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「国立中央博物館 ハンドブック日本語版」(価格1.5万ウォン)2012年に発行されているので、開館からなんと7年後にやっと編集出来たハンドブックの日本語版のようだ。もちろん全ての遺物を載せているわけではない。全体を俯瞰し、その水準を量るには、いい本だ。やはり、古代考古学に興味を持つ人にとっては、その大きさ、立派さにも関わらず、この国立中央博物館は魅力のないものであることが分かる。約149の図版のうち、原3国時代までの遺物は、わずか14に過ぎない。国立職員の関心は、王朝の「宝」にあるのであり、謎が多い紀元前や紀元後4世紀ぐらいまでの朝鮮半島の「歴史」はどうでもいいのだろう。あるいは、文章が総てであり、それ以外の歴史は歴史と見たくないのかもしれない。しかし、私の興味は正にその失われた歴史にあるのであり、そこを読んで感じた所のみメモする。隆起文土器(紀元前6000-4000、釜山市東山洞)が櫛文土器(紀元前5000-、ソウル市岩寺洞)よりも先行することを初めて知った。それならば、韓半島に土器が現れたのは中国の影響よりも縄文時代日本の影響と見た方が合理的だろう。ところが、寡聞にしてそういう説を私は読んだことが無い。・紋様はしかし、縄文土器よりもはるかに単純。世界観は違う。櫛文のそれは、口縁部・胴部・底部に三等分されていて、点と線からなる幾何学文だ。自然の中で生活した新石器時代の人々のどんな世界観が、紋様を「抽象化」したのか?ここまで徹底した抽象化は、日本にないように思えるが、実際はどうなのか?磨製石剣。慶尚北道青道市。長さ66.7cm。韓国としては最大の磨製石剣。「墓や住居跡、韓国青銅器時代の支石墓の上石には、石刀と石鏃の形を刻んだ例がしばしばある。これは、男性の社会的権威と役割が重視された当時の農業共同社会において、生産と豊穣を祈願する呪術的・宗教的意味が支石墓に込められたものである」このガイドブックの説明に、愕然とする。「男性の社会的権威と役割が重視された当時の農業共同社会」という根拠をもし、狩猟道具の絵画的表現に置いているのならば、それは全く根拠にならない、と言わざるを得ない。漆鞘銅剣。慶尚南道昌原市茶戸里1号墳。原3国時代(紀元前1世紀)。「茶戸里遺跡は、平らな低丘陵に造成された原3国時代前期における集団埋葬地の代表例である。特に首長級の墓と考えられる1号墳からは、副葬品をおさめた穴や丸太棺が見つかった。副葬された漆器は、筆、扇、鞘、矢筒、容器など様々で、更には漆器の金属、土器も見つかった。写真の遺物は、漆塗の鞘に納められた韓国式銅剣。鞘の構造や漆塗の技法から、当時の高い文化がうかがえる」農耕文青銅器。(伝)太田市槐亭洞、初期鉄器時代(紀元前4-3世紀)。幅12.8cm。韓国の絵画的遺物は、もしかしてこれだけなのか?日本の銅鐸と比べると余りに少ない。そもそも銅鐸は韓半島から来たはずだが、展示されているのを見たことがないのだが、見落としているのだろうか?ここでは、1人は鳥の羽を刺してタビ(踏み鋤)で畑を耕す男(←ここでも男!根拠は何か?)と、鍬を振りかざす人がいるらしい。ソッテを連想させるような神竿もあるらしい。形も日本では見られない形。私は青銅器時代の韓国の人々が、追われて次々と日本列島にやって来たとおもっているが、当時の祭器の多くが日本では採用されていないのは何故なのか?不思議に思っている。王族はやって来なかった。と断ずれば、多くを説明できる。あと、幾つか注目遺品はあるが、長くなるので、ここまでとする。
2019年02月27日
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「「食いもの」の神語り」木村紀子 角川選書万葉言葉から、古代の生活を組みたてる本。私がこの著者を信頼するのは、まるで縄文から使われてきたような古い言葉だとは滅多に言わない。それなりに節度を持って、言葉の考古学を構築しているため。・スサとは「吹きスサぶ・荒れスサぶ」。ヲは男。スサノヲに意訳の記載はなく、一貫して素戔嗚尊。スサノヲに該当する嵐は、漢土になく訳語も無いとされていた。・メ(芽-目)、ハ(葉-歯)、クキ(茎-歯茎)、ハナ(花-鼻)、ホ(頬-穂)、ミ(実-身)、タネ(種-胤)、カラ(殼-体)、ネ(根-根)といった、人と稲(穀草)との同一音による一体化した捉え方は、原始部族に時々認められているトーテミズムの発想に通じる現象であり、列島上でのそれらの言葉の原初的な発祥を窺わせるものである。田も、本来は水田稲作開始以前から、草木等を払った一定の広がりを持つ畑作地をいったものだと見られる「豆田、栗田、稗田」といった古語は、本来の田のあり様に沿って言われたものだろう。(31p)・イモはウマシに通じる。口いっぱいにイモを含んで、思わず出る言葉が、ウマウマである。ドングリなどではなく、縄文時代の主食だったという説もある。豊国の地名由来が、芋の繁栄だったのは「食ひて活くべき」状況の保証だと認識されていたためである。・クニやムラ・サト等、居住する土地の命名を、どんな意味を担う音にするか、さらに文字を知ってからはどんな字を当てるか、といったことへの古代人の思い入れや拘りは、後世よりもはるかに強かったようである。(粟国、小豆島、吉備、揖保(稲粒)、稲見国)
2019年02月26日
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“カンヌ女優”チョン・ドヨン×ユン・ゲサン×ユ・ジテ豪華競演!「魔女の恋愛」監督が贈る、法廷を舞台に繰り広げられるサクセス&ラブストーリー「グッドワイフ~彼女の決断~」最近常盤貴子主演で、日本ドラマでリメイクされている(とはいっても、これも米国ドラマのリメイクらしいが)韓国版「グッドワイフ」を録画していたのをやっと全編観ることができた。何を隠そう、私はチョン・ドヨンのファンである。ところが、岡山にはなぜか時々作られていた彼女の初演映画が、この10年ほどかからなかった。2014年あたりから本格的に映画復帰していたみたいだ。いま、少しずつネットやビデオで見ている。相変わらず、美しいし、演技がうまい。彼女はいわゆる「憑依型」の女優だった。韓国映画は、評価が高い割には、キム・ギドクは別としていまだにあまり海外の映画祭で賞を取らない。彼女は貴重なカンヌ女優だ(「シークレット・サンシャイン」)。最近の彼女は不倫で悩む役が多くて、なんだかなあと思ってしまう。もっとはじけた演技や歴史大作に抜擢するべきだと思うのだか、韓国のプロデューサーに力がないのかな、と思ってしまう。さて、「グッドワイフ」は、日本のそれよりも21話があり、より詳しく展開しているのと、終わり方が賛否ありそうで(結局離婚しなかった)、日本版はどう着地するのか、それだけは確かめようと思っている。
2019年02月25日
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「イーハトーボ農学校の春」宮沢賢治 角川文庫「読者が選んだ名作復刊」シリーズの中に本書があったので、手にとった。総て、農学校教師時代の26歳から30歳の間に書かれた短編12篇が載っている。賢治ファンの私も見落としていた珠玉のアンソロジーだった。特に、最初の4篇は、まるで教師の日記のように具体的だ。「或る農学生の日誌」はまるで自分の生徒の日誌を盗み見たような迫真性を持つが、文章は紛うことなき賢治のものである。「イギリス海岸」は、ほとんど教師としての日誌である。「第三紀偶蹄類の足跡標本の採取」は、想像かと思いきや、解説によるとホントのことらしい。授業中の発見なんて、正に僥倖と言っていいだろう。そのあと、未完成原稿もふくみながら、小中学校時代の世界に対する好奇心、イーハトーボ世界の表現様式の実験、或いは昔ホントにみたかもしれない残酷な幻想を書き留めている。全集をくまなく見ないと見つけられないこれらを読めて幸せだった。
2019年02月24日
