全2件 (2件中 1-2件目)
1
母を知るという人と、友人の母のお通夜でお会いした。年上の方なのに失礼かもしれないが、とってもお茶目で可愛らしい人だった。そんな彼女にお手紙を書いたら、すぐにお返事が来た。自分の家の小さな庭に、春の花が咲きそろい、可愛い色のチューリップを見ていたら、悲しくなって、声を出して泣いたと書いてあった。お通夜は、そんな彼女と双子のように仲の良かった彼女のお姉さんのものだった。うちの実家も今頃は、本当ならたくさんの花であふれ、チューリップがあちこちにさき、むすかりが風に揺れて、記念に植えたブルーベリーの若木が、朝夕の水やりですくすく育っている頃。鳥もよく遊びにきたっけな。私も声を上げて泣きたいけれど、苦しいけれど呼吸するのももどかしいほどに、声も涙も出なかった。苦しいのに苦しいと言ってはいけませんか?悲しいのに悲しいと言ってはいけないのですか?ふと別な人のことが頭に浮かびました。本当に心配しているのは誰なのか、あの人は気づかないのでしょう。心配をしているフリをしているだけの人に、どうして気づかないのでしょう。また別なお友達からお手紙とかわいらしいプレゼントがたくさん届きました。猫が好きな私のことを思い、いつも猫の可愛い、レアなプレゼントを選んでくれます。そのお手紙には、自分のことと、私が、いつも楽しそうに明るくしているので、心の奥の痛みをわかってあげられてなくて本当にごめんなさい、と書いてあった。いつもわかってくれようとしているのに、さらにそんなことを重ねて届けてくれる気持ちが、嬉しかった。そのお返しに、私も、誰かに喜んでもらえる手紙を出さなければ、と、思った。だから、奥さんを亡くして落ち込んでいると言う、私の友人のお父さんに、きょう、お手紙を書いた。明日、届くかな?すこしだけでも、ほんの数秒だけでも、ほっとしてくれるといいな。
2015年04月21日
コメント(0)
東北学院大学教授・金菱 清(かねびしきよし)先生が、 随筆波音潮4月号に 「東日本大震災における 軽い4年と重たい4年」という随想を寄稿なさいました。 ここでの紹介は、先生の許可をいただいております。 今年は阪神淡路大震災から20年(1995年1月17日)、東日本大震災から4年(2011年3月11日)、 ちなみに昨年12月25日はインド太平洋大津波から10年であった。 こうした区切りで多くの特集やイベントが組まれる。 数値的な重みから言えば、1年、3年、5年、10年、20年である。 年数を踏むことによってまるで故人の弔い上げのような気持ちになる。 ところが他方、当事者である被災者にとっては毎日が「震災」で重い課題を背負っているのである。 震災から時間が経ち、世間が日常に戻っていく中で、 津波で愛する父親を亡くした女性は、 「あの、あまりにも苦しく悲しかった震災後の日々のことを、自分は絶対に忘れてはいけない」という、 一種の強迫観念のような思いと、それでも薄れていってしまう自分の記憶や感情の狭間で、とても重苦しい葛藤を感じ懊悩している。 震災の記憶と正面から向き合い、恐ろしいまでの哀しみに引きずり込まれることを恐れて、 いろいろなものを心の底に押し込め蓋をすることで、辛うじて現実から目をそらすことができている。 感情を押し殺しているわけであるので、傍目からはもう震災前の日常に戻ったようにみえる。 もしこのことを指して震災から4年が経過し、当時よりも状態が良くなってきている、あるいは復興が進んできているという表現が使われているとするならば、 それこそ「軽い」4年目だと言わなければならない。 被災者はいま「孤立感」に苛まれている。 宮城県塩釜市に住むある女性は、地震の被害はあったものの津波の被害はなかった。 しかし、石巻市にある海岸沿いにあった実家の両親は津波の犠牲となった。 その後彼女自身は無気力となり、 買い物はおろか一歩も家の外に出ないで食べて排泄し夜か朝かわからない状態で複数の睡眠導入剤を飲みこんで無理やり寝ているだけの、 およそ人間的な健全な生活とは思えない暮らしをおくっていた。 彼女のお話に耳を傾けていると、「社会的疎外感」が醸成されていて、 被災の多くの方に共通する特徴がありながら、「自分だけが」という虚無感を持っていた。 具体的には、 「津波被災地の仮設住宅には多くの物資や芸能人の慰問、ボランティアの資源の投入があり、それを報道しているが、 両親を亡くした私には災害の情報すらもこない。 NPO的な外部的な支援もお子さんを亡くされたご遺族に集中した。 私は被災地に住んでいないけれども被災者ではないのか。 普通のおばさんには支援の対象にならないのか」 という自問自答である。 これらの問いは震災に関与し見守ってきたすべての人に突き刺さる問いかけである。 報道関係者は被災沿岸地にのみ、 ボランティアは人的経済的資源を避難所や仮設住宅に集中投下し、 研究者は被災コミュニティにのみ焦点をあててきた。 被災をクローズアップしそこに光が当たれば、わかりやすい「物語」を描くことができるからである。 ホットスポットができる反面、 社会的にスルーされるコールドスポットとでも名付けられる現象が光の強い反作用として暗い影をつくりあげてしまう。 震災から4年目。被災者はいま重たい見えづらい課題に直面している。 金菱 清 かねびし・きよし=東北学院大学・災害社会学 随筆波音潮4月号
2015年04月11日
コメント(0)
全2件 (2件中 1-2件目)
1