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四時過ぎに京都駅に着く。京都駅を見ると、いつも私は「この屋根がガメラとギャオスの戦いで破壊されたんだな」と思う。5条まで地下鉄で行くこともできたけど、つい旅心が出てきて歩いて向かった。もう十分歩いていたけど、ちょっときつい。歳だろうか(この時点でおそらく15000歩ぐらい)。京都は至る所にお地蔵様が祀られている。しかも、それがすこぶるお地蔵様ではない。何やらの神様なのである。この神さん。曰くありげな石の背後に薄古い仏画を飾る。。お供えは持ち帰ってください、と書いていた。京都には突き当たりのある路地と、通り抜ける路地がある。確かに行くと迷宮に入る気がする。森見登美彦の世界ですね。5条まで歩いてきたのは、「鐡輪の井戸」を見るためである。なかなか見つからず苦労する。普通の家の玄関のようにかすかに案内が書いていた。ホントに普通の玄関の隣にあるのだ。入るのに憚れるが、ちゃんと観光客用の説明を書いているので、入っていいのである。元は世阿弥が作った「鐡輪(かなわ)」という能作品。詳しくは、写真を。ここの水を持ち帰らないように、断りを入れるところが、少しぞくりとする。祭神を守るのは、やはり狐様のようだ。絵馬が何やら不気味である。誰が奉納したんだろ。誰かが忘れていった手袋。そうは言っても、縁を切りたい人は多々いるわけで、ペットボトルの水を持ってきて、お供えして持って帰る人は絶えないらしい。恐ろしや、恐ろしや。さて、そこからさらにテクテク歩いて行く。菅大臣神社。あの権力を笠にきている人のための神社ではない。菅原道真さんの神社だ。北野天満宮が有名ではあるが、こちらは生誕の地らしい。飛梅の梅もちゃんとある。京都は、このように恨みを癒す施設が其処彼処にある。この時期特有か、玄関には例外ない確率で、祇園祭の鉾の名前を挙げる飾りを掲げている。鉾への寄付の印なのだろうか。京都の路地は、突き当たりと突き当たりではないものがある。これは突き当たり。これは突き当たりではない。京都の街は碁盤目状にできているが、時々辻子というZ字路やT字路もある。むしろ人が行き交う場所になっている。ここは膏薬辻子という。この説明にあるように、空也上人が平将門の首塚を供養するための神田神社を建てたことから、空也供養から膏薬辻子になったという説を書いている。空也から膏薬になったのは頷けると思うが、供養から辻子は頷けない。これは柏井壽『京都の路地裏』の「空也供養の厨子」が訛ったという説明がわかりやすい。厨子を建てて供養したわけだ。これが神田明神。平将門さん、なかなか恐れられています。最近新しく建て直ししている。明倫小学校旧正門跡。明治の古い小学校跡ならば珍しくないが、明倫舎は、心学の石田梅岩の弟子・手島堵庵(1718-1786)が開いた心学講舎である。その頃からの門ということで、とっても貴重だ。『おひとり京都の愉しみ』で、カジュアル和食のお一人夕食として勧められていた『まんざら亭NISHIKI』に入ってみる。カウンターに座る。以下の注文をする。盛り合わせ5種 1500(牛スジ味噌煮込み、明太糸こんにゃく、茄子の揚げ煮、ポテトサラダ、菜の花のおひたし)銀ダラ西京焼 1000豚トロと9条ネギガーリック炒め 450白ワイン フランス ソーヴィニョンブラン50% 600(マスドジャニー二、サビアンコムサ・ブラン)赤ワイン シラー50% 600(サビアンコムサ)会計6000円予想。銀ダラは、ものすごく脂が乗っていた。私は生涯銀ダラといえば、この脂が乗っていることを思い出すだろう。9条ネギのガーリック炒めは、普通の味なのだけど、9条ネギのしっかりした存在感だけが際立っていたと言っていいだろう。急遽赤ワインを頼んで良かったと思う。盛り合わせ5種を頼んだ時に、ご希望は?と聞かれたので9条ネギは欲しいと言ったが、入っていなかった。それを指摘すると、どうやら伝達ミスがあったようだ。私は追加オーダーはいいよ、としたのだが、カウンターの向こうから「9条ネギと生麩のおから」をサービスで持ってきてくれた。追加で白ワインを頼む。細やかな気配りは、流石柏井壽さんおススメだけはある。会計は、予想よりも下の5500円くらいだった。名刺の住所は、写真をみてください。宿は朝食バイキングがあるのに、一泊4000円と超格安の「アーバンホテル京都」。ところが、私の勘違いしていたのが悪いのだけど、京都駅北かと思いきや、京都駅南のホテルでした。それでも綺麗な良いホテルです。26630歩
2019年04月30日
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平野区民センター。埋蔵文化財倉庫の名前が。ところが、受付で聴くと、あくまでも倉庫であり、職員は常駐していないらしい。展示も非常に貧弱だった。それでも馬野繁蔵採取考古資料の展示は素晴らしかった。瓜破式と言われた弥生前期の壺は、素晴らしい意匠を施していた。蓋も素晴らしい。青谷上寺地遺跡の蓋と形が変わらないのは、何か意味があるのだろうか?イイダコ漁の土器もあった。スクレイバー。石斧。大型蛤刃石斧。くさび。磨製石剣。磨製石包丁。石キリと石鏃。加美遺跡は、大阪平野の重要な弥生遺跡である。河内潟を挟んで、大阪平野に弥生文化が急速に育っていった様子がよくわかる。ここも、見事な方形周溝墓だ(弥生中期)。y1号墳丘墓。26×16×3m。親族全員が埋葬される(23人)。隔絶された首長という概念は未だない。しかし、銅の腕輪をしていた人は居た。縄文時代、長原式土器の元になった土器の展示がされていた。刻み目のある粘土の紐を(突帯)を1ー2本貼り付けている。形は違う気がするが、韓国最古の土器、隆起文土器とは関係ないのだろうか?出土は2800年前。他の土器から籾痕のあるものもあったという。ほとんど弥生早期と言って良いのではないか?疲れた。ランチを出戸駅近くのイオンのレストラン街(と思って入ると、レストランが2つしかなかった)で、チキングリルとビール大瓶一本を飲む。自分への「ご褒美」。このレストランでは、未だに100円コインの星座御神籤が置いていた。大阪やなあ。こういう昔ながらの長屋式家屋は、実は京都でも見ることになる。出戸駅から駒川中野駅に移る。ここは「長原遺跡・瓜破北遺跡・桑津遺跡出土の弥生、古墳時代土器をはじめ、長原遺跡の地層の剥ぎ取り資料など、旧石器時代から室町時代までの平野の歴史を紹介する約150点を広いスペ-スに展示しています。また、平野区在住の大崎辰三氏が昭和10年に瓜破遺跡で採集した弥生土器や石器の写生をおさめた貴重なアルバムのほか、平野環濠都市の立体模型、民具や農具、地車、河内木綿など、平野を様々な角度から紹介しています。」と書いていて、次こそはと期待したのだが、平野区民センターとあまり変わらなかった。また、弥生遺跡跡を彷彿させる地形もよくわからない。もちろん、昔は河内潟の周りにムラは次々とできたのであり、だからこそ遺跡がこの辺りに集中しているのではある。しかし、びっくりするような発見を見つけることができなかった。悲しい。夕方いっぱいまで大阪巡りをするかと思ったが、案外早く(4時過ぎごろ)京都に着きそうだ。ざっと遺跡を紹介します。ホント疲れた。京都に行こう。なんと新快速に乗り換え20分でも着いた。
2019年04月29日
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4月21日(日)晴れ 旅の1日目花粉症デビューして、今日でちょうど1週間が過ぎた。最初は医者の誤診であって副鼻腔炎を疑っていたけど、微熱が薬飲んで嘘のように下がって、薬を飲み忘れると、ものすごい頭痛と目の奥の痛み、さらにはふらつきまで出て、ずっと他人事だと思っていた花粉症の苦しみとはこうなのだと独りごちたところです。それでも予定の旅はそれなりに楽しい。ゴールデンウィーク前にぽっかり三日間だけ空いて(空けて)旅に出た。遠くに行けないので、京都にしたが、実はその前に去年計画だけを立てて行きそびれた大阪小さな考古学資料館巡りもすることにした。岡山駅に新幹線が入る。私は未だにこの歪な新幹線に慣れない。ここでサンドイッチの朝食を摂る。07:15倉敷駅08:45新大阪OsakaMetro御堂筋線・天王寺行梅田(地下鉄)同駅内徒歩東梅田OsakaMetro谷町線・大日行09:15千林大宮ここには、弥生時代の集落遺跡・森小路遺跡がある。旭区民センターに資料室があるとネットで見つけた。資料室と言いながら博物館だったり、資料室と言いながら通路のお飾りだったり、いろいろなので、ここはどうか。区民センター前の一般地図を見ると、淀川流域であり、川沿いの湿地としてムラができたのだと想像する。流石大阪。区民センターと言ってもなかなか立派だ。遺跡は、谷町線の向かい側だと知れた。少し遠い。行くのを諦める。この千林という街は、完全に碁盤目のように街が区間されている。2000年前に絶えて、その後古墳時代になって再び栄えた街のようだから、古い街にには違いないのだが、戦災のためか、それとも他に理由があるのか、若い街になっている。古い家もほとんど戦後製、新しい家だけど、古いタイプの借家系の家並びがあった。資料室は、大きくもなく小さくもなく、まさに資料室という形で置き場所を借りていた。こちらは2200年前の弥生土器。首長土器が大きな特徴だ。こちらは2000年前の弥生土器。形が吉備とは随分違う。首長は少し短くなったが、その分洗練されている。