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『お母さんは命がけであなたを産みました 16歳のためのいのちの教科書』 ( 内田美智子、青春出版社、2011/12、1400円)この本の読書メモの続きです。本日が第2回。(第1回はこちら)==============================『お母さんは命がけであなたを産みました』2(p32~最後まで。 太字は、この本の内容。緑文字は僕の個人的な感想です。)第2章 生きること、生き続けること・母親の千恵さんを病気で亡くしたはなちゃんは、 自分の服の管理、風呂の掃除、玄関の靴を並べること、 みそ汁を作ることが、五歳のころからできます。 (p51)おどろきました。 えっ? この「はなちゃん」のこと、 どこかで聞いたことがあるな、と思いました。 「弁当の日」の竹下先生の講演で 小田和正の曲をバックに聞いたお話と、同じでした。 竹下先生の著書でも、ふれられていました。 「いのちの教育」と「食育」、 こんなところでつながっているのか!と思いました。 第5章 いのちをいただいて、はぐくむ・2002年に厚生労働省が行った 「男女の生活と意識に関する調査」の結果。 (1)家庭での日常会話が少ない子どもほど、 性交経験年齢が低い。 (2)家庭での日常会話が少ない子どもほど、 出会いから性交までの期間が短い。 (3)家庭での日常会話が少ない子どもほど、 人工妊娠中絶の繰り返し率が高い。 家庭の中で親子の日常会話がどれくらいされていたかによって、 子どもの性行動が変わってくる。 早すぎる性行動を遅らせる決め手が、 親子のコミュニケーションであり、 それを培うのが家庭の食卓。 「弁当の日」は親と子のコミュニケーションを増やす。 (p161)わりとこの調査結果はうなづける気がします。 親と子のコミュニケーションは、子どもへの教育の基盤になりますね。 「弁当の日」には、確かに親子のコミュニケーションを増やすメリットが あるようです。 実践の第一人者、竹下和男先生の本はすでにブログでご紹介しました。 僕が手放しで絶賛した本です。(読んだけど紹介してない本もあります。) ▼「弁当の日」講演メモ ▼竹下和男・渡邊美穂『泣きみそ校長と弁当の日』 ~こんなに感動する本はないかも!? 勤務校でも今年初めて「弁当の日」の取り組みを始めました。 他校の取り組みもお聞きしたことがありますが、 「やってみてよかった」という声ばかり聞きます。 まだまだどんどん広がっていくかもしれませんね。 (おわりに より)・「あなたが大切」だと育てられていない子どもたちの前に、 私たち大人はどんな姿で立てばいいのでしょうか。 恥ずかしい姿をさらしていないかどうか。 かっこいい大人として立てているかどうか。 子どもが抱えている問題は、 子どもだけの問題ではなくて、 大人が大人としての資格を問われているのだと思います。 でも、いつの日か、子どもたちは大人になります。 子どもたちが自信を持って大人になれるように、 子どもたちのお手本になれるような大人として 子どもたちの前に立ちたいと思います。著者の内田美智子さんは、本当に立派だと思います。 僕は、子どもたちの見本になれるような姿で 子どもたちの前に立てていません。 現代では、一部の子どもたちが、家庭での愛情をあまり受けられずに 学校に来ていることがあります。 そんな子たちに何ができるのか、自問自答します。 「子どもたちが自信を持って大人になれるように」 本当に、そう思います。 そのために、がんばりたいです。==============================ブログを読んでいただいて、ありがとうございます。 ↓記事がお役にたてましたら、クリックいただけるとうれしいです。 ブログ王ランキング ▼にかとまの読書メモリスト ▼にかとま日記全件リスト
2012.01.30
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本日、引き渡し訓練(緊急時下校訓練)を行いました。自分の提案でやり方を大きく変えたのでどうかな~と思っていましたが、無事終わってほっとしています。これで1月の防災の取り組みがすべて終わり、年間の防災行事の大きなものもすべて終わりました。避難訓練にしても、講師を招いての防災研修についても、自分なりに「こうしたほうがいいのでは」というものを提案させてもらい、それがある程度実行できたので、自分としては「やりきった」感があります。もちろん反省も多々あり、取り組みのたびに反省点・改善点のご意見もいただいているので、来年度に向けてよいところは残しながら、さらに発展的に進めていきたいと思います。(来年度も防災担当かどうかはわかりませんが・・・。)引き渡し訓練の改善については他校の実施計画を多数参考にさせていただきました。特に前任校のものは僕自身が経験したことがあるだけに、良いと思っていたものは積極的に取り入れさせていただきました。(引き渡し訓練実施計画をFAXしてくれた同期のS先生ありがとう!)今年度の引き渡し訓練で大きく変えたところは次の2点です。1.保護者にどの子の引き取りに来られたかを聞くのではなく、 子どもに「この方はどなたですか」と聞く。2.保護者と子どもたちの間をあけて 引き取りのたびに子どもを呼ぶのではなく、 引き渡しの最初から保護者には子どもの横に来てもらう。以上の2点の実施は基本的にはよかったと思います。職員会議では他の先生からかなりの妙案もいただきましたので、来年度はそのアイデアも実行に移すことになるかもしれません。例年1月に実施していた引き渡し訓練は、来年度以降は早めに実施するほうがいいということで4月実施となる見込みです。こうやって自分が関わりながら、改善の積み重ねが図っていけそうだという見通しが立つと、うれしいものですね。 防災の取組については、来月2月発行の「兵庫教育」という雑誌に水害の取組を寄稿しています。兵庫の先生方には、ご一読いただければと思います。 ブログを読んでいただいて、ありがとうございます。 ご意見・ご感想をコメントでいただけると、大変うれしいです。 ブログ王ランキング
2012.01.27
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これもまた、いい本です。よって、ぜひともこのブログで紹介せずにはおれません。 『お母さんは命がけであなたを産みました 16歳のためのいのちの教科書』 ( 内田美智子、青春出版社、2011/12、1400円)========================内容詳細 (上のリンク先より転載)いただいたいのち、つないでいくいのち、どう生きていきますか?何よりも「あなたが大切」だということを忘れないでください。助産師である著者が伝える、「いのち」と「性」へのメッセージ。若者やその親、親になったばかりの人など、全世代に読んでもらいたい一冊。目次 : 第1章 あなたのいのちは奇跡です-"いのちの現場"からわかった大切なこと/ 第2章 生きること、生き続けること-親はあなたより先に逝きます、どうやって生きていきますか/ 第3章 幸せな恋から、すべてがはじまる-傷ついた女の子たちをたくさん見てきました/ 第4章 いのちを大切にできる人になってください-いまを変えなければ、あなたの未来は変わりません/ 第5章 いのちをいただいて、はぐくむ-いつか親になったとき、子どもに何を食べさせますか?========================中身はこんな感じです。本当に、全世代におすすめの本です。僕はかなり感動しましたっ。ではでは、レッツ、読書メモ!本の中のエピソードについて、いつもより詳しく、長めに引用します。==============================『お母さんは命がけであなたを産みました』1(最初からp31まで。 太字は、この本の内容。緑文字は僕の個人的な感想です。) 第1章 あなたのいのちは奇跡です ▼あるお母さんの話です。 妊娠10か月に入り、今日にも明日にもと、 生まれる日を待っていたお母さんは、 胎動がないことに気付きました。 「おかしい・・・・・・。いつもと違う」 胎児は、母の胎内ですでに輝きを失っていたのです。 亡くなった胎児でも、母親は産まなければならないんです。 私たち助産師は、陣痛に苦しむ母親に 「がんばろうね」 「もうすぐ、元気な赤ちゃんに会えるよ」 と声をかけ、励まします。 でも、死産の子を出産する母親には、 何と言って励ませばいいのでしょうか。 分娩室で付き添った若い助産師は、 何も声をかけることができなくて、 ただ、手を握っているだけでした。 それしかできないのです。 言葉さえ出すことができなかったのです。 そのお母さんは、ご褒美のない陣痛の痛みに耐え、 命を輝かせることのない胎児を出産しました。 産声の上がらない分娩室で、 母親の嗚咽する声だけが悲しく響きます。 泣かない赤ちゃんを母親は泣きながら抱きしめます。 もう、それしかできない。 それ以上のことはできないのです。 (p26-27より)正直、本のタイトルを見たとき、 「お母さんは命がけであなたを産みました」 というのは、少し大げさかな、と思いました。 我が家の子どもの出産には2人とも立ち会いましたが 比較的安産だったこともあって。 ところが、この本の中身を読むと、 僕の知らなかった、産むときのドラマが たくさん書かれていました。 そして素直に、「お母さんは命がけで子どもを産むのだ」 ということが、理解できてきました。 上に紹介したエピソード、涙なくしては読めません。 赤ちゃんを胎内で亡くしてしまうなんて、 こんなにつらい経験が、あるでしょうか。 