていた。 ■ 解説 小学校の国語教科書に長期にわたり掲載された大川悦生の児童文学を基に、7人の子供を戦地に送り出した母の愛を描いたヒューマンドラマ。貧しいながらも子供たちを育て、戦地へ行った彼らを待つ母親を、『血と骨』などの鈴木京香が演じる。メガホンを取るのは、『解夏』『がんばっていきまっしょい』などの磯村一路。共演には、三浦貴大、志田未来、田辺誠一、奈良岡朋子らが名を連ねる。母と子供の関係性や周囲の人々との交流、どんなつらい時代にも強く生きる登場人物たちの姿が感動を呼ぶ。 ■ キャスト 鈴木京香、志田未来、三浦貴大、田辺誠一、奈良岡朋子 ■ スタッフ 原作: 大川悦生 監督: 磯村一路 公式サイトはこちら in movix倉敷 2015年6月11日 ★★★☆☆ 「あん」 なんとなく世間に引け目を感じて伏し目がちに悲しい目をして生きている人は、ハンセン病患者や出所者以外にも多くいると思う。 「私は何もなし得なかったかもしれないけれど、生きていていいんだ」 徳江さんの長い人生で掴んだ結論には普遍性がある。 それが「あん」の美味しさに凝縮するという面白さ。 それにしても、樹木希林の演技は化け物だった。何時の間にこの女性は何を演じても凄い女優になったのか。永瀬正敏の涙を見せない泣きは絶品だった。内田さんの気品は見事。あの美代ちゃん(浅田美代子)があんなにも嫌らしい妻を演じることができるとは思わなかった。 【ストーリー】 刑務所から出所したのち、どら焼き屋「どら春」の雇われ店長となった千太郎の店に、徳江(樹木希林)という女性がやって来る。その店で働くことを強く希望した徳江を千太郎は採用。徳江が作る粒あんが評判となり、店は大繁盛。そんな中徳江は、つぶれたどら焼きをもらいに来ていた女子中学生のワカナと親しくなる。ところがある日、かつて徳江がハンセン病を患っていたことが近所に知れ渡り……。 『殯(もがり)の森』などの河瀬直美が樹木希林を主演に迎え、元ハンセン病患者の老女が尊厳を失わず生きようとする姿を丁寧に紡ぐ人間ドラマ。樹木が演じるおいしい粒あんを作る謎多き女性と、どら焼き店の店主や店を訪れる女子中学生の人間模様が描かれる。原作は、詩人や作家、ミュージシャンとして活動するドリアン助川。映像作品で常に観客を魅了する樹木の円熟した演技に期待が高まる。 【監督・脚本】 河瀬直美 【原作】 ドリアン助川 【出演】 樹木希林、永瀬正敏、内田伽羅、市原悦子、水野美紀、太賀、兼松若人、浅田美代子 イオンシネマ岡山 2015年6月14日 ★★★★★
2015年07月07日
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7月2日のNEWS23で報道された安保法案特集。たまたま見たのだが、加藤周一がずっと願っていた「老人と若者が動けば、日本が変わる」ということの端緒みたいなものが始まっていたと思った。 リンク先のYouTubeで見ることが出来る。先ずはこういう映像を拡散することに意味があると思う。是非周りに知らせて欲しい。 広がる“安保反対” ノーベル賞・益川氏が反対する理由 「安保関連法案に反対する学者の会」に賛同する学者や研究者が、2日までに8000人を超えました。会の発起人の一人、ノーベル賞受賞者の益川教授がインタビューに答えました。こうした反対の動きは若者にも広がっています。ビデオでご覧ください。(02日23:10) 益川さん「老人」の活動だけでなく、冒頭には札幌の19歳のギャルが「戦争したくなくてふるえる」とデモを組織したのを、準備段階から丁寧に取材した「若者」の活動も、報道している。 とってもいい番組。 http://news.tbs.co.jp/sp/newseye/tbs_newseye2531482.html
2015年07月05日
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「ごちそうマリネ」渡辺麻紀 河出書房新社 最近ワインで晩酌(夕食)を始めた。それで、野菜も採れてツマミにもなると踏んで(以前NHKあさイチでもとりあげていたので)、この本を買ってみたのだが、正直役に立たなかった。 本格的すぎるのだ。材料集めは少しは頑張ったのだが、野菜も調味料も途中で挫折してしまった。私にはもっと簡単なのがいい。 「おつまみでフレンチ」田中彰伯 旭屋出版 なかなか作ってみる機会がなかったのだけど、この前唯一試してみたのが、「納豆チーズのパテ」。クリームチーズ(90g)にコーヒーフレッシュ(3)やサラダ油(小2)で柔らかくして納豆(1パック)を混ぜた。 そうすると、非熟成タイプのクリームチーズが、ブリーやウオッシュなどの熟成チーズに変わると書いていた。 そもそも「熟成チーズ」って何?の私なのでよくわからなかったのだが、ワインとはよく合いました(^-^)/。 あ、ワインのシャブリはグランクリュ(特級)とかプリミエクリュ(1級)とかじゃなくて、いわゆる普通酒的なシャブリです。
