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昔のボーイフレンドに 自分の体調のことを相談したら 聡明な彼らしく 5つの可能性を軽度の場合から順にあげてくれた でも、そのメールの最後に、 「最悪のことを想定して とにかく病院に早く行って下さい。 生きながらえるために。」 と、あった。 生きながらえる? なんのために? 生きながらえる? どうせいつかみんな死んでしまうのに。
2015年03月20日
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そう、それは、海の中を沈んで行くように どこまでもどこまでも 早いような遅いような 気を失ってしまいたいけれど そうもできず ああ、あの子にさようならを言っていないな ああ、あの人にありがとうも言っていない ああ、あの人に好きだと告げればよかったけれど でももうそれもどうでもいいような気がする 私が告げても告げなくても 相手にとってはどうでも良いこと それだけのこと かたわらでちいちゃな声で鳴く猫だけが 私をかすかにひきとめる
2015年03月17日
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今年も3月11日が過ぎ、 まるでそれで何か一区切りがついたような、 何かが前進したような、何かが解決に向かったような、 イベントを行った人たちはそれで何かが報われたような安堵感で、 そのあとの日が過ぎている。 仙台市では、 私とは全く無関係の大きなイベントが行われている。 りっぱなパンフレットも手元にあるが、それを開いても、 公式ページを開いても、 そこに参加するという人の話しを聞いても、 どうも頭にしっくりとはいってこないどころか、 少しもひっかかるものすらない。 自分が住んでいる場所を報道しているのに、 震災のことを報道しているのに、なぜかテレビの画面が大きな大きな隔たりと感じ、 孤独感に苛まれている時となんらかわりがない。 そんなことよりも、 やはり気になる。 母が亡くなったのはいつだったのか。 泥と砂で汚れてはいたけれど、 美しかった死に顔。 溺死ではなく、母は、凍死だったのではないのか? もっと早くたどりつけていたら、 道を阻んでいたつめたい水などにおびえず、 自分の身体が冷えきって痛くなったとしても、 私は家まで何キロだって歩いて、あの夜に進めば良かったのではないのか? 泳いででも、歩いてでも、 11日のあの夜に家にたどり着き、 母の身体をあたため続ければ、 母は死ぬことはなかったのではないのだろうか? 私は本当にベストを尽くしたのだろうか? 3月11日が終わっても、 自分の心の安らぎが訪れる訳ではない。 苦しみは続く。 そのことにどれだけの人が気づいているのか、 よく見えない。 わかっているよというけれど、 本当にわかっているの? 忘れないよというけれど、 実際は、3月11日が近づくたびに思い出すよ、が正しいのではないの? でも仕方ないのかな。 その時が近づいて思い出してもらえるだけでも、ありがたいことなのかもしれないよね。 でも、 思っているだけでは相手には通じないよ。 ちゃんと、思っているって相手に伝えないと、相手には通じないよ。 少なくとも、私には通じないよ。
2015年03月16日
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この半年は、メモリ-スピーチコンテストに参加したおかげで、怒濤のような時を過ごしてきました。特にこの一ヶ月は、震災のあとはじめて、スケジュール帳がすべてうまり、それをこなすのに必死でした。やることがあるというのは良いこと。少なくてもその間は、そのことしか考えていないから。電車の移動時間に何かを思い出したり、考えたりしても、それは時間で区切られて次の人や場所に行かなければいけないことで遮断される。いろんな人に出会いました。素敵な出会いも、残念ながらそうじゃないことも、、、、、また、今までつながっていたのに、途切れてしまったものも、逆に、今まで途切れていたのにつながったものも、あります。これは、自分の力ではどうすることもできないものだとつくづく感じますし、理解してもらうのは難しくて、誤解されるのはたやすいことだとも感じます。ある素敵な女性に、「出会いは計画された偶然」なのだと教わりました。また、別な女性に、「断られても、あきらめずに、それではどうすればこの人を動かせるのだろう?と考える」ということも教わりました。それから、メディアとは、もっとちゃちゃっと取材して、ちゃちゃっと新聞やテレビに出す世界なのだと思っていました。いや、ちゃちゃっとするところもありましたが。だいたい新聞は、100%読まれることなく、翌々日には、白菜を包まれたり、濡れた靴にまるめていれられたりする運命なのに、どうして、ここまで真剣に取材対象である人やものと向き合えるのだろうと、その人たちの真面目さに感動さえ覚えました。でも、強い信念を持った彼らも、結局は、組織の歯車にすぎないのだと、がっかりさせられることもありました。けれど、その組織に足並みをそろえている「ように」見せることも大事なのだと、大きな組織の1人である女性に教わりました。去年よりも数十倍も行動半径が広がった分、出会いの中で、感動もたくさん頂く反面、傷つくことも多いけれど、やっぱり私は「人」が大好きなんだなあと再認識させられました。世の中、捨てたもんじゃないなあと、もうちょっと生きてみたいような気になってきました。最近連絡をとってない、あの子や、あの人は、元気なのでしょうか?また、きっと、いつか会えると・・・・・・いいな。
2015年03月01日
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