世の中には、そういった現実がたくさんあり、いろいろある中で、 僕たちは生まれ、そして僕たちは親になっているのです。 自分のケースだけしか知らなかったら、 なんだか何でもないフツーのことだと思って通り過ぎていたようなことが、 実は「奇跡」だったと、 知らされる本です。 ▼ある女の子は、 「お母さんは私を産んだことを 後悔していないと思いますか?」 と聞いてきました。 幼いころお母さんが出て行き、 お母さんの顔を覚えていない。 どこでどうしているかもわからない。 自分が本当に生まれてきてよかったのかどうかを 確かめたい、というのです。 「後悔してないよ」 「後悔なんかするもんですか」 あなたを手放したことは後悔しているかもしれないけど、 命がけで子どもを産んだことは後悔していないよ。 もしかしたらどこかで新しい家族をつくっているかもしれないけど、 そこで自分が幸せであればあるほど、 手放した子どものことは忘れることはできないのです。 (p30より)確かに、こういう子もいるんだよな、ということを 思いながら読みました。 産んでくれた母親のことを、 ずっと気にしながら生きてきたんだと思います。 そして、著者が言われるように、お母さんも、 ずっと気にしながら生きてきたんだろうと思います。 「自分が幸せであればあるほど、 手放した子どものことは忘れることはできない」 そういうものですよね。 親になった今では、そういうことが、 だんだんわかるようになってきました。 お父さん、 お母さん、 僕は元気にしています。 お父さん、お母さんのおかげです。 ありがとうございます・・・。 (p46(第1章の終わり)まで)============================== 次回は第2章「生きること、生き続けること」のページをめくっていきます。事実談に裏打ちされたお話は、講演で聴いても、本で読んでも、本当に、胸を打ちます。 では、続きはまた次回!ブログを読んでいただいて、ありがとうございます。 ↓記事がお役にたてましたら、クリックいただけるとうれしいです。 ブログ王ランキング ▼にかとまの読書メモリスト ▼にかとま日記全件リスト
2012.01.26
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「小学校の先生」に、本当におすすめの本です! 『きみ、ひとを育む教師(ひと)ならば 「小学校の先生」といわれる私たちの仕事とその意味』(岡崎勝、ジャパンマシニスト社、2011/2、1500円) 読書メモの残りページ、一気に行きます。今日が第6回(最終回)。第1回はこちら。==============================『きみ、ひとを育む教師(ひと)ならば』6(p121~最後まで。 第3章「先生になりたいと思ったら、先生を辞めたいと思ったら」より。 太字は、この本の内容。緑文字は僕の個人的な意見・感想です。)(先生のくらし方)・精神疾患のいちばん多い職業が「教員」。 2009年(平成21年)病気休職者の62%。 ここに退職者は入っていない。 しかし、定年前の退職は「もうやっていられない」という人が多いだろう。・教員の仕事が多忙になった一番の理由: 「子どもと親が多様化(個性化)したこと」 たとえれば、いままで、どの子もたいていが既製服でまにあったものが、 すべてオーダーメイドになった。・担任1人で、いままでの費用とオーダーメイドの服を一日で作ることは できない。 でも、いまはそれをやろうとする先生も多く、 まるで「鶴の恩返し」のようです。このたとえは、「うまいなあ」と思いました。 教材研究や授業の準備などは子どもに合わせて工夫すれば限りがなく、 熱心な先生ほど非常に時間と労力をかけられて、 子どもと向きあわれています。 教員は確かに子どものために仕事をしていますが、 自分も大事にする、という「ワークライフバランス」も大事だと思います。・公立学校の教員は「労働契約」を結んでいません。 就職するときに「労働の内容、労働時間、給与の契約」を 全く教えてもらっていません。 「採用募集要項」には、初任給と勤務時間くらいは書いてありますが、 それ以外は曖昧です。 近代社会の法治国家なら、当然文書で示さなくてはならない。そうなんですよね、 仕事の時間と内容があまりはっきりしないところがあります。 もちろん基準となる勤務時間はあるのですが、 はっきり言って、僕の今までの勤務日で勤務時間を守った日は 2%ぐらいだと思います。(^^;) 「教員が普通にやるべき仕事内容」が、 勤務時間内に終わらせられる量・内容ではないのです。 (手抜きすれば別ですけど・・・。) だから、「いちおう勤務時間はこれだけ」と決まっているけれど、 本当はどれぐらいの時間が適当であるか、誰も知らないのです。 民間企業なら、「この仕事をやり遂げられる見込み時間は○○時間」といった ことが分かっていると思いますが・・・。 これはたぶん永久に文書化できないと思います。 人によって現場によって時期によって、違いすぎるので。・たとえば、 「夜に電話しても職員室にいつも誰か先生がいてくれるので よい学校だ」という保護者がいるとすると、 それは違法状態を推進しているということになります。こういう学校が、けっこうあります。 いや、うちの学校も、たぶんそうです。 まあ、夜に電話はめったにかかってきませんけど。 僕の場合、持ち帰って仕事するのが面倒なので 遅くまで学校に残ってすることが多かったです。 今は家庭があるのでそれなりに早く帰るようにしています。 以前、同僚の先生で毎日22時を超えて残られる方がいらっしゃって、 同じ学年だったのですがかなり心配しました。 やはり晩御飯を家で食べられるぐらいの時間には帰ってほしい、 すべての教職員がそうなってほしい、と思います。 僕はいちおう今の勤務校で「勤務時間適正化プロジェクトチーム」 のリーダーをしていますが・・・進まないんだ、これが。 現場の先生方に、早く帰ろうという意識がほとんどない。 子どものために、明日のために、あれもしたい、これもしたい、 という気持ちは痛いほどよくわかりますが・・・。 (心身に疲労を感じたとき)・もし、子どもの世話でおちこむような、 元気が回復できないような疲労だとすると、 それは、学級崩壊や学校崩壊のレベルの問題をふくんでいる。 対策は、疲れている個人ではなく、 組織あげての問題ととらえなくてはいけません。担任をもったら、一つのクラスを任されているので かなり個人に責任がのっかかってきます。 でも、「学校」の中のことは、基本的に「組織として動く」を 意識しておかないといけない。 今ではそう思うのですが、若いときはなかなか・・・。 ずいぶん個人でスタンドプレーに走り、組織に迷惑をかけたものです。 個人でうまくいかなくなったときは、 特に組織で対応しないと、というのは、よくわかります。・一番の厳しい心身疲労の原因を構成しているものに、 「職場の人間関係」が大きい。・休んだって 地球も、学校も回るこう思えるかどうかですね。 僕はなかなかそう思えなかったです。 最近やっと、そう思えるようになってきました。 周囲を信頼してお任せする、というのも、たまには大事ですね。 (教師という仕事)・いじめ問題になると、 「被害者・加害者とすぐに白黒をはっきりつけないといけない」 と思う親や教師が多すぎます。 単純に被害者・加害者と線引きできません。・教師が「一人ひとりを大事にする」というときには、 一人の子どもだけではなく、周囲の子どもも大事にしていくということが、 当然ながらふくまれています。 周囲に注意を喚起したり、本人を励ましたりすると同時に、 本人には、周囲に甘えたり、 「同情」を頼みに友だちをひき回したりしてはいけない、ということも いっておかなくてはなりません。 「いじめ」の白黒をはっきりさせること以上に、 子ども同士の関係性をどうやって紡いでいくかが、 いまの学校現場に問われているのです。僕はこれで、失敗しました。 「いじめられている」と思う子を守ることばかりに終始し、 周囲の子の反感を買ってしまったことがあります。 逆に、いじめている子に指導しきれず、 いじめがやまずに継続してしまったことも・・・。 「この子」「このこと」ばっかり見ているような、 視野の狭さが問題だったと、非常に反省しています。 「バランス」とか「関係性」というものが どんなに大事か、身に染みて感じています。 (先生になりたいあなたへ)・あなたの「小学校時代の楽しい思い出」は、 子どもと向きあうとき、とくに、うまくいかないときに とても有効なアイテムになる。 おもちゃも笑える話も大事にしよう。 (「あとがき」より)・あなたの目の前にいる、 「生きて生活している子どもたち」に、 「生きて生活しているあなた」自身のことを話してほしい。 そして、あなたが話したことと同じくらい、 子どもたちの話も聞いてあげてください。・この本は、教え育てるという営みが、 高見からの「指導と教化」でなく、 「まず子どもたちといっしょに生活することに基本を置こう」という きわめてシンプルなところから出発するべきだということを 念じながら書きました。この姿勢に非常に共感しながら、この本を読みました。 「教師のバイブル」といえるような内容だと思います。 なかなかここまで親切に、教師の裏側といえることまで事細かに 教えてくれる本はないです。 出会えたことに感謝します。 ありがとうございました。==============================著者の岡崎先生は、『おそい・はやい・ひくい・たかい』という雑誌を創刊し、すでに多くの巻を重ねられています。僕はまだ読んだことがありませんが、「既成の価値観にとらわれないで、自前の考え方と方法で 少しずつ教育や学校を楽しいものに創りなおそうとする『学校マガジン』」という「創刊のことば」には強く感銘を受けました。ぜひ手に取って読んでみたいです。 ▼『おそい・はやい・ひくい・たかい』
