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今日のニュースで、 昨年の11月に発見された遺骨が、 東日本大震災で行方不明だった人だと判明し、 家族のもとへ帰った、と伝えていた。 どんな小さなかけらだったのだろうか。 手渡されたそれは、 雑誌くらいの大きさの白い巾着布に入っていた。 4月の小学生になるはずだった女の子のお母さんが、 こんな風にブログで言ってたことがある。 「骨のかけらがもどってきても仕方がない。 元気で笑顔で生きて戻ってきてくれなければ意味がない。」 と。 私は、自分のこの手でこの目でこの足で、 母も父も見つけた。 同い年くらいの母を持つ近所に住む人が、 「見つかっただけ良いだろう。 見つからないということは、気持ちの整理ができない。」 といったような言葉を向けてきたことがある。 いや、行方不明も、遺体が見つかるのも、そう変わりはないんだよ。 そして、 その人も、私も、帰る場所がもうなくなってしまったのは同じこと。 どんなに説明しても、 写真や模型を見せても、 あの場所に「暮らし」があったことを、 相手に伝えきることはできない。 じゃあ、何のために伝えるのだろう? 何のために伝え続けるのだろう? 「お涙頂戴ではいつまでもだめだ」 と言われても、 「いつまで悲劇のヒロインぶっているのだ」 と言われても、 そもそもそんなつもりは微塵もなく、 ただ、あったことをありのままに伝えていることは、 自分の感情の垂れ流しでしかないのだろうか? 帰りたい、 でも、帰れない。 帰る場所がないから。
2017年02月25日
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頭をがつんと殴られたような感じになり、 1時間ほどそのままの姿勢でぼんやりしてしまった。 呼吸するのも忘れるほど、ショックを受けた。 差し出した手を振り払われ、 目の前でドアをぴしゃりと閉められた。 でも、相手も、自分も責めることのないように、 じっとじっと息を潜めて、我慢していた。 何か勘違いしているだけ。 どこかボタンを掛け違えただけ。 ちょっとさっき、ほっと息を吐いたら、 涙が、ぽろんと、こぼれ落ちた。 少しずつ紡いできた糸が、 ぷつりと切れた、そんな感じがした。 私は知っている。 今まで生きてきて、その経験で知っている。 その糸は、またよりもどそうとしても、 よりもどそうとしても・・・・・・・・・
2017年02月19日
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大阪で息子と待ち合わせして、 奈良を旅行して一緒に宮城に帰ってきた。 息子はおととい、東京に戻った。 息子がいる間じゅう、 朝起きた瞬間、 母がいるような錯覚を覚えた。 錯覚なのか? 私は死後の世界など信じていないけれど、 やっぱり言葉では説明できないけれど、 何かが本当に存在したのか?
2017年02月15日
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2010年に、息子と母と三人で旅した奈良に、 今度は息子と二人で行ってきた。 東大寺の大仏殿の金色のツノも、 大きな大きな大仏さまも、 街の中を我が物顔に歩く鹿たちも、 春日大社も、 山焼きを終えたばかりの若草山も、 県庁屋上からの眺めも、 近鉄なら駅界隈の賑わいも、 それに打って変わってのJR奈良駅前の静けさも、 みんなみんな、そのまんま。 人間にとっての5年と3ヶ月は、 街や、大仏さんや、鹿さんにとっては、 ほんの短いわずかな時間。 鹿さんの平均寿命はオスは15歳でメスは20歳だという。 それなら、 母と一緒に写真に写っている、 母が鹿せんべいをあげた鹿さんとも、 この旅でまた再会できていたのかもしれない。 旅を終えて帰宅して、 リビングにいつもおいてある、 5年3ヶ月前の旅行の写真をパネルにしたもの。 母の嬉しそうな笑顔がいっぱいの写真がたくさん入ってる。 それを改めてみて、 とても驚いた。 そこにいる母の印象がぼやけているのだ。 「この人・・・・誰?」 そんな感じ。 いつも忘れたことなどない母なのに、 やはり、 記憶というものは知らないうちに薄らいでいくものなのだろうか・・・・・・。 かたりべとして、震災当時のことはこの2年何度も繰り返し話してきたから、 記憶は鮮明なのに、 そういえば、 その話している前後のことは、どんどん薄らいでいってしまっている。 私のお母さんは、どこに行ってしまったのだろう?
2017年02月15日
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