石包丁はこの形が圧倒的に多い。木のクワは、すぐに壊れただろうな、と思う。ナマズや鰻やフナ、いわゆる川魚とイノシシなどの里山獣を食べていたようだ。祭りに使われた土器。穴を空けるというのは、実用性を無くす(死者が使えない)という意味なのか?それとも他に意味はあるのか?人物を、描いた絵画土器が出土してるようだ。頭が丸いだけで、男だと思っていいのだろうか?銅剣形石剣。銅剣そっくり。この地域は、方形周溝墓が主流だ。しかし、大和政権が選んだのは、吉備の隔絶された首長墓だった。何故地域の伝統を拒否してまで、ほかの地域の祭祀を採用したのか?弥生時代にいったん隔絶した後に、古墳時代にまた人が住むようになる。その間約300年間。10代の人代わりがあったと思える。伝説の地に戻ったわけだ。この後、同じ谷町線で大阪南まで移動して、出戸駅に降りる。後でわかったが、森小路遺跡は、弥生時代に大きな河内湖の北の湿地にあり、平野地区は南の位置にある。のちの難波地区はまだ湖の下だ。平野区民センターに行く。ネットでは、「平野区は全国的にも有名な遺跡が数多くある遺跡の宝庫です。エントランスでは長原遺跡から出土したことから「長原式土器」と命名された縄文時代晩期末の土器、加美(かみ)遺跡の弥生時代の墳丘墓に供えられた土器や高廻り2号墳の埴輪レプリカなど、平野区の代表的な遺跡の出土品を展示しています。区民センタ-の地下は大阪市の埋蔵文化財収蔵倉庫になっており、膨大な量の発掘資料が保管されています。」と解説されているではないか!期待が膨らむ。駅から行く途中に、畑をちょっと見ると、弥生土器らしき破片が落ちていた。埋蔵文化財の職員がいるならば、鑑定してもらおうと持ち込む。思えば、ここまでがテンションがマックスだった。長くなった。一旦切る。やはり一日を2回で語りつくすのは難しいみたい。3回に分けます。
2019年04月28日
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「京都しあわせ食堂」柏井壽 PHP研究所京都の旅で、食に絞った紹介本。使えなかった。てか、ほとんどランチの店なのだが、紹介する店は街中に限定されていて、私は他のところにいて使えないのだ。3日目だけは違っていて、タマゴサンドの名店があるというので、随分と探して10時半に行くと「11時半から営業ですが、1時間予約が入っていて満杯です。12時半からお出で下さい」と張り紙が。偶然にも近くの博物館で時間を過ごしてしまったので、13時にもう一度行くと今度は「満杯です。14時半以降お出で下さい」と張り紙が。バカにしている!結局、この店の同じ通りのおばんざいの店でランチを食べた。美味しかった。私の5人後にソールドアウトになったので、この店も名店のはずだが、この本には載っていない。ということで、点数低めです。
2019年04月27日
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「おひとり京都の愉しみ」柏井壽 光文社新書今回の旅では、この本を1番使うと思っていた。まさに今回は「おひとり京都」だったからである。この本の1番のオススメは冒頭の章だと思い、2日目は下鴨神社周りの散策を最初にした。そこから延々と歩いて北野天満宮まで行った。結局この日の歩数は3万5千歩ほどになったのだが、ものすごく役に立った部分と、歩いた割には残念な部分が半々だったと言っていい。よって、点数低め。よかったのは、みたらし団子発祥の店のみたらし団子を食べることが出来たこと(「加茂みたらし茶屋」)。この地域に他にみたらし団子を売っている店はなく、本家宗家を好きな日本人が自他共に認める発祥団子だとわかったし、実際食べてみて形状・味そして店の佇まい共に他と隔絶していた。下鴨神社の御手洗池のぽこぽこと浮かぶ泡を見立てて小ぶりの5つの団子を作り1つを離して頭にして人型にしていた。謂れは鎌倉時代の後醍醐天皇に至る。コレが京都という街なのである。そこから御霊神社に行く途中に出雲路橋を渡る。ここから見る比叡山から大文字山に至る東山が「もっとも美しいプロポーションを見せる」と著者は書く。理解できなかった。比叡山を眺める『額縁門』の天寧寺にも行ったが「まあそんなもんかな」と思った。オススメの昼食は、一つは当たり(「淡海」)、一つは見つけられなかった。夕食は、一つは食べることができて(「まんざら亭NISHIKI」)、もう一つ(二ヶ所回ったのだが)は、見つけられなかった。そのうちの一つは既に閉店しているとしか考えられない。著者がこの本の中でも熱を入れて紹介していたのに残念(発刊から10年経っているので仕方ない所もある)。しかも、この2つを探すために1時間半歩いた。少し怨みが点数に入るのも理解してもらいたい。全体的に、一万円コースの夕食は、著者はなんとも思っていないようだが、それは一般庶民の感覚とは違う。もちろん「カジュアル」と表現しているのは、その半額でもOKだ。まだまだ行き損ねた所や、行きたい所は多い。また来たいと思う。
2019年04月26日
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「京都の路地裏 生粋の京都人が教えるひそかな愉しみ」柏井壽 幻冬舎文庫京都の旅から帰ってきました。今回柏井さんの新書を4冊持って行ったのですが、結果的に1番役に立った(旅途中、最も鞄から取り出した)本がコレでした。食べ物も、旅スポットも、そんなにテーマが統一されているわけでは無いのですが、所謂観光旅をしない私の好みに合った場所がたくさんあったということなのでしょう。実は、約40年前の受験で兄貴の下宿に宿泊しながらこの時ばかりとまるまる一週間京都を観光しました。そこで銀閣寺、清水寺、金閣寺、嵐山等々の観光スポットは回り尽くしたという自覚があって、その時の旅スタイル、歩き通す旅が最も楽しい発見のある旅として私の身に染み付いたのです。だから、京都に来たらもう有名な場所には行かないことにしています。京都に着いていの一番に行ったのは、夜な夜な怨みを抱いて通った女の実家の井戸(「鐡輪の井」)です。貴船神社は丑の刻まいりで有名。そこへ、五条上がるのこんな所から毎夜三時間はかけて呪いに行く。しかし安倍晴明の力の前に女は逃げ帰る。そして身を投げた所らしい。ここの井戸の上にペットボトルの水を一晩置くだけで、縁切りの水として霊剣新たかになるらしい。これがまた、地図アプリでピンポイントで場所を示されても見つけられない微妙な場所にあり、本の文章を精読してやっと印を見つけてたどり着いたのです。この井戸にも鍛治屋町敬神会が解説書を置いていた。他の場所も教育委員会の説明板など大抵付いている。しかし、本の解説はそれとは明らかに違う原典から解説しており、安直な所から情報を得ていないこともわかった。その他にも、土蜘蛛伝説に繋がる源頼光の大蜘蛛退治の蜘蛛塚二つ(上品蓮台寺と北野天満宮の角)、大工の嫁が八百年都を災禍から守り続ける神さまになる「おかめ塚」、実はこちらにも飛梅があり菅原道真産湯の井戸まである「菅大臣神社」、平将門の首が晒されていた場所「神田明神」、猫の恩返しの伝説のある猫寺、全体的に、怨みや不運を避けるための塚や施設が京都には其処彼処にある。京都だから、それが1000年以上伝えられているのが珍しく無いのが、とても珍しいと思った旅でした。
2019年04月24日
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「京都の定番」柏井壽(かしわいひさし)幻冬舎新書G Wは暇がないので、その前に京都を旅することにした。柏井壽(この名前が一発で漢字変換できるiPhoneは凄い)さんの京都シリーズ新書は何冊もあるので、一挙に4冊も借りてしまった(お目当ての本は2冊も既に借りられてあった。同じ考えをしている人がいるのだと思った)。今回の旅はいくつかテーマがあるが、1つは柏井壽さんオススメの京都を旅する、というのも1つに入れる。その中で1番役に立たない本がコレである。そもそも京都の定番は40年前に卒業した。そもそも私は定番の旅は避けてきた。それが、私の旅スタイルの始まりだったと言っていい。それらのことはまたおいおい書くとして、その中で、1つ「ほぉう」となったものは、お土産の定番として、八つ橋と一澤信三郎帆布の2つを挙げていること。八つ橋はどれもいいとしながらも、「聖護院八ツ橋総本店」(丸太町近辺)の看板「玄鶴堂」の書が、富岡鉄斎というのには惹かれる。京都人にとっては八つ橋はあくまでも焼き菓子である、というのもうなづける。今では断然生八ツ橋が多いと思うが、昔は京都土産として貰うのは焼き菓子の方が多かったからだ。生は保存技術の発達で広がっていったようだ。そしてびっくりするのは、八つ橋に餡を包むのは、1960年が嚆矢とのこと。この60年間で、ものすごい変遷を遂げたわけだ。なんかんや云いながら長くなった。すんまへん。しばらくUPお休みします。
2019年04月20日