2012.01.25
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雨が降ろうが雪が降ろうが、今日もまた、せっせと読書メモの続きを書きます。(^^;) 『きみ、ひとを育む教師(ひと)ならば 「小学校の先生」といわれる私たちの仕事とその意味』(岡崎勝、ジャパンマシニスト社、2011/2、1500円) 今日が第5回。第1回はこちら。==============================『きみ、ひとを育む教師(ひと)ならば』5(p69~120より。 第2章「子ども&親の"問題"にぶつかったら」の残り部分です。 太字は、この本の内容。緑文字は僕の個人的な意見・感想です。)(不登校の子と向きあうとき)・子ども自身、理由がはっきりしないときも多い。・子どもからすると 理由を聞かれることは、 そうとうしんどい。・大人たちがしつこく理由を聞き出すようなことをすれば、 子どもたちはその場しのぎの言い訳やウソをつくしかありません。 「明日は、かならず行くから」といったりします。・おちついて、聞くことに徹するのです。 すぐに、どうしたら登校できるかなどと、対策など考えないことです。・せいぜい最後に、 「あのさ、先生にできることあったら、いってくれない。 できるかどうか、わからないけどさ・・・・・・」 と慎ましくいう。 こんなときは、ほんとうに慎ましい気持ちで接することが 教員の基本です。・親が、自分が納得、安心したいがために、 「わかりやすい理由」がほしいのではないでしょうか。 「わからない不安」に耐えられないのです。・安易に「友だちが誘ってくれたら」とか、 「お手紙を書けば」などと思うのは、 きわめて危険な賭け。 手紙一つでも大変な気をつかいます。 ・「子どもを手なずける」必要はない。 手なずけているように見える先生は、 まだまだ未熟で、稚拙である。 なぜなら、子どもの創造性や意外性は 先生の枠をはみ出ることがあたりまえだから。・子どもたちが自分のいうことを素直に聞いてくれることは、 ほんとうはとても「こわい」こと。 (学習に遅れのある子を担任したとき)・家庭に活字が少ないなあと思う子に、 読み聞かせをしたあと、 「おもしろかった?」と聞いて「おもしろい!」といえば、 「この本貸してあげるから、家でさ、もう一度読んでみて」 と誘います。・わからないとか、作業が遅いことは、 ある意味で「いいこと」でもある。 効率がいいということは、得るものも多いですが、 失うものもあるのです。 新幹線で見える景色と、 自転車で見える景色はちがいます。 そこに、なにかしら、よぶんな景色かもしれないけれど、 大事なものがあると思いませんか?こういう、世間一般でいうのとは逆の考えをする方は 大好きです。(^0^) 「えっ!?」って、驚きますよね。 でも、こういう考え方は確かに成立すると思います。 全く別の本で、「弱さ=強さ」というような主張に 出会ったこともあります。 その時その地点しか見ていなければ、 確かに「弱い」「遅い」「わからない」ということは マイナスでしかないかもしれません。 でも、ぐい~~~~~~んと視野を広げると、 そのことがかえってプラスである可能性は 十分にあるのです。 これは、大変おもしろいテーマなので 僕は個人的に興味津々で、 もっともっと調べてみたいと思っています。(^^) (好きになれない子がいたとき)・誕生日に”さらり”と声をかける。・人格攻撃の得意な子、先生のいうことにすぐ口をはさんでくる子、 他者に対して「上から目線」でものいいをする子。 こうした子どもたちを、ボクもなかなか好きになれません。 でも、じつは、そんな子も 自分が「きらわれキャラ」だということを知りつつ、 それ以外に自分の存在を示す方法がないから そうしていることが多くあります。 「不安」の裏返しかもしれません。・相手にきらわれることをわかっていながらやってしまう子どもたちを、 ボクは「対抗的に受容」しておもしろがっています。 そして、教員である自分が苦手でも、 その子どもにも、ちゃんと友だちがいるとき、 自分の「狭さ」をいろいろな意味で知ることになるのです。「対抗的に受容」の例は、p90-91に載っています。 「大人モードを宣言する」(小学生にも、大人と同じような言い方をする) などです。「対抗的に受容」という表現が、見事なバランスで、 おもしろいな、と思いました。 (学級が壊れかけているとき)・「全員静かに」は墓穴を掘る。 この必要条件を貫徹して学級運営をするのは、 やがてとても厳しい状態になって、 騒いでいない子どもも先生を追い込むことになります。・「8割主義」で先へと進め・子どもの我慢強さがなくなったのではなく、 社会の環境が変化しているのです。 社会全体のコミュニケーションや伝達のスピードがコンパクトになり、 会話が単純化し、スピードも速まったと考えたほうがよい。・心身を病む前に休む (親に「問題」を感じたとき)・たとえば、子育てのトラブルが「愛情不足」だとしても、 なぜ「愛情不足」になったのか? を考えなくては 解決に至りませんし、それは非常に難しい問題です。 そもそも「愛情不足」とはなんでしょうか? わかりやすいキメ言葉は、 中身がいまひとつ曖昧なものです。 こういうキメ言葉のもつ、 わかったつもりにさせるマジックに、 ボクら教員は騙されてはいけません。 (保護者からクレーム・注意があったとき)・ クレームや批判は、 「業務上」自分自身の未熟さを克服するよい機会だと考えることが 一番いい。 (家庭を「学校」にしない)・学校には「学校のしつけ」が、 家庭では「家庭のしつけ」がある。・親が先生化すると息苦しくなる。・親は、教師のように常に配慮と指導を意識したものではなく、 どこか抜けているくらいがいい。・学校は、あくまで「社会の枠」を強調し、 その社会のなかでの自分を創っていく作業を大事にします。 家庭は、まずもって、 気軽に、おちついて、安心して、食べ、眠れるところであるべきです。(p120まで)==============================次回は、第3章「先生になりたいと思ったら、先生を辞めたいと思ったら」を読んでいきます。では、また次回。ブログを読んでいただいて、ありがとうございます。 ↓記事がお役にたてましたら、クリックいただけるとうれしいです。 ブログ王ランキング ▼にかとまの読書メモリスト ▼にかとま日記全件リスト
2012.01.24
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今日もまた、せっせと読書メモの続きを書きます。 『きみ、ひとを育む教師(ひと)ならば 「小学校の先生」といわれる私たちの仕事とその意味』(岡崎勝、ジャパンマシニスト社、2011/2、1500円) 今日が第4回。第1回はこちら。==============================『きみ、ひとを育む教師(ひと)ならば』4(p61~より。第2章「子ども&親の"問題"にぶつかったら」より。 太字は、この本の内容。緑文字は僕の個人的な意見・感想です。)(「障害」をもつ子を担任するとき)・障害をもった子どもたちを「どう教育するか」というよりも、 「どうつきあうか」という姿勢でやってきた。 これはどんな子どもに対しても、そうなのです。・担任していくなかで、最終的には 「この子は障害をもっている」という意識は どんどんなくなっていきました。・専門家の知識や常識は、「偏っている」。 「偏っている」と自覚的になっていれば偏らないと思うのですが、 自分が専門家であることに自信をもち始めると、 子どもを予断と偏見で見ていくことになるので 迷惑な話です。「特別支援教育」の分野では、多くの 「専門家」と呼ばれる方々がいらっしゃいます。 その方々から学ぶことはたくさんありますし、 協力・連携することで見えてくることもたくさんあります。 ただ、教育の現場をご存じないお医者さんもおられますし、 ある一面のプロであっても、他の面では教師や保護者のほうが よくわかっている、ということは当然あります。 教師も含めて、ある程度「専門家」っぽくなってくると 偏りが非常に増してくる、それ自体が悪いということではなくて それに無頓着で何もかもわかるというように捉えてしまうのは 非常に危ういことだ、と思います。 最終的には、子ども自身や子どもに最も関わっている大人が 一番よく子どものことを分かっているし、 また判断に責任をもてる。 「専門家信奉」にはならないように、 ある一つの意見として包含して受けとめるおおらかさは 必要だと思います。・障害といわれるものをもっていない子だって、 じつは場面によっては、 障害をもっている子と同じような状況になることは いくらだってある。 ボクたちはその点を見逃さないで 「世界には、自分をふくめて、ほんとうに、あきれるくらいに、 いろいろな人間がいる」と教えたいし、 いろいろな人間とうまくやっていけないで、 みんなが幸せになれるはずがないという「原則」を、 学校でこそ強く示したい。・車いすを利用するAさんとの思い出。 あるとき車いすを押しながら 「Aさん、重たいなあ、 こんなガタガタ道を車いすなんか押したくないよ」 とボクはいいました。 すると車いすの彼は 「岡崎くんヘタだね、もっと上手に押してくれないと、 腰が痛いじゃないか」 といいます。 「わがままな障害者だな!」というと、 「役に立たない健常者だな!」