2015年07月04日
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「三毛猫ホームズの遠眼鏡」赤川次郎 岩波現代文庫 赤川次郎を「発見」したのは、2014年「図書」四月号だった。ここに書かれている安倍政権や石原や橋下への本質的な批判にビックリした。私はずっと赤川次郎が嫌いだった。本屋にずらっと氏の著作が並び始めたのは、「セーラ服と機関銃」が大ヒットした頃だから、大学生の私は、もはやジュブナイル作品には目を向けなくなっていた頃で「読まず嫌い」をしていたのだ。軽めの著作で読むべき本を駆逐しているとさえ、思っていた。 感動することを知らずに育つことは恐ろしい。ヘイトスピーチのデモなどに熱狂する人々を見ていると、「興奮」を「感動」と取り違えているとしか思えない。周囲と互いに興奮をあおり立てることは、自己の内面に湧き出す感動とは全く別のものだ。かつてナチスドイツはユダヤ人作家の本を焼き捨てた。「アンネの日記」の裂かれたページから、「反政府的な本を焼く」ことまでは、ほんのわずかな距離でしかない。(130P) それでも、まだこの時までは偶然書かれたエッセイかもしれないと思っていた。「図書」の定期購読を真剣に考え始めて、それが実現したのはなんとこの連載が終わる一号前だった。氏は毎号、作家らしいユーモアとペーソスを交えて、「社会」を批判していたと気がついたのは昨年の10月である。 30回の連載を一括掲載したこの本が早くも出たことは嬉しかった。改めて赤川次郎を誤解していたことを驚きをもって確認した。 紹介したい文はいくらでもあるが、一部のみ。 (民主党の惨敗が目に見えていたのに解散総選挙をした野田政権について)私がポリティカルフィクションを書くなら、野田首相は経団連から「民主党を潰せ」と、密命を受けていたという話にする。(43p) (また、この時期の北朝鮮のロケット打ち上げについても)これも私がフィクションで書くなら、不審船もロケットも、実は密かに日本の保守勢力が北朝鮮に依頼しての「やらせ」で、当然多額の謝礼が先方の幹部の海外口座へ振り込まれる。そのやりとりのメールを誤って受信してしまった男が、日本と北朝鮮双方の秘密機関から命を狙われて、というお話はどうだろう?(46p) (いやいやながらも講演を引き受けてしまうのだが)ただ、若い人々に話をするとき、私はたいていこういうたとえ話で話を結んだ。 生きていくということは、砂漠の真中に1人放り出されるようなものだ。いつか目指す場所に向かうためには、目印になる高い星を常に見失わないこと。そしてもう一つは日々、命をつなぐための「水」を見付けることだ。その二つのどちらが欠けてもいけない。 目的地に向かってただ真っ直ぐに歩けば、途中、渇きで倒れてしまう。たとえ脇道にそれ、道草をしても、一日一日を活き活きと送るための「水」が必要だ。しかし、それだけたとえ遠回りをしても、目的地がどこかを忘れてはいけない。 高みの星は「見果てぬ夢」、理想であり、日々の「水」は人を愛したり、何かに打ち込む喜びである‥‥。(75p) 赤川次郎の作品を何か読もうとして、この前「鼠小僧シリーズ」の第一巻を買ってみた。作者は「なぜ鼠小僧なのか」に答えてこう言っている。 もとより「鼠小僧」は反体制の闘士ではない。しかし、「権力に守られていない」主人公であることで、見えてくる庶民の辛さ、下級武士の哀しさがあるだろう。およそ「時代考証」には無頓着な作者だが、「抵抗する者」の思いを、主人公にはこめたつもりである。TVがどう描くはわからないけれど。 この視点に、私は共感する。 この前氏は映画「セーラ服と機関銃」新作の発表記者会見で元気に登場していた。連載終了は健康の問題ではなさそうだ。ならば、ぜひ再開して欲しい。今こそ言わねばならないことが、ごまんとあるはずだからである。 2015年6月26日読了
2015年07月03日