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写真は、大野智久さんから直接メールで頂いた。大野さんは、写真解析をする事で、この日の飛行高度を1800メートルと、科学的にはじき出した。自覚的な日本人は知っていて、更に自覚的な日本人ならば、怒っていると思うが、米軍機は日本の空を自由に飛んでいる。墜落を繰り返すオスプレイは、沖縄だけに住み着いていると思っている日本人は少ないと思うが、日本の上空を自由に飛んでいると知っている人は少ない。岩国米軍基地に常駐していたが、昨年から東京横田基地にも常駐するようになった。当然訓練飛行はするから、東京上空をぐるぐる回っているらしい。当然基地から基地へ移動するのは、重要な訓練である。岡山県人もみんな他人事だと思う。だから、「騒がなくてはならない」。この記事にあるように、オスプレイが「本土」に入ってくるときに「可能な限り水上を飛ぶ」のは、国と国との「約束」だ。米軍は、約束なんか、なんとも思っていない。なぜならば、それが戦後の日米関係だからである。岡山県平和委員会は、4月16日火曜日夕方、岡山駅西口において、宣伝と抗議活動を行った。倉敷上空をオスプレイ飛行か 目撃情報相次ぐ、SNSに写真も2019年04月09日 21時56分 山陽新聞デジタル更新 米軍の輸送機オスプレイを目撃したとの情報が8日夕、倉敷市であった。防衛省中国四国防衛局によると、同日、米軍の横田基地(東京)から岩国基地(山口県)の間をオスプレイ1機が飛行したという。 倉敷市のアマチュア天文家大野智久さん(70)は、自宅にいた8日午後5時40分すぎ、「ゴゴゴ」と音を立てて北の空をオスプレイらしき1機が通過するのを見つけ撮影した。機体の大きさなどから市役所(同市西中新田)上空の高度約1800メートルを飛んでいたのではないかと推計する。同じころ、真庭市の農業男性(60)も倉敷市水島地区から市街地上空を飛ぶ1機を発見し、撮影。写真を会員制交流サイト(SNS)に投稿した。 オスプレイは事故の多さが指摘されており、日米両政府は「移動の際は可能な限り水上を飛行する」などで合意している。大野さんは「合意に基づき、市街地上空を飛ぶのはやめてほしい」と話した。
2019年04月19日
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今月の映画評はマイベスト3位のこの作品です。「ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書」昨年春、スティーヴン・スピルバーグ監督は二本のまるきりタイプの違う作品を世に出しました。ひとつは、日本のガンダムや世界のヒーローが一堂に集まって競争するCG満載の春休み映画(「レディ・プレイヤー1」)、もうひとつは骨太の作品「ペンタゴン・ペーパーズ」です。メールも高性能のコピー機もなかった時代の「報道の自由と使命」を描きました。もとは前者の方に力を注いでいた監督は、2017年1月に誕生したトランプ政権に危機感を覚えて急遽製作と監督を引き受けたのです。なんと17年秋の公開に間に合わせ、この作品は昨年のアカデミー作品賞にノミネートされました。1971年。当時ベトナム戦争は明らかに泥沼化して、勝利の見通しはありませんでした。現代の我々がそれを聞くと「当たり前だろ」と、感想を持つかもしれなませんね。でも、アメリカ政府はまるで何処かの国のように、ずっと嘘とごまかしの説明をしていました。戦争調査内容はペンタゴン・ペーパーズ(最高機密文書)として隠されていましたが、NYタイムズがその内容をすっぱ抜きます。実は、アメリカにも秘密保護法があります。NYタイムズは追加記事を出せない状態になりますが、ライバル紙のワシントン・ポストの編集主幹トム・ハンクスは文書を手に入れることに成功します。一方メリル・ストリープ演じるポストの社主は、株式公開を控えて後発の記事を出すのかどうか難しい決断を迫られます。「新聞は国民の繁栄と自由のために尽くすべきです」と銀行を説得するのです。記者が特ダネを報道したいのはわかる。しかし、映画は経営者の矜持と決意を描きました。幹部全員が罪を被ってもおかしくはありませんでした。けれども、最高裁判所は世論の高まりを受けてこのように判決を下します。「報道が仕えるべきは国民だ。統治者ではない」。翻って、日本でこのような映画は可能だろうか?観ている間、ずっと思っていました。日本の報道機関は、一度でもこんな闘いをしただろうか?もちろん、国民の支持がないと新聞社は動かなかったでしょう。米国と日本の違いをいろいろ考えさせられました。ラストシーンは、ニクソンを辞任に追い込んだウオーターゲート事件を描いた映画「大統領の陰謀」の冒頭シーンでした。(2018年米国作品・レンタル可能)
2019年04月17日
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「周恩来『十九歳の東京日記』」矢吹晋編 鈴木博訳 小学館文庫紐解いて中身の濃さに驚いた。二十歳前の中国青年の約一年間の留学準備日記を、言葉の説明はもちろんの事、地図や風俗、時代背景を事細かに書き記して補っているのである。周恩来にあまり興味なくても、1918年つまり100年前の東京の雰囲気を知る上でも興味深い。こんな労作が、99年に文庫本で出たことが不思議でならない。Amazonでは、現在約三倍の高値(1,860~)がついている。こんな良本が絶版になるぐらいに、日本人というのは狭量な民族だったのだろうか。周恩来は、2回受験に失敗する。どうやら日本語が、すらすらと読んだり話せたり出来ないと合格できなかったようだ。無理でしょ、半年そこらの留学じゃ。彼の頭の良さは4月23日の日記で私は認めた。東京堂という本屋で、『露西亜研究』という雑誌を立ち読みし、その場で暗記したことをその日の日記に書いている。ロシア革命は前年の秋のことである。だからここに書いている現在ロシアの党派の分析、特に社会民主党の中のレーニン(この名前も初めて知った筈だ)率いる過激派(ボリシェヴィキ)や温和派(メンシェヴィキ)の方向性の違いをきちんと理解して暗記して、おそらく日記帳数ページに渡り書き記す記憶力は物凄いものがあるし、特にこの内容を日記に記すことを選択した周恩来の時代を見る眼にも瞠目した。日記には常に【通信】欄を欠かさず書いていて、おそろしいほどのハガキ魔だったことがわかる。友愛を大切にする姿勢は、いろんな所に散見する。受験勉強もしているが、時代が要請する愛国運動にも参加する。やがて彼は後者を選ぶ。1人の革命家は、まだ何者でもなかった時期に、それでも非凡だったと私は思う。
2019年04月16日
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「ゼロからやりなおし!日本史見るだけノート」小和田哲男 宝島社著者の言うように、歴史を理解するためには、細切れの知識ではダメで、歴史の流れを理解する必要がある。そのためには「日本史の流れを大まかにわかりやすく一気に学び直す」方法が有効である。それで、どんな本になっているかじっくり検討させてもらった。結論から言えば、この本でそれを試さない方がいい。少し大変だけど、(語句や年代を覚えようとせずに)教科書を4-5時間かけて一回集中して読み通すことの方をお勧めする。なぜならば、(前に読んだ角川版「漫画日本の歴史1」ほどは偏向してはいないけど)その書き方が難しい古代編と現代編を見てみると、やはり納得いかない部分がいくつかあったからである。・10pのイラスト。西日本の顔のルーツは一様に瓜実顔の弥生系と間違うような書き方。しかし、現代の九州や沖縄の顔を見たらわかるように、かなり濃く縄文顔がいるのだ。・15pに、「弥生時代みたいに広い田畑を作ると、定住する必要があるんだ。縄文時代にも狩場争いはあったかもしれないけど、土地を巡っての戦いが多くなったのは定住のせいかな」と書いているけど、その前のページで「(縄文時代に)定住が始まり」と書いているばかり。矛盾している。実際の答えは「余剰作物ができるようになったから」だ。・所々が異様に専門的なのが、この本の特徴。一般男子の服装で、あえて縫わずに腰布を結んでまとっていると表現している。定説ではないと思うのだが。・現代編。207pの(現代日本の基礎となる)安保条約を結ぶ情勢と理由の説明は、そもそも2ページで描けるものではない。私には、大いに異論があるが、ここでは説明は省く。・基本的にこの著者は、護送船団方式の転換、民営化の2つとも大賛成の立場から書いている。それによって日本は繁栄したのだと。果たしてそれしか方法がなかったのか?・バブル破綻はアメリカの貿易赤字と日本銀行の政策によって起きたとしている。まるで他人事である。しかも、日本経済史をほんの数ページで表現するのが、現代編と勘違いしているようだ。・TPPを全面賛成の立場で書いている。納得出来ない。
2019年04月15日