と返してきます。 全部ほんとうのことなのですが、 こういう関係にボクはいつもホッとしています。乙武洋匡さんもこれと似たような主張をされています。 「障害」があることで、決してコミュニケーションを妨げない。 「障害」をタブーにしてしまうのではなく、 むしろ積極的に「障害」に関わることでも口に出して 遠慮なくやり合う、 気にしないでフツーにやりあうほうが楽しい、という考え方です。 (参考▼乙武洋匡『オトことば。』)・たとえ稚拙でも、まず「子ども本人に聞く」。 「いやだといって、やらないのはわがままだ」 という考えは、半分は正しいけれど、 半分はまちがっています。・どんな子どもも教室のメンバーの一員だ としっかりと確認し、 だからこそ大事にしなくてはならないし、 ときどきは放っておきたい。最後の「放っておきたい」というのが、いいですね。 特別支援学級の子の場合、 常に特別支援学級担任や介助員が付き添っている、ということも 多くあります。 でも、自分をイメージしても、通常学級の子をイメージしても、 常に「先生」がくっついていて学校生活を送るって考えると どう思いますか? 子どもだけの時間や、一人だけの時間、 これを保証するのも大事なことです。 安全面で保証ができない、というケースもありますが そのあたりは大人の知恵と工夫でカバーしながら やはり「大人が付きっきり」というのはやめるようにしたいものです。 先生も、そのほうが、子どもとの関係を仕切り直しできるし、 一息つける時間をもてて、それでかえってまたがんばれる。(^^) 通常学級では 子どもを放っておく時間があるのは当たり前ですけど。(p68まで。続きはまた次回。)==============================次回は、「不登校の子と向きあうとき」を読んでいきます。岡崎先生が不登校の子とどう関わってこられたのか、気になります。 ブログを読んでいただいて、ありがとうございます。 ↓記事がお役にたてましたら、クリックいただけるとうれしいです。 ブログ王ランキング ▼にかとまの読書メモリスト ▼にかとま日記全件リスト
2012.01.22
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いろいろ書きたいことがあるのですが、とりあえず、読書メモの続きを書きます。図書館の本なので、返さないといけないので。(^^;) 『きみ、ひとを育む教師(ひと)ならば 「小学校の先生」といわれる私たちの仕事とその意味』(岡崎勝、ジャパンマシニスト社、2011/2、1500円) 今日が第3回。第1回はこちら。==============================『きみ、ひとを育む教師(ひと)ならば』3(p39~60より。第1章「新学期を迎えたら」の終わりまで。 太字は、この本の内容。緑文字は僕の個人的な意見・感想です。)(「生活指導」するということ)・ボクは、「迷惑をかけること」を いけないことだとは思いません。 人は、迷惑をかけないで生活することなど できませんからね。・「迷惑の回避」が 「共同生活の回避」になってしまうのではないか?・「迷惑をかけること」に不可欠なのは 「迷惑をかけている自覚」と 「おたがいさまという感覚」。 ギブ・アンド・テイクの精神は、 共同生活には絶対に重要な観点。 ↑ ↓ ・(子どもたちや親たちの主張には、) どちらかというと「共同より分断」を志向している (主張がある。)このあたり、抜粋で掲載しているので うまく伝わらないかもしれませんが、 「損得」や「人より自分」という考えが優先して 他人との共同生活より「個別のニーズ」に走りすぎてしまう風潮に 警鐘を鳴らされています。 僕のように個別対応や個別の指導を仕事としている人間も こういうことは非常に大事に考えておかないといけない、 と思います。 人として社会で生活していく以上、 「共同生活」ばベース。 「個」はそのなかで考えないといけないことであって、 「個」だけ取り出して考えるようではいけない。(>。<) 特に小学校ではそうだと思います。 学校のメリットの第一は「集団生活」「共同生活」を学ぶこと。 であれば、いろんな子やいろんな大人と関わること、 トラブルやケンカを経験することこそ、 学校での一番のメリットなのではないか、とさえ思えます。・「迷惑をかけているか、いないか」というのは、 想像力の問題。 生活指導は、この想像力をどう養うのか?という課題を いつも突きつけられています。・問題や事件は「学習機会」 ・自分の頭で考えない「安易な多数派」が多い。 (子どもたちと「つきあう」ということ)・子どもの名前を呼ぶとき、 下の「名前」で呼ぶことは避けたほうがよいと思っている。 気持ちが通じていないのに一方的に「親しみ」をこめられると けっこう「キモイ」のだ。僕は子どもの名前については下の名前で呼ぶことが多いです。 低学年を担任していたことが多いこともありますが。 子どもによって呼び方は変えていますが、 「親しみ」をこめたい、という気持ちはありますね。 でも、それが一方的にならないように、気をつけます。(^^;)・しんどいからこそ ウソをつく ・(なかなか朝ご飯を食べてこない子の親に 「食べさせてください」と言うのは正論だが、 子どもは親を守るためにウソを言う。) ・教員が親を「否定」しても、 それがたとえ「正しい否定」でも、 すっきりと聞くことはできません。 「こんなにしんどくてつらいなら、 朝食を食べてきたとウソをいおう」 ・「生活の基本」とはいえ、 親や家庭の事情にふみこむ朝食調べなど、 教員が指導する「正しいこと」は、 彼らにとってけっこうつらいことなのです。 そのことをボクたち教員は自覚しておく必要があります。 ・子どもの親を否定しない。 ・親に直接いえばいいこと、いうべきことを、 子どもを介していうのは、反則。 板ばさみになっている子どもは、けっこうつらい。「中間管理職」はけっこうつらい、というのは知っていますが 子どものときから、同じように「板ばさみにあうことがある」というのは 思い至りませんでした。 親御さんはどなたも、一生懸命に子どもさんに向き合っておられます。 確かに「朝ご飯を食べてこない子」はいますので、 「食べさせてください」ということは言いたくなる時がありますが、 それは言わなくてもわかっておられることで・・・ 子どもへの指導もそうですが、背景を理解しようとし、 「指導」ではなく寄り添おうとする気持ちがないと、 前へ進まないのではないでしょうか。 こういったこと、とても大事なことだと思います。 ベテランの先生は経験からわかっておられるのですが、 若い先生にはそこまで気づかれない人もいるかもしれません。 だからこそ、こういった本を読んだり先輩の先生に聞いたりして、 知っておいてほしいですね。(p60の内容まで。続きはまた次回。)==============================次回は、第2章「子ども&親の”問題”にぶつかったら」のところからを読んでいきます。”問題”をどうとらえるか、というのは、非常に興味深いテーマです。 ブログを読んでいただいて、ありがとうございます。 ↓記事がお役にたてましたら、クリックいただけるとうれしいです。 ブログ王ランキング ▼にかとまの読書メモリスト ▼にかとま日記全件リスト
2012.01.21
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特別支援教育MLというメーリングリストでいつも勉強させていただいています。その中で、先日「『障害』という表記の『害』は使わないほうがいいのでは」というご意見をいただきました。「障害」には、「障碍」や「障がい」といった表記もあります。今回いただいたご意見を契機に、あらためて表記について考えてみました。 「障害」の表記については、一時期「障がい」を使用していたのですが最近は元に戻していました。今回、再び表記について考え直す機会をいただき、感謝しています。最近は「障がい」という表記が社会の中で使われることが一段と増えたと思います。私も「『障害』の『害』の字は使いたくない。『障がい』にした方がいい」とずいぶん思ってきました。今回、ご意見をいただいてから、またその思いがもたげてきました。一方、「障がい」当事者の方で、呼び名にこだわらない方やあえて「障害」を使われる方もいらっしゃるので、どう呼べばいいのかな、というのは以前から非常に悩んでいることです。聞くところによると、東京は「障碍」を使用される傾向があり、広島はあえて「障害」表記をした方がいいという考えが多いといったことも聞きますので、地域差も強いのかな、と思っています。「障害をもつ」ではなく「障害のある」といった言い方のほうがいい、といったことも以前職場で勉強させていただき、言葉は微妙で、人によって受け取り方も様々だな、ということを思っています。 少し前に、乙武洋匡さんが「やわらかい言葉にすり替えることで、本質を見て見ぬフリする。 それは「私は差別していない」というポーズにすぎないのでは」といった発言をされているのを本で読み、ドキッとしました。(乙武洋匡『オトことば。』です。 読書メモでも少しふれています。)私としては、 「言葉」に対して、 こだわったり、神経質になったほうがいいという考えでおりますが、 大事なのはむしろ言葉よりもそれを使う人の気持ちや使われる状況?といったことも、感じています。本当につい先ほどまで、ブログで「障害」を使わずに「障がい」と書くようにしよう、と気持ちが傾いていたのですが、結論としては現状「障害」の表記のままでいきたいと思います。一番の理由は、ホームページの読み上げソフトなどで「障がい」では「さわりがいじ」と読まれることがある(らしい)ということを知ったからです。また、「障碍」は私の周りではほとんど使われていないことと読めない方が多いだろうということから、私は採用しませんでした。広くいろいろな方に読んでいただける文字を必ずしもベストではないが、現段階では使用しているということで受け止めていただければと思います。今回コメントをいただいたことを契機に、 「障害」の表記に関する検討結果について (平成22年11月22日)という政府調査に行きつき、読みました。もっと勉強していく必要性を感じます。 ブログを読んでいただいて、ありがとうございます。 ご意見ございましたら、コメントいただけるとうれしいです。 ブログ王ランキング
