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人は、良いことも悪いことも、自分の都合の良いように解釈する。自分に対して何かを思っているから、こんな言動をしたに違いないと決めつけ、それをそのままただ妄想しているだけならそれで構わないのだけれど、その勘違いを自分の原動力にして、知らず知らずのうちに相手を攻撃する。きちんと説明しないのに勝手に解釈して疎遠になったり、相手のことをよく知りもしないのに他の第三者に対して、知ったかぶりしてその人を批判したり。また、人が行ったことを、批判ばかりしている人は私は苦手だ。そこにどんな理由があろうとも、まずはそのまんま飲み込んで、認めたい。褒めてあげたい。いろんな意見が出てくるのが当然で、それが健全なことなのだとわかっているけれど、なんでもかんでも「ちょっとまった」をかける人は、正直あまり好きではない。良いではないか。やりたいことはやらせてあげれば。法に触れることや人道的に外れていることでないのならば、やらせてあげれば良いじゃないか。諸手を上げて賛成しろとは言わない。賛成できないのなら、せめて、静かに黙ってろ。なんて言ってる私が一番自己中心的。誰もが皆、実は自分が一番正しいと思っている。
2015年11月16日
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わかっていない人がまだまだたくさんいるね。震災によってショックを受けているのは、実際にそこに住んでいる人だけではなく、そこが故郷だった人、そこに実家があった人、そこにお世話になった人がいる人、そこに行ったことがある人、そこに行ったこともないけれど、同じ県内だと、同じ東北だと、同じ日本だと、同じ地球だと感じている人たち「も」なのに。でも、自分よりももっともっと辛い思いをしている人がいるのだから、と我慢するしかない人がたくさんいる。家も家族も無事で、実家やそこに住んでいた父と母が亡くなった私は、「被災者」ではないのか。石巻で震災のことをを語る時に、私はその「被災者」という括りには入れないのではないかと肩身が狭い思いがする。そんな複雑な気持ちを、あなたはわかっているのだろうか?わかっているとは思えない。わかっていたらとてもできない言動だと思う。去年、自分の体験を話すコンテストに出場する機会をいただき、それがきっかけで、今年から、主に石巻で、外から訪れた方々に、お話をさせていただいている。私はあの時、ここにいなかったけれど、3日後にたどりつくまでのこと、その時の光景、そのあとの出来事、そんなことをそのまま伝えている。寝たきりの引きこもりだった私を引っ張り出して下さった女性も、そこで出会った新聞記者さんや、大学の若い教授も、複雑な立ち位置の私の気持ちをきちんと理解しようとしてくれて、心から感謝の気持ちでいっぱいだった。やっと自分の思いが救われたような気がした。ちゃんとわかってくれようと、わかろうと努力してくれているひとがいるんだと。私は、悲しいんだ、苦しいんだ、まだ前なんて向けないんだって正直に言ってもいいんだってことを。けれども、やっぱり、わかってない人がまだまだいるんだなとつくづく感じる今日この頃。誰にでも理解してくれとは言わない。極論を言えば、全く同じ体験をしなければ、私の気持ちなどわかるはずはないのだから。私が他の人の気持ちもわかってあげられないように。元の形など想像できないあの街に来て、何を感じるかはその人の自由だ。たとえ私の話を聞いていなくても。風にそよぐススキに心奪われ、好きなあの子のことを考えていたとしても。お昼ご飯のあとで、ちょっと眠いなあ、なんて思っていたとしても。でも、そこにその場所に、私と短い時間を共有していることこそが、大切なのだと感じている。世の中には震災のことなど忘れかけている人もたくさんいるだろう。それも時の流れとともに仕方のないことだと思う。けれども、したり顔で、活動している人たちが、そのことを、私たちのことをいかにもわかったような顔をしているのが、すなわち、みっともないのは百も承知だけれど、「相手にされていない」のが、たまらなく私は悔しいんだ。髪もとかして、服装を整えお化粧をして、人前にで出て笑っていれば、もう大丈夫だと思っているのだろうか。人前でもはばからずに倒れこんで泣き叫ばなければ、胸に刃を突き立てて、心の中の傷は、これほどまでに大きいのだと、実際に肌を切り刻んで血を見せなければ、あなた方は理解してくれないのだろうか?愚かなことよ。浅はかなことよ。
2015年11月11日
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