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「父が娘に語る美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話」ヤニス・バルファキス 関美和訳 ダイヤモンド社確かにわかりやすく書かれている。よく売れているらしい。複雑なことをわかりやすく広めると、世の中が少し賢くなる。だから必要だ。けれども、「わかりやすさが先行して、粗雑なわかりやすさになってはいけない」。害悪を拡げる本は批判されなければならない。私が★ひとつとするのはそのためである(どうでもいい本ではないから、振り幅が大きくなる。価値がないと言っているわけではない)。私は何の専門家でもなく、単なる読書おじさんだけど、それでも瑕疵がいくつも見つかった。でも前半は、ほぼなるほどなるほどと思って、読んでいった。こんなところだ。・通貨には、「信頼できる権威の裏付け」(国家や宗教等々)が必要である。余剰ができたから、国家(軍隊や警察・官僚を持つ)や宗教が生まれた。←それはそうだ。たから、この順番は逆ではないと私は思っている。・アボリジニやアフリカの人々は縄文時代のようなものだ。余剰は生み出さなかったから、ヨーロッパ人に侵略されたのであり、経済格差は人間としての優劣の差ではなかった。←それはそうだと思う。これは地理的な環境下で起きた格差の問題である。・金持ちが「もっと豊かになるのは当然だし必要だ」と思い込むのは、君の生活に便利や快適があるのを当然だと思うのと同じだ。格差は、人のせいではなく、社会のせいだ。君は、賢く、戦略的に怒りを持ち続けて欲しい。そして、機が熟したときには、必要な行動を取ってほしい。・では、国内での格差は何故起きたのか?・昔、人間の欲求の中に「利益の追求」はなかった。これが歴史を動かすようになったのは、最近のことだ。「利益」と「借金」が結婚してからである。←ここまではいい。しかし、この後著者は何度も「ゼロからお金が生み出される」仕組みについて説明する。もちろん、その仕組みはある。けれども、私は変なことに気がついた。・どこからともなくお金を生み出す銀行とその上の中央銀行という国家、そのおかげでずっと自転車操業は続く。←ホントに続くのか?国家の破綻はないのか?好景気不景気の循環で、銀行は国家をコントロールする。国家は銀行をコントロールする。では、その最終的な富の源泉はどこにあるのか?ここで、私ははたと考える。世界の労働者の労働力なのではないか?エネルギー不変の法則は存在する。ゼロからおカネは出てこない。著者は、この本でそのことを説明しただろうか?・経済が社会の「エンジン」で、借金が「燃料」だとしたら、労働力はエンジンに点火するための「火花」で、おカネはエンジンを滑らかに動かし続けるための「潤滑油」だ。というまとめに私は納得いかない。燃料は労働力だろ?著者は、これらの解決策に突然「究極の民主主義」を提案する。まるで「振って湧く」かのように善良な市民が登場するかのごとくだ。そこに至る思考の道筋は、共感するところもあるが、マルクスならば『貧困の哲学』のプルードンを『哲学の貧困』で批判したように、これは「世界が逆さまになっている」というかもしれない。私はマルクスのような頭がないので、著者を論理的に批判出来ない。彼の頭の中には、ホントに生きている市民が、どのようにしたらそういう「究極の民主主義」に至るのか、青写真さえも浮かんでいないように思えるのである。金持ちのための欲望にまみれた経済学者よりも良心的な貴重なものだとはおもうので、誰か根本的な批判が出来ないものだろうか!2019年4月読了
2019年04月14日
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東大入学式における上野千鶴子名誉教授の祝辞が話題になっている。詳しくはこちらを読んでほしい。日本における女性学のパイオニアである。とは言っていも、平成よりは少しまえにしか始まっていない若い学問である。なんでも取り上げた分だけ学問になる。だから、「おひとりさまの老後」問題もパイオニアだった。けれども売れた。理由は一つしかない。学問として提示する前に、既に社会の方が変わっていたからである。大学入試における女性差別も、社会におけるさまざまな差別も、どうも(男)社会だけが気が付いていない場合が多いようだ。日本における「女性」とつく問題は、たいていこの体のようだ。さて、閑話休題。この本を読んだ。「おひとりさまの老後」上野千鶴子 文春文庫文庫本が出たのが、2011年12月である。私は、その時読もうと思ったが、図書館に予約すると、数年待たなくては順番が回ってこないほどの予約が入っていた。しばらく予約していたが、途中で諦めた。当時は今ほど積極的に文庫本を買っていなかったのだ。今回本屋に平積みされていて、何も考えずに買ったのだが、実は単なる重版出来だったのである。この本にも書いているが、2007年に単行本が出た時は、こんなに売れるとは予想しなかったらしい。11年段階で28刷75万部、現在文庫本16刷だから軽く累計100万部は超えている。図書館の予約状況を見ると、300万人以上は実際に読んでいることになるだろう。この本にも書いているが、高齢化社会を迎えて、女性はやがては「おひとりさま」になる。なあんだ、シングルも家族持ちも同じじゃないか。だとすると、「1人で暮らす」ためのノウハウと「心構え」を書いたこの本が売れるのは、理の当然だったというわけだ。さらに言えば、オトコはかなりの数がシングルのまま生活している。ここに書いてあることは、ほとんど男にも当てはまることなのである。私が、読もうとしたのも理の当然なのである。介護保険を使いどんな状態になっても満足して最期を迎えるノウハウに関しては、この本では具体性に欠けていて、既読の『上野千鶴子が聞く 小笠原先生、ひとりで家で死ねますか? (朝日文庫)』の方がよっぽど為になる。この本には、まだ実現していないそのような社会になる前の、社会意識みたいなものが見えるということ。そして「おひとりさま」になるための心構えが読めることに意義があるだろう。「おひとりさまで生きるためには、必ずしも家族は必要ない。けれども友だちは必要だ」その他「ピンピンコロリはファシズムだ」とか「介護される側の心得10カ条」とか「孤独死を恐れない。数日で見つけてくれれば十分OK」とか「遺言の書き方」とか、心構え的なことで十分読んで良かったと思った。2019年4月読了
2019年04月13日
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「図説・17都県放射能測定マップ+読み解き集」みんなのデータサイト マップ集編集チーム みんなのデータサイト出版「ビッグイシュー」で存在を知って取り寄せた。直接注文しか手段がないかと思ったためである。後で見ると、Amazonでも扱っていると知った。その方がいいだろう。読者も出版社も、楽になる。本来なら全国の本屋に並ぶべき本だと思う。「予想以上に」売れたのはメディアが取り上げたからだが、売れたのは必要とされる人々に必要とされる情報を書いたのだから、当然なのである。これは、市民の「ホントの汚染状況はどうなんだろう?」という切実な疑問を解明しようと、のべ4000人の市民が測定した「科学的な」土壌汚染状況のマップだ。岡山県に住んでいる私には、関係ないといえば関係ない(ホントは食べ物で気をつけないといけないとは思っているが、それこそどこまで汚染されているかは「科学的には」わからない)。しかし、放射線を出す放射性物質等のいろんな解説が丁寧で参考になった。次々と帰宅困難地域が解除されていく中で、なんとなく放射能汚染は改善されているかのような「雰囲気」が醸し出されているけど、やはり子供が外で自由に遊びきれない所が多くあることを知るのは、私にとってもこれからの事を考えると有益である。なぜならば、岡山県には、伊方原発と島根原発の2つの危険要因があるからだ。特に、南海トラフ地震が言われている中で宮崎沖での群発地震を考えると、ちょっとぞっとする。東京都民にとっては、この本は必読だろう。私も、「えっ?こんなに高いの?」と思った。
2019年04月12日
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「漫画ひりひり」風カオル 小学館1989年の2月9日、手塚治虫が亡くなった日に細川歩は大分県の専門学校の漫画コースの面接を受ける。平成が始まった頃の漫画家志望の青年たち3人の群像を、テンポよく描いた小説である。当然ラストの場面は、平成31年の2月9日前後になる。私は漫画家になりたかった。細川歩は18歳で漫画家を志したけど、私は18歳前後で諦めた。ジャンプで鳥山明の連載が始まって、私には才能はないと早々に思ったからだ。実はそのあとマンガ編集者になりたいと思って、その頃の(私基準の)主要連載漫画約100作品を全て(立ち読みや喫茶店で)チェックするという事も4年以上は続けていたけど、いつしかその習慣もなくなった。平成元年のこの年、『ドラゴンボール』『寄生獣』こそはチェックしていたが『ベルセルク』『SLAM DUNK』『幽☆遊☆白書』は、もう読む事もなかった。だから、漫画家志望青年たちの夢も挫折もいろいろと共感する。だから、漫画家志望青年たちの技術の高さやマーケット感覚を重視する姿勢には、それよりも大切なことがある、とつい思ってしまう。漫画を好きでいるためにけじめをつける。佳奈さんもそうだった。みんな漫画が好きで、それだけはどうにもならなくて、ちがう道を歩き出す。(180p)そうなんです。好きだから嫌いでいたくない。だから諦める。だから私も時々傑作に出会いたくて、未だいくつかの漫画をチェックしている。漫画が大好きだから。「ひりひり」するような痛さと心地良さと。細川歩くんは、たった一年で劇的に変化する。細川歩くんも「それよりも大切なこと」を未熟ながら掴む。大分という東京から見たら田舎の、小さな専門学校という普通成功しないところで、それでも此処は日本なんだ、才能は開花するのだ、というメッセージがとても気持ちよかった。2019年4月10日読了
2019年04月10日