2012.01.18
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『きみ、ひとを育む教師(ひと)ならば 「小学校の先生」といわれる私たちの仕事とその意味』(岡崎勝、ジャパンマシニスト社、2011/2、1500円) この本の読書メモを書いていっています。今日が第2回。僕がかなり衝撃を受けた部分です。「あ、こういう見方・考え方があるのか!」と目を開かれた思いでした。==============================『きみ、ひとを育む教師(ひと)ならば』2(p32~38「身体と心の成長をめぐって」 より。 太字は、この本の内容。緑文字は僕の個人的な感想です。)(身体と心の成長をめぐって) ・あるとき、1年生のクラスに、 身体に障害をもち、身長が伸びない朝子さんが入学してきた。 「朝子さんにとって 身長を測るということは どういうことだろうか?」・「年を経れば身体が大きくなるのはあたりまえ」ということを、 少し考え直してみようと思った。 少なくとも、子ども一人ひとりの伸び方は異なっているし、 障害をふくめて それぞれの身体をみんなで、それなりに 受け入れるべきだと思った。障害のある子たちにここ何年か関わらせてもらって、 「障害をふくめて、みんなのことをそれぞれ違っていると考える」 という考え方が、すごくすんなりと自分の中で落ちてきました。 そして、これはすごく大事なことだと思っています。 「障害」=「だからこの子は特別、例外」 と考えない。 そう考えたら、それで終わってしまいます。 周囲は、何も変わらない。 でも、もしかしたら、今までのみんなの当りまえが、 実は「当りまえ」でないかもしれない。 「当りまえ」を疑う、こういった気づきというものを、 本を読んだり、お話を聞いたりして、 教えてもらう。 これって、すごくありがたいことだと思います。 今までを考え直すところから、 社会の進歩や、教育の工夫が生まれます。 著者の岡崎先生には、いいことを教えていただいたという気持ちで いっぱいです。・同じことに縛られる「平均」や、 他者と差を見せつけるような「測定」は なんのためにあるのだろうか。僕たちはかなり「平均」や「測定」に支配された世界にいます。 「そもそも、それって何のため?」と 考え直してみることも、 時には必要かもしれません。 「今まで大事だと思っていたけど、 実はそう大事じゃないのかも・・・」 と思えることがあるかもしれません。 個人的には、僕はデータを取るのは大好きなんです。 データをもとに考えるのが、好きなんですね。 でもそれが、決めつけや差別のもとになってしまってはいけない。 特別支援教育で用いられるウェクスラー式検査などでは 「個人内差」というものを数値化して一覧にします。 数値をとることで「今まで気づかなかったことに気づく」という利点があります。 数値を、偏った見方を排除して、 「いろいろあっていいけど、そこから見えてくるものもあるかもしれないね」 という まっさらでテキトーな気持ちで利用することが 大事だと思います。 測定も、平均も、それ自体はいいとか悪いとかいうものじゃない。 ただ、あまりにもそれにイロをつけて見すぎたら、 いけないんじゃないか。 体重の平均を気にして 子どもなのにダイエットする子もいます。 平均に毒された社会は、違いに否定的で、生きづらくなる社会だ と思いました。 みなさんは、どうお考えになりますか?・「心は脳にある?」と聞かれたら・・・ ボクは、「心は、体中にある」と答えた。 「あのね、足がいうことを聞かないで勝手に動いて、 友だちを蹴ったりすることがあるでしょう」ある、ある。 なるほど、こういう説明の仕方も、あるんですね。(p38の内容まで。続きはまた次回。)==============================次回は、あいだの「教室のつくり方」をちょっと飛ばして、「『生活指導』するということ」のところからを読んでいきます。「迷惑」ということをどうとらえるか?著者の考えを受けて思ったことを書かせてもらいながら、ブログをご覧の皆様とも意見交換できたらうれしい、思っています。今回の記事についても、ぜひご意見お寄せください。今日はちょっとコメントを書きすぎちゃいました。(^.^;)皆さんの反応が、気になります。 ブログを読んでいただいて、ありがとうございます。 ↓記事がお役にたてましたら、クリックいただけるとうれしいです。 ブログ王ランキング ▼にかとまの読書メモリスト ▼にかとま日記全件リスト
2012.01.16
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非常にいい本を読みました。「いい」と思ったところに付箋を貼ったら、付箋だらけになりました。50か所くらい貼ったと思います。小学校の先生、小学校の先生を目指す人におすすめです。『きみ、ひとを育む教師(ひと)ならば 「小学校の先生」といわれる私たちの仕事とその意味』(岡崎勝、ジャパンマシニスト社、2011/2、1500円)今日から何回かに分けて、その中身を読書メモとして書いていきます。==============================『きみ、ひとを育む教師(ひと)ならば』1(最初からp31まで。 太字は、この本の内容。緑文字は僕の個人的な感想です。)・「共感と勇気」 つまり、子どもたちや親を理解し 立場をわかりあうこと、 そして 大事なことや想いを彼らにきちんと伝える勇気が、 ボクたち教員には必要なのだ。 (新学期 はじめて出会う子どもたちに)・時間割や活動表といった掲示物は、 できるだけ子どもたちと少しずつ作っていくのがいい。 最近は、PCソフトのイラストなどを使って 簡単に掲示物を作ることもできます。 でも、自分のクラスは、時間がかかってもみんなで作っていこうという 気持ちがあれば、それも大事にするべきです。クラスって、そうなんですよね。 「子どもたちと少しずつ作っていく」、 それが「クラス」です。 僕はパソコンを使いたがるので、 教材や掲示物など、何でもパソコンを使おうとします。 でも、確かに子どもたちと一緒に手作りで作っていく、 そのほうがいいなーという気はしているんです。 近頃は何でも、早くて見栄えのいいものを求めがちですけど、 昔の教育からずっと本質的に大事だったものって、 そういうイマドキの「早く成果が出るもの」とは異質のもの、 という気がしています。 子どもたちと一緒に作るって、きっと楽しいだろうなー。 (そうは思うけどあまりそうやってこなかった反省を込めて)・出入り口の戸の窓ガラス拭き 濡らした新聞紙で丁寧に拭くと、 すばらしくきれいになります。 「出入り口のガラスだけでもきれいにしておくと、 教室がすっきり見えますよ」 と同僚から教えてもらったことのひとつです。これも、僕はやっていなかったのですが、 やってみたらいいんだろうなーと思うことです。 わりと年配の先生は新聞紙できれいにするというやり方を されているんですが、若い人はあまりしないですね。 ベテランの先生に昔ながらのやり方を学ぶのは とても大事だと思っています。 こういうことを受け継いでいかないといけない。(^_^)(「楽しい教室」)・教員は、「その楽しさ」の判断を、 子どもによって決めてもらうという「厳しさ」を 受け入れる必要がある。この本には出てきませんが、「仮設実験授業」という授業があります。 「たのしい授業」という月刊誌で、毎回実践が発表されています。 その授業では、授業の評価を子どもたちに取ります。 僕も部分的にやったことがありますが、 子どもの評価(5段階評価)をとるって、厳しいものがありますね。 でも、だからこそ子どもの声を次の授業に生かせる。 教師が、この授業は「よかった」とか「よくない」とか、 「楽しかった」「楽しくない」とか、 勝手に決め込んで議論することがよくありますが、 「子どもはほんとにそう思っているの?」というのはとても 大事なポイントだと思います。 それは、子どもに媚びるとか迎合するとかいうことではなくて、 授業が「子どものためのもの」である以上、 子どもの声をしっかり汲み取って授業を作っていくのは 当然のことなんですよね。(授業って なんだろう?)・ボクは子どもたちが「おもしろい」と感じ、 充実感を彼らなりに味わってくれていれば それでいいと思っている。・「授業はその場かぎりのダイナミックな活動」だ。・授業は、結果ではなく、その過程こそが重要。・子どもにとって「労働」でもなく 「仕事」でもない 「活動」なのです。・授業の過程において、子どもたちの活動が どれだけ充実するか。・授業が一方的なサービスの過剰とならないように、 うんざりしている子どもたちを、 慎重によく観察し眺めることが大事。・「先生も知らないことやわからないことがたくさんあるから、 勉強しているのだよ」という、 「先生も学習者である」というメッセージを子どもに届けるのは 大切なこと。基礎学力の向上、ということが盛んに言われます。 「その授業でどんな力をつけたいか」 「その授業でどんな力がついたのか」 それは大変大事な視点だと思いますが、 それに偏りすぎてもいけない。 百マス計算の反復練習で確かに計算力はつくと思います。 でも、そのうち、同じことの繰り返しでうんざりする子が出てくる。 充実感を感じ続けるには、やはり工夫が大事。 百マス計算でも何でも、授業としてはいろんなやり方はあるだろうけれども、 「授業は活動。過程が大事」というのは、 「今ここ」の子どもたちを大事にしている言葉なので 僕は、これは忘れてはならない、と思います。(p31「授業ってなんだろう?」まで)==============================次回は「身体と心の成長をめぐって」のところからを読んでいきます。「成長」について、著者自身が「身長が伸びない子」を担任したことにより、はたと考え直した内容が書かれています。「伸びる」「できる」ことが必ずしもいいことなのか?教育現場で当たり前に「いいことだ」とされていることを考え直す、とてもいいきっかけを提供してくれます。 では、続きはまた次回!ブログを読んでいただいて、ありがとうございます。 ↓記事がお役にたてましたら、クリックいただけるとうれしいです。 ブログ王ランキング ▼にかとまの読書メモリスト ▼にかとま日記全件リスト