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「泣きたくないなら労働法」佐藤広一 光文社新書私は週1日ボランティアで労働相談をしている。この著者のように、社会保険労務士の資格があるわけではなく、少し経験と知識があるだけなのだが、それでも電話で相談を受けてアドバイスすると、感謝されるばかりだ。つまり、それほどまでに、日本の労働者は、労働法について無知なのである。また、多くは特に中小企業の社長も労働法について無知なのである。平気で「うちには有休などは存在しない」などと宣うのだから。社長さん。貴社の就業規則にいくら有休規定がなくても、労基法にきちんと書かれている以上、正規非正規問わず、総ての労働者には一定の条件下で有休取得の権利はあるのですよ。というような「常識」を書いていたらきりがないので、労働法初心者の私が「なるほど」と思った所を忘備録として以下にメモする(2011年発行なので、幾つかは法改正されているのを考慮しておかねばならない)。・業務委託契約は労働者にならないが、契約先と従属関係にあれば労組を組織することができる。(ブロ野球選手等、解雇された労働者、内定取り消し学生)・「名ばかり取締役」が労働者性を獲得する条件。会社従属関係、就業規則適用、役員報酬よりも賃金が高額、それらを証明できる帳簿が存在。・試用期間でも簡単に解雇は出来ない。・「書面」によって労働条件を明示しなければならない事項。始業・終業の時刻と早出・残業の有無、賃金の決定・計算・支払の方法、退職・解雇規定。これらが入って違っていたら、労働契約を解除する権利が労働者にある。・「損害賠償を予定する契約」は出来ない。損害賠償を請求することはできるが、賠償額は「合理的範囲内」に。(←ブラックバイトの損害賠償は、かなりハードルが高いはずだ)・身元保証契約は、期間の定めのない場合は3年、ある場合は5年。損害額の全額を賠償することはなく、2ー4割程度が相場。・労働時間の適用が除外される人たち。農畜水産、管理監督者または機密事務取扱者、監視・断続的労働従事者(用務員、お抱え運転手、寮母)但し、旅館の客室係、タクシー運転手、ボイラー技士などは認められていない。・賃金の非常時払い。出産・疾病・災害・結婚・死亡・やむ得ない事情による一週間以上の帰郷。・天変地異災害によって、使用者に休業手当の支払義務はない。・配置転換は、使用者の権利だが、濫用に当たる場合がある。また、労働契約で職種や勤務地を限定していたら命令は不可。また、配置転換により賃金が下がると、「重要な労働条件の不利益変更」になるので、労働者との個別同意が必要。・出向は、就業規則や労働契約に規定されていたら、同意なく命令できる。当然「濫用」は出来ない。・転籍は、労働者の個別の明確な同意が必要。・産後8週間を経過しない女性を就業させることは出来ない。但し、6週間を越えて女性が希望し医師が支障ないと認めた業務への就業は可能。なお、産前42日、産後56日は、健保から賃金の2/3が支給される。・天変地異災害の時は使用者は、解雇予告手当や期間を設けなくても良い。・試用期間の解雇予告手当除外は、雇い入れの14日以内の時のみ。(就業規則に3ヶ月の明記があっても払わなくてはいけない)・整理解雇4要件の具体例。・懲戒は、(1)譴責(2)減給但し、賃金総額の1/10を超えない範囲(3)出勤停止。但し、それが決まるまでの自宅待機の間は賃金の6割以上支払必要(4)諭旨解雇。退職願を出させるもの(5)懲戒解雇(就業規則に則り、行為と処分のバランスが取れていて、段階的に適用するのが原則、二重処分禁止)←これらを考慮すると、バイトテロによる一発懲戒解雇は正当だったかどうか、精査が必要かもしれない。ましてや、懲戒解雇を根拠にして(何百万とも言われる)損害賠償請求するのは、本当に実損害を請求することになるのか、キチンと見守るべきだ。解雇したことで、その会社が好印象持たれたのだとすれば、既に損害賠償は無効に近くなったと見るべきだろう。
2019年02月23日
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「民主主義」文部省著 角川文庫昭和23年に書かれた中高校生向けの教科書。「新しい憲法のはなし」の三倍以上の分量はあるが、現代の選挙権を持とうとしている高校生に読ませたい、いや現代の大人に読ませたい示唆に富む文章が多々ある。解説者が内田樹で、主たる問題点を正当に補っているのも良い。戦中には、こんなにも真の知識人たちが隠れていたのか!と感動する。紹介したい所。・民主主義制度に対する歴史的な批判は、主に二つ。「衆愚政治になる」「個人主義で統一が乱れる」だ。前者に対しては「人間は神ではない。だから、人間の考えには、どんな場合にもまちがいはありうる。しかし、人間の理性の強みは、誤りに陥っても、それを改めることができるという点にある。しかるに、独裁主義は、失敗を犯すと、必ずこれを隠そうとする。理性を持ってこれを批判しようとする声を、権力を用いて封殺してしまう」。後者に関しては「民主主義は、個人を尊び、個人の自由を重んじる。けれども民主主義の立場は、正しい意味での個人主義であって、決して利己主義ではない。できるだけ多くの個人の、できるだけ大きな幸福を実現しようとする民主主義の精神は、おのれひとりの利益だけを求めて、他人の運命を歯牙にも掛けぬ利己主義とは、正反対である。」(251-258p)・経済民主主義の実現を図るうえからいって、労働組合の健全でかつ建設的な政治活動に期待すべきものは、きわめて大きい。(242p)・民主主義を単なる政治のやり方だと思うのは、まちがいである。民主主義の根本は、もっと深いところにある。それは、みんなの心の中にある。すべての人間を個人として尊厳な価値を持つものとして取り扱おうとする心、それが民主主義の根本精神である。(3p)(←内田樹は「制度ではなく、心だ」と断定してしまうと、カントもプラトンも「違う」と言うだろうという。しかし、内田は日本思想の民主主義精神の「連続性を顕彰し」たかったのだと擁護する。460p)・イギリスではマグナカルタ(1215)によって民主主義の芽が育ち、900年かけて育てた。アメリカでも、最初は支配者の利益を図ろうとする打算が動機だったが、ひとたび民主主義の芽が出れば、あらゆる雪や霜の寒さともたたかって、すくすくと伸びた。1946年のフランス共和国の新憲法は、フランス革命の精神をただ単に守り抜いているばかりではなく、その精神を新しい時代にふさわしく拡充しようとしている。(37-63p)・政治に無頓着な人(棄権する人)に二つのタイプがある。(1)相当の知識もあり、能力もありながら、かえってそのために、政治をくだらないこととして見おろそうとする人々である。(2)政治を自分たちにはわからない高いところにある事柄だと思う人々(「私にはむつかしいことはわからないから」)。どちらも正しい態度ではない。選挙権は、権利でもあるが道徳上の義務でもある。というよりも、むしろ多くの人々の幸福を思う愛情の問題である。選挙場に行かなかったら、乳房を与えてあやしている我が愛児が、その一票のために将来独裁政治の犠牲になるかもしれないということは、けっして物語でも、おとぎばなしでもない。(106-107p)(←当時は非常にリアルに受け止められたであろうこの言葉は、現代では何処まで受け止められるか。しかし、真実である)・「多数決は、これならば確かに正しいと決定してしまうということではなくて、それで一応のけりをつけて、先に進んで見るための方法なのである。」「少数の声を絶えず聞くという努力を怠り、ただ多数決主義だけをふりまわすのは、民主主義の堕落した形であるにすぎない」(118-120p)・民主主義の落とし穴。多数をしめた政党に、無分別に権力を与える民主主義は、愚かなウグイスの母親と同じことである。そこを利用して、独裁主義のホトトギスが、民主主義の巣ともいうべき国会の中に卵を産みつける。そうして、はじめのうちはおとなしくしているが、ひとたび多数を制すると、たちまち正体を現し、すべての反対党を追い払って、国会を独占してしまう。民主主義はいっぺんにこわれて、独裁主義だけがのさばることになる。ドイツの場合はまさにそうであった。(117p)・(巧妙なメディア宣伝の中から健全に判断し、正しい主張を)冷静に判断しうるのが、「目ざめた有権者」である。(131p)
2019年02月22日
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「高倉健・藤純子の任侠映画と日本情念」山本哲士 E.H.E.S.C.(文化科学高等研究院)限定400部の、しかもAB変形の大判の本。おそらく、高倉健・藤純子解説書では最も詳しい本のひとつではないかと思う。1960年代の任侠映画については、総てのセリフは流石に無いが、主要な作品のひとつひとつの物語と解説と分析がついている。もちろん、資料的な本では無いから、出演者やスタッフのデータはあまり書かれていない。しかし、著者の気になる場面の分析は、豊富な場面写真と共に付されていて、資料的価値はあるだろう。一言で言えば、当時の新左翼系の学生が、なぜ任侠映画をあれほどまでに「支持した」のか、その思想的分析をしてみようという、著者の 思い入れたっぷり詰まった378pなのである。1人の哲学徒が、映画の中の「情念」の止揚に何を観たか、一生懸命書いている。と、ここまで書いてはっきり言うが、正直私にはどうでもいい。80年代に、学生運動の残滓に迷惑蒙った者として、70年代の学生運動を誠実に総括してこなかった世代の呟きに、付き合う義理は無い。だから、この本の資料的な価値だけを認めるだろう。2019年2月読了