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4月8日は、お釈迦様の誕生日。近所の宝島寺では、昔から「花まつり」をしている。植木市といくつかの出店と、宝島寺秘蔵の屏風絵を展示している。今回は久しぶりに見ることが出来た。近世の四大書僧とも言われる寂厳和尚の書を多く所蔵している。例えば、今回はこんな書が出ていた。達筆過ぎてさっぱりわからない。びっくりしたのは、入ってすぐの突き当たりにあの菅茶山の直筆屏風が置かれていたこと。加藤周一の『夕陽妄語』の書名のもとになった茶山の代表詩「黄葉夕陽村舎詩」の一部が書かれている屏風が展示されていた。菅茶山(1849-1911)。江戸時代後期の儒学者、漢詩人。備後福山の藩校で出講していた。ここの説明文によると、茶山は近くの江長三宅家と縁あり、徳寿院や谷汲寺に度々往来したらしい。この一帯は連島というが、もとは海の中の島だったので、陸地になって連なる島になったというのが、つい最近までの定説だった。ところが、実はここの地名は都羅というところであり、そこから都羅の島、都羅島(つらしま)になった、というのが定説になっている。江戸時代後期のこの時に、菅茶山はこの代表詩の中の1詩として「都羅」という詩を書いていた。びっくりである。江戸時代を代表する漢詩の中に連島を冠した詩がある!それを見ることができた。説明書も一緒に載せる。また、幕末児島郡郷内村の画家、古市金峨の屏風絵も置いていて、その説明に長じて岡本豊彦に師事したと書いていた。和尚に「この岡本は、この近所の岡本唐貴(白土三平の父、昭和を代表するプロレタリア画家)と関係あるのですか?」と聞いた。和尚のいうには、「西浦は文化人をたくさん輩出した。そうかもしれないが、よく知らない。何処かで繋がっているのはよくあることだ」ということだった。岡本唐貴引いては白土三平は、突然生まれた突然変異ではなかったのだ。それも大きな収穫だった。古市の絵を載せる。
2019年04月09日
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最後の二作品です。「金子文子と朴烈」平成の終わりに観た。天皇制に対する徹底した批判を、韓国映画が作ったからと言って、日本人が多く出るこの作品に、日本人が数人しか出演していないのがとても恥ずかしい。日本人の観客は、非常に入っているというのに、である。強烈な法廷劇である。しかも、韓国のロケ村と法廷と、ソウル西門刑務所を使って、富士山の見える風景だけが日本で、非常に安くつくられているが、緊張感のある脚本だった。主人公は朴烈である。そのように作られている。しかし、鮮烈な印象を残すのはあくまでも文子だ。文子のソウル時代を少しでも劇中に入れていたならば「何が私をこうさせたか」というテーマが非常に鮮明になっだのに残念である。(解説とあらすじ)1923年関東大震災後の混乱の中、囚われたふたりは、愛と誇りのため、強大な国家に立ち向かう。韓国で235万人の動員を記録した、激しくも心揺さぶる真実の物語。1923年、東京。金子文子は、朝鮮人アナキスト朴烈が書いた「犬ころ」という詩に心を奪われる。出会ってすぐに朴烈の強靭な意志とその孤独に共鳴した文子は、唯一無二の同志、そして恋人として生きる事を決め、日本人や在日朝鮮人による「不逞社」を結成した。しかし同年9月1日、日本列島を襲った関東大震災により、ふたりの運命は大きなうねりに巻き込まれていく。内務大臣・水野錬太郎を筆頭に、日本政府は関東大震災の人々の不安を鎮めるため、朝鮮人や社会主義者らを無差別に総検束。検束された朴烈と文子は、社会を変えるため、そして自分たちの誇りのために、獄中で闘う事を決意。その闘いは韓国にも広まり、多くの支持者を得ると同時に、日本の内閣を混乱に陥れていた。そして国家を根底から揺るがす歴史的な裁判に身を投じていく事になるふたりには、過酷な運命が待ち受けていた…。本作は『建築学概論』『探偵ホン・ギルドン 消えた村』のイ・ジェフンと、イ・ジュンイク監督のミューズとして『空と風と星の詩人』で注目された新鋭チェ・ヒソがW主演を務め、2017年に韓国で大ヒットを記録。『王の運命』『空と風と星の詩人』のイ・ジュンイク監督がメガホンをとり、大正期の日本に実在した金子文子と朴烈の愛と闘いの物語を描き出した。大鐘映画祭で監督賞をはじめ5冠を達成し、計10冠を記録。日本では2017年の大阪アジアン映画祭のオープニングを飾り、大きな話題を呼んだ。人気スターのイ・ジェフンは、朴烈役を演じるに辺り日本語を習得し、その卓越した演技により表現者として大きな転機を迎えた。チェ・ヒソは、本作で大鐘映画祭新人女優賞と主演女優賞のW受賞のほか、韓国映画評論家協会賞、青龍映画賞などでも新人女優賞を獲得、一躍人気女優となった。日韓両国の実力派俳優による共演も見所のひとつ。布施辰治を演じた山野内扶やキム・ジュンハン、韓国を拠点に活動する在日コリアンの俳優キム・インウ。そして金守珍をはじめとした劇団「新宿梁山泊」のメンバーが顔を揃える。監督:イ・ジュンイク/出演:イ・ジェフン、チェ・ヒソ、キム・インウ、キム・ジュンハン、山野内扶、金守珍2019年3月31日シネマ・クレール★★★★http://www.fumiko-yeol.com/ 「ビール・ストリートの恋人たち」この監督は、黒人の歴史から「黒人悲劇の時代」「黒人運動の時代」「黒人解放の時代」以外の黒人の歴史を吸い上げようとしているように見える。黒人の中には、犯罪者や運動家やスーパースターだけがいたのではない。普通の愛し合う平凡な恋人たちがいたのだと。そういうフィルムを作るのには、成功している。しかし、普通ではあるけど、普遍的ではない。やはり黒人に拘泥している。私もエチオピア生産のカバンを買ったからわかるが、彼らの民族色は、緑であり、水色であり、赤色なのだ。そういう色調でずっと映像をつくる監督のスタイルは、これで確立したが、私はだから何?と思ってしまう。(解説)「ムーンライト」でアカデミー作品賞を受賞したバリー・ジェンキンス監督が、1970年代ニューヨークのハーレムに生きる若い2人の愛と信念を描いたドラマ。ドキュメンタリー映画「私はあなたのニグロではない」の原作でも知られる米黒人文学を代表する作家ジェームズ・ボールドウィンの小説「ビール・ストリートに口あらば」を映画化し、妊娠中の黒人女性が、身に覚えのない罪で逮捕された婚約者の無実を晴らそうと奔走する姿を描いた。オーディションで抜てきされた新人女優キキ・レインと、「栄光のランナー 1936ベルリン」のステファン・ジェームスが主人公カップルを演じ、主人公を支える母親役で出演したレジーナ・キングが第91回アカデミー賞で助演女優賞に輝いた。キャストキキ・レイン ティッシュ・リヴァーズステファン・ジェームス ファニー(アロンゾ・ハント)コールマン・ドミンゴ ジョーゼフ・リヴァーズ監督バリー・ジェンキンス2019年3月31日シネマ・クレール★★★
2019年04月08日
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「運び屋」ずっと、イーストウッドの人生を顧みての呟きに見えて仕方なかった。妻のメアリーが言う。「貴方は外ではいつもすごい人物だと思われたかった。でも、家では何もできない。」最後の時は、ずっと凡ゆる殺される可能性を封じて側にいる。結局それで家族は許してくれた。予想に反して、終始予想通りの展開だったけど、結局家族の許しだけが想定外だった。何処かで見たと思ったら娘役の女性はアリソン・イーストウッド実娘でした。最後の「フォー〜」は、誰だったんだろ。(STORY)90歳のアール・ストーン(クリント・イーストウッド)は、家族を二の次にして仕事一筋に生きてきたが、商売に失敗した果てに自宅を差し押さえられそうになる。そのとき彼は、車で荷物を運ぶだけの仕事を持ち掛けられる。それを引き受け、何の疑いも抱かずに積み荷を受け取っては運搬するアールだったが、荷物の中身は麻薬だった。(キャスト)クリント・イーストウッド、ブラッドリー・クーパー、ローレンス・フィッシュバーン、マイケル・ペーニャ、ダイアン・ウィースト、アンディ・ガルシア、イグナシオ・セリッチオ、アリソン・イーストウッド、タイッサ・ファーミガ(スタッフ)監督・製作:クリント・イーストウッド脚本:ニック・シェンク製作:ティム・ムーア、クリスティーナ・リヴェラ、ジェシカ・マイヤー、ダン・フリードキン、ブラッドリー・トーマス撮影:イヴ・ベランジェ美術:ケヴィン・イシオカ編集:ジョエル・コックス衣装:デボラ・ホッパー音楽:アルトゥロ・サンドヴァル2019年3月17日movix倉敷★★★★http://wwws.warnerbros.co.jp/hakobiyamovie/「スパイダーマン スパイダーバース」「スパイダーマンは独りじゃない。勇気を持って、自分らしく生きれば、みんなスパイダーマンだ」というメッセージをストレートに出して、王道のヒーローアニメだった。最初から最後まで目まぐるしく変わる動画をものしたこと。かっこいい音楽で全面覆ったこと。黒人主人公、アフリカ系少女、アニメロボットキャラ、動物、白黒時代、そして中年太りの各ヒーローで、多様性の時代を反映している。なかなか楽しかった。ともかくアメリカは「ヒーロー」が好きなのだ。(1)ある日クモに噛まれてヒーローになる。(2)活動に挫折する(3)親しい人の死で、絶望する。(4)復活する。(5)本来のホームに帰って行く総ての英雄譚にも共通するが、スパイダーマンも、今回は特に6回も繰り返したことで、「お約束」という事がわかった。(ストーリー)本年度アカデミー賞® 長編アニメーション賞受賞ニューヨーク、ブルックリン。