2012.01.15
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この本の読書メモのつづきです。今日が第3回。(最終回) ▼第1回はこちら。 『ソーシャルメディア炎上事件簿 TWITTER、FACEBOOK、ネット動画...』(小林直樹、日経BP社、2011/8、1400円)==============================『ソーシャルメディア炎上事件簿』3(p141~。第3章「炎上防衛Q&A 知っておきたい20の知恵」より。 太字は、この本の内容。緑文字は僕の個人的な感想です。)・Q:不用意な発言で失敗しないためには、 どうすればいい? A:リアルタイムWebの時代、 特にツイッターは湧き上がった感情をすぐさまその場で吐き出せる。 喜怒哀楽のうち「怒」をぶつけると、何かとトラブルを招きやすい。 「喜」の感情を吐露して度を越したケースもある。 (ウェスティンホテル東京で大物カップルを目撃・投稿した 飲食店アルバイトスタッフの事例) 「投稿前チェックリスト」(p164) 1. この投稿内容に 一抹の不安も、危うさも感じるところはないか? 2. この投稿が大勢の人にRT(転送)されても差し支えないか? 3. 特定の人・層について言及している場合、 該当者が見ても問題ないか? 4. 上司、取引先など仕事上の関係者が見ても問題にならないか? 5. 親・きょうだい、愛するパートナーor意中の人が見ても構わないか? ・Q:「プチ炎上」状態になってしまった。 お詫びを出す際の注意点は? A:1つは安易に先延ばしをしないこと。 もう1つはお詫びと抗議をセットにしないこと。・Q:会社としてお詫びを掲載し、プチ炎上はひとまず沈静化。 ブログを持つ経営幹部は 当分、投稿を見合わせるべきか? A:炎上の事後対応において「沈黙は金」は当てはまらない。 「嵐が過ぎ去るまで待とう」と考えがちだが、 だんまりを決め込んでいても”自然治癒”はない。 引きこもっている限り、自社に関するネット上の情報は、 不祥事の件が最新情報として残り続けるだけ。 ソーシャルで悪評が広まったなら、 ソーシャルで挽回するのが筋。今どき、ネットで悪評がたつのは ある程度名が知られている企業・学校・組織なら どこでも可能性があること 悪評がたった際に、それをカバーできる動きができるか、 問われています。 「沈黙せずに挽回する」、 このことはこの本で学んだ一番大きなことでした。 悪い事があるとすぐ思考停止したり逃げたりしてしまいがちなので・・・。 ・Q:キャラクターを立てた、「軟式」アカウント、 炎上しやすいのではないか? A:軟式アカウントは一般的に、 フォロワーからの話しかけにリプライを返し、 投稿数も多いが、その割にトラブルはあまり起きていない。 「ローソンクルー♪あきこちゃん」という、 20歳の大学生を仮想店員のキャラクターに立てている ローソンには、炎上予防という面で恩恵があった。 ただし、フォロワーとろくに対話もせず沈黙していたら、 逆に自ら炎上要因を作り出すことにもなりかねないので要注意。==============================リアルでもネットでも、「対話」が大事という時代になってきましたね。 この本は事例が豊富で勉強になるのでホームページ担当者など、ネットに関わる仕事をされている方には非常におすすめです。 ブログを読んでいただいて、ありがとうございます。 ↓記事がお役にたてましたら、クリックいただけるとうれしいです。 ブログ王ランキング ▼にかとまの読書メモリスト ▼にかとま日記全件リスト
2012.01.12
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昨日は1日寝てました。さて、この本の読書メモのつづきです。『ソーシャルメディア炎上事件簿 TWITTER、FACEBOOK、ネット動画...』(小林直樹、日経BP社、2011/8、1400円)ネット上で起こった事件だけでなく、仮に「炎上」してしまったときの対処法も書いてあります。率直な感想として、「予備知識として知っておいた方がいいな」と思うことが多くありました。 特に「ツイッター」のことはよく知らなかったので、勉強になりました。==============================『ソーシャルメディア炎上事件簿』2(p86~140まで。 太字は、この本の内容。緑文字は僕の個人的な感想です。)・ネット上の人気投票企画 幾度となくトラブルに (「○○を1位にしよう」とネットユーザーが画策)・相互にフォローし合っている関係でもないツイッターユーザーに向け 画一的な宣伝メッセージを無差別投稿するのは、 スパム行為とみなされる可能性が高い。 UCC上島珈琲「ツイッターをマスメディアの広告の延長で考えてしまい、 消費者とのコミュニケーションメディアとして扱う意識が 希薄だった」 ・食品メーカーや飲食店は社内の情報伝達と意思決定のシステムが 他業界に比べて優れているケースが多い。 「(有事の際は)夕刊あるいは午後7時のニュースで 会社側のお詫びや今後の方針を報道してもらえるように対応する 指揮命令系統を整えている」 →わずか3時間余りという早業でお詫び文が同社のWebサイトに掲載。 ○批判が一転、称賛へ 「もうお詫びが出た」「早すぎ」 「よし、激励のために帰りにUCCコーヒー買って帰ろう」・ツイッターは、「リアルタイムWeb」と呼ばれる時代を象徴するメディアだけに、 その情報の波及速度は極めて速い。 だが、この速さを、手っ取り早く(しかも安く)告知宣伝できると考えると 間違ってしまう。・イベントなどでツイッターを活用する際に便利なのがハッシュタグ。 例えば2010年大晦日のNHK紅白歌合戦は、 ハッシュタグに「#nhk_kouhaku61」の利用を推奨した。 このハッシュタグをクリックすると、 タグが付いた投稿がタイムライン上に並ぶので、 紅白関連のリアルタイムのツイートだけを一覧できる。 同じイベントに参加している人のツイートがすぐに把握できるので、 盛り上がりを共有する上で欠かせない機能だ。「ハッシュタグ」って、これで初めて知りました。 自分のツイッターに行ってみたら、 確かに #つきの投稿が。 ああ、これにはそういう意味があったんですね。(^^;) ちなみに「紅白歌合戦」を検索して行ってみたら、 ハッシュタグは「#NHK紅白」になってました。 ツイッターが進化して日本語も可能になったのかな。・ハッシュタグの共用は通常、避けるべきものであり、 バッティングしないようにあらかじめ調べておくもの(p86~140より)==============================ツイッターのハッシュタグ、調べてみたら「hashtags」と「日本語ハッシュタグ」というのがあったのでフォローしときました。やっぱり原理はよくわからないです。あまりよく知らないで「宣伝告知」に使おうとすると実はルールに抵触していて問題に・・・ということにもなりそうですね。しかもネット社会の変化は激しいのでいつのまにか新しいルールや機能が追加されていたり・・・。誰かわかりやすく教えて下さい。(笑)さて、次回は第3章「炎上防衛Q&A 知っておきたい20の知恵」を参照します。 ブログを読んでいただいて、ありがとうございます。 ↓記事がお役にたてましたら、クリックいただけるとうれしいです。 ブログ王ランキング ▼にかとまの読書メモリスト ▼にかとま日記全件リスト
2012.01.09