2019年02月20日
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「図書2月号」より丸善で本も買わないのに「ください」と言ったら、にっこりしてくれたので貰ってきた。「図書」の寄稿文は、時々大きく外れるので定期購読を止めていたのだが、今回は豊作だった。ウィルス学の田代眞人氏の「大流行による惨劇から100年ースペイン・インフルエンザ」は、人類が一つの病を克服してきた歴史だと思っていたものが、全然違っていたことを教えてくれるものだった。中世のペスト(黒死病)大流行の次に世界的に起きたのが、1919-20年のスペイン・インフルエンザ(スペインかぜ)だった。第一次世界大戦を終わらし、その後の復興を妨げ、第ニ次世界大戦を準備したという歴史もびっくりだけど、日本では5500万人の人口のうち、45万人もの人が亡くなっていたことを知った。現代で言えば、約100万人がインフルエンザで死んだことになる。軍事優先の社会で、士気を削ぐ報道を統制したこと、関東大震災の強烈な記憶の陰に隠れたことで、その5倍もの死者を出したスペイン・インフルエンザの惨劇は忘れられていったようだ。最新の遺伝子研究で、突然弱体化して忘れられてしまった初期の正体は明らかになったようだ。しかし、そもそもの起源、第二波が強毒化した場所と機序、第三波の後に弱毒化した理由などは未解明のままだという。だから、新たなパンデミックの可能性は、多くの学者が指摘している。R・G・ウェブスター『インフルエンザ・ハンター』(岩波書店)や『日本を襲ったスペイン・インフルエンザ』(速水融 藤原書店)などを、是非紐解いてみたいと思う。因みに、マイ職場では先週(全員予防接種しているのにも関わらず)なんと5人以上次々と掛かった。私は大丈夫。生涯中学の時1度しか掛かったことがない。こんなのを見ると、パンデミックは近いのかな、と思う。片桐千秋氏の「崖葬墓文化の起源を探る」は、沖縄に伝わる「風葬」文化が、縄文時代どころではなくて、石器時代から延々続いてきたことを簡略に述べたものである。残念ながら、氏の文章は、発掘途中の中間報告であり、本としてまとまっていない。しかし、風葬(その一形態として映画にも描かれている『洗骨』がある)の中に、東南アジア民族の持つ「家族」「氏族」の思想が滲み出ている気がする。それが、日本列島に渡りどのように変化するのか、つい先走って考えてみたくなるような文章だった。
2019年02月19日
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下巻は正に「解決編」だった(以下、ネタバレの中枢には言及していないけど、そこから波及する結果には言及しています)。謎は大まかなところでは解けた。もっと、藩の中枢の政治的な歪みが、事件を起こしたのかと思っていたが、政治というよりも、やはり人の心の中の欲望、恨みなどが発動したのだ。相手が権力の中枢にいるだけに、慎重に慎重に行われ、その周辺の庶民に対しては、もっと簡単に殺されたり、隠微されたりしていたことが分かった。そういう意味では何時もの宮部みゆきなのだ。しかし、謎は100%解かれたわけではない。「真の黒幕」(386p)は、未だ影さえ現してはいないように思える。しかし石野織部は「内訌が露わになれば、北見藩の存亡にも関わりかねぬ」とここで打ち切りを宣言する。若い政治家栗木も「獅子身中の虫を殺そうとして、獅子そのものを殺してしまう羽目」は避けるべきだと同意する。不満だが、下級武士に過ぎない半十郎も「堪忍します」と同意する。(387p)思うに、現代政治家に通じる「ずるい部分」である。宮部みゆきは、そのことにはあまり嫌悪を表さない。ただ、重興は出土村で新居を構えるだろう。その時、多紀を含めた新たな事件が、過去を蒸し返さないとは限らない。もちろん、それは新たな一編が必要になる。御霊繰の術は絶えてはいない。今回は医学的にはとても科学的に物語が進んだが、宮部みゆきの時代ものらしく、そこの謎も、総ては明らかにしていないのである。蓋し、エンタメの常道であろう。2019年2月読了
2019年02月18日
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映画評「スリー・ビルボード」毎年2月の第4月曜日の午前から昼過ぎにかけての約3時間、映画ファンならば気もそぞろになる出来事が起こります。米国アカデミー賞の発表があるのです。私は携帯を始めてからは、ほぼリアルタイムで結果を把握してきました。今年は2月25日です。アカデミー作品賞、監督賞が、必ず私のベスト10に入るかどうかは、観てみなくてはなんとも言えません。確率は五分五分でしょうか。ただ授賞作品は必ず観ます。昨年は「シェイプ・オブ・ウォーター」が作品賞・監督賞を獲りました。けれども、私は主演女優賞・助演男優賞の本作を断然推します。それは私だけではなく、 昨年秋にキネマ旬報が、ベスト・テン外国映画第1位、読者選出外国映画第1位、外国映画監督賞、読者選出外国映画監督賞をこの作品に授けたことでも、少数意見ではないことが分かります。圧倒的なヒリヒリするようなドラマでした。冒頭、ミズーリ州の寂れた道路に、町の警察署長ウィロビー(ウディ・ハレルソン)を非難する巨大な3枚の広告看板(ビルボード)が現れます。設置したのは、7カ月前に何者かに娘を殺されたミルドレッド(フランシス・マクドーマンド)です。何の進展もない捜査状況に腹を立てケンカを売ったわけです。署長を敬愛するディクソン巡査(サム・ロックウェル)や町の人たちは、彼女をなじります。ここまでは、保守的な田舎町に反逆する女性の物語かと思います。ところが、そこから不穏な事件が次々と起きるのです。混沌とはしていません。不思議とまとまっています。3枚の広告が、チェスの一手のように手詰まりだった町を動かし、3人の人物を動かし、途中3通の手紙が、憎しみの連鎖で破滅するかに思えた結末を、不思議な赦しの物語に変える構造になっているからかもしれません。悪人の中に善人が隠れている。リアルなんだけど何処か寓話的な、不思議な話でした。田舎町の描写は、アメリカの閉塞感を表し、トランプ支持層の現実とはかくなるものかと思わせます。黒人、障害者、イラク派兵等々の問題も出てきます。まるで3枚のビルボードが見せる米国の曼荼羅でした。米国アカデミー受賞作品は、たいていは力作です。でも、最終的な評価は、やはり直接観ないと判断出来ません。さて、今年はどうなるでしょうね。(2018年米国マーティン・マクドナー監督作品、レンタル可能)
2019年02月17日
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「ビッグイシュー352号」ゲット!「お久しぶり!元気でした?」「実は月末にサイフを落としてしまって、最新号を仕入れるお金がなくて、ずっとアルバイトしていたんです」「!!それは、可哀想に」二週間近く街頭に出ていなかった様子なので、てっきり身体を悪くしていたのかと心配していたのである。これはこれでホントに可哀想だし、私の経験と違って未だサイフは出てきていないそうなのだ。ただ、私は改めて思った。詳細はわざと聞かなかったのでわからないが、1度のサイフの紛失で、次の「商品」の仕入れ資金も無くなってしまうような、そういうギリギリの生活をしていることが、私には心に残った。今年の正月は、2008-9年の派遣村から10年で、その記念集会も各地で開かれた。岡山でも、派遣村は開設された。その時、私は「話には聞いていたが」岡山にもホームレスがいることをやっと実感持って知ったのである。それから10年、全体的な総括は私には出来ないが、見た目のホームレスは幾らか減ったと思う。しかし、湯浅誠氏が言った、一旦落ち始めると、あっという間に落ちて這い上がれない「滑り台社会」は、未だ健在だと思う。なぜならば、人の努力による運用は少し改善されたが、それを失くす制度は出来ていないからである。ーというようなことを思った会話だった。さて、表紙はジョン・ボン・ジョヴィ。改めてロック歌手は、世の中に物申す人たちであって欲しい。日本はそうはなっていない。悲しい限りだ。処で、エコノミストの浜矩子さんが「まいきん(毎月勤労統計)」不正問題で、最後に一言言った。「ああ、いまいましい。厚労省の面々を呪い殺そうと思う。まじめなエコノミストは皆、そう思っているはずですよ」。物騒だけど、十数年自分の発言の根拠としていた数字が違っていたら(浜さんの場合は、本来はそうであるべきことを主張していたかもしれないが、主張の違う真面目なお仲間は特にそうかもしれない)、そう思って当然。呪い殺すのならば、刑法にも引っかからないし(^_^;)。
2019年02月16日