マイルス・モラレスは、頭脳明晰で名門私立校に通う中学生。彼はスパイダーマンだ。しかし、その力を未だ上手くコントロール出来ずにいた。そんなある日、何者かにより時空が歪められる大事故が起こる。その天地を揺るがす激しい衝撃により、歪められた時空から集められたのは、全く異なる次元=ユニバースで活躍する様々なスパイダーマンたちだった――。(スタッフ・出演)監督 ボブ・ペルシケッティ、ピーター・ラムジー、ロドニー・ロスマン出演 声の出演(字幕):シャメイク・ムーア、ジェイク・ジョンソン、ヘイリー・スタインフェルド、マハーシャラ・アリ、ブライアン・タイリー・ヘンリー/声の出演(吹替):小野賢章、宮野真守、悠木碧2019年3月14日TOHOシネマズ岡南★★★★http://www.spider-verse.jp/site/sp/「キャプテン・マーベル」マーベルの隠し球。一種、最強なんでもありのヒーロー。女は怒らしたら怖い。結局、あの猫は何者?20年間何していたの?おてんば大将の彼女はどんなレディになったの?なんか、まだまだ?がいっぱい。(STORY)1995年、ロサンゼルスのビデオショップに、突然正体不明の女性(ブリー・ラーソン)が空から降ってくる。彼女には驚くべきパワーが備わっていたが、全く覚えていない“記憶”がフラッシュバックすることが悩みだった。その記憶にはある秘密が隠されており、それを狙う敵がいた。彼女は、後にアベンジャーズを結成するニック・フューリーと共に戦いに身を投じることになる。(キャスト)ブリー・ラーソン、サミュエル・L・ジャクソン、ベン・メンデルソーン、ジャイモン・フンスー、リー・ペイス、ラシャーナ・リンチ、ジェンマ・チャン、アネット・ベニング、クラーク・グレッグ、ジュード・ロウ、(日本語吹き替え版)、水樹奈々、森川智之、日笠陽子、安元洋貴、日野聡、関俊彦(スタッフ)監督・脚本・ストーリー:アンナ・ボーデン、ライアン・フレック脚本・ストーリー:ジェニーヴァ・ロバートソン=ドウォレ ットストーリー:ニコール・パールマン、メグ・レフォーヴ2019年3月21日movix倉敷★★★
2019年04月07日
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「アリータ バトル・エンジェル」鉄腕アトムを作った日本人にとっては、ここまで人間臭い機械人間いな、アンドロイドは何の違和感もなく、しかも時代は26世紀ということで、何でもありで違和感ゼロ。偶然にも、数日前に観た「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」でデビューしたジェニファー・コネリーと、数日前にオスカーをとったマシャーラ・アリに出会えた。アリータには、普通の女性ではあり得ない眼の大きさと輝きを与えた。様々な人間離れの表現の成否は保留したい。その他、21世紀の現代では出来うる限りの「再現力」でもって、力演と世界観を作成をしていたと思う。全ての謎は次回作に持ち越しており、今はこの世界の判断がつかない。(ストーリー)数百年後の未来。サイバー・ドクターのイド(クリストフ・ヴァルツ)は、アイアン・シティのスクラップ置き場でアリータ(ローサ・サラザール)という意識不明のサイボーグを見つける。目を覚ましたアリータは、一切の記憶をなくしていた。だが、ふとしたことから並外れた戦闘能力を秘めていることを知り、なぜ自分が生み出されたのかを探ろうと決意する。やがて、世界を腐敗させている悪しき存在に気付いた彼女は、立ち向かおうとするが……。キャストローサ・サラザール、クリストフ・ヴァルツ、ジェニファー・コネリー、マハーシャラ・アリ、エド・スクライン、ジャッキー・アール・ヘイリー、キーアン・ジョンソン、エイザ・ゴンザレススタッフ監督:ロバート・ロドリゲス脚本・製作:ジェームズ・キャメロン脚本:レータ・カログリディス原作:木城ゆきと製作:ジョン・ランドー製作総指揮:デヴィッド・ヴァルデス撮影:ビル・ポープ編集:スティーヴン・リフキン、アイアン・シルヴァースタイン音楽:トム・ホルケンボルフ2019年3月11日movix倉敷★★★★「天才作家の妻 40年目の真実」ミステリー仕立て。実在作家の真実ならばともかく、虚構の世界の話ならば、プロットは大したことではない。問題は、校正(演出・演技)の間に肉付けされる細部の「リアル」だろう。確かにグレーン・クローズの「内に溜め込んで、全てを表現に昇華させた妻の半生」を演じた表現には説得力があった。死ぬ間際の夫に向かって「愛しているわ。心から」と言っても、「何が真実か、わからない」と夫が言うのも宜なるかな。ただ、このプロットにこの肉付けは弱い。果たして、そういう作品でノーベル賞はとれるのか?どうやらオスカーは逃したのも頷ける。(解説)ノーベル賞に輝いた作家とその妻の秘密にまつわる心理サスペンス。メガホンを取るのは、ビョルン・ルンゲ。『アルバート氏の人生』などのグレン・クローズと『キャリントン』などのジョナサン・プライスが夫婦を演じ、ドラマシリーズ「MR.ROBOT/ミスター・ロボット」などのクリスチャン・スレイターらが共演する。(あらすじ)現代文学の重鎮ジョゼフ(ジョナサン・プライス)と妻のジョーン(グレン・クローズ)はノーベル文学賞受賞の知らせを受ける。息子を連れて授賞式が開かれるストックホルムに行くが、そこで記者のナサニエル(クリスチャン・スレイター)からジョセフの経歴に関わる夫婦の秘密について聞かれる。類いまれな文才に恵まれたジョーンは、ある出来事を契機に作家の夢を断念し、夫の影となって彼を支え続けていた。2019年3月25日シネマ・クレール★★★ 「バーニング 劇場版」世の映画評を読んで驚いた。ヘミはいなかったかもしれない、猫はいなかったかもしれない、井戸はなかったかもしれない。全ては曖昧なお話だった、というところが魅力だ、などと言っている。確かに全ては描いていないが、最後の場面が現実だとしたならば、全ての事は明らかになっていると思う。ヘミはベンによって、要らないビニールハウスのように殺されたか、売られたかしたのである。時計が、他の女性の戦利品のように置かれていたかことからも明らかだろう。猫はいた。ベンの部屋の猫があの猫かははっきりしないが、ウンチがあった以上はもともとはいたのである。井戸はあった。見ようとしない者には井戸は見えない(虐げられてきたジョンスの母親には見えた)。その中で、ジョンスだけはヘミに気がついた。だから最初からヘミは、猫のようにジョンスに懐いたのだ。こんなにもきちんと説明し、その意図も、韓国の格差社会にあると、明確に描いているのに、まるでファンタジーのように捉える、日本の観客の、何という「現実を見る眼」のないことか!ジョンスは、簡単に捕まらないように、裸になったが、あまりにも杜撰な犯行だった。捕まるのは、時間の問題だろう。その時には、ベンの罪も明らかになるだろうか。いや、それなりの保険はかけているのが、現代の富裕層だろう。そういう、韓国の人たちが観ると、極めてリアルな風景を写し撮った、リアルな作品だった。猫のように表情の変わるチョン・ジョンソは素晴らしかったし、長回しのシーン美しさも特筆ものだった。また、「あると思うのではなく、ないということを忘れるのよ、大事なのは食べたいという気持ち」というのは、作品全体を貫いてはいたが、その気持ちが、何処に着地したのか、それだけはわからないミステリーだった。(解説)『ポエトリー アグネスの詩(うた)』などのイ・チャンドン監督が、村上春樹の短編小説「納屋を焼く」を大胆に翻案したミステリー。小説家志望の主人公の周囲で起こる不可解な出来事を、現代社会に生きる若者の無力さや怒りを織り交ぜながら描く。主演は『ベテラン』などのユ・アイン。ドラマシリーズ「ウォーキング・デッド」などのスティーヴン・ユァン、オーディションで選ばれたチョン・ジョンソらが共演する。(あらすじ)小説家を目指しながらアルバイトで生計を立てているジョンス(ユ・アイン)は、幼なじみのヘミ(チョン・ジョンソ)からアフリカ旅行へ行くのでペットの猫を預かってほしいと頼まれる。帰国したヘミに旅先で出会ったベン(スティーヴン・ユァン)を紹介されたジョンスはある日、ベンに秘密を打ち明けられ、恐ろしい予感が頭から離れなくなる。2019年3月25日シネマ・クレール★★★★
2019年04月06日