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今日は保科洋先生のお話をたっぷりお聞きすることができました。子どもたちへの指導を見せていただいた後、夜ご飯を食べながらの懇親会もご一緒させていただいて、音楽の奥深さ・音の繊細さに「ほおっ」とため息が出るほど深く気づかされた1日でした。保科洋先生は、僕の大好きな吹奏楽曲「風紋」の作曲者。兵庫教育大学などで学生の教育・指導に長年あたられている方です。作曲や指揮のときに、「人を育てる」という意識を常に持っておられたことにまずおどろきました。「自作自演はあまり好きじゃない。 作曲者が思っていたよりももっと素晴らしい演奏をされる場合もある。 作曲した曲を指揮すると、表現してほしい思いを込められるが、 同時にそれが限界でもある。 作った曲は、作曲者の手を離れて、育っていくもの」この話を聞いて、僕のほうから、「作曲するときにも、人を育てるということを念頭に置いて 作曲されているのですか」と質問させていただきました。その答え。「コンクール課題曲などの場合はそう。 『風紋』が人気があるのは、どのパートも自分の見せ場があるから。 どのパートも演奏して楽しいように、見せ場があるように考えて作ってある」ははあ~なるほど~と思えることばかりでした。僕は今まで、「作曲者が、最もよく曲の表現をすることができる」と思っていました。そうではない、ということに、頭をガンとなぐられたような衝撃を覚えました。 子どもたちへの指導場面では、演奏の基礎となる音楽理論などをかなり分かりやすいように指導していただきました。「ベースとなる知識や理論も大事だな」と改めて気づかされました。その概要は以下のようなものです。=============================・≪音の3要素≫ 1.高いか低いか 2.大きいか小さいか 3.音色 楽譜に書いてあるのは1と2だけ。 これに、「長いか短いか」が加わる。 ・≪音のエネルギー≫ 8分音符で ♪♪♪♪♪♪♪♪ と演奏してみよう。 これが ? ♪♪♪♪♪♪ となると、 4分音符になった分、エネルギーが大きくなる。 飛び石をジャンプして飛んでいると想像してみよう。 4分音符のところは、離れている石だから、自然と大きなジャンプになる。 ※音の長さと音の大きさは関係がある!・「演奏するフレーズの中で、 どこが頂上だと思いますか?」 基本的な理解としては、高い音のほうがエネルギーがたくさんいる。 草笛でもリコーダーでも、 高い音を出そうと思ったら、強く吹かないといけない。・同じリズムの繰り返しで音の高さだけが変わるとき、 どこが「頂上」だと思うか? それぞれの解釈によって、いろいろな演奏は考えられる。 ただ、「自分たちはここを頂上にして演奏する」というのを みんなで決めて、グループとしてはそろえておくのが大事。・おススメの練習方法 ★耳を育てる ・演奏者自身の耳を育てることで、自分で気づくようにする。 ○1つの曲の中の一部分だけを徹底的に練習する。 → その後、1曲を通して練習する。 すると、練習したところとそうでないところの差が歴然とする。 それが演奏者本人に分かれば、あとは指導しなくてもうまくなる。・倍音を聴く ド → ド → ソ → ド → ミ → ソ 低音楽器の音の倍音は比較的聴きやすい。 これを聴いて、その倍音に溶け込ませるように音を出す。 6つ目の倍音までで、 ドは3回、ミは1回、ソは2回でてくる。 これが聞いて気持ちよい音のバランス。 だから、6人の奏者がいたとして、 ドを3人、ミを1人、ソを2人で演奏すると、 和音の響きが倍音の響きに近くなり、気持ちよい響きになる。・(非常に微妙なチューニングの話) 旋律の音と和声の音では厳密には音程がちがう。 旋律の導音は シ → ド と行くときには シが高めのほうが自然 逆に ド → シ → ラ と下がる時は、 シが低めの方が自然 和音の中のシ(例えばソシレの真ん中のシ)なのか、 旋律の中のシなのか で その音のピッチが変わってくる。最後のは懇親会の最後にお聞きできた裏話的なものです。(^^;) 学生の演奏よりも、プロの演奏に関わってくる、かなり専門的なお話でした。=============================「自分たち自身でうまくなれるように」という指導観にはとても共感をおぼえました。学校の授業でも同じだと思います。また、音楽理論の中では、僕は今まで和音のバランスというものにほとんど注意を払っていませんでした。これからは豊かな響きをめざして、和音の音量バランスに気をつけて音を聴いたり、音を出したりしようと思います。 実際の音で確かめてみたかったので、 楽譜作成ソフトでちょちょっと作って鳴らしてみました。 ♪和音の中の音量バランス比較(ドミソの和音) 1つ目の音は、ドミソを全部同じ音量で鳴らしたもの。 2つ目は、音量バランスをちょっと変えてみたものです。 和音の中の音の音量を変えたほうが耳触りがよくなるのがわかります。 (音データの作成が雑なのでどちらもいい音に聞こえないかもしれませんが)吹奏楽曲「風紋」は、その後オーケストラ版に編曲されています。その演奏がYouTubeで聴ける、と教えてもらいました。「保科アカデミー」による演奏です。 ブログを読んでいただいて、ありがとうございます。 ↓記事がお役にたてましたら、クリックいただけるとうれしいです。 ブログ王ランキング ▼にかとまの読書メモリスト ▼にかとま日記全件リスト
2012.01.06
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前回予告した通り、この本の読書メモを書いていきます。『ソーシャルメディア炎上事件簿 TWITTER、FACEBOOK、ネット動画...』(小林直樹、日経BP社、2011/8、1400円)ネット上で起こった事件だけでなく、仮に「炎上」してしまったときの対処法も書いてあります。率直な感想として、「予備知識として知っておいた方がいいな」と思うことが多くありました。 ==============================『ソーシャルメディア炎上事件簿』1(最初からp85まで。 太字は、この本の内容。緑文字は僕の個人的な感想です。)・企業の公式ツイッターアカウントから 「不謹慎な発言」が! →企業としては、 アルバイト店員がノーチェックで投稿できる状態でよいのかどうか、 即時性・柔軟性を保ちながら不適当なツイートを防止する体制づくり を考えるきっかけにしたい。それが「公式」なものかどうか、で 同じ内容でも、問題になったりするようです。 企業だけでなく、学校も、自校のホームページで 大多数に情報発信をしているので、 その内容のチェック体制については、気をつけておかないといけませんね。 あと、うちの学校では「携帯メール連絡網」を導入したので、 その文面なども多数に一斉配信されることから、 同様のチェックがいると思います。・イオングループ役員騙るツイッターが大暴走! →自社や社員の名を騙ったなりすましアカウントがないかどうか、 定期的に確認しておくこと。・公職選挙法は、選挙運動期間中に 候補者がインターネットを使った選挙運動を事実上禁止している。 ・米ドミノピザ、不衛生な動画に批判殺到! →・ドミノは48時間、沈黙を続けた。 迅速に手を打たなかったことが、 動画の炎上をさらに助長する! →・CEO自らYouTubeで謝罪。 YouTubeによって引き起こされた事件の火消しを、 ドミノはYouTubeを通じて行った。 ○この対応が奏功! →・事件を機にネットを通じて顧客と対話。 →・事件発生から8か月後、 50年間守り続けてきた歴史あるピザのレシピを捨て、 一から作り変える大々的な企画を開始。 ・同じYouTubeを使って 「ピザ再生計画」というドキュメンタリーをアップした。 ・ドキュメンタリーの中で、 ドミノは消費者からの批判的な意見をさらけ出した。 辛らつな批評を、ドミノの広報担当者は包み隠さず読み上げる。 ○自社にとって不都合な事実を告白。 →・ユーザーコメントがポジティブに転換! 全米ファーストフード業界で あのマクドナルドを抜いて首位に立った!米ドミノピザの一連の対応は、教訓に満ちています。 何か問題が起こった時に、 公式なコメントをすると余計に火に油を注ぐ・・・と思って 無視を決め込む、というのはよくあること。 しかし、それよりもネット上でどんどん「誠実な対応」をアップしていった方が よい、ということを示してくれています。 この件は本の最後でも対応の好例として言及されています。 特にネット上で「批判」が山ほど寄せられた場合は、 早く新しい別の話題でリカバリーを図らないといけない、 ということが分かりました。 会社名などの何でもないキーワードで「検索」をかけたときに、 ネット上に批判がずっと残り続けるのは とんでもない不利益になるのです。 新しい別の話題が早くネット上にいきわたれば、 過去の「炎上」に関するページは 検索の上位に表示されなくなります。 これはぜひ覚えておきたいと思いました。 (p85まで)==============================次回は「ネット上の人気投票企画」の話から。この本の事例はどれも実際にあったこと。それだけに、大変興味深く読み進めていけますし、「自分も気をつけなくちゃ」という気にさせられます。では、続きはまた次回!ブログを読んでいただいて、ありがとうございます。 ↓記事がお役にたてましたら、クリックいただけるとうれしいです。 ブログ王ランキング ▼にかとまの読書メモリスト ▼にかとま日記全件リスト
2012.01.05