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旭川の水を引き込んで、岡山城のお堀になっている川の畔の町は出石町と言って、江戸時代は商人の町だった。其処彼処(そこかしこ)に昔の面影がある。例えば、この「商店」の玄関口の上にこのような漆喰飾りがある。何か謂れがありそうなのだが、わざとわからないままにしておきたい。大通りを挟んでその昔の街道の南隣には、このような大黒天さんもおられる。油をかけるのが功徳なんだそうだ。俗気の多い御尊顔ではある。その南隣には、楠木神社があるのだが、やはり謂れを調べることは止めておこう。さて、この街道の北の玄関口辺りに、アートスペース油亀という美術画廊がある。見た目は、完全に下級武士長屋である。しかし、奥は案外深く、昔に何かの商店だったのをそのまま利用しているのがわかる。ここで、様々な器展をしていて、毎年この時期には珈琲カップ展をしている。開催間近の日曜日ということもあるのか、私の想定以上の有名画廊なのか、若い女性でごった返していた。2千円台から5千円台の珈琲カップが所狭しと並んでいる。出張喫茶店も繁盛してる。ペタンと座ってお客さんが品定めしている。実は、ここ数年珈琲を1日4杯前後飲んでいる。健康のためというよりも、煙草を吸わない私の純粋な嗜好品として、もうこれにはお金をかけようと「決意」したからに他ならない。とはいっても、ワインでつくづく分かったのではあるが、私は生来鼻が悪くて、味や香りをきちんと味わうことが出来ない。だから、雰囲気だけを愉しむ嗜好品である。基本的に安い豆を買って、ドリップして飲んでいる。器を愉しむことはしていないのだが、ひとつぐらい買ってもいいか、と思ってやってきた。様々な器がある。ひときわ目をひいたのは、福岡市在住の作家らしいこの方の作品が、どこにでも目に止まるのである。自由自在の表現が楽しい。それで、1番安いタイプのこの青色が美しく、指に馴染む、この器を買った。気分が乗った時に使いたいと思う。
2019年02月15日
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アーカイブス「加藤周一が残した言葉」2009.3.NHkより永田誠さんの奮闘によって、加藤周一映像のYouTubeが多くUPされている。ここに載せるのは、一番初めに載せるに入門編として適当だ。短くポイントを押さえているだろう。亡くなる半年前に撮影したNHkの追悼番組を映して、それを見ながら姜サンジュなどの言葉を載せている。すでに癌は全身に転移していて、身体は衰えているが、表情は非常に鋭い。10年前の語りではあるが、まるで安倍一頭政治の今を見据えて、「現代をどのように見たらいいのか」ということを語っているかのようだ。ここで加藤が言っているのは「教養を持て」ということだ。このあと世の中を席巻するポピュリズムをこの時点で、根本から批判している。なかなかこういう映像までチェックできないのだが、少しずつ紹介していきたい。
2019年02月13日
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最後の三作品、それぞれ力作で退屈はしなかったけど、突っ込み所もありました。「マスカレード・ホテル」これは、原作を先に読むタイプの映画ではなかった。ほとんど原作通りに、エピソードも、真犯人も綴られるので、愉しむ点は、ホテル(ロイヤル・パーク・ホテル)の造りと、長澤まさみだけになってしまった。ホテルグランド擬きで、あらゆるタイプの仮面客を見せるのが醍醐味なんだけど、私は仮面の裏の素顔をあらかじめ知っているから、感動はない。つくづく、木村拓哉の新田刑事には、刑事仮面を被った映画という舞台の男優としか見えなかった。それと、最も重要なのは、原作の中の重要なテーマがすっぽりと抜け落ちていること。刑事は人を疑うのが仕事。ホテルマンは、仮面を被っていることを承知で、人を信じてサービスをするのが仕事だと、映画は主張するが、原作はそうではない。フロントの仕事の重要なことは、「お客様は神様ばかりではありません。悪魔も混じっています。それを見極めるのも、私たちの仕事なんです」(文庫本51p)と原作では言わせている。なのに、たくさんのエピソードの中から、 宿泊逃げのホテルを跨いでのブラックリストの存在があることを明らかにしなかった。あのエピソードがないと、原作の面白さの半分はなくなる。等々、テンポよく、オールスター形式の映画は楽しかったのだが、結果つまらなかったと言わざるを得ない。ラスト・シークエンスも100%無駄な5分間だった。(STORY)現場に不可解な数字の羅列が残される殺人事件が3件発生する。警視庁捜査一課の刑事・新田浩介(木村拓哉)は、数字が次の犯行場所を予告していることを突き止め、ホテル・コルテシア東京で4件目の殺人が起きると断定する。だが、犯人の手掛かりが一向につかめないことから、新田が同ホテルの従業員を装って潜入捜査を行う。優秀なフロントクラークの山岸尚美(長澤まさみ)の指導を受けながら、宿泊客の素性を暴こうとする新田。利用客の安全を第一に考える山岸は、新田に不満を募らせ……。(キャスト)木村拓哉、長澤まさみ、小日向文世、梶原善、泉澤祐希、東根作寿英、石川恋、濱田岳、前田敦子、笹野高史、高嶋政宏、菜々緒、生瀬勝久、宇梶剛士、橋本マナミ、田口浩正、勝地涼、松たか子、鶴見辰吾、篠井英介、石橋凌、渡部篤郎(スタッフ)原作:東野圭吾脚本:岡田道尚音楽:佐藤直紀監督:鈴木雅之上映時間133分2019年1月21日ムービックス倉敷★★★「十二人の死にたい子どもたち」展開も、結末も、ラストの「意外な真相」も、そんな意外でもない。こういうテーマの映画ならば、結局ああいう展開にならざるを得ない、とは思った。あとは、若手俳優の演技合戦である。目立つのは、杉咲花と黒島結菜、そして新田真剣佑。杉咲花は、1番丁寧に描かれているし、特異な役だから、演じやすいとしても、まあ流石だと思う。けれども、彼女の主張には、私は納得いかない。黒島結菜は頑張ったと思う。明るい面が多かった彼女が、よくあそこまでダーク面を引き出した。痩せたのは役作りだろうか。だとしたら、凄い。男の方は、新田真剣佑が図らずも探偵役を演るのであるが、惜しい。何か、全然切羽詰まっているように思えなかった。私は彼が巧妙にお膳立てを作ったのか、とさえ思えた。この設定には、無理がある。イエスの方舟のような、カリスマ役がいなければ、もともと成功するような企みとは思えない。STORYそれぞれの理由で安楽死を望み、廃病院の密室に集まった12人の少年少女は、そこで死体を見つける。死体が何者で自殺なのか他殺なのか、集まった12人の中に殺人犯がいるのか。やがて、12人の死にたい理由が明らかになっていく。キャスト杉咲花、新田真剣佑、北村匠海、高杉真宙、黒島結菜、橋本環奈、吉川愛、萩原利久、渕野右登、坂東龍汰、古川琴音、竹内愛紗スタッフ監督:堤幸彦原作:冲方丁脚本:倉持裕音楽:小林うてな主題歌:The Royal Concept上映時間118分2019年1月31日Movix倉敷★★★「メアリーの総て」「フランケンシュタインーあるいは現代のプロメテウス」神話で人類を創ったプロメテウスをなぞり、人造人間を造った「男」の博士は、その後に「英知と希望」の反対方向の運命に出逢う。そういう物語になったのは、この作者が女性であり、19世紀イギリスで女性としての自立を自覚しながらも抑圧された者だからだ。しかし、だからと言って、彼女は科学の力を否定せず、神に抗い、生命の蘇りの可能性を否定しなかった。母親メアリ・ウルストンクラフトの「女性の権利の擁護」を慕い、父親ウィリアム・ゴドウィン「政治的正義」の自由主義思想を糧に、しかし、父親の保守思想に反対され、シェリーのロマン主義に恋して3人も子供を産み(うち1人は出産後間も無く死亡)、放蕩家のバイロンのスイス別荘で、「吸血鬼」を書いたポリドリと共に数ヶ月を過ごして、フランケンシュタイン」の着想を得る。幾つか、脚色はされているが、当時の前衛的な思想をフランケンシュタインのようにつぎはぎしながら、まるで全く新しい物語を創った、メアリーの才能を、見事に映像化していたと思う。200年前のイギリスで、奔放な恋愛を唱えていた人たちがいたことも新鮮ならば、メアリーの早熟な才能が開花する過程も、新鮮だった。エル・ファニングは16歳から18歳を違和感なく演じ、曲者女優のベル・バウリーとの屈折した友情(姉妹愛?)も面白かった。2019年1月27日シネマ・クレール★★★★
2019年02月12日