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図書館に予約して半年後にやっと読めた。それだけ人気があるという事。それだけが、希望である。 「沈みゆく大国 アメリカ」堤未果 集英社新書 先ずは「BOOKデータ」より 鳴り物入りで始まった医療保険制度改革「オバマケア」は、恐るべき悲劇をアメリカ社会にもたらした。「がん治療薬は自己負担、安楽死薬なら保険適用」「高齢者は高額手術より痛み止めでOK」「一粒一〇万円の薬」「自殺率一位は医師」「手厚く治療すると罰金、やらずに死ねば遺族から訴訟」。これらは、フィクションではない。すべて、超大国で進行中の現実なのだ。石油、農業、食、教育、金融の領域を蝕んできた「一%の超・富裕層」たちによる国家解体ゲーム。その最終章は、人類の生存と幸福に直結する「医療」の分野だった! なぜそういうことが起きるのか。オバマは日本のような国民皆保険を実現したのではなかったか?仕組みは複雑すぎて、正直読んでも理解が追いつかなかったが、要するに保険会社や薬業者が、自分たちが損をしないように、いやむしろ儲かるように制度を作ったからである。というのが真相。 出来るまで、政府は必ず美辞麗句で国民を騙そうとする。「日本の民主主義のお手本」アメリカでさえ、国民はそうやって騙されてきた。次に狙われるのは日本である。それは間違いない。では、どうするか。 メディアは頼りにならない。アメリカがそうだったからである。一部の正統な批判は無視して、「オバマはアメリカを社会主義国にしようとしている」等のバカな議論で国民を振り回した。 インターネットの信頼出来る情報を見分ける「目」を持つことである。では、どうすれば持つことが出来るか。そこは内に籠らず、外に出て人と議論しながら、自分の考えを「持つ」ことだと思う。その上で、こういう「キチンとした」本を読むことも必要だと思う。 2015年6月23日読了
2015年07月02日
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教科書展示会に行ってきました。現在各地で開かれています。行くのは、初めてです。行く気にさせたのは、先日の平和委員会全国大会で聞いたこんな発言でした。 「問題の教科書は既に採択されている地域もある。その生徒が中学三年間を習って高校にやってきた。平和教育の授業を聞いて、ある真面目な少女が手を挙げた。先生、そんなことで愛国心が培われるのですか?と」 たった三年間で、子どもはそこまでに劇的に変わるのか!特に真面目な子どもほど!教育とは、なんと恐ろしいのだろう。 なんとしてでも、我々の地域でこの教科書、育鵬社・自由社の教科書を採択させてはならない。 行けばこんなアンケートを書くようになっている。教科書採択に最も影響があるのは、自治体首長ではなく、現場の教員の意見ですが、市民の意見も参考にされることがあるらしい。我々が見守っていることを示すためにも行って意見を書き込むことが重要です。教科書自体は写真に撮るのはダメと言われたので、その写真はありません。 問題の愛国心について。育鵬社の「公民」はこうなっている。 「家族と郷土」(2p)で、家族の助け合い→地域社会の人間的な繋がりの重要性→郷土愛→「私たちが地域のコミュニティを維持していくためには、各自が郷土の一員として発展し貢献していくことと、公共の精神を持つことが重要になります」と結んでいます。巧妙に家族愛から愛国心への導線が引かれている。そして教科書後半の180pになって、2Pにわたって「愛国心」の必要性について縷々教えるようになっていた。 「国家への帰属意識、国の名誉や存続、発展などのために行動しようと思う気持ちを愛国心といい」「多様な人々をひとつの国民へまとめる重要な役割を果たしてい」ると説明しています。 国家によって、いや何人からも、人の内面は自由であり、強制されるものではない。という基本的人権はここでは無視されている。 驚いたのは、国歌・国旗について囲み記事を作り、5点に渡って細かく細かく「敬意の表し方(当然起立・斉唱も含む)」を書いている。こんなことを含めて、「違憲の教科書である」と私はアンケートに書いた。 その他、「社会の秩序と利益を侵す場合には、個人の権利や自由の行使が制限させられる」かのように書いているところとか、問題だらけ。 自由社の公民も、愛国心は育鵬社ほどにあからさまではなかったものの、憲法の説明、特に平和主義に関連する「国際平和」の見方は問題だらけだった。 自由社「公民」(161p) 「我が国の周辺には軍事大国が存在し、潜在的な脅威になっていて(略)防衛力の役割は増しています」 大間違いです。 「歴史」はどうか。 日中戦争は止むを得ず始まり、東南アジアを解放した一面もあり、侵略戦争ではない。という視点にたった、到底科学的ではない記述に満ちていました。 細かいところでは、もっといろいろあるのですが、バカらしくて検討するに価しません。
2015年07月01日
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