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ソーシャルメディアがずいぶん発達してきました。ソーシャルというのは「社会的」という意味なので、ソーシャルメディアは、多くの人とつながる、社会との架け橋になるツールという意味。僕の場合、Facebookがメインツールになってきました。Twitterも登録しており、これは主にブログ更新のお知らせ用。YouTubeで音楽の投稿もしています。そしてもちろん、このブログもソーシャルメディアです。個人が社会とどんどんつながれるようになり、その恩恵は素晴らしいものがあります。ネットがなければ音信不通になっていた方々と今でも親交があるのは大変うれしいことです。その一方で、不特定多数が見るソーシャルメディアに不用意・不適切な書き込みをしてしまうと「炎上」してしまうことも。「炎上」とは、批判が膨大に押し寄せて問題が拡大・爆発することを指します。自衛・自戒のために読んだ本書。大変具体事例に富んでおり、今後気を付けたいことがはっきりわかりました。次回から何回かに分けて、この本の読書メモを書いていきます。『ソーシャルメディア炎上事件簿 TWITTER、FACEBOOK、ネット動画…』(小林直樹、日経BP社、2011/8、1400円)==============================内容詳細 ソーシャルメディアで炎上?なんて自分には関係ない。会社勤めをする、そんなあなたにこそ読んでいただきたい。同僚と飲みに行くのは会社近くを避ける。そんな慎重な人もツイッターなどソーシャルメディアへの投稿でついうっかり。そして炎上。翌日、会社に謝罪する。そもそも投稿などしないから関係ない。そう思っても誰かがあなたの役職に"なりすまし"孫正義氏を罵倒。そして炎上。翌日、会社が謝罪する。いずれも実話でありそれらを具体的社名で綴ったのがこの事件簿。12年前から炎上現場を追い続けた専門記者による炎上回避のための指南書でもある。目次 : 第1章 毎月起こるソーシャルメディア事件-事件簿1~7(12月-来店した勝間和代さんを飲食店店員がツイッターで中傷/ 1月-ウェスティンホテル店員が大物カップルの来店・宿泊を暴露/ 2月-三越伊勢丹内定の大学4年生がツイッター暴言で窮地に ほか)/ 第2章 典型的「炎上」パターン6分類-事件簿8~30(やらせ・捏造・自作自演/ なりすまし/ 悪ノリ ほか)/ 第3章 炎上防衛Q&A知っておきたい20の知恵(個人編/ 企業編)(HMV ローソンホットステーション R 商品リンクページより転載)==============================ブログを読んでいただいて、ありがとうございます。 ↓記事がお役にたてましたら、クリックいただけるとうれしいです。 ブログ王ランキング ▼にかとまの読書メモリスト ▼にかとま日記全件リスト
2012.01.03
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新年2日目の読書メモです。『幸せさがし 』(鎌田實、朝日新聞社、2007、1200円)今回は第2章から最後まで。選り抜きで紹介します。===========================『幸せさがし 』2(第2章 人生に負けないためには発想を変えればいい より)・ジャーナリストの柳原和子さん 「『キャンサーフリー』という言葉がある。 それはがんが消えたという意味ではなく、 がんからの自由という言葉だと思う」 ・がんは消えても消えなくても、 がんに支配されない生き方ができる。 柳原和子は、9年もの間、間違いなくがんと闘いながら、 がんから自由になりはじめているような気がする。 ・再発がんを生きる柳原和子が、良い医療に出会って、 治る治らないは二の次と思うようになった。 (第3章 幸せだから笑うのではなく、笑うから幸せになるんだよ より)・永六輔さんは、ご両親や奥様の看とりをしんみり語りながら、 がんという響きがいけないと言いだした。 「ポンという名前に変えれば、病気に負けないぞ」 ・検査のあとにポンが見つかりましたと言われても、 ショックが少ないように思う。 笑い転げそうになる。 笑えば笑うほど、免疫力があがってくるのだ。・自分をマナ板に載せて笑ってもらうってけっこう大事。 その場の空気がぐっとよくなる。 (第4章 死ぬことも失敗することもこわくない。 人生なんてなるようにしかならないのだから より)・樹木希林さん 家を造っているとき、ミスをしてもすぐに直さないでください と設計士に言った。 かえって面白いものが造れないかと考えるという。・人間はミスには触れたくないはずなのに、 これができる人は強い。 こういう人は自分の人生をいいほうへ変えていく。 (第6章 幸せの鍵はつながること より)・幸せはブーメランに似ている。 人を幸せにしていると、 いつか大空に飛び出していった「幸せ」がもどってくる。 幸せはそんなふうにできているのだ。 (第8章 自分らしく生きれば活路は開ける。きっと より)・困難ななかにいると、人のことなんか気にしていられなくなる。 ただ、自分のことだけ考えていると、 なかなか困難から抜け出すことはできない。 自分の困難を少し横に置いて、より困難な人のために 何か手伝ってあげる、汗を流してあげる。 汗を流しながら、何か大切なものに気がつくときがある。 人生ってうまくできている。 逆転の発想が必要なんじゃないだろうか、 困難なときほど誰かのために生きる、 それをまずやってみたいなあ。===========================大切なことが書いてあったと思います。数々の有名な方々に実際にお聞きした話を中心に具体事例が次から次へと出てくるので飽きませんでした。みなさんもぜひご一読を。ブログを読んでいただいて、ありがとうございます。 ↓記事がお役にたてましたら、クリックいただけるとうれしいです。 ブログ王ランキング ▼にかとまの読書メモリスト ▼にかとま日記全件リスト
2012.01.02
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新年最初の読書メモは鎌田實さんの『幸せさがし』です。『幸せさがし 』(鎌田實、朝日新聞社、2007、1200円)いろいろな方との出会いを軸に、「幸せ」を感じるための考え方を紹介されています。コンセプトとしては、『絶望に効くクスリ』(マンガ)と近いかな。いろんな人が出てくるので、ためになります。===========================『幸せさがし 』1(第1章 「勝ち」と「負け」の間に本当の幸せがかくれている より)・生命保険会社セールス日本一 柴田和子さん コツは何か → ”優しくすること” 「私、人に優しいの。 騙されても、意地悪されても、私、人に優しい。 1つの契約を取るのに、最長で12年かかったお客さまがいた。 過酷な状況のなかを生き抜いた経営者たちが、 私のことを信頼してくれるようになるまでじっと待つ。 私は絶対に信頼を裏切らない。 常にお客さまを大切にする」 「お客さまを幸せにしたいという、 こちら側の気持ちをどう伝えるかが大事なの。 契約が決まった後も、そのお客さまを大切にすることが大事」・すご腕の営業マンになるコツは、ホスピタリティ。 おもてなしの心である。 おもてなしの心に必要なものは何か。 相手に対する想像力である。・瀕死の動物園 旭山動物園をよみがえらせた園長 小菅正夫・小菅正夫が選んだキャッチフレーズは、 「命を伝える動物園」。・動物の能力をできるだけ自由に発揮させてやることで、 動物たちのストレスは減っていく。・「サーカスやショーとは違うので、 動物に無理やり何か芸をさせてみせたりはしません。 全部動物の思いのまま」 「簡単にエサを与えてはいけないのです。 簡単にたくさんのエサを与えてしまうと、 病気になりやすく、弱くなります」 「動物が生まれることも、そして動物が死んでいくことも、 すべて見せてあげたい」 「死を展示したのは、世界でも当園がはじめてかもしれません。 動物が病気になると、千羽鶴が届いたりします。 動物が死ぬと、供物や手紙が届きます。 子どもたちはみんな命を愛おしんでくれる。 すべてを隠さなくていいのです」・勝ち組にならなくてもいい。 でも負け組になってはいけない。 人生に負けてはいけないのだ。 幸せは「勝ち」と「負け」の間にあるような気がする。(p39まで 第1章より )===========================以前、音楽療法の本をとりあげたときに、「あいだ」ということにかなりこだわって感想を書いたことがあります。 ▼『音楽療法士のしごと』との対話その4~「あいだ」に生まれるもの白か黒か、AかBか、YesかNoか、そういった2者択一だけでなく、あいだを見る発想、あいだを感じる見方が大切なのかな、と思います。生きることと死ぬことの間には、たくさんのドラマがあります。その「あいだ」を感じるための方法として、僕は読書をおすすめします。「ああ、こんなことがあるのか」と気づかされることが山盛りです。 続きはまた次回。 ブログを読んでいただいて、ありがとうございます。 ↓記事がお役にたてましたら、クリックいただけるとうれしいです。 ブログ王ランキング ▼にかとまの読書メモリスト ▼にかとま日記全件リスト
2012.01.01
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昨年は当ブログにたくさんアクセスしていただき、ありがとうございました。今年も読んだ本の読書メモを中心に書いていくつもりです。今後もよろしくお願いします。○昨年よかったこと・がんばったこと 防災研修 Facebook ブクログ 歌 読書メモ YouTube ○今年顔晴りたいこと 1月の防災 3~4月の小中引継ぎ YouTube 歌 ソフト開発まずは学校の防災担当として1月に大きな3つの取組があるのでその段取りを顔晴ります。(^^)地震時避難訓練、震災追悼集会、引き渡し訓練です。特別支援・通級関係の小中引継ぎ、体制づくりも課題です。 ブログを読んでいただいて、ありがとうございます。 ↓記事がお役にたてましたら、クリックいただけるとうれしいです。 ブログ王ランキング ▼にかとまの読書メモリスト ▼にかとま日記全件リスト
2012.01.01
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