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中盤の三作品です。「蜘蛛の巣を払う女」原題は「THE GIRL IN THE SPIDERS WEB」。これは幾重かの意味が込められているだろう。一つは父親の後継組織「スパイダーズ」を打ち払う話。一つは姉妹の確執を打ち払う話。一つは、インターネット(蜘蛛の巣)の悪利用を打ち払う話。ドラゴンは孤独であるが、とてつもなく強い。これは、現代のおとぎ話である。映像はとてもスタイリッシュだ。冒頭場面。セレブの1人の男が女性に謝っている。女はいいのよ、と答えている。ところが、場面がパンして状況がわかってくると、これはDVの場面だとわかる。その直後に、リスベットが現れて必殺仕事人よろしく形勢は逆転するのである。このような洒落た作りが随所にある。デヴィッド・フィンチャーのような、陰気な作風ではなくて、そうはいってもハリウッドのような明るさはなくて、いかにも北欧らしい、でもヒューマンちっくな勧善懲悪物語になっていた。小国だけど、アメリカ大国主義にも、ロシア軍国主義にも抗する、スウェーデン国民の矜恃、それが一個人のしかも女性に担わされているというのが、現代世界をみさせてくれるのかもしれない。(解説)天才ハッカー、リスベット・サランデルの活躍を描いた「ドラゴン・タトゥーの女」に続くミステリー第2弾。AIの世界的権威から核攻撃プログラムの奪回を依頼されたリスベットは、やがて16年前に別れた双子の姉妹カミラの罠に落ちたことに気付くが……。リスベットを演じるのは、「ブレス しあわせの呼吸」のクレア・フォイ。前作でメガホンを取ったデヴィッド・フィンチャーは製作総指揮に回り、本作では「ドント・ブリーズ」のフェデ・アルバレスが監督を務める。背中にドラゴンのタトゥーを持つ天才ハッカー、リスベット(クレア・フォイ)は、特殊な映像記憶能力を駆使して活躍していた。そんなある日、彼女は人工知能=AIの世界的権威・バルデル教授から仕事の依頼を受ける。依頼の内容は、意図せずに開発してしまった核攻撃プログラムを、アメリカ国家安全保障局から奪回するというもの。その裏に隠された恐るべき陰謀を探るうち、奇妙で不気味な謎の存在に行き当たるリスベット。それは、16年前に別れた双子の姉妹カミラ(シルヴィア・フークス)。だが、そのことに気付いた時はすでに、周到に仕組まれたカミラの罠に落ちていた。そしてリスベットは、自身の忌まわしい記憶と、葬り去ったはずの残酷な過去に向き合うことに……。製作国 イギリス=ドイツ=スウェーデン=カナダ=アメリカ(ストーリー)冷え切った空気が人の心まで凍てつかせるストックホルムの厳しい冬。背中にドラゴンのタトゥーを背負う天才ハッカー、リスベット・サランデルに仕事が依頼される。「君しか頼めない――私が犯した“罪”を取り戻して欲しい」人工知能=AI研究の世界的権威であるフランス・バルデル博士が開発した核攻撃プログラムをアメリカ国家安全保障局から取り戻すこと。それは、その天才的なハッキング能力を擁するリスベットにしてみれば簡単な仕事のはずだった。しかし――、それは16年前に別れた双子の姉妹、カミラが幾重にもはりめぐらした狂気と猟奇に満ちた復讐という罠の一部に過ぎなかった。※PG12監督 フェデ・アルバレス出演 クレア・フォイ、シルヴィア・フークス、スヴェリル・グドナソン2019年1月14日TOHOシネマズ岡南★★★★http://www.girl-in-spidersweb.jp/sp/「この道」職人監督の佐々部清の良くない所が出た作品。出演者は、なんとほぼ全員歴史上人物。朔太郎、犀星、啄木、鈴木三重吉そして与謝野夫妻が出てくる冒頭部は、日本文学ファンならば、それだけでドキドキするけど、適当に字幕で説明すればいいだろうという魂胆が見え見え。ほぼ全体的にそれで、なんか大正昭和文学史をなぞった気分しか残らない。白秋のトリビア的な情報(あんな繊細な詩を書くのに、実は女たらしで泣き上戸だった)だけをウリにしている。職人監督としては、戦争に協力しない信条か、それとも生きるための作詞か、というテーマは、鋭く描けるはずなのに、全然思い入れがない。(ストーリー)九州柳川から文学を志し上京した北原白秋。隣家の美人妻・俊子に気もそぞろ。逢瀬を俊子の夫に見つかり姦通罪で入獄。白秋の才能を眠らすまいと与謝野夫妻が奔走し釈放されるが、恩も顧みずのうのうと俊子と結婚。その刹那、俊子は家出、白秋は入水自殺を図るが蟹に足を噛まれ断念。そんなおバカな白秋と洋行帰りの音楽家・山田耕筰に鈴木三重吉は童謡創作の白羽の矢を立てる。才能がぶつかり反目する二人だが、関東大震災の惨状を前に打ちひしがれた子供たちを元気づけるため、手を取り合い数々の童謡を世に出す。しかし、戦争の暗雲が垂れ込める中、子供たちを戦場に送り出す軍歌を創るよう命ぜられた二人は苦悩の淵に・・・。監督 佐々部清出演 大森南朋、AKIRA、貫地谷しほり、松本若菜、小島藤子、由紀さおり、安田祥子、津田寛治、升毅2019年1月14日TOHOシネマズ岡南★★★「クリード 炎の宿敵」正統ボクシング映画。アメリカのボクシング映画が、日本のそれと比べて面白いのは、ヘビー級の映像が全くウソには見えないからだろう。だから、ボクシングと人生の生きる目的をリンクさせるお話が、ウソに思えない。都合よく、子供に障害があって、妻もシンガーで試合時に一緒に闘えるし、復讐や恨みという構造から離れて、ロッキーの役割が面白かったり、するのも自然に思える。ただ唯一、ヴィクターの母親が試合途中で席を立ったのはやりすぎだ。そうする必然性は全くない。(解説)ロッキーのライバル、アポロの息子アドニスの成長を描いた「クリード チャンプを継ぐ男」の続編。ロッキーの指導を受け、一人前のプロボクサーに成長したアドニスは、ついに父の仇であり、かつてのロシア王者ドラゴの息子ヴィクターとの対戦を迎える。出演は「ブラックパンサー」のマイケル・B・ジョーダン、「ロッキー」のシルヴェスター・スタローン、「エクスペンダブルズ」のドルフ・ラングレン。監督は前作のライアン・クーグラーから新鋭スティーヴン・ケイプル・Jrにバトンタッチ。(あらすじ )ロッキー(シルヴェスター・スタローン)最大のライバルにして親友だったアポロ・クリードは、ロシアの王者イワン・ドラゴ(ドルフ・ラングレン)と壮絶な戦いを繰り広げた末、帰らぬ人となった。歳月は流れ、ロッキー指導の下、一人前のプロボクサーに成長したアポロの息子アドニス(マイケル・B・ジョーダン)は、ついに父の仇・ドラゴの息子ヴィクター(フローリアン・ムンテアヌ)との対戦を迎える……。2019年1月14日TOHOシネマズ岡南★★★★
2019年02月11日
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1月に観た映画は9作品でした。三回に分けて紹介します。「私は、マリア・カラス」テーマ作品に選ばれなかったら、永遠に観なかった世界。オペラの歌というだけでなく、音楽全般が苦手。でも、私がカラスの特別な才能を目の辺りにしているのは理解している。声量が続く人は多いのかもしれない。けれども、表情とともに歌える人は多くは無い。と思う。大きな目玉と、大きな口、そして巨大な鍵鼻。宮崎駿アニメに出て来る魔女そっくりの特徴的な迫力ある顔から、この世のものとは思えない音楽が発せられる。人類は、そういうものに、数十万年間反応して来たのかもしれない。(解説)3年間かけて世界を回り、マリア・カラスの友人たちを探し出しました。彼らは誰も見たことのない数多くの資料を保管していて、それらはマリア・カラスのとても個人的な記録でした。自叙伝と400通を超える手紙を読み終えた時に、やっと見えてきた〈マリア・カラスの姿〉が映画の最も重要な部分になることを確信しました。またその過程で、楽曲に関しても、観客によって撮影されたコンサートやオペラの映像をはじめ、幸運にも、これまで聴いたことのない数々の録音にアクセスできました。今回、彼女と親しかった数え切れないほどの人々に会いましたが、彼女自身の言葉ほど強く、印象的な証言はなかったので、映画の中に他の人の証言はほぼ入れず、彼女の言葉だけでつなぐことを決めました。彼女が書き残した言葉が世に出るのも、多くの真実が明かされるのも初めてなので、本作では、彼女の熱狂的なファンさえも知りようのなかった〈マリア・カラス〉が見られます。ライトを浴び、特別な運命を辿ったレジェンドの影に隠れていた〈一人の女性〉について、きっと深く理解していただける映画になったとおもいます。―監督:トム・ヴォルフ2019年1月2日シネマクレール「鈴木家の嘘」予想とは違って、冒頭のお母さんの作るお昼ご飯が丁寧で、そこからこの作品いいんじゃないの?とお家族全員の「演技」に「嘘」が全然感じられなかった。唯一の「嘘」と思えるのは、ピッタリタイミング良く現れる何回かのコウモリ君であって、他は自殺された家族の有り方を丁寧に丁寧に写し取ったと思う。自殺された家族は基本的に救われない。人に語ることが1番大きな癒しになる。お母さんと妹には、その道はあったが、お父さんにはない。