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3月に観た映画は全部で11作品。4回に分けて紹介します。「グリーンブック」何故モーテンセンは、あそこまで太らなくてはならなかったのか。もちろん、終始食べてばかりのトニー(よくもまあ2013年まで長生きしたのだとは思う)の役を作るためには必然だった。でも、何故ヴィゴ・モーテンセンだったのか?これは所謂典型的な二人きりのロードムービーだ。その存在感を出さなくては、失敗してしまう。新人は使えない。過去、ある時は英雄の旅を乗り越えた王様、ある時には全身入れ墨を施したロシアン・マフィア、ある時には善良なドイツの大学教授、ある時にはディストピア世界でひとり息子を守る父親を演じたモーテンセンならば、NYブロンクスで生まれ育ち犯罪世界の空気を吸いながらも、善良さを決して捨てなかったイタリア系アメリカ人を演じ切れると踏んだからだろう。時々見せる優しい表情が、過去の映画のことを反映してリアルさを出していた。ドクター・シャーリーの南部演奏ツアーは、62年当時ではかなりの勇気が要ったものだったのだろう。シャーリーは、そんな熱血漢とは思えないけれども、やはり外見とは違う隠された孤独感を持っている。そういう複雑な役を、オスカー俳優マハーシャラ・アリは見事に演じたと思う。外見とは違う隠されたキャラクターが、この映画のテーマなのかもしれない。本来、決して出会わない水と油の2人が、次第とそれを理解する。というのは普遍的なテーマである。登場人物たちが、実は「奥の手を持っていた」という「実話」も、うまく機能している。シャーリーの電話、トニーの銃、奥さんの最後のささやきである。(STORY)1962年、ニューヨークの高級クラブで用心棒を務めるトニー・リップ(ヴィゴ・モーテンセン)は、クラブの改装が終わるまでの間、黒人ピアニストのドクター・シャーリー(マハーシャラ・アリ)の運転手として働くことになる。シャーリーは人種差別が根強く残る南部への演奏ツアーを計画していて、二人は黒人用旅行ガイド「グリーンブック」を頼りに旅立つ。出自も性格も違う彼らは衝突を繰り返すが、少しずつ打ち解けていく。(キャスト)ヴィゴ・モーテンセン、マハーシャラ・アリ、リンダ・カーデリーニスタッフ監督・脚本・プロデューサー:ピーター・ファレリー脚本・プロデューサー:ブライアン・カリー脚本:ニック・ヴァレロンガプロデューサー:ジム・バーク、チャールズ・B・ウェスラー、ニック・ヴァレロンガ2019年3月5日Movix倉敷★★★★★「翔んで埼玉」倉敷でもヒットしています。若者ばかりが、観ていました。ひたすら、県のことをディスるお話。学園ものかと思いきや、実は埼玉解放戦線が活躍する革命物語だったり、複雑な(?)物語入れ子構造になっていたり、同じときに奇をてらった「カメラを止めるな!」がテレビ上映しているときに観たのだが、こちらの方がよっぽど丁寧、かつくだらなかった。ただし、二階堂ふみやGACKTは力演しており、いやあ流石だと思う。機動隊に立ち向かう数万の市民の行動はでてくるが、これを観たからといって決して若者が立ち上がらなければ、と影響を受けるお話ではない。くれぐれも、安倍晋三さん弾圧しないように。(STORY)東京都民から冷遇され続けてきた埼玉県民は、身を潜めるように暮らしていた。東京都知事の息子で東京屈指の名門校・白鵬堂学院の生徒会長を務める壇ノ浦百美(二階堂ふみ)は、容姿端麗なアメリカ帰りの転校生・麻実麗(GACKT)と出会い、惹(ひ)かれ合う。しかし、麗が埼玉出身であることが発覚し……。(キャスト)二階堂ふみ、GACKT、伊勢谷友介、ブラザートム、麻生久美子、島崎遥香、成田凌、間宮祥太朗、加藤諒、益若つばさ、中尾彬、武田久美子、麿赤兒、竹中直人、京本政樹(スタッフ)原作:魔夜峰央監督:武内英樹脚本:徳永友一2019年3月8日Movix倉敷★★★★「ヒューマン・フロー/大地漂流」高野秀行さんがコメントを寄せている。「さまざまな難民キャンプをいろいろな角度で撮ると、焦点がぼけて作品が平板になりがちだ。でもこの作品は圧倒的な映像美と軸のぶれない世界観で軽々とその罠をクリヤーしている。アイ・ウェイウェイ監督おそるべし。」私もそう思った。国際問題の詳しい知識無しには、難民問題の全体像はわからない。しかし、わからないからと言って無視すべき問題でもない、ということをこの映像を通してまざまざと感じることのできる。雄大な自然風景ではない。無機質な自然物、或いは厳しい砂嵐や岩場、それらの景色が何故にここまで美しいのか。美術家の監督の視線から撮っているから、だけではないだろう。そこに「人間」がいるからだ。まるでアリのように動き回る無数の黒い点が、やがて自転車に乗った男や子供の姿で見えてくる。SNS時代に世界は狭くなり、難民は世界史上とてつもない規模で広がり、日本の明治時代の人口よりも遥かに多い人たちが、漂流している。難民を始めた集団に老人は多いが、難民キャンプには圧倒的に若者と子供たちが動き回っている。どれだけ厳しい環境なのか。私は微かに想像する。何度か、観るべき作品だと思う。(解説)今、世界に最も影響力がある現代美術家アイ・ウェイウェイが、"大地の漂流者たち"と共に地球を旋回していく。貧困・戦争・宗教・政治的立場・環境問題など、様々な理由で増え続ける難民たち。その数は、2018年には過去最高の6,850万人に上り(撮影当時の16年は6,500万人)、深刻化する事態とは裏腹に難民受け入れを拒否する国が広がっている。 いま、世界で何が起きているのか。難民たちが辿り着くギリシャの海岸、四方八方の国に散るシリア難民、ガザに封鎖されるパレスチナ人、ロヒンギャの流入が止まらないバングラデシュ、ドイツの空港跡を利用した難民施設、アメリカとメキシコの国境地帯など、23カ国40カ所もの難民キャンプを巡り、彼らの旅路をなぞってカメラに収めたのは、中国の現代美術家であり社会運動家としても活躍するアイ・ウェイウェイ。11年米タイム誌の「世界で最も影響力のある100人」に選出され、その力強い美術的主張が注視される彼が、祖国を追われ地球上を逃げ惑う人々の日常に肉薄する。自らのスマートフォンやドローンからの空撮を駆使し、地球を巡っていく壮大で圧倒的な映像美は、ヴェネチア国際映画祭を始め各国の映画祭で賞賛された。“大地の漂流者たち”が味わう苦難の中に、人間の尊厳と希望を、索漠とした光景に息をのむほどの美しさを見つけ打ちのめされる本作は、“観る”のではなく“体験”するためにつくられた。何度も地図の書き換えが行われてきた動乱の世界で、人間の尊厳への関心を失いつつある社会は予測もつかない分裂の危険に瀕していると、全世界へ警鐘を鳴らす衝撃のドキュメンタリー!難民とは難民については、1951年の難民条約に以下のように定められています。「人種、宗教、国籍もしくは特定の社会的集団の構成員であることまたは政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために、国籍国の外にいる者であって、その国籍国の保護を受けられない者またはそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まない者」上記に加えて、「平和に対する犯罪、戦争犯罪、人道に対する犯罪、避難国外での重大な犯罪、あるいは国連の目的や原則に反する行為を行ったことがない」、という条件もクリアする必要があります。このように、国際法上でいう「難民」の正式な定義は、たいへん狭く限定的なものなのです。世界の「難民」はここ10年で何とほぼ倍増、国内避難民など強制的な移動を余儀なくされた人を加えると6,850万人にのぼります。これは世界全人口の1%弱。実に100人に1人が移動を強いられ“難民”あるいは迫害や紛争を逃れるため国内避難民になっていたり、他の国に庇護を求めていたりするという計算になります。いまや世界は、難民を抜きにして語る事はできません。Agenda note「国連難民高等弁務官事務所の広報日記」連載より抜粋執筆:国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)/ 駐日事務所広報官 守屋由紀日本の難民問題日本に庇護を求める難民申請者の数も年々増えています。10年前には難民申請者がわずか1,600人だったのが、昨年は10倍以上、2万人近く(1万9,629人)ありました。日本は1970年代後半からインドシナ難民の大量流出を受け、1981年難民条約に、翌1982年に難民議定書に加入、新たに難民認定制度を導入しています。日本は、1970年代後半から難民の受け入れを始めてから、インドシナ難民、条約に基づく難民認定された人、難民として認定されなかったものの、人道配慮を理由に在留を認められた人、2010年に開始した第三国定住によって受け入れられた人が延べ1万5,000人近くいます。そんな私たちの身近にいる難民…、彼らはどんな想いを抱いて過ごしているのでしょうか。Agenda note「国連難民高等弁務官事務所の広報日記」連載より抜粋執筆:国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)/ 駐日事務所広報官 守屋由紀2019年3月4日シネマ・クレール★★★★
2019年04月05日