だけど、お父さんは忘れる能力があるだろう。結果、自殺する人に直前に見せると逆効果だろうから、10年前に観て欲しい。無理かな(^^;)。妹の富美を演った木竜麻生は、表情は少ないけど、時々爆発する役柄であり、新人ながら力演だったと思う。途中から、すっかり「妹」にしか見えなかった。リアルなのに、そこかしこで観客を笑わし、泣かせもする見事な脚本。この作品が賞レースに絡まないならば、その賞レースは信用しない。(解説)鈴木家の長男・浩一がある日突然この世を去った。ショックのあまり記憶を失った母のため、遺された父と長女は一世一代の嘘をつく。「引きこもりだった浩一は家を出て、アルゼンチンで働いている」と。父は原宿でチェ・ゲバラのTシャツを探し、娘は兄に成りかわって手紙をしたため、親戚たちも巻き込んでのアリバイ作りにいそしむ。すべては母の笑顔のためにーー!母への嘘がばれないよう奮闘する父と娘の姿をユーモアたっぷりに描きつつ、悲しみと悔しみを抱えながら再生しようともがく家族の姿を丁寧に優しく紡ぐ感動作。家族の死と、そこからの再生という重厚なテーマを心に沁みいるハートウォーミングな喜劇に仕立てた、まったく新しい家族映画の傑作が誕生した。鈴木家の家長・幸男役に岸部一徳、母・悠子役に原日出子、引きこもりの長男・浩一役に加瀬亮が扮し、いずれも見事な演技を披露するほか、瀬々敬久監督作『菊とギロチン』で主演の女力士を演じ注目された新星・木竜麻生が長女・富美を演じ、瑞々しい輝きを放つ。そのほか岸本加世子や大森南朋ら演技派が個性的なキャラクターの親族を魅力的に演じ、画面を明るく彩る。 『滝を見にいく』(沖田修一)、『恋人たち』(橋口亮輔)などを生み出した松竹ブロードキャスティングのオリジナル映画プロジェクト第6弾となる本作は、橋口亮輔(『恋人たち』)、石井裕也(『舟を編む』)、大森立嗣(『セトウツミ』)ら名匠たちの助監督を務めてきた野尻克己の監督デビュー作。脚本も、監督が自身の経験を基に手がけたオリジナルで、家族の再生をあたたかなユーモアで包みこんだ物語は岸部一徳ら名優たちをもうならせ、出演を快諾させた。2019年1月6日シネマ・クレール★★★★「こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話」原作との差異を確かめたくなった。親や叔父さん叔母さんの死に際を看取った事はあるけど、老人介護の現場で仕事しているけど、まるきり違う介護の現実がありそうだ。やはり体験してみないことには、わからない事は多そうだ。最初の頃の高畑充希の「この人、何様⁈」と思っている表情に説得力あって、良かった。大泉洋の鹿野さんそのモノのような演技に、もしかしたら彼の代表作になるかもしれない説得力を感じた。感動押し売りにならずに、きちんと笑わせる。こういう映画は貴重である。ただし、テーマが「ボランティアから見た障害者」であり、決して「障害者から観た障害」ではない。そこには、まだまだ描かれない事は多いと思う。また、NPO法人の運営者である萩原聖人、渡辺真起子、宇野祥平の本当の活動は省略されていて、ボランティアの本当の姿もまだまだ描かれてはいない。また、そこを描いていいのか、どうかも私には判断できない。(解説)鹿野靖明、34歳。札幌在住。幼少の頃から難病の筋ジストロフィーを患い、体で動かせるのは首と手だけ。人の助けがないと生きていけないにも関わらず、病院を飛び出し、風変わりな自立生活を始める。自ら大勢のボランティアを集め、わがまま放題。ずうずうしくて、おしゃべりで、ほれっぽくて!自由すぎる性格に振り回されながら、でも、まっすぐに力強く生きる彼のことがみんな大好きだった―。この映画は、そんな鹿野靖明さんと、彼に出会って変わっていく人々の人生を、笑いあり涙ありで描く最高の感動実話!実在した人物・鹿野を演じるのは、同じ北海道出身の俳優・大泉洋。減量で最大10キロ痩せるなどの容姿面を似せるだけでなく、彼の人間的な魅力をユーモアたっぷりに体現する。鹿野に反発しながらも、少しずつ心を開いていく新人ボランティアの安堂美咲役には、高畑充希。何も知らない感情豊かな女の子が、鹿野の最大の理解者へと成長していく姿を、伸びやかに演じる。その美咲の恋人で医大生の田中久を演じるのは、三浦春馬。将来や恋に悩みながらも、鹿野と触れ合う日々を通じて変わっていく青年を、繊細に演じる。その他、萩原聖人、渡辺真起子、宇野祥平、韓英恵、竜雷太、綾戸智恵、そして原田美枝子と、本格派・個性派キャストが勢揃い。佐藤浩市も友情出演し、豪華な俳優陣が脇を固める。監督は『ブタがいた教室』『ドルフィンブルー フジ、もういちど宙へ』など、デビュー以来「命」と「生きること」をテーマに映画を創り続ける前田哲。原作は、第35回大宅壮一ノンフィクション賞と第25回講談社ノンフィクション賞をダブル受賞した渡辺一史の名著「こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち」。実際に鹿野靖明さんが暮らしていた札幌や、美瑛・旭川などのオール北海道ロケで撮影が行われた。誰もが見たことのない力強い人生に、生きる力と希望が溢れ、笑いと涙が止まらない!この冬、最高の感動作が誕生します。(ストーリー)北海道で医大に通う田中(三浦春馬)は、ボランティア活動を通じて体が不自由な鹿野(大泉洋)と出会う。鹿野は病院を出てボランティアを募り、両親の助けも借りて一風変わった自立生活をスタートさせる。ある日、新人ボランティアの美咲(高畑充希)に恋をした鹿野は、ラブレターの代筆を田中に頼む。ところが美咲は田中の恋人だった。(キャスト)大泉洋、高畑充希、三浦春馬、萩原聖人、渡辺真起子、宇野祥平、韓英恵、竜雷太、綾戸智恵、佐藤浩市、原田美枝子(スタッフ)監督:前田哲脚本:橋本裕志音楽:富貴晴美原作:渡辺一史2019年1月7日Movix倉敷★★★★
2019年02月10日
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これは四月に発行される職場の機関誌に投稿する予定の文章ですが、書いたとたんに先に此処で発表します。内容的には、去年書いた韓国旅レポートの書き直しなのですが、今やはり「早く」発表するべきだと思ったからです。それは、徴用工問題から始まって、レーダー照射問題にわたる、「異常ともいえる」韓国パッシングの「報道」が現在日本に吹き荒れているからです。しかし、少なくとも徴用工問題に関しては、私は私はいつもの通りの韓国の常識を訴えただけで、反日感情は少しはあるかもしれないが、それよりも第一義は「白黒をはっきりさせる」韓国の人たちの(国際的にも合致する)「常識」にあると思うのです。光州・ソウルを旅して昨年11月に私費で、韓国の光州・ソウルを旅して来ました。映画「タクシー運転手 約束は海を越えて」と「1987、ある闘いの真実」を観たことがきっかけです。そこで、嫌韓報道で染まっている日本では決して知ることの出来ない貴重な歴史的教訓を多く学ぶことができました。光州では、先ず郊外にある全南大学の教育会館棟の壁一面に描かれている「光州民主抗争図」を観ました。この壁画に、1980年日本では「光州事件」と言われている出来事の内容の集約があります。真ん中で若者が銃を取っています。全斗煥大統領が軍隊で光州民主運動を武器で虐殺を始めた自衛の措置です。おばちゃんが炊き出しをしています。市民が物品カンパをしています。光州では、フランスマクロン反対デモのような店の商品の盗みなどは一切起きませんでした。「暴動事件」ではないのです。「民主運動」を軍隊で潰したのです。殺されたのは500人とも700人とも言われ、負傷したのは5千人に及びます。10数年の時を経て、それらの「真相を解明」し、2人の大統領含めて「責任を追及して処罰し」、犠牲者の「名誉回復」「補償」を行い、国立墓地や各地に記念碑や記念館を建てて「顕彰」する。それら全ての行為を、ユネスコは2011年に世界記録遺産として認定しました。私たちは、このことを知っていたでしょうか?私はこの旅で、はたと気がつきました。光州のこの教訓が、この間の韓国の行動を見事に解き明かしている、と。ひとつは、ソウル・南営洞の朴鐘哲記念資料館に答があります。映画「1987ー」にも描かれていますが、ソウル大学生の朴鐘哲が民主運動で拷問死したことをキッカケにして、1987年、韓国民は大統領選挙を勝ち取ります。写真の建物の五階が拷問室が並んでいる所です。心理的な圧迫を与えるために、わざと窓を小さくしています。その他色々な拷問のための工夫がありました。現在この資料館は、警察庁人権センターの一室に設置されています。「権力は間違うことがある。だから、市民は時に正さなくてはならない」と「人権の歴史」が13世紀英国のマグナカルタに始まることによせて、人権資料室の展示に書いていました。これが、韓国民が多くの犠牲を伴って得た歴史的教訓でした。それが、2017年の朴政権の平和理の退陣に繋がったと、私は確信しています。また、「真相解明」「責任追及」「名誉回復」「補償」「顕彰」は、日本に対する従軍慰安婦問題と徴用工問題でも貫かれてはいないでしょうか?決して反日感情が基本にあるのではない、と私は思います。また、日本の態度は、光州や南営洞を思うと、全然その基準には達していない、と私は思うのです。
2019年02月09日
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「園芸家12ヶ月」カレル・チャペック 小松太郎訳 中公文庫1959年に訳出、1975年に出版された文庫本ではあるが、そもそも本書が書かれたのは、おそらく1928年ごろではあるが、全然古くは感じない。完全なる口語文と、奇妙なユーモア、そして普遍的な園芸愛に満ちた愛すべき園芸エッセイである(読んだのは旧版)。チェコと日本の自然環境は違うし、そもそも園芸という趣味を持ち合わせていないので、チャペック特有の細かい所に入る描写で参考になった技術的な部分は無いけれども、戦争前夜の東欧でどのように楽しみを見つけるかは、参考になった。雲や地平線や青い山を眺める前に、自分が踏んでいる足下の土を眺めたら、それがどんなに美しいものかを発見できる。と、チャペックは云う。「酸性の土と、粘土と、ローム質壌土と、冷たい土と、礫土と、劣等な土を見分けることができるようになるだろう。クッキーズのように多孔質で、パンのようにあたたかで、軽い、上等の土のありがたさがわかるようになるだろう。そして、女や雲をきれいだと言うように、そういう土を「こいつはすばらしい」と言うようになるだろう。」(118p)実際、花の美しさを描写した部分はほとんどなくて、1月のカチンコチンに凍った土の所から、ひたすら土作りの素晴らしさを語るのが、この本の趣旨なのである。私はよく知らないのだけど、これこそ園芸家なのだろうか。訳注が、訳を飛び越えてほとんどエッセイと化しているのに、びっくりした。特に、マンドラゴーラという神秘的な植物についての一文は、様々な物語を私に想起させる(167p)。また、このエッセイのもう1人の著者とも言える多数の挿画を描いた兄ヨゼフ・チャペックが、1945年、強制収容所で亡くなっているのを知ると、このへたうまな絵(ちなみに数えたら58挿画もあった)が愛おしくなる。2019年2月読了
2019年02月08日
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「クッキングと人生相談」枝元なほみ&ビッグイシュー日本版販売者 ビッグイシュー日本発行「わりとよく売れているんです」と岡山の販売者が言うのでびっくりした。ホームレスに仕事を作り、自立を支援する目的で発行されている「ビッグイシュー日本版」の雑誌の方は、毎回の常連がいるから掃けていくのは当然である。けれども、時々発行される本の方はなかなか掃けないのが普通である。もともと本を買う人口そのものが減っているのだ。全然掃けないので、注文されて初めてブツを取りに行くという本も以前あった。それで、直ぐには手に入らないのを覚悟して「ないかな?」と聞いたら、「あゝこれですよね」と直ぐ出て来たので拍子抜けしたのである。これは、ビッグイシュー日本版に寄せられた、ちょっとした、でも本人にとっては深刻な悩みに販売者が寄り添いながら絶妙なアドバイスを語り、それに料理研究家の枝元なほみさんが一言とともに「悩みに効く料理」を紹介するコーナーをまとめたもの。悩みは様々。「40代になりましたが、自信が持てることがありません」や、「娘が反抗期でストレスがたまります」などの主には深刻ではないけれども本人にとってはわりと深刻な悩みが取り上げられている。傑作なのが「カメを飼いたいのに、両親が反対します」(13歳男子)。Hさんのアドバイスも最高だったけど、枝元さんの提案料理がとってもかわいい「亀パン」だった!本気で作ろうと思ったもん。「毎回の連載も楽しみにして、全部読んでいるんだけど、やっぱりまとまっている方が料理作りやすいし、中には切り抜いて何処かに行っちゃった回も幾つかあるから、発行されて嬉しかったんだ」と、つい言い訳めいて岡山の販売者さんに説明した。「他の人もそうみたいです」「どうせ買うなら、こっちで買った方が(販売者さんの)収入になるしね」販売価格の半分が収入になる。これは雑誌の4倍以上だ。大きい。「悩みに答える販売者の言葉のひとつひとつが、的を得ているように思えて、ホントいつも感心するんだよ」「ホントそうですよね」「枝元なほみさんの、ワンポイントのアドバイスも的確だし、料理は男でも作りやすいものばかりだし」「売れるのも当然という気がします」「今日は、本があってホント良かったよ」と、寒空の下で、少し暖かいお話をして別れました。
2019年02月06日
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「金剛寺さんは面倒臭い 1ー3巻」とよ田みのる 小学館(ゲッサン連載)いやあ、侮れません、「このマンガがすごい!」オトコ編2位。今回、9割まるきり知らない作家と作品が賞を受けた。またまた、売らんがための受賞かな、と思い、試しに3巻だけ出ているこれを読んだのだが、「あとがき」を読むと、最初はウェブで出て来て、書店が注目して、月刊誌連載になったようだ。道理で知らない新人さんなわけだ。こういう経由で、これからも売れるマンガができあがるのだろうか。そもそも、紙経由のマンガである必要性も必然性も属性として持っていないはずだ。だから、これは時代的なマンガと言うことになるのか?いや、まだまだ3巻目であり、その真の姿を見極めるのは‥‥。いや、ごめんなさい。面倒臭かったですよね。文体も世界観も、森見登美彦とは違うのではあるが、何故か匂いは同じ。キャラが特別凄いというわけではなく、おそらくマンガとしての「文体」で見せる、おそらく21世紀に登場した初めてのマンガかもしれない。もちろん、これが証明されたとしてもそれは本編とは大きく関わりの無い批評である。好き嫌いはあるかもしれないが、私は好きだ。例えば、このような「ネーム」。自分が「面倒臭い」ことを自覚している金剛寺さんは、自分のことを泣きながらこう「分析」する。START!!「理屈では理解しているのだ」→「私の言っていることは正しい」→「但しそれは理論の上では、というだけの話」→「数学の前提と同じ"その時摩擦は無いものとする"、"線の厚みは無いものとする"」→「あるのだ」→「この世には摩擦も厚みもある」→「いや極論、摩擦や厚みしか無いと言ってもいい」→「それほど世の中は理屈ではなく心で回っている」→「心で回せなければ、どんなに理屈が合っていても誰も納得はしない」→「理解はしている。しているのだが、私の中の何かが許せぬのだ」→「恥ずかしい」GOAL!!(第二巻25p)おゝ、なんて面倒臭いのだ。↔︎ 可愛い!この相反する気持ちこそ、「恋」なのかもしれない。と言うようなことは、本編とは大きく関わりの無い物語である。ごめんなさい。面倒臭いですよね。
2019年02月05日
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「行ってくる 海街diary9」吉田秋生 小学館「細雪」みたいに、長く長く続く四姉妹の話かと思っていた。そう思った途端に終わってしまった。永遠に続く物語というのは無いんですね。「人の幸不幸は、本人にしかわからへん」(73p)「あーウマ。腹がへって、めしが食えるって、すげーことだ。幸せって、コレでいいんだよな。生きてるって、それだけで超ラッキーだ」(113p)「お姉ちゃんも、もうどこにも行けるでしょ」「は?」「『うちでいっしょに暮らさない?』あの時すずにそう言った時から、責任があるって、思ってたんでしょ?もうすずは大丈夫よ。子育て終了!婚活上等よ」(156p)あゝもう一度、広瀬すずが浅野すずになって、スクリーンに帰って来て欲しい。
2019年02月04日