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元号が決まった日は、一日中映画を観ていた(三本ハシゴをした)。テレビも何もかも元号一色になるのが嫌だったからだ。案の定そうなっていた。私には既視感がある。1989年の1月の数日間である。あの時は、CMも「自粛」されていたから、余計に息苦しかった。私は「元号なんて、もう二度と使わない」ということを謳った「詩」を書いて、職場の「職員交流」を目的にした会報に投稿して、それが載った。自由な職場だから当然だと思っていたが、あとあと私ではなく、会報担当者が上司から叱責されたということを聞いた。「取引先にも配られてているのだから、こんな詩を掲載する時は気をつけるように」と言われたらしい。思えば、この経験があの職場に見切りをつける始まりだった。実際に去るのは、それから16年も経った後なのではあるが。私はホントにその後ずっと元号は頑なに拒否した。けれどもある時からは使い分けるようにはなった。公文書作成で、選ぶことが出来ない場面が増えたからである。加藤周一は、「廃元号論または『私と天皇』の事」(『言葉と人間』(1977年))において、元号を廃止した方がいいだろう、と述べる。根拠は3つ。(1)元号の存在が人民主権から逸脱していること。(2)元号の文化的歴史的印象が西暦でも代替できること。(3)西暦の方が便利であること。(1)については、日本共産党も「元号は、時を皇帝が支配するという中国の考え方からきているので、国民主権の憲法に馴染まない」と言っている。私は規模的に賛成だ。(2)については、「平成の時代」という表現は必要だから、元号は残した方が良いと言う人もいる。。加藤周一は言う。「しかしそういう反論をする人々の何人が、たとえば美術史家のしばしば用いる「弘仁仏」「貞観仏」という表現と、「九世紀の前半および後半の仏像」という表現の、どちらを容易に理解するだろうか」。「〜の時代」という言い方は、私は必ずしも元号は必要ない。と思う。江戸の庶民には元号は全然一般的ではなかった。一般に使われていたのは元号ではなくて、干支である。丙午などの歳は、60年に一度やってくる。それならば、文章前後の意味で誰でもわかるからだ。江戸時代では、元号は幕府の意向できまったので、4人の天皇の代始めの改元はなかったらしい。改元のお知らせなどは、庶民までは届かなかった。代始改元が決まったのは、明治からである。「平成の時代」は、現代メディアが作った「幻想」である。テレビの製作者も、それを重々承知しながら、視聴者にミスリードさせている。私は、それが気持ち悪くて仕方ない。(3)は、圧倒的に西暦の方が便利だ。「西暦もキリストの誕生日を記念して作られたに過ぎない」という批判がある。その通りだ。でも「時を支配者が支配する」という思想はない。それでも、メディアは、改元が当たり前という前提で報道する。それが気持ち悪くて仕方ない。
2019年04月03日
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「火の鳥 黎明編(下)」手塚治虫手塚の黎明編は、一度「マンガ少年」によって連載され、その廃刊で未完に終わった。手塚は約10年後に構想新たに描き切る。それは、脂の乗り切った時期の手塚治虫自身も満足できる作品だったろうと思える。壮大なテーマ、いまだかって描かれなかった弥生時代末期の歴史大河漫画、数人の魅力的キャラの創設、戦争という大スペクタクルと洞窟の中の静という緊迫した並行ストーリー。更にはシリーズの1巻目として、見事にその後に続く物語にもなっている。以下、今回再読して気がついたことをいくつか。・「俺たちは生き埋めだ。おれたちの子も、このけものたちも、みんな生き埋めだ‥‥」阿蘇山の火山の爆発で、グズリとヒナクの家族と数十体の動物は光の差さない洞窟に生き埋めになる。(集団ではなく)1組の男女が隔絶された環境で何十年も生きるというのは、日本では、おそらく手塚治虫だけが繰り返し描いたテーマだ。科学の目で人類としての人間を正面から描く手塚だけが、描くことが出来たからかもしれない。しかも、この黎明編では、動物たちは、狼さえも生きている生き物を襲うことなく、協力して出口を探していることを描いている。外では、人間同士が殺し合っているのに、である。・弓彦という天才的な狩人によって、火の鳥は1巻目にして「殺され」首を切り取られる。この火の鳥を巡って、対照的な権力者が描かれる。永遠の命を欲しながら死んでゆくヒミコと、永遠の命よりも「征服者の我が名を子々孫々まで伝えること」を願うニニギという高天原族の男(神武天皇)。生命をめぐる価値観の見事な相対化。・上巻でも容赦ないクマソ侵略の戦争が描かれたが、下巻ではいよいよ「戦争」そのものの正体を容赦なく描いた。それはマンガとしては「見せ場」でもある。明らかに手塚は黒澤の「七人の侍」を意識している。職人肌の弓彦の描き方、戦いの始まる前の静かさ、土砂降りの中の騎馬戦、主人公たちが次々と死んでゆく様。黒澤では正義が勝ったが、手塚は外国からの侵略者(騎馬民族)が勝つという理不尽を描く。因みに、手塚が採用したのは大江氏の「騎馬民族国家論」だと思うが、現代の学説では否定されている。・上巻で使われた舞台装置や映画的カット割はこちらでも使われたが、それ以外にも、でれでれする猿田彦を線が崩れていく様で表したり、逆光だけで数ページ描いて見せる実験もしている。・戦争の本質も描く。ニニギとの不利な戦いが近づいた時にクマソ族のナギが参戦してくれて、かつてクマソを滅ぼしたヤマタイ国の女性たちは泣く子を抱えながらナギに聞く。「ホントにおんな子供たちまで殺されたの?理由もなく?うそだ!わたしたちがそんなむごいことをするはずがない!」ナギは言う。「たしかにお前たちの軍隊がやったことだ。今度はお前たちがその番に回ってきたんだぜ」。現代の若者は他人事のように読むかもしれないが、当時のお母さんたちには、(少女のころ戦争が終わっているので)堪えるセリフだったはずだ。・クマソはヤマタイに負け、ヤマタイはニニギに負ける。勝者が勝利者なのか?それが人間の真実なのか?火の鳥の生き血さえ要らないと言ったニニギは、真のヒールヒーローのように見える。しかし、ニニギさえも打ち負かすのが、猿田彦の子供を身ごもったウズメのセリフである。「女たちには武器がある。勝ったあなたたちの兵隊と結婚して、子供を産み、その子を育て、いつかあなたたちを滅ぼすわ」歴史的にも、そうやって権力者の栄光は決して永遠には続かない。こんなにも見事に戦争を描いた漫画は、実は私は今、他には思い起こすことが出来ない。・「かあちゃ、あの空の向こうには何があるの?」「世界が」。水と日光を手に入れて、洞窟の中で10数年を生き続けてきたグズリ親子は、しかし「生き長らえるだけ」で人間として納得しない。子供たちは、いつか命をかけた挑戦をして、世界を見るだろう。見事なラストシークエンスである。
2019年04月02日
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「火の鳥 黎明編(上)」手塚治虫 朝日新聞が、お蔵入りの手塚治虫の「火の鳥 大地編」のプロットを持ち出して、直木賞作家の桜庭一樹に小説版として続きを書かせるという暴挙を企画した。それを記念して、2ヶ月あまり「火の鳥 黎明編」上下巻の電子版の無料配信を始めた。小説版企画には反対だけれども、これを機会に黎明編を再読した。改めて、マンガの古典だと思う。火の鳥黎明編が、初めて雑誌形の大版として世に出た時に私はリアルタイムで購入した。高校生だった。衝撃を受けた。どれくらい衝撃だったかというと、高校2年の夏休みをかけて、既に読んでいた「未来編」を真似て、30ページの「地球の歴史」をテーマにしたマンガを、(百科事典を参考にしながら)ノートに書きつけているのでもわかる。そこから大河ドラマを描くはずだったのだが、「未完」に終わった(^_^;)。あの本は何十回読んだか、わからない。ボロボロになって捨てた。その後もさまざまな単行本で読んだけど、今回は数十年ぶりに読んだ。先ずは上巻について気がついたことをメモする。・「火の鳥」のテーマは、一言で言えば「命とは何か」「人間とは何か」ということだ。後者に関しては、最初から既に火の鳥が明確に断じている。151ページで、火の鳥がナギの心に語りかける言葉で、結論は出ているのではないかのようにさえ思える。ところが、ナギは肯んじ得ない。いや、このシリーズの登場人物みんな「(他の生き物よりも人間はずっと長生きなのだから)その一生の間に、生きている喜びを見つけたら、それが幸福じゃないの?」というような言葉では納得しない者ばかりなのだ。それが人間というものなのかもしれない。と、40数年経った今、私は思う。・初めて猿田彦が登場するシーンは、1ページを6分割して、ヤマト政権から派遣された将軍としてゆっくり顔をアップで見せて、それをナギの眼(まなこ)と被せて、敵の襲来に驚く様を映す。完全に映画的な表現であり、しかもこういう「効果的な」カット割は、現代マンガでめっきり見なくなった。このシーン、あとあとシリーズ通じて副主人公的な役割を受け持つ猿田彦の、まだ鼻が大きくない貴重なショットである。・また、7ページにも渡る、ヒミコとスサノオとの会話の場面は、完全に舞台表現になっている。手塚治虫は、火の鳥において、テーマ的にも、表現的にも、考えつくだけの「実験」を行った。現代マンガ家のように、数年間1作品だけを描き続けるような漫画家にはならなかったし、なれなかった。その一点だけでも、手塚治虫の後には手塚治虫は居ない。・なぜ猿田彦はナギを助けたのか?最初の登場の時に、将軍はナギのムラを襲って一箇所に集めて、女子供含めてほぼ全住民を殺している。だから唯一将軍に怪我を負わせたナギを奴隷として都に連れて行ったのは、彼の気まぐれのように思える。「お前の弓の腕は確かだ。だから、ヒミコさまのために火の鳥を捕まえて欲しい」と、助けた理由をナギに説明しているが、説得力はない。証拠にナギのせいで、猿田彦の鼻は膨れて都を追われる。しかし、コマ間を読んでいくとわかる。と、この歳になって初めて気がついた。独身の猿田彦は一目惚れした可能性がある。少年のナギに恋をしている。もちろん、あからさまな表現は70年代の日本では絶対に許されないので、あとで猿田彦の父性の発現として描かれているが、ところどころ見ようによってはエロチックに描かれていて、独身の猿田彦に突然父性が目覚めたとは思えない。と、いうようなこと、いろいろ発見があるのが古典たる所以である。
2019年04月01日
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