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地元(とは言っても氏神様ではないが)水島福田神社は、最近珍しくなった神主が常駐する神社である。そこで、小雨降る2月3日の節分の日に、節分まつり、すなわち獅子舞奉納と福まきをするというので、民俗行事取材(?)として行って来た。これでここの節分祭に参加するのは2回目なのだが、他の神社も獅子は登場するのだろうか?東塚の提灯の先導で、獅子が登場して来る。ところが、獅子だけではなく、天狗の面を被った「神様」も登場して、獅子と対決するのである。獅子とは「鬼」の位置づけだったけ。よく見ると、「退治」するのではなく、最後にはおとなしくさせて、何やら「説教」して終わりとさせていた。その言葉は完全に現代語であり、観客の笑いも誘発するものだった。途中、子供の頭をかじって、「福を授ける」という獅子舞本来の役割を果たしていた。備中神楽と獅子舞の「安易な合体」のような気もするが、子供連れを呼び寄せるための、こういう柔軟な対応こそが、民俗行事と言われればその通り。そのあとは、子供中心の豆まきならぬ福まきのあと、一般参賀の福まき(豆は一切入っていなくて、餅少しとお菓子のみ)を行う。今日は、弱雨模様ということもあり、200人弱、天気が良ければ、日曜日だからこの倍は来たかもしれない。そのためか、近年の棟上げでも滅多にない九品という大量ゲットだった。いや、これはあくまでも民俗行事取材の副産物です(^_^;)。恵方巻きを始めたというセブンイレブンに敬意を表して恵方巻きを買いに行ったら、既に売り切れていた。民俗行事取材の締めとして、そうは言っても民俗になるかわからないが、恵方お菓子として、こんなのも買って、東北東を向いて一息で食べさせてもらいました。
2019年02月03日
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「北の土龍 21」石川サブロウ ヤングジャンプコミックスふと思いついて、「北の土龍(もぐら)」(1981年-1985年/週刊ヤングジャンプ掲載)がどういうラストを迎えたのか?気になって、ネットカフェで最終巻の21巻を手に取った。(以下ネタバレあります)81年から83年は、私の人生の中で、17年続いていた本屋での漫画週刊誌立ち読みチェック体制が途切れる寸前の3年間だった。自慢じゃないけど、その最後期間は、マガジン、サンデー、チャンピオンはおろか、ヤングジャンプ、ヤングマガジン、ビッグコミック、ビッグコミックオリジナル、その他ほぼ7割ぐらいの健全青少年漫画は、全て「一応目を通して」いた。これはずっと続いていた義務のようなものであり、東京に出て編集者になる夢が潰える直後までは続いたのである。漫画雑誌の中の「私の目に適った作品」をチェックするという忙しい毎日がそこにあった。おそらくチェック作品は、週に50は下らなかったと思う。「北の土龍」は、数少ないチェック作品の一つだった。いろんな人と出会いながら、画家としての才能を磨いていくストーリーは、石川サブロウ自身の人生と重なるのか、とても説得力があったと思う。絵は特別上手くはないし、ストーリーも普通の努力・根性・友情の少年マンガの域を出なかったが、時々見せる主人公の描く「絵」の描写は、もし色が着いていたならば、ホントに凄い絵なんだろうな、と思わせる「夢」があった。主人公堂本繁(青木繁がモデルなのは明らか)のライバルとして青野という青年が登場する。やはりもう1人の青木繁である。私はしらなかったのだが、途中で青野は亡くなったようだ。その魂が乗り移ったのか、堂本繁は世界的な画家になったようだ。最終巻は、ジャンプ得意の「絵の勝負」を展開していた。大磯漁という新人青年との勝負。世界的なオークションで、より高い最高額を出させ、負けた方が筆を折るという勝負である。大磯は200号の大作を描き、9億5千万円を叩き出す(米国画商が43万ドルで1億円という額を示したのは、いかにもこの時代85年である。今なら43万ドルは4千7百万円に過ぎない)。堂本繁は50号の風景画、しかし「安らぎと希望がある」と評価され、画商からは2億5千万円で落札される直前、掟破りの観客のコレクターから20億円という声がかかる。これで2人とも筆を折らなくて済む。最終週は、過去を振り返って大団円にしていた。いかにもジャンプらしい終わり方だった。やはり、最後の2年間を私はチェックしていなかったこともわかった。最後は尻切れトンボではなくて、ちゃんとテーマを出して終わらしていた。堂本繁は、世界的な画家になったが、石川サブロウは、マンガのドラマ化もなく、どうなったのだろうかと私は心の片隅で心配していたのだ。そう思うのは、もう1人のマンガ家の存在があるからだ。それは、村上もとかである。「北のー」と全く同時期、私がチェックしていたのは「六三四の剣」(1981年-1985年/週刊少年サンデー掲載)だった。実は、石川は村上を一方的にライバル視していたと何処かに書いていた。というのも、デビューもほぼ同じで、しかも村上はジャンプ出身だった。画力は、当時から抜きん出ていて、私は「ドロ・ファイター」で発見し、石川には悪いが、当時は村上の作品は全てコミックスで集めていた。青野のモデルは、石川本人も言っているが村上もとかである。「六三四の剣」はアニメ化され、「仁-JIN-」もテレビドラマ化されたのはご承知のとおり。その他「岳人列伝」や「龍」など村上は漫画作品としても傑作を次々と生み出した。結果的に、ライバル視していた石川と村上との差は埋められなかったかもしれない。しかし、私はウィキで調べると、石川サブロウが今日まで途切れることなく作品を描き続けているのを確認した(小説「神様のカルテ」漫画化など)。それはそれで凄いことだと思う。「僕の負けです」と告げる大磯漁に対して、堂本繁は言うのだ。「君は負けていないよ!」「え」「金なんかで勝負はつかないよ。本当の勝負は、これからのふたりの生き方さ」私は、(34年後に)このラストが読めて、ホントに良かった。
2019年02月02日
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「メゾン・ド・ポリス 退職刑事のシェアハウス」加藤実秋 角川文庫「テレビデビュー、おめでとう!ひよこさん」「ありがとう!てか、テレビ出ているのは、私じゃなくて、高畑充希さんですから。それに、私、ひよこじゃなくて、ひよりです!」「そうそう、牧野ひよりさん。ドラマがとても面白かったんで、つい原作も買っちゃたよ」「そうそう、高畑充希さん、綺麗で上手いですよね。じゃなくて、貴方だれなんです?」「ただの読者だけど。それよりも、まだドラマは第五話が始まる直前(1月31日)なんだけど、このシリーズ一巻目はどうやらそこまでが描かれているようだね」「私のお父さんの失踪の秘密が分かって、夏目惣一郎さんの未解決事件にも区切りがついて、このまま私もフェイドアウトしちゃうのかと思いましたよ」「最近はドラマも5話あたりで、第1部終了、っていう構成が増えているからね。このドラマ、1話完結方式の刑事もので、退職刑事たちと新米女性刑事が協力して事件を解決するという目新しさもさることながら、原作と見比べることで、脚本の上手さや、プロデューサーの手腕も分かるという面白い作りになっているんだ」「そんな説は初めて聞きました」「元鑑識課の藤堂さんが言っていたろ。『謎を考えるとドーパミンという物資が分泌される』って。だから私は、小説で既に明らかにされた謎を追うよりも、その裏に隠された謎を解く方が好きなんだよ」「それはそうと、早くその『作り』とやらを言ってください。まるで、シェアハウスのおじさんみたいに勿体付けるんですね」「この文庫本は、最後の3話が書き下ろしだというところに謎を解くカギがあるんだよ。それに発行は去年の1月だ。ということは、テレビドラマ化が決まったから急遽話を書き継いだというのが正しいだろうね。ということは、脚本家は約半年かけて、全話を書いただろうし、ドラマ制作部は半年かけて準備して来たことになる。まあ、テレビドラマとしては準備期間があった方だろう」「それがどうしたんですか?」「原作の中の、かなりテレビ向けに狙っていると思われる、ひよりお気に入りのバーでのエピソードがそっくり抜けている。ここで、原作者は『肩透かし』を食っている」「そうなんですよ!草介さんが出てこないんですよ。毎回、方言が変わりながら出てくる、ナナはどうでもいいんですけど」「その代わり、藤堂さんの元奥さんを準レギュラーで出したり、酒屋のスパイのお兄さんも新キャラとして出てくる。第2部で活躍するのかもしれない。ともかくちょこちょこ変えているんだ」「第1話なんか、犯人がごろっと変わっていたし、第3話は犯人の職業が変わっていたいたり、3話、4話共に原作には出てこない殺人事件を付け足している」「原作で詳しく描いている部分はさらっと流して、いろんな所を膨らましている。それが俳優の力演もあって、活きているように思える。文字で読ます原作と、1時間でメリハリつけて映像で見させるテレビドラマとの違いがよくわかるんだ。脚本家や制作部の思惑、いや努力が見えるようだよ」「そういうことなのね。それで、私の恋はどうなるのかしら?」「えっ⁈自分の倍以上生きている52歳の夏目さんとの恋は有り得ないじゃなかったの?」「だって、惣一郎さんを西島秀俊さんが演るなんて、聞いていなかったから‥」「あのね‥」2019年1月31日記入
